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demography - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2019-03-19 05:58

2019-02-27 Wed

#3593. アングロサクソンは本当にケルトを一掃したのか? [history][celtic][anglo-saxon][celtic][historiography][demography][genetics]

 昨日の記事「#3592. 文化の拡散を巡る migrationism と diffusionism」 ([2019-02-26-1]) の終わりで述べたように,アングロサクソンの文化や言語の定着は,伝統的にいわれるようにアングロサクソンによる移住・征服によるものだったのか (migrationism) ,あるいは大きな人口の置き換えを伴わない平和的な伝播によるものだったのか (diffusionism) という論争を取り上げよう.
 伝統的な migrationism の仮説に対して,主として遺伝学の立場から異論を唱え,diffusionism を掲げた論客として Oppenheimer を紹介しよう.Oppenheimer は,5世紀のアングロサクソンの渡来によって先住のケルト人が一掃されたとする "wipe-out theory" を支持する遺伝学的な証拠はないという.むしろ,驚くべきことに,おそらく新石器時代から現代までの数千年間,ブリテン島の人口構成は,遺伝学的にみる限り,大きく変動していないという.
 具体的にいえば,イングランド人の2/3は,最初に農業がもたらされるよりもずっと昔の段階で渡来した南西ヨーロッパ人の遺伝子を引き継いでいるという.一方,残りの1/3の大多数は,紀元前3000--1000年ほどの間に主にスカンディナヴィアからやってきた北西ヨーロッパ人に由来する.そして,おそらく前者がケルト系,後者がゲルマン系の文化と言語をもった人々に対応するだろうという.そして,この比率は,5世紀のアングロサクソン,8世紀のヴァイキング,11世紀のノルマンの渡来によって特に大きく変動することはなく,現代に連なっている(アングロサクソンの征服がイングランド人口にもたらした遺伝上の貢献は5%程度).
 このことが意味するのは,アングロサクソンが渡来してきた5世紀はもとより,ローマ人が遠征してきた紀元前後よりも前に,場合にってはそこから3千年以上も遡った時代に,すでに「ケルトの素」と「ゲルマンの素」となる人々が,それぞれ大陸の南西部と北西部からブリテン(諸)島に入ってきていたのではないかということだ.そして,後者の話していた言語は,後の英語に発展するゲルマン系(とりわけ北ゲルマン系)の言語だったのではないかと.
 この仮説を信じるならば,この島におけるケルトとゲルマンの共存の歴史は,5世紀のアングロサクソンの渡来に始まるのではなく,もっと古いということになる.5世紀のアングロサクソンの渡来は,すでに両者が共存生活に慣れていたところへ,新世代のアングロサクソンが加わった程度の出来事であり,そこに「征服」というような社会的な大変動があったわけではないということになる.
 この仮説は,当然ながら英語史に関しても根本的な再考を促すことになろう.そもそも紀元前よりブリテン島の先住の言語の1つだったということになるからだ.
 関連して「#2353. なぜアングロサクソン人はイングランドをかくも素早く征服し得たのか」 ([2015-10-06-1]),「#3094. 449年以前にもゲルマン人はイングランドに存在した」 ([2017-10-16-1]),「#3113. アングロサクソン人は本当にイングランドを素早く征服したのか?」 ([2017-11-04-1]) などの記事も参照.

 ・ Oppenheimer, Stephen. The Origins of the British. 2006. London: Robinson, 2007.

Referrer (Inside): [2019-02-28-1]

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2018-10-27 Sat

#3470. 言語戦争の勝敗は何にかかっているか? [japanese][world_languages][lingua_franca][elf][demography][sociolinguistics]

 徳川 (245--46) は,日本語史における東西方言(江戸方言と上方方言)の優位をめぐる争いを「言語戦争」の例としながら,一般に言語戦争の勝敗が何によって左右されるのか,されないのかについて論じている.

 まず第一に,言語戦争の勝敗は,単純な言語の使用人口などによってきまるものではない,ということである.ひとにぎりの権力者の言語が,多数の庶民の上に君臨するといった場合がある.
 また,言語戦争の帰趨は,一般的に,なにも言語それ自体の構造によってきまるものでもない.
 たとえば,母音の数が多いから戦に負けるとか,名詞に性と数の別があるから勝つ,といったものではない.ただし,その言語が,言語機能に関して,新しい社会に適応できる性質を具備しているかどうか,といった問題はある.現代にひきつけていえば,複雑な社会機構に対応できるかといった,たとえば表現文体の種類の問題や,原子物理学がその言語で処理できるか,といった内容の問題などがある.さらに,言語コミュニケーションが,他のコミュニケーションチャンネルと,どれほど切り離されているか,といった問題などもあるかもしれない.このことは,おそらく,書きことばの文体の確立と,不離の関係にある.
 さきに単なる使用人口の差は言語戦争の勝敗の鍵にならないとしたが,もし多数者の使用言語が,その社会の複雑さと対応して,すでに述べた言語機能を高め,今後さらに多くの人びとをのみ込んでいく包容力といったものを備えているということと結びつくようになれば,それは,ある程度利いてくる条件と言えるであろう.これに対して,土俗的な小言語は,こうした言語機能の面で,将来性について劣る場合が多そうに思われる.また,言語の使用人口の多さが,その言語社会の経済的・政治的・文化的な優位に結びついて,言語の威信といったものの背景になることはありうる.“東西のことば争い”の歴史を考えるにあたっても,こうしたことへの配慮が必要となってくる.


 ここで徳川は慎重な議論を展開している.話者人口や言語構造そのものが直接に言語戦争の勝利に貢献するということはないが,それらが当該言語の社会的な機能を高める方向に作用したり,利用されたりすれば,その限りにおいて間接的に貢献することはありうるという見方である.結局のところ,社会的な要素が介在して初めて勝敗への貢献について論じられるということなので,話者人口や言語構造の「直接的な」貢献度はほぼゼロと考えてよいのだろう.英語の世界的拡大や「世界語化」を考える上で,とても重要な論点である.
 英語の世界語化の原因を巡っては,関連する話題として「#1072. 英語は言語として特にすぐれているわけではない」 ([2012-04-03-1]),「#1082. なぜ英語は世界語となったか (1)」 ([2012-04-13-1]),「#1083. なぜ英語は世界語となったか (2)」 ([2012-04-14-1]),「#1607. 英語教育の政治的側面」 ([2013-09-20-1]),「#1788. 超民族語の出現と拡大に関与する状況と要因」 ([2014-03-20-1]),「#2487. ある言語の重要性とは,その社会的な力のことである」 ([2016-02-17-1]),「#2673. 「現代世界における英語の重要性は世界中の人々にとっての有用性にこそある」」 ([2016-08-21-1]),「#2935. 「軍事・経済・宗教―――言語が普及する三つの要素」」 ([2017-05-10-1]) を参照.

 ・ 徳川 宗賢 「東西のことば争い」 阪倉 篤義(編)『日本語の歴史』 大修館書店,1977年.243--86頁.

