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semantics - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2022-06-27 16:55

2022-03-25 Fri

#4715. 否定的な感情を表わす形容詞・副詞は強調語になりやすい [mond][sobokunagimon][intensifier][adjective][adverb][semantics][semantic_change][link]

 今日はクロスポスト的な記事で新味がなくてすみません.それでも意味変化 (semantic_change) の観点から大事な話題なので,こちらでも取り上げる次第です.
 この2ヶ月ほど「Mond」という質問サイトにて,英語史に関連のある質問に回答するということを行なってきました.最近の質問として,次の興味深い問いが寄せられてきました.

凄い(すごい)という言葉には
 ・ぞっとするほど恐ろしい
 ・並外れている.たいそうな.
という2つの意味がありますが,後者の意味で主に用いられている印象です.英語や他の言語にも失われつつある意味を持つ単語はあるのでしょうか?


 これは,まさに古今東西の言語に普遍的な意味変化のパターンに関する質問です.強意語 (intensifier) は,使われすぎると強意がすり減って逓減していくものなので,新たに強意を表わす表現が常に求められるのです.新たな強意語のソースは,いろいろとあるのですが,その典型の1つが「否定的な感情語」です.怖い,おぞましい,痛い,苦しい,というホラー用語は,どうしても強調語になりやすいのですね.それは,なぜか? 10秒ほど考えれば分かると思います.あの負の感情が10秒続いたら,ちょっと参りますよね・・・
 上記の質問を受けて,こんな感じで回答しました.

 とても身近でおもしろい指摘,ありがとうございます.「すごい」に2つの意味があるというのは,それぞれの用例をみれば明らかですね.例えば「すごい目つき」といえば「恐ろしい」の意味だとわかりますし,「すごい美人」といえば「並外れた」の意味だとわかります.この2つの意味をざっくり区別するならば,「恐ろしい」は感情の種類・質に関する意味で,「並外れた」は物事の程度・量に関する意味ということになります.歴史的には前者から後者が派生しているので,質から量への意味変化と言っておいてよいかと思います.
 この「質から量への意味変化」というのは,かなり普遍的なようです.とりわけ「恐ろしい」「痛い」「ひどい」といった否定的な感情・知覚を表わす形容詞・副詞は,しばしば感情の質そのものよりも,その感情の程度の甚だしさが注目され,結果として単なる強調表現になり下がるということが,よくあるパターンのようです.
 日本語の「恐ろしく優しい」「痛く感心した」「ひどく喜んだ」のような例から分かる通り,文字通りの否定的な質の意味で解釈すると,むしろ矛盾するような表現もありますね.すでに量の意味になり下がっているということだと思います.
 英語からも類例がいくらでも挙がります.terrible/terribly の語幹は terror 「恐怖」と同一ですが,本来の「恐ろしい/恐ろしく」の意味で使われることは少ないです (ex. a terrible weapon 「恐ろしい武器」) .むしろ,程度の激しいことを示すだけの強調語として in a terrible hurry 「非常に急いで」のように使うことのほうが多いです.質から量への意味変化が生じたもう1つの例ですね.
 ほかには amazingly, awfully, desperately, dreadfully, horribly, marvellously, sorelyなど感情に起因する副詞は,強調語になり下がる例が多いようです.
 おっしゃるとおり,これらの語では,本来の質的な意味は希薄になってしまい,ほとんどの場合,量的な意味で強調語として用いられるに至ったのだと思います.
 いずれの言語でも,並行的な現象が見られるというのは,たいへん面白いですね.ありがとうございました.
 関連して,英語に関する話題ではありますが,筆者によるこちらの記事をご覧ください.


 鋭い質問は学びの基本だと思います.よく答えるよりもよく問うほうが圧倒的に難しいです.もう1週間で新年度が始まりますが,とりわけ新大学生は大学生活のなかで「問う方法」こそを習得してください!
 強意語に関しては,以下の記事や intensifier もご参照ください.

 ・ 「#992. 強意語と「限界効用逓減の法則」」 ([2012-01-14-1])
 ・ 「#1220. 初期近代英語における強意副詞の拡大」 ([2012-08-29-1])
 ・ 「#1219. 強意語はなぜ種類が豊富か」 ([2012-08-28-1])
 ・ 「#2190. 原義の弱まった強意語」 ([2015-04-26-1])
 ・ 「#4236. intensifier の分類」 ([2020-12-01-1])

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2022-03-07 Mon

#4697. よくぞ言語学に戻ってきた意味研究! [history_of_linguistics][semantics][youtube][cognitive_linguistics][pragmatics]

 昨日,井上逸兵さんとの YouTube の第3弾が公開されました.今回は井上編です.いかにして若き井上青年は言語に関心をもったのか? 必殺営業トークは言語学のネタになるのか?!・「英語学への入り口(井上編)」をご覧ください.



 今回のおしゃべりのキーワードは「意味の復権」だと思っています.言語やコミュニケーションの要諦は,意味を伝え合うことのはずです.ところが,近代言語学においては意味の研究は避けられきたのです.発音や文字は耳に聞こえ目に見えるので調べようがあります.ところが,意味はどうにも捉えどころがないので,研究したいとしても方法がなく,後回しになってしまうのです.
 言語学の歴史をひもとくと,やはり意味の扱いは常に弱かったことが分かります.しかし,言語にとって本質的である「意味」の議論がなくなったら,言語学もおしまいのはずです.ですので,低調ではあれ,やはり意味の議論は続いていました.「#1686. 言語学的意味論の略史」 ([2013-12-08-1]) を読んでいただきたいのですが,低調ながらも,形に対する意味の側からの主張は抵抗は,確かに存在し続けました.
 その我慢の結果といってよいのでしょうか,アンチの台頭といってよいのでしょうか,ついに1970年代くらいから,形ではなく意味を本拠とする言語理論が次々と現われてきました.認知意味論 (cognitive_linguistics) や語用論 (pragmatics) といった,新しいタイプの意味論 (semantics) です.こうして,意味研究が復権してきました.
 「意味論」は英語で semantics と言います.複数形の -s が語尾についています.私は常々思うのですが,19世紀以来,低調ながらも様々な「意味論s」が生まれてきたわけですが,古い意味論の上に新しい意味論が乗っかって累積してきたという形での発展というよりは,古い意味論と新しい意味論が横並びになって発展してきたように思うのです.文字通りの複数形の「意味論s」です.
 こうして意味研究が言語学に(よくぞ)戻ってきたわけですが,私の趣味としては,様々な「意味論s」が併存していることが非常におもしろいなぁと思って眺めています.

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2022-02-05 Sat

#4667. 可算名詞と不可算名詞とは何なのか? --- 語彙意味論による分析 [noun][countability][semantics][sobokunagimon]

 英語の名詞には,可算名詞 (countable noun) と不可算名詞 (uncountable noun) がある.前者は不定冠詞 a(n) が付いたり複数形の -(e)s が付くが,後者はそのようなものは付かない.可算名詞の典型は普通名詞の book や集合名詞の family であり,不可算名詞の典型は物質名詞の water や抽象名詞の love である.
 上で「○○名詞」という名詞の種別が,すでに6つも現われた.これらの関係を整理するには,語彙意味論の観点から2つのパラメータを考慮するだけで足りる."bounded" と "internal structure" の2つである.
 "bounded" とは「定まった形をもっている」ということである.例えば,a book は,1冊の本として定まった形をイメージすることができるから "bounded" である.しかし,複数形の books では,何冊あるのか,それぞれがどのような位置関係にあるのかなどの疑問が湧き,全体としての定まった形をイメージすることは難しいので "unbounded" である.waterlove も,それだけでは定的なイメージを持ちにくいという点で,"unbounded" である.
 一方,"internal structure" は,内部に構造があるかどうか,さらに小さい単位へ分割が可能かどうかというパラメータである.a book は1冊だからこれ以上分割できない.しかし books は構成員であるそれぞれの本に分割できる.おもしろいのは a family のような名詞で,通常血のつながった複数のメンバーからなる集団を意味するから,内部構造をもち,個々人へと分割できる.waterlove は,一般的にはそれ自体の内部構造はないとみなされる(物理学や哲学のように,とことん突き詰めれば内部構造があると主張できるかもしれないが,ここではあくまで「一般的な見方によれば」である).
 この2つのパラメータを掛け合わせると次のように整理できる.

