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drift - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2018-11-17 05:11

2018-06-06 Wed

#3327. 言語変化において話者は近視眼的である [language_change][teleology][invisible_hand][glottochronology][drift][indo-european][inflection]

 「#3324. 言語変化は霧のなかを這うようにして進んでいく」 ([2018-06-03-1]) で,言語変化において話者が近視眼的であることに触れた.言語変化をなしている話者当人の言語的視野は狭く,あくまで目先の効果しか見えていない.広範な影響や体系的な衝撃などには及びもつかない.つまり,言語を変化させるという話者の行動は,ほぼ完全に非目的論的であるということだ.
 Joseph (128) はこの話者の近視眼性を繰り返し主張しつつ,逆に遠視眼的な言語変化論を批判している.例えば,長期間の複数世代にわたる言語変化を説明すべく提案されてきた言語年代学 (cf. 「#1128. glottochronology」 ([2012-05-29-1])) のような方法論は,受け入れられないとする.というのは,言語年代学では,実際の話者が決して取ることのない汎時的な観点を前提としているからである.例えば,2018年の時点に生きているある英語話者が,向こう千年の間に,どれだけの英単語を別の単語で置き換えなければ言語年代学の規定する置換率に達しないかなどということは,考えてもみないはずだからである.言語年代学の置換率は経験的に導き出された値ではあるが,それをゴールに据えた時点で,目的論的な言語変化論へと化してしまう.
 英語を含め印欧諸語に数千年にわたって生じているとされる屈折の水平化という駆流 (drift) についても同様である.何世代にもわたり,一定方向に言語が変化しているようにみえるからといって,個々の話者が遠視眼的な観点から言語を変化させていると考えるのは間違いである.そうではなく,個々の話者は近視眼的な観点から言語行動をなしているにすぎず,それがあくまで集合的に作用した結果として,言語変化が一定方向へと押し進められると理解すべきだろう.
 これは,Keller の唱える,言語変化に作用する「見えざる手」 (invisible_hand) の理論にほかならない.「#2539. 「見えざる手」による言語変化の説明」 ([2016-04-09-1]) も要参照.

 ・ Joseph, B. D. "Diachronic Explanation: Putting Speakers Back into the Picture." Explanation in Historical Linguistics. Ed. G. W. Davis and G. K. Iverson. Amsterdam: Benjamins, 1992. 123--44.
 ・ Keller, Rudi. "Invisible-Hand Theory and Language Evolution." Lingua 77 (1989): 113--27.

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2018-05-26 Sat

#3316. 音変化の要因は第一義的に社会的である [sound_change][phonetics][sociolinguistics][drift][gvs][language_change]

 Prins (267--68) の英語音韻史概説の最後に,音変化についての論考がついている.ちょっとした概説というべきものなのだが,実にすぐれた内容の文章だ.大母音推移 (gvs) を例に説明しており,一級の音変化論となっている.音声学的・構造主義的な要因による音変化もあることは認めつつ,第一義的な要因は社会的なものであると喝破している.その論考の一部ではあるが,とりわけ味読する価値のある部分を抜き出そう.

Though it may be difficult to account for a given change, it is possible to account for the possibility of change as such. Language is a social phenomenon and apart from the psychological causes operative in linguistic phenomena, it is obvious that social causes must have been largely responsible for or instrumental in sound-changes like the Great Vowel Shift in English, to which I shall confine my attention. The fundamental condition which makes sound-changes of this kind possible is the fact that phonemes are not always realized in the same manner by all people and in all circumstances, but that there are generally several allophones. If the phoneme had the unalterable rigidity of the signals, say, of the Morse code, evolution in language would be impossible. Since this is not the case and a certain latitude in the phonetic realization of phonemes is found, a certain allophone in a certain number of words may become the normal phonetic realization, which may then spread to other words and subsequently to all words containing that phoneme. Hence after a lapse of time the phoneme /i:/ may come to be realized as [əɪ] and later as [aɪ] and this may even --- though not necessarily --- affect the organically related back-vowel /u:/, which will then be realized as [əʊ], subsequently [ɑʊ]. Similarly the phoneme /e:/ may come to be realized as [i:], and the corresponding back-vowel /o:/ may --- but need not necessarily --- come to be realized as [u:].
This drift, then, to diphthongization of the high vowels can also be observed in Present Day English, though there is no evidence of the tendency to raise the mid-vowels /eɪ/ and /oʊ/ in PDE. Why the drift or tendency takes that particular direction is difficult to say, but that the change is socially conditioned is obvious. Such a tendency is often held in check or prevented by a strong formal tradition as observed in schools or universities or influential educated sections of the population, but when such traditions are weakened owing to social upheavals like domestic wars or internal migration or the mixing of population groups or the rise into power of other classes, such tendencies may spread and what was at one time a vulgar, regional or dialectal pronunciation may become the standard. This would also account for the fact that though linguistic change is a continuous process, there are periods when it is definitely accelerated. These will be found to coalesce with periods of social change, when standards of pronunciation break down. The result is a so-called independent sound-change. These few remarks must suffice here. A full discussion of the problem would require a book in itself.


 20世紀の第3四半世紀という比較的早い段階で,社会言語学的な観点から音変化の問題をとらえていたことに驚く.社会的激変に伴う言語共同体どうしの交流や交代により,新たに有力な音韻(体系)が台頭してくるというダイナミックな捉え方は,妥当であるにとどまらず痛快ですらある.

 ・ Prins, A. A. A History of English Phonemes. 2nd ed. Leiden: Leiden UP, 1974.

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2018-03-27 Tue

#3256. 偏流と文法化の一方向性 [grammaticalisation][drift][unidirectionality][language_change][inflection][synthesis_to_analysis][teleology]

 言語の歴史における偏流 (drift) と,文法化 (grammaticalisation) が主張する言語変化の一方向性 (unidirectionality) は互いに関係の深い概念のように思われる.両者の関係について「#685. なぜ言語変化には drift があるのか (1)」 ([2011-03-13-1]),「#1971. 文法化は歴史の付帯現象か?」 ([2014-09-19-1]) でも触れてきたが,今回は Hopper and Traugott の議論を通じてこの問題を考えてみたい.
 Sapir が最初に偏流と呼んだとき,念頭にあったのは,英語における屈折の消失および迂言的表現の発達のことだった.いわゆる「総合から分析へ」という流れのことである (cf. synthesis_to_analysis) .後世の研究者は,これを類型論的な意味をもつ大規模な言語変化としてとらえた.つまり,ある言語の文法が全体としてたどる道筋としてである.
 一方,文法化の文脈でしばしば用いられる一方向性とは,ある言語における全体的な変化について言われることはなく,特定の文法構造がたどるとされる道筋についての概念・用語であり,要するにもっと局所的な意味合いで使われるということだ.

Drift has to do with regularization of construction types within a language . . ., unidirectionality with changes affecting particular types of construction. (Hopper and Traugott 100)


 偏流と一方向性は,全体的か局所的か,大規模か小規模か,構文タイプの規則化に関するものか個々の構文タイプの変化に関するものかという観点から,互いに異なるものとしてとらえるのがよさそうだ.「一方向性」という用語が用いられるときには,日常用語としてではなく,たいてい文法化という言語変化理論上の術語として用いられということを意識していないと,勘違いする可能性があるので要注意である.

 ・ Hopper, Paul J. and Elizabeth Closs Traugott. Grammaticalization. 2nd ed. Cambridge: CUP, 2003.

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2018-01-20 Sat

#3190. 言語変化の偶然と必然,そして運命 [language_change][causation][teleology][spaghetti_junction][invisible_hand][drift][dryden]

 「#2867. 言語変化の偶然と必然」 ([2017-03-03-1]) で論じた話題だが,九鬼周造の『偶然性の問題』を読んで,改めてこの問題について考えてみた.
 偶然と必然は明らかに対立する概念である.しかし,私たちはときに「偶然の必然」や「必然的偶然」などのオクシモロンを口にする.なぜこのような矛盾した表現が可能なのだろうか.
 九鬼 (74) によれば,因果的必然性と目的的偶然性は結びつきやすく,因果的偶然性と目的的必然性は結びつきやすい.つまり「異種結合」が起こりやすいという.

