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ecolinguistics - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2021-10-28 08:22

2021-09-10 Fri

#4519. "ecolinguistics" という分野 [ecolinguistics][linguistics][biology][world_languages][language_death]

 最近よく見かけるようになった ecolinguistics という用語.ある種の流行語なのか,何となくトレンドで私も言ったり言わなかったりするが,本当はよく分かっていない.エコロジーと言語学の掛け合わせということは分かるが,何を意味しているのだろうか.
 Phillipson and Skutnabb-Kangas (318) によると,"ecolinguistics", "language ecology", "linguistic ecology" はおよそ同義であり,このようなケースでの "ecology" は緩く "context" や "language environment" を指すのだという.まさに「環境」だ.では「環境」とは何なのかというと,ミクロ・マクロの社会言語学的,教育学的,経済学的,政治学的背景のことだという.そしてその直後に,流行語でありメタファーなので,そのところはヨロシクという感じで締めている.結局のところ,よく分からない.
 しかし,言語との関連での "ecology" をもっと厳密に考えている論者も少なくない.Phillipson and Skutnabb-Kangas も実はそのような考え方のようで,「物理的,生物学的,および社会学的環境」のことと捉えているようだ (319) .言語との関連で「社会学的」というのは分かるような気がするのだが「生物学的」というのはどういうことだろうか.どうやら Phillipson and Skutnabb-Kangas は,これを本気で言っている.
 Phillipson and Skutnabb-Kangas の主張を一言で要約するのは難しいが,「#601. 言語多様性と生物多様性」 ([2010-12-19-1]) で紹介したことを前提としていることは確かである.要するに,世界における言語多様性と生物多様性の分布が相関関係にあるという事実に基づいた着想のようだ.その上で,生物多様性を保持するための知識は人間の言語のなかに蓄積されており,後者を尊重することによって前者も保たれる,という立場をとっている.言語多様性の消失(保全)は生物多様性の消失(保全)に直結する,という議論だ.
 この議論についてどう考えればよいのか私は分からないままなので,まず Phillipson and Skutnabb-Kangas (323--24) の議論をそのまま引用しておきたい.

Most of the world's megabiodiversity is in areas under the management or guardianship of Indigenous peoples. Most of the world's linguistic diversity resides in the small languages of Indigenous peoples. Much of the detailed knowledge of how to maintain biodiversity, including TEK [= traditional ecological knowledge], is encoded in the language of Indigenous peoples. If we continue as now, most of the world's Indigenous languages will be gone by 2100. ICSU [= International Council for Science] states (2002) that "actions are urgently needed to enhance the intergenerational transmission of local and Indigenous knowledge...Traditional knowledge conservation, therefore, must pass through the pathways of conserving language (as language is an essential tool for culturally-appropriate encoding of knowledge)." Since TEK is necessarily encoded into the local languages of the peoples whose knowledge it is, this means that if these local languages disappear (without the knowledge being transferred to other, bigger languages, which it isn't) the knowledge is lost. By killing the languages we kill the prerequisites for maintaining biodiversity. Ecolinguistic diversity is essential because it enhances creativity and adaptability and thus stability.


 物理的・生物的なエコロジーと社会的・言語的エコロジーはリンクしているのだ,という叫びと理解した.皆さんはどう考えますか.

 ・ Phillipson, Robert and Tove Skutnabb-Kangas. "English, Language Dominance, and Ecolinguistic Diversity Maintenance." Chapter 16 of The Oxford Handbook of World Englishes. Ed. by Markku Filppula, Juhani Klemola, and Devyani Sharma. New York: OUP, 2017. 313--32.

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2021-08-29 Sun

#4507. World Englishes の類型論への2つのアプローチ [world_englishes][variety][typology][linguistic_ideology][ecolinguistics][methodology]

