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hellog〜英語史ブログ

堀田隆一による,英語史に関する話題を広く長く提供し続けるブログです."History of the English Language Blog" ということで,略して "hellog".英語史と関連する英語学・言語学一般の話題も扱っています.まずは,アクセス・ランキング (access ranking) のトップ500記事あるいは全記事の標題の一覧 (Archives)をご覧下さい.たまにツイッターもやってます

お知らせ 去る8月12日に,本ブログベースの拙著『英語史で解きほぐす英語の誤解 --- 納得して英語を学ぶために』の第4刷が刷り上がりました.本書のコンパニオン・ページ及び著者による紹介ページをご覧ください.また,本書の内容に沿ったブログ記事へのリンク (hogusu) はおすすめです.2018/09/02(Sun)hogusu_front_cover_small

お知らせ 私も一部執筆している服部 義弘・児馬 修(編) 『歴史言語学』朝倉日英対照言語学シリーズ[発展編]3 朝倉書店,2018年.が2018年3月に出版されました.日本語史と比較対照しながら英語史や英語の歴史的変化について学べます.本ブログ内の#3283の記事にも簡単な紹介がありますのでご覧ください.2018/04/23(Mon)

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お知らせ ご愛読ありがとうございます,4刷が発行されています.本ブログの内容を多く取り込んだ拙著『英語の「なぜ?」に答えるはじめての英語史』が研究社より出版されました.本の趣旨や補足情報のために,コンパニオン・サイト (naze) を用意していますので,そちらも是非ご覧ください.また,本ブログ内の「#2764. 拙著『英語の「なぜ?」に答える はじめての英語史』が出版されました」にも紹介があります.2017/11/02(Thu)

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お知らせ Simonn Horobin 著 Does Spelling Matter? の拙訳『スペリングの英語史』が早川書房よりより出版されました.紹介記事として,本ブログ内の「#3079. 拙訳『スペリングの英語史』が出版されました」「#3080. 『スペリングの英語史』の章ごとの概要」もご覧ください.2017/10/01(Sun)

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お知らせ 『英語の「なぜ?」に答えるはじめての英語史』に関連する研究社ベースの連載企画「現代英語を英語史の視点から考える」が始まっています(そして12回で終わりました).2017/12/21(Thu)

お知らせ 10MTVオピニオンさんに,『はじめての英語史』から英語の「なぜ?」を読み解く,と題するコラムにて拙著を紹介いただきました.ありがとうございます.2017/07/16(Sun)

お知らせ DMM英会話ブログさんに,インタビュー記事「圧倒的腹落ち感!英語の発音と綴りが一致しない理由を専門家に聞きに行ったら、犯人は中世から近代にかけての「見栄」と「惰性」だった」がアップされました.誤解を招くほど分かりやすい記事にまとまりました(笑).この記事に関連する本ブログからの話題としては,こちらもご覧ください.2017/05/17(Wed)

お知らせ Chuo Online に拙稿「カタカナ語の氾濫問題を立体的に視る」が掲載されました.関連して,本ブログ #1999 の記事もご覧ください.2014/10/16(Thu)



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2018-09-19 Wed

2016 2017 のこの日

#3432. イギリス議会の起源ともいうべきアングロ・サクソンの witenagemot [etymology][oe][anglo-saxon][parliament][history][monarch][compound]

 ウェセックスのアルフレッド大王の孫に当たるアゼルスタン(Athelstan; 在位 924--40年)は,ウェセックス王にとどまらず,事実上の最初のイングランド王と呼ぶべき存在である.彼は937年のブルナンブルフの戦いで軍功をあげたほか,アルフレッド大王が作った州制を発展させ,法典を編纂し,銀ペニー貨の鋳造権を獲得し,諸外国と同盟するなどの業績を重ねた.君塚 (20--21) によれば,

