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2018-10-31 Wed

#3474. 慶友会での講演を終えて [keiyukai][hel_education]

 先週末の土日,2回にわたって大阪慶友会にて「歴史上の大事件と英語」と「英語のスペリングの不思議」と題する講演の機会をいただきました(各々 [2018-10-29-1], [2018-10-30-1] を参照).2日間にわたる趣旨として「新たな英語の見方を提案する」を掲げていました.この目的がどのくらい達成されたかは心許ないところですが,参加された方々から多くの反応をいただき,たいへん心強く感じました.参加された皆さんの学びに対する意欲と吸収しようとする意識の高さには,圧倒されました.
 講演後,講演に対して次のようなコメントをいただきました.

 ・ 苦手意識をもっていた英語に対して,ちょっと違った角度から向き合えるようになりそう.
 ・ 今までおぼろげに「なぜ英語は○○なのだろう?」と思っていた疑問が氷解した.
 ・ 今の英語も,いろいろな歴史的な事情があってこんな風になってきたんだなと分かった.
 ・ 英語に,フランス語やラテン語を仰ぎ見るような時代があったなんて!
 ・ 英語は苦手で嫌いだったけれども「英語史」はおもしろいなと思った.

 「こんなコメントを待っていました」というコメントをいただいたと思っていいます.日本では(否,世界中で)「スキルとしての英語」という捉え方が勢いを増すなかで「教養としての英語」「歴史的産物としての英語」という視点はマイノリティでしょう.しかし,背景を知ることで英語学習のモチベーションが高まったり,知的好奇心を刺激されることがあるのであれば,それは長い目で見て英語学習そのものに跳ね返ってくるはずです(そして,そもそも語学とは長い目でみないと習得できない代物です).英語史は,まさに「急がば回れ」を実践している分野だと信じています.
 英語史は,文法や綴字などについての「英語の素朴な疑問」に答えてくれるミクロな相談役であるばかりでなく,私たちが21世紀の今,いかに英語に向き合っていくべきかという疑問に指南を与えてくれるマクロな助言者として,堅実な事実と解釈を提供する責任を負っている分野と認識しています.そのような認識のもと,私も研究・教育活動を行なっています.
 大阪慶友会の皆さん,数々のナイス・リアクションにつき,改めて感謝申しあげます.

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2018-10-30 Tue

#3473. 慶友会講演 (2) --- 「英語のスペリングの不思議」 [keiyukai][spelling][spelling_pronunciation_gap][etymological_respelling][hel_education][slide]

 昨日の記事「#3472. 慶友会講演 (1) --- 「歴史上の大事件と英語」」 ([2018-10-29-1]) に続き,10月28日に大阪慶友会で行なった講演「英語のスペリングの不思議」のスライドをアップしておきます.

   1. 「英語のスペリングの不思議」
   2. はじめに
   3. 以下の単語のスペリングの何が「不規則」?
   4. 取り上げる話題
   5. I. 515通りの through --- 中英語のスペリング
   6. 「515通りの through」の要点
   7. 1. ノルマン征服と方言スペリング
   8. ノルマン征服から英語の復権までの略史
   9. 515通りの through
   10. through 異綴りワースト10
   11. ここで素朴な疑問
   12. 6単語でみる中英語の方言スペリング
   13. <i> か <u> か <e> か
   14. busy, bury, merry, etc.
   15. 14世紀後半以降のロンドンの言語事情
   16. ここで素朴な疑問
   17. 「ランダムに見える選択」の他の例
   18. Chaucer, The Canterbury Tales の冒頭より
   19. 第7行目の写本間比較
   20. 2. スペリングの様々な改変
   21. フランス語のスペリング習慣より
   22. 縦棒回避の傾向
   23. 2重字 <sh> の歴史
   24. その他の改変
   25. 3. スペリングの再標準化の兆し
   26. 「515通りの through」のまとめ
   27. II. doubt の <b> --- 近代英語のスペリング
   28. 「doubt の <b>」の要点
   29. 1. 語源的スペリング (etymological spelling)
   30. debt の場合
   31. 語源的スペリングの例
   32. island は「非語源的」スペリング?
   33. 2. 緩慢なスペリング標準化
   34. 印刷はスペリングの標準化を促したか?
   35. 3. 近代英語期の辞書にみるスペリング
   36. Robert Cawdrey's A Table Alphabeticall (1603)
   37. Samuel Johnson's Dictionary of the English Language (1755)
   38. 「doubt の <b>」のまとめ
   39. おわりに
   40. 参考文献

Referrer (Inside): [2018-10-31-1]

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2018-10-29 Mon

#3472. 慶友会講演 (1) --- 「歴史上の大事件と英語」 [keiyukai][hel_education][slide][christianity][runic][latin][loan_word][bible][norman_conquest][french][ame_bre][spelling][webster][history]

 一昨日,昨日と「#3464. 大阪慶友会で講演します --- 「歴史上の大事件と英語」と「英語のスペリングの不思議」」 ([2018-10-21-1]) で案内した大阪慶友会での講演が終了しました.参加者のみなさん,そして何よりも運営関係者の方々に御礼申し上げます.懇親会も含めて,とても楽しい会でした.
 1つめの講演「歴史上の大事件と英語」では「キリスト教伝来と英語」「ノルマン征服と英語」「アメリカ独立戦争と英語」の3点に注目し「英語は,それを話す人々とその社会によって形作られてきた歴史的な産物である」ことを主張しました.休憩を挟んで180分にわたる長丁場でしたが,熱心に聞いていただきました.通時的な視点からみることで,英語が立体的に立ち上がり,今までとは異なった見え方になったのではないかと思います.
 この講演で用いたスライドを,以下にページごとに挙げておきます.

   1. 「歴史上の大事件と英語」
   2. はじめに
   3. 英語史の魅力
   4. 取り上げる話題
   5. I. キリスト教伝来と英語
   6. 「キリスト教伝来と英語」の要点
   7. ブリテン諸島へのキリスト教伝来
   8. 1. ローマン・アルファベットの導入
   9. ルーン文字とは?
   10. ルーン文字の起源
   11. 知られざる真実 現存する最古の英文はルーン文字で書かれていた!
   12. 古英語アルファベットは27文字
   13. 2. ラテン語の英語語彙への影響
   14. ラテン語からの借用語の種類と謎
   15. 外来宗教が英語と日本語に与えた言語的影響の比較
   16. 3. 聖書翻訳の伝統の開始
   17. 各時代の英語での「主の祈り」の冒頭
   18. 聖書に由来する表現
   19. 「キリスト教伝来と英語」のまとめ
   20. II. ノルマン征服と英語
   21. 「ノルマン征服と英語」の要点
   22. 1. ノルマン征服とは?
   23. ノルマン人の起源
   24. ノルマン人の流入とイングランドの言語状況
   25. 2. 英語への言語的影響は?
   26. 語彙への影響
   27. 英語語彙におけるフランス借用語の位置づけ
   28. 語形成への影響
   29. 綴字への影響
   30. 3. 英語への社会的影響は?
   31. 堀田,『英語史』 p. 74 より
   32. 「ノルマン征服と英語」のまとめ
   33. III. アメリカ独立戦争と英語
   34. 「アメリカ独立戦争と英語」の要点
   35. 1. アメリカ英語の特徴
   36. 綴字発音 (spelling pronunciation)
   37. アメリカ綴字
   38. アメリカ英語の社会言語学的特徴
   39. 2. アメリカ独立戦争(あるいは「アメリカ革命」 "American Revolution")
   40. アメリカ英語の時代区分
   41. 独立戦争とアメリカ英語
   42. 3. ノア・ウェブスターの綴字改革
   43. ウェブスター語録 (1)
   44. ウェブスター語録 (2)
   45. ウェブスターの綴字改革の本当の動機
   46. 「アメリカ独立戦争と英語」のまとめ
   47. おわりに
   48. 参考文献

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2018-10-28 Sun

#3471. 百年戦争による英語の復権 [hundred_years_war][reestablishment_of_english][monitoring]

 指 (30) は,百年戦争による英語の復権の過程と関連して,イングランド軍隊でフランス語使用が禁止されていた点に触れている.

この戦争によってもたらされた注目すべき変化に、英語の「復権」がある.ノルマン系の王族や貴族たちは,フランス語を常用語とし,宮廷内や公の文書にもフランス語が用いられていた.大陸領土を失っても,フランス語使用の習慣は続いていたが,百年戦争に際し,英語使用への積極的な転換がみられた.敵国の言葉を使うことによる士気の低下を恐れ,エドワード三世は軍隊でのフランス語使用を禁止したのである.これを契機に英語が公の言葉として復活することになったが,二世紀もの間,表舞台から駆逐されていた英語は,その間「書き言葉」としては使用されなかったため,以前の古英語とはかなり異なったものになっていた.


 なるほど,エドワード3世や彼に仕える取り巻きたちは,実のところフランス語シンパだったのだろうが,前線で戦う兵士の大半は英語しか知らないイングランド人である.イングランド軍隊の内部で敵兵の言語であるフランス語が飛び交っていたら,兵士たちの士気は上がらないだろう.王とて,兵卒の一人ひとりに協力してもらわなければ首尾よく戦いを進められない.そこで,自軍の兵卒とその母語たる英語に対して「妥協」する必要が生じる.このような論理で,百年戦争は英語の復権に着実な貢献をなしたのだろう.
 また,指は,古英語から中英語への言語的な大変化の原因について「『書き言葉』としては使用されなかったため」としている.言語学的には屈折の衰退や語順の確立などを含め,ほかに言うべきこともあるが,社会言語学的な立場からは,この見解は確かに正しい.英語が地位の低い言語に下落したために,公式な書き言葉の世界から排除され,結果として話し言葉の世界に閉じ込められることになった.しかし,それは英語が書き言葉に特有の規制や monitoring の圧力から解放されたことを意味し,そのような圧力の存在しない話し言葉の世界において,英語が融通無碍に変異し,変化し得る条件が整えられたことを意味するのだ.
 百年戦争と英語の復権の関係については,「#131. 英語の復権」 ([2009-09-05-1]),「#706. 14世紀,英語の復権は徐ろに」 ([2011-04-03-1]),「#2334. 英語の復権と議会の発展」 ([2015-09-17-1]),「#3096. 中英語期,英語の復権は徐ろに」 ([2017-10-18-1]) を参照.

