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典型的な近代国家は,領土内で公的に通用する唯一の「国語」の制定を要求する.もちろん複数の公用語を掲げるスイス,ベルギー,カナダなどの国家は少なからず存在するが,近代以降の歴史を振り返れば,国家が理想として目指す方向性は明らかに「1国家=1言語」だった.国家は,原則として1つの言語変種を「国語」としてまつりあげる性癖を有しているのである.そのような近現代の国家に所属している私たちのほとんどは,このことを自明のこととして理解しており,あえて自問することをしないが,改めてなぜ国家は唯一の国語を要求するものなのだろうか.
最近,英語の標準化の歴史について再考する機会があり,Haugen の古典的な論文を読み直してみた.そこに,近代国家の目指すところは,"internal cohesion" と "external distinction" であるという寸鉄人を刺す文句をみつけた.その前後の文脈もカバーしつつ,引用しよう.
The definition of a nation is a problem for historians and other social scientists; we may accept the idea that it is the effective unit of international political action, as reflected in the organization of the United Nations General Assembly. As a political unit it will presumably be more effective if it is also a social unit, it minimizes internal differences and maximizes external ones. On the individual's personal and local identity it superimposes a national one by identifying his ego with that of all others within the nation and separating it from that of all others outside the nation. In a society that is essentially familial or tribal or regional it stimulates a loyalty beyond the primary groups, but discourages any conflicting loyalty to other nations. The ideal is: internal cohesion--external distinction.
Since the encouragement of such loyalty requires free and rather intense communication within the nation, the national ideal demands that there be a single linguistic code by means of which this communication can take place. . . . On the other hand, a nation feels handicapped if it is required to make use of more than one language for official purposes, as is the case in Switzerland, Belgium, Yugoslavia, Canada, and many other countries. (Haugen 927--28)
国家は対内的には "internal cohesion" を目指し,対外的には "external distinction" を求める.これを国語制定や標準語化という言語政策の観点から言い直せば,国家は,同じく Haugen のいうように言語に対して "minimum variation in form" と "maximum variation in function" を要求するものだ,ということになろう.国民のあいだで政治的忠誠心を培うためには,濃密なコミュニケーションが必要であり,したがって唯一の共通語が求められるという論理のつながりも,非常にわかりやすい.
関連して,「#2742. Haugen の言語標準化の4段階」 ([2016-10-29-1]) と「#2745. Haugen の言語標準化の4段階 (2)」 ([2016-11-01-1]) も参照されたい.
・ Haugen, Einar. "Dialect, Language, Nation." American Anthropologist. 68 (1966): 922--35.
これまでにも何度か寄せられたことのあった質問です.確かに英語辞書でみても <x> の文字で始まる見出し語は最も少なく,存在感が薄いといえます.
<x> は,その呼び名 /eks/ が示す通り,典型的には /ks/ (あるいはその有声版 /gz/) の発音を表わします (ex. fox, anxious; exit, anxiety) .しかし,これらの子音連鎖は,原則として英単語の語頭には現われません.だから <x> という文字で始まる単語がほとんどないのです.
なぜ語頭では /ks/, /gz/ がありえないのかという問い自体は,難しい問題です.英語でも語頭以外では頻繁に現われる子音連鎖なので,その調音が生理的に難しいということは言えません.また,他の言語に目を移せば,ギリシア語などで,/ks/ は語頭でも普通に現われます.したがって,音声学的な理由を探すことは難しそうです.
しかし,音韻論,より正確には音素配列論 (phonotactics) では,これを単純に「規則」とみなします.つまり,英語では語頭にこの子音連鎖が起こることは許されないという規則があると考えるわけです.日本語でも「ん」は,音声学的には単語内のどの位置に現われても問題ないはずですが,語頭に起こることは原則として許されません.そこで,語頭に「ん」が現われることはできないという音素配列論上の規則があると考えるわけです.このように,各言語には独自の音素配列の規則が備わっています.音素配列論は,非常に多くの,かつ込み入った規則の集合体ですが,母語話者は,母語習得に際して無意識のうちにそれを完璧に学び取ってしまうのです.人間はたいしたものです.
さて,<x> で始まる英単語は少ないですが,皆無ではありません.そのような単語は,Xmas (= Christmas) や X-ray のような特殊な例か,あるいは /z/ で発音されるギリシア借用語に限られます.<x> ≡ /z/ の対応は,<x> ≡ /gz/ の第1子音の脱落によるものと考えられます.Carney (238) いわく,"One or two words have a §Greek correspondence <x>≡/z/ initially (or for some speakers <x>≡/gz/) --- xenon, xenophobia, xerox, xylophone." ほかに固有名詞として Xanadu, Xanthippe, Xavier, Xenia, Xerxes なども類例です.
<x> については,「#2280. <x> の話」 ([2015-07-25-1]),「#2918. 「未知のもの」を表わす x」 ([2017-04-23-1]) を始めとする x の記事もご覧ください.
・ Carney, Edward. A Survey of English Spelling. Abingdon: Routledge, 1994.
「Ebonics 論争」とは,1996年にカリフォルニア州, Oakland の教育委員会の決議に端を発する,黒人英語の位置づけを巡る論争である.この事件で黒人英語を指す Ebonics という用語が一躍有名となったが,言語学では黒人英語のことを AAVE (= African American Vernacular English) と呼ぶことが多い(aave の各記事を参照).ちなみに,Ebonics は ebony (黒檀) と phonics (音声)の混成語 (blend) とされる.
1996年12月18日,カリフォルニア州のオークランド教育委員会が,教室で Ebonics を認知し,保持し,使用することを決定した.黒人の子供たちが最終的に標準英語を流ちょうに使いこなせるようになるためには,教育上,母語である Ebonics の介在が欠かせないという判断からだ.委員会はそこで Ebonics は英語と「遺伝的関係にある」が,英語とは異なる言語であると決議したのである.この決議は1997年1月7日にアメリカ言語協会の満場一致の支持を得た.しかし,注意すべきは,同協会が Ebonics と標準英語との「遺伝的な関係」について,何らかの専門的な見解を述べたわけではないことだ.後に,専門家集団による非専門的な判断と批判を浴びることになった.
一方,この教育委員会の決議には方々から強い反対意見も出された.同じ1997年の1月に,アメリカ上院の小委員会の公聴会では,黒人からも白人からも批判の声があがった.その後の騒乱により,先の教育委員会は1997年4月の提案書から Ebonics という用語を削除することを余儀なくされたほどである.
2つの言語変種が,2つの異なる言語なのか,あるいは1つの言語の異なる方言にすぎないのか.language_or_dialect という社会言語学の古くからの問題が,現実の社会問題となった好例として銘記すべきだろう.
以上,Wardhaugh (371) を参照して執筆した.Wardhaugh からは,関連する文献も複数たどれる.
・ Wardhaugh, Ronald. An Introduction to Sociolinguistics. 6th ed. Malden: Blackwell, 2010.
学生から出されたおもしろい質問です.意識したことはありませんでした.スペリングでは語頭に <n> と <m> の違いがあるだけですが,発音はそれぞれ /ˈneɪʧə/ と /məˈʧʊə/ となり大きく異なっています.比例的なスペリングでありながら発音が異なるということは,両者が1対1で対応しているわけではなく,複雑な関係を有していることの証左です.
両単語はそれぞれラテン語の nātūra (本質)と mātūrus (時宜を得た)にさかのぼります.ラテン語の段階では,両単語に関してスペリングも発音も比例的な関係にあり,現代英語のような異なりはみられませんでした.ところが,これらが借用語として英語に入ってきた後に,事件が起こります.
ラテン語 nātūra は,古フランス語の nature を経て,中英語期の13世紀後半に natur(e) として英語に入ってきました.英語に入ってきた当初は,古フランス語風に /naːˈtyːr/ と第2音節に強勢をおいて発音されていましたが,徐々に発音様式が英語化してくることになりました.発音の英語化とは,大雑把にいえば,強勢が第1音節に置かれるようになり,強勢の置かれなくなった第2音節を構成する音が弱化・短化する過程を指します.これにより /naːˈtyːr/ は /ˈnaːtyːr/ となり,さらに近代英語期にかけて大母音推移 (gvs) を含むいくつかの音変化を経て現代の /ˈneɪʧə/ にまで発展したのです.
一方,ラテン語 mātūrus は,15世紀半ばに直接英語に mature として借用されました.英語での当初の発音は /maːˈtyːr/ に近いものだったと思われます.ところが,この単語については,その後 nature では起こった発音様式の英語化,すなわち強勢位置の前移動が起こらなかったのです.その結果,強勢の置かれない第1音節は弱まることになり,現代英語の /məˈʧʊə/ の発音に至ったのです.
つまり,nature と mature の分水嶺は,英語に借用された後に発音様式の英語化が起こったか,起こらなかったかだったのです.では,なぜ nature では英語化が起こり,mature では起こらなかったのでしょうか.これは簡単には答えられませんが,一般論としては,早い時期に借用された語であればあるほど,現在までに英語化するのに十分な時間が確保されており,実際に英語化している可能性が高いということはいえます.nature は13世紀後半,mature は15世紀半ばの借用ですから,この時間差が関係している可能性はあります.また,借用時期が近代英語期に近づけば近づくほど,ラテン語やフランス語からの借用語は,原語の発音様式のままにとどまる傾向が強いことも知られています.
ラテン語・フランス語の強勢規則 (Romance Stress Rule; rsr) と英語の強勢規則 (Germanic Stress Rule; gsr) とは水と油の関係であり,これらが借用語において競合したときに何が起こるかという問題については,「#718. 英語の強勢パターンは中英語期に変質したか」 ([2011-04-15-1]) や「#200. アクセントの位置の戦い --- ゲルマン系かロマンス系か」 ([2009-11-13-1]) をご覧ください.