[+internal structure][-internal structure]
[+bounded]集合名詞 family普通名詞(個体) book
[-bounded]個体の複数 books
集合名詞の複数 families
物質名詞 water
抽象名詞 love


 このマトリックスの右下の1マスに納まっているのが不可算名詞(つまり [-bounded] かつ [-internal structure])であり,それ以外の3マスに納まっているのが可算名詞である.以上,『日英対照 英語学の基礎』の pp. 129--135 を参照した.

 ・ 三原 健一・高見 健一(編著),窪薗 晴夫・竝木 崇康・小野 尚久・杉本孝司・吉村あき子(著) 『日英対照 英語学の基礎』 くろしお出版,2013年.

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2022-02-01 Tue

#4663. 「翻訳の不確定性」と「根源的翻訳」 [terminology][philosophy_of_language][translation][semantics]

 「#4657. 翻訳の不確定性」 ([2022-01-26-1]) の補足として,関連の深い根源的翻訳について導入したいと思います.皆さんも一度は考えたことのある思考実験ではないでしょうか.無人島で,まったく異なる言語を母語とする人と2人きりでコミュニケーションを取ることになったら,どんなコミュニケーションになるのか,というあの問題です.言語哲学の分野では,2人の間で交わされる言語行為は根源的翻訳と呼ばれています.
 服部は「翻訳の不確定性」説の基盤にある「根源的翻訳」の思考実験について,次のように論じています (95--97) .

 クワインは,『ことばと対象』という本の中では,別の論拠によって翻訳の不確定性を主張している.それは,言語学者が自分の話す言語とはまったく異質の未知の言語を話す人々の住む社会に初めて遭遇したときに,彼/彼女がその言語をどのように翻訳するか---このような状況での翻訳は根源的翻訳と呼ばれる---という思考実験に基づいたものである.根源的翻訳は現実にはまず存在しない.というのも,現在ではもはやこの地球上のほとんどの地域が調査され,(たとえわずかであっても,また貧弱であっても)そこに住む人々の言語を通訳する人や辞書が存在したりするからである.しかしながら,現実には存在しなくとも,そのような仮想的な状況での翻訳作業がどのように行なわれるかということを考察することは,翻訳とはそもそもいかなるものなのか,ということを考える場合には有用である.
 以下,クワインの思考実験を辿ってみよう.ある日本人の言語学者が未知の言語を話す未知の社会に足を踏み入れたとする.そこで彼/彼女は現地の人と出くわす.折しも,その人の前を一羽のウサギが横切った.すると,それを見たその人は「ガヴァガイ!」と叫んだ.このとき,その言語の学者は,その人は「ウサギだ!」あるいは「ウサギが横切った!」と言ったのだろうと推測し,自分のノートに「カヴァガイ---ウサギ」というメモを残すだろう.これが私たちの通常の翻訳作業ではなかろうか.しかし,そうであるならば,「ウサギ」という表現は「ガヴァガイ」という表現の唯一正しい翻訳とは言えないかもしれない.なぜなら,ウサギを横切るのを見たとき,私たち日本人は「ウサギだ!」あるいは「ウサギが横切った!」と言いたくなるかもしれないが,現地の人もまたそうだとは断言できないからである.彼/彼女らは,たとえば,そのような場合,「ウサギ場面!」とか「ウサギの分離されていない部分!」と言っているのかもしれない.
 この事態は情報が不十分ということから起こっているわけではない.たとえば,どれが「ガヴァガイ!」の正しい翻訳であるかを決めるためにさらに観察を重ねたとしても,何ら事態は改善されないのである.というのは,新たにウサギを横切るのを見,そのとき現地の人が「ガヴァガイ!」と叫ぶのを見るとき,それは,一方の翻訳を支持する人---Aさん---にとっては「ウサギだ!」と訳すべきだということの証拠とされるが,他方の翻訳を支持する人---Bさん---にとっては「ウサギ場面だ!」と訳すべきだということの証拠とされるからである.
 「一羽の」の訳すべき現地語---それを「M」としよう---と「ガヴァガイ」が組み合わされて使用されるのを観察すれば,「ガヴァガイ」が(「ウサギ場面」ではなく)「ウサギ」と訳されるべきことであることがわかる,と言われるかもしれない.しかし,そのためめには「M」が「一羽の」と訳されるとういことが確定していなければならない.ところが,その M の翻訳においても,「ガヴァガイ」と同じように,複数の翻訳がありうる.つまり,「M ガヴァガイ」は A さんにとっては「一羽のウサギ」と訳されるべきかもしれないが,B さんにとっては「ウサギ場面」という表現を含むかなり複雑な表現に翻訳されるべきかもしれないのであり,このいずれが正しいのかを何らかの観察によって決めることはできないのである.
 以上の点は次のようにまとめることができる.すなわち,

「ある言語を別の言語に翻訳するための手引きには,種々の異なるものがありえ,しかも,いずれの手引きも言語性向全体とは両立するものの,それらの手引きどうしは互いに両立しえないということがありうる」.


 同床異夢と言いましょうか,よくおじいちゃんとおばあちゃんの会話などで,はたから聞いていると明らかにかみ合っていないのに,本人たちは互いにコミュニケーションが取れていると思い込んでいるように見えるケースがありますが,あれに近いのでしょうかね.
 「ガヴァガイ」問題については,心理言語学の観点から「#920. The Gavagai problem」 ([2011-11-03-1]) でも論じていますので,そちらも補足としてご覧ください.

 ・ 服部 裕幸 『言語哲学入門』 勁草書房,2003年.

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2022-01-26 Wed

#4657. 翻訳の不確定性 [philosophy_of_language][translation][semantics][terminology]

 意味は存在するのか,という言語哲学 (philosophy_of_language) 上の問題がある.素人考えでは,もちろん存在していると思うわけだが,犬や石が存在するのと同じように存在しているのかと問われると自信がなくなってくる.(普通の感覚では)犬や石は確かに客観的に存在しているように思われる.しかし,意味も同じような客観性をもって存在しているといえるのだろうか.意味とは,存在するにしても,あくまで主観的にのみ存在しているものなのではないか.もしそうだとすると,つまり客観的な意味というものが存在しないとすると,驚くべき結論が導かれることになる.ここからは,服部 (94--95) を引用しよう.

