昨日の記事「#5133. 言語項移動の類型論」 ([2023-05-17-1]) の続編.Heine and Kuteva (87) が,言語項移動 (linguistic transfer) の主な種類を次のように分類している(ここでは提示の仕方を少々改変している).
Contact-induced transfer ─┬─ Borrowing │ └─ Replication ─┬─ Lexical replication │ └─ Grammatical replication ─┬─ Contact-induced grammaticalization │ └─ Restructuring ─┬─ Loss │ └─ Rearrangement
Heine and Kuteva によれば,これらの用語やその背後にある洞察は,Weinreich に負っている (86) .replication とは "kinds of transfer that do not involve phonetic substance of any kind" のことであり,伝統的に "structural borrowing" や "(grammatical) calquing" と呼ばれてきたものに相当する.この replication には,一方で語彙に関するものがあり,他方で文法的意味・構造に関するものがある.後者の replication は,本質的には文法化 (grammaticalisation) に沿ったものとなるが,そうでない少数の例のために restructuring という用語を充てておく(そしてさらに細分化する).上の図は,このような言語項移動に関する見方を整理したものである.
言語接触 (contact) に関する類型論 (typology) は様々なものが提案されてきたが,この Heine and Kuteva の分類もたいへん示唆的である.その他,以下の記事などを参照されたい.
・ 「#1779. 言語接触の程度と種類を予測する指標」 ([2014-03-11-1])
・ 「#1780. 言語接触と借用の尺度」 ([2014-03-12-1])
・ 「#1781. 言語接触の類型論」 ([2014-03-13-1])
・ 「#1985. 借用と接触による干渉の狭間」 ([2014-10-03-1])
・ 「#2008. 言語接触研究の略史」 ([2014-10-26-1])
・ 「#2009. 言語学における接触,干渉,2言語使用,借用」 ([2014-10-27-1])
・ 「#2079. fusion と mixture」 ([2015-01-05-1])
・ 「#4410. 言語接触の結果に関する大きな見取り図」 ([2021-05-24-1])
・ Heine, Bernd and Tania Kuteva. "Contact and Grammaticalization." Chapter 4 of The Handbook of Language Contact. Ed. Raymond Hickey. 2010. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2013. 86--107.
・ Weinreich, Uriel. Languages in Contact: Findings and Problems. New York: Publications of the Linguistic Circle of New York, 1953. The Hague: Mouton, 1968.
言語Aから言語Bへある言語項が移動することを "linguistic transfer" (言語項移動)と呼んでおこう.言語接触 (contact) において非常に頻繁に起こる現象であり,その典型的な現われの1つが語の借用 (borrowing) である.しかし,それだけではない.語の意味だけが移動する意味借用 (semantic_borrowing) もあれば,統語的な単位や関係が移動する例もある.音素(体系)の移動や語用論的項目の移動もあるかもしれない.一言で "linguistic transfer" といっても,いろいろな種類があり得るのだ.
Heine and Kuteva (87) は,5種類の言語項移動を認めている.
a. form, that is, sounds or combinations of sounds,
b. meanings (including grammatical meanings) or combinations of meanings,
c. form-meaning units,
d. syntactic relations, that is, the order of meaningful elements,
e. any combination of (a) through (d).
音形の移動を伴う a と c は,平たくいえば「借用」 (borrowing) である.一方,b と d は音形の移動を伴わない移動であり,先行研究にならって「複製」 (replication) と呼んでおこう.大雑把にいえば,借用はより具体的な項目の移動で,複製はより抽象的な項目の移動である.ちなみに e はすべてのごった煮である.この言語項移動の類型論は,意外とわかりやすいと思っている.
・ Heine, Bernd and Tania Kuteva. "Contact and Grammaticalization." Chapter 4 of The Handbook of Language Contact. Ed. Raymond Hickey. 2010. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2013. 86--107.
Bybee による形態論の本を読んでいて,通言語的にみて接続法 (subjunctive) と命令法 (imperative) との関係が深い旨の記述があった.英語史の観点からは「#2476. 英語史において動詞の命令法と接続法が形態的・機能的に融合した件」 ([2016-02-06-1]) で取り上げたが,印欧語族以外の言語も含めた上で,改めて議論できそうだ.Bybee (186) より引用する.
Since the subjunctive is usually a marker of certain types of subordination, it is very difficult to say what the subjunctive "means" in any given language. There is a long literature on this problem in European languages, and no satisfactory solution. At most, it might be said that the subjunctive has a very general meaning such as "non-asserted" and then it takes more specific meanings from the context in which it occurs.
Considered cross-linguistically, there is evidence of a relation between the subjunctive and imperative or related moods. When subjunctive forms are used in main clauses, they have an imperative function in Maasai, Basque and Yupik, and/or a hortative function in Tarascan, Pawnee and Maasai, in keeping with their non-asserted subordinate clause functions. The marking of subjunctive parallels that of indicative or imperative in most languages. In Maasai and Pawnee, the subjunctive is a prefix, just as the imperative is, and in Tarascan, Ojibwa and Georgian the subordinating mood is expressed in the same way as the imperative or optative
接続法と命令法(および関連する他のいくつかの法)はしばしば機能的にも形態的にも近親であるということが,通言語学的にも示唆されたわけだ.その上で改めて英語史に戻ってみるのもおもしろい.英語史では,形態的にいえば接続法と命令法はもともと異なっていたが,徐々に融合してきたという興味深い現象が起こっているからだ.
関連して以下の記事も参照.
・ 「#2475. 命令にはなぜ動詞の原形が用いられるのか」 ([2016-02-05-1])
・ 「#3538. 英語の subjunctive 形態は印欧祖語の optative 形態から」 ([2019-01-03-1])
・ 「#3540. 願望文と勧奨文の微妙な関係」 ([2019-01-05-1])
・ Bybee, Joan. Morphology: A Study of the Relation between Meaning and Form. John Benjamins, Amsterdam/Philadelphia, 1985.
昨日の記事「#4853. 音節とモーラ」 ([2022-08-10-1]) に引き続き,日英語の韻律を比較対照する.以下,窪薗 (27--28) を参照する.
日本語はモーラ(音節)拍リズム (mora-timed/syllable-timed rhythm) をもち,英語は強勢拍リズム (stress-timed rhythm) をもつといわれる.