本年度前期,東京言語研究所の理論言語学講座の「史的言語学」部門は,本ブログの執筆者,堀田隆一が担当することになっています.講座概要 (PDF) で「英語史の概説を通じて,歴史的・通時的な言語の見方を身につける」と銘打っている通り,英語史と歴史言語学の入門講座です.概要に書いた文章を繰り返しますと,
英語という言語の特徴を理解するためには,それがたどってきた歴史を学ぶことが不可欠です.英語の起源はどこにあるのか,英語に見られる不規則性は何に由来するのか,英語は将来どうなってゆくのか,などの現代的な問題に歴史的・通時的な視点からアプローチすることで,多面的な英語観,言語観を形成することが本講義の目標です.
ということになります.
5月14日(火)から毎週火曜日19:00?20:40の枠で10回の講義を予定していますので,関心のある方は東京言語研究所の HP よりお申込みください.申込みの締切は5月9日(木)となっています.また,第1週の始まる直前の5月12日(日)の13:00より,開講式および前期の面接ガイダンスが予定されています.
なお,先週末の4月21日(土)には同研究所で,単発の春期講座「英語史の視点から英語を眺める」を開かせていただきました(cf. 「#3633. 4月21日(日),東京言語研究所の春期講座で「英語史の視点から英語を眺める」を話します」 ([2019-04-08-1])).レギュラー講座でもよろしくお願いいたします.
本ブログは,今回をもって3650番目を数えることになりました.毎日1つの記事ということで続けてきましたので,(閏年の計算云々は別にして)ほぼ10年間続けてきたことになります.続けてこられたのは,ひとえに英語史に関心を寄せる読者のみなさんのおかげです.ありがとうございます.
10年前にブログを始めたのは,私の「英語史」の講義を受講していた大学生に,講義の補足情報を提供するためだったのですが,その後受講学生以外にも読者が少しずつ広がっていき,今では英語学習者,英語教師,そして英語学などを専攻する大学院生や研究者の方にも閲覧してもらっているようです.
毎日の執筆ですし,おのずから校正も甘くなってしまうので内容や形式について不十分なところがありますが,引用や参照においては典拠を明示するなど,みなさんが各々の話題について確認したり,さらに調べたりできるようには心がけてきました.
実はブログ執筆を通じていちばん恩恵を被っているのは執筆者自身であるということは,恐らく誰も信じないことかと思います(そうでないと続くわけがないのです)が,これは本当です.本ブログに基づいて英語史の書籍も複数出版しましたし,学術論文も出してきました.これらのいろいろなポジティヴな効用は,開始当時はまったく想定外でした.また,自分で書いたことを忘れてしまっている記事も多いので,ブログをセルフ検索して改めて学ぶ頻度でいえば,多分誰にも負けていないのではないかと思います(一日に何度キーワードを検索しているだろうか・・・).
いずれにせよ,これからも続けていくつもりです.ここ数日は年度初めということもあり,学生から寄せられた「素朴な疑問」をなるべく多く取り上げることにしています.実際には,多くが「素朴」な疑問などではなく,かなり高度だったりしますが,それでも英語学習の際に,あるいは英語教育の現場で,何気なく,ふと生じる疑問,これまであえて問うてこなかった疑問を,親しみやすく「素朴な疑問」と呼び続けることにしたいと思います.そして,それを取っ掛かりにして英語史の世界へ足を踏み入れていただき,その魅力に気付いてもらえればと思っています.これからも,どうぞよろしくお願いいたします.
最近多く読まれている記事のランキングは,こちらからどうぞ.
連日,学生から寄せられた素朴な疑問を取り上げています.今回は英単語のスペリングでよく見かける <qu> という2文字の連続についての疑問です.queen, quick, quiet, quote, quality のように <q> の後にはほぼ必ず <u> が来ます.これは,他の子音字で直後にくる母音字がこれほど限定されているものはないのではないかという観察に基づく発問として,おもしろいと思います.
たしかに,<q> の後には <u> という母音字(正確にいえば /w/ という半子音を表わす半子音字)がほぼ100%の確率で現われます.「#1599. Qantas の発音」 ([2013-09-12-1]) でみたように,略語や借用語などにいくつかの例外はみられるにせよ,事実上 <qu> という連鎖が決め打ちであるといってよいでしょう.<q> が現われた瞬間,次に来るのは <u> であるとほぼ完全に予測できてしまうので,情報理論的にいえば <u> の情報価値はゼロということになり,余剰的な綴字ということができます(cf. 「#2249. 綴字の余剰性」 ([2015-06-24-1])).したがって,綴字に合理性を求めるのであれば,先に挙げた語は *qeen, *qick, *qiet, *qote, *qality と綴ってもよいことになります.<q> = /kw/ という取り決めを作ってしまえば,むしろ簡単便利なのかもしれません.
しかし,英語ではそのような合理化は生じてきませんでした.一般論でいえば,言語は必ずしもすべてが合理的にできているわけではなく,合理的な方向へ変化するものでもありません.むしろある種の無駄を積極的に許容し,上で触れたような余剰性 (redundancy) を確保する傾向がみられます.また,/kw/ という2音を表わすのに <qu> という2文字を用いるというのは,ある意味ではわかりやすいともいえます.
しかし,<qu> が固定セットであり続けた最大の理由は,中英語期の英語話者たちの大陸文化への憧れと,その際に受け入れた綴字伝統の惰性的保持にあったといってよいでしょう.古英語では <qu> はおろか <q> という文字自体が使われておらず,現在の queen, quick は cwen, cwic などと綴られていました.当時は,<cw> が <qu> の役割を果たしていたのです.2音 /kw/ に対応する2文字の組み合わせという点では,同じ方針を採っていたことになります.これはこれで完璧に機能しており,変わる必要もなかったのですが,中英語期になるとラテン語やフランス語に代表される大陸文化への憧れが昂じ,それらの言語ですでに定着していた <qu> でもって従来の <cw> を置き換えるという傾向が出てきました.こうして,<q> という文字,そして <qu> という綴字が英語に導入されたのです.一言でいえば,当時の英語の書き手が,ミーハー的に大陸の流行に飛びついたということです.流行というのは合理性とは別の軸で作用するものであり,むしろ無駄な格好よさを指向するものなのかもしれません.英語は,その後も現在に至るまで,<qu> という大陸文化の香り豊かな見映えを尊重し,それに満足し,保持してきたのです.
結果的に,現代英語では /k/ の音(/kw/ の一部としての音も含め)を表わすのに,少なくとも <c>, <k>, <qu> という3つの綴字を使い分けなければならないはめに陥っています.この三つ巴の抗争の深い歴史的背景(英語史の枠をはみ出し,さらに古い時代にも及ぶ)については,「#2367. 古英語の <c> から中英語の <k> へ」 ([2015-10-20-1]) や「#1824. <C> と <G> の分化」 ([2014-04-25-1]) の記事をご覧ください.
昨日の記事「#3647. 船や国名を受ける she は古英語にあった文法性の名残ですか?」 ([2019-04-22-1]) に引き続き,学生から寄せられた素朴な疑問を1つ.
私たちは3単現の -s については英文法の時間にうるさく習うわけですが,その割には主語が3人称・単数,時制が現在であっても can, may, shall, must をはじめとする助動詞 (auxiliary_verb) には -s が付くことはありません.これをいぶかるのも無理はありません.標題のような *He cans swim. ではダメで,He can swim. としなければならないのです(文法的に許容されない文は,言語学では「非文」と呼ばれ,頭に * 記号を付す慣習があります).これはどういったわけでしょうか.
たいていの説明では,can は本動詞ではなく,あくまで助動詞というものであり,助動詞は語形が無変化であることが特徴なのだと説かれます.しかし,このような解説は,英文法はそういうものなのだと言っているにすぎず,私たちが知りたい真の説明にはなっていません.
英語史の観点からすれば,答えは簡単に出ます.can を含む上記のような典型的な助動詞は,語源的には過去形だからです.3人称かつ単数かつ「現在」の場合にのみ付けられる -s が,語源的に「過去形」である can に付くわけがないのです.*He cans swim. がダメなのは,ちょうど *He swams. や *He walkeds. がダメなのと同じ理由です.同様に,may, shall, must なども語源的には過去形だからこそ -s が付かないわけです.
これらの助動詞が起源的に過去形であるということは,当初は当然ながら過去の意味をもっていたはずです.ところが,歴史の過程で現在の意味を有するように変化し,形態は過去形ながらも意味は現在というチグハグの状況になってしまいました.このようなチグハグな動詞は,英語史上,過去現在動詞 (preterite-present_verb) と名付けられています.より詳しくは,「#58. 助動詞の現在形と過去形」 ([2009-06-25-1]) と「#66. 過去現在動詞」 ([2009-07-03-1]) をご参照ください.
どうも法助動詞という語類には,本来過去の意味を表わしていたものが現在の意味を帯びるようになる傾向があるようです.can, may, shall が現在の意味を帯びるようになると,あらたに過去を意味すべく別の過去形が必要となり,実際に could, might, should なる新過去形が生み出されました(簡単にいえば,それぞれの元の助動詞に -ed を付けて,さらに少し変形しただけの形態です).ところが,これら新過去形も,今となっては Could it be true?, She might be in London by now. We should apologize. などのように実際には過去というよりも現在の意味で用いられることが多いのです.
なお,もう1つの典型的な助動詞 will については上では触れませんでした.というのは,この語は過去現在動詞ではなく,厳密にいえば上記の can などとは同列に議論できないからです.ここでは,will も歴史の過程で can を含む過去現在動詞のグループに取り込まれていき,統語形態上,それらと同じ振る舞いを示すことになったとだけ述べておきましょう.
新年度の「英語史」の講義が始まりました.毎年度,初回の授業では,何でもよいので英語に関する疑問,とりわけ素朴な疑問を出してくださいと呼びかけています.今回も,おかげさまで,たんまりとブログのネタが集まりました.実際には必ずしも「素朴」でもなく高度だったりするのですが,本格的に英語の先生にこんな問いを投げかけてよいのだろうか,と問うことを躊躇していたような問いでも,とにかく出してくださいと呼びかけての募集だったで,なかなかの良問が出そろいました.向こう数週間,本ブログで,そのような学生からの問いを取り上げていきたいと思います.ということで,まずは標題の疑問.