 ・ 指 昭博 『図説イギリスの歴史』 河出書房新社,2002年.

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2018-10-27 Sat

#3470. 言語戦争の勝敗は何にかかっているか? [japanese][world_languages][lingua_franca][elf][demography][sociolinguistics]

 徳川 (245--46) は,日本語史における東西方言(江戸方言と上方方言)の優位をめぐる争いを「言語戦争」の例としながら,一般に言語戦争の勝敗が何によって左右されるのか,されないのかについて論じている.

 まず第一に,言語戦争の勝敗は,単純な言語の使用人口などによってきまるものではない,ということである.ひとにぎりの権力者の言語が,多数の庶民の上に君臨するといった場合がある.
 また,言語戦争の帰趨は,一般的に,なにも言語それ自体の構造によってきまるものでもない.
 たとえば,母音の数が多いから戦に負けるとか,名詞に性と数の別があるから勝つ,といったものではない.ただし,その言語が,言語機能に関して,新しい社会に適応できる性質を具備しているかどうか,といった問題はある.現代にひきつけていえば,複雑な社会機構に対応できるかといった,たとえば表現文体の種類の問題や,原子物理学がその言語で処理できるか,といった内容の問題などがある.さらに,言語コミュニケーションが,他のコミュニケーションチャンネルと,どれほど切り離されているか,といった問題などもあるかもしれない.このことは,おそらく,書きことばの文体の確立と,不離の関係にある.
 さきに単なる使用人口の差は言語戦争の勝敗の鍵にならないとしたが,もし多数者の使用言語が,その社会の複雑さと対応して,すでに述べた言語機能を高め,今後さらに多くの人びとをのみ込んでいく包容力といったものを備えているということと結びつくようになれば,それは,ある程度利いてくる条件と言えるであろう.これに対して,土俗的な小言語は,こうした言語機能の面で,将来性について劣る場合が多そうに思われる.また,言語の使用人口の多さが,その言語社会の経済的・政治的・文化的な優位に結びついて,言語の威信といったものの背景になることはありうる.“東西のことば争い”の歴史を考えるにあたっても,こうしたことへの配慮が必要となってくる.


 ここで徳川は慎重な議論を展開している.話者人口や言語構造そのものが直接に言語戦争の勝利に貢献するということはないが,それらが当該言語の社会的な機能を高める方向に作用したり,利用されたりすれば,その限りにおいて間接的に貢献することはありうるという見方である.結局のところ,社会的な要素が介在して初めて勝敗への貢献について論じられるということなので,話者人口や言語構造の「直接的な」貢献度はほぼゼロと考えてよいのだろう.英語の世界的拡大や「世界語化」を考える上で,とても重要な論点である.
 英語の世界語化の原因を巡っては,関連する話題として「#1072. 英語は言語として特にすぐれているわけではない」 ([2012-04-03-1]),「#1082. なぜ英語は世界語となったか (1)」 ([2012-04-13-1]),「#1083. なぜ英語は世界語となったか (2)」 ([2012-04-14-1]),「#1607. 英語教育の政治的側面」 ([2013-09-20-1]),「#1788. 超民族語の出現と拡大に関与する状況と要因」 ([2014-03-20-1]),「#2487. ある言語の重要性とは,その社会的な力のことである」 ([2016-02-17-1]),「#2673. 「現代世界における英語の重要性は世界中の人々にとっての有用性にこそある」」 ([2016-08-21-1]),「#2935. 「軍事・経済・宗教―――言語が普及する三つの要素」」 ([2017-05-10-1]) を参照.

 ・ 徳川 宗賢 「東西のことば争い」 阪倉 篤義(編)『日本語の歴史』 大修館書店,1977年.243--86頁.

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2018-10-26 Fri

#3469. cosmos, cosmopolitan, cosmetics [etymology][greek][indo-european][ormulum]

 cosmos は,秩序整然とした体系としての「宇宙」を意味する語である.ギリシア語で秩序を表わす kósmos に由来し,これ自体は印欧祖語の語根 *kes- (秩序づける)に遡るのではないかとされる.「宇宙」の語義は,Pythagoras 派の哲学者が宇宙を完全な秩序体とみなしていたことによる.
 英語では以下のように12世紀後半の Ormulum に最も早い単発の例がみられる.Orm の綴字から判断すると,cosmōs のように第2音節の母音は長母音だったと思われる.

?c1200 Orm.(Jun 1) 17559: Werelld iss nemmnedd Cossmos, Swa summ þe Grickess kiþenn.
?c1200 Orm.(Jun 1) 17592: Tohh is þeȝȝre baþre shrud þurrh Cossmos wel bitacnedd.


 Ormulum 以降,この単語はしばらく用いられず,17世紀半ばになってようやく現われてくる.これは近代英語期の再借用とみなしてよいだろう.植物の「コスモス」の語義は,その秩序だった優美さから名付けられたもので,1813年に初出している.
 関連語として,cosmopolitan, cosmopolite (世界主義者)がある.ギリシア語の cosmo- (宇宙,秩序)+ politēs (市民)に由来し,初出は17世紀前半,本格的な使用は19世紀半ばからである.語感については「#3308. Cosmopolitan Vocabulary という表現について」 ([2018-05-18-1]) で取り上げたので参照されたい.
 そして,cosmetic (化粧,美容)も関連語である.ギリシア語の形容詞形 kosmēticós (秩序だった)がフランス語 cosmétique を経由して17世紀に英語に入ったものである.初例は1605年の Bacon からで「美容術」の語義で用いられた.「化粧」の語義としては1650年のものが最初である.
 cosmetic は,現在の英単語としては「化粧の;美容の」に加え「うわべだけの」というネガティヴな含意で用いられることもあり「虚飾」感がつきまとう.しかし,原義を考えれば本来の化粧とは秩序だった端正な美しさを目指すものだったのだろう.化粧もやりすぎると,やはりギリシア起源の対義語である chaos (混沌,無秩序)(< Gk kháos "gulf, abyss, chaos") となってしまうので要注意です.

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2018-10-25 Thu

#3468. 人称とは何か? (2) [person][category][personal_pronoun][agreement][t/v_distinction][deixis][sobokunagimon]

 人称 (person) について,先日「#3463. 人称とは何か?」 ([2018-10-20-1]) で私見を述べた.より客観的に言語における人称を考えていくに当たって,まずは言語学用語辞典で person を引いてみよう.以下,Crystal (358--59) の記述より.

person (n.) (per, PER) A category used in grammatical description to indicate the number and nature of the participants in a situation. The contrasts are deictic, i.e. refer directly to features of the situation of utterance. Distinctions of person are usually marked in the verb and/or in the associated pronouns (personal pronouns). Usually a three-way contrast is found: first person, in which speakers refer to themselves, or to a group usually including themselves (e.g. I, we); second person, in which speakers typically refer to the person they are addressing (e.g. you); and third person, in which other people, animals, things, etc are referred to (e.g. he, she, it, they). Other formal distinctions may be made in languages, such as 'inclusive' v. 'exclusive' we (e.g. speaker, hearer and others v. speaker and others, but no hearer); formal (or 'honorific') v. informal (or 'intimate'), e.g. French vous v. tu; male v. female; definite v. indefinite (cf. one in English); and so on. There are also several stylistically restricted uses, as in the 'royal' and authorial uses of we. Other word-classes than personal pronouns may show person distinction, as with the reflexive and possessive pronouns in English (myself, etc., my, etc.). Verb constructions which lack person contrast, usually appearing in the third person, are called impersonal. An obviative contrast may also be recognized.


 なるほど,一口に人称といっても考慮すべき点はいろいろあるようだ.意味論・語用論的な観点からの人称の捉え方もあれば,文体的な問題としての人称もある.
 最後に触れられている obviative という3人称と区別される弁別的な人称の発想はおもしろい.いわば「4人称」である.Crystal (338) の同じ用語辞典より,説明を聞いてみよう.

obviative (adj./n.) A term used in linguistics to refer to a fourth-person form used in some languages (e.g. some North American Indian languages). The obviative form ('the obviative') of a pronoun, verb, etc. usually contrasts with the third person, in that it is used to refer to an entity distinct from that already referred to by the third-person form --- the general sense of 'someone/something else'.


 「オレ」「オマエ」「それ以外」という3区分に従えば obviative も3人称であるには違いなく,「4人称」とは不適切な呼称かもしれない.しかし,「4人称」という発想は,人称というフェチな世界観が(いくつかの言語においては)すでに言及されているか否かという談話の観点までも考慮しつつ,どこまでもフェチになりうる文法範疇であることを教えてくれる.

 ・ Crystal, David, ed. A Dictionary of Linguistics and Phonetics. 6th ed. Malden, MA: Blackwell, 2008. 295--96.

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2018-10-24 Wed

#3467. 文献学における校訂の信頼性の問題 [philology][methodology][manuscript][punctuation][editing][corpus][evidence]

 英語史・英語文献学に携わる者にとって,標題は本質的な問題,もっといえば死活問題でもある.この問題について,児馬 (31) が古英語資料との関係でポイントを要領よくまとめている.

OE資料を使う際に,校訂の信頼性という問題は避けて通れない.歴史言語学で引用されているデータ(例文)の多くは写本研究,すなわち写本から校訂・編集を経て活字となった版 (edition) か,ないしは,特に最近はその版に基づいた電子コーパスに基づくことが多い.そうした文献学研究の多大な恩恵を受けて,歴史言語学研究が成り立っていることも忘れてはならないが,と同時に,校訂者 (editor) の介入がオリジナル写本を歪めることもありうるのである.一つの作品にいくつか複数の写本があって,異なる写本に基づいた複数の版が刊行されていることもあるので,その点は注意しなければならない.現代と同じように,構成素の切れ目をわかりやすくしたり,大・小文字の区別をする punctuation の明確な慣習はOE写本にはない.行の区切り,文単位の区切りなどが校訂者の判断でなされており,その判断は絶対ではないということを忘れてはならない.ここでは深入りしないが,それらの校訂本に基づいて作成された電子コーパスの信頼性もさらに問題となろう.少なくとも,歴史言語学で使用するデータに関しては,原典(本来は写本ということになるが,せいぜい校訂本)に当たることが不可欠である.