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2018-08-02 Thu

#3384. 現代世界の代表者としての印欧語族 [indo-european][demography][language_family]

 「#1949. 語族ごとの言語数と話者数」 ([2014-08-28-1]) や「#398. 印欧語族は世界人口の半分近くを占める」 ([2010-05-30-1]) で紹介したように,印欧語族 (indo-european) の現代世界における影響力は他の追随を許さない.
 現存する最古の文献は Hittite 語のそれであり,4000年ほども遡る.2000年ほど前からは古代ギリシア語,ラテン語,サンスクリット語の文献も多く伝わり,それ以降になると,さらに多くの言語で記された文献が入手可能となる.つまり,世界で最もよく記録に残っている語族なのである.
 母語話者人口の観点からみると,2003年の統計ではあるが,印欧語族の言語を母語とする話者は約25億人いるという.標準変種をもち,100万人以上の母語話者を擁する印欧諸語は,70以上ある.400年ほど前までは,およそ旧大陸の西半分にしかその母語話者は分布していなかったが,現代では世界中にその分布を拡げている.まさに近現代を代表する一大語族といってよい.
 以上は,Clackson による印欧語言語学入門書のイントロにある,印欧語族の記述をまとめたものである.Clackson (2) の原文を引用しておこう.

The IE language family is extensive in time and space. The earliest attested IE language, Hittite, is attested nearly 4,000 years ago, written on clay tablets in cuneiform script in central Anatolia from the early second millennium BC. We have extensive textual remains, including native-speaker accounts of three more IE languages from 2,000 years ago: Ancient Greek, Latin and Sanskrit. Also from the beginning of the Christian Era we have much more limited corpora of many more IE languages. The stock of recorded IE languages further increases as we move forward in time. In 2003, over 2.5 billion people spoke an IE language as their first language, and there were at least seventy codified varieties, each spoken by a million or more native speakers. Four hundred years ago nearly all speakers of IE lived in Europe, Iran, Turkey, Western Asia and the Indian subcontinent, but migrations have now spread speakers to every part of the world. The wealth of historical material makes IE the best-documented language family in the world.


 ・ Clackson, James. Indo-European Linguistics. Cambridge: CUP, 2007.

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2017-12-02 Sat

#3141. 16世紀イングランドの識字率 [literacy][demography][spelling][standardisation]

 「#3101. 初期近代英語期の識字率」 ([2017-10-23-1]),「#3066. 宗教改革と識字率」 ([2017-09-18-1]) に引き続いての話題.16世紀ヨーロッパでは教育制度がおおいに拡充され,文字を読み書きできる人々が多くなってきたことは確かだが,識字率として具体的な数字を与えることは難しい.都市と地方の差,階級差,男女差などが大きく,一般化することが困難であるばかりでなく,そもそも多くの統計や研究が誤った前提に立っているという事情がある.その前提とは,法的書類に署名できる人は文字を読むこともできたとするものだ.近年の脳科学の知見によれば,書くことと読むことはまったく別の行為であり,両者が常に連動するものと考えることはできない.
 そこで,ペティグリー (317--19) は,様々な地域からの識字能力に関する断片的な情報を寄せ集めて,識字率を総合的に求めるという手法に訴えかけた.その結果として,以下の見解を導き出している.まず,都市と地方の識字率の差異については,言われるほど大きくなかったのではないかと述べている.人々は年と地方の間を頻繁に移動したし,彼らの集まる市場や酒場ではどこでも印刷物が貼り出されていたからだ.地方出身者であっても,文字を見慣れてはいただろう.
 識字率の男女差については,差があっただろうとは想像できても,それが具体的に確かめられるような資料は乏しい.女性は高い識字能力が要求される仕事につくことはなかったために,記録としても残りにくいのである.それでも本を読み,楽しむ女性は多くいたようではある.
 よく記録の残っている都市部の男性に限定すれば,高い識字率を誇る都市は印刷以前より存在した.16紀末のヴェネツィアでは33%ほどあったし,1530年のヨークでは20--25%ほどあった.このヨークの男性識字率は,同世紀末までには41%にまで跳ね上がっている.
 16世紀,そして続く17世紀にイングランドの識字率が大幅に上昇したことは間違いない.教育の拡充,印刷の普及,その他の社会的要因がこの上昇に貢献しているが,これらの諸要因はまた英語の綴字の標準化にも間接的に寄与しているのである.いよいよ大衆が本格的に文字に接し始めたときに,標準的な綴字が求められるようになったのだろう.

 ・ ペティグリー,アンドルー(著),桑木 幸司(訳) 『印刷という革命 ルネサンスの本と日常生活』 白水社,2015年.

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2017-10-23 Mon

#3101. 初期近代英語期の識字率 [literacy][demography][emode][standardisation]

 「#3043. 後期近代英語期の識字率」 ([2017-08-26-1]),「#3066. 宗教改革と識字率」 ([2017-09-18-1]) で,英語社会の識字率について話題にしたが,今回は水井 (116--17) より,テューダー朝期を中心とする16--17世紀のイングランドの識字率をみてみよう.

 ジェントリの子どもたちにとっては高等教育が社会的に必要であったし,聖職者や法律家になるにはこの方法しかなかった.また,都市の商人の子どもたちにとっては読み書きと計算が将来のために必要であった.しかし,教育費は高額で,富裕層の家庭でも子どもに高等教育を受けさせるためには,家計の中でも相当の割合を占めるような出費を覚悟せねばならなかったのである.より貧しい層では子どもの労働力を家計の足しにする必要があったので,子どもが読み書きを習うために村や町の初等学校に行ったとしても,仕事に就くために通学が短期間で終わることが多かった.読み書きは生きていくために不可欠というわけではなく,農業や手工業の経験的な技術・知識の取得のほうが重要だと考えられることも多かった.
 この時期のイングランドではジェントリ層,商人,富裕な農民層を中心に識字率が向上した.一七世紀中にジェントルマン層の識字率はほぼ一〇〇%に近付いていき,商人層,浮遊農民層でも過半数を上回るようになる.しかし,職人層や貧しい農民,女性の識字率は低く一七世紀末でも一〇%から二〇%に達する程度であったと推定されている.


 あくまで推計であるし,階層によって数値が異なるという事情も当然あったわけなので,当時の識字率の全体像をつかむことは容易ではない.しかし,この時期の印刷術の普及,出版物の大量の発行,宗教改革に後押しされた読書習慣,教育の向上などにより,着実に人々の識字率が向上していたという趨勢は間違いないだろう.標準綴字の模索と定着も,まさにこの時期の出来事だったことを合わせて確認しておきたい.

 ・ 水井 万里子 『図説 テューダー朝の歴史』 河出書房,2011年.

Referrer (Inside): [2017-12-02-1]

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2017-09-14 Thu

#3062. 1665年のペストに関する Samuel Pepys の記録 [black_death][pepys][literature][history][demography][statistics]

 17世紀のイングランドの海軍大臣 Samuel Pepys (1633--1703) は,1660--69年ロンドンでの出来事を記録した日記 The Diary of Samuel Pepys で知られる.1665--66年にロンドンを襲った腺ペスト (The Great Plague) についても,不安をもって記録している.関連する箇所をいくつか抜き出そう.

Sunday 30 April 1665 . . . . Great fears of the sickenesse here in the City, it being said that two or three houses are already shut up. God preserve as all!


Sunday 7 June 1665 . . . . This day, much against my will, I did in Drury Lane see two or three houses marked with a red cross upon the doors, and "Lord have mercy upon us" writ there; which was a sad sight to me, being the first of the kind that, to my remembrance, I ever saw. It put me into an ill conception of myself and my smell, so that I was forced to buy some roll-tobacco to smell to and chaw, which took away the apprehension.