千年ほど前に話されていた古英語 (Old English) では,フランス語やドイツ語をはじめとする現在のヨーロッパ諸言語にみられる文法上の性(文法性 = grammatical gender)が健在でした.すべての名詞が男性,女性,中性のいずれかに割り振られていたのです.おそらく第2外国語として文法性のある言語を学んだことのある学生が,このことを聞いて「英語にも文法性があったのか」と驚き,そこから標題の問いへと思いを巡らせたのかと思います.確かに,現代の英語には,船を始めとする各種の乗り物や国名を指して女性代名詞 she で受ける言語習慣があります.たとえば,次の通りです.
・ Look at my sports car. Isn't she a beauty?
・ What a lovely ship! What is she called?
・ Hundreds of small boats clustered round the yacht as she sailed into Southampton docks.
・ There were over two thousand people aboard the Titanic when she left England.
・ Iraq has made it plain that she will reject the proposal by the United Nations.
・ France increased her exports by 10 per cent.
・ Britain needs new leadership if she is to help shape Europe's future.
・ After India became independent, she chose to be a member of the Commonwealth.
しかし,これは古英語にあった文法性とは無関係です.乗り物や国名を女性代名詞で受ける英語の慣習は中英語期以降に発生した比較的新しい「擬人性」というべきものであり,古英語にあった「文法性」とは直接的な関係はありません.そもそも「船」を表わす古英語 scip (= ship) は女性名詞ではなく中性名詞でしたし,bāt (= boat) にしても男性名詞でした.古英語期の後に続く中英語期の文化的・文学的な伝統に基づく,新たな種類のジェンダー付与といってよいでしょう.詳しくは,以下の記事をご覧ください.
・ 「#852. 船や国名を受ける代名詞 she (1)」 ([2011-08-27-1])
・ 「#853. 船や国名を受ける代名詞 she (2)」 ([2011-08-28-1])
・ 「#854. 船や国名を受ける代名詞 she (3)」 ([2011-08-29-1])
・ 「#1028. なぜ国名が女性とみなされてきたのか」 ([2012-02-19-1])
・ 「#1912. 船や国名を受ける代名詞 she (4)」 ([2014-07-22-1])
・ 「#1517. 擬人性」 ([2013-06-22-1])
そもそも文法性とは何なのだ,と気になる人も多いと思います.言語学的にもいろいろと議論できるのですが,私は人間の「フェチ」の一種であると考えています.「#2853. 言語における性と人間の分類フェチ」 ([2017-02-17-1]) をご参照ください.
4月9日のことになるが,読売新聞の朝刊11面に「日本語 平成時代の変化」と題する解説文が掲載されていた.解説者は,日本語方言学の大家で,東京外国語大学名誉教授の井上史雄先生である.私も学生時代に先生の社会言語学の講義を受け,大いに学ばせていただいたが,的確な分類や名付けにより現象を分かりやすく解説してくださるのが,当時より先生の魅力だった.今回の解説記事では「方言の社会的価値の分類」が紹介されていたが,これも先生が当時から「我ながらなかなかうまい分類ができた」とおっしゃっていた,お気に入りの持ちネタの披露というわけだ(←その授業を今でもはっきりと覚えています).日本語方言の社会的価値の変遷を実にきれいに表現した分類である.
類型 | 時代 | 方言への評価 | 使われ方 | |
---|---|---|---|---|
第1類型 | 撲滅の対象 | 明治?戦前 | マイナス | 方言優位 |
第2類型 | 記述の対象 | 戦後 | 中立 | 方言・共通語両立 |
第3類型 | 娯楽の対象 | 戦後?平成 | プラス | 共通語優位 |
17世紀後半の英文学の巨匠 John Dryden (1631--1700) が,3世紀ほど前の Chaucer の韻律を理解できていなかったことは,よく知られている.後期中英語から初期近代英語にかけてのこの時期には,"final e" に代表される屈折語尾に現われる無強勢母音が完全に消失し,「屈折の水平化」と呼ばれる英語史上の一大変化が完遂された.この変化の後の時代を生きていた Dryden は,変化が起こる前(正確にいえば,起こりかけていた)時代の Chaucer の音韻や韻律を想像することができなかったのである.Dryden は,Chaucer の詩行末に現われる final e を,17世紀の英語さながらに存在しないものと理解していた.結果として,Chaucer の韻律は Dryden の琴線に触れることはなかった.
上記のことは,Dryden 自身の Chaucer 評からわかる.Cable (25) 経由で,Dryden (Essays II: 258--59) の批評を引用しよう.
The verse of Chaucer, I confess, is not harmonious to us . . . there is the rude sweetness of a Scotch tune in it, which is natural and pleasing, though not perfect. It is true, I cannot go so far as he who published the last edition of him; for he would make us believe the fault is in our ears, and that there were really ten syllables in a verse where we find but nine. But this opinion is not worth confuting; it is so gross and obvious an errour, that common sense (which is rare in everything but matters of faith and revelation) must convince the reader, that equality of numbers in every verse which we call heroic, was either not known, or not always practiced in Chaucer's age.
Dryden の抱いていたような誤解は,その後2世紀ほどかけて文献学の進展により取り除かれることになったものの,final -e という形式的には小さな要素が,英語史においても英文学史においても,いかに大きな存在であったかが知られる好例だろう.
・ Cable, Thomas. "Restoring Rhythm." Chapter 3 of Approaches to Teaching the History of the English Language: Pedagogy in Practice. Introduction. Ed. Mary Heyes and Allison Burkette. Oxford: OUP, 2017. 21--28.
・ Dryden, John. Essays. Ed. W. P. Ker. Oxford: Clarendon, 1926.
「#1647. 言語における韻律的特徴の種類と機能」 ([2013-10-30-1]) でみたように,英語は stress-timed なリズム,日本語は syllable-timed (or mora-timed) なリズムをもつ言語といわれる.前者は強勢が等間隔で繰り返されるリズムで,後者は音節(モーラ)が等間隔で繰り返されるリズムである.英語に近隣の言語でいえばドイツ語は stress-timed で,フランス語やスペイン語は syllable-timed である.
このように共時的な類型論の観点からは諸言語をいずれかのリズムかに振り分けられるが,通時的にみると各言語のリズムは不変だったのだろうか,あるいは変化してきたのだろうか.
英語に関していえば,ある見方からは確かに変化してきたといえる.現代英語の stress-timed リズムの基盤にあるのは曖昧母音 /ə/ の存在である.強勢のある明確な音価と音量をもつ母音と,弱く短く発音される曖昧母音とが共存しているために,前者を核とした韻律の単位が定期的に繰り返されることになるのだ.しかし,古英語では曖昧母音が存在しなかったので,stress-timed リズムを成立させる基盤が弱かったことになる.古英語はむしろ syllable-timed リズムに近かったともいえるのである.Cable (23--24) の議論を聞こう.
To begin with, Old English did not have reduced vowels. The extensive system of inflectional endings depended on the full values of the short vowels, especially [ɑ], [ɛ], [u], and [ɔ]; and in polysyllabic words these and other short vowels were not reduced to schwa. The surprising effect is that in its lack of reduced vowels Old English can be said to have similarities with the phonological structure of a syllable-based language like Spanish. In this respect, both Old English and Spanish differ from Late Middle English and Modern English. Consequently, Old English can be hypothesized to have more of the suprasegmental structure of syllable-based languages---that is, the impression of syllable-timing---despite our thinking of Old English as thoroughly Germanic and heavily stressed.
Cable は,古英語が完全な syllable-timed な言語だと言っているわけではない.強勢ベースのリズムの要素もあるし,音節ベースのそれもあるとして,混合的なリズムだと考えている.上の節に続く文章も引用しておこう.
These deductions and hypotheses from theoretical and experimental phonology are supported in the most recent studies of the meter of Old English poems. Beowulf has never been thought of as a poem in syllabic meter. Yet the most coherent way to imagine Old English meter is as a precisely measured mix of "accentual" elements (as the meter has traditionally been understood), "syllabic" elements (which may seem more appropriate for French verse), and "quantitative" elements (which are most familiar in Greek and Latin). (Cable 24)
・ Cable, Thomas. "Restoring Rhythm." Chapter 3 of Approaches to Teaching the History of the English Language: Pedagogy in Practice. Introduction. Ed. Mary Heyes and Allison Burkette. Oxford: OUP, 2017. 21--28.
現代英語の副詞 ago は,典型的に期間を表わす表現の後におかれて「?前に」を表わす.a moment ago, a little while ago, some time ago, many years ago, long ago などと用いる.
この ago は語源的には,動詞 go に接頭辞 a- を付した派生動詞 ago (《時が》過ぎ去る,経過する)の過去分詞形 agone から語尾子音が消えたものである.要するに,many years ago とは many years (are) (a)gone のことであり,be とこの動詞の過去分詞 agone (後に ago)が組み合わさって「何年もが経過したところだ」と完了形を作っているものと考えればよい.
OED の ago, v. の第3項には,"intransitive. Of time: to pass, elapse. Chiefly (now only) in past participle, originally and usually with to be." とあり,用例は初期古英語という早い段階から文証されている.早期の例を2つ挙げておこう.
・ eOE Anglo-Saxon Chron. (Parker) Introd. Þy geare þe wæs agan fram Cristes acennesse cccc wintra & xciiii uuintra.
・ OE West Saxon Gospels: Mark (Corpus Cambr.) xvi. 1 Sæternes dæg wæs agan [L. transisset].
このような be 完了構文から発達した表現が,使われ続けるうちに be を省略した形で「?前に」を意味する副詞句として再分析 (reanalysis) され,現代につらなる用法が発達してきたものと思われる.別の言い方をすれば,独立分詞構文 many years (being) ago(ne) として発達してきたととらえてもよい.こちらの用法の初出は,OED の ago, adj. and adv. によれば,14世紀前半のことである.いくつか最初期の例を挙げよう.
・ c1330 (?c1300) Guy of Warwick (Auch.) l. 1695 (MED) It was ago fif ȝer Þat he was last þer.
・ c1415 (c1395) Chaucer Wife of Bath's Tale (Lansd.) (1872) l. 863 I speke of mony a .C. ȝere a-go.
・ ?c1450 tr. Bk. Knight of La Tour Landry (1906) 158 (MED) It is not yet longe tyme agoo that suche custume was vsed.
