言語学には,方法論上の様々な区分や2項対立がある.ソシュール (Ferdinand de Saussure; 1857--1913) の導入したラング (langue) とパロール (parole) ,形式 (form) と実体 (substance) ,共時態 (synchrony) と通時態 (diachrony) などは著名である(cf. 「#3508. ソシュールの対立概念,3種」 ([2018-12-04-1])).
また,音声学 (phonetics),音韻論 (phonology),形態論 (morphology),統語論 (syntax),意味論 (semantics),語用論 (pragmatics) などの部門も,方法論上の重要な区分である(cf. 「#377. 英語史で話題となりうる分野」 ([2010-05-09-1]),「#378. 語用論は言語理論の基本構成部門か否か」 ([2010-05-10-1]),「#4865. 英語学入門の入門 --- 通信スクーリング「英語学」 Day 1」 ([2022-08-22-1])).
ほかには,個人と社会,話し手と聞き手,話し言葉と書き言葉など,対立項は挙げ始めればキリがないし,歴史言語学でいえば時代区分 (periodisation) も重要な区分である.
重要なのは,これらの区分は言語学の方法論・理論上,意図的に設けられたものにすぎないということだ.現実の言語実態はあまりに複雑なため,研究者はそのまま観察したり分析したりすることができない.そこで,便宜上小分けに区分し,区分された一画をじっくり観察・分析するという研究上の戦略を立てるわけである.そして,小分けにした各々の区画についておおよそ明らかになった暁には,それらをブロックのように組み合わせて最終的に言語というものの総体を理解したい.そのよう壮大な戦略に基づいて,あくまで作業上,様々に区分しているのだ.
この戦略的区分について,古典的英語史 A History of English を著わした Strang が序説に相当する "Synchronic variation and diachronic change" にて,次のように述べている (17) .
Language is human behaviour of immeasurable complexity. Because it is so complex we try to subdivide it for purposes of study; but every subdivision breaks down somewhere, because in practice, in actual usage, language is unified. The levels of phonology, lexis and grammar are interrelated, and so are structure and history. There remains a further dichotomy, implicit in much of our discussion, but not yet looked at in its own right. Language is both individual and social. Acquisition of language takes place in the individual, and we have stressed that he (sic) is an active, even a creative, participant in the process. Yet what he learns from is exposure to the social use of language, and although cases are rare there is reason to think that the individual does not master language if he develops through the relevant stages of infancy without such exposure. And if he does have normal experience of language as a baby the speaker's linguistic creativeness is held on a fairly tight rein by the control of social usage --- he cannot be too idiosyncratic if he is to be understood and accepted. The governing conditions come from society, though executive language acts (speaking, writing, etc.) are made by individuals. Here, too, then, we have not so much a dichotomy as an interplay of factors distinguishable for certain purposes.
なお,私は様々な言語理論も同様に戦略的区分にすぎないと考えている.言語理論Aは,ある言語現象を説明するのには力を発揮するが,すべての言語現象をきれいに説明することはできない.言語理論B,言語理論Cも然りである.後にそれぞれの得意領域を持ち寄り,言語の総体的な理解につなげたい --- それが言語学の戦略なのだろうと考えている.したがって,どの理論をとっても,それが絶対的に正しいとか,間違いということはないと思っている.
・ Strang, Barbara M. H. A History of English. London: Methuen, 1970.
この2日間の「#4839. 英語標準化の様相は1900年を境に変わった」 ([2022-07-27-1]) と「#4840. 「寺澤盾先生との対談 英語の標準化の歴史と未来を考える」in Voicy」 ([2022-07-28-1]) の記事で,『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』(大修館,2022年)の第7章「英語標準化の諸相―20世紀以降を中心に」(寺澤盾先生執筆)を紹介しました(昨日公開した寺澤先生との対談 Voicy はこちらです).
本書の最大の特徴の1つは,他の著者からのコメント(=ツッコミ)です.例えば英語史に関する章の文章に対して,異なる言語の歴史を専門とする方々が,その言語史の知見に基づいて,自由に注を入れていくという形式です.このようにすると,英語史研究者どうしの議論では決して現われてこない視点や発想が,次々と出てきます.同分野では前提とみなされてきた知見が,他分野では前提とされていない,などの気づきが得られます.まさに「対照言語史」 (contrastive_language_history) の真骨頂です.
例えば,第7章に対して寄せられたコメントの一部で,私がインスピレーションを受けたものをいくつか引用して紹介します.まず,英語史の時代区分 (periodisation) に対する,日本語史・田中牧郎氏からのコメントより.
時代の数と時期だけではなく,何に着眼して時代区分を行うかを観察して,英語史と日本語詞を対照して見ることは興味深い課題だろう.(p. 129)
同じく田中氏より,チョーサーが『カンタベリー物語』をフランス語やラテン語ではなく英語で書いたという事実に対するコメントも示唆的です.まさか『土佐日記』と比較し得るとは!
文芸作品を,自国語で書くか外国語・古典語で書くかの選択であるが,日本語では,和文で書くか漢文で書くか,という選択が問題になることがあった.著名な例として,10世紀はじめに,紀貫之が,『土佐日記』を書く際,その冒頭で「男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり」と記し,通常は男性の手によって漢文で書かれる「日記」を,女性も書いてみようとするのだと行って,女性も書いてみようとするのだと言って,女性に仮託して口語体書きことばで書いたことが挙げられる.(p. 135)
ドイツ語史・高田博行氏は,18世紀の規範主義の時代を代表するジョンソン博士が言及されている箇所で次のようにコメントしています.
このあたりも,ドイツ語史と平行的である.18世紀中葉(1748年)にゴットシェートが有力な規範文法を出し,そのあとアーデルングが1770年代に辞書を,1780年代に文法書を出し,これらがオーストリアでも受け入れられることで,ドイツ語標準文章語が確立する.なお,アーデルングの辞書は,ジョンソンから強い影響を受けている.(p. 136)
同じく高田氏は,英語史における標準化のサイクルに対し,次のように反応しています.
このようなサイクルの繰り返しがドイツ語史には見当たらないところが,英独の本質的な違いのように思われる.(p. 137)
上記は,英語史を対照言語史の観点から眺める可能性に気づかせてくれたコメントのほんの一部です.ある物事の特徴は,他と比較して初めて浮き彫りになるということを改めて実感しました.ぜひ本書を手に取ってご覧ください.
近年,インドは国際的に存在感を高めているが,それに伴ってインドで用いられる英語,いわゆるインド英語 (Indian English) への注目も高まってきている.このインド英語には意外と長い歴史がある.少なくみても400年ほどはある.
Sharma (2077--85) は,インド英語の歴史を社会言語学的な観点から緩く4つの時代に区分している.簡単に説明を補いながら以下に示そう.