Sunday 10 June 1665 . . . . In the evening home to supper; and there, to my great trouble, hear that the plague is come into the City (though it hath these three or four weeks since its beginning been wholly out of the City) . . . .


Saturday 16 September 1665 . . . . At noon to dinner to my Lord Bruncker, where Sir W. Batten and his Lady come, by invitation, and very merry we were, only that the discourse of the likelihood of the increase of the plague this weeke makes us a little sad, but then again the thoughts of the late prizes make us glad.


 上の3つめの引用にあるとおり,ペストがシティに入ってきたのは6月10日頃である.6月下旬には,ロンドン市長と市参事会の連名でペスト条例が公布されている.当時のロンドンの人口は25万人ほどという説があるが,その1/5ほどがわずか1年のあいだに腺ペストに倒れたというから,その勢いは凄まじい(蔵持,pp. 219--226).ペストは翌1666年には下火になっていたものの,くすぶってはいた.ペストが完全に制圧されたのは,皮肉にも9月2日のロンドン大火によってだった.その日の Pepys の日記 (Sunday 2 September 1666) も参照されたい.

 ・ 蔵持 不三也 『ペストの文化誌 ヨーロッパの民衆文化と疫病』 朝日新聞社〈朝日選書〉,1995年.

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2017-09-08 Fri

#3056. 黒死病による人口減少と技術革新 [black_death][reestablishment_of_english][history][demography][sociolinguistics][printing]

 英語史における黒死病 (black_death) の意義は,黒死病→人口減少→英語母語話者の社会的台頭→英語の復権といった因果関係の連鎖に典型的にみることができる.しかし,もっと広い視野から歴史の因果関係を考察すると,黒死病→人口減少→賃金上昇→技術革新という連鎖も認められ,この技術革新が間接的に英語の復権をサポートしたという側面もありそうだ.
 ケリーが『黒死病 ペストの中世史』のなかの「必要が新しい技術を生む」という節で,次のように述べている (376--77) .

人口減少は技術革新にも大きな影響を及ぼした.労働力が急激に減少したことから,人手を省くための装置の開発が各分野で進み,書籍作りにもその動きが見られた.十三世紀と十四世紀には,商人や大学教育を受けた専門職や職人などの階級が成長したことから,書籍への需要が着実に伸びた.しかし,中世の造本はきわめて労働集約的な作業だった.まず,数人の写字生が手分けして一冊の本を一折りずつ書き写す.労働賃金が安かった黒死病以前の時代には,この方法でも儲けが出たが,黒死病以後の高賃金の時代になると,そうはいかなかった.そこでドイツのマインツに生まれた野心家の若者ヨハネス・グーテンベルクの登場である.大量死の時代からおよそ百年後の一四五三年,グーテンベルクは世界初の印刷機を世に送り出した.


 以上より,1世紀ほどの時間幅があるとはいえ,黒死病→人口減少→賃金上昇→技術革新→印刷術の発明,という連鎖が得られた.印刷術の発明の後に続く連鎖については,「#2927. 宗教改革,印刷術,英語の地位の向上」 ([2017-05-02-1]) と「#2937. 宗教改革,印刷術,英語の地位の向上 (2)」 ([2017-05-12-1]) を参照されたい.黒死病が,最終的には英語の社会的地位の向上につながる.
 ケリー (377--79) は,黒死病に起因する技術革新や制度変化が,造本のほか,鉱業,漁業,戦争形態,医療,公衆衛生,高等教育など多くの分野で生じたことを示しており,すでに近代的な科学の方法論を取り入れる素地ができあがりつつあったとも述べている.例えば,高等教育の変化について「ペスト流行後の学問の衰退と聖職者兼教育者の不足」に言及している(ケリー,p. 379).当時の大学の置かれていた状況については「#1206. 中世イングランドにおける英語による教育の始まり」 ([2012-08-15-1]) および「#3055. 黒死病による聖職者の大量死」 ([2017-09-07-1]) を参照.

 ・ ジョン・ケリー(著),野中 邦子(訳) 『黒死病 ペストの中世史』 中央公論新社,2008年.

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2017-09-07 Thu

#3055. 黒死病による聖職者の大量死 [black_death][reestablishment_of_english][history][demography][sociolinguistics]

 連日,黒死病 (black_death) の話題を取りあげている.昨日の記事「#3054. 黒死病による社会の流動化と諸方言の水平化」 ([2017-09-06-1]) では Gooden の英語史読本を参照したが,黒死病を手厚く扱っているもう1つのポピュラーな英語史読本として,Bragg (60--61) を挙げよう.黒死病の英語史における意義に関して特に目新しことを述べているわけではないが,さすがに読ませる書き方ではある.

In 1348 Rattus rattus, the Latin-named black rodent, was the devil in the bestiary. These black rats deserted a ship from the continent which had docked near Weymouth. They carried a deadly cargo, a term that modern science calls Pasteurella pestis, that the fourteenth century named the Great Pestilence and that we know as the Black Death.
   The worst plague arrived in these islands, and much, including the language, would be change radically.

The infected rats scaled out east and then north. They sought out human habitations, building nests in the floors, climbing the wattle and daub walls, shedding the infected fleas that fed on their blood and transmitted bubonic plague. It has been estimated that up to one-third of England's population of four million died. Many others were debilitated for life. In some places entire communities were wiped out. In Ashwell in Hertfordshire, for instance, in the bell tower of the church, some despairing soul, perhaps the parish priest, scratched a short poignant chronicle on the wall in poor Latin. "The first pestilence was in 1350 minus one . . . 1350 was pitiless, wild, violent, only the dregs of the people live to tell the tale."
   The dregs are where our story of English moves on. These dregs were the English peasantry who had survived. Though the Black Death was a catastrophe, it set in train a series of social upheavals which would speed the English language along the road to full restoration as the recognised language of the natives. The dregs carried English through the openings made by the Black Death.
   The Black Death killed a disproportionate number of the clergy, thus reducing the grip of Latin all over the land. Where people lived communally as the clergy did in monasteries and other religious orders, the incidence of infection and death could be devastatingly high. At a local level, a number of parish priests caught the plague from tending their parishioners; a number ran away. As a result the Latin-speaking clergy was much reduced, in some parts of the country by almost a half. Many of their replacements were laymen, sometimes barely literate, whose only language was English.
   More importantly, the Black Death changed society at its roots --- the very place where English was most tenacious, where it was still evolving, where it roosted.
   In many parts of the country there was hardly anyone left to work the land or tend the livestock. The acute shortage of labour meant that for the first time those who did the basic work had a lever, had some power to break from their feudal past and demand better conditions and higher wages. The administration put out lengthy and severe notices forbidding labourers to try for wage increases, attempting to force them to keep to pre-plague wages and demands, determined to stifle these uneasy, unruly rumblings. They failed. Wages rose. The price of property fell. Many peasants, artisans, or what might be called working-class people discovered plague-emptied farms and superior houses, which they occupied.