MED では agōn v. の 5, 6 に類例が豊富に挙げられているので,そちらも参照.
昨日の記事 ([2019-04-16-1]) に引き続き,新年度に英語史をちょっと覗いてみよう(あるいは本格的に研究してみよう)という人のために,英語史が教養の学であることを改めて力説したいと思います.Heyes and Burkette は,2017年に編んだ英語史教育に関する本の序論で,英語史 (HEL = the history of the English language) が教養的な学問領域であり,人文的な知を統合した総合学であることを繰り返し指摘しています.まずは,次の引用から.
HEL course, especially in English departments, are often outliers in course catalogs. Yet they tacitly reside at the center of professional conversation about "English Studies" that emphasize the role of praxis and the potential for political engagement in academic course. For the very reasons that HEL demands much of its instructors and students, it epitomizes the intellectual dynamism and integrated knowledge that have been identified among the humanities' most compelling assets in twenty-first-century university curricula. (2)
また,日本人の英語史研究者 Haruko Momma などを引き合いに出して,英語史という領域を次のように評価しています.
Speaking to HEL's difference from other English department courses, Haruko Momma judges it an "intellectual advantage" that HEL "has never been subject to the compartmentalization that has affected the rest of the discipline." Momma's observation addresses HEL's chronological scope as well as its interdisciplinary reach. Over the course of a single semester, a HEL course may incorporate material from history, geography, lexicography, philology, literature, grammar, and linguistics, the last of which includes the subfields of phonology, morphology, syntax, semantics, pragmatics, and sociolinguistics. As Michael Adams has observed, in HEL "many elements of a liberal education converge." (3)
キーフレーズを拾えば,"intellectual dynamism", "integrated knowledge", "intellectual advantage", "never . . . subject to the compartmentalization", "many elements of a liberal education" となり,英語史がいかに教養的,人文的,学際的な領域であるかを力説していることがわかります.
・ Heyes, Mary and Allison Burkette. "Introduction." Chapter 1 of Approaches to Teaching the History of the English Language: Pedagogy in Practice. Ed. Mary Heyes and Allison Burkette. Oxford: OUP, 2017. 1--10.
常々,英語史という学問領域は,教養的,人文的,学際的であると考えています.言語学(英語学)と歴史学の接点であることは言うまでもなく,言語学の関連諸分野と歴史学の関連諸分野とが多様に交差する複合的な知の領域です.年度初めのこの4月に,英語史の世界に初めて足を踏み入れる人も,改めて深く学ぼうと意気軒昂たる人も,ぜひ英語史をこのように広くとらえてもらえればと思います.
英語史の古典的名著を著わした Baugh and Cable も,その第6版の冒頭を飾る第1節 "The History of the English Languages as a Cultural Subject" にて,それは教養ある人々にふさわしい教養科目であると宣言しています.少し長いですが,力のこもった文章なので,掲載しておきましょう.
It was observed by that remarkable twelfth-century chronicler Henry of Huntington that an interest in the past was one of the distinguishing characteristics of humans as compared with the other animals. The medium by which speakers of a language communicate their thoughts and feelings to others, the tool with which they conduct their business or the government of millions of people, the vehicle by which has been transmitted the science, the philosophy, the poetry of the culture is surely worthy of study. It is not to be expected that everyone should be a philologist or should master the technicalities of linguistic science. But it is reasonable to assume that a liberally educated person should know something of the structure of his or her language, its position in the world and its relation to other tongues, the wealth of its vocabulary together with the sources from which that vocabulary has been and is being enriched, and the complex relationships among the many different varieties of speech that are gathered under the single name of the English language. The diversity of cultures that find expression in it is a reminder that the history of English is a story of cultures in contact during the past 1,500 years. It understates matters to say that political, economic, and social forces influence a language. These forces shape the language in every aspect, most obviously in the number and spread of its speakers, and in what is called "the sociology of language," but also in the meanings of words, in the accents of the spoken language, and even in the structures of the grammar. The history of a language is intimately bound up with the history of the peoples who speak it. The purpose of this book, then, is to treat the history of English not only as being of interest to the specialized student but also as a cultural subject within the view of all educated people, while including enough references to technical matters to make clear the scientific principles involved in its evolution. (Baugh and Cable 1--2)
この主張に賛同するのであれば,英語史と同じくらい日本語史も勉強したくなるかもしれません.○○語史は,専門科目でもあり教養科目でもあるのです.学習意欲を高めるために,次の記事もどうぞ.
・ 「#24. なぜ英語史を学ぶか」 ([2009-05-22-1])
・ 「#1199. なぜ英語史を学ぶか (2)」 ([2012-08-08-1])
・ 「#1200. なぜ英語史を学ぶか (3)」 ([2012-08-09-1])
・ 「#1367. なぜ英語史を学ぶか (4)」 ([2013-01-23-1])
・ 「#2984. なぜ英語史を学ぶか (5)」 ([2017-06-28-1])
・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
英語史には,語頭音(節)省略 (aphaeresis) と呼ばれる音韻形態過程を示すの事例は少なくない.it is → 'tis, beneath → 'neath, advantage → vantage, racoon → coon, acute → cute などである.さらに「#548. example, ensample, sample は3重語」 ([2010-10-27-1]) のような例もある.
しばしば,このような過程のビフォーとアフターの両形が互いに意味を違えつつ併存することがあり,その場合には語源を同じくする2重語 (doublet) が生じたことになる.すでに挙げた (ad)vantage や (a)cute がその例だが,他にもいくつか挙げてみよう.
・ complot (共謀)/ plot (陰謀)
・ defence (防衛)/ fence (囲い)
・ disport (気晴らし;楽しませる)/ sport (運動,スポーツ)
・ distrain (差し押さえる)/ strain (引っ張る,緊張させる)
私たちにもなじみ深い sport =「スポーツ」の語義は,比較的新しい発達である.原形 disport は14世紀後半の Chaucer の時代に Anglo-French から借用した単語で,当初は「娯楽;気晴らし」の語義で用いられた.語頭音節省略形 sport もすぐに発達したが,語義が「運動ゲーム」へ変化するのは16世紀前半からであり.しかもこの語義の本格的な使用は19世紀後半になってからである.
この種の2重語はボキャビルにも活用できる.「#1723. シップリーによる2重語一覧」 ([2014-01-14-1]) や「#1724. Skeat による2重語一覧」 ([2014-01-15-1]) も活用されたい.
昨日4月13日の朝日新聞朝刊の「ことばサプリ」という欄にレトロニムの紹介があった.レトロニムとは「新語と区別するため,呼び名をつけ直された言葉」のことで,たとえば古い「喫茶」に対する新しい「純喫茶」,同じく「服」に対する「和服」,「電話」に対する「固定電話」,「カメラ」に対する「フィルムカメラ」などの例だ.携帯電話がなかったころは電話といえば固定式の電話だけだったわけだが,携帯電話が普及してきたとき,従来の電話は「固定電話」と呼び直されることになった.時計の世界でも,新しく「デジタル時計」が現われたとき,従来の時計は「アナログ時計」と呼ばれることになった.レトロニム (retronym) とは retro- + synonym というつもりの造語だろう,これ自体がなかなかうまい呼称だし,印象に残る術語だ.
英語にもレトロニムはみられる.例えば,e-mail が現われたことによって,従来の郵便は snail mail と呼ばれることになった.acoustic guitar, manual typewriter, silent movie, landline phone なども,同様に技術革新によって生まれたレトロニムといえる.ほかに whole milk, snow skiing なども.
コンピュータ関係の世界では,技術の発展が著しいからだろう,周辺でレトロニムがとりわけ多く生まれていることが知られている.plaintext, natural language, impact printer, eyeball search, biological virus など.
歴史的な例としては,「#734. panda と Britain」 ([2011-05-01-1]),「#772. Magna Carta」 ([2011-06-08-1]) でみたように,lesser panda, Great Britain, Magna Carta などを挙げておこう.これらも一言でいえば「レトロニム」だったわけだ.術語というのは便利なものである.
『英語教育』の英語史連載記事「英語指導の引き出しを増やす 英語史のツボ」が,前回の4月号より始まっています.昨日発売された5月号では,第2回の記事として「なぜ不規則な複数形があるのか」という素朴な疑問を取りあげています.是非ご一読ください.
名詞複数形の歴史は,私のズバリの専門分野です(博士論文のタイトルは The Development of the Nominal Plural Forms in Early Middle English でした).そんなこともあり,本ブログでも複数形の話題は plural の記事で様々に取りあげてきました.今回の連載記事の内容ととりわけ関係するブログ記事へのリンクを以下に張っておきます.
・ 「#946. 名詞複数形の歴史の概要」 ([2011-11-29-1])
・ 「#146. child の複数形が children なわけ」 ([2009-09-20-1])
・ 「#157. foot の複数はなぜ feet か」 ([2009-10-01-1])
・ 「#12. How many carp!」 ([2009-05-11-1])
・ 「#337. egges or eyren」 ([2010-03-30-1])
・ 「#3298. なぜ wolf の複数形が wolves なのか? (1)」 ([2018-05-08-1])
・ 「#3588. -o で終わる名詞の複数形語尾 --- pianos か potatoes か?」 ([2019-02-22-1])
・ 「#3586. 外来複数形」 ([2019-02-20-1])
英語の複数形の歴史というテーマについても,まだまだ研究すべきことが残っています.英語史は奥が深いです.
2017年に連載した「現代英語を英語史の視点から考える」の第1回「「ことばを通時的にみる 」とは?」でも複数形の歴史を扱いましたので,そちらも是非ご一読ください.
・ 堀田 隆一 「英語指導の引き出しを増やす 英語史のツボ 第2回 なぜ不規則な複数形があるのか」『英語教育』2019年5月号,大修館書店,2019年4月12日.62--63頁.
[2019-04-07-1]の記事に引き続き,Will you . . . ? 依頼文の発生について.OED によると,この構文の初出は1300年以前の Vox & Wolf という動物寓話にあるとされる.Bennett and Smithers 版の The Fox and the Wolf より,問題の箇所 (l. 186) の前後の文脈 (ll. 171--97) を取り出してみよう.