(1) The early presence of English in India (17th--18th century)
エリザベス1世の統治下の1600年,東インド会社が設立され,イギリスとインドの交易が本格的に始まった.この東インド会社は,1858年のイギリスによる直接統治まで拡大を続けることになる.当初は英語とインドの土着言語との接触は実用的なもので,互いの言語を不完全に習得する程度にとどまった.18世紀からはキリスト教学校が設立され,次第に英語使用がインドの人々の間に広がっていった.
(2) Colonial language ideologies (18th--19th century)
1757年,東インド会社軍がプラッシーの戦いでベンガル軍に勝利し,インドに対するイギリスの支配権が確立した.インドの不満は100年後の1857年にインド大反乱として爆発したが,鎮圧された後,翌1858年からはイギリスによる直接統治が始まった.イギリスには,植民地インドに対して2つの対立するイデオロギーがあった.インド土着の言語や文化を黙認する "Orientalist" と,イギリスの言語や文化によってインドを啓蒙しようとする "Anglicist" とである.Orientalist の立場としては,近代英語学の祖と呼ばれる William Jones などがいた.この立場は18世紀中には優勢だったが,19世紀に入ると Anglicist のイデオロギーが強まってきた.そのピークが1835年の Thomas Macaulay の "Minute on Indian Education" に結実しており,そこでは英語の優越性が明確に宣言された.インド人の知識人のなかにも Rammohun Roy のように Anglicist の立場をとるものがいた(cf. 「#3315. 「ラモハン・ロイ症候群」」 ([2018-05-25-1])).この結果,19世紀中,教育,出版,政治における英語使用が着実に増加した.
(3) English and the Independence movement (19th--20th century)
第1次大戦後,イギリス支配からの独立を目指す民族運動が起こった.英語ではなく土着言語の使用を訴えた Mahatma Gandhi の運動に象徴されるように,反英語のイデオロギーが台頭してきた.国民会議派の指導者で後にインドの初代首相となった Nehru も英語への抵抗を呼びかけた.しかし,1947年に独立が成し遂げられると,現実的な観点からは英語を保持せざるを得ないとの論調が復活してきた.以降,インドでの英語使用は継続してきたが,かつてのようなイギリス標準英語への憧憬をもつインド人は減ってきた.
(4) English in independent India: planning and use (20th century)
少なく見積もって415の言語が用いられているインドでは,複雑な多言語使用の様相がみられる.そのなかで22の言語が地域公用語として認められている.中央政府の言語としてはヒンディー語が公用語として,英語が準公用語として指定されている.独立直後には教育言語としてインドの土着言語が厚遇され,英語も当面は必要悪として保持するものの,いずれは使用されなくなっていくべきものと予期されていた.しかし,現実には土着言語間の政治的軋轢という問題があり,非土着言語として中立的な立場にある英語の使用が止まることはなかった.現在ではヒンディー語が優勢ではあるが,若い世代で英語のバイリンガルも普通となってきており,「インドの土着英語」というとらえ方が広がってきている.
・ Sharma, Devyani. "Second-Language Varieties: English in India." Chapter 132 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 2077--91.
ある言語の体系や正書法を「本来非同期的な複数の時のかたちが一瞬出会った断面」ととらえる見解について,美学者・考古学者のクブラー (George Kubler [1912--96]) を引用・参照しながら「#3911. 言語体系は,本来非同期的な複数の時のかたちが一瞬出会った断面である」 ([2020-01-11-1]) の記事で論じた.また,クブラー流の歴史観・時間観に触発されて,他にも「#3083. 「英語のスペリングは大聖堂のようである」」 ([2017-10-05-1]),「#3874. 「英語の正書法はパリのような大都会である」」 ([2019-12-05-1]),「#3912. (偽の)語源的綴字を肯定的に評価する (1)」 ([2020-01-12-1]),「#3913. (偽の)語源的綴字を肯定的に評価する (2)」 ([2020-01-13-1]) の記事を書いてきた.
今回,クブラーの『時のかたち』を読了し,言語がそのなかで変化していく「時間」について,改めて考えを巡らせた.言語変化の速度 (speed_of_change) や言語史における時代区分 (periodisation) に関してインスピレーションを得た部分が大きいので,関連する部分を備忘録的に引用しておきたい.
物質の空間の占め方がそうであるように,事物の時間の占め方は無限にあるわけではない.時間の占め方の種類を分類することが難しいのは,持続する期間に見合った記述方法を見つけ出すことが難しかったからである.持続を記述しようとしても,出来事を,あらかじめ定められた尺度で計測しているうちに,その記述は出来事の推移とともに変化してしまう.歴史学には定められた周期表もなく,型や種の分類もない.ただ太陽時と,出来事を区分けする旧来の方法が二,三あるのみで,時間の構造についての理論は一切なかったのである.
出来事はすべて独自なのだから分類は不可能だとするような非現実的な考え方をとらず,出来事にはその分類を可能とする原理があると考えれば,そこで分類された出来事は,疎密に変化する秩序を持った時間の一部として群生していることがわかる.この集合体のなかには,後続する個々の出来事によってその要件が変化していくような諸問題に対して,漸進的な解決として結びつく出来事が含まれている.その際,出来事が急速に連続すればそれは密な配列となり,多くの中断を伴う緩慢な連続であれば配列は疎となる.美術史ではときおり,一世代,ときには一個人が,ひとつのシークエンスにとどまらず,一連のシークエンス全体のなかで,多くの新しい地位を獲得することがある.その対極として,目前の課題が,解決されないまま数世代,ときには何世紀にもわたって存続することもある.(189--90)
時代とその長さ
こうして,あらゆる事物はそれぞれに異なった系統年代に起因する特徴を持つだけでなく,事物の置かれた時代がもたらす特徴や外観としてのまとまりをも持った複合体となる.それは生物組織も同様である.哺乳類の場合であれば,その血液と神経は生物史(絶対年代)的な見地での歴史が異なっているし,眼と皮膚というそれぞれの組織はその系統年代と異なっている.
