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hellog〜英語史ブログ / 2017-06

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2017-06-30 Fri

#2986. 世界における英語使用のジレンマ [world_englishes][lingua_franca][linguistic_imperialism][elf][new_englishes][variety]

 日本の文化や歴史などを世界に伝えたりアピールしたりする際に,媒介として英語を用いるべきだという発想は,今や特別ではない.国家や民族のアイデンティティに関する事柄を,英語のような lingua_franca を用いて世界に発信することは,日本では当然のこと,推奨すべきことと考えられている.
 しかし,世界の他の地域ではどうだろうか.特に,アフリカやアジアに多く位置している旧英米植民地の人々が,自らの国家や民族のアイデンティティを世界に向けて切実に表現したいと思うとき,その媒介として旧宗主国の国語たる英語を用いるということは,ある種の矛盾を含んではいないだろうか.同じことは,旧英米植民地ならずとも,独特の英語変種を母語として用いているカリブ海諸地域などにも当てはまる.実際,このジレンマは,日本(人)にとっては無縁の悩みだろうが,世界の少なからぬ地域で激しい論争の的となってきた.最たる文化の表現者である文壇において,論争はことさら熱い.
 Crystal (279--80) より,このジレンマとその克服法を巡る論争の本質について述べられている箇所を引こう.

The problem is greatest for poets, novelists, and dramatists in the newly independent nations, where there is often considerable antagonism towards English, seen as a symbol of colonial oppression. The dilemma is acute. Should they use the 'enemy's' language, with all the alien awkwardness that comes with the use of a second language for literary expression, in order to achieve an international audience? Or should they use their mother tongue, for which they have an immediate sensitivity, but which will place severe constraints on their potential readership? The solution, many writers maintain, is to concentrate on developing the English of their own region, making it into a language which belongs to them, and with which they can identify. 'Our method of expression', wrote the Indian author Raja Rao, 'has to be a dialect which will some day prove to be as distinctive and colorful as the Irish or the American . . . The tempo of Indian life must be infused into our English expression.' And the call for new Englishes, personal, evocative, and dynamic, has been echoed by second-language writers around the world, in South-east Asia, East and West Africa, and by first-language writers in Jamaica, South Africa, and New Zealand.


 議論のきっかけとして,インド人の詩人 Kamala Das の実用主義的な英語観を覗いてみよう (Crystal 280) .

. . . I am Indian, very brown, born in
Malabar, I speak three languages, write in
Two, dream in one. Don't write in English, they said,
English is not your mother-tongue. Why not leave
Me alone, critics, friends, visiting cousins,
Every one of you? Why not let me speak in
Any language I like? The language I speak
Becomes mine, its distortions, its queernesses
All mine, mine alone. It is half English, half
Indian, funny perhaps, but it is honest.
It is as human as I am human, don't
You see? It voices my joys, my longings, my
Hopes, and it is useful to me as cawing
Is to crows or roaring to the lions . . .
                    The Old Playhouse and Other Poems (1973)


 この問題は,世界標準英語を目指す求心力と多様化する英語変種の遠心力が交錯する現代世界において,繊細な感受性を要するディスカッションの格好の題材となろう.

 ・ Crystal, David. The English Language. 2nd ed. London: Penguin, 2002.

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2017-06-29 Thu

#2985. jade [etymology][loan_word][metanalysis][french][spanish]

 jade (ヒスイ)は,16世紀末から17世紀にかけて,フランス語より借用された語である.フランス語では l'ejade と使われていたように,語幹は母音で始まっていたが,定冠詞との間の異分析 (metanalysis) を通じて le jade と解され,jade がこの語の見出し形と認識されるに至った.このフランス単語自身は,スペイン語の (piedra de) ijada (横腹の石)を借用したもので,ijada はラテン語の īlia (横腹)に遡る.これは,ヒスイが疝痛に効くと信じられていたことにちなむ.
 このようにヨーロッパでヒスイを表わす語形が現われたのは近代に入ってからの比較的遅い時期だが,それはヨーロッパがこの宝玉をほとんど産しなかったからである.一方,アジアではベトナムでヒスイが採れたため,中国などで愛用された.漢字の「翡翠」の「翡」は赤色を,「翠」は緑色を示し,この2色をもつ宝玉を翡翠玉と呼んだのが始まりであり,中国では同じくその2色をもつ鳥「カワセミ」を指すのにも同語が用いられた.
 ヒスイはメキシコにも産するが,先に述べた通り,スペインでヒスイが横腹の病(腎臓病)に効くとされたのは,古代メキシコの何らかの風習がスペイン人の耳に入ったからともされる.
 なお,ヒスイは日本でも産する.新潟県の姫川支流の小滝川や青海川に産地があり,縄文時代中期以降,日本各地,そして中国へと運ばれた.古代より珍重された,霊験あらたかな玉である.

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2017-06-28 Wed

#2984. なぜ英語史を学ぶか (5) [hel_education][language_change][variation]

 標記の話題について,Crystal (296--97) は著書の終わりに近い部分で,説得力をもって次のように述べている.

It is no more than common sense for those who have invested a childhood, or adult time and money, in successfully acquiring the English language to maintain an active interest in the language's progress. The more we learn about where the language has been, how it is structured, how it is used, and how it is changing, the more we will be able to judge its present course and help to plan its future. For many people, this will indeed mean a conscious altering of attitude. Language variation and language change --- the two aspects of English which are at the centre of its identity, and which are most in the public eye --- are too often blindly condemned. If just a fraction of the nervous energy which is currently devoted to the criticism of split infinitives and the intrusive r were devoted to the constructive promotion of forward-looking language activities, what might not be achieved?


 Crystal は,英語の変化と変異 (change and variation) を学ぶことにより,その現在をよりよく判断し,未来をよりよく計画することができると力説している.これが,英語の歴史を始め,構造,変異,使用を学ぶ意義だろう.現在,そして未来に向けて,英語とうまく付き合っていくための知識であり知恵となる.さらに,英語史を学ぶことは,母語を含めた言語一般に対する視野を広げ,寛容な態度を育てることにも貢献する.今後も,この分野のもつ大きな可能性を指摘し,説いていきたいと思っている.
 関連して,「#24. なぜ英語史を学ぶか」 ([2009-05-22-1]),「#1199. なぜ英語史を学ぶか (2)」 ([2012-08-08-1]),「#1200. なぜ英語史を学ぶか (3)」 ([2012-08-09-1]),「#1367. なぜ英語史を学ぶか (4)」 ([2013-01-23-1]) も参照.

 ・ Crystal, David. The English Language. 2nd ed. London: Penguin, 2002.

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2017-06-27 Tue

#2983. 6月,June,水無月 [calendar][etymology][latin][personal_name][month]

 June といえば,イギリスでは最も快適で,社交界が華やぐ月である.夏至やバラとも連想され,すべてが明るい月である.語源的にはローマの女神 Juno に由来し,女神を祀る者を意味する Junonius から異形として発展した Junius (mensis) (おそらく氏族名として用いられていた)が,古フランス語で juin と変化したものが13世紀に英語に借用された.Caesar 暗殺に加わった Marcus Junius Brutus とも連想されたという.
 古英語では,6月と7月を合わせた名称 līþa の「早いほう」 (ǣrra "the earlier") を指すものとして līþa ǣrra と呼ばれた.しかし,後期古英語でも,ラテン語 Junius から直接借用された iunius の語形が文証されていることを付け加えておきたい.
 日本語「水無月」は,漢字でこそ「水の無い月」と書くが,「な」は助詞「の」であり,実は「水の月」である.梅雨の時期で水が豊富な月であり,水を田に引く月であることから名付けられた.
 月名シリーズとして「#2910. 月名の由来」 ([2017-04-15-1]),「#2890. 3月,March,弥生」 ([2017-03-26-1]),「#2896. 4月,April,卯月」 ([2017-04-01-1]),「#2939. 5月,May,皐月」 ([2017-05-14-1]) もどうぞ.

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2017-06-26 Mon

#2982. 現代日本語に溢れるアルファベット頭字語 [acronym][initialism][sign][semiotics][binomial]

 新聞を読んでいると,アルファベットの頭字語 (acronym) がとても目立つ.英字新聞ではなく日本語の新聞の話である.最近の TPP(環太平洋経済連携協定)に関する1つの記事のなかでも,EPA(経済連携協定),NZ(ニュージーランド),CEO(最高経営責任者),IMF(国際通貨基金),GDP(実質国内総生産),GE(国際経済),EU(欧州連合)などが当たり前のように現われていた.記事で最初に現われるときには,上記のようにかっこ付きで訳語あるいは説明書きというべき日本語表現が添えられているが,2度目以降は頭字語のみである.多くの読み手にとって,頭字語をもとの英語表現に展開することは必ずしも容易ではなく,実際,展開する必要もさほど感じられていないという点では,1つの新語,ある種の無縁的な記号といってよい(「#1108. 言語記号の恣意性,有縁性,無縁性」 ([2012-05-09-1]) を参照).
 初回出現時の「EPA(経済連携協定)」のような表記慣習は,記号論的にいえば「アルファベットによるシニフィアン(日本語・漢語によるシニフィエ)」という形式になっており,全体として1つの記号(シーニュ)の明示的な導入にほかならない.これは,この記号が当該記事で今後繰り返し使われることを前もって宣言する機能のほかに,この記号を辞書的に解説する機能をも有している.新聞社にとっては,頻出する名前を表わすのに文字数を減らせるメリットがあるし,マスメディアとしてその用語を一般に広める役割を担っているものとも考えられる.様々な名前(多くは組織名)が急ピッチで生み出される時代の状況に,何とか応えようとする1つの現実的な対応策なのだろう.
 この表記慣習と関連して思い出されるのは,日本語のみならず英語にも歴史的に見られた語句解説のための binomial である.中英語の my heart and my corage しかり,法律英語の acknowledge and confess しかり,漢文訓読に由来する「蟋蟀 (シッシュツ) のきりぎりす」など,ある時代あるいは伝統に属する1つの言語文化的習慣といってよい.これらの例については,「#820. 英仏同義語の並列」 ([2011-07-26-1]),「#1443. 法律英語における同義語の並列」 ([2013-04-09-1]),「#2157. word pair の種類と効果」 ([2015-03-24-1]),「#2506. 英語の2項イディオムと日本語の文選読み」 ([2016-03-07-1]) などを参照されたい.
 つまるところ,現代日本語でも,これらの例に類似するもう1つの言語文化的習慣が導入されてきているということなのだろう.

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2017-06-25 Sun

#2981. 英国史と日本史の視点の差異 [history][archaeology][celtic][geography][review]

 書店で平積みになっていた新書を買って読んでみた.松木武彦著『縄文とケルト』である.日英比較考古学の興味をそそる本である.端的にいえば,両地域,両民族ともに,紀元前に先進的な文明をもつ大陸の民族に大きな影響を受けたが,現在その歴史をとらえる視点は,おおいに異なっているということだ.「同じ動きを,英国史ではヨーロッパ史の一部とみているのに対し,日本史ではどこまでも日本史としてにらんでいる」(223) のだという.
 もう少し詳しく著者の結論を紹介するには,直接文章を引用するのが早いだろう.松木 (236) は,文明を「非文明のさまざまな知的試行や積み重ねの中から生み出されて広まった,人類第二次の知識体系」と定義づけた後に,次のように締めくくっている.

