hellog_icon.ico hellog〜英語史ブログ     アーカイブ (Archives)     旧掲示板アーカイブ     イメージ集 (Images)     参考文献リスト (Bibliography)     ランダム表示 (Random display)     検索ページ (Search)     feed_icon.svg このブログを購読 (Subscribe)     授業のページ (Courses)     勉強会 (Study group)     リンク (Links)     著書・訳書のページ (My books)     パスワードページ (Password)     Google    

hellog〜英語史ブログ

堀田隆一による,英語史に関する話題を広く長く提供し続けるブログです."History of the English Language Blog" ということで,略して "hellog".英語史と関連する英語学・言語学一般の話題も扱っています.まずは,アクセス・ランキング (access ranking) のトップ500記事あるいは全記事の標題の一覧 (Archives)をご覧下さい.たまにツイッターもやってます

お知らせ 去る8月12日に,本ブログベースの拙著『英語史で解きほぐす英語の誤解 --- 納得して英語を学ぶために』の第4刷が刷り上がりました.本書のコンパニオン・ページ及び著者による紹介ページをご覧ください.また,本書の内容に沿ったブログ記事へのリンク (hogusu) はおすすめです.2018/09/02(Sun)hogusu_front_cover_small

お知らせ 私も一部執筆している服部 義弘・児馬 修(編) 『歴史言語学』朝倉日英対照言語学シリーズ[発展編]3 朝倉書店,2018年.が2018年3月に出版されました.日本語史と比較対照しながら英語史や英語の歴史的変化について学べます.本ブログ内の#3283の記事にも簡単な紹介がありますのでご覧ください.2018/04/23(Mon)

naze_front_cover_small

お知らせ ご愛読ありがとうございます,4刷が発行されています.本ブログの内容を多く取り込んだ拙著『英語の「なぜ?」に答えるはじめての英語史』が研究社より出版されました.本の趣旨や補足情報のために,コンパニオン・サイト (naze) を用意していますので,そちらも是非ご覧ください.また,本ブログ内の「#2764. 拙著『英語の「なぜ?」に答える はじめての英語史』が出版されました」にも紹介があります.2017/11/02(Thu)

naze_front_cover_small

お知らせ Simonn Horobin 著 Does Spelling Matter? の拙訳『スペリングの英語史』が早川書房よりより出版されました.紹介記事として,本ブログ内の「#3079. 拙訳『スペリングの英語史』が出版されました」「#3080. 『スペリングの英語史』の章ごとの概要」もご覧ください.2017/10/01(Sun)

does_spelling_matter_front_cover_small

お知らせ 『英語の「なぜ?」に答えるはじめての英語史』に関連する研究社ベースの連載企画「現代英語を英語史の視点から考える」が始まっています(そして12回で終わりました).2017/12/21(Thu)

お知らせ 10MTVオピニオンさんに,『はじめての英語史』から英語の「なぜ?」を読み解く,と題するコラムにて拙著を紹介いただきました.ありがとうございます.2017/07/16(Sun)

お知らせ DMM英会話ブログさんに,インタビュー記事「圧倒的腹落ち感!英語の発音と綴りが一致しない理由を専門家に聞きに行ったら、犯人は中世から近代にかけての「見栄」と「惰性」だった」がアップされました.誤解を招くほど分かりやすい記事にまとまりました(笑).この記事に関連する本ブログからの話題としては,こちらもご覧ください.2017/05/17(Wed)

お知らせ Chuo Online に拙稿「カタカナ語の氾濫問題を立体的に視る」が掲載されました.関連して,本ブログ #1999 の記事もご覧ください.2014/10/16(Thu)



2018 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2017 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2016 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2015 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2014 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2013 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2012 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2011 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2010 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2009 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12

2018-11 / 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30

最近 7 日分を以下に表示中 / 今月の一覧

2018-11-14 Wed

#3488. 膠着と滲出 [terminology][morphology][morpheme][suffix][metanalysis][neologism][word_formation]

 通時的現象としての標題の術語群について理解を深めたい.いずれも,拘束形態素 (bound morpheme) と自由形態素 (free morpheme) の間の行き来に関する用語・概念である.輿石 (111--12) より引用する.

 膠着 [通時現象として] (agglutination) とは,独立した語が弱化し独立性を失って他の要素に付加する接辞になる過程を指す.たとえば,英語の friendly の接尾辞 -ly の起源は独立した名詞の līc 「体,死体」であった.
 一方,この逆の過程が Jespersen (1922: 284) の滲出(しんしゅつ)(secretion) であり,元来形態論的に分析されない単位が異分析 (metanalysis) の結果,形態論的な地位を得て,接辞のような要素が創造されていく.英語では,「〜製のハンバーガー」を意味する -burger,「醜聞」を意味する -gate などの要素がこの過程で生まれ,それぞれ cheeseburger, baconburger 等や Koreagate, Irangate 等の新語が形成されている.


 注意したいのは,「膠着」という用語は共時形態論において,とりわけ言語類型論の分類において,別の概念を表わすことだ(「#522. 形態論による言語類型」 ([2010-10-01-1]) を参照).今回取り上げるのは,通時的な現象(言語変化)に関して用いられる「膠着」である.例として挙げられている līc → -ly は,語として独立していた自由形態素が,拘束形態素化して接尾辞となったケースである.
 「滲出」も「膠着」と同じ拘束形態素化の1種だが,ソースが自由形態素ではなく,もともといかなる有意味な単位でもなかったものである点に特徴がある.例に挙げられている burger は,もともと Hamburg + er である hamburger から異分析 (metanalysis) の結果「誤って」切り出されたものだが,それが拘束形態素として定着してしまった例である.もっとも,burger は hamburger の短縮形としても用いられるので,拘束形態素からさらに進んで自由形態素化した例としても挙げることができる (cf. hamburger) .
 形態素に関係する共時的術語群については「#700. 語,形態素,接辞,語根,語幹,複合語,基体」 ([2011-03-28-1]) も参照されたい.また,上で膠着の例として触れた接尾辞 -ly については「#40. 接尾辞 -ly は副詞語尾か?」 ([2009-06-07-1]),「#1032. -e の衰退と -ly の発達」,「#1036. 「姿形」と -ly」 ([2012-02-27-1]) も参考までに.滲出の他の例としては,「#97. 借用接尾辞「チック」」 ([2009-08-02-1]),「#98. 「リック」や「ニック」ではなく「チック」で切り出した理由」 ([2009-08-03-1]),「#105. 日本語に入った「チック」語」 ([2009-08-10-1]),「#538. monokinitrikini」 ([2010-10-17-1]) などを参照.