 昨日の記事「#4506. World Englishes の全体的傾向3点」 ([2021-08-28-1]) で触れたように,世界英語 (world_englishes) の研究はコーパスなどを用いて急速に発展してきている.Fong (88) による概括を参照すると,研究の潮流としては,世界英語の普遍性と多様性を巡る類型論 (typology) には大きく2つの方向性があるようだ.
 (1) 1つは様々な英語に共通する "angloversals" を探る方向性である.ENL と ESL の英語変種を比べても,一貫して受け継がれているかのように見える不変の特徴が確認される.ここから "angloversals" と称される英語諸変種の共通点を探る試みがなされてきた.「継承」という通時的な側面はあるが,その結果としての類似性を重視する共時的な視点といってよいだろう.
 (2) もう1つは,どちらかというと英語の諸変種間で共通する側面や相違する側面があることを認め,なぜそのような共通点や相違点があるのかを,歴史社会的なコンテクストに基づいて説明づけようとする視点である.主唱者の Mufwene (2001) の見方を参照すれば,諸英語の歴史的発展は接触言語の特徴や社会経済的な環境,いわゆる「言語生態系」に敏感なものであるということになる.
 Fong は,世界英語研究への対し方として,このような2つの系譜があることをサラっと紹介しているが,言語イデオロギー的には,この2つは相当に異なるベルクトルをもっているものと思われる.研究者も自らがどちらの視点に立つかを自覚しておく必要があるように思われる.

 ・ Fong, Vivienne. "World Englishes and Syntactic and Semantic Theory." Chapter 5 of The Oxford Handbook of World Englishes. Ed. by Markku Filppula, Juhani Klemola, and Devyani Sharma. New York: OUP, 2017. 84--102.
 ・ Mufwene, S. S. The Ecology of Language Evolution. Cambridge: CUP, 2001.

Referrer (Inside): [2021-10-19-1] [2021-08-31-1]

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2020-12-21 Mon

#4256. 「言語の死」の記事セット [hellog_entry_set][language_death][statistics][world_languages][linguistic_right][language_shift][dialect][linguistic_imperialism][ecolinguistics][sociolinguistics]

 社会言語学の授業等で「言語の死」 (language_death) の話題に触れると,関心をもつ学生が多い.目下,世界中で12日に1言語というハイペースで言語が失われているという事実を知ると,当然ながらショックを受けるのだろう.今のところ安泰な立場にある日本語という大言語を常用しており,さらに世界第一の通用度を誇る超大言語である英語を義務教育のなかで学習してきた者にとって,絶滅危機に瀕した言語が世界にそれほど多く存在するということは,容易に想像もできないにちがいない.平均的日本人にとって「言語の死」とはある意味で遠い国の話しだろう.
 しかし,日本国内にも危機に瀕する言語は複数ある.また,言語を方言と言い換えれば,方言の死,少なくとも方言の衰退という話題は聞いたことがあるだろう.
 英語を筆頭とする世界的な影響力をもつ超強大な言語は,多くの弱小言語の死を招いているのか否か,という問題もある.もしそうだとすれば,英語のような言語は殺人的な言語であり,悪者とみなすべきなのか.もし弱小言語を救うというのであれば,誰がどのように救うのか.そもそも救う必要があるのか,ないのか.一方,自らが用いる言語を選ぶ「権利」(言語権)を個人に認めるとするならば,その個人に課せられる「義務」は何になるだろうか.
 このように「言語の死」を考え始めると,議論すべき点が続々と挙がってくる.社会言語学の論点として第一級のテーマである.議論に資する参考記事として「言語の死」の記事セットをどうぞ.

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2016-04-19 Tue

#2549. 世界語としての英語の成功の負の側面 [native_speaker_problem][language_death][sociolinguistics][elf][lingua_franca][model_of_englishes][linguistic_imperialism][ecolinguistics]

 英語が世界的な lingua_franca として成功していることは,英語という言語に好意的な態度を示す者にとって喜ばしい出来事だったにちがいないが,世界にはそのように考えない者も多くいる.歴史的,政治的,文化的,宗教的,その他の理由で,英語への反感を抱く人々は間違いなく存在するし,少なくとも積極的には好意を示さない人も多い.英語の成功には正負の両側面がある.広域コミュニケーションの道具としての英語使用など,正の側面は広く認識されているので,今回は負の側面に注目したい.
 英語の負の側面は,英語帝国主義批判の議論で諸々に指摘されている.端的にいえば,英語帝国主義批判とは,世界が英語によって支配されることで人類の知的可能性が狭められるとする意見である(「#1606. 英語言語帝国主義,言語差別,英語覇権」 ([2013-09-19-1]) や linguistic_imperialism の各記事を参照されたい).また,英語の成功は,マイノリティ言語の死滅 (language_death) を助長しているという側面も指摘される.さらに,興味深いことに,英語が伸張する一方で世界が多言語化しているという事実もあり,英語のみを話す英語母語話者は,現代世界においてむしろ不利な立場に置かれているのではないかという指摘がある.いわゆる native_speaker_problem という問題だ.この辺りの事情は,Baugh and Cable (7) が,英語の成功の "mixed blessing" (= something that has advantages and disadvantages) として言及している.