事物の持続期間は絶対年代と系統年代というふたつの基準で計測が可能である.そのために歴史的時間は未来から現在を通過して過去へと続く単純な絶対年代の流れに加えて,系統年代という多数の包皮から構成されているとみなすことができる.この包皮は,いずれも,それが包んでいるその内容によって持続時間が決定されるために,その輪郭は多様なものとなるが,大小の異なった形状の系に容易に分類することができる.誰しも自身の生活のなかの同じ行為の初期のやり方と後期のやり方からなるこのようなパターンの存在を見出すことができるが,ここで,個人の時間における微細な形式にまで立ち入るつもりはない.それらは,ほんの数秒の持続から生涯にわたるものまで,個人のあらゆる経験に見出すことができる.しかし,私たちがここで注目したいのは,人の一生より長く,集合的に持続して複数の人数分の時間を生きている形や形式についてである.そのなかで最小の系は入念につくり上げられた毎年の服装の流行である.それは,現代の商業化された生活では服飾産業によるものであり,産業革命以前には宮廷の儀礼によるものであった.そこではこの流行を着こなすことが外見的に最も確かな上流階級の証しだったのである.一方,全宇宙のような大規模な形のまとめ方はごくわずかである.それらは人類の時間を巨視的にとらえた場合にかすかに思い浮かぶ程度のものである.すなわち,西洋文明,アジア文化,あるいは先史,未開,原始の社会などである.そして最大と最小の中間には,太陽暦や十進法にもとづく慣習的な時間がある.世紀という単位の本当の優位性は,おそらく自然現象にも,またそれが何であれ,人為的な出来事のリズムにも対応していないことになるのかもしれない.その例外は,西暦千年紀が近づいたときに終末論的な雰囲気が人々を襲ったことや,フランス革命中に恐怖政治が行われた一七九〇年代との単なる数値の類似が一八九〇年以降に世紀末の無気力感を引き起こしたことぐらいである.(193--95)
私たちは,〔中略〕時間の流れを繊維の束と想定することができる.それぞれの繊維は,活動のための特定の場として必要に応え,繊維の長さは必要とその問題に対する解決の持続に応じてさまざまである.したがって,文化の束は,出来事という繊維状のさまざまな長さの期間で構成される.その長さはたいてい長いのだが,短いものも多数ある.それらはほとんど偶然によって並べられ,意識的な将来への展望や緻密な計画によって並べられることはめったにないのである.(228)
最後の引用にある比喩を言語に当てはめれば,言語体系とは異なる長さからなる繊維の束の断面であるという見方になる.「言語体系」を,その部分集合である「正書法」「音韻体系」「語彙体系」などと置き換えてもよい.これと関連する最も理解しやすい卑近な例として,数語からなる短い1つの英文を考えてみるとよい.その構成要素である各語の語源(由来や初出年代)は互いに異なっており,体現される音形・綴字や,それらを結びつけている文法規則も,各々歴史的に発展してきたものである.この短文は,異なる長さの時間を歩んできた個々の部品から成り立っており,偶然にこの瞬間に組み合わされて,ある一定の意味を創出しているのである.
・ クブラー,ジョージ(著),中谷 礼仁・田中 伸幸(訳) 『時のかたち 事物の歴史をめぐって』 鹿島出版会,2018年.
英語史の概説書を読んでいると,「古英語」「中英語」「近代英語」などと特定の名前のついた時代区分が至るところに現われる.また「イングランド北部方言」「スコットランド方言」「ニューイングランド方言」などと名付けられた方言区分もよく出てくる.そのような区分名称があまりに自然に頻繁に用いられるために,英語に関して,時間や空間のなかで区切られた,そのような枠 --- 変種 (variety) --- が実際に存在すると思い込んでしまうことが多い.
しかし,言語の変種というものは常にフィクションである.○○英語もフィクションだし,英語それ自体もフィクションである.そして,日本語も然り.それと連動して,時代区分や方言区分もまたフィクションにすぎない.
これらの問題については,「#415. All linguistic varieties are fictions」 ([2010-06-16-1]),「#1373. variety とは何か」 ([2013-01-29-1]),「#2116. 「英語」の虚構性と曖昧性」 ([2015-02-11-1]),「#4123. 等語線と方言領域は方言学上の主観的な構築物である」 ([2020-08-10-1]) などで取り上げてきた.
言語に関するあらゆることがフィクションだと聞くと,狐につままれたようなような気がするかもしれない.しかし,ポイントは簡単だ.言語(変種)は時間的にも少しずつ変化するし,空間的にも少しずつ変異する連続体であり,名称をつけた区域のどこが始まりで,どこが終わりかを正確に指差しすることができないからだ.ここだと指差ししたところの1日手前,あるいは1ミリ手前の点を代わりにとって,そこを始まり/終わりとしてはなぜダメなのか,ということを客観的に示すことができないのである.
中英語の時代区分と方言区分について考察した Laing and Lass が,この問題について簡潔に解説している.まずは時代区分について.
The 'early'/'late' division is largely . . . a matter of convenience. The language of the 12th century and that of the 15th are different enough to justify separate identifying names. But language differences in time, like those in space, form continua: there are no sharp temporal boundaries. With respect to 'archaism' and 'modernness' Middle English before 1300 is certainly 'early' and that after 1350 'late'; the language written between is perhaps 'transitional', but this property exists only by virtue of the strong differences at both ends. (418--19)
次に方言区分について.
There are no such things as dialects. Or rather, 'a dialect' does not exist as a discrete entity. Attempts to delimit a dialect by topographical, political or administrative boundaries ignore the obvious fact that within any such boundaries there will be variation for some features, while other variants will cross the borders. (417)
「言語はフィクションである」というとき,必ずしも否定的な含みがあるわけではない.それは人間にとって便利なフィクションだし,おそらく不可欠なフィクションでもあるだろう.むしろそこには積極的な側面すらあり得る.「#2265. 言語変種とは言語変化の経路をも決定しうるフィクションである」 ([2015-07-10-1]) でみたように,言語のフィクション性そのものが言語の現実を変えてしまうこともあり得るのだから.
・ Laing, M. and R. Lass. "Early Middle English Dialectology: Problems and Prospects." Handbook of the History of English. Ed. A. van Kemenade and Los B. L. Oxford: Blackwell, 2006. 417--51.
OED では古英語の単語はどのように扱われているか.この辺りの話題は,OED Online の提供する Old English in the OED を通じて知ることができる.
OED は,原則として1150年を超えて残らなかった古英語単語は取り扱わないと宣言している.歴史的原則を貫く OED としては,このように除外される単語もれっきとした英単語であるとは認識しているはずだ.しかし,同辞書編纂の長い歴史の当初からの方針であり,別途 The Dictionary of Old English (DOE) も編纂中であることから,現実的な選択肢としてそのような原則を立てているのだろう.それでも,1150年より前に文証され,この境の年を生き延びた7500語ほどの古英語単語が収録されているという事実は指摘しておきたい.
古英語期の内部の時期区分についても,新版 OED では3期に分けるという新しい方針を示している.'early OE' (600--950), 'OE' (950--1100), and 'late OE' (1100--1150) の3期である.主たる古英語写本約200点のうち,ほとんどが 'OE' (950--1100) に由来し,その点で証拠の偏りがあることは致し方がない(それ以前の 'early OE' (600--950) に属するものは20点未満).この3期区分は粗くはあるが,できるかぎり学術的正確性を期すための方法であり,写本年代や語の初出年代の記述にも有効に用いられている.
