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be - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2021-10-20 12:26

2021-08-01 Sun

#4479. 不規則動詞の過去形は直接記憶保存されている [frequency][suppletion][verb][inflection][be][preterite]

 形態的不規則性を示す語は高頻度語に集中している.その典型が不規則動詞である.規則的に -ed を付して過去形を作る圧倒的多数の動詞に対して,不規則動詞は数少ないが,たいてい相対的に頻度の高い動詞である.不規則中の不規則といえる gobe の過去形 went, was/were などは,補充法 (suppletion) によるものであり,暗記していないかぎり太刀打ちできない.これは,いずれも超高頻度語であることが関係している.この辺りの事情は以下の記事でも取り上げてきた.

 ・ 「なぜ高頻度語には不規則なことが多いのですか?」 (去る7月29日付の「英語の語源が身につくラジオ」にて音声解説)
 ・ 「#3859. なぜ言語には不規則な現象があるのですか?」 ([2019-11-20-1])
 ・ 「#43. なぜ go の過去形が went になるか」 ([2009-06-10-1])
 ・ 「#1482. なぜ go の過去形が went になるか (2)」 ([2013-05-18-1])
 ・ 「#3284. be 動詞の特殊性」 ([2018-04-24-1])

 では,なぜ頻度の高い動詞には不規則活用を示すものが多いのだろうか.記憶 (memory) や形態の心的表象 (mental representation) に訴える説明が一般的である.Smith (1535) の解説を引用する.

The relationship between high frequency and irregularity has to do with memory in so far as those verbs that are used frequently have strong mental representations such that the irregular past forms are stored autonomously and thus accessed independently of the present stem. Such items are said to have become "entrenched" in storage . . . . On the other hand, a low frequency form does not necessarily have its past form stored autonomously and does not allow for direct access to that past form. Thus, its use in the past involves access to the present stem and rule application . . . .


 頻度の高い動詞の過去形は,頻繁に使用するために,記憶のなかで直接アクセスできる引き出しにしまっておくのが便利である.go という現在形を足がかりにして went にたどり着くようでは,遅くて役に立たない.go を経由せずに,直接 went の引き出しにたどり着きたい.一方,頻度の低い動詞であれば,現在形を足がかりにして,それに -ed を付すという規則適用の計算も,たまのことにすぎないので耐えられる.つまり,引き出す頻度に応じて直接アクセスと間接アクセスの2種類に分けておくのが効率的である.
 では,-ed を付して過去形を作る規則動詞は常に計算を伴う間接アクセスなのかというと,必ずしもそうではないようだ.Smith (1535) で紹介されているある研究によると,同音語である kneadedneeded を被験者に発音してもらったところ,相対的に頻度の低い前者の -ed 語尾のほうが,頻度の高い後者の語尾よりも,平均して数ミリ秒長く発音されたという.これは,needed のほうがアクセスが容易であること,おそらくより直接に記憶保存されていることを示唆する.

 ・ Smith, K. Aaron. "New Perspectives, Theories and Methods: Frequency and Language Change." Chapter 97 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1531--46.

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2021-07-31 Sat

#4478. 頻度でみる be 完了の衰退の歴史 [perfect][be][verb][aspect][tense][auxiliary_verb][frequency]

 英語史では,早くも古英語期より,完了を表わすのに have 完了と be 完了の2種類が行なわれてきた.ただし,be 完了は自動詞,およそ移動動詞に限定され,have 完了に比べればもとより目立たない存在ではあった.近代英語期にかけて have 完了がますます勢いを増すにおよび,移動動詞も have 完了へと乗り換えていった.
 上記は,be 完了の衰退の歴史の教科書的な概観である.関連する記事として「#1653. be 完了の歴史」 ([2013-11-05-1]),「#1814. 18--19世紀の be 完了の衰退を CLMET で確認」 ([2014-04-15-1]),「#3031. have 完了か be 完了か --- Auxiliary Selection Hierarchy」 ([2017-08-14-1]) も参照されたい.
 最近 be 完了と have 完了の比率の通時的推移を明らかにした Smith (2012: 1537) の調査をみつけたので,紹介しておこう.時代ごとに type 頻度と token 頻度の比率(および括弧内に頻度)が示されている(基となっているのは Smith の別の2001年の "Role" 論文).

TypeToken
BehaveBehave
OE16% (11)84% (57)21% (18)79% (85)
EME11% (12)89% (92)24% (69)76% (214)
LME11% (9)89% (70)11% (12)89% (96)
EModE8% (10)92% (115)4% (13)96% (319)
19th C3% (8)97% (311)4% (38)96% (839)


 have 完了をとる動詞の種類も生起頻度も,もとより圧倒的多数派だったことが分かるが,時代が下るにつれて徐々に増えてきたこともよく分かる.あくまで徐々に増えてきたという点が重要である.逆からみれば,もともと be 完了をとっていた少数の動詞が,have 完了化にそれだけ頑強に抵抗していたということになるからだ.
 現代までに be 完了は be gone のような定型句として用いられるにとどまり,事実上ほぼ完全に衰退してしまったといってよい.ちなみに,He is gone.He has gone. の違いについてだが,前者の be 完了では,行ってしまった現在の結果,すなわち「今はもういない」という側面に焦点が当てられるとされる.一方,後者の have 完了は,時間的に先行する行くという動作そのもの,およびその現在への関与という側面に焦点が当てられられ,およそ「行ったことがある」に近い意味となる.完了相のもともとの意味は「結果」であり,その点では形式的に古い be gone が意味的に古い「結果」を担っており,形式的に新しい have gone が意味的に新しい「先行性」を担っているという平行性はおもしろい (Smith, "New" 1537--38) .関連して「#3631. なぜ「〜に行ったことがある」は have gone to . . . ではなく have been to . . . なのか?」 ([2019-04-06-1]) も参照.

 ・ Smith, K. Aaron. "New Perspectives, Theories and Methods: Frequency and Language Change." Chapter 97 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1531--46.
 ・ Smith, K. Aaron. "The Role of Frequency in the Specialization of the English Anterior." Frequency and the Emergence of Linguistic Structure. Ed. by Joan Bybee and Paul Hopper. Amsterdam/Philadelphia: Benjamins, 2001. 361--82.

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2021-07-26 Mon

#4473. 存在文における形式上の主語と意味上の主語 [syntax][word_order][be][generative_grammar][impersonal_verb]

 英語の存在文 (existential sentence) といえば,There is/are . . . . の構文が思い浮かぶ.一般に be 動詞の前に来る There は形式上のダミーの主語ととらえられ,意味上の真の主語は be 動詞の後ろに来る名詞句と理解される.真の主語が動詞の後ろに来るというのは,英語の通常の語順に照らせば例外的というほかない.一方,動詞の前に形式上主語らしきものが来なければならないという英語の一般的な統語規則は,ダミーの there によって遵守されている.いずれにせよ,普通でないタイプの構文であることは明らかだ.
 Moro (149--50) によると,Jespersen (155) は英語を含めた多くの言語を調査し,いわゆる「存在文」における主語(存在者)が,広く動詞の後ろに来ること,そして典型的な主語らしい振る舞いをしないことを指摘した.

