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intensifier - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-04-27 09:58

2022-07-09 Sat

#4821. something of a(n) は「ちょっとした」なのか「かなりの」なのか? [pragmatics][semantics][intensifier][sobokunagimon][khelf][chiguhagu_channel]

 khelf(慶應英語史フォーラム)内で,以下のちぐはぐ案件が発生しました.

英語学習者用の文法参考書『Vintage 英文法・語法』(第2版,p. 295)には,something of a+名詞「ちょっとした〈名詞〉/かなりの〈名詞〉」と出ています.新英和中辞典にも同様なことが書いてあります.「ちょっとした」と「かなりの」は日本語的に異なりますが.なぜこのような違いがあるのでしょう.そもそも something の意味が分かっていないから違いが理解できないのでしょうか???


 日本語としては確かに「ちょっとした」と「かなりの」は意味が異なるように思われます.原義で考えれば,前者は程度が低く,後者は程度が高いものと理解されており,むしろ対義の感があります.しかし「(意外なことにも)彼はちょっとした/かなりの音楽家なんですよ」という文を考えると,その語用論的意味は近似しているようにも思われます.英語の something of a(n) も日本語の「ちょっとした」も,意味論と語用論のキワに関わる微妙な問題のようです.
 関連して quite が「完全に」「そこそこ」の両義をもつことが思い起こされます.「#4247. quite の「完全に」から「そこそこ」への意味変化」 ([2020-12-12-1]),「#4233. なぜ quite a few が「かなりの,相当数の」の意味になるのか?」 ([2020-11-28-1]),「#4235. quite a few は,下げて和らげ最後に皮肉で逆転?」 ([2020-11-30-1]) をご参照ください.広く強意語 (intensifier) の語用論に関する話題ですので,「#4236. intensifier の分類」 ([2020-12-01-1]) も参考になるかと思います.
 さて,something of a について『ジーニアス英和大辞典』では次のように記載されています.

▼ *sómething of a ...
((略式))[通例肯定文で] ちょっとした…;かなりの…?She is ~ of a musician. 彼女の音楽の才はかなりのものです《◆音楽家ではない人に用いる》/I found it ~ of a disappointment. それにはかなりがっかりしました(=I found it rather disappointing.)/Life has always been ~ of a puzzle. 人生はこれまで常に謎めいたところがあった.


 「《◆音楽家ではない人に用いる》」という指摘は,きわめて重要で示唆に富んだ注だと思います.参照した他の辞書には,このような注はありませんでした.
 次に学習者用英英辞書からいくつか例文を拾ってみましょう.

 ・ She found herself something of a (= to some degree a) celebrity.
 ・ Charlie's always been something of an expert on architecture.
 ・ The news came as something of a surprise.
 ・ The city proved to be something of a disappointment. . .
 ・ He has a reputation as something of a troublemaker.

 ここで改めて something of a(n) は「ちょっとした」なのか「かなりの」なのかという問題に戻って考えてみましょう.この表現には anything of a(n)nothing of a(n) という関連表現があります.some, any, no の3者の関係については「#679. assertion and nonassertion (1)」 ([2011-03-07-1]),「#680. assertion and nonassertion (2)」 ([2011-03-08-1]) で考察しました.
 私は no(thing) の基本義が「無」であるのに対して some(thing) の基本義は「有」であると考えています.「無」の場合にはゼロですから無いものは無いと言っておしまいですが,「有」である場合には「ちょっとした」なのか「かなりの」なのかなど程度の問題が生じます.しかし,あくまで「無」ではなく「有」なのだというのが some(thing of a(n)) の「意味論」的な原義なのではないでしょうか.その程度については「意味論」としては限定せず,あくまで「語用論」的な解釈に任せるといったところではないかと睨んでいます.
 「無」が前提とされているところに,その前提をひっくり返して「有」であることを主張するのが some(thing of a(n)) の基本的な働きだろうと考えます.結果として,程度の低い/高い意味になるのかは,文脈に依存する語用論的な判断に委ねられるのではないかと.とはいえ,一般的傾向としては,「無」に対して「有」であることをあえて主張する目的で用いられるわけですから,高めの程度が意図されているケースが多いのではないかと思われます.ただし,最終的な判断はやはり都度の文脈次第なのではないかと.
 なかなか難しそうですね.

Referrer (Inside): [2022-07-10-1]

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2022-03-25 Fri

#4715. 否定的な感情を表わす形容詞・副詞は強調語になりやすい [mond][sobokunagimon][intensifier][adjective][adverb][semantics][semantic_change][link]

 今日はクロスポスト的な記事で新味がなくてすみません.それでも意味変化 (semantic_change) の観点から大事な話題なので,こちらでも取り上げる次第です.
 この2ヶ月ほど「Mond」という質問サイトにて,英語史に関連のある質問に回答するということを行なってきました.最近の質問として,次の興味深い問いが寄せられてきました.

凄い(すごい)という言葉には
 ・ぞっとするほど恐ろしい
 ・並外れている.たいそうな.
という2つの意味がありますが,後者の意味で主に用いられている印象です.英語や他の言語にも失われつつある意味を持つ単語はあるのでしょうか?


 これは,まさに古今東西の言語に普遍的な意味変化のパターンに関する質問です.強意語 (intensifier) は,使われすぎると強意がすり減って逓減していくものなので,新たに強意を表わす表現が常に求められるのです.新たな強意語のソースは,いろいろとあるのですが,その典型の1つが「否定的な感情語」です.怖い,おぞましい,痛い,苦しい,というホラー用語は,どうしても強調語になりやすいのですね.それは,なぜか? 10秒ほど考えれば分かると思います.あの負の感情が10秒続いたら,ちょっと参りますよね・・・
 上記の質問を受けて,こんな感じで回答しました.

 とても身近でおもしろい指摘,ありがとうございます.「すごい」に2つの意味があるというのは,それぞれの用例をみれば明らかですね.例えば「すごい目つき」といえば「恐ろしい」の意味だとわかりますし,「すごい美人」といえば「並外れた」の意味だとわかります.この2つの意味をざっくり区別するならば,「恐ろしい」は感情の種類・質に関する意味で,「並外れた」は物事の程度・量に関する意味ということになります.歴史的には前者から後者が派生しているので,質から量への意味変化と言っておいてよいかと思います.
 この「質から量への意味変化」というのは,かなり普遍的なようです.とりわけ「恐ろしい」「痛い」「ひどい」といった否定的な感情・知覚を表わす形容詞・副詞は,しばしば感情の質そのものよりも,その感情の程度の甚だしさが注目され,結果として単なる強調表現になり下がるということが,よくあるパターンのようです.
 日本語の「恐ろしく優しい」「痛く感心した」「ひどく喜んだ」のような例から分かる通り,文字通りの否定的な質の意味で解釈すると,むしろ矛盾するような表現もありますね.すでに量の意味になり下がっているということだと思います.
 英語からも類例がいくらでも挙がります.terrible/terribly の語幹は terror 「恐怖」と同一ですが,本来の「恐ろしい/恐ろしく」の意味で使われることは少ないです (ex. a terrible weapon 「恐ろしい武器」) .むしろ,程度の激しいことを示すだけの強調語として in a terrible hurry 「非常に急いで」のように使うことのほうが多いです.質から量への意味変化が生じたもう1つの例ですね.
 ほかには amazingly, awfully, desperately, dreadfully, horribly, marvellously, sorelyなど感情に起因する副詞は,強調語になり下がる例が多いようです.
 おっしゃるとおり,これらの語では,本来の質的な意味は希薄になってしまい,ほとんどの場合,量的な意味で強調語として用いられるに至ったのだと思います.
 いずれの言語でも,並行的な現象が見られるというのは,たいへん面白いですね.ありがとうございました.
 関連して,英語に関する話題ではありますが,筆者によるこちらの記事をご覧ください.


 鋭い質問は学びの基本だと思います.よく答えるよりもよく問うほうが圧倒的に難しいです.もう1週間で新年度が始まりますが,とりわけ新大学生は大学生活のなかで「問う方法」こそを習得してください!
 強意語に関しては,以下の記事や intensifier もご参照ください.