もし客観的対象としての意味が存在しないとしてみよう.すると,「正しい翻訳が唯一定まる」ということが意味をなさなくなるのである.この点を以下で説明しよう.
 翻訳とは,異なる言語の間で意味が同じ表現同士を対応させることである.私たちは通常,客観的対象としての意味が存在すると考えていて,一方の言語に属する表現 A がある場合,それが表す意味 m があって,その m を表すもう一方の言語に属する表現 B (があればそれ)を A に対応させると,A は正しく(B に)翻訳された,と考えてはいないだろうか.もし m を表さない表現 C を A に対応させれば,その翻訳は誤りとされるのである〔後略〕.
 ところが,〔中略〕m や n に相当するものが存在しないとすれば,どのようにして B が A の正しい翻訳であり,C はそうでないと主張したらよいのだろうか.さまざまな会話状況において円滑なやりとりが可能となるかどうか,といったことを目安に「翻訳の正しさ」を決めるということはありうるが,そのような基準をとったときに正しい翻訳が唯一定まる保証はどこにもない.かくして,翻訳の不確定性が生じることになる.


 これは,アメリカの哲学者 Willard van Orman Quine (1908--2000) が Word and Object (1960) で主張した翻訳の不確定性 (indeterminacy of translation) と呼ばれる現象を,かみ砕いて説明したものである.翻訳の不確定性を巡っては,生成文法を唱えた Noam Chomsky (1928--) との間で後に論争が繰り広げられたこともよく知られている.
 関連して「#920. The Gavagai problem」 ([2011-11-03-1]) を参照.

 ・ 服部 裕幸 『言語哲学入門』 勁草書房,2003年.

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2022-01-23 Sun

#4654. either は片方なのか両方なのか問題 [sobokunagimon][pronoun][adjective][dual][logic][semantics][contronym][khelf]

 一昨日の記事「#4652. any が「どんな?でも」を表わせるように either は「いずれの?でも」を表わせる」 ([2022-01-21-1]) でもすでに取り上げましたが,標記は目下私のゼミを中心とする khelf (= Keio History of the English Language Forum) メンバーの間で熱い議論の対象となっている問題です.
 either は,2者のうちのいずれかを選ぶ「片方」の意味を表わすというイメージが強いと思いますが,実は「両方」の意味を表わすケースもあるという問題です.一種の contronym の例といえます.
 『コンパスローズ英和辞典』の either より,それぞれに対応する語義1と語義2を引用しましょう.

--- (形)[単数形の名詞につけて]
(1) (2つ[2人]のうち)どちらか(一方)の;どちらの…でも,どちらでも任意の
   Take either apple.|どちらかのりんごを取りなさい
   You may invite either boy.|どちらの少年を招待しても結構です.
. . . .
(3) どちらの…も,両方の
   There was a chair at either end of the long table.|長いテーブルの両端にそれぞれいすが置かれていた.

(語法)3の意味では特に side, end, hand など対を表わす名詞と用いるが, 次の例のように both(+複数名詞)や each(+単数名詞)を用いることも多い.both は「両方」を同時にまとめて,either, each は「片方」 ずつそれぞれを個別に捉える感じとなる
   There were chairs at both ends of the long table.
   There was a chair at each end of the long table.


 either A or B という高頻度の相関表現がありますし,一般には (1) こそが either の原義だと捉えられていると思いますが,歴史的にみれば驚くことに (3) のほうが古いのです.OED によれば,(3) は古英語から普通に見られる語義ですが,(1) は中英語後期になってようやく現われる新参語義です.
 どうしてこんなことになってしまったのでしょうか.よく似た形態の outher という語とややこしい関係に陥ってしまったという事情があるようです.関連して「#945. either の2つの発音」 ([2011-11-28-1]) もご参照ください.

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2022-01-22 Sat

#4653. 可算名詞と不可算名詞の区別は近代英語期にかけて生じた [noun][countability][semantics][sobokunagimon][article][hc][category]

 先日「#4649. 可算名詞と不可算名詞の区別はいつ生まれたのか?」 ([2022-01-18-1]) の記事を投稿したところ,読者の方より関連する論文がある,ということで教えていただきました.私の寡聞にして存じあげなかった Toyota 論文です.たいへんありがたいことです.早速読んでみました.
 論文の主旨は非常に明快です.Toyota (118) の冒頭より,論文を要約している文章を引用します.

Our main question is about how the distinction between mass and count nouns evolved. Earlier English surprisingly has a relatively poor counting system, the distinction between count and mass nouns not being clear. This poor distinction in earlier English has developed into a new systems of considering certain referents as mass nouns, and these referents came to be counted differently from those considered as count nouns. There are various changes involved in this development, and it is possible that factors like language contact caused the change. This view is challenged, asking whether other possibilities, such as a change in human cognition and the world-view of speakers, also affected this development.


 同論文によれば,古英語から初期中英語までは,可算性 (countability) に関する区別は明確にはなかったということです(その種のようなものはあったのですが).これは,可算性の区別をつけていなかったと考えられる印欧祖語の特徴の継承・残存と考えてよさそうです.
 ところが,後期中英語から,とりわけ初期近代英語期にかけて,突如として現代に通じる可算性の区別がつけられるようになってきました.背景には,すでに可算性の区別を獲得していたラテン語やフランス語からの影響が考えられますが,それだけでは比較的短い期間内に明確な区別が生じた事実を十分には説明できません.そこで,言語接触により触発された可能性は認めつつも,内発的に英語における「世界観」(弱めにいえば「名詞の分節基準」ほどでしょうか)が変化したのではないか,と Toyota は提言しています.
 Helsinki Corpus による経験的な調査として注目に値します.仮説として立てられた「世界観」の変化を実証するにはクリアしなければならない問題がまだ多くあるように思いましたが,それでも,たいへん理解しやすい野心的な試みとして読むことができました.私も,俄然この問題に関心が湧いてきました.

 ・ Toyota, Junichi. "When the Mass Was Counted: English as Classifier and Non-Classifier Language." SKASE Journal of Theoretical Linguistics 6.1 (2009): 118--30. Available online at http://www.skase.sk/Volumes/JTL13/pdf_doc/07.pdf .

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2022-01-21 Fri

#4652. any が「どんな?でも」を表わせるように either は「いずれの?でも」を表わせる [pronoun][adjective][assertion][dual][logic][semantics][contronym]

 Any child can do that. という文は「どんな子供でもそれができる」の意を表わします.力点の置き方は異なりますが,基本的な意味としては All children can do that. とおよそ同等です.
 平行的な例を挙げます.Either way will do. という文は「いずれのやり方でもうまく行きます」の意を表わします.力点の置き方は異なりますが,基本的な意味としては Both ways will do . とおよそ同等です.
 特に2つめの eitherboth を用いた例文ペアが同義で用いられ得るというのは,なかなかの驚きではないでしょうか.というのは,私たちは either (A or B) と both (A and B) は対義表現であると信じ込まされてきたからです.しかし,この2つは文脈によってはむしろ類義表現というべきものになり得るのです.
 either は,一般には2つあるものの「いずれか」「片一方」を意味すると理解されていますが,実は「いずれの○○でも(よい)」という関連する語義からは「○○の両方であっても(よい)」の解釈が生じ得ます.論理学の喩えでいえば,or には「排他的選言」 (exclusive disjunction) と「非排他的選言」 (inclusive disjunction) の両義があることに相当するでしょうか.
 ということで,多少のニュアンスの違いはありながらも,eitherboth でパラフレーズできてしまうケースがあるのです.例えば,次の例を参照.

 ・ Unfortunately I was sitting at the table with smokers on either side of me.
 ・ Unfortunately I was sitting at the table with smokers on both sides of me.

