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subjunctive - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2019-05-20 08:12

2019-03-27 Wed

#3621. 「命令法」を認めず「原形の命令用法」とすればよい? (2) [imperative][mood][subjunctive][tense][future][category][elt][3sp]

 昨日の記事に引き続き「原形の命令用法」に関する問題.松瀬は昨日引用した論文とは別の関連論文のなかで,より突っ込んだ英語教育の観点からこの問題に切り込んでいる.「原形の命令用法」を押し出すことで,関連する諸現象とともに一貫した英文法を提供できるのではないかという.その「まとめ」を引用したい (78) .

 結局,現代英語で命令形を構成する主要動詞要素は(たとえ言語的事実は,命令法を体現する定形動詞の摩耗形であったとしても,独自の動詞形態を持たない以上)「原形(不定詞)」と捉えざるを得ず,「動詞の法」の観点からは決してそれを定形と呼ぶわけにはいかないが,「文の法」としては定形とも見なされるので,その意味で「命令文」と呼ぶことも可能であると結論づけられる.しかも,従属節接続法現在形でも,法助動詞が現れないときには,命令形と同様に原形のみが現れるとする見方は,その義務や勧告を表す意味機能との親和性とも相俟って,非常に統一感のある捉え方だと言っていい.命令法と接続法現在形を原形が表す非事実的法性で一括りに捉えることができるということである.確かに,「法」の概念自体は英語教育の現場では等閑視されている項目であろうが,「原形」という言い方は非常によく使われている現状を考えたとき,むしろこれを前面に押し出した指導法には大いにメリットがあると思われる.
 学校では,いわゆる三単現の -s については,(本来なら非常に重要で,理解に不可欠な)直説法という概念は無視して,やかましく指導されるが,それに真っ向から反する,従属節接続法現在形の he do という連鎖を理解するためには,法に関しての知識がどうしても必須である.そこでたとえ「法」という言葉は使わないにしても,両者間にある事実性と非事実性という対立を教員は是非とも指摘しなければならない.その際,動詞の「原形」は非事実的法性(の一部)を担うという考え方を披瀝することは,法や定形性の意味的理解を深める上でも十分に有効であろう.


 通時的な事実を十分に押さえた上で,あえてその発想から決別し,共時的な体系化を図るという論者の姿勢は,おおいに真似したいところだ.また,引用後半にあるように,この問題は裏から迫った「3単現の -s」の問題とも換言できそうで,示唆に富む.

 ・ 松瀬 憲司 「定形か非定形か---英語の命令「文」について---」『熊本大学教育学部紀要』第63巻,2014年,73--79頁.

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2019-03-26 Tue

#3620. 「命令法」を認めず「原形の命令用法」とすればよい? (1) [imperative][mood][subjunctive][tense][future][category][elt]

 現代英語について命令法 (imperative mood) を認めるか否かという問題は,英語学でもたびたび議論がなされてきた.法 (mood) を純粋に形態論的なカテゴリーと解するならば,伝統文法でいう動詞の「命令形」は原形(不定詞)と同一であるから,ここに独自の法を設定する必要はないということになる.むしろ,原形(不定詞)を基本に据えて,その用法の1つとして命令用法があると考えるほうがすっきりする.命令用法と原形の他の諸用法には,意味的な「非事実性」および統語意味的な「非定性」という共通項も見出され,その点でも理論的に都合がよい.さらにいえば,従来「接続法現在」と呼ばれてきたものも形態的には原形と異ならないのだから,やはり同じグループに入ることになるだろう.実際,「接続法現在」はまさに「非事実性」を持ち合わせている.
 上で述べてきたことは,原形,命令形,接続法現在形とそれらの用法は「非事実性」の法として1つにくくることができるという提案だが,ある意味で「非事実性」の典型ともいえる「未来」への言及が,これらと同形(=原形)によって担われないのはなぜかという問題は残る.「仮定」や「思考」の表現においても同様である.このように法,時制,定性,非事実性などの諸カテゴリーが複雑に交錯する問題を扱うのは決して容易ではない.「命令法」の扱いを改めようと一押しすると,「未来時制」の扱いに不都合が生じる,といった玉突きが生じるからだ.
 上の議論は,およそ松瀬の議論の要約である.松瀬論文では,通時的・共時的な観点からこの問題に迫っているが,その「まとめ」は次の通り (98) .

 高度に屈折した古典語では,法を区別する手立ては十分すぎるほどあり,その存在意義もまた十分にあったが,完全とまでは言えず,同じ動詞形態が複数の法を表すことも一部だがあった.おそらくそのような形態上の重複という形式面と,直説法現在が未来の事象までも射程に入れることが可能だったという意味的側面とが相まって,有標の接続法ではなく,無標の直説法のなかに未来時を設定することが常態化していたのではないかと考えられる.
 それに対して,動詞の語形変化が古英語に比べて極めて簡素化された現代英語では,もはや動詞形態としての法を明示することができない状況にあるが,それでも事実的法性は,〔中略〕'stance' marker として機能する.will などの法助動詞や if などの特殊なマーカーおよび,従属節を従える場合でも,suggest や require といった主節動詞の持つ意味によって過不足無く伝えることができる.このように考えれば,未来時の指示は,典型的には法助動詞 will という stance marker により,その非事実的法性を表す有標な構造と捉えることができ,そこには直説法や接続法といった法概念を特に持ち込む必要はないことになる.さらに付け加えれば,非事実的法性を表す有標構造には,時として従属節に(節たり得ない)非定形動詞である原形(不定詞)が現れる.それは別の見方をすれば,〔中略〕伝統的な命令法を,その動詞を定形動詞ではなく原形(不定詞)と見なした場合,まさにその命令法形が従属節に埋め込まれているとも考えられるわけで,だとすると逆に,非事実的法性を表す原形(不定詞)の一用法として従来の命令法を捉えることもでき,命令法自体を法の一種として別立てにする必要も同時になくなることになる.


 英語学的に「命令」をどう扱うべきかという問題は,当然ながら英語教育にも関わってくるだろう.

 ・ 松瀬 憲司 「未来時に「事実性」はあるのか---英語の直説法と接続法---」『熊本大学教育学部紀要』第62巻,2013年,91--100頁.

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2019-01-08 Tue

#3543. 『現代英文法辞典』より optative (mood) の解説 [terminology][mood][optative][subjunctive][speech_act][auxiliary_verb]

 目下 may 祈願文と関連して optative (mood) 一般について調査中だが,備忘のために荒木・安井(編)『現代英文法辞典』 (963--64) より,同用語の解説記事を引用しておきたい

 optative (mood) (願望法,祈願法) インドヨーロッパ語において認められる法 (MOOD) の1つ.ギリシャ語には独自の屈折語尾を持つ願望法があるが,ラテン語やゲルマン語はでは願望法は仮定法 (SUBJUNCTIVE MOOD) と合流して1つとなった.ゲルマン語派に属する英語においては,OE以来形態的に独立した願望法はない.
 願望法が表す祈願・願望の意味は英語では通例いわゆる仮定法または法助動詞 (MODAL AUXILIARY) による迂言形によって表される: God bless you! (あたなに神のみ恵みがありますように)/ May she rest in peace! (彼女の冥福を祈る)/ O were he only here. (彼がここにいてくれさえしたらよいのに).多分このため,Trnka (1930, pp. 64, 67--74) は 'subjunctive' という用語の代わりに 'optative' を用いる.Kruisinga (Handbook, II. §1531) は動詞の語幹 (STEM) の用法の1つに願望用法があることを認め,この用法の語幹を願望語幹 (optative stem) と呼ぶ: Suffice it to say .... (...と言えば十分であろう).さらに,Quirk et al. (1985, §11.39) は仮定法の一種として願望仮定法 (optative subjunctive) を認め,願望仮定法は願望を表わす少数のかなり固定した表現に使われると述べている: Far be it from me to spoil the fun. (楽しみを台無しにしようなどという気は私にはまったくない)/ God save the Queen! (女王陛下万歳!)