 しかしアゼルスタンにとって最大の功績は,のちの国王評議会や議会の起源ともいうべき機関を設置したことであろう.アゼルスタン以降の国王は「立法」に深く携わるようになり,そのために定期的に有力者たちとの会議を開くようになった.王が司教や伯(エアルダーマン)らに相談して立法を行う慣習は,ノーサンブリアのエドウィン王の時代(六二〇年代)やウェセックスのイネ王の時代(六九〇年代)にも見られたが,アゼルスタンはこれをさらに大規模なものとし,キリスト教の重要な行事であるキリスト降誕祭(一二月),復活祭(四月頃),聖霊降臨祭(五月頃)に定期的に開催するようになった.
 これが「賢人会議」(ウィテナイェモート)と呼ばれるものである.イングランド各地から代表者を集めた会議で,カンタベリーとヨークの大司教,多くの司教や大修道院長たち,伯(エアルダーマン)らの有力貴族,豪族(セイン)らが出席するようになり,地方的な問題よりも,イングランド全体に関わる外交や防衛問題,さらには律法や司法に関わる問題を主に協議した.そしてこの会議に集まるようになった有力者たちにとって大切な役割となったのが,先王の死から次王の継承までの間に問題が生じないよう調整するという,まさに王位継承規範に関わる事柄であった.
 賢人会議は,前期のキリスト教行事とは関わりのない時期にも召集されたが,復活祭の会議では春の軍事遠征に関わる相談も頻繁に行なわれた.また時代が下るとともに,出席者の席次(序列)も徐々に形成されるようになっていった.


 アゼルスタンの設置した「賢人会議」は,古英語では witenagemōt と言い表した.これは witena + gemōt の2語からなる複合語であり,前者 witena は「賢人;評議員」を意味する名詞 wita の複数属格形である.この名詞は,現代英語の名詞 wit (cf. 古英語動詞 witan 「知る」)や形容詞 wise と語源的に関連している.
 後者 gemōt は「会議」を意味する名詞だが,これ自体は接頭辞 ge- と名詞 mōt に分解される.ge- は集合を表わす接頭辞で,中英語以降に弱化し消失していったが,yclept, yclad, alike, among, enough, either, handicraft, handiwork などの母音に痕跡を残す.mōt は,語源的に meet (会う)と関係しており,現代では moot という語形で「議論の余地のある」を意味する形容詞として用いられている.
 したがって,witenagemōt の意味はまさに「賢人たちが集合する会議」である.なお,現代英語での歴史用語としての発音は /ˈwɪtnəgəˌmoʊt/ となる.
 ノルマン征服以降の議会 (parliament) については,「#2334. 英語の復権と議会の発展」 ([2015-09-17-1]) と「#2335. parliament」 ([2015-09-18-1]) を参照.また,アングロサクソン王朝の系図と年表について,「#2620. アングロサクソン王朝の系図」 ([2016-06-29-1]) と「#2547. 歴代イングランド君主と統治年代の一覧」 ([2016-04-17-1]) をどうぞ.

 ・ 君塚 直隆 『物語 イギリスの歴史(上下巻)』 中央公論新社〈中公新書〉,2015年.

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2018-09-18 Tue

2016 2017 のこの日

#3431. 各種の EEBO 検索インターフェース [eebo][corpus][emode][site][web_service][link][n-gram][kwic]

 初期近代英語期の膨大なテキストを収録した EEBO (Early English Books Online) について,「#3117. EEBO corpus がリリース」 ([2017-11-08-1]) で BYU 提供の EEBO 検索インターフェース Early English Books Online corpus を紹介した.
 それとは別に,Early Modern Print: Text Mining Early Printed English というサイトのプロジェクトで,n-gram や KWIC などの検索インターフェースが提供されていることを知ったので紹介しておきたい.全体的なイントロは,こちらのページをどうぞ.個々の具体的なツールは,次のリンクからアクセスできる.

 ・ EEBO N-Gram Browser (説明はこちら
 ・ EEBO-TCP Key Words in Context (説明はこちら
 ・ EEBO-TCP and ESTC Text Counts
 ・ EEBO-TCP Words Per Year

 また,University of Michigan の提供する Early English Books Online の各種サーチや Lancaster University による EEBO on CQPweb (V3) も同様に有用.
 各種インターフェースのいずれを用いるか迷うところだ.