およそ機械観はその徹底した形においては因果的必然性のみより認めない.従って因果的偶然性の存在の余地はない.しかし,目的的必然性を否定し,その結果として,目的的偶然性を承認する.自然科学的世界観はこの傾向を代表している.それに反して,目的観が徹底的な形を取った場合には,目的的必然性によってのみ一切を説明しようとする.従って目的的偶然性は存在しない.その代りに,因果的必然性の否定の結果として,因果的偶然性は存在することができる.基督教神学が神の意志によってすべてを説明する場合,因果的偶然を意味する奇蹟の存在を認めるのはこの関係に基いている.この意味において,因果的必然性は目的的偶然性と結合しやすく,目的的必然性は因果的偶然性と結合しやすい.「偶然の必然」というような逆説的の語はこういう結合の可能性に基づいたものである.


 つまり,ある現象が「必然でもあり偶然でもある」という言い方の1つの解釈は,それが因果的には必然だが目的的には偶然であるということだろう.この異種結合の解釈は,目的論 (teleology) ではなく機械論 (mechanism) の立場の解釈である.したがって,機械論的に理解すれば,言語変化もまた「必然でもあり偶然でもある」現象なのである.
 この異種結合と関連して,九鬼 (244) が別の箇所で「偶然と運命」について論考している(以下,原著の傍点は下線で置き換えた).

偶然に対する形而上的驚異は運命に対する驚異の形を取ることがある.偶然が人間の実存性にとって核心的全人格的意味を有つとき,偶然は運命と呼ばれるのである.そうして運命としての偶然性は,必然性との異種結合によって,「必然―偶然者」の構造を示し,超越的威力をもって厳として人間の全存在性に臨むのである.


 この考え方によれば,運命とは,ある人にとって「核心的全人格的意味」をもつ,因果的には必然だが目的的には偶然である現象と理解できるだろう.平たくいえば,人にとってきわめて重要な結果がもたらされた場合,本当は目的論的に偶然であったとしても,あたかも目的論的に必然であるかのようにとらえてしまう傾向があり,それを運命と呼びたがるということだ.
 言語変化において,ときに運命と表現されることもある drift (偏流)について,この観点から考えてみるとおもしろい.印欧語族では数千年の間,屈折の衰退という drift が続いているとされるが,その駆動力の源泉が何であるかについては明確な出されていない.したがって,これをある種の運命であるととらえる論者がいる.そのような論者は,drift を印欧語族にとって「核心的全人格的意味」をもつものと信じており,それゆえに目的論的に必然の現象であるかのように感じて,運命と呼んでいるのではないか.つまり,drift という現象に多大な価値をおいているからこそ,ひょっとすると偶然の出来事にすぎないものを,運命という大仰な名前で,驚異をもって呼びたくなるのではないか.
 言語変化の偶然,必然,運命の問題については,invisible_handspaghetti_junction の考え方も参照されたい.

 ・ 九鬼 周造 『偶然性の問題』 岩波書店,2012年.

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2017-08-25 Fri

#3042. 後期近代英語期に接続法の使用が増加した理由 [subjunctive][lmode][prescriptive_grammar][prescriptivism][sociolinguistics][synthesis_to_analysis][drift]

 英語史における接続法は,おおむね衰退の歴史をたどってきたといってよい.確かに現代でも完全に消えたわけではなく,「#326. The subjunctive forms die hard.」 ([2010-03-19-1]) や「#325. mandative subjunctiveshould」 ([2010-03-18-1]) でも触れた通り,粘り強く使用され続けており,むしろ使用が増えているとおぼしき領域すらある.しかし,接続法の衰退は,総合から分析へ向かう英語史の一般的な言語変化の潮流 (synthesis_to_analysis) に乗っており,歴史上,大々的な逆流を示したことはない.
 大々的な逆流はなかったものの,ちょっとした逆流であれば後期近代英語期にあった.16世紀末から急激に衰退した接続法は衰退の一途を辿っていたが,18世紀後半から19世紀にかけて,少しく回復したという証拠がある.Tieken-Boon van Ostade (84--85) はその理由を,後期近代の社会移動性 (social mobility) と規範文法の影響力にあるとみている.

The subjunctive underwent a curious development during the LModE period. While its use had rapidly decreased since the end of the sixteenth century, it began to rise slightly during the second half of the eighteenth century and into the nineteenth, when there was a sharp decrease from around 1870 onwards . . . . The temporary rise of the subjunctive has been associated with the influence of normative grammar, and though, this may explain the increased use during the nineteenth century, when linguistic prescriptivism was at its height and its effects must have been felt, in the second half of the eighteenth-century it must have been because of the strong linguistic sensitivity among social climbers rather than the actual effect of the grammars themselves. This is evident in the language of Robert Lowth and his correspondents: in Lowth's own usage, there is an increase of the subjunctive around the time when his grammar was newly published, and with his correspondents we found a similar linguistic awareness that they were writing to a celebrated grammarian . . . .


 Tieken-Boon van Ostade は,規範文法の影響力があったとしてもおそらく限定的であり,とりわけ18世紀後半の接続法の増加のもっと強い原因は "social climbers" (成上り者)の上昇志向を反映した言語意識にあるとみている.
 かりに接続詞の衰退を英語史の「自然な」流れとみなすのであれば,後期近代英語のちょっとした逆流は,人間社会のが「人工的に」生み出した流れということになろうか.「#2631. Curzan 曰く「言語は川であり,規範主義は堤防である」」 ([2016-07-10-1]) の比喩を思い起こさざるを得ない.

 ・ Tieken-Boon van Ostade, Ingrid. An Introduction to Late Modern English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2009.

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2016-07-05 Tue

#2626. 古英語から中英語にかけての屈折語尾の衰退 [inflection][synthesis_to_analysis][vowel][final_e][ilame][drift][germanic][historiography]

 英語史の大きな潮流の1つに,標題の現象がある.この潮流は,ゲルマン祖語の昔から現代英語にかけて非常に長く続いている傾向であり,drift (偏流)として称されることもあるが,とりわけ著しく進行したのは後期古英語から初期中英語にかけての時期である.Baugh and Cable (154--55) がこの過程を端的に要約している箇所を引こう.

Decay of Inflectional Endings. The changes in English grammar may be described as a general reduction of inflections. Endings of the noun and adjective marking distinctions of number and case and often of gender were so altered in pronunciation as to lose their distinctive form and hence their usefulness. To some extent, the same thing is true of the verb. This leveling of inflectional endings was due partly to phonetic changes, partly to the operation of analogy. The phonetic changes were simple but far-reaching. The earliest seems to have been the change of final -m to -n wherever it occurred---that is, in the dative plural of nouns and adjectives and in the dative singular (masculine and neuter) of adjectives when inflected according to the strong declension. Thus mūðum (to the mouths) > mūðun, gōdum > gōdun. This -n, along with the -n of the other inflectional endings, was then dropped (*mūðu, *gōdu). At the same time, the vowels a, o, u, e in inflectional endings were obscured to a sound, the so-called "indeterminate vowel," which came to be written e (less often i, y, u, depending on place and date). As a result, a number of originally distinct endings such as -a, -u, -e, -an, -um were reduced generally to a uniform -e, and such grammatical distinctions as they formerly expressed were no longer conveyed. Traces of these changes have been found in Old English manuscripts as early as the tenth century. By the end of the twelfth century they seem to have been generally carried out. The leveling is somewhat obscured in the written language by the tendency of scribes to preserve the traditional spelling, and in some places the final n was retained even in the spoken language, especially as a sign of the plural.


 英語の文法体系に多大な影響を与えた過程であり,その英語史上の波及効果を列挙するとキリがないほどだ.「語根主義」の発生(「#655. 屈折の衰退=語根の焦点化」 ([2011-02-11-1])),総合から分析への潮流 (synthesis_to_analysis),形容詞屈折の消失 (ilame),語末の -e の問題 (final_e) など,英語史上の多くの問題の背景に「屈折語尾の衰退」が関わっている.この現象の原因,過程,結果を丁寧に整理すれば,それだけで英語内面史をある程度記述したことになるのではないか,という気がする.