 上で述べられていることは,古英語のみならず中英語にも,そしてある程度は近代英語以降の研究にも当てはまる.文献学における「証拠」を巡るメタな議論は非常に重要である.
 関連して,「#681. 刊本でなく写本を参照すべき6つの理由」 ([2011-03-09-1]) ,「#682. ファクシミリでなく写本を参照すべき5つの理由」 ([2011-03-10-1]),「#2514. Chaucer と Gawain 詩人に対する現代校訂者のスタンスの違い」 ([2016-03-15-1]),「#1052. 英語史研究の対象となる資料 (2)」 ([2012-03-14-1]),「#2546. テキストの校訂に伴うジレンマ」 ([2016-04-16-1]) .

 ・ 児馬 修 「第2章 英語史概観」服部 義弘・児馬 修(編)『歴史言語学』朝倉日英対照言語学シリーズ[発展編]3 朝倉書店,2018年.22--46頁.

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2018-10-23 Tue

#3466. 古英語は母音の音量を,中英語以降は母音の音質を重視した [sound_change][phonology][prosody][vowel][diphthong][isochrony][functionalism][gvs]

 母音の弁別的特徴として何が用いられてきたかという観点から英語史を振り返ると,次のような傾向が観察される.古英語では主として音量の差(長短)が利用され,中英語以降では主として音質の差(緊張・弛緩)が利用されるようになったという変化だ.服部 (67) は,これについて次のように述べている.

その原因は英語のリズム構造に帰せられるものと考えられる.つまり,韻脚拍リズムを基盤とする英語は,各韻脚をほぼ同程度の長さにする必要があるため,長さがリズムの調整役として重要な役割を果たす.そのため母音の弁別的特徴は音質(緊張・弛緩)に託し,長さの方はリズム調整のために弁別性から解放したと解釈することができる.


 英語史において,音量の差と音質の差は,異なる目的で利用されるように変化してきたという見方である.これは壮大な音韻史観,韻律史観であり,歴史的な類型論 (typology) の立場から検証可能な仮説でもある.また逆からみれば,韻脚拍リズムではなく音節(あるいはモーラ)拍リズムを基盤とする日本語のような言語では,このような音量と音質の発展に関する傾向はさほど見出せないだろうということも予測させる.英語の音韻史記述に影響を及ぼす仮説であることはもちろん,現代英語の共時的な音韻論の記述や発音記号の表記などにも関連する点で,刺激的な議論だ.関連して「#3387. なぜ英語音韻史には母音変化が多いのか?」 ([2018-08-05-1]) も参照.

 ・ 服部 義弘 「第3章 音変化」服部 義弘・児馬 修(編)『歴史言語学』朝倉日英対照言語学シリーズ[発展編]3 朝倉書店,2018年.47--70頁.

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2018-10-22 Mon

#3465. 知的対決としての翻訳 [translation][contact][philosophy_of_language]

 デカルトは『方法序説』を土着語たるフランス語で書いた.母語によって哲学できるということは,革命的な意味をもつ.以下,施 (pp. 61--62) から引く.

 哲学者の長谷川三千子は,デカルトらの近代哲学の始祖たちが「土着語」で哲学するようになったことの意義について,さらに踏み込んだ指摘をいくつか行っている.
 一つは,デカルトら哲学者が行ったラテン語やギリシャ語から「土着語」への翻訳とは,単に外来の語彙や概念をその土地の文脈に移し替えただけではないということである.翻訳作業とは,翻訳される言語と翻訳先の言語との間で綿密な概念の突き合わせが行われ,双方とも厳しい知的吟味にさらされる過程である.長谷川氏は,翻訳先の言語の文化は,翻訳元の文化との言わば知的対決を行うことになり,そのなかで自己認識を獲得し,深め,活性化されていくと指摘する.まさにその通りだ.外来の語彙や概念が触媒となり,土着の文脈が活性化され,発展し,多様化していくのである.


 昨今,英語教育を巡る議論が盛んだが,他言語を学ぶことの本質的な意義について,上のような文章からインスピレーションを得たい.言語と言語のインターフェースというのは,「翻訳」という言葉から連想されるかもしれない穏やかな架け橋などではなく,激しい知的戦いの場なのだ.ここでは,どのくらい精妙なすりあわせをしているかが重要なのであり,一つひとつの単語の置き換えこそが,いちいちに決然たる知的対決というべき戦いなのである.
 このことは,私自身が2017年に Simon Horobin 著 Does Spelling Matter? を『スペリングの英語史』として訳出したときに,身にしみて体感した.日英語間で容易に置き換えられないものを強引に置き換えなければいけないというときに感じる限界,濁し,諦念,ムリヤリ感は,実に苦しい.翻訳というのは言語接触の戦場である.言語接触 (contact) に関心をもつ者として,生々しいほどの現場である.

 ・ 施 光恒 『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』 集英社〈集英社新書〉,2015年.

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2018-10-21 Sun

#3464. 大阪慶友会で講演します --- 「歴史上の大事件と英語」と「英語のスペリングの不思議」 [notice][keiyukai][hel_education]

 講演のお知らせです.来週末の10月27日(土)と28日(日)に,2日間にわたって大阪慶友会にて標記の演題でお話しすることになっています.会場は,大阪は天満橋のドーンセンターです.以下のような内容で話す予定です.

■ 1日目 「歴史上の大事件と英語」 2018年10月27日(土)13:30--17:00

 イギリスへのキリスト教の伝来,ヴァイキングの侵攻,ノルマン征服,黒死病,印刷術,宗教改革,ルネサンス,米国独立革命,大英帝国などの大事件が英語という言語に及ぼした甚大な影響を話題にします.

■ 2日目 「英語のスペリングの不思議」 2018年10月28日(日)10:00--12:00

 なぜ knight や doubt というスペリングには発音しない k,gh,b のような文字があるのか? なぜ color と colour,center と centre のような不要とも思える代替スペリングがあるのかなど個々の単語のスペリングの「なぜ?」に迫ります.

 両日ともに,時間をたっぷり取っていただいているので,参加される皆さんとおしゃべりしながら楽しくいきたいと思います.懇親会も楽しみです.

Referrer (Inside): [2018-10-29-1]

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2018-10-20 Sat

#3463. 人称とは何か? [person][cateogry][indo-european][agreement][sobokunagimon][fetishism]

 英語を学習していると「人称」 (person) という用語に出会う.代名詞でいえば,1人称は I, we,2人称は you,3人称は he, she, it, they ということになっている.私たちは,人称の区別の原理は何なのかも教わらずに,まず上記のような区別をたたきこまれる.
 「人称」とは何なのか.これは,印欧語が典型的にもっている1つの世界観を名付けたものにすぎない.一種のモノの見方のフェチである.「人称」とは1つの文法カテゴリーであり,文法カテゴリーとはその言語共同体の共有する1つのフェティシズムにすぎない (cf. 「#1449. 言語における「範疇」」 ([2013-04-15-1]),「#2853. 言語における性と人間の分類フェチ」 ([2017-02-17-1])) .人称はすべての言語に関与的なわけではなく,たまたま英語を含む諸言語において重視されるカテゴリーであるにすぎない.
 そもそも「人称」などという仰々しい術語がよくない.英語では単に person といっているだけなのだから,「ひと」としておいてよいのかもしれない.しかし,「人称」とは「ひと」というほどの思わせぶりな概念ですらない.思い切って単純化すれば,単に森羅万象を「オレ」「オマエ」「それ以外」の3者に分けるという世界観にほかならないのだ.つまり,そこに必要以上に深い意味を読み込んではいけない.所詮,言葉を操る人間にとって最も重要なのは,「話しをするジブン」と「話し相手であるアナタ」と「それ以外の一切合切の存在」との3分であるという考え方は,ある意味で納得できる区分である.おそらく,最もプリミティブな区分は「オレ」か「その他の一切合切」かの2区分になるのだろうが,動物とは異なり高度なコミュニケーション能力を発展させた人間社会にとってのプリミティブとは,印欧語風の「オレ」「オマエ」「その他の一切合切」の3区分であるといわれれば,そうなのかもしれないとも思う (cf. 「#1070. Jakobson による言語行動に不可欠な6つの構成要素」 ([2012-04-01-1]),「#2309. 動詞の人称語尾の起源」 ([2015-08-23-1])) .
 日本語では,形容詞の人称制限と呼ばれる現象もあるにはあるが,人称のカテゴリーの存在感は薄いといってよい.しかし,印欧語などにおいていったんこの3区分が確立してしまえば,それが1つの世界観として影響力をもつだろうということは想像できる.「オレ」「オマエ」「その他の一切合切」とは,コミュニケーションの参与者の視点からすればそのまま重要度のランキングとなっており,この区分に基づいて言語体系が成り立っているとすれば,確かに理に適っている.それぞれの人称が主語として立つときに,述語の語尾も連動して変化するというのは,くだんの世界観を再確認する言語的手段なのだと考えれば,なるほどと納得できる.
 このように議論してくると,いかにも「オレ」「オマエ」「その他の一切合切」の3区分が自然にも思えてくるが,これは人間にとって必須の区分ではない.この3区分の重要性は,「人称」カテゴリーを明確にもたない日本語話者にとっても説明されれば分かる類いのものではあるが,なければないで言語として成り立つ程度のものであり,絶対視する理由はない.印欧語族ではそれがたまたま言語上に顕在化するという,ただそれだけのことなのだろう.それぞれの言語は,あるカテゴリーを明示的に表現したり,逆に表現しなかったりするものであり,その点では自由な存在なのである.

