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hellog〜英語史ブログ / 2016-11

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2016-11-30 Wed

#2774. 時代区分について議論してみた [periodisation][hel_education][historiography]

 英語史の時代区分について,本ブログでは periodisation のいくつかの記事で論じてきた.この問題は,英語史に限らず一般に○○史を扱う際には,最重要の問題だと思っている.歴史家にとって,時代の区分数,区分名,区分幅,区分点,区分法は,自らの歴史観を最も端的に提示する機会であり手段であるからだ.また,時代区分を下手に理解してしまうと,「#2640. 英語史の時代区分が招く誤解」 ([2016-07-19-1]) で論じたように,得るところよりも失うところが多いことにもなりかねない.この問題については,一度ゼミなどで議論してみたいと思っていたが,先日,1コマ時間を割いて,それを実践してみた.英語史や○○史の時代区分について一般的にいわれていることを概説した上で,時代区分を設けることの長所と短所を自由に議論してもらった.その結果のいくつかを簡単に箇条書きしておこう.

[ 時代区分の良い点 ]

 ・ 学習者にとっては,区分ごとに学んでいけばよいので学びやすい
 ・ ある時点や時期を参照するのに名前がついていると便利
 ・ 複数の時期を比較するのに便利
 ・ 時代につけられた名前により時代の典型的なイメージが喚起される
 ・ 適切な区分数で区切られていると何かと扱いやすい

[ 時代区分の問題点 ]

 ・ 時代間の連続性がつかみにくくなる
 ・ 区分数,区分幅,区分名などに恣意性が感じられる
 ・ 区切りの年だけが注目され,その他の年は平凡で平穏なものとしてとらえられる傾向が生じる
 ・ ある区分の時代の内部では,何も変化が起こっていないような印象を与えてしまう
 ・ 時代につけられた名前により喚起されるイメージとは異なる歴史的事件が起こった場合,それをその時代に典型的でない不自然な出来事ととらえる視点が形成されてしまう

 他にもいろいろあったが,とりあえず重要なものを列挙してみた.時代区分の便利な点を一言でいえば,特定の時点・時期を参照するのにたいへん優れているということだ.しかも,その時代に,その時代を象徴・代表する適切な名前をつけることによって,典型的なイメージが喚起されやすい.この点では,単に「○○世紀」や「紀元前○○年」というような数字による参照よりも,格段に優れている(ただし,そのかわりに参照の時間的正確さは少々犠牲となる).
 時代区分の問題点について最も重要なのは,ある時代区分により各時代に幅と名前が与えられると,各時代の内部に生じているはずの諸々の出来事が一緒くたにまとめられてしまい,あたかも変化の乏しい平坦な時間が流れているかのような錯覚が引き起こされることだ.逆に,時代区分の境目の年代には,突如として大きな変化が生じたかのような錯覚が生じがちだ.だが,実際には,歴史における変化は,程度の差こそあれ緩やかなスロープであることが多いのである.本来はスロープなのに,時代区分を設けることで,あたかも階段であるかのように錯覚してしまうという点で,問題である (「#2628. Hockett による英語の書き言葉と話し言葉の関係を表わす直線」 ([2016-07-07-1]) を参照).歴史記述の観点からいえば,歴史的断続を主張したいときには,時代区分とそれに与える名前を工夫することでその目的を達成できるということであり,歴史的連続性を強調したいときには,時代区分はむしろ邪魔となることすらあるということである.
 この問題については,今後も考察していきたい.

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2016-11-29 Tue

#2773. 標準化と規範化の試みは,語彙→文法→発音の順序で (2) [standardisation][prescriptivism][prescriptive_grammar]

 昨日の記事 ([2016-11-28-1]) の続編.今回は,英語史における標準化と規範化の試みが語彙→文法→発音の順序で進んでいったのはなぜか,という問いについて考えてみたい.この順番に関する議論はあまり読んだ記憶がないが,考察してみる価値はありそうだ.
 まず,歴史的事実を改めて確認しておくが,昨日説明したように,およそ語彙→文法→発音の順で進んだということは言えそうだ.しかし,注意しなければならないのは,それぞれの部門の標準化・規範化の期間には当然ながらオーバーラップする部分があることだ.語彙が終わってから文法が始まり,文法が終わってから発音が始まった,というような人工的な区切りのよさが確認されるわけではない.規範主義者たちが,最初から問題を3部門に切り分け,数世紀の時間をかけて "divide and conquer" しようと計画していたわけでもなさそうだ.
 1つ考えられるのは,この順序は標準化・規範化の取り組みやすさと関連しているのではないかということだ.言語を標準化・規範化するというときに対象となるのは,たいてい話し言葉よりも書き言葉が先である.それは,書き言葉に関する規則ほうが制定・公表・普及しやすいという事情があったろう.その効果も,書き言葉という持続的な媒体に残るほうが,評価しやすい.言語の標準化・規範化の目的が国家の威信を内外に示すという点にあったとすれば,その効果はまさに目に見える形で現われ,残ってくれないと困るのである.そうだとすれば,語彙および綴字が,最も見えやすく,具体的に,手っ取り早く片付けられる部門ということになりそうだ.
 次に,語彙よりも抽象的ではあるが,やはり「正しい書き言葉」と強く結びつけられる部門である文法がターゲットとなる.こうして書き言葉の肉(=語彙)と骨(=文法)が完成すれば,初期近代英語からの標準化・規範化の課題は最低限のところ達成されたことになるだろう.
 さらにもう一歩進めるとなれば,ターゲットを書き言葉から話し言葉へ移すよりほか残されていない.しかし,人々の話し言葉を統制するということは,古今東西,著しく困難である.実際,「#1456. John Walker の A Critical Pronouncing Dictionary (1791)」 ([2013-04-22-1]) の衝撃は,後に容認発音 (rp) が発達する契機となりはしたが,実際に容認発音を採用するようになった人は,現在に至るまで少数派であり,大多数の一般大衆の発音は「統制」されていない.つまり,発音の標準化・規範化は,語彙や文法に比べて「成功している」とは言い難い(もっとも,語彙や文法とて,どこまで「成功している」のかは怪しいが,相対的にいえばより「成功している」ように思われる).
 英語史における言語の標準化・規範化は,上記のように,規制とその効果の見えやすさ,換言すれば取り組みやすさの順で進んだということができるのではないか.

Referrer (Inside): [2018-07-05-1]

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2016-11-28 Mon

#2772. 標準化と規範化の試みは,語彙→文法→発音の順序で (1) [standardisation][prescriptivism][prescriptive_grammar][emode][pronunciation][orthoepy][dictionary][lexicography][rp][johnson][lowth][orthoepy][orthography][walker]

 中英語の末期から近代英語の半ばにかけて起こった英語の標準化と規範化の潮流について,「#1237. 標準英語のイデオロギーと英語の標準化」 ([2012-09-15-1]),「#1244. なぜ規範主義が18世紀に急成長したか」 ([2012-09-22-1]),「#2741. ascertaining, refining, fixing」 ([2016-10-28-1]) を中心として,standardisationprescriptive_grammar の各記事で話題にしてきた.この流れについて特徴的かつ興味深い点は,時代のオーバーラップはあるにせよ,語彙→文法→発音の順に規範化の試みがなされてきたことだ.
 イングランド,そしてイギリスが,国語たる英語の標準化を目指してきた最初の部門は,語彙だった.16世紀後半は語彙を整備していくことに注力し,その後17世紀にかけては,語の綴字の規則化と統一化に焦点が当てられるようになった.語彙とその綴字の問題は,17--18世紀までにはおよそ解決しており,1755年の Johnson の辞書の出版はだめ押しとみてよい.(関連して,「#1407. 初期近代英語期の3つの問題」 ([2013-03-04-1]),「#2321. 綴字標準化の緩慢な潮流」 ([2015-09-04-1]) を参照).
 次に標準化・規範化のターゲットとなったのは,文法である.18世紀には規範文法書の出版が相次ぎ,その中でも「#2583. Robert Lowth, Short Introduction to English Grammar」 ([2016-05-23-1]) や「#2592. Lindley Murray, English Grammar」 ([2016-06-01-1]) が大好評を博した.
 そして,やや遅れて18世紀後半から19世紀にかけて,「正しい発音」へのこだわりが感じられるようになる.理論的な正音学 (orthoepy) への関心は,「#571. orthoepy」 ([2010-11-19-1]) で述べたように16世紀から見られるのだが,実践的に「正しい発音」を行なうべきだという風潮が人々の間でにわかに高まってくるのは18世紀後半を待たなければならなかった.この部門で大きな貢献をなしたのは,「#1456. John Walker の A Critical Pronouncing Dictionary (1791)」 ([2013-04-22-1]) である.
 「正しい発音」の主張がなされるようになったのが,18世紀後半という比較的遅い時期だったことについて,Baugh and Cable (306) は次のように述べている.

The first century and a half of English lexicography including Johnson's Dictionary of 1755, paid little attention to pronunciation, Johnson marking only the main stress in words. However, during the second half of the eighteenth century and throughout the nineteenth century, a tradition of pronouncing dictionaries flourished, with systems of diacritics indicating the length and quality of vowels and what were considered the proper consonants. Although the ostensible purpose of these guides was to eliminate linguistic bias by making the approved pronunciation available to all, the actual effect was the opposite: "good" and "bad" pronunciations were codified, and speakers of English who were not born into the right families or did not have access to elocutionary instruction suffered linguistic scorn all the more.


 では,近現代英語の標準化と規範化の試みが,語彙(綴字を含む)→文法→発音という順序で進んでいったのはなぜだろうか.これについては明日の記事で.

 ・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.

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2016-11-27 Sun

#2771. by and large [idiom][etymology]

 標題は「概して, 一般的に, 全般的に見て」を意味するイディオムである.以下の例文のように,文頭に使われることが多い.

 ・ By and large I think the emphasis should be on recruiting the right people.
 ・ By and large, I enjoyed my time at school.
 ・ By and large, the papers greet the government's new policy document with a certain amount of scepticism.
 ・ Charities, by and large, do not pay tax.
 ・ There are a few small things that I don't like about my job, but by and large it's very enjoyable.

 なぜ bylarge を結びつけて「概して」の意味になるのだろうか.
 実は,いずれももともとは航海で用いられる表現である.by はここでは「風に向かって」 (by the wind) ほどを意味する副詞ととらえられる.前置詞 by は「?に向かって」 (toward) を意味することがあり,例えば do well by a friend (友だちによくしてやる),do one's duty by one's parents (両親に本分を尽す),Do to others as you would be done by. (人にしてもらいたいように人に尽くせ),North by East (東寄りの北)などに用例を見いだすことができる.一方,large は「風から離れて」を意味する副詞として用いられている.この意味では to go largeto sail large などと使われることが多い.この対をなす bylarge は,いずれも航海用語として17世紀初頭に初出している.
 さて,この2語を結びつけた by and large というイディオムも,少し遅れて1669年に初出している.当時の意味は,予想される通り「船が風に向かったり離れたりして」 ("to the wind and off it") ほどだった.これが,やがて「あちこち,全般にわたって」 ("in one direction and another, all ways") の意味で1706年に現われ,さらに現在の「概して」 ("in a general aspect, without entering into details, on the whole") の意味で1833年に用いられている.意味の一般化の例と言っていいだろう.以下にそれぞれの意味の初出例を OED より挙げておこう.

 ・ 1669 S. Sturmy Mariners Mag. 17 Thus you see the ship handled in fair weather and foul, by and learge.
 ・ 1707 E. Ward Wooden World Dissected 35 Tho' he trys every way, both by and large, to keep up with his Leader.
 ・ 1833 J. Neal Down-easters I. 23 A man who feels rather perplexed on the whole, take it by and large.