日本語のモーラ(音節)拍リズムとは,同じ長さの単位(モーラや音節などの単位で,日本語の場合には典型的にモーラ)が連続して現われるもので,「連続のリズム」 (rhythm of succession) あるいは「機関銃リズム」 (machine-gun rhythm) とも呼ばれる.英語母語話者にとって,日本語のリズムは「ダダダダダダダダ」のように単調なものに聞こえるという.
一方,英語の強勢拍リズムとは,強勢のある音節とない音節とが典型的に交互に現われるもので,「交替のリズム」 (rhythm of alternation) あるいは「モールス信号リズム」 (Morse-code rhythm) ともいわれる.日本語母語話者にとって,英語のリズムは強弱のメリハリのある音の塊の繰り返しと聞こえる.日英語の基本的なリズム感は,このように類型論的に対照的なため,お互いに違和感が大きい.
現代英語が強勢伯リズムをもつことは間違いないが,英語史の観点からは,この事実ですら相対化して捉えておく必要がある.古英語は純粋な強勢伯リズムの言語ではなかったという議論もあるし,現代の世界英語でしばしば音節伯リズムが聞かれることも確かである.一方,英語に染みついた強勢伯リズムこそが,英語史を通じて豊富にみられる母音変化の原動力だったとする見解もある.英語史におけるリズム (rhythm) の役割は,思いのほか大きい.以下の記事も要参照.
・ 「#1647. 言語における韻律的特徴の種類と機能」 ([2013-10-30-1])
・ 「#3387. なぜ英語音韻史には母音変化が多いのか?」 ([2018-08-05-1])
・ 「#3644. 現代英語は stress-timed な言語だが,古英語は syllable-timed な言語?」 ([2019-04-19-1])
・ 「#4470. アジア・アフリカ系の英語にみられるリズムと強勢の傾向」 ([2021-07-23-1])
・ 「#4799. Jenkins による "The Lingua Franca Core"」 ([2022-06-17-1])
・ 窪薗 晴夫 「第1章 音韻論」『日英対照 英語学の基礎』(三原 健一・高見 健一(編著),窪薗 晴夫・竝木 崇康・小野 尚久・杉本 孝 司・吉村 あき子(著)) くろしお出版,2013年.
音韻論上,音節 (syllable) とモーラ (mora) は異なる単位である.モーラのほうが小さい単位であり,たいてい長母音や2重母音は音節としては1音節とカウントされるが,モーラとしては2モーラとカウントされる.日本語からの例から,両者の関係を整理しておこう(窪薗,p. 15).
単語 | 音節 | モーラ |
---------------------- | ----------------------------- | ----------- |
オバマ | 3 (o.ba.ma) | 3 (o-ba-ma) |
ブッシュ | 2 (bus.syu) | 3 (bu-s-syu) |
クリントン | 3 (ku.rin.ton) | 5 (ku-ri-n-to-n) |
トヨタ | 3 (to.yo.ta) | 3 (to-yo-ta) |
ホンダ | 2 (hon.da) | 3 (ho-n-da) |
ニッサン | 2 (nis.san) | 4 (ni-s-sa-n) |
人間の言語を音節言語とモーラ言語に分ける考え方は,言語間の違いをある程度捉えている一方で,音節とモーラを共存できない単位として捉えるという問題点をはらんでいる.実際には,英語のような「音節言語」にもモーラは必要であり,一方,日本語(標準語)のように「モーラ言語」とされる言語にも音節が不可欠となる.
例えば英語では,1音節の語は多いが1モーラの語は許容されない.[pin] pin や [pi:] pea という2モーラの1音節語は存在するが,[pi] という1モーラの長さの1音節語は存在しない.偶然に存在しないのではなく,構造的に許容されないのである.……〔中略〕……最小性制約は英語のアルファベット発音にも表れており,アルファベットを1つずつ語として発音する場合には A は [æ] ではなく [ei],B も [b] や [bi] ではなく [bi:] と2モーラ(以上)の長さで発音される.
一方,モーラ言語とされる日本語(標準語)の記述にも音節という単位が不可欠となる.例えば外来語の短縮形には〔中略〕「2モーラ以上」という条件だけでなく,「2音節以上」という条件も課される.チョコ(<チョコレート)やスト(<ストライキ)という2音節2モーラの短縮はあっても,*パン(<パンフレット)や*シン(<シンポジウム),*パー(<パーマエント(ウェーヴ))という短縮形が許容されないのはこのためである.2モーラの音節で始まる語は3モーラ目までを残して,2音節の短縮形(パンフ,シンポ,パーマ)が作り出される.
ここから,音節とモーラは二律背反的な単位ではなく,1つの言語のなかで同居し,補完的な関係にある単位ととらえる必要があることが分かる.日本語の音節やモーラについては,以下の記事も参照.
・ 「#1023. 日本語の拍の種類と数」 ([2012-02-14-1])
・ 「#3719. 日本語は開音節言語,英語は閉音節言語」 ([2019-07-03-1])
・ 「#3720. なぜ英語の make は日本語に借用されると語末に母音 /u/ のついた meiku /meiku/ となるのですか?」 ([2019-07-04-1])
・ 「#4621. モーラ --- 日本語からの一般音韻論への貢献」 ([2021-12-21-1])
・ 「#4624. 日本語のモーラ感覚」 ([2021-12-24-1])
・ 窪薗 晴夫 「第1章 音韻論」『日英対照 英語学の基礎』(三原 健一・高見 健一(編著),窪薗 晴夫・竝木 崇康・小野 尚久・杉本 孝司・吉村 あき子(著)) くろしお出版,2013年.
日本語の五十音図における母音の並びの基本は,言うまでもなく [a, i, u, e, o] である(cf. 「#2104. 五十音図」 ([2015-01-30-1])).動詞の5段活用でも「行かない」「行きます」「行く」「行くとき」「行けば」「行け」「行こう」と唱えるように,[a, i, u, e, o] の並びとなっている.なぜこの並びなのだろうか.
答えは,この並びが音声学的に無標 (unmarked) から有標 (marked) への順序に沿っているからである.
窪薗 (6) によれば,世界の言語を見渡すと,3母音体系の言語には [a, i, u] が最も多く,4母音体系では [a, i, u, e] が,5母音体系では [a, i, u, e, o] が最も多いという.つまり,類型論的にいって,母音の有標性 (markedness) は,低い方から高い方へ [a, i, u] → [e] → [o] という順序のようなのである.