標題について,過去2日間の記事 ([2020-04-18-1], [2020-04-19-1]) で449年説と600年説を取り上げてきたが,今回は最後に700年説について考察したい.この年代は,英語の文献が本格的に現われ出すのが700年前後とされることによる.現代の英語史研究者がアクセスできる最古の文献の年代に基づいた説であるから,さらに古い文献が発見されれば英語史の始まりもその分さかのぼるという点で,相対的,可変的,もっと言ってしまえば研究者の都合を優先した説ということになる.Mengden (20) はこの説を次のように評価している.
. . . one could approach the question of the starting point of Old English from a modern perspective. . . . Our direct evidence of any characteristic of (Old) English begins with the oldest surviving written sources containing Old English. Apart from onomastic material in Latin texts and short inscriptions, the earliest documents written in Old English date from the early 8th century. A distinction between a reconstructed "pre-Old English" before 700 and an attested "Old English" after 700 . . . therefore does not seem implausible.
しかし,Mengden (20) は,700年前後という設定は必ずしも研究者の都合を優先しただけのものではないとも考えている.
. . . it is feasible that the shift from a heptarchy of more or less equally influential Anglo-Saxon kingdoms to the cultural dominance of Northumbria in the time after Christianization may be connected with the fact that texts are produced not exclusively in Latin, but also in the vernacular. In other words, we may speculate (but no more than that) that the emergence of the earliest Anglo-Saxon cultural and political centre in Northumbria in the 8th century may lead the Anglo-Saxons to view themselves as one people rather than as different Germanic tribes, and, accordingly to view their language as English (or, Anglo-Saxon) rather than as the Saxon, Anglian, Kentish, Jutish, etc. varieties of Germanic.
700年前後は,5世紀半ばにブリテン島に渡ってきた西ゲルマン集団が,アングロサクソン人としてのアイデンティティ,英語話者としてのアイデンティティを確立させ始めた時期であるという見方だ.これはこれで1つの洞察ではある.
さて,3日間で3つの説をみてきたわけだが,どれが最も妥当と考えられるだろうか.あるいは他にも説があり得るだろうか(私にはあると思われる).もっとも,この問いに正解があるわけではなく,視点の違いがあるにすぎない.だからこそ periodisation の問題はおもしろい.
・ Mengden, Ferdinand von. "Periods: Old English." Chapter 2 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 19--32.
昨日の記事「#4009. 英語史の始まりはいつか? --- 449年説」 ([2020-04-18-1]) に引き続き,英語史の開始時期を巡る議論.今回は,実はあまり聞いたことのなかった(約)600年説について考えてみたい
597年に St. Augustine がキリスト教宣教のために教皇 Gregory I によってローマから Kent 王国へ派遣されたことは英国史上名高いが,この出来事がアングロサクソンの社会と文化を一変させたということは,象徴的な意味でよく分かる.社会と文化のみならず英語という言語にもその影響が及んだことは「#3102. 「キリスト教伝来と英語」のまとめスライド」 ([2017-10-24-1]),「#3845. 講座「英語の歴史と語源」の第5回「キリスト教の伝来」を終えました」 ([2019-11-06-1]),「#296. 外来宗教が英語と日本語に与えた言語的影響」 ([2010-02-17-1]) でたびたび注目してきた.確かに英語史上きわめて重大な事件が600年前後に起こったとはいえるだろう.Mengden の議論に耳を傾けてみよう.
. . . because the conversion is the first major change in the society and culture of the Anglo-Saxons that is not shared by the related tribes on the Continent, it is similarly significant for (the beginning of) an independent linguistic history of English as the settlement in Britain. Moreover, the immediate impact of the conversion on the language of the Anglo-Saxons is much more obvious than that of the migration: first, the Latin influence on English grows in intensity and, perhaps more crucially, enters new domains of social life; second, a new writing system, the Latin alphabet, is introduced, and third, a new medium of (linguistic) communication comes to be used --- the book.
600年説の要点は3つある.1つめは,主に語彙借用のことを述べているものと思われるが,ラテン語からキリスト教や学問を中心とした文明を体現する分野の借用語が流れ込んだこと.2つめはローマン・アルファベットの導入.3つめは本というメディアがもたらされたこと.
いずれも英語に直接・間接の影響を及ぼした重要なポイントであり,しかも各々の効果が非常に見えやすいというメリットもある.
・ Mengden, Ferdinand von. "Periods: Old English." Chapter 2 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 19--32.
○○史の時代区分 (periodisation) というのは,その分野において最も根本的な問題である.英語史も例外ではなく,この問題について絶えず考察することなしには,そもそも研究が成り立たない.とりわけ英語史の始まりをどこに置くかという問題は,分野の存立に関わる大問題である.本ブログでも,periodisation とタグ付けした多数の記事で関連する話題を取り上げてきた.
最も伝統的かつポピュラーな説ということでいえば,アングロサクソン人がブリテン島に渡ってきたとされる449年をもって英語史の始まりとするのが一般的である.この年代自体が伝説的といえばそうなのだが,もう少し大雑把にみても5世紀前半から中葉にかけての時期であるという見解は広く受け入れられている.
一方,「歴史」とは厳密にいえば文字史料が確認されて初めて成立するという立場からみれば,英語の文字史料がまとまった形で現われるのは700年くらいであるから,その辺りをもって英語史の開始とする,という見解もあり得る.実際,こちらを採用する論者もいる.
上記の2つが英語史の始まりの時期に関する有力な説だが,Mengden (20) がもう1つの見方に言及している.600年頃のキリスト教化というタイミングだ.キリスト教化がアングロサクソン社会にもたらした文化的な影響は計り知れないが,そのインパクトこそが彼らの言語を初めて「英語」(他のゲルマン語派の姉妹言語と区別して)たらしめたという議論だ.かくして,古い方から並べて (1) (象徴的に)紀元449年,(2) およそ600年,(3) およそ700年,という英語史の開始時期に関する3つの候補が出たことになる.
各々のポイントについて考えて行こう.定説に近い (1) を重視する理由は,Mengden 曰く,次の通りである.
Although the differences between the varieties of the settlers and those on the continent cannot have been too great at the time of the migration it is the settlers' geographic and political independence as a consequence of the migration which constitutes the basis for the development of English as a variety distinct and independent from the continental varieties of the West Germanic speech community . . . . (20)
要するに,449年(付近)を英語史の始まりとみる最大のポイントは,言語学的視点というよりも社会(言語学)的視点を取っている点にある.もっといえば,空間的・物理的な視点である.大陸の西ゲルマン語の主要集団から分離して独自の集団となったのが「英語」社会だるという見方だ.実際 Mengden 自身も様々に議論した挙げ句,この説を最重要とみなしている.