 この either vs both の意味論的緊張関係は,any vs all の緊張関係とパラレルです.前者は2つのものについて,後者は3つ以上のものについて,という違いがあるだけです (cf. Quirk et al. §6.61).言い換えれば,前者は意味論的に両数あるいは双数 (dual) の性質をもっているということです.
 印欧語の数カテゴリーの重要なメンバーだった両数は,英語にも化石的な形ではありますが,所々に痕跡を残しています.both, either, neither, other, whether など -er をもつものが多いですね (cf. 「#3005. or の語源」 ([2017-07-19-1])) .

 ・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985.

Referrer (Inside): [2022-01-23-1]

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2022-01-18 Tue

#4649. 可算名詞と不可算名詞の区別はいつ生まれたのか? [noun][countability][semantics][sobokunagimon][article][category]

 名詞の可算性 (countability) は現代英語における重要な問題だが,本ブログでまともに扱ったことがなかったことに気づいた.「#4335. 名詞の下位分類」 ([2021-03-10-1]),「#4214. 強意複数 (1)」 ([2020-11-09-1]),「#4215. 強意複数 (2)」 ([2020-11-10-1]),「#2808. Jackendoff の概念意味論」 ([2017-01-03-1]) 辺りで間接的に触れてきた程度である.私自身,この問題について歴史的に向き合ったことがなかったということもある.
 日本語母語話者として英語を学んできて,なぜこの単語は不可算名詞なのか,と疑問を抱いたことは一度や二度ではない.次に挙げる単語は,そのまま数えられそうでいて英語では数えられということになっており,強引に数えたい場合にはいちいち単位を表わす可算名詞を用いた表現にパラフレーズしなければならない.例えば Quirk et al. (§5.9)によると次の通り.

NONCOUNT NOUNCOUNT EQUIVALENT
This is important informationa piece/bit/word of information
Have you any news?a piece/a bit/an item of good news
a lot of abusea term/word of abuse
some good advicea piece/word of good advice
warm applausea round of applause
How's business?a piece/bit of business
There is evidence that . . .a piece of evidence
expensive furniturea piece/an article/a suite of furniture
The interest is only 5 percent.a (low) rate of interest
What (bad/good) luck!a piece of (bad/good) luck


 英語史の観点からの興味は,可算名詞と不可算名詞の区別がいつ頃生まれたのかということである.意味論的には,名詞の可算性の区別そのものは古英語期にもあったのだろうか.あくまで形式的にいえば,名詞の可算性が顕在化するのは,主として不定冠詞の用法が発達してからのことだろう.不定冠詞が厳密にいつ確立したかは議論のあるところだが,「#2144. 冠詞の発達と機能範疇の創発」 ([2015-03-11-1]) で見たように中英語期以降であることは認めてよいだろう.それ以降は,不定冠詞が付くことができれば可算名詞であり,付くことができなければ不可算名詞であると判定し得るので,調査のしようがあるように思われる.では,上記の単語はその当初から不可算名詞だったのだろうか.そして,単位(可算)名詞を伴う表現もその当初からあったのだろうか.あるいは,可算・不可算の区別自体が,それ以降,徐々に発達してきたものなのだろうか.
 名詞の可算性の顕在化は,主に付随する不定冠詞の有無によって判定し得ると述べたが,それ以外の形式的な判定基準もあるかもしれない.例えば「#2697. fewa few の意味の差」 ([2016-09-14-1]),「#3051. 「less + 複数名詞」はダメ?」 ([2017-09-03-1]),「#3052. そのような用法は昔からあった,だから何?」 ([2017-09-04-1]),「#2035. 可算名詞は he,不可算名詞は it で受けるイングランド南西方言」 ([2014-11-22-1]) で取り上げたような議論も関連してくるのではないか.
 本格的に調べたことがないので,現時点で私に言えることはないが,少しずつ追いかけてみようと思う.

 ・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985.

Referrer (Inside): [2022-01-22-1] [2022-01-19-1]

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2021-12-31 Fri

#4631. Oxford Bibliographies による意味・語用変化研究の概要 [hel_education][history_of_linguistics][bibliography][semantic_change][semantics][pragmatics]

 分野別に整理された書誌を専門家が定期的にアップデートしつつ紹介してくれる Oxford Bibliographies より,"Semantic-Pragmatic Change" の項目を参照した(すべてを読むにはサブスクライブが必要).この分野の重鎮といえる Elizabeth Closs Traugott による選で,最新の更新は2020年12月8日となっている.副題に "Your Best Research Starts Here" とあり入門的書誌を予想するかもしれないが,実際には専門的な図書や論文も多く含まれている.  *
 今回はそのイントロを引用し,この分野の研究のあらましを紹介するにとどめる.

Semantic change is the subfield of historical linguistics that investigates changes in sense. In 1892, the German philosopher Gottlob Frege argued that, although they refer to the same person, Jocasta and Oedipus's mother, are not equivalent because they cannot be substituted for each other in some contexts; they have different "senses" or "values." In contemporary linguistics, most researchers agree that words do not "have" meanings. Rather, words are assigned meanings by speakers and hearers in the context of use. These contexts of use are pragmatic. Therefore, semantic change cannot be understood without reference to pragmatics. It is usually assumed that language-internal pragmatic processes are universal and do not themselves change. What changes is the extent to which the processes are activated at different times, in different contexts, in different communities, and to which they shape semantic and grammatical change. Many linguists distinguish semantic change from change in "lexis" (vocabulary development, often in cultural contexts), although there is inevitably some overlap between the two. Semantic changes occur when speakers attribute new meanings to extant expressions. Changes in lexis occur when speakers add new words to the inventory, e.g., by coinage ("affluenza," a blend of affluent and influenza), or borrowing ("sushi"). Linguists also distinguish organizing principles in research. Starting with the form of a word or phrase and charting changes in the meanings of that the word or phrase is known as ???semasiology???; this is the organizing principle for most historical dictionaries. Starting with a concept and investigating which different expressions can express it is known as ???onomasiology???; this is the organizing principle for thesauruses.


 意味・語用変化の私家版の書誌としては,3ヶ月ほど前に「#4544. 英単語の意味変化と意味論を研究しようと思った際の取っ掛かり書誌(改訂版)」 ([2021-10-05-1]) を挙げたので,そちらも参照されたい.
 皆様,今年も「hellog?英語史ブログ」のお付き合い,ありがとうございました.よいお年をお迎えください.

Referrer (Inside): [2022-04-21-1]

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2021-12-16 Thu

#4616. 形容詞の原級と比較級を巡る意味論 [adjective][semantics][comparison]

 形容詞の原級 (positive degree) と比較級 (comparative degree) の意味論的な関係は一見すると自明のようにみえる.以下の (1) と (2) を比べてみよう.

 (1) John is tall.
 (2) John is taller than Peter.