 言語化された願望・祈願を適切に位置づけようとすると,必ず形式と機能の複雑な関係が問題となる上に,通時態と共時態の観点の違いも相俟って,非常に難しい課題となる.今ひとつの観点は,語用論的な立場から願望・祈願を発話行為 (speech_act) とみなして,この言語現象に対して何らかの位置づけを行なうことだろう.だが,語用論的な観点から行為としての願望あるいは祈願とは何なのかと問い始めると,容易に人類学的,社会学的,哲学的,宗教学的な問題へと発展してしまう.手強いテーマだ.
 関連して「#3538. 英語の subjunctive 形態は印欧祖語の optative 形態から」 ([2019-01-03-1]),「#3541. 英語の法の種類 --- Jespersen による形式的な区分」 ([2019-01-06-1]),「#3540. 願望文と勧奨文の微妙な関係」 ([2019-01-05-1]) も参照.

 ・ 荒木 一雄,安井 稔 編 『現代英文法辞典』 三省堂,1992年.

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2019-01-05 Sat

#3540. 願望文と勧奨文の微妙な関係 [optative][hortative][mood][terminology][subjunctive]

 「#3514. 言語における「祈願」の諸相」 ([2018-12-10-1]) でも触れたように,祈願 (optative) と勧奨 (hortative) の境目は曖昧である.
 寺澤 (540) によると,Poutsma の分類に基づくと,文には (1) 平叙文 (declarative sentence),(2) 疑問文 (interrogative sentence),(3) 命令文 (imperative sentence) の3つがあり,そのうち (1) の平叙文の特別なものとして (a) 感嘆文 (exclamative sentence),(b) 願望文 (optative sentence),(c) 勧奨文 (hortative sentence) が挙げられている.(1c) の勧奨文の典型例として次のようなものがある.

 ・ Part we (= Let us part) in friendship from your land!---W. Scott (あなたの国から仲よく別れましょう)
 ・ So be it! (それはそれでよい)
 ・ Suffice it to say . . . ((. . . といえば)十分だ)
 ・ Be it known! (そのことを知っておきましょう)
 ・ Be it understood! (そのことを理解しておきましょう)


 そして,「#948. Be it never so humble, there's no place like home.」 (1)」 ([2011-12-01-1]) などで取り上げた be it ever so humble (いかに質素であろうと)も起源的には,これらの勧奨文に由来するという.現在では,上記のように仮定法現在を用いるのは定型文に限られ,let による迂言法のほうが一般的である.
 しかし,予想されるところだが,願望文との区別は現実的には微妙である.形式上区別がつけやすいのは,Let's . . . . は典型的に勧奨文であり,Let us . . . . は命令文あるいは願望文であるというケースくらいだろうか.

 ・ 寺澤 芳雄(編)『英語学要語辞典』,研究社,2002年.298--99頁.

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2019-01-03 Thu

#3538. 英語の subjunctive 形態は印欧祖語の optative 形態から [subjunctive][indo-european][optative][mood][terminology]

 古い英語における接続法 (subjunctive) の祈願用法 (optative) について印欧比較言語学の脈絡で考えようとする際に気をつけなければならないのは,印欧祖語とゲルマン語派の間にちょっとした用語の乗り入れ(と混乱)があることだ.
 印欧祖語では,命令の機能を担当した "imperative", おそらく未来時制の機能を担当した "subjunctive", 祈願の機能を担当した "optative" の間で形態が区別されていた.その後,ゲルマン語派へ枝分かれしていくなかで,印欧祖語の "optative" の形態が,娘言語における接続法 (subjunctive) として受け継がれた.つまり,形態に関する限り,印欧祖語の "subjunctive" と英語を含むゲルマン諸語の "subjunctive" とは,同名を与えられているにもかかわらず無関係であるということだ.ゲルマン祖語(とそれ以下の諸言語)で "subjunctive" と呼ばれるカテゴリーは,形態的にいえば印欧祖語の "optative" を受け継いだものなのである(ややこしい!).したがって,古い英語の接続法の形式が祈願の機能を有するのは,印欧祖語からの伝統として不思議でも何でもないということになる.
 ただし別の語派では事情は異なる.例えばバルト・スラヴ語派においては,印欧祖語の "optative" は「命令法」や「許可法」として継承されているようで,ますます混乱する.
 では,印欧祖語のもともとの "subjunctive" はどうなってしまったかというと,ゲルマン語には継承されていないようだ.インド・イラン語派,ギリシア語,そして部分的にケルト語派では,「未来」として継承されているという.形式と機能を分けて各用語を理解しておかないと混乱は必至である.
 さらに厄介なのは,何せ印欧語比較言語学のこと,Hittite などの証拠に基づき,そもそも印欧祖語には "optative" も "subjunctive" も存在しなかったのではないかという説も唱えられている (Szemerényi 337) .いやはや.

 ・ Fortson IV, Benjamin W. "An Approach to Semantic Change." Chapter 21 of The Handbook of Historical Linguistics. Ed. Brian D. Joseph and Richard D. Janda. Blackwell, 2003. 648--66.
 ・ Szemerényi, Oswald J. L. Introduction to Indo-European Linguistics. Trans. from Einführung in die vergleichende Sprachwissenschaft. 4th ed. 1990. Oxford: OUP, 1996.

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2018-12-13 Thu

#3517. if を使わずに V + S とする条件節 [syntax][word_order][conjunction][construction_grammar][conditional][subjunctive][inversion]

 現代英語には,条件節を表わすのに if を用いずに,主語と動詞の倒置で代用する構文がある.例文を挙げよう.

 ・ Were I to take over my father's business, I would make a drastic reform.
 ・ Had World War II ended two years earlier, how many lives would have been saved!
 ・ Should anything happen to him, call me at once.


 現代英語では,were, should, had で始まるものに限定されており,意味的にも反事実的条件に強く傾いているが,かつては疑問文の形成と同様に一般の動詞が前置されることもあったし,中立的条件にも用いられた.Leuschner and Nest (2) より,古英語や中英語からの例を挙げよう.

 ・ Fulga nu se mete ðære wambe willan, & sio wamb ðæs metes, ðonne towyrpð God ægðer. (YCOE: Cura Pastoralis, late 9th cent.)
   "If the food now follow.SUBJ the will of the belly and the belly that of the food, God annihilates both."
 ・ Do þu hit eanes awei; ne schalt tu neauer nan oðer swuch acourin. (PPCME2: Hali Meidhad, c. 1225)
   "If you get rid of it once, you will never (re)gain anything like it."
 ・ Deceyueth me the foxe / so haue I ylle lerned my casus (PPCME2: Caxton's History of Reynard the Fox, 1481)
   "If the fox deceives me, I have learned my lesson badly."