 ・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.

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2016-03-30 Wed

#2529. evolution の evolution (3) [evolution][history_of_linguistics][language_change][teleology][invisible_hand][causation][language_myth][drift][exaptation][terminology]

 2日間にわたる標題の記事 ([2016-03-28-1], [2016-03-29-1]) についての第3弾.今回は,evolution の第3の語義,現在の生物学で受け入れられている語義が,いかに言語変化論に応用されうるかについて考える.McMahon (334) より,改めて第3の語義を確認しておこう.

the development of a race, species or other group ...: the process by which through a series of changes or steps any living organism or group of organisms has acquired the morphological and physiological characters which distinguish it: the theory that the various types of animals and plants have their origin in other preexisting types, the distinguishable differences being due to modifications in successive generations.


 現在盛んになってきている言語における evolution の議論の最先端は,まさにこの語義での evolution を前提としている.これまでの2回の記事で見てきたように,19世紀から20世紀の後半にかけて,言語学における evolution という用語には手垢がついてしまった.言語学において,この用語はダーウィン以来の科学的な装いを示しながらも,特殊な価値観を帯びていることから否定的なレッテルを貼られてきた.しかし,それは生物(学)と言語(学)を安易に比較してきたがゆえであり,丁寧に両者の平行性と非平行性を整理すれば,有用な比喩であり続ける可能性は残る.その比較の際に拠って立つべき evolution とは,上記の語義の evolution である.定義には含まれていないが,生物進化の分野で広く受け入れられている mutation, variation, natural selection, adaptation などの用語・概念を,いかに言語変化に応用できるかが鍵である.
 McMahon (334--40) は,生物(学)と言語(学)の(非)平行性についての考察を要領よくまとめている.互いの異同をよく理解した上であれば,(歴史)言語学が(歴史)生物学から学ぶべきことは非常に多く,むしろ今後期待のもてる領域であると主張している.McMahon (340) の締めくくりは次の通りだ.

[T]he Darwinian theory of biological evolution, with its interplay of mutation, variation and natural selection, has clear parallels in historical linguistics, and may be used to provide enlightening accounts of linguistic change. Having borrowed the core elements of evolutionary theory, we may then also explore novel concepts from biology, such as exaptation, and assess their relevance for linguistic change. Indeed, the establishment of parallels with historical biology may provide one of the most profitable future directions for historical linguistics.


 生物(学)と言語(学)の(非)平行性の問題については「#807. 言語系統図と生物系統図の類似点と相違点」 ([2011-07-13-1]) も参照されたい.

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2016-03-29 Tue

#2528. evolution の evolution (2) [evolution][history_of_linguistics][language_change][teleology][invisible_hand][causation][language_myth][drift][terminology]

 昨日の記事 ([2016-03-28-1]) に引き続き,言語変化論における evolution の解釈について.今回は evolution の目的論 (teleology) 的な含意をもつ第2の語義,"A series of related changes in a certain direction" に注目したい.昨日扱った語義 (1) と今回の語義 (2) は言語変化の方向性を前提とする点において共通しているが,(1) が人類史レベルの壮大にして長期的な価値観を伴った方向性に関係するのに対して,(2) は価値観は廃するものの,言語変化には中期的には運命づけられた方向づけがあると主張する.
 端的にいえば,目的論とは "effects precede (in time) their final causes" という発想である (qtd. in McMahon 325 from p. 312 of Lass, Roger. "Linguistic Orthogenesis? Scots Vowel Length and the English Length Conspiracy." Historical Linguistics. Volume 1: Syntax, Morphology, Internal and Comparative Reconstruction. Ed. John M. Anderson and Charles Jones. Amsterdam: North Holland, 1974. 311--43.) .通常,時間的に先立つ X が生じたから続いて Y が生じた,という因果関係で物事の説明をするが,目的論においては,後に Y が生じることができるよう先に X が生じる,と論じる.この2種類の説明は向きこそ正反対だが,いずれも1つの言語変化に対する説明として使えてしまうという点が重要である.例えば,ある言語のある段階で [mb], [md], [mg], [nb], [nd], [ng], [ŋb], [ŋd], [ŋg] の子音連続が許容されていたものが,後の段階では [mb], [nd], [ŋg] の3種しか許容されなくなったとする.通常の音声学的説明によれば「同器官性同化 (homorganic assimilation) が生じた」となるが,目的論的な説明を採用すると,「調音しやすくするために同器官性の子音連続となった」となる.
 言語学史においては,様々な論者が目的論をとってきたし,それに反駁する論者も同じくらい現われてきた.例えば Jakobson は目的論者だったし,生成音韻論の言語観も目的論の色が濃い.一方,Bloomfield や Lass は,目的論の立場に公然と反対している.McMahon (330--31) も,目的論を「目的の目的論」 (teleology of purpose) と「機能の目的論」 (teleology of function) に分け,いずれにも問題点があることを論じ,目的論的な説明が施されてきた各々のケースについて非目的論的な説明も同時に可能であると反論した.McMahon の結論を引用して,この第2の意味の evolution の妥当性を再考する材料としたい.

There is a useful verdict of Not Proven in the Scottish courts, and this seems the best judgement on teleology. We cannot prove teleological explanations wrong (although this in itself may be an indictment, in a discipline where many regard potentially falsifiable hypotheses as the only valid ones), but nor can we prove them right; they rest on faith in predestination and the omniscient guiding hand. More pragmatically, alleged cases of teleology tend to have equally plausible alternative explanations, and there are valid arguments against the teleological position. Even the weaker teleology of function is flawed because of the numerous cases where it simply does not seem to be applicable. However, this rejection does not make the concept of conspiracy, synchronic or diachronic, any less intriguing, or the perception of directionality . . . any less real.


 ・ McMahon, April M. S. Understanding Language Change. Cambridge: CUP, 1994.

Referrer (Inside): [2016-03-31-1] [2016-03-30-1]

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2015-12-31 Thu

#2439. 大母音推移の英語音韻史上の意義 [gvs][vowel][diphthong][drift][teleology][language_change][historiography]

 昨日の記事「#2438. 大母音推移は,発音と綴字の乖離の最大の元凶か (2)」 ([2015-12-30-1]) で,大母音推移の英語綴字史における意義について考察し,その再評価を試みた.では,大母音推移の英語音韻史上の意義は何だろうか.大母音推移は,当然ながら第1義的に音韻変化であるから,その観点からの意義と評価が最重要である.
 昨日も引用した Brinton and Arnovick (313) が,大母音推移の音韻史上の意義について詳しく正確に論じている.
 

[The Great Vowel Shift] eliminated the distinction between long and short vowels that had characterized both the Old and Middle English phonological systems. The long vowels were replaced by either diphthongs or tense vowels, which contrasted with the lax short vowels. Thus, the vowel system underwent a significant change from one based on distinctions of quantity (e.g. OE god 'deity' vs gōd ('good') to one based on distinctions of quality. While modern English does have long and short vowels (e.g. sea vs ceased), this distinction is now merely an allophonic difference, completely predictable by the voicing qualities or number of consonants that follow the vowel.


 大母音推移を契機として,英語の母音体系が量に基づくものから質に基づくものへと変容を遂げたというの指摘は,大局的かつ重要な洞察である.大袈裟にいえば,社会の革命や人生の方向転換に相当するような変身ぶりではないだろうか.母音の量の区別を重視する日本語のような言語の母語話者にとって,現代英語の音声の学習は易しくないが,これも大母音推移に責任の一端があるということになる.日本語母語話者にとっては,大母音推移以前の母音体系のほうが馴染みやすかったに違いない.
 ある音韻変化をその言語の音韻史上に位置づけ,大局的に評価するという試みは,これまでも行われてきた.例えば,母音変化に関しては「#1402. 英語が千年間,母音を強化し子音を弱化してきた理由」 ([2013-02-27-1]),「#2052. 英語史における母音の主要な質的・量的変化」 ([2014-12-09-1]),「#2063. 長母音に対する制限強化の歴史」 ([2014-12-20-1]),「#2081. 依存音韻論による大母音推移の分析」 ([2015-01-07-1]) で論じてきたとおりである.
 しかし,このような大局的な評価それ自体は,いったい歴史言語学において何を意味するものなのだろうか.そのような評価の背景には,偏流 (drift) や目的論 (teleology) といった言語変化観の気味も見え隠れする.大母音推移を通じて,言語の歴史記述 (historiography) という営みについて再考させられる機会となった.
 2015年も hellog 講読,ありがとうございました.2016年もよろしくお願いします.