 ・ 輿石 哲哉 「第6章 形態変化・語彙の変遷」服部 義弘・児馬 修(編)『歴史言語学』朝倉日英対照言語学シリーズ[発展編]3 朝倉書店,2018年.106--30頁.
 ・ Jespersen, Otto. Language: Its Nature, Development, and Origin. 1922. London: Routledge, 2007.

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

2018-11-13 Tue

#3487. 『物語 イギリスの歴史(上下巻)』の年表 [timeline][history][monarch]

 イギリス年表シリーズとして,君塚直隆(著)『物語 イギリスの歴史(上下巻)』の巻末の年表を掲げる(上巻 pp. 216--20,下巻 pp. 245--52 より).この読みやすい通史は,基本的にはイングランド王朝・王室史および議会政治史の記述といってよい.当然ながら,個別言語史の背景的知識として政治史,社会史,経済史などの知見は非常に重要である.

B.C. 6世紀頃ケルト系の部族が現在のグレート・ブリテン島で定住開始
B.C. 55--54カエサルのブリタニア遠征
A.D. 122「ハドリアヌスの長城」建設始まる (--132)
5--7世紀アングロ・サクソン諸族のブリタニア侵入および征服
757マーシアでオファ王が即位 (--796)
871ウェセックスルでアルフレッド大王が即位 (--899)
924アゼルスタンが全イングランド王としてパースで戴冠式を挙行
973エドガーがイングランド王としてバースで戴冠式を挙行
1066ウィリアム1世即位(10月):ノルマン王朝開始 (--1154)
1067ウィリアム1世により叛乱地域が制圧:「ノルマン征服」 (--1071)
1085『ドゥームズデイ・ブック(土地台帳)』の作成 (--1086)
1087ウィリアム2世即位(9月).兄ロベールとの抗争始まる
11007ウィリアム2世狩猟中に事故死.ヘンリ1世即位(8月)
1106ヘンリ1世が兄ロベールとの抗争を制し,ノルマンディ公国も継承
1135スティーヴンが国王に即位(12月):内乱へ (1135--53)
1154ヘンリ2世即位(10月):プランタジネット王朝開始 (--1399).「アンジュー帝国」の形成
1173ヘンリ若王らが父ヘンリ2世に叛乱(内紛の時代の始まり)
1189リチャード1世即位(7月).第3回十字軍遠征に参加 (--1194)
1192リチャードがウィーン近郊で虜囚に (--1194)
1199ジョンが国王に即位(4月)
1204ノルマンディ,アンジューがフランス国王により失陥 (--1205)
1205ジョンとローマ教皇インノケンティウス3世とは叙任権闘争 (--1213)
1215諸侯がジョンに「マグナ・カルタ(大憲章)」提出(6月)
1216ヘンリ3世即位(10月).諸侯との内乱も終息へ (--1217)
1258諸侯大会議が「オックスフォード条款」を作成(6月)
1259パリ条約でヘンリ3世が北部フランスに有する領土の放棄を宣言(12月):「アンジュー帝国」の消滅
1265シモン・ド・モンフォールの議会(1月)
1267モンゴメリー協定により,サウェリン・アプ・グリフィズが「ウェールズ大公」としてヘンリ3世から認可(9月)
1272エドワード1世即位(11月)
1283エドワード1世がウェールズ遠征.サウェリン・アプ・グリフィズが戦死し,ウェールズ大公が空位に (--1283)
1284エドワード1世が皇太子エドワードをウェールズ大公に任命(正式な叙任は1301年2月).これ以降,イングランド(イギリス)の王位継承第1位の男子が「ウェールズ大公」を帯びることに
1290スコットランド女王マーガレットが急死し,王位継承問題が浮上
1293エドワード1世の裁定により,ジョン・ベイリオルがスコットランド国王に即位 (--1296)
1295エドワード1世が聖俗諸侯,州・都市代表,聖職者会議からなる「模範議会」を召集(11月),スコットランドとフランスが「古き同名」関係を締結へ (--1560)
1296イングランド・スコットランド戦争.「スクーンの石」がイングランド軍により持ち去られる(1996年にスコットランドに返還).
1297ウィリアム・ウォレスがスコットランドで反乱.スターリングの戦いでイングランド軍に勝利.
1299エドワード1世がモンルイユ条約でフランス国王と講和:皇太子エドワードとフランス王女イサベルの婚約成立
1306ロバート・ブルースがスコットランド王位継承を宣言.エドワード1世がスコットランド遠征の途上で病死 (1307年7月)
1307エドワード2世即位(7月)
1314バノックバーンの戦いでブルースがイングランド軍を撃破し,ロバート1世としてスコットランド国王に即位(1328年にイングランドも承認)
1327エドワード2世が議会で廃位.皇太子がエドワード3世に即位(1月).エドワード2世が密かに処刑される(9月)
1330エドワード3世が親政開始(10月).この頃から議会が「貴族院」と「庶民院」の二院制に移行
1337皇太子エドワード(黒太子)がコーンウォール公爵に叙される(イングランドで最初の公爵位).フランス国王フィリップ6世がエドワード3世の在仏全所領の没収を宣言:英仏百年戦争の開始 (--1453)
1356ポワティエの戦いで黒太子が勝利(9月)
1360プンティニ=カレー条約締結:エドワード3世がフランスの王位請求権を放棄する代わりに,アキテーヌ領有が承認(10月)
1376エドワード3世が「善良議会」を開催(4--7月).黒太子急死(6月)
1377リチャード2世即位(6月)
1381人頭税に反対するワット・タイラーの乱(5--6月)
1382リチャード2世が親政開始.寵臣政治に議会が反発
1399リチャード2世廃位.ランカスター公爵ヘンリがヘンリ4世に即位(9月):ランカスター王朝成立 (--1471)
1413ヘンリ5世即位(3月)