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2018-09-17 Mon

2016 2017 のこの日

#3430. 『物語 イギリスの歴史(上下巻)』の目次 [toc][history]

 目次シリーズとして,新書のイギリス史,君塚直隆(著)『物語 イギリスの歴史(上下巻)』の目次をお届けしよう.よくできた目次は,そのテーマについてざっと復習するのにとても役立つ.



  第1章 古代のブリテン島 ―― 先史時代〜11世紀
    石器時代から青銅器時代へ
    「ブリタニア」の誕生 ―― ケルト文化の伝来
    カエサルのブリタニア遠征
    ローマン・ブリテンの始まり
    長城の建設から協約締結へ
    大帝の出現とローマからの離反
    アングロ・サクソンの渡来
    七王国の形成
    オファ王の登場
    デーン人の襲来とアルフレッド大王
    最初の「イングランド王」の誕生と「賢人会議」
    エドガー王の戴冠式
    デーン人の再襲来
    「征服王」カヌートの登場
    強すぎる家臣たちの存在
    証聖王の死と三つ巴の抗争
    ノルマンディ公ギョーム=ウィリアム1世の戴冠式
  第2章 ノルマン王朝のイングランド ―― 11〜12世紀
    ウィリアム征服王の登場 ―― フランス語による支配
    祖法を守るウィリアム1世
    ノルマンディ防衛のための供給源
    「アングロ=ノルマン王国」の悲劇
    征服王の死と赤顔王の即位
    ロベールの十字軍参加と赤顔王の急死
    ヘンリ1世即位とアングロ=ノルマンの再統合
    イングランド統治構造の確立
    御曹司ウィリアムの悲劇
    「皇妃」マティルダの登場
    ブーローニュ伯の上陸 ―― スティーヴンの即位
    二〇年にわたる内乱へ
    皇妃と王妃の抗争 ―― 二人のマティルダ
    終息 ―― 皇妃マティルダから息子アンリへ
    内乱が残したもの ―― 女性統治への疑問
  第3章 アンジュー帝国の光と影 ―― 消えないフランスへの野心
    西ヨーロッパ最大の領主の誕生
    領土と王権の回復 ―― 臣従強要と遠征
    カンタベリー大司教ベケットとの対立,そして暗殺
    「諸侯よ,助言を与えたまえ」
    軍役代納金の本格的導入
    息子たちの叛乱
    ヘンリ2世の反撃と死
    獅子心王の即位と「帝国」の同様
    五男ジョンの登場
    ノルマンディ諸侯の離反と「腰抜け王」
    ローマ教皇との対決 ―― ジョンの破門
    キリスト教支配下,ジョンの屈服
    「在地化」した諸侯対「悪しき取り巻きたち」
    マグナ・カルタ ―― イギリス国制の基本文書
    イギリスに憲法はないのか?
    ヘンリ3世と議会政治の始まり
    大陸への野心と諸侯との対立
    国王への覚書提出と大陸“放棄”
    シモン・ド・モンフォールの議会
  第4章 イングランド議会政治の確立 ―― 13〜14世紀
    長脛王の登場と議会制の強化
    「税収」を求め続けた背景
    行政府の整備 ―― 宮廷と国家の二重構造
    「模範議会」をめぐる諸問題
    議会の「休会」と戦局の好転
    「ウェールズ大公」位の確保 ―― グウィネッズ君公国崩壊
    スコットランドとの死闘