 ・ Brinton, Laurel J. and Leslie K. Arnovick. The English Language: A Linguistic History. Oxford: OUP, 2006.

Referrer (Inside): [2016-03-24-1]

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2015-08-16 Sun

#2302. 拡散的変化の一方向性? [lexical_diffusion][language_change][causation][schedule_of_language_change][unidirectionality][drift]

 「#2299. 拡散の駆動力3点」 ([2015-08-13-1]) で引用した De Smet (3) は,言語変化の拡散に繰り返し見られる2つの特徴に触れている."gradualness" と "unidirectionality" だ.

   . . . diffusional changes do have two recurrent characteristics. First, they are gradual and their gradualness is context bound, which means that different environments are affected by change at different times or in a different pace. This context-bound gradualness has been disputed for some changes . . . ; yet in many cases, . . . context-bound gradualness is immediately apparent from the data. While this suggests that gradualness is perhaps more pronounced for some changes than for others, there is no denying that it is a central aspect of some major grammatical developments.
   Second, diffusional changes are unidirectional, in the sense that once an environment has been conquered by change it is not normally yielded back. Unidirectionality here does not mean that diffusion proceeds indefinitely but simply that there is a time window in which distributions can grow continuously, without any serious fallback or fluctuation. This consistency of change sometimes seems natural. For instance, in actualization it might be thought of as a systematic bearing out of the logical consequences of syntactic reanalysis. In grammaticalization, consistent collocational expansion often follows from semantic bleaching. But in other cases, . . . a single straightforward explanation for directionality seems lacking, making the directionality observed all the more mystifying.


 De Smet の挙げる1つめの特徴,言語変化は環境ごとに徐々に拡散していくという特徴は,確かに受け入れてよいだろう.Aitchison 流にいえば "rule generalisation" (95) によって,少しずつ進んでいくのが典型である.
 しかし,2つめの特徴,言語変化の一方向性 (unidirectionality) については,議論すべき問題がいくつかあるように思われる.まず,De Smet が自ら引用の最後で変化の一方向性の "mystifying" であること指摘しているように,その原因を明らかにするという大きな問題が残されている.これは,Sapir の drift (偏流)に与えた "mystical" との評価を思い起こさせる (see 「#685. なぜ言語変化には drift があるのか (1)」 ([2011-03-13-1])) .
 次に,言語変化の拡散には,途中で頓挫してしまうもの,あるいは一時的ではあれ逆流したり,少なくともブレーキがかかったりするケースがあることである.例えば,私自身の行った初期近代英語期における名詞複数の -s 語尾の拡散という事例では,南西部方言において一時的に対抗馬 -n の隆盛があり,-s の拡散にはむしろブレーキがかかった.その後,-s の拡散は勢いを取り戻したので,最終的には「成功」したといえるかもしれないが,全面的に変化の一方向性を受け入れてよいものなのか,再考を促す事例ではある.
 De Smet も,このような例外にみえる事例の可能性も念頭に置きながら,慎重に "unidirectionality" という概念を持ちだしているようではある.その但し書きの1つが "a time window" だが,実は,これが便利すぎて都合のよすぎる概念装置なのではないかとも思っている.上掲の -s の例でいえば,拡散にブレーキがかかる直前までを1つの時間窓とすれば,確かに一方向に進んでいるようにみえる.また,ブレーキの直後からをもう1つの時間窓とすれば,これもまた一方向に進んでいるようにみえる.一方向性を正当化するためには,時間窓を「都合よく」設定することができるように思われる.

 ・ De Smet, Hendrik. Spreading Patterns: Diffusional Change in the English System of Complementation. Oxford: OUP, 2013.
 ・ Aitchison, Jean. Language Change: Progress or Decay. 3rd ed. Cambridge: CUP, 2001.

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2015-03-13 Fri

#2146. 英語史の統語変化は,語彙投射構造の機能投射構造への外適応である [exaptation][grammaticalisation][syntax][generative_grammar][unidirectionality][drift][reanalysis][evolution][systemic_regulation][teleology][language_change][invisible_hand][functionalism]

 「#2144. 冠詞の発達と機能範疇の創発」 ([2015-03-11-1]) でみたように,英語史で生じてきた主要な統語変化はいずれも「機能範疇の創発」として捉えることができるが,これは「機能投射構造の外適応」と換言することもできる.古英語以来,屈折語尾の衰退に伴って語彙投射構造 (Lexical Projection) が機能投射構造 (Functional Projection) へと再分析されるにしたがい,語彙範疇を中心とする構造が機能範疇を中心とする構造へと外適用されていった,というものだ.
 文法化の議論では,生物進化の分野で専門的に用いられる外適応 (exaptation) という概念が応用されるようになってきた.保坂 (151) のわかりやすい説明を引こう.

外適応とは,たとえば,生物進化の側面では,もともと体温保持のために存在していた羽毛が滑空の役に立ち,それが生存の適応価を上げる効果となり,鳥類への進化につながったという考え方です〔中略〕。Lass (1990) はこの概念を言語変化に応用し,助動詞 DO の発達も一種の外適応(もともと使役の動詞だったものが,意味を無くした存在となり,別の用途に活用された)と説明しています。本書では,その考えを一歩進め,構造もまた外適応したと主張したいと思います。〔中略〕機能範疇はもともと一つの FP (Functional Projection) と考えられ,外適応の結果,さまざまな構造として具現化するというわけです。英語はその通時的変化の過程の中で,名詞や動詞の屈折形態の消失と共に,語彙範疇中心の構造から機能範疇中心の構造へと移行してきたと考えられ,その結果,冠詞,助動詞,受動態,完了形,進行形等の多様な分布を獲得したと言えるわけです。


 このような言語変化観は,畢竟,言語の進化という考え方につながる.ヒトに特有の言語の発生と進化を「言語の大進化」と呼ぶとすれば,上記のような言語の変化は「言語の小進化」とみることができ,ともに歩調を合わせながら「進化」の枠組みで研究がなされている.
 保坂 (158) は,言語の自己組織化の作用に触れながら,著書の最後を次のように締めくくっている.

こうした言語自体が生き残る道を探る姿は,いわゆる自己組織化(自発的秩序形成とも言われます)と見なすことが可能です。自己組織化とは雪の結晶やシマウマのゼブラ模様等が有名ですが,物理的および生物的側面ばかりでなく,たとえば,渡り鳥が作り出す飛行形態(一定の間隔で飛ぶ姿),気象現象,経済システムや社会秩序の成立などにも及びます。言語の小進化もまさにこの一例として考えられ,言語を常に動的に適応変化するメカニズムを内在する存在として説明でき,それこそ,ことばの進化を導く「見えざる手」と言えるのではないでしょうか。英語における文法化の現象はまさにその好例であり,言語変化の研究がそうした複雑な体系を科学する一つの手段になり得ることを示してくれているのです。


 言語変化の大きな1つの仮説である.

 ・ 保坂 道雄 『文法化する英語』 開拓社,2014年.

