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complaint_tradition - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2019-03-24 19:12

2018-11-01 Thu

#3475. 「カタカナ語 乱用やめて」という投書 [complaint_tradition][prescriptivism]

 10月17日の読売新聞朝刊の投書欄に「カタカナ語 乱用やめて」と題する投書が掲載されていた.

 文化庁の「国語に関する世論調査」では,外来語などのカタカナ語がどの程度理解されているかについても調査が行なわれました.「インバウンド」の意味を知っている人は4人に1人だったということですが,飾らず素直に「訪日外国人旅行者」と表現すればよいのです.「ガイドライン」も,「指針」と表記すればわかりやすいと思います.
 近年,日本人はカタカナ語に惑わされすぎではないでしょうか.確かに,響きが格好いいので,人々が使いたがる傾向にあるのだと思います.実際,小池百合子・東京都知事などカタカナ語を志向する政治家もいます.
 調査では「書き言葉も話言葉も正しく整えて使うべきだと思う」と回答した人が半数近くいました.カタカナ語の乱用をやめて,わかりやすい日本語を使いましょう.


 英語の世界には,近代以降,連綿として続く "the complaint_tradition" (不平不満の伝統)がある.「最近の若者の言葉遣いはなっとらん!」「公人が○○のような語法を用いるなんてけしからん!」といった類いの物言いである(「#3239. 英語に関する不平不満の伝統」 ([2018-03-10-1]) を参照).日本語の世界にも,程度はやや穏やかではあるが同様の伝統があり,上記のような投書がその1例だろう.
 「カタカナ語の氾濫」問題については,様々な立場があるだろう.私も軽薄なカタカナ語が日々増えてきているなと実感はするし,イラッと来ることもなきにしもあらずだが,一方で冷めた目で日本語ウォッチングという態度を取る自分にも気づく.前者は一日本語話者としての立場,後者は言語観察者としての立場であり,私個人のなかで両者が併存している.個人のなかでも時と場合によって見方が異なり得るのだから,個人間での感じ方・意見の相違があることは当然だろう.
 私は「カタカナ語の氾濫」問題を解決するというよりも,「カタカナ語の氾濫」問題を議論してみることのほうが楽しいと思うタイプである.多分,頑張って解決すべき問題としてではなく,そのうち自然に解決される問題として見ているからだろう.議論して盛り上がりながら過ごしているうちに,あるカタカナ語はかつての反対者にも概ね受け入れられており,別のカタカナ語はかつての推進者にも忘れ去られているだろう.問題解決よりも重要なのは,なぜこのような議論が盛り上がるのかを考えたり,議論を通じて言葉の問題を意識化すること自体にあるのではないか.
 なお,カタカナ語の問題について,日英語対照歴史言語学の観点から「#1999. Chuo Online の記事「カタカナ語の氾濫問題を立体的に視る」」 ([2014-10-17-1]) で私論を披露したことがあるので,ぜひご一読を.その他,「#1630. インク壺語,カタカナ語,チンプン漢語」 ([2013-10-13-1]) と「#2977. 連載第6回「なぜ英語語彙に3層構造があるのか? --- ルネサンス期のラテン語かぶれとインク壺語論争」」 ([2017-06-21-1]) も参照.

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2018-03-10 Sat

#3239. 英語に関する不平不満の伝統 [complaint_tradition][prescriptivism][prescriptive_grammar][dryden][swift][language_myth]

 英語には,近代以降の連綿と続く "the complaint tradition" (不平不満の伝統)があり,"the complaint literature" (不平不満の文献)が蓄積されてきた.例えば,「#301. 誤用とされる英語の語法 Top 10」 ([2010-02-22-1]) で示した類いの,「こんな英語は受け入れられない!」という叫びのことである.典型的に新聞の投書欄などに寄せられてきた.
 この伝統は,標準英語がほぼ確立した後で,規範主義的な風潮が感じられるようになってきた王政復古あたりの時代に遡る.著名人でいえば,John Dryden (1631--1700) や,少し後の Jonathan Swift (1667--1745) が伝統の最初期の担い手といえるだろう(cf. 「#3220. イングランド史上初の英語アカデミーもどきと Dryden の英語史上の評価」 ([2018-02-19-1]),「#1947. Swift の clipping 批判」([2014-08-26-1])).
 Milroy and Milroy によれば,この伝統には2つのタイプがあるという.両者は重なる場合もあるが,目的が異なっており,基本的には別物と考える必要がある.まずは Type 1 から.