1415ヘンリ5世がフランス遠征.アジンコートの戦いで大勝利(10月)
1420トロワ条約締結(5月).ヘンリのフランス王位継承権が承認され,ヘンリとフランス王女カトリーヌの結婚が決まる.二人の間に皇太子ヘンリが誕生(1421年12月)
1422ヘンリ6世即位(8月).フランス国王シャルル6世の死により,アンリ2世としてフランス王位も継承(10月)
1429シャルル7世がジャンヌ・ダルクに導かれ,ランス大聖堂で戴冠(7月)
1431ジャンヌ・ダルクの焚刑(5月).アンリ2世(ヘンリ6世)がパリのノートルダム大聖堂で戴冠(12月)
1453ボルドーが陥落し(10月),イングランドが在仏所領の大半を失う(英仏百年戦争の終結).ヘンリ6世が精神疾患に陥る(8月)
1454ヨーク公爵リチャードが護国卿に就任(3月)
1455ランカスター派とヨーク派の抗争始まる:バラ戦争 (--1485)
1460ヨーク公爵リチャードが戦死(12月):長男エドワードが継承
1461ヨーク派がロンドン制圧.ヘンリ6世を廃し,エドワード4世推戴(3月):第一次内乱の終結.ヨーク王朝開始 (--1485)
1470エドワード4世がネヴィル派によって放逐され,ブルゴーニュ公領に亡命.ヘンリ6世が復位(10月)
1471エドワード4世が帰国し,ランカスター=ネヴィル派を撃破:第二次内乱の終結.ヘンリ6世処刑(5月).エドワード4世復位 (--1483)
1478王弟クラレンス公爵ジョージがエドワード4世との不和で処刑(2月)
1483エドワード5世即位(4月).叔父のグロウスター公爵リチャードが護国卿に就任.エドワード5世廃位.リチャード3世即位(6月).バッキンガム公爵が叛乱を起こし,処刑(11月)
1485ボズワースの戦いでリッチモンド伯爵ヘンリがリチャード3世軍に勝利.リチャード3世戦死.ヘンリ7世が国王に即位(8月):テューダー王朝開始 (--1603)
1486ヘンリ7世とヨーク王家のエリザベスが結婚(1月)
1491パーキン・ウォーベックの叛乱 (--1499)
1494ポイニングズ法制定:アイルランド議会の権限縮小化
1501皇太子アーサーとスペイン王女キャサリン結婚(11月).5ヶ月後にアーサーが急死し,長弟ヘンリとキャサリンとの結婚が教皇庁から承認
1509ヘンリ8世即位(4月).キャサリンと結婚(6月)
1517マルティン・ルターの宗教改革始まる(10月).ヘンリ8世はルター派を封じ込めるロンドン条約を王侯らと締結(1518年10月)
1527ヘンリ8世がキャサリンとの離婚を教皇庁に申請(5月).神聖ローマ皇帝カール5世(キャサリンの甥)により阻止
1529ヘンリ8世が宗教改革議会を開催 (--1536)
1533ヘンリ8世がアン・ブーリンと極秘結婚(1月).上訴禁止法制定(3月).キャサリンとの離婚成立(4月).アンとの間にエリザベス誕生(9月)
1534国王至上法制定(11月):イングランド国教会が成立
1536アン処刑(5月):ヘンリ8世がジェーン・シーモアと結婚.小修道院の解散.北部でカトリック教徒らが叛乱(「恩寵の巡礼」:10月)
1537ヘンリ8世とジェーンとの間にエドワード誕生(10月)
1539大修道院解散
1541ヘンリ8世が「アイルランド国王」の称号をおびる
1544ヘンリ8世がスコットランド侵攻(遠征は失敗へ)
1547エドワード6世即位(1月).叔父のサマセット公爵が護国卿に就任.スコットランドに侵攻し,ピンキーの戦いで勝利(9月)
1549フランス=スコットランド連合の前に敗北.西部の叛乱(6月).サマセット公爵失脚(10月).ウォーリック伯爵(1551年よりノーサンバランド公爵)が実権掌握へ
1553エドワード6世死去.ノーサンバランド公爵によりジェーン・グレイが推戴されるが敗北(9日間の女王).メアリ1世即位(7月)
1554メアリ1世がスペイン皇太子フェリーペと結婚(7月).イングランド国教会を廃し,カトリックを復活へ
1556フェリーペがスペイン国王フェリーペ2世に:スペイン=フランス戦争が勃発し,メアリ1世も対仏宣戦布告(1557年6月)
1558カレー喪失(大陸の土地を完全に失う:1月).メアリ1世死去.エリザベス1世即位(11月)
1559国王至上法と礼拝統一法が議会を通過(4月):イングランド国教会復活
1561スコットランド女王メアリ(ステュアート)がフランスより帰国
1567スコットランド女王メアリが貴族らと衝突し,廃位(7月).ジェームズ6世が即位 (--1625) .メアリは翌68年イングランドに亡命
1569カトリック貴族らにより北部叛乱開始(10月).叛乱は翌70年2月に鎮圧され,直後にエリザベス1世は教皇庁により破門を宣告
1587メアリ・ステュアート処刑(2月).フランシス・ドレイクがカディスを襲撃(4月)
1588スペイン無敵艦隊が襲来(7月:アルマダの戦い):イングランド軍勝利
1600イングランド東インド会社設立
1601救貧法制定
1603エリザベス1世死去(3月):テューダー王朝断絶.スコットランド国王ジェームズ6世がイングランド国王ジェームズ1世に即位(同君連合)(3月):ステュアート王朝開始 (--1714)
1605ハンプトン・コート会議(1月):イングランド国教会とスコットランド教会がそれぞれの主流派として正式に承認(カトリックへの抑圧が続く)
1605火薬陰謀事件(11月)
1610「大契約」が議会の承認獲得に失敗(11月)
1625チャールズ1世即位(3月).フランス王女アンリエッタ・マリアと結婚(5月)
1628「権利の請願」裁可(3月).国王の側近バッキンガム公爵暗殺(8月)
1629チャールズ1世が議会を解散(3月):ロード=ウェントワース体制 (--1640)
1638宗教問題をめぐりスコットランドで叛乱勃発 (--1640)
1640チャールズ1世が議会召集(4--5月:短期議会).スコットランドとの戦争が終結(9月).チャールズ1世が再度議会を召集(11月:長期議会)
1642五議員逮捕事件(1月).国王軍と議会軍の内乱(清教徒革命)勃発 (--1649)