Whether or not a word like there is used to introduce [existential sentences], the verb precedes the subject, and the latter is hardly treated grammatically like a real subject.


 例えば,ドイツ語では Es gibt viele Kartoffeln "(lit.) it gives many potatoes; There are many potatoes" のように,真主語は形式的には目的語として表わされる.フランス語でも Il y a beaucoup de livres. "(lit.) it there has lots of books; There are many books" のように表現し,やはり真主語は目的語として表現される.ルーマニア語では Sunt probleme "(lit.) are problems; There are problems" となり,there に相当するものはないが,やはり真主語は動詞の後ろに置かれる.中国語では You gui "(lit.) you have ghosts; There are ghosts" となる.
 Moro は英語の there is/are 存在文にみられる主語後置は,むしろ be 動詞のデフォルトの統語的特徴を保持した結果であるという説を唱えている.一般の be 動詞の文の主語,例えば John is in the garden なり John is a studentJohn は,当然ながら動詞に前置されるわけだが,これは本来的に動詞に後置されていたものが統語操作によって繰り上げ (raising) られた結果であるという立場をとっていることになる.非人称動詞 (impersonal_verb) としての be 動詞という見方に基づく説だ.関心のある向きは,詳しくは Moro の第3章を参照されたい.
 存在文のは「#1565. existential there の起源 (1)」 ([2013-08-09-1]) と「#1566. existential there の起源 (2)」 ([2013-08-10-1]) も参照されたい.

 ・ Moro, Andrea. A Brief History of the Verb To Be. Trans. by Bonnie McClellan-Broussard. Cambridge, Mass.: MIT. P, 2017.
 ・ Jespersen, O. The Philosophy of Grammar. London: Allen and Unwin, 1924.

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2021-06-22 Tue

#4439. 古英語は混合方言として始まった? [dialectology][dialect][oe_dialect][anglo-saxon][dialect_contact][dialect_mixture][numeral][superlative][be][suppletion]

 一般的な英語史記述によると,古英語は,5世紀半ばにアングル人,サクソン人,ジュート人など西ゲルマンの近親諸民族が,互いに少々異なった方言を携えてブリテン島に渡ってきたところから始まる.当初の「英語」は,これらの民族ごとの諸方言をひっくるめて総称したものと理解してよい.その後,古英語期中に各方言はそれぞれの土地に根付きつつ発展し,ある意味では現代にまで続くイングランド諸方言の土台を築いた.
 上記の見方は,諸方言が5世紀半ば以来,互いに(まったくとはいわずとも)それほど交わってこなかったことを前提としている.しかし,「#2868. いかにして古英語諸方言が生まれたか」 ([2017-03-04-1]) で紹介したように,古英語はそもそも方言接触 (dialect_contact) と方言混合 (dialect_mixture) の産物ではないかという議論もある.8世紀頃の古英語にはまだかなりの言語的多様性が観察されるが,これは古い諸方言が相互接触を通じて新しい諸方言へと生まれ変わる際に典型的にみられる現象といえるのではないか.
 Trudgill (2045--46) は Nielsen を参照しつつ,方言混合に起因するとみられる古英語の言語的多様性の具体例を3点挙げている.

1) Old English had a remarkable number of different, alternative forms corresponding to Modern English 'first', and, crucially, more than any other continental Germanic language. This variability, moreover, would appear to be linked, although in some way that is not entirely clear, to variability and differentiation on the European mainland: ærest (cf. Old High German eristo); forma (cf. Old Frisian forma); formest (cf. Gothic frumists); and fyrst (cf. Old Norse fyrst).
2) Similarly, OE had two different paradigms for the present tense of the verb to be, one derived from Indo-European *-es- and apparently related to Old Norse and Gothic; and the other deriving from Indo-European *bheu and relating to Old Saxon and Old High German. The relevant singular forms in Table 130.1

Table 130.1: Singular forms of the present tense of the verb to be (Nielsen 1998: 80)
 GothicOld NorseOld English IOld English IIOld SaxonOld High German
1SGimemeombeombiumbim
2SGiseseartbistbistbist
3SGistesisbiðis(t)ist


3) Old English also exhibited variability, in all regions, in the form of the interrogative pronoun meaning 'which of two'. This alternated between hwæðer which relates to Gothic hvaóar and W. Norse hvaðarr, on the other hand, and hweder which corresponds to O. Saxon hweðar, on the other.


 上記 1) の "first" に相当する序数詞の形態的多様性については,中英語の話題ではあるが「#1307. mostmest」 ([2012-11-24-1]) も関係する.2) の be 動詞が示す共時的な補充法 (suppletion) については,その起源が方言混合にあるかもしれないという洞察は鋭い.一般に補充法の事例を考察する際のヒントになるだろう.
 古英語における言語上の問題は,文献的にそれ以上遡れないという理由で積極的に話題にするのが難しく,所与のものとして受け入れてしまうことが多い.しかし,文献に先立つ時代に,思いのほか多くの方言接触や方言混合があった可能性を想定してみると,新たな視野が開けてくるように思われる.
 方言接触や方言混合の一般的な解説は「#1671. dialect contact, dialect mixture, dialect levelling, koineization」 ([2013-11-23-1]) をどうぞ.

 ・ Trudgill, Peter. "Varieties of English: Dialect Contact." Chapter 130 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 2044--59.
 ・ Nielsen, Hans Frede. The Continental Backgrounds of English and its Insular Development until 1154. Odense: Odense UP, 1998.

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2021-01-17 Sun

#4283. many years ago などの過去の時間表現に用いられる ago とは何ですか? --- hellog ラジオ版 [hellog-radio][sobokunagimon][hellog_entry_set][adjective][adverb][participle][reanalysis][be][perfect]

 標題は皆さんの考えたこともない疑問かもしれません.ago とは「〜前に」を表わす過去の時間表現に用いる副詞として当たり前のようにマスターしていると思いますが,いったいなぜその意味が出るのかと訊かれても,なかなか答えられないのではないでしょうか.そもそも ago の語源は何なのでしょうか.音声解説をお聴きください.



 いかがでしたでしょうか.ago は,動詞 go に意味の薄い接頭辞 a- が付いただけの,きわめて簡単な単語なのです.歴史的には "XXX is/are agone." 「XXXの期間が過ぎ去った」が原型でした.be 動詞+過去分詞形 agone の形で現在完了を表わしていたのですね.やがて agone は語末子音を失い ago の形態に縮小していきます.その後,文の一部として副詞的に機能させるめに,be 動詞部分が省略されました.XXX (being) ago のような分詞構文として理解してもけっこうです.
 この成り立ちを考えると,I began to learn English many years ago. は,言ってみれば I began to learn English --- many years (being) gone (by now). といった表現の仕方だということです.この話題について,もう少し詳しく知りたい方は「#3643. many years agoago とは何か?」 ([2019-04-18-1]) の記事をどうぞ.