Referrer (Inside): [2016-12-25-1]

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2016-11-26 Sat

#2770. 『金・銀・銅の日本史』と英語史 [periodisation][history]

 村上隆(著)『金・銀・銅の日本史』を読んだ.ある特定の切り口による○○史というものは,一般の政治史とは異なる発想が得られることが多く,英語史や言語史を再考する上で参考になる.日本における金属の歴史は,村上 (v--vi) によれば,端的に次のように要約される.

日本において,本格的に金属が登場するのは,弥生時代までさかのぼる。日本では,長く見積もっても金属はたかだが二五〇〇年程度の歴史しか持たない。しかも,自らの文化的な発達過程で自然発生的に生み出されたものではないから,その変遷は他国とは異なり個性的である。〔中略〕当初は中国大陸や朝鮮半島から渡ってきた人たちの世話になりながら,技術の移転と定着を実現し,長い年月をかけて独り立ちに至る。そして,やがて近世を迎える頃には,汎世界的に見ても,人類が獲得した技術の最高峰にまで登り詰めるとともに,一時期には世界有数の金属産出国となり,さらには輸出国にもなるのである。


 その上で,村上 (vii) は「金・銀・銅」を中心とした金属の日本史を7つの時代に区分している(以下では,原文の漢数字はアラビア数字に変えてある).

草創期  弥生時代?仏教伝来(538)
定着期  仏教伝来(538)?東大寺大仏開眼供養(752)
模索期  東大寺大仏開眼供養(752)?石見銀山の開発(1526)
発展期  石見銀山の開発(1526)?小判座(金座の前身)の設置(1595)
熟成期  小判座(金座の前身)の設置(1595)?元文の貨幣改鋳(1736)
爛熟期  元文の貨幣改鋳(1736)?ペリーの来航(1853)
再生期  ペリーの来航(1853)?


 この時代区分が非常におもしろい.「模索期」が約800年間続くのが,一見すると不均衡に長すぎるようにも思われるものの,金属という切り口から見れば,これはこれで理に適っているようだ.村上 (114) によれば,

そして,いよいよ約八〇〇年にわたる長い模索期の静けさを破るときが到来する。歴史とは不思議なものである。いくつかの出来事が,一斉に動き出すような瞬間がある。一六世紀の初めの頃も,ちょうどそんなときだったのだろう。「金・銀・銅」をめぐるダイナミズムの口火が切られるのである。一端,動き出すと急激に複合作用が生じて一〇〇年にも満たない間に,日本は当時の世界の中で,屈指の鉱山国にまで急成長した。長い模索期に十分な活性化エネルギーが蓄積されたから,一瞬で急激な反応が生じたのである。


 英語史では,11--12世紀という比較的短い期間に,文法体系を揺るがす大変化が生じている.ここでも,それ以前の「長い模索期に十分な活性化エネルギーが蓄積されたから,一瞬で急激な反応が生じた」と考えることができるかもしれない.「ダイナミズムの口火が切られ」,屈折語尾の水平化,格の衰退,文法性の消失,語順の台頭,前置詞の反映などの「いくつかの出来事が,一斉に動き出」したと見ることができそうだ.
 金属に焦点を当てた日本の歴史と英語の歴史との間の共通点は,それぞれ「金属」や「英語」という対象の歴史を扱っているように見えるものの,実際には人間社会が「金属」や「英語」をどのように用いてきたかという歴史であり,あくまで主体は人間であることだ.つまり,○○史の時代区分は,○○それ自体の有り様の通時的変化に対応しているわけではなく,人々が○○をどのように使いこなしてきたかという通時的変化に対応している.一方,両者の異なるのは,金属は本来「自然」のものであり,その自然史も記述可能だが,言語は金属のような意味において「自然」ではないことだ.しかし,言語もある意味では「自然」と言えなくもない,という議論も可能ではあろう.これについては,「#10. 言語は人工か自然か?」 ([2009-05-09-1]) の "phenomena of the third kind"(第三の現象)を参照.

 ・ 村上 隆 『金・銀・銅の日本史』 岩波書店〈岩波新書〉,2007年.

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2016-11-25 Fri

#2769. Dreadnought [etymology][history]

 日本語で「超弩級の台風」などというときの「弩」とは,1906年にイギリス海軍が完成した巨砲を備えた新型戦艦につけた名前 Dreadnought の頭文字をとり,それに「おおゆみ,いしゆみ,力強い弓」を意味する漢字を当てたものである.Dreadnought は文字通り dread + nought (= nothing) で「こわいもの知らず」の戦艦である.イギリスは,当時の主要海軍国に対して圧倒的な差をつけるべく,既出艦よりも並外れて大きな戦艦 Dreadnought を作り出した.建造に関わる情報は隠されていたため,他の列強は Dreadnought の出現に慌てたが,すぐに追随し,各種の「弩級戦艦」が現われた.American Heritage Dictionary の定義によると,"a battleship armed with six or more guns having calibers of 12 inches or more" である.
 しかし,dreadnought という単語の初出は実は20世紀初頭ではない.すでにエリザベス朝の1573年にやはり戦艦の名前として使われているのである.OED によると,"Acct. Treasurer Marine Causes (P.R.O.: E 351/2209) m. 8d, In newe beildinge and erectinge fower newe shipes called the Swifte sewer, the Dreadnoughte, the Achates & the handmayd." が初例となっている.
 軍事史を塗り替えた20世紀初頭の「ドレッドノート」の例は,先に述べたように1906年のことで,"Outlook 20 Oct. 495/2 The Atlantic Fleet will consist of three Dreadnoughts and five of the Canopus class." として出ている.ドレッドノートの出現がいかに世界史的なインパクトがあり画期的だったかは,早くも1908年に the pre-Dreadnought period という表現が初出していることからも分かるだろう.
 dreadnought はその他の語義でも近代英語期から用いられている.「こわいもの知らず《人》」の語義で17世紀から例が見られるし,18世紀末には「荒天用の厚手のラシャ(製外套)」の語義でも用いられている.この厚手の生地の意味としては,類義語に fearnought (or fearnaught) という語もあり,やはり18世紀後半に現われている.
 さて,軍事史上の画期をなした Dreadnought の出現の背景には,日本の開発した下瀬火薬が日露戦争の日本海海戦で大活躍したという事実が関与していたという.下瀬火薬は炸裂威力が強く,バルチック艦隊はその砲弾の前になすすべがなかった.渡部 (191--94)曰く,

 下瀬火薬の前に敗れさったロシア海軍の姿を見て,世界中の海軍関係者は大きなショックを受けた.「装甲による防御」という考えが,下瀬火薬によってまったく否定されてしまったからである.
 この日本海海戦以降,世界中の戦艦は一変した.一九〇六年にイギリス海軍が建造したドレッドノート号という戦艦が,その最初の例になった.ドレッドノート号では,それまで舷側に並べられていた副砲を全廃し,厚い鉄板の砲塔に守られた主砲のみを据えつけるようになったのである.
 従来の副砲は,いわば剥き出しの状態なので,下瀬火薬のような爆風が来ればたちまち使用不能になる.「ならば,いっそのこと副砲は全廃して,砲塔に守られて安全な主砲だけにしよう」というのが,イギリス海軍の発想であった.
 もちろん,副砲を廃止するわけだから,その分,主砲の数は増えている.それまでの戦艦では主砲は前後に一基二門ずつの計四門であったのだが,ドレッドノート号は一二インチ砲十門を備える,化物のような戦艦になった.
 これ以来,世界の海軍は“大艦巨砲時代”に突入する.
 ドレッドノートの出現は,既存の戦艦をすべて旧式艦にしてしまったから,列強は争って「ド級戦艦」あるいは「超ド級戦艦」を建造することになった(ド級とは,ドレッドノート級の略).その結果,建艦競争があまりにも過熱したため,とうとうワシントン会議(一九二一?二二)を開いて,列強の間で戦艦保有数を制限しなければならなかったほどであった.


 ドレッドノート,恐るべし (Dread it!) .

 ・ 渡部 昇一 『世界史に躍り出た日本』「日本の歴史」第5巻 明治篇,ワック,2016年.

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2016-11-24 Thu

#2768. 移動動詞 come の直示性 [verb][deixis][pragmatics]

 多くの言語に,方向に関わる直示性 (deixis) がある.直示的方向表現には,hitherthither などを意味する接辞や形態素や小辞で表わされるものもあれば,comego のように移動動詞 (motion verb) などで表わされるものもある.
 よく知られているように,英語の go/come の使い分けは,日本語の「行く/来る」の使い分けとは若干異なる.話し手が聞き手に近づく動作は,日本語では「私はあなたのところへ行きます」と表現するのに対して,英語では I'll come to you と表現する.これは,英語 come と日本語「来る」の方向に関する直示性が異なっていることを示している.
 英語 come は,Fillmore の著名な研究によれば,少なくとも以下の5つの条件のもとで用いられるとされる(以下,Huang 161 より).

 (i) movement towards the speaker's location at CT [= coding time]
 (ii) movement towards the speaker's location at arrival time
 (iii) movement towards the addressee's location at CT
 (iv) movement towards the addressee's location at arrival time
 (v) movement towards the home-base maintained at CT by either the speaker or the addressee.

 具体的に John will come to the library next week. という文で考えてみよう.この文を発することができるのは,まず話し手が今図書館にいる場合である (= (i)) .次に,これは話し手が来週 John がやってくる時間に図書館にいる場合にも成立する (= (ii)) .さらに,聞き手が今図書館にいる場合 (= (iii)),あるいは来週の John がやってくる時間に図書館にいる場合 (= (iv)) にも使える.最後に,話し手や聞き手が実際に今あるいは来週に図書館にいるかどうかにかかわらず,図書館が話し手や聞き手の名目上の "home-base" (例えば,職場)である場合には,この文は成立する.例えば,話し手と聞き手がともにその図書館の司書であると仮定すると,次の文は問題なく成立する.John will come to the library next week, but both of us will be on holiday then.
 通言語的に come におよそ相当する移動動詞の直示性の条件が異なっているように,ある言語に限っても,通時的にその条件が変化してきたという可能性はある.後者は歴史語用論の話題となるが,そのような研究はすでにあるのだろうか.英語史でこの問題を探ってみるのもおもしろそうだ.
 deixis 一般については「#2680. deixis」 ([2016-08-28-1]) を参照.

 ・ Huang, Yan. Pragmatics. Oxford: OUP, 2007.

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2016-11-23 Wed

#2767. 自動翻訳機の英語史的意義 [machine_translation][elt][future_of_english][sociolinguistics]

 自動翻訳機の開発が英語やその他の言語に与える衝撃については,いまだ本格的に議論されていないように思われる.ドラえもんの秘密道具の1つ「ほんやくコンニャク」,あるいは英語圏で知られる Babel fish のような夢の翻訳ツールは,数十年前にはSF小説の世界の話しにすぎないと思われていたが,21世紀に入った現在,日進月歩の技術発展により実用化が進みつつある.
 11月17日付の朝日新聞夕刊1面に「ほんやくコンニャク実用化?」と題する,音声自動翻訳機の使用実験に関する記事が掲載されていた.東京オリンピックにむけて,しゃべった日本語がそのまま英語などの他言語に翻訳されて音声として出力される,パナソニックの開発したメガホン「メガホンヤク」が,空港をはじめとする交通機関で実験的に使用され始めているという.技術的には,例えば日英語翻訳の場合には,日本語音声認識→単語ごとに英語へ変換→統計を用いた語順の並び替え→音声合成,という手続きを踏むようで,この全体が1秒ほどで済むという.ほかに,東京メトロでは音声自動翻訳アプリをインストールしたタブレットも試用されるなど,すでに実用化への動きは進んでいる.これらの施策が官民一体となって進められている.
 今世紀初頭には,自動翻訳機の翻訳の精度はまだまだであり,少なくとも数十年はかかるだろうと言われてきたが,その後の技術の進歩は飛躍的である.この問題に詳しい専門家は,「大半の日本人の英語力が機械に負ける日も遠くないだろう」と述べている.立教大学名誉教授の鳥飼玖美子氏も「簡単な内容は機械任せでよくなり,今の英会話中心の授業は不要だろう.小学校からやる必要があるのかも再検討することになるのでは.」「全員が英語を習得する必要はなく,異文化理解のための学習に軸足が移るだろう」とコメントしている.私は,この予測はおよそ当たるだろうと考えている.
 英語教育を始めとする語学教育のあり方も根本的に変わる可能性がある.多くの学習者の動機づけが変化するとともに教員の意識改革が必要となってくるだろうし,語学とはそもそも何のためにあるのかという本質的な議論もなされなければならない.私自身も一英語教員として首がかかっているのでまったく他人事ではないのだが,この問題には,英語史研究者としてワクワクするものを感じている.自動翻訳機の完成と普及は,社会における英語の位置づけを大きく変化させる可能性があり,英語史上,画期的な出来事として刻まれるはずだからである.技術革新は,いつの時代も,言語を言語学的側面においても社会言語学的側面においても変えてきたのである.