    ガスコーニュ戦争と長脛王の死
    ギャヴィストン溺愛とスコットランド放棄
    エドワード2世の廃位
    エドワード3世による親政
    二院制の始まり ―― 貴族の登場
    五つの「爵位」の成立
    庶民院の拡充 ―― 騎士と市民
    庶民院への「請願」と仏語から英語へ
    「善良議会」 ―― 議会の地位確立
    イングランド独自の道?
  第5章 百年戦争からバラ戦争へ ―― フランスと王位をめぐって
   英仏百年戦争の始まり
   エドワード父子の栄光と死
   一〇歳の少年王の登場
   ワット・タイラーの乱と忠臣政治
   ダービー伯爵への仕打ち
   国王廃位からダービー伯爵即位へ
   ランカスター王家と議会の協調
   内乱の終息と皇太子ハリーの台頭
   ヘンリ5世によるフランス進攻
   連戦連勝,フランスの屈服
   ヘンリ6世=「アンリ2世」の即位
   百年戦争敗北からの神経性発作
   ヨーク公の台頭から「バラ戦争」へ
   エドワード4世の早世と混迷の時代
   グロウスター侯爵の即位
   ボズワースの戦い ―― ヨーク王朝滅亡
  第6章 テューダー王朝と近代の夜明け ―― 国家疲弊下の宗教対立
    ヘンリ7世 ―― 最も有能な実務家
    弱小国化していたイングランド
    ヘンリ7世の同盟戦略
    「ルネサンス王」ヘンリ8世の登場
    離婚問題からの宗教改革議会
    教皇からの破門 ―― イングランド国教会の成立
    「帝国」の拡張と王の死
    少年王のはかない治世
    「九日間」の女王
    「血まみれメアリ」の登場
    カトリックへの復帰宣言
    スペイン王への反発とメアリへの憎悪
    エリザベス1世の登場 ―― 妖精女王と国教会の復活
    処女女王の外交政策 ―― ちらつかせる結婚
    無敵艦隊撃破と女王の「手紙」
    優柔不断 ―― 現実のエリザベス
    エリザベス1世時代の議会
    「グロリアーナ」の死
  第7章 清教徒・名誉革命の時代 ―― 17世紀の変化
    哲人王の即位と祖法の遵守
    合邦の夢と宗教の「棲み分け」
    浪費と議会への不信
    三十年戦争と「平和王」の苦悩
    チャールズ1世の登場 ―― 「平和王」から「戦争王」へ
    議会不在の一一年 ―― 「絶対君主制」への信奉
    内線 ―― 国王と議会の武力衝突
    首を斬られた国王 ―― 清教徒革命
    共和制の始まり ―― 庶民院と国務会議
    護国卿体制の光と影
    クロムウェルの死と二院制復活
    王政復古
    改宗していた王弟ジェームズ
    トーリとホイッグの登場
    国王の反動化と名誉革命
    名誉革命の意義
    イングランド外交の転換期
    スコットランド合邦と王朝の終焉
  第8章 ハノーヴァー王朝下の議院内閣制確立 ―― 長い18世紀
    ハノーファー選帝侯ゲオルク
    ホイッグ優越時代の始まり
    スタナップ国務大臣への過度な信頼
    貴族法案をめぐる躓き
    難解泡沫事件とウォルポールの復活
    「ウォルポールの平和」の時代
    ウォルポールの辞任と「首相」の登場
    ペラム兄弟と「二重内閣」の終焉
    度重なる戦争から「奇跡の年」へ
    「愛国王」ジョージ3世の登場 ―― ビュート伯爵の重用
