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最終更新時間: 2019-09-16 11:05

2019-07-26 Fri

#3742. ウェールズ歴史年表 [wales][welsh][timeline][history]

 「#1715. Ireland における英語の歴史」 ([2014-01-06-1]),「#2361. アイルランド歴史年表」 ([2015-10-14-1]) の記事で,アイルランドと英語の歴史を概説した.そのウェールズ版について,これまでの記事で「#1718. Wales における英語の歴史」 ([2014-01-09-1]) などは書いてきたが,「ウェールズ歴史年表」はまだ掲げていなかったので,ここに略年表を示そう.以下は,桜井(著)『物語 ウェールズ抗戦史』の巻末の年表 (249--51) より.ウェールズがイングランドに併合される1536年より前までの歴史で,かつ時期によって扱いの濃淡もあるが,簡便で有用な略年表である.

60〜61年頃イケニ族の女王ボウディッカの反乱
410年ローマのブリテン島撤退
5世紀半ばアングロサクソン人のブリテン島侵入始まる
476年ローマ帝国(西ローマ帝国)滅亡
5世紀終わり〜6世紀初めアンブロシウス・アウレリアヌス率いるブリトン人がベイドンの丘でアングロサクソン人に完勝
634年グウィネズ王カドワロン,ノーサンブリア王国を征服
900〜950年ハウエル善良王の治世
1057年頃グリフィズ・アプ・サウェリンの全ウェールズ統一
1066年ノルマンの征服
 ノルマン人のウェールズ侵攻開始
1093年ノルマン人によるデハイバース王フリース・アプ・テウドゥールの殺害
1107〜1111年フランドル人のウェールズ南西部移住
1155年フリース・アプ・グリフィズ(ロード・フリース),デハイバース王に即位
1174年ジェラルド・オブ・ウェールズ,ブレコンの副司教に就任
1176年ジェラルドの第1回セント・デイヴィッズ司教選挙始まる
1195年グウェンウィンウィン,ポウィス王に即位
1198〜1203年ジェラルドの第2回セント・デイヴィッズ司教選挙
1199サウェリン・アプ・ヨーワース(大サウェリン),北ウェールズ大公を名乗る
1218年大サウェリン,イングランドとウースター条約を結ぶ
1258年サウェリン・アプ・グリフィズ(最後のサウェリン),ウェールズ大公を名乗る
1276〜1277年第1次ウェールズ征服戦争
1282〜1283年第2次ウェールズ征服戦争.ウェールズの政治的独立終わる
1400年オワイン・グリンドール蜂起.ウェールズ大公を名乗る
1404年オワイン,全ウェールズ規模の議会を招集
1405年オワイン,フランスと同盟
1409年ハルレッヒ城,陥落.オワインの乱の事実上の終了
1412年オワイン最後の目撃譚
1457年ヘンリー・テューダー,南西ウェールズのペンブローク城に生まれる
1461年ペンブローク城,陥落.4歳のヘンリー・テューダー,ヨーク派ウィリアム・ハーバートの保護下に
1470年ウィリアム・ハーバート敗北.ヘンリー・テューダー,叔父のジャスパーと再会
1471年14歳のヘンリー・テューダー,ブルターニュ公国に亡命
1485年8月28歳のヘンリー・テューダー,フランスから船団を率いてウェールズに戻る.ボズワースの戦いでリチャード3世を斃す
1485年10月ヘンリー・テューダー,ヘンリー7世としてイングランド国王に即位


 関連して,「#1742. 言語政策としての罰札制度 (2)」 ([2014-02-02-1]),「#3292. 史上最初の英語植民地 Pembroke」 ([2018-05-02-1]),「#3303. イングランド宗教改革の荒波をくぐりぬけたウェールズ語」 ([2018-05-13-1]) の記事も参照.

 ・ 桜井 俊彰 『物語 ウェールズ抗戦史 --- ケルトの民とアーサー王伝説』 集英社〈集英社新書〉,2017年.