 大陸中央部の平原で芽生えて根を張った,この文明の知識体系やそれに沿った行動様式は,環境の悪化と資源の低落による危機を肥やしにして,その実利的な結実率の高さゆえに周辺の地域にも急速にはびこっていった.ケルトとは,ユーラシア大陸の中央部から主として西方へ進んだこの動きを,一つの人間集団の移動拡散というドラマになぞらえて,後世の人びとが自らのアイデンティティと重ねながらロマン豊かに叙述したものである.
 いっぽう,ユーラシア大陸中央部から東方にも同様の動きが進んだ.克明な一国史の叙述を大の得意とするわが国の歴史学や考古学では,この島国にしっかりと足をつけて西の海の向こうをにらむ姿勢をもとに,このような動きを,弥生時代に水田稲作をもたらした「渡来人」,古墳時代に先進的な技術と知識をもってやってきた「渡来人」(古くは「帰化人」)に集約して描こうとしてきた.後者は一時,東のケルトとでもいうべき「騎馬民族」に含めて描かれようとしたが,島国日本の伝統と孤立と純粋さを信じたい心根と,日本考古学一流の精緻な実証主義とがあいまったところから大きな反発を受け,その時点では不成功の試みに終わった.
 ともあれ,西と東のケルトは,ともにその最終の到達地であるブリテン島と日本列島とにそれぞれ歴史的な影響を及ぼし,環濠集落のような戦いと守りの記念物や,不平等や抑圧を正当化する働きをもった王や王族の豪華な墓をそこに作り出した.紀元前三〇〇〇年を過ぎたころから紀元前後くらいまでの動きである.
 しかし,東西ケルトの動きの最終的帰結ともいえる大陸の古代帝国――漢とローマ――が日本列島とブリテン島とに関わった程度と方向性は大きく異なり,そのことは,両地域がたどったその後の歴史の歩みの違いと,そこから来る相互の個性を作り出すに至る.大陸との間を隔てる海が狭かったがゆえにローマの支配にほぼ完全に呑み込まれたブリテン島では,文字や貨幣制度など,抽象的な記号を媒介とする知財や情報の交換システム――人類第三次の知識体系――に根ざした新しいヨーロッパ社会の一翼としてその後の歴史の歩みに入っていった.
 これに対し,もっと広い海で大陸から隔てられていた日本列島は,漢の直接支配下に入ることなく,王族たちが独自の政権を作り,前方後円墳という固有の記念物を生み出し,独自のアイデンティティを固める期間がイギリスよりもはるかに長かった.私たち現代日本人は,このような感性や世界観を受け継いでいる.「縄文時代」「弥生時代」「古墳時代」と,同じ島国のイギリスの歴史ではほとんど用いられない一国史的な時代区分を守り,東のケルト史観たる騎馬民族説に反発する日本人の歴史学者や考古学者の観念もまた,そこに由来するのかもしれない.(237--39)


 本書には,地政学的な指摘も多い.例えば,日英両島嶼地域と大陸との関係は,間に挟まる海峡の幅にも比例するという.ドーヴァー海峡の幅は34キロであり,人間でも頑張れば泳ぎ切れる距離だが,対馬海峡は約200キロもあり,さすがに泳いでは渡れない (233) .また,「東西のケルト」は,いずれもユーラシア中央部に近いところにルーツが想定されているという指摘も,ユーラシア大陸規模で歴史を考えさせる契機となり,意味深長である (224) .
 上の引用の最後にもあるように,紀元前後に,ブリテン島では帝国に取り込まれて固有のアイデンティティが育ち得なかったのという指摘もおもしろい.そのタイミングで育ち得なかったがゆえに,ずっと後の近代期に,国家的アイデンティティを作り出す手段として基層に広がるケルトが利用されたのではないかという考察も示唆に富む(231--32) .英国史および英語史に対して,1つの視点を与えてくれる本として読んだ.そして,もちろん日本(語)史に対しても.
 今回の話題と関連して,「#159. 島国であって島国でないイギリス」 ([2009-10-03-1]),「#2968. ローマ時代以前のブリテン島民」 ([2017-06-12-1]) も参照.

 ・ 松木 武彦 『縄文とケルト』 筑摩書房〈ちくま新書〉,2017年.

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2017-06-24 Sat

#2980. 30万年前の最古のホモサピエンス [homo_sapiens][anthropology]

 科学誌 Nature の最新号に,約30万年前のものと推定される最古の現生人類(ホモサピエンス)の化石がモロッコで発見されたという報告が掲載された.これまで現生人類は約20万年前に東アフリカで誕生したと考えられていたが,今回の発見により現生人類誕生が10万年ほど遡ることになり,しかもその頃までにはアフリカ大陸に広く分布していた可能性も浮上してきた.専門家によれば,年代測定には誤差があるので今後の検証が必要とされているが,今回の発見が古人類学の重要な成果であるらしいことは素人目にも分かる.
 門外漢ながらも,Nature の記事に目を通してみた.今回の成果が,30万年前とも10万年前とも言われる人類の言語の起源に何らかの示唆を与えるかもしれないと思ったからだ.さすがに言語の起源に関して直接話題にされている箇所はなかったものの,ホモサピエンスの兄弟として言語能力の有無が取りざたされるネアンデルタール人と,我々ホモサピエンスの認知能力の比較について言及している箇所があったので,以下に引用する.

Given the likelihood that both brain size and shape evolved independently and in parallel along the Neanderthal and H. sapiens lineages over a period of at least 400,000 years, this might also imply that cognitive differences could have developed between the two species during that time. (213)


 もう1つ,今回のモロッコでの発見の意義を伝える部分を引いておきたい.

Fossil remains indicate that early modern H. sapiens were present in Africa from about 200,000 years ago, and these individuals had an anatomy similar to that of humans today. However, DNA analyses of living people and fossils suggest that our lineage diverged from that of our close relatives, the Eurasian Neanderthals and Denisovans, more than 500,000 years ago --- considerably earlier than the first recognizable early modern H. sapiens. (212)


 門外漢による人類学絡みの他の話題は,anthropology からどうぞ.

 ・ Stringer, Chris and Julia Galway-Witham. "On the Origin of Our Species." Nature 546 (8 June 2017): 212--13.

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2017-06-23 Fri

#2979. Chibanian はラテン語? [eponym][toponym][suffix][waseieigo][word_formation][etymology][latin]

 6月7日,国立極致研究所や茨城大学などの研究チームが,約77万〜12万6千年前の時代を代表する千葉県市原市の地層を国際的な基準地にするよう国際組織に申請した.来年にかけて,地球の磁気が反転した証拠をとどめる同時代の地層として,イタリアの強力なライバルと競い合うことになるという.申請された時代名は「チバニアン」 (Chibanian) であり,もし認められれば,日本由来の地質時代の名前としては初めてのものになるという.
 「チバニアン」を「ラテン語で「千葉の時代」」と注釈をつけている新聞記事があった.この注釈に少なからぬ違和感を感じたので,その違和感の所在をここに記しておきたい.
 「チバ」 (Chiba) の部分と「ニアン」 (-nian) の部分に分けて論じよう.まず,最初に第2要素「ニアン」 (-nian) から.-nian は,確かに起源としてはラテン語の形容詞語尾に遡るとは言える(厳密には,最初の n は先行する語幹に属するものと考える必要があるが).しかし,本当のラテン語であれば -nian で終わることはありえず,性・数・格に応じた何らかの屈折語尾が付加して,-nianus や -niana などとして現われるはずである.しかし,そのような語尾がないということは,-nian で終わる語形は,ラテン語としての語形ではないということになる.それは現代ヨーロッパ語の語形であり,諸事情から国際語としての英語の語形と考えるのが妥当だろう.-nian は,歴史的にはラテン語に由来するということができても,新語が作られた現代の共時的観点からは,ラテン語に属しているとは言えず,おそらく英語に属しているというべきだろう.「ラテン語で「千葉の時代」」という注釈は,歴史(語源・由来)と共時態の事実(現在の所属)を混同していることになる.
 「チバニアン」をラテン単語とみなすことの違和感は,「シーチキン」などの和製英語を英単語とみなす違和感と同一のものである(「#1624. 和製英語の一覧」 ([2013-10-07-1]) を参照).「シー」 (sea) も「チキン」 (chicken) も,歴史的には明らかに英語由来の単語である.しかし,それを組み合わせた「シーチキン」 (sea chicken) は,いかに英単語風の体裁をしているにせよ,(英語へ逆輸入されない限り)英語の語彙には存在しない以上は日本語の単語と言わざるを得ない.起源は英語であっても,現在の共時的な所属は日本語なのである.
 次に,第1要素の「チバ」 (Chiba) について.こちらは,-nian と異なり,歴史的にも現在の共時態としてれっきとした日本語の単語であると言い切ってよさそうだが,必ずしもそうではないと議論することは不可能ではない.歴史的に日本語であるということに異論はないが,今回の造語の背景,すなわち国際的な地質学に供するという目的をもった文脈を考慮すれば,それは世界の一角を占める地名としての「チバ」を指すに違いない.命名者の日本人研究者や(私を含めて)多くの日本人は,日本の地名としての「千葉(県市原市)」を意識するに違いないが,世界に受け入れられたあかつきには,むしろ受け入れられたというその理由により,「チバ」は世界の地名となるだろう.地名は,世界に開かれたものとしてとらえるとき,たとえその語源や語形成が明らかに○○語のものだったとしても,共時的には○○語のものではないと論じることができそうである.では,○○語ではなく何語の単語なのかといえば,よく分からないのだが,ある種の普遍語の単語と述べるにとどめておきたい.固有名詞は特定の言語に属さないのではないかという問題については,「#2212. 固有名詞はシニフィエなきシニフィアンである」 ([2015-05-18-1]),「#2397. 固有名詞の性質と人名・地名」 ([2015-11-19-1]) を参照されたい.
 以上より,「チバニアン」 を構成すると考えられる2つの要素のいずれについても,共時的な観点からは,「ラテン語である」とは決して言えない.なお,この新聞記者に目くじらを立てているというよりは,違和感を説明しようとして考えたことを文章にしてみただけである.卑近な話題で言語学してみたということで,あしからず.
 結局のところ,「チバニアン」は英語なのだろうか,そうでなければ何語なのだろうか・・・.

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2017-06-22 Thu

#2978. wh- to 構文 [infinitive][interrogative_pronoun][syntax][contamination]

 ブログ「アーリーバードの収穫」を運営されている石崎陽一先生から,「疑問詞+ to 不定詞」構文の歴史的発達について質問を受けた(素朴ながらも興味深い話題をありがとうございます).具体的には what to do, how to do の類いの形式ことで,これは間接疑問節と to 不定詞の出会いによって生じた構文と考えられるので,ある種の統語上の融合,場合によっては contamination ともいうべきものかもしれない(「#737. 構文の contamination」 ([2011-05-04-1]) を参照).
 歴史的にもおもしろそうな問題だが,調べたことがなかったので,まずは MED (verbal particle) を調べてみると,語義 5b (e) に次のようにあった.初出は初期中英語期であり,その後も例がいくつも挙がる.