 ・ 「#992. 強意語と「限界効用逓減の法則」」 ([2012-01-14-1])
 ・ 「#1220. 初期近代英語における強意副詞の拡大」 ([2012-08-29-1])
 ・ 「#1219. 強意語はなぜ種類が豊富か」 ([2012-08-28-1])
 ・ 「#2190. 原義の弱まった強意語」 ([2015-04-26-1])
 ・ 「#4236. intensifier の分類」 ([2020-12-01-1])

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2021-06-10 Thu

#4427. 様々な hedge および関連表現 [hedge][prototype][semantics][pragmatics][intensifier]

 昨日の記事で「#4426. hedge」 ([2021-06-09-1]) を取り上げた.英語についていえば sort of が hedge の代表例として挙げられることが多いが,実際のところ hedge の種類は多様である.
 昨日の引用文で触れた Lakoff の論文を読んだ.p. 472 に "SOME HEDGES AND RELATED PHENOMENA" と題する表が掲げられている.英語の hedge (関連)表現の具体例として,以下に掲載しておこう.

sort of
kind of
loosely speaking
more or less
on the _____ side (tall, fat, etc.)
roughly
pretty (much)
relatively
somewhat
rather
mostly
technically
strictly speaking
essentially
in essence
basically
principally
particularly
par excellence
largely
for the most part
very
especially
exceptionally
quintessential(ly)
literally
often
more of a _____ than anything else
almost
typically/typical

as it were
in a sense
in one sense
in a real sense
in an important sense
in a way
mutatis mutandis
in a manner of speaking
details aside
so to say
a veritable
a true
a real
a regular
virtually
all but technically
practically
all but a
anything but a
a self-styled
nominally
he calls himself a ...
in name only
actually
really
(he as much as ...
-like
-ish
can be looked upon as
can be viewed as
pseudo-
crypto-
(he's) another (Caruso/Lincoln/ Babe Ruth/...)
_____ is the _____ of _____ (e,g., America is the Roman Empire of the modern world. Chomsky is the DeGaulle of Linguistics. etc.)


 一覧して分かるように,「#4236. intensifier の分類」 ([2020-12-01-1]) で挙げた広い意味での強意語 (intensifier) は,いずれも hedge の一種とみなすことができる.これまで hedge を単純に「ぼかし言葉」くらいに認識していたが,そうでもないことが分かってきた.ある命題を真たらしめる条件を緩く指定・制限する方略と理解しておくのがよさそうだ.

 ・ Lakoff, G. "Hedges: A Study in Meaning Criteria and the Logic of Fuzzy Concepts." Journal of Philosophical Logic 2 (1973): 458--508.

Referrer (Inside): [2021-06-11-1]

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2020-12-12 Sat

#4247. quite の「完全に」から「そこそこ」への意味変化 [semantic_change][intensifier][adverb][semantics]

 quite が意味論的に厄介な副詞であることについて,「#4233. なぜ quite a few が「かなりの,相当数の」の意味になるのか?」 ([2020-11-28-1]),「#4235. quite a few は,下げて和らげおきながら最後に皮肉で逆転?」 ([2020-11-30-1]),「#4236. intensifier の分類」 ([2020-12-01-1]) で取り上げてきた.ある場合には「完全に」 (fully, absolutely) の意味で,別の場合には「そこそこ」 (fairly, rather) の意味で用いられるからだ.強意語の類型でいえば,Maximizer としても Compromizer としても用いられることになり,混乱は必至である.
 本来 quite は Maximizer として「完全に」のみを意味していたが,19世紀に Compromizer としての「そこそこ」の語義が発達した.OED で quite, adv., adj., and int. を引いてみると,大区分の第III項に後者が取り上げられており,初出は1805年となっている.
 Room の辞典に,この意味変化とその機微について次のような解説があったので,引用する.

quite (fully, absolutely; fairly, rather)
This word is notoriously tricky for foreign learners of English, who find it difficult to decide which sense to use, or which is meant. 'I was quite alone' means that I was absolutely alone, but 'I am quite tired' means that I am fairly tired, not very. And if she is 'quite ill', is she very ill or only slightly indisposed? The original meaning of 'quite' in English was the 'absolutely' one, which dates from the fourteenth century. As John Skelton wrote in his charming poem Phyllyp Sparowe (1529):

   Comfort had he none
   For she was quyte gone.

And as Robert K. Douglas wrote in his Non-Christian Religious Systems (1879): 'A man should be quite certain what he knows and what he does not know'. Quite. Yet it was in the nineteenth century that the now common sense of 'fairly' for 'quite' arose. It developed out of a special usage of the word, from the eighteenth century, that meant 'actually', 'really', implying that what the writer or speaker said was really so. For example, Fielding, in Tom Jones (1749), wrote that a certain widow was 'quite charmed with her new lodger', meaning that she really was charmed (not simply satisfied), and in one of his essays (1848), the astronomer Sir John Herschel wrote that: 'A ship sailing northwards passes quite suddenly from cold into hot water', meaning that the change really was sudden, not gradual, as one might expect. So when Thoreau, in his narrative account Walden (1854), wrote: 'Perhaps I have owed to this employment and to hunting, when quite young, my closest acquaintance with Nature', which did he mean, 'surprisingly young' (as in the earlier sense) or 'fairly young' (as in the new sense)? It is not always so easy! What has actually happened is that the earlier use of 'quite' (meaning 'really') has come to be associated with certain adjectives, such as 'different', 'separate', 'right', 'wrong', 'sure' and so on, while with other, less 'definite' adjectives the modern sense is the commoner. But it is still quite difficult to determine on occasions, and one needs to be quite certain which of the two senses is meant.


 先日から問題になっている quite a few も19世紀前半の初出だった.quite の上記の意味変化と関係しているのだろうか,いないのだろうか.

 ・ Room, Adrian, ed. NTC's Dictionary of Changes in Meanings. Lincolnwood: NTC, 1991.

Referrer (Inside): [2022-07-09-1]

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2020-12-01 Tue

#4236. intensifier の分類 [intensifier][adverb][semantics][terminology]

 intensifier は通常「強意語」と訳されるが,専門的に広義には,意味の緩和,つまりマイナス方向の「強意」をも含む用語としてとらえておく必要がある.Quirk et al. (§§8.104--115) によると,intensifier は意味論の観点から以下のように下位区分される.

INTENSIFIERS
 ・ AMPLIFIERS
  ・ Maximizers: absolutely, altogether, completely, entirely, extremely, fully, perfectly, quite, thoroughly, totally, utterly, in all respects, most
  ・ Boosters: badly, bitterly, deeply, enormously, far, greatly, heartily, highly, intensely, much, severely, so, strongly, terribly, violently, well, a great deal, a good deal, a lot, by far, very much
 ・ DOWNTONERS
  ・ Approximators: almost, nearly, practically, virtually, as good as, all but
  ・ Compromisers: kind of, sort of, quite, rather, enough, sufficiently, more or less
  ・ Diminishers: mildly, partially, partly, quite, slightly, somewhat, in part, in some respects, to some extent, a bit, a little, least (of all), only, merely, simply, just, but
  ・ Minimizers: barely, hardly, little, scarcely, in the least, in the slightest, at all, a bit

 この数日間に「#4233. なぜ quite a few が「かなりの,相当数の」の意味になるのか?」 ([2020-11-28-1]),「#4235. quite a few は,下げて和らげおきながら最後に皮肉で逆転?」 ([2020-11-30-1]) の記事で副詞 quite の用法に注目してきたが,上の分類によると quite は Maximizers と Compromizers の2つのリストのなかに現われる.一般に,程度の概念を伴わない語句と共起する場合には Maximizer として機能し,程度を有する語句と共起する場合には Compromiser として機能するとされる.それぞれ例文を挙げておこう.

[ Maximizer として ]

 ・ Flying is quite the best way to travel.
 ・ I quite forgot about her birthday.
 ・ I quite understand.
 ・ The bottle is quite empty.
 ・ You're quite right.

[ Compromizer として ]

 ・ He plays quite well.
 ・ I quite enjoyed the party, but I've been to better ones.
 ・ It is quite cold, isn't it?
 ・ She quite likes him, but not enough to marry him.
 ・ The food in the cafeteria is usually quite good.