'A!' quod þe wolf, 'gode ifere, Moni goed mel þou hauest me binome! Let me adoun to þe kome, And al Ich wole þe forȝeue.' 175 'Ȝe!' quod þe vox, 'were þou isriue, And sunnen heuedest al forsake, And to klene lif itake, Ich wolde so bidde for þe Þat þou sholdest comen to me.' 180 'To wom shuld Ich', þe wolf seide, 'Ben iknowe of mine misdede?--- Her nis noþing aliue Þat me kouþe her nou sriue. Þou hauest ben ofte min ifere--- 185 Woltou nou mi srift ihere, And al mi liif I shal þe telle?' 'Nay!' quod þe vox, 'I nelle.' 'Neltou?' quod þe wolf, 'þin ore! Ich am afingret swiþe sore--- 190 Ich wot, toniȝt Ich worþe ded, Bote þou do me somne reed. For Cristes loue, be mi prest!' Þe wolf bey adoun his brest And gon to siken harde and stronge. 195 'Woltou', quod þe vox, 'srift ounderfonge? Tel þine sunnen, on and on, Þat þer bileue neuer on.'
物語の流れはこうである.つるべ井戸に落ちてしまった狐が,井戸のそばを通りかかった知り合いの狼を呼び止めた.言葉巧みに狼をそそのかし,狼を井戸に落とし,自分は脱出しようと算段する.狼にこれまでの悪行について懺悔するよう説得すると,狼はその気になり,狐に懺悔を聞いて欲しいと願うようになる.そこで,Woltou nou mi srift ihere, / And al mi liif I shal þe telle? (ll. 168--69) という狼の発言になるわけだ.
付近の文脈では全体として法助動詞が多用されており,狐と狼が掛け合いのなかで相手の意志や意図を確かめ合っているという印象を受ける.問題の箇所は,will を原義の意志の意味で取ると,「さあ,あなたには私の懺悔を聞こうという意志がありますか?そうであれば私は人生のすべてをあたなに告げましょう.」となる.しかし,ここでは文脈上明らかに狼は狐に懺悔を聞いてもらいたいと思っている.したがって,依頼の読みを取って「さあ,私の懺悔を聞いてくださいな.私は人生のすべてをあなたに告げましょう.」という解釈も可能となる.もとより相手の意志を問うことと依頼とは,意味論・語用論的には僅差であり,グラデーションをなしていると考えられるわけだから,ここでは両方の意味が共存しているととらえることもできる.
しかし,直後の狐の返答は,依頼というよりは質問に答えるかのような Nay! . . . I nelle. である.現代英語でいえば Will you hear my shrift now? に対して No, I won't. と答えているようなものだ.少なくとも狐は,先の狼の発言を「懺悔を聞こうとする意志があるか?」という疑問と解釈(したふりを)し,その疑問に対して No と答えているのである.狼としては依頼のつもりで言ったのかもしれないが,相手には疑問と解釈されてしまったことになる.実際,狼はその答えに落胆するかのように,Neltou? (その意志がないというか?)と返している.
もし狼の側に依頼の意味が込められていたとしても,その依頼という含意は,文脈に支えられて初めて現われる類いの特殊化された会話的含意 (particularized conversational implicature) であって,一般化された会話的含意 (generalized conversational implicature) ではないし,ましてや慣習的含意 (conventional implicature) でもないように思われる.今回の事例を Will you . . . ? 依頼文の初例とみなすことは相変わらず可能かもしれないが,慣習化された構文,あるいは独り立ちした表現とみなすには早すぎるだろう.
・ Bennett, J. A. W. and G. V. Smithers, eds. Early Middle English Verse and Prose. 2nd ed. Oxford: OUP, 1968.
大学でも新年度が本格的に始まりました.今期私が担当する英語史関連の授業で,2016年に研究社より出版された拙著『英語の「なぜ?」に答える はじめての英語史』を指定テキスト(あるいは参考テキスト)としているので,年度初めに趣旨と内容を簡単に紹介しておきます.
本書の出版後に研究社のウェブサイト上に特設されたコンパニオン・サイトの本書のねらいにも詳しく書きましたが,なぜ皆さんに本書を読んでいただきたいのか,改めてここで強調しておきたいと思います.それは,
英語の「素朴な疑問」に「英語史」の視点から答えていくことを通じて,英語教員をはじめとする英語にかかわる多くの方々に,英語の「新しい見方」を提案し,「目から鱗が落ちる」体験を味わってもらいたいからです.
具体的には,以下の5つのねらいがあります.
1. 誰もが抱く英語の「素朴な疑問」に,納得のいく解答を与えます
2. 新たに生じる「素朴な疑問」にも対応できる,体系的な知識の必要性を説きます
3. 学問分野「英語史」の魅力を伝えます
4. 英語,英語学習,英語教育に対する「新しい見方」を提案します
5. 歴史的な視点から,英語について「目から鱗が落ちる」体験を提供します
本書で取り上げている話題の多くは日々書きためている本ブログの記事が元になっていますので,ブログ読者にとっては内容的にも文体的にもデジャヴュ感があるかもしれません.目次一覧はこちらに挙げてあるので繰り返しませんが,多くの人が興味をもちそうなタイトルを引き抜いておきます.
・ なぜ *a apple ではなく an apple なのか?
・ なぜ名詞は récord なのに動詞は recórd なのか?
・ なぜ often の t を発音する人がいるのか?
・ なぜ five に対して fifth なのか?
・ なぜ name は「ナメ」ではなく「ネイム」と発音されるのか?
・ なぜ debt, doubt には発音しない <b> があるのか?
・ なぜ3単現に -s を付けるのか?
・ なぜ *foots, *childs ではなく feet, children なのか?
・ sometimes の -s 語尾は何を表わすのか?
・ なぜ不規則動詞があるのか?
・ なぜ -ly を付けると副詞になるのか?
・ なぜ未来を表わすのに will を用いるのか?
・ なぜ If I were a bird となるのか?
・ なぜ英語には主語が必要なのか?
・ なぜ *I you love ではなく I love you なのか?
・ なぜ May the Queen live long! はこの語順なのか?
・ なぜ Help me! とは叫ぶが Aid me! とは叫ばないのか?
・ なぜ Assist me! とはなおさら叫ばないのか?
・ なぜ1つの単語に様々な意味があるのか?
・ なぜ単語の意味が昔と今で違うのか?
・ 英語の新語はどのように作られるのか?
・ なぜアメリカ英語では r をそり舌で発音するのか?
・ アメリカ英語はイギリス英語よりも「新しい」のか?
・ なぜ黒人英語は標準英語と異なっているのか?
・ なぜ船・国名を she で受けるのか?
・ なぜ単数の they が使われるようになってきたのか?
本書を読み,英語史の魅力に目覚めたら,ぜひ上記のコンパニオン・サイト上で2017年1月から12月にかけて連載された,本書の拡大版・発展版というべき「現代英語を英語史の視点から考える」企画の記事12本もオンラインでご一読ください.次のラインナップです.
・ 第1回 「ことばを通時的に見る」とは?(2017/01/20)
・ 第2回 なぜ3単現に -s を付けるのか?(2017/02/20)
・ 第3回 なぜ英語は母音を表記するのが苦手なのか?(2017/03/21)
・ 第4回 イギリス英語の autumn とアメリカ英語の fall (2017/04/20)
・ 第5回 alive の歴史言語学 (2017/05/22)
・ 第6回 なぜ英語語彙に3層構造があるのか?(2017/06/20)
・ 第7回 接尾辞 -ish の歴史的展開 (2017/07/20)
・ 第8回 なぜ「グリムの法則」が英語史上重要なのか (2017/08/21)
・ 第9回 なぜ try が tried となり,die が dying となるのか? (2017/09/20)
・ 第10回 なぜ you は「あなた」でもあり「あなたがた」でもあるのか? (2017/10/20)
・ 第11回 なぜ英語は SVO の語順なのか?(前編) (2017/11/20)
・ 第12回 なぜ英語は SVO の語順なのか?(後編) (2017/12/20) ・
・ 堀田 隆一 『英語の「なぜ?」に答えるはじめての英語史』 研究社,2016年.
年度初めで英語史を学び始める人もいると思うので,英語史概説書を中心に,英語史・英語学の基本文献(2019年度版)を掲げたい.英語史の初学者に特にお薦めの図書に◎を,次にお薦めの図書に○を付してある.このほかに,各図書の巻末やウェブサイトに掲載されている参考文献表も要参照.印刷配布用のPDFも作ったので,こちらからどうぞ.
[英語史概説書(日本語)]
◎ 家入 葉子 『ベーシック英語史』 ひつじ書房,2007年.
・ 宇賀治 正朋 『英語史』 開拓社,2000年.
○ 唐澤 一友 『多民族の国イギリス---4つの切り口から英国史を知る』 春風社,2008年.
○ 唐澤 一友 『英語のルーツ』 春風社,2011年.
◎ 寺澤 盾 『英語の歴史』 中央公論新社〈中公新書〉,2008年.
・ 中尾 俊夫,寺島 廸子 『図説英語史入門』 大修館書店,1988年.
・ 橋本 功 『英語史入門』 慶應義塾大学出版会,2005年.
・ 堀田 隆一 『英語史で解きほぐす英語の誤解 --- 納得して英語を学ぶために』 中央大学出版部,2011年.
・ 堀田 隆一 『英語の「なぜ?」に答えるはじめての英語史』 研究社,2016年.
・ 松浪 有 編,小川 浩,小倉 美知子,児馬 修,浦田 和幸,本名 信行 『英語の歴史』 大修館書店,1995年.
○ 柳 朋宏 『英語の歴史をたどる旅』 中部大学ブックシリーズ Acta 30,風媒社,2019年.
・ 渡部 昇一 『英語の歴史』 大修館,1983年.
[英語史概説書(英語)]
・ Algeo, John, and Thomas Pyles. The Origins and Development of the English Language. 5th ed. Thomson Wadsworth, 2005.
◎ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
・ Blake, N. F. A History of the English Language. Basingstoke: Macmillan, 1996.
○ Bradley, Henry. The Making of English. London: Macmillan, 1955.
