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saussure - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-03-19 07:57

2022-10-23 Sun

#4927. 言語学上の様々な区分は方法論上の区分にすぎない [methodology][saussure][linguistics][periodisation]

 言語学には,方法論上の様々な区分や2項対立がある.ソシュール (Ferdinand de Saussure; 1857--1913) の導入したラング (langue) とパロール (parole) ,形式 (form) と実体 (substance) ,共時態 (synchrony) と通時態 (diachrony) などは著名である(cf. 「#3508. ソシュールの対立概念,3種」 ([2018-12-04-1])).
 また,音声学 (phonetics),音韻論 (phonology),形態論 (morphology),統語論 (syntax),意味論 (semantics),語用論 (pragmatics) などの部門も,方法論上の重要な区分である(cf. 「#377. 英語史で話題となりうる分野」 ([2010-05-09-1]),「#378. 語用論は言語理論の基本構成部門か否か」 ([2010-05-10-1]),「#4865. 英語学入門の入門 --- 通信スクーリング「英語学」 Day 1」 ([2022-08-22-1])).
 ほかには,個人と社会,話し手と聞き手,話し言葉と書き言葉など,対立項は挙げ始めればキリがないし,歴史言語学でいえば時代区分 (periodisation) も重要な区分である.
 重要なのは,これらの区分は言語学の方法論・理論上,意図的に設けられたものにすぎないということだ.現実の言語実態はあまりに複雑なため,研究者はそのまま観察したり分析したりすることができない.そこで,便宜上小分けに区分し,区分された一画をじっくり観察・分析するという研究上の戦略を立てるわけである.そして,小分けにした各々の区画についておおよそ明らかになった暁には,それらをブロックのように組み合わせて最終的に言語というものの総体を理解したい.そのよう壮大な戦略に基づいて,あくまで作業上,様々に区分しているのだ.
 この戦略的区分について,古典的英語史 A History of English を著わした Strang が序説に相当する "Synchronic variation and diachronic change" にて,次のように述べている (17) .

Language is human behaviour of immeasurable complexity. Because it is so complex we try to subdivide it for purposes of study; but every subdivision breaks down somewhere, because in practice, in actual usage, language is unified. The levels of phonology, lexis and grammar are interrelated, and so are structure and history. There remains a further dichotomy, implicit in much of our discussion, but not yet looked at in its own right. Language is both individual and social. Acquisition of language takes place in the individual, and we have stressed that he (sic) is an active, even a creative, participant in the process. Yet what he learns from is exposure to the social use of language, and although cases are rare there is reason to think that the individual does not master language if he develops through the relevant stages of infancy without such exposure. And if he does have normal experience of language as a baby the speaker's linguistic creativeness is held on a fairly tight rein by the control of social usage --- he cannot be too idiosyncratic if he is to be understood and accepted. The governing conditions come from society, though executive language acts (speaking, writing, etc.) are made by individuals. Here, too, then, we have not so much a dichotomy as an interplay of factors distinguishable for certain purposes.


 なお,私は様々な言語理論も同様に戦略的区分にすぎないと考えている.言語理論Aは,ある言語現象を説明するのには力を発揮するが,すべての言語現象をきれいに説明することはできない.言語理論B,言語理論Cも然りである.後にそれぞれの得意領域を持ち寄り,言語の総体的な理解につなげたい --- それが言語学の戦略なのだろうと考えている.したがって,どの理論をとっても,それが絶対的に正しいとか,間違いということはないと思っている.

 ・ Strang, Barbara M. H. A History of English. London: Methuen, 1970.

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2022-03-31 Thu

#4721. 構造主義言語学とは? [structuralism][history_of_linguistics][terminology][saussure][heldio]

 1ヶ月ほど前に始めた「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」も,週2回のペースを守りつつ,昨日第10回を迎えることができました.視聴者の皆さん,ありがとうございます.
 その昨日の第10回は,これまでに比べてかなり硬派といえば硬派な話題です.「ゲンゴガクシ」についてです.言語学史 (history_of_linguistics) は,言葉に関心のあるすべての人にとって実はかなりおもしろい分野なのですが,それを分かりやすく説明するのは簡単ではありません.
 収録を通じて,言語学そのもの以上に言語学史に深い関心を抱くと互いに知った2人が,20世紀前半の学界の潮流を決定づけた構造主義言語学 (structural linguistics) について話しをしてみました.構造主義は歴史言語学を敵に回したか!?ー言語学理論のおもしろさ【井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル # 10 】をご視聴ください.



 構造主義言語学とは何か? 私にはとうてい端的に説明できる自信がないので,イヴィッチの言語学史の概説 (81--82) に頼りたいと思います.

 構造主義言語学の時代は,ヨーロッパとアメリカで共に1930年の少し前に始まった.
  他の学問分野においてもそうであるが,言語学における構造主義はまず第一に既知の事実に対する新しい見方を意味している.即ち,既知の事実が体系の中で機能している点に注目して検討を加える見方である.同時にこの構造主義的な見方は,言語の社会的な(つまりコミュニケーションの)機能の強調,歴史的現象と或一時点における一言語体系の諸特徴との明確な区別をも伴うものである.
 この時代の先駆者はそれ以前に,ある者は早くも19世紀に,そこかしこに現れていた.しかしこれらの孤立した試みはその時代の人々の注意をひくことはなかった.真に人々の耳をそばだたせ,今日なお鳴り響いている最初の声を発したのはフェルディナン・ドゥ・ソシュール Ferdinand de Saussure であった.ドゥ・ソシュールが初めて言語学における新しい思想によってその時代の人々に強い影響を与えたことと,その直接の影響下になかった人々さえも彼の思想の根底にあるのと同一の理論的基盤から出発したことによって,ドゥ・ソシュールは今では構造主義言語学の創始者と見なされている.
 構造主義言語学のイロハともいえるドゥ・ソシュールの基本的言語学説は,以下のようなものである.
 言語は体系であり,体系として研究すべきである:個々の事実を単独に取り上げるのではなく,常に全体として見るべきである.且つ細かい事柄の一つ一つは体系の中での位置によって規定されるということを考慮に入れるべきである.
 言語はまず第一に相互理解の目的を果たす社会的現象であり,そのようなものとして研究すべきである:音と意味との相互関係は,コミュニケーション過程において決定的な重要性を持つので,常にこれを念頭に置くべきである.
 言語の発展と言語の実現されている[一時点の]状態とは,根本的に異る別の現象である.従って,方法論の点から見て,言語の現在の状態を解釈する時に歴史的な規準を持ち込むことは許されない.
 他の学問分野と同様に,言語学においても構造主義は不変のもの invariants の探究,余情な redundant 現象と関与的な relevant 現象を分離しようとする努力,を含んでいる.
 構造主義言語学の信奉者たちはすべて,客観的な分析基準(メンタリスティックな規準の入る余地をなくすようなもの)を見出そうと希求している.