 頻度の高い副詞だが,案外使い方は難しい.

 ・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985.

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2020-11-30 Mon

#4235. quite a few は,下げて和らげ最後に皮肉で逆転? [euphemism][intensifier][semantics][implicature]

 「#4233. なぜ quite a few が「かなりの,相当数の」の意味になるのか?」 ([2020-11-28-1]) を受けて,この問題についてもう少し考えてみたい.各種の語法辞典を引いてみると,quite という副詞はとにかく使い方が難しいことが分かる.共起する形容詞の意味論的な特性などに応じて,「まったく;完全に」という強意を表わすかと思えば,「まずまず,そこそこ,割と」というむしろ程度を和らげるように用いられることもある.このような多義性をもち,かつ口語的な響きもをもつからだろう,意味論的に分析するだけでは埒が明かないことも多く,語用論やその他の観点からの考察も必要となってくる.厄介な副詞だ.
 小西 (893) は,quite a/an の項目の最後で次のように述べている.

なお成句 quite a few/bit は quite a lot とほぼ同意の婉曲的な米国口語表現である.Quite a few people turned up.---CEED (非常に多くの人々が現れた).


 ここでは「婉曲的」という用語が使われている.確かに quite には,上記の通り表現の勢いを和らげるという機能も認められる.具体的にいえば,quite が数量のように程度をもつ語句と共起すると,基本的には "downtoner" の役割,つまり程度を少し落として見せる役割を果たす.これによって程度が下げられ,同時に響きとしてのキツさも和らげられる.まさに婉曲表現 (euphemism) といってよい.
 ところが,quite a few の場合,ここから予想外の発展を遂げたようだ.もともと数量の程度が低いことを意味する a few をさらに少なく見せるように quite を付け,下げて和らげて表現したところを,さらに「皮肉」効果によってまるまる反転させようなのである.当初は,ある口語的な文脈において particularized conversational implicature としてたまたま滲み出た皮肉的な意味にすぎなかったと思われるが,それが繰り返され常用化するに及んで,generalized conversational implicature へと昇格したものではないか.
 もしこの筋書きが正しいならば,意味論・語用論界における「うっちゃり」の事例となる.

 ・ 小西 友七 編 『現代英語語法辞典』 三省堂,2006年.

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2020-11-28 Sat

#4233. なぜ quite a few が「かなりの,相当数の」の意味になるのか? [sobokunagimon][phrase][ame][pragmatics][intensifier]

 quite という副詞は,用法が難しく厄介な語である.基本的には形容詞等の表わす程度を強調する副詞ととらえてよいが,コロケーション次第で様々な意味の陰影が生まれる.そのなかでも何とも理解しがたいフレーズが,標題の quite a few である.quite が程度の強調ということであれば「とても少ない」の意となりそうだが,実際には口語において「かなりの,相当数の」と予想外の意となる.quite a lot (of) が予想通り「とても多く(の)」を意味することを考えると,どうにも理解に困る.
 OED を開いてみよう,quite a few は,few, adj., pron., and n. の見出しのもとで Phrases の1つとして立てられている.

d. Originally U.S. quite a few.

(a) Used adjectivally: a considerable number of.

   1833 Nolan County (Sweetwater, Texas) News 26 Jan. Quite a few White Flat people attended the singing at Trent.
   1939 L. Hughes Let. 9 Dec. in Remember me to Harlem (2001) 159 That phase of Harlem's rise to culture and neo-culture seems to be of historical importance and interest to quite a few people.
   2014 Providence (Rhode Island) Jrnl. (Nexis) 22 July (News section) 1 I went fishing yesterday afternoon and caught quite a few spotted trout.
(Hide quotations)

(b) Used as noun: a considerable number; also with of-phrase as complement.

   1844 Christian Advocate Apr. 139/5 We were glad to find 'honorable brethren', quite a few 'tis true, prepared to go with us.
   1883 P. Robinson in Harper's Mag. Oct. 706/1 There's quite a few about among the rocks.
   1933 L. Bloomfield Language xi. 172 Quite a few of the present-day Indo-European languages agree with English in using an actor-action form as a favorite sentence-type.
   2006 S. M. Stirling Sky People ix. 204 Cries of welcome greeted them; quite a few had observed the shot from a distance, and fresh meat was always welcome.


 これによると,19世紀前半にアメリカ英語で生まれた比較的新しい表現であることが分かる.しかし,なぜ予想外の意味が生じたかについては,特に解説はない.
 考えられるのは,quite の語用論的な用法,たとえば緩和や皮肉を込めた言い方に由来する可能性である.日本語の「ちょっと(した)」を例にとろう.文字通りには「少量」を意味するが,「ちょっとマズい状況になってるなぁ」とか「それはちょっと値が張りますよ」という場合には「少量」では済まなさそうな含みがある.実質的に「多量」を意味するのに,表面上は「少量」の表現を用いる例だ.
 quite a bit, quite a little などの表現も,原義が反転して「多い」を表わすという点で,quite a few と同じグループに入るだろう.quite a little については,OED では little, adj., pron., and n., and adv. のもとに "10. Used as an (ironic) intensifier in various constructions, as quite a little ---, quite the little ---, a nice little ---, etc." と言及があり,初出が1763年となっている.何とも厄介な表現である.

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2018-04-08 Sun

#3268. 談話標識のライフサイクルは短い [discourse_marker][pragmatics][historical_pragmatics][language_change][intensifier][euphemism][sociolinguistics][speed_of_change]

 言語には変化の回転が速い領域というものがある.「#992. 強意語と「限界効用逓減の法則」」 ([2012-01-14-1]) や「#1219. 強意語はなぜ種類が豊富か」 ([2012-08-28-1]) で述べたように,強意語 (intensifier) や,タブー表現 (taboo) の響きをやわらげる婉曲表現 (euphemism) が次々と生まれては消えることは,よく知られている.視点を変えれば,これらの表現はライフサイクルが短いということになろう.
 同様に,昨日の記事「#3267. 談話標識とその形成経路」 ([2018-04-07-1]) で取り上げた談話標識も,比較的ライフサイクルが短いとされている.実際,談話標識は歴史的に新しい表現が生まれては消える過程を繰り返してきた.昨日の記事でも示したように,談話標識は特に話し言葉において頻度が高いこと,そして種々の源から形成されうることが,背景にあるのだろう.この点について Lewis (909) が次のように述べている.

Discourse markers are known for their frequent renewal. Particularly subject to sociolinguistic factors and fashion, they tend to be "caught" easily, spreading quickly among social networks. Choice of markers therefore can reflect age, social position, and so on. Discourse markers date quickly: many of the most frequent discourse markers and connectives of the 20th century arose only in the 18th or 19th century, including of course, after all, still, I say.


 ライフサイクルが速いといっても数世代以上の時間がかかるようであり,強意語や婉曲語法に見られるライフサイクルほど速いわけではなさそうだ.しかし,そのうちにきっと変わるにちがいないと言わしめるほどには「規則的な」言語変化の一種とみなせそうだ.また,引用の最初にあるように,談話標識に話者の世代を特徴づける性質があるというのも興味深い.歴史社会言語学的な観察対象になり得ることを意味するからだ.談話標識の流行としての側面は,もっと注目してもよいだろう.

 ・ Lewis, Diana M. "Late Modern English: Pragmatics and Discourse" Chapter 56 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 901--15.

Referrer (Inside): [2023-03-19-1]

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2017-05-27 Sat

#2952. Shakespeare も使った超強調の副詞 too too [reduplication][intensifier][adverb][preposition][iconicity][shakespeare]

 「あまりに」を意味する強調の副詞 too を重複 (reduplication) させ,強調の度合いをさらに強めた too too なる副詞がある.too 自身が前置詞・副詞 to の音韻形態的・意味的な強形というべき語であり,それを重ねた too too においては,強調まさに極まれり,といったところだろうか.Shakespeare でも O that this too too sallied flesh would melt. (Hamlet 1. 2. 129) として用いられており,現在でも口語で She is too-too kind. などと用いられる.
 OED によると,かつては1語で toto, totoo, tootoo などと綴られたこともあったというが,形容詞や副詞の程度を強める副詞としての初出はそれほど古くなく,初期近代の1542年からの例が挙げられている(ただし,動詞を強める副詞としては a1529 に初出あり).