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2016-11-22 Tue

#2766. 初期中英語における1人称代名詞主格の異形態の分布 [laeme][eme][map][personal_pronoun][owl_and_nightingale][compensatory_lengthening]

 初期中英語のテキスト The Owl and the Nightingale を Cartlidge 版で読んでいる.868行にこのテキストからの唯一例として,1人称代名詞主格として ih の綴字が現われる.梟が歌のさえずり方について議論しているシーンで,Ne singe ih hom no foliot! として用いられている.この綴字はC写本のものであり,対するJ写本ではこの箇所に一般的な綴字 ich が用いられている.
 この事実から,初期中英語における1人称代名詞主格の異形態の分布に関心をもった.そこで,LAEME で分布をさっと調べてみることにした.特に気になっているのは語末の子音の有無,およびその子音の種類である.母音を無視して典型的な綴字タイプを取り出してみると,ich, ik, ih, i 辺りが挙がる.細かく見ればほかにもありうるが,当面,この4系列の綴字について出現分布を大雑把にみておきたい.
 LAEME のプログラムはよくできているので,私の行なったことといえば,該当する形態に関して地図を表示させることのみだ.以下に4枚の方言分布図をつなぎ合わせたものを掲載する.キャンプションが小さくて読みにくいが,位置関係は次の表に示した通り(画像をクリックすれば拡大版が現われる).

以下の合成地図での位置Map No.説明
左上00001302I: '(h)ich' and 'ych' incl iich and ichs
右上00001305I: 'ik', all k forms, incl icke.
左下00001312I: Ih, ih and yh
右下00001308I: I.

LAEME Map for Variants of I

 分布としては,左上の伝統的な ich 系が最も普通に南中部に広がっているのが分かる.右上の子音の落ちた i 系の綴字も普通であり,主として中部から北部に広がっている.左下の ih 系が今回注目した綴字を表わすが,西中部や南西部の,いわゆる最も保守的と言われる方言部分に散見される程度である.右下の ik 系は,東中部や北部に散在する程度で,一般的ではない.
 The Owl and the Nightingale の方言については様々な議論がなされてきたが,いずれの写本の方言も,南西中部のものという解釈が一般的である.その点からすると,C写本で ih が現われたということは,初期中英語の全体の方向性と一致するだろう.
 この問題に関心をもっているのは,伝統的な ich かいかなる経路を辿って後の I へと変化していったかという歴史的な問題に関係するからだ.この問題の周辺について,「#1198. icI」 ([2012-08-07-1]),「#1773. ich, everich, -lich から語尾の ch が消えた時期」 ([2014-03-05-1]) で簡単に話題にしたが,単に /ʧ/ と想定される語末子音が消失し,先行母音が代償延長 (compensatory_lengthening) したと考えておくだけでよいのか,疑念が残るのである.周辺的な方言に散見される ihik の語末子音は,/ʧ/ と通時的・共時的にどのような関係にあるのか.ih の子音は /ʧ/ の弱化した音で,消失への途中段階を表わすものではないか等々,いろいろな可能性が頭に浮かぶ.

 ・ Cartlidge, Neil, ed. The Owl and the Nightingale. Exeter: U of Exeter P, 2001.

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2016-11-21 Mon

#2765. Oxford Dictionaries の "Word of the Year" --- post-truth [woy][lexicology][prefix]

 Oxford Dictionaries が毎年公表している Word of the Year によると,2016年の「今年の単語」は形容詞 post-truth である.定義は,"relating to or denoting circumstances in which objective facts are less influential in shaping public opinion than appeals to emotion and personal belief" とある.詳しい解説は Word of the Year 2016 is... を参照されたい.
 この語は1992年に初出しているが,当時は文字通りの「真実が知られた後の」の語義で使われていた.今回の「真実が無関係となった時代の」という語義での使用が現われてきたのは,もっと最近,おそらく10年くらいのものではないか.いずれにせよ,この語が急激な広がりを示し始めたのは,つい最近,今年の5月以降であるという.典型的な用例は post-truth politics である.背景には,明らかにイギリスのEU離脱やアメリカの大統領選挙がある.この語が広く受け入れられた理由として,主にメディアやブログで多用されていることから,情報源としてのソーシャルメディアの台頭が挙げられるだろう.また,政治的には,既得権層が提示する事実に対する人々の不信があるとも評される.すぐれて時事的な語である.
 英語史的には,post- というラテン語に由来する接頭辞による語形成が英語にすっかり定着したことを物語る例として興味深い.post- という接頭辞自体は近代英語期からあるが,純粋に「?の(時間的に)後の」という語義から,政治的な意味合いをもつ「?が無関係となった後の(時代)」という語義で用いられ,様々な語形成がなされるようになったのは,20世紀半ばからのことである.関連して,「#560. 接頭辞 post-」 ([2010-11-08-1]),「#561. 接頭辞 post- (2)」 ([2010-11-09-1]) を参照.
 さて,post-truth のほかにノミネートされた語については Word of the Year 2016: other words on the shortlist に説明があるが,一通り挙げてみると,hygge, n., Brexiteer, Latinx, n. and adj., coulrophobia, n., adulting, chatbot, glass cliff, n., alt-right, n., woke, adj. である.
 Oxford Dictionaries の "Word of the Year" はどのように選択され,決定されるのだろうか.Word of the Year: FAQ によると,その手順としては,Oxford Dictionaries のチームが,毎月,様々な媒体から編纂された1億5千万語ほどの Oxford English Corpus をもとにして頻度調査などを行ない,候補語をいくつか挙げた上で,ソーシャルメディアやブログなどにより一般から寄せられる提案を加味しながら議論するのだという.候補語の出所は典型的にはイギリスかアメリカが中心となるが,なるべくいずれかの国に使用の偏っている語ではなく,より広くアピールする語を選択するよう配慮しているということだ.
 関連して,アメリカの American Dialect Society による Word of the Year も参照.こちらについては,本ブログ内の記事として ads woy をご覧ください.

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2016-11-20 Sun

#2764. 拙著『英語の「なぜ?」に答える はじめての英語史』が出版されました [toc][link][notice][sobokunagimon]

 拙著『英語の「なぜ?」に答える はじめての英語史』が,研究社より出版されました.主として本ブログの記事を元にして執筆しているので,普段ブログを読んでいただいている方には関心をもってもらえるのではないかと思っています.英語学習者が一度は抱くはずの「素朴な疑問」に徹底的にこだわって書きました.

naze_front_cover

 ・ 堀田隆一(ほったりゅういち) 『英語の「なぜ?」に答えるはじめての英語史』 研究社,2016年.206頁.ISBN: 978-4327401689.定価2200円(税別).

 ・ 本書のコンパニオン・サイトもご覧ください.

 ・ 本書は,Amazon.co.jp 等のオンライン書店でも購入可能です.



 上にもあるように,本書のコンパニオン・サイトが研究社のウェブサイト内に設けられていますので,そちらもご覧ください.特に,まずは本書の紹介ページを訪れてみてください.そこには,内容紹介と目次や,コンパニオン・サイト用に書き下ろした本書のねらいを掲載しています.また,サンプルPDFへのリンクも張られていますので,ご一読ください.サンプルでは,「はじめに」,「目次」,そして本書の pp. 26--30 に相当する2.1節「なぜ *a apple ではなく an apple なのか?―――2種類の不定冠詞」の本文全体を読むことができるので,内容のフィーリング(←本ブログに近いです)がつかめると思います.まだ工事中となっているリンク先も多いですが,今後このコンパニオン・サイトには,本書に関する(あるいは英語史全般に関する)様々な補足資料をアップロードしていく予定です.また,本書の内容と関連した新しい話題を提供する「連載」も企画中です.
 本書のねらいに詳しいですが,本書は「英語教員をはじめとする英語にかかわる多くの方々に」読んでもらいたいと思い執筆しました.こだわりにこだわったことは,先にも述べたように「素朴な疑問」を扱うということ,「英語史」のおもしろさをとことん伝えること,そして読者に「目から鱗が落ちる」体験を味わってもらうことです.はたしてその目的はうまく果たされているかどうか・・・読者のみなさんの反応をお待ちしています!
 コンパニオン・サイト内にも本書の目次がありますが,参照用に詳しいバージョンを以下に再現しておきます.