(e) with inf. preceded by the interrogatives hou, what, whider, or whiderward, the entire construction functioning as the direct obj. of verbs of knowing, studying, teaching, etc.

   c1300(?c1225) Horn (Cmb Gg.4.27) 17/276: For he nuste what to do.


 次に OEDto を調べてみた.語義 16a がこの用法の解説になっており,次のようにある.

a. With inf. after a dependent interrogative or relative; equivalent to a clause with may, should, etc. (Sometimes with ellipsis of whether before or in an indirect alternative question.)

   c1386 Chaucer Man of Law's Tale 558 She hath no wight to whom to make hir mone.


 OED での初例は Chaucer となっているが,MED の初例のほうが早いことが分かる.合わせて,この構文は古英語には現われないらしい.
 おもしろいのは,現代英語において当該構文は従属節を構成するものと理解されているが,単独で主節を構成する例も18世紀初頭から現われていることだ.OED の語義 16b に,次のように挙げられている.

b. In absolute or independent construction after an interrogative, forming an elliptical question.
   This may be explained as an ellipsis of the principal clause . . . , or of 'is one', 'am I', etc. before the inf.

   1713 J. Addison Cato iii. vii, But how to gain admission? for Access Is giv'n to none but Juba, and her Brothers.


 周囲の文献をちらっと覗いたところ,込み入った事情がありそうだという印象を受けた.おもしろそうだが,どこまで深掘りできるだろうか・・・.

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2017-06-21 Wed

#2977. 連載第6回「なぜ英語語彙に3層構造があるのか? --- ルネサンス期のラテン語かぶれとインク壺語論争」 [notice][link][loan_word][borrowing][lexicology][french][latin][lexical_stratification][japanese][inkhorn_term][rensai][sobokunagimon]

 昨日付けで,英語史連載企画「現代英語を英語史の視点から考える」の第6回の記事「なぜ英語語彙に3層構造があるのか? --- ルネサンス期のラテン語かぶれとインク壺語論争」が公開されました.
 今回の話は,英語語彙を学ぶ際の障壁ともなっている多数の類義語セットが,いかに構造をなしており,なぜそのような構造が存在するのかという素朴な疑問に,歴史的な観点から迫ったものです.背景には,英語が特定の時代の特定の社会的文脈のなかで特定の言語と接触してきた経緯があります.また,英語語彙史をひもといていくと,興味深いことに,日本語語彙史との平行性も見えてきます.対照言語学的な日英語比較においては,両言語の違いが強調される傾向がありますが,対照歴史言語学の観点からみると,こと語彙史に関する限り,両言語はとてもよく似ています.連載記事の後半では,この点を議論しています.
 英語語彙(と日本語語彙)の3層構造の話題については,拙著『英語の「なぜ?」に答える はじめての英語史』のの5.1節「なぜ Help me! とは叫ぶが Aid me! とは叫ばないのか?」と5.2節「なぜ Assist me! とはなおさら叫ばないのか?」でも扱っていますが,本ブログでも様々に議論してきたので,そのリンクを以下に張っておきます.合わせてご覧ください.また,同様の話題について「#1999. Chuo Online の記事「カタカナ語の氾濫問題を立体的に視る」」 ([2014-10-17-1]) で紹介した拙論もこちらからご覧ください.

 ・ 「#334. 英語語彙の三層構造」 ([2010-03-27-1])
 ・ 「#1296. 三層構造の例を追加」 ([2012-11-13-1])
 ・ 「#1960. 英語語彙のピラミッド構造」 ([2014-09-08-1])
 ・ 「#2072. 英語語彙の三層構造の是非」 ([2014-12-29-1])
 ・ 「#2279. 英語語彙の逆転二層構造」 ([2015-07-24-1])
 ・ 「#2643. 英語語彙の三層構造の神話?」 ([2016-07-22-1])
 ・ 「#387. trisociationtriset」 ([2010-05-19-1])

 ・ 「#1437. 古英語期以前に借用されたラテン語の例」 ([2013-04-03-1])
 ・ 「#32. 古英語期に借用されたラテン語」 ([2009-05-30-1])
 ・ 「#1945. 古英語期以前のラテン語借用の時代別分類」 ([2014-08-24-1])
 ・ 「#120. 意外と多かった中英語期のラテン借用語」 ([2009-08-25-1])
 ・ 「#1211. 中英語のラテン借用語の一覧」 ([2012-08-20-1])
 ・ 「#478. 初期近代英語期に湯水のように借りられては捨てられたラテン語」 ([2010-08-18-1])
 ・ 「#114. 初期近代英語の借用語の起源と割合」 ([2009-08-19-1])
 ・ 「#1226. 近代英語期における語彙増加の年代別分布」 ([2012-09-04-1])
 ・ 「#2162. OED によるフランス語・ラテン語からの借用語の推移」 ([2015-03-29-1])
 ・ 「#2385. OED による,古典語およびロマンス諸語からの借用語彙の統計 (2)」 ([2015-11-07-1])

 ・ 「#576. inkhorn term と英語辞書」 ([2010-11-24-1])
 ・ 「#1408. インク壺語論争」 ([2013-03-05-1])
 ・ 「#1409. 生き残ったインク壺語,消えたインク壺語」 ([2013-03-06-1])
 ・ 「#1410. インク壺語批判と本来語回帰」 ([2013-03-07-1])
 ・ 「#1615. インク壺語を統合する試み,2種」 ([2013-09-28-1])
 ・ 「#609. 難語辞書の17世紀」 ([2010-12-27-1])

 ・ 「#335. 日本語語彙の三層構造」 ([2010-03-28-1])
 ・ 「#1630. インク壺語,カタカナ語,チンプン漢語」 ([2013-10-13-1])
 ・ 「#1629. 和製漢語」 ([2013-10-12-1])
 ・ 「#1067. 初期近代英語と現代日本語の語彙借用」 ([2012-03-29-1])
 ・ 「#296. 外来宗教が英語と日本語に与えた言語的影響」 ([2010-02-17-1])
 ・ 「#1526. 英語と日本語の語彙史対照表」 ([2013-07-01-1])

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2017-06-20 Tue

#2976. 古英語・中英語の感嘆節 which a 〜 [ancrene_wisse][syntax][exclamation][article]

 Bennett and Smithers 版で Ancrene Wisse の一部を読んでいたときに,この表現に出会った.A. 147--48 に,次のようにある.

Lokið nu ȝeorne, for his deorewurðe luue, hwuch a mearke he leide upon his icorene þa he steah to heouene


 hwuch a mearke 以下の部分はいわゆる間接疑問節を導く which だが,直後に不定冠詞が現われるということは,感嘆の含意もいくらか含んでいるということだろうか.もしそうだとすると,現代英語では感嘆は what a 〜 となるのが普通なので,かつては which a 〜 なる形式もあったということになる.
 そこで調べてみると,古英語と中英語には "exclamatory which" なる用法があったとのことだ.Mustanoja (186) の解説を引こう.

EXCLAMATORY 'WHICH.' --- The original meaning of the pronoun, 'of what kind,' is also reflected in its dependent exclamatory use found in OE and ME (it is often separated from the governing noun by a)] --- ah loke wulche wæstres . . . Whulche wurþliche wude, Whulche wilde deores (Lawman A 11770--73); --- whiche lordes beth þis shrewes! (PPl. B x 27); --- lo which a wyf was Alceste (Ch. CT F Fkl. 1442); --- and whiche eyen my lady hadde! (Ch. BD 859); --- he seide, 'O whiche sorwes glade, O which wofull prosperite Belongeth to the proprete Of love!' (Gower CA iv 1212--13). In late ME which is superseded in this function by what.


 MEDwhich (adj.) の語義7にも,この用法について次のように記述がある.

7. In exclamations, with emphatic force, indicating the striking or extraordinary character of the noun modified: what a remarkable, an excellent, or an impressive; what remarkable or fine:


 さらに OED で which, pron. and adj. を調べてみると,この用法が語義5に,現代では廃用として挙げられている.例文は,古英語は Ælfred 訳の Boethius De Consol. Philos. からの例に始まり,中英語末期からの例に終わっている.

 ・ c888 Ælfred tr. Boethius De Consol. Philos. xvi. §2 Gif ge nu gesawan hwelce mus þæt wære hlaford ofer oðre mys,..mid hwelce hleahtre ge woldon bion astered.
 . . . .
 ・ c1450 Jacob's Well (1900) 102 Lo, whiche a worschip sche hadde, & whiche a ioye.


 感嘆節 which a 〜 は,古い英語で普通に見られたことが分かる.

 ・ Bennett, J. A. W. and G. V. Smithers, eds. Early Middle English Verse and Prose. 2nd ed. Oxford: OUP, 1968.
 ・ Mustanoja, T. F. A Middle English Syntax. Helsinki: Société Néophilologique, 1960.

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2017-06-19 Mon

#2975. 屈折の衰退と語順の固定化の協力関係 [synthesis_to_analysis][eme][french][contact][syntax][inflection][case][dative][genitive][syncretism][word_order]

 昨日の記事「#2974. 2重目的語構文から to 構文へ」 ([2017-06-18-1]) の最後に触れたように,屈折の衰退と語順の固定化を巡る問題は,英文法史を代表するメジャーな問題である.先に屈折の衰退が生じ,それによって失われた文法機能を補填するために後から語順が固定化することになったのか,あるいは先に語順が固定化し,その結果,不要となった屈折が後から衰退し始めたのか.もしくは,第3の見解によると,両現象の因果関係は一方向的なものではなく,それぞれが影響し合いながらスパイラルに進行していったのだともいわれる.まさにニワトリと卵を巡る問題である.
 私は穏健な第3の見解が真実だろうと思っているが,連日参照している Allen もこの考えである.Allen は,2重目的語構文における2つの目的語の語順だけでなく,属格名詞とそれに修飾される主要部との位置関係に関する初期中英語期中の変化についても調査しており,屈折の衰退が語順の固定化を招いた唯一の要因ではないことを改めて確認している.Allen (220) 曰く,

The two case studies [= the fixing of the order of two nominal NP/DP objects and the genitives] examined here do not support the view that the fixing of word order in English was driven solely by the loss of case inflections or the assumption that at every stage of English, there was a simple correlation between less inflection and more fixed word order. This is not to say that deflexion did not play an important role in the disappearance of some previously possible word orders. It is reasonable to suggest that although it may have been pragmatic considerations which gave the initial impetus to making certain word orders more dominant than others, deflexion played a role in making these orders increasingly dominant. It seems likely that the two developments worked hand in hand; more fixed word order allowed for less overt case marking, which in turn increased the reliance on word order.


 当初の因果関係が「屈折の衰退→語順の固定化」だったという可能性を否定こそしていないが,逆の「語順の固定化→屈折の衰退」の因果関係も途中から介入してきただろうし,結局のところ,両現象が手に手を取って進行したと考えるのが妥当であると結論している.また,両者の関係が思われているほど単純な関係ではないことは,初期中英語においてそれなりに屈折の残っている南部方言などでも,古英語期の語順がそのまま保存されているわけではないし,逆に屈折が衰退していても古英語的な語順が保存されている例があることからも見て取ることができそうだ.

 ・ Allen, Cynthia L. "Case Syncretism and Word Order Change." Chapter 9 of The Handbook of the History of English. Ed. Ans van Kemenade and Bettelou Los. Malden, MA: Blackwell, 2006. 201--23.