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2019-07-24 Wed

#3740. ケルト諸語からの借用語 [celtic][loan_word][borrowing][lexicology][welsh][scottish_gaelic][irish]

 歴史的に,アングロサクソン人とケルト人の関係は征服者と被征服者の関係である.通常,水が下から上に流れることがないように,原則としてケルト語から英語への語彙の流入もなかった.小規模な語彙の流入があったとしても,あくまで例外的とみるべきである.
 「#1216. 古英語期のケルト借用語」 ([2012-08-25-1]) で示したものと重なるが,大槻・大槻 (58) より,アングロサクソン時代に英語に借用され,かつ現在まで生き残っているものを挙げると,bin (basket), dun (gray), ass (ass < Latin asinus) 程度のものである.また,ケルトのキリスト教を経由して英語に入ってきたものとしては clugge (bell), drȳ (magician) などがある.
 中英語期以降にも散発的にケルト諸語からの借用がみられた.以下,世紀別にいくつか挙げてみよう(W = Welsh, G = Scottish Gaelic, Ir = Irish) .質も量も地味である.

 ・ 14世紀: crag 絶壁 (G/Ir), flannel フランネル (W), loch 湖 (G).
 ・ 15世紀: bard 吟遊詩人 (G), brog 小錐 (Ir), clan 氏族 (G), glen 峡谷 (G).
 ・ 16世紀: brogue 地方訛り (Ir/G), caber 丸太棒 (G), cairn ケルン (G), coracle かご船 (W), gillie 高地族長の従者 (G), plaid 格子縞の肩掛け (G), shamrock シロツメクサ (Ir), slogan スローガン (G), whisky ウィスキー (G), usquebaugh ウィスキー.
 ・ 17世紀: dun こげ茶の (G/Ir), tory トーリー党 (Ir), leprechaun レプレホーン (Ir).
 ・ 18世紀: claymore 諸刃の剣 (G).
 ・ 19世紀: colleen 少女 (Ir), ceilidh 集い (Ir/G), hooligan ちんぴら(Ir).
 ・ 20世紀: corgi コーギー犬 (W).
 (W).

 以上,大槻・大槻 (58--59) に拠った.関連して「#2443. イングランドにおけるケルト語地名の分布」 ([2016-01-04-1]),「#2578. ケルト語を通じて英語へ借用された一握りのラテン単語」 ([2016-05-18-1]) を参照.

 ・ 大槻 博,大槻 きょう子 『英語史概説』 燃焼社,2007年.

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2018-05-13 Sun

#3303. イングランド宗教改革の荒波をくぐりぬけたウェールズ語 [reformation][celtic][linguistic_imperialism][emode][welsh][wales][history][bible][book_of_common_prayer]

 「#3100. イングランド宗教改革による英語の地位の向上の負の側面」 ([2017-10-22-1]) で,16世紀のイングランド宗教改革により,アイルランド,ウェールズ,コーンウォルでは英語の権威は高まったが,ケルト諸語の地位は落ちたと述べた.一方,ウェールズに関しては,「#1718. Wales における英語の歴史」 ([2014-01-09-1]) でみたように,聖書と祈祷書がウェールズ語に翻訳されたため,ウェールズ語がある程度保持される結果となったとも述べた.ウェールズ語については,宗教改革の影響により地位が貶められたのか,保持されたのか,どちらなのだろうか.やや複雑なウェールズの状況について,平田 (27) が明快に解説している.

 宗教関係では,ロンドンの政府は一五六三年に「聖書および祈祷書をウェールズ語に翻訳する法律」を通過させて,聖書と祈祷書をウェールズ語に翻訳させた.これは,言語から見ると諸刃の剣となった.すなわち,一方では,ウェールズ語の保持に貢献したが,その半面で,ウェールズ語は宗教の言語と見なされて,政治の世界から締め出されることになった.それは重要性を持たない言語として,農村部の小作人に残存することになった.
 つまり,一六世紀のウェールズ統治において,ウェールズ語の聖書と祈祷書により,ウェールズ人をイングランド国教会にとどめておく「国教会の政治学」が,英語を広める「英語の政治学」よりも優先していたのである.その結果,宗教儀式ではウェールズ語が使用され,この言語の存続が助長された.聖書や祈祷書の翻訳,イングランド国教会としての説教を現地語で説教できる牧師の派遣を維持することによって,皮肉なことに,抑圧するつもりだった現地語の威信が保たれた.これはイングランド側からは「歴史的失態」と呼ばれる.ウェールズ語の残存はこの「歴史的失態」に依っていた.要するに,宗教改革は,ウェールズ語の聖書をウェールズ人に与え,次の三世紀間,ウェールズ語は宗教の領域で維持された.