 イヴィッチの説明はさらに延々と続くのですが,この辺りで止めておきましょう.
 YouTube 動画内でも述べた通り,私にとって構造主義言語学とは「マトリックス思考」です.今朝の Voicy 「英語の語源が身につくラジオ」 (heldio) でも「構造主義言語学とはマトリックス思考である」と題してしゃべっていますので,よろしければどうぞ.



 ・ ミルカ・イヴィッチ 著,早田 輝洋・井上 史雄 訳 『言語学の流れ』 みすず書房,1974年.

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2022-01-28 Fri

#4659. ソシュールによる言語学の3つの目標 [linguistics][history_of_linguistics][saussure]

 壮大なタイトルの記事を掲げてしまったが,これはあくまで壮大な言語学者である Saussure (1857--1913) の言葉 (6) .昨日も引用した The Routledge Linguistics Encyclopedia (3rd ed.) からの孫引き,しかも英訳で失礼するが,次の通り (xxxvii) .

1. to describe all known languages and record their history (this involves tracing the history of language families and, as far as possible, reconstructing the parent languages of each family);
2. to determine the forces operating permanently and universally in all languages, and to formulate general laws which account for all particular linguistic phenomena historically attested;
3. to delimit and define linguistic itself.


 要するに,共時態も通時態も含め言語のあらゆる側面について「記述」「理論」「メタ」の3点から攻めよ,ということと理解した.
 3つめの点などは本当に鋭い.どこからどこまでが言語学の範疇なのか,という問いである.言語学の自立性という問題にも通じるが,約1世紀後の議論を先取りするようなことを指摘している(というよりも最重要課題の1つとして挙げているのだから驚く).ソシュールが記号論的な視野をもって言語を眺めていたことがよく分かる.

 ・ Saussure, F. de. Course in General Linguistics. Trans. W. Baskin. London: Fontana/Collins, 1983. (First edition published 1916).
 ・ Malmkjær, Kirsten, ed. The Routledge Linguistics Encyclopedia. 3rd ed. London and New York: Routledge, 2010.

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2021-10-23 Sat

#4562. 通時態は共時態に歴史的与件を提供する [saussure][diachrony][language_change][sociolinguistics][link]

ソシュール以来,共時態 (synchrony) と通時態 (diachrony) の関係を巡る論争は絶えたためしがない.本ブログでも,この話題について様々に議論してきた.

 ・ 「#866. 話者の意識に通時的な次元はあるか?」 ([2011-09-10-1])
 ・ 「#1025. 共時態と通時態の関係」 ([2012-02-16-1])
 ・ 「#1076. ソシュールが共時態を通時態に優先させた3つの理由」 ([2012-04-07-1])
 ・ 「#1260. 共時態と通時態の接点を巡る論争」 ([2012-10-08-1])
 ・ 「#2134. 言語変化は矛盾ではない」 ([2015-03-01-1])
 ・ 「#2197. ソシュールの共時態と通時態の認識論」 ([2015-05-03-1])
 ・ 「#2555. ソシュールによる言語の共時態と通時態」 ([2016-04-25-1])
 ・ 「#3264. Saussurian Paradox」 ([2018-04-04-1])
 ・ 「#3508. ソシュールの対立概念,3種」 ([2018-12-04-1])

 言語にアプローチする2つの態に関して私の考えるところによれば,通時態は共時態に歴史的与件を提供するものではないか.歴史的与件とは,その時点で過去から受け継いだ言語的資産目録というほどの意味である.両態は確かに直行する軸であり性質がまるで異なっているのだが,現在という時点において唯一の接触点をもつ.この接触点に両態のエネルギーが凝縮しているとみている.時間軸上のある1点における断面図である言語の共時態は,通時態からエネルギーを提供されて,そのような断面図になっているのだ.
 Sweetser (9--10) が著書の序章において,ソシュールのチェスの比喩をあえて引用しつつ,似たような見解を示しているので引用したい.

. . . [W]e cannot rigidly separate synchronic from diachronic analysis: all of modern sociolinguistics has confirmed the importance of reuniting the two. As with the language and cognition question, the synchrony/diachrony interrelationship has to be seen in a more sophisticated framework. The structuralist tradition spent considerable effort on eliminating confusion between synchronic regularities and diachronic changes: speakers do not necessarily have rules or representations which reflect the language's past history. But neither Saussure nor any of his colleagues would have denied that synchronic structure inevitably reflects its history in important ways: the whole chess metaphor is a perfect example of Saussure's deep awareness of this fact. Saussure, of course, uses chess because for future play the past history of the board is totally irrelevant: you can analyze a chess problem without any information about past moves. But he could hardly have picked --- as he must have known --- an example of a domain where past events more inevitably, regularly, and evidently (if not uniquely) determine the present resulting state. No phonologist today would reconstruct a proto-language's sound system without attention both to recognized universals of synchronic sound-systems and to attested (and phonetically motivated) paths of phonological change; it is assumed that the same perceptual, muscular, acoustic, and cognitive constraints are responsible for both universals of structure and universals of structural change. And, for a historical phonologist or semanticist trying to avoid imposing past analyses on present usage, it is an empirical question which aspects of diachrony are preserved in a given synchronic phonological structure or meaning structure.


 詰め将棋は本番のための訓練としてはよいが,本番そのものではない.言語研究も,本番の真剣勝負こそを観察対象とするものであってほしい.

 ・ Sweetser, E. From Etymology to Pragmatics. Cambridge: CUP, 1990.