 原級を用いた基本的な文 (1) から,比較級を用いた応用的な文 (2) が二次的に派生されたかのようにみえる.しかし,事はそう簡単ではない.(1) はジョンは文句なしに背の高いことが含意されるが,(2) ではジョンはピーターより長身だが,二人ともさほど背が高くないケースにも使える.換言すれば,(1) の主題はジョンの絶対的身長であるのに対し,(2) の主題はジョンの相対的身長である.(2) は (1) から単純に派生されたものではなさそうだ.
 次に,形容詞 tall の原級の意味に注目してみよう.上で (1) はジョンの絶対的身長を主題としていると述べたが,よく考えてみると,これも疑わしい.というのは,「背が高い」という性質は絶対的に規定されるものではなく,あくまで相対的に規定されるものだからだ.(1) が意味していることは,ジョンが平均的な人(あるいは大多数の人)よりも背が高いという事実であり,そこには比較が暗黙裏に持ち込まれているのである.同様に「象は大きい」「ネズミは小さい」も,それぞれ話者である人間のサイズを暗黙の基準としており「象は(人間よりも)大きい」「ネズミは(人間よりも)小さい」ほどを含意していると考えられる.
 すると,tall の基本的な意味から taller の応用的な意味が二次的に派生されるというストレートな見方は改めなければならくなる.むしろ逆に taller の意味こそがプリミティヴであり,tall はそこから二次的に派生された意味であると理解しなければならなくなるだろう.まさに逆転の発想だ (Klein 2) .
 しかし,意味論的に taller のほうが tall よりも基本的であるという見方は,直観に著しく反する.英語を含めた多くの言語で形態論的に無標なのは比較級ではなく原級のほうであり,実際「原級」という用語がこのことを示唆している (cf. 「#3843. なぜ形容詞・副詞の「原級」が "positive degree" と呼ばれるのか?」 ([2019-11-04-1])).
 一見して何も問題がなさそうな talltaller を巡る意味論が,思いのほか込み入っていることに気づくだろう.

 ・ Klein, Ewan. "A Semantics for Positive and Comparative Adjectives." Linguistics and Philosophy 4.1 (1980): 1--45.

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2021-11-14 Sun

#4584. or が表わす3種の意味 [pragmatics][semantics][speech_act][cognitive_linguistics][performative_hypothesis][conjunction][conceptual_metaphor][punctuation]

 「#4569. because が表わす3種の理由」 ([2021-10-30-1]) と「#4575. and が表わす3種の意味」 ([2021-11-05-1]) に引き続き,接続詞 (conjunction) の意外な多義性 (polysemy) に関する第3弾.or という基本的な接続詞にも「現実世界の読み」「認識世界の読み」「発話行為世界の読み」の3種の用法が確認される (Sweetser (93--95)) .

 (1) Every Sunday, John eats pancakes or fried eggs.
 (2) John will be home for Christmas, or I'm much mistaken in his character.
 (3) Have an apple turnover, or would you like a strawberry tart?

 上記 (1) は「現実世界の読み」の例である.or の基本義といってよい論理的な二者択一の例となる.毎日曜日にジョンがパンケーキ,あるいは目玉焼きを食べるという命題だが,現実にはたまたまある日曜日にパンケーキと目玉焼きをともに食べたとしても,特に矛盾しているとは感じられないだろう.ただし,毎日曜日に必ず両者を食べるという場合には,or の使用は不適切である.
 (2) は「認識世界の読み」となる.話者はジョンがクリスマスに帰ってくることを確実であると「認識」している.もしそうでなかったら,話者はジョンの性格を大きく誤解していることになるだろう.文の主旨は,ジョンの帰宅それ自体というよりも,それに関する話者の確信の表明にある.
 (3) は「発話行為世界の読み」の例となる.話者はアップルパイかイチゴタルトを勧めるという発話行為を行なっている.いずれかを選ぶように迫っている点で,一見すると論理的な二者択一のようにもみえるかもしれないが,そもそも or で結ばれた2つの節は何らかの命題を述べているわけではない.形式としては命令文,疑問文で表現されていることから分かるとおり,勧誘という発話行為(=勧誘)が行なわれているのである.
 or の多義性について上記のような観点から考えたことはなかったので,とても興味深い.

 ・ Sweetser, E. From Etymology to Pragmatics. Cambridge: CUP, 1990.

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2021-11-09 Tue

#4579. 複数形になると意味が変わる名詞 [plural][number][noun][semantics][homonymy][polysemy]

 『英語便利辞典』をペラペラとめくっていたら「単数と複数で意味の異なる名詞」のページ (p. 473) を発見.知らないものも多かったので,改めて英語の名詞の単複というのは難しいなと思った次第.例えば glass は「ガラス」だけれど,glasses は「眼鏡」というタイプ.

(1) 名詞の複数形が単数形の意味に加えて別の意味をもつもの

appearance出現appearances状況
armarms武器,兵器
bonebones骨格
brainbrains知力
chainchains束縛
colorcolors軍旗
compass羅針盤compassコンパス
custom習慣customs関税,税関
future未来futures(商品・為替)先物
letter文字,手紙letters文学
line行,線lines詩句
manner方法manners作法
mountainmountains山脈
numbernumbers韻文
oiloils油絵
part部分parts才能
quarter四分の一quarters宿舎
spectacle光景spectacles眼鏡
teartears悲嘆
term期間,学期terms条件


(2) 名詞の複数形が単数形の意味とは全く別の意味しかもたないもの

accomplishment成就accomplishments芸能
advice忠告advices報告
air空気airs気取り
arrangement配列,整頓arrangements手配,準備
attention注意attentions求愛
authority権威authorities当局
charge管理,世話charges料金
clothcloths衣服
coppercoppers小銭
damage損害damages損害賠償(額・金)
direction指導,指揮directions指図
forceforces軍勢
glassガラスglasses眼鏡
good????????????goods??????
ground地面grounds構内
height蕭????heights蕭????
humanity人間性humanities人文科学
instruction教えることinstructions指図
look見ることlooks容貌
need必要性needs必要品
pain苦痛pains骨折
physic医薬physics物理学
powerpowers列強,体[知]力
sale販売sales売上高
sandsands砂州
saving拙訳savings預貯金
security安全securities証券
spirit精神spirits火酒
timetimes時代
waterwaters領海,水域
wood木材woods
work仕事works工場


 これらの例において複数形は事実上語彙化しているのだろう.多義語というよりも同音異義語に近いということだ.
 関連して「#4214. 強意複数 (1)」 ([2020-11-09-1]),「#4215. 強意複数 (2)」 ([2020-11-10-1]),「#1169. 抽象名詞としての news」 ([2012-07-09-1]) を参照.

 ・ 小学館外国語辞典編集部(編) 『英語便利辞典』 小学館,2006年.

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2021-11-05 Fri

#4575. and が表わす3種の意味 [pragmatics][semantics][speech_act][cognitive_linguistics][performative_hypothesis][conjunction][conceptual_metaphor][iconicity][punctuation]

 「#4569. because が表わす3種の理由」 ([2021-10-30-1]) でみたように,because という1つの接続詞に「現実世界の読み」「認識世界の読み」「発話行為世界の読み」の3種があり,英語話者はそれらを半ば無意識に使い分けていることをみた.3つの世界の間を自由自在に行き来しながら,同一の接続詞を使いこなしているのである.
 まったく同じことが,さらに基本的な接続詞である and についてもいえるという.Sweetser (87--89) より,3つの世界の読みを表わす例文を引用しよう.

 (1a) John eats apples and pears.
 (1b) John took off his shoes and jumped in the pool.
 (2) Why don't you want me to take basketweaving again this quarter?
  Answer: Well, Mary got an MA in basketweaving, and she joined a religious cult. (...so you might go the same way if you take basketweaving).
 (3) Thank you, Mr Lloyd, and please just close the door as you go out.

