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spelling_pronunciation_gap - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2020-08-09 05:24

2020-07-16 Thu

#4098. 短母音に対応する <ou> について --- country, double, touch [spelling][spelling_pronunciation_gap][digraph][french][loan_word][etymological_respelling]

 <ou> ≡ /ʌ/ の例は,挙げてみななさいと言われてもなかなか挙がらないのだが,調べてみると標題のように案外と日常的な語が出てくる.country, couple, courage, cousin, double, flourish, nourish, touch, trouble 等,けっこうある.
 これらの共通点は,いずれもフランス借用語であることだ.古フランス語から現代フランス語に至るまで,かの言語では <ou> ≡ /uː/ という対応関係が確立していた.英語では中英語期以降にフランス単語が大量に借用されるとともに,この綴字と発音の対応関係も輸入されることになった.中英語の /uː/ は,その後,順当に発展すれば大母音推移 (gvs) により /aʊ/ となるはずであり,実際に現代英語ではたいてい <ou> ≡ /aʊ/ となっている (ex. about, house, noun, round, south) .しかし,中英語の /uː/ が何らかのきっかけで短母音化して /u/ となれば,大母音推移には突入せず,むしろ中舌化 (centralisation) して /ʌ/ となる.その際に綴字が連動して変化しなかった場合に,今回話題となっている <ou> ≡ /ʌ/ の関係が生まれることになった(母音の中舌化については,「#1297. does, done の母音」 ([2012-11-14-1]) と「#1866. putbut の母音」 ([2014-06-06-1]),「#2076. us の発音の歴史」 ([2015-01-02-1]) の記事を参照).
 ただし <ou> ≡ /ʌ/ を示す上記の単語群は,中英語では <o> や <u> で綴られることが多く,現代風の <ou> の綴字は少し遅れてから導入されたようだ (Upward and Davidson 146) .このタイミングの背景は定かではないが,もし意識的なフランス語風綴字への回帰だとすれば,一種の語源的綴字 (etymological_respelling) の例ともなり得る.
 なお,本来語でも <ou> ≡ /ʌ/ の事例として southern がある.固有名詞の Blount も付け加えておこう.変わり種としては,アメリカ英語綴字 mustache に対してイギリス英語綴字の moustache の例がおもしろい.Carney (147--48) も参照.

 ・ Upward, Christopher and George Davidson. The History of English Spelling. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2011.
 ・ Carney, Edward. A Survey of English Spelling. Abingdon: Routledge, 1994.

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2020-06-13 Sat

#4065. なぜ have はこのスペリングで「ヘイヴ」ではなく「ハヴ」と発音するのですか? [sobokunagimon][spelling][pronunciation][have][spelling_pronunciation_gap][vowel][degemination][gvs]

 過去2日の記事「#4063. なぜ are はこのスペリングで「エァ」ではなく「アー」と発音するのですか?」 ([2020-06-11-1]),「#4064. なぜ were はこのスペリングで「ウィア」や「ウェア」ではなく「ワー」と発音するのですか?」 ([2020-06-12-1]) に引き続いて,標題の素朴な疑問です.回答の理屈は2つの記事とまったく同じですので,勘の良い読者は想像できるかと思います.
 have も超高頻度の機能語ですので,例によって歴史を通じて音形の弱化と強化を繰り返してきました.古英語の不定詞(原形)は habban という形態で,語幹母音は短母音でした(cf. 「#74. /b/ と /v/ も間違えて当然!?」 ([2009-07-11-1]),「#2200. なぜ *haves, *haved ではなく has, had なのか」 ([2015-05-06-1]).しかし,そこで <bb> と表記されていた2重子音は中英語にかけて脱重子音化 (degemination) し,それと連動する形で短かった語幹母音が長化して,[haːvə] のような音形になりました.この長母音が受け継がれていれば,大母音推移 (gvs) を経て,現代では [heɪv] となっていたでしょう.実際,接頭辞 be- を付した behave は,この予想される発音を示します.
 しかし,have そのものは超高頻度の機能語です.例の性(さが)により再び弱化し,母音が短化することは避けられませんでした.近代英語以降に [hav] → [hæv] を経て,現在に至ります (cf. 「#3998. なぜ applea は普通の「ア」ではなく「エァ」に近い発音なのですか?」 ([2020-04-07-1])) .
 are, were, have のいずれにおいても,発音については弱化やら強化やらの変化を経てきましたが,スペリングは中英語期辺りから妙に安定していたというのがミソです.これは超高頻度語の特徴なのかもしれません.関連して「#1024. 現代英語の綴字の不規則性あれこれ」 ([2012-02-15-1]) もどうぞ.
 今日を含めた3日間の記事は,Jespersen (1299--30; §4.432) に依拠して執筆しました.

 ・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part 1. Sounds and Spellings. London: Allen and Unwin, 1909.

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2020-06-12 Fri

#4064. なぜ were はこのスペリングで「ウィア」や「ウェア」ではなく「ワー」と発音するのですか? [sobokunagimon][spelling][pronunciation][be][bre][spelling_pronunciation_gap][vowel][gvs]

 昨日の記事「#4063. なぜ are はこのスペリングで「エァ」ではなく「アー」と発音するのですか?」 ([2020-06-11-1]) に引き続き,類似の問題です.were は,英語の正書法規則に則って発音すれば here, mere, sphere などと脚韻を踏んで [wɪə] となるか,あるいは ere, there, where などと脚韻を踏んで [wɛə] 辺りになりそうですが,実際には [wəː] などと発音されます.これはなぜでしょうか.
 これは,昨日の are と同様に were もまた超高頻度の機能語として弱化と強化を繰り返してきた結果として説明されます.対応する古英語の形態は,標準的とされる West-Saxon 方言で wǣrewǣron でした(cf. 「#2600. 古英語の be 動詞の屈折」 ([2016-06-09-1])).これが中英語にかけて [wæːrə] → [wɛːrə] → [wɛːr] と規則的に発達しました.ここまでは therewhere などと同じ経路をたどっています.
 しかし,この後 were は袂を分かちます.例の超高頻度の機能語としての性(さが)で,弱化が生じ,母音が短化して [wɛr] となります.ここからは -er をもつ多数の語と足並みを揃えて母音が規則的に発達し,[wə] となりました.現在,弱く発音されるときの発音が,この [wə] です.一方,これをもとに新たに強化(長化)した発音も生まれ,現在の通常の発音 [wəː] が定着したというわけです (Jespersen (130; §4.432)) .
 歴史のある段階で weretherewhere と袂を分かったと述べましたが,実は必ずしもそうだったわけではありません.袂を分かたずに発達したとおぼしき,therewhere と脚韻を踏む [wɛə] の発音も,マイナーとはいえ現在でも行なわれているからです.LPD の Preference poll によると,この発音は,イギリス英語で強形として使用される場合に6%という割合ではありますが,確かに行なわれていることがわかります(←私もイギリス滞在中にこの発音をよく聴きました).