 引用中に,聖職者が特にペストの餌食となったことにより,イングランド社会におけるラテン語の影響力が減じたとある.含意として,相対的に大多数の人々の母語である英語が影響力を増したと読める.しかし,聖職者がとりわけ被害を受けたというのが本当なのかどうかについては論争があり,真実は必ずしも明らかにされていない.とはいえ,「聖職者というのは,埋葬に立ち会い,終油の秘蹟をさずけ,あるいは救助活動に身を捧げたりで,患者や死者との接触度が一般人よりもはるかに大きく,それだけ危険度も高かった」(村上,p. 131)というのは,理に適っているように思われる.なお,聖職者は教育者でもあったことも付け加えておこう (cf. 「#1206. 中世イングランドにおける英語による教育の始まり」 ([2012-08-15-1])) .

 ・ Bragg, Melvyn. The Adventure of English. New York: Arcade, 2003.
 ・ 村上 陽一郎 『ペスト大流行 --- ヨーロッパ中世の崩壊 ---』 岩波書店〈岩波新書〉,1983年.

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2017-09-06 Wed

#3054. 黒死病による社会の流動化と諸方言の水平化 [black_death][reestablishment_of_english][history][demography][me_dialect][sociolinguistics][dialect_levelling]

 英語史では中世における英語の復権と関連して,たいてい黒死病のことが触れられる.しかし,簡単に言及されるにとどまり,突っ込んだ説明のないものも多い.そのなかで,一般向けの英語史読本を著わした Gooden (67--68) は,黒死病に対して1節を割くほどの関心を示している.読み物としておもしろいので引用しておこう.なお,引用の第2段落の1部は,Black Death の語源と関連して「#2990. Black Death」 ([2017-07-04-1]) でも取りあげた.

The Black Death had a devastating effect on the British Isles, as on the rest of Europe. The population of England was cut by anything between a third and a half. Probably originating in Asia, the plague arrived in a Dorset port in the West country in 1348, rapidly spreading to Bristol and then to Gloucester, Oxford and London. If a rate of progress were to be allotted to the plague, it was advancing at about one-and-a-half miles a day. The major population centres, linked by trading routes, were the most obviously vulnerable but the epidemic had reached even the remotest areas of western Ireland by the end of the next decade. Symptoms such as swellings (the lumps or buboes that characterize bubonic plague), fever and delirium were almost invariably followed within a few days by death. Ignorance of its cause heightened panic and public fatalism, as well as hampering effectual preventive measures. Although the epidemic petered out in the short term, the disease did not go away, recurring in localized attacks and then major outbreaks during the 17th century which particularly affected London. One of them disrupted the preparations for the coronation of James I in 1603; the last major epidemic killed 70,000 Londoners in 1665.
   The term 'Black Death' came into use after the Middle Ages. It was so called either because of the black lumps or because in the Latin phrase atra mors, which means 'terrible death', atra can also carry the sense of 'black'. To the unfortunate victims, it was the plague, or, more often, the pestilence. So Geoffrey Chaucer calls it in The Pardoner's Tale, where he makes it synonymous with death. The words survive in modern English even if with a much diminished force in colloquial use: 'He's a pest.' 'Stop plaguing us!' Curiously, although pest in the sense of 'nuisance' has its roots in pestilence, the word pester comes from a quite different source, the Old French empêtrer ('entangle', 'get in the way of').
   The impact of the pestilence on English society was profound. Quite apart from the psychological effects, there were practical consequences. Labour shortages meant a rise in wages and more fluid social structure in which the old feudal bonds began to break down. Geographical mobility would also have helped in dissolving regional distinctions and dialect differences.


 黒死病による人口減少により,生き残った労働者の賃金が上がり,彼らの社会的地位が上昇するとともに彼らの母語である英語の社会的地位も上昇した,というのが黒死病の英語史上のインパクトと言われる.しかし,引用の最後にあるように,人々が社会的にも地理的にも流動化したという点にも注目すべきである.これにより,人々がますます混交し,とりわけロンドンのような都会では諸方言が水平化してゆく契機となった (cf. dialect levelling) .黒死病は,確かに英語の行く末に間接的な影響を与えたといえるだろう.

 ・ Gooden, Philip. The Story of English: How the English Language Conquered the World. London: Quercus, 2009.

Referrer (Inside): [2017-09-07-1]

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2017-09-05 Tue

#3053. 黒死病により農奴制から自由農民制へ [black_death][reestablishment_of_english][history][demography][sociolinguistics]

 1348年に起こった黒死病 (black_death) について,本ブログでも何度か取りあげてきた(cf. 「#119. 英語を世界語にしたのはクマネズミか!?」 ([2009-08-24-1]),「#138. 黒死病と英語復権の関係について再考」 ([2009-09-12-1]),「#1206. 中世イングランドにおける英語による教育の始まり」 ([2012-08-15-1])).今回は,英語史における黒死病の意義を考えるにあたって,特に農業経済の変化に焦点を当てつつ,広い視野から当時の歴史的背景を紹介したい.
 黒死病に関する McDowall (46--47) からの文章を引こう.

Probably more than one-third of the entire population of Britain died, and fewer than one person in ten who caught the plague managed to survive it. Whole villages disappeared, and some towns were almost completely deserted until the plague itself died out.
   The Black Death was neither the first natural disaster of the fourteenth century, nor the last. Plagues had killed sheep and other animals earlier in the century. An agricultural crisis resulted from the growth in population and the need to produce more food. Land was no longer allowed to rest one year in three, which meant that it was over-used, resulting in years of famine when the harvest failed. This process had already begun to slow down population growth by 1300.
   After the Black Death there were other plagues during the rest of the century which killed mostly the young and healthy. In 1300 the population of Britain had probably been over four million. By the end of the century it was probably hardly half that figure, and it only began to grow again in the second half of the fifteenth century. Even so, it took until the seventeenth century before the population reached four million again.
   The dramatic fall in population, however, was not entirely a bad thing. At the end of the thirteenth century the sharp rise in prices had led an increasing number of landlords to stop paying workers for their labour, and to go back to serf labour in order to avoid losses. In return villagers were given land to farm, but this tenanted land was often the poorest land of the manorial estate. After the Black Death there were so few people to work on the land that the remaining workers could ask for more money for their labour. We know they did this because the king and Parliament tried again and again to control wage increases. We also know from these repeated efforts that they cannot have been successful. The poor found that they could demand more money and did so. This finally led to the end of serfdom.
   Because of the shortage and expense of labour, landlords returned to the twelfth-century practice of letting out their land to energetic freeman farmers who bit by bit added to their own land. In the twelfth century, however, the practice of letting out farms had been a way of increasing the landlord's profits. Now it became a way of avoiding losses. Many "firma" agreements were for a whole life span, and some for several life spans. By the mid-fifteenth century few landlords had home farms at all. These smaller farmers who rented the manorial lands slowly became a new class, known as the "yeomen". They became an important part of the agricultural economy, and have always remained so.
   Overall, agricultural land production shrank, but those who survived the disasters of the fourteenth century enjoyed a greater share of the agricultural economy. Even for peasants life became more comfortable. For the first time they had enough money to build more solid houses, in stone where it was available, in place of huts made of wood, mud and thatch.