○ Bragg, Melvyn. The Adventure of English. New York: Arcade, 2003.
・ Brinton, Laurel J. and Leslie K. Arnovick. The English Language: A Linguistic History. Oxford: OUP, 2006.
・ Bryson, Bill. Mother Tongue: The Story of the English Language. London: Penguin, 1990.
・ Crystal, David. The Stories of English. London: Penguin, 2005.
○ Fennell, Barbara A. A History of English: A Sociolinguistic Approach. Malden, MA: Blackwell, 2001.
・ Gelderen, Elly van. A History of the English Language. Amsterdam, John Benjamins, 2006.
・ Göorlach, Manfred. The Linguistic History of English. Basingstoke: Macmillan, 1997.
○ Gooden, Philip. The Story of English: How the English Language Conquered the World. London: Quercus, 2009.
◎ Horobin, Simon. How English Became English: A Short History of a Global Language. Oxford: OUP, 2016.
・ Jespersen, Otto. Growth and Structure of the English Language. 10th ed. Chicago: U of Chicago, 1982.
◎ Knowles, Gerry. A Cultural History of the English Language. London: Arnold, 1997.
・ McCrum, Robert, William Cran, and Robert MacNeil. The Story of English. 3rd rev. ed. London: Penguin, 2003.
・ Smith, Jeremy J. An Historical Study of English: Function, Form and Change. London: Routledge, 1996.
・ Strang, Barbara M. H. A History of English. London: Methuen, 1970.
○ Svartvik, Jan and Geoffrey Leech. English: One Tongue, Many Voices. Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2006.
[英語史・英語学の参考図書]
・ 荒木 一雄,安井 稔(編) 『現代英文法辞典』 三省堂,1992年.
・ 石橋 幸太郎(編) 『現代英語学辞典』 成美堂,1973年.
・ 大泉 昭夫(編) 『英語史・歴史英語学:文献解題書誌と文献目録書誌』 研究社,1997年.
・ 大塚 高信,中島 文雄(監修) 『新英語学辞典』 研究社,1982年.
・ 小野 茂(他) 『英語史』(太田朗, 加藤泰彦編 『英語学大系』 8--11巻) 大修館書店,1972--85年.
・ 佐々木 達,木原 研三(編) 『英語学人名辞典』,研究社,1995年.
・ 寺澤 芳雄(編) 『英語語源辞典』 研究社,1997年.
・ 寺澤 芳雄(編) 『英語史・歴史英語学 --- 文献解題書誌と文献目録書誌』 研究社,1997年.
・ 寺澤 芳雄(編) 『英語学要語辞典』 研究社,2002年.
・ 寺澤 芳雄,川崎 潔 (編) 『英語史総合年表?英語史・英語学史・英米文学史・外面史?』 研究社,1993年.
・ 松浪 有,池上 嘉彦,今井 邦彦(編) 『大修館英語学事典』 大修館書店,1983年.
・ Biber, Douglas, Stig Johansson, Geoffrey Leech, Susan Conrad, and Edward Finegan, eds. Longman Grammar of Spoken and Written English. Harlow: Pearson Education, 1999.
・ The Cambridge History of the English Language. Vols. 1--7. Ed. Richard M. Hogg. 1992--2001.
・ Crystal, David. The Cambridge Encyclopedia of the English Language. Cambridge: Cambridge University Press, 1995. 2nd ed. 2003.
・ Crystal, David. The Cambridge Encyclopedia of Language. Cambridge: Cambridge University Press, 1995. 2nd ed. 2003.
・ English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012.
・ Huddleston, Rodney and Geoffrey K. Pullum, eds. The Cambridge Grammar of the English Language. Cambridge: CUP, 2002.
・ McArthur, Tom, ed. The Oxford Companion to the English Language. Oxford: Oxford University Press, 1992.
・ The Oxford English Dictionary. 2nd ed. CD-ROM. Oxford: Oxford University Press, 1992. Version 3.1. 2004. (Also available online as Oxford English Dictionary Online at http://www.oed.com/ .)
・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985.
[英語史関連のウェブサイト]
・ 家入 葉子 「英語史関係(基本文献など)」 http://www.iyeiri.sakura.ne.jp/students/English.htm .(より抜かれた基本文献のリスト)
・ 堀田 隆一 「hellog?英語史ブログ」 http://user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/.特に「参考文献リスト」 (http://user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/references.html) を参照.
・ 三浦 あゆみ 「A Gateway to Studying HEL: Textbooks(日本語編)」 http://www013.upp.so-net.ne.jp/HEL/textbooks.html .(充実した英語史の文献リスト)
『英語教育』4月号に,上野氏による「教育的な英語音声表記としての仮名の可能性:歴史から学び現在に活かす」と題する記事が掲載されており,興味深く読んだ.日本で出版されている英語の辞書,単語集,教科書などで,IPA (International Phonetic Alphabet) 表記やそれに準じたアルファベット使用の表記を採用せずに,平仮名や片仮名を用いるものが散見されるが,その教育的効果はどんなものなのだろうかと思っていた.
仮名表記の是非を巡る議論は,昔からあったようだ.IPA 導入以前には英語学習に際して仮名表記が行なわれていたが,いったん IPA が導入されると仮名表記の分が相対的に悪くなった.「非科学的」「不正確」「種々の約束が必要」というイメージが付されたからだ.
しかし,一方で IPA などによる音声表記への理解が深まってくると,一種の反動が起こってきた.そして,岡倉由三郎や市河三喜という大物が,仮名表記の擁護に乗り出す.IPA も仮名表記もあくまで表記にすぎず,両者の精粗の違いは程度の問題だという議論が起こってきたのである.岡倉は,IPA は初学者にとって未知数だが,学ぼうとしている英語の文字遣い自身が未知数であるときに,別の未知数をもって学ばなければならないというのはおかしな話しだと至極まともな議論を展開した.市河も,学術的視点ではなく教育的視点に立てば,仮名表記も効果的ではないかと評価した.
結局のところ,IPA にせよ仮名表記にせよ,いかなる目的で英語音を表記しようとしているかという点が最も重要なのであり,それに応じて「(非)科学的」「(不)正確」「種々の約束(の要不要)」の評価も変わってくるだろう.「#669. 発音表記と英語史」 ([2011-02-25-1]) でも論じたように,narrow transcription か broad transcription かというのは,どちらかが絶対的に良いという問題ではなく,目的に依存する相対的な問題である.したがって,仮名表記も絶対的に劣っているとか優れているとかいう議論にはなり得ない.
(レベルにもよるだろうが)英語教育上,実際に仮名表記がどれだけ効果的なのかに関する実証的な研究は,ほとんどなされていないようだ.しかし,上野らの発音指導に関する調査によると「母語援用群の発音が最も向上し,学習者の認知的負荷も最も低くなった」 (69) とある.たとえば「ゥラィト」のような表記から,学習者は音声情報について重要な直感を得られるという.上野は「教育的表記にとって重要なのは,音声をどれだけ正確に表記するのかではなく,いかにして学習者に学習困難な外国語の発音を習得させるかである.ともすれば,学習者が既に持っている母語の長音感覚を足場がけにするために仮名表記を活用しても良いのではないだろうか」 (69) と締めくくっている.
関連して,IPA とその歴史について「#822. IPA の略史」 ([2011-07-28-1]),「#3362. International Phonetic Association (IPA)」 ([2018-07-11-1]),「#3363. International Phonetic Alphabet (IPA)」 ([2018-07-12-1]),「#251. IPAのチャート」 ([2010-01-03-1]) で書いてきたので参照されたい.
・ 上野 舞斗 「教育的な英語音声表記としての仮名の可能性:歴史から学び現在に活かす」『英語教育』2019年4月号,大修館書店,2019年3月14日.68--69頁.
本年度前期,東京言語研究所の理論言語学講座の「史的言語学」部門を担当することになりました.講座概要 (PDF) で「英語史の概説を通じて,歴史的・通時的な言語の見方を身につける」と銘打っている通り,英語史と歴史言語学の入門講座です.5月14日(火)から毎週火曜日19:00?20:40の枠で10回の講義を予定しています.
また,5月からの講座開始に先立ち,英語史分野の導入という意味合いも込めて,来たる4月21日(日)の10:00?11:20に,単発の春期講座として,標題の通り「英語史の視点から英語を眺める」と題する話しをします.概要はこちら (PDF) に掲載されていますが,以下に再現します.
何年か英語を学んでいると,学び始めの頃に抱いていたような素朴な疑問が忘れ去られてしまうことが多いものです.なぜ A は「ア」ではなく「エイ」と読むのか,なぜ go の過去形は went なのか,なぜ動詞の3単現には -s がつくのか,英語とフランス語・ドイツ語はどのような関係にあるのか,なぜ英語は世界語となりえたのか等々.このような素朴な疑問を改めて思い起こし,あえて引っかかってゆき,まじめに考察するのが,歴史言語学の観点からみる英語学 --- 英語史 --- という分野です.
狙いとしては,4点を掲げます.(1) 現代英語の疑問点に歴史的な視点からアプローチする,(2) 英語史の概略を知る,(3) 英語学・言語学の考え方を学ぶ,(4) 歴史を通じて幅広い柔軟な英語観を形成する.
本講義では,素朴な疑問と英語史の相性の良さについて考察した後,英語史を概観します.続けて,綴字,発音,文法,語彙,英語方言やその他に関する素朴な疑問を取り上げながら,英語史的なものの見方・考え方を紹介します.
年度初めですし,まずは英語史という分野の楽しさを伝えることを最大の目標にします.
春期講座自体は4月20日(土),21日(日)の両日の開講で,2日間で全体として16の講座が用意されています.受講の申込締切日も迫ってきていますので,参加希望の方は東京言語研究所の HPよりお申込みください.
現代英語には法助動詞 will を用いた依頼を表わす形式として,Will you do me a favor? などの表現がある.比較的親しい間柄で用いられることが多く,場合によっては Will you shut up? のようにややきつい命令となることもある.一方,公的な指示として Will you sign here, please? のようにも用いられ,ポライトネスの質や程度が状況に応じて変わるので,使いこなすのは意外と難しい.形式的には未来の意ともなり得るので,依頼の意図を明確にしたい場合には please を付すことも多い.