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2018-10-19 Fri

#3462. 5つの爵位の2番目 marquess [history][title][suffix]

 イングランドで14世紀半ばに完成した「5つの爵位」の第1位について,「#3446. 5つの爵位の筆頭 duke」 ([2018-10-03-1]) で紹介した.爵位の第2位は marquess /ˈmɑːkwəs/ (侯爵)である.単語としては,ラテン語の marchio に遡り,これはフランク王国や神聖ローマ帝国において,「蛮族」との国境地帯(辺境区= march)を守護する最高司令官に起源をもつ.帝国にとって辺境区とは国境を定める最重要地帯であり,ここに有能な司令官を置くことは統治の要諦である.「辺境伯」は田舎の貴族などではなく,帝国拡張の最前線で奉仕する一級の貴族だったのである.marquess とは,上位の duke 位を射程に収めた,相当な身分だったとみてよい.イングランドでの初めての授爵は1385年であり,単語としての初出も多少前後するにせよ14世紀中のようだ.
 イギリス以外では marquis /ˈmɑːkwəs, mɑːˈkiː/という綴字・発音が用いられる.ちなみに侯爵夫人はイギリスでは marchioness /mˈɑːʃənəs/, イギリス以外では marquise /mɑːˈkwiːz/ である.念のために述べておくが,marquess の -ess を女性接尾辞と間違えてはいけない.
 ただし,上に記した綴字や発音の区別には伝統に基づく微妙な基準があるようで,1905年の NED (後の OED)には次のような記述があったという.

N.E.D. (1905) notes s.v. 'The prevailing spelling in literary use appears to be marquis. Some newspapers, however, use marquess, and several English nobles bearing the title always write it in this way.' The official spelling used in the Roll of the House of Lords is marquess, which is the usual spelling for the title in the British and Irish peerage; marquis is reserved for the foreign title (in Scotland, however, marquis is sometimes preferred for pre-Union creations, apparently in memory of the 'Auld Alliance' with France). The spelling marquess is sometimes extended to non-French foreign titles.


 プライド,伝統,国際関係,綴字と発音の関係などの諸要因が加味された上で,「侯爵」の形態が決まってくるというのがおもしろい.

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2018-10-18 Thu

#3461. 警官 bobby [prime_minister][etymology][personal_name][eponym][slang][history]

 昨日の記事「#3460. 紅茶ブランド Earl Grey」 ([2018-10-17-1]) で,イギリス首相に由来する(といわれる)紅茶の名前について触れた.同じくイギリス首相に由来する,もう1つの表現を紹介しよう.イギリスで警官のことを俗語で bobby と呼ぶが,これは首都警察の編成に尽力した首相・内務大臣を歴任した Sir Robert Peel (1788--1850) の愛称,Bobby に由来するといわれる.

Sir Robert Peel

 Peel は,19世紀前半,四半世紀にわたってイギリス政治を牽引した政界の重鎮である.初期の業績としては,Metropolitan Police Act を1828年に通過させ,翌1829年,首都警察を設置したことが挙げられる.その後,bobby が警官の意の俗語となっていった.いつ頃からの用法かは正確にはわからないが,OED の初例は1844年のものである.

1844 Sessions' Paper June 341 I heard her say..'a bobby'..it was a signal to let them know a policeman was coming.


 首都警察の設置と同じ1829年には「カトリック教徒解放法案」も成立させており,著しい敏腕振りを発揮している.Peel は党利党略ではなく国家の利益を第一に考えた(この点では,昨日取り上げた Earl Grey も同じだった).Peel はもともと地主貴族階級の砦であった「穀物法」を切り崩すことを目論んでいたが,1845年のアイルランドのジャガイモ飢饉を機に,穀物法廃止に踏み切る決断を下した.そして,翌年に廃止を実現した.19世紀の大改革を次々と成し遂げた首相だった.
 なお,同じく俗語の「警官」として実に peeler という単語もあるので付け加えておきたい.

Referrer (Inside): [2023-04-03-1]

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2018-10-17 Wed

#3460. 紅茶ブランド Earl Grey [prime_minister][etymology][personal_name][eponym][history]

 一般には Earl Grey といえば,紅茶の高級ブランドが想起されるかもしれない.Twinings にも同名の製品があるが,もともとは Jackson's 社製である.柑橘類の一種ベルガモット (bergamot) で香りづけをした癖のある風味で知られる.名前の由来は,しばしば 2nd Earl Grey こと Charles Grey (1764--1845) が,中国から帰任したときに持ち帰った中国茶のブレンド法にあるとされるが,この説の真偽のほどは定かではない.何しろ Earl Grey's mixture として現われる初例は,Grey が亡くなってから数十年も経った1884年のことなのだ.OED によるレポート Early Grey: The results of the OED Appeal on Earl Grey tea では,問題の紅茶ブランドの名前の由来について突っ込んだ記述があるので必読.

Earl Grey

 Earl Grey は,1830--34年に首相を務めたホイッグの政治家である.Eton と Cambridge で教育を受けた典型的な貴族で,22歳のときに国会議員となり,若いときから浮き名を流していた.しかし,Grey は George IV が王妃キャロラインを離縁させようと画策した際に王妃をかばい続けたことから,その後も王に嫌われ続け,おりしも自由トーリ主義の潮流にあって,政治的には長らく干されることになった.しかし,George IV が1830年に亡くなると,Grey に復活の機会が訪れた.新しく即位した William IV は Grey の古くからの親友だったからだ.ホイッグが政権を取り戻し,首相となった Grey (任期1830--34年)は,悲願だった選挙法改正を実現すべく邁進した.1831年,Grey の提示した改正法案は貴族院で否決されてしまったが,それを受けて民衆暴動が勃発.翌1832年,再び法案が議会にかけられ,紆余曲折を経ながらも結果として通過した.世にいう the First Reform Bill である.これによって年価値10ポンド以上の家屋・店舗・事務所などを所有する者や借家人にも選挙権が与えられることになり,有権者の数はイギリス全体で50万人から81万人にまで増えた.特にスコットランドでは4500人から5万5000人へと急増したという.
 19世紀の大衆民主政治の立役者と香り豊かなミルクティーとの間に,実際のところどのような関係があるのか,真実を知りたいところである.

Referrer (Inside): [2023-04-03-1] [2018-10-18-1]

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2018-10-16 Tue

#3459. 16--17世紀の君主の称号は GraceHighnessMajesty か? [eebo][corpus][title][address_term][honorific][monarch]

 標題は「#3095. Your Grace, Your Highness, Your Majesty」 ([2017-10-17-1]) で取り上げた話題である.初期近代英語期のトピックなので,EEBO (Early English Books Online) で調査するのにふさわしいと思い,Early English Books Online corpus のインターフェースを用いて検索してみた.
 検索欄には "your|his|her majesty|majestie|highness|grace" を入力し,検索結果として出力されたデータについて,所有代名詞の種類や異綴字は一緒くたに扱いつつ,GRACE 系,Highness 系,Majesty 系の3つに整理した.本来であれば実際の指示対象が君主か否かをコンコーダンスラインで逐一確認する必要があるのだが,今回はあくまで傾向を知るための粗い調査なので,あしからず.

 1470s1480s1490s1500s1510s1520s1530s1540s1550s1560s1570s1580s1590s1600s1610s1620s1630s1640s1650s1660s1670s1680s1690sTotal
GRACE651331459269130319622544773116921241174168216641483179020883222229632004092321632092
HIGHNESS00000000006000731038192212521328272713608671
MAJESTY000000000001821881425921856791977536102546312735901251701
Total6513314592691303196225447731175214211951770181321063646100451289796509991195541358892464


 傾向は明確である.16世紀中は GRACE がほぼ唯一の称号だが,17世紀に入ると MAJESTY が加速度的に増え,1630年代には GRACE を追い抜く.MAJESTY は James I の治世 (1603--25) の後半に確立したとされてきたが,今回の結果もほぼそれに合致している.一方,HIGHNESS は17世紀半ばに突如として増えてはくるが,他の2つより優勢になったことはない.

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2018-10-15 Mon

#3458. 標準口語英語の確立 [speech][standardisation][variety][sociolinguistics][cockney][shakespeare][bible][emode]

 英語史における標準化 (standardisation) の話題といえば,第1義的に書き言葉の標準化が念頭に置かれているように思われる.本ブログでも,書き言葉の標準化については様々に紹介してきたが,話し言葉の標準化については扱いが薄かった.「#3356. 標準発音の整備は18世紀後半から」 ([2018-07-05-1]) では発音の標準化を取り上げており,これは話し言葉の標準化の話題の一部を成しはするものの,「話し言葉」と「発音」とは同一ではない.話し言葉には,発音以外に文法や語彙などその他の側面もある.
 話し言葉の標準化について,松浪ほかの「標準口語英語の確立」 (93) に記されている概要を引用する.

書き言葉の標準英語は既に15世紀前半頃までに,ロンドンを中心に形成され,その後教育の普及にともなって急速に広まったと考えられているが,話し言葉の標準語はまだその頃にはなく,EModE 期になって確立した.16世紀になって宮廷を中心に上流階級,文人,大学等で使われた話し言葉が標準語として確立した.これはロンドンで活躍した支配階級の言葉であるから階級方言であって,同じロンドンでも,下層階級の言葉は標準語とは別物で,後にコックニー (Cockney) として発達した.まだ,文法も辞書もない時代のことで,この標準語は,現代語からみれば発音・文法両面で統一性に欠けた,ある意味で自由奔放な英語でもあった.このような英語の状況を背景に登場し,活躍したのが,いうまでもなく英文学史上最大の作家シェイクスピア (William Shakespeare, 1564--1616) である.この大詩人の英語は〔中略〕欽定訳聖書と並んで,近代英語の2つの源泉と呼ばれている.