    各派の台頭と国王の政治力
    ノース政権とアメリカの独立
    議会改革の要求
    国王の頑なな抵抗
    ピット政権下の摂政制危機
    フランス革命と「ピット氏の黄金」
    アイルランド合邦化 ―― カトリック問題とピット辞任
    政党政治の混迷と摂政の登場
    「長い一八世紀」とイギリスの勝利
  第9章 イギリス帝国の黄金時代 ―― 19世紀の膨張
    戦後不況と強圧政治の時代
    キャロライン王妃事件 ―― 王権の弱体化
    ジユウトーリ主義の時代
    カトリック解放への道 ―― ピールの豹変
    グレイ政権下の選挙法改正
    貴族院の秘訣と民衆暴動
    国王による最後の首相更迭
    妖精女王の登場と民衆運動の勃興
    国益と改革 ―― ピール政権下の穀物法廃止
    二大政党制の確立 ―― 自由党の結成
    二大政党と大衆民主政治の予兆
    グラッドストンとディズレーリ
    老大人の再起 ―― 大衆政治の深化
    アイルランド自治問題の紛糾
    二度のジュビリーと女王の死
  第10章 第一次世界大戦 ―― いとこたちの戦争と貴族たちの黄昏
    バーティによる王室外交の時代
    自由貿易という「信仰」 ―― 保守党の分裂
    「人民予算」を賭けた総選挙
    貴族院改革と国王の死
    新王の登場 ―― 貴族院権限の大幅縮小
    アイルランド自治問題の再燃
    第一次世界大戦の衝撃 ―― 徴兵制導入と「総力戦」
    ロイド=ジョージ政権の光と影
    総力戦後 ―― 貴族政治から大衆民主政治へ
    アイルランド自由国の成立
    自由党の没落,労働党の勃興
    貴族院首相の終焉と労働党政権の成立
    世界恐慌下の挙国一致政権
    「英連邦諸国」の確立へ
  第11章 第二次世界大戦と帝国の溶解
    ジョージ5世の死
    「王冠を賭けた恋」
    脆弱な「ヴェルサイユ体制」
    平和の崩壊と独裁者たちの台頭
    チェンバレン首相の宥和政策とその破綻
    ドイツへの宣戦布告 ―― 連合国の敗退
    チャーチルの首相就任
    「ブリテンの戦い」からアメリカ参戦へ
    対独戦略とヤルタでの悲哀
    チャーチルの敗北 ―― 一〇年ぶりの総選挙
    アトリー政権下の戦後復興
    社会福祉国家の確立
    解体するイギリス帝国
    米ソ冷戦のなかで
    チャーチル再登板 ―― 合意政治の時代へ
    ひとつの時代の終わり
  第12章 エリザベス2世の時代 ―― 「英国病」からの蘇生
    悲しい帰国と華やかな戴冠式
    老臣チャーチルと「三つのサークル」
    スエズ戦争の蹉跌 ―― 世界中からのイギリス批判
    貴族制度の変容 ―― ヒューム首相就任の背景
    保守党党首選の開始
    英国病 ―― ポンド切り下げと「撤兵」
    イギリス政治の迷走 ―― 国民投票の容認
    サッチャー革命 ―― 「小さな政府」へ
    サッチャー外交と女王との確執
    ブレア政権の誕生 ―― 「第三の道」の提唱
    地方分権化 ―― イングランド以外への権限委譲
    「世襲議員」改革へ
    ブレアの「大統領型」統治
    ブレアの挫折 ―― イラク戦争参戦問題
    議会政治と二大政党制のゆくえ
    在位六〇周年記念式典の陰で