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2020-10-04 Sun

#4178. なぜ仮定法では If I WERE a bird のように WERE を使うのですか? --- hellog ラジオ版 [hellog-radio][sobokunagimon][hel_education][be][verb][subjunctive][preterite][conjugation][inflection]

 よく寄せられる素朴な疑問です.通常の言い方(直説法)では I was a bird. (私は鳥だった)ですが,非現実的な仮定として「もし私が鳥だったら…」と表現したい場合には妙な過去形を用いて If I WERE a bird . . . とすることになっています.最近の口語では If I WAS a bird . . . のような「通常の」言い方も認められるようになってきてはいるようですが,規範的には If I WERE a bird . . . が推奨されています.この were とは,いったい何なのでしょうか.以下の解説をお聴きください.



 最も重要な点は,歴史的には動詞の活用に関して直説法と接続法(=一般的に「仮定法」として知られているもの)は,2つの明確に異なるものとして区別されていたということです.現代的な形態で説明すれば,直説法では I was, you were, he was, we were などと活用していましたが,接続法では I were, you were, he were, we were などと活用(むしろ無活用)していたのです.色々なスロットで同じような形態を使い回しているといえば,確かにそのように見えるのですが,そもそも直説法と接続法の系列は異なっていたという点が重要です.
 be 動詞は,他の動詞に比べて破格に高頻度であるという理由で,その本来の「異なり」を現在まで保持してきたということにすぎません.逆にいえば,もし be 動詞以外の動詞でもそのような「異なり」が保持されていたのであれば,If I won a lottery . . . (もし宝くじに当たれば…)などという表現において,この won も現行とは異なる形態を取っていた可能性が高いのです.
 be 動詞はきわめて特殊な動詞として,特別に古形を保持してきたというわけです.完全に If I WAS a bird . . . となる日が来たてしまったら,分かりやすくはなりますが,最後の生き残りが滅びていくかのようで,ちょっと寂しくなるとも言えるかもしれません.皆さんはどうお考えでしょうか.
 関連する話題を,##2601,3812,3990,3991の記事セットにまとめましたので,ご一読ください.

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2020-06-12 Fri

#4064. なぜ were はこのスペリングで「ウィア」や「ウェア」ではなく「ワー」と発音するのですか? [sobokunagimon][spelling][pronunciation][be][bre][spelling_pronunciation_gap][vowel][gvs]

 昨日の記事「#4063. なぜ are はこのスペリングで「エァ」ではなく「アー」と発音するのですか?」 ([2020-06-11-1]) に引き続き,類似の問題です.were は,英語の正書法規則に則って発音すれば here, mere, sphere などと脚韻を踏んで [wɪə] となるか,あるいは ere, there, where などと脚韻を踏んで [wɛə] 辺りになりそうですが,実際には [wəː] などと発音されます.これはなぜでしょうか.
 これは,昨日の are と同様に were もまた超高頻度の機能語として弱化と強化を繰り返してきた結果として説明されます.対応する古英語の形態は,標準的とされる West-Saxon 方言で wǣrewǣron でした(cf. 「#2600. 古英語の be 動詞の屈折」 ([2016-06-09-1])).これが中英語にかけて [wæːrə] → [wɛːrə] → [wɛːr] と規則的に発達しました.ここまでは therewhere などと同じ経路をたどっています.
 しかし,この後 were は袂を分かちます.例の超高頻度の機能語としての性(さが)で,弱化が生じ,母音が短化して [wɛr] となります.ここからは -er をもつ多数の語と足並みを揃えて母音が規則的に発達し,[wə] となりました.現在,弱く発音されるときの発音が,この [wə] です.一方,これをもとに新たに強化(長化)した発音も生まれ,現在の通常の発音 [wəː] が定着したというわけです (Jespersen (130; §4.432)) .
 歴史のある段階で weretherewhere と袂を分かったと述べましたが,実は必ずしもそうだったわけではありません.袂を分かたずに発達したとおぼしき,therewhere と脚韻を踏む [wɛə] の発音も,マイナーとはいえ現在でも行なわれているからです.LPD の Preference poll によると,この発音は,イギリス英語で強形として使用される場合に6%という割合ではありますが,確かに行なわれていることがわかります(←私もイギリス滞在中にこの発音をよく聴きました).

Pronunciation of

 昨日の記事のシメの部分を were に関して繰り返したいと思います.were は,超高頻度の機能語であるがゆえに,歴史を通じて弱化と強化の過程にさらされてきました.様々な形態が現われては消えるというプロセスを繰り返し,結果として,そのなかのいずれかの形態が現代標準英語にまで生き延びてきた,ということになります.場合によっては,実に「ウィア」だったかもしれないのです(「ウェア」は実際に6%の現行発音).現在でも非標準発音を探してみれば,様々な形態が残っているはずです.

 ・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part 1. Sounds and Spellings. London: Allen and Unwin, 1909.
 ・ Wells, J C. ed. Longman Pronunciation Dictionary. 3rd ed. Harlow: Pearson Education, 2008.

Referrer (Inside): [2020-06-13-1]

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2020-06-11 Thu

#4063. なぜ are はこのスペリングで「エァ」ではなく「アー」と発音するのですか? [sobokunagimon][spelling][pronunciation][be][spelling_pronunciation_gap][vowel][gvs]

 be 動詞の are は,英語の正書法規則に則って発音すれば [ɛə] となるはずです.語頭に別の子音(字)を補ってみればわかるとおり,bare, care, dare, fare, hare, mare, rare, ware などではいずれも [ɛə] で脚韻を踏みます.are は超高頻度の単語であり,見慣れても読み慣れてもいるために,普段このスペリングと発音の不規則性には気づきませんが,実はおかしな対応関係になっているのです.今回はこの謎に迫ってみましょう.
 are の語源形は,古英語 Anglia 方言の複数形主語に対応する be 動詞の形態 aron (Old Northumbrian) や earun (Old Mercian) にあります.これは古英語で標準的とされた West Saxon 方言などでは用いられなかったので「#2600. 古英語の be 動詞の屈折」 ([2016-06-09-1]) の屈折表には現われていません.古英語の aronearun は,中英語期に語末音節を弱化させ,are のような形態へと水平化していきました.
 中英語でのこの語の発音は,長い語幹母音を示し,語末母音も曖昧母音としてかろうじて生き残っていたと思われます.つまり,/aːrə/ ほどの発音です.その後,もし通常の音発達を遂げていたならば,care が [kaːrə] → [kaːr] → [kɛːr] → [kɛər] → [kɛə] と変化してきたのと平行的に,[aːrə] → [aːr] → [ɛːr] → [ɛər] → [ɛə] となっていたはずです (cf. Minkova 279) .しかし,are に関してはそうはなりませんでした.なぜでしょうか.
 それは先にも触れたように are が超高頻度語であり,しかも機能語であるためです.be 動詞を含め助動詞,代名詞,前置詞などの機能語類は,頻用されるため,発音がすり減って弱化しがちです.一方,あまりに弱化しすぎては用を足しませんので,意識的な強化を施して,発音をしっかりしたものに再生させます.この語類は,歴史上頻繁に弱化と強化を繰り返してきました(cf. 「#3713. 機能語の強音と弱音」 ([2019-06-27-1]),「#1198. icI」 ([2012-08-07-1]),「#781. How d'ye do?」 ([2011-06-17-1]),「#2077. you の発音の歴史」 ([2015-01-03-1]),「#2076. us の発音の歴史」 ([2015-01-02-1])).
 この観点から改めて are の発音の発達をみてみましょう.中英語では [aːrə] → [aːr] まで進みましたが,その後,語幹母音の弱化,もっと具体的にいえば短化が生じ,[ar] となりました.短母音となった以上,長母音のみに作用する近代英語期にかけての大母音推移 (gvs) に突入することもなく,care などとは袂を分かちながら,近代英語期でもこの [ar] を保ち続けました(ただし,長母音形に由来する形態は非標準的には残存し,ain't を生み出したという洞察もあります (Jespersen (130; §4.432))).
 近代英語期の [ar] はさらに弱まって,[a] や [ə] となり,これが現在 we're, they're のようにアポストロフィを伴った省略形として綴られる場合の発音に相当します.一方,意識的な強化を経た形態として,単純に母音を長化させた [aːr] が発達しました.これが現在の通常の発音である [ɑə] や [ɑː] に終着しました.
 are は,超高頻度の機能語であるがゆえに,歴史を通じて弱化と強化の過程にさらされてきました.様々な形態が現われては消えるというプロセスを繰り返し,結果として,そのなかのいずれかの形態が現代標準英語にまで生き延びてきた,ということになります.場合によっては,実に「エァ」だったかもしれないのです.現在でも非標準発音を探してみれば,様々な形態が残っているはずです.