 ポイントは,話し言葉の標準化が,書き言葉の標準化よりも1世紀ほど遅れて始まったことである.また,その基盤となった変種がロンドンの支配階級の口語だったことも重要である.標準化の最初期には,その変種とて一様ではなく,相当程度の変異を許容する「緩い」ものだったといってよいが,少なくとも現代の標準口語英語の源泉をそこに見出すことができる.私たちの学んでいる「英会話」は,500年前のロンドンの上流サークルのおしゃべりに起源をもつということである.

 ・ 松浪 有 編,小川 浩,小倉 美知子,児馬 修,浦田 和幸,本名 信行 『英語の歴史』 大修館書店,1995年.

Referrer (Inside): [2018-11-20-1]

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2018-10-14 Sun

#3457. 日本の消滅危機言語・方言 [language_death][ainu][japanese][dialect]

 言語や方言の死について,(language_death) の各記事で話題にしてきた.我が国にも危機的な状況にある言語や方言は複数あるが,広く認知されているとはいえない.10月11日発行の読売KODOMO新聞に,この問題が取り上げられていたので,内容を簡単に紹介したい.
 言語・方言の死はユネスコが調査や認定を行なっているが,2009年の報告によれば,アイヌ語は「消滅の危機・極めて深刻」とされている.現在,北海道に1万3千人ほどアイヌの人々が暮らしているとされるが,アイヌ語を流ちょうに話せるのは10人以下といわれる.
 また,「消滅の危機」にある言語・方言としては,八重山語,与那国語,奄美語,国頭(くにがみ)語,沖縄語,宮古語,八丈島語が挙げられている.今年のNHK大河ドラマ『西郷どん』では,西郷の奄美大島時代の描写で,島言葉に字幕が付されたことが話題になった.その他,東日本大震災の被災地の諸方言も「消滅の危機相当」として文化庁などが調査・保存を進めている.
 世界に目を移すと,言語・方言の死を巡る状況はさらに深刻である.ユネスコによると世界の7000ほどある言語のなかで,2500の言語が消滅の危機にあるという.理由としては,災害,紛争,植民地化,都市部への人の移動などが挙げられ,解決は容易ではない.この100年間で400もの言語がすでに消滅したとされ,問題の重大さがうかがえる.
 関連して,とりわけ「#276. 言語における絶滅危惧種の危険レベル」 ([2010-01-28-1]),「#277. なぜ言語の消滅を気にするのか」 ([2010-01-29-1]),「#280. 危機に瀕した言語に関連するサイト」 ([2010-02-01-1]),「#1786. 言語権と言語の死,方言権と方言の死」 ([2014-03-18-1]) を参照されたい.

Referrer (Inside): [2023-06-28-1] [2019-01-23-1]

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2018-10-13 Sat

#3456. Wardhaugh 曰く「性による言語変異は,その他の社会的なカテゴリーによる言語変異と変わるところがない」 [gender][gender_difference][sociolinguistics][sapir-whorf_hypothesis][variation]

 昨日の記事「#3455. なぜ言語には男女差があるのか --- 3つの立場」 ([2018-10-12-1]) で依拠した Wardhaugh は,言語による性差は,社会や個人の認識というレベルでの性差に由来するのだろうと考えている.つまり「社会・文化・認識→言語」の因果関係こそが作用しているのであり,その逆ではないという立場だ.そして,そのような差異は,性に限らず教育水準や社会階級や出身地域などに基づく他の社会的パラメータにもみられるものであり,性だけを取り上げて,それを特に重視することができるのかと疑問を呈している.次の議論を聞いてみよう.

[W]e must be prepared to acknowledge the limits of proposals that seek to eliminate 'sexist' language without first changing the underlying relationship between men and women. Many of the suggestions for avoiding sexist language are admirable, but some, as Lakoff points out with regard to changing history to herstory, are absurd. Many changes can be made quite easily; early humans (from early man); salesperson (from salesman); ordinary people (from the common man); and women (from the fair sex). However, other aspects of language may be more resistant to change, e.g., the he-she distinction. Languages themselves may not be sexist. Men and women use language to achieve certain purposes, and so long as differences in gender are equated with differences in access to power and influence in society, we may expect linguistic differences too. For both men and women, power and influence are also associated with education, social class, regional origin, and so on, and there is no question in these cases that there are related linguistic differences. Gender is still another fact that relates to the variation that is apparently inherent in language. While we may deplore that this is so, variation itself may be inevitable. Moreover, we may not be able to pick and choose which aspects of variation we can eliminate and which we can encourage, much as we might like to do so. (350)


 社会的な男女差というものは,たやすく水平化できない根強い区別であり,それが言語上にも反映しているととらえるのが妥当だと,Wardhaugh は考えている.さらに,私見として次のように述べながら性差に関する章を閉じている.

My own view is that men's and women's speech differ because boys and girls are brought up differently and men and women often fill different roles in society. Moreover, most men and women know this and behave accordingly. If such is the case, we might expect changes that make a language less sexist to result from child-rearing practices and role differentiations which are less sexist. Men and women alike would benefit from the greater freedom of choice that would result. However, it may be utopian to believe that language use will ever become 'neutral'. Humans use everything around them --- and language is just a thing in that sense --- to create differences among themselves. (354)


 ・ Wardhaugh, Ronald. An Introduction to Sociolinguistics. 6th ed. Malden: Blackwell, 2010.

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2018-10-12 Fri

#3455. なぜ言語には男女差があるのか --- 3つの立場 [gender][gender_difference][sociolinguistics]

 標題は社会言語学の最重要問題の1つであり,本ブログでも「#1361. なぜ言語には男女差があるのか --- 征服説」 ([2013-01-17-1]),「#1362. なぜ言語には男女差があるのか --- タブー説」 ([2013-01-18-1]),「#1363. なぜ言語には男女差があるのか --- 女性=保守主義説」 ([2013-01-19-1]) をはじめ gender_difference の多くの記事で話題にしてきた.様々な議論があり,昨今活況を呈している分野といってよいが,社会言語学の定番教科書を著わしている Wardhaugh (346--47) は,大きく3つの立場があり得ると述べている.

 (1) 「男女の生物学的な差異が言語にも重大な影響を及ぼしている」

The first claim is that men and women are biologically different and that this difference has serious consequences for gender. Women are somehow predisposed psychologically to be involved with one another and to be mutually supportive and non-competitive. On the other hand, men are innately predisposed to independence and to vertical rather than horizontal relationships. (346)


 この立場はある意味でスッキリしている仮説とはいえるが,証拠に乏しく,ステレオタイプを追認するにすぎないとの批判があることを付け加えておく.

 (2) 「男女の言語差は,力の上下関係に基づいている」

The second claim is that social organization is best perceived as some kind of hierarchical set of power relationships. Moreover, such organization by power may appear to be entirely normal, justified both genetically and evolutionarily, and therefore natural and possibly even preordained. Language behavior reflects male dominance. Men use what power they have to dominate each other and, of course, women, and, if women are to succeed in such a system, they must learn to dominate others too, women included. (346)


 (3) 「男女の言語差は,各々が異なる環境で言語を修得してきた結果である」

The third claim . . . is that men and women are social beings who have learned to use language in different ways. Language behavior is largely learned behavior. Men learn to talk like men and women learn to talk like women because society subjects them to different life experiences. This is often referred to as the difference (sometimes also deficit) view as opposed to the dominance view . . . . (347)


 ジェンダー問題に広く見受けられるように,それぞれの立場に微妙なニュアンスの違いがある.(1) から (3) にかけて,生物学的な性差 (sex) から社会的な性差 (gender) を重視する立場へと切り替わっていくが,どこが境目なのかはよく分からない.(3) のさらに先には,言語の男女差はまったく特殊な差ではなく,階級差,民族差,国民差などの他の区別と同様に,人間社会において極めてありふれた1つの社会的な差異にすぎないという見方もある.それによれば,言語そのものは "sexist" ではなく,単に性に基づいて variationist であるにすぎないということになる.Wardhaugh は,どうやらこの立場を取っているようだ.

 ・ Wardhaugh, Ronald. An Introduction to Sociolinguistics. 6th ed. Malden: Blackwell, 2010.

Referrer (Inside): [2021-09-07-1] [2018-10-13-1]

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2018-10-11 Thu

#3454. なぜイングランドにラテン語の地名があまり残らなかったのか? [latin][roman_britain][anglo-saxon][toponymy][onomastics]

 昨日の記事「#3453. ノルマン征服がイングランドの地名に与えた影響」 ([2018-10-10-1]) に引き続きイングランド地名の話題.ローマン・ブリテン時代には,当然ながら建設された都市にはラテン名が付けられていた.その代表が「#3440. ローマ軍の残した -chester, -caster, -cester の地名とその分布」 ([2018-09-27-1]) でみたように,-chester を含む都市名だったわけである.しかし,5世紀のアングロサクソンの渡来を受けて,既存のラテン地名の多くが捨て去られ,後世まで残らなかった.これはなぜだろうか.
 デイヴィスとレヴィット (82--83) は,ローマ人とアングロサクソン人では,ブリテン島にやってきた目的が異なっていた点に注目している.

ラテン語の地名は,英語が流入してきた地域では英語の浸透によって消滅した.これまでこれまで述べてきたことに付け加えて,ラテン語の地名が残らなかったもうひとつの重要な原因は,アングロ・サクソン人はローマ人とはかなり異なった文化を持っていたということである.アングロ・サクソン人は,居住するための都市を求めて来たのではなく耕すための土地を求めてきたのである.アングロ・サクソン人は自分たちの作った新しいムラの名前を必要とした.ローマ人の作った砦や都市はアングロ・サクソン人の役には立たなかった.ローマ軍の砦は,ローマ軍の撤回からアングロ・サクソン人の到来に至る間に,北方から来た野蛮人に略奪されたか,アングロ・サクソン人の戦争の仕方に合わなかったため放置されたかである.都市と同様に砦は廃れ,それらの名前までも忘れ去られた.


 例えば,Dee 川のほとりのローマ軍駐屯地 Deva は,ローマン・ブリテン時代の長きにわたって軍団を収容してきた砦だったが,『アングロ・サクソン年代記』では「廃墟のチェスター」と言及されている.ローマの遺産は,砦もろとも名前も捨て去られたのである.