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2017-06-18 Sun

#2974. 2重目的語構文から to 構文へ [synthesis_to_analysis][eme][french][contact][syntax][inflection][case][dative][syncretism][word_order][terminology]

 昨日の記事「#2973. 格の貧富の差」 ([2017-06-17-1]) に引き続き,Allen の論考より話題を提供したい.
 2重目的語構文が,前置詞 to を用いる構文へ置き換わっていくのは,初期中英語期である.古英語期から後者も見られたが,可能な動詞の種類が限られるなどの特徴があった.初期中英語期になると,頻度が増えてくるばかりか,動詞の制限も取り払われるようになる.タイミングとしては格屈折の衰退の時期と重なり,因果関係を疑いたくなるが,Allen は,関係があるだろうとはしながらも慎重な議論を展開している.特定のテキストにおいては,すでに分析的な構文が定着していたフランス語の影響すらあり得ることも示唆しており,単純な「分析から総合へ」 (synthesis_to_analysis) という説明に対して待ったをかけている.Allen (214) を引用する.

It can be noted . . . that we do not require deflexion as an explanation for the rapid increase in to-datives in ME. The influence of French, in which the marking of the IO by a preposition was already well advanced, appears to be the best way to explain such text-specific facts as the surprisingly high incidence of to-datives in the Aȝenbite of Inwit. . . . [T]he dative/accusative distinction was well preserved in the Aȝenbite, which might lead us to expect that the to-dative would be infrequent because it was not needed to mark Case, but in fact we find that this work has a significantly higher frequency of this construction than do many texts in which the dative/accusative distinction has disappeared in overt morphology. The puzzle is explained, however, when we realize that the Aȝenbite was a rather slavish translation from French and shows some unmistakable signs of the influence of its French exemplar in its syntax. It is, of course, uncertain how important French influence was in the spoken language, but contact with French would surely have encouraged the use of the to-dative. It should also be remembered that an innovation such as the to-dative typically follows an S-curve, starting slowly and then rapidly increasing, so that no sudden change in another part of the grammar is required to explain the sudden increase of the to-dative.


 Allen は屈折の衰退という現象を deflexion と表現しているが,私はこの辺りを専門としていながらも,この術語を使ったことがなかった.便利な用語だ.1つ疑問として湧いたのは,引用の最後のところで,to-dative への移行について語彙拡散のS字曲線ということが言及されているが,この観点から具体的に記述された研究はあるのだろうか,ということだ.屈折の衰退と語順の固定化という英語文法史上の大きな問題も,まだまだ掘り下げようがありそうだ.

 ・ Allen, Cynthia L. "Case Syncretism and Word Order Change." Chapter 9 of The Handbook of the History of English. Ed. Ans van Kemenade and Bettelou Los. Malden, MA: Blackwell, 2006. 201--23.

Referrer (Inside): [2017-06-19-1]

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2017-06-17 Sat

#2973. 格の貧富の差 [case][syncretism][eme][literature][inflection]

 Allen (205) に,(主として初期)中英語のテキストを,形態的な格標示が比較的残っているもの (case-rich texts) と,形態的縮減 (deflexion) により,さほど残っていないもの (case-impoverished texts) におおまかに分類している.各テキストにみられる格の「貧富」の差は,時代や方言によるところが大きいが,その他,テキストや写本の伝統に起因するものもあるだろう.初期中英語の格を巡る研究に役立ちそうなので,このテキストの分類を再現しておく.ただし,網羅的なリストではなく,Allen がケース・スタディで利用したテキストのみを掲載しているにすぎないので,注意しておきたい.

Case-rich textsDateCase-impoverished textsDate
PC I (not very rich)c.1131PC IIc.1155
Kentish Homiliesa.1150, c.1125Ormulum (Vol. II)c.1180
Lambeth Homiliesc.1200, mostly OEAncrene Wisse (Parts 1--5)c.1230, somewhat earlier
Poema Morale (Lambeth version)c.1200, c.1170--90Katherine Groupc.1225, 1200--20
Trinity Homiliesa.1225, ?OEWohungec.1220, post 1200
Brut (C MS) (1st 3,000 lines)s.xiii2, post 1189Cursor Mundi (Vesp. MS, Vol. I)c.1350
Vices and Virtuesc.1200, a.1225Havelok the Danec.1300, c.1295--1310
Owl and Nightingale (C MS)s.xiii2, 1189--1216Robert of Gloucester's Chronicle (A MS, Vol. I)c.1325, c.1300
Kentish Sermonsc.1275, pre-1250Genesis and Exodusa.1325, c.1250
Aȝenbite of Inwit1340Sir Orfeo and Amis and Amiloun (Auchinleck MS)c.1330
  Early Prose Psalterc.1350


 ついでに,格の貧富の差のもう1つの指標となり得る,Hotta (40--43) による "syncretism rate" というアイディアも参照されたい.

 ・ Allen, Cynthia L. "Case Syncretism and Word Order Change." Chapter 9 of The Handbook of the History of English. Ed. Ans van Kemenade and Bettelou Los. Malden, MA: Blackwell, 2006. 201--23.

Referrer (Inside): [2017-06-18-1]

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2017-06-16 Fri

#2972. イギリスにおける職名性差別の違法化 [gender][political_correctness][bre]

 英語圏では,前世紀後半より言語上の性差別を廃する傾向が強まってきている.日常的言語使用の慣習ともなってきているが,それを支える法的な基盤もある.イギリスでの性差別を違法とする法律は1975年に制定されている(Sex Discrimination Act 1975 を参照).この法律は,その後廃止され,2010年の Equality Act 2010 に受け継がれている.
 Crystal (314--15) によれば,

Legal changes, such as the Sex discrimination Act in Britain (1975), have caused job titles and much of the associated language to be altered. The written language has been most affected, but there have been signs of change in speech behaviour too. Plainly, the last quarter of the 20th century saw a general raising of consciousness about the issue of linguistic sexism, and this is likely to have a permanent effect upon the language.


 このような言語上の性差別廃止の傾向は,上のような法律が駆動しているというよりは,すでにある社会的なトレンドを同法律が後押ししているとみなすほうが適切だろう.というのは,法律が明言しやすいのは書き言葉における非性差別表現使用の徹底だと思われるが,法律がいかに話し言葉にまで影響を及ぼし得るかは自明ではないにもかかわらず,実際には日常の話し言葉においても非性差別の方向での「慣行の変化の兆し」が確認されるからだ.これは,程度の差はあれ,昨今の日本語の環境においても見られる潮流だろう.
 関連して,言語使用における性差別の解消について,以下の記事も参照.

 ・ 「#2655. PC言語改革の失敗と成功」 ([2016-08-03-1])
 ・ 「#1709. 主要英訳聖書年表」 ([2013-12-31-1]):特に The New Revised Standard Version (1990) の性差別表現の忌避は徹底的
 ・ 「#1048. フランス語の公文書で mademoiselle が不使用へ」 ([2012-03-10-1])

 ・ Crystal, David. How Language Works. London: Penguin, 2005.

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2017-06-15 Thu

#2971. 分かち書きは句読法全体の発達を促したか? [punctuation][writing]

 昨日の記事「#2970. 分かち書きの発生と続け書きの復活」 ([2017-06-14-1]) に引き続いて,分かち書き (distinctiones) の話題.Crystal (17) は,分かち書きの発生こそが,他の句読法の体系的な発達を促したと考えている.

It's difficult to see how punctuation could have developed in a graphic world where scriptura continua was the norm. If there are no word-spaces, there's no room to insert marks. Writers or readers might be able to insert the occasional dot or simple stroke, to show where the sense change, but it would be impossible to develop a sophisticated system that would keep pace with the complex narratives and reflections being expressed in such domains as poetry, chronicles, and sermons. However, once word-spaces became the norm, new punctuational possibilities were available.


 確かに,この因果関係はある程度の説得力をもつように聞こえるかもしれない.しかし,おそらく部分的にはその通りであると思われるものの,さほど自明な議論ではない.というのは,日本語を考えてみれば分かるとおり,分かち書きが定着していない書記においても,他の句読法は十分に体系的に発達しているからだ.そこでは,むしろ他の句読法が分かち書きの果たすはずの役割を部分的に果たしている.したがって,書記上の機能や発生順序の自然さという観点から,分かち書きと他の句読法という二分法を設けるべき根拠は強くないように思われる.空白があれば,その分,他の記号が書き込まれる契機が増し,したがって句読法も発達しやすい,という Crystal の論理は,完全に無効とは決めつけられないものの,どこまで有効なのかを積極的に示すことは難しいのではないか.
 それでも,分かち書きは,言語使用者にとって最も直観的で基本的な単位である語を区切るものであるという点で,他の句読法よりも本質的な地位を占めると主張することもまた可能のように思われる.日本語のような稀な例も考慮に入れながら,より説得力をもって主張できそうなことは,分かち書きという方法にかぎらず,語と語の区分を示す何らかの手段が確立しさえすれば,次にその他の句読法も発達していきやすい,ということではないか.

 ・ Crystal, David. Making a Point: The Pernickety Story of English Punctuation. London: Profile Books, 2015.

Referrer (Inside): [2017-08-27-1]

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2017-06-14 Wed

#2970. 分かち書きの発生と続け書きの復活 [punctuation][writing][scribe][manuscript][inscription]

 書記における分かち書き (distinctiones) については,「#1112. 分かち書き (1)」 ([2012-05-13-1]),「#1113. 分かち書き (2)」 ([2012-05-14-1]),「#2695. 中世英語における分かち書きの空白の量」 ([2016-09-12-1]),「#2696. 分かち書き,黙読習慣,キリスト教のテキスト解釈へのこだわり」 ([2016-09-13-1]) などで話題としてきた.今回も,分かち書きが歴史の過程で生み出されてきた発明品であり,初めから自然で自明の慣習であったわけではないことを,再度確認しておきたい.
 西洋の書記の歴史では,分かち書き以前に,長い続け書き (scriptura continua) の時代があった.Crystal (3) の説明を引こう.

Word-spaces are the norm today; but it wasn't always so. It's not difficult to see why. We don't actually need them to understand language. We don't use them when we speak, and fluent readers don't put pauses between words as they read aloud. Read this paragraph out loud, and you'll probably pause at the commas and full stops, but you won't pause between the words. They run together. So, if we think of writing purely as a way of putting speech down on paper, there's no reason to think of separating the words by spaces. And that seems to be how early writers thought, for unspaced text (often called, in Latin, scriptura continua) came to be a major feature of early Western writing, in both Greek and Latin. From the first century AD we find most texts throughout the Roman Empire without words being separated at all. It was thus only natural for missionaries to introduce unspaced writing when they arrived in England.


 しかし,英語の書記の歴史に関する限り,古英語期までには語と語を分割する何らかの視覚的な方法が模索されるようになっていた.Crystal (8--9) によれば,様々な方法が実験されたという(以下の引用中にある "Undley bracteate" については,「#572. 現存する最古の英文」 ([2010-11-20-1]) を参照).