子音にも同様の有標性の序列がある.窪薗 (9) は,類型論のみならず言語習得の早さも念頭におきつつ,無標な子音と有標な子音の序列を次のように与えている.以下で A > B は,A が B よりも相対的に無標であることを示す.
a. 調音点:両唇,歯茎 > 軟口蓋
b. 調音法:閉鎖音 > 摩擦音
c. 閉鎖音・摩擦音・破擦音: 無声 > 有声
d. 閉鎖音・摩擦音・破擦音以外:有声 > 無声
この子音の有標性を念頭において五十音図の「あかさたなはまやらわ」の並びを眺めると,必ずしも恣意的な順序ではない事実が浮かび上がってくる(「は」の子音は古くは [p] だったことに注意).
ただし,有標性とは言語学においてもなかなか難しい概念である.「#550. markedness」 ([2010-10-29-1]),「#551. 有標・無標と不規則・規則」 ([2010-10-30-1]),「#3723. 音韻の有標性」 ([2019-07-07-1]),「#4745. markedness について再考」 ([2022-04-24-1]) などの議論を参照されたい.
・ 窪薗 晴夫 「第1章 音韻論」『日英対照 英語学の基礎』(三原 健一・高見 健一(編著),窪薗 晴夫・竝木 崇康・小野 尚久・杉本 孝司・吉村 あき子(著)) くろしお出版,2013年.
hellog でも何度か宣伝していますが,この5月に 高田 博行・田中 牧郎・堀田 隆一(編著)『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』(大修館,2022年)が上梓されました.
私が執筆担当した箇所の1つに,第1章の「導入:標準語の形成史を対照するということ」の第2節「標準化の切り口(パラメータ)」 (6--15) があります.本書の出版企画につながった過去5年間の研究会活動のなかで検討してきた標準化のパラメータを列挙した部分です.小見出しがそのままパラメータに対応しているので,そちらを一覧しておきます.
2.1 統一化,規範化,通用化
2.2 標準化の程度
2.3 標準化と脱標準化
2.4 使用域
2.5 領域別の標準化とその歴史的順序
2.6 標準化のタイミングと要した時間
2.7 標準化の諸段階・諸側面
2.8 通用空間
2.9 標準化の目標となる変種の種類・数
2.10 標準化を推進する主体・方向
2.11 標準化に対する話者の態度
2.12 言語の標準化と社会の言語標準化
時間をかけてブレストし,まとめてきたパラメータの一覧なので,対照言語史的に標準化 (standardisation) を検討する際のタイポロジーやモデルとして広く役立つのではないかと考えています.
hellog では言語標準化の話題は standardisation の記事で頻繁に取り上げてきましたが,研究会での発表を念頭に作成した,英語の標準化の歴史についてのある程度まとまった資料としては「#3234. 「言語と人間」研究会 (HLC) の春期セミナーで標準英語の発達について話しました」 ([2018-03-05-1]) と「#3244. 第2回 HiSoPra* 研究会で英語史における標準化について話しました」 ([2018-03-15-1]) を参照ください.
『言語の標準化を考える』の紹介についてはこちらの記事セットをどうぞ.とりわけ7月8日に音声収録した編者鼎談はお薦めです.本書の狙いや読みどころを編者3人で紹介しています.近々に編者鼎談第2弾も企画しています.本書について,あるいは一般・個別言語における標準化の話題について,ご意見,ご感想,ご質問等をこちらのコメントフォームお寄せください.第2弾で話題として取り上げられればと思っています.
「#4509. "angloversals" --- 世界英語にみられる「普遍的な」言語項目」 ([2021-08-31-1]) で "angloversals" という用語・概念に触れた.世界の英語変種を見渡すと,歴史的,地理的に直接の関係がなさそうな変種間に,よく似た言語項目(とりわけ非標準的な言語項目)が共通して観察されることがある.いずれも広い意味で「英語」の仲間なので,そういうこともあるだろうと思われるかもしれないが,項目のなかには9割以上の英語変種に確認されるという,ユニバーサルに近いものもある.これが angloversals と呼ばれるものだ.
Kortmann は,世界の76の英語変種を調査し,多くの変種に共有されている angloversals のトップ11をはじき出した.いずれも標準的で規範的な文法としてはダメとされる形態統語的な項目である.Kortmann のランキング表 (639--40) を,見やすいように改変して以下に示す.左欄の "No." は調査上の整理番号,右欄の "AR" は "attestation rate" を指す.
No. | Feature | Absent in | Total | AR worldwide |
---|---|---|---|---|
F229 | no inversion/no auxiliaries in main clause yes/no questions (You get the point?) | North, SE, AppE, ChcE, NigE, TP | 70 | 92% |
F34 | forms or phrases for the second person plural pronoun other than you (e.g. youse, yinz, y'all, you guys, yufela) | O&SE, SE, TznE, UgE, HKE, FijiE, Saramaccan | 69 | 91% |
F221 | adverbs other than degree modifiers have the same form as adjectives (Come quick!) | PakE, SLkE, HKE, FijiE, BelC, Bislama, TP | 69 | 91% |
F7 | me instead of I in coordinate subjects (me and my brother) | FijiE, EMarC, Saramaccan, TorSC, PalmE, Bislama, Norf'k, TP | 68 | 89% |
F159 | never as preverbal past tense negator (She never came this morning) | O&SE, ChcE, JamE, UgE, NigE, IndE, SLkE, EMarC, Saramaccan, Sranan, RRC, Bislama, TP | 63 | 83% |
F154 | multiple negation/negative concord (He won't do no harm) | NigE, TznE, PakE, SLkE, MalE, FijiE, RRC, TP, Bislama, GhP, NigP | 61 | 80% |
F220 | degree modifier adverbs have the same form as adjectives (This is real healthy) | . . . | 60 | 79% |
F147 | was for conditional were (if I was you) | . . . | 58 | 76% |
F78 | double comparatives and superlatives (That's so much more easier to follow) | . . . | 56 | 74% |
F172 | existential/presentational there's/there is/there was with plural subjects (There's three people in the garden) | . . . | 54 | 71% |
F228 | no inversion/no auxiliaries in wh-questions (What you doing?) | . . . | 54 | 71% |
類型論 (typology) は,通言語的にみられる言語普遍性や普遍的傾向を扱う分野である.類型論が研究対象とする分野は多岐にわたるが,同分野の入門書を著わした Whaley (28) は3つの点を指摘している.
The starting point for all typology is the presupposition that there are recurrent structural patterns across languages that are not random or accidental. These patterns can be described in statements called language universals.