 ・ Minkova, Donka. A Historical Phonology of English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2014.
 ・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part 1. Sounds and Spellings. London: Allen and Unwin, 1909.

Referrer (Inside): [2020-06-13-1] [2020-06-12-1]

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2020-03-30 Mon

#3990. なぜ仮定法には人称変化がないのですか? (1) [oe][verb][be][subjunctive][inflection][number][person][sound_change][sobokunagimon][conjugation][3ps][paradigm]

 現代英語の仮定法では,各時制(現在と過去)内部において直説法にみられるような人称変化がみられません.仮定法現在では人称(および数)にかかわらず動詞は原形そのものですし,仮定法過去でも人称(および数)にかかわらず典型的に -ed で終わる直説法過去と同じ形態が用いられます.
 もっとも,考えてみれば直説法ですら3人称単数現在で -(e)s 語尾が現われる程度ですので,現代英語では人称変化は全体的に稀薄といえますが,be 動詞だけは人称変化が複雑です.直説法においては人称(および数)に応じて現在時制では is, am, are が区別され,過去時制では were, were が区別されるからです.一方,仮定法においては現在時制であれば不変の be が用いられ,過去時制となると不変の were が用いられます(口語では仮定法過去で If I were you . . . ならぬ If I was you . . . のような用例も可能ですが,伝統文法では were を用いることになっています).be 動詞をめぐる特殊事情については,「#2600. 古英語の be 動詞の屈折」 ([2016-06-09-1]),「#2601. なぜ If I WERE a bird なのか?」 ([2016-06-10-1]),「#3284. be 動詞の特殊性」 ([2018-04-24-1]),「#3812. waswere の関係」 ([2019-10-04-1]))を参照ください.
 今回,英語史の観点からひもといていきたいのは,なぜ仮定法には上記の通り人称変化が一切みられないのかという疑問です.仮定法は歴史的には接続法 (subjunctive) と呼ばれるので,ここからは後者の用語を使っていきます.現代英語の to love (右表)に連なる古英語の動詞 lufian の人称変化表(左表)を眺めてみましょう.

古英語 lufian直説法接続法 → 現代英語 love直説法接続法
単数複数単数複数単数複数単数複数
現在時制1人称lufielufiaþlufielufien現在時制1人称lovelovelove
2人称lufast2人称
3人称lufaþ3人称loves
過去時制1人称lufodelufodenlufodelufoden過去時制1人称lovedloved
2人称lufodest2人称
3人称lufode3人称


 古英語でも接続法は直説法に比べれば人称変化が薄かったことが分かります.実際,純粋な意味での人称変化はなく,数による変化があったのみです.しかし,単数か複数かという数の区別も念頭においた広い意味での「人称変化」を考えれば,古英語の接続法では現代英語と異なり,一応のところ,それは存在しました.現在時制では主語が単数であれば lufie,複数であれば lufien ですし,過去時制では主語が単数で lufode, 複数で lufoden となりました.いずれも単数形に -n 語尾を付したものが複数となっています.小さな語尾ですが,これによって単数か複数かが区別されていたのです.
 その後,後期古英語から中英語にかけて,この複数語尾の -n 音は弱まり,ゆっくりと消えていきました.結果として,複数形は単数形に飲み込まれるようにして合一してしまったのです.
 以上をまとめしょう.古英語の動詞の接続法には,数によって -n 語尾の有無が変わる程度でしたが,一応,人称変化は存在していたといえます.しかし,その -n 語尾が中英語にかけて弱化・消失したために,数にかかわらず同一の形態が用いられるようになったということです.現代英語の仮定法に人称変化がないのは,千年ほど前にゆっくりと起こった小さな音変化の結果だったのです.

Referrer (Inside): [2020-03-31-1]

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2019-10-04 Fri

#3812. waswere の関係 [be][verb][preterite][subjunctive][inflection][verners_law][rhotacism][subjunctive][sobokunagimon]