Pronunciation of

 昨日の記事のシメの部分を were に関して繰り返したいと思います.were は,超高頻度の機能語であるがゆえに,歴史を通じて弱化と強化の過程にさらされてきました.様々な形態が現われては消えるというプロセスを繰り返し,結果として,そのなかのいずれかの形態が現代標準英語にまで生き延びてきた,ということになります.場合によっては,実に「ウィア」だったかもしれないのです(「ウェア」は実際に6%の現行発音).現在でも非標準発音を探してみれば,様々な形態が残っているはずです.

 ・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part 1. Sounds and Spellings. London: Allen and Unwin, 1909.
 ・ Wells, J C. ed. Longman Pronunciation Dictionary. 3rd ed. Harlow: Pearson Education, 2008.

Referrer (Inside): [2020-06-13-1]

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2020-06-11 Thu

#4063. なぜ are はこのスペリングで「エァ」ではなく「アー」と発音するのですか? [sobokunagimon][spelling][pronunciation][be][spelling_pronunciation_gap][vowel][gvs]

 be 動詞の are は,英語の正書法規則に則って発音すれば [ɛə] となるはずです.語頭に別の子音(字)を補ってみればわかるとおり,bare, care, dare, fare, hare, mare, rare, ware などではいずれも [ɛə] で脚韻を踏みます.are は超高頻度の単語であり,見慣れても読み慣れてもいるために,普段このスペリングと発音の不規則性には気づきませんが,実はおかしな対応関係になっているのです.今回はこの謎に迫ってみましょう.
 are の語源形は,古英語 Anglia 方言の複数形主語に対応する be 動詞の形態 aron (Old Northumbrian) や earun (Old Mercian) にあります.これは古英語で標準的とされた West Saxon 方言などでは用いられなかったので「#2600. 古英語の be 動詞の屈折」 ([2016-06-09-1]) の屈折表には現われていません.古英語の aronearun は,中英語期に語末音節を弱化させ,are のような形態へと水平化していきました.
 中英語でのこの語の発音は,長い語幹母音を示し,語末母音も曖昧母音としてかろうじて生き残っていたと思われます.つまり,/aːrə/ ほどの発音です.その後,もし通常の音発達を遂げていたならば,care が [kaːrə] → [kaːr] → [kɛːr] → [kɛər] → [kɛə] と変化してきたのと平行的に,[aːrə] → [aːr] → [ɛːr] → [ɛər] → [ɛə] となっていたはずです (cf. Minkova 279) .しかし,are に関してはそうはなりませんでした.なぜでしょうか.
 それは先にも触れたように are が超高頻度語であり,しかも機能語であるためです.be 動詞を含め助動詞,代名詞,前置詞などの機能語類は,頻用されるため,発音がすり減って弱化しがちです.一方,あまりに弱化しすぎては用を足しませんので,意識的な強化を施して,発音をしっかりしたものに再生させます.この語類は,歴史上頻繁に弱化と強化を繰り返してきました(cf. 「#3713. 機能語の強音と弱音」 ([2019-06-27-1]),「#1198. icI」 ([2012-08-07-1]),「#781. How d'ye do?」 ([2011-06-17-1]),「#2077. you の発音の歴史」 ([2015-01-03-1]),「#2076. us の発音の歴史」 ([2015-01-02-1])).
 この観点から改めて are の発音の発達をみてみましょう.中英語では [aːrə] → [aːr] まで進みましたが,その後,語幹母音の弱化,もっと具体的にいえば短化が生じ,[ar] となりました.短母音となった以上,長母音のみに作用する近代英語期にかけての大母音推移 (gvs) に突入することもなく,care などとは袂を分かちながら,近代英語期でもこの [ar] を保ち続けました(ただし,長母音形に由来する形態は非標準的には残存し,ain't を生み出したという洞察もあります (Jespersen (130; §4.432))).
 近代英語期の [ar] はさらに弱まって,[a] や [ə] となり,これが現在 we're, they're のようにアポストロフィを伴った省略形として綴られる場合の発音に相当します.一方,意識的な強化を経た形態として,単純に母音を長化させた [aːr] が発達しました.これが現在の通常の発音である [ɑə] や [ɑː] に終着しました.
 are は,超高頻度の機能語であるがゆえに,歴史を通じて弱化と強化の過程にさらされてきました.様々な形態が現われては消えるというプロセスを繰り返し,結果として,そのなかのいずれかの形態が現代標準英語にまで生き延びてきた,ということになります.場合によっては,実に「エァ」だったかもしれないのです.現在でも非標準発音を探してみれば,様々な形態が残っているはずです.

 ・ Minkova, Donka. A Historical Phonology of English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2014.
 ・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part 1. Sounds and Spellings. London: Allen and Unwin, 1909.

Referrer (Inside): [2020-06-13-1] [2020-06-12-1]

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2020-01-28 Tue

#3928. スペリングの歴史社会言語学的側面 [sociolinguistics][spelling][orthography][spelling_pronunciation_gap][silent_letter]

 英語のスペリングの話題といえば,たいてい発音との乖離 (spelling_pronunciation_gap) の問題が中心となる.1つの文字に多数の音が対応している状況,逆に1つの音に多数の文字が対応している状況,また黙字 (silent_letter) の存在など,話題に事欠かない.本ブログでも spelling の多くの記事で取り上げてきた.
 発音とスペリングの対応規則を巡る諸問題は,それ自体,奥が深く,追究していく価値がある.一方,英語史を専門とする立場から強調しておきたいのは,対応規則に勝るとも劣らず,スペリングのもつ社会言語学的側面にも注目してもらいたいということだ.ある単語のスペリングが正しい,あるいは誤りだなどという場合,前提としてあるのは標準的で規範的な正書法 (orthography) の存在である.私たちもよく知っているように,その正書法は決して合理的でも規則的でもないのだが,その割には社会的に「正しい」とのお墨付きがある.
 では,誰がそのお墨付きを与えているのか.これを探ろうとすると,英語の正書法が作り上げられてきた歴史,いかにしてそれに社会的な威信が付与されてきたのかの経緯をひもとく必要が生じてくる.busy の <u> が /ɪ/ で発音されること,doubt の <b> が無音となること,colourcolor にみられるスペリングの英米差などは,対応規則の問題であると同時に,いやそれ以上に,なぜこのようなスペリング事情が生じてきたのかという歴史社会言語学的な問題なのである.
 現代英語のスペリングについて,Cook (178) もその社会言語学的側面に言及している.

Group loyalty manifests itself in several ways in the English writing system. At one level it becomes a matter of patriotism: your national identity is shown by whether you spell in a Canadian, a British or an American fashion. While people accept that speakers have different accents; they are far less tolerant about variations in spelling. A paper of mine was returned with the comment 'American spelling for an American journal': no one has ever required me to use an American accent for an American conference. As Jaffe (2000: 502) puts it, 'Orthography selects, displays and naturalises linguistic difference, which is in turn used to legitimise and naturalise cultural and political identity'.
   At another level spelling can be a mark of regional or social group membership. The actual pronunciation of the group can be mimicked through unusual sound correspondences, as in dialect spelling such as 'Down Vizes way zom yoars agoo, When smuggal'n wur nuthen new . . .'. Or an arbitrary group standard can be adopted unrelated to pronunciation, for instance British 'colour' versus American 'color'. Particular conventions act as a way of excluding outsiders, say the chat-room convention of abbreviations such as 'LOL' ('laughing out loud'). Jargon makes insiders feel they belong and outsiders feel uncomfortable, whether the groups consist of teenagers, street gangs, football fans or syntacticians.