Once one grants this simple assumption, myriad questions arise. . . . [T]ypologists explore both absolute properties of language and probabilistic properties. In addition, they are concerned with the connections between two or more properties.
A second key question about universals is "How are they determined?" . . . . For now, it is sufficient to say that this question has become central to typology in the past few decades, and its answer has profound implications, particularly for universals that are based on statistical probability.
The final basic question that concerns modern typology is "How are universals explained?" A protracted debate over issues of explanation has been occurring since the 1950s. The most acrimonious elements of the debate have concerned the relationship between diachrony and synchrony (i.e., to what degree does an explanation require reference to past stages of a language?) and the need to go outside the language system itself in forming satisfying explanations . . . .
ここに挙げられている類型論上の3つの関心は,それぞれ類型論上の特徴に関する What, How, Why の問いととらえてよいだろう.
歴史言語学の立場からは,とりわけ3つめの Why の問題が,通時態が関わってくる点で重要である.類型論と言語変化の関係を巡る問題について,Whaley (25--26) の説明を聞こう.
Another characteristic trait of modern typology that is represented well in Greenberg's work is a focus on the ways that language changes through time . . . . Greenberg's interest in diachrony was in many ways a throwback to the earlier days of typology in which historical-comparative linguistics predominated. The uniqueness of Greenberg's work, however, was in his use of language change as an explanation for language universals. The basic insight is the following: Because the form that a language takes at any given point in time results from alterations that have occurred to a previous stage of the language, one should expect to find some explanations for (or exceptions to) universals by examining the processes of language change. In other words, many currently existing properties of a language can be accounted for in terms of past properties of the language.
類型論という基本的には共時的な視点をとっている巨大な分野に,さらに通時的視点を投入するとなると,なかなか壮大な議論になっていきそうだ.
・ Whaley, Lindsay J. Introduction to Typology: The Unity and Diversity of Language. Thousand Oaks: Sage, 1997.
2重否定 (double_negative) については,一昨日開設した YouTube の「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」の初回となった「英語学」ってなに?--むずかしい「英語」を「学」ぶわけではありません!!でも少し話題に取り上げた.
具体的にいえば,I don't have any money. あるいは I have no money. の意味で,I don't have no money. と言ってはいけないという規則だ.ダメな理由は,同じ節に否定辞が2つ(以上)あるにもかかわらず全体の意味としては1回の否定に等しい,というのは論理的に矛盾しているからだ,ということになる.
しかし,本ブログの double_negative に関する記事においても,また同じく一昨日に私が Voicy の「英語の語源が身につくラジオ」で話した「井上逸兵先生と YouTube を開始,そして二重否定の話し」でも述べてきたように,2重否定は歴史的にも連綿と続いてきた当たり前の統語構造である.
現代英語でも,標準英語の世界から一歩外に出れば,2重否定や多重否定はいくらでも例が挙がってくる.例えば Siemund (619) が引用している例を2つほど挙げよう.
・ Yes, and no people didn't trouble about gas stoves then. (Southeast of England)
・ We didn't have no use for it noways. (Appalachian English)
また,歴史的にも中英語や近代英語ではごく普通の統語現象だった.初期近代英語からの例として,Siemund (620) が引いている例を1つ挙げる.
・ I thinke ye weare never yet in no grownd of mine, and I never say no man naye.
さらに世界の言語を見渡しても,2重否定はかなり普通のことのようだ.Siemund (620) は206の言語を調査した先行研究を参照し,そのうち170の言語でその事例が確認されたことを報告している.一方,現代標準英語のように2重否定がダメだしされるのは,わずか11言語のみだったという.類型論的には,標準英語タイプが稀なのだ.
では,なぜ現代標準英語はそれほどまでに頑なに2重否定を忌避するのだろうか.実際,これは重要な英語史上の問題であり,様々に議論されてきた経緯がある.2重否定がダメだしされるようになった歴史的背景としては「#2999. 標準英語から二重否定が消えた理由」 ([2017-07-13-1]),「#4275. 2重否定を非論理的と断罪した最初の規範文法家 Greenwood」 ([2021-01-09-1]) を参照されたい.
・ Siemund, Peter. "Regional Varieties of English: Non-Standard Grammatical Features." Chapter 28 of The Oxford Handbook of English Grammar. Ed. Bas Aarts, Jill Bowie and Gergana Popova. Oxford: OUP, 2020. 604--29.
一昨日の記事「#4507. World Englishes の類型論への2つのアプローチ」 ([2021-08-29-1]) で "angloversals" という用語に触れた.世界英語 world_englishes の諸変種を見渡すと,歴史的・遺伝的関係は希薄であるにも関わらず,異なる変種間で似たような言語特徴が確認されることがある.いずれも広い意味では「英語」であるのだから,共通項が見つかること自体はさほど不思議ではないと思われるかもしれない.しかし,標準英語では認められない言語特徴が,歴史的な関係が希薄な諸変種間に広く認められるということであれば,そこには何か抜き差しならぬ理由があるのではないかと疑うのも当然である.こういった共通特徴を,仮に "Angloversals" と呼んでおこうということらしい."universals" をもじっていて少々ミスリーディングな名称だが,厳密な意味での「普遍」というよりは多くの変種に見られる「傾向」として理解しておくべきであることは,念のために指摘しておこう.
さて,この用語を作ったのは Mair である.似たような用語として,Chambers の作った "vernacular universals" というものもある.この辺りの用語を巡る経緯について,Siemund and Davydova (135) の説明を参照しよう.
Another line of research departs from the observation that World Englishes (or varieties of English) frequently exhibit identical, or at least similar, non-standard morpho-syntactic phenomena, with common ancestors of these phenomena being difficult to reconstruct in the historical dialects of the British Isles. Such observation have led to the coinage of the label 'angloversals' (Mair 2003). Another notion used with a similar extension is 'vernacular universals' (Chambers 2001, 2003, 2004).
Chambers defines vernacular universals as 'a small number of phonological and grammatical processes [that] recur in vernaculars wherever they are spoken' and views them as inherent features of unmonitored speech coming about as a result of the workings of the human language faculty (Chambers 2004: 128--29).
では,"angloversals" として,具体的にはどのような言語特徴が候補として挙げられているのだろうか.Siemund and Davydova (135--36) より,いくつか挙げてみよう.