はじめに

1  いかにして英語は現在の姿になったのか?―――英語史入門
  1.1  英語史の時代区分
    1.1.1  各時代区分の名称
    1.1.2  時代区分の恣意性
  1.2  資料と媒体
  1.3  音声と綴字の変化
    1.3.1  音声の変化
    1.3.2  綴字の変化
  1.4  文法の変化
  1.5  語彙の変化
  1.6  英語の多様性
2  発音と綴字に関する素朴な疑問
  2.1  なぜ *a apple ではなく an apple なのか?―――2種類の不定冠詞
    2.1.1  母音連続を避ける傾向?
    2.1.2  子音の前での n の脱落
    2.1.3  共時的な説明と通時的な説明
  2.2  なぜ名詞は récord なのに動詞は recórd なのか?―――「名前動後」の強勢パターン
    2.2.1  名前動後とは
    2.2.2  16世紀以来の語彙拡散
    2.2.3  名前動後の拡大の背景
    2.2.4  新しい強勢パターンの介入
    2.2.5  現在は通過地点
  2.3  なぜ often の t を発音する人がいるのか?―――発音と綴字の関係
    2.3.1  綴字発音
    2.3.2  often の起源と発達
    2.3.3  今の変化は昔の変化
  2.4  なぜ five に対して fifth なのか?―――古英語の発音規則
    2.4.1  five の語形こそが説明を要する
    2.4.2  有声音に挟まれると子音が有声化する規則
    2.4.3  third の音位転換
    2.4.4  first, second の補充法
  2.5  なぜ name は「ナメ」ではなく「ネイム」と発音されるのか?―――音変化とマジック e
    2.5.1  <e> の役割
    2.5.2  ナマからネイムへ
    2.5.3  運用変更による切り抜け
    2.5.4  綴字の保守性
  2.6  なぜ debt, doubt には発音しない <b> があるのか?―――ルネサンス期の見栄
    2.6.1  語源的綴字
    2.6.2  非語源的綴字?
    2.6.3  フランス語における語源的綴字
3  語形に関する素朴な疑問
  3.1  なぜ3単現に -s を付けるのか?―――屈折の歴史的性格
    3.1.1  共時的・形式的な説明
    3.1.2  共時的・機能的な説明
    3.1.3  通時的な説明
  3.2  なぜ *foots, *childs ではなく feet, children なのか?―――規則と不規則 (1)
    3.2.1  規則複数 -s の起源
    3.2.2  child の複数形が children となるわけ
    3.2.3  foot の複数形はなぜ feet か
    3.2.4  高頻度語と不規則複数
  3.3  sometimes の -s 語尾は何を表わすのか?―――古英語の格の痕跡
    3.3.1  古英語の属格
    3.3.2  古英語の対格
  3.4  なぜ不規則動詞があるのか?―――規則と不規則 (2)
    3.4.1  不規則動詞の規則化
    3.4.2  過去形のヴァリエーション
    3.4.3  set -- set -- set
    3.4.4  なぜ go の過去形が went になるのか?
  3.5  なぜ -ly を付けると副詞になるのか?―――形容詞と副詞の関係
    3.5.1  -ly は副詞接辞か?
    3.5.2  -e の衰退の一波万波
    3.5.3  単純副詞
4  統語に関する素朴な疑問
  4.1  なぜ未来を表わすのに will を用いるのか?―――未来時制の発達
    4.1.1  時・条件の副詞節では未来のことでも will を用いない
    4.1.2  英語に未来時制はなかった
    4.1.3  英語の未来時制の発達
  4.2  なぜ If I were a bird となるのか?―――仮定法の衰退と残存
    4.2.1  be 動詞の歴史
    4.2.2  仮定法は直説法とは別物と考える
    4.2.3  仮定法現在と should
  4.3  なぜ英語には主語が必要なのか?―――語順の固定化 (1)
    4.3.1  非人称構文
    4.3.2  非人称構文から人称構文へ
    4.3.3  現代英語に残る非人称構文
  4.4  なぜ *I you love ではなく I love you なのか?―――語順の固定化 (2)
    4.4.1  世界の言語の基本語准
    4.4.2  古英語から中英語への語順の発達過程
    4.4.3  属格名詞の前置と of の発達
    4.4.4  なぜ英語人名の順序は「名+姓」なのか?
  4.5  なぜ May the Queen live long! はこの語順なのか?―――祈願の may の発達
    4.5.1  近代英語期の祈願の may の発達
    4.5.2  古英語・中英語における祈願の may の萌芽
    4.5.3  語用標識としての may
5  語彙と意味に関する素朴な疑問
  5.1  なぜ Help me! とは叫ぶが Aid me! とは叫ばないのか?―――英語語彙の階層性 (1)
    5.1.1  日本語語彙の階層
    5.1.2  英語語彙の階層
    5.1.3  逆転の構造
  5.2  なぜ Assist me! とはなおさら叫ばないのか?―――英語語彙の階層性 (2)
    5.2.1  英語語彙の3層構造
    5.2.2  日本語語彙の3層構造
    5.2.3  3層ピラミッド構造の比喩
  5.3  なぜ1つの単語に様々な意味があるのか?―――同音異義と多義
    5.3.1  同音異義衝突
    5.3.2  though と they の同音異義衝突の例
    5.3.3  同○異△語
  5.4  なぜ単語の意味が昔と今で違うのか?―――単語の意味変化の日常性
    5.4.1  意味変化の日常性と類型
    5.4.2  deer の周辺の体系的な意味変化
    5.4.3  意味借用
  5.5  英語の新語はどのように作られるのか?―――混成語の流行
    5.5.1  現代の新語の作り方
    5.5.2  借用
    5.5.3  複合と派生
    5.5.4  混成
    5.5.5  頭字語
6  方言と社会に関する素朴な疑問
  6.1  なぜアメリカ英語では r をそり舌で発音するのか?――― r の発音と移民史
    6.1.1  イギリスにおける r
    6.1.2  アメリカにおける r
    6.1.3  イギリスからアメリカへ渡った移民の出身地
    6.1.4  「間大西洋変種」の r
  6.2  アメリカ英語はイギリス英語よりも「新しい」のか?――― colonial lag の虚実
    6.2.1  アメリカ英語のステレオタイプ
    6.2.2  「アメリカ英語=革新的」神話の打破
    6.2.3  「アメリカ英語=保守的」神話の打破
    6.2.4  英米さの類型論と均衡の取れた見方
    6.2.5  言語において保守的とは何か
  6.3  なぜ黒人英語は標準英語と異なっているのか?―――英語変種と偏見
    6.3.1  AAVE の起源
    6.3.2  AAVE の特徴
    6.3.3  黒人英語はさらに異なっていくのか?―――黒人英語の合流仮説と分岐仮説
    6.3.4  AAVE の3単現の -s
  6.4  なぜ船・国名を she で受けるのか?―――英語におけるジェンダー問題 (1)
    6.4.1  現代英語の例
    6.4.2  歴史的背景
    6.4.3  20世紀中の現象
  6.5  なぜ単数の they が使われるようになってきたのか?―――英語におけるジェンダー問題 (2)
    6.5.1  3人称単数共性代名詞を求めて
    6.5.2  実は古くからあった単数の they
    6.5.3  規範的な he の人工性

篁????
  英語史年表
  読書案内

おわりに―――なぜ英語史を学ぶのか?

参考文献

索引


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2016-11-19 Sat

#2763. 中英語からの過去形と現在完了形の並列の例 (2) [perfect][preterite][aspect][tense][present_perfect_puzzle][prosody][poetic_license][rhyme]

 「#2750. "Present Perfect Puzzle" --- 中英語からの過去形と現在完了形の並列の例」 ([2016-11-06-1]) に引き続いての話題.Visser は,中英語における過去形と現在完了形の並列について,フランス語などからの影響もありうるとは述べているものの,主たる理由は詩的許容 (poetic_license) にあると考えている.というのは,両者の並列や交替が脚韻 (rhyme) や韻律 (metre) に動機づけられているとおぼしき例が,実際に少なくないからだ.脚韻の動機づけが感じられる例として,Visser (713) の挙げているものの中からいくつかを抜き出してみる.

 ・ c1386 Chaucer, C. T. H264: His bowe he bente, and sette ther-inne a flo, / And in his ire his wyf thanne hath he slayn, - / This is theffect, ther is namoore to sayn.
 ・ c1390 Gower Conf. Am. (ed. Morley) V p. 245: Wherof this lord hath hede nome / And did hem bothe for to come.
 ・ c1390 Gower Conf. Am. (ed. Morley) V p. 277: whan it came unto the grounde, / A great serpent it hath bewounde.
 ・ c1400 Syr Tryamowre (ed. Erdman Schmidt) 1030: The messengere ys come and gone. / But tydyngys of Tryamowre herde he none.

 同様に,韻律によると考えられる例のいくつかを Visser (717--18) より示す.

 ・ c1250 Floris & Bl. 985: Clarice, joie hire mot bitide, / Aros up in þe moreȝentide, / And haþ cleped Blauncheflur.
 ・ c1386 Chaucer, C. T. B628: This gentil kyng hath caught a greet motyf / Of this witnesse, and thoghte he wolde enquere / Depper in this.
 ・ c1386 Chaucer, C. T. H203: And so befel, whan Phebus was absent, / His wyf anon hath for hir lemman sent.
 ・ c1390 Gower, C. A. (ed. Morley) p. 277: And he, which understood his tale, / Betwene him and his asse all softe / Hath drawe and set him up a lofte.

 過去形と現在完了形の並列が主として詩的許容に起因するという説は,それが現われる時期や環境によっても支持される.このような並列の例は,14--15世紀の韻文にほぼ限られているのである.それ以前の古英語や初期中英語では,韻文にせよ散文にせよ,ごく僅かな例しか確認されない.また,後期中英語でも,散文では普通みられない.さらに,過去形と現在完了形の並列がみられる環境では,過去形と現在形の並列も同様にみられるという事実も,詩的許容による説に追い風となる.近現代にかけて,時制・相は論理的なカテゴリーとして重視されるようになり,過去と現在(完了)の区別もうるさくなっていくが,後期中英語では,時制・相のカテゴリーとその形式の問題は,韻律上の要請があれば,当面は棚上げしてもよい程度の重要さでとらえられていたのだろう.
 では,近現代にかけて,この寛容さが失われ,理詰めになっていったのはなぜなのだろうか.これは,言語と社会をめぐる非常に大きな英語史上の問題である.

 ・ Visser, F. Th. An Historical Syntax of the English Language. 3 vols. Leiden: Brill, 1963--1973.

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2016-11-18 Fri

#2762. plankton [etymology][greek][grimms_law][voice]

 プランクトン (plankton) とは,百科事典によると「水の中でただよって生きている生物.浮遊生物とも呼ばれる.海や川などの水の中で,まったく運動しないか,わずかに運動しながら,ただよって生きている.光合成を行なう植物プランクトンと,これを食べる動物プランクトンとに分けられる.体の大きさはさまざまで,微生物と同じくらいの小さなものから,クラゲのように1mくらいのものまでいる」.
 確かに「プランクトン」のイメージはミドリムシやミジンコなどの小さな生物だが,大きさは無関係ということである.極小の0.02μmから2mの大型クラゲまでを含み,エビ,カニ,ウニ,ナマコ,貝類も変態前の幼生時には動物プランクトンとして暮らしている.つまり,プランクトンとは,運動や生活の形態による生物の分類ということのようだ.
 plankton という英単語は,ドイツの生理学者 Viktor Hensen (1835--1924) がギリシア語要素を用いて造ったものを英語が借用したもので,OED によると初出は1889年である.ギリシア語の中動態動詞 plázesthaí (to wander) の現在分詞 plagktós の中性形 plagktón に由来する.この動詞の語幹は,究極的には印欧祖語の *plāk- (to strike) に遡る.意味的には,「叩く」から「ひっくり返す」を経て,中動態の「回転する」「ブラブラする」から「放浪する」へと変化したものと思われる.
 この語根をもつ英単語としては,ギリシア語から apoplexy (血の溢出), paraplegia (対麻痺), plectrum (ギターのつめ), -plegia (麻痺)があり,ラテン語から complain (不満をいう), plague (疫病), plaint (告訴状), plangent (打ち寄せる)がある.古ノルド語由来の flaw (突風), fling (投げつける)では,子音 p がグリムの法則を経て f となっている.
 同じ究極の語根に遡るとはいえ,plague では to strike の能動的で攻撃的な含意がいまだ感じられるのに対し,plankton では to wander の中動・受動的なフワフワ感が感じられ平和である.先日,水族館で大小様々なプランクトンの漂う姿を眺めて癒やされたので,こんな記事を書いてみました・・・.

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2016-11-17 Thu

#2761. 「言語的保守主義」再考 [language_myth][purism][linguistic_ideology]

 「#2751. T. S. Eliot による英語の詩の特性と豊かさ」 ([2016-11-07-1]) で引用した宇野によると,保守主義の源流はアイルランド生まれの英国ホイッグ党の政治家 Edmund Burke (1729--97) に遡る.「保守主義」という用語を Burke の用いた意味で用いるならば,以下のことを踏まえる必要があるという(宇野,p. 13).

 (1) 保守すべきは具体的な制度や慣習であり,
 (2) そのような制度や慣習は歴史のなかで培われたものであることを忘れてはならず,
 (3) 大切なのは自由を維持することであり,
 (4) 民主化を前提にしつつ,秩序ある漸進的改革が目指される

 Burke は政治における「保守主義」のことを語っているわけだが,これを言語における「保守主義」に応用するならば,どのようなことになるだろうか.というのは,「#1318. 言語において保守的とは何か?」 ([2012-12-05-1]),「#1304. アメリカ英語の「保守性」」 ([2012-11-21-1]) で論じたように,言語における保守性という概念は,様々な問題を含んでいるからだ.
 もっとも,政治上の用語を言語の話題にそのまま当てはめようとしても無理が生じるだろうとは予想できる.(1) の「制度や慣習」というのは,言語でいえば文法,発音,語法などの具体的な言語項目といってよさそうであり,(2) の「歴史の中で培われた」という表現もそのまま言語に当てはめることができる.しかし,(3) 「自由を維持する」とは,言語において何に相当するのだろうか.言語使用者による個々の表現選択の自由のことだろうか,あるいは絶対的な規範主義の忌避というようなことを意味するのだろうか.(4) の「民主化」も,言語に当てはめると,その意味が分からなくなる.これについては,別途「#134. 英語が民主的な言語と呼ばれる理由」 ([2009-09-08-1]),「#1366. 英語が非民主的な言語と呼ばれる理由」 ([2013-01-22-1]),「#1845. 英語が非民主的な言語と呼ばれる理由 (2)」 ([2014-05-16-1]),「#2359. 英語が非民主的な言語と呼ばれる理由 (3)」 ([2015-10-12-1]) で考えてきた通りである.(4) の「秩序」や「改革」も,言語の場合には何に相当するのか判然としない.
 おそらく「言語的保守主義」とは「政治的保守主義の言語的側面」と理解しておくのがよいのだろう.つまり,言語体系そのものに関する話題ではなく,言語についての政治的信条に関する話題なのだろう.その意味で,「言語的保守主義」とは,もう1つの言語イデオロギー (linguistic_ideology) にすぎないのかもしれない (see 「#2163. 言語イデオロギー」 ([2015-03-30-1])) .