I would therefore propose that, whatever happens to the language of the Anglo-Saxon settlers in Britain and for whatever reason it happens, any development after 450 should be taken as specifically English and before 450 should be taken as common (West) Germanic. That our knowledge of the underlying developments is necessarily based on a different method of access before and after around 700 is ultimately secondary to the relevant linguistic changes themselves and for any categorization of Old English. (21)
結局 Mengden も常識的な結論に舞い戻ったようにみえるが,一般的にいって,深く議論した後にぐるっと一周回って戻ってきた結論というものには価値がある.定説がなぜ定説なのかを理解することは,とても大事である.
他の2つの説については明日以降の記事で取り上げる.
・ Mengden, Ferdinand von. "Periods: Old English." Chapter 2 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 19--32.
古英語の方言区分については「#1433. 10世紀以前の古英語テキストの分布」 ([2013-03-30-1]) で地図を掲げた.Northumbrian, Mercian, Kentish, West-Saxon ときれいに分かれているようにみえるが,古英語期特有の込み入った事情があり,実際には不明な点が多いことに注意しておく必要がある.Hogg (4) が3点挙げている.
. . . it is important to recognize that it is open to several major caveats and objections. Firstly, it is well known that these dialects refer only to actual linguistic material, and therefore there are large areas of the country, most obviously East Anglia, about whose dialect status we cannot know directly from OE evidence. Secondly, the nomenclature adopted is derived from political structures whereas most of the writing we have is to be more directly associated with ecclesiastical structures. Thirdly, the type of approach which leads to the above division is a product of the Stammbaum and its associated theories, whereas modern dialectology, either synchronic or diachronic ... demonstrates that such a rigidly demarcated division is ultimately untenable. It would be preferable to consider each text as an 'informant', ... which is more or less closely related to other texts on an individual basis, with the classification of texts into dialect groups being viewed as a process determined by the purposes of the linguistic analysis at hand, rather than as some a priori fact. . . .
まとめれば,古英語期からの証拠 (evidence) の分布が時期や地域によってバラバラであり量も少ないこと,地域方言の存在の背景にある当時の社会言語学的な事情が不詳であること,そして様々な程度の方言間接触があったはずであることの3点である.いずれも方言区分しようとする際に頭の痛い問題であることは容易に理解される.引用の最後に明言されているように,古英語の方言区分は,当面の言語分析のための仮説上の構築物ととらえておくのが妥当である.この点では,時代区分 (periodisation) の問題にも近いといえる.
・ Hogg, Richard M. A Grammar of Old English. Vol. 1. 1992. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2011.
本ブログで英語史の話題を提供するのに,語源解説などでしばしば諸言語を参照する必要があるが,その際に用いる言語名の略形を一覧する.これまでの記事では必ずしも略形を統一させてこなかったが,今後はなるべくこちらに従いたい.ソースとしては『英語語源辞典』の「言語名の略形」 (xvi--xvii) に依拠する.主要な(歴史的)言語については,同辞典の xiv より年代区分も挙げておく.略形関係としては「#1044. 中英語作品,Chaucer,Shakespeare,聖書の略記一覧」 ([2012-03-06-1]) も参照.
Aeol. | Aeolic | |
AF | Anglo-French | 1100--1500 |
Afr. | African | |
Afrik. | Afrikaans | |
Akkad. | Akkadian | |
Alb. | Albanian | |
Aleut. | Aleutian | |
Am. | American | |
Am.-Sp. | American Spanish | |
Anglo-L | Anglo-Latin | |
Arab. | Arabic | |
Aram. | Aramaic | |
Arm. | Armenian | |
Assyr. | Assyrian | |
Austral. | Australian | |
Aves. | Avestan | |
Braz. | Brazilian | |
Bret. | Breton | |
Brit. | Brittonic/Brythonic | |
Bulg. | Bulgarian | |
Canad. | Canadian | |
Cant. | Cantonese | |
Cat. | Catalan | |
Celt. | Celtic | |
Central-F | Central French | |
Chin. | Chinese | |
Corn. | Cornish | |
Dan. | Danish | |
Drav. | Dravidian | |
Du. | Dutch | |
E | English | |
E-Afr. | East African | |
Egypt. | Egyptian | |
F | French | |
Finn. | Finnish | |
Flem. | Flemish | |
Frank. | Frankish | |
Fris. | Frisian | |
G | German | |
Gael. | (Scottish-)Gaelic | |
Gaul. | Gaulish | |
Gk | Greek | --200 |
Gmc | Germanic | |
Goth. | Gothic | |
Heb. | Hebrew | |
Hitt. | Hittite | |
Hung. | Hungarian | |
Icel. | Icelandic | |
IE | Indo-European | |
Ind. | Indian | |
Ir. | Irish(-Gaelic) | |
Iran. | Iranian | |
It. | Italian | |
Jamaic.-E | Jamaican English | |
Jav. | Javanese | |
Jpn. | Japanese | |
L | Latin | 75 B.C.--200 |
Latv. | Latvian | |
Lett. | Lettish | |
LG | Low German | |
LGk | Late Greek | 200--600 |
Lith. | Lithuanian | |
LL | Late Latin | 200--600 |
MDu. | Middle Dutch | 1100--1500 |
ME | Middle English | 1100--1500 |
Mex. | Mexican | |
Mex.-Sp. | Mexican Spanish | |
MGk | Medieval Greek | 600--1500 |
MHeb. | Medieval Hebrew | |
MHG | Middle High German | 1100--1500 |
MIr. | Middle Irish | 950--1300 |
Mish. Heb. | Mishnaic Hebrew | |
ML | Medieval Latin | 600--1500 |
MLG | Middle Low German | 1100--1500 |
ModE | Modern English | |
ModGk | Modern Greek | |
ModHeb. | Modern Hebrew | |
MPers. | Middle Persian | |
MWelsh | Middle Welsh | 1150--1500 |
N-Am.-Ind. | North American Indian | |
NGk | Neo-Greek | |
NHeb. | Neo-Hebrew | |
NL | Neo-Latin | |
Norw. | Norwegian | |
ODu. | Old Dutch | |
OE | Old English | 700--1100 |
OF | Old French | 800--1550 |
OFris. | Old Frisian | 1200--1550 |
OHG | Old High German | 750--1100 |
OIr. | Old Irish | 600--950 |
OIt. | Old Italian | |
OL | Old Latin | 500--75 B.C. |
OLG | Old Low German | 800--1100 |
OLith. | Old Lithuanian | |
ON | Old Norse | 800--1300 |
ONF | Old Norman French | |
OPers. | Old Persian | |
OProv. | Old Provençal | |
OPruss. | Old Prussian | 1400--1600 |
OS | Old Saxon | 800--1000 |
Osc. | Oscan | |
Osc.-Umbr. | Osco-Umbrian | |
OSlav. | Old (Church) Slavonic | 900--1100 |
OSp. | Old Spanish | |
OWelsh | Old Welsh | 700--1150 |
PE | Present-Day English | |
Pers. | Persian | |
Phoen. | Phoenician | |
Pidgin-E | Pidgin English | |
Pol. | Polish | |
Port. | Portuguese | |
Prov. | Provençal | |
Rum. | Rumanian | |
Russ. | Russian | |
S-Afr. | South African | |
S-Am.-Ind. | South American Indian | |
Scand. | Scandinavian | |
Sem. | Semitic | |
Serb. | Serbian | |
Serbo-Croat. | Serbo-Croatian | |
Siam. | Siamese | |
Skt | Sanskrit | |
Slav. | Slavonic, Slavic | |
Sp. | Spanish | |
Sumer. | Sumerian | |
Swed. | Swedish | |
Swiss-F | Swiss French | |
Syr. | Syriac | |
Tibet. | Tibetan | |
Toch. | Tocharian | |
Turk. | Turkish | |
Umbr. | Umbrian | |
Ved. | Vedic | |
VL | Vulgar Latin | |
W-Afr. | West African | |
W-Ind. | West Indies | |
WS | West Saxon | |
Yid. | Yiddish |
「#1525. 日本語史の時代区分」 ([2013-06-30-1]),「#3137. 日本語史の時代区分 (2)」 ([2017-11-28-1]) に続き,日本語史研究者の数だけあるといっても過言ではない時代区分 (periodisation) の話題を追加する.清水 (7) は,他のいくつかの伝統的な時代区分も挙げながら,もう1つの独自の区分を掲げている.