・ 不規則動詞の水平化
・ 無標の単数形
・ 主語と動詞の不一致
・ 多重否定
・ 連結詞 (copula) の省略
・ 単位名詞の複数標示の欠如
・ yes/no 疑問文における倒置の欠如
・ 等位される主語として I ではなく me を用いる傾向
・ 副詞が形容詞と同形となる現象
・ 過去形の否定を表わすのに never が動詞に前置される現象
・ 定冠詞の過剰使用
これらは,一般にL2英語によく見られる言語特徴と同じであると言っても,さほど外れていない.一般言語学的普遍性が英語の諸変種において顕現しているもの,それが "angloversals" なのだろう.
・ Siemund, Peter and Julia Davydova. "World Englishes and the Study of Typology and Universals." Chapter 7 of The Oxford Handbook of World Englishes. Ed. by Markku Filppula, Juhani Klemola, and Devyani Sharma. New York: OUP, 2017. 123--46.
・ Mair, Christian. "Kreolismen and verbales Identitätsmanagement im geschriebenen jamaikanischen Englisch." Zwischen Ausgrenzung und Hybridisierung. Ed. E. Vogel, A. Napp and W. Lutterer. Würzburg: Ergon, 2003.
・ Chambers, J. K. "Vernacular Universals." ICLaVE 1: Proceedings of the First International Confrerence on Language Variation in Europe. Ed. J. M. Fontana, L. McNally, M. T. Turell, and E. Vallduvi. Barcelona: Universitat Pompeu Fabra, 2001.
・ Chambers, J. K. Sociolinguistic Theory: Linguistic Variation and its Social Implications. Oxford, UK/Malden, US: Blackwell.
・ Chambers, J. K. "Dynamic Typology and Vernacular Universals." Dialectology Meets Typology: Dialect Grammar from a Cross-Linguistic Perspective. Ed. B. Kortmann. Berlin/New York: Gruyter, 2004.
昨日の記事「#4506. World Englishes の全体的傾向3点」 ([2021-08-28-1]) で触れたように,世界英語 (world_englishes) の研究はコーパスなどを用いて急速に発展してきている.Fong (88) による概括を参照すると,研究の潮流としては,世界英語の普遍性と多様性を巡る類型論 (typology) には大きく2つの方向性があるようだ.
(1) 1つは様々な英語に共通する "angloversals" を探る方向性である.ENL と ESL の英語変種を比べても,一貫して受け継がれているかのように見える不変の特徴が確認される.ここから "angloversals" と称される英語諸変種の共通点を探る試みがなされてきた.「継承」という通時的な側面はあるが,その結果としての類似性を重視する共時的な視点といってよいだろう.
(2) もう1つは,どちらかというと英語の諸変種間で共通する側面や相違する側面があることを認め,なぜそのような共通点や相違点があるのかを,歴史社会的なコンテクストに基づいて説明づけようとする視点である.主唱者の Mufwene (2001) の見方を参照すれば,諸英語の歴史的発展は接触言語の特徴や社会経済的な環境,いわゆる「言語生態系」に敏感なものであるということになる.
Fong は,世界英語研究への対し方として,このような2つの系譜があることをサラっと紹介しているが,言語イデオロギー的には,この2つは相当に異なるベルクトルをもっているものと思われる.研究者も自らがどちらの視点に立つかを自覚しておく必要があるように思われる.
・ Fong, Vivienne. "World Englishes and Syntactic and Semantic Theory." Chapter 5 of The Oxford Handbook of World Englishes. Ed. by Markku Filppula, Juhani Klemola, and Devyani Sharma. New York: OUP, 2017. 84--102.
・ Mufwene, S. S. The Ecology of Language Evolution. Cambridge: CUP, 2001.
code-switching の研究と聞いてまず思い浮かぶのは,例えば日本語と英語を流ちょうに使いこなす話者どうしが,会話のなかでどのように使用言語を切り替えているかを観察し考察する,という類いの研究だろう.しかし code-switching という現象を広くとらえると,借用 (borrowing) との境目はぼやけてくるし,言語接触による干渉にも接近してくる.以下の記事でも扱ってきたように,code-switching は言語接触 (contact) 一般の話題に及ぶ大きなテーマである.
・ 「#1661. 借用と code-switching の狭間」 ([2013-11-13-1])
・ 「#1985. 借用と接触による干渉の狭間」 ([2014-10-03-1])
・ 「#2009. 言語学における接触,干渉,2言語使用,借用」 ([2014-10-27-1])
冒頭に述べたような流ちょうな2言語話者どうしの会話に限らず,1言語話者どうしの会話のなかですら code-switching が生じることはある.例えば基本的に日本語のみを話す2人が英単語を散りばめて会話していれば,そこにはある種の code-switching が生じているともいえるのだ.
Winford (102) は,Lüdi を参照して,(1) 関与する話者が同じ言語レパートリーを持っているか否か,(2) 2言語使用状況か1言語使用状況か,という2つの軸によって,code-switching が起こりうる状況を4種に分類した.
Bilingual | Unilingual | |
Exolingual | Interaction among speakers with different languages | Interaction between native and non-native speakers of the same language |
Endolingual | Interaction among bilinguals | Interaction among monolinguals |
言語接触 (contact) の研究で,近年もっとも影響力をもった著書といえば Thomason and Kaufman の Language Contact, Creolization, and Genetic Linguistics (1988) だろう.古今東西の言語接触の事例を検討し,様々な観点から類型化しようとした点に価値がある.本ブログでも,以下のような記事で紹介してきた(ほかにこちらの記事群もどうぞ).
・ 「#1779. 言語接触の程度と種類を予測する指標」 ([2014-03-11-1])
・ 「#1780. 言語接触と借用の尺度」 ([2014-03-12-1])
・ 「#1781. 言語接触の類型論」 ([2014-03-13-1])
Winford (23--24) が,Thomason and Kaufman に部分的に依拠しつつ "Major outcomes of language contact" と題する類型表を作っている.「言語接触の結果に関する大きな見取り図」といってよい.言語接触を論じる際に常に手元に置いておきたいメモというつもりで,以下に示す. *
・ Thomason, Sarah Grey and Terrence Kaufman. Language Contact, Creolization, and Genetic Linguistics. Berkeley: U of California P, 1988.
・ Winford, Donald. An Introduction to Contact Linguistics. Malden, MA: Blackwell, 2003.