 最初の2つの例文において,前置されている動詞は接続法の形式である.
 なぜ条件節を表わすのに倒置が起こるのかという問題については,Jespersen (373--74) が「疑問文からの派生」説を紹介している.

A condition is very often denoted by a clause without any conjunction, but containing a verb placed before its subject. This construction, which is found in all the Gothonic language, is often explained from a question with implied positive answer: Will you come? [Yes, then] we can start at once.---A clear instance of this is AV 1. Cor. 7.27 Art thou bound vnto a wife? seeke not to bee loosed. Art thou loosed from a wife? seeke not a wife.


 しかし,Jespersen (374) は,「疑問文からの派生」説だけでは説明しきれないとも考えており,続けて「接続法としての用法」説の可能性にも言及している.

But interrogative sentences, though undoubtedly explaining much, are not the only sources of our construction. Pretty frequently we find a subjunctive used in such a way that it cannot have arisen from a question, but must be due to a main sentence expressing a desire, permission, or the like: AR 164 uor beo hit enes tobroken, ibet ne bið hit neuer | Towneley 171 Gett I those land lepars, I breke ilka bone | Sh Merch III. 2.61 Liue thou, I liue with much more dismay | Cymb IV. 3.30 come more, for more you're ready | John III. 3.31 and creep the time nere so slow, Yet it shall come, for me to doe these good.


 「疑問」「接続法」「願望」「条件」というキーワードが,何らかの形で互いに結びついていそうだという感覚がある.VS 条件節の発達は,最近取り上げてきた may 祈願の発達の問題にも光を投げかけてくれるかもしれない (cf. 「#3515. 現代英語の祈願文,2種」 [2018-12-11-1],「#3516. 仮定法祈願と may 祈願の同居」 ([2018-12-12-1])) .

 ・ Leuschner, Torsten and Daan Van den Nest. "Asynchronous Grammaticalization: V1-Conditionals in Present-Day English and German." Languages in Contrast 15 (2015): 34--63.
 ・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part 5. Copenhagen: Munksgaard, 1954.

Referrer (Inside): [2018-12-15-1] [2018-12-14-1]

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2018-12-12 Wed

#3516. 仮定法祈願と may 祈願の同居 [optative][subjunctive][auxiliary_verb][construction_grammar][may]

 昨日の記事「#3515. 現代英語の祈願文,2種」 ([2018-12-11-1]) でみたように,現代英語の祈願構文には,仮定法を利用するものと may を用いるものの2種が存在する.歴史的には前者のほうが古いが,いずれも文語的で定型的という特徴を有しており,同じ文脈でともに生じることもある.たとえば,May they get home safely, Heaven help us! のような事例がある.ほかに両祈願構文の同居している例が,細江 (159fn) に挙げられている.

 ・ God help her; May God help her!---Trollope;
 ・ Long life to them both! May Edward the Atheling reign, but Harold the Earl rule!--Lord Lytton.


 2つめの例で,細江は,後半の Harold the Earl rule! を仮定法祈願と解釈しているようだが,may の繰り返しを避けたという統語的解釈も可能だろうか.もしそうであれば同居の事例として挙げるのはふさわしくないことになるが,この "May SV, but SV!" という構造を別の角度からみれば,等位接続された2つの仮定法祈願の先頭に may が立っていると解釈することもできる.つまり,may は,歴史的に衰退してきた仮定法の機能・形式を補強するために先頭に付された祈願標識 (optative marker) であると捉えることができるだろう.これは,構文化の1例とみることもできる.

 ・ 細江 逸記 『英文法汎論』3版 泰文堂,1926年.

Referrer (Inside): [2018-12-13-1]

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2018-12-11 Tue

#3515. 現代英語の祈願文,2種 [optative][subjunctive][auxiliary_verb][syntax][word_order][punctuation][may]

 細江 (158--59) によれば,現代英語には,現在または未来の「ひたすらな願い」を表わす祈願法 (optative) の形式として,2種が認められる.1つは仮定法(歴史的な接続法 (subjunctive))を用いる方法(以下の (a)),もう1つは語頭に may を立てて「主語+動詞」を続ける方法である(以下の (b)).それぞれを示そう.

(a) 通常主語を文頭に立て,叙想法現在の動詞を述語とする.ただし,この際強勢のため形容詞・副詞などを先に立て主語と述語とを転置することも多い.たとえば,
   Thy kingdom come. Thy will be done.---Matthew, vi. 10.
   God bless and reward you for all your kindness.---Stowe.
   God forgive me!---Miss Mulock.
   Long live the Duke!---Charles Reade.
   Mine be a cot beside the hill!---Rogers.
   So be it, O Queen!---H. Hoggard.
   So help me God!---Hardy.
 このようなものは昔は常に用いられた形ではあるが,現今では詩および少数の固定した言い方のほかはあまり多く用いられない.しかし,ここに一つ特に注意すべきは,次のような呪罵の語では今なお普通に用いられるということである.
   Murrain take thee!---Scott.
   Devil take me!---Lamb.
   Generosity be hanged!---Thackeray.
   Dauphin be damned!---Shaw.
(b) 前記の場合,叙想法代用として may+不定詞を用いる.この場合に may はいつも主語より前に立つものである.たとえば,
   May no evil dream disturb my rest!---Evening Hymn.
   May he rest in peace!---Irving.
   So may it be for ages!---William Morris.


 仮定法の利用にせよ法助動詞 may の利用にせよ,法 (mood) が強く関わっていることがわかる.しばしば,祈願「法」 (optative mood) と呼ばれる所以である.また,(a) の場合は随意だが,(b) の場合は必ず語順の倒置が起こるという点も特徴的だ.これは,通常の叙述ではなく祈願という有標の発話行為であることを示すマーカーとして機能しているものではないかと思われる.書き言葉では,通常感嘆符 (exclamation mark) を伴うという特徴もある.
 なお,may に対応するドイツ語の mögen の接続法第1式も,may と同様の統語的振る舞いを示す.たとえば,Möge das neue Jahr viel Glück bringen! (新しい年が多幸でありますように!」,Möge er glücklich werden! (彼に幸あれ!)など.

 ・ 細江 逸記 『英文法汎論』3版 泰文堂,1926年.

Referrer (Inside): [2018-12-13-1] [2018-12-12-1]

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2018-09-02 Sun

#3415. 「主語+助動詞」が「助動詞+主語」となる場合 (3) [syntax][auxiliary_verb][inversion][word_order][optative][subjunctive][imperative][may]

 一昨日と昨日の記事 ([2018-08-31-1], [2018-09-01-1]) に補足する.Biber et al (§11.2.3.4, p. 918) によると「主語+助動詞」が「助動詞+主語」となる環境には,先の記事で挙げたものに加えて,もう2種類(以下の A と C)ある.祈願の may の構文 (B) について調べている途中に出くわしたものなので,それと合わせて3点を引用する.A と B は古い用法の残存ということなので,ぜひ歴史的な観点から迫っていきたい構文の問題だ.

11.2.3.4 Special cases of inversion in independent clauses
   Some uses of inversion are highly restricted and usually confined to more or less fixed collocations. Types A and B described below are remnants of earlier uses and carry archaic literary overtones.