 ・ 君塚 直隆 『物語 イギリスの歴史(上下巻)』 中央公論新社〈中公新書〉,2015年.

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2018-09-16 Sun

2016 2017 のこの日

#3429. マケドニアの新国名を巡る問題 [sociolinguistics][macedonia][greek][map]

 ギリシアは北の隣国「マケドニア共和国」の国名使用に反対してきたが,両国政府の話し合いにより,「マケドニア共和国」の新国名を「北マケドニア共和国」 (Republic of North Macedonia) とする案が,6月12日に合意されたという.マケドニアでは9月末に国名変更の是非を問う国民投票を実施し,賛成多数となれば正式な決定への重要な一歩となる(その後,ギリシア議会による批准も必要とされる).マケドニアにとってEUへの加盟の足かせとなってきた問題であり,今回の提案により前進する可能性が出てきた.ただし,マケドニアで主として使用されている言語については,従来通り「マケドニア語」と呼び続けるようだ.

Map of Macedonia

 もっとも,上記の合意は政府レベルの合意であり,ギリシア国民の多くが納得しているわけではない.9月8日の BBC News の報道 Greek riot police fire tear gas at Macedonia name protesters では,ギリシア北部のマケドニア地方の都市テッサロニキにて暴動が起こったことが伝えられた.ギリシアの「マケドニア」地方と,その北の隣国「マケドニア」共和国の名称が重なっているのが,そもそも大問題だったのだ
 ギリシアは,アレクサンダー大王で有名な古代ギリシアのマケドニア王国を,ギリシアの歴史の一部として認識してきた.背景には歴史,民族,国家,言語を巡る非常に複雑な経緯がある.「#1659. マケドニア語の社会言語学」 ([2013-11-11-1]) ほか,以下の BBC News の記事を参照されたい.

 ・ Macedonia country profile (2018/07/10): 国の輪郭
 ・ Macedonia and Greece: Deal after 27-year row over a name (2018/07/12): 問題の由来が歴史の観点から説明されている
 ・ Macedonia and Greece: Backlash over name deal (2018/07/13): 7月の政治的合意について

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2018-09-15 Sat

2016 2017 のこの日

#3428. 講座「英語のエッセンスはことわざに学べ」 [asacul][proverb][hel_education][slide][link]

 「#3404. 講座「英語のエッセンスはことわざに学べ」のお知らせ」 ([2018-08-22-1]) でお知らせしたとおり,先日,同講座を開講しました.参加された方におかれましては,ありがとうございました.講座で用いたスライド資料をこちらに置いておきます.
 以下,スライドのページごとにリンクを張っておきます.そこからさらに,本ブログの様々な記事へ飛べますので,合わせてご覧ください.

   1. 講座『英語のエッセンスはことわざに学べ』
   2. 本講座のねらい
   3. Art is long, life is short.
   4. 英語ことわざに関する辞書・書籍の紹介
   5. 「ことわざ」「金言」「格言」など(『広辞苑第六版』より)
   6. proverb, saying, maxim, etc. (OALD8)
   7. 英単語 proverb の語源
   8. 英語ことわざ史 (#2691)
   9. 英語ことわざの起源 (#3321)
   10. 英語ことわざの内容による分類 (#3320)
   11. 英語ことわざのキーワード,トップ50 (#3419)
   12. キーワード入りことわざの例 (#3420)
   13. 英語ことわざの短さ (#3421)
   14. 短いことわざの例(短文,句,省略)
   15. 参考 長いことわざもある
   16. 対義ことわざ
   17. 頭韻 (alliteration)
   18. 頭韻とことわざ (#943)
   19. 強勢リズム
   20. Many a little makes a mickle. (#564)
   21. Money makes the mare to go. (##970,978)
   22. Handsome is as handsome does. (#3319)
   23. One man's meat is another man's poison.
   24. One swallow does not make a summer.
   25. 日英(東西)ことわざ比較(安藤,第8章より)
   26. 聖書に由来することわざ
   27. 古いことわざ(古英語・中英語より)
   28. まとめ
   29. 参考文献

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2018-09-14 Fri

2016 2017 のこの日

#3427. 訓令式・日本式・ヘボン式のローマ字つづり対照表 [japanese][writing][orthography][romaji][language_planning]

 「#1879. 日本語におけるローマ字の歴史」 ([2014-06-19-1]),「#1892. 「ローマ字のつづり方」」 ([2014-07-02-1]) で見たとおり,日本語のローマ字表記は「現行の方式」「ヘボン式」「標準式」「日本式」「訓令式」などのいくつかのつづり方の間で揺れている.
 「現行の方式」は,1954年(昭和29年)12月9日に政府が「ローマ字のつづり方」として告示した「第1表」と「第2表」の二本立てである.この第1表とは次に示す「訓令式」と同一であり,第2表とは後に述べる「標準式」と,訓令式から漏れた部分を「日本式」から補ったものとから成っている.
 「ヘボン式」は,1885年(明治18年)に,チェンバレン,外山正一などによって組織された『羅馬字会』が発表した方式で,子音字を英語風に,母音字をイタリア語風に書き表す方法である.ヘボンの『和英語林集成』第3版(1886年)に採用されたため,その名がついた.
 「標準式」は,別名「改正ヘボン式」とも呼ばれるように,1908年(明治41年)に,ヘボン式から kwa, gwa, ye, wo を削除したものである.旧国鉄駅名や人名などに広く用いられている.一部が第2表に取り込まれている.
 「日本式」は,1886年(明治19年)に田中館愛橘らが羅馬字会に対抗して発表した方式で,日本語の五十音図に基づいている.一部が第2表に取り込まれている.
 「訓令式」は,1937年(昭和12年)9月21日に「国語ローマ字綴リ方ニ関スル件」の訓令で示された日本式の変種であり,そのまま第1表となっている.
 以下に,訓令式を基準とした訓令式・日本式・ヘボン式の対照表を示そう.日本式は青字 [ ] (特定の語に用いられるものには * を付す),ヘボン式は赤字イタリック体で示した.