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2015-01-07 Wed

#2081. 依存音韻論による大母音推移の分析 [phonology][gvs][vowel][diphthong][meosl][drift][teleology]

 「#2063. 長母音に対する制限強化の歴史」 ([2014-12-20-1]) と「#2080. /sp/, /st/, /sk/ 子音群の特異性」 ([2015-01-06-1]) で引用・参照した池頭 (Ikegashira) は,"A Dependency Approach to Great Vowel Shift" と題する論文で,依存音韻論 (dependency phonology; DP) の枠組みで大母音推移 (gvs) を分析している.私は依存音韻論については無知に等しいが,その分析によれば大母音推移を含めた英語の主要な音韻変化には一貫した方向性を見いだすことができると議論されており,関心をもったので論文を読んでみた.案の定,理論の素人には難しかったが,要点は呑み込めたと思う.
 依存音韻論に立脚した分析によると,大母音推移の音韻変化は,一貫して音節構造を軽くする ("lightening") 方向で作用したという.依存音韻論による「軽さ」の定義は高度に専門的であり私には的確に説明することはできないが,ポイントは大母音推移を構成する各音韻変化がいずれも一貫した方向性をもっており,したがって一貫して記述することができるという主張である.そのような主張がなされるからには,偏流 (drift) や言語変化の目的論 (teleology) という主題も無関係ではあり得ない.実際,Ikegashira (42) は英語史における一貫した "lightening" の偏流に言い及んでいる.それから,大母音推移を構成する各音韻変化の同時性をも主張している.

GVS is a change which is caused by that 'drift' (or tendency) of English to make the total weight of words lighter. To make all the 'long' vowels lighter, the phonological element |a| is made less powerful either by lowered (sic) to the the dependent position from the governing position or by deletion. In the cases of the vowels where there is no |a|, [i:] and [u:], the only way to make them lighter is to change the 'middle weight' phonological elements [i] and [u] with the lightest one |ə|. / . . . . As a result of lightening, the vowels have been raised or made into diphthongs. The problem of the starting point of this change thus has no meaning. It was 'simultaneous'. It is quite natural to suppose that GVS occurred at the same time as a result of the long and continuous 'trend' of English to lighten words in some way.


 理論的には,複合的な音韻変化を一貫して説明できるのは確かに魅力である.同じような動機から,Ritt の「#1402. 英語が千年間,母音を強化し子音を弱化してきた理由」 ([2013-02-27-1]) も,drift という古い言語学上の問題に迫ったのだろうと思う.だが,素朴な疑問として,一貫した理論的な説明と各母音の変化の同時性とがどのように直接に結びつくのだろうか.大母音推移が一貫して "lightening" の方向を目指しているという仮説を受け入れたとしても,それは各音韻変化が同時に起こったことを自動的に含意するのだろうか.押し上げ説 (push chain) でも引き上げ説 (drag chain) でもないという意味では,「#1404. Optimality Theory からみる大母音推移」 ([2013-03-01-1]) とも通じる一種のバラバラ説と言ってもよさそうだが,理論的な普遍説とも呼べそうだ.
 なお,同じ依存音韻論の分析によれば,大母音推移に先立つ中英語の開音節長化 (meosl) は,入力の短母音の各々に音韻要素 |a| が付加されたものとして一貫して記述されるという (Ikegashira 35) .理論の魅力と課題を再確認できる話題である.

 ・ Ikegashira (Kadota), Atsuko. "A Dependency Approach to Great Vowel Shift." 『津田塾大学言語文化研究所報』22号,2007年,31--43頁.

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2014-12-20 Sat

#2063. 長母音に対する制限強化の歴史 [drift][vowel][phonetics][meosl][homorganic_lengthening]

 「#2052. 英語史における母音の主要な質的・量的変化」 ([2014-12-09-1]) で,Görlach による英語史における母音変化を概観した.母音変化の歴史に一貫してみられる潮流として,Ritt は「#1402. 英語が千年間,母音を強化し子音を弱化してきた理由」 ([2013-02-27-1]) でみたように強化の歴史を唱えているが,別の角度から,もう1つの標記に掲げた潮流が指摘できるかもしれない.
 池頭 (128--29) は,中尾 (117--42, 142--51) を参照しながら,英語史における母音の主要な長化と短化を,時代ごとに以下のように整理している(古英語から中英語にかけての変化については,「#2048. 同器音長化,開音節長化,閉音節短化」 ([2014-12-05-1]) も参照).

〈古英語期〉
(1) 同器性長化 (Homorganic Lengthening)
  gōld, lāmb, fīndan 'find' lāng
〈中英語期〉
(2) 開音節長化 (Open Syllable Lengthening)
  bāke mēte 'meat' hōle lōve < OE lufu week < OE wike
(3) 母音接続長化 (Hiatus Lengthening,フランス借入語)
  gīant < giant pōet < poet
〈初期近代英語期〉
(4) 無声摩擦音前位置長化 (lengthening before voiceless fricatives)
  (/a/, /ɔ// ___ [f, s, θ]) blāst mōss stāff sōft bāth clōth

〈古英語期〉
(5) 3子音前位置短化 (shortening before three consonants)
  godspell deoppra 'deeper' wundrian 'wonder'
(6) 2子音前位置短化 (shortening before two consonants, 重子音を含む)
  fifta 'fifth' sohte '(he) sought' læssa 'less'
(7) 3音節短化 (Trisyllabic Shortening)
  laferce 'lark' halidæġ 'holiday' emetiġ 'empty'
〈中英語期〉
(8) 同器性短化 (Homorganic Shortening)
  land wind enden 'end'
(9) /u:/-短化 / ___ [x, v, m]
  ruf < rōugh 'rough' plume < plūme 'plum'
〈初期近代英語期〉
(10) 短子音前短化 (shortening before a single consonant)
  breath dread blood good cloth
(11) 開音節短化 (Open Syllable Shortening)
  heavy weapon pleasant seven
(12) 2音節短化 (shortening in two syllabic words)
  nickname < ēkename breakfast twopence


 母音の長化と短化の歴史をこのように整理した上で,池頭は,短化が長化よりも多く観察される点,一度長化したものがのちに短化を受ける例がある点を指摘した.英語史全体としてみると,短化が優勢であり,長化に対する制限が強まってきたという潮流が感じられる.池頭 (129--30) 曰く,

古英語以来、英語では長い母音に対する文脈上の制限が強まっていると考えられる。古英語初期には二重母音であっても長・短が存在し、長母音が出現する環境も特に制限されていなかった。ところが早い時期に長二重母音が姿を消し、続いて3子音の前位置において長母音を許さなくなり((5)3子音前位置短化)、引き続き2子音前でも長母音が生起できなくなった((6)2子音前位置短化)。初期近代英語期に入ると短子音の前でも短化が起こった((10)短子音前短化)。語全体の音節構造に関するものでは、古英語期に語末から3音節目で長母音が許されなくなり((7)3音節短化)、初期近代英語期に入って2音節語の語末から2音節目(第1音節)でも短化が起こった((12)2音節短化)。全体としては、古英語期にかなり長母音に対する制限が強まったと考えられる。


 上記は大局的な英語音韻史観ともいえるが,ではなぜそのような潮流が見られるのだろうか.これは英語音韻史の究極的な課題だろう.

 ・ 池頭(門田)順子 「"Consonant cluster" と音変化 その特異性と音節構造をめぐって」『生成言語研究の現在』(池内正幸・郷路拓也(編著)) ひつじ書房,2013年.127--43頁.
 ・ 中尾 俊夫 『音韻史』 英語学大系第11巻,大修館書店,1985年.

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2014-12-09 Tue

#2052. 英語史における母音の主要な質的・量的変化 [phonetics][vowel][meosl][homorganic_lengthening][gvs][diphthong][timeline][drift]

 西ゲルマン語の時代から古英語,中英語を経て近代英語に至るまでの英語の母音の歴史をざっとまとめた一覧が欲しいと思ったので,主要な質的・量的変化をまとめてみた.以下の表は,Görlach (48--49) の母音の質と量に関する変化の略年表をドッキングしたものである.