 ・ 宇野 重規 『保守主義とは何か 反フランス革命から現代日本まで』 中央公論新社〈中公新書〉,2016年.

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2016-11-16 Wed

#2760. イタリアとフランスのアカデミーと,それに相当する Johnson の力 [prescriptivism][academy][johnson][italian][french][dictionary][lexicography][popular_passage]

 昨日の記事「#2759. Swift によるアカデミー設立案が通らなかった理由」 ([2016-11-15-1]) と関連して,英語アカデミー設立案にインスピレーションを与えたイタリアとフランスの先例と,それに匹敵する Johnson の辞書の価値について論じたい.
 イギリスが英語アカデミーを設立しようと画策したのは,すでにイタリアとフランスにアカデミーの先例があったから,という理由が大きい.近代ヨーロッパ諸国は国語を「高める」こと (cf. 「#2741. ascertaining, refining, fixing」 ([2016-10-28-1])) に躍起であり,アカデミーという機関を通じてそれを実現しようと考えていた.先鞭をつけたのはイタリアである.イタリアには様々なアカデミーがあったが,最もよく知られているのは1582年に設立された Accademia della Crusca である.この機関は,1612年に Vocabolario degli Accademici della Crusca という辞書を出版し,何かと物議を醸したが,その後も改訂を重ねて,1691年には3冊分,1729--38年版では6冊分にまで成長した (Baugh and Cable 257) .
 フランスでは,1635年に枢機卿 Richelieu がある文学サロンに特許状を与え,その集団(最大40名)は l'Académie française として知られるようになった.この機関は,辞書や文法書を編集することを目的の1つとして掲げており,作業は遅々としていたものの,1694年には辞書が出版されるに至った (Baugh and Cable 257) .
 このように,イタリアやフランスでは17世紀中にアカデミーの力により業績が積み上げられていたが,同じ頃,イギリスではアカデミー設立の提案すらなされていなかったのである.その後,1712年に Swift により提案がなされたが,結果として流れた経緯については昨日の記事で述べた.しかし,さらに後の1755年には,アカデミーによらず,Johnson 個人の力で,イタリア語やフランス語の辞書に匹敵する英語の辞書が出版されるに至った.Johnson の知人 David Garrick は,次のエピグラムを残している (Baugh and Cable 267) .

And Johnson, well arm'd like a hero of yore,
Has beat forty French, and will beat forty more.


 ・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.

Referrer (Inside): [2019-03-03-1]

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2016-11-15 Tue

#2759. Swift によるアカデミー設立案が通らなかった理由 [swift][prescriptivism][academy][lowth][johnson]

 Swift による A Proposal for Correcting, Improving and Ascertaining the English Tongue (1712) は,英語のアカデミー (academy) 設立に向けて最も近いところまで迫る試みだった.すでに17世紀前半には英語アカデミーを求める声は上がっており,18世紀初頭の Swift の提案においてピークを迎えたにせよ,その後の18世紀中もアカデミー設立の要求はそう簡単には消滅しなかった.しかし,歴史を振り返ってみれば,Swift の提案が通らなかったことにより,アカデミー設立案が永遠に潰えることになった,とは言ってよいだろう.では,なぜ Swift の提案は流れたのだろうか.
 そこには,個人的で政治的な論争や Anne 女王の死という事情があった.Baugh and Cable (262) に次のように述べられている.

   Apparently the only dissenting voice was that of John Oldmixon, who, in the same year that Swift's Proposal appeared, published Reflections on Dr. Swift's Letter to the Earl of Oxford, about the English Tongue. It was a violent Whig attack inspired by purely political motives. He says, "I do here in the Name of all the Whigs, protest against all and everything done or to be done in it, by him or in his Name." Much in the thirty-five pages is a personal attack on Swift, in which he quotes passages from the Tale of a Tub as examples of vulgar English, to show that Swift was no fit person to suggest standards for the language. And he ridicules the idea that anything can be done to prevent languages from changing. "I should rejoice with him, if a way could be found out to fix our Language for ever, that like the Spanish cloak, it might always be in Fashion." But such a thing is impossible.
   Oldmixon's attack was not directed against the idea of an academy. He approves of the design, "which must be own'd to be very good in itself." Yet nothing came of Swift's Proposal. The explanation of its failure in the Dublin edition is probably correct; at least it represented contemporary opinion. "It is well known," it says, "that if the Queen had lived a year or two longer, this proposal would, in all probability, have taken effect. For the Lord Treasurer had already nominated several persons without distinction of quality or party, who were to compose a society for the purposes mentioned by the author; and resolved to use his credit with her majesty, that a fund should be applied to support the expense of a large room, where the society should meet, and for other incidents. But this scheme fell to the ground, partly by the dissensions among the great men at court; but chiefly by the lamented death of that glorious princess."


 つまり,Swift の提案の内容それ自体が問題だったというわけではないのである.アカデミー設立は多くの人々の願いでもあったし,事は着々と進んでいた.ただ,政治的な点において Swift に反対する人物が声高に叫び,意見の不一致が生まれたということ,そして何よりも,アカデミー設立に向けて動き出していた Anne 女王が1714年に亡くなったことが,Swift の運の尽きだった.
 「上から」の英語アカデミーがついに作られなかったことにより,18世紀からは「下から」の言語規範の策定が進んでいくことになる (see 「#2583. Robert Lowth, Short Introduction to English Grammar」 ([2016-05-23-1]), 「#1421. Johnson の言語観」 ([2013-03-18-1]), 「#141. 18世紀の規範は理性か慣用か」 ([2009-09-15-1])) .イギリスは,アカデミーを作る意志がなかったわけではなく,半ば歴史の偶然で作るに至らなかった,と評価するのが適切だろう.

 ・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.

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2016-11-14 Mon

#2758. Ferguson による「国家の社会言語学的輪郭」 [sociolinguistics][methodology][typology][world_languages][world_languages][demography]

 昨日の記事「#2757. Ferguson による社会言語学的な「発展」の度合い」 ([2016-11-13-1]) に引き続き,Ferguson の論文に依拠しながら,言語(共同体)を類型化する方法について考える.Ferguson (25) は,言語学者は伝統的に国家という単位をあえて考慮しないという態度を取ってきたが,社会言語学の立場からは,国家を基準として考えることが必要だと主張する.

From many points of view . . . it is desirable to use the nation as the basis for general sociolinguistic descriptions: communication networks, educational systems, and language "planning" are generally on a national basis and national boundaries play at least as important a role in the delimitation of linguistic areas as any other single social barrier.


 Ferguson は,国家を基準として言語の使用状況を記述する作業が不可欠であり,すべての国家について一貫した視点で記述することにより,相互比較もできるようになるし,類型化もできるようになると主張する.このような国別の記述が,"national sociolinguistic profile" (26) である.その一貫した視点については,予備的なものとしながら,次の項目を挙げている (26).

. . . how many major languages are spoken; what is the pattern of language dominance; are there national uses of a LWC [= language of wider communication]; for each major language spoken in the country, what is the extent of written uses of the language (W0. --- W2.) and what is the extent of standardization (St0. --- St2.) and its nature (multimodal? range of variation from the norm?).


 現代までに,およそ Ferguson が提案した通りに「国家の社会言語学的輪郭」の記述が進められていき,Ethnologue のようなデータベースが作られるようになった.

 ・ Ferguson, Charles A. "The Language Factor in National Development." Anthropological Linguistics 4 (1962): 23--27.

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2016-11-13 Sun

#2757. Ferguson による社会言語学的な「発展」の度合い [standardisation][writing][sociolinguistics][methodology][typology][world_languages]

 Ferguson は,言語の "language 'development'" を計測する方法を提案している.'development' と引用符があることから示唆されるように,これは進化論的な言語観に基づいているわけではなく,社会言語学的な発展の度合いを測ろうとする試みである.Ferguson (23) が具体的に挙げているのは,「書き言葉の使用の度合い」 ("the degree of use of written language") と「標準化の性質と程度」 ("the nature and extent of standardization") の2点である.
 1つ目の指標である「書き言葉の使用の度合い」については,大雑把に W0, W1, W2, W3 の4段階が認められるという (23--24) .各段階の説明をみれば分かる通り,当面の便宜的な指標といってよいだろう.

 ・ W0. --- not used for normal written purposes
 ・ W1. --- used for normal written purposes
 ・ W2. --- original research in physical sciences regularly published
 ・ W3. --- languages in which translations and resumés of scientific work in other languages are regularly published

 2つ目の指標である「標準化の性質と程度」は,もっと込み入っている.この指標には2つの側面があり,第1のものは "the degree of difference between the standard form or forms of a language and all other varieties of it" (24) である.つまり,言語変種間の差異性・類似性の度合いに関する側面である(関連して「#1523. Abstand languageAusbau language」 ([2013-06-28-1]) や「#1522. autonomyheteronomy」 ([2013-06-27-1]) を参照されたい).
 第2の側面は "the nature of the standardization and the degree to which a standard form is accepted as such throughout the community" (24) である.Ferguson (24--25) は3段階を設定した.

 ・ St0. --- "a language in which there is no important amount of standardization" (ex. Kurdish) (24)
 ・ St1. --- a language which "requires considerable sub-classification to be of any use. Whatever scheme of classification is developed, it will have to take account in the first instance of whether the standardization is unimodal or bi- or multimodal, and in the case of more than one norm, the nature of the norms must be treated" (ex. bimodal Armenian, Greek, Serbo-Croatian, Norwegian; multimodal Hindi-Urdu) (25)
 ・ St2. --- "a language which has a single, widely-accepted norm which is felt to be appropriate with only minor modifications or variations for all purposes for which the language is used" (24)

 測定のための指標として荒削りではあるが,分かりやすさの点では優れている.
 このような測定値に基づいて,諸言語(共同体)を社会言語学的に類型化しようとする試みは,ほかにもある.「#1519. 社会言語学的類型論への道」 ([2013-06-24-1]) や「#1547. 言語の社会的属性7種」 ([2013-07-22-1]) も要参照.

 ・ Ferguson, Charles A. "The Language Factor in National Development." Anthropological Linguistics 4 (1962): 23--27.

Referrer (Inside): [2019-01-10-1] [2016-11-14-1]

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2016-11-12 Sat

#2756. 読み書き能力は言語変化の速度を緩めるか? [glottochronology][lexicology][speed_of_change][schedule_of_language_change][language_change][latin][writing][medium][literacy]

 Swadesh の言語年代学 (glottochronology) によれば,普遍的な概念を表わし,個別文化にほぼ依存しないと考えられる基礎語彙は,時間とともに一定の比率で置き換えられていくという.ここで念頭に置かれているのは,第一に話し言葉の現象であり,書き言葉は前提とされていない.ということは,読み書き能力 (literacy) はこの「一定の比率」に特別な影響を及ぼさない,ということが含意されていることになる.しかし,直観的には,読み書き能力と書き言葉の伝統は言語に対して保守的に作用し,長期にわたる語彙の保存などにも貢献するのではないかとも疑われる.
 Zengel はこのような問題意識から,ヨーロッパ史で2千年以上にわたり継承されたローマ法の文献から法律語彙を拾い出し,それらの保持率を調査した.調査した法律文典のなかで最も古いものは,紀元前450年の The Twelve Tables である.次に,千年の間をおいて紀元533年の Justinian I による The Institutes.最後に,さらに千年以上の時間を経て1621年にフランスで出版された The Custom of Brittany である.この調査において,語彙同定の基準は語幹レベルでの一致であり,形態的な変形などは考慮されていない.最初の約千年を "First interval",次の約千年を "Second interval" としてラテン語法律語彙の保持率を計測したところ,次のような数値が得られた (Zengel 137) .