 ・ デイヴィス,C. S.・J. レヴィット(著),三輪 伸春(監訳),福元 広二・松元 浩一(訳) 『英語史でわかるイギリスの地名』 英光社,2005年.

Referrer (Inside): [2019-09-06-1] [2019-09-03-1]

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2018-10-10 Wed

#3453. ノルマン征服がイングランドの地名に与えた影響 [toponymy][onomastics][norman_conquest][me_dialect]

 デイヴィスとレヴィット (168--69) は,ノルマン征服 (norman_conquest) が地名(史)に及ぼしたインパクトについて次のように述べている.

英語圏内にみられる様々な方言への分岐が加速されたことであった.このため,英語は統治のための手段ではなくなり,全国どこでも通じる意志〔ママ〕伝達の均一の手段ではなくなってしまった.また,以前とは違って,教育や文学のための言語でもなくなった.その結果,どんな言語にでも常に息づいている,方言として周囲に拡散する傾向が自由を得て,これまで英語に存在していた保守的な勢力が消滅していった.従って,英語は豊かな方言形式を発達させ,方言は地名に大きな影響を与えた.地名の成立にではなく,時代を経ての地名継承のあり方に大きな影響を及ぼした.


 この点はなるほどと思った.標準語が存在する言語においては,一般語彙に関して,広く通用する「標準形」と各地で行なわれる種々の「方言形」がありうる.しかし,地名語彙には,通常「標準形」と「方言形」という区別はない.地名は広く参照される語なので,機能的には標準的でなければならないが,形式的には標準的とされるものが採用される必要はない.それは,地名が何かを意味している必要はなく,その場所を参照していればよいという記号論的に特殊な性質を持ち合わせていることと関係しているだろう(この点については,「#2212. 固有名詞はシニフィエなきシニフィアンである」 ([2015-05-18-1]),「#2397. 固有名詞の性質と人名・地名」 ([2015-11-19-1]) を参照).
 中英語期の方言分化と地名の関係がよく見える形で表われている例の1つが,hillmill の母音の変異である.「#1812. 6単語の変異で見る中英語方言」 ([2014-04-13-1]) でみたように,この母音は南東部では e として,西部では u として,それ以外では i として実現される.それぞれの分布について,デイヴィッドとレヴィット (216--17) に次のように記述がある.

 e を用いていた地域(主にケント)からはヘルステッド (Helsted),ワームズヒル(Wormshill, 1232年の記録では Wodnesell, 意味はおそらく Woden's Hill 「ウォドンの丘」),ミルトン (Milton, カンタベリーの近く.tun by a mill 「粉引き場の近くの町」の意味で,1242年の記録では Meleton).
 u を用いていた地域からはスタッフォードシャーのペンクハル (Penkhull, ブリトン語の人名 Pencet に英語の hill が付け加えられている),グロスターシャーのラッジ(Rudge, ridge 「山の尾根」),ランカシャーのハルトン (Hulton, tun on a hill 「丘の上にある町」),スタッフォードシャーのミルトン (Milton) は以前 (1227年)は Mulneton だった.
 i を用いていた地域からの例は多数あり,最初期の頃にしばしば u が用いられ,その起源はイースト・ミッドランド及び北部の方言形 i が別個に発展する以前に遡る.


 地名学,方言学,音変化の研究は,ともに手を携えて進むべき仲間である.

 ・ デイヴィス,C. S.・J. レヴィット(著),三輪 伸春(監訳),福元 広二・松元 浩一(訳) 『英語史でわかるイギリスの地名』 英光社,2005年.

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2018-10-09 Tue

#3452. 歴史上,日本語は英語よりも意識的な書き言葉の改革が著しかった [japanese][writing][spelling_reform][style][language_planning][genbunicchi]

 日英語を歴史的に比較するとき,書き言葉に関して両言語は意外と大きく異なる.日本語のほうが,人為的な関与が強かったという特徴がある.もちろん「書き言葉」であるから,一般的にいって「話し言葉」に比べれば意識的であり,したがって人為的な関与がみられるのも当然なのだが,それを考慮しても日本語史のほうが英語史よりも関与の度合いが強い.とりわけ明治以降,つまり近現代にその傾向は如実である.清水は「日本語史概観」で,次の2点に触れている.

明治期の後半には,また特筆すべき出来事がある.二葉亭四迷や坪内逍遥によって言文一致という大事業が完遂されたことである.旧来の言語意識を打破した「ことばの文明開化」ともいうべきこの言文一致の完成は,〔中略〕日本語の歴史において最も優れた言語改革といえよう.これによって新しい文学表現が誕生することとなった.(14)


第2次世界大戦以降,日本は大きく変貌した.外的要因によって社会的変革が行われたからである.これによって日本語も大きく変化した.それまで行われてきた歴史的仮名遣が,現代仮名遣へと変更されたのである.規範の更改である.日本語史上,規範の更改が外的要因によってなされたことの意義はきわめて大きいといわざるをえない.改革という大きな力が加わらなければ,規範自らは動かないのが常である.外的な強い要請に基づいて制定されたこの期の現代仮名遣の施行は,日本語史上きわめて大きな出来事として注目される (14--15)


 英語史において,このような文体やスペリングの更改が短期間で著しく生じたことは,ノルマン征服による規範的書き言葉の瓦解という劇的な契機を除けば,ほとんどないといってよい.書き言葉において「自然体の変化」というのは厳密にいえば矛盾した言い方ではあるが,日本語史に比べれば英語史での変化は,より「自然体」だったとはいえるだろう.言語計画や言語政策という概念や用語は,概して英語史よりも日本語史のほうにふさわしい.

 ・ 清水 史 「第1章 日本語史概観」服部 義弘・児馬 修(編)『歴史言語学』朝倉日英対照言語学シリーズ[発展編]3 朝倉書店,2018年.1--21頁.

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2018-10-08 Mon

#3451. 巣鴨学園で英語史の講演をしました [hel_education][sobokunagimon][link]

 一昨日10月6日(土)の午後に,巣鴨学園にて高大連携プロジェクトの一環として英語史の話題について講演する機会をいただきました.校長先生をはじめ関係の先生方,とりわけ今回の講演のきっかけを作ってくれた,かつて私の学部・院ゼミに属し,英語史を専攻していた英語科の山﨑隆博先生に,心より感謝致します.ありがとうございました.しかし,何よりも予定の1時間を超過しての講演に熱心に耳を傾け,さらに質疑応答タイムを大幅に超過しながら飽くなき好奇心を示してくれた巣鴨学園の生徒のみなさんに感銘を受けました.最も楽しんで学ばせてもらったのは,私自身だったと思います.  *
 「英語史 --- 英語の見方を180度変える『開眼』体験」とやや大袈裟なタイトルを掲げて話したのですが,質疑応答タイムでは様々な「素朴な疑問」が飛び出しました.いくつか挙げつつ,関連する記事へのリンクを張っておきます.

 ・ なぜアルファベットは26文字なの? (cf. 「#3049. 近代英語期でもアルファベットはまだ26文字ではなかった?」 ([2017-09-01-1]))
 ・ アルファベットの各文字の名前はどうやって決まっているの? (cf. 「#1831. アルファベットの子音文字の名称」 ([2014-05-02-1]))
 ・ なぜ A は「アー」ではなく「エイ」と発音するの? (cf. 「#205. 大母音推移」 ([2009-11-18-1]))
 ・ なぜ name, take などのスペリングには読まない e があるの? (cf. 「#1289. magic <e>」 ([2012-11-06-1]))
 ・ なぜ母音の後の r はアメリカ英語では響くのにイギリス英語では発音しないの? (cf. 「#452. イングランド英語の諸方言における r」 ([2010-07-23-1],「#453. アメリカ英語の諸方言における r」 ([2010-07-24-1]))
 ・ なぜ s とは別に th の発音があるの? (cf. 「#842. th-sound はまれな発音か」 ([2011-08-17-1]))
 ・ 今英語に起こっている発音の変化は? (cf. 「#860. 現代英語の変化と変異の一覧」 ([2011-09-04-1]))
 ・ なぜ昔の発音がわかるの? (cf. 「#437. いかにして古音を推定するか」 ([2010-07-08-1]))
 ・ なぜ go は,go -- went -- gone という活用なの? (cf. 「#43. なぜ go の過去形が went になるか」 ([2009-06-10-1]),「#1482. なぜ go の過去形が went になるか (2)」 ([2013-05-18-1]))
 ・ なぜ bad は,bad -- worse -- worst という比較変化なの? (cf. 「#1580. 補充法研究の限界と可能性」 ([2013-08-24-1])
 ・ 副詞語尾の -ly とはいったい何? (cf. 「#40. 接尾辞 -ly は副詞語尾か?」 ([2009-06-07-1]))
 ・ なぜ -ing には現在分詞と動名詞の2つの用法があるの? (cf. 「#2421. 現在分詞と動名詞の協働的発達」 ([2015-12-13-1]))

 英語学習者のみなさん,是非このような「素朴な疑問」を大切にしてください!

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2018-10-07 Sun

#3450. 「余はフランス人でありフランス語を話す」と豪語した(はずの)ヘンリー2世 [monarch][french][map]

 ヘンリー2世 (Henry II; 1133--89年;統治1154--89年) は,Plantagenet 王朝の開祖,イングランド王にして,12世紀半ばの西ヨーロッパに突如出現したアンジュー帝国 (the Angevin Empire) の「皇帝」である.先祖代々の継承地に加え,アリエノールとの結婚によって獲得した土地,そして征服や外交によって得た領土を含め,イギリス海峡をまたいだ広大な地域を治めることになった.具体的には,次の地図(君塚,p. 73の「アンジュー帝国」より)の示すとおり,勢力範囲はスコットランド国境からピレネー山脈に及んでおり,実力としては対抗するフランス王を優に超えていた.