この表現の起源は,2人称の意志を問う意志未来としての Will you . . . ? にあると考えられる.一方的に頼み事を押しつけるのではなく,あくまで相手の意志を尊重し,それを問うという体裁をとるので,その分柔らかく丁寧な言い方になるからだ.疑問文の外見をしていながら,実際に行なっているの依頼・命令・指示ということで,ポライトネスを考慮した典型的な間接発話行為 (indirect speech act) の事例といえる.
OED の will, v1. によると,I. The present tense will. のもとの6bに,依頼の用法が挙げられている.
b. In 2nd person, interrog., or in a subord. clause after beg or the like, expressing a request (usually courteous; with emphasis, impatient).
a1300 Vox & Wolf in W. C. Hazlitt Remains Early Pop. Poetry Eng. (1864) I. 64 Thou hauest ben ofte min i-fere, Woltou nou mi srift i-here?
a1400 Pistill of Susan 135 Wolt þou, ladi, for loue, on vre lay lerne?
1470--85 Malory Morte d'Arthur i. vi. 42 Sir said Ector vnto Arthur woll ye be my good and gracious lord when ye are kyng?
1592 R. Greene Philomela To Rdr. sig. A4 I..craue that you will beare with this fault.
1600 Shakespeare Henry V ii. i. 43 Will you shog off?
1608 Shakespeare King Lear vii. 313 On my knees I beg, That you'l vouchsafe me rayment, bed and food.
1720 A. Ramsay Young Laird & Edinb. Katy 1 O Katy wiltu gang wi' me, And leave the dinsome Town a while.
1823 Scott St. Ronan's Well III. iv. 96 I desire you will found nothing on an expression hastily used.
1878 T. Hardy Return of Native III. v. iii. 144 Oh, Oh, Oh,..Oh, will you have done!
依頼表現としての Will you . . . ? が,依頼動詞の従属節内に現われる will から発達した可能性も確かに理論的にはありそうだが,OED の用例でいえば,従属節の例は4つめの1592年のものであり,時間の前後関係が逆のようにみえる.また,初例は1300年以前とかなり早い時期だが,おそらく表現として定着したのは近代英語に入ってからだろう.ただし,疑問ではなく依頼という語用論的な機能や含意 (implicature) がいつ一般化したといえるのかは,歴史語用論研究に常について回るたいへん微妙な問題であり,明確なことをいえるわけではない.関連して「#1976. 会話的含意とその他の様々な含意」 ([2014-09-24-1]),「#1984. 会話的含意と意味変化」 ([2014-10-02-1]) も参照.
「行く」は go であり,「?したことがある」という経験の意味は現在完了「have + 過去分詞」で表わすということであれば,「?に行ったことがある」は普通に考えて have gone to . . . となりそうだが,一般的には have been to . . . であると習う.これは私もずっと不思議に思っていた.だが,フレーズとして,構文としてそのようになっているのだと言い聞かされてきたので,それ以上の質問はしてこなかった.だが,改めて考えてみて,やはり謎である.
have gone to . . . は「行ったことがある」という経験ではなく,「行ってしまった(その結果,ここにはいない)」という結果の意味になると,しばしば言われる.ここから,現在完了の経験用法と結果用法の形式がバッティングしないよう,前者には区別された形式 have been to . . . が用いられるのだ,という理屈が成立しそうである.もちろんこの説明はある程度まで納得できる.しかし,構文上の "blocking" とでも呼ぶべき,このような共時的かつ機能的な説明原理は,アドホックのきらいがあるように思われる.1つの機能に対して1つの形式を対応させようという言語の一般的指向については理解できるとしても,その形式がなぜとりわけ have been to . . . でなければならなかったのかという個別の問題については,何もヒントを与えてくれないからだ.また,アメリカ英語における事実として,have gone to . . . が経験の意味を表わすケースもある.たとえば,小西 (568) より I took a scuba course in college and I've gone a few times to the Caribbean. なる例文をあげておこう.
もちろん,歴史的にひもとけば疑問が解消するかといえば,ことはそう簡単ではないようだ.今のところ,(少なくとも私には)答えらしきものは見出せていない.しかし,歴史の事実を与えられれば,疑問をみる視点は明らかに変わってくる.というのは,そもそも「?に行ったことがある」を意味する have been to . . . という形式は比較的新しい18世紀の産物であり,それ以前には用いられていなかったようだからだ.なぜ18世紀に現われたのか,そしてなぜとりわけその形式が選ばれることになったのか.これは共時的な理論英語学ではなく通時的な歴史英語学の話題である.
OED は be, v. の 8c に,この用法が取り上げられている.
c. With to and a noun: to have been present (in a place, esp. for some purpose, or at an event or special occasion); to have gone to visit (and returned from) a place.
Apparently rare before the second half of the 18th cent. (when it occurs frequently in the usage of Fanny Burney).
1712 R. Laurence Bishop of Oxford's Charge Consider'd 則xlviii. 73 Publickly Baptiz'd a Child in the Meeting-house; which was carried thither in as great Form and Order, as if it had been to Church.
1763 F. Brooke Hist. Lady Julia Mandeville I. 178 We have been to the parish church, to hear Dr. H. preach.
1773 F. Burney Early Diary (1889) I. 186 She had been to these rehearsals.
1778 F. Burney Evelina I. xvii. 115 Miss will think us very vulgar..to live in London, and never have been to an Opera.
1802 C. Wilmot Irish Peer on Continent (1920) 39 We have been to the Opera Buffa or the Italian Opera.
1829 R. Sharp Diary 21 June (1997) 209 This understrapping Parson of ours has been to Cambridge the last week to vote for who? why for Mr. Bankes.
1892 E. Reeves Homeward Bound 205 Hadji is his title, and means that he has been to Mecca.
1902 Westm. Gaz. 25 Aug. 2 His Majesty has been to Westminster Abbey, and the Crystal Palace,..and Madame Tussaud's.
1915 T. S. Eliot Let. 3 Jan. (1988) I. 77 I have just been to a cubist tea.
1977 J. Lees-Milne Diary 27 Sept. in Through Wood & Dale (2001) 195 I have not been to the lav since I left Salonika on Friday.
2007 S. Worboyes Lipstick & Powder iii. 91 This wasn't the first time she had been to the flat so she knew where everything was kept.
説明にあるとおり,18世紀後半に Fanny Burney (1752--1840) が頻繁に用いたことが,この用法の実質的な走りとなったようだ.これは今後追いかけていく必要がありそうだ.いずれにせよ,静的な be と,移動およびその目的地を含意する動的な to とが直接結びつくという違和感はぬぐいきれない.当面の仮説として,顕在化していない go の亡霊を想定せざるを得ないのではないかとだけ述べておきたい.
・ 小西 友七 編 『現代英語語法辞典』 三省堂,2006年.
標題の who (とその仲間というべき whom, whose, etc.)はあまりに卑近な単語であるだけに,英語学習者は皆,この綴字でこの発音 (= /huː/) であることをそのまま丸暗記しており,特に疑問も抱かないにちがいない.しかし,よく考えてみると,綴字と発音の関係が不規則きわまりない単語である.この綴字であれば,本来 /woʊ/ と発音されるはずだ.
まず子音をみてみよう.<wh> と綴って /h/ と発音されるのは,他の wh 疑問詞と比べればわかる通り,異例である.what, which, when, where, why はいずれも /w/ で始まっている(ただし一部の非標準変種では無声の /ʍ/ もあり得る;cf. 「#1795. 方言に生き残る wh の発音」 ([2014-03-27-1])).疑問詞において /h/ で始まる単語は,規則的に <h> で綴られる how のみである(how が疑問詞のなかでもこのように一風変わっていることについては,「#51. 「5W1H」ならぬ「6H」」 ([2009-06-18-1]) を参照).
次に母音をみてみよう.子音字+ <o> で単語が終わる場合,go, ho, Jo, lo, no, so などにみられるように,母音は /oʊ/ である.who のように /uː/ となるものは,do, to などがあるが,圧倒的に少数派だ.したがって,who は本来 hoo とでも綴られるべき単語であり,現状の綴字は子音においても母音においても不規則といわざるを得ない.
一見すると納得のいかないこの綴字と発音の関係には,歴史的な経緯がある.古英語でこの単語は hwa と綴られ /hwɑː/ と発音された.ここから数世紀をかけて,次のような一連の母音変化が生じた.
/hwɑː/ → /hwɔː/ → /hwoː/ → /hwuː/ → /huː/
つまり,低母音の構えだった舌が,口腔のなかを上方向へはるばると移動して,ついに高母音の舌構えに到達してしまったのである.最終段階の /w/ の消失は,子音と後舌・円唇母音に挟まれた環境で15--16世紀に規則的に生じた音変化で,two, sword などの発音も説明してくれる.つまり who と two の音変化は平行的といってよい.(なので次の記事も参考にされたい:「#184. two の /w/ が発音されないのはなぜか」 ([2009-10-28-1]),「#1324. two の /w/ はいつ落ちたか」 ([2012-12-11-1]),「#3410. 英語における「合拗音」」 ([2018-08-28-1]) .)
綴字については,この子音は古英語では2重字 (digraph) <hw> で書かれたが,中英語では逆転した2重字 <wh> で書かれるようになった.母音字に関しては,途中までは母音変化を追いかけるかのように <a> から <o> へと変化したが,追いかけっこはそこでストップし,<u> や <oo> の綴字へと定着することはついぞなかったのである.かくして,who = /huː/ なる関係が標準化してしまったというわけだ.
言語にあっては,who のように卑近な単語であればあるほど不規則性がよく観察されるものである.関連して,「#1024. 現代英語の綴字の不規則性あれこれ」 ([2012-02-15-1]) の単語リストも参照.
なお,<wh> = /h/ という例外的な子音(字)の対応は,who のほかに whole, whore にもみられる.これについては,「#1783. whole の <w>」 ([2014-03-15-1]) を参照.
クリミア半島情勢を巡ってウクライナ共和国が揺れている.目下,ウクライナは大統領選の最中だが,争っている候補者たちは反ロシア,新欧米の路線という点では一致している.