A Formulaic clauses with subjunctive verb forms
   The combination of the inflectionless subjunctive and inversion gives the highlighted expressions below an archaic and solemn ring:
      Be it proclaimed in all the schools Plato was right! (FICT)
      If you want to throw your life away, so be it, it is your life, not mine. (FICT)
      "I, Charles Seymour, do swear that I will be faithful, and bear true allegiance to Her Majesty Queen Elizabeth, her heirs and successors according to law, so help me God." (FICT)
      Long Live King Edmund! (FICT)
      Suffice it to say that the DTI was the supervising authority for such fringe banks. (NEWS)
 
B Clauses opening with the auxiliary may
   The auxiliary may is used in a similar manner to express a strong wish. This represents a more productive pattern:
      May it be pointed out that the teacher should always try to extend the girls helping them to achieve more and more. (FICT†)
      May God forgive you your blasphemy, Pilot. Yes. May he forgive you and open your eyes. (FICT†)
      The XJS may be an ageing leviathan but it is still a unique car. Long may it be so! (NEWS)
      Long May She Reign! (NEWS)

C Imperative clauses
   Imperative clauses may contain an expressed subject following don't . . . .


 A と B の意味的・統語的類似性に注目すべきである.ともに命令,勧告,祈願などの「強い希望」が感じられる.歴史的には,may などの法助動詞は屈折による接続法の代用として発達してきた側面があり,両者が意味的に近い関係にあることは当然といえば当然である.だが,こうして現代英語にも古風な表現としてではあれ共存しており,かつ統語的にも倒置が生じるという点で振る舞いが似ているのは,非常に興味深い.

 ・ Biber, Douglas, Stig Johansson, Geoffrey Leech, Susan Conrad, and Edward Finegan. Longman Grammar of Spoken and Written English. Harlow: Pearson Education, 1999.

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2018-06-30 Sat

#3351. アメリカ英語での "mandative subjunctive" の使用は "colonial lag" ではなく「復活」か? [subjunctive][ame_bre][colonial_lag][inflection][emode][lmode][americanisation]

 "mandative subjunctive" あるいは仮定法現在と呼ばれる語法について「#325. mandative subjunctiveshould」 ([2010-03-18-1]),「#326. The subjunctive forms die hard.」 ([2010-03-19-1]),「#345. "mandative subjunctive" を取り得る語のリスト」 ([2010-04-07-1]),「#3042. 後期近代英語期に接続法の使用が増加した理由」 ([2017-08-25-1]) などで扱ってきた.
 屈折の衰退,さらには「総合から分析へ」 (synthesis_to_analysis) という英語史の大きな潮流を念頭におくと,現代のアメリカ英語(および遅れてイギリス英語でも)における仮定法現在の伸張は,小さな逆流としてとらえられる.この謎を巡って様々な研究が行なわれてきたが,決定的な解答は与えられていない.また,一般的にアメリカ英語での使用は,アメリカ英語の保守的な傾向,すなわち colonial_lag を示す例の1つとしばしば解釈されてきたが,この解釈にも疑義が唱えられるようになってきた.すなわち,古語法の残存というよりは,初期近代英語期に一度は廃用となりかけた古語法の後期近代英語期における復活の結果ではないかと.
 先行研究を参照しながら,Mondorf (853) が次のように要約している.

[R]ecent empirical studies concur that the subjunctive had virtually become extinct in both varieties; rather than witnessing its delayed demise in AmE, we are observing its revival in AmE and --- though at a slower pace --- also in BrE . . . .
   The trajectory of change takes the form of a successive decline from Old English to Early Modern English, ranging from a relatively wide distribution in Old English, with competition between indicatives and modal periphrases (e.g. scolde + infinitive), via a reduction of formal marking in Middle English (when the indicative preterit plural -on and subjunctive preterit plural and past participle of strong verbs -en were fused and final unstressed -e was lost), to rare instances in Early Modern English. It is only at the end of the LModE period that the subjunctive re-established itself and "nothing less than a revolution took place" . . . .


 なぜ後期近代英語期のアメリカで接続法使用が復活してきたのかという問いについては,いくつかの議論がある.まず,「#3042. 後期近代英語期に接続法の使用が増加した理由」 ([2017-08-25-1]) でみたように,規範文法の影響力や社会言語学的な要因を重視する見解がある.一方,機能的な観点から,非現実 (irrealis) を表現したいというニーズそのものは変わっておらず,その形式が法助動詞から接続法現在屈折へシフトしたにすぎないとする見解もある.後者の見解では,アメリカ英語においていくつかの法助動詞の使用が減少したこととの関連が考えられる (Mondorf 853--54) .
 イギリス英語でもアメリカ英語に遅ればせながら,接続法現在の使用が増えてきているようだが,これは一般にはアメリカ英語の影響 (americanisation) と考えられている.しかし,もしかすると少なくとも部分的には,かつてのアメリカ英語で起こったのと同様に,イギリス英語での独立的な発達という可能性も捨てきれないという (Mondorf 854) .まだ研究の余地が十分に残っている領域である.
 いくつか最近の関連する研究の書誌を挙げておこう.

  ・ Crawford, William J. "The Mandative Subjunctive." One Language, Two Grammars: Grammatical Differences between British English and American English. Ed. Günter Rohdenburg and Julia Schlüter. Cambridge: CUP, 2009. 257--276.
  ・ Hundt, Marianne. "Colonial Lag, Colonial Innovation or Simply Language Change?" One Language, Two Grammars: Grammatical Differences between British English and American English. Ed. Günter Rohdenburg and Julia Schlüter. Cambridge: CUP, 2009. 13--37.
  ・ Kjellmer, Göran. "The Revived Subjunctive." One Language, Two Grammars: Grammatical Differences between British English and American English. Ed. Günter Rohdenburg and Julia Schlüter. Cambridge: CUP, 2009. 246--256.
  ・ Övergaard, Gerd. The Mandative Subjunctive in American and British English in the 20th Century. Stockholm: Almqvist & Wiksell, 1995.
  ・ Schlüuter, Julia. "The Conditional Subjunctive." One Language, Two Grammars: Grammatical Differences between British English and American English. Ed. Günter Rohdenburg and Julia Schlüter. Cambridge: CUP, 2009. 277--305.

 ・ Mondorf, Britta. "Late Modern English: Morphology." Chapter 53 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 843--69.

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2018-06-13 Wed

#3334. 接続法現在の代わりの should は古英語からあった [auxiliary_verb][subjunctive]

 典型的なアメリカ語法の I advised that John eat more. とイギリス語法の I advised that John should eat more. の差異やその歴史的背景について,「#325. mandative subjunctiveshould」 ([2010-03-18-1]),「#326. The subjunctive forms die hard.」 ([2010-03-19-1]),「#345. "mandative subjunctive" を取り得る語のリスト」 ([2010-04-07-1]),「#3042. 後期近代英語期に接続法の使用が増加した理由」 ([2017-08-25-1]) などで取り上げてきた.
 歴史的事実を確認すれば,接続法現在を用いるタイプと法助動詞 should を用いるタイプは,両方とも古英語より使用がみられる.その後も中英語,近代英語と両タイプは併存しており,分布の英米差が言われるようになったのは,あくまで近現代についての分布に関してのみである.まずはこの事実を確認しておきたい.
 Visser (III, §1546) には,'He commaunded, that the ouen shulde be made seuen tymes hoter' が,should 使用のタイプの代表例としてタイトルに挙げられており,その他,古英語から現代英語にかけての多数の類例が列挙されている.以下,各時代からランダムに取り出して提示する.