PeriodQuantityQuality
RuleExamplesRuleExamples
WGmc--OE  ai > ā, au > ēa, ā > ǣ/ē, a > æstān, ēage, dǣd, dæg cf. Ge Stein, Auge, Tat, Tag
7--9th c.compensatory lengthening*sehan > sēon "see", mearh, gen. mēares "mare"  
9--10th c.lengthening of before esp. [-ld, -mb, -nd]fēld, gōld, wāmb, fīnd, but ealdrum  
shortening before double (long) consonantswĭsdom, clæ̆nsian, cĭdde, mĕtton  
shortening in the first syllable of trisyllabic wordshăligdæg, hæ̆ringas, wĭtega  
OE--MEshortening in unstressed syllableswisdŏm, stigrăpmonophthongization of all OE diphthongsOE dēad, heard, frēond, heorte, giefan > ME [dɛːd, hard, frœːnd, hœrtə, jivən]
12th c.  [ɣ > w] and vocalization of [w] and [j]; emergence of new diphthongsOE dagas, boga, dæg, weg > ME [dauəs, bouə, dai, wei]
  southern rounding of [aː > ɔː]OE hāl(ig) > ME hool(y) [ɔː]
12--14th c.  unrounding of œ(ː), y(ː) progressing from east to westME [frɛːnd, hertə, miːs, fillen]
13th c.lengthening in open syllables of bisyllabic wordsnāme, nōse, mēte (week, door)  
15th c. GVS and 16--17th century consequences    
esp. 15--16th c.shortening in monosyllabic wordsdead, death, deaf, hot, cloth, flood, good  
18th c.lengthening before voiceless fricatives and [r]glass, bath, car, servant, before  


 全体として質の変化よりも量の変化,すなわち短化と長化の傾向が勝っており,英語の母音がいかに伸縮を繰り返してきたかが分かる.個々の変化は入出力の関係にあるものもあるが,結果としてそうなったのであり,歴史的には各々独立して生じたことはいうまでもない.それでも,これらの音韻変化を全体としてとらえようとする試みもあることを指摘しておこう.例えば「#1402. 英語が千年間,母音を強化し子音を弱化してきた理由」 ([2013-02-27-1]) を参照されたい.

 ・ Görlach, Manfred. The Linguistic History of English. Basingstoke: Macmillan, 1997.

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2014-10-05 Sun

#1987. ピジン語とクレオール語の非連続性 [pidgin][creole][drift][post-creole_continuum][sociolinguistics]

 ピジン語 (pidgin) とクレオール語 (creole) についての一般の理解によると,前者が母語話者をもたない簡易化した混成語にとどまるのに対し,後者は母語話者をもち,体系的な複雑化に特徴づけられる言語ということである.別の言い方をすれば,creole は pidgin から発展した段階の言語を表わし,両者はある種の言語発達のライフサイクルの一部を構成する(その後,post-creole_continuum や decreolization の段階がありうるとされる).両者は連続体ではあるものの,「#1690. pidgin とその関連語を巡る定義の問題」 ([2013-12-12-1]) で示したように,諸特徴を比較すれば相違点が目立つ.
 しかし,「#444. ピジン語とクレオール語の境目」 ([2010-07-15-1]) でも触れたように,pidgin と creole には上記のライフサイクル的な見方に当てはまらない例がある.ピジン語のなかには,母語話者を獲得せずに,すなわち creole 化せずに,体系が複雑化する "expanded pidgin" が存在する.「#412. カメルーンの英語事情」 ([2010-06-13-1]),「#413. カメルーンにおける英語への language shift」 ([2010-06-14-1]) で触れた Cameroon Pidgin English,「#1688. Tok Pisin」 ([2013-12-10-1]) で取り上げた Tok Pisin のいくつかの変種がその例である.また,反対に,大西洋やインド洋におけるように,ピジン語の段階を経ずに直接クレオール語が生じたとみなされる例もある (Mufwene 48) .
 クレオール語研究の最先端で仕事をしている Mufwene (47) は,伝統的な理解によるピジン語とクレオール語のライフサイクル説に対して懐疑的である.とりわけ expanded pidgin とcreole の関係について,両者は向かっている方向がむしろ逆であり,連続体とみなすのには無理があるとしている.

There are . . . significant reasons for not lumping expanded pidgins and creoles in the same category, usually identified as creole and associated with the fact that they have acquired a native speaker population. . . . [T]hey evolved in opposite directions, although they are all associated with plantation colonies, with the exception of Hawaiian Creole, which actually evolved in the city . . . . Creoles started from closer approximations of their 'lexifiers' and then evolved gradually into basilects that are morphosyntactically simpler, in more or less the same ways as their 'lexifiers' had evolved from morphosyntactically more complex Indo-European varieties, such as Latin or Old English. According to Chaudenson (2001), they extended to the logical conclusion a morphological erosion that was already under way in the nonstandard dialects of European languages that the non-Europeans had been exposed to. On the other hand, expanded pidgins started from rudimentary language varieties that complexified as their functions increased and diversified.


 引用内で触れられている Chaudenson も同じ趣旨で論じているように,creole は語彙提供言語(通常は植民地支配者たるヨーロッパの言語)と地続きであり,それが簡易化したものであるという解釈だ (cf. 「#1842. クレオール語の歴史社会言語学的な定義」 ([2014-05-13-1])) .一方,pidgin は語彙提供言語とは区別されるべき混成語であり,その発展形である expanded pidgin は pidgin が徐々に多機能化し,複雑化してきた変種を指すという考えだ.つまり,広く受け入れられている pidgin → expanded pidgin → creole という発展のライフサイクル観は,事実を説明しない.実際,19世紀終わりまでは pidgin と creole の間にこのような発展的な関係は前提とされていなかった.言語学史的には,20世紀に入ってから Bloomfield などが発展関係を指摘し始めたにすぎない (Mufwene 48) .
 creole が,印欧諸語の単純化の偏流 (drift) の論理的帰結であるという主張は目から鱗が落ちるような視点だ.Mufwene の次の指摘にも目の覚める思いがする."Had linguists remembered that the European 'lexifiers' had actually evolved from earlier, more complex morphosyntaxes, they would have probably taken into account more of the socioeconomic histories of the colonies, which suggest a parallel evolution" (48) .
 Mufwene のクレオール語論,特に植民地史における homestead stage と plantation stage の区別と founder principle については,「#1840. スペイン語ベースのクレオール語が極端に少ないのはなぜか」 ([2014-05-11-1]) と「#1841. AAVE の起源と founder principle」 ([2014-05-12-1]) を参照されたい.

 ・ Mufwene, Salikoko. "Creoles and Creolization." Variation and Change. Ed. Mirjam Fried et al. Amsterdam: Benjamins, 2010. 46--60.

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2014-09-27 Sat

#1979. 言語変化の目的論について再考 [language_change][causation][teleology][unidirectionality][invisible_hand][drift][functionalism]

 昨日の記事で引用した Luraghi が,同じ論文で言語変化の目的論 (teleology) について論じている.teleology については本ブログでもたびたび話題にしてきたが,論じるに当たって関連する諸概念について整理しておく必要がある.
 まず,言語変化は therapy (治療)か prophylaxis (予防)かという議論がある.「#835. 機能主義的な言語変化観への批判」 ([2011-08-10-1]) や「言語変化における therapy or pathogeny」 ([2011-08-12-1]) で取り上げた問題だが,いずれにしても前提として機能主義的な言語変化観 (functionalism) がある.Kiparsky は "language practices therapy rather than prophylaxis" (Luraghi 364) との謂いを残しているが,Lass などはどちらでもないとしている.
 では,functionalism と teleology は同じものなのか,異なるものなのか.これについても,諸家の間で意見は一致していない.Lass は同一視しているようだが,Croft などの論客は前者は "functional proper",後者は "systemic functional" として区別している."systemic functional" は言語の teleology を示すが,"functional proper" は話者の意図にかかわるメカニズムを指す.あくまで話者の意図にかかわるメカニズムとしての "functional" という表現が,変異や変化を示す言語項についても応用される限りにおいて,(話者のではなく)言語の "functionalism" を語ってもよいかもしれないが,それが言語の属性を指すのか話者の属性を指すのかを区別しておくことが重要だろう.