Recent awareness of "engendered languages" and a new sensitivity to ecolinguistics have made clear that the success of English brings problems in its wake. The world is poorer when a language dies on average every two weeks. For native speakers of English as well, the status of the English language can be a mixed blessing, especially if the great majority of English speakers remain monolingual. Despite the dominance of English in the European Union, a British candidate for an international position may be at a disadvantage compared with a young EU citizen from Bonn or Milan or Lyon who is nearly fluent in English.


 英語の世界的拡大の正と負の側面のいずれをも過大評価することなく,それぞれを正当に査定することが肝心だろう.

 ・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.

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2014-03-18 Tue

#1786. 言語権と言語の死,方言権と方言の死 [sociolinguistics][language_death][linguistic_right][dialect][ecolinguistics]

 昨日の記事で「#1785. 言語権」 ([2014-03-17-1]) を扱い,関連する話題として言語の死については language_death の各記事で取り上げてきた.近年,welfare linguistics や ecolinguistics というような考え方が現れてきたことから,このような問題について人々の意識が高まってきていることが確認できるが,意外と気づかれていないのが,対応する方言権と方言の死の問題である.
 「#1636. Serbian, Croatian, Bosnian」 ([2013-10-19-1]) その他の記事で,言語学的には言語と方言を厳密に区別することは不可能であることについて触れてきた.そうである以上,言語権と方言権,言語の死と方言の死は,本質的に同じ問題,一つの連続体の上にある問題と解釈しなければならない.しかし,一般には,よりグローバルな観点から言語権や言語の死には関心がある人々でも,ローカルな観点から方言権や方言の死に対して同程度の関心を示すことは少ない.本当は後者のほうが身近な話題であり,必要と思えばそのための活動にも携わりやすいはずであるにもかかわらずだ.Trudgill (195) は,この事実を鋭く指摘している.

Just as in the case of language death, so irrational, unfavourable attitudes towards vernacular, nonstandard varieties can lead to dialect death. This disturbing phenomenon is as much a part of the linguistic homogenization of the world --- especially perhaps in Europe --- as language death is. In many parts of the world, we are seeing less regional variation in language --- less and less dialect variation. / There are specific reasons, particularly in the context of Europe, to feel anxious about the effects of dialect death. This is especially so since there are many people who care a lot about language death but who couldn't care less about dialect death: in certain countries, the intelligentsia seem to be actively in favour of dialect death.


 言語の死や方言の死については,致し方のない側面があることは否定できない.社会的に弱い立場に立たされている言語や方言が徐々に消失してゆき,言語的・方言的多様性が失われてゆくという現代世界の潮流そのものを,覆したり押しとどめたりすることは現実的には難しいだろう.淘汰の現実は歴然として存在する.しかし,存続している限りは,弱い立場の言語や方言,そしてその話者(集団)が差別されるようなことがあってはならず,言語選択は尊重されなければならない.逆に,強い立場の言語や方言に関しては,それを学ぶ機会こそ万人に開かれているべきだが,使用が強制されるようなことがあってはならない.上記の引用の後の議論で,Trudgill はここまでのことを主張しているのではないか.

 ・ Trudgill, Peter. Sociolinguistics: An Introduction to Language and Society. 4th ed. London: Penguin, 2000.

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2013-09-26 Thu

#1613. 道路案内標識の英語表記化と「言語環境」 [bilingualism][language_planning][geolinguistics][linguistic_landscape][ecolinguistics]

 昨日の記事「#1612. 道路案内標識,ローマ字から英語表記へ」 ([2013-09-25-1]) で話題にした道路案内標識の英語表記化の施策について,言語計画 (language_planning) という観点から議論を続けたい.カルヴェによると,このような問題は「言語環境」あるいは「地域の言語記号化」というキーワードのもとで議論される.少々長いが,カルヴェ (62--65) より「言語環境」と題された1節のほとんどを引用する.