 (1a) と (1b) は,and の最も普通の解釈である「現実世界の読み」となる例文である.(1a) と (1b) の違いは,前者はリンゴと梨を単純に接続しており,通常の読みでは順序を反転させても現実の命題に影響を与えないのに対して,後者は and で結ばれている2つの節の順序が重要となる点だ.(1b) においては,ジョンは靴を脱いだ後にプールに飛び込んだのであり,プールに飛び込んだ後に靴を脱いだのではない.この and は,時間・順序の観点から現実と言語の間の図像性 (iconicity) を体言しているといえる.だが,現実世界における何らかの接続が and によって示されている点は,両例文に共通している.
 (2) では,答えの文においてコンマに続く and が現われている.メアリーは楽ちん分野の修士号を取り,(私が考えるところでは,それが原因となって)カルト宗教団体に入団した,という読みとなる.メアリーは楽ちん分野の修士号を取り,その後でカルト宗教団体に入団した,という時間的順序は,確かに (1b) と同様に含意されるが,ここでは時間的順序に焦点が当てられているわけではない.むしろ,話者が2つの節の間に因果関係をみていることが焦点化されている.話者は(コンマ付き) and により認識上のロジックを表現しているのだ.
 (3) では,感謝と依頼という2つの発話行為 (speech_act) が and (やはりコンマ付き)で結びつけられている.ここでは現実世界や認識世界における何らかの接続が言語化されているわけではなく,あくまで発話行為の接続が表わされている.

 前回の because のケースに比べると,and の「3つの世界の読み」の区別は少々分かりにくいところがあるように思われるが,それぞれ and の「意味」が異なっていることは感じられるのではないか.Sweetser の狙いは,1つの接続詞で「3つの世界の読み」をまかなえることを because だけではなく and でも例証することによって,この分析の有効性を高めたいというところにあるのだろう.

 ・ Sweetser, E. From Etymology to Pragmatics. Cambridge: CUP, 1990.

Referrer (Inside): [2021-11-14-1]

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2021-10-30 Sat

#4569. because が表わす3種の理由 [pragmatics][semantics][speech_act][cognitive_linguistics][performative_hypothesis][conjunction][conceptual_metaphor]

 because は理由を表わすもっとも普通の接続詞だが,具体的な用例を観察してみると,そこに表わされている理由の種類にも様々なものがあることが分かる.ここで因果関係の哲学に入り込むつもりはないが,語用論や認知言語学の観点に絞って考察してみるだけでも,3種類は区別できそうだ.Sweeter (77) からの例文を挙げよう.

 (1) John came back because he loved her.
 (2) John loved her, because he came back.
 (3) What are you doing tonight, because there's a good movie on.

 3文における because が表わす理由の種類は明らかに異なる.(1) はもっとも普通で,現実世界の因果関係が表わされている.ジョンは彼女のことを愛していた,だからジョンは戻ってきたのだ.これを仮に「現実世界の読み」と呼んでおこう.
 しかし,(2) の because の役割は,現実世界の因果関係を表わしているわけではない.ジョンが戻ってきた,そのことが理由でジョンが彼女を愛するようになったという読みは成り立たない.この文の言わんとするところは,ジョンが戻ってきた,そのことを根拠としてジョンが彼女を愛していたのだと話者が悟った,ということだ.because 節は,話者がジョンの愛を結論づける根拠となっている.この趣旨でもとの文を拡張すれば,"I conclude that John loved her, because he came back." ほどとなろうか.これを仮に「認識世界の読み」と呼んでおこう.
 (3) は,主節が命題を表わす平叙文ですらなく疑問文なので,because が何らかの命題に対する理由であると解釈することは不可能だ.そうではなく,「今晩何してる?」と私が尋ねている理由は,いい映画が上映されているからであり,映画に誘おうと思っているからだ.もとの文を拡張すれば,"I am asking you what you are doing tonight, because there's a good movie on." ほどとなる.主節が表わす発話行為 (speech_act) を行なっている理由が because 以下で示されているわけだ.これを仮に「発話行為世界の読み」と呼んでおこう.
 3文において because 節が何らかの理由を表わしているとはいっても,その理由が属する世界に応じて「現実世界の読み」「認識世界の読み」「発話行為世界の読み」と各々異なるのである.3つのパラレルワールドがあると考えてよいだろう.because は3つの世界を股にかけて活躍している接続詞であり,この語を混乱せずに使いこなしている話者もまた3つの世界を股にかけて言語生活を営んでいるのである.

 ・ Sweetser, E. From Etymology to Pragmatics. Cambridge: CUP, 1990.

Referrer (Inside): [2021-11-14-1] [2021-11-05-1]

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2021-10-16 Sat

#4555. 対立する形式意味論と認知意味論 [semantics][cognitive_linguistics][history_of_linguistics]

 意味論 (semantics) と一口にいっても,様々なとらえ方がある.そして,学界にも派閥がある.学問名 semantics の複数形の -sは,その点でふさわしいともいえる.
 大きく2つの派閥に分けるならば,伝統的な形式意味論(構造主義意味論を含む)か,1970年代後半に興った新しい認知意味論かとなる.これは,一般言語学でいうところの構造主義・生成文法と認知言語学の対立になぞらえることもできるだろう.
 Sweetser (12) が意味論の2つの派閥の対立について,分かりやすく記述している.

Recent work in linguistics has tended to view semantics in one of two divergent ways: either meaning is a potentially mathematiziable or formalizable domain (if only we could find the right primes or premises for the mathematical analysis), or meaning is a morass of culturally and historically idiosyncratic facts from which one can salvage occasional linguistic regularities. Those who do the former kind of semantics have frequently been eager to separate linguistic meaning from general human cognition and experience, and to keep linguistic "levels" 'syntax vs semantics vs pragmatics) distinct from one another; formalization is presumed to be easier if the domain can be successfully delimited. Semanticists of the latter sort, on the other hand, are often quite ready to accept the direct influence of experience or cognition on meaning-structures, but find it hard to see how such meaning-structures could be formalized: how can airtight generalizations be made about experience-shaped semantics, when experience itself is so varied and so far from currently being described by any complete formal analysis?


 確かに対立の構図とはなっているが,伝統的意味論と新興の意味論の各々には長所もあれば短所もある.相互補完的にみておくのがよさそうだ.関連して「#1686. 言語学的意味論の略史」 ([2013-12-08-1]) も参照.

 ・ イレーヌ・タンバ 著,大島 弘子 訳 『[新版]意味論』 白水社〈文庫クセジュ〉,2013年.
 ・ Sweetser, E. From Etymology to Pragmatics. Cambridge: CUP, 1990.

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2021-10-09 Sat

#4548. 比喩と意味借用の関係 [metaphor][semantic_borrowing][semiotics][semantic_change][semantics][polysemy]

 語の意味変化に関して Williams を読んでいて,なるほどと思ったことがある.これまであまり結びつけてきたこともなかった2つの概念の関係について考えさせられたのである.比喩 (metaphor) と意味借用 (semantic_borrowing) が,ある点において反対ではあるが,ある点において共通しているというおもしろい関係にあるということだ.
 比喩というのは,既存の語の意味を,何らかの意味的な接点を足がかりにして,別の領域 (domain) に持ち込んで応用する過程である.一方,意味借用というのは,既存の語の形式に注目し,他言語でそれと類似した形式の語がある場合に,その他言語での語の意味を取り込む過程である.
 だいぶん異なる過程のように思われるが,共通点がある.記号論的にいえば,いずれも既存の記号の能記 (signifiant) はそのままに,所記 (signifié) を応用的に拡張する作用といえるのである.結果として,旧義と新義が落ち着いて共存することもあれば,新義が旧義を追い出すこともあるが,およその傾向はありそうだ.比喩の場合にはたいてい旧義も保持されて多義 (polysemy) に帰結するだろう.一方,意味借用の場合にはたいてい旧義はいずれ破棄されて,結果として語義置換 (semantic replacement) が生じたことになるだろう.
 動機づけについていえば,比喩は主にオリジナリティあふれる意味上の関連づけに依存しているが,意味借用はたまたま他言語で似た形式だったことによる関連づけであり,オリジナリティの点では劣る.
 上記のインスピレーションを得ることになった Williams (193) の文章を引用しておきたい.