 現代英語において be 動詞が形態的にきわめて特殊な動詞であることについて,歴史的な観点から「#2600. 古英語の be 動詞の屈折」 ([2016-06-09-1]) で解説した.端的にいえば,4つの異なる語根からなる寄せ集め所帯ということだ.
 be 動詞の屈折形のなかでも過去形に注目すると,w- で始まる形態が現われている.直説法においては人称・数によって waswere が区別され,接続法(現在の仮定法)においては不変の were となる.古英語では,過去形のみならず,現在形 wes, wesað,不定詞形 wesan,現在分詞形 wesende なども用いられたが,これらは後に衰退してしまった(命令形の化石としては「#3275. 乾杯! wassail」 ([2018-04-15-1]) を参照).
 さて,waswere の2つの屈折形は,古英語から現代英語に至るまで,人称・数・法によって使い分けがなされてきたことになるが,なぜ sr で子音が異なっているのだろうか.実は,これは英語史ではよく知られている Verner's Law (verners_law) と rhotacism のたまものである./s/ は,有声音に囲まれた環境では有声化して /z/ となり,さらに直前に強勢が落ちない環境では /r/ へと変化したのである(概要は「#36. rhotacism」 ([2009-06-03-1]) を参照).
 was, were の素となる wesan (to live, remain) という動詞は,歴史的に強変化第5類の動詞として分類されるが,これは「言う」を意味する古英語の高頻度語 cweðan と同じ振る舞いをする.後者の4主要形が cweðan (不定詞形)-- cwæþ (第1過去形)-- cwǣdon (第2過去形) -- cweden (過去分詞形)となるように,前者は wesan (不定詞形)-- wæs (第1過去形)-- wǣron (第2過去形)となる(過去分詞形は欠損;Hogg and Fulk 246) .
 ポイントは,古英語の直説法屈折においては人称・数によって wæs, wǣre, wǣron が使い分けられ,sr が共存していたが,接続法屈折においては人称は不問であり,単数ならば wære,複数ならば wæren というように r しか現われなかった点である.この直説法と接続法の微妙な差異が,現在にまで響いており,なぜ *If I WAS a bird ではなく If I WERE a bird なのかという疑問を引き起こすことになる(「#2601. なぜ If I WERE a bird なのか?」 ([2016-06-10-1]) を参照).
 この問題を裏からみれば,ほぼすべての動詞では形態的な区別が失われてしまった直説法と接続法がいまだに「公式に」区別されているのは,be 動詞にのみ残されている waswere の子音の違いゆえなのである.古英語以前に生じた Verner's Law と rhotacism という,ちょっとした音変化のいたずらのなせる技というわけだ.
 なお,上記からもわかるとおり,be 動詞はかつての第1過去形と第2過去形の区別を残す唯一の動詞である.いや,sing の過去形として,フォーマルには sang と言いながらインフォーマルには sung と言う英語母語話者を知っているが,彼はある意味では第1過去形と第2過去形を(古英語とは別のやり方ではあるが)区別しているといえなくもない(「#2084. drink--drank--drunkwin--won--won」 ([2015-01-10-1]) を参照).

 ・ Hogg, Richard M. and R. D. Fulk. A Grammar of Old English. Vol. 2. Morphology. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2011.

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2019-08-07 Wed

#3754. ケルト語からの構造的借用,いわゆる「ケルト語仮説」について [celtic][borrowing][syntax][contact][substratum_theory][celtic_hypothesis][substratum_theory][do-periphrasis][reflexive_pronoun][be][nptr][fricative_voicing]

 この20数年ほどの間に,「ケルト語仮説」 ("the Celtic hypothesis") に関する研究が著しく増えてきた.英語は語彙以外の部門においても,従来考えられていた以上に,ブリテン諸島の基層言語であるケルト諸語から強い影響を受けてきたという仮説だ.1種の基層言語影響説といってよい(cf. 「#1342. 基層言語影響説への批判」 ([2012-12-29-1])).非常に論争の的になっている話題だが,具体的にどのような構造的な言語項がケルト語からの影響とみなされているのか,挙げてみよう.以下,Durkin (87--90) による言及を一覧にするが,Durkin 自身もケルト語仮説に対してはやんわりと懐疑的な態度を示していることを述べておこう.

 ・ 古英語における be 動詞の bēon 系列を未来時制,反復相,継続相を示すために用いる用法.ウェールズ語に類似の be 動詞が存在する.
 ・ -self 形の再帰代名詞の発達(cf. 「#1851. 再帰代名詞 oneself の由来についての諸説」 ([2014-05-22-1]))
 ・ be + -ing の進行形構造の発達
 ・ do を用いた迂言的構造 (do-periphrasis) の発達
 ・ 外的所有者構造から内的所有者構造への移行 (ex. he as a pimple on the nosehe has a pimple on his nose)
 ・ "Northern Subject Rule" の発達(cf. 「#689. Northern Personal Pronoun Rule と英文法におけるケルト語の影響」 ([2011-03-17-1]))
 ・ ゼロ関係詞あるいは接触節の頻度の増加
 ・ it を用いた分裂文 (cleft sentence) の発達 (ex. It was a bike that he bought (not a car).) .なお,フランス語の対応する分裂文もケルト語の影響とする議論があるという (Durkin 87) .
 ・ /f/ と /v/, /θ/ と /ð/ の音韻的対立の発達と保持(cf. 「#3386. 英語史上の主要な子音変化」 ([2018-08-04-1]) の2点目)

 ・ Durkin, Philip. Borrowed Words: A History of Loanwords in English. Oxford: OUP, 2014.

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2019-04-18 Thu

#3643. many years agoago とは何か? [adjective][adverb][participle][reanalysis][be][perfect][sobokunagimon]

 現代英語の副詞 ago は,典型的に期間を表わす表現の後におかれて「〜前に」を表わす.a moment ago, a little while ago, some time ago, many years ago, long ago などと用いる.
 この ago は語源的には,動詞 go に接頭辞 a- を付した派生動詞 ago (《時が》過ぎ去る,経過する)の過去分詞形 agone から語尾子音が消えたものである.要するに,many years ago とは many years (are) (a)gone のことであり,be とこの動詞の過去分詞 agone (後に ago)が組み合わさって「何年もが経過したところだ」と完了形を作っているものと考えればよい.
 OED の ago, v. の第3項には,"intransitive. Of time: to pass, elapse. Chiefly (now only) in past participle, originally and usually with to be." とあり,用例は初期古英語という早い段階から文証されている.早期の例を2つ挙げておこう.

 ・ eOE Anglo-Saxon Chron. (Parker) Introd. Þy geare þe wæs agan fram Cristes acennesse cccc wintra & xciiii uuintra.
 ・ OE West Saxon Gospels: Mark (Corpus Cambr.) xvi. 1 Sæternes dæg wæs agan [L. transisset].


 このような be 完了構文から発達した表現が,使われ続けるうちに be を省略した形で「〜前に」を意味する副詞句として再分析 (reanalysis) され,現代につらなる用法が発達してきたものと思われる.別の言い方をすれば,独立分詞構文 many years (being) ago(ne) として発達してきたととらえてもよい.こちらの用法の初出は,OED の ago, adj. and adv. によれば,14世紀前半のことである.いくつか最初期の例を挙げよう.

 ・ c1330 (?c1300) Guy of Warwick (Auch.) l. 1695 (MED) It was ago fif ȝer Þat he was last þer.
 ・ c1415 (c1395) Chaucer Wife of Bath's Tale (Lansd.) (1872) l. 863 I speke of mony a .C. ȝere a-go.
 ・ ?c1450 tr. Bk. Knight of La Tour Landry (1906) 158 (MED) It is not yet longe tyme agoo that suche custume was vsed.


 MED では agōn v. の 5, 6 に類例が豊富に挙げられているので,そちらも参照.