 黒死病の勃発する1358年より前にも,疫病,人口増加,農地不足はすでに大きな問題となっており,農業経済は行き詰まっていた.農奴制 (serfdom) も持ちこたえられなくなっており,賃金労働者たる自由農民 (yeoman) という新しい身分が出現し始めていた.そこへ黒死病が到来し,生産者人口が激減するに及んで,生き残った生産者の社会的地位が高まった.このようにして,とりわけ自由農民の層が15世紀にかけて存在感と発言力を増していった.そして,彼らの話す言葉こそが,英語だったのである.
 McIntyre (15) が述べている通り,"the greater the influence a particular group has within society, the more likely it is that the language spoken by that group will be seen as prestigious."である.英語は,中世イングランドの農業経済の変化(農奴制から自由農民制へ)とともに復権を果たしたといえる.
 ただし,黒死病が必ずしも農業経済に直接の影響を及ぼしたわけではない,それは旧来の学説だとする見方も,近年影響力を高めてきているようではあるマクニール(下巻,p. 58 を参照).

 ・ McDowall, David. An Illustrated History of Britain. Harlow: Longman 1989.
 ・ McIntyre, Dan. History of English: A Resource Book for Students. Abingdon: Routledge. 2009.
 ・ ウィリアム・H・マクニール(著),佐々木 昭夫(訳) 『疫病と世界史 上・下』 中央公論新社〈中公文庫〉,2007年.

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2017-08-26 Sat

#3043. 後期近代英語期の識字率 [literacy][demography][spelling][lexicology]

 過去の社会の識字率を得ることは一般に難しいが,後期近代英語期の英語社会について,ある程度分かっていることがある.以下にメモしておこう.
 まず,Fairman (265) は,19世紀初期の状況として次の事実を指摘している.

1) In some parts of England 70% of the population could not write . . . . For them English was only sound, and not also marks on paper.
2) Of the one-third to 40% who could write, less than 5% could produce texts near enough to schooled English --- that is, to the type of English taught formally --- to have a chance of being printed.


 Simon (160) は,19世紀中の識字率の激増,特に女性の値の増加について触れている.

The nineteenth century witnessed a huge increase in literacy, especially in the second half of the century. In 1850 30 per cent of men and 45 per cent of women were unable to sign their own names; by 1900 that figure had shrunk to just 1 per cent for both sexes.


 上のような識字率と関連させて,Tieken-Boon van Ostade (45--46) がこの時代の綴字教育について論じている.貧しさゆえに就学期間が短く,中途半端な綴字教育しか受けられなかった子供たちは,せいぜい単音節語を綴れるにすぎなかっただろう.このことは,本来語はおよそ綴れるが,ほぼ多音節語からなるラテン語やフランス語からの借用語は綴れないことを意味する.文体レベルの高い借用語を自由に扱えないようでは社会的には無教養とみなされるのだから,彼らは書き言葉における「制限コード」 (restricted code) に甘んじざるをえなかったと表現してもよいだろう.
 識字率,綴字教育,音節数,本来語と借用語,制限コード.これらは言語と社会の接点を示すキーワードである.

 ・ Fairman, Tony. "Letters of the English Labouring Classes and the English Language, 1800--34." Insights into Late Modern English. 2nd ed. Ed. Marina Dossena and Charles Jones. Bern: Peter Lang, 2007. 265--82.
 ・ Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013.
 ・ Tieken-Boon van Ostade, Ingrid. An Introduction to Late Modern English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2009.

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2017-07-23 Sun

#3009. 母語話者数による世界トップ25言語(2017年版) [statistics][world_languages][demography][japanese]

 「#397. 母語話者数による世界トップ25言語」 ([2010-05-29-1]) を書いてから7年の年月が経った.Ethnologue (20th ed) の最新版が出たので,Summary by language size の表3により,母語話者数による世界トップ23言語の最新ランキングを示したい.

RankLanguagePrimary CountryCountriesSpeakers (20th ed, 2017)Speakers (16th ed, 2009)(13th ed, 1996)
1ChineseChina371,284 million1,2131,123
2SpanishSpain31437329266
3EnglishUnited Kingdom106372328322
4ArabicSaudi Arabia57295221202
5HindiIndia5260182 (242.6 with Urdu)(236 with Urdu)
6BengaliBangladesh4242181189
7PortuguesePortugal13219178170
8RussianRussian Federation19154144288
9JapaneseJapan2128122125
10LahndaPakistan611978.3 
11JavaneseIndonesia384.484.6 
12KoreanKorea777.266.3 
13GermanGermany2776.890.398
14FrenchFrance5376.167.872
15TeluguIndia274.269.8 
16MarathiIndia171.868.1 
17TurkishTurkey871.150.8 
18UrduPakistan669.160.6 
19VietnameseViet Nam368.168.6 
20TamilIndia768.065.7 
21ItalianItaly1363.461.763
22PersianIran3061.9  
23MalayMalaysia1660.839.147


 2009年の16版の統計では2位スペイン語と3位英語の差はごくわずかで事実上のタイだったが,今回のデータによれば,2位のスペイン語が英語を勢いで引き離しにかかっていることがわかる.3位の英語は,むしろ今後は4位のアラビア語に詰め寄られることになりそうだ.
 続くランキングで,9位につけている日本語までは,ここ数年で順位が変わっていないものの,10位だったドイツ語が13位まで順位を落としているのが印象的である.フランス語は,むしろ16位から14位へ若干順位を上げている.
 近い将来,9位につけている日本語が徐々にランキングを下げていくことは必至である.日本以外に母語として使用される国がないこと,また日本の人口減の傾向が主たる要因である.ジャワ語やベトナム語などに肉薄されるのも時間の問題だろう.
 「#274. 言語数と話者数」 ([2010-01-26-1]) で示したように,少数のトップ言語が世界人口の多くを担っているという事態は変わっていないどころか,傾向が加速化している.例えば,上の表の15位までの言語の母語話者の合計は約40億人となり,これは世界人口の6割近くに当たる.うち6言語は国連の公用語であり,これだけで148国をカバーする.言語の寡頭支配ぶりは明らかだろう.

Referrer (Inside): [2017-09-11-1]

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2016-12-29 Thu

#2803. アイルランド語の話者人口と使用地域 [irish][ireland][demography][celtic][map]

 アイルランドにおけるアイルランド語から英語への言語交替 (language_shift) について「#2798. 嶋田 珠巳 『英語という選択 アイルランドの今』 岩波書店,2016年.」 ([2016-12-24-1]),「#1715. Ireland における英語の歴史」 ([2014-01-06-1]) で取り上げた.言語交替は現在も進行中だが,アイルランド語 (irish) はいまだ確かに使用されている.アイルランド語使用の実態について,嶋田 (20--20) の記述を箇条書きにまとめてみよう.

 ・ 現代アイルランドでは日々のコミュニケーションの主流は英語である
 ・ アイルランド語のみを話す話者は存在しない
 ・ 日常的にアイルランド語を用いるのは,人口の2%程度である
 ・ 2011年の国勢調査によるとアイルランド語話者(=「アイルランド語が話せる話者」)は約177万人で,これは3歳以上の人口の40.6%に相当する
 ・ アイルランド共和国憲法第8条にはアイルランド語が国語 (national language) であり第1公用語であることが記されている(英語は第2公用語)
 ・ アイルランド語は,多くのアイルランド人にとって学校で学ぶ言語である
 ・ 民族語であるアイルランド語を習得することは公共機関の仕事に就くために必須であり,高く評価される
 ・ アイルランドは,2010年から2030年までの「20年戦略」でアイルランド語と英語のバイリンガルをできる限り増やす計画を立てている
 ・ 現地ではアイルランド語は「ゲール語」 (Gaelic) と称され,ゲール語使用地域は「ゲールタハト」 (Gaeltacht) と呼ばれる

 最後に触れたゲールタハトは,アイルランド島の西部を中心に小区画として点在している(ただし,広義にはスコットランドのゲール語使用地域も含む).Údarás na Gaeltachta のホームページによると,"The Gaeltacht covers extensive parts of counties Donegal, Mayo, Galway and Kerry --- all along the western seaboard --- and also parts of counties Cork, Meath and Waterford." と説明書きがある.以下に簡単な地図を再現しておこう(「#774. ケルト語の分布」 ([2011-06-10-1]) の地図も参照).