 ・ Genesis 800, he unc self bebead þæt wit unc wite warian sceolden.
 ・ Menelogium 48, fæder onsende . . . heahengel his, se hælo abead Marian mycle, þæt heo meotod sceolde cennan, kyninga betst.
 ・ Ælfric, Hom. i, 310, God bebead Moyse . . . þæt he and eall Israhela folc sceoldon offrian . . . an lamb anes ȝeares.

 ・ c1200 St. Katherine 1439, Hat eft þe keiser þat me schulde Katherine bringen biforen him.
 ・ c1352 Minot, Poems (ed. Hall) iii, 53, He cumand þan þat men suld fare Till Ingland.
 ・ 1440 Visitations Relig. Houses Diocese Lincoln (ed. Thompson) 176, Laghe and your constytucyons forbeden that any nunne shulde were any vayles of sylke.

 ・ 1593 Shakesp., Rich. II, IV, i, 129, forfend it, God, That in a christian climate souls refin'd Should show so heinous, black, obscene a deed.
 ・ 1749 Fielding, Tom Jones (Everym.) Vol. II p. 130, the ostler took great care that his corn should not be consumed.
 ・ 1888 Henry James, The Aspern Papers (Everym.) 268, Heaven forbid I should ask you.
 
 ・ 1928 Virginia Woolf, Orlando (1928) 64, prescribing . . . that he should lie in bed all day.
 ・ 1961 Angus Wilson, The Old Men at the Zoo (Penguin) 195, he suggested that I should go down with him for a day or two.
 ・ 1963 Iris Murdoch, The Unicorn (Avon Bks.) 67, Who decided I should come and why?


 ・ Visser, F. Th. An Historical Syntax of the English Language. 3 vols. Leiden: Brill, 1963--1973.

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2018-05-28 Mon

#3318. 言語変化の最中にある新旧変異形を巡って [language_change][variation][subjunctive][purism][register][language_change]

 伝統文法では be 動詞の仮定法過去形として,1人称単数および3人称単数で was ならぬ were が用いられる.If I were you . . .as it were の如くである.しかし,このような決り文句や形式的な文体での使用を離れれば,くだけた言い方では直説法に引っ張られて was も用いられるようになってきていると言われる(例えば,I wouldn't do that, if I was you.I wish I was dead! など).
 伝統的な価値観の論者であれば,このような was の用法を「誤用」と感じ,その使用者を「堕落した」話者とみなすかもしれない.一方,言語変化を進歩とみる論者は,was の使用の増加によって,奇妙な振る舞いをする仮定法(過去形)が失われていくことを喜ぶかもしれない.ほかには,「万物は流転する」「行く河の流れは絶えずして」と達観して言語変化を眺める人もあるだろう.一般論として,言語変化の最中にある(とおぼしき)新旧変異形は,互いに異なる含蓄的意味 (connotation) やニュアンスを獲得し,様々な社会的・文体的な価値を帯びることが多い.
 この一般論を,もう少し丁寧に説明しよう.A → B という言語変化が生じている最中には,当然ながら A と B が共に用いられる期間がある.今回の場合であれば,仮定法過去の If I were . . . (= A) と If I was . . . (= B) の両方が用いられる期間がある.この共用期間にはそれなりの長さがあり,初期,中期,末期などの局面が区別されるが,局面に応じて A と B のあいだには社会的・文体的価値や使用域において各種の差異が生じることが多い.ある局面では,A には正統の手堅さが,B には新参物としての軽佻浮薄な響きが感じられるかもしれない.別の局面では,A は教養を,B は無教養を標示するかもしれない.また別の局面では,A は旧時代の雰囲気をまとった古色蒼然たるおもむきを,B は新時代を予見させる若々しさを喚起させるかもしれない.しかし,最終的に A が消え,B のみが可能となったとき,それまでの各局面での両者のライバル関係は,(思い出せば懐かしい?)過去のドラマとなっており,すでに世代交代は完了しているのである.
 If I were/was . . . の例にかぎらず,言語変化とはそのようなものだろう.しかし,当該の変化のさなかで共時的に生きている話者にとっては,新旧両形の対立は現在進行中のリアルなドラマなのであり,そこに保守,革新,その他諸々の立場が錯綜するのもまた常なのではないだろうか.

Referrer (Inside): [2018-06-03-1]

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2018-02-18 Sun

#3219. 中英語に関する歴史語用論の話題 [me][pragmatics][historical_pragmatics][syntax][passive][grammaticalisation][invited_inference][implicature][subjunctive][auxiliary_verb][standardisation]

 古英語に関する歴史語用論の話題として,最近の2つの記事で触れた(cf. 「#3208. ポライトネスが稀薄だった古英語」 ([2018-02-07-1]),「#3211. 統語と談話構造」 ([2018-02-10-1])).およそ speech_act, politeness, discourse_analysis, information_structure に関する問題だった.今回は Traugott の概説にしたがって,中英語に関する歴史語用論の話題として,どのようなものがあるかを覗いてみたい.
 Traugott は,ハンドブックの冒頭で3つを指摘している (466) .

 (1) "the shift from information-structure-oriented word order in Old English to 'syntacticized' order in Middle English; this in tern led, at the end of the period, to new strategies for marking topic and focus in special ways."
 (2) "the development of auxiliary verbs in contexts where implied abstract temporal, modal, or aspectual meanings of certain concrete verbs became salient"
 (3) "the appearance of a large set of new discourse types, from romances to drama, scientific writings, and letters"

 (1) は語用論と統語論のインターフェースに関わる精緻な問題といってよい.古英語から中英語にかけて屈折が衰退し,語順が固定化していったことにより,以前は比較的自由な語順を利用して情報構造を整えるという方略をもっていたものが,今や語順に頼ることができなくなったために,別の手段に訴えかけなければならなくなったということである.例えば,後期中英語に,行為者を標示する by 句を伴う受動態の構文が発達してきたことは,このような情報構造上の要請に起因する部分があるかもしれない.もしこの仮説が受け入れられるのであれば,語用論的な要因こそがくだんの統語変化の引き金となったと言えることになろう.
 (2) も統語的な含みをもち,(1) と間接的に関連すると思われるが,主に本動詞から助動詞への発達(いわゆる典型的な文法化 (grammaticalisation) の事例)を説明するのに,文脈に助けられた含意 (implicature) や誘導推論 (invited_inference) などの道具立てをもってする研究を指す.中英語期には屈折の衰退による接続法・仮定法の衰退により,統語的な代替手段として法助動詞が発達するが,この発達にも語用論的なメカニズムが関与している可能性がある.
 (3) は新種の談話の出現である.時代が下るにつれ,以前の時代にはなかったジャンルやテキスト・タイプが現われてくることは中英語期に限った現象ではないが,中英語でも確かに新種が生み出された.Traugott はロマンス,演劇,科学的文章,手紙といったジャンルを指摘しているが,その他にもフランス語(およびラテン語)の影響を受けた,あるいは混合した多言語使用の散文や韻文なども挙げられるだろう.
 ほかに中英語後期には英語の書き言葉の標準化 (standardisation) も起こり始めており,誰がいつどこで標準変種を用いたのか,用いなかったのかといった社会語用論的な問題も議論の対象となるだろう.