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2019-04-06 Sat

#3631. なぜ「〜に行ったことがある」は have gone to . . . ではなく have been to . . . なのか? [sobokunagimon][perfect][be]

 「行く」は go であり,「〜したことがある」という経験の意味は現在完了「have + 過去分詞」で表わすということであれば,「〜に行ったことがある」は普通に考えて have gone to . . . となりそうだが,一般的には have been to . . . であると習う.これは私もずっと不思議に思っていた.だが,フレーズとして,構文としてそのようになっているのだと言い聞かされてきたので,それ以上の質問はしてこなかった.だが,改めて考えてみて,やはり謎である.
 have gone to . . . は「行ったことがある」という経験ではなく,「行ってしまった(その結果,ここにはいない)」という結果の意味になると,しばしば言われる.ここから,現在完了の経験用法と結果用法の形式がバッティングしないよう,前者には区別された形式 have been to . . . が用いられるのだ,という理屈が成立しそうである.もちろんこの説明はある程度まで納得できる.しかし,構文上の "blocking" とでも呼ぶべき,このような共時的かつ機能的な説明原理は,アドホックのきらいがあるように思われる.1つの機能に対して1つの形式を対応させようという言語の一般的指向については理解できるとしても,その形式がなぜとりわけ have been to . . . でなければならなかったのかという個別の問題については,何もヒントを与えてくれないからだ.また,アメリカ英語における事実として,have gone to . . . が経験の意味を表わすケースもある.たとえば,小西 (568) より I took a scuba course in college and I've gone a few times to the Caribbean. なる例文をあげておこう.
 もちろん,歴史的にひもとけば疑問が解消するかといえば,ことはそう簡単ではないようだ.今のところ,(少なくとも私には)答えらしきものは見出せていない.しかし,歴史の事実を与えられれば,疑問をみる視点は明らかに変わってくる.というのは,そもそも「〜に行ったことがある」を意味する have been to . . . という形式は比較的新しい18世紀の産物であり,それ以前には用いられていなかったようだからだ.なぜ18世紀に現われたのか,そしてなぜとりわけその形式が選ばれることになったのか.これは共時的な理論英語学ではなく通時的な歴史英語学の話題である.
 OED は be, v. の 8c に,この用法が取り上げられている.

c. With to and a noun: to have been present (in a place, esp. for some purpose, or at an event or special occasion); to have gone to visit (and returned from) a place.
   Apparently rare before the second half of the 18th cent. (when it occurs frequently in the usage of Fanny Burney).
1712 R. Laurence Bishop of Oxford's Charge Consider'd §xlviii. 73 Publickly Baptiz'd a Child in the Meeting-house; which was carried thither in as great Form and Order, as if it had been to Church.
1763 F. Brooke Hist. Lady Julia Mandeville I. 178 We have been to the parish church, to hear Dr. H. preach.
1773 F. Burney Early Diary (1889) I. 186 She had been to these rehearsals.
1778 F. Burney Evelina I. xvii. 115 Miss will think us very vulgar..to live in London, and never have been to an Opera.
1802 C. Wilmot Irish Peer on Continent (1920) 39 We have been to the Opera Buffa or the Italian Opera.
1829 R. Sharp Diary 21 June (1997) 209 This understrapping Parson of ours has been to Cambridge the last week to vote for who? why for Mr. Bankes.
1892 E. Reeves Homeward Bound 205 Hadji is his title, and means that he has been to Mecca.
1902 Westm. Gaz. 25 Aug. 2 His Majesty has been to Westminster Abbey, and the Crystal Palace,..and Madame Tussaud's.
1915 T. S. Eliot Let. 3 Jan. (1988) I. 77 I have just been to a cubist tea.
1977 J. Lees-Milne Diary 27 Sept. in Through Wood & Dale (2001) 195 I have not been to the lav since I left Salonika on Friday.
2007 S. Worboyes Lipstick & Powder iii. 91 This wasn't the first time she had been to the flat so she knew where everything was kept.


 説明にあるとおり,18世紀後半に Fanny Burney (1752--1840) が頻繁に用いたことが,この用法の実質的な走りとなったようだ.これは今後追いかけていく必要がありそうだ.いずれにせよ,静的な be と,移動およびその目的地を含意する動的な to とが直接結びつくという違和感はぬぐいきれない.当面の仮説として,顕在化していない go の亡霊を想定せざるを得ないのではないかとだけ述べておきたい.

 ・ 小西 友七 編 『現代英語語法辞典』 三省堂,2006年.

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2019-02-11 Mon

#3577. 黒人英語 (= AAVE) の言語的特徴 --- 文法 [aave][variation][variety][morphology][syntax][negative][be][auxiliary_verb][tense][aspect][inversion]

 昨日の記事「#3576. 黒人英語 (= AAVE) の言語的特徴 --- 発音」 ([2019-02-10-1]) に引き続き,McArthur に依拠して AAVE の言語的特徴について.今回は文法に注目する.

 (1) 他の英語変種にもみられるが,多重否定は普通に用いられる.No way no girl can't wear no platform shoes to no amusement park.

 (2) 存在構文に there ではなく it を用いる.It ain't no food here.

 (3) 複数形,所有格形,3単現の -s,過去の -ed などが省略されることがある.He got three cent. / That's my brother book. / She like new clothes. / They talk all night.

 (4) 疑問文で倒置がなされないことがある.What it is? / How you are?

 (5) be 動詞の否定で do が用いられることがある.It don't all be her fault.

 (6) be の習慣相の用法.They be fightin. / He be laughing.

 (7) 強勢のある been により遠い過去の習慣的な行為を表わす.I béen see dat movie. / She béen had dat hat.

 (8) 時に小辞 a により意志を表わす.I'm a shoot you. (= I'm going to shoot you.)

 (9) steady が,進行形の前位置や,文末の位置において強勢を伴って相的な意味を表わす.We be steady rappin. / We steady be rappin. / We be rappin stéady. (= We are always talking.) / They steady be high. / They be stady high. / They be high stéady.. (= They are always intoxicated.)

 (10) Come が時に準助動詞として用いられる.He come tellin me some story. (= He told me a lie.) / They come comin in here like they own de place. (= They came in here like they owned the place.)

 (11) like を「ほとんど」の意味で副詞的に用いる.I like to die(d). (= I almost died.) / He like to hit his head on that branch. (= He almost hit his head on that branch.)

 確かにこのような英語で話しかけられれば,わかるはずの文も聞き取れないだろうと思われる.しかし,異なる言語というほどの距離感ではないのも事実である.AAVE の位置づけの論争も熱を帯びるわけだ.

 ・ McArthur, Tom, ed. The Oxford Companion to the English Language. Oxford: OUP, 1992.

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2019-02-06 Wed

#3572. 謎の多い be 動詞の否定形 ain't (2) [be][conjugation][negative][compensatory_lengthening]

 昨日の記事 ([2019-02-05-1]) に続き,ain't について.今回はその起源に関するいくつかの説を紹介しよう.
 昨日も述べたように ain't は,am not, isn't, aren't のいずれの代用としても用いられることから,これらのいずれかに起源をもつと考えるのが自然だろう.しかし,これら標準的な3つのいずれかからの発達と仮定する場合,n の前に来る子音の消失に関する問題と,第1音節の母音 /eɪ/ に関する問題を解決しなければならない.これが,なかなか難しい.
 1人称単数 I に対応する ain't に関しては,Crystal (35) は,歴史的な amn't, amna, amnae, ammot, am't などからの子音脱落によるものとみている.