1645オリヴァー・クロムウェルにより議会側がニューモデル軍編成(2月).ネーズビーの戦いで議会軍が圧勝(6月)
1648国王軍が完全に敗北(8月).「プライドの追放(パージ)」(12月)
1649チャールズ1世処刑(1月).王政と貴族院が廃止(3月).クロムウェル軍がアイルランド遠征(8月〜1650年9月)
1650クロムウェル軍がスコットランド遠征(8月--1651年9月)
1651オランダによる中継貿易を禁じた航海法が制定(10月)
1652第一次イングランド・オランダ戦争 (--1654)
1653クロムウェルが長期議会を解散(4月).「統治章典」が採択され,クロムウェルが護国卿に就任(12月):護国卿体制の開始 (--1659)
1657議会が「謙虚なる請願と勧告」を提出し,クロムウェルに王位を提示(3月).クロムウェルは国王即位を固辞(5月).二度目の護国卿就任式を挙行(6月)
1658クロムウェル死去(9月).リチャード・クロムウェルが継承
1659リチャード・クロムウェルが護国卿辞任(5月)
1660長期議会が復活し,チャールズ1世の遺児による君主制を支持.ブレダ宣言・仮議会召集(4月).チャールズ2世即位(5月):王政復古
1661チャールズ2世戴冠式(4月),騎士議会開会(5月)
1665第二次イングランド・オランダ戦争 (--1667) .ロンドンでペスト流行
1666ロンドン大火(9月)
1670ドーヴァー密約(5月:対オランダ戦争などめぐり英仏君主間に密約)
1672チャールズ2世が「信仰自由宣言」公布.第三次イングランド・オランダ戦争 (--1674)
1673審査法制定(3月):ヨーク公爵ジェームズが海軍総司令官職を辞任
1677ヨーク公爵の長女メアリとオランダ総督ウィレムが結婚(11月)
1679王位継承排除法案の審議が開始(5月):これにより1680年代前半から,議会内にトーリとホイッグという二つの党派が登場
1685ジェームズ2世即位(2月).モンマス公の叛乱(6月)
1687--88ジェームズ2世が二度にわたり「信仰自由宣言」公布:審査法に違反し,重要官職をカトリック教徒で固め始める
1688皇太子ジェームズ誕生(6月).イングランド主要政治家と提携したオランダ総督ウィレムがイングランドに上陸(11月).ジェームズ2世亡命
1689仮議会により「権利宣言」が提出され,ウィリアム3世・メアリ2世の共同統治が決定(2月).「権利章典」の制定(12月):名誉革命.この間に,ウィリアム3世の主導により,イングランドもオランダ側につき,対仏宣戦布告(5月:九年戦争への参戦)
1690ボイン川の戦いでウィリアム3世がアイルランドのカトリック住民虐殺(7月):ジェームズ2世がアイルランド上陸を断念
1694イングランド銀行設立(7月).メアリ2世死去(12月)
1697レイスウェイク条約でルイ14世がウィリアム3世の王位承認(9月)
1701王位継承法制定(6月):カトリック教徒による王位継承,王族のカトリック教徒との結婚が禁止される (--2013) .ウィリアム3世により,ハーグ同盟結成(9月):スペイン王位継承戦争への参戦
1702アン女王即位(3月).対フランス戦争は継続へ
1704ブレンハイムの戦いでイングランド軍がフランス軍に大勝利(8月)
1713ユトレヒト条約(4月):イギリスがジブラルタル,ミノルカなど領有
1714アン女王死去:ステュアート王朝終結.ハノーファー選帝侯ゲオルクがジョージ1世に即位(8月):ハノーヴァー王朝開始 (--1901)
1715第一次ジャコバイトの叛乱(9月)
1716七年議会法制定(5月)
1720南海泡沫事件
1721サー・ロバート・ウォルポールが第一大蔵卿に就任(4月).南海泡沫事件を巧みに処理し,ジョージ1世から信任を得る
1727ジョージ2世即位(6月)
1739「ジェンキンズの耳戦争」勃発(10月).翌年のオーストリア王位継承戦争(1740--48年)に糾合され,ヨーロッパ大戦争へ
1742ウォルポール退陣(2月):第一大蔵卿を「首相」とする責任内閣制(議院内閣制)がイギリス政治に定着へ
1745第二次ジャコバイトの叛乱 (--1746) .二重内閣危機 (--1746)
1754アメリカでフレンチ・アンド・インディアン戦争勃発 (--1763)
1756イギリス・プロイセン間でウェストミンスター協定締結:七年戦争(1756--63年)に発展
1759「奇跡の年」(イギリス陸海軍が世界各地で大勝利)
1760ジョージ3世即位(10月)
1761--62国王と主要閣僚(ニューカースル公爵・大ピット)間で対立激化
1764--65北アメリカ植民地に対して「砂糖税」「印紙税」を課税.本国と植民地間の対立が深刻化:ボストン虐殺事件(1770年),ボストン茶会事件(1773年)などに発展
1775英米開戦(4月):アメリカ独立戦争 (--1783)
177613植民地が「独立宣言」を公表(7月):その後,フランス,スペイン,オランダがアメリカ側につき,イギリス軍が各地で敗戦
1783パリ条約でアメリカ合衆国が独立(9月).小ピットが首相に就任(12月)
1788ジョージ3世が発病(10月):ピット派とフォックス派の間で「摂政制危機」に(--1789年2月)
1793小ピットの提唱で列強間に第一次対仏大同盟結成(2月):イギリスがフランス革命戦争 (--1799) に参戦
1799第二次対仏大同盟結成(6月).フランスでナポレオン・ボナパルトが全権掌握(11月)
1800アイルランド合邦化が制定(3月).ナポレオン戦争開始 (--1815)
1804小ピットが首相復帰.ナポレオン1世が皇帝に即位(5月)
1805第三次対仏大同盟結成(8月).トラファルガー海戦(10月).アウステルリッツの戦い(12月)
1806小ピット急死(1月).フォックス急死(9月):イギリス政治混迷へ
1807イギリスが奴隷貿易の禁止を決定
1810ジョージ3世が発病(10月).皇太子ジョージを摂政とする法案が可決(1811年2月):摂政時代へ (--1820)