1542 N. Udall tr. Erasmus Apophthegmes f. 271, It was toto ferre oddes yt a Syrian born should in Roome ouer come a Romain.


 この表現の発生の動機づけは,長々と説明する必要もないだろう.重複とは繰り返しであり,繰り返しは意味的強調に通じる.重複と強調は,iconicity (図像性)の点で,きわめて自然で密接な関係を示す.とりわけ感情のこもりやすい口語においては,言語現象として日常茶飯事といえる(関連して「#65. 英語における reduplication」 ([2009-07-02-1]) を参照).
 なお,上にも述べたように強調の副詞 too 自体が,前置詞・副詞 の強形である.古英語では to は単独で「その上,さらに」の意の副詞として用いることもでき,形容詞などと共起すると「あまりに?」の副詞の意味を表わすことができた.主として,母音部を弱く短く発音すれば前置詞に,強く長く発音すれば強調の副詞として機能したのである.役割の分化にもかかわらず,綴字上は同じ to で綴られ続けたが,16世紀頃から強調の副詞のほうは too と綴られるようになり,独立した.
 起源を一にする語の強形と弱形が独立して別の語と認識されるようになる過程は,英語史でも少なからず生じている.「#55. through の語源」 ([2009-06-22-1]),「#86. one の発音」 ([2009-07-22-1]),「#693. as, so, also」 ([2011-03-21-1]),「#2077. you の発音の歴史」 ([2015-01-03-1]) を参照.

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2015-04-26 Sun

#2190. 原義の弱まった強意語 [intensifier][semantic_change]

 本ブログでは,強意語について intensifier の各記事で取り上げてきた.とりわけ,「#992. 強意語と「限界効用逓減の法則」」 ([2012-01-14-1]) や「#1219. 強意語はなぜ種類が豊富か」 ([2012-08-28-1]) では,強意語が歴史的に次々と現われては累積してきた過程について論じた.英語史における強意語の発達の具体例は先の記事でも列挙したが,今回は,歴史的に累積してきた,現代英語でもある程度よく用いられる強意副詞の例を挙げたい.この種の語彙一覧を簡便かつ丁寧に与えてくれるのは,Williams (191--92) である.以下のそれぞれについて,本来の語義からいかにして強調の意味が発達したのか,その本来の語義は今ではどの程度感じられるかについて問うてみてほしい.

 IntensifierExample PhraseEarlier Meaning
1.abominablyabominably tired(excite disgust)
2.amazinglyamazingly dull(cause to lose wits)
3.astonishinglyastonishingly minor(stun with a blow)
4.awfullyawfully unimpressive(cause dread or awe)
5.confoundedconfounded happy(bring to perdition)
6.damneddamned pleased(doomed)
7.dreadfullydreadfully small(excite dread or awe)
8.enormouslyenormously good(abnormally evil)
9.excessivelyexcessively happy(go beyond just limits)
10.extraordinarilyextraordinarily normal(beyond the ordinary)
11.extravagantlyextravagantly unambitious(wander beyond bounds)
12.extremelyextremely limited(uttermost)
13.fabulouslyfabulously cheap(fabled)
14.fantasticallyfantastically real(exist in imagination)
15.fullfull weary(complete)
16.frightfullyfrightfully boring(full of horror)
17.grandlygrandly expensive(great)
18.greatlygreatly exhausted(great)
19.hideouslyhideously expensive(excite terror)
20.horriblyhorribly expensive(excite horror)
21.horridlyhorridly embarrassed(excite horror)
22.hugelyhugely amused(immense)
23.immenselyimmensely unimportant(large beyond measure)
24.immoderatelyimmoderately hungry(beyond limits)
25.incrediblyincredibly real(not to be believed)
26.intenselyintensely tired(stretched)
27.magnificentlymagnificently pleased(greatness of achievement)
28.marvelouslymarvelously stupid(miraculous)
29.might(il)ymighty weak(power)
30.monstrouslymonstrously excited(deviating from natural)
31.outrageouslyoutrageously ordinary(exceeding limits)
32.perfectlyperfectly stupid(complete in all senses)
33.prettypretty ugly(firm, nice, proper)
34.powerfulpowerful tired(force,influence)
35.reallyreally imaginative(objective existence)
36.rightright foolish(what is good)
37.simplysimply confusing(without complication)
38.sore(ly)sore(ly) afraid(cause pain)
39.stupendouslystupendously alert(struck senseless)
40.tremendouslytremendously calm(excite trembling)
41.terriblyterribly pleased(excite terror)
42.terrificallyterrifically happy(excite terror)
43.vastlyvastly insignificant(of great dimensions)
44.veryvery false(true, real)
45.violentlyviolently opposed(producing injury)
46.wonderfullywonderfully boring(causing astonishment)
47.wondrouslywondrously tedious(causing astonishment)


 上掲語の多くは,強意に用いられるときには,原義が失われているか,少なくとも弱まってはいるだろう.リストにはないが,例えば f--king chaste という強意表現は f--king の原義を考えると意味的に矛盾しているが,実際に俗語で用いられ得るのは,その語がすでに原義をほとんど失っているからである.そこに宿っているのは,ショックを引き起こす力のみである.

 ・ Williams, Joseph M. Origins of the English Language: A Social and Linguistic History. New York: Free P, 1975.

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2014-12-17 Wed

#2060. 意味論の用語集にみる意味変化の分類 [semantic_change][metaphor][metonymy][bleaching][intensifier]

 様々な種類の意味変化を分類する試みは数多くなされてきた.本ブログでもすでに「#1953. Stern による意味変化の7分類 (2)」 ([2014-09-01-1]),「#1873. Stern による意味変化の7分類」 ([2014-06-13-1]),「#473. 意味変化の典型的なパターン」 ([2010-08-13-1]) などで整理してきたが,今回は意味論のグロッサリーの semantic change という項目に挙げられている分類を要約しながら紹介する.具体的には Cruse の用語集からである.

 (1) 語義の獲得と消失 (gain and loss of meaning) .コンピュータの出現により,mouse は従来の動物のネズミの意に加えて,コンピュータ・マウスの意を加えた.また,Jane Austen の時代には direction は宛名 (address) の意味で用いられていたが,現在はその意味は失われている.語義の獲得と消失には metaphor や metonymy が作用していることが多い.
 (2) デフォルト語義の変化 (change of default meaning) .主たる語義が副次的な語義となったり,副次的な語義が主たる語義になるケース.100年前の expire の主たる意味は「死ぬ」だったが,現在は「死ぬ」は副次的な語義へと降格し,代わりに「満期になる」が主たる意味へと昇格した.intercourse の「交流」の意味も同様に主たる語義の地位から降格し,「性交」に取って代わられている.
 (3) 意味的漂流 (semantic drift) .カテゴリーのプロトタイプ的な成員が時代とともに変わっていくのに連動し,プロトタイプ的な語義が変わっていくこと.weaponvehicle は,時代によってその典型的な指示対象となるものを変えてきた.Stern の意味変化の分類でいう代用 (substitution) に相当する.
 (4) 特殊化と一般化 (specialisation and generalisation) .かつては doctor は広く「教師;学者」を意味したが,現在では主として特殊化した「医者」の語義で用いられる.actor は従来は「男優」のみを意味したが,「(性別にかかわらず)俳優」として用いられるようになってきている.特殊化と一般化は,[2010-08-13-1]の分類でも取り上げた.
 (5) 悪化と良化 (pejoration and amelioration) .interfere は古くは「介在する」 (intervene) の意味で評価については中立的に用いられていたが,現在では負の評価を帯びた「邪魔する」の意味で用いられている.typical も負の評価を帯びた「よくあるように悪い」の意味で用いられるようになっている.女性を表わす語が悪化を経やすいことについては,「#1908. 女性を表わす語の意味の悪化 (1)」 ([2014-07-18-1]) と「#1909. 女性を表わす語の意味の悪化 (2)」 ([2014-07-19-1]) で取り上げたので参照されたい.良化の例は比較的少ないが,「ぶっきらぼうな,乱暴な」の意味だったものが「たくましい,屈強な」の意味へと変化した例などがある.悪化と良化は,[2010-08-13-1]の分類でも取り上げた.
 (6) 漂白 (bleaching) .to make a phone call において,make は本来の「作る」の意味を漂白させ,「する,おこなう」というほどの一般的な意味へと薄まっている.awful, terrible, fantastic などの強意語が強意を失っていく過程も漂白の例である (cf. 「#992. 強意語と「限界効用逓減の法則」」 ([2012-01-14-1]),「#1219. 強意語はなぜ種類が豊富か」 ([2012-08-28-1])) .