 町で通りを散歩したり、空港に着いたり、ホテルの部屋でテレビのチャンネルをつけたりすると、ポスターや広告、テレビ番組、シャンソンなどに用いられている言語を通じて、言語状況に関する情報を直ちに入手できる。と同時に、社会言語学的状況を注意深く調査して、そこに存在する言語や言語変種をよく知るにつれて、その多くがメディアに登場していないことに気づく。
 日常生活のなかで、言語が口語や文語の形で存在したり、存在していないことを「言語環境」と呼ぶ。一例をあげるなら、ニューヨークでは店の看板に英語や中国語、イタリア語、アラビア語といった言語が見られることから、その地誌を作成することができるし、その環境における言語変種を通じて、現在の変化を見守ることもできる。あるいはまた、イギリスによる中国への香港返還の期日(一九九七年)が近づくにつれて、一九九〇年代の香港の言語環境には中国語の伸張と英語の後退が認められた。
 ニューヨークや香港、また他の首都の言語状況は多くの情報に満ちあふれ、生体のなかにあると言えるが、実験室のなかの言語計画もそのような状況に介入しうるのだ。ある言語話者の日常生活にアルファベットが現われないのに、その言語にアルファベットを与えても何の役にも立たないからだ。通りの名称を示すプレートや道路標識、車両のナンバープレート、宣伝ポスター、ラジオやテレビ番組は、言語振興の目的で介入するのには格好の場である。たとえば、二十年の間隔を経て、一九九〇年代にビルバオ〔スペインの北部バスク地方の港町〕やバルセロナの空港に降り立った旅行者は、ビルバオにはバスク語の表示があり、バルセロナにはカタルーニャ語の表示があることに驚くだろう。この表示は言語環境に計画的な介入が行なわれ、それまで排除されていた言語がその環境を征服した、あるいは挽回したということを示している。同様に、表記環境という観点からすると、一九七〇年から一九八〇年の間に、アルジェの街の通りは、完全に変わってしまった。先に述べたすべての機能の点において、アラビア語がフランス語に取って代わった。このような「地域の言語記号化」は、それが自然に生まれた実践の結果であれ、計画的な実践の結果であれ、社会を記号論的に読みとく道具を提供している。そこに現われる言語には、掲示されているものもあれば、なかなか目にすることのないものもあり、その言語の社会言語学的な重要度やその将来とも無関係ではないのだ。
 したがって、言語計画は環境に働きかけて、諸々の言語の重要性やその象徴的な威信に影響を及ぼすのだ。そしてさらに、互いに多少異なっているとはいえ、実験室のなかの活動は生体のなかの活動方法を用い、そこから着想を得る。たとえば、パリのマグレブ人の肉屋がアラビア語で屋号を掲示するといった自然な言語実践と、屋号はアラビア語の他にフランス語でも提示(つまり翻訳)されねばならないとする公権力による介入との間には、言語(ここでは文字表記)を通じたアイデンティティの表明について同様の意志が認められる。このアイデンティティを求めるアプローチはそれぞれ異なっている、一方は自然な行動から、他方は法の介入によって、アイデンティティを求めているのである。
 だが、この二つの場合でも、地域の言語記号化という機能は同じである。ニューヨークやパリの通りに見られるアラビア語、中国語、ヘブライ語の掲示は、二段階のメッセージを作っている。まず明示的レベルでは、この言語を読むことのできる者だけがメッセージを解読できるという点で、潜在的に受信者をかなり限定する。と同時に、共示的レベルでは、この掲示は別の種類のメッセージとなっている。アラビア語や中国語を読めなくても、その文字体系を識別することができるし、その存在は象徴的役割や証言の役割を果たしている。たとえば、レストランのドアの上にある「広東料理店」という中国語による掲示は二つのことを伝えている。まず、中国語を読める人に「ここは広東料理の店だ」と伝えていると同時に、中国語を読めない人には「これは中国語だ」と伝えている。さらに近くの店が何軒も互いに屋号を中国語で掲げていれば、このような掲示が共存していることから、「これは中国人の通りだ」ということや、「ここは中華街だ」ということがわかる。このような二段階の読解からも、文字環境の重要性がわかる。国家がこの分野への介入を決定すれば、大多数の人びとはしばらくのあいだ、新たに掲示される言語が読めないかもしれない。もちろん、これは住民の識字率による。それでも、これは文字表記として知覚され、その文字の存在は政治による選択を象徴する。