 ・ Traugott, Elizabeth Closs. "Middle English: Pragmatics and Discourse" Chapter 30 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 466--80.

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2017-08-25 Fri

#3042. 後期近代英語期に接続法の使用が増加した理由 [subjunctive][lmode][prescriptive_grammar][prescriptivism][sociolinguistics][synthesis_to_analysis][drift]

 英語史における接続法は,おおむね衰退の歴史をたどってきたといってよい.確かに現代でも完全に消えたわけではなく,「#326. The subjunctive forms die hard.」 ([2010-03-19-1]) や「#325. mandative subjunctiveshould」 ([2010-03-18-1]) でも触れた通り,粘り強く使用され続けており,むしろ使用が増えているとおぼしき領域すらある.しかし,接続法の衰退は,総合から分析へ向かう英語史の一般的な言語変化の潮流 (synthesis_to_analysis) に乗っており,歴史上,大々的な逆流を示したことはない.
 大々的な逆流はなかったものの,ちょっとした逆流であれば後期近代英語期にあった.16世紀末から急激に衰退した接続法は衰退の一途を辿っていたが,18世紀後半から19世紀にかけて,少しく回復したという証拠がある.Tieken-Boon van Ostade (84--85) はその理由を,後期近代の社会移動性 (social mobility) と規範文法の影響力にあるとみている.

The subjunctive underwent a curious development during the LModE period. While its use had rapidly decreased since the end of the sixteenth century, it began to rise slightly during the second half of the eighteenth century and into the nineteenth, when there was a sharp decrease from around 1870 onwards . . . . The temporary rise of the subjunctive has been associated with the influence of normative grammar, and though, this may explain the increased use during the nineteenth century, when linguistic prescriptivism was at its height and its effects must have been felt, in the second half of the eighteenth-century it must have been because of the strong linguistic sensitivity among social climbers rather than the actual effect of the grammars themselves. This is evident in the language of Robert Lowth and his correspondents: in Lowth's own usage, there is an increase of the subjunctive around the time when his grammar was newly published, and with his correspondents we found a similar linguistic awareness that they were writing to a celebrated grammarian . . . .


 Tieken-Boon van Ostade は,規範文法の影響力があったとしてもおそらく限定的であり,とりわけ18世紀後半の接続法の増加のもっと強い原因は "social climbers" (成上り者)の上昇志向を反映した言語意識にあるとみている.
 かりに接続詞の衰退を英語史の「自然な」流れとみなすのであれば,後期近代英語のちょっとした逆流は,人間社会のが「人工的に」生み出した流れということになろうか.「#2631. Curzan 曰く「言語は川であり,規範主義は堤防である」」 ([2016-07-10-1]) の比喩を思い起こさざるを得ない.

 ・ Tieken-Boon van Ostade, Ingrid. An Introduction to Late Modern English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2009.

Referrer (Inside): [2018-06-30-1] [2018-06-13-1]

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2017-05-30 Tue

#2955. Godd hit wite [swearing][preterite-present_verb][subjunctive][ancrene_wisse][anglo-norman]

 中英語では「神にかけて」「キリストにかけて」に相当する各種表現が誓言として常用される.その1変種として,God (hit) wot という表現がある.現代英語でいえば (as) God knows (it) ほどに相当する形式だ.wot という形態は,歴史的には過去現在動詞である中英語の witen (to know) が,直説法現在3人称単数に屈折した形態である(「#66. 過去現在動詞」 ([2009-07-03-1]) を参照).
 これと似て非なるものが,Godd hit wite という表現である.ここで用いられている wite という形態は,上と同じ witen の「接続法」現在3人称単数形である.つまり,機能としては祈願となり,let God know it ほどの意味になる.最近 Bennett and Smithers 版で Ancrene Wisse の一部を読んでいたときに,この表現に出会った.A. ll. 151--52 に,次のようにある.

Godd hit wite and he hit wat, me were leouere þet ȝe weren alle o þe spitel-uuel þen ȝe weren ontfule . . . .
(God be my witness to it---and he knows it---I had rather you were all lepers than that you should be envious)


 ここでは Godd hit witehe hit wat の両表現が並んでいるので,その区別に気づきやすい.接続法の用法の機微を感じられる例である.
 Onions が,接続法を用いた方の表現について,おもしろい論考を寄せている (334--35) .

Their equation with certain Continental Germanic formulæ has been overlooked, and in general their force has been misapprehended. Their meaning is: "Let God (or Christ) know (it)," "God be my witness (to it)," "I call God to witness." They are strong asseverations, and are virtually equivalent to "I declare to God." They are therefore more forcible than God wot, Goddot . . . .


 ゲルマン諸語でも中オランダ語,中低地ドイツ語,中高地ドイツ語に接続法を用いた対応表現が見られる.中英語からの用例はそれほど多く文証されているわけでないのだが,Onions (335) が引用しているように,12世紀の Anglo-Norman の Mestre Thomas による Horn という作品に,次のような箇所がある.

Seignurs bachelers, bien semlez gent bevant,
Ki as noeces alez demener bobant;
Ben iurez wite God, kant auerez beu tant. (Horn, l. 4011, ed. Brede and Stengel.)

(Young gentlemen, you have all the appearance of drinking fellows, who go to weddings to behave uproariously; you swear "wite God" when you are in liquor.)


 この表現が,実際には誓言として常用されていたことを間接的に示す証拠となるのではないか.

 ・ Bennett, J. A. W. and G. V. Smithers, eds. Early Middle English Verse and Prose. 2nd ed. Oxford: OUP, 1968.
 ・ Onions, C. T. "Middle English (i) WITE GOD, WITE CRIST, (ii) GOD IT WITE." The Review of English Studies 4.15 (1928: 334--37).

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2016-07-26 Tue

#2647. びっくり should [auxiliary_verb][subjunctive][prescriptive_grammar]

 受験英文法で「びっくり should」「がっくり should」「当たり前の should」という呼び名の用法がある.It is surprising that she should love you. などにおける従属節の should の用法のことだ.私も受験生のときに,これを学んだ覚えがある.
 しかし,英語史の立場からこの現象を解釈しようとする者にとっては,このような呼称はあまりに共時的,便宜的に聞こえる.明確に通時的な立場を取る細江にとって,should のこの用法に対する様々な呼称は気に障るようである (309) .

この should は邦語の「何々しようとするのはむつかしく何々しようとするのはやさしい」などの「しよう」の中に含まれている叙想的意義を持つものである。それゆえこれを「意外という意味の should」「正当を意味する should」などいうようなのは全く言語道断である。


 歴史的なスタンスに立つ私自身も,細江の主張には賛同する.上の引用で端的に述べられているが,ポイントは,かつては屈折語尾で表わされていた叙想法(仮定法,接続法)が,後に助動詞を用いる迂言法で置き換えられたことを反映し,現在 should が用いられている,ということだ.この should の用法を「意外」の用法などと呼ぶことは共時的なショートカットにすぎず,歴史的な観点からは「迂言的接続法」あるいは「接続法の迂言的残滓」と呼ぶべきものである.その心は,と問われれば,細江 (310) が答えて曰く「この should の意義はある事柄をわれわれの判断に訴える思考上の問題とするのにあるので,けっして他の意はない」である.
 この should が用いられる典型的な構文は It is strange that . . . should . . . . などだが,変異パターンも多い.細江 (310--13) を参照して,近代英語からのいくつかの例文を挙げよう.