 これは意味変化の要因,過程,方向,結果など複数の基準にもとづいた分類であり,分類というよりは箇条書きに近い.意味変化のタイポロジーというのは,つくづく難しい.

 ・ Cruse, Alan. A Glossary of Semantics and Pragmatics. Edinburgh: Edinburgh UP, 2006.

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2014-09-28 Sun

#1980. 主観化 [subjectification][grammaticalisation][semantic_change][unidirectionality][adjective][intensifier][terminology][discourse_marker]

 語用論 (pragmatics) や文法化 (grammaticalisation) や意味変化 (semantic_change) の研究では,主観化 (subjectification) ということがしばしば話題にされる.一言でいえば,「指示的,命題的意味からテキスト的,感情表出的,あるいは,対人的 (interpersonal) への意味変化」(秋元,p. 11)である.命題の意味が話者の主観的態度に重きをおく意味へと変化する過程であり,文法化において典型的にみられる方向性であるといわれる.図式的にいえば,"propositional > textual > expressive/interpersonal" という方向だ.
 秋元 (11--13) に従って英語史からの例を挙げると,運動から未来の意志・推論を表わす be going to の発達,法助動詞 must, may などの義務的用法 (deontic) から認識的用法 (epistemic) への発達,談話標識の発達,強調副詞の発達などがある.より具体的に,動詞 promise の経た主観化をみてみよう.中英語にフランス語から借用された 動詞 promise は,本来は有生の主語をとり,約束という発話内行為を行うことを意味した.16世紀には名詞目的語を従えて「予告する,予言する」の意味を獲得し,無声の主語をも許容するようになる.18世紀には,非定形補文をとって統語的繰り上げの用法を発達させ,非意志的・認識的な意味を獲得するに至る.結果,The conflict may promise to escalate into war. のような文が可能になった.動詞 promise が経てきた主観化のプロセスは,"full thematic predicates > raising predicates > quasi-modals > modal operator" と図式化できるだろう.
 もう1つ,形容詞 lovely の主観化についても触れておこう.本来この形容詞は人間の属性を意味したが,18世紀頃から身体の特性を表わすようになり,次いで価値を表わすようになった.19世紀中頃からは強意語 (intensifier) としても用いられるようになり,ついにはさらに「素晴らしい!」ほどを意味する反応詞 (response particle) としての用法も発達させた.過程を図式化すれば "descriptive adjective > affective adjective > intensifier/pragmatic particle" といったところか.関連して,形容詞が評価的な意味を獲得する事例については「#1099. 記述の形容詞と評価の形容詞」 ([2012-04-30-1]),「#1100. Farsi の形容詞区分の通時的な意味合い」 ([2012-05-01-1]),「#1400. relational adjective から qualitative adjective への意味変化の原動力」 ([2013-02-25-1]) で取り上げたので,参照されたい.強意語の発達については,「#992. 強意語と「限界効用逓減の法則」」 ([2012-01-14-1]),「#1220. 初期近代英語における強意副詞の拡大」 ([2012-08-29-1]) を参照.
 ほかにも,Traugott (126--27) によれば,after all, in fact, however などの談話標識としての発達,even の尺度詞としての発達,only の焦点詞としての発達などが挙げられるし,日本語からの例として,文頭の「でも」の談話標識としての発達や,文末の「わけ」の主観的な態度を含んだ理由説明の用法の発達なども指摘される.
 この種の意味変化の方向性という話題になると,必ず反例らしきものが指摘される.実際に,反主観化 (de-subjectification) と目される例もある.例えば,criminal lawcriminal は客観的で記述的な意味をもっているが,歴史的にはこの形容詞では a criminal tyrant におけるような主観的で評価的な意味が先行していたという.また,英語では歴史的に受動態が発達してきたが,受動態は典型的に動作主を明示しない点で反主観的な表現といえる.

 ・ 秋元 実治 『増補 文法化とイディオム化』 ひつじ書房,2014年.
 ・ Traugott, Elizabeth Closs. "From Subjectification to Intersubjectification." Motives for Language Change. Ed. Raymond Hickey. Cambridge: CUP, 2003. 124--39.

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2012-08-29 Wed

#1220. 初期近代英語における強意副詞の拡大 [emode][intensifier][adverb][synonym][flat_adverb][loan_word]

 昨日の記事「#1219. 強意語はなぜ種類が豊富か」 ([2012-08-28-1]) で参照した Peters は,初期近代英語の強意副詞の異常な拡大について調査している.この時代は,強意副詞の拡大が英語史上もっとも激しかった時期である.しかも,その供給源が従来は典型的だった locality, dimension, quantity を表わす語よりも,quality を表わす語へと移っていったというのが特徴的であるという (Peters 271) .
 OED での調査によると,強意副詞拡大の第1のピークは,1590--1610年にあり,次のような語が含まれる (Peters 272) .

ample, capitally, damnable, damnably, detestable, exquisitely, extreme, grievous, grossly, horribly, intolerable, pocky, rarely, spaciously, strenuously, superpassing, surpassing, terribly, tyrannically, uncountably, unutterably, vehemently, villainous, violently


 第2のピークは1650--60年にあり,ほぼすべて借用語がソースとなっているのが特徴的だという.これにつていは,簡便な一覧が与えられていなかった.
 では,なぜ初期近代英語で強意副詞が拡大したのだろうか.Peters は,供給源である語彙の多様性(借用語も含め)と口語的な文体の文章が増えてきたという事実を指摘している (273) .昨日指摘したように,強意語には常に自己刷新ともいうべき諸作用が働いている.そのような内圧がかかっているところへ,初期近代英語期に,借用語の流入と口語的な文体の出現という外圧が加わった.言語内外の要因が組み合わさり,とりわけこの時期に強意副詞が拡大したのではないか.
 同時期の借用とその副詞への影響については,特に以下の記事を参照.
 
 ・ [2009-08-19-1]: 「#114. 初期近代英語の借用語の起源と割合」
 ・ [2010-08-18-1]: 「#478. 初期近代英語期に湯水のように借りられては捨てられたラテン語」
 ・ [2012-01-06-1]: 「#984. flat adverb はラテン系の形容詞が道を開いたか?」
 ・ [2012-07-12-1]: 「#1172. 初期近代英語期のラテン系単純副詞」

・ Peters, Hans. "Degree Adverbs in Early Modern English." Studies in Early Modern English. Ed. Dieter Kastovsky. Mouton de Gruyter, 1994. 269--88.