Semantic Replacement
   In our linguistic history, there have been cases in which the reverse of metaphor occurred. Instead of borrowing a foreign word for a new semantic space, late OE speakers transferred certain Danish meanings to English words which phonologically resembled the Danish words and shared some semantic space with them. The native English word dream, meaning to make a joyful noise, for example, was probably close enough to the Scandinavian word draumr, or sleep vision, to take on the Danish meaning, driving out the English meaning. The same may have happened with the words bread (originally meaning fragment); and dwell (OE meaning: to hinder or lead astray).


 引用中で話題となっている意味借用の伝統的な例としての dream, bread, dwell については「#2149. 意味借用」 ([2015-03-16-1]) を参照.とりわけ bread については「#2692. 古ノルド語借用語に関する Gersum Project」 ([2016-09-09-1]) を参照されたい.

 ・ Williams, Joseph M. Origins of the English Language: A Social and Linguistic History. New York: Free P, 1975.

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2021-10-05 Tue

#4544. 英単語の意味変化と意味論を研究しようと思った際の取っ掛かり書誌(改訂版) [semantic_change][semantics][bibliography][lexicology][htoed]

 今年の初めに「#4289. 英単語の意味変化と意味論を研究しようと思った際の取っ掛かり書誌」 ([2021-01-23-1]) という記事をポストしました.今週から本格的に動き出した今年度後期は,英語史関連のいくつかの授業で「英単語の意味変化」を主たるテーマとして掲げることにしています.そこで取っ掛かり書誌の改訂版を作成しました.いくつかの文献を新たに加え,一言コメントも付しました.種別ごとに,お勧め順で並べてみました.本ブログから semantic_changesemantics もどうぞ.今後も随時この書誌に追加していきたいと思っています.

[ 通時的な関心のために --- 英単語の意味変化についてのお薦め書誌 ]

 ・ 寺澤 盾 「第7章 意味の変化」『英語の意味』 池上 嘉彦(編),大修館,1996年.113--34頁.(まずはこちらから,という手始めの1章です)
 ・ 寺澤 盾 『英単語の世界 --- 多義語と意味変化から見る』 中央公論新社〈中公新書〉,2016年.(まずはこちらから,という手始めの1冊です)
 ・ 堀田 隆一 「第8章 意味変化・語用論の変化」『歴史言語学』朝倉日英対照言語学シリーズ[発展編]3 服部 義弘・児馬 修(編),朝倉書店.151--69頁.(cf. 「#3283. 『歴史言語学』朝倉日英対照言語学シリーズ[発展編]が出版されました」 ([2018-04-23-1]))
 ・ 松浪 有(編),小川 浩・小倉 美知子・児馬 修・浦田 和幸・本名 信行(著) 『英語の歴史』 大修館書店,1995年.(pp. 98--107 にコンパクトが意味変化概論があります)
 ・ 松浪 有・池上 嘉彦・今井 邦彦(編) 『大修館英語学事典』 大修館書店,1983年.(英語学事典より pp. 765--80 が意味変化の概論となっています)

 ・ Williams, Joseph M. Origins of the English Language: A Social and Linguistic History. New York: Free P, 1975. (pp. 153--93 が意味変化論として非常によく書けています)
 ・ Algeo, John, and Thomas Pyles. "Words and Meanings." Chapter 10 of The Origins and Development of the English Language. 5th ed. Boston: Thomson Wadsworth, 2005. 227--44.(よく読まれている英語史概説書の1章より,よく書けた意味変化の概論です)
 ・ Bloomfield, Leonard. "Semantic Change." Chapter 24 of Language. 1933. Chicago and London: U of Chicago P, 1984. 425--43.(言語学の古典的名著の1章で,読み応えがあります)

 ・ Waldron, R. A. Sense and Sense Development. New York: OUP, 1967.(意味変化の本格的な研究書でよくまとまっています)
 ・ Stern, Gustaf. Meaning and Change of Meaning. Bloomington: Indiana UP, 1931.(意味変化の古典的研究書で,高度に専門的です)
 ・ Ullmann, Stephen. The Principles of Semantics. 2nd ed. Glasgow: Jackson, 1957.(同じく意味(変化)論の古典的名著で,専門的です)
 ・ Meillet, Antoine. "Comment les mots changent de sens." Année sociologique 9 (1906). 1921 ed. Rpt. Dodo P, 2009.(フランスの著名な言語学者による語の意味変化の古典的論考です)

 ・ Room, Adrian, ed. NTC's Dictionary of Changes in Meanings. Lincolnwood: NTC, 1991.(これを手元においておくと便利です.cf. 「#4243. 英単語の意味変化の辞典 --- NTC's Dictionary of Changes in Meanings」 ([2020-12-08-1]))
 ・ Cruse, Alan. A Glossary of Semantics and Pragmatics. Edinburgh: Edinburgh UP, 2006.(意味論・語用論のハンディな用語辞典です)

 ・ Kastovsky, Dieter. "Semantics and Vocabulary." The Beginnings to 1066. Vol. 1 of The Cambridge History of the English Language. Ed. Richard M. Hogg. Cambridge: CUP, 1992. 290--408.(これと下の2件は,権威ある英語史シリーズの各時代における語彙と意味変化の専門的な議論です)
 ・ Burnley, David. "Lexis and Semantics." 1066--1476. Vol. 2 of The Cambridge History of the English Language. Ed. Roger Lass. Cambridge: CUP, 1999. 409--99.
 ・ Nevalainen, Terttu. "Early Modern English Lexis and Semantics." 1476--1776. Vol. 3 of The Cambridge History of the English Language. Ed. Roger Lass. Cambridge: CUP, 1999. 332--458.(とりわけ pp. 433--54 は意味変化の概論ともなっています)

 ・ Kay, Christian and Kathryn Allan. English Historical Semantics. Edinburgh: Edinburgh UP, 2015.(英語の史的意味論の一冊本としては今のところ唯一のもの.HTOED への導入書でもあります.cf. 「#3159. HTOED」 ([2017-12-20-1]))

 ・ Hughes, G. A History of English Words. Oxford: Blackwell, 2000.(意味変化というよりも語彙変化がメインですが,随所に関連する話題があります.読み物としてもおもしろいです.)
 ・ Hughes, G. Words in Time. Oxford: Blackwell, 1988.(上と同じ著者による史的語彙論です)
 ・ Durkin, Philip. Borrowed Words: A History of Loanwords in English. Oxford: OUP, 2014.(史的語彙論,とりわけ借用語の史的語彙論ですが,意味変化の隣接分野でもあります)

 ・ 山中 桂一,原口 庄輔,今西 典子 (編) 『意味論』 研究社英語学文献解題 第7巻.研究社.2005年.(意味変化も含めた専門的な解題書誌です)

 ・ Coleman, Julie. "Using Dictionaries and Thesauruses as Evidence." Chapter 7 of The Oxford Handbook of the History of English. Ed. Terttu Nevalainen and Elizabeth Closs Traugott. New York: OUP, 2012. (歴史辞書を用いた言語変化・意味変化の研究についてのメタな方法論が論じられています.斜めからの視点ですが,かなり貴重です.)