Teleological explanations of language change are sometimes considered the same as functional explanations . . . . Croft . . . distinguishes between 'systemic functional,' that is teleological, explanations, and 'functional proper,' which refer to intentional mechanisms. Keller . . . argues that 'functional' must not be confused with 'teleological,' and should be used in reference to speakers, rather than to language: '[t]he claim that speakers have goals is correct, while the claim that language has a goal is wrong' . . . . Thus, to the extent that individual variants may be said to be functional to the achievement of certain goals, they are more likely to generate language change through invisible hand processes: in this sense, explanations of language change may also be said to be functional. (Luraghi 365--66)


 上の引用にもあるように,重要なことは「言語が変化する」と「話者が言語を刷新する」とを概念上区別しておくことである.「#1549. Why does language change? or Why do speakers change their language?」 ([2013-07-24-1]) で述べたように,この区別自体にもある種の問題が含まれているが,あくまで話者(集団)あっての言語であり,言語変化である.話者主体の言語変化論においては teleology の占める位置はないといえるだろう.Luraghi (365) 曰く,

Croft . . . warns against the 'reification or hypostatization of languages . . . Languages don't change; people change language through their actions.' Indeed, it seems better to avoid assuming any immanent principles inherent in language, which seem to imply that language has an existence outside the speech community. This does not necessarily mean that language change does not proceed in a certain direction. Croft rejects the idea that 'drift,' as defined by Sapir . . ., may exist at all. Similarly, Lass . . . wonders how one can positively demonstrate that the unconscious selection assumed by Sapir on the side of speakers actually exists. From an opposite angle, Andersen . . . writes: 'One of the most remarkable facts about linguistic change is its determinate direction. Changes that we can observe in real time---for instance, as they are attested in the textual record---typically progress consistently in a single direction, sometimes over long periods of time.' Keller . . . suggests that, while no drift in the Sapirian sense can be assumed as 'the reason why a certain event happens,' i.e., it cannot be considered innate in language, invisible hand processes may result in a drift. In other words, the perspective is reversed in Keller's understanding of drift: a drift is not the pre-existing reason which leads the directionality of change, but rather the a posteriori observation of a change brought about by the unconsciously converging activity of speakers who conform to certain principles, such as the principle of economy and so on . . . .


 関連して drift, functionalism, invisible_hand, unidirectionality の各記事も参考にされたい.

 ・ Luraghi, Silvia. "Causes of Language Change." Chapter 20 of Continuum Companion to Historical Linguistics. Ed. Silvia Luraghi and Vit Bubenik. London: Continuum, 2010. 358--70.

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2014-09-23 Tue

#1975. 文法化研究の発展と拡大 (2) [grammaticalisation][unidirectionality][pragmatics][subjectification][invisible_hand][teleology][drift][reanalysis][iconicity][exaptation][terminology][toc]

 昨日の記事「#1974. 文法化研究の発展と拡大 (1)」 ([2014-09-22-1]) を受けて,文法化 (grammaticalisation) 研究の守備範囲の広さについて補足する.Bussmann (196--97) によると,文法化がとりわけ関心をもつ疑問には次のようなものがある.

(a) Is the change of meaning that is inherent to grammaticalization a process of desemanticization, or is it rather a case (at least in the early stages of grammaticalization) of a semantic and pragmatic concentration?
(b) What productive parts do metaphors and metonyms play in grammaticalization?
(c) What role does pragmatics play in grammaticalization?
(d) Are there any universal principles for the direction of grammaticalization, and, if so, what are they? Suggestions for such 'directed' principles include: (i) increasing schematicization; (ii) increasing generalization; (iii) increasing speaker-related meaning; and (iv) increasing conceptual subjectivity.


 昨日記した守備範囲と合わせて,文法化研究の潜在的なカバレッジの広さと波及効果の大きさを感じることができる.また,秋元 (vii) の目次より文法化理論に関連する用語を拾い出すだけでも,この分野が言語研究の根幹に関わる諸問題を含む大項目であることがわかるだろう.

第1章 文法化
1.1 序
1.2 文法化とそのメカニズム
1.2.1 語用論的推論 (Pragmatic inferencing)
1.2.2 漂白化 (Bleaching)
1.3 一方向性 (Unidirectionality)
1.3.1 一般化 (Generalization)
1.3.2 脱範疇化 (Decategorialization)
1.3.3 重層化 (Layering)
1.3.4 保持化 (Persistence)
1.3.5 分岐化 (Divergence)
1.3.6 特殊化 (Specialization)
1.3.7 再新化 (Renewal)
1.4 主観化 (Subjectification)
1.5 再分析 (Reanalysis)
1.6 クラインと文法化連鎖 (Grammaticalization chains)
1.7 文法化とアイコン性 (Iconicity)
1.8 文法化と外適応 (Exaptation)
1.9 文法化と「見えざる手」 (Invisible hand) 理論
1.10 文法化と「偏流」 (Drift) 論


 文法化は,主として言語の通時態に焦点を当てているが,一方で主として共時的な認知文法 (cognitive grammar) や機能文法 (functional grammar) とも親和性があり,通時態と共時態の交差点に立っている.そこが,何よりも魅力である.

 ・ Bussmann, Hadumod. Routledge Dictionary of Language and Linguistics. Trans. and ed. Gregory Trauth and Kerstin Kazzizi. London: Routledge, 1996.
 ・ 秋元 実治 『増補 文法化とイディオム化』 ひつじ書房,2014年.

Referrer (Inside): [2015-11-01-1] [2015-02-01-1]

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2014-09-19 Fri

#1971. 文法化は歴史の付帯現象か? [drift][grammaticalisation][generative_grammar][syntax][auxiliary_verb][teleology][language_change][unidirectionality][causation][diachrony]

 Lightfoot は,言語の歴史における 文法化 (grammaticalisation) は言語変化の原理あるいは説明でなく,結果の記述にすぎないとみている."Grammaticalisation, challenging as a phenomenon, is not an explanatory force" (106) と,にべもなく一蹴だ.文法化の一方向性を,"mystical" な drift (駆流)の方向性になぞらえて,その目的論 (teleology) 的な言語変化観を批判している.
 Lightfoot は,一見したところ文法化とみられる言語変化も,共時的な "local cause" によって説明できるとし,その例として彼お得意の法助動詞化 (auxiliary_verb) の問題を取り上げている.本ブログでも「#1670. 法助動詞の発達と V-to-I movement」 ([2013-11-22-1]) や「#1406. 束となって急速に生じる文法変化」 ([2013-03-03-1]) で紹介した通り,Lightfoot は生成文法の枠組みで,子供の言語習得,UG (Universal Grammar),PLD (Primary Linguistic Data) の関数として,canmay など歴史的な動詞の法助動詞化を説明する.この「文法化」とみられる変化のそれぞれの段階において変化を駆動する local cause が存在することを指摘し,この変化が全体として mystical でもなければ teleological でもないことを示そうとした.非歴史的な立場から local cause を究明しようという Lightfoot の共時的な態度は,その口から発せられる主張を聞けば,Saussure よりも Chomsky よりも苛烈なもののように思える.そこには共時態至上主義の極致がある.

Time plays no role. St Augustine held that time comes from the future, which doesn't exist; the present has no duration and moves on to the past which no longer exists. Therefore there is no time, only eternity. Physicists take time to be 'quantum foam' and the orderly flow of events may really be as illusory as the flickering frames of a movie. Julian Barbour (2000) has argued that even the apparent sequence of the flickers is an illusion and that time is nothing more than a sort of cosmic parlor trick. So perhaps linguists are better off without time. (107)


So we take a synchronic approach to history. Historical change is a kind of finite-state Markov process: changes have only local causes and, if there is no local cause, there is no change, regardless of the state of the grammar or the language some time previously. . . . Under this synchronic approach to change, there are no principles of history; history is an epiphenomenon and time is immaterial. (121)


 Lightfoot の方法論としての共時態至上主義の立場はわかる.また,local cause の究明が必要だという主張にも同意する.drift (駆流)と同様に,文法化も "mystical" な現象にとどまらせておくわけにはいかない以上,共時的な説明は是非とも必要である.しかし,Lightfoot の非歴史的な説明の提案は,例外はあるにせよ文法化の著しい傾向が多くの言語の歴史においてみられるという事実,そしてその理由については何も語ってくれない.もちろん Lightfoot は文法化は歴史の付帯現象にすぎないという立場であるから,語る必要もないと考えているのだろう.だが,文法化を歴史的な流れ,drift の一種としてではなく,言語変化を駆動する共時的な力としてみることはできないのだろうか.