 つまり,宗教改革を通じて,ウェールズ語は政治の世界からは追い出されたものの,宗教の世界では命脈を保ったということだ.2つの異なる「世界」に分けて考えることで,一見すると矛盾した宗教改革のウェールズ語への影響がクリアに理解できるようになった.
 その4世紀後の20世紀中に,ウェールズにおけるウェールズ語の地位はめざましく復活していくことになるが,振り返ってみれば,それは16世紀に上記の経緯でウェールズ語の火を絶やさずに済んだからなのだろう.イングランド側にとって「歴史的失態」とみえる意味がわかる.

 ・ 平田 雅博 『英語の帝国 ―ある島国の言語の1500年史―』 講談社,2016年.

Referrer (Inside): [2019-07-26-1]

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2015-09-12 Sat

#2329. 中英語の借用元言語 [borrowing][loan_word][me][lexicology][contact][latin][french][greek][italian][spanish][portuguese][welsh][cornish][dutch][german][bilingualism]

 中英語の語彙借用といえば,まずフランス語が思い浮かび (「#1210. 中英語のフランス借用語の一覧」 ([2012-08-19-1])),次にラテン語が挙がる (「#120. 意外と多かった中英語期のラテン借用語」 ([2009-08-25-1]), 「#1211. 中英語のラテン借用語の一覧」 ([2012-08-20-1])) .その次に低地ゲルマン語,古ノルド語などの言語名が挙げられるが,フランス語,ラテン語の陰でそれほど著しくは感じられない.
 しかし,実際のところ,中英語は上記以外の多くの言語とも接触していた.確かにその他の言語からの借用語の数は多くはなかったし,ほとんどが直接ではなく,主としてフランス語を経由して間接的に入ってきた借用語である.しかし,多言語使用 (multilingualism) という用語を広い意味で取れば,中英語イングランド社会は確かに多言語使用社会だったといえるのである.中英語における借用元言語を一覧すると,次のようになる (Crespo (28) の表を再掲) .

LANGUAGESDirect IntroductionIndirect Introduction
Latin--- 
French--- 
Scandinavian--- 
Low German--- 
High German--- 
Italian through French
Spanish through French
Irish--- 
Scottish Gaelic--- 
Welsh--- 
Cornish--- 
Other Celtic languages in Europe through French
Portuguese through French
Arabic through French and Spanish
Persian through French, Greek and Latin
Turkish through French
Hebrew through French and Latin
Greek through French by way of Latin


 「#392. antidisestablishmentarianism にみる英語のロマンス語化」 ([2010-05-24-1]) で引用した通り,"French acted as the Trojan horse of Latinity in English" という謂いは事実だが,フランス語は中英語期には,ラテン語のみならず,もっとずっと多くの言語からの借用の「窓口」として機能してきたのである.
 関連して,「#114. 初期近代英語の借用語の起源と割合」 ([2009-08-19-1]),「#516. 直接のギリシア語借用は15世紀から」 ([2010-09-25-1]),「#2164. 英語史であまり目立たないドイツ語からの借用」 ([2015-03-31-1]) も参照.

 ・ Crespo, Begoña. "Historical Background of Multilingualism and Its Impact." Multilingualism in Later Medieval Britain. Ed. D. A. Trotter. Cambridge: D. S. Brewer, 2000. 23--35.

Referrer (Inside): [2015-10-22-1]

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2014-02-02 Sun

#1742. 言語政策としての罰札制度 (2) [sociolinguistics][language_planning][welsh][wales]

 昨日の記事「#1741. 言語政策としての罰札制度 (1)」 ([2014-02-01-1]) の続き.昨日の記事では,沖縄の方言札の制度は,近代世界にみられた罰札制度の1例であると述べたが,実際にほかにも近代イギリスにおいて類例が記録されている.ウェールズとスコットランドで英語が浸透していった歴史は「#1718. Wales における英語の歴史」 ([2014-01-09-1]) と「#1719. Scotland における英語の歴史」 ([2014-01-10-1]) の記事で見たが,とりわけ19世紀後半には,公権力による英語の強制と土着言語の抑圧が著しかった.
 ウェールズの例からみよう.1846年,イングランド政府はウェールズの教育事情,とりわけ労働者階級の英語習得の実態を調査する委員会を立ち上げた.翌年の3月に,報告書が提出された.この報告書は表紙が青かったので,通称 Blue Books と呼ばれることになったが,ウェールズ人にとって屈辱的な内容を多く含んでいたために The Betrayal (or Infamous, Treason) of Blue Books とも呼称された.中村 (79) より孫引きするが,Blue Books (462) に,Welsh not (or Welsh stick or Welsh) と呼ばれる罰札の記述がある.