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2021-01-28 Thu

#4294. Trier の「意味の場」の言語学史上の意義 (2) [history_of_linguistics][semantics][semantic_field][saussure][terminology]

 昨日の記事に引き続き,Trier に帰せられる「意味の場」について.院生に教えてもらった Öhman による関連する論文を読んだが,言語の「場」 (Feld, or field) を巡る学史が要領よくまとまっていて勉強になった.
 Humboldt に端を発し,20世紀前半の Ipsen, Trier, Jolles, Porzig へとつながるドイツを中心とした言語学界において,様々な「場」の捉え方が提案されることになった.その背景には,ゲシュタルト心理学の影響があるという (Öhman 124) .語彙や意味も個々の項を原子的に眺めているだけでは不十分であり,項の集団を全体としてとらえる視点が必要であるとされた.言い換えれば,個々の項も構造のなかで理解する必要があるということであり,これはまさにソシュールの創始した構造主義の言語観にほかならない.
 ただ,一口に「場」といっても,Ipsen, Trier, Porzig の「場」の捉え方はそれぞれ異なっている.Öhman 論文では各々の解説と評価がなされているが,ここでは現代に至るまで強い影響力を持ち続けている Trier の「意味の場」理論に注目したい.
 現代では「意味の場」 (semantic_field) は「語彙の場」 (lexical field) とほぼ同義で用いられており,若干の力点の置き方の違いを除けば,明確に区別されていないように見受けられる.しかし,Trier は,両者は互いに関係するものの,2つの異なる「場」であると考えていた.

Trier investigates language as ergon or, in the Saussurean terminology, as langue rather than parole. His (sic) distinguishes conceptual and lexical fields. The conceptual field exists independently of, or at least beside, the lexical fields. The lexical field is formed by a word and its conceptual cognates and corresponds to the entirety of the conceptual field. The latter is divided into parts by the word mosaic (Wortdecke) of the lexical field. A word alone has not meaning but acquires one only through the opposition between it and neighboring words in the pattern. For instance, in the grading of examination results as excellent, good, fair, poor, very poor, the word poor acquires a meaning only when one knows that the scale of grading consists of five degrees and that poor lies in the lower half between fair and very poor. (Öhman 126--27)


 また,Trier は,いずれの場についても,複数の場が集まって,より大きな場を作り上げ,最終的には当該言語が表わす意味や語彙の総体にたどり着くという,壮大な場の体系を考えていた.

The linguistic field, Trier stresses, is no isolated sphere in the vocabulary, even if this at first appears to be the case. Just as sections of a lexical field border on one another and form a whole, corresponding to the conceptual field, so do the lexical as well as the conceptual fields, according to Trier's theory, join together to form in turn fields of higher orders, until finally the entire vocabulary is included. The fields of lower order "articulate" (ergliedern sich) to form those of higher order, while the fields of higher order "resolve" (gliedern sich aus) into those of lower order. In treating his field as a closed unit, Trier uses a working hypothesis which is necessary to make the analysis at all possible. (Öhman 127)


 いかにも構造主義的な言語観ではある.しかし,後の意味論研究が明らかにしてきたように,実際の意味にせよ語彙にせよ,水も漏らさぬ理想的な場の体系を作っているわけではなく,むしろ重なり合い,動的でもある複雑な体系なのだ.その点では,Trier の意味の場の理論も,時代による限界があったと言わざるを得ない.とはいえ,意味論の学史上,重要な転機の1つであったとは評価できるだろう.

 ・ Öhman, Suzanne. "Theories of 'the Linguistic Field'." Word 9 (1953): 123--34.

Referrer (Inside): [2021-02-02-1] [2021-01-29-1]

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2020-12-07 Mon

#4242. ソシュールにとって記号の変化は「ズレ」ではなく「置換」 [terminology][saussure][sign][language_change][diachrony][semiotics]

 ソシュール (Ferdinand de Saussure; 1857--1913) は,言語の共時態 (synchrony) と通時態 (diachrony) を区別したことで知られる (2つの態についてはこちらの記事セットを参照).ソシュールは通時的次元を「諸価値の変動のことであり,それは有意単位の変動ということにほかならない」(丸山,p. 310)と定義している.この「変動」は,フランス語 déplacement (英語の displacement)の訳語だが,むしろ「置換」と理解したほうが分かりやすい.ソシュールは,シニフィエ (signifié) とシニフィアン (signifiant) の結合から成る記号 (signe) の変化は,両者の「ずれ」というよりも,別の記号による「置換」と考えている節があるからだ.
 同じ丸山『ソシュール小事典』より déplacement の項 (284) を繰ってみると訳語としてこそ「ずれ,変動」と記されているが,内容をよく読んでみると実際には「置換」にほかならない.以下,引用する.

déplacement [ずれ,変動]
 ラングなる体系内での辞項 (terme) の布置が変り,その結果として価値 (valeur) の変動が起こること.「辞項と諸価値のグローバルな関係のずれ (frag. 1279) .動詞形の déplacer (ずらす)も用いられた「いかなるラングも(…)変容 (altération) の諸要因に抗するすべはない.その結果,時とともにシニフィエ (signifie) に対するシニフィアン (signifiant) のトータルな関係 (rapport) がずらされる」 (frag. 1259) .このずれは,シーニュ (signe) 内での不可分離な二項がずれるという意味ではなく,シーニュの輪郭を決定する分節線そのものがずれて新しいシーニュが誕生することを意味するが,古いシーニュと新しいシーニュを比較する際,語る主体 (sujet parlant) にとってはシニフィアンとシニフィエがずれたように錯覚されるのである.


 つまり,"déplacement" という用語を,記号内のシニフィエとシニフィアンの関係の「ずれ,変動」を指すものであるかのように使っているが,実際にソシュールが意図していたのは「ずれ」ではなく「置換」なのである(「再生」ですらない).とすると,語の音声変化や意味変化も,シニフィエかシニフィアンの片方は固定していたが他方がずれたのである,とはみなせなくなる.古いシーニュが新しいシーニュに置き換えられたのだと,みなすことになろう.

 ・ 丸山 圭三郎 『ソシュール小事典』 大修館,1985年.

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2019-08-23 Fri

#3770. 人間の言語の特徴,8点 [linguistics][double_articulation][arbitrariness][saussure]

 「#1281. 口笛言語」 ([2012-10-29-1]),「#1327. ヒトの言語に共通する7つの性質」 ([2012-12-14-1]) などで人間の言語の特徴を何点か挙げてきた.それらと多く重複するが,安藤・澤田 (10--16) が解説しながら挙げている8点の特徴を,私自身のコメントを加えながら示す.