People experimented with word division. Some inscriptions have the words separated by a circle (as with the Undley bracteate) or a raised dot. Some use small crosses. Gradually we see spaces coming in but often in a very irregular way, with some words spaced and others not --- what is sometimes called an 'aerated' script. Even in the eleventh century, less than half the inscriptions in England had all the words separated.


 考えてみれば,昨今のデジタル時代でも,分かち書きの手段は複数ある.URLやファイル名の文字列など,処理上の理由で空白が避けられる傾向がある場合には,例えば "this is an example of separation" と表記したいときに,次のようなヴァリエーションが考えられるだろう (Crystal 8--9 の議論も参照).

 ・ thisisanexampleofwordseparation
 ・ this.is.an.example.of.word.separation
 ・ this+is+an+example+of+word+separation
 ・ this_is_an_example_of_word_separation
 ・ this-is-an-example-of-word-separation
 ・ thiSiSaNexamplEoFworDseparatioN
 ・ ThisIsAnExampleOfWordSeparation


 現代は,ある意味で scriptura continua が蘇りつつある時代とも言えるのかもしれない.続け書きを当然視する日本語書記の出番か!?

 ・ Crystal, David. Making a Point: The Pernickety Story of English Punctuation. London: Profile Books, 2015.

Referrer (Inside): [2017-08-27-1] [2017-06-15-1]

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2017-06-13 Tue

#2969. 閉じない quotation marks [punctuation][literature][genre][prescriptive_grammar][printing]

 「#1097. quotation marks」 ([2012-04-28-1]) で,英語の引用符の single か double の差について論じた.今回は,引用符の開きと閉じの習慣について歴史をひもといてみよう.
 現在の慣習では,引用符を “ で開いたら ” で閉じるというのは自明のように思われる.しかし,前の記事でみたように,本来的にこの記号は「ここから引用が始まりますよ」という合図として,欄外に置かれるマークとして出発したのだった.「ここから始まる」と言っておいて「どこそこで終わる」と言わないのは,引用者として無責任のように思われるかもしれないが,これは現代的な思考法なのかもしれない.古くは,閉じの引用符は置かれなかったのである! 書き手にとって,どこで引用が終わるかは明らかだし,読み手もそれで何とかなるだろうと,ある種の鷹揚さを持ち合わせていたかのようだ.
 話者が頻繁に交替する会話の再現が稀な時代であれば,実際,何とかなったろう.しかし,小説のようなジャンルが盛んになると,閉じない引用符の問題は深刻となる.こうして,小説が人気を獲得する18世紀に,ついに閉じの引用符が慣習的に用いられるようになった.おりしも18世紀には現代人にとっては見苦しいほど句読法を多用することが是とされたので,Murray の規範文法でも,このような2重引用符の使用が推奨されたのである.新たな文学ジャンルの発達とそれに伴う直接話法の頻用,そして当時の重めの句読法の慣習が,新しい記号使用を促進したことになる (Crystal 308--09) .
 引用符の開きと閉じの問題について,印刷家が直面したもう1つの問題があった.それは,引用が複数の段落にまたがるとき,前の段落の最後に閉じの引用符を含めるか,あるいは後の段落の最初に開きの引用符を繰り返すか,といった問題である.印刷家によっては,各段落の始めと終わりを,それぞれ開きと閉じの引用符で標示するという方法を採用した.しかし,これでは各段落で独立して引用が導入されているかのように誤読される恐れがある.現在採用されているのは,各段落の始めは改めて開きの引用符を付して引用の継続を示すが,閉じの引用符は引用全体の終末時にしか付さない,という方法だ (Crystal 310) .一見すると論理的ではないかのようだが,説明されれば,その実用性と合理性のバランスの取れていることは納得できるだろう.
 歴史的には,引用符は必ずしも閉じるのが当然ではなかったという事実に注意すべきである.かつての緩い句読法は,開きと閉じの括弧の対応が正確でないとすぐにエラーとなる現代のプログラミング言語のようなガチガチの理屈とは対極にある,実におおらかな世界の慣習だったのである.

 ・ Crystal, David. Making a Point: The Pernickety Story of English Punctuation. London: Profile Books, 2015.

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2017-06-12 Mon

#2968. ローマ時代以前のブリテン島民 [history][archaeology][celtic]

 ブリテン島の先史時代にも人々の移動は頻繁にあったが,いつどのような民族がやってきて,いかにして先住民を征服したか,あるいは共存したかについて,詳細はわかっていない.アングロ・サクソン時代の直前のブリテン島民であった「ケルト人」についても,いつどのように渡来したのかについて諸説あり,論争の的となっている.以下では,君塚 (3--5),川北 (17--22),指 (7--9) に依拠して,教科書的な記述を施しておきたい.
 人類が現在のブリテン島に相当するユーラシア大陸西端に居住していた最古の痕跡は,81万年前のものとされている.紀元前1万年頃の旧石器時代末期には,前時代におけるネアンデルタール人の文化をもった旧人に代わり,新人が狩猟採集の生活を営みつつ住み着いていた.紀元前7000--6000年になると,この地は大陸と完全に切り離された.ブリテン島の誕生である.次いで紀元前4000年頃からは農耕や牧畜も始まり,新石器時代に入る.この頃には,イベリア半島あるいは北アフリカ沿岸より人々が渡来していたようだ.新石器時代の末期,紀元前22--20世紀には大陸からビーカー人(埋葬品として用いられた口広型の土器にちなむ)と呼ばれる戦士集団がやってきて,青銅器文化をもたらした.ビーカー人は,おそらく印欧語を話していたと考えられる.ストーンヘンジに代表される巨石文化は紀元前18世紀頃に栄えたが,この頃までには大小様々な集団が生まれていたようだ.
 ちょうどその頃,紀元前2千年紀には,大陸のアルプス山脈北部に,後にケルト人と呼ばれる冒険的戦士集団が生まれていた.彼らは千年ほどかけて北西ヨーロッパ,特に中欧,東欧にかけて拡張し,紀元前6世紀頃にはブリテン島にも渡来し,青銅器文化の担い手を追い出して,鉄器文化をもたらしつつ,この島に住み着くようになった.なお,ケルト人といっても均一の文化をもっていたわけではなく,彼らに征服された多様な先住民が征服者の文化と言語を共有する緩やかな文化的集合体をなしていたととらえるのが適切だろう(征服というよりは緩やかな同化だった可能性もある).さて,ブリテン島に次々に渡来してきたケルト人のなかでも中心的な役割を果たしたとされる最後の分派がベルガエ人であり,紀元前2世紀末までに高度な鉄器文化を発達させていた.数十の部族が分立していたが,このケルト人こそが,紀元前1世紀半ばよりローマ軍団に狙われることになるブリテン島民だった.

 ・ 君塚 直隆 『物語 イギリスの歴史(上)』 中央公論新社〈中公新書〉,2015年.
 ・ 川北 稔(編) 『イギリス史』 山川出版社,1998年.
 ・ 指 昭博 『図説イギリスの歴史』 河出書房新社,2002年.

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2017-06-11 Sun

#2967. 14世紀ヨーロッパの言語多様性の認識 [dante][tower_of_babel]

 ヨーロッパでは1300年頃までに,言語の多様性あるいは複数性の認識が定着しつつあった.もちろんそれ以前にもヨーロッパで様々な言葉が流通しているという感覚はあったが,リンガ・フランカたるラテン語が "the language" であるという認識があり,それ以下の種々の俗語 (vernaculars) は,そもそも「言語」の名に値しないと思われていたのである.俗語には俗語という呼称が相応しく,言語と呼びうるのはラテン語だけ,という言語観だった.
 しかし,ダンテ (Dante Alighieri; 1265--1321) は早くも俗語の重要性,根本的な破壊力を見抜いていた.ダンテに続く時代は,おりしも教会大分裂 (1378--1417) あり,英仏百年戦争 (1337--1443) ありで,ヨーロッパ諸国家がそれぞれに独自性を主張し始めていた時代だった.伝統的な近代期に至るまでに,まだ少々時間があったが,すでに国家や言語の複数性の認識は芽生えていたばかりか,定着していたのである.この時代において,聖書の伝統的な逸話「バベルの塔」は,ある意味をもち始めていた.互 (45) を引用しよう.

 こうした激動が示しているのは,複数の国家が各々の自律性を主張し,時には戦争に至るほど他国との違いに固執するようになったヨーロッパの状況にほかならない.当然,そこには各々の国で話されている言語の違いも含まれていただろう.そうして,複数の言語が存在する,という認識は強化される.その結果,ダンテが到達した,その真の意味は見失われたまま,「バベルの塔」の逸話は「諸言語の発生」を語るものとして流通した.それに呼応するように,十三世紀になると,以前にはほとんど見られなかった「バベルの塔」の図像が現れ,ダンテが『俗語論』を書いた十四世紀以降は劇的に増加していく.そうして言語の複数性を強く意識させられ,「バベル的状況」と呼びうる世界が出現した結果,国家間の抗争と並行して,言語間の優劣争いも激しくなる.
 バベル的状況に対する認識は,十五世紀に入ってヨハネス・グーテンベルク(一四〇〇頃--六八年)が活版印刷を開発し,一四五〇年から五六年頃までに「グーテンベルクの聖書」と呼ばれるラテン語の大判聖書を印刷して以降,以前とは比較にならないほど多くの人々に共有されていっただろう.その結果,バベル以前の言語,すなわちアダムが語った「起源の言語」にみずからの言語の正統性を求める欲望もまた激化したはずだ.


 言語の多様性と,その多様性のなかで優劣を巡る争いが生じるというのは,いかにも近代的な現象である.前者はポジティブ,後者はネガティブな側面ととらえることができそうだが,先日,ブリューゲルの「バベルの塔」(ボイマンス美術館版)を見て感じたのは,この二面性である.塔の偉容に感じられる人間の技術の粋というポジティブな側面と,塔の上部に懸かる怪しげな暗雲の醸すネガティブな側面.この両義的な雰囲気は,ブリューゲルに2世紀も先立つ時代のヨーロッパに,すでに芽生えていたと考えるべきかもしれない.多様性とは各々の独立性でもあり,それは互いの競合を促すことにもつながる.多様かつ平等というのは,実に難しいことである.
 「#2962. ブリューゲル「バベルの塔」はオランダ語の権威づけをもくろんでいたか?」 ([2017-06-06-1]) も参照されたい.

 ・ 互 盛央 『言語起源論の系譜』 講談社,2014年.

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2017-06-10 Sat

#2966. 英語語彙の世界性 (2) [lexicology][loan_word][borrowing][statistics][link]

 英語語彙の世界性について,1年ほど前の記事 ([2016-06-24-1]) で様々なリンクを張ったが,その後書き足した記事もあるので,リンク等をアップデートしておきたい.記事を読み進めていけば,英語語彙史の概要が分かる.