Map of Gaeltacht

 アイルランド語の歴史の概略については,Background on the Irish Language の記事も有用.関連して,アイルランドの歴史について「#762. エリザベス女王の歴史的なアイルランド訪問」 ([2011-05-29-1]),「#2361. アイルランド歴史年表」 ([2015-10-14-1]) も参照されたい.

 ・ 嶋田 珠巳 『英語という選択 アイルランドの今』 岩波書店,2016年.

Referrer (Inside): [2018-03-09-1] [2016-12-30-1]

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2016-12-09 Fri

#2783. 世界で最も "popular" な言語は? [world_languages][demography][statistics]

 現在,世界には7千ほどの言語が行なわれているとされるが,そのうち最も "popular" な言語は何だろうか.ほとんどの人々は「英語」と答えるかもしれない.しかし,実際には "popular" の定義を明確にしておかない限り,この質問に正確に答えるのは難しい.おそらく大多数の日本人にとって,"popular" な言語とは「世界中で広く話されている言語」のことと想定されるが,では「広く」とは何のことだろうか.それを常用している国の数か.あるいは,そのような国の面積か.それで用を足している人々の数か.それを共通語として採用している国際機関の数か.それを第2言語として教育している国の数か.いずれの観点かを定めさえすれば,"popular" の定義も定まり,最も "popular" な言語が何かという問いに答えを出すことができるだろう.しかし,どの観点が "popular" の定義として妥当なのかについて,満場一致はないように思われる."popular" を "top" や "significant" に置き換えたところで,問題は解決しない.
 例えば,母語話者の数ということでいえば,英語は中国語,スペイン語についで第3位となる.しかし,第2言語として話す人口を加えれば,英語は第1位に躍り出る.しかし,ここでは「英語」の範囲が問題になり,例えば,英語を基盤としたピジン語やクレオール語の母語話者は英語話者に含めるのか,といった疑問が生じる.あるいは,どのピジン語やクレオール語を含め,どれを含めないのか.
 また,その言語を主要言語とする国の経済力や技術力なども,考慮に入れる必要があるのではないか.その国が国際的に活躍していればいるほど,その言語も国際的に用いられやすいだろうし,世界的に "popular" ともなりうるからだ.しかし,そのような「国際性」は何によって計ればよいのか.経済活動か,軍事力か,文化力か,移民の割合か.何らかの重みづけをするにしても,その観点は無限である.
 考えられる "popular" の指標をすべて計算に含めて総合点を出すという方法はあるだろうが,元となる統計値が現実的に得られないような指標も多いだろう.結局のところ,母語話者や第2言語話者の人口など,ある程度入手可能な既存のデータを中心にながら,主観的な「印象点」も加味して,最も "popular" な言語を割り出すということになならざるを得ない.「印象点」には,採点者次第で,個人的な好き嫌いが含まれるかもしれないし,政治的・イデオロギー的な好悪も埋め込まれるかもしれない.
 言語ランキングを作るという作業は,一見簡単そうで実は難しい課題である.この問題については,Gooden (8--9) を参照されたい.本ブログ内では,「#397. 母語話者数による世界トップ25言語」 ([2010-05-29-1]),「#2263. 世界の主要言語の母語話者数の比較」 ([2015-07-08-1]),「#1591. Crystal による英語話者の人口」 ([2013-09-04-1]),「#1592. 英語話者の人口を推計することが難しい理由」 ([2013-09-05-1]) なども関連する.

・ Gooden, Philip. The Story of English: How the English Language Conquered the World. London: Quercus, 2009.

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2016-11-14 Mon

#2758. Ferguson による「国家の社会言語学的輪郭」 [sociolinguistics][methodology][typology][world_languages][world_languages][demography]

 昨日の記事「#2757. Ferguson による社会言語学的な「発展」の度合い」 ([2016-11-13-1]) に引き続き,Ferguson の論文に依拠しながら,言語(共同体)を類型化する方法について考える.Ferguson (25) は,言語学者は伝統的に国家という単位をあえて考慮しないという態度を取ってきたが,社会言語学の立場からは,国家を基準として考えることが必要だと主張する.

From many points of view . . . it is desirable to use the nation as the basis for general sociolinguistic descriptions: communication networks, educational systems, and language "planning" are generally on a national basis and national boundaries play at least as important a role in the delimitation of linguistic areas as any other single social barrier.


 Ferguson は,国家を基準として言語の使用状況を記述する作業が不可欠であり,すべての国家について一貫した視点で記述することにより,相互比較もできるようになるし,類型化もできるようになると主張する.このような国別の記述が,"national sociolinguistic profile" (26) である.その一貫した視点については,予備的なものとしながら,次の項目を挙げている (26).

. . . how many major languages are spoken; what is the pattern of language dominance; are there national uses of a LWC [= language of wider communication]; for each major language spoken in the country, what is the extent of written uses of the language (W0. --- W2.) and what is the extent of standardization (St0. --- St2.) and its nature (multimodal? range of variation from the norm?).


 現代までに,およそ Ferguson が提案した通りに「国家の社会言語学的輪郭」の記述が進められていき,Ethnologue のようなデータベースが作られるようになった.

 ・ Ferguson, Charles A. "The Language Factor in National Development." Anthropological Linguistics 4 (1962): 23--27.

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2016-06-19 Sun

#2610. ラテンアメリカ系英語変種 [world_englishes][new_englishes][variety][demography][substratum_theory][aave]