 (1) 言語は媒体として音声を用いる
   もちろん書き言葉では文字が媒体となるし,身体言語 (body language) や身振り言語 (gesture language) もあれば,手話 (sing language) などもあるのは事実である.しかし,それらはより一般的な記号学 (semiotics) で扱われる対象というべきである.人間の諸言語にみられる最大公約数的な特徴としては,音声を媒体としていることが挙げられる.「#1063. 人間の言語はなぜ音声に依存しているのか (1)」 ([2012-03-25-1]),「#1064. 人間の言語はなぜ音声に依存しているのか (2)」 ([2012-03-26-1]),「#2535. 記号 (sign) の種類 --- 伝える手段による分類」 ([2016-04-05-1]) を参照.

 (2) 言語は恣意的な記号である
   きわめて重要な言語の特徴である.「#1108. 言語記号の恣意性,有縁性,無縁性」 ([2012-05-09-1]),「#2224. ソシュールによる言語の恣意性と線状性」 ([2015-05-30-1]),「#2445. ボアズによる言語の無意識性と恣意性」 ([2016-01-06-1]) ほか arbitrariness の各記事を参照.

 (3) 言語は構造をもつ体系 (system) である
   言語においては,要素がデタラメに並んでいるわけではなく,一定の決まりにしたがって並べられている.これについては,「#2245. Meillet の "tout se tient" --- 体系としての言語」 ([2015-06-20-1]),「#2246. Meillet の "tout se tient" --- 社会における言語」 ([2015-06-21-1]) を参照.

 (4) 言語は社会制度である
  言語は,ある言語共同体の中で一種の社会契約として作られた記号の体系である.個人が勝手に変えられるものではなく,社会的に築きあげられた体系である.

 (5) 言語は形相 (form) であって,実質 (substance) ではない.
   ソシュールは,言語記号を考える上で形相と実質を区別すべきことを主張した.チェスにおいては,コマが木製だろうが象牙製だろうが,ゲームにとっては無関係である.ゲームにとって大事なのは,チェスのルールで定められているコマの機能,あるいは価値である.この場合,コマの機能・価値が形相に当たり,コマの材質が実質に当たる.関連して「#1074. Hjelmslev の言理学」 ([2012-04-05-1]) を参照.

 (6) 転移言語 (displaced speech)
   今ここに関与するもの以外のこと(昨日のことや,別の場所で起こっていることなど)を話題とすることができる性質のことである.動物の鳴き声などは,その時その場に限られており,時間的・空間的に離れたものを指し示すことができない.人間の言語は,時間的・空間的に離れたものを話題にできるばかりか,現実にないこと(うそ・皮肉・冗談)を表わすこともできる.

 (7) 創造性 (creativity)
   言語要素を自由かつ生産的に組み合わせて,無限に新しい語や文を生み出すことができる.

 (8) 二重分節 (double articulation)
   「#767. 言語の二重分節」 ([2011-06-03-1]),「#1062. 言語の二重分節は本当にあるか」 ([2012-03-24-1]) を参照.

 動物のコミュニケーションには,(1) 以外の特徴がみられないことに注意したい.

 ・ 安藤 貞雄・澤田 治美 『英語学入門』 開拓社,2001年.

Referrer (Inside): [2023-09-30-1]

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2018-12-07 Fri

#3511. 20世紀からの各言語学派を軸上にプロットする [linguistics][history_of_linguistics][generative_grammar][saussure]

 ソシュールに始まる20世紀の言語学は,その後数十年で様々な展開を示してきた.展開の仕方はヨーロッパとアメリカとでかなり異なるものの,体系・形式重視の学派と用法重視の学派の対立の歴史とらえるとわかりやすい.当然ながらその中間に位置づけられる折衷的な学派も現われてきて,20世紀から21世紀にかけて多彩な言語学が花咲くことになった.以下,高橋・西原 (pp. 4--5) にしたがって示そう.

 まず20世紀のヨーロッパの各言語学派について,体系重視(左側)と用法重視(右側)を両極とする軸の上に位置づけた図を掲げよう.

  体系重視                                    用法重視

               ソシュール   カザン学派
    ←――――――――――――――――――――――――――――――――――――――→
    コペンハーゲン     フランス・      プラーグ学派     ロンドン学派
      学派       ジュネーヴ学派     中間的機能論

 続いて現代のアメリカの各言語学派について,形式重視(左側)と用法重視(右側)を両極とする軸の上に位置づけた図.

  形式重視                                    用法重視

    ←――――――――――――――――――――――――――――――――――――――→
    生成文法     構造重視機能論   構文文法   認知文法   談話重視機能論

 21世紀の今後の言語学の方向性について,高橋・西原 (6) は次のように予想している.

このように,20世紀のヨーロッパの言語学も,今日のアメリカを中心とする言語学も,心理学・認知科学や社会学・文化人類学など隣接分野と相互に影響し合いながら,構造や形式を重視するか機能や用法を重視するかによって,言語観・文法観が大きく異なり,今後も,1方向のみならず,多方向に振れる振り子のように変化・発展していくものと思われる.


 ・ 高橋 潔・西原 哲雄 「序章 言語学とは何か」西原 哲雄(編)『言語学入門』朝倉日英対照言語学シリーズ 3 朝倉書店,2012年.1--8頁.

Referrer (Inside): [2018-12-20-1]

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2018-12-04 Tue

#3508. ソシュールの対立概念,3種 [saussure][terminology][langue][diachrony]

 構造主義言語学の父というべきソシュール (Ferdinand de Saussure; 1857--1913) は,言語(研究)に関する様々な対立概念を提示した.その中でもとりわけ重要な3種の対立について,表の形でまとめておきたい(高橋・西原の pp. 3--4 より).