┌── 前期:弥生時代(前3世紀頃?後3世紀中頃) I 太古日本語 (Proto-Japanese) ────┤ └── 後期:古墳時代(3世紀中頃?7世紀頃) ┌── 前期:奈良時代前(7世紀頃)?奈良時代(8世紀後半頃)………………………………………………………〔上代〕 │ II 古代日本語 (Ancient Japanese) ───┼── 中期:平安時代(8世紀後半頃?11世紀後半頃) …………………………………………………………………〔中古〕 │ └── 後期:院政鎌倉時代(11世紀後半頃?14世紀前半頃)……………………………………………………………〔中世〕 ┌── 前期:室町時代(14世紀前半頃)?江戸時代前期(寛永頃まで含む:17世紀中頃)…………………〔中世?近世〕 │ III 近代日本語 (Modern Japanese) ───┼── 中期:江戸時代中期(上方期・江戸期含む:17世紀中頃)?江戸時代後期(明治20年頃まで含む)………〔中古〕 │ └── 後期:明治時代(明治20年頃以降)?大正時代?昭和20年 ……………………………………………〔近代?現代〕 ┌── 前期:昭和20年以降?昭和48年頃 …………………………………………………………………………………〔現代〕 │ IV 現代日本語 (Present-day Japanese) ─┼── 中期:昭和48年頃以降?平成3年頃 …………………………………………………………………………………〔現代〕 │ └── 後期:平成3年頃以降?現時点 ………………………………………………………………………………………〔現代〕
目次シリーズの一環として,昨年出版された包括的な日本語史概説書,沖森卓也(著)『日本語史大全』を取り上げたい.文庫でありながら教科書的という印象で,記述は淡々としている.時代別に章立てされているが,各章の内部では分野別の記述がなされており,各章の該当節を拾っていけば,分野ごとの縦の流れも押さえられるように構成されている.したがって,目次を追っていくだけで日本語史の全体像が理解できる仕組みとなっている.以下に目次を再現しよう.
ちなみに英語史概説書の目次は「#2089. Baugh and Cable の英語史概説書の目次」 ([2015-01-15-1]),「#2050. Knowles の英語史概説書の目次」 ([2014-12-07-1]),「#2038. Fennell の英語史概説書の目次」 ([2014-11-25-1]),「#2007. Gramley の英語史概説書の目次」 ([2014-10-25-1]) を参照.
5世紀半ばにアングロサクソン人がブリテン島に来住し,その後に建てた国家の領土は,イングランドに始まり,ブリテン島,ブリテン諸島へと拡張し,最終的には北米,カリブ海,南アジア,太平洋,アフリカなど世界中に拡がった.この拡張の流れは,大きく3つの段階に分けて考えることができる.アングロサクソン人の来住以来の経緯を端的にまとめた平田 (10--11) の文章を引用する.
中世において,イングランドは,ブリテン島の隣人であるスコットランド,ウェールズ,海を越えたアイルランド島を侵略し支配した.イングランドが支配したこれらのブリテン諸島は「イングランド帝国」と呼ばれることがある.英語は中世の長期間をかけて,このイングランド帝国に普及した.
近代になり,とくに,イングランドとスコットランドが連合した一七〇七年の「グレート・ブリテン」成立以降に海外に獲得した植民地を含む大帝国を「ブリテン帝国」または「大英帝国」と呼ぶ.ブリテン帝国は,北米とカリブ海に領土を広げ,アメリカが独立するとインドを中心にして領土を築いた.近代においては,英語はブリテン諸島を越えてこのブリテン帝国にも広がっていった.
近代,とくに一九世紀以後,ブリテンは「公式帝国」と区別される「非公式帝国」にも支配を広げた.「非公式帝国」とは「公式帝国」が法律上の帝国なのに対して,経済的・文化的に支配された事実上の帝国を指し,一九世紀におけるブリテンの「非公式帝国」はラテンアメリカ,中東,極東などを含む.英語は「公式帝国」を超えてこの「非公式帝国」と呼ばれる地域にも広がった.日本もこの「非公式帝国」の一つとして論じられることがあり,本書は最後に日本にたどりつく.
時代とともに「イングランド帝国」,「公式ブリテン帝国」,「非公式ブリテン帝国」と名前こそ変えてきたものの,これらに通底する共通項である「英語」をくくりだして,すべてを俯瞰する名前を付ければ「英語帝国」となる,というのが著者の主張である.英語史と関連づけたイギリス史の帝国主義史観といえるだろう.
「イングランド帝国」,「公式ブリテン帝国」,「非公式ブリテン帝国」のそれぞれは,非常に緩くではあるが Kachru のいう Inner Circle, Outer Circle, Expanding Circle に対応すると考えられる(「#217. 英語話者の同心円モデル」 ([2009-11-30-1])を参照).
関連して,「#1919. 英語の拡散に関わる4つの crossings」 ([2014-07-29-1]) も,似たような発想に基づいた英語史観として参照されたい.
・ 平田 雅博 『英語の帝国 ―ある島国の言語の1500年史―』 講談社,2016年.
昨日の記事「#3277. 「英語問題」のキーワード」 ([2018-04-17-1]) に引き続き,英語帝国主義批判の立場から英語史を論じる中村に拠り,英語の「進出・侵略」という観点から,英語史を時代区分する案について考えてみたい.中村 (30) によれば,1350年を開始点とする英語史は5期に区分される.