. . . from the sixteenth century on, we see forms dropping the m appear---first an't, then ain't, again with many regional variants such as een't in Suffolk, yunt in Worcestershire, yent in Berkshire, ant in New England, and ent in African-American usage.


 次に,OED の be, v. を引いてみると,語源解説の2.1に詳しい記述がある.それによると,ain't は,amn't からの発達という可能性もあるが,aren't からも,そして isn't からも同様に発達し得たことが示唆されている.

The forms an't and ain't, when functioning as 1st singular, perhaps represent a contraction of am with the negative particle rather than levelling from the 2nd singular and plural (i.e. corresponding to aren't with simplification of final consonant group; compare discussion of ain't below and see discussions in E. J. Dobson Eng. Pronunc. 1500-1700 (ed. 2, 1968) II. §238, W. N. Francis in Focus on: Eng. & Wales (1985) 141-151; a third possible source (for ain't) is by compensatory lengthening after loss of s from isn't; compare discussion of en't at Forms 2c(iv)ζ). However, if so, an't and ain't were subsequently reanalysed as equivalent to are not, and the spelling aren't superseded an't in standard English, leading to avoidance not only of I aren't but also of aren't I by some speakers of current English. A similar problem arises with the early modern English form wan't, which when used for the singular, may represent either a contraction of was with not or show levelling of a variant of weren't. Compare also the concurrent development of similar contracted forms shan't (contracted form of SHALL v.) and han't, hain't, ain't (contracted forms of HAVE v.).


 数・人称ごとに場合分けして発達を探るということが必要かもしれない.また,子音の問題は,いずれの場合にも「脱落」で片付けることができるかもしれないが,母音の問題については積極的なコメントはない.方言形であるとか,単に異形であるとか,そのような説明で済ませている場合が多いようだ.やはり,ain't は歴史的に謎である.

 ・ Crystal, David. The Story of Be. Oxford: OUP, 2017.

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2019-02-05 Tue

#3571. 謎の多い be 動詞の否定形 ain't (1) [be][conjugation][negative][register]

 be 動詞の否定形の1形態として ain't がある.非標準的とみなされるが,口語ではしばしば用いられる.am not, aren't, isn't のいずれにも相当するため,性と数を考慮しない,ある意味で「夢のような」 be 動詞の形態である.いな be 動詞にとどまらず,have not, has not の非標準的な異形としても用いられ,実に守備範囲が広い.黒人英語,いわゆる AAVE では,don't, doesn't, didn't の代用ともなり,著しい万能性を示す.今回は be 動詞の否定形としての ain't に話しを絞る.
 ain't は非標準的とされており,その使用は規範的な立場から非難されることが多い.しかし,口語では教養ある人々の間でも頻用され,とりわけ1人称単数の疑問形 am I not? の代わりとしての ain't I は許容される度合いが高い (ex. I'm going too, ain't I?) .また,100年ほど前には,上流階級でも普通に用いられていた旨が Crystal (35) に述べられている.

Today, ain't is considered non-standard, but it's widespread throughout the English-speaking world---probably used far more often than the standard equivalent---and a century ago it was actually acceptable upper-class speech, turning up frequently in the novels of the period. Here's the lawyer Mr Wharton arguing with his sister-in-law over his daughter's future, in Anthony Trollope's The Prime Minister (1875): 'I ain't thinking of her marrying'. And towards the end of the novel the Duke of Omnium himself asks someone: 'I hope you ain't cold'.


 ain't は18世紀後半より広く用いられているが,その起源については諸説ある.共時的な用法に関しても,通時的な発達に関しても謎の多い魅力的なトピックである.関連して American Heritage Dictionary の Notes より,ain't を参照.

 ・ Crystal, David. The Story of Be. Oxford: OUP, 2017.

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2018-11-27 Tue

#3501. 1552年と1662年の祈祷書の文法比較 [book_of_common_prayer][bible][emode][3sp][personal_pronoun][t/v_distinction][relative_pronoun][be][language_change]

 1549年,Thomas Crammer の編纂した The Book of Common Prayer (祈祷書)が世に出た.1552年には,その改訂版が出されている.この祈祷書の引用元となっているのは1539年の the Great Bible である.一方,およそ1世紀後,王政復古期の1662年に,別版の祈祷書が出版された.現在も一般に用いられているこちらの新版は,1611年の the King James Bible に基づいており,言語的にはむしろ保守的である.つまり,1552年版と1662年版の祈祷書を比べてみると,後者のほうが年代としては100年余り遅いにもかかわらず,言語的には前者よりも古い特徴を示すことがあるということだ.ただし,全部が全部そうなのではなく,後者が予想通り,より新しい特徴を示している例もあり複雑だ.
 Gramley (144) は,Nevalainen (1998) の研究を参照しながら,5点の文法項目を比較している.

feature15521662
3rd person singular endingmixed {-th} and {-s}reversion to {-th}
2nd person singular personalthou/thee but some ye/youlargely a return to thou/thee
nominative ye/youboth ye and youlargely a return to ye
nominative which/who56 who vs. 129 which172 who vs. 13 which
present tense plural be/are52 are vs. 105 be125 are vs. 32 be


 最初の3点は1662年版のほうがむしろ古風な特徴を保持しているケース,最後の2点は時代に即した分布を示しているようにみえるケースだ.2つのケースの違いは,前者が意識的な変化 ("change from above") の結果であり,後者が無意識的な変化 ("change from below") の結果であるとして説明することができるかもしれない.口頭の発話が意図されている文脈ではより新しい語法が用いられているという報告もあるので,おそらく文体の問題と1世紀の間の言語変化の問題とが複雑に絡み合って,それぞれの表現が選ばれているのだろう.聖書を用いた通時言語学的比較は,おおいに注意を要する作業である.
 祈祷書については,「#745. 結婚の誓いと wedlock」 ([2011-05-12-1]),「#1803. Lord's Prayer」 ([2014-04-04-1]),「#2738. Book of Common Prayer (1549) と King James Bible (1611) の画像」 ([2016-10-25-1]),「#2597. Book of Common Prayer (1549)」 ([2016-06-06-1]) を参照.

 ・ Gramley, Stephan. The History of English: An Introduction. Abingdon: Routledge, 2012.
 ・ Nevalainen, T. "Change from Above. A Morphosyntactic Comparison of Two Early Modern English Editions of The Book of Common Prayer." A Reader in Early Modern English. Ed. M. Rydé, I. Tieken-Boon van Ostade, and M. Kytö. Frankfurt: Lang, 165--86.

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2018-04-24 Tue

#3284. be 動詞の特殊性 [be][inflection][inflection][clitic][verb][auxiliary_verb][sobokunagimon]

 be 動詞が特殊な動詞であることは,改めて言うまでもないように思われる.他の動詞にないような複雑な屈折を示す,共時的には実にへんてこな動詞だ.実際に,「#3279. 年度初めの「素朴な疑問」を3点」 ([2018-04-19-1]) の3点目にも挙げたように,be 動詞は多くの英語学習者に激しい「なぜ?」を引き起こす.
 be 動詞に執拗にこだわった Crystal の著書 The Story of Be の序章 (p. xi--xii) では,be 動詞の特殊性が列挙されている.