 ・ It is right that a false Latin quantity should excite a smile in the House of Commons; but it is wrong that a false English meaning should not excite a frown.---Ruskin.
 ・ How almost impossible is it that good should come unmixed with evil!---Watts-Dunton.
 ・ That there should have been such a likeness is not strange.---Macaulay.
 ・ How very strange that you should have said so!---Hardy.
 ・ It is natural enough, Mr. Holgrave, that you should have ideas like these.---Hawthorne.
 ・ It is strange I should not have heard of you.---Wilkie Collins.
 ・ Is it not extraordinary that a burglar should deliberately break into a house at a time when he could see from the lights that two of the family were still afoot?---Doyle.
 ・ Is it possible, on such a sudden, you should fall into so strong a liking with old Sir Rowland's youngest son?---Shakespeare
 ・ It is impossible you should need any assistance.---Cowper.
 ・ I wonder you should ever have troubled yourself with Christ at all.---Borrow.
 ・ Now, I wonder a girl of your sense should waste a thought upon such a trumpery.---Goldsmith.
 ・ I am sorry that Murray should groan on my account.---Byron.
 ・ I lament that your father should be deceived.---Ainsworth.
 ・ I am content it should be in your keeping.---Scott.
 ・ O that men should take an enemy into their mouths to steal away their brains!---Shakespeare.
 ・ Oh, Henry, to think that you should have such a grief as this; your dear father's tomb violated!---Watts-Dunton.

 これらの例文では should が用いられているが,先述のとおり,古くは接続法の屈折が用いられていた.近代英語でもまだ屈折はかろうじて生き残っていたので,例は挙げられる.

 ・ 'Tis better that the enemy seek us.---Shakespeare
 ・ It is not proper that I be beholden to you for meat and drink.---George Borrow.
 ・ I am often ashamed lest this be selfish.--Miss Mulock.

 ここから分かる通り,この用法の should は,「びっくり」「がっくり」などの特別なラベルを貼り付けるのがふさわしい用法というよりは,単に古い時代の屈折による接続法の代用としての迂言的な接続法の用法にすぎない.実際上,共時的に「びっくり」「がっくり」などの含意が伴うことが多いのは確かだが,should と「びっくり」「がっくり」とは直接には結びつかない.これらを間接的に結びつける鍵は,接続法の本来の機能である「想念」というより他ない.「想念」という広い範囲を覆うものであるから,文脈によっては「驚き」ではなく「不安」「疑い」「喜び」「憧れ」等々,何とでもなり得るのである.このように理解すると,この should の用法を公式的に「びっくり should」ととらえる場合よりも,理解に際して応用範囲が広くなるだろう.これは,言語現象を通時的に見る習慣のついている英語史がもたらしてくれる知恵の1つである.

 ・ 細江 逸記 『英文法汎論』3版 泰文堂,1926年.

Referrer (Inside): [2019-05-08-1]

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2016-06-10 Fri

#2601. なぜ If I WERE a bird なのか? [be][verb][subjunctive][preterite][conjugation][inflection][oe][sobokunagimon]

 現代英文法の「仮定法過去」においては,条件の if 節のなかで動詞の過去形が用いられるのが規則である.その過去形とは,基本的には直説法の過去形と同形のものを用いればよいが,1つだけ例外がある.標題のように主語が1人称単数が主語の場合,あるいは3人称単数の場合には,直説法で was を用いるところに,仮定法では were を用いなければならない(現代英語の口語においては was が用いられることもあるが,規範文法では were が規則である).これはなぜだろうか.
 もっとも簡単に答えるのであれば,それが古英語において接続法過去の1・3人称単数の屈折形だったからである(現代の「仮定法」に相当するものを古英語では「接続法」 (subjunctive) と呼ぶ).
 昨日の記事「#2600. 古英語の be 動詞の屈折」 ([2016-06-09-1]) で掲げた古英語 bēon の屈折表で,Subjunctive Preterite の欄を見てみると,単数系列では人称にかかわらず wǣre が用いられている.つまり,古英語で ġif ic wǣre . . . などと言っていた,だからこそ現代英語でも if I were . . . なのである.
 現代英語では,ほとんどの場合,仮定法過去の形態として,上述のように直説法過去の形態をそのまま用いればよいために,特に意識して仮定法過去の屈折形や屈折表を直説法過去と区別して覚える必要がない.しかし,歴史的には直説法(過去)と仮定法(過去)は機能的にも形態的にも明確に区別されるべき異なる体系であり,各々の動詞に関して法に応じた異なる屈折形と屈折表が用意されていた.ところが,後の歴史のなかで屈折語尾の水平化や形態的な類推が作用し,be 動詞以外のすべての動詞に関して接続法過去形は直説法過去形と同一となった.唯一かつての形態的な区別を保持して生き延びてきたのが be だったということである.残存の主たる理由は,be があまりに高頻度であることだろう.
 標題の「なぜ If I WERE a bird なのか?」という問いは,現代英語の共時的な観点からは自然で素朴な疑問といえる.しかし,英語史の観点から問いを立て直すのであれば,「なぜ,いかにして be 動詞以外のすべての動詞において接続法過去形と直説法過去形が同一となったのか」こそが問われるべきである.

Referrer (Inside): [2018-04-19-1]

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2016-02-14 Sun

#2484. 「may 祈願文ができるまで」 [word_order][syntax][auxiliary_verb][subjunctive][pragmatics][speech_act][optative][may]

 祈願の may について,「#1867. May the Queen live long! の語順」 ([2014-06-07-1]),「#2256. 祈願を表わす may の初例」 ([2015-07-01-1]),「#2478. 祈願の may と勧告の let の発達の類似性」 ([2016-02-08-1]) で扱ってきたが,この問題について,最近,松瀬の論文が公刊された.初期近代英語の may 祈願文の確立は,古英語以来の種々の歴史言語学的な要因が積み重なった結果であり,一朝一夕に成ったものではないという趣旨だ.総合的な視点から同問題に迫った好論である.
 議論の詳細には触れないが,松瀬 (82) が「may 祈願文ができるまで」と題する節で図式的に要約した部分を引用する.

a. STAGE 1: OE 〜
   I wish that NP-Nom[inative]. + V-S[u]BJ[unctive]. 〔従属節〕
   ... (so) that NP-Nom. + V-SBJ. 〔従属節〕
b. STAGE 2: OE 〜
   NP-Nom. + V-SBJ. 〔主節〕                ex) God bless you!
   X + V-SBJ. + NP-Nom. 〔主節〕              ex) Long live the Queen!
c. STAGE 3: Late OE 〜
   I wish that NP-Nom. + MAY + Inf[initive]. 〔従属節〕
   ... (so) that NP-Nom. + MAY + Inf. 〔従属節〕
d. STAGE 4: ME 〜 *EModE/ME 〜
   NP-Nom. + MAY/MIGHT + Inf. 〔主節〕           ex) Thy voyce may sounde in mine eres.
   *X + NP-Nom. + MAY/MIGHT + Inf. 〔主節〕         ex) from dyssese he may us saue.
   X + MAY/MIGHT + NP-Nom. + Inf. 〔主節〕         ex) ai mighte he liven.
   Cf. (X) + MOTE + NP-Nom. + Inf. 〔主節〕         ex) mote þu wel færen
   Cf. LET + NP-Nom. + Inf. 〔主節〕            ex) late we hine welden his folc ...
e. STAGE 5: EModE 〜
   MAY + NP-Nom. + Inf. 〔主節〕              ex) May the force be with you!