1812パーシヴァル首相が庶民院ロビーで暗殺(5月).リヴァプール伯爵首班の長期政権形成へ (--1827) .ナポレオンのロシア遠征失敗(6--12月)
1814ナポレオン戦争がいったん終結(4月).ロンドンで連合国の大祝賀会開催(6月).ウィーン会議開幕(11月--1815年6月)
1815ナポレオンの「百日天下」(3--6月):ワーテルローの戦いで終息(6月).穀物法制定(3月)
1819「ピータールーの虐殺」事件(8月).治安六法制定(11月)
1820ジョージ4世即位(1月).キャロライン王妃との離婚騒動 (--1821)
1822ジョージ・カニング外相,ロバート・ピール内相など改革派が登用され,「自由トーリ主義」の時代が始まる
1828--29ウェリントン保守党政権により,審査法・地方自治体法が廃止,カトリック教徒解放案が制定:トーリの分裂進む
1830ウィリアム4世即位(6月)マンチェスターとリヴァプール間に鉄道開通(9月).グレイ伯爵を首班とするホイッグ・旧カニング派・超トーリ連立政権成立(11月).ベルギー独立戦争を調停するロンドン会議がパーマストン外相を議長に進められる (--1832)
1832第一次選挙法改正成立(下層中産階級の戸主に選挙権拡大)
1833工場法制定.イギリス帝国内における奴隷制度の全面廃止
1834改正救貧法制定.ウィリアム4世によりメルバーン首相が更迭(11月).ピールにより「タムワース選挙綱領」が発表され,トーリが「保守党」と改名(12月)
1837ヴィクトリア女王即位(6月)
1838「人民憲章」が発表される:チャーティスト運動の高揚
1839ロンドンに反穀物法同盟結成
1840清国とイギリス東インド会社の間でアヘン戦争勃発 (--1842) .ヴィクトリア女王がアルバート公と結婚(2月):4男5女に恵まれる
1842ピール保守党政権により,所得税再導入,各種関税廃止,減税
1845アイルランドでジャガイモ飢饉発生(8月)
1846ピール保守党政権による穀物法廃止(6月):保守党分裂
1849航海法廃止(6月):自由貿易の黄金時代に突入
1851第一回ロンドン万国博覧会開催(5--10月)
1854英仏がトルコ側についてクリミア戦争に参戦(3月--1856年3月)
1856清国との間にアロー号戦争(第二次アヘン戦争)勃発 (--1860)
1857インド大叛乱発生(5月).東インド会社は解散し,イギリスによるインド直轄支配が開始(1858年8月より)
1859ホイッグ・ピール派・急進派により「自由党」結成(6月)
1867ダービー保守党政権により第二次選挙法改正成立(都市の労働者階級の戸主に選挙権拡大).カナダがイギリス帝国で初の自治領に(7月)
1868総選挙で自由党が勝利し,ウィリアム・グラッドストンが政権獲得(総選挙の結果が直接的に政権交代につながった最初の事例:12月)
1869アイルランド国教会廃止
1870アイルランド土地法制定.初等教育法制定(小学校の義務教育化)
1871大学審査法制定.労働組合法制定.陸軍売官制廃止
1872秘密投票制度の導入(7月)
1875ディズレーリ保守党政権によりスエズ運河会社株買収(11月)
1876王室称号法によりヴィクトリア女王が「インド皇帝」に即位へ
1877インド帝国成立 (--1947)
1878ロシア・トルコ戦争を調停するベルリン会議でキプロスの支配権獲得
1879グラッドストンによるミドロージアン・キャンペーン(11--12月)
1882イギリス軍によるエジプト侵略(エジプトが事実上の保護国化)
1883腐敗及び違法行為防止法制定(8月):選挙違反の取り締まり強化
1884第三次選挙法改正成立(地方の労働者階級の戸主に選挙権拡大)
1885議席再配分法制定:小選挙区制の本格的導入へ
1886グラッドストン自由党政権によりアイルランド自治法案が提出されるが敗北:自由党の分裂(6月)
1887ヴィクトリア女王の在位50周年記念式典(第1回植民地会議も開催)
1889海軍国防法制定(フランスとロシアを想定した二国標準主義へ)
1893二度目のアイルランド自治法案が庶民院を通過するも貴族院で否決(9月).ケア・ハーディが独立労働党結成
1897ヴィクトリア女王の在位60周年記念式典(第2回植民地会議も開催)
1899第二次ボーア戦争(南アフリカ戦争)勃発 (--1902)
1901エドワード7世即位(1月):サックス・コーバーグ・ゴータ王朝開始 (--1917)
1902日英同盟締結(1月)
1903エドワード7世がパリ公式訪問(5月):これを契機に英仏関係緊密化
1904英仏協商締結(4月).日露戦争勃発 (--1905)
1906英独建艦競争の激化 (--1912) .「労働党」結成(1月)
1907英露協商締結(8月)
1909自由党政権により「人民予算」提出されるが,貴族院で否決(11月)
1910ジョージ5世即位(5月).史上初の年内に二度の総選挙実施(1月・12月).「人民予算」成立へ
1911貴族院(保守党)と庶民院(自由党)の激しい抗争の後に議会法制定(8月):貴族院の権限が大幅縮小へ.ジョージ5世がインド皇帝戴冠式をデリーで挙行(12月)
1912三度目のアイルランド自治法案が提出(1914年に成立へ)
1914第一次世界大戦の勃発(7月).イギリスの参戦(8月)
1915アスキス挙国一致内閣成立(5月)
1916徴兵制度の導入(1月):国家総動員体制が本格化.アスキス首相辞任.デイヴィッド・ロイド=ジョージが政権を継承(12月)
1917ウィンザー王朝に改名(7月).革命によりロシアが事実上の戦線離脱(3月).アメリカが英仏側について参戦(4月)
1918第四次選挙法改正成立(男子普通選挙と30歳以上の女子選挙権実現).第一次世界大戦の終結(11月)
1919パリ講和会議.インド統治法が制定されるも,これを不服としたガンディーの不服従運動がインド全土で拡大へ(1920年--)
1921アイルランド自由国成立(12月).ワシントン海軍軍縮会議:日英同盟消滅へ(11月--1922年2月)
1922カールトン・クラブで保守党議員がロイド=ジョージとの連立解消を決定:ロイド=ジョージ首相辞任(10月)