 カルヴェの主旨を今回の道路案内標識の英語表記化という文脈に当てはめると,次のように議論できるだろうか.言語的介入の格好の的である道路案内標識を英語化するという施策を通じて,日本政府は計画的に日本の言語環境を変化させようとしており,英語の伸張を後押ししているということになる.この施策が国民に受け入れられると仮定すると,道路案内標識の英語表記は,明示的レベルと共示的レベルの2つのメッセージを作ることになろう.例えば,"Kanda Sta. West" は,明示的レベルでは,英語表記を理解する者にそれが「神田駅西口」であることを伝える.一方,共示的レベルでは,英語表記を理解する者にもしない者にも,日本は道路案内標識に英語表記を用いることを選択した国であるというメッセージを,そして日本は英語の重要性やその象徴的な威信を政治的に認めているというメッセージを伝える.
 道路案内標識の英語表記化の議論は,この「地域の言語記号化」という視点からなされるべきではないか.
 「言語環境」というキーワードと関連して,「#278. ニュージーランドにおけるマオリ語の活性化」 ([2010-01-30-1]) や「#601. 言語多様性と生物多様性」 ([2010-12-19-1]) で触れた "ecology of language" や "ecolinguistics" という分野も関わりが深い.一方,「地域の言語記号化」は,「#1543. 言語の地理学」 ([2013-07-18-1]) で扱われるべき問題の1つだろう.

 ・ ルイ=ジャン・カルヴェ(著),西山 教行(訳) 『言語政策とは何か』 白水社,2000年.

Referrer (Inside): [2015-03-05-1] [2014-02-06-1]

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2010-12-19 Sun

#601. 言語多様性と生物多様性 [world_languages][language_death][ecolinguistics]

 [2010-06-02-1]の記事で言語の多様性指数 ( diversity index ) について触れた.これは言語密集度と言い換えてもよいだろうが,興味深いことに,この指数は赤道に近いほど高く,両極に近いほど低い傾向がある(柴崎, p. 17).言語多様性指数で世界トップのパプアニューギニアを例に取れば,国土面積でいうと世界の0.4%を占めるにすぎないところに世界総人口の0.055%ほどの人が住んでいるのだが,そこに830もの言語(総言語数の12%)がひしめいている.一方で,例えばグリーンランドは比較的広大だが人口密度は低く,言語数も少ない ( see [2010-01-26-1] ).さらに興味深いことに,言語の死 ( see language_death ) の進行率が不釣り合いに高いのも,やはり赤道に近い地域である.言語密集度と言語消滅可能性は連動していることが知られており,高い値が赤道寄りに偏って分布していることは明らかである(柴崎,p. 21).
 赤道に近いほど言語の多様性と消滅可能性が高いというのは,より広く社会的関心を引きつけている別の話題を想起させる.それは生物種の多様性と消滅可能性である.生物種の多様性も赤道直下をピークとして,両極へ向かうほど密集度が低くなっており,消滅可能性もそれと足並みを揃えている.再びパプアニューギニアを例に取ると,国内に約40万種,世界の全生物種の約5%が生息しているとされ,消滅の度合いも大きいという(柴崎, p. 21).
 ここまで言語多様性と生物多様性の分布が一致すると,ヒトの言語が生態系の一部であることを認めざるを得ない.[2010-01-30-1]で言及したように ecolinguistics という呼称が現われてきていることも納得できるというものである.英語史の観点からこの状況を考察するとどうなるだろうか.言語生態系という考え方が生じている現代の社会においては,英語に代表される世界語は,かつて世界語と呼ばれ得た諸言語とは異なる役割と責任を負うことになるだろう.言語生態系という視点は,今後の英語を動かす,つまり新しい英語史を駆動する力の一つになってゆくかもしれない.
 世界の人口と関連する話題については世界の人口が有益.

 ・ 柴崎 礼士郎 編 『言語文化のクロスロード --- 沖縄からの事例研究 ---』 文進印刷,2009年.

Referrer (Inside): [2021-09-10-1] [2013-09-26-1]

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