 英語の素朴な疑問として定番の「○○という単語はなぜ××のような妙な綴り方をするのですか?」に対する解答には,たいてい豊かな歴史社会言語学的背景が潜んでいる.「不規則だから仕方ない,そのまま暗記しよう」で済ますにはあまりにもったいない,知的刺激に富むネタの宝庫である.

 ・ Cook, Vivian. The English Writing System. London: Hodder Education, 2004.
 ・ Jaffe, Alexandra. "Non-Standard Orthography and Non-Standard Speech." Journal of Sociolinguistics 4 (2000): 497--513.

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2019-12-11 Wed

#3880. アルファベット文字体系の「線状性の原理」 [spelling][spelling_pronunciation_gap][orthography][alphabet][writing][grammatology][final_e]

 昨日の記事「#3879. アルファベット文字体系の「1対1の原理」」 ([2019-12-10-1]) に引き続き,アルファベット文字体系(あるいは音素文字体系)における正書法の深さを測るための2つの主たる指標のうち,もう1つの「線状性の原理」 (linearity principle) を紹介しよう.以下,Cook (13) に依拠する.
 この原理は「文字列の並びは音素列の並びと一致していなければならない」というものである.たとえば mat という単語は /m/, /æ/, /t/ の3音素がこの順序で並んで発音されるのだから,対応する綴字も,各々の音素に対応する文字 <m>, <a>, <t> がこの同じ順序で並んだ <mat> でなければならないというものだ.<amt> や <tam> などではダメだということである.
 言われるまでもなく当たり前のことで,いかにもバカバカしく聞こえる原理なのだが,実はいうほどバカバカしくない.たとえば name, take などに現われる magic <e> を考えてみよう.このような <e> の役割は,前の音節に現われる(具体的にはここでは2文字分前の)母音字が,短音 /æ/ ではなく長音 /eɪ/ で発音されることを示すことである.別の言い方をすれば,<e> は後ろのほうから前のほうに発音の指示出しを行なっているのである.これは通常の情報の流れに対して逆行的であり,かつ遠隔的でもあるから,線状性の原理から逸脱する."Fairy e waves its magic wand and makes the vowel before it say its name." といわれるとおり,magic <e> は自然の摂理ではなく魔法なのだ!
 ほかに £5 は表記とは逆順に "five pounds" と読まれることからわかるように,線状性の原理に反している.1, 10, 100, 1000 という数字にしても,<1> の右にいくつ <0> が続くかによって読み方が決まるという点で,同原理から逸脱する.また,歴史的な無声の w を2重字 <wh> で綴る習慣が中英語以来確立しているが,むしろ2文字を逆順に綴った古英語の綴字 <hw> のほうが音声学的にはより正確ともいえるので,現代の綴字は非線状的であると議論し得る.
 世界を見渡しても,Devanagari 文字では,ある子音の後に続く母音を文字上は子音字の前に綴る慣習があるという.いわば /bɪt/ を <ibt> と綴るかの如くである.「線状性の原理」は必ずしもバカバカしいほど当たり前のことではないようだ.
 上で触れた magic <e> については「#979. 現代英語の綴字 <e> の役割」 ([2012-01-01-1]),「#1289. magic <e>」 ([2012-11-06-1]),「#1344. final -e の歴史」 ([2012-12-31-1]),「#2377. 先行する長母音を表わす <e> の先駆け (1)」 ([2015-10-30-1]),「#2378. 先行する長母音を表わす <e> の先駆け (2)」 ([2015-10-31-1]) を参照.

 ・ Cook, Vivian. The English Writing System. London: Hodder Education, 2004.

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2019-12-10 Tue

#3879. アルファベット文字体系の「1対1の原理」 [spelling][spelling_pronunciation_gap][orthography][alphabet][writing][grammatology][digraph][silent_letter]

 Cook (12--13) によれば,アルファベット文字体系(あるいは音素文字体系)には2つの原理がある.「1対1の原理」 (one-to-one principle) と「線状性の原理」 (linearity principle) である.昨日の記事「#3878. 正書法の深さ --- 英語と日本語の比較」 ([2019-12-09-1]) で取り上げた正書法の深さとは,およそ当該の正書法がこの2つの原理からいかに逸脱しているかの指標と理解して差し支えない.原理とはいっても理想的なアルファベット文字体系が備えているべき条件というほどのものではあるが,今回は1つ目の「1対1の原理」について考えてみよう.
 「1対1の原理」とは「特定の文字と特定の音素が1対1の関係で結びついていなければならない」という原理のことである.正書法的同型性 (orthographic isomorphism) と言い換えてもいいだろう.英語の正書法は,この原理からしばしば逸脱していることで知られる.逸脱のタイプについては「#1024. 現代英語の綴字の不規則性あれこれ」 ([2012-02-15-1]) の「不規則性の種類」にていくつか挙げたが,主要な3種を示せば次の通りとなる.

 (1) 特定の文字(列)に対して複数種類の音素(列)が対応してしまっている例,あるいは逆に,特定の音素(列)に対して複数種類の文字(列)が対応してしまっている例.たとえば,cat /kæt/, gate /geɪt/, about /əˈbaʊt/, father /ˈfɑːðə/, also /ˈɔːlsəʊ/ では,いずれも第1音節の母音を表記するのに <a> の文字が用いられているが,この <a> が表している母音音素はそれぞれ異なっている.1文字に対して5音素が対応してしまっているのだ.
 一方,/eɪ/ という2重母音音素に対応する文字(列)を考えると,以下の単語群では異なる文字(列)が用いられている:mate, eh, great, play, weight, Beowulf, halfpenny, pain, veil, obey, gauge, gaol, champagne, champaign, quoit, bouquet, café, Baedeker, Baal.1つの母音音素に対して,多くの文字(列)が対応してしまっている.これは明らかに「1対1の原理」に反している.(関連して拙論「なぜ英語は母音を表記するのが苦手なのか?」を参照.)

 (2) (1) の特殊なケースと考えることもできるが,2文字がペアになって1つの音素に対応する例や,2音素がペアになって1つの文字に対応する例がある.前者は,<sh> で /ʃ/ を表わし,<ng> で /ŋ/ を表わすなどの2重字 (digraph) の問題に関わる.2重字それ自体を1つの単位ととらえる限りにおいては,原理からの逸脱とはみなせないかもしれないが,厳密にいうならば逸脱の一種といえよう.後者は,/ks/, /juː/ などの2音素のつながりが <x>, <u> のような1文字で表わされる例を指す.

 (3) 文字(列)が無音に対応する,いわゆる黙字 (silent_letter) の例.いわば「1対0」の関係になってしまう点で,原理からの逸脱といえる.sign の <g>,limb の <b>,thought の <gh> など枚挙にいとまがない.黙字の他の例については「#1290. 黙字と黙字をもたらした音韻消失等の一覧」 ([2012-11-07-1]),「#2518. 子音字の黙字」 ([2016-03-19-1]),「#3857. 『英語教育』の連載第9回「なぜ英語のスペリングには黙字が多いのか」」 ([2019-11-18-1]) などを参照されたい.