(1) ラング (langue) とパロール (parole) の対立

ラングパロル
体系的 (systematic)非体系的 (not systematic)
同質的 (homogeneous)異質的 (heterogeneous)
規則支配的 (rule-governed)非規則支配的 (not rule-governed)
社会的 (social)個人的 (individual)
慣習的 (conventional)非慣習的 (not conventional)
不変的 (invariable)変異的 (variable)
無意識的 (unconscious)意識的 (conscious)


(2) 形式 (form) と実体 (substance) の対立

形式実体
体系 (system)無体系 (no system)
不連続的 (discrete)連続的 (continuous)
?????? (static)?????? (dynamic)


(3) 共時性 (synchrony) と通時性 (diachrony) の対立

共時性通時性
無歴史的 (ahistorical)歴史的 (historical)
?????? (internal)紊???? (external)
不変化的 (unchanging)変化的 (changing)
一定の (invariable)変わりやすい (variable)
共存的 (coexistent)継続的 (successive)


 ソシュールは,これらの対立を提示しながら,言語研究においては左列の諸側面を優先すべきだと考えた.つまり,ラング,形式,共時性を重視すべしと訴えたのである.
 (1) の対立については「#2202. langue と parole の対比」 ([2015-05-08-1]) を,(2) については「#1074. Hjelmslev の言理学」 ([2012-04-05-1]) を参照.(3) に関しては「#3326. 通時的説明と共時的説明」 ([2018-06-05-1]) に張ったリンク先の記事をどうぞ.諸対立から不思議と立ち現れる「#3264. Saussurian Paradox」 ([2018-04-04-1]) もおもしろい.

 ・ 高橋 潔・西原 哲雄 「序章 言語学とは何か」西原 哲雄(編)『言語学入門』朝倉日英対照言語学シリーズ 3 朝倉書店,2012年.1--8頁.

Referrer (Inside): [2022-10-23-1] [2021-10-23-1]

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2018-04-04 Wed

#3264. Saussurian Paradox [saussure][sociolinguistics][history_of_linguistics][idiolect][methodology]

 標題の「ソシュールのパラドックス」について,「#3245. idiolect」 ([2018-03-16-1]) で触れた通りだが,改めて『新英語学辞典』の "sociolinguistics" の項 (1124) の記述を読んでみよう,

構造言語学では,言語単位の対立関係に基づいて成立している構造を明らかにすることが中心的な課題であり,そのために言語を共時的な静態においてとらえ,資料はできるだけ等質的であることが必要であると考えた.その裏にある言語観は,言語はその理想的な姿においては単一の構造体である (monolithic) とするものである.その単一体を求めるために,個人的なゆれ,場面ごとに変容する部分は自由変異,あるいは乱れ・逸脱として切り捨てた.目標はある言語社会に共通の構造体(=ラング)を求めることでありながら,資料の等質性を求めて,ついには個人言語 (idiolect) を対象とするという状態に至った.Labov (1972a) はこれを 'Saussurian Paradox' と呼ぶ.構造の単一性を求めて言語は実際の使用場面から切り離され,単一の 'ideal speaker-hearer' の言語能力を求めるのだとして,資料は高度に理想化され,現実から遊離した形に整えられた.


 言語学史的には,ソシュールの創始した構造言語学は,言語構造が等質的であり単一的であることを意識的に前提とすることで,揺れを考慮しなくてよいという方法論上の正当性を確保したのだろうと考えている.実際には等質的でもなければ単一的でもないし,揺れも存在する.しかし,あえて切り捨てて前進するという行き方もあるだろうと.その行き方は確かに方法論としては悪いことではないだろう.しかし,言語の variation や variability は,あくまで脇に置いたのであって,存在しないわけではない.
 理論的理想と実践的現実は常に背反する.理論を扱っている場合には,現実から遊離しすぎていないだろうかという問いかけを,実践的に研究している場合には,あまりに小さな揺れにこだわってはいないかという自問が必要だろう.
 関連して「#2202. langue と parole の対比」 ([2015-05-08-1]) を参照.

 ・ 大塚 高信,中島 文雄 監修 『新英語学辞典』 研究社,1987年.

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2018-03-16 Fri

#3245. idiolect [terminology][idiolect][history_of_linguistics][saussure]

 同一の方言に属する個人の間でも,細かくみれば発音,文法,語彙などの点で個人的な差が見られ,全く同じ言葉遣いをする人は二人といない.この事実に鑑みて,idiolect 「個人(言)語」というものを考えることができる.新英語学辞典の "idiolect" の項には次のようにある.

 Bloc (1948) が初めて用いた術語で,1個人のある1時期における発話の総体を指す.それは発音・文法・語彙の全体にわたり,個人的な癖まで含む.
 「個人言語」の概念の発展はアメリカの構造言語学の考えかたと強く結び付いている.すなわち,言語の構造性を明らかにするためには資料をできるだけ等質的にすべきだと考え,異なった方言,同一方言の異なった時代の資料の混同を厳に戒め,最も等質的な資料として個人言語にたどりついた.また言語研究は,どのみち具体的な個人言語を出発点とせざるをえないのであるという理解も大きな支えとなっている.〔中略〕
 同一の地域的あるいは社会的方言に属する個人間の個人言語の差異の現われ方は言語の部分によっていろいろである.音韻体系では差異が最も少なく,文法体系がそれに次ぐ.語彙体系では差が最も激しい.常連の連語,つまり「ことば癖」の面にも大きい個人差が見られる.


 言語学者がラングという社会に共通の構造体を追い求めながらも,idiolect という極めて個人的な地点に行き着いてしまったというくだりは,Labov のいう "Saussurean Paradox" を指している(「#2202. langue と parole の対比」 ([2015-05-08-1]) も参照).
 また,引用の最後の段落で個人間の idiolect の差異が話題となっているが,ある1人の話者の idiolect 内部を考えても,はたして本当に等質的なのだろうかという疑問が生じる.たとえば,個人が標準語と非標準語など複数の変種を操れる場合,すなわち linguistic repertoire をもっている場合には,その話者は複数の idiolects をもっていることになり,それは社会言語学的な異質性を示しているにほかならない.ただし,repertoire を構成する一つひとつを仮に style と呼んでおくとすれば,各 style を指して idiolect とみなすやり方はあるだろう.
 いずれにせよ「等質的な idiolect」もまた,言語学の作業のために必要とされるフィクションと考えておくのがよさそうだ.

 ・ 大塚 高信,中島 文雄 監修 『新英語学辞典』 研究社,1987年.
 ・ Block, B. "A Set of Postulates for Phonetic Analysis." Language 24 (1948): 3--46.