1924ラムゼイ・マクロナルドを首班とする初の労働党単独政権樹立(1月)
1925ヨーロッパにおける安全保障を規定したロカルノ条約締結(12月)
1926全国的なゼネラル・ストライキ(5月).帝国会議により自治領と本国の地位平等が確認(11月)
1928第五次選挙法改正成立(女子普通選挙権も実現)
1929米国初の「世界恐慌」の発生(10月)
1930ロンドン海軍軍縮会議(1--4月)
1931国王の調整によりマクドナルドを首班とする挙国一致内閣成立(8月)
1932ジョージ5世により帝国臣民向けの「クリスマス・メッセージ」が BBC (英国放送協会)のラジオを通じて開始(12月)
1936エドワード8世即位(1月).ウォリス・シンプソンとの「王冠を賭けた恋」により退位.ジョージ6世即位(12月)
1937ネヴィル・チェンバレンが首相に就任(5月):宥和政策が本格化
1938ミュンヘン会談でドイツにズデーテン地方(チェコ)割譲が決定(9月)
1939第二次世界大戦勃発(9月).ウィンストン・チャーチルが海相に復帰
1940「奇妙な戦争(1939年9月--40年3月)」を経て,ドイツ軍が北部・西部ヨーロッパ各国に侵攻(4--5月).チェンバレンに代わりチャーチルが首相就任(5月).フランスがドイツに降伏し(6月),「ブリテンの戦い」開始(7月)
1941独ソ戦の開始(6月).チャーチルと F. D. ローズヴェルトの大西洋上会談(7月).日英米開戦
1942シンガポールが日本軍により陥落(2月).後半からは連合国(米英ソ)側が徐々に形勢を逆転(北アフリカ・太平洋・ソ連で)
1943カイロ会談(米英中:11月).テヘラン会議(米英ソ:11--12月)
1944ノルマンディ上陸作戦(6月).パリ解放(8月)
1945ヤルタ会談(米英ソ:2月).ドイツ降伏(5月).ポツダム会談(米英ソ:7--8月).10年ぶりの総選挙で労働党が大勝し,チャーチルが辞任.クレメント・アトリーが労働党単独政権を樹立(7月).日本降伏(8月):第二次世界大戦の終結(9月)
1946イングランド銀行が国有化.チャーチルの「鉄のカーテン」演説(3月).国民保険法制定(8月).国民保険サーヴィス法制定(11月)
1947石炭,電信・電話国有化(1月).インドと東西パキスタン独立(8月)
1948鉄道・電力国有化(1--4月).チャーチルの「三つの輪」演説(10月)
1951総選挙で保守党が勝利し,チャーチル保守党政権成立(10月)
1952エリザベス2世即位(2月).戴冠式は53年6月に挙行
1955チャーチル首相引退.サー・アンソニー・イーデンが後任に(4月)
1956スエズ戦争(10--11月)
1957ハロルド・マクミランが保守党政権の首相に就任(1月)
1958一代貴族法制定(4月)
1960「アフリカの年」:アフリカ諸国がヨーロッパ各国から独立
1963イギリスが EEC (欧州経済共同体)加盟に失敗(1月).貴族法成立(7月).マクミラン首相辞任:ヒューム政権に(10月)
1964総選挙で労働党が勝利し,ハロルド・ウィルソンが首相に(10月)
1967ポンド切り下げ.EC (欧州共同体)加盟に失敗(11月)
1968ウィルソン首相がスエズ以東からの英軍撤退表明(1月)
1973エドワード・ヒース保守党政権により,イギリスが EC 加盟(1月).石油危機(10月)
1975ウィルソン労働党政権の下で EC 残留問題に関わる国民投票(6月)
1977イギリス政府が IMF (国際通貨基金)から借款へ(1月)
1979総選挙で保守党が勝利し,マーガレット・サッチャー政権成立(5月)
1982フォークランド戦争(4--6月):イギリスが勝利
1984史上最大の炭鉱ストライキ(3月--1985年3月).労働組合方制定(7月).IRA (アイルランド共和国軍)によるサッチャー暗殺未遂事件(10月)
1984--87電信・電話・自動車・ガス・航空機など国有企業が民営化へ
1985--89ソ連にゴルバチョフ書記長が登場し,サッチャーの仲介で米ソ首脳会談が実現.ヨーロッパにおける米ソ冷戦が終結へ
1988サッチャーのブルージュ演説(9月):EC 統合推進を非難
1990地方自治体税(人頭税)導入(4月).保守党内で造反が起こり,サッチャー退陣:ジョン・メイジャーが首相に(11月)
1991湾岸戦争(1--3月):イギリスも参戦
1992ポンドが急落(「暗黒の水曜日」)し,ERM (為替相場メカニズム制度)からイギリスが離脱(9月).王子らの離婚・別居,ウィンザー城火災でエリザベス2世が「今年はひどい年」と演説(12月)
1993EC 統合に向けてのマーストリヒト条約批准(7月):イギリスは通貨統合や社会憲章を適用除外して参加へ.EU (欧州連合)発足(11月)
1997総選挙で労働党が大勝し,トニー・ブレア政権成立(5月).ダイアナ元皇太子妃がパリで事故死(8月).スコットランド,ウェールズ議会設置が住民投票で決定(9月)
1998イギリス・アイルランド間で北アイルランド問題に関わる「聖金曜日の合意」成立(4月)
1999スコットランド,ウェールズで議会選挙(5月).貴族院で世襲貴族の議席大幅削減が決定(10月).新生の北アイルランド議会開設(11月)
2001アメリカで同時多発テロ(9月).アフガン戦争(10--11月):イギリスもアメリカに全面協力へ
2002エリザベス2世在位50周年記念式典(6月)
2003イラク戦争(3--5月):イギリスもアメリカに全面協力へ
2005ロンドンで同時多発テロ(7月)
2007ブレア首相退陣.ゴードン・ブラウンが首相に
2008米国初の金融危機(リーマン・ショック:9月)
2010総選挙で保守党が勝利し,自由民主党との連立によりデイヴィッド・キャメロンが政権樹立(5月)
2012エリザベス2世在位60周年記念式典(6月).ロンドンでオリンピックとパラリンピックが開催(7--8月)
2014スコットランドで「独立」をかけた住民投票が行われ,連合王国に残留する結果に(9月)