 ・ Cook, Vivian. The English Writing System. London: Hodder Education, 2004.

Referrer (Inside): [2019-12-13-1] [2019-12-11-1]

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2019-12-09 Mon

#3878. 正書法の深さ --- 英語と日本語の比較 [japanese][kanji][writing][grammatology][orthography][spelling_pronunciation_gap]

 昨日の記事「#3877. 日本語の漢字は中国語の漢字よりも表意的」 ([2019-12-08-1]) に引き続き,日本語の漢字の話題.正書法の深さという観点から,英語の正書法と比較してみたい.
 アルファベットや仮名のような表音文字体系においては,文字と音素の対応がいかに単純か複雑かという視点から,相対的に「浅い」正書法と「深い」正書法が区別される (cf. 「#1760. 時間とともに深まってきた英語の正書法」 ([2014-02-20-1])) .たとえばフィンランド語の正書法はほぼ音素表記というに等しく,きわめて「浅い」と呼ぶことができるが,英語の正書法は周知のように様々な不一致がみられるため,相対的に「深い」といわれる.さらにアラビア語やヘブライ語などの子音文字体系による正書法は,原則として母音を表記しないという点において,発音そのものとの隔たりが一層大きいために,英語正書法よりも「かなり深い」ことになる.畢竟,程度の問題である.
 一方,漢字などの表語文字体系は,定義上,表音機能が弱いわけであり,表音性を前提とした「浅い」「深い」の区別は一見無意味のように思われる.しかし,昨日の記事で見たように,実は漢字にすら表音的な性質が備わっているという見方に立てば,そこにも「深さ」の尺度を持ち込むことができるように思われる.その場合,中国語の漢字はアラビア語やヘブライ語の文字体系よりもさらに深いと考えられるので「超深い」ということになり,昨日の議論を受けるならば,日本語の漢字にいたっては「超超深い」正書法とみることもできる.
 これと関連して,Cook (11) が次のような図を与えているので再現しよう.

                         'shallow'       Finnish, Serbo-Croatian
                                    ↑
                                    │
                                    │
          (alphabetic sound-based)  │
                                    │   English
                                    │
                                    │
                                    │
                         'deep'     ↓   Arabic, Hebrew
                                    ↑
                                    :   Chinese
                                    :
          (meaning-based)           :
                                    :
                                    :   Japanese
                                    ↓

 最下部の矢印の左横に 'super-deep' のラベルを加えたいところである.
 こうしてみると,英語の正書法はひどい(深い)としばしば非難されるが,「超」がつく深さの日本語(漢字)の正書法と比べてみれば,浅浅もいいところだという評価になろうか.関連して「#503. 現代英語の綴字は規則的か不規則的か」 ([2010-09-12-1]) の記事も参照.

 ・ Cook, Vivian. The English Writing System. London: Hodder Education, 2004.

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2019-12-04 Wed

#3873. 綴字が標準化・固定化したからこそ英語の書記体系は複雑になった [spelling][standardisation][spelling_pronunciation_gap][writing][orthography]

 17世紀以来の英語綴字の近代化と標準化 (standardisation) について論じた Scholfield (160) が,その結論において標記の矛盾に触れている.綴字が変わらなくなってしまったことにより,綴字と発音の対応関係,すなわち書記体系は,時間が経てば経つほど崩れてきたし,これからも崩れていくのだという洞察だ.しかも,これは英語の書記体系に限らず,どの書記体系にも当てはまるはずだという.

Thanks to the completion of the fixing of lexical spellings associated with standardization, four centuries brought little apparent change to English writing. However, when we look more closely we see that, as happens sooner or later for all writing systems that have been standardized in the same way round the world in national languages, due to sound change, the letter-sound correspondences become ever more complex. The choice of English not to naturalize loanword spellings and only incompletely to apply reason to resolve inherited variation exacerbated this. In essence the fact that the spelling of English words has 'not changed' much in recent centuries disguises the fact that, as a consequence, the English writing system, in the sense of the letter-sound correspondences, has massively changed and become even more complex, while morphemic reference has strengthened. By contrast the appearance of writing was never quite so firmly standardized and has changed rather more due to technological change and the impact of universal psychological requirements.


 英語綴字が標準化・固定化したことにより,英語書記体系における発音と綴字の対応関係が不透明になってきたというのは,ある意味でネガティブな指摘のように聞こえる.しかし,見方を変えればこれをポジティブに解することができる.英語綴字の標準化・固定化は,英語書記体系を表音文字的なものから表語文字的なものへとシフトさせたといういう解釈である.前者の見方では英語書記体系のエントロピーは増大しているように聞こえるが,後者の解釈ではむしろエントロピーは減少しているとも議論できそうだ.
 以下の記事でも主張してきたように,近現代英語の綴字の基本原理は,表音性というよりも表語性にあるのだ.

 ・ 「#1332. 中英語と近代英語の綴字体系の本質的な差」 ([2012-12-19-1])
 ・ 「#1386. 近代英語以降に確立してきた標準綴字体系の特徴」 ([2013-02-11-1])
 ・ 「#2043. 英語綴字の表「形態素」性」 ([2014-11-30-1])
 ・ 「#2312. 音素的表記を目指す綴字改革は正しいか?」 ([2015-08-26-1])

 ・ Scholfield, Phil. "Modernization and Standardization since the Seventeenth Century." Chapter 9 of The Routledge Handbook of the English Writing System. Ed. Vivian Cook and Des Ryan. Abingdon: Routledge, 2016. 143--61.

Referrer (Inside): [2019-12-21-1]

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2019-11-29 Fri

#3868. 現代英語の綴字にみられる「不変異の原則」 [spelling][standardisation][orthography][spelling_pronunciation_gap]

 英単語の各々には決まった1つの綴字がある.これは現代標準英語の読み書きを習ってきた私たちにとって,あまりに当たり前のことで疑うべくもない.なぜ doubt には発音されない <b> があるのか,なぜ one で /wʌn/ と発音するのかなど,いろいろと突っ込みどころはあるが,なぜあれこれの単語の綴字は1つに決まっていて2つめの綴り方がないのか,などと問うことはしない.標準的な綴字,あるいは「正しい」綴字 は1つに決まっているものだと思い込んでいるし,そうでない状況を思い浮かべるのも難しいかもしれない.そこから逸脱したらすべて「間違い」というのが,正書法 (orthography) の発想の根幹である.これは綴字の「不変異の原則」 (the principle of invariance) と呼ばれる.Cook (12--13) から引用する.

The principle of invariance
One implicit assumption about the modern English writing system is that a word is always spelled in the same way, regardless of its sound correspondence: scissors has to be spelled <scissors> not <sizerz>, even if the latter corresponds more accurately to its pronunciation /sɪzəz/. A written word is seen as fixed and unchanging. A limited dispensation from invariance is afforded to proper-names, as in Vivian, Vyvyen, and Vivien, Vivienne (with a gender difference between the first two and last two in British English); the possessor of a name can insist on how it is spelled or said, say Keynes /keɪnz/ for the economist or Menzies /miŋgɪs/ or C. J. Cherryh with final silent <h> for the novelist. / This insistence on invariance is comparatively new in English, and is often at odds with consistent letter to sound correspondence rules.