Type 1 complaints, which are implicitly legalistic and which are concerned with correctness, attack 'mis-use' of specific parts of the phonology, grammar, vocabulary of English (and in the case of written English 'errors' of spelling, punctuation, etc.). . . . The correctness tradition (Type 1) is wholly dedicated to the maintenance of the norms of Standard English in preference to other varieties: sometimes writers in this tradition attempt to justify the usages they favour and condemn those they dislike by appeals to logic, etymology and so forth. Very often, however, they make no attempt whatever to explain why one usage is correct and another incorrect: they simply take it for granted that the proscribed form is obviously unacceptable and illegitimate; in short, they believe in a transcendental norm of correct English. / . . . . Type 1 complaints (on correctness) may be directed against 'errors' in either spoken or written language, and they frequently do not make a very clear distinction between the two. (30--31)


 Type 1 は,いわゆる最も典型的なタイプであり,上で前提とし,簡単に説明してきた種類の不平不満である.「誤用批判」とくくってよいだろう.このタイプの伝統が標準英語を維持 (maintenance) する機能を担ってきたという指摘もおもしろい.
 次に挙げる Type 2 は Type 1 ほど知られていないが,やはり Swift あたりにまで遡る伝統がある.

Type 2 complaints, which we may call 'moralistic', recommend clarity in writing and attack what appear to be abuses of language that may mislead and confuse the public. . . . / Type 2 complaints do not devote themselves to stigmatising specific errors in grammar, phonology, and so on. They accept the fact of standardisation in the written channel, and they are concerned with clarity, effectiveness, morality and honesty in the public use of the standard language. Sometimes elements of Type 1 can enter into Type 2 complaints, in that the writers may sometimes condemn non-standard usage in the belief that it is careless or in some way reprehensible; yet the two types of complaints can in general be sharply distinguished. The most important modern author in this second tradition is George Orwell . . . (30)


 Type 1 を "the correctness tradition" と呼ぶならば,Type 2 は "the moralistic tradition" と呼んでよいだろう.引用にあるように,George Orwell (1903--50) が最も著名な主唱者である.Type 2 を代表する近年の動きとしては,1979年に始められた "Plain English Campaign" がある.公的な情報には誰にでも分かる明快な言葉遣いを心がけるべきだと主張する組織であり,明快な英語で書かれた文書に "Crystal Mark" を付す活動を行なっているほか,毎年,明快な英語に対して賞を贈っている.

 ・ Milroy, Lesley and James Milroy. Authority in Language: Investigating Language Prescription and Standardisation. 4th ed. London and New York: Routledge, 2012.

Referrer (Inside): [2018-11-01-1]

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2017-07-18 Tue

#3004. 英語史は英語の成功物語か? [historiography][language_myth][linguistic_imperialism][official_language][complaint_tradition]

 英語史を,1民族言語だった英語が偉大な世界語へと成長していく成功物語であると見る向きは少なくない.中世にはイングランドという一国のなかですらフランス語のもとで卑しい身分の言語にすぎなかったものが,近代以降に一気に世界に躍り出ていったという経緯を知れば,まさにシンデレラ・ストーリーに思えてくるかもしれない.
 しかし,Romaine (54--55) によれば,この物語には3つの大きな皮肉と逆説がある.第1に,英語の母国であるイングランドは,大英帝国を築きあげ,世界中に英語を拡散させたものの,足下にあるともいえるアイルランド,スコットランド,ウェールズで今なお100%の英語化を果たしていないという現実がある.話者人口は少ないとはいえ,そこではケルト系諸語が話されているのだ.灯台下暗し,というべき皮肉だ.
 第2に,英語が公用語として制定されているのは,Outer Circle の地域ばかりであり,Inner Circle の地域ではない(「#217. 英語話者の同心円モデル」 ([2009-11-30-1]),「#427. 英語話者の泡ぶくモデル」 ([2010-06-28-1])).このことは,英語を母語とする Inner Circle の地域(典型的には英米)において英語は事実上の公用語であり,ことさらに公言する必要もないからと説明されるが,アメリカでは,「#1657. アメリカの英語公用語化運動」 ([2013-11-09-1]) や「#256. 米国の Hispanification」 ([2010-01-08-1]) の記事で見た通り,現実的に英語公用語化という社会問題が持ち上がっている.英語を話す筆頭国において,これまで自明だった言語状況が変化してきているというのは,逆説的である.
 第3に,英米をはじめとする主要な英語母語国において,標準英語を巡る "insecurity" が絶えないことが挙げられる.要するに,正用と誤用を巡る "complaint tradition" や "linguistic complaint literature" が今なお産出され続けていることだ.英語が世界的に「成功」したというのであれば,お膝元の英米などにおいて,言語としての基盤が揺らいでいるというのは,皮肉であり逆説でもある.
 一見するところ華やかな「成功物語」の裏には,大いなる陰がある.

 ・ Romaine, Suzanne. "Introduction." The Cambridge History of the English Language. Vol. 4. Cambridge: CUP, 1998. 1--56.

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