 (1) be 動詞は,英語の他のあらゆる動詞よりも多様な変化形をもつ.walk ならば walk, walks, walked, walked と4種類の異なる形を示し,go ならば go, goes, going, gone, went の5種類の異なる形を示すが,be では be, am, is, are, was, were, being, been の8種類が区別される.さらに歴史的にいえば,be 語形の多様性は目のくらむほどである.
 (2) すべての他の動詞では,現在形において有標の形態をもつのは3人称単数の -s のみだが,be 動詞では上記のように1,2,3人称のそれぞれにおいて異なる形態を示す.
 (3) be では,強勢のある発音 (be, been) と強勢のない発音 (bi, bin, bn) が区別される.
 (4) (接語的)代名詞と接続して,twas (< it was), wast (< was it) のように融合する.また,you're, I'm, aren't, weren't などの縮約形を示す.同様の縮約を示すのは,ほかに havedo のみである (ex. hasn't, don't) .
 (5) be 動詞は3つの非常に異なる文法機能をもつ.1つ目に「存在する」を意味する一般動詞として,2つ目に進行形や受動態を作る助動詞として,3つ目に連結詞 (copula) としてである.他の動詞でここまで多彩な機能を有するものはない.

 Crystal の締めくくりは,次の如く.

It is thus hardly surprising to find that, over the past 1,500 years, be has developed a wide range of meanings and uses, and a wider range of variant forms than any other English verb. It is the second most frequent word in English, after the. If any verb deserves its own story, it is this one.


 ・ Crystal, David. The Story of Be. Oxford: OUP, 2017.

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2018-04-19 Thu

#3279. 年度初めの「素朴な疑問」を3点 [sobokunagimon][alphabet][numeral][be]

 本年度も大学で英語史概説の講義が始まった.いつも初回には英語の「素朴な疑問」を学生より収集しているが,しばしば多くの学生から重複した疑問が寄せられる.およそ本ブログのどこかで回答したり解説を加えたりしているので,今回とりわけ目に付いた3つの「素朴な疑問」について,簡単なコメントを付し,関連するブログ記事へのリンクを張っておきたい.

[ 素朴な疑問1 ] 英語のアルファベットはなぜ A, B, C . . . Z という並び順になっているのか?

 一言でいえば,英語がラテン語からアルファベットを借りたときに,およそその並び順だったから.そして,そのラテン語はギリシア語からアルファベットを借りたときに,およそその並び順だったから.さらに,そのギリシア語は・・・と続けていくと,最終的には紀元前1700年頃に北セム諸語を表記した原初のアルファベットがおよそその並び順だったから,ということになる.では,その原初のアルファベットにおける並び順の論理はといえば,なかなか一意に定めがたい.以下の記事を参照.

   ・ 「#2105. 英語アルファベットの配列」 ([2015-01-31-1])
   ・ 「#423. アルファベットの歴史」 ([2010-06-24-1])
   ・ 「#1849. アルファベットの系統図」 ([2014-05-20-1])
   ・ 「#1832. ギリシア・アルファベットの文字の名称 (1)」 ([2014-05-03-1])
   ・ 「#1833. ギリシア・アルファベットの文字の名称 (2)」 ([2014-05-04-1]

[ 素朴な疑問2 ] なぜ eleven, twelve は,*oneteen, *twoteen などではないのか?

 これも難しい問題だが,英語の属するゲルマン語派において12進法の伝統があったことが関与する.12進法の体系と,後にキリスト教とともにもたらされたと考えられる10進法の体系が衝突し,混合型の数詞体系ができあがったとのだろう.これに関していずれも間接的な視点からではあるが,以下の記事を参照.

   ・ 「#2286. 古英語の hundseofontig (seventy), hundeahtatig (eighty), etc.」 ([2015-07-31-1])
   ・ 「#2304. 古英語の hundseofontig (seventy), hundeahtatig (eighty), etc. (2)」 ([2015-08-18-1])
   ・ 「#2473. フランス語にみられる20進法の残滓」 ([2016-02-03-1])
   ・ 「#2477. 英語にみられる20進法の残滓」 ([2016-02-07-1])
   ・ 「#2491. フランス語にみられる20進法の起源説」 ([2016-02-21-1])
   ・ 「#2474. 数字における「底の原理」」 ([2016-02-04-1])

[ 素朴な疑問3 ] なぜ be 動詞は is, am, are ほか様々な形があり使い分けなければならないのか?

 古英語では be 動詞に限らず,一般の動詞が主語の文法的・意味的な特性に応じて異なる形に活用しなければならなかったが,後の歴史においてそのような活用が大幅に失われ,現在に至る.しかし,超高頻度語である be 動詞に限っては,古い活用がかなりよく保たれている.したがって,この素朴な疑問を英語史的な観点からパラフレーズすると,「なぜ be 動詞以外では様々な形が消失してしまったのか?」となる.以下を参照.

   ・ 「#2600. 古英語の be 動詞の屈折」 ([2016-06-09-1])
   ・ 「#2601. なぜ If I WERE a bird なのか?」 ([2016-06-10-1])
   ・ あわせて,拙著『英語の「なぜ?」に答える はじめての英語史』の「4.2節 なぜ If I were a bird となるのか?」も参照

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2018-04-15 Sun

#3275. 乾杯! wassail [be][etymology][oe][bible][imperative][old_norse]

 4月は新歓の季節ということで,この話題.wassail /ˈwɒseɪl, ˈwɑːsl/ という語は,名詞として「(主にクリスマスの)祝いの酒」を,動詞として「酒盛りをする;酒で祝う」を意味する.ここには,今はなき be 動詞の命令形が化石的に埋め込まれている(Crystal 21 を参照).
 古英語での乾杯の挨拶は,相手が単数の場合には wes hal "(you (sg.)) be in good health",相手が複数の場合には wesað hale "(you (pl.)) be in good health" と言った.weswesað は,現在では使われていない be 動詞の一種 wesan の2人称命令形(それぞれ単数と複数)である(cf. 「#2600. 古英語の be 動詞の屈折」 ([2016-06-09-1])).hal(e) は,現代英語で「健全な;健康な」を表わす wholehale の古英語形であり,「万歳」という呼びかけに対応する hail とも同根である(cf. 「#1783. whole の <w>」 ([2014-03-15-1])).古英語のウェストサクソン福音書では,Luke 1.28 で天使がマリアに対して Hal wes ðu と挨拶する箇所がある.
 中英語では wesan 系列の be 動詞の命令形は消失していったが,くだんの乾杯の表現は wassail として固定化した状態で生き残った.なお,wassail に対する返しの挨拶は,drinkhail である.
 古ノルド語にも同種の表現 ves heill があり,英語表現の語源説としてはむしろこの古ノルド語形の影響が大きいとされるが,現在は wassail はいかにも伝統的なイギリス風の乾杯の仕方として知られている.

 ・ Crystal, David. The Story of Be. Oxford: OUP, 2017.

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