 Number of itemsItems retainedRate of retention
First interval685885.1%
Second interval584680.5%


 2区間の平均を取ると83%ほどとなるが,これは他種の語彙統計の数値と比較される.例えば,Zengel (138) に示されているように,"200 word basic" の保持率は81%,"100 word basic" では86%,Swadesh のリストでは93%である(さらに比較のため,一般語彙では51%,体の部位や機能を表わす語彙で68%).これにより,Swadesh の前提にはなかった,書き言葉と密接に結びついた法律用語という特殊な使用域の語彙が,驚くほど高い保持率を示していることが実証されたことになる.Zengel (138--39) は,次のように論文を結んでいる.

Some new factor must be recognized to account for the astonishing stability disclosed in this study . . . . Since these materials have been selected within an area where total literacy is a primary and integral necessity in the communicative process, it seems reasonable to conclude that it is to be reckoned with in language change through time and may be expected to retard the rate of vocabulary change.


 なるほど,Zengel はラテン語の法律語彙という事例により,語彙保持に対する読み書き能力の影響を実証しようと試みたわけではある.しかし,出された結論は,ある意味で直観的,常識的にとどまる既定の結論といえなくもない.Swadesh によれば個別文化に依存する語彙は保持率が比較的低いはずであり,法律用語はすぐれて文化的な語彙と考えられるから,ますます保持率は低いはずだ.ところが,今回の事例ではむしろ保持率は高かった.これは,語彙がたとえ高度に文化的であっても,それが長期にわたる制度と結びついたものであれば,それに応じて語彙も長く保たれる,という自明の現象を表わしているにすぎないのではないか.この場合,驚くべきは,語彙の保持率ではなく,2千年にわたって制度として機能してきたローマ法の継続力なのではないか.法律用語のほか,宗教用語や科学用語など,当面のあいだ不変と考えられる価値などを表現する語彙は,その価値が存続するあいだ,やはり存続するものではないだろうか.もちろん,このような種類の語彙は,読み書き能力や書き言葉と密接に結びついていることが多いので,それもおおいに関与しているだろうことは容易に想像される.まったく驚くべき結論ではない.
 言語変化の速度 (speed_of_change) について,今回の話題と関連して「#430. 言語変化を阻害する要因」 ([2010-07-01-1]),「#753. なぜ宗教の言語は古めかしいか」 ([2011-05-20-1]),「#2417. 文字の保守性と秘匿性」 ([2015-12-09-1]),「#795. インターネット時代は言語変化の回転率の最も速い時代」 ([2011-07-01-1]),「#1874. 高頻度語の語義の保守性」 ([2014-06-14-1]),「#2641. 言語変化の速度について再考」 ([2016-07-20-1]),「#2670. 書き言葉の保守性について」 ([2016-08-18-1]) なども参照されたい.

 ・ Zengel, Marjorie S. "Literacy as a Factor in Language Change." American Anthropologist 64 (1962): 132--39.

Referrer (Inside): [2018-05-23-1]

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2016-11-11 Fri

#2755. 貨幣と言語 (3) [saussure][langue][arbitrariness][sign][semiotics][linguistics][diachrony]

 「#2743. 貨幣と言語」 ([2016-10-30-1]),「#2746. 貨幣と言語 (2)」 ([2016-11-02-1]) に引き続いての話題.[2016-11-02-1]の記事の最後で,「貨幣は物理的な価値と結びついているが,言語はあくまで概念的な価値と結びついているにすぎないという点は,むしろ両者の大きな相違点だろう」と述べた.この言及と関連して,ソシュールに記号としての貨幣と言語を対照している箇所がある.ソシュールによれば,両者は記号として根本的に異なる種類に属するという.この議論を通じて,言語記号の恣意性 (arbitrariness) に由来する二重性,すなわち共時態と通時態の本質的な相互独立性が浮き彫りになる.
 この議論を理解するために,まずソシュールの言語論における「価値」 (valeur) について見ておかなければならない.丸山 (68--69) によれば,

 ソシュールの体系は,何よりもまず関係としての価値の体系である.そこでは,自然的・絶対的特性によって定義される個々の要素が寄り集まって全体を作るのではなく,全体との関連と他の要素との相互関係の中ではじめて個の価値が生ずる.しかも,ラングなる体系は,動物としてのヒトの本能図式の反映ないしは敷き写しではなく,人間の歴史・社会的実践によってはじめて決定される価値の体系であり,既成の事物がどう配置されどう関係付けられているかというのではなく,もともと単位という客観的な実体は存在しない体系なのである.ラングはそれが体系である限り,不連続な単位の存在を想定させる.しかしその単位は,ア・プリオリに自存する実体ではない.ソシュールをまず驚かせ,ついで彼を終始苦しませた問題は,この単位の非実在性であった.ソシュールの体系は,言語の本質に関わる恣意性,形相性,示差性,否定性と切り離して論ずることはできないと言えるだろう.
 「コトバは根柢的に,対立に基盤を置く体系という性格をもつ.これはちょうど,さまざまな駒に付与された力のさまざまな組み合わせから成り立つチェスゲームのようなものだ」.それにもかかわらず実体としての単位はどこにも与えられていない.「コトバの中に自然に与えられている事物を見る幻想の根は深い」とは言え,在るものは関係を樹立する人間の視点(=共同主観)だけである.「人が樹立する事物間の絆は,事物に先立って存在し,事物を決定する働きをなす.〔…〕人はこの視点によって二次的に事物を創造する.〔…〕いかなる事物も,いかなる対象も,いかなる瞬間においても即自的には与えられていない」のだ.


 ソシュールにとって,言語的な価値にはこのように自然的・絶対的な実体の支えがないのであるから,それは貨幣の価値とは比べるべくもない,ということになる.ソシュールは第3回講義で,この点について触れている.丸山 (116) より説明を引くと,

ソシュールによれば,言語記号は,他のどのような記号,どのような制度にもにない根源的な二重性を持っている.たとえば,ある広さの土地につけられる貨幣的な価値などは,時代を追ってその変化を調べることができるだろう.これは,貨幣という一種の記号が,しかじかの土地という不変の自然的対象をその外部に持っているからで,そういう意味でこの記号は本質的に「単一」なのである.ところが言語記号には,こうした自然の支えはどこにもないのであり,あるのはただ「聴覚映像」と「概念」の二つの項,言語の一状態が生む束の間の関係によってしか保証されていない二つの項,ということになる.これらの項は,それを測定するどのような尺度もないところで,根柢からの変化をこうむる.変化を説明できる支えは状態のうちにはないし,ある状態を求めた理由も変化のうちには見出せない.こうしたことはすべて,言語記号が「事物の自然的関係」にもとづかない恣意的「契約」であることからくるので,共時言語学と通時言語学を別々に打ち立てる必然性も,実はここに根ざしているわけである.


 ここでは,言語記号のもつ恣意性と貨幣記号の非恣意性が,明確に対立せられている.この性質の違いゆえに,貨幣記号については,共時態と通時態の区別を特に意識せずに「単一」に扱うことができるのに対し,言語記号については両態を常に区別して扱わなければならないという「二重性」が生じるのだという.このことを主張している箇所を Saussure (115--16) から引用しよう.

   Il est certain que toutes les sciences auraient intérêt à marquer plus scrupuleusement les axes sur lesquels sont situées les choses dont elles s'occupent ; il faudrait partout distinguer selon la figure suivante : 1o l'axe des simultanéités (AB), concernant les rapports entre choses coexistantes, d'où toute intervention du temps est exclue, et 2o l'axe des successivités (CD), sur lequel on ne peut jamais considérer qu'une chose à la fois, mais où sont situées toutes les choses du premier axe avec leur changements.
   Pour les sciences travaillant sur des valeurs, cette distinction devient une nécessité pratique, et dans certains cas une nécessité absolue. Dans ce domaine on peut mettre les savants au défi d'organiser leurs recherches d'une façon rigoureuse sans tenir compte de deux axes, sans distinguer le système des valeurs considérées en soi, de ces mêmes valeurs considérées en fonction du temps.
   C'est au linguiste que cette distinction s'impose le plus impérieusement ; car la langue est un système de pures valeurs que rien ne détermine en dehors de l'état momentané de ses termes. Tant que par un de ses côtés une valeur a sa racine dans les choses et leurs rapports naturels (comme c'est le cas dans la science économique --- par exemple un fonds de terre vaut en proportion de ce qu'il rapporte), on peut jusqu'à un certain point suivre cette valeur dans le temps, tout en se souvenant qu'à chaque moment elle dépend d'un système de valeurs contemporaines. Son lien avec les choses lui donne malgré tout une base naturelle, et par là les appréciations qu'on y rattache ne sont jamais complètement arbitraire ; leur variabilité est limitée. Mais nous venons de voir qu'en linguistique les données naturelles n'nont aucune place.


 記号としての貨幣と言語の比較対照を通じて,それぞれの性質が浮き彫りになってきた.

 ・ 丸山 圭三郎 『ソシュール小事典』 大修館,1985年.
 ・ Saussure, Ferdinand de. Cours de linguistique générale. Ed. Tullio de Mauro. Paris: Payot & Rivages, 2005.

Referrer (Inside): [2021-01-26-1]

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2016-11-10 Thu

#2754. 国語の機能 --- 内的団結と外的区別 [sociolinguistics][official_language][standardisation]

 近代国家にとって,国語 (national language) の果たす役割は大きい.国家という単位を自覚した為政者たちは,方言の弾圧,言語の標準化,国語の制定などを通じて政治的統治を実現しようとした.その動機としては,内的団結 (internal cohesion) と外的区別 (external distinction) の2種類があった.Haugen (927--28) の指摘と説明が的を射ている.

[The nation] minimizes internal differences and maximizes external ones. On the individual's personal and local identity it superimposes a national one by identifying his ego with that of all others within the nation and separating it from that of all others outside the nation. In a society that is essentially familial or tribal or regional it stimulates a loyalty beyond the primary groups, but discourages any conflicting loyalty to other nations. The ideal is: internal cohesion---external distinction. / Since the encouragement of such loyalty requires free and rather intense communication within the nation, the national ideal demands that there be a single linguistic code by means of which this communication can take place.


 国家にとって,域内の人々のあいだの円滑なコミュニケーションは,統治する上で必須である.ここから,必然的に言語統一の要求が生じる.「内的団結のための国語」の必要性である.一方,国家にとっては,域内の人々が,域外の人々とも同じように円滑にコミュニケーションを取ることができては困る.それは,人々の忠誠心を自分側の国家に引きつけておくのに不都合だからだ.したがって,そのような対外的なコミュニケーションをなるべく非効率にするために,国家は他の国家の規準からなるべく異なる規準を採用しようとする.「外的区別のための国語」の必要性である.
 ある国家が内的団結と外的区別を求めて国語を制定すると,他の国家も防衛的見地から同じような方針で国語を制定するようになるだろう.こうして,近代において「国家」と「国語」が芋づる式に増加していったのである.
 ちなみに,「#2743. 貨幣と言語」 ([2016-10-30-1]),「#2746. 貨幣と言語 (2)」 ([2016-11-02-1]) で考えてきたように,貨幣もコミュニケーションの道具の一種であると考えると,なぜそれが内的団結と外的区別をという指向性をもっているのかが分かる.上の引用文の最後の文で,"a single linguistic code" を "a single monetary system" と置き換えても,そのまま理解できるだろう.