1  数でみる英語語彙
  1.1  語彙の規模の大きさ (#898)
  1.2  語彙の種類の豊富さ (##756,309,202,429,845,1202,110,201,384)
  1.3  英語語彙史の概略 (##37,1526,126,45)
2  語彙借用とは?
  2.1  なぜ語彙を借用するのか? (##46,1794)
  2.2  借用の5W1H:いつ,どこで,何を,誰から,どのように,なぜ借りたのか? (#37)
3  英語の語彙借用の歴史 (#1526)
  3.1  大陸時代 (--449)
    3.1.1  ラテン語 (#1437)
  3.2  古英語期 (449--1100)
    3.2.1  ケルト語 (##1216,2443)
    3.2.2  ラテン語 (#32)
    3.2.3  古ノルド語 (##2625,2693,340,818)
    3.2.4  古英語本来語のその後 (##450,2556,648)
  3.3  中英語期 (1100--1500)
    3.3.1  フランス語 (##117,1210)
    3.3.2  ラテン語 (##120,1211)
    3.3.3  中英語の語彙の起源と割合 (#985)
  3.4  初期近代英語期 (1500--1700)
    3.4.1  ラテン語 (##478,114,1226)
    3.4.2  ギリシア語 (#516)
    3.4.3  ロマンス諸語 (##2385,2162,1411,1638)
  3.5  後期近代英語期 (1700--1900) と現代英語期 (1900--)
    3.5.1  語彙の爆発 (##203,616)
    3.5.2  世界の諸言語 (##874,2165,2164)
4  現代の英語語彙にみられる歴史の遺産
  4.1  フランス語とラテン語からの借用語 (#2162)
  4.2  動物と肉を表わす単語 (##331,754)
  4.3  語彙の3層構造 (##334,1296,335,1960)
  4.4  日英語の語彙の共通点 (##1645,296,1630,1067)
5  現在そして未来の英語語彙
  5.1  借用以外の新語の源泉 (##873,874,875)
  5.2  語彙は時代を映し出す (##625,631,876,889)


 英語語彙史を大づかみする上で最重要となる3点を指摘しておきたい.

  (1) 英語語彙史は,英語と他言語の交流の歴史と連動している
  (2) 語彙借用の動機づけは「必要性」のみではない
  (3) 語彙借用により類義語が積み上げられていき,結果として3層構造が生じた

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2017-06-09 Fri

#2965. Swift を批判した女性アングロサクソン学者 Elizabeth Elstob [swift][academy]

 「#2759. Swift によるアカデミー設立案が通らなかった理由」 ([2016-11-15-1]) で,Swift のアカデミー設立の提案に意義を唱えた John Oldmixon について触れた.そこでは,Oldmixon が Swift への唯一の反対者であるとする Baugh and Cable の主張を引用したが,実際には Swift の英語蔑視に近い英語観に不快感を示す同時代人は他にも確かにいた.Swift は,英語の単音節性などを指摘しつつ,英語を卑俗言語と軽んじていたが,16世紀以来実績を積んでいたアングロサクソン学の世界からは,そのような Swift の英語観に対する反発の声が上がっていた.その代表者の1人が先の John Oldmixon (1673--1742) だったが,もう1人注目すべき研究者――女性研究者――として Elizabeth Elstob (1683--1756) の名前を挙げないわけにはいかない.
 Swift の英語蔑視の根拠は,上にも述べたように,単音節性というような表面的な特徴にあった(「#1947. Swift の clipping 批判」([2014-08-26-1]) を参照).これは明らかに偏見に満ちた視点であり,Swift のなかでは英語のみならずゲルマン諸語全般への蔑視とロマンス諸語の称揚が密接に結びついたかたちで存在していた.要するに,言語に対する偏見と無理解があったのである.アングロサクソン学者に対しても「低能で勤勉」という侮蔑的な評価を与えており,学者たちの怒りを買う始末となった.
 Elstob は,そんな怒れるアングロサクソン学者の1人だった.予想されるように,当時,女性のアングロサクソン研究者というのは稀である.女性は同時代の英語の読み書きができれば十分という時代に,古英語の文献を読みこなすばかりか,編集し,出版してしまうほどであるから,その才気煥発ぶりは推して知るべしである.1715年には古英語の本格的な文法書 The Rudiments of Grammar for the English Saxon Tongue を出版したが,その序文こそが,アングロサクソン学を軽視する Swift への反論という体裁をとっていたのである.
 Elstob は,その序文で,Swift の個人名こそ挙げていないが「教養ある人たち」という表現で暗に Swift を指し,彼の無知蒙昧さを批判した.単音節性の問題については,ラテン単語の多くが単音節語であると返しつつも,単音節性はむしろ美徳であると反駁した.Elstob は,Swift を相手取ってアングロサクソン学界の思いを代弁したともいえる.
 Elstob の批判が決定的に利いたからというわけではないが,Swift のアカデミー設立の提案は,Elstob の古英語文法書の出版時までには,事実上,成功の見込みを失っていた.1714年に,提案の理解者であった Anne 女王が亡くなっていたからである.しかし,Elstob や Oldmixon のような「政敵」がいなければ,Swift は順調にことを進めることができたという可能性はある.いまだに英語圏に英語を統制するアカデミーが良くも悪くも存在しないのは,18世紀初頭に Elstob のようなアングロサクソン学者が地味ながらも地道な研究を続けていたことが,いくらか関わっているのかもしれない.
 以上,武内著の第13章「国語浄化大論争:スウィフト vs. エルストッブ」を参照して執筆した.

 ・ 武内 信一 『英語文化史を知るための15章』 研究社,2009年.

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2017-06-08 Thu

#2964. calling 「天職」 [reformation][german][bible][semantic_borrowing]

 英語の calling は,格式張ったレジスターで「天職,職業」を意味する.動詞 call の名詞形として,「呼ぶこと」の語義では初期中英語から文証されるが,「天職」の語義は16世紀前半のことである.OED によると,この語義 (8c) での初例は以下の通り.

c. A profession devoted to the service of God; an office or position within the church. Hence in extended use: any profession or way of life which a person feels called or destined to pursue.
. . . .
1544 R. Tracy Supplycacion to Kynge Henry VIII sig. Bviiiv, As the byshop is ignorante in Godes worde, so he admytteth suche as be vnlerned in Gods worde, evyn suche as by noo possybylite can execute the office of their callinge.


 「神による召喚」であるから,聖書と結びつけられている表現であることが予想される.実際,例えば KJV より 1 Cor. 7.20 に,"Let every man abide in the same calling wherein he was called." と見える.
 「神による召喚」から「天職」への意味変化は,英語の calling のみならず,ドイツ語 Beruf にも見られる.いや,正確にいえば,ドイツ語に発した意味変化が,対応する英語に及んだというべきである.つまり,一種の意味借用 (semantic_translation) だ.オランダ語 beroep,デンマーク語 kald,スウェーデン語 kallelse も同様である.
 ドイツ語をはじめとするゲルマン諸語での意味変化は,16世紀のルターによる宗教改革を抜きにしては考えられない.プロテスタンティズムという大きな社会運動とそれに伴う聖書翻訳こそが,この意味変化の駆動者である.マックス・ヴェーバーの名著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 (96--97) より,Beruf の語義について解説した箇所を引用しよう(訳書の傍点は太字で示してある).

さて,〔「職業」を意味する〕ドイツ語の「ベルーフ」》Beruf《というのうちに,また同じ意味合いをもつ英語の「コーリング」》calling《という語のうちにも一層明瞭に,ある宗教的な――神からあたえられた使命 (Aufgabe) という――観念がともにこめられており,個々の場合にこの語に力点をおけばおくほど,それが顕著になってくることは見落としえぬ事実だ.しかも,この語を歴史的にかつさまざまな文化国民の言語にわたって追究してみると,まず知りうるのは,カトリック教徒が優勢な諸民族にも,また古典古代の場合にも,われわれが〔世俗的な職業,すなわち〕生活上の地位,一定の労働領域という意味合いをこめて使っている》Beruf《「天職」という語と類似の語調をもつような表現を見出すことができないのに,プロテスタントの優勢な諸民族の場合にはかならずそれが存在する,ということだ.さらに知りうるのは,その場合何らか国語の民族的特性,たとえば「ゲルマン民族精神」の現われといったものが関与しているのではなくて,むしろこの語とそれがもつ現在の意味合いは聖書の翻訳に由来しており,それも原文の精神ではなく,翻訳者の精神に由来しているということだ.ルッターの聖書翻訳では,まず「ベン・シラの知恵」〔旧約聖書外典中の一書〕の一個所(一一章二〇,二一節)で現代とまったく同じ意味に用いられているように思われる.その後まもなくこの語は,あらゆるプロテスタント諸民族の世俗の用語のなかで現在の意味をもつようになっていったが,それ以前にはこれら諸民族の世俗的文献のどれにもこうした語義の萌芽はまったく認められないし,宗教的文献でも,われわれの知りうるかぎり,ドイツ神秘家の一人のほかにはそれを認めることができない.この神秘家がルッターにおよぼした影響は周知のとおりだ.


 大きな文化史的事件が,小さな語の意味変化を生じさせた顕著な例である.

 ・ マックス・ヴェーバー(著),大塚 久雄(訳) 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 岩波書店,1989年.

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2017-06-07 Wed

#2963. Palmerston English [esl][world_englishes][map][variety][history]

 ニュージーランドの北東約3000kmに浮かぶクック諸島 (Cook Islands) は,ニュージーランドと自由連合を組む自治国である.国名は,Captain Cook が1773年にこの諸島に上陸したことにちなむ.1888年にイギリスの属領となった後,1901年にはニュージーランドの属領へ移行し,1965年に内政自治権を獲得した.1万7千人程度の人口があり,その8割程度がポリネシア系のクック諸島マオリ族である.クック諸島マオリ語と英語がともに公用語となっている.以下,地図を掲載(広域図は「#2215. Niue,英語を公用語としてもつ最小の国(最新版)」 ([2015-05-21-1]) を参照).

Map of Cook Islands

 首都 Avarua のある Rarotonga 島の北西400kmほどのところに,Palmerston Island という島が浮かんでいる.ここでは,成立過程のよく知られている Palmerston English と呼ばれる英語変種が話されている.Trudgill (100) の記述を借りよう.

Palmerston English is spoken on Palmerston Island (Polynesian Avarau), a coral atoll in the Cook Islands about 250 miles northwest of Rarotonga, by descendants of Cook Island Maori and English speakers. William Marsters, a ship's carpenter and cooper from Gloucestershire, England, came to uninhabited Palmerston Atoll in 1962. He had three wives, all from Penrhyn/Tongareva in the Northern Cook Islands. He forced his wives, seventeen children and numerous children to use English all the time. Virtually the entire population of the island today descends from the patriarch. Palmerston English has some admixture from Polynesian but is probably best regarded as a dialectal variety of English rather than a contact language.


 その他,クック諸島の基本情報は,CIA: The World Factbook による Cook Islands外務省のクック諸島基礎データを参照.

 ・ Trudgill, Peter. A Glossary of Sociolinguistics. Oxford: Oxford University Press, 2003.