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2012-08-28 Tue

#1219. 強意語はなぜ種類が豊富か [intensifier][adverb][synonym][thesaurus][sociolinguistics]

 強意語に作用する「限界効用逓減の法則」については,[2012-01-14-1]の記事その他で触れてきた.強意表現は使われてゆくうちに徐々に強意が失せてくるため,話者は新たな強意表現を求める.そして,その新表現も強度が薄まり,次の表現が欲しくなる.この永遠のサイクルに潜む原理が「限界効用逓減の法則」である.新表現の欲求の背後には,真の強意を伝えたいという意図が働いていることは間違いないが,それだけではない.話者の独創的でありたいという希望,巧みな話術を見せたいという希望,聞き手の関心を惹きたいという希望が,その根底にある.このような欲求や希望が原動力となって,次々と新しい強意語が生まれてくる.
 しかし,古い強意語がいつでも新しい強意語にとって代わられるわけではない.古い語が新しい語と併存する場合も少なくない.その場合,強意語群は累々と積み重ねられてゆき,共時的にみれば,非常に種類の豊富な類義語カテゴリーとなる.別の場合には,強意語は,ある話者集団にのみ好んで用いられる shibboleth としての役割を果たす."group identification" (Peters 271) に関与しやすい語類として,社会言語学的にも重要な語類である.
 標題の質問に対しては,もう1つの回答があるように思われる.ここで取り上げている強意語とは,厳密にいえば maximizer と booster を指すが,とりわけ booster は種類が豊富である.それは,maximizer が程度の最高点を表わすという意味で点的だが (ex. absolutely, completely) ,booster は漠然と程度の高さを表わすという点で線的であり,覆う範囲がそれだけ広いからだ (ex. greatly, highly, uncommonly) .booster の供給源に感情を表わす語が少なくないが (ex. desperately, terribly, violently) ,これは感情もまた線的であり,覆う幅が広いことと関係しているだろう (Peters 271) .そして,感情を表わす語は,言うまでもなく,種類の豊富な語群である.
 限界効用逓減の法則,コミュニケーション上の欲求,group identification のための手段,漠然とした程度の広がり,感情語に代表される無尽蔵の供給源.これらの要因によって,強意語は,通時的なサイクルを経験し続けるだけでなく,共時的なヴァリエーションを広げてゆくのである.
 日本語の強意語については,[2012-01-19-1]の記事「#997. real bad と「すごいヤバい」」を参照.

・ Peters, Hans. "Degree Adverbs in Early Modern English." Studies in Early Modern English. Ed. Dieter Kastovsky. Mouton de Gruyter, 1994. 269--88.

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2012-08-05 Sun

#1196. 初期近代英語における -ly 副詞の規則化の背景 (2) [adverb][suffix][flat_adverb][standardisation][prescriptive_grammar][emode][intensifier][-ly]

 [2012-07-29-1]の記事の続編.初期近代英語では,##1172,992,984 の記事で話題にしたような強意の単純副詞が続々と現われた.しかし,口語的な響きを伝えるこのような強意の単純副詞が,英語の標準化や規範主義の潮流のなかで非難され,消えていったのも,同じ時代のことだった.ここには,副詞的に機能する語は副詞の形態(典型的に -ly)をもっているべきであり,形容詞と同形のものが副詞として機能するのは正しくないとする "correctness" の発想が濃厚である.Strang (138--39) は次のように述べている.

Secondary modifiers or intensifiers differed considerably. The old forms, full, right, were still in general use; newer very was known, but not used by everybody even in the 17c. For a more forceful degree of modification, wonderous and mighty were inherited, but such terms wear out quickly, and changes have been considerable. During II [1770--1570], pretty, extraordinary, pure, terrible, dreadful, cruel, plaguy, devillish, take on this role, and most of them have lost it again since. We must distinguish here the built-in obsolescence affecting such items at any time, from the particular factors operating between II and I [1970--1770]. These arose from a sense of correctness which prescribed that forms with the appearance of adjectives should not be used in secondary modification. Very was all right because it did not have this form; but instead of extraordinary, terrible, dreadful, etc., the corresponding -ly forms came to be required.


 Strang は,強意副詞としての extraordinaryterrible の廃用は,強意語に作用する「限界効用逓減の法則」 ([2012-01-14-1]の記事「#992. 強意語と「限界効用逓減の法則」」を参照)によるものというよりは,規範主義的な "correctness" に基づく非難によるものだと考えているようだが,この2つの要因を "distinguish" する必要はあるだろうか.概念として区別すべきだということであれば確かにその通りだが,現実には,両者は補完し合っていたのではないだろうか.強意語はとりわけ話し言葉,口語において発達しやすい.そこでは,入れ替わり立ち替わり新しい強意語が現われては去ってゆく.一方で,規範主義はもっぱら書き言葉,文語に基づいた言語観である.そこでは,言語を固定化しようという意図が濃厚である.両者の関係は水と油のような関係に見えるが,火(規範主義)に油(口語的な強意副詞の異常な発達)を注いだと表現するのが,より適切な比喩のように思われる.口語における単純副詞の使用が強意語の発達により目立ってくればくるほど,規範による非難の対象となるし,その非難の裏返しとして,「正しい」 -ly 副詞が奨励されるようになったのではないか.皮肉なことだが,言語変化が活発である時代にこそ,強い規制が生まれがちである,ということかもしれない.

 ・ Strang, Barbara M. H. A History of English. London: Methuen, 1970.

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2012-07-30 Mon

#1190. 初期近代英語における副詞の発達 [adverb][suffix][flat_adverb][intensifier][emode][-ly]

 昨日の記事「#1189. 初期近代英語における -ly 副詞の規則化の背景」 ([2012-07-29-1]) で参照した Nevalainen の論文は,題名の示すとおり,初期近代英語における副詞の様々な話題を取り上げている.雑多な印象を受けるが,全体として次の2点を指摘しているように読める.(1) 初期近代英語には,昨日の引用に記述されているとおり,-ly 副詞の規則化の流れが確かに認められるが,細かくみれば単純副詞も残存(場合によっては拡大すら)しており,いまだ過渡期と考えるべきである.(2) この時期には,-ly 形にせよ単純形にせよ,副詞が多様化し,機能や意味も拡大した.
 (1) については,「#984. flat adverb はラテン系の形容詞が道を開いたか?」 ([2012-01-06-1]) や「#1172. 初期近代英語期のラテン系単純副詞」 ([2012-07-12-1]) で触れたとおり,強意語としての exceedingdreadful などが増加した事実を取り上げている([2012-01-14-1]の記事「#992. 強意語と「限界効用逓減の法則」も参照).また,大部分の単純副詞が中英語期以前から文証されるものの,近代英語で初めて確認されるものもあり,既存語からの類推による副詞創成の例と考えられる (ex. shallow, tight, rough, blunt, dark, quiet, weak, dirty, cheap, bad) .なお,[2012-07-16-1]の記事「#1176. 副詞接尾辞 -ly が確立した時期」で述べた,Donner による中英語での -ly 副詞と単純副詞の意味上の区別について,Nevalainen (251) は,初期近代英語ではこの区別は体系的に見られないとしており,興味深い.
 (2) については,この時代に文副詞 (sentence adverb) が増加したこと,特に法副詞 (modal adverb) が多様化したことに触れている (ex. probably, necessarily, undoubtedly, possibly, perhaps) .また,焦点化の副詞 (focusing adverb) として,even が16世紀末に「?さえ」の意味を得たことにも触れ,英語史に通じて見られる adverbialization の流れのなかに位置づけている (254--55) .
 Nevalainen は,副詞発達の歴史のなかで,初期近代英語という時期は "the transitional status" (256) を表わしており,"a drift towards a more subjective expression by adverbial means" (257) を示唆するものであると結論づけている.

 ・ Nevalainen, Terttu. "Aspects of Adverbial Change in Early Modern English." Studies in Early Modern English. Ed. Dieter Kastovsky. Mouton de Gruyter, 1994. 243--59.

Referrer (Inside): [2016-08-19-1]

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2012-04-22 Sun

#1091. 言語の余剰性,頻度,費用 [redundancy][information_theory][frequency][shortening][grammaticalisation][idiom][intensifier][language_change]

 本ブログでも度々取り上げている André Martinet (1908--99) は,情報理論の知見を言語学に応用し,独自の地平を開いた構造言語学者である.[2012-04-20-1], [2012-04-21-1]の記事で,言語の余剰性 (redundancy) の問題に触れてきたが,Martinet は余剰性と関連させて確率 (probability) ,情報 (information) ,頻度 (frequency) ,費用 (cost) といった概念をも導入し,これらの関係のなかに言語変化の原因を探ろうとした.以下は,これらの用語を導入した後の一節である(拙訳つきで).