 一連の流れに関わっている要因は,祈願動詞の従属節の法と語順,祈願の接続法を用いた主節の用法,接続法の代用としての助動詞 may の発達,類義の助動詞 motan の祈願用法の影響,let 構文との類推,"pragmatic particle" としての may とその語順の発達,など多数にわたる.これらが複雑に絡み合い,ある1つの特徴ある用法が生まれたというシナリオに,英語史や歴史英語学の醍醐味を感じる.

 ・ 松瀬 憲司 「"May the Force Be with You!"――英語の may 祈願文について――」『熊本大学教育学部紀要』64巻,2015年.77--84頁.

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2016-02-08 Mon

#2478. 祈願の may と勧告の let の発達の類似性 [pragmatics][syntax][word_order][speech_act][emode][subjunctive][auxiliary_verb][optative][hortative][may]

 「#1867. May the Queen live long! の語順」 ([2014-06-07-1]) の最後で触れたように,may 祈願文と let 勧告文には類似点がある.いずれも統語的には節の最初に現われるという破格的な性質を示し,直後に3人称主語を取ることができ,語用論的には祈願・勧告というある意味で似通った発話行為を担うことができる.最後の似通っている点に関していえば,いずれの発話行為も,古英語から中英語にかけて典型的に動詞の接続法によって表わし得たという共通点がある.通時的には,may にせよ let にせよ,接続法動詞の代用を務める迂言法を成立させる統語的部品として,キャリアを始めたわけだが,そのうちに使用が固定化し,いわば各々祈願と勧告という発話行為を標示するマーカー,すなわち "pragmatic particle" として機能するに至った.maylet を語用的小辞として同類に扱うという発想は,前の記事で言及した Quirk et al. のみならず,英語歴史統語論を研究している Rissanen (229) によっても示されている(松瀬,p. 82 も参照).

   The optative subjunctive is often replaced by a periphrasis with may and the hortative subjunctive with let:
   
   (229) 'A god rewarde you,' quoth this roge; 'and in heauen may you finde it.' ([HC] Harman 39)
   (230) Let him love his wife even as himself: That's his Duty. ([HC] Jeremy Taylor 24)

Note the variation between the subjunctive rewarde and the periphrastic may . . . finde in (229).
   Of these two periphrases, the one replacing hortative subjunctive seems to develop more rapidly: in Marlow, at the end of the sixteenth century, the hortative periphrasis clearly outnumbers the subjunctive, particularly in the 1 st pers. pl. . ., while the optative periphrasis is less common than the subjunctive.


 ここで Rissanen は,maylet を用いた迂言的祈願・勧告の用法の発達を同列に扱っているが,両者が互いに影響し合ったかどうかには踏み込んでいない.しかし,発達時期の差について言及していることから,前者の発達が後者の発達により促進されたとみている可能性はあるし,少なくとも Rissanen を参照している松瀬 (82) はそのように解釈しているようだ.この因果関係や時間関係についてはより詳細な調査が必要だが,一見するとまるで異なる語にみえる maylet を,語用(小辞)化の結晶として見る視点は洞察に富む.
 関連して祈願の may については「#2256. 祈願を表わす may の初例」 ([2015-07-01-1]) を,勧告の let's の間主観化については「#1981. 間主観化」 ([2014-09-29-1]) も参照.

 ・ Rissanen, Matti. Syntax. In The Cambridge History of the English Language. Vol. 3. Cambridge: CUP, 1999. 187--331.
 ・ 松瀬 憲司 「"May the Force Be with You!"――英語の may 祈願文について――」『熊本大学教育学部紀要』64巻,2015年.77--84頁.

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2016-02-06 Sat

#2476. 英語史において動詞の命令法と接続法が形態的・機能的に融合した件 [imperative][subjunctive][verb][inflection][speech_act]

 昨日の記事「#2475. 命令にはなぜ動詞の原形が用いられるのか」 ([2016-02-05-1]) の内容と密接に関わるものとして,標記の問題がある.英語史では,動詞の単数系列の命令形と接続法現在形が,形態的に融合してきた経緯がある.それと並行して,両者の機能,すなわち命令ととりわけ勧告の発話行為 (speech_act) もが融合してきたという経緯があり,現代英語においては,もはや形態においても機能においても,かつてあった区別が不明瞭となるに至っている.両者の融合への道筋は,1つには間接的な観点から記述することができる.命令形は,昨日の記事で述べたように,語根形(無屈折形)へ向かいやすかったし,一方,接続法現在は形態・機能的に衰退し,結果として直説法現在へ呑み込まれた.
 しかし,命令形と接続法現在形の融合は,より直接的に両者の機能的な類似によって促進されたとも論じられるかもしれない.とりわけ勧告・忠告・奨励を表わすのに用いられる接続法については,それが機能上命令という発話行為に近似していることは容易に理解できるだろう.
 昨日の記事で引用した Fischer (249) は,上記の点について次のように述べている.

In Middle English the forms of the imperative singular and the subjunctive present singular coalesced . . . . In function, the hortatory subjunctive and the imperative were practically similar already in Old English, where one finds them used side by side . . . . In the plural there was still a morphological distinction . . . when the subject pronoun did not immediately follow the verb. This situation was not to last, as the hortatory subjunctive was on its way out. . . . By the middle of the fifteenth century the plural imperative ending disappears.


 この Fischer の発言は,2人称の単複両系列において命令法と接続法の融合が形態ベースであるとともに機能ベースでもあったことを示唆しているように読める.
 複数系列の命令形についても,単数系列と同様に,15世紀半ばまでには無語尾となっていたとあるが,確かにその前段階の Chaucer 辺りでは,歴史的な単複の形態的区別がすでに事実上の自由変異と化している.例えば,Chaucer (CT III.186--7 [2:186--7]) では "Telle forth youre tale, spareth for no man,/ And teche us yonge men of youre praktike." などと語尾の有無が目まぐるしく切り替わっている.
 さらに時代を遡って古英語の様子をみてみると,Traugott (185) は,命令法と接続法の機能的区別は,9世紀末までにはおよそ失われつつあったとしている.

Because the imperative and subjunctive contrast morphologically, we assume that there was a difference in meaning, at least in early OE times, between more and less directive, more and less wishful utterances. By the time of Alfredian OE this difference was losing ground in many registers; charms, medical prescriptions and similar generalised instructions are normally in the subjunctive.


 これらの見解を総合すると,問題の融合は,やはり形態ベースであると同様に機能ベースでもあったと考えるのが妥当かもしれない.

 ・ Fischer, O. Syntax. In The Cambridge History of the English Language. Vol. 2. Ed. N. Blake. Cambridge, CUP, 1992. 207--398.
 ・ Traugott, Elizabeth Closs. Syntax. In The Cambridge History of the English Language. Vol. 1. Ed. Richard M. Hogg. Cambridge: CUP, 1992. 168--289.

Referrer (Inside): [2017-03-17-1]

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