標題は,類型論的な傾向として指摘されている.日本語などの SO 語順をもつ言語は,何らかの形態的な格標示をもつ可能性が高いという.実際,日本語には「が」「を」「の」などの格助詞があり,名詞句に後接することで格が標示される仕組みだ.一方,英語を典型とする SV 語順をもつ言語は,そのような形態的格標示を(顕著には)もたないという.英語にも人称代名詞にはそれなりの格変化はあるし,名詞句にも 's という所有格を標示する手段があるが,全般的にいえば形態的な格標示の仕組みは貧弱といってよい.英語も古くは語順が SV に必ずしも固定されておらず,SO などの語順もあり得たのだが,上記の類型論が予測する通り,当時は形態的な格標示の仕組みが現代よりも顕著に機能していた.
上記の類型論上の指摘は,Blake を読んでいて目にとまったものだが,もともとは Greenberg に基づくもののようだ.Blake (15) より関係する箇所を引用する.
It has frequently been observed that there is a correlation between the presence of case marking on noun phrases for the subject-object distinction and flexible word order and this would appear to hold true. From the work of Greenberg it would also appear that there is a tendency for languages that mark the subject-object distinction on noun phrases to have a basic order of subject-object-verb (SOV), and conversely a tendency for languages lacking such a distinction to have the order subject-verb-object (SVO) . . . . The following figures are based on a sample of 100 languages. They show the relationship between case and marking for the 85 languages in the sample that exhibit one of the more commonly attested basic word orders. The notation [+ case] in this context means having some kind of marking, including appositions, on noun phrases to mark the subject-object distinction . . . .
VSO | [+ case] | 3 | SVO | [+ case] | 9 | SOV | [+ case] | 34 |
[- case] | 6 | [- case] | 26 | [- case] | 7 |
The SVO 'caseless' languages are concentrated in western Europe (e.g. English), southern Africa (e.g. Swahili) and east and southeast Asia (e.g. Chinese and Vietnamese).
この類型論的傾向が示す言語学的な意義は何なのだろうか.
・ Blake, Barry J. Case. 2nd ed. Cambridge: CUP, 2001.
世界の諸言語について,主要な格 (case) のあり方という観点から分類するとき,英語のような nominative-accusative タイプの言語と,バスク語やグルジア語のような absolutive-ergative タイプの言語に大きく分けられる.前者は対格言語 (accusative language),後者は能格言語 (ergative language) と呼ばれる.
英語のような対格言語の格体系は,私たちが当然視しているものであり,ほとんど説明を要しないだろう.He opened the door. と The door opened. の2文において,各々文頭に立っている名詞句 He と The door が主語の役割を果たす主格 (nominative case) に置かれているのに対し,第1文の the door は目的語の役割を果たす対格 (accusative case) に置かれているといわれる.
しかし,能格言語においては,第1文と第2文の両方の the door が絶対格 (absolutive case) に置かれ,第2文の He は能格 (ergative case) に置かれる.いずれの文でも,自然に開こうが誰かが開こうが,結果的に開いている「扉」は絶対格に置かれ,第2文のみに明示されている,その状態を能動的に引き起こした「彼」が能格に置かれるのだ.
類型論などでしばしば言及される能格言語というものは,世界の諸言語のなかでは稀なタイプの言語だと思い込んでいたが,それほど稀でもないようだ.対格言語に比べれば圧倒的な少数派であることは間違いないが,世界言語の2割ほどはこのタイプだと知って驚いた.Blake (121) によると,分布は世界中に広がっている.
Ergative systems are often considered rare and remote, but in fact they make up at least twenty per cent of the world's languages. Ergative systems are to be found in all families of the Caucasian phylum, among the Tibeto-Burman languages, in Austronesian, in most Australian languages, in some languages of the Papuan families, in Zoque and the Mayan languages of Central America and in a number of language families in South America: Jé, Arawak, Tupí-Guaraní, Panoan, Tacanan, Chibchan and Carib. Outside these phyla and families where ergative systems of marking are common, ergativity is also to be found in some other languages including Basque, Hurrian and a number of other extinct languages of the Near East, Burushaski (Kashmir, Tibet), Eskimo, Chukch, and Tsimshian and Chinook (these last two being Penutian languages of British Columbia).
ちなみに,英語は能格言語ではないが,上の例で挙げた open(ed) のように自動詞にも他動詞にも用いられる動詞を指して能格動詞 (ergative verb) と呼ぶことがある.
・ Blake, Barry J. Case. 2nd ed. Cambridge: CUP, 2001.
昨日の記事「#4022. 英語史における文法変化の潮流を一言でいえば「総合から分析へ」」 ([2020-04-27-1]) について一言補足しておきたい.
形態論ベースの類型論という理論的観点からみると確かに「総合」 (synthesis) と「分析」 (analysis) は対置されるが,実際的には100%総合的な言語や100%分析的な言語というものは存在しない.どの言語も,総合と分析を両極とする数直線のどこかしらの中間点にプロットされる.古英語は数直線の総合側の極点にプロットされるわけではなく,あくまでそこに近いところにプロットされるにすぎない.古英語も,それより前の時代からみれば十分に水平化が進んでいるからだ.同様に,現代英語は分析側の極点ではなく,そこに近いところにプロットされるということである.現代英語にも動詞や代名詞の屈折などはそこそこ残っているからだ.
したがって,古英語から現代英語への文法変化の潮流を特徴づける「総合から分析へ」は,数直線の0から100への大飛躍ではないということに注意しなければならない.印象的にいえば,数直線の30くらいから80くらいへの中程度の飛躍だということである.もちろん,これでも十分に劇的なシフトだとは思う.
「#191. 古英語,中英語,近代英語は互いにどれくらい異なるか」 ([2009-11-04-1]) や「#1816. drift 再訪」 ([2014-04-17-1]) で挙げた数直線らしき図からは,0から100への大飛躍が表現されているかのように読み取れるが,これも誇張である.これらの図はいずれもゲルマン語派に限定した諸言語間の相対的な位置を示したものであり,より広い類型論的な視点から作られた図ではない.世界の諸言語を考慮するならば,古英語から現代英語へのシフトの幅はいくぶん狭めてとらえておく必要があるだろう.
Smith (41) が「総合から分析へ」の相対化について次のように述べている.