Map of the Angevin Empire

 ヘンリー2世は,軍役代納金の本格的導入,法制・財政の諸制度改革,巡回裁判制度の拡充,聖職者や教会の特権の制限,自由都市の認可など数々の業績を残した.カンタベリー大司教ベケットとの対立したり,野心的な拡張主義を実践したという側面はあるが,英王と評価してよいだろう.しかし,英語史の観点からいえば,イングランド王でありながら,フランス人であることを主張し,フランス語で押し通したという点に注目したい.森 (47) 曰く,

ヘンリー二世は,「イングランド王ではあったが,決してイングランド人の王ではなかった」とも評されている.プランタジニット王家は,アーンジュ家の血を引くことから「アーンジュ王家」とも呼ばれるが,彼の場合は,まさしくアーンジュの人,つまりフランス人で押し通し,フランスからイェルサレムまでの言葉を理解したといわれながらも,遂にイングランドの言葉は全く理解しなかったし,その努力もしなかった.そのイングランドにおける統治の充実も,飽くまでも大陸における彼の野望達成のための手段であったとする見方もある.彼が「短いマント (Curtmantle)」のニックネイムで呼ばれたのも,それまでの長いローブとは異なる,アーンジュ・スタイルのマントを持ちこんだことによる.


 この種の「フランスかぶれ」は,ノルマン王家とプランタジネット王家においては珍しくもない当たり前の事実だったが,ヘンリー2世は,その後を継いだ息子のリチャード1世に比べれば,ノルマンディとイングランドをそこそこ足繁く往復していた方ではあるといえるだろう (cf. 「#3447. Richard I のイングランド滞在期間は6か月ほど」 ([2018-10-04-1])) .皇帝は出不精ではいけない,フットワークの軽さが重要である.

 ・ 森 護 『英国王室史話』16版 大修館,2000年.

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2018-10-06 Sat

#3449. Chaucer 関連年表 [chaucer][timeline]

 Fisher and Allen の見返しにある "A Chaucer Chronology" を再現する.Chaucer が公職で最も忙しかった時期に,創作活動が活発化しているということがわかる.1380年代?1390年代が,The Canterbury Tales の執筆を含む,最も脂ののった時期である.

1327Edward III crowned, age 14.  
1328Edward marries Philippa of Hainault; Sir Paon de Roet in her entourage.  
1330Birth of Edward, the Black Prince.  
1331England at war with Scotland; France intervenes on behalf of Scotland.  
1338Unsuccessful invasion of northern France (beginning of Hundred Years' War); John Chaucer (Geoffrey's father) in the King's company.  
1340(?)Birth of Geoffrey Chaucer. Birth of John of Gaunt. Edward III takes title "King of France"  
1346Battle of Cr&eacute;cy  
1348Black Death  
1356Battle of Poitiers; high point of England's success in the wars with France.  
1357First record of Chaucer: in household of Countess of Ulster, wife of Prince Lionel. Philippa Pan' also in household.  
1359May: (?) Chaucer at wedding of John of Gaunt and Blanche of Lancaster. Gaunt becomes Duke of Lancaster. After November 3: Chaucer in French war in Prince Lionel's company.  
1360Chaucer captured and ransomed by the King.  
1361Black Prince marries Joan of Kent. (?) Chaucer at Inns of Chancery.Prier a Nostre Dame; Romaunt of the Rose; early Complaints (--1367) 
1363Death of Countess of Ulster. (?) Philippa Pan' enters service of Queen Philippa. (?) Chaucer at Inns of Court.  
1366February 22--May 24: safe conduct for Chaucer to travel in Spain. Philippa Chaucer (so designated) granted royal annuity of 10 marks.  
1367Geoffrey Chaucer granted royal annuity of of 20 marks. Chaucer enters the King's service.  
1368Death of Blanche, Duchess of Lancaster. French war active. Chaucer on mission in France.Book of the Duchess (--1369) 
1369Chaucer with Gaunt in raid on Picardy. Death of Queen Philippa. (?) Philippa Chaucer enters Gaunt's household.  
1370June 20--September 29: Chaucer on mission in France, (?) with Gaunt in Aquitaine.  
1371Gaunt marries Princess Costanza of Castile.  
1372Katherine Swynford, sister of Philippa Chaucer, bears first son by Gaunt. August 30: Gaunt grants Philippa Chaucer annuity of ?10. December 1: Chaucer leaves for Genoa, visits Florence. (Boccaccio in Florence; Petrarch in Padua.)Parliament of Fowls; St. Cecilia; Monk's tragedies; Anelida (--1377) 
1373May 23: Chaucer returns to London. (?) Birth of Thomas Chaucer. July 13: Gaunt goes to French wars.  
1374April 10: Gaunt returns from French wars. April 23: Chaucer receives a royal grant of a pitcher of wine daily. May 10: Chaucer leases Aldgate house and sets up housekeeping. June 8: Chaucer made controller of customs. June 13: Geoffrey and Philippa receive ?10 annuity from Gaunt.  
1376Death of Black Prince. Chaucer on mission to Calais.  
1377February 17, April 30: Chaucer on missions in France concerning peace treaty and marriage of Richard. June 22: death of Edward III and accession of his grandson, Richard II, age 10. Government controlled by Gaunt.  
1378January 16--March 9: Chaucer in France concerning marriage of Richard to French king's daughter Marie. April 18: daily pitcher of wine replaced by annuity of 20 marks. May 28--September 19: Chaucer in Lombardy to treat with Barnado Visconti (Gower given Chaucer's power of attorney).House of Fame; Boece; Boethian balades; Palamon and Arcite (--1381) 
1380May 1: Chaucer released from suit for "raptus" of Cecily Champain. (?) Birth of Lewis Chaucer.  
1381Peasants' Revolt. June 19: deed of Geoffrey Chaucer, son of John Chaucer, vintner of London, quitclaiming his father's house.  
1382Richard II marries Anne of Bohemia.Troylus and Criseyde; Legend of Good Women (--1386) 
1383Chaucer obtains first loan against his annuity.  
1385October 12: Chaucer appointed justice of the peace in Kent. Political struggle between Gaunt and his brother, Thomas of Woodstock. September: death of Joan of Kent.  
1386Justice of peace reaffirmed. February 19: Philippa admitted to fraternity of Lincoln Cathedral. August: Chaucer elected member of parliament from Kent. October 5: Aldgate house rented to Richard Forester. October 15: Scrope-Grosvenor trial. December 4: Adam Yardley appointed controller of customs.Canterbury Prologue; early Tales (Knight, Part VII) (--1387) 
1387June 18: last payment of annuity of Philippa Chaucer.  
1388May 1: Chaucer surrenders his royal annuities to John Scalby of Lincolnshire.Fabliaux (Miller, Reeve) (--1389) 
1389King Richard assumes power. Chaucer appointed clerk of the King's works (more than ?30 a year).  
1390Commissions to repair St. George's Chapel, Windsor; to oversee repairs on the lower Thames sewers and conduits; to build bleachers for jousts at Smithfield, etc. The three robberies. Chaucer appointed subforester of North Petherton, Somerset.Marriage group (Wife of Bath, Friar, Summoner, Merchant, Clerk, Franklin); Astrolabe; Equatorie (--1394) 
1391June 17: another clerk of the works appointed.  
1393Chaucer granted a gift of ?10 from Richard for services rendered "in this year now present."  
1394Death of Queen Anne. Chaucer granted a new annuity of ?20.  
1395Richard marries Isabella of France. Thomas Chaucer marries heiress Maud Burghersh.  
1396John of Gaunt marries Katherine Swynford.Balades to Scogan, Bukton (--1399) 
1398Chaucer borrows against his annuity; action for debt against Chaucer; letters of protection from the King.  
1399Deposition of Richard II. Election of Henry IV. Death of John of Gaunt. October 13: on his coronation day, Henry doubles Chaucer's annuity. December 24: Chaucer signs 53-year lease for tenement in the garden of the Lady Chapel, Westminster Abbey.  
1400September 29: last record of Chaucer: quittance given by him for a tun of wine received. October 25: date of Chaucer's death on tombstone in Westminster Abbey (erected in 1556)  


 ・ Fisher, John H. and Mark Allen, eds. The Complete Canterbury Tales of Geoffrey Chaucer. Boston: Thomson Wadsworth, 2006.

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2018-10-05 Fri

#3448. autumn vs fall --- Johnson と Pickering より [link][ame_bre][johnson]

 「秋」は autumnfall かという問題に関連して,これまでも「#1221. 季節語の歴史」 ([2012-08-30-1]) や「#2925. autumn vs fall, zed vs zee」 ([2017-04-30-1]) の記事で,そして特に「#2916. 連載第4回「イギリス英語の autumn とアメリカ英語の fall --- 複線的思考のすすめ」」 ([2017-04-21-1]) よりリンクを張った拙論「イギリス英語の autumn とアメリカ英語の fall --- 複線的思考のすすめ」で詳しく取り上げてきた.
 先日,Dictionary by Merriam-Webster の語法ページより Is It 'Autumn' or 'Fall'? という記事を見つけた.そこで,「秋」を意味する fall は,辞書の上では Johnson の A Dictionary of the English Language (1755) まで掲載されていなかったと述べられているので,早速その Johnson に当たってみた.名詞 fall の第13語義にあった.

13. Autumn; the fall of the leaf; the time when the leaves drop from the trees.
          What crowds of patients the town-doctor kills,
     Or how last fall he rais'd the weekly bills. Dryden's Juven.


 語義13という位置づけからして,「秋」の意味での fall はイギリス英語ではあくまでマイナーな「秋」語だったと推測できる.一方,次の世紀の前半には,アメリカ英語では fall が最も普通の「秋」を表わす語になっていたことが,John Pickering の A Vocabulary, or Collection of Words Which Have Been Supposed to Be Peculiar to the United States of America (1816) に見える次の記述より知られる(上記の語法ページより孫引き).

A friend has pointed out to me the following remark on this word: "In North America the season in which this [the fall of the leaf] takes place, derives its name from that circumstance, and instead of autumn is universally called the fall."