 引用の最後にあるように,実際に「不変異の原則」が遵守されてきた歴史は非常に浅く,せいぜい後期近代以降といってよい.この約250年ほどの間といっておこうか.「不変異の原則」を打ち立てようとしてきた経緯が別名「綴字の標準化」と称され,英語においてその道のりは実に長かった.後期中英語期に緩やかに始まり,後期近代英語期までダラダラと続いたのである.その概略については「#2321. 綴字標準化の緩慢な潮流」 ([2015-09-04-1]) を参照されたい.
 いずれにせよ,英語史において「不変異の原則」は新しいものであるという事実を銘記しておきたい.

 ・ Cook, Vivian. "Background to the English Writing System." Chapter 2 of The Routledge Handbook of the English Writing System. Ed. Vivian Cook and Des Ryan. Abingdon: Routledge, 2016. 5--23.

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2019-11-18 Mon

#3857. 『英語教育』の連載第9回「なぜ英語のスペリングには黙字が多いのか」 [rensai][notice][silent_letter][consonant][spelling][spelling_pronunciation_gap][sound_change][phonetics][etymological_respelling][latin][standardisation][sobokunagimon][link]

 11月14日に,『英語教育』(大修館書店)の12月号が発売されました.英語史連載「英語指導の引き出しを増やす 英語史のツボ」の第9回となる今回の話題は「なぜ英語のスペリングには黙字が多いのか」です.

『英語教育』2019年12月号


 黙字 (silent_letter) というのは,climb, night, doubt, listen, psychology, autumn などのように,スペリング上は書かれているのに,対応する発音がないものをいいます.英単語のスペリングをくまなく探すと,実に a から z までのすべての文字について黙字として用いられている例が挙げられるともいわれ,英語学習者にとっては実に身近な問題なのです.
 今回の記事では,黙字というものが最初から存在したわけではなく,あくまで歴史のなかで生じてきた現象であること,しかも個々の黙字の事例は異なる時代に異なる要因で生じてきたものであることを易しく紹介しました.
 連載記事を読んで黙字の歴史的背景の概観をつかんでおくと,本ブログで書いてきた次のような話題を,英語史のなかに正確に位置づけながら理解することができるはずです.

 ・ 「#2518. 子音字の黙字」 ([2016-03-19-1])
 ・ 「#1290. 黙字と黙字をもたらした音韻消失等の一覧」 ([2012-11-07-1])
 ・ 「#34. thumb の綴りと発音」 ([2009-06-01-1])
 ・ 「#724. thumb の綴りと発音 (2)」 ([2011-04-21-1])
 ・ 「#1902. 綴字の標準化における時間上,空間上の皮肉」 ([2014-07-12-1])
 ・ 「#1195. <gh> = /f/ の対応」 ([2012-08-04-1])
 ・ 「#2590. <gh> を含む単語についての統計」 ([2016-05-30-1])
 ・ 「#3333. なぜ doubt の綴字には発音しない b があるのか?」 ([2018-06-12-1])
 ・ 「#116. 語源かぶれの綴り字 --- etymological respelling」 ([2009-08-21-1])
 ・ 「#1187. etymological respelling の具体例」 ([2012-07-27-1])
 ・ 「#579. aisle --- なぜこの綴字と発音か」 ([2010-11-27-1])
 ・ 「#580. island --- なぜこの綴字と発音か」 ([2010-11-28-1])
 ・ 「#1156. admiral の <d>」 ([2012-06-26-1])
 ・ 「#3492. address の <dd> について (1)」 ([2018-11-18-1])
 ・ 「#3493. address の <dd> について (2)」 ([2018-11-19-1])

 ・ 堀田 隆一 「なぜ英語のスペリングには黙字が多いのか」『英語教育』2019年12月号,大修館書店,2019年11月14日.62--63頁.

Referrer (Inside): [2019-12-10-1]

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2019-11-10 Sun

#3849. 「綴字語源学」 [etymology][lexicology][spelling][spelling][spelling_pronunciation_gap][writing][grammatology][orthography][standardisation][terminology]

 語源学 (etymology) が単語の語源を扱う分野であることは自明だが,その守備範囲を厳密に定めることは意外と難しい.『新英語学辞典』の etymology の項を覗いてみよう.

etymology 〔言〕(語源(学)) 語源とは,本来,語の形式〔語形・発音〕と意味の変化の歴史を可能な限りさかのぼることによって得られる文献上または文献以前の最古の語形・意味,すなわち語の「真の意味」 (etymon) を指すが,最近では etymon と同時に,語の意味・用法の発達の歴史,いわゆる語誌を含めて語源と考えることが多い.このように語の起源および派生関係を明らかにすることを目的とする語源学は,語の形態と意味を対象とする点において語彙論 (lexicology) の一部をなすが,また etymon を明らかにする過程において,特定言語の歴史的な研究 (historical linguistics) や比較言語学 (comparative linguistics) の方法と成果を用い,ときに民族学や歴史・考古学の成果をも援用する.従って語源学は,単語を中心とした言語発達史,言語文化史ということもできよう.


 上記によると,語源学とは語の起源と発達を明らかにする分野ということになるが,そもそも語とは形式と意味の関連づけ(シニフィアンとシニフィエの結合)によって成り立っているものであるから,結局その関連づけの起源と発達を追究することが語源学の目的ということになる.ここで語の「形式」というのは,主として発音のことが念頭に置かれているようだが,当然ながら歴史時代にあっては,文字で表記された綴字もここに含まれるだろう.しかし,上の引用では語の綴字(の起源と発達)について明示的には触れられておらず,あたかも語源学の埒外であるかのように誤解されかねない.語の綴字も語源学の重要な研究対象であることを明示的に主張するために,「綴字語源学」,"etymology of spelling", "orthographic etymology" のような用語があってもよい.
 もちろん多くの英語語源辞典や OED において,綴字語源学的な記述が与えられていることは確かである.しかし,英単語の綴字の起源と発達を記述することに特化した語源辞典はない.英語綴字語源学は非常に豊かで,独立し得る分野と思われるのだが.
 (英語)語源学全般について,以下の記事も参照.

 ・ 「#466. 語源学は技芸か科学か」 ([2010-08-06-1])
 ・ 「#727. 語源学の自律性」 ([2011-04-24-1])
 ・ 「#1791. 語源学は技芸が科学か (2)」 ([2014-03-23-1])
 ・ 「#598. 英語語源学の略史 (1)」 ([2010-12-16-1])
 ・ 「#599. 英語語源学の略史 (2)」 ([2010-12-17-1])
 ・ 「#636. 語源学の開拓者としての OED」 ([2011-01-23-1])
 ・ 「#1765. 日本で充実している英語語源学と Klein の英語語源辞典」 ([2014-02-25-1])

 ・ 大塚 高信,中島 文雄 監修 『新英語学辞典』 研究社,1987年.