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2017-09-26 Tue

#3074. 「文字は公認の暗号である」 [cryptology][language][semiotics][saussure][arbitrariness][sign][writing]

 通常,少数の人によってしか共有されていない文字を指して暗号と呼ぶが,標題のように裏からとらえて「文字は公認の暗号である」と表現することもできる.これは,みごとな逆転の発想である.長田 (136--37) を引用する.

 音声言語を表記するためにどのような文字を使用するかはどうでもよいことであって,要はその文字の使い方が首尾一貫していれば,記号としての役目を果たすことができる.フェルディナン・ド・ソシュールは,「記号の不易性と可易性」について次のように述べている.「能記は,その表はす観念と照し合はす時は,自由に選ばれたものとして現はれるとすれば,逆にこれを用ひる言語社会と照し合はす時は,自由ではなくて,賦課されたものである.社会大衆は一つも相談にあづからず,言語の選んだ能記は他のものと代へるわけにはいきかねる.この矛盾を含むかに思はれる事実は,平たくいへば『脅迫投票』とでもいふべきか.言語に向って『選びたまへ』と言つたそばから,『この記号だぞ,ほかのでなくて』と附加へる」(小林英夫訳『言語学原論』)
 これはそのまま換字式暗号にあてはまる原理である.変換する記号としてはどのようなものを選んでもさしつかえないが,一度選んだならば,その規約を使用する間はけっして変更することは許されない.ただ換字式暗号の違う点は,言語とその表記の関係が第三者に秘匿されていることである.
 一般に文字言語を「社会公認公用の暗号法」と呼ぶのは,このような相対関係によるものである.


 また,次のようにも述べている (137--38)

ウェルズは,その『世界史』に,「文字は,それが発明されたとき,初めのうちは関係の人だけの秘密通信に使われていた」と書いている.これは,識字率の低い間は文字そのものが秘密の表記であったことを的確にとらえた言葉である.


 文字も暗号も恣意的な記号であるという点では共通している.顕著な差異を1つ挙げるとすれば,文字は通常多数の人に共有されているが,暗号は少数の人にしか知られていないということだろう.それを知っている人の数というパラメータを度外視すれば,文字はすなわち暗号であり,暗号はすなわち文字であるといえる.言語学的文字論と暗号学がいかなる相互関係にあるのか,一気に呑み込めた気がする.
 関連して,「#2699. 暗号学と言語学」 ([2016-09-16-1]),「#2700. 暗号によるコミュニケーションの特性」 ([2016-09-17-1]) と「#2701. 暗号としての文字」 ([2016-09-18-1]) も参照されたい.

 ・ 長田 順行 『暗号大全 原理とその世界』 講談社,2017年.

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2016-11-11 Fri

#2755. 貨幣と言語 (3) [saussure][langue][arbitrariness][sign][semiotics][linguistics][diachrony]

 「#2743. 貨幣と言語」 ([2016-10-30-1]),「#2746. 貨幣と言語 (2)」 ([2016-11-02-1]) に引き続いての話題.[2016-11-02-1]の記事の最後で,「貨幣は物理的な価値と結びついているが,言語はあくまで概念的な価値と結びついているにすぎないという点は,むしろ両者の大きな相違点だろう」と述べた.この言及と関連して,ソシュールに記号としての貨幣と言語を対照している箇所がある.ソシュールによれば,両者は記号として根本的に異なる種類に属するという.この議論を通じて,言語記号の恣意性 (arbitrariness) に由来する二重性,すなわち共時態と通時態の本質的な相互独立性が浮き彫りになる.
 この議論を理解するために,まずソシュールの言語論における「価値」 (valeur) について見ておかなければならない.丸山 (68--69) によれば,

 ソシュールの体系は,何よりもまず関係としての価値の体系である.そこでは,自然的・絶対的特性によって定義される個々の要素が寄り集まって全体を作るのではなく,全体との関連と他の要素との相互関係の中ではじめて個の価値が生ずる.しかも,ラングなる体系は,動物としてのヒトの本能図式の反映ないしは敷き写しではなく,人間の歴史・社会的実践によってはじめて決定される価値の体系であり,既成の事物がどう配置されどう関係付けられているかというのではなく,もともと単位という客観的な実体は存在しない体系なのである.ラングはそれが体系である限り,不連続な単位の存在を想定させる.しかしその単位は,ア・プリオリに自存する実体ではない.ソシュールをまず驚かせ,ついで彼を終始苦しませた問題は,この単位の非実在性であった.ソシュールの体系は,言語の本質に関わる恣意性,形相性,示差性,否定性と切り離して論ずることはできないと言えるだろう.
 「コトバは根柢的に,対立に基盤を置く体系という性格をもつ.これはちょうど,さまざまな駒に付与された力のさまざまな組み合わせから成り立つチェスゲームのようなものだ」.それにもかかわらず実体としての単位はどこにも与えられていない.「コトバの中に自然に与えられている事物を見る幻想の根は深い」とは言え,在るものは関係を樹立する人間の視点(=共同主観)だけである.「人が樹立する事物間の絆は,事物に先立って存在し,事物を決定する働きをなす.〔…〕人はこの視点によって二次的に事物を創造する.〔…〕いかなる事物も,いかなる対象も,いかなる瞬間においても即自的には与えられていない」のだ.


 ソシュールにとって,言語的な価値にはこのように自然的・絶対的な実体の支えがないのであるから,それは貨幣の価値とは比べるべくもない,ということになる.ソシュールは第3回講義で,この点について触れている.丸山 (116) より説明を引くと,

ソシュールによれば,言語記号は,他のどのような記号,どのような制度にもにない根源的な二重性を持っている.たとえば,ある広さの土地につけられる貨幣的な価値などは,時代を追ってその変化を調べることができるだろう.これは,貨幣という一種の記号が,しかじかの土地という不変の自然的対象をその外部に持っているからで,そういう意味でこの記号は本質的に「単一」なのである.ところが言語記号には,こうした自然の支えはどこにもないのであり,あるのはただ「聴覚映像」と「概念」の二つの項,言語の一状態が生む束の間の関係によってしか保証されていない二つの項,ということになる.これらの項は,それを測定するどのような尺度もないところで,根柢からの変化をこうむる.変化を説明できる支えは状態のうちにはないし,ある状態を求めた理由も変化のうちには見出せない.こうしたことはすべて,言語記号が「事物の自然的関係」にもとづかない恣意的「契約」であることからくるので,共時言語学と通時言語学を別々に打ち立てる必然性も,実はここに根ざしているわけである.