The Welsh stick, or Welsh, as it is sometimes called, is given to any pupil who is overheard speaking Welsh, and may be transferred by him to any schoolfellow whom he hears committing a similar offence. It is thus passed from one to another until the close of the week, when the pupil in whose possession the Welsh is found is punished by flogging. Among other injurious effects, this custom has been found to lead children to visit stealthily the houses of their schoolfellows for the purpose of detecting those who speak Welsh to their parents, and transferring to them the punishment due to themselves.


 中村 (80) は,同じことがスコットランドのゲーリック語にも適用されていたと述べている(以下,中村による M. Stephens, Linguistic Minorities in Western Europe, Gomer, 1978. p. 63. からの引用).

From the end of the nineteenth century Gaelic faced its most serious challenge --- the use of the States schools to eradicate what one Inspector called 'the Gaelic nuisance' ... The 'maide-crochaich'', a stick on a cord, was used by English-speaking teachers to stigmatise and punish children speaking Gaelic in Class --- a device which was to survive in Lewis as late as the 1930s.


 また,中村 (80) は,証明する資料は手元にないとしながらも,アメリカ南西部で1960年代の中頃までスペイン語禁止令があったということにも言及している.
 母語の抑圧のための罰札制度は,このように世界の複数の地域にあったことがわかるが,いずれも19世紀後半以降のものであるという点が興味を引く.独立発生した制度ではなく,模倣して導入された制度であると考えたくなるような年代の符合ではある.

 ・ 中村 敬 『英語はどんな言語か 英語の社会的特性』 三省堂,1989年.

Referrer (Inside): [2019-07-26-1]

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2014-01-09 Thu

#1718. Wales における英語の歴史 [history][welsh][ireland]

 「#1715. Irelandにおける英語の歴史」 ([2014-01-06-1]) に引き続き,Fennell (195--97) よりウェールズにおける英語の歴史を略述する.
 Pembrokeshire 南部は,Henry I の時代の1108年に,英語を話すイングランド・フランドル人が植民化した.その証拠に,この地域には英語風の -ton をもつ地名が多い.The Gower Peninsula も中世の時代から英語化されていた.これらの南部地域は他のウェールズ語地域から切り離されて歴史を歩んできたようだ.
 一方,中世の北ウェールズでは,スコットランドと同様に勅許自治都市が設けられ,それらの都市を中心に英語を話す市民が交易や商業を営んだ.都市部は英語,農村部はウェールズ語という分布は,中世から近代にかけて連綿と続いた.
 16世紀の Tudor 朝はウェールズの併合を狙っており,その戦略の一環として,都市部の言語である英語の権威を法律により確保した.その結果,英語は教育の言語として行き渡ることになった.しかし,最も大きな衝撃は,1536年と1542年の Acts of Union だろう.このイングランドとの連合により,法律や行政における英語使用がウェールズで義務づけられ,Elizabeth I 時代においては英語を学ぶことが出世の機会につながった.宗教関係では,1563年に聖書と礼拝がウェールズ語に翻訳され,これはウェールズ語の保持に貢献したが,その反面ウェールズ語は政治の世界から締め出されることになった.
 17--18世紀を通じて,ウェールズの英語化は徐々に進行していった.速度がゆっくりだったのは,個人のバイリンガルこそ増えたものの,英語共同体とウェールズ語共同体が混ざり合うことが少なかったからである.しかし,19世紀は産業革命と教育法 (1881) の効果で,労働者階級も英語を話す機会が増え,英語の威信が高まる一方でウェールズ語は汚名を着せられるようになった.この時代,出稼ぎ労働者がウェールズ南東部へやってきたが,その出身地は当初はウェールズ西部や北部だったものの,じきにイングランドに変わった,1901年までには,イングランド出身者はその2/3以上となっていたという.これにより,南東部の英語の浸透とウェールズ語の衰退が進行した.ウェールズにおいて英語のモノリンガルは1921年で63%,1981年で81%と推移した.現在ではモノリンガルのウェールズ語話者はいない.
 現在,ウェールズ語復興の運動が進められており,BBC放送や文学の媒体としてウェールズ語が用いられる機会はあるが,今後どうなるのかは未知数である.

 ・ Fennell, Barbara A. A History of English: A Sociolinguistic Approach. Malden, MA: Blackwell, 2001.

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