 ・ 君塚 直隆 『物語 イギリスの歴史(上下巻)』 中央公論新社〈中公新書〉,2015年.

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

2018-11-12 Mon

#3486. 固有の文字を発明しなかったとしても…… [japanese][writing][grammatology][kanji][alphabet]

 昨日の記事「#3485. 「神代文字」を否定する根拠」 ([2018-11-11-1]) で,日本語固有の文字と主張されてきた「神代文字」を否定した直後に,沖森 (33--34) は次のようなフォローの文章を続けている.

自らが使用する言語に固有の文字があることを願う気持ちは,自然な心情としてそれなりに理解できます.しかし,ギリシア文字がフェニキア文字に由来すること,そのギリシア文字からラテン文字が作り出されたことなどからわかるように,ほかの言語の文字に工夫を加えて,自らの言語に適した文字を作り上げていくというのも自然の流れですし,むしろ世界の言語における文字成立の由来としてはその方が圧倒的に多いのです.ですから,固有の文字体系がないという劣等感を持つ必要はまったくありませんし,それよりも,工夫を凝らして自らの言語をしっかりと書き記せる文字を成立させたことを誇りに思ってよいのです.


 この議論は,世界的な言語である英語の歴史で考えてみても通用する.英語には固有の文字はない.初期のアングロサクソンのルーン文字にせよ,6世紀末以降に借用されたローマン・アルファベットにせよ,前段階の文字からの派生物にすぎない.上の引用文中にあるように,いずれもギリシア文字へ,さらにフェニキア文字へ,究極には北西セム文字へと遡るのである.しかし,英語はローマン・アルファベットを発明こそしなかったけれども,英語独自の音を表記するために,その文字やスペリングに様々な工夫や改良を加え,長い時間をかけて実用的なものへと徐々に仕立て上げてきたのである.文字に関しては,古代日本語の母語話者も古代英語の母語話者もほぼ同じことをしてきたのである.
 アルファベットや漢字を発明した初代の創業者は確かに偉い.しかし,のれんを継ぎ,工夫しながら世の中で繁栄し続けた二代目以降も,別の意味でまた偉い.「誇り」ということでいうならば,互いを認めつつ各々の立場で誇りをもつことが大事である.

 ・ 沖森 卓也 『はじめて読む日本語の歴史』 ベレ出版,2010年.

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

2018-11-11 Sun

#3485. 「神代文字」を否定する根拠 [japanese][writing]

 日本語と文字の本格的な出会いは,起源400年前後の漢字の伝来によるものと考えられているが,さらに古い時代に日本固有の文字があったと主張するものもある.その文字は「神代文字」と総称されている.
 このような主張の最初の記録は卜部懐賢(兼方)の『釈日本紀』 (1274--1301年頃成立)であり,その後,江戸時代には具体的な文字とともに平田篤胤の「日文」(ひふみ),鶴峯戊申の「天名地鎮」(あないち)などでも紹介された.神代文字といっても様々な種類が提示されているが,特によく知られる「日文」などは,一目見ればわかるようにハングルを拝借したものであり,明らかに偽作である.このような主張はナショナリズムに基づいた主張といってよく,『世界大百科事典第2版』によれば「愛国者とか軍人などのなかには,昭和年代に入ってさえ,その存在を信ずるものがあって,政治問題にまでも発展しかねない事件を引き起したことがある」とある.
 神代文字を否定する根拠は豊富にある.漢字に先立って固有の文字があったのなら,なぜ前者を借用し,さらにそこから仮名を発達させる必要があったのか.また,提示されている神代文字は単音文字だが,音節文字である仮名よりも発達していると考えられる単音文字が時代的に先行しているのは妙である,等々.しかし,何よりも次の議論が決め手である.沖森 (33) より引用する.

 神代文字の存在を否定する根拠は実にたくさんあって,逐一挙げるのは煩雑なことから,重要な点を一つだけ述べておきます.
 文字が音を表すものである以上,古代において区別されていた音韻,つまり意味の違いを反映する音が体系的に書き分けられていなければなりません.〔中略〕奈良時代以前には,イロハ四七音以外に,少なくとも二〇音が音節として区別されていました.しかし,主張されている神代文字は,一〇世紀中葉以降の,イロハ四七(または「ン」を加えて四八)音,もしくは五十音図による五〇音を書き分けるという域を出ていません.つまり,奈良時代以前の言語上の特徴が,それらにはまったく見られないのです.


 ・ 沖森 卓也 『はじめて読む日本語の歴史』 ベレ出版,2010年.

Referrer (Inside): [2018-11-12-1]

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

2018-11-10 Sat

#3484. 英詩の形式の変遷 [poetry][prosody][literature][alliteration][rhyme][meter][shakespeare]

 岡崎 (71) によれば,古英語以来,英詩の形式は,リズム,押韻方法,詩行構造,種類という点において大きな変化を遂げてきた.

 a. リズム:強弱から弱強へ
 b. 押韻:頭韻から脚韻へ
 c. 詩行構造:不定の長さ(音節数)から定まった長さ(音節数)へ
 d. 種類:単一の形式から多様な形式へ


 古英語期から中英語期へ,そして近代英語期以降へと,英詩の形式は確かに大変化に見舞われてきた.背景には,英語の音変化や外来の詩型からの影響というダイナミックな要因が関与している.それぞれの時代の代表的な詩型の種類と特徴を,岡崎の要約により示そう.

[ 古英語頭韻詩 ](p. 71)

 a. 1行(長行,long-line)は,二つの半行 (half-line) から構成されている.
 b. 半行の音節数は3音節以上だが,一定していない.
 c. 頭韻する分節音は,第1半行(前半)に最大二つ,第2半行(後半)に一つ.
 d. 半行中で頭韻する分節音を含む音節が強音部となり,強弱の韻律が実現される.

[ 中英語頭韻詩 ](p. 73)

 a. 音節数不定の長行が基本単位(の可能性が高い).
 b. 頭韻する子音を含む語が1行に最小で二つ,最大で四つ.三つの場合が多い.
 c. 頭韻詩ごとに個々の独自の詩型がある.

[ 中英語の様々な脚韻詩 ](p. 75)

 a. 8詩脚の脚韻付連句:1行16音節.弱強8詩脚.2行1組.第4詩脚のあとに行中休止 (caesura) .半行末で脚韻.
 b. アレグザンダー詩行 (Alexandrine) :1行12音節.弱強6詩脚.行末で脚韻.
 c. 弱強5歩格 (iambic pentameter) :1行10音節.弱強5詩脚.行末で脚韻.
 d. 弱強4歩格 (iambic tetrameter) :1行8音節.弱強4詩脚.行末で脚韻.
 e. 弱強3歩格 (iambic trimeter) :1行6音節.弱強3詩脚.アレグザンダー詩行を二分割したもの.
 f. (stanza) :複数行からなる詩行の意味上のまとまり.
 g. 2行連 (couplet) :2行から構成される詩行の意味上のまとまり.
 h. 尾韻 (tail rhyme) :6行1組で脚韻型が aabccb の詩.ラテン語の賛美歌から.
 i. 帝王韻 (rhyme royal) :7行連の弱強5歩格の詩で,脚韻型が abcbbcc.
 j. ボブ・ウィール連 (bob-wheel stanza) :5行の脚韻詩行で,第1行のボブは1強勢,それに続く4行のウィールの各行は3強勢.脚韻型は ababa.
 k. バラッド律 (ballad meter) :4行連 (quatrain) が基本の詩型.弱強4歩格と弱強3歩格の2行連二つから構成される.3歩格詩行の行末が脚韻.