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2017-06-06 Tue

#2962. ブリューゲル「バベルの塔」はオランダ語の権威づけをもくろんでいたか? [bible][tower_of_babel][dutch][hebrew][history_of_linguistics][language_myth]

 ここ1ヶ月ほどの間に,「バベルの塔」絡みの記事をいくつか書いてきた(tower_of_babel) .東京都美術館ブリューゲル「バベルの塔」展が開催されているのに引っかけて書いてきたのだが,先日,ようやくその美術館への訪問を果たした.
 ブリューゲルの「バベルの塔」(ボイマンス美術館版)の実物を鑑賞するに当たって,事前にいくつかの評論を参照したが,実に多様な味わい方があるようだ.なぜブリューゲルはあのような塔をあのような背景とともに描いたのか.なぜ1568年頃という時期に描いたのか.その意図は何なのか.聖書に従った悲観的な構想なのか,あるいはそれを逆手に取った楽観的な視点があったのか,あるいは両方か.評論を読んでも実物を見ても,つかめないままである.
 ブリューゲルの「バベルの塔」を,16世紀ヨーロッパ諸国の俗語賞揚と国民言語の確立という言語を取り巻く社会的風潮の観点から読み解こうとしたものに,互による議論がある.それを紹介しよう.
 当時のヨーロッパの近代国家は,ラテン語のくびきから解放され,代わって俗語 (vernacular) が国語 (national language) として台頭してくるという潮流のなかにあった.国家として独立していることを内外に知らしめる手段として,権威ある国語の盤石な確立が急務と考えられていた.強国であれば,国語を選択・制定したうえで権威づけし,国民に広く教育・強制することが可能だろう.例えば,強国フランスは,フランス語をそのような地位に置くのに,それほどの時間とエネルギーを要しなかった.国家に実力があれば,国語にも実力を持たせられる.
 しかし,実力の劣る国々,特にプロテスタント諸国家は,国語の確立に手間取った.そこで,彼らが自国語を権威づける方法として採用したのは,聖書の伝統により神の権威が付随しているみなされ,人類の原初の言語と考えられていたヘブライ語を引き合いに出し,自国語との言語的関連性をまことしやかに説くという戦略だった.こうして,ドイツ語やオランダ語があちらこちらでヘブライ語と結びつけられるようになった.
 オランダ語の権威づけの試みについて,互 (83--85) の記述を引用する.

一五六八年以降,スペインの支配から脱するため,八十年に及ぶ独立戦争を強いられたネーデルラントでは,開戦翌年にあたる一五六九年,アントウェルペンで町医者として活動しながら言語および古代の研究に情熱を注いだヨハンネス・ゴロピウス・ベカヌス(ヤン・ファン・ホルプ)(一五一九--七二年)が『アントウェルペンの起源 (Origines Antwerpianae)』を公刊し,原初の言語は「神」から吹き込まれたものであり,そこでは言葉と事物は有縁的な関係をもっていた,そしてそうした関係の典型はオランダ語に見出される,と説いた.理由はといえば,アントウェルペン人の祖先であるキンブリ人はヤペトの直系の子孫であり,ヤペトの子孫は「バベルの塔」の下にいなかったために言語の混乱を免れ,かくしてアントウェルペン人だけがアダムの言語を保存した,というものである.ゴロピウス・ベカヌスは,語源による説明を試みながら,オランダ語が単音節語を多くもっていること,音の豊かさの点で他のあらゆる言語にまさっていること,複合語を生み出す力をもっていることを根拠に自説を証明しようとした.同様の試みは十七世紀に入っても見られ,一六二〇年に刊行されたアドリアン・ファン・デア・スリーク(一五六〇--一六二一年)の『敵対者たちの書 (Adversariorum libri)』では,「いかにヘブライ語は神的で原初のものであるか」,「どのようにしてそのあとすぐにチュートン語〔オランダ語〕が生じるのか」の証明が試みられている.
 このとき,今日まで最もよく知られる「バベルの塔」を描いたピーテル・ブリューゲル(一五二五頃--六九年)が,ゴロピウス・ベカヌスと同じ時代に同じアントウェルペンで活動したフランドルの画家だったという事実の意味に気づくだろう.ブリューゲルが描いた現存する二枚の《バベルの塔》は一五六三年の作だが,さらに見渡して十六世紀から十七世紀にかけて多くの「バベルの塔」の絵画を残した者を探すなら,ヘンドリク・ファン・クレーヴ(一五二五--八九年)にしても,アベル・グリマー(一五七〇--一六二〇年)にしても,アントウェルペンで活動したフランドルの画家である.むろん,これは偶然の一致ではない.言語の混乱に象徴される人々の混乱と不安定な状況を,この事実は示している.そうしてヨーロッパでは,各地に「バベルの塔」が乱立した.


 俗語賞揚と国民言語の確立を急務と考えていた点では,もちろんイギリスも例外ではない.イギリスも,様々な策を弄して国語たる英語の権威づけに腐心した.いずれの近代国家も,そこに国運の多くをかけていたといっても過言ではない.そして,その後,近代国家間の競争を経て,最終的に優位に立ったのがイギリスであり,それによって国際的な権威の高まったのが英語であった.斜めの角度からではあるが,ブリューゲル「バベルの塔」は,英語史的にも鑑賞しうる.

 ・ 互 盛央 『言語起源論の系譜』 講談社,2014年.

Referrer (Inside): [2017-06-11-1]

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2017-06-05 Mon

#2961. ルネサンスではなく中世こそがラテン語かぶれの時代? [renaissance][emode][loan_word][latin][inkhorn_term][periodisation]

 英語史では,初期近代英語期,つまり文化でいうところのルネサンス期は,大量のラテン語彙が借用された時代として特徴づけられている.当時のインク壺語 (inkhorn_term) を巡る論争は本ブログでも多く取り上げきたし,まさに「ラテン語かぶれ」の時代だったことに何度も言及してきた.
 しかし,昨日の記事「#2960. 歴史研究における時代区分の意義」 ([2017-06-04-1]) で参照した西洋中世史家のル・ゴフは,むしろ中世のほうがラテン語かぶれしていたという趣旨の議論を展開している.以下,関連箇所 (104--05) を引用する.

やはり古代ローマの延長線上で,中世は言語に関するある大きな進歩をとげる.聖職者と世俗エリートの言語であったラテン語が,キリスト教化されたあらゆる地域に広められたのである.古典ラテン語からみれば変化していたものの,このラテン語はヨーロッパの言語的統一を基礎づけ,この統一は十二・十三世紀よりあとでさえも残ったのである.しかしこの頃,社会の最下層の日常生活で,時代にそぐわないこのラテン語に代わり,たとえばフランス語のような俗語が用いられるようになる.中世は,ルネサンスよりもはるかに「ラテン語」時代なのだ.


 中世こそがラテン語かぶれの時代であるという主張は,一見矛盾する物言いにも聞こえるが,ここでは「ラテン語」「かぶれ」の意味が異なっている.中世において,「ラテン語」とは古典ラテン語というよりは,主として中世ラテン語,あるいは俗ラテン語である.また,中世では,知識階級が意識的にラテン語に「かぶれ」ていたというよりは,むしろキリスト教化した地域が風景の一部としてラテン語を取り込んでいたという意味において「かぶれ」方が自然だったということだ.
 別の角度からこの問題を考えれば,「ラテン語」「かぶれ」の解釈の違いをあえて等閑に付しさえすれば,みかけの矛盾は解消され,中世もルネサンスもともに「ラテン語かぶれ」の時代と言いうる,ということになる.これは,両時代の間に断絶ではなく連続性をみる方法の1つだろう.
 ひるがって英語史に話を戻そう.ラテン単語の借用は,確かに初期近代英語期に固有の特徴などではなく,中英語期にも,古英語期にも,古英語以前の時期にも見られた.さらに言えば,後期近代英語でも現代英語でも見られるのである(「#2162. OED によるフランス語・ラテン語からの借用語の推移」 ([2015-03-29-1]) を参照).時代によって,ラテン語彙借用の質,量,文脈はそれぞれ異なることは確かだが,これらを合わせて英語史に通底する一貫した流れとみなし,伝統の連続性を見出すことは,まったく可能であるし,意義がある.
 各時代のラテン語彙借用については,以下の記事を参照.

 ・ 「#1437. 古英語期以前に借用されたラテン語の例」 ([2013-04-03-1])
 ・ 「#1945. 古英語期以前のラテン語借用の時代別分類」 ([2014-08-24-1])
 ・ 「#32. 古英語期に借用されたラテン語」 ([2009-05-30-1])
 ・ 「#120. 意外と多かった中英語期のラテン借用語」 ([2009-08-25-1])
 ・ 「#1211. 中英語のラテン借用語の一覧」 ([2012-08-20-1])
 ・ 「#478. 初期近代英語期に湯水のように借りられては捨てられたラテン語」 ([2010-08-18-1])
 ・ 「#2162. OED によるフランス語・ラテン語からの借用語の推移」 ([2015-03-29-1])
 ・ 「#2385. OED による,古典語およびロマンス諸語からの借用語彙の統計 (2)」 ([2015-11-07-1])

 ・ ジャック・ル=ゴフ(著),菅沼 潤(訳) 『時代区分は本当に必要か?』 藤原書店,2016年.

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2017-06-04 Sun

#2960. 歴史研究における時代区分の意義 [periodisation][renaissance][historiography]

 英語史,あるいは一般に個別言語史の時代区分の問題について,periodisation の記事で考察してきた.この問題に迫るには,さらに一般的な意味における歴史の時代区分について考えなければならない.その参考とすべく,ル=ゴフ(著)『時代区分は本当に必要か?』を読んだ.
 著者は,西洋史においてルネサンスとは,中世の次に来る新時代と理解すべきではなく,18世紀半ばまで続く長い中世の最終期を飾る出来事にすぎないとし,従来の時代区分の見直しを迫っている.それによると,西洋の近代は18世紀半ばから始まることになる.また,昨今のグローバル化を適切に取り込んだ新しい歴史の時代区分が必要だとも主張している.著者は,時代区分とは,本来は区切り得ない連続体としての時間を何とか区切ってとらえるために積極的に利用すべき道具であり,その道具は柔軟でなければならない,という立場を取っている.以下,ル・ゴフからの引用集.