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2019-10-14 Mon

#3822. 『英語教育』の連載第8回「なぜ bus, bull, busy, bury の母音は互いに異なるのか」 [rensai][notice][vowel][spelling][spelling_pronunciation_gap][me_dialect][sound_change][phonetics][standardisation][sobokunagimon][link]

 10月12日に,『英語教育』(大修館書店)の11月号が発売されました.英語史連載「英語指導の引き出しを増やす 英語史のツボ」の第8回となる今回の話題は「なぜ bus, bull, busy, bury の母音は互いに異なるのか」です.
 英語はスペリングと発音の関係がストレートではないといわれますが,それはとりわけ母音について当てはまります.たとえば,matmate では同じ <a> のスペリングを用いていながら,前者は /æ/,後者は /eɪ/ と発音されるように,1つのスペリングに対して2つの発音が対応している例はざらにあります.逆に同じ発音でも異なるスペリングで綴られることは,meat, meet, mete などの同音異綴語を思い起こせばわかります.
 今回の記事では <u> の母音字に注目し,それがどんな母音に対応し得るかを考えてみました.具体的には bus /bʌs/, bull /bʊl/, busy /ˈbɪzi/, bury /ˈbɛri/ という単語を例にとり,いかにしてそのような「理不尽な」スペリングと発音の対応が生じてきてしまったのかを,英語史の観点から解説します.記事にも書いたように「現在のスペリングは,異なる時代に異なる要因が作用し,秩序が継続的に崩壊してきた結果の姿」です.背景には,あっと驚く理由がありました.その謎解きをお楽しみください.

『英語教育』2019年11月号


 今回の連載記事と関連して,本ブログの以下の記事もご覧ください.

 ・ 「#1866. putbut の母音」 ([2014-06-06-1])
 ・ 「#562. busy の綴字と発音」 ([2010-11-10-1])
 ・ 「#570. bury の母音の方言分布」 ([2010-11-18-1])
 ・ 「#1297. does, done の母音」 ([2012-11-14-1])
 ・ 「#563. Chaucer の merry」 ([2010-11-11-1])

 ・ 堀田 隆一 「英語指導の引き出しを増やす 英語史のツボ 第8回 なぜ bus, bull, busy, bury の母音はそれぞれ異なるのか」『英語教育』2019年11月号,大修館書店,2019年10月12日.62--63頁.

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2019-05-31 Fri

#3686. -ate 語尾,-ment 語尾をもつ動詞と名詞・形容詞の発音の違い [gvs][vowel][spelling][spelling_pronunciation_gap][stress][suffix][latin][diatone][-ate]

 昨日の記事「#3685. -ate 語尾をもつ動詞と名詞・形容詞の発音の違い」 ([2019-05-30-1]) に引き続き,-ate 語尾をもつ語の発音が,動詞では /eɪt/ となり名詞・形容詞では /ɪt/ となる件について.
 Carney でもこの問題が各所で扱われており,特に p. 398 にこの現象を示す単語リストが挙げられている.以下に再現しておこう.網羅的ではないと思われるが,便利な一覧である.

aggregate, animate, appropriate, approximate, articulate, associate, certificate, co-ordinate, correlate, degenerate, delegate, deliberate, duplicate, elaborate, emasculate, estimate, expatriate, graduate, importunate, incorporate, initiate, intimate, moderate, postulate, precipitate, predicate, separate, subordinate, syndicate


 Carney がこのリストを挙げているのは,品詞によって発音を替える類いの単語があるという議論においてである.他の種類としては,強勢音節を替える名前動後 (diatone) も挙げられているし,接尾辞 -ment をもつ語も話題にされている.名前動後という現象とその歴史的背景についてについては,すでに本ブログでも diatone の各記事で本格的に紹介してきたが,「品詞によって発音を替える」というポイントで -ate 語とつながってくるというのは,今回の発見だった.
 -ment 語については,動詞であれば明確な母音で /-mɛnt/ となるが,名詞・形容詞であれば曖昧母音化した /-mənt/ となる.Carney (398) より該当する単語のリストを挙げておこう.complement, compliment, document, implement, increment, ornament, supplement.

 ・ Carney, Edward. A Survey of English Spelling. Abingdon: Routledge, 1994.

Referrer (Inside): [2019-08-16-1]

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2019-05-30 Thu

#3685. -ate 語尾をもつ動詞と名詞・形容詞の発音の違い [gvs][vowel][spelling][spelling_pronunciation_gap][stress][analogy][suffix][latin][sobokunagimon][-ate]

 標記について質問が寄せられました.たとえば appropriate は動詞としては「私用に供する」,形容詞としては「適切な」ですが,各々の発音は /əˈproʊpriˌeɪt/, /əˈproʊpriˌɪt/ となります.語末音節の母音が,完全な /eɪt/ が縮減した /ɪt/ かで異なっています.これはなぜでしょうか.
 動詞の /eɪt/ 発音は,綴字と照らし合わせればわかるように,大母音推移 (gvs) の効果が現われています.<-ate> という綴字で表わされる本来の発音 /-aːt(ə)/ が,初期近代英語期に生じた大母音推移により /eɪt/ へと変化したと説明できます.しかし,同綴字で名詞・形容詞の -ate 語では,そのような発音の変化は起こっていません.そこで生じた変化は,むしろ母音の弱化であり,/ɪt/ へと帰結しています.
 この違いは,大母音推移以前の強勢音節のあり方の違いに起因します.一般的にいえば,appropriate のような長い音節の単語の場合,動詞においては後方の音節に第2強勢が置かれますが,形容詞・名詞においては置かれないという傾向があります.appropriate について具体的にいえば,動詞としては第4音節の -ate に(第2)強勢が置かれますが,名詞・形容詞としてはそれが置かれないということになります.
 ここで思い出すべきは,大母音推移は「強勢のある長母音」において作用する音過程であるということです.つまり,-ate 語の動詞用法においては,(第2強勢ではありますが)強勢が置かれるので,この条件に合致して /-aːt(ə)/ → /eɪt/ が起こりましたが,名詞・形容詞用法においては,強勢が置かれないので大母音推移とは無関係の歴史を歩むことになりました.名詞・形容詞用法では,本来の /-aːt(ə)/ が,綴字としては <-ate> を保ちながらも,音としては強勢を失うとともに /-at/ へと短化し,さらに /-ət/ や /-ɪt/ へと曖昧母音化したのです.
 このような経緯で,-ate 語は品詞によって発音を違える語となりました.いったんこの傾向が定まり,パターンができあがると,その後は実際の発音や強勢位置にかかわらず,とにかく確立したパターンが類推的に適用されるようになりました.こうして,-ate 語の発音ルールが確立したのです.
 関連して,「#1242. -ate 動詞の強勢移行」 ([2012-09-20-1]),「#2731. -ate 動詞はどのように生じたか?」 ([2016-10-18-1]) もご参照ください.-age 語などに関しても,ほぼ同じ説明が当てはまると思います.中尾 (310, 313) も要参照.

 ・ 中尾 俊夫 『音韻史』 英語学大系第11巻,大修館書店,1985年.