期間 | それぞれの時期の特徴 | |
第1期 | 1350?1600 | [英語が]イングランドの「公用語」(「国家語」)となる時期 |
第2期 | 1600?1800 | 海外に大々的に進出する時期 |
第3期 | 1800?1900 | 帝国主義的性格を発揮し始める時期 |
第4期 | 1900?1945 | フランス語に代って「世界語」「(世界の)共通語」の地位を確立する時期 |
第5期 | 1945? | 「共通語」的性格と新・植民地主義的性格を推し進める時期 |
「#3231. 標準語に軸足をおいた Blake の英語史時代区分」 ([2018-03-02-1]) で紹介したように,Blake による英語史時代区分は,徹頭徹尾,標準化という観点からなされた区分である.一般的な英語史の時代区分に慣れていると,おやと思うところがいくつかあるが,とりわけノルマン征服 (norman_conquest) に一顧だにせず,1066年という点をさらりと乗り越えていくかのような第2期(9世紀後半?1250年)の設定には驚くのではないか.ノルマン征服といえば,通常,英語史上およびイングランド史上最大の事件として扱われるが,Blake の見解によると,あくまで第2期の内部での事件という位置づけだ.
Blake によれば,第2期はウェストサクソン方言の書き言葉標準が影響力をもった時代とされる.しかし,ノルマン征服によってウェストサクソンの書き言葉標準は無に帰したのではなかったか.また,「#2712. 初期中英語の個性的な綴り手たち」 ([2016-09-29-1]) で取り上げたように,1250年までに局所的ではあれ,AB language, Orm, Laȝamon において標準語に準ずる類の一貫した綴字習慣が発達しており,これらは来たるべき新しい時代の到来を予感させるという意味で,むしろ第3期に接近しているととらえるべきではないか.
しかし,ノルマン征服後,12世紀後半から13世紀にかけて見られるこれらの限定的な「標準的」綴字は,Blake によれば,あくまで後期古英語のウェストサクソン標準語に起源をもつものであり,そこからの改変形・発展形ととらえるべきだという.確かに少なからぬ改変が加えられており,独自の発展も遂げているかもしれないが,かつての標準語の流れを汲んでいるという意味で,その本質は回顧的なものであるとみている.
この回顧的な性質を保っていた,第2期の最後のテキストの1つは,1258年の「#2561. The Proclamation of Henry III」 ([2016-05-01-1]) だろう.ここではかつての標準語の名残が見られるといわれ,その最も分かりやすい例が <æ> の使用である.Blake (135) によれば,古英語の流れを汲んだ <æ> の英語史上最後の使用例だという.
この辺りの年代を超えると,回顧的な雰囲気は消え,明らかに新しい次の時代,つまり標準語という概念がない時代へと入っていく.Blake (131) 曰く,
From now on there were no further attempts to create a standard English writing system which could be said to look back to that found earlier, and Old English manuscripts ceased to be living texts which were copied and recopied. A period of uncertainty as to writing in English succeeded, and when a new standard started to arise it would be based on different premises and a different dialect area.
・ Blake, N. F. A History of the English Language. Basingstoke: Macmillan, 1996.
Blake の英語史書は,英語の標準化 (standardisation) と標準英語の形成という問題に焦点を合わせた優れた英語史概説である.とりわけ注目すべきは,従来のものとは大きく異なる英語史の時代区分法 (periodisation) である.英語史の研究史において,これまでも様々な時代区分が提案されてきたが,Blake のそれは一貫して標準語に軸足をおく社会言語学的な観点からの提案であり,目が覚めるような新鮮さがある (Blake, Chapter 1) .7期に分けている.以下に,コメントともに記そう.
(1) アルフレッド大王以前の時代 (?9世紀後半):標準的な変種が存在せず,様々な変種が並立していた時代
(2) 9世紀後半?1250年:ウェストサクソン方言の書き言葉標準が影響力をもった時代
(3) 1250年?1400年:標準語という概念がない時代;標準語のある時代に挟まれた "the Interregnum"
(4) 1400年?1660年:標準語の書き言葉(とりわけ綴字と語彙のレベルにおいて)が確立していく時代
(5) 1660年?1798年:標準語の統制の時代
(6) 1798年?1914年:諸変種や方言的多様性が意識された時代
(7) 1914年?:英語の分裂と不確かさに特徴づけられる時代
(1) アルフレッド大王以前の時代 (?9世紀後半) は,英語が英語として1つの単位として見られていたというよりも,英語の諸変種が肩を並べる集合体と見られていた時代である.したがって,1つの標準語という発想は存在しない.
(2) アルフレッド大王の時代以降,とりわけ10--11世紀にかけてウェストサクソン方言が古英語の書き言葉の標準語としての地位を得た.1066年のノルマン征服は確かに英語の社会的地位をおとしめたが,ウェストサクソン標準語は英語世界の片隅で細々と生き続け,1250年頃まで影響力を残した.少なくとも,それを模して英語を書こうとする書き手たちは存在していた.英語史上,初めて標準語が成立した時代として重要である.
(3) 初めての標準語が影響力を失い,次なる標準語が現われるまでの空位期間 (the Interregnum) .諸変種が林立し,1つの標準語がない時代.
(4) 英語史上2度目の書き言葉の標準語が現われ,定着していく時代.15世紀前半の Chancery Standard が母体(の一部)であると考えられる.しかし,いまだ制定や統制という発想は稀薄である.
(5) いわゆる規範主義の時代.辞書や文法書が多く著わされ,標準語の統制が目指された時代.区切り年代は,王政復古 (Restoration) の1660年と,ロマン主義の先駆けとなる Wordsworth and Coleridge による Lyrical Ballads が出版された1798年.いずれも象徴的な年代ではあるが,確かに間に挟まれた時代は「統制」「抑制」「束縛」といったキーワードが似合う時代である.
(6) Lyrical Ballads から第1次世界大戦 (1914) までの時代.前代の縛りつけからある程度自由になり,諸変種への関心が高まり,標準語を相対化して見るようになった時代.一方,前代からの規範主義がいまだ幅を利かせていたのも事実.
(7) 第1次世界大戦から現在までの時代.英語が世界化しながら分裂し,先行き不透明な状況,"fragmentation and uncertainty" (Blake 15) に特徴づけられる時代.
伝統的な「古英語」「中英語」「近代英語」の区分をさらりと乗り越えていく視点が心地よい.
・ Blake, N. F. A History of the English Language. Basingstoke: Macmillan, 1996.
日本語史の時代区分について,「#1525. 日本語史の時代区分」 ([2013-06-30-1]),「#1526. 英語と日本語の語彙史対照表」 ([2013-07-01-1]),「#2669. 英語と日本語の文法史の潮流」 ([2016-08-17-1]) で紹介したが,今回は沖森 (16) による複数の区分法をみてみよう.