[ 近代英語以降の脚韻詩 ](pp. 76--79)

 ・ 弱強(5歩)格 (iambic pentameter) を中心としつつも,弱弱強格 (anapestic meter),強弱格 (trochaic meter),強弱弱格 (dactylic meter),無韻詩 (blank verse),自由詩 (free verse) など少なくとも11種類の詩型が出現した.
 ・ 詩脚と実際のリズムの間に不一致 (mismatch) がある.詩脚のW位置に強勢音節が配置される不一致型には規則性があり,統語構造をもとに一般化できる.
 ・ Shakespeare のソネット:弱強5歩格「4行連×3+2行」という構成で,ababcdcdefefgg の脚韻型を示す.
 ・ 句またがり (enjambment) の使用:詩行末が統語節末に対応しない現象.行末終止行 (end-stopped line) と対比される.

 英詩の種類の豊富さは,歴史のたまものである.これについては「#2751. T. S. Eliot による英語の詩の特性と豊かさ」 ([2016-11-07-1]) も参照.

 ・ 岡崎 正男 「第4章 韻律論の歴史」 服部 義弘・児馬 修(編)『歴史言語学』朝倉日英対照言語学シリーズ[発展編]3 朝倉書店,2018年.71--88頁.

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

2018-11-09 Fri

#3483. アクセントによって方言差をつける日本語とつけない英語 [stress][prosody][japanese][sociolinguistics]

 服部 (67) は,英語と日本語における音声上の重要な相違点として,アクセント体系の利用の仕方を挙げている.

一般に,英語は強さ(強勢)アクセントの言語,日本語は高さ(ピッチ)アクセントの言語といわれる.英語をはじめとする強勢アクセントの言語では,強勢体系は英語の各種変種・方言間でほとんど変わらない.つまり,ある語の強勢位置が方言によって異なるということは,少数の例外を除けば,ほとんどない.一方,日本語のような高さアクセントの言語では,各語のアクセント型は方言によって著しく異なるというのが実態である.この差がいかなる原因で生じるのかは判然としない.今後の研究が俟たれるところである.


 なるほど地域方言をはじめとする諸変種の区別化にアクセントが利用される度合いは,確かに日本語では高く,英語では低いと思われる.変種の「訛り」は典型的に発音に現われるものと思われるが,発音といってもそこには分節音の目録,異音の種類,イントネーション,アクセントなど様々なものが含まれ,区別化のために何をどの程度利用するかは,言語ごとに異なるだろう.しかし,引用した文章によれば,アクセントの種類と変種区別のためのアクセント利用度の間には相関関係があるということらしい.
 強勢には様々な機能がある.「#926. 強勢の本来的機能」 ([2011-11-09-1]) でみたように対比による語の同定という機能が中心的であるという構造主義的な立場もあるが,実際には「#1647. 言語における韻律的特徴の種類と機能」 ([2013-10-30-1]) の記事でみた多種多様な役割があるだろう.そのなかでも「変種の区別化」は,後者の記事の (viii) で挙げられている機能の一部だろう.つまり,「個人を同定する.韻律は,話者の社会言語学的な所属や話者の用いる使用域 (register) を指示する (indexical) 機能をもつ」ということだ.では,なぜ(高さアクセントを用いる)日本語は,とりわけこの役割を強勢に担わせているのだろうか.確かによく分からない.アクセントがいかなる社会言語学的役割を担うかについての広い類型論的調査が必要だろう.
 関連して「#1503. 統語,語彙,発音の社会言語学的役割」 ([2013-06-08-1]),「#2672. イギリス英語は発音に,アメリカ英語は文法に社会言語学的な価値を置く?」 ([2016-08-20-1]) を参照.また,言語におけるアクセントのタイプの違いについては「#2627. アクセントの分類」 ([2016-07-06-1]) を参照.

 ・ 服部 義弘 「第3章 音変化」 服部 義弘・児馬 修(編)『歴史言語学』朝倉日英対照言語学シリーズ[発展編]3 朝倉書店,2018年.47--70頁.

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

2018-11-08 Thu

#3482. 語頭・語末の子音連鎖が単純化してきた歴史 [sound_change][consonant][phonotactics][spelling_pronunciation_gap]

 気づいていそうで気づいていなかった英語史の音変化の1傾向について,Minkova and Stockwell (36) および服部 (56) より教わった (cf. 「#3386. 英語史上の主要な子音変化」 ([2018-08-04-1])) .それぞれ生じた時代は異なるが,語頭で [kn-], [ɡn-], [wr-] という子音連鎖が第1子音の脱落により単純化してきたのと平行的に,語末で [-mb], [-ŋɡ] という子音連鎖が第2子音の脱落により単純化してきたという事実だ(例として knight, gnaw, write; climb, sing を参照).結果として,語頭や語末の複雑な音素配列が解消され発音しやすくなったことになる.ただし,綴字は対応する消失を経なかったために,綴字と発音の乖離を招くことになりはした.
 上に挙げた5種類の単純化については,「#122. /kn/ で始まる単語」 ([2009-08-27-1]),「#34. thumb の綴りと発音」 ([2009-06-01-1]), 「#724 thumb の綴りと発音 (2)」 ([2011-04-21-1]),「#1508. 英語における軟口蓋鼻音の音素化」 ([2013-06-13-1]) のほか,より一般的に「#1290. 黙字と黙字をもたらした音韻消失等の一覧」 ([2012-11-07-1]),「#2518. 子音字の黙字」 ([2016-03-19-1]) を参照されたい.
 語末で [-mb] > [-m], [-ŋɡ] > [-ŋ] と単純化されたことからの連想で,[-nd] > [-n] という単純化はなかったのだろうかかと疑問が湧いた.単発的な例は探せばあるのかもしれないが,むしろ多くの場合,[-n] > [-nd] という逆の方向の変化,つまり「添加」を示すようだ(「#1620. 英語方言における /t, d/ 語尾音添加」 ([2013-10-03-1]) を参照).しかし,調音音声学的には,同器官の子音が脱落したり添加したりするのは,方向こそ異なれ,自然な変化ではあるだろう.

 ・ Minkova, Donka and Robert Stockwell. "Phonology: Segmental Histories." A Companion to the History of the English Language. Ed. Haruko Momma and Michael Matto. Chichester: Wiley-Blackwell, 29--42.
 ・ 服部 義弘 「第3章 音変化」 服部 義弘・児馬 修(編)『歴史言語学』朝倉日英対照言語学シリーズ[発展編]3 朝倉書店,2018年.47--70頁.

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]


このページへのアクセス数
最終更新時間2018-11-14 04:44

Copyright (c) Ryuichi Hotta, 2009--