Ce qu'il convient de retenir de tout ceci pour comprendre la dynamique linguistique se ramène aux constatations suivantes : il existe un rapport constant et inverse entre la fréquence d'une unité et l'information qu'elle apporte, c'est-à-dire, en un certain sens, son efficacité ; il tend à s'établir un rapport constant et inverse entre la fréquence d'une unité et son coût, c'est-à-dire que représente d'énergie consommée chaque utilisation de cette unité. Un corollaire de ces deux constatations est que toute modification de la fréquence d'une unité entraîne une variation de son efficacité et laisse prévoir une modification de sa forme. Cette dernière pourra ne se produire qu'à longe échéance, car les condition réelles du fonctionnement des langues tendent à freiner les évolutions. (189--90)

言語の力学を理解するために,このこと全体について理解すべきことは,次の確認事項である.ある単位の頻度とそれがもつ情報(すなわちある意味ではその効果)のあいだには一定にして反比例の関係がある;それは,ある単位の頻度とその費用(すなわちその単位を使用することで消費されるエネルギー)のあいだの一定にして反比例の関係となる傾向がある.この2つの確認事項の当然の帰結として,ある単位の頻度が変わればその効果も変化するし,その形態の変化も予想されることになる.この後者の変化はあくまで長期間をかけて生じるものである.というのは,言語作用の現実の状況は発達を抑制する傾向があるからだ.


 Martinet は,引用した節よりも前の箇所で,余剰性が高いということは予測可能性が高いということであり,それは言語要素の出現確率あるいは頻度とも密接に関連するということを論じている.一般に,言語要素は頻度が高ければ余剰性も高く,情報価値は低い: "plus une unité (mot, monème, phonème) est fréquente, moins elle est informative" (188) .そして,ここに費用という要素を持ち込むことによって,新たな洞察が得られた.話者にとって,頻度が高ければ高いほど,その1回の発音に必要とされるエネルギーの量は少ないほうが都合がよい.多くのエネルギーを要する発音を何度も繰り返すのは不経済だからだ.逆に,頻度の低い表現は,たとえ発音に大きなエネルギーが必要だとしてもあまり困らない.いずれにせよ,発音する機会が稀だからだ.
 このように,「費用」を発音にかかるエネルギー量と解釈する場合,厳密には個々の音の発音がどのくらいの費用を要するかを知る必要があるが,その計測は難しい.しかし,仮にすべての単音の発音が同じ程度の費用を要すると仮定すれば,特定の表現に要する費用はその音形の長さに依存するはずである.費用を単純に音形の長さと同値とすれば,次の関係が想定できる:「言語要素は,頻度が高ければ音形が短い」.これを言語変化に当てはめれば「言語要素は,頻度が高くなれば音形が短くなる」となろう.
 頻度と費用の反比例の関係は,経験的によく理解できる.よく使われる語句は発音においても表記においても短縮・省略される傾向がある.場合によっては,短縮・省略の究極の結末として,無に帰すことすらある.文法的な慣用表現が短縮した上で固定化する例もよく見られ,これは文法化 (grammaticalisation) として扱われる話題にほかならない.また,[2012-01-14-1]の記事で取り上げた「#992. 強意語と「限界効用逓減の法則」」も,頻度と費用の関係という観点からとらえなおすことができるだろう.
 ただし,上の引用の最後にある通り,頻度と費用の関係から言語変化を説明しようとする際には,時間差を考慮する必要がある.ある語の頻度が増してきてからその語形が短縮されるまでには,当然,ある程度の時間が必要だからだ.また,頻度と費用の負の相関関係は,あくまで緩やかなものであることにも注意しておく必要がある.上の一節に先行する標題が "Laxité du rapport entre fréquence et coût" (頻度と費用の関係の緩やかさ)であることを付け加えておこう.

 ・ Martinet, André. Éléments de linguistique générale. 5th ed. Armand Colin: Paris, 2008.

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2012-01-19 Thu

#997. real bad と「すごいヤバい」 [semantic_change][bleaching][japanese][adverb][flat_adverb][intensifier]

 flat_adverb に関連して,強意副詞として用いられる real badmighty hungrypretty cold などの表現について調べながら,ずっと考えていたことだが,この real と日本語の「すごい」の強意副詞的な用法とがすごいよく似ている.類似点を列挙すると,以下の通り.

 (1) 程度のはなはだしいことを示す強意の副詞として用いられる
 (2) 形容詞が,語幹のままの形態(終止・連体形)で副詞(連用修飾)として用いられる
 (3) 口語,俗語として広く行なわれており,規範の立場からは非標準とされる

 日本語の口語において「すごい楽しい」がすでに市民権を獲得していることは改めて指摘するまでもない.書き言葉には使えないという規範意識はあるものの,話し言葉での使用について強く非難すべき時代は過ぎているように思う.
 上の3点は,近年の「すごい」のみに当てはまる特徴ではない.増井 (78) を引用しよう.

 このように「すごい」は「規則に反して新しく使われ始めた表現と考えられるわけであるが,「すごく」の代わりに「すごい」を用いるのは最近ではあっても,それによく似た例は近世や近代にも見られるものであった。
 この「形容詞終止連体形の副詞的用法」は,「程度のはなはだしさ」を表わす形容詞の中に見られる用法である。
 現代語において「程度のはなはだしさ」を表わし,連用形の形で形容詞・形容動詞などを修飾する形容詞として「えらい」,「おそろしい」,「すごい」,「すさまじい」,「すばらしい」,「ひどい」,「ものすごい」といった語が挙げられる。このうちほぼ無条件で形容し・形容動詞などを修飾可能なものとなると「えらい」,「おそろしい」,「すごい」,「ものすごい」に限られる。


 増井は,近世,近代における上方での「えらい」と「おそろしい」の連用修飾用法を実証的に調査した.それによると (82) ,寛政期に「ゑらう」に代わって用言を修飾する「ゑらい」が現われ,後者は幕末には前者と肩を並べるほどに成長した.特に「ゑらい美(うま)い」のように,形容詞終止連体形を修飾する場合には語調の都合でか,「ゑらい」のみが用いられた.しかし,昭和の初め頃には,「えろう」の勢力は完全に後退した.一方,「おそろしい」については,明治・大正期に「おそろしく」の代わりに用いられた例がみられるが,現代にはつながらずに終わった.「おそろしい」の衰退については,この形容詞には本来の「恐い」という語義が強く残っていたために,程度のはなはだしさを表わす用法は副次的にとどまらざるを得なかったのではないかと,増井は論じている.
 「ゑらい」と「おそろしい」の発達の差は,[2012-01-14-1]の記事「#992. 強意語と「限界効用逓減の法則」」で取り上げた,意味の漂白化 (bleaching) と関連しているようにみえる.「ゑらい」では意味が漂白して純粋な強意語となったが,「おそろしい」では原義が色濃く残っており,強意語へと漂白しきれなかったということではないか.意味特性のほかには,漂白化に成功した「えらい」は「おそろしい」の5音節に比べて3音節と短いことが関与しているかもしれない.「すごい」も3音節である.語呂のよさや口語らしさということでいえば,短いほうが調子が出そうだ.
 「えらい」「おそろしい」の発達についての結論として,増井 (84--85) はこう述べている.

 言語変化は,より安易で単純な方向に進むとされるが,その言語変化の一環として形容詞の無活用化がみられ,その流れの中で右のような用法が出てきたとする考え方もあろう。しかし,右の終止連体形の副詞的用法は形容詞一般にみられるものではなく,「程度のはなはだしさ」を強調する場合にのみ現われることを考えると,単に,「安易で単純な方向に流れて無活用化したもの」ということで片付づけるにはためらいがある。むしろ,強調効果を高めるために意図的に終止連体形を用いたものと考えたい。「えらう」「おそろしく」と活用変化させた形より,原形である「えらい」「おそろしい」の形の方が強い印象が与えられるという意識が働いた結果ではないかと私は考える。


 副詞(連用形)に対して形容詞(終止・連体形)のもつ力強さについては,昨日の記事「#996. flat adverb のきびきびした性格」 ([2012-01-18-1]) をはじめ ##983,993,995 で議論済みである.上でみた (1), (2), (3) の特徴,すなわち強い意味,形態の単純さ,口語らしさは,いずれも「きびきびした性格」としてまとめられる.real bad と「すごいヤバい」における flat adverb の精神は,ここにありだ.
 最後に,「すごい」の語法問題に対する,井上ひさし氏の回答を参照しよう (238) .鋭い意見だと思う.