Referrer (Inside): [2019-08-16-1] [2019-05-31-1]

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2019-04-27 Sat

#3652. naturemature は1文字違いですが,なんで発音がこんなに異なるのですか? [sobokunagimon][pronunciation][spelling_pronunciation_gap][stress][gsr][rsr][gvs][phonetic_change]

 学生から出されたおもしろい質問です.意識したことはありませんでした.スペリングでは語頭に <n> と <m> の違いがあるだけですが,発音はそれぞれ /ˈneɪʧə/ と /məˈʧʊə/ となり大きく異なっています.比例的なスペリングでありながら発音が異なるということは,両者が1対1で対応しているわけではなく,複雑な関係を有していることの証左です.
 両単語はそれぞれラテン語の nātūra (本質)と mātūrus (時宜を得た)にさかのぼります.ラテン語の段階では,両単語に関してスペリングも発音も比例的な関係にあり,現代英語のような異なりはみられませんでした.ところが,これらが借用語として英語に入ってきた後に,事件が起こります.
 ラテン語 nātūra は,古フランス語の nature を経て,中英語期の13世紀後半に natur(e) として英語に入ってきました.英語に入ってきた当初は,古フランス語風に /naːˈtyːr/ と第2音節に強勢をおいて発音されていましたが,徐々に発音様式が英語化してくることになりました.発音の英語化とは,大雑把にいえば,強勢が第1音節に置かれるようになり,強勢の置かれなくなった第2音節を構成する音が弱化・短化する過程を指します.これにより /naːˈtyːr/ は /ˈnaːtyːr/ となり,さらに近代英語期にかけて大母音推移 (gvs) を含むいくつかの音変化を経て現代の /ˈneɪʧə/ にまで発展したのです.
 一方,ラテン語 mātūrus は,15世紀半ばに直接英語に mature として借用されました.英語での当初の発音は /maːˈtyːr/ に近いものだったと思われます.ところが,この単語については,その後 nature では起こった発音様式の英語化,すなわち強勢位置の前移動が起こらなかったのです.その結果,強勢の置かれない第1音節は弱まることになり,現代英語の /məˈʧʊə/ の発音に至ったのです.
 つまり,naturemature の分水嶺は,英語に借用された後に発音様式の英語化が起こったか,起こらなかったかだったのです.では,なぜ nature では英語化が起こり,mature では起こらなかったのでしょうか.これは簡単には答えられませんが,一般論としては,早い時期に借用された語であればあるほど,現在までに英語化するのに十分な時間が確保されており,実際に英語化している可能性が高いということはいえます.nature は13世紀後半,mature は15世紀半ばの借用ですから,この時間差が関係している可能性はあります.また,借用時期が近代英語期に近づけば近づくほど,ラテン語やフランス語からの借用語は,原語の発音様式のままにとどまる傾向が強いことも知られています.
 ラテン語・フランス語の強勢規則 (Romance Stress Rule; rsr) と英語の強勢規則 (Germanic Stress Rule; gsr) とは水と油の関係であり,これらが借用語において競合したときに何が起こるかという問題については,「#718. 英語の強勢パターンは中英語期に変質したか」 ([2011-04-15-1]) や「#200. アクセントの位置の戦い --- ゲルマン系かロマンス系か」 ([2009-11-13-1]) をご覧ください.

Referrer (Inside): [2019-05-22-1]

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2019-04-05 Fri

#3630. なぜ who はこの綴字でこの発音なのか? [spelling][pronunciation][spelling_pronunciation_gap][interrogative_pronoun][sobokunagimon][sound_change][digraph]

 標題の who (とその仲間というべき whom, whose, etc.)はあまりに卑近な単語であるだけに,英語学習者は皆,この綴字でこの発音 (= /huː/) であることをそのまま丸暗記しており,特に疑問も抱かないにちがいない.しかし,よく考えてみると,綴字と発音の関係が不規則きわまりない単語である.この綴字であれば,本来 /woʊ/ と発音されるはずだ.
 まず子音をみてみよう.<wh> と綴って /h/ と発音されるのは,他の wh 疑問詞と比べればわかる通り,異例である.what, which, when, where, why はいずれも /w/ で始まっている(ただし一部の非標準変種では無声の /ʍ/ もあり得る;cf. 「#1795. 方言に生き残る wh の発音」 ([2014-03-27-1])).疑問詞において /h/ で始まる単語は,規則的に <h> で綴られる how のみである(how が疑問詞のなかでもこのように一風変わっていることについては,「#51. 「5W1H」ならぬ「6H」」 ([2009-06-18-1]) を参照).
 次に母音をみてみよう.子音字+ <o> で単語が終わる場合,go, ho, Jo, lo, no, so などにみられるように,母音は /oʊ/ である.who のように /uː/ となるものは,do, to などがあるが,圧倒的に少数派だ.したがって,who は本来 hoo とでも綴られるべき単語であり,現状の綴字は子音においても母音においても不規則といわざるを得ない.
 一見すると納得のいかないこの綴字と発音の関係には,歴史的な経緯がある.古英語でこの単語は hwa と綴られ /hwɑː/ と発音された.ここから数世紀をかけて,次のような一連の母音変化が生じた.

/hwɑː/ → /hwɔː/ → /hwoː/ → /hwuː/ → /huː/


 つまり,低母音の構えだった舌が,口腔のなかを上方向へはるばると移動して,ついに高母音の舌構えに到達してしまったのである.最終段階の /w/ の消失は,子音と後舌・円唇母音に挟まれた環境で15--16世紀に規則的に生じた音変化で,two, sword などの発音も説明してくれる.つまり whotwo の音変化は平行的といってよい.(なので次の記事も参考にされたい:「#184. two の /w/ が発音されないのはなぜか」 ([2009-10-28-1]),「#1324. two の /w/ はいつ落ちたか」 ([2012-12-11-1]),「#3410. 英語における「合拗音」」 ([2018-08-28-1]) .)
 綴字については,この子音は古英語では2重字 (digraph) <hw> で書かれたが,中英語では逆転した2重字 <wh> で書かれるようになった.母音字に関しては,途中までは母音変化を追いかけるかのように <a> から <o> へと変化したが,追いかけっこはそこでストップし,<u> や <oo> の綴字へと定着することはついぞなかったのである.かくして,who = /huː/ なる関係が標準化してしまったというわけだ.
 言語にあっては,who のように卑近な単語であればあるほど不規則性がよく観察されるものである.関連して,「#1024. 現代英語の綴字の不規則性あれこれ」 ([2012-02-15-1]) の単語リストも参照.
 なお,<wh> = /h/ という例外的な子音(字)の対応は,who のほかに whole, whore にもみられる.これについては,「#1783. whole の <w>」 ([2014-03-15-1]) を参照.

Referrer (Inside): [2020-02-07-1] [2019-05-22-1]

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2019-03-14 Thu

#3608. 中英語における <u> の <o> による代用 (4) [spelling][orthography][minim][vowel][spelling_pronunciation_gap][eme][me_dialect][lexical_diffusion]

 昨日の記事 ([2019-03-13-1]) に引き続いての話題.中英語における <u> と <o> の分布を111のテキストにより調査した Wełna (317) は,結論として以下のように述べている.

. . . the examination of the above corpus data has shown a lack of any consistent universal rule replacing <u> with <o> in the graphically obscure contexts of the postvocalic graphemes <m, n>. Even words with identical roots, like the forms of the lemmas SUN (OE sunne), SUMMER (OE sumor) and SON (OE sunu), SOME (OE sum) which showed a similar distribution of <u/o> spellings in most Middle English dialects, eventually (and unpredictably) have retained either the original spelling <u> (sun) or the modified spelling <o> (son). In brief, each word under discussion modified its spelling at a different time and in different regions in a development which closely resembles the circumstances of lexical diffusion.