ア行 aiueo    
カ行 kakikukeko kyakyukyo
  [kwa]*        
サ行 sasisuseso syasyusyo
   shi    shashusho
タ行 tatituteto tyatyutyo
   chitsu   chachucho
ナ行 naninuneno nyanyunyo
ハ行 hahihuheho hyahyuhyo
    fu      
マ行 mamimumemo myamyumyo
ヤ行 ya yu yo    
ラ行 rarirurero ryaryuryo
ワ行 wa   [wo]*    
           
ガ行 gagigugego gyagyugyo
  [gwa]*        
ザ行 zazizuzezo zyazyuzyo
   ji    jajujo
ダ行 dazizudedo zyazyuzyo
   [di][du]   [dya][dyu][dyo]
   ji    jajujo
バ行 babibubebo byabyubyo
パ行 papipupepo pyapyupyo


 以上,『日本語百科大事典』 (pp. 348--51) に依拠した.

 ・ 『日本語百科大事典』 金田一 春彦ほか 編,大修館,1988年.

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2018-09-13 Thu

2016 2017 のこの日

#3426. 日英語(東西)ことわざ比較 [proverb][japanese]

 ことわざは,その言語文化で伝統的に受け入れられてきた生活の知恵であるから,そこにその文化独自の物事の見方やとらえ方が反映しているというのは,確かにありそうなことである.典型的な種類のことわざを言語ごとに比較してみれば,おもしろい差異の洞察が得られるにちがいない.
 安藤の第8章に,日英語(東西)ことわざ比較の議論がある.『東西ことわざもの知り百科』(春秋社,2012年)に依拠しつつ,例が挙げられていたが,主たるものを以下に引用しよう.

英語 日本語
[多弁型] Don't beat about the bush. Call a spade a spade. ←→ [寡黙型]口は災の元.秘すれば花.
[行動型] Do to others as you would be done by. (『マタイ伝』『ルカ伝』) ←→ [慎重型]己の欲せざる所を人に施すこと勿れ.(『論語』)
[攻撃型] Offense is the best defense. ←→ [守勢型]和をもって尊しとなす.(聖徳太子)
[経験主義] Experience without learning is better than learning without experience. ←→ [権威主義]学若し成らずんば死すとも帰らず.温故知新.
[個人主義] Who spits against heaven, it falls in his face. ←→ [集団主義]一蓮托生.親の因果が子に報い.
[罪を意識] Religion is the rule of life. ←→ [世間を意識]生きて虜囚の恥かしめを受けず.忠臣は二君に仕えず.


 きれいに図式化されている.しかし,対比するのに各々の言語からどのようなことわざを持ってくるのかという点には注意しておきたい.昨日の記事「#3425. 英語の対義ことわざ」 ([2018-09-12-1]) で見たように,日英語ともに対義ことわざというものがあり得るからだ.例えば,英語の Offense is the best defence と日本語の「和をもって尊しとなす」とを対比しているが,前者の日本語版「攻撃は最大の防御」も,現在の日本では広く通用している.この種の文化比較の議論には,先に結論ありきといった雰囲気がちらつきはするが,腑に落ちるところがないかといえば,それもウソである.確かにおもしろい.

 ・ 安藤 邦男 『ことわざから探る 英米人の知恵と考え方』 開拓社,2018年.

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最終更新時間2018-09-18 19:19

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