 近年,英語諸変種への関心が高く,本ブログでも world_englishesnew_englishes というタグのもとで, 世界中の様々な変種の話題に触れてきた.今回は,Bayley による "Latino Varieties of English" と題する論文(というよりは紹介記事)に従って,アメリカにおけるラテンアメリカ系移民とその子孫たちの用いる英語変種 "Latino English" を巡る状況について,簡単に述べよう.
 最新の統計ではないが,2004年の時点で,米国のラテンアメリカ系人口は40,424,000人ほどであり,割合にして全体の14%を占める.その過半数は家庭でスペイン語を用い続けているというが,家庭でも英語のみを話す人口は直近20年ほどの間に着実に増えてきているという.Bayley (522) に引用されている Brodie et al. の2002年の統計によれば,移民世代(第1世代)の成人では主としてスペイン語のみを話す割合が72%で圧倒しているが,第2世代では47%が英語・スペイン語のバイリンガルであり,さらにほぼ同数が主として英語を話すという.第3世代以降になると,第1世代と状況が逆転し,78%が主として英語を用いるとされる.つまり,ラテンアメリカ系アメリカ人の第2世代以降は母語として英語を習得するようになっており,彼らの話す母語変種の英語が "Latino English(es)" と呼ばれるのである.この変種は,スペイン語を母語とする人が英語を習得する過程で示す interlanguage とは異なることに注意したい.
 Latino English にも複数の変種が区別されるが,Bayley によれば,この方面の体系的研究はさほど進んでいないという.当面,2つの主たる変種である "Chicano English" と "Puerto Rican English" が参照されている.Chicano English は,主としてカリフォルニアや南西諸州の barrio (ラテンアメリカ系居住区)で聞かれる変種である.Puerto Rican English は主として New York City を含む東海岸で聞かれる.しかし,いずれの変種も,近年ラテンアメリカ系人口がアメリカ中で拡大しているため,上記の地域以外でも聞かれるようになってきている.例えば,Chicago, Georgia, North Carolina などでは,ラテンアメリカ系人口の増加が顕著である.
 これらの変種の言語学的特徴としては,基層言語としてのスペイン語の効果が関与していると考えられるものがあるが,一方で非ラテンアメリカ系英語変種と平行的な特徴も見られ,基層言語からの影響の評価は慎重になされなければならないだろう.むしろ,Puerto Rican English では,習慣的 be の用法,連結詞 (copula) の欠如,3単現の -s の欠如に関して,AAVE からの影響が強いと言われている.
 今後,多種多様なラテンアメリカ系人口が拡大し,移動と接触の機会も増えてくると予想されるが,これらラテンアメリカ系英語諸変種の各々はどのような発展をたどることになるのだろうか.個々バラバラに発達するのか,あるいは1つの "pan-Latino English" と呼べるような統一変種が発達することになるのか.今後の動向を見守りたい.
 関連する話題として「#256. 米国の Hispanification」 ([2010-01-08-1]),「#1657. アメリカの英語公用語化運動」 ([2013-11-09-1]) を参照.

 ・ Bayley, Robert. "Latino Varieties of English." Chapter 51 of A Companion to the History of the English Language. Ed. Haruko Momma and Michael Matto. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2008. 521--30.

Referrer (Inside): [2017-04-22-1] [2017-01-17-1]

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2016-02-02 Tue

#2472. アフリカの英語圏 [demography][world_englishes][new_englishes][esl][map][timeline][pidgin][creole][standardisation][africa]

 「#2469. アジアの英語圏」([2016-01-30-1]) に引き続き,今回はアフリカの英語圏の人口統計について.Gramley (307, 309, 311) の "Anglophone Southern African countries", "Anglophone West African countries", "Anglophone East African countries" の表を掲載しよう.  *  *

countrysignificant UK contactcolonial statusindependencetotal populationEnglish speakers
percentagetotal number
Botswana19th century188519661,640,000--38%630,000
Lesotho protectorate19661,800,000--28%500,000
Malawi18781891196413,000,000--4%540,000
Namibia18781920 (S. Afr.)19901,800,000--17%> 300,000
South Africa17951795191047,850,000> 28%13,700,000
Swaziland18941902 (UK)19681,140,000--4.4%50,000
Zambia188819241953, 196413,000,000--15%--2,000,000
Zimbabwe189019231953, 198013,300,000--42%5,550,000
 
Cameroon19141916196018,500,000--42%7,700,000
Gambia1661, 1816189419651,700,000--2.3%40,000
Ghana (formerly gold coast)1824, 18501874, 1902195723,480,000--6%1,400,000
LiberiaUSA 1822none18473,750,000--83%3,100,000
Nigeria18511884, 19001960148,000,000--53%79,000,000
Sierra Leone1787180819615,800,000--83%4,900,000
 
Kenya18861895, 1920196339,000,000--9%2,700,000
Tanzania1880s1890, 1920196142,000,000--11%4,000,000
Uganda1860s1888, 1890196231,000,000--10%2,500,000


 South Africa や Nigeria の存在感が群を抜いていることがわかる.
 これまで一覧してきたアフリカやアジアの英語圏で用いられている英語は,実際上ほぼすべて ESL と考えてよい.南アフリカでは一部 ENL が行われていたり,他の地域でクレオール英語が行われているところもあるが,現実的には ESL 地域と呼ぶにふさわしい.これらの多くの国・地域の英語使用について共通しているのは,その土地独自の英語が "endonormative" な方向で社会的な地位を得て,制度化しつつあることである.Gramley (306) は次のように解説している.

In most of these countries a kind of indigenization or nativization is currently taking place, a process in which the domains of the language are expanding and in which increasingly endonormative standards are becoming established for usages which were once stigmatized as mistakes. This is opening the way to wider use of English in creative writing and to the institutionalization of local forms in schools, the media, and government . . . . English may well still be far from being a language of the emotions among the vast majority of its users; indeed, the institutionalization of English may be making it ever more difficult for those without English to close the social gap between "the classes and the masses." All the same, English is more and more firmly a part of everyday linguistic experience.


 これら "New Englishes" の使用に関する歴史社会言語学的な事情については「#1255. "New Englishes" のライフサイクル」 ([2012-10-03-1]) を参照されたい.また,アフリカの英語圏のいくつかの地域については,「#343. 南アフリカ共和国の英語使用」 ([2010-04-05-1]),「#412. カメルーンの英語事情」 ([2010-06-13-1]),「#413. カメルーンにおける英語への language shift」 ([2010-06-14-1]),「#514. Nigeria における英語の位置づけ」 ([2010-09-23-1]) で取り上げてきたので,そちらをご覧ください.Gramley の英語史概説書コンパニオンサイトより,こちらの解説PDFファイルのなかの "colonial expansion into West Africa" の記事も有用.

 ・ Gramley, Stephan. The History of English: An Introduction. Abingdon: Routledge, 2012.

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2016-01-30 Sat

#2469. アジアの英語圏 [demography][world_englishes][new_englishes][esl][map][timeline][efl]

 アジアの英語圏については,以下の記事その他で取り上げてきた.

 ・ 「#177. ENL, ESL, EFL の地域のリスト」 ([2009-10-21-1])
 ・ 「#215. ENS, ESL 地域の英語化した年代」 ([2009-11-28-1])
 ・ 「#273. 香港の英語事情」 ([2010-01-25-1])
 ・ 「#375. 主要 ENL,ESL 国の人口増加率」 ([2010-05-07-1])
 ・ 「#759. 21世紀の世界人口の国連予測」 ([2011-05-26-1])
 ・ 「#1589. フィリピンの英語事情」 ([2013-09-02-1])
 ・ 「#1590. アジア英語の諸変種」 ([2013-09-03-1])
 ・ 「#1593. フィリピンの英語事情 (2)」 ([2013-09-06-1])

 英語の未来を占う上で,アジア英語の話者に関する人口統計は重要な意味をもつ.様々な文献から数字を挙げることができるが,ここでは Gramley (313, 314) の "Anglophone South Asian countries" と "Anglophone Southeast Asian countries" の表をドッキングしたものを示そう.  *

countrysignificant UK contactbeginning of colonial statusindependencetotal populationEnglish speakers
percentagetotal number
Bangladesh169018581947162,000,000--2%3,500,000
India160018581947--1.2 billion> 20%> 230,000,000
Nepal none 25,000,000> 25%7,000,000
Pakistan185718581947164,000,000--11%18,000,000
Sri Lanka17961802194820,000,000--10%2,000,000
 
Singapore1819186719655,000,000--80%--4,000,000
Hong Kong1841184219976,900,000--36%2,500,000
PhilippinesUSA: 18981898194697,000,000> 50%50,000,000
Malaysia178617951957, 196327,000,000--27%7,400,000


 英語話者の人口統計という観点からは,インド,パキスタン,バングラデシュの潜在力が群を抜いている.フィリピンも21世紀中にまだまだ伸びてゆくだろう.また,表に掲げられている国・領域はいずれもESL地域であるが,いうまでもなく南・東南アジア,そして極東アジアには別途広大なEFL地域が広がっており,そこでは英語教育が例外なく盛んになっている.実際上および潜在的な英語話者が今世紀中増え続けることは間違いないが,そのなかでアジアは今後の世界の英語とその行方に影響を与え得る一大エリアとなるだろう.日本は,このような近隣の英語を巡る環境の変化に,よく注意を払うことが必要である.