Traditionally, the history of English grammar has been described in terms of the shift from synthesis to analysis, i.e. from a language which expresses the relationship between words by means of inflexional endings joined to lexical stems to one which maps such relationships by means of function-words such as prepositions. This broad characterization, of course, needs considerable nuancing, and can better be expressed as a comparatively short shift along a cline. Old English, in comparison with Present-day English, is comparatively synthetic, but nowhere near as synthetic as (say) non-Indo-European languages such as Present-day Finnish or Zulu, older Indo-European languages such as classical Latin --- or even earlier manifestations of Germanic such as 4th-century Gothic, which, unlike OE, regularly distinguished nominative and accusative plural forms of the noun; cf. OE hlāfas 'loaves' (both NOM and ACC), Go. hláibōs (NOM), hláibans (ACC). Present-day English is comparatively analytic, but not as analytic as (say) Present-day Mandarin Chinese; a 21st-century English-speaker still marks person, number and case, and sustains grammatical cohesion, with concord between verbal and pronominal inflexions, for instance, e.g. I love bananas beside she hates bananas.
「総合から分析へ」はキャッチフレーズとしてはとても良いが,上記の点に注意しつつ相対的に理解しておく必要がある.
・ Smith, Jeremy J. "Periods: Middle English." Chapter 3 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 32--48.
英語の歴史は1500年以上にわたりますが,その間の文法変化の潮流を一言で表現するならば「総合から分析へ」に尽きます.もしテストで英語史の文法変化を概説しなさいという問いが出されたならば,このフレーズを一言書いておけば100点満点中及第点の60点は取れます(←本当のテストではそう簡単な話しではないですが,それくらい重要だという比喩として解釈してください).もう少し丁寧に答えるならば「英語は総合的な言語から分析的な言語へとシフトしてきた」となります.
英語は,古英語から中英語を経て近(現)代英語に至る歴史のなかで,言語の類型を逆転させてきました.古英語は総合的な (synthetic) 言語といわれ,近現代英語は分析的な (analytic) 言語といわれます.変化の方向は「総合から分析へ」 (synthesis to analysis) への一方向ということになります.
ですが,言語において「総合」や「分析」とはそもそも何のことでしょうか.あまり良い術語ではないと常々思っているのですが,長らく確立してしまっているので仕方なく使っています.ざっと説明しましょう.
言語における「総合」とは,語の内部構成に関する形態論的な指標のことです.総合的な言語では,語は典型的に語彙的な意味を表わす部品(語幹)と文法的な機能を担う部品(屈折語尾など)の組み合わせからなっており,後者には複数の文法機能が押し込められていることが多いです.それ以上分割できない1つの小さな屈折語尾に,複数の文法機能が「総合的」に詰め込められているというわけです(英単語の synthesis は,異なるものを1つの箱に詰め込んで統合するイメージです).
一方,「総合」に対して「分析」があります.分析的な言語では,語を構成するパーツの各々が典型的に1つの機能に対応しており,形態と機能の紐付けが一対一で単純です(英単語の analysis は,もつれ合った糸を一本一本解きほぐすイメージです).
例えば,古英語で「家々の」を意味した hūsa (hūs + -a) を考えてみましょう.語幹の hūs が語彙的意味「家」を担い,屈折語尾 -a が複数・所有格の文法機能を担っています.-a は形態的にはこれ以上分解できない最小単位ですが,そこに数と格に関する2つの情報が詰め込まれているわけですから,この語形は総合的な性質を示しているといえます.一方,現代英語で「家々の」に対応する表現は of houses となり,house- が語彙的意味「家」を担っている点は古英語と比較できますが,複数は -s 語尾によって,属格(所有格)は of によって表わされています.数と格の各々の機能が別々のパーツで表わされているわけですから,この語形は分析的といえます.
もちろん現代英語にも総合的な性質はそこかしこに観察されます.動詞の3単現の -s などは,その呼び名の通り,この1音からなる小さい部品のなかに3人称・単数・現在(・直説法)という複数の文法情報が詰め込まれており,すぐれて総合的です.また,人称代名詞でも I, my, me などのように語形を変化させることで異なる格を標示しているのも,総合的な性質を示すものといえます.しかし,名詞,代名詞,形容詞,動詞などの主要語類の語形について古英語と現代英語を比較してみるならば,英語が屈折語尾の衰退という過程を通じて,現代にかけて総合性を減じ,分析性を高めてきたことは疑いようのない事実です.
このように英語史には一般に「総合から分析」への流れが見られ,この流れの進み具合にしたがって時代を大きく3区分する方法が伝統的に採られてきました.古英語は屈折語尾の区別がよく保持されている「完全な屈折の時代」 (period of full inflection),中英語は屈折語尾は残っているものの1つの語尾に収斂して互いに区別されなくなってきた「水平化した屈折の時代」 (period of levelled inflection),そして近代英語は屈折語尾が概ね消失した「失われた屈折の時代」 (period of lost inflection) とされます.各々,総合的な時代,総合から分析への過渡期的様相を示す時代,分析的な時代と呼んでもよいでしょう.英語史にみられるこの潮流は,実はゲルマン語史や,ひいては印欧語史という時間幅においても等しく認められる遠大な潮流でもあります.
印欧諸語の歴史に広くみられる,屈折語尾の衰退によって引き起こされた総合的な性質の弱まりは「潮流」というにとどまらず,しばしば「偏流」 (drift) とみなされてきました.drift とは,アメリカの言語学者 Edward Sapir (150) が "Language moves down time in a current of its own making. It has a drift." と述べたのが最初とされます.そしてゲルマン語派の諸言語,とりわけ英語は,この偏流におおいに流されてきた言語の1つと評されてきました.
そもそもなぜ英語を筆頭として印欧諸語にこのような偏流が見られるのでしょうか.これは長らく議論されてきてきた問題ですが,いまだに未解決です.言語変化における偏流はランダムな方向の流れではなく,一定方向の流れを示します.しかも,短期間の流れではなく,数十世代の長きに渡って持続する流れです.不思議なのは,言語変化の主体であるはずの話者の各々が,言語を用いる際に過去からの言語変化の流れなど意識していないにもかかわらず,一定方向の言語変化の流れを推し進め,さらに同じ流れを次の世代へと引き継いでゆくことです.言語変化の偏流とは,話者の意識を超えたところで作用している,言語に内在する力なのでしょうか.それとも,原動力は別のところにあるのでしょうか.謎です.
偏流の原因はさておき,英語の文法が「総合から分析へ」変化してきたことは確かです.英文法の歴史の研究は,単純化していえば「総合から分析へ」という一貫した背骨に,様々な角度から整骨治療を施したり肉付けしたりしてきたものといっても過言ではないでしょう.
最後に,今回の話題に関連する過去のブログ記事のうち重要なものを以下に挙げておきます.是非お読みください.