 ・ Lightfoot, David. "Grammaticalisation: Cause or Effect." Motives for Language Change. Ed. Raymond Hickey. Cambridge: CUP, 2003. 99--123.

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2014-04-17 Thu

#1816. drift 再訪 [drift][gvs][germanic][synthesis_to_analysis][language_change][speed_of_change][unidirectionality][causation][functionalism]

 Millar (111--13) が,英語史における古くて新しい問題,drift (駆流)を再訪している(本ブログ内の関連する記事は,cat:drift を参照).
 Sapir の唱えた drift は,英語なら英語という1言語の歴史における言語変化の一定方向性を指すものだったが,後に drift の概念は拡張され,関連する複数の言語に共通してみられる言語変化の潮流をも指すようになった.これによって,英語の drift は相対化され,ゲルマン諸語にみられる drifts の比較,とりわけ drifts の速度の比較が問題とされるようになった.Millar (112) も,このゲルマン諸語という視点から,英語史における drift の問題を再訪している.

A number of scholars . . . take Sapir's ideas further, suggesting that drift can be employed to explain why related languages continue to act in a similar manner after they have ceased to be part of a dialect continuum. Thus it is striking . . . that a very similar series of sound changes --- the Great Vowel Shift --- took place in almost all West Germanic varieties in the late medieval and early modern periods. While some of the details of these changes differ from language to language, the general tendency for lower vowels to rise and high vowels to diphthongise is found in a range of languages --- English, Dutch and German --- where immediate influence along a geographical continuum is unlikely. Some linguists would suggest that there was a 'weakness' in these languages which was inherited from the ancestral variety and which, at the right point, was triggered by societal forces --- in this case, the rise of a lower middle class as a major economic and eventually political force in urbanising societies.


 これを書いている Millar 自身が,最後の文の主語 "Some linguists" のなかの1人である.Samuels 流の機能主義的な観点に,社会言語学的な要因を考え合わせて,英語の drift を体現する個々の言語変化の原因を探ろうという立場だ.Sapir の drift = "mystical" というとらえ方を退け,できる限り合理的に説明しようとする立場でもある.私もこの立場に賛成であり,とりわけ社会言語学的な要因の "trigger" 機能に関心を寄せている.関連して,「#927. ゲルマン語の屈折の衰退と地政学」 ([2011-11-10-1]) や「#1224. 英語,デンマーク語,アフリカーンス語に共通してみられる言語接触の効果」 ([2012-09-02-1]) も参照されたい.
 ゲルマン諸語の比較という点については,Millar (113) は,drift の進行の程度を模式的に示した図を与えている.以下に少し改変した図を示そう(かっこに囲まれた言語は,古い段階での言語を表わす).

Drift in the Germanic Languages


 この図は,「#191. 古英語,中英語,近代英語は互いにどれくらい異なるか」 ([2009-11-04-1]) で示した Lass によるゲルマン諸語の「古さ」 (archaism) の数直線を別の形で表わしたものとも解釈できる.その場合,drift の進行度と言語的な「モダンさ」が比例の関係にあるという読みになる.
 この図では,English や Afrikaans が ANALYTIC の極に位置しているが,これは DRIFT が完了したということを意味するわけではない.現代英語でも,DRIFT の継続を感じさせる言語変化は進行中である.

 ・ Millar, Robert McColl. English Historical Sociolinguistics. Edinburgh: Edinburgh UP, 2012.

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2014-01-19 Sun

#1728. Jespersen の言語進歩観 [language_change][teleology][evolution][unidirectionality][drift][history_of_linguistics][artificial_language][language_myth]

 英語史の授業で英語が経てきた言語変化を概説すると,「言語はどんどん便利な方向へ変化してきている」という反応を示す学生がことのほか多い.これは,「#432. 言語変化に対する三つの考え方」 ([2010-07-03-1]) の (2) に挙げた「言語変化はより効率的な状態への緩慢な進歩である」と同じものであり,言語進歩観とでも呼ぶべきものかもしれない.しかし,その記事でも述べたとおり,言語変化は進歩でも堕落でもないというのが現代の言語学者の大方の見解である.ところが,かつては,著名な言語学者のなかにも,言語進歩観を公然と唱える者がいた.デンマークの英語学者 Otto Jespersen (1860--1943) もその1人である.

. . . in all those instances in which we are able to examine the history of any language for a sufficient length of time, we find that languages have a progressive tendency. But if languages progress towards greater perfection, it is not in a bee-line, nor are all the changes we witness to be considered steps in the right direction. The only thing I maintain is that the sum total of these changes, when we compare a remote period with the present time, shows a surplus of progressive over retrogressive or indifferent changes, so that the structure of modern languages is nearer perfection than that of ancient languages, if we take them as wholes instead of picking out at random some one or other more or less significant detail. And of course it must not be imagined that progress has been achieved through deliberate acts of men conscious that they were improving their mother-tongue. On the contrary, many a step in advance has at first been a slip or even a blunder, and, as in other fields of human activity, good results have only been won after a good deal of bungling and 'muddling along.' (326)


. . . we cannot be blind to the fact that modern languages as wholes are more practical than ancient ones, and that the latter present so many more anomalies and irregularities than our present-day languages that we may feel inclined, if not to apply to them Shakespeare's line, "Misshapen chaos of well-seeming forms," yet to think that the development has been from something nearer chaos to something nearer kosmos. (366)


 Jespersen がどのようにして言語進歩観をもつに至ったのか.ムーナン (84--85) は,Jespersen が1928年に Novial という補助言語を作り出した背景を分析し,次のように評している(Novial については「#958. 19世紀後半から続々と出現した人工言語」 ([2011-12-11-1]) を参照).

彼がそこへたどり着いたのはほかの人の場合よりもいっそう、彼の論理好みのせいであり、また、彼のなかにもっとも古くから、もっとも深く根をおろしていた理論の一つのせいであった。その理論というのは、相互理解の効率を形態の経済性と比較してみればよい、という考えかたである。それにつづくのは、平均的には、任意の一言語についてみてもありとあらゆる言語についてみても、この点から見ると、正の向きの変化の総和が不の向きの総和より勝っているものだ、という考えかたである――そして彼は、もっとも普遍的に確認されていると称するそのような「進歩」の例として次のようなものを列挙している。すなわち、音楽的アクセントが次第に単純化すること、記号表現部〔能記〕の短縮、分析的つまり非屈折的構造の発達、統辞の自由化、アナロジーによる形態の規則化、語の具体的な色彩感を犠牲にした正確性と抽象性の増大である。(『言語の進歩、特に英語を照合して』) マルティネがみごとに見てとったことだが、今日のわれわれにはこの著者のなかにあるユートピア志向のしるしとも見えそうなこの特徴が、実は反対に、ドイツの比較文法によって広められていた神話に対する当時としては力いっぱいの戦いだったのだと考えて見ると、実に具体的に納得がいく。戦いの相手というのは、諸言語の完全な黄金時期はきまってそれらの前史時代の頂点に位置しており、それらの歴史はつねに形態と構造の頽廃史である、という神話だ。(「語の研究」)


 つまり,Jespersen は,当時(そして少なからず現在も)はやっていた「言語変化は完全な状態からの緩慢な堕落である」とする言語堕落観に対抗して,言語進歩観を打ち出したということになる.言語学史的にも非常に明快な Jespersen 評ではないだろうか.
 先にも述べたように,Jespersen 流の言語進歩観は,現在の言語学では一般的に受け入れられていない.これについて,「#448. Vendryes 曰く「言語変化は進歩ではない」」 ([2010-07-19-1]) 及び「#1382. 「言語変化はただ変化である」」 ([2013-02-07-1]) を参照.

 ・ Jespersen, Otto. Language: Its Nature, Development, and Origin. 1922. London: Routledge, 2007.
 ・ ジョルジュ・ムーナン著,佐藤 信夫訳 『二十世紀の言語学』 白水社,2001年.

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