二分法 | 古代 | 近代 | |||||
三分法 | 古代 | 中世 | 近代 | ||||
四分法 | 古代 | 中世 | 近世 | 近代 | |||
五分法 | 上代 | 中古 | 中世 | 近世 | 近代 | ||
六分法 | 古代前期 | 古代後期 | 中世前期 | 中世後期 | 近世 | 近代 | |
七分法 | 古代前期 | 古代後期 | 中世前期 | 中世後期 | 近世前期 | 近世後期 | 近代 |
八分法 | 古墳時代,飛鳥時代,奈良時代 | 平安時代 | 院政・鎌倉時代 | 室町時代 | 江戸時代 | 明治時代 |
昨日の記事「#2993. 後期近代英語への関心の高まり」 ([2017-07-07-1]) で,近年の後期近代英語研究の興隆について紹介した.後期近代英語 (Late Modern English) とは,いつからいつまでを指すのかという問題は,英語史あるいは言語史一般における時代区分 (periodisation) という歴史哲学的な問題に直結しており,究極的な答えを与えることはできない(比較的最近では「#2640. 英語史の時代区分が招く誤解」 ([2016-07-19-1]),「#2774. 時代区分について議論してみた」 ([2016-11-30-1]),「#2960. 歴史研究における時代区分の意義」 ([2017-06-04-1]) で議論したので参照).
ややこしい問題を抜きにすれば,後期近代英語期は1700--1900年の時期,すなわち18--19世紀を指すと考えてよい.もちろん,1700年や1900年という区切りのわかりやすさは,時代区分の恣意性を示しているものと解釈すべきである.ここに社会史に沿った観点から細かい修正を施せば,英国史における「長い18世紀」と「長い19世紀」を加味して,後期近代とは王政復古の1660年から第1次世界大戦終了の1918年までの期間を指すものと捉えるのも妥当かもしれない.特に社会史と言語史の密接な関係に注目する歴史社会言語学の立場からは,この「長い後期近代英語期」の解釈は,適切だろう.Beal (2) の説明を引く.
Of course, it would be foolish to suggest that any such period could be homogeneous or that the boundaries would not be fuzzy. The starting-point of 1700 is particularly arbitrary, especially since . . . the obvious political turning-point which might mark the Early/Later Modern English boundary is the restoration of the monarchy in 1660. This coincides with the view of historians that the 'long' eighteenth century extends roughly from the restoration of the English monarchy (1660) to the fall of Napoleon (1815). On the other hand, the 'long' nineteenth-century in European history is generally acknowledged as beginning with . . . 'the great bourgeois French Revolution' of 1789 . . . and concluding with the end of World War I in 1918 . . . .
終点をさらに少しく延ばして第2次世界大戦の終了の1945年にまで押し下げて,「非常に長い後期近代英語期」を考えることもできるかもしれない.このように見てくると,この約3世紀に及ぶ期間が,いまや世界的な言語である英語の歴史を論じるにあたって,極めて重要な時代であることは自明のように思われる.しかし,この時期に本格的な焦点が当たり始めたのは,今世紀に入ってからなのである.
・ Beal, Joan C. English in Modern Times: 1700--1945. Arnold: OUP, 2004.
英語史では,初期近代英語期,つまり文化でいうところのルネサンス期は,大量のラテン語彙が借用された時代として特徴づけられている.当時のインク壺語 (inkhorn_term) を巡る論争は本ブログでも多く取り上げきたし,まさに「ラテン語かぶれ」の時代だったことに何度も言及してきた.
しかし,昨日の記事「#2960. 歴史研究における時代区分の意義」 ([2017-06-04-1]) で参照した西洋中世史家のル・ゴフは,むしろ中世のほうがラテン語かぶれしていたという趣旨の議論を展開している.以下,関連箇所 (104--05) を引用する.
やはり古代ローマの延長線上で,中世は言語に関するある大きな進歩をとげる.聖職者と世俗エリートの言語であったラテン語が,キリスト教化されたあらゆる地域に広められたのである.古典ラテン語からみれば変化していたものの,このラテン語はヨーロッパの言語的統一を基礎づけ,この統一は十二・十三世紀よりあとでさえも残ったのである.しかしこの頃,社会の最下層の日常生活で,時代にそぐわないこのラテン語に代わり,たとえばフランス語のような俗語が用いられるようになる.中世は,ルネサンスよりもはるかに「ラテン語」時代なのだ.
中世こそがラテン語かぶれの時代であるという主張は,一見矛盾する物言いにも聞こえるが,ここでは「ラテン語」「かぶれ」の意味が異なっている.中世において,「ラテン語」とは古典ラテン語というよりは,主として中世ラテン語,あるいは俗ラテン語である.また,中世では,知識階級が意識的にラテン語に「かぶれ」ていたというよりは,むしろキリスト教化した地域が風景の一部としてラテン語を取り込んでいたという意味において「かぶれ」方が自然だったということだ.
別の角度からこの問題を考えれば,「ラテン語」「かぶれ」の解釈の違いをあえて等閑に付しさえすれば,みかけの矛盾は解消され,中世もルネサンスもともに「ラテン語かぶれ」の時代と言いうる,ということになる.これは,両時代の間に断絶ではなく連続性をみる方法の1つだろう.
ひるがって英語史に話を戻そう.ラテン単語の借用は,確かに初期近代英語期に固有の特徴などではなく,中英語期にも,古英語期にも,古英語以前の時期にも見られた.さらに言えば,後期近代英語でも現代英語でも見られるのである(「#2162. OED によるフランス語・ラテン語からの借用語の推移」 ([2015-03-29-1]) を参照).時代によって,ラテン語彙借用の質,量,文脈はそれぞれ異なることは確かだが,これらを合わせて英語史に通底する一貫した流れとみなし,伝統の連続性を見出すことは,まったく可能であるし,意義がある.
各時代のラテン語彙借用については,以下の記事を参照.
・ 「#1437. 古英語期以前に借用されたラテン語の例」 ([2013-04-03-1])
・ 「#1945. 古英語期以前のラテン語借用の時代別分類」 ([2014-08-24-1])
・ 「#32. 古英語期に借用されたラテン語」 ([2009-05-30-1])
・ 「#120. 意外と多かった中英語期のラテン借用語」 ([2009-08-25-1])
・ 「#1211. 中英語のラテン借用語の一覧」 ([2012-08-20-1])
・ 「#478. 初期近代英語期に湯水のように借りられては捨てられたラテン語」 ([2010-08-18-1])
・ 「#2162. OED によるフランス語・ラテン語からの借用語の推移」 ([2015-03-29-1])
・ 「#2385. OED による,古典語およびロマンス諸語からの借用語彙の統計 (2)」 ([2015-11-07-1])
・ ジャック・ル=ゴフ(著),菅沼 潤(訳) 『時代区分は本当に必要か?』 藤原書店,2016年.
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