 このように奥歯に物が挟まったような結論なのだが,Wełna は時代と方言の観点から次の傾向を指摘している.

. . . o-spellings first emerged in the latter half of the 12th century in the (South-)West (honi "honey" . . .). Later, a tendency to use the new spelling <o> is best documented in London and in the North.


 Wełna 本人も述べているように,調査の対象としたレンマは HUNDRED, HUNGER, HONEY, NUN, SOME, SUMMER, SUN, SON の8つにすぎず,ここから一般的な結論を引き出すのは難しいのかもしれない.さらなる研究が必要のようだ.

 ・ Wełna, Jerzy. "<U> or <O>: A Dilemma of the Middle English Scribal Practice." Contact, Variation, and Change in the History of English. Ed. Simone E. Pfenninger, Olga Timofeeva, Anne-Christine Gardner, Alpo Honkapohja, Marianne Hundt and Daniel Schreier. Amsterdam/Philadelphia: Benjamins, 2014. 305--23.

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2019-03-13 Wed

#3607. 中英語における <u> の <o> による代用 (3) [spelling][orthography][minim][vowel][spelling_pronunciation_gap][eme][scribe][anglo-norman]

 標題に関連する話題は「#2450. 中英語における <u> の <o> による代用」 ([2016-01-11-1]),「#2453. 中英語における <u> の <o> による代用 (2)」 ([2016-01-14-1]),「#3513. comesome の綴字の問題」 ([2018-12-09-1]),「#3574. <o> で表わされる母音の問題 --- donkey vs monkey」 ([2019-02-08-1]) で取り上げてきた.今回は,「<u> の <o> による代用」という綴字慣習が初期中英語に生じ,後に分布を拡大させていった経緯に焦点を当てた Wełna の論文に依拠しつつ,先行研究の知見を紹介したい.
 現代英語の monk, son, tongue などにみられる <o> の綴字は,歴史的には <u> だったものが,初期中英語期以降に <o> と綴りなおされたものである.この綴りなおしの理由は,上にリンクを張った記事でも触れてきたように,一般に "minim avoidance" とされる.[2016-01-11-1]の記事で述べたように,「母音を表す <u> はゴシック書体では縦棒 (minim) 2本を並べて <<ıı>> のように書かれたが,その前後に同じ縦棒から構成される <m>, <n>, <u>, <v>, <w> などの文字が並ぶ場合には,文字どうしの区別が難しくなる.この煩わしさを避けるために,中英語期の写字生は母音を表す <u> を <o> で置換した」ということだ.
 しかし,英語史研究においては,"minim avoidance" 以外の仮説も提案されてきた.合わせて4つほどの仮説を Wełna (306--07) より,簡単に紹介しよう.

 (1) 当時のフランス語やアングロ・ノルマン語でみられた <u> と <o> の綴字交替 (ex. baronbarun) が,英語にももたらされた
 (2) いわゆる "minim avoidance"
 (3) ノルマン方言のフランス語で [o] が [u] へと上げを経た音変化が綴字にも反映された
 (4) フランス語の綴字慣習にならって /y(ː)/ ≡ <u> と対応させた結果,/u/ に対応する綴字が新たに必要となったため

 このように諸説あるなかで (2) が有力な説となってきたわけだが,実際には当時の綴字を詳しく調べても (2) の仮説だけですべての事例がきれいに説明されるわけではなく,状況はかなり混沌としているようだ.そのなかでも初期中英語期の状況に関する比較的信頼できる事実を Morsbach に基づいてまとめれば,次のようになる (Wełna 306) .

a. the 12th century English manuscripts employ the spelling <u>;
b. the first o-spellings emerge in the latter half of the 12th century;
c. <o> for <u> is still rare in the early 13th century and is absent in Ormulum, Katherine, Vices and Virtues, Proclamation, and several other texts;
d. from the latter half of the 13th century onwards the frequency of <o> grows, which results in both old <u> and new <o> spellings randomly used in texts composed even by the same scribe.


 当時の「ランダム」な分布が,現代英語にまで延々と続いてきたことになる.手ごわい問題である.

 ・ Wełna, Jerzy. "<U> or <O>: A Dilemma of the Middle English Scribal Practice." Contact, Variation, and Change in the History of English. Ed. Simone E. Pfenninger, Olga Timofeeva, Anne-Christine Gardner, Alpo Honkapohja, Marianne Hundt and Daniel Schreier. Amsterdam/Philadelphia: Benjamins, 2014. 305--23.
 ・ Morsbach, Lorenz. Mittelenglische Grammatik. Halle: Max Niemayer, 1896.

Referrer (Inside): [2019-03-14-1]

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2018-12-30 Sun

#3534. <ae> にまつわるエトセトラ [digraph][ligature][spelling][pronunciation][spelling_pronunciation_gap][diphthong]

 最近の Merriam-Webster の記事として How to Pronounce 'Ae' in English Words が目にとまった.2重字 (digraph) の <ae> あるいは合字 (ligature) の <æ> については,本ブログでは「#2419. ギリシア・ラテン借用語における <ae>」 ([2015-12-11-1])),「#2424. digraph の問題 (2)」 ([2015-12-16-1]),「#2515. 母音音素と母音文字素の対応表」 ([2016-03-16-1]) で扱ってきたが,上の記事はよい補足になる.
 ギリシア・ラテン借用語に典型的にみられる <ae> の綴字は,原則としては /iː/ の長母音に対応する (ex. algae, Caesar, aqua vitae, arborvitae, antennae) .しかし,知らなかったのだが,この /iː/ に加えて,慣用的に2重母音 /aɪ/ で発音される <ae> も少なくないようだ.例として,alumnae, larvae, lacunae, Bacchae などが挙げられている.例外中の例外だが,原則として /aɪ/ で発音される <ae> をもつ唯一の英単語としては,maestro /ˈmaɪstrəʊ/ が挙げられる.後期近代の新しいイタリア借用語ということでの例外だろう.また,例外といえば,単母音で読まれる aesthetic /ɛsˈθɛtɪk/ もある.
 前の母音を「長く」読ませる記号としての <e> という役割に鑑みれば,<ae> を /eɪ/ と発音させる慣習が発達するのも不自然ではない.aegis の本来の発音は /ˈiːʤəs/ だが,並行して /ˈeɪʤəs/ も行なわれているようだ.
 このように <ae> に対する発音の揺れが激しいのは,そもそもこの綴字の生起頻度が低く,特定の発音と結びつけられるのに十分な機会に乏しいためだろう.人を寄せ付けない古典借用語に多いという事実も,この揺れに拍車をかけている.両文字が合わさった合字 <æ> は,古英語ではすこぶる高頻度の文字だったことを思えば,ずいぶんと衰退してしまったのだなあと感慨深いが,現代英語でも発音(記号)としての /æ/ は十分に高頻度だ(「#1022. 英語の各音素の生起頻度」 ([2012-02-13-1]) を参照).20個ほどある母音音素の頻度ランキングで第4位はなかなか立派.

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