 ここでは,言語記号のもつ恣意性と貨幣記号の非恣意性が,明確に対立せられている.この性質の違いゆえに,貨幣記号については,共時態と通時態の区別を特に意識せずに「単一」に扱うことができるのに対し,言語記号については両態を常に区別して扱わなければならないという「二重性」が生じるのだという.このことを主張している箇所を Saussure (115--16) から引用しよう.

   Il est certain que toutes les sciences auraient intérêt à marquer plus scrupuleusement les axes sur lesquels sont situées les choses dont elles s'occupent ; il faudrait partout distinguer selon la figure suivante : 1o l'axe des simultanéités (AB), concernant les rapports entre choses coexistantes, d'où toute intervention du temps est exclue, et 2o l'axe des successivités (CD), sur lequel on ne peut jamais considérer qu'une chose à la fois, mais où sont situées toutes les choses du premier axe avec leur changements.
   Pour les sciences travaillant sur des valeurs, cette distinction devient une nécessité pratique, et dans certains cas une nécessité absolue. Dans ce domaine on peut mettre les savants au défi d'organiser leurs recherches d'une façon rigoureuse sans tenir compte de deux axes, sans distinguer le système des valeurs considérées en soi, de ces mêmes valeurs considérées en fonction du temps.
   C'est au linguiste que cette distinction s'impose le plus impérieusement ; car la langue est un système de pures valeurs que rien ne détermine en dehors de l'état momentané de ses termes. Tant que par un de ses côtés une valeur a sa racine dans les choses et leurs rapports naturels (comme c'est le cas dans la science économique --- par exemple un fonds de terre vaut en proportion de ce qu'il rapporte), on peut jusqu'à un certain point suivre cette valeur dans le temps, tout en se souvenant qu'à chaque moment elle dépend d'un système de valeurs contemporaines. Son lien avec les choses lui donne malgré tout une base naturelle, et par là les appréciations qu'on y rattache ne sont jamais complètement arbitraire ; leur variabilité est limitée. Mais nous venons de voir qu'en linguistique les données naturelles n'nont aucune place.


 記号としての貨幣と言語の比較対照を通じて,それぞれの性質が浮き彫りになってきた.

 ・ 丸山 圭三郎 『ソシュール小事典』 大修館,1985年.
 ・ Saussure, Ferdinand de. Cours de linguistique générale. Ed. Tullio de Mauro. Paris: Payot & Rivages, 2005.

Referrer (Inside): [2021-01-26-1]

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2016-08-10 Wed

#2662. ソシュールによる言語の共時態と通時態 (2) [diachrony][linguistics][saussure]

 言語を観察する際の共時態 (synchrony) と通時態 (diachrony) という2つの見方は,ソシュール (Ferdinand de Saussure; 1857--1913) がその峻別を説いて以来,言語学の基本概念として定着してきた.本ブログでも,ときにその前提を疑い乗り越えようとしつつも,基本的にはこの2分法を受け入れてきた.
 2つの態の区別については「#2555. ソシュールによる言語の共時態と通時態」 ([2016-04-25-1]) で解説した.今回は,Saussure 自身の「木の幹の比喩」により,この2分法について補足を加えたい.
 「近代言語学の父」と称されるソシュールは,言語変化を研究する「通時的な」言語学と,ある時点における言語の状態を研究する「共時的な」言語学を峻別することを主張した.ソシュールによれば,この2つの観点はまったく相容れず,完全に対立するものである.それは,ちょうど木の幹を切る2つの方法に相当する.1つは幹を水平に切り,年輪の刻まれた断面図を観察すること.もう1つは,垂直に切り,時間軸に沿った木の成長を観察することである.Aitchison (38) の図示を再現しよう.

Tree-Trunk Analogy of Synchrony and Diachrony

 「#1025. 共時態と通時態の関係」 ([2012-02-16-1]) の記事で触れた「走る新幹線」の比喩で言い直せば,共時態はスチール写真撮影に相当し,通時態はビデオカメラ撮影に相当するだろう.静と動の関係といってもよい.
 共時態と通時態を巡る様々な問題については,「#866. 話者の意識に通時的な次元はあるか?」 ([2011-09-10-1]),「#1076. ソシュールが共時態を通時態に優先させた3つの理由」 ([2012-04-07-1]),「#1040. 通時的変化と共時的変異」 ([2012-03-02-1]),「#1260. 共時態と通時態の接点を巡る論争」 ([2012-10-08-1]),「#1426. 通時的変化と共時的変異 (2)」 ([2013-03-23-1]),「#2197. ソシュールの共時態と通時態の認識論」 ([2015-05-03-1]),「#2563. 通時言語学,共時言語学という用語を巡って」 ([2016-05-03-1]) をはじめとして,diachrony の各記事で扱ってきたので,ご参照を.

 ・ Aitchison, Jean. Language Change: Progress or Decay. 3rd ed. Cambridge: CUP, 2001.

Referrer (Inside): [2018-06-05-1]

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2016-05-03 Tue

#2563. 通時言語学,共時言語学という用語を巡って [saussure][terminology][diachrony][methodology][history_of_linguistics][evolution]

 「#2555. ソシュールによる言語の共時態と通時態」 ([2016-04-25-1]) で,共時態と通時態の区別について話題にした.ところで,Saussure (116--17) は Cours で,通時態と共時態の峻別を説いた段落の直後に,標題の2つの言語学の呼称について次のように論じている.

Voilà pourquoi nous distinguons deux linguistiques. Comment les désignerons-nous? Les termes qui s'offrent ne sont pas tous également propres à marquer cette distinction. Ainsi histoire et «linguistique historique» ne sont pas utilisables, car ils appellent des idées trop vagues; comme l'histoire politique comprend la description des époques aussi bien que la narration des événements, on pourrait s'imaginer qu'en décrivant des états de la langue succesifs on étudie la langue selon l'axe du temps; pour cela, il faudrait envisager séparément les phénomènes qui font passer la langue d'un état à un autre. Les termes d'évolution et de linguistique évolutive sont plus précis, et nous les emploierons souvent; par opposition on peut parler de la science des états de langue ou linguistique statique.
   Mais pour mieux marquer cette opposition et ce croisement de deux ordres de phénomènes relatifs au même objet, nous préfèrons parler de linguistique synchronique et de linguistique diachronique. Est synchronique tout ce qui se rapporte à l'aspect statique de notre science, diachronique tout ce qui a trait aux évolutions. De même synchronie et diachronie désigneront respectivement un état de langue et une phase d'évolution.