Referrer (Inside): [2023-02-01-1]

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2018-10-04 Thu

#3447. Richard I のイングランド滞在期間は6か月ほど [monarch][heraldry]

 父王 Henry II のアンジュー帝国を引き継いだ獅子心王 (Coeur de Lion or Lion-Heart) こと Richard I (1157--99,在位 1189--99) は,世間には人気の高い歴代イングランド王の1人である.第3回十字軍に参加してイェルサレムを目指し,善戦してサラディンとの和平を結ぶも,帰路に捕虜として捕えられ,莫大な身代金によりようやく釈放されて帰国し,戴冠した.この波瀾万丈なキャリアが,人々の関心を集めるのだろう.
 しかし,イングランドの統治者としては,相当にひどいタイプである.何しろ在位10年ほどの間のほとんどを,遠征などのために大陸で費やしており,イングランドへの訪問は2回のみ,しかも総滞在期間はわずか6か月という始末である.当然ながら,「#1204. 12世紀のイングランド王たちの「英語力」」 ([2012-08-13-1]) で述べたように,英語には一切関心がなかった.ちなみに,王妃ベレンガリアに至っては,一度もイングランドの地を踏んでいないというから,さらに上手だ.
 遠征にかかる費用や身代金のために借金地獄に陥った Richard I は,税収を確保するために国璽 (Great Seal) の改訂という驚くべき手段に訴えた.王家や王国の収支証明書は,国璽がないと無効になる.この国璽を改訂することによって,それまでに発行していた証明書を無効にする,つまり借金を反故にするという狙いである.おもしろいのは,図案の改訂の仕方である.改訂前の国璽に描かれている楯には,立ち上がったライオンが見え,おそらく見えない部分も合わせてライオン2頭が向かい合う図案だったと思われる.ところが,改訂後の国璽の楯には,歩き姿のライオン3頭が描かれている.この新図案は,後にイングランド王家に受け継がれていく紋章の図案であり,実際に現在でも用いられている(cf. 「#433. Law French と英国王の大紋章」 ([2010-07-04-1])).
 この改訂について,森 (67--68) は次のように述べている.

ヨーロッパの紋章は,十字軍遠征に参加した騎士たちの間で,既に紋章を持ち始めたドイツ騎士たちのものに,各国の騎士が異常なほど関心を示して,これが一挙といえるほどに,各国への紋章の普及に貢献した.私見ではあるが,リチャード一世の最初の玉璽に見える楯のデザインは,決してスマートなものとは思えないし,リチャードも聖地で目にした他国の進んだ紋章デザインに刺激されて,二度目のシールにみるような楯に変えたのではなかろうか.


 国璽の改訂は,いわば国王 Richard I の財政的愚行を象徴するできごとだったわけだが,それが現イギリス女王にまで引き継がれているというのが,なんとも皮肉である.なお,現行の大紋章の下部にある Dieu et mon droit (神とわが権利)というフランス語のモットーは,Richard I の戦場での雄叫びに由来するという.Richard I は,イギリスの紋章史においては絶大な影響力を誇った王といえるだろう.
 英語史の観点からは,Richard I がそれほどまでにイングランド統治を無視してきたという事実に注目したい.これは英語に対する無関心ということでもあった.この言語的無関心により,英語は内外から締めつけられることなく,自由闊達に,ありのままの変化と変異を謳歌しつつ,豊かな言語へと成長していったのである.

 ・ 森 護 『英国王室史話』16版 大修館,2000年.

Referrer (Inside): [2018-10-07-1]

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2018-10-03 Wed

#3446. 5つの爵位の筆頭 duke [me][history][title]

 イギリスの爵位として,公侯伯子男の5つが知られている.duke (公爵), marquess (侯爵), earl (伯爵), viscount (子爵), baron (男爵)である.14世紀半ばまでは,議会に参加する世俗諸侯は,大雑把に earlbaron かに分類される程度だったが,この時期から5つの爵位が定着していく.爵位名はそれぞれ独自の由来をもち,ここに合流して初めてセットとして捉えられるようになった.
 筆頭の duke (公爵,大公)に注目しよう.この語は,ラテン語 dux, duc- (軍勢の指導者)に起源をもつ.対応する動詞は ducere (導く)である.dux はフランス語 duc を経て,初期中英語に duk, duc などとして入ってきたが,当初は「小国の君主」「指導者」ほどの意味であり,爵位の筆頭としての「公爵」の意に用いられるのは14世紀前半のことである.
 dux はローマ帝国の拡大に貢献した軍団の長を指す語だったが,帝国崩壊の後,フランク王国などで最上位の称号となった.ノルマン征服以降のイングランド王はノルマンディ公爵でもあったために,自身と同じ格付けを軽々に与えるのをよしとせず,公爵位の授爵をためらってきたが,14世紀になるとそれも解禁されるようになった.イングランドで最初に「公爵」の地位を与えられたのは Edward III の子の Edward (後に黒太子 "Black Prince" と呼ばれる)であり,彼は1337年に Duke of Cornwall に叙せられた.その後,彼の弟たちにも公爵位が与えられ,Duke of Clarence, Duke of Lancaster, Duke of York, Duke of Gloucester などが誕生した.
 女性形 duchess (公爵夫人)も同じ時期に英語に入ってきており,duchy (公国,公国領)もしかりである.これらの派生語で第2子音が /ʧ/ と破擦音化しているのはフランス語での発音を反映したものである.前者は,16--19世紀には発音に引かれて dutchess の綴字で用いられることが多かった.

Referrer (Inside): [2018-10-19-1]

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2018-10-02 Tue

#3445. 日本語史も英語史も,時空間内の無数の点をそれらしく結んでいこうとする行為 [japanese][historiography][variety][philology][writing][medium]

 昨日の記事「#3444. 英語史は,英語の時空間内の無数の点をそれらしく結んでいこうとする行為」 ([2018-10-01-1]) の内容は,そのまま日本語史にも当てはまるし,さらにいえば他の多くの個別言語の歴史にも当てはまるだろう.日本語史について,清水 (4) は次のように述べている.

文献にみえる日本語がどのような日本語を反映しているのか,そのことは日本語の歴史を考える際に最も重要なことである.文献資料は幸いに古代から現代まで残っているものの,そこにはそれぞれの時代の文献に反映されている言葉の方処的な問題とその言葉の担い手の問題とがいつも絡んでいることに留意しなければならない.
 方処的な問題というのは,奈良時代にあっては大和地方の言葉,平安時代以降約千年弱は京都地方の言葉,江戸時代後半以降にあっては江戸・東京の言葉というように,政治・文化の中心地に即して移動していることである.したがって,ここに中央語の歴史という言い方をするならば,その流れは地域に連続性を欠くために,連綿としたときの流れの中に中央語の歴史を扱うのはなかなか厄介である.
 一方,言葉の担い手に関しても奈良?平安時代には貴族や僧侶の言葉,鎌倉時代には武士の言葉,室町時代には上層町人の言葉,江戸時代後期には下層町人の言葉が加わることとなり,ひと口に中央語といってもその内実は等質的なものではないのである.


 一方,時の試練を経て長く保たれた京都の都言葉は,新興勢力の言葉によって大きく変更することはなかったのも事実である.とはいえ,上の事情は日本語史を記述する上で非常に重要な点である.
 英語史でも近年では The Stories of EnglishAlternative Histories of English などの諸変種の歴史を盛り込んだ記述が見られるようになってきたが,一般的に英語史といえば「中央語」の歴史記述が期待されるという状況は大きく変わっていない.英語史においても「中央語」は空間的にも位相的にも連続性を欠いているということは厳然たる事実であり,銘記しておく必要があるだろう.
 改めて,個別言語史は時空間内の無数の点をそれらしく結んでいこうとする行為なのである.

 ・ 清水 史 「第1章 日本語史概観」服部 義弘・児馬 修(編)『歴史言語学』朝倉日英対照言語学シリーズ[発展編]3 朝倉書店,2018年.1--21頁.

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2018-10-01 Mon

#3444. 英語史は,英語の時空間内の無数の点をそれらしく結んでいこうとする行為 [historiography][register][dialect][variety][philology][writing][medium]

 英語史研究において,しばしば見過ごされるが,きわめて基本的な事実として,現存する文献資料のムラの問題がある.時代によって文献資料の量や種類に大きな差があるという事実だ.
 種類の差といっても,それ自体にも様々なタイプがある.時代によって,文献が書かれている方言が異なる場合もあれば,主立った書き手たちの階級や性など,社会的属性が異なる場合もある.時代によって,媒体も発展してきたし,文章のジャンルも広がってきた.書き表される位相の種類にも,時代によって違いがみられる.
 現存する文献資料の言語が,時代によって多種多様であるということは,その言語の歴史を通じての「定点観測」が難しいということである.地域方言に限定して考えても,主たる方言,すなわち「中央語」の方処は,後期古英語期ではウェストサクソンであり,初期中英語期では存在せず,後期中英語期以降はロンドンである.つまり,1つの方処に立脚して一貫した英語史を描くことはできない.
 時代ごとに書き言葉の担い手も変わってきた.中世ではものを書くのは,ほぼ聖職者や王侯貴族に限られていたが,中世後期からは,より広く世俗の人々にものを書き記す機会が訪れるようになり,近現代にかけては教育の発展とともに書き言葉は庶民に開かれていった.書き言葉の担い手という側面においても,定点観測の英語史を描くことは難しい.
 では,普段当たり前のように使う「英語の歴史」とは何を指すのだろうか.「英語」そのものと同じように「英語の歴史」も,かなりの程度,フィクションなのだろうと思う.英語史は,単なる英語という言語に関する事実の時系列的な記述ではなく,本来は互いに結びつけるには無理のある時空間内の無数の点を,ある程度の見栄えのする図形へと何とか結びつける営為なのではないか.ただし,ポイントはそれらの点をランダムに結ぶわけではないということだ.そこには,自然に見えるための工夫がほしい.自然に見えるということは,おそらく真実の何某かを反映しているはずだ,という希望をもちながら.

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最終更新時間: 2024-02-28 16:15

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