 ・ Gramley, Stephan. The History of English: An Introduction. Abingdon: Routledge, 2012.

Referrer (Inside): [2017-09-11-1] [2016-02-02-1]

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2015-08-25 Tue

#2311. Tristan da Cunha [enl][world_englishes][map][geography][demography][statistics]

 「#2305. 英語を説明する25の地図」 ([2015-08-19-1]) の11番目として挙げられている Tristan da Cunha について付け加える.Tristan da Cunha は,アフリカ南部と南アメリカ大陸のどちらからも遠く離れた絶海の孤島.南アフリカからは約2400キロ,南アメリカからは約3360キロ離れている.6つの小島からなり,有人島は Tristan da Cunha と Gough Island の2つのみである.この群島は,1506年にポルトガル人の海軍将官 Tristão da Cunha によって発見された.17世紀以降,何度かにわたって定住の試みがあったが失敗し,初めて成功したのは1816年のイギリス駐屯軍によるものである.St. Helena に島流しにされたナポレオンの救出を阻止するための派兵とされる.その1816年に英国領として併合されたが,翌1817年に軍は撤退し,それ以降は,島に残った少数の者たちと,難破したヨーロッパ人の漂流者たちが島民人口のほとんどであった.1886年には97人がいたとの報告がある.1938年には St. Helena の保護領となったが,2009年にその地位は解消され,英国海外領 St Helena, Ascension and Tristan da Cunha の一部となっている.2015年現在,人口は259人であり,そのほとんとが英語を母語とする ENL 地域である.

Map of Tristan da Cunha

 以下,関連する外部リンクを張っておく.

 ・ Website of the Tristan da Cunha Government and Tristan Association
 ・ Wikipedia による Tristan da Cunha の記事
 ・ BBC による St Helena, Ascension, Tristan da Cunha profiles
 ・ CIA: The World Factbook による Saint Helena, Ascension, and Tristan da Cunha
 ・ Edgar Allan Poe による The Narrative of Arthur Gordon Pym of Nantucket (1838) の Chapter 15 に,Tristan da Cunha の歴史的,地理的な詳しい記述がある.

 なお,St. Helena については,「#177. ENL, ESL, EFL の地域のリスト」 ([2009-10-21-1]),「#215. ENS, ESL 地域の英語化した年代」 ([2009-11-28-1]),「#1919. 英語の拡散に関わる4つの crossings」 ([2014-07-29-1]) でも軽く触れている.

(後記 2015/09/01(Tue): McArthur, Tom, ed. The Oxford Companion to the English Language. Oxford: OUP, 1992. の "TRISTAN DA CUNHA" (1056) の項も参照.この英語変種は,Highland English と同じ特徴を有すると考えられている.)

 ・ McArthur, Tom, ed. The Oxford Companion to the English Language. Oxford: OUP, 1992.

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2015-07-15 Wed

#2270. イギリスからアメリカへの移民の出身地 (3) [history][ame][bre][ame_bre][geography][map][demography][rhotic]

 「#2261. イギリスからアメリカへの移民の出身地 (1)」 ([2015-07-06-1]),「#2262. イギリスからアメリカへの移民の出身地 (2)」 ([2015-07-07-1]) に引き続いての話題.[2015-07-07-1]では,Fisher を参照した Gramley による具体的な数字も示しながら,初期移民の人口統計を簡単に確認したが,この Fisher 自身は David Hackett Fischer による Albion's Seed (1989年) に拠っているようだ.さらに,この D. H. Fischer という学者は,アメリカ英語史研究者の先達である Hans Kurath, George Philip Krapp, Allen Walker Read, Albert Marckwardt, Raven McDavid, Cleanth Brooks 等に依拠しつつ,具体的な人口統計の数字を提示しながら,イギリス英語とアメリカ英語の連続性を主張しているのである.
 Fischer の記述を信頼して Fisher がまとめた(←名前の綴りが似ていて混乱するので注意!)初期移民史について,以下に引用しよう (Fisher 60) .初期植民地への移民の95%以上がイギリスからであり,それは4波にわかれて行われたという.

1. 20,000 Puritans largely from East Anglia to to New England, 1629--41, to escape the tyranny of the crown and the established church that led to the Puritan revolution;
2. 40,000 Cavaliers and their servants largely from the southwestern counties of England to the Chesapeake Bay area and Virginia, 1642--75, to escape the Long Parliament and Puritan rule;
3. 23,000 Quakers from the North Midlands and many like-minded evangelicals from Wales, Germany, Holland, and France, to the Delaware Valley and Pennsylvania, 1675--1725, to escape the Act of Uniformity in England and the Thirty Years War in Europe;
4. 275,000 from the North Border regions of England, Scotland, and Ulster to the backcountry of New England, western Pennsylvania, and the Appalachians, 1717--75, to escape the endemic conflict and poverty of the Border regions, and especially the 1706--7 Act of Union between England and Scotland, which brought about the "pacification" of the border, transforming it from a combative society in need of many warriors to a commercial and industrial society in need of no warriors, with the consequent large-scale displacement of the rural population.


 Fischer は伝統的なアメリカへの初期移民史の記述を人口統計によって補強したということだが,これは英語変種の連続性を考える上では非常に重要な情報である.
 イギリス変種からアメリカ変種への連続性を論じる際に必ず話題になるのは,non-prevocalic /r/ である.この話題については「#452. イングランド英語の諸方言における r」 ([2010-07-23-1]) と「#453. アメリカ英語の諸方言における r」 ([2010-07-24-1]) で合わせて導入し,「#1267. アメリカ英語に "colonial lag" はあるか (2)」 ([2012-10-15-1]) で問題の複雑さに言及したとおりだが,Fisher (75--77) も慎重な立場からこの問題に対している.確かに,250年ほど前に non-prevocalic /r/ の消失がロンドン近辺で始まったということと,アメリカへの移民が17世紀前半に始まったということは,アナクロな関係ではあるのだ.それでも,歴史言語学的な連続性に関する軽々な主張は慎むべきであるものの,一方で英語史研究において連続性の可能性に注意を払っておくことは常に必要だとも感じている.

 ・ Gramley, Stephan. The History of English: An Introduction. Abingdon: Routledge, 2012.
 ・ Fisher, J. H. "British and American, Continuity and Divergence." The Cambridge History of the English Language. Vol. 6. English in North America. Ed. J. Algeo. Cambridge: CUP, 2001. 59--85.

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