ウクライナとロシアの問題は,互いにスラヴという言語・民族・文化上の共通点があるがゆえに厄介だ.このような構図は古今東西ありふれているが,ありふれているからといって解決がたやすいわけではない.むしろ逆のことが多いだろう.
ウクライナ語とロシア語の関係についていえば,「#1469. バルト=スラブ語派(印欧語族)」 ([2013-05-05-1]) で触れたとおり「Ukrainian はウクライナで約5000万人によって話されている大言語だが,国内では歴史的に威信のあるロシア語と競合しており,民族主義的な運動によりロシア語からの区別化が目指されている」というように,ウクライナ語話者の意識的なロシア語からの離反がある."sociolinguistic distancing" の典型例といってよいだろう.一方,歴史的にはウクライナ語からロシア語への言語交替 (language_shift) が生じてきたために,現在まで状況が複雑化してきたのである(「#1540. 中英語期における言語交替」 ([2013-07-15-1]) で関連した事情に一言触れてある).
現代のウクライナにおける言語分布について,やや古いが2001年の国税調査の結果が3月29日の読売新聞朝刊に掲載されていた.リビウ,イワノ・フランコフスク,キエフなどの中部・西部諸州ではウクライナ語が圧倒しているが,南部のオデッサ州ではほぼ半々であり,東部のドネツク州や目下問題のクリミア自治共和国ではロシア語が圧倒している.国家全体としてみれば,ウクライナ語が約2/3と上回っているが,社会言語学的不安定さは容易に予想される比率である. *
ウクライナといえば,印欧祖語の故地の有力候補ともなっており,歴史言語学の世界でも名の知られた国である(cf. 「#637. クルガン文化と印欧祖語」 ([2011-01-24-1])).また,英語語彙との絡みでいえば,「#834. ウクライナ語からの借用語」 ([2011-08-09-1]) にも注意したいところである.そして,上にも述べたように,意外かもしれないが,母語話者人口でいえば3千万人を超える,世界30位程度にランクインする大言語であることも銘記しておきたい.
ウクライナ大統領選の行方も要注目だ.
3月30日の読売新聞朝刊に標題の記事が掲載されていた.29日に,政府による外国名表記を定めた改正在外公館名称位置給与法が成立したという.これにより従来「セントクリストファー・ネーヴィス」 (Saint Christopher and Nevis) と表記されていたカリブ海の島国の名前が「セントクリストファー・ネービス」となる.同様に,西アフリカの群島国「カーポヴェルデ」 (Cape Verde) は「カーポベルデ」となる.これにより,外務省の文書から国名に「ヴ」を使った表記がなくなることになる.河野外相によれば「わかりやすさと発音のしやすさを優先する」ということのようだ.日本語としての表記であるから,それが自然といえば自然だろう.
外来語の「ヴ」の表記を巡っては慣用の揺れも観察され,標準化したり一般化することがなかなか難しい.その歴史的背景は,沖森 (388) が次のようにまとめている.
外来語を片仮名で書くという用法はすでに江戸時代から習慣的に行われていて,v の発音を「ヴ」と表記するのは福沢諭吉が『増訂華英通語』(一八六〇年刊)において最初に試みたものである.その後,外来語は,原音の発音に即した表記で書かれたり,日本語の音韻に同化した発音に基づく表記がなされたりするなど,識者の間でも意見の一致をみなかった.
一九九一年に「外来語の表記」が内閣告示として出されて,表記の基準が示されたが,これは原則と許容の二本立てとなっている.すなわち,日本語の音韻に同化した発音に基づく書き方(第1表)と,原音や原つづりになるべく近く書き表す書き方(第2表)からなり,第1表によることを原則とするが,必要に応じて第2表を許容するというものである.そこでは,第2表で v を「ヴ」で書き表すことが許容として盛り込まれている.
内閣告示「外来語の表記」を見てみると,「留意事項その2(細則的な事項)」の「第2表に示す仮名に関するもの」において「第2表に示す仮名は,原音や原つづりになるべく近く書き表そうとする場合に用いる仮名で,これらの仮名を用いる必要がない場合は,一般的に,第1表に示す仮名の範囲で書き表すことができる」とある.また,その項目7と10に「ヴ」表記に関する記述が見える.ここに,「ブ」系を原則としながらも目的に応じて「ヴ」系も許容するという穏当な態度を確かに読み取ることができる.
7 「ヴァ」「ヴィ」「ヴ」「ヴェ」「ヴォ」は,外来音ヴァ,ヴィ,ヴ,ヴェ,ヴォに対応する仮名である.
〔例〕 ヴァイオリン ヴィーナス ヴェール
ヴィクトリア(地) ヴェルサイユ(地) ヴォルガ(地)
ヴィヴァルディ(人) ヴラマンク(人) ヴォルテール(人)
注 一般的には,「バ」「ビ」「ブ」「ベ」「ボ」と書くことができる.
〔例〕 バイオリン ビーナス ベール
ビクトリア(地) ベルサイユ(地) ボルガ(地)
ビバルディ(人) ブラマンク(人) ボルテール(人)
. . . .
〔中略〕
. . . .
10 「ヴュ」は,外来音ヴュに対応する仮名である.
〔例〕 インタヴュー レヴュー ヴュイヤール(人・画家)
注 一般的には,「ビュ」と書くことができる.
〔例〕 インタビュー レビュー ビュイヤール(人)
「ヴ」表記と関連して「#3325. 「ヴ」は日本語版の語源的綴字といえるかも?」 ([2018-06-04-1]),「#901. 借用の分類」 ([2011-10-15-1]) も参照.なお,「ヴ」の問題ではないが,上記の改正法では「#3289. Swaziland が eSwatini に国名変更」 ([2018-04-29-1]) で紹介したように「スワジランド」が「エスワティニ」へ変更となったことも付け加えておきたい.
・ 沖森 卓也・笹原 宏之・常盤 智子・山本 真吾 『図解 日本語の文字』 三省堂,2011年.
先日3月30日(土)の15:00?18:15に,朝日カルチャーセンター新宿教室にて,「英語の歴史」の第3弾として講座「英語史で解く英語の素朴な疑問」を開講しました.受講された方々からは新たな「素朴な疑問」もいくつか飛び出し,たいへん啓発されました.今回の趣旨は,次の通りでした.
何年も英語を学んでいると,学び始めの頃に抱いていたような素朴な疑問が忘れ去られてしまうことが多いものです.なぜ A は「ア」ではなく「エイ」と読むのか,なぜ go の過去形は went なのか,なぜ動詞の3 単現には -s がつくのか等々.このような素朴な疑問を改めて思い起こし,あえて引っかかってゆき,大まじめに考察するのが,英語史という分野です.素朴な疑問を次々と氷解させていく英語史の力にご期待ください.
1. 英語史と素朴な疑問は相性がよい
2. 発音に関する素朴な疑問
3. 綴字に関する素朴な疑問
4. 文法に関する素朴な疑問
5. 語彙に関する素朴な疑問
6. 皆さんからの疑問について検討
7. 本講座のまとめ
それぞれの部門の「素朴な疑問」として取り上げられた話題は,時間の都合により限定的ではありましたが,個々の疑問を解決していくプロセスそのものが英語史の学びであり,自然とその魅力が理解されたのではないでしょうか.講座で使用したスライド資料をこちらにアップしておきますので,自由にご参照ください.
1. シリーズ「英語の歴史」 第3回 英語史で解く英語の素朴な疑問
2. 本講座のねらい
3. 1. 英語史と素朴な疑問は相性がよい
4. 英語に関する素朴な疑問の例 (#1093)
5. 皆さんの素朴な疑問は?
6. 2. 発音に関する素朴な疑問
7. 3. 綴字に関する素朴な疑問
8. 4. 文法に関する素朴な疑問
9. 身近な動詞に多い「不規則」変化
10. 歴史的には接尾辞を付けるか,母音を変化させるか
11. なぜ規則動詞化してきたのか
12. 真の不規則
13. 5. 語彙に関する素朴な疑問
14. 皆さんからの疑問について検討
15. 本講座のまとめ
16. 今回扱ったものやその他の素朴な疑問に答える参考文献
年度初めに,新刊の英語史入門書を1冊紹介します.私も多方面でお世話になっている中部大学の柳朋宏氏の書かれた『英語の歴史をたどる旅』が,この3月に出版されました(柳先生,ご献本いただきましてありがとうございます).中部大学ブックシリーズ Acta の30作目という位置づけです.
柳氏は英語の通時的な言語変化を理論的な観点から分析する研究者として活躍されていますが,今回はご専門の内面史的な要素をばっさり切り落とし,英語外面史(主に中世前期)を,簡略化も複雑化もしすぎずリーダブルに記述したのが最大の特徴かと思います.イギリスで著者自らが撮影した写真などが多く掲載され,図表やコラムも豊富でありながら,本体価格800円というのも驚きです.
取り上げられている話題としては,イギリス国旗,日本における英語接触の歴史,ルーン文字,羊皮紙といった文化的な要素が多く,気軽に読み進めていくことができます.ツボをつく細かなネタも満載です.たとえばノルマン・フランス語 (norman_french) と中央フランス語 (Central French) の2重語 (doublet) の話題について,本ブログでもいくつか取り上げてはきましたが,pinch (つまむ)と pincers (やっとこ)というペアもそうだったのかと教わりました(本書 p. 69; cf. 「#76. Norman French vs Central French」 ([2009-07-13-1]),「#95. まだある! Norman French と Central French の二重語」 ([2009-07-31-1]),「#388. もっとある! Norman French と Central French の二重語」 ([2010-05-20-1])).イノシシやガチョウを描いたピクト人のシンボル (Pictish symbols) なども,写真とともに紹介されており,興味を引かれました(本書 p. 32--34).
本書で扱われている時代は古代・中世についての記述が大半ですが,新年度に各大学で開講される英語史概説の講義はおよそ古代・中世から始まるわけですので,学生にはタイムリーです.英語外面史への最初の一歩としてふさわしい図書です.
・ 柳 朋宏 『英語の歴史をたどる旅』 中部大学ブックシリーズ Acta 30,風媒社,2019年.
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