なぜ,「すごい楽しい」という言い方が流行しているのかを考えてみると,まず,「程度が並々でない」のを表わす形容詞であることが大きい。並々でないことを強調しようとして,つい,すこしばかり破格の表現をとってしまったと考えられます。また,わたしたちは,いつも新しい言い方を求めていますから,その好みにあっているのかもしれません。そして,なによりも,わたしたちは,「正しい言い方」の味気なさを知っています。これは,その味気ない正しさへの,ちょっとした悪戯なのかもしれない。


 ・ 増井 典夫 「形容詞終始連体形の副詞的用法 ---「えらい」「おそろしい」を中心に ---」 『国語学研究』第27号 東北大学「国語学研究」刊行会,1987年.77--86頁.
 ・ 井上 ひさし 『井上ひさしの日本語相談』 新潮社,2011年.

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2012-01-15 Sun

#993. flat adverb についてあれこれ [flat_adverb][adverb][adjective][swearword][intensifier][metanalysis][hendiadys][cleft_sentence]

 年が明けて以来,flat_adverb についていくつか記事を書いてきた.調べているうちに諸々の話題が集まってきたので,雑記として書き残しておきたい.

 (1) 「主にくだけた口語で用いられ,本来の副詞より端的で力強い表現」(小西,p. 507);「単純形副詞がよく用いられるのは,文が比較的短く,幾分感情的色彩がある場合で,口語体ではより力強い表現として好まれる傾向がある: It hurts bad. / Take it easy. / Go slow.」(荒木, p. 522)
 (2) 米の口語・俗語で多用されることは既述だが,さらに例を挙げる(荒木,pp. 86, 91).ex. act brave, dance graceful, land safe, work regular, sit tight, mighty dangerous, reasonable busy, moderate good luck, everlasting cold, get ugly drunk, hustlingest busy; I see things different than I used to.; You are plain lucky.
 (3) 歌曲の題名などで臨時的に用いられる.ex. "Love Me Tender", "Treat me nice".
 (4) 副詞としての very の起源が示すとおり ([2012-01-12-1], [2012-01-13-1]) ,名詞を修飾する類義の形容詞の連続において,前の形容詞が後の形容詞を修飾する副詞として異分析される例がみられる (ex. an icy cold drink, a blazing hot fire) .さらに,名詞がなくとも独立して burning hot, soaking wet, dazzling white なども見られる(大塚,p. 589).
 (5) 形容詞と副詞が同形のペアには5種類あり,以下の iii, iv 辺りが典型的に flat adverb と呼ばれるものだろう (Huddleston and Pullum 568) .

i daily, hourly, weekly, deadly, kindly, likely
ii downright, freelance, full-time, non-stop, off-hand, outright, overall, part-time, three-fold, wholesale, worldwide
iii bleeding, bloody, damn(ed), fucking
iv clean, clear, dear, deep, direct, fine, first, flat, free, full, high, last, light, loud, low, mighty, plain, right, scarce, sharp, slow, sure, tight, wrong
v alike, alone, early, extra, fast, hard, how(ever), late, long, next, okay, solo

 (6) flat adverb と -ly adverb では,分裂文 (cleft sentence) で焦点化された場合の容認可能性が異なる.flat adverb は,動詞句と分断されることにより形態だけでは副詞とわかりにくくなるために,容認度が低くなるのではないか(荒木,p. 522).

 *It was slow that he drove the car into the garage. vs It was slowly that he drove the car into the garage.
 *It was loud that they argued. vs It was loudly that they argued.

 ただし,flat adverb が等位接続されたり別の語で修飾されると,副詞であることが明確になり,容認されやすい.ex. It was loud and clear that he spoke.; It was extremely loud that they argued.
 (7) A and B と形容詞を等位接続すると,A-ly B ほどの意となる二詞一意 (hendiadys) の例も,形容詞の副詞化という現象の一種としてとらえることができそうだ(大塚,pp. 531, 589).ex. nice and cool (= "nicely cool"), good and tired (="well tired"), rare and hungry (="quite hungry").

 ・ 小西 友七 編 『現代英語語法辞典』 三省堂,2006年.
 ・ 荒木 一雄,安井 稔 編 『現代英文法辞典』 三省堂,1992年.
 ・ Huddleston, Rodney and Geoffrey K. Pullum. The Cambridge Grammar of the English Language. Cambridge: CUP, 2002.
 ・ 石橋 幸太郎 編 『現代英語学辞典』 成美堂,1973年.
 ・ 大塚 高信,中島 文雄 監修 『新英語学辞典』 研究社,1987年.

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2012-01-14 Sat

#992. 強意語と「限界効用逓減の法則」 [intensifier][adverb][semantic_change][bleaching][euphemism][flat_adverb][thesaurus][synonym][swearword]

 [2012-01-12-1], [2012-01-13-1]の記事で,副詞としての very の起源と発達について見てきた.強意の副詞には,very の場合と同様に,本来は実質的な語義をもっていたが,それが徐々に失われ,単に程度の激しさを示すだけとなったものが少なくない.awfully, hugely, terribly などがそれである.意味変化の領域では,意味の漂白化 (bleaching) が起こっていると言われる.
 おもしろいのは,このような強意の副詞がいったん強意の意味を得ると,今度は使い続けれられるうちに,意味の弱化をきたすことが多いことである.ちょうど修辞的な慣用句が使い古されて陳腐になると,本来の修辞的効果が弱まるのと同じように,強意語もあまりに頻繁に用いられると本来の強意の効果が目減りしてしまうのである.
 効果の目減りということになれば,経済用語でいう「限界効用逓減の法則」 (the law of diminishing marginal utility) が関与してきそうだ.限界効用逓減の法則とは「ある財の消費量の増加につれて,その財を一単位追加することによる各個人の欲望満足(限界効用)の程度は徐々に減る」という法則である.卑近な例で言えば,ビールは1杯目はおいしいが,2杯目以降はおいしさが減るというのと原理は同じである(ただし,私個人としては2杯目だろうが3杯目だろうがビールは旨いと思う).強意語は,意味における限界効用逓減の法則を体現したものといえるだろう.
 さて,強意語から強意が失われると,意図する強意が確実に伝わるように,新たな強意語が必要となる.こうして,薄められた古い表現は死語となったり,場合によっては使用範囲を限定して,語彙に累々と積み重ねられてゆく一方で,強意のための語句が次から次へと新しく生まれることになる.この意味変化の永遠のサイクルは,婉曲表現 (euphemism) においても同様に見られるものである.
 では,新しい強意語はどこから湧いてくるのだろうか.婉曲表現の場合には,[2010-08-09-1]の記事「#469. euphemism の作り方」で見たように,そのソースは様々だが,強意語のソースとしては特に口語・俗語において flat adverb (##982,983,984) や swearword が目立つ.新しい強意語には誇張,奇抜,語勢が要求されるため,きびきびした flat adverb やショッキングな swearword が選ばれやすいのだろう.前者では awful, dead, exceeding, jolly, mighty, real, terrible, uncommon,後者では damn(ed), darn(ed), devilish, fucking, goddam, hellish などがある.
 HTOED (Historical Thesaurus of the Oxford English Dictionary) で強意副詞を調べてみると,この語群の移り変わりの激しさがよくわかる."the external world > relative properties > quantity or amount > greatness of quantity, amount, or degree > high or intense degree > greatly or very much [adverb]" とたどると,536語が登録されているというからものすごい.その下位区分で,very の synonym として分類されているものに限っても以下の47語がある.壮観.

full (c888), too (c888), well (c888), swith (971), right (?c1200), much (c1225), wella (c1275), wol(e (a1325), gainly (a1375), endly (c1410), very (1448), jolly (1549), veryvery (1649), good (a1655), strange (1667), bloody (1676), ever so (1690-2), real (1771), precious (1775), quarely (1805), trés (1819), freely (1820), powerful (a1822), heap (1832), almighty (1834), all-fired (1837), gradely (1850), hard (1850), heavens (1858), veddy (1859), some (1867), spanking (1886), socking (1896), hefty (1898), velly (1898), dirty (1920), oh-so (1922), snorting (1924), hellishing (1931), thumpingly (1948), mega (1968), mondo (1968), mucho (1978), seriously (1981), well (1986), way (1987), stonking (1990)

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