 ・ Haugen, Einar. "Dialect, Language, Nation." American Anthropologist. 68 (1966): 922--35.

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2016-11-09 Wed

#2753. dialect に対する language という用語について [dialect][terminology][sociolinguistics][language_or_dialect]

 昨日の記事「#2752. dialect という用語について」 ([2016-11-08-1]) に引き続き Haugen (923) を参照しながら,dialect という用語と対比しつつ language という用語について考える.両用語が問題を呈するのは,それが記述的・共時的な用語であると同時に,歴史的・通時的な用語でもあるからだ.Haugen (923) 曰く,

In a descriptive, synchronic sense "language" can refer either to a single linguistic norm, or to a group of related norms. In a historical, diachronic sense "language" can either be a common language on its way to dissolution, or a common language resulting from unification. A "dialect" is then any one of the related norms comprised under the general name "language," historically the result of either divergence or convergence.


 共時的には,"language" とは,1つの規範をもった変種を称する場合もあれば,関連する規範をもった複数の変種の集合体に貼りつけられたラベルである場合もある.一方,通時的には,"language" とは,これからちりぢりに分裂していこうとする元の共通祖語につけられた名前である場合もあれば,逆に諸変種が統合していこうとする先の標準変種の呼称である場合もある.
 通時的に単純に図式化すれば「language → dialects → language → dialects → . . . 」となるが,"language" の前後の矢印の段階を輪切りにして共時的にみれば,そこには "language" を頂点として,その配下に "dialects" が位置づけられる図式が立ち現れてくるだろう.一方,"language" の段階では,"language" が唯一孤高の存在であり,配下に "dialects" なるものは存在しない.ここから,"language" には多義性が生じるのである.Haugen (923) は,この用語遣いの複雑さを次のように表現している.

"Language" as the superordinate term can be used without reference to dialects, but "dialect" is meaningless unless it is implied that there are other dialects and a language to which they can be said to "belong." Hence every dialect is a language, but not every language is a dialect.


 最後の「すべての方言は言語だが,すべての言語が方言とはかぎらない」とは,言い得て妙である.

 ・ Haugen, Einar. "Dialect, Language, Nation." American Anthropologist. 68 (1966): 922--35.

Referrer (Inside): [2023-06-10-1]

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2016-11-08 Tue

#2752. dialect という用語について [greek][terminology][dialect][standardisation][koine][literature][register][language_or_dialect][dialect_levelling]

 Haugen (922--23) によれば,dialect という英単語は,ルネサンス期にギリシア語から学術用語として借用された語である.OED の「方言」の語義での初例は1566年となっており,そこでは英語を含む土着語の「方言」を表わす語として用いられている.フランス語へはそれに先立つ16年ほど前に入ったようで,そこではギリシア語を評して abondante en dialectes と表現されている.1577年の英語での例は,"Certeyne Hebrue dialectes" と古典語に関するものであり,1614年の Sir Walter Raleigh の The History of the World では,ギリシア語の "Æeolic Dialect" が言及されている.英語での当初の使い方としては,このように古典語の「方言」を指して dialect という用語が使われることが多かったようだ.そこから,近代当時の土着語において対応する変種の単位にも応用されるようになったのだろう.
 ギリシア語に話を戻すと,古典期には統一した標準ギリシア語なるものはなく,標準的な諸「方言」の集合体があるのみだった.だが,注意すべきは,これらの「方言」は,話し言葉としての方言に対してではなく,書き言葉としての方言に対して与えられた名前だったことである.確かにこれらの方言の名前は地方名にあやかったものではあったが,実際上は,ジャンルによって使い分けられる書き言葉の区分を表わすものだった.例えば,歴史書には Ionic,聖歌歌詞には Doric,悲劇には Attic などといった風である (see 「#1454. ギリシャ語派(印欧語族)」 ([2013-04-20-1])) .
 これらのギリシア語の書き言葉の諸方言は,元来は,各地方の話し言葉の諸方言に基盤をもっていたに違いない.後者は,比較言語学的に再建できる古い段階の "Common Greek" が枝分かれした結果の諸方言である.古典期を過ぎると,これらの話し言葉の諸方言は消え去り,本質的にアテネの方言であり,ある程度の統一性をもった koiné によって置き換えられていった (= koinéization; see 「#1671. dialect contact, dialect mixture, dialect levelling, koineization」 ([2013-11-23-1])) .そして,これがギリシア語そのもの (the Greek language) と認識されるようになった.
 つまり,古典期からの歴史をまとめると,"several Greek dialects" → "the Greek language" と推移したことになる.諸「方言」の違いを解消して,覇権的に統一したもの,それが「言語」なのである.本来この歴史的な意味で理解されるべき dialect (と language)という用語が,近代の土着語に応用される及び,用語遣いの複雑さをもたらすことになった.その複雑さについては,明日の記事で.

 ・ Haugen, Einar. "Dialect, Language, Nation." American Anthropologist. 68 (1966): 922--35.

Referrer (Inside): [2023-06-10-1] [2016-11-09-1]

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2016-11-07 Mon

#2751. T. S. Eliot による英語の詩の特性と豊かさ [literature][alliteration][rhyme][meter][stress][prosody][french][poetry]

 宇野重規(著)『保守主義とは何か 反フランス革命から現代日本まで』を読んでいて,次の文章に出会った.T. S. Eliot (1888--1965) が英語の詩の特性と豊かさについて述べている箇所である.

 一国の文化は多様な階級や地域の文化によって構成されると同時に,さらに上位の世界文化と接続していなければならない。エリオットにとって,アイルランドやスコットランド,ウェールズの文化がイングランド文化と結びついた上で,さらにより大きなヨーロッパの文化の一端を担うことが重要であった。逆に言えば,ヨーロッパ文化とは画一的なものであってはならないというのが,エリオットの確信であった。
 このことは詩人であるエリオットにとって,本質的な重要性をもっていた。というのも,彼の見るところ,英語の詩の特性と豊かさは,英語がヨーロッパの多様な言語から合成されたものであることに由来するからである。作存続(アングル族とともにブリテン島に侵入したゲルマン民族の一つ,英国の基礎をつくる)の韻律,ノルマンフランス(ノルマン・コンクェストの中心となったフランス化したノルマン人)の韻律,ウェールズの韻律,さらにはラテン語やギリシア語の詩の研究によって,英国の詩は豊かなものになったことをエリオットは強調する。 (75)


 英語の雑種性は,語学的には特に語彙,綴字,韻律に色濃く反映されているが,韻律を接点として韻文文学にもおおいに反映している.上で述べられている「ノルマンフランス」の影響は特に大きく,古英語以来の頭韻 (alliteration) の伝統を,中英語以降に脚韻 (rhyme) の伝統に事実上置き換えるという大転換をもたらすことになった.ここでは,フランス語における脚韻詩が英語の詩作に直接影響を及ぼしたということはいうまでもないが,そのほかにも,「#796. 中英語に脚韻が導入された言語的要因」 ([2011-07-02-1]) で触れたように,中英語期にフランス借用語が大量に流入したことにより,フランス語式の強勢パターンがもたらされ,脚韻に都合のよい条件が整ったという事情もあった.
 しかし,頭韻の伝統も,水面下において中英語期以降,現代まで脈々と受け継がれてきたことも事実である (see 「#943. 頭韻の歴史と役割」 ([2011-11-26-1]),「#1560. Chaucer における頭韻の伝統」 ([2013-08-04-1])) .とすれば,近現代の詩の形式について,アングロ・サクソンの伝統とノルマン・フレンチの伝統が混合していると表現することは,まったく妥当なことである.

 ・ 宇野 重規 『保守主義とは何か 反フランス革命から現代日本まで』 中央公論新社〈中公新書〉,2016年.

Referrer (Inside): [2018-11-10-1] [2016-11-17-1]

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2016-11-06 Sun

#2750. "Present Perfect Puzzle" --- 中英語からの過去形と現在完了形の並列の例 [perfect][preterite][aspect][tense][adverb][present_perfect_puzzle][me][french][prosody][poetic_license]

 「#2492. 過去を表わす副詞と完了形の(不)共起の歴史 」 ([2016-02-22-1]),「#2633. なぜ現在完了形は過去を表わす副詞と共起できないのか --- Present Perfect Puzzle」 ([2016-07-12-1]),及び昨日の記事「#2749. "Present Perfect Puzzle" --- 近現代英語からの「違反」例」 ([2016-11-05-1]) に引き続き,"Present Perfect Puzzle" について.中英語には,このパズルと関連する事例として,過去形と現在完了形の動詞が統語的あるいは文脈的に並列・共起して現われるケースが散見される.両者の間に際立った機能的な区別は感じられないことから,いまだ現代英語のような明確な区別はなかったことを示す例と解釈できる.Visser (2198) から,いくつか例を挙げよう.

 ・ c1386 Chaucer, C. T. E 1956, Adoun by olde Januarie she lay, That sleep til that the coughe hath hym awaked.
 ・ c1386 Chaucer, C. T. F 1082, His brother . . . Up caughte hym, and to bedde hath hym broght.
 ・ c1386 Chaucer, C. T. E 2132, er that dayes eighte Were passed . . . Januarie hath caught so greet a wille . . . hym for to pleye In his gardyn . . . That . . . unto this May seith he: Rys up, my wif!
 ・ c1390 Gower, Conf. Am. (Morley) II p. 107, And whan it came into the night, This wife with her hath to bedde dight Where that this maiden with her lay.
 ・ c1430 Syr Tryamowre (ed. Erdman Schmidt) 830, [he] bare hym downe of hys hors, And hath hym hurted sare.

 これらは,"epic (present) perfect" という事例とも解することができるし,韻律の要請による詩的許容 (poetic_license) も関与しているかもしれない.Visser (2198) は,フランス語にも同様の揺れが見られることから,その影響の可能性もありそうだと述べている.

It is not difficult to concur with 1960 Mustanoja and 1970 Bauer in assuming French influence as very likely. (As a matter of fact Modern colloquial French often prefers the type 'Je l'ai vu tomber' to that with the 'passé défini': 'Je le vis tomber.)'


 ・ Visser, F. Th. An Historical Syntax of the English Language. 3 vols. Leiden: Brill, 1963--1973.

Referrer (Inside): [2016-11-19-1]

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2016-11-05 Sat

#2749. "Present Perfect Puzzle" --- 近現代英語からの「違反」例 [perfect][aspect][tense][adverb][present_perfect_puzzle][mode]

 「#2492. 過去を表わす副詞と完了形の(不)共起の歴史 」 ([2016-02-22-1]),「#2633. なぜ現在完了形は過去を表わす副詞と共起できないのか --- Present Perfect Puzzle」 ([2016-07-12-1]) で紹介したように,現代英語には,現在完了と過去の特定の時点を表わす副詞語句は共起できないという規則がある.ところが,近代英語やとりわけ中英語では,このような共起の例が散見される.現代英語にかけて,なぜこのような制限規則が定まったのかという問題,いわゆる "Present Perfect Puzzle" については,様々な提案がなされてきたが,完全には解明されていない.
 Visser (2197) より,近代英語期,さらに20世紀を含む時代からの例をいくつか引こう.

 ・ 1601 Shakesp., All's Well IV, iii, 3, I have delivered it an hour since.
 ・ 1669 Pepys's Diary April 11th, which I have forgot to set down in my Journal yesterday.
 ・ 1777 Sheridan, School f. Sc. I, i, I am told he has had another execution in the house yesterday.
 ・ 1820 Scott. Monastery XXX, The Englishman . . . has murdered young Halbert . . . yesterday morning.
 ・ 1847 Ch. Brontë, Jane Eyre XVI, Indeed I have seen Blanche, six or seven years ago, when she was a girl of eighteen.
 ・ 1912 Standard, Aug. 16, Prince Henry has decided to travel to Tokio by the overland route. Twice already he has visited Japan, in 1892 and 1900 (Kri).
 ・ 1920 Galsworthy, In Chancery IV, I have been to Richmond last Sunday.
 ・ 1962 Everyman's Dictionary of Literary Biography p. 609--10, He [sc. Shakespeare] is, of course, unmeasurably the greatest of all English writers, and has been so recognized even in those periods that were antipathetic to the Elizabethan genius.