・ 「#2669. 英語と日本語の文法史の潮流」 ([2016-08-17-1])
・ 「#522. 形態論による言語類型」 ([2010-10-01-1])
・ 「#685. なぜ言語変化には drift があるのか (1)」 ([2011-03-13-1])
・ 「#1816. drift 再訪」 ([2014-04-17-1])
・ 「#656. "English is the most drifty Indo-European language."」 ([2011-02-12-1])
・ 「#2626. 古英語から中英語にかけての屈折語尾の衰退」 ([2016-07-05-1])
・ Sapir, Edward. Language. New York: Hartcourt, 1921.
「#3889. ネイティブがよく間違えるスペリング」 ([2019-12-20-1]) でネイティブの犯しがちなスペリングミスの例を挙げた.1993年の NFER (The National Foundation for Educational Research) による調査では,11--15歳のネイティブの子供が犯しやすいスペリングミスが明らかにされた.NFER はスペリングミスを以下の5種類に分類している(以下の引用と数値は Cook (124) より).
・ insertion of extra letters, such as the <l> added to 'until'
・ omission of letters, such as the <r> missing from 'occurring'
・ substitution of different letters, such as <a> instead of <i> in 'definate'
・ transposition of two letters, such as <ei> for <ie> in 'freind'
・ grapheme substitution involving more than two letters but only a single cause, for example when an equivalent according to sound correspondence rules is substituted for the usual form, as in 'thort' for 'thought'
5種類のミスの内訳をみてみると,insertion (17%), omission (36%), substitution (19%), transposition (5%), grapheme substitution (19%), その他 (3%) ということである.この数値を見ておよそそんなところだろうという印象だったが,grapheme substitution が予想よりも多かったので,ちょっとした発見だった.成人の数値はまた異なってくるかもしれないし,さらにネイティヴではなくL2学習者ならば,やはり別の数値が出るのではないかと疑われる.
もちろんL1, L2学習者にかかわらず,このスペリングミスの5種類の分類は単純明快で,一般的に利用できるように思われる.スペリングのミスのみならず,その変化や変異の類型にも役立つ分類だろう.
なお,スペリングの差異を測定する方法としては,ほかに "Levenshtein distance" (levenshtein_distance) というものもある.これについては「#3406. Levenshtein distance」 ([2018-08-24-1]),「#3399. 綴字の類似度計算機」 ([2018-08-17-1]),「#3397. 後期中英語期の through のワースト綴字」 ([2018-08-15-1]),「#3398. 中英語期の such のワースト綴字」 ([2018-08-16-1]) を参照.
・ Cook, Vivian. The English Writing System. London: Hodder Education, 2004.
英語史の授業にて尋ねられた質問.まさに直球.答えるのが難しい.
まず英語史的にいえることは,古英語や中英語では,現代的な使い方での「冠詞」 (article) は未発達だったということです.the や a(n) という素材そのものは古英語からあったのですが,それぞれ現代風の定冠詞や不定冠詞としては用いられていませんでした.つまり,古英語にも the や a(n) という単語のご先祖様は確かにいたけれども,当時はまだ名詞に添えるべき必須の項目というステータスは獲得していなかったということです.
ということは,日々私たちが使い分けに苦労している現代英語の「冠詞」という項目は,英語の歴史の歩みのなかで,徐々に獲得されてきたものということになります.冠詞は英語の歴史の最初からあったわけではない.まず,この事実を押さえておく必要があります.
冠詞なるものが歴史のなかで獲得されてきたというのは,なにも英語に限りません.そもそも英語を含めたヨーロッパからインドに及ぶ多くの言語のルーツである印欧祖語には冠詞はありませんでした.しかし,印欧語族に属する古典ギリシア語,アルメニア語,アイルランド語という個別の言語をはじめ,ロマンス語派,ゲルマン語派,ケルト語派の諸言語やバルカン言語連合でも冠詞がみられることから,いずれも歴史の過程で冠詞を発達させてきたことがわかります(「#2855. 世界の諸言語における冠詞の分布 (1)」 ([2017-02-19-1]) を参照).
また,印欧語族から離れて世界の諸言語に目を向けてみても,冠詞という言語項目は世界各地に確認されます(全体としては少数派ではありますが).ただし,地理的にはヨーロッパ,アフリカ,南西太平洋などにある程度偏在しているようで,類型論や地理言語学の立場からは興味深い話題となっています.
さて,英語に話しを戻しましょう.古英語にも冠詞の種となるものはあったにせよ,なぜその後それが現代風の冠詞的な機能を発達させることになったのでしょうか.1つには,英語が中英語以降に語順を固定化させてきたという事実が関係しているように思われます.「#2856. 世界の諸言語における冠詞の分布 (2)」 ([2017-02-20-1]) でも述べたように「語順が厳しく定まっている言語では一般的に名詞的要素の置き場所を利用して定・不定を標示するのが難しいために,冠詞という手段が採用されやすいという事情がある」のではないかと考えられます.
定・不定とは,その表現の指しているものが文脈上話し手や聞き手にとって既知か未知か,特定されるかされないかといった区別のことです.談話の典型的なパターンは,定の要素をアンカーとし,それに不定の要素を引っかけながら新情報を導入していくというものですが,このような情報の流れは情報構造 (information_structure) と呼ばれます.言語は情報構造を標示するための手段をもっていると考えられますが,語順や冠詞もそのような手段の候補となります.語順が自由であれば,定の要素を先頭にもってきたり,不定の要素を後置するなどの方法を利用できるでしょう(cf. 「#3211. 統語と談話構造」 ([2018-02-10-1])).しかし,語順の自由度が低くなると別の手段に訴える必要が生じてきます.英語は中英語期にかけて語順の自由度を失っていった結果,情報構造を標示するための新たな道具として,素材として手近にあった the や a(n) などを利用したのではないかと考えられます.
ただし,これも1つの仮説にすぎません.標題の質問にズバリ答えているわけではなく,我ながらもどかしいところです.
冠詞の発生に関する統語理論上の扱いは,「#2144. 冠詞の発達と機能範疇の創発」 ([2015-03-11-1]) を参照してください.関連して,英語史における語順の固定化について「#3131. 連載第11回「なぜ英語はSVOの語順なのか?(前編)」」 ([2017-11-22-1]),「#3160. 連載第12回「なぜ英語はSVOの語順なのか?(後編)」」 ([2017-12-21-1]),「#3733.『英語教育』の連載第5回「なぜ英語は語順が厳格に決まっているのか」」 ([2019-07-17-1]) をご覧ください.
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