この言葉〔=「時代区分」〕が示すのは人間が時間に対して働きかける行為であり,その区切りが中立ではないという事実が強調されている.本書では,人間が時間を時代に区切った際のさまざまな理由を明らかにしていく.その理由がどの程度あからさまで,はっきり自認されたものかは場合によるが,しばしばそこには,彼らが時代に与える意味と価値を浮き彫りにするような定義が添えられている.
 時間を時代に区切ることが歴史にとって必要であるのは,歴史を,社会の進化の研究,または特殊なタイプの知や,あるいはまた単なる時間の推移という,一般的意味でとらえる場合である.だがこの区切りは,単に時間的順序をあらわすものではない.そこには同時に,移行や転換があるという考え,それどころか前の時代の社会や価値観の否定さえもが表現されているのだ.したがって時代には特別な意味がある.時代の推移そのもの,あるいはその推移が想像させる時間的連続やその逆に切断がもたらす問題において,時代は歴史家の重要な問いなおしの対象となっているのである. (12--13)


時代区分は,時間をわがものとするための,いやむしろ時間を利用するための助けになるが,ときにはそこから過去の評価にまつわるさまざまな問題が浮かびあがる.歴史を時代に区分けするということは,複雑な行為である.そこには主観性と,なるべく多くの人に受け入れられる結果を生み出そうとする努力とが,同時に込められている.これはたいへんに面白い歴史の研究対象であると私は思う. (15)


時代区分は人為であり,それゆえ自然でもなければ,永久不変でもない.歴史そのものの移り変わりとともに,時代区分も変わる.そういう意味で,時代区分の有用性には二つの側面がある.時代区分は過去の時間をよりよく支配するのに役立つが,また,人間の知が獲得したこの歴史という道具のもろさを浮き彫りにもしてくれるのである. (36)


文化がグローバル化し西洋が中心的地位を失ったいま,歴史の時代区分の原則は今日問題視されるようになっているが,時代区分は歴史家にとって必要な道具だということを,私は示したいと思っている.ただ,時代区分はより柔軟に用いなければならない.人が「歴史の時代区分」をはじめて以来欠けていたのは,その柔軟さなのだ. (100--01)


歴史の時代区分を保つことは可能であり,私は保たなければいけないのだと思う.現在の歴史思想を貫いている二つの大きな潮流,長期持続の歴史とグローバル化(後者はおもにアメリカのワールドヒストリーから生まれている)は,どちらも時代区分の使用をさまたげるものではない.くりかえして言うが,計られない持続と計られる時間は共存している.時代区分は,限られた文明領域にしか適用することができない.グローバル化とは,そのあとにこれらのまとまりのあいだの関係を見つけることなのだ.
 じっさい歴史家は,よくあることだが,グローバル化と画一化を混同してはならないのだ.グローバル化には二つの段階がある.まずは互いに知らない地域や文明のあいだにコミュニケーションが生じ,関係が確立される.つづいて,吸収され溶解していく現象が起こる.今日まで人類が体験したのは,このうちの第一段階のみである.
 このように時代区分は,今日の歴史家の研究と考察がくりひろげられる重大な一分野になっている.時代区分のおかげで,人類がどんなふうに組織され進化していくのかが明らかになるのである.持続のなかで,時のなかで. (187--88)


 英語史の時代区分を念頭に置きつつ,私も時代区分とはあくまで便利な道具であり,時と場合によって柔軟に変更すべきものと考えている.だからといって,時代区分の価値を認めていないわけではまったくなく,むしろ歴史の把握と記述のために慎重に用いるべき装置だろう.リンガ・フランカとしてグローバル化する英語という言語の歴史を研究するにあたって,その時代区分の意義は,真剣に考えておく必要があると思う.
 英語史の時代区分を巡る一般的な問題については,とりわけ「#2640. 英語史の時代区分が招く誤解」 ([2016-07-19-1]),「#2774. 時代区分について議論してみた」 ([2016-11-30-1]) を参照されたい.

 ・ ジャック・ル=ゴフ(著),菅沼 潤(訳) 『時代区分は本当に必要か?』 藤原書店,2016年.

Referrer (Inside): [2017-07-08-1] [2017-06-05-1]

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2017-06-03 Sat

#2959. 知的精神活動としての数学,漢字,言語 [kanji][mathematics][semiotics][category][linguistics]

 『物語 数学の歴史』を著わした加藤 (37) は,知的精神活動としての数学の特質として以下を挙げている.

 ・ 人間精神が抽象し切り出してきた知的対象を実体化して扱うこと.
 ・ 対象の認識に関する以下の2点について一般的なコンセンサスがあること.
  ――ミクロ的側面:対象を取り扱う際の局所的な流れの基調.
  ――マクロ的側面:体系全体の整合性や大局的価値を判断する基準.


 数学の場合,最初の点は,「数」という抽象物を具体物であるかのように扱うことに相当する.2つ目の点については,ミクロ的側面とは計算方法や論証方法などを指し,マクロ的側面とは数学について直観される審美性や存在感のようなものを指す.このようなマクロ的側面は,人類にとって唯一無二ものではなく,むしろ古今東西の文明の各々がもっている独自の「数学らしさ」に対応する.
 さて,この知的精神活動の諸特質が関心を引く点は,それが数学や自然科学以外にも適用され得ることである.加藤 (38--39) は,その1例として漢字の体系を挙げている.

我々は白川静氏の著作の数々から,漢字というものが古代中国人の呪術式精神世界から切り出された高度に抽象的な概念的象徴であること,そしてそれらは存在の自己表現の形式そのものとしての実体性を持つことを学ぶことができる.のみならず,会意や仮借といった,いわゆる六書による演繹で自己生成し,その体系が広がっていくこと,そしてそれが実在の概念化と客観化という対応規則を通して,現実の世界と不可分の関係にあることを実感することができる.

漢字はその歴史を通じて,単なる文字記号としてのみ機能するというものではなかった.それは文字記号であるとともに,また美の様式の実現の場であり,それを通じての美の思想の表現でさえあることができた.〔白川 静 『漢字百話』 中公新書 (1978) 159--160頁〕


これは漢字の体系が,古代中国における美の自然科学であったことを雄弁に物語っている.


 実際のところ,上の知的精神活動の特質は,数学や漢字のみならず,多くの学問や記号体系に見られるものではないか.言語(学)も然り.そこでは,言語という抽象的な存在が,具体的な要素の集合として実体化される.また,言語の様々なレベルで局所的に作用する「文法」と呼ばれる規則が想定されている.そして,言語は全体として1つの世界観を構成している.
 さらに,言語体系自体が知的精神活動の複合体であるとみなすこともできそうだ.例えば,文法性,数,格,法,態などの文法範疇 (category) の各々が,上記の特質を有する1つの知的精神活動であると考えることができる.
 「言語らしさ」を体現する要素は何か.この問いに対する可能な答えの数だけ,言語学(説)も存在するのかもしれない.

 ・ 加藤 文元 『物語 数学の歴史』 中央公論新社〈中公新書〉,2009年.

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2017-06-02 Fri

#2958. ジャガイモ,アイルランド,英語史 [ireland][irish_english][ame][history]

 「#2954. ジャガイモの呼び名いろいろ」 ([2017-05-29-1]) で触れたように,ジャガイモは16世紀中に新大陸から旧大陸へ持ち込まれ,ヨーロッパでは17--18世紀の間に常食される穀物として定着していった.17世紀には,ヨーロッパで戦争がなかったのは4年だけといわれるほどの戦乱期であり,なおかつ気候の寒冷化にも見舞われた時期だったため,耕地の荒廃が進み,飢饉が頻発した.根菜に慣れていなかった当時のヨーロッパ人は,最初はジャガイモも気味悪がって受け付けなかったが,飢えをしのぐのに仕方なしと,徐々にこの新しい穀物を受容していった.
 ヨーロッパ諸国の中で最も早くジャガイモを受け入れたのは,アイルランドだった.アイルランド人に勇気があったというよりは,同地ではそれだけ飢饉が厳しかったということだろう.小麦の育つ肥沃なアイルランド東部の耕地は,17世紀半ばのクロムウェルによる収奪以来,イギリス人が牛耳っており,アイルランド人は狭隘で岩のごつごつした西部へ追いやられていた.ジャガイモはそのような土地でも育つ穀物として,すなわち最後の頼みの綱として,植えられ,食されたのである.
 アイルランドにおけるジャガイモ導入の効果は甚大だった.1780年に約400万人だった人口は,1841年には倍増していた.しかし,その直後の1845--48年にジャガイモ疫病がヨーロッパ中に広まり,アイルランドは最大の打撃を受けた.ジャガイモ単作(モノカルチャー)が仇となったのである.このジャガイモ飢饉 (The Great Famine; An Gorta Mór) は,アイルランドに100万人ともいわれる餓死者を出すとともに,多数の人口がアメリカへ移民する契機ともなった.
 アイルランドのジャガイモ飢饉は,疫病という天災とモノカルチャーが主要因とされるが,伊藤 (64) は「社会構造が生んだ飢饉」であり「英国によってつくられた飢饉」であるという.「アイルランドのジャガイモ単作(モノカルチャー)のゆえに起こったのだといわれる.しかし,英国による土地と作物の厳しい収奪のもと,残された石と岩盤だらけの狭隘な土地でアイルランド国民が生き残るには,ジャガイモ単作という選択しかなかったのだ」.
 では,新穀物の導入から飢饉に至る一連のアイルランド・ジャガイモ史は,英語の歴史とどのような関係にあるだろうか.飢饉を生き延びたアイルランド人は,この後,独立の道を歩み出し,言語的にはアイルランド英語 (irish_english) という独特な英語変種を確立していった.また,飢饉に押し出されるようにアメリカへ移住して生き延びたアイルランド人たちは,著しい民族集団としてアメリカ社会に根を張り,言語的にはアメリカ英語の形成にもおそらく一定の貢献をなした.イギリス人によるアイルランド支配は,皮肉にも,イギリス変種と並んで世界的に知られる2つの母語英語変種の発達を間接的に推進したことになる.
 アイルランド(英語)の歴史については,以下の記事も参照されたい.

 ・ 「#328. 菌がもたらした(かもしれない) will / shall の誤用論争」 ([2010-03-21-1])
 ・ 「#327. Irish English が American English に与えた影響」 ([2010-03-20-1])
 ・ 「#762. エリザベス女王の歴史的なアイルランド訪問」 ([2011-05-29-1])
 ・ 「#2361. アイルランド歴史年表」 ([2015-10-14-1])

 ・ 伊藤 章治 『ジャガイモの世界史』 中央公論新社〈中公新書〉,2008年.

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2017-06-01 Thu

#2957. 「バベルの塔」と言語の多様化 [tower_of_babel][variation][history_of_linguistics][dialectology][language_contact][geolinguistics]

 ユダヤ・キリスト教の伝統によれば,本来唯一のものであった人間の言語,すなわち "the language" は,「バベルの塔」の事件を契機にバラバラに離散し,複数の言語,すなわち "languages" となったとされる.この伝統的言語観は,西洋の言語起源論と言語拡散論において大きな影響を及ぼしてきたが,近代になると,これに対する批判的な見解も立ち現れてきた.
 この点において,18世紀の思想家で言語の起源についての書も著わした Jean-Jacques Rousseau (1712--78) の見解は,言語学史的に興味深い.ルソーは,アダムの話していた原初の言語の系列は現在残っていないのではないか,また「バベルの塔」以前にも諸言語が離散していたのではないかと考えていた節がある.Mufwene (20) の解説を引こう.

Rousseau questioned the Adamic hypothesis on the origins of modern language, arguing that the language that God had taught Adam and was learned by the children of Noah perished after the latter abandoned agriculture and scattered. Modern language is therefore a new invention . . . . Rousseau may have been concerned more about the diversification of the language that Noah's children had spoken before they dispersed than about the origins of language itself. He assumed the speciation to have happened before the Tower of Babel explanation in the Judeo-Christian tradition.


 もちろん現代の視点からみれば,ルソーのこの見解は,言語史上の知見を深めてくれるというよりは,言語学史上の意義をもつに過ぎない.しかし,言語はある程度の期間,自然状態に置かれれば,離散して多様化していくものであるという,現代の常識的な見方を先取りしたものとして評価に値する.
 Mufwene (20) は,昨今,人間の言語能力の発現についての議論は盛んだが,言語の多様化については十分に議論されていないと指摘している.確かに,言語多様化の過程については,マクロにもミクロにも,言語学としてもっと本質的な考察がなされてしかるべきとは感じる.関連して,方言の形成,言語接触,言語地理学などのキーワードが思い浮かぶ.

 ・ Mufwene, Salikoko S. "The Origins and the Evolution of Language." Chapter 1 of The Oxford Handbook of the History of Linguistics. Ed. Keith Allan. Oxford: OUP, 2013.

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最終更新時間: 2018-09-27 05:09

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