[ 共時的な関心のために --- 意味とは何かを学ぶためのお薦め書誌 ]

 ・ 中野 弘三(編)『意味論』 朝倉書店,2012年.(意味論入門としては,この本から)
 ・ ピエール・ギロー 著,佐藤 信夫 訳 『意味論』 白水社〈文庫クセジュ〉,1990年.(文体論を専門とする著者による意味論概説です)
 ・ イレーヌ・タンバ 著,大島 弘子 訳 『[新版]意味論』 白水社〈文庫クセジュ〉,2013年.(かなり歯ごたえのある本です)

 ・ Hofmann, Th. R. Realms of Meaning. Harlow: Longman, 1993.(英語の読みやすい意味論入門書としてお勧めです)
 ・ Ogden, C. K. and I. A. Richards. The Meaning of Meaning. 1923. San Diego, New York, and London: Harcourt Brace Jovanovich, 1989.(意味論の古典的名著です)
 ・ Saeed, John I. Semantics. 3rd ed. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2009.(比較的新しい意味論の概説書です)

Referrer (Inside): [2021-12-31-1]

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2021-10-04 Mon

#4543. subreption [semantic_change][semantics][terminology]

 語の意味変化の典型的なパターンとして,ある語の意味が技術や文化の発展に伴って変化するというもの例がある.例えば,英語 ship は古英語からある古株の単語だが,当時のへっぽこな船と,中世の帆船と,近代の蒸気船と,現代のコンピュータ搭載の最新鋭の船とでは,指示対象の姿形や性能が大きく異なるにもかかわらず,「水に浮かぶ移動手段」という基本機能の点で同一であるために,同じ ship という名で呼ばれている.ship の意味が変化したといえるのかどうかは微妙だが,指示対象が相当に変化してきたということは認めざるを得ないだろう.この手のタイプは,語の意味変化の議論において,しばしば最初に挙げられるタイプの事例である (cf. 「#1873. Stern による意味変化の7分類」 ([2014-06-13-1]),「#1953. Stern による意味変化の7分類 (2)」 ([2014-09-01-1])).
 Stern はこの種の意味変化を "substitution" と呼んでいる.一方,今回調べるなかで初めて知ったのだが,Pearce (183--84) によると,"subreption" という術語も用意されているようだ.

Subreption A process of semantic change in which objects, entities, social roles, concepts, institutions and so on change over time, but the words for them remain the same. Take, for example, the phrase 'the driver of the car looked at the dashboard'. The emphasized words have their English origins at a time when all wheeled vehicles were powered by horses: the original meaning of drive (a meaning which it still retains) was 'to force to move before one' (which is what a 'driver' did with horses); car is derived from an earlier word meaning 'chariot', and dashboard originally referred to the wooden board located at the fron of a horse-drawn carriage to prevent objects kicked up by the horses' hooves from hitting the driver.


 subreption は通常は「虚偽申請」を意味する法律用語である.普通の辞書では詳しく載っていないほどの専門用語である.OED を引いてみると,言語学用語としては掲載されていないようだ.第1語義は "Misrepresentation or suppression of the truth or facts; an act or instance of this." にとどまる.
 語の意味変化に関して何がどう「虚偽申請」なのかと考えたのだが,こういうことだろうか.例えば,上の引用にもある dashboard は,本来は「馬車馬によって跳ね飛ばされた泥をよける板」ほどの意味だが,それを基準とすると,現在の普通の意味「自動車・飛行機などの計器盤」は,虚偽とはいわずとも原義が隠蔽されてしまっていることは確かだ.現在の意味は dash + board から常識的に推測される意味から遠く離れてしまっている.そのような意味での「虚偽申請」(大げさな呼び方ではあるが)ということだろうか.
 現代日本語では,下駄ではなく靴を入れているのに,いまだに「下駄箱」ということがある.これも厳密にいえば確かに「虚偽申請」ではある(=突っ込みどころがある)から,subreption の例になるのだろう.

 ・ Stern, Gustaf. Meaning and Change of Meaning. Bloomington: Indiana UP, 1931.
 ・ Pearce, Michael. The Routledge Dictionary of English Language Studies. Abingdon: Routledge, 2007.

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2021-09-29 Wed

#4538. 固有名の地位 [onomastics][toponymy][personal_name][semantics][noun][category][linguistics][semiotics][sign]

 あまりにおもしろそうで,手を出してしまったら身を滅ぼすことになるかもしれないという分野がありますね.私にとって,それは固有名詞学 (onomastics) です.端的にいえば人名や地名の話題です.泥沼にはまり込むことが必至なので必死で避けているのですが,数年に一度,必ずゼミ生がテーマに選ぶのです.たいへん困ります.困ってしまうほど,私にとって磁力が強いのです.
 固有名詞の問題,要するに「名前」の問題ほど,言語学において周辺的な素振りをしていながら,実は本質的な問題はありません.言葉は名前に始まり名前に終わる可能性があるからです (cf. 「#1184. 固有名詞化 (1)」 ([2012-07-24-1]),「#1185. 固有名詞化 (2)」 ([2012-07-25-1]) で触れた "Onymic Reference Default Principle" (ORDP)).
 そもそも固有名詞というのは,言語の一部なのかそうでないのか,というところからして問題になるのが悩ましいですね.タモリさんではありませんが,私が「パリ,リヨン,マルセーユ,ブルゴーニュ」と上手なフランス語の発音で言えたとしても,フランス語がよく話せるということになりません.そもそも地名はフランス語なのかどうなのかという問題があるからです (cf. 「#2979. Chibanian はラテン語?」 ([2017-06-23-1])).
 英語史のハンドブックに,Coates による固有名詞学に関する章がありました.その冒頭の「固有名の地位」と題する1節より,最初の段落を引用します (312) .

The status of proper names
   Names is a technical term for a subset of the nominal expressions of a language which are used for referring ('identifying or selecting in context') and, in some cases, for addressing a partner in communication. Nominal expressions are in general headed by nouns. According to one of the most ancient distinctions in linguistics, nouns may be common or proper, which has something to do with whether they denote a class or an individual (e.g. queen vs Victoria), where individual means a single-member set of any sort, not just a person. Much discussion has taken place about how this distinction should be refined to be both accurate and useful, for instance by addressing the obvious difficulty that a typical proper noun denoting persons may denote many separate individuals who bear it, and that common nouns may refer to individuals by being constructed into phrases (the queen). I will leave the concept [賊proper], applied to nouns, for intuitive or educated recognition before returning to discussion of the inclusive concept of proper names directly. Proper nouns have no inherent semantic content, even when they are homonymous with lexical words (Daisy, Wells), and many, perhaps all, cultures recognise nouns whose sole function is to be proper (Sarah, Ipswich). Typically they have a unique intended referent in a context of utterance. Proper names are the class of such proper nouns included in the class of all expressions which have the properties of being devoid of sense and being used with the intention of achieving unique reference in context. Onomastics is the study of proper names, and concentrates on proper nouns; I shall confine the main subject-matter of this chapter to the institutionalised proper nouns associated with English and, in accordance with ordinary usage, I shall call them proper names or just names. Readers should note that strictly speaking these are a subset of proper names, and from time to time other members of the larger set will be discussed. There is some evidence from aphasiology and cognitive neuropsychology that institutionalised proper nouns --- especially personal names --- form a psychologically real class . . . .


 これだけでおもしろそうと感じた方は,仲間かもしれません.ぜひ章全体を読んでみてください.

 ・ Coates, Richard. "Names." Chapter 6 of A History of the English Language. Ed. Richard Hogg and David Denison. Cambridge: CUP, 2006. 312--51.

Referrer (Inside): [2022-03-22-1]

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