 このような現代的な規則から逸脱している例について,Visser (2197) は他の研究者を参照しつつ次のように述べている.

Several scholars (e.g. 1958 F. T. Wood; 1926 Poutsma) account for these idioms by suggesting that the writer or speaker has embarked on the given form before the idea of a temporal adjunct comes into his mind, and then adds this adjunct as a kind of afterthought. Another explanation is based on the assumption that instances like those quoted here may be seen as survivals of a usage that formerly---when there was not yet the strict line of demarcation between the different uses---occurred quite normally.


 ここでは2つの提案がなされているが,前者の "afterthought" 説は理解しやすい.しかし,上記の例のすべてが,後から思いついての付け足しとして説明できるかどうかは,客観的に判断できないように思われる.第2の「古くからの残存」説は,その通りなのかもしれないが,現代英語にかけてくだんの共起制限が課されたのはなぜかという "Present Perfect Puzzle" に直接に迫るものではない.
 このパズルは未解決と言わざるを得ない.

 ・ Visser, F. Th. An Historical Syntax of the English Language. 3 vols. Leiden: Brill, 1963--1973.

Referrer (Inside): [2016-11-06-1]

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2016-11-04 Fri

#2748. 大母音推移の社会音韻論的考察 (4) [gvs][sociolinguistics][emode][contact][vowel][phonetics][rp][homonymic_clash]

 [2016-10-01-1], [2016-10-11-1], [2016-10-31-1]に続き,第4弾.これまでの記事で,15世紀までに,Chaucer などに代表される階級の子孫たちがもっていたと考えられる母音体系 (System I),南部・中部イングランドで広く行なわれていた体系 (System II),East Anglia などの東部方言にみられる体系 (System III) の3種類が,ロンドンにおいて混じり合っていた状況を示した.System II と System III の話者は,Alexander Gil により各々 "Mopsae" と "Easterners" と呼ばれている.
 これらの体系は1650年頃までに独自の発展を遂げ,イングランドではとりわけ古くからの威信ある System I と,勢いのある System II の2種が広く行なわれるようになっていた.

System I:
   ME /eː/ > EModE /iː/, e.g. meed
   ME /ɛː/ > EModE /eː/, e.g. mead
   ME /aː/, /ai/ > EModE /ɛː/, e.g. made, maid

System II:
   ME /eː/ > EModE /i:/, e.g. meed
   ME /ɛː/, /aː/, /ai/ > EModE /eː/, e.g. mead, made, maid

 ところが,18世紀になると,また別の2種の体系が競合するようになってきた.1つは,System I を追い抜いて威信を獲得し,そのような位置づけとして存続していた System II であり,もう1つはやはり古くから東部で行なわれていた System III である.System III は,[2016-10-31-1]の記事で述べたように,ロンドンでの System I との接触を通じて以下のように変化を遂げていた.

System III:
   ME /eː/, /ɛː/ > ModE /iː/, e.g. meed, mead
   ME /aː, aɪ/ > ModE /eː/, e.g. made, maid

 System III は古くからの体系ではあるが,18世紀までに勢いを増して威信をもち始めており,ある意味で新興の体系でもあった.そして,その後,この System III がますます優勢となり,現代にまで続く規範的な RP の基盤となっていった.System III が優勢となったのは,System II に比べれば同音異義衝突 (homonymic_clash) の機会を少なく抑えられるという,言語内的なメリットも一部にはあったろう.しかし,Smith (110) は,System III と II が濃厚に接触し得る場所はロンドンをおいてほかにない点にも,その要因を見いだそうとしている.

. . . System III's success in London is not solely due to intralinguistic functional reasons but also to extralinguistic social factors peculiar to the capital. System II and System III could only come into contact in a major urban centre, such as London; in more rural areas, the opportunity for the two systems to compete would have been much rarer and thus it would have been (and is) possible for the older System II to have been retained longer. The coexistence of System II and System III in one place, London, meant that it was possible for Londoners to choose between them.


 ・ Smith, Jeremy J. An Historical Study of English: Function, Form and Change. London: Routledge, 1996.

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2016-11-03 Thu

#2747. Reichenbach の時制・相の理論 [tense][aspect][deixis][perfect][preterite][future][semantics]

 言語における時制・相を理論化する有名な試みに,Reichenbach のものがある.3つの参照時点を用いることで,主たる時制・相を統一的に説明しようとするものだ.その3つの参照時点とは,以下の通り(Saeed (128) より引用).

S = the speech point, the time of utterance;
R = the reference point, the viewpoint or psychological vantage point adopted by the speaker;
E = event point, the described action's location in time.


 この S, R, E の時間軸上の相対的な位置関係を,先行する場合には "<",同時の場合には "=",後続する場合には ">" の記号で表現することにする.例えば,過去の文 "I saw Helen", 過去完了の文 "I had seen Helen",未来の文 "I will see Helen" のそれぞれの時制は,以下のように表わすことができるだろう.

                                           
"I saw Helen"        ───┴───────┴───>
(R = E < S)               R, E             S
                                           
"I had seen Helen"   ───┴───┴───┴───>
(E < R < S)                E       R       S
                                           
"I will see Helen"   ───┴───────┴───>
(S < R = E)                S              R, E

 この SRE の分析によると,英語の時制体系は以下の7つに区分される (Saeed 132) .

Simple past(R = E < S)"I saw Helen"
Present perfect(E < S = R)"I have seen Helen"
Past perfect(E < R < S)"I had seen Helen"
Simple present(S = R = E)"I see Helen"
Simple future(S < R = E)"I will see Helen"
Proximate future(S = R < E)"I'm going to see Helen"
Future perfect(S < E < R)"I will have seen Helen"


 SRE の3時点の関係は様々だが,S = R となるのが現在完了,単純現在,近接未来の3つの場合のみであることは注目に値する.非英語母語話者には理解しにくい現在完了の「現在への関与」 (relevance to "now") という側面は,Reichenbach の理論では「S = R」として表現されるのである.

 ・ Reichenbach, Hans. Elements of Symbolic Logic. London: Macmillan, 1947.
 ・ Saeed, John I. Semantics. 3rd ed. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2009.

Referrer (Inside): [2022-01-24-1] [2019-06-07-1]

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2016-11-02 Wed

#2746. 貨幣と言語 (2) [linguistics][metaphor][conceptual_metaphor][standardisation][prescriptivism][sign][semiotics]

 「#2743. 貨幣と言語」 ([2016-10-30-1]) に引き続き,"LANGUAGE IS MONEY" の概念メタファーについて.貨幣と言語の共通点を考えることで,この比喩のどこまでが有効で,どこからが無効なのか,そして特に言語の本質とは何なのかについて議論するきっかけとしたい.以下は,ナイジェル・トッド (152--67) の貨幣論における言語のアナロジーを扱った部分などを参照しつつ,貨幣と言語の機能に関する対応について,自分なりにブレストした結果である.

貨幣言語
貨幣は社会に流通する言語は社会に流通する
物流の活発化に貢献(主として書き言葉により)情報の活発化に貢献
貨幣統一(cf. 日本史では家康が650年振りに「寛永通宝」など)言語の標準化(cf. 英語史では書き言葉の標準化が400?500年振りに)
撰銭(種々の貨幣から良質のものを選る)言語の標準化にむけての "selection" (cf. 「#2745. Haugen の言語標準化の4段階 (2)」 ([2016-11-01-1]))
貨幣の改鋳言語の "refinement" (cf. 「#2745. Haugen の言語標準化の4段階 (2)」 ([2016-11-01-1]))
貨幣システムはゼロサムではない(使用者間の信用創造が可能)言語システムはゼロサムではない(使用者間の関係創造が可能)
貨幣はどのような相互行為においても使用できるわけではない言語はどのような相互行為においても使用できるわけではない
非即時交換性を実現する掛け売り,付けでの支払い(cf. 通帳)書き言葉により可能となる非同期コミュニケーション
貨幣は価値を貯蔵できる(=貯金)言語は価値を貯蔵できる(=記憶)?
金貨,銀貨,銭貨,紙幣のあいだの換金性言語(変種)間の翻訳可能性
偽造・変造・私銭の違法性規範から外れた語法に対する批判
貨幣の収集(趣味のコレクション;貨幣で貨幣を買う)語彙の収集(メタ言語的な関心;言語で言語を説明する)
貨幣は諸悪の根源言葉は諸悪の根源?
貨幣の魔術性(魔除け,悪魔払い;cf. 硬貨に記された言葉や絵)言語の魔術性
商品価値のシンボルのなかのシンボル概念価値のシンボルのなかのシンボル? (cf. semantic primitive)


 貨幣と言語の比喩にも,いくつかの観点があるように思われる.「天下の回り物」「統一化・標準化」「両替・翻訳可能性」「魔術性」といった観点があるだろうか.また,「貨幣は,全体としての社会システムの文脈の中で特殊化した言語である」(トッド,p. 152--53) という視点も注目に値する.言語の市場価値 (see 「#147. 英語の市場価値」 ([2009-09-21-1])) や,産業としての言語という側面も,貨幣と関係しそうだ.
 一方,貨幣は物理的な価値と結びついているが,言語はあくまで概念的な価値と結びついているにすぎないという点は,むしろ両者の大きな相違点だろう.

 ・ ジョー・クリブ(著),湯本 豪一(日本語版監修) 『貨幣』 同朋社,1999年.
 ・ ナイジェル・トッド(著),二階堂 達郎(訳) 『貨幣の社会学』 青土社,1998年.

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2016-11-01 Tue

#2745. Haugen の言語標準化の4段階 (2) [standardisation][sociolinguistics][terminology][register][style][language_planning]

 [2016-10-29-1]の記事に引き続き,標準化 (standardisation) の過程に認められる4段階について,Haugen を参照する.標準化は,時系列に (1) Selection, (2) Codification, (3) Elaboration, (4) Acceptance の順で進行するとされるが,この4つの過程と順序は,社会と言語,および形式と機能という2つの軸で整理することができる (下図は Haugen 933 をもとに作成).

 Form Function
Society(1) Selection (4) Acceptance
  
Language(2) Codification   →   (3) Elaboration


 まずは,規範となる変種を選択 (Selection) することから始まる.ここでは,社会的に威信ある優勢な変種がすでに存在しているのであれば,それを選択することになるだろうし,そうでなければ既存の変種を混合するなり,新たに策定するなどして,標準変種の候補を作った上で,それを選択することになろう.
 第2段階は成文化 (Codification) であり,典型的には,選択された言語変種に関する辞書と文法書を編むことに相当する.標準的となる語彙項目や文法項目を具体的に定め,それを成文化して公開する段階である.ここでは,"minimum variation in form" が目指されることになる.
 第3段階の精巧化 (Elaboration) においては,その変種が社会の様々な場面,すなわち使用域 (register) や文体 (style) で用いられるよう,諸策が講じられる.ここでは,"maximum variation in function" が目指されることになる.
 最後の受容 (Acceptance) の段階では,定められた変種が社会に広く受け入れられ,使用者数が増加する.これにより,標準化の全過程が終了する.
 社会・言語,および形式・機能という2つの軸からなるマトリックスにより,標準化の4段階が体系としても時系列としてもきれいに整理されてしまうのが見事である.この見事さもあって,Haugen の理論は,現在に至るまで標準化の議論の土台を提供している.

 ・ Haugen, Einar. "Dialect, Language, Nation." American Anthropologist. 68 (1966): 922--35.

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最終更新時間: 2024-02-28 16:15

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