 ここで Saussure は用語へのこだわりを見せている.Saussure が「歴史」言語学 (linguistique historique) では曖昧だというのは,時間軸上の異なる点における状態を次々と記述することも「歴史」であれば,ある共時的体系から別の共時的体系へと時間軸に沿って進ませている現象について語ることも「歴史」であるからだ.後者の意味を表わすためには「歴史」だけでは不正確であるということだろう.そこで後者に特化した用語として "linguistic historique" の代わりに "linguistique évolutive" (対して "linguistic statique")を用いることを選んだ.さらに,2つの軸の対立を用語上で目立たせるために,"linguistique diachronique" (対して "linguistic synchronique") を採用したのである.
 このような経緯で通時態と共時態の用語上の対立が確立してきたわけが,進化言語学 ("linguistique évolutive") と静態言語学 ("linguistic statique") という呼称も,個人的にはすこぶる直感的で捨てがたい気がする.

 ・ Saussure, Ferdinand de. Cours de linguistique générale. Ed. Tullio de Mauro. Paris: Payot & Rivages, 2005.

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2016-04-28 Thu

#2558. 変化は言語の本質である [language_change][diachrony][saussure][methodology]

 20世紀の主流派言語学では,言語は変化しないものと想定されて研究されてきた.とはいっても,言語が過去から現在にかけて変化してきた事実が否認されたたわけではない.19世紀の言語研究で詳細に示された通り,言語は常に変化してきたのであり,今も変化している.しかし,方法論上,変化するという側面――通時態――を見ないことにしていた,あるいは後回しにしていたということである.
 言語学者のみならず一般の人々にとっても,言語が常に変化するという本質的な事実はあまり見えていないように思われる.言語が変化するということは確かに知っている.流行語の出現と消失は日々経験しているし,語法の変化(特に言葉遣いに関する「堕落」)はメディアや教育で頻繁に話題にされている.古典に触れれば現在の言語との差をひしひしと感じるし,英語史や日本語史という科目があることも知っている.しかし,多くの人にとって,言語変化はどちらかというと例外的な出来事であり,それが常に起こっているという感覚はないのではないか.
 そのような感覚の背後には,現代人の言葉遣いに関する規範意識の強さがあるだろう.効率のよいコミュニケーションのためには,言語は易々と変わってはいけない,言葉遣いの規準は守らなければならない,という意識がある.特に書き言葉は規範的であることが多く,「一様で固定化した言語」という印象を与えやすい.現代社会において権威ある英語のような言語に対しても,多くの人々は固定的な見方をもっているようだ.英語は昔から文法や語彙のしっかり整った言語だったと思い込み,今後も変わらずに繁栄し続けるだろうと信じている.言語は原則として変化しない,あるいは変化しないほうがよいという先入観が,言語が常に変化しているという事実を見えにくくしている.
 言語変化に気づきにくい別の理由としては,たいていの言語変化があまりに些細であり,進み方も緩慢であるということがある.日々の言語使用のなかで起こっている変化は,コミュニケーションを阻害しない程度の極めて軽微な逸脱であるため,ほとんど知覚されない.たとえ知覚されたとしても,重要でない逸脱であるため,すぐに意識から流れ去り,忘れてしまう.
 しかし,現実には毎回の言語使用が前回の言語使用と微細に異なっているのであり,常に言語を変化させているといえるのだ.
 言語学が最終的に言語の本質を明らかにすることを使命とした学問分野である以上,言語は変化するものであるという事実に対して,いつまでも目を閉じているわけにはいかない.何らかの形で,変化を本質にすえた言語学を打ち出さなければならないだろう.言語変化を組み込んだ言語学の必要性については,「#2134. 言語変化は矛盾ではない」 ([2015-03-01-1]),「#2197. ソシュールの共時態と通時態の認識論」 ([2015-05-03-1]),「#2295. 言語変化研究は言語の状態の力学である」 ([2015-08-09-1]) などの記事も参考にされたい.

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2016-04-25 Mon

#2555. ソシュールによる言語の共時態と通時態 [saussure][diachrony][methodology][terminology][linguistics]

 ソシュール以来,言語を考察する視点として異なる2つの角度が区別されてきた.共時態 (synchrony) と通時態 (diachrony) である.本ブログではこの2分法を前提とした上で,それに依拠したり,あるいは懐疑的に議論したりしてきた.この有名な2分法について,言語学用語辞典などを参照して,あらためて確認しておこう.
 まず,丸山のソシュール用語解説 (309--10) には次のようにある.

synchronie/diachronie [共時態/通時態]
 ある科学の対象が価値体系 (système de valeurs) として捉えられるとき,時間の軸上の一定の面における状態 (état) を共時態と呼び,その静態的事実を,時間 (temps) の作用を一応無視して記述する研究を共時言語学 (linguistique synchronique) という。これはあくまでも方法論上の視点であって,現実には,体系は刻々と移り変わるばかりか,複数の体系が重なり合って共存していることを忘れてはならない。〔中略〕これに対して,時代の移り変わるさまざまな段階で記述された共時的断面と断面を比較し,体系総体の変化を辿ろうとする研究が,通時言語学 (linguistique diachronique) であり,そこで対象とされる価値の変動 (déplacement) が通時態である。


 同じく丸山 (73--74) では,ソシュールの考えを次のように解説している.

「言語学には二つの異なった科学がある。静態または共時言語学と,動態または通時言語学がそれである」。この二つの区別は,およそ価値体系を対象とする学問であれば必ずなされるべきであって,たとえば経済学と経済史が同一科学のなかでもはっきりと分かれた二分野を構成するのと同時に,言語学においても二つの領域を峻別すべきであるというのが彼〔ソシュール〕の考えであった。ソシュールはある一定時期の言語の記述を共時言語学 (linguistique synchronique),時代とともに変化する言語の記述を通時言語学 (linguistique diachronique) と呼んでいる。


 Crystal の用語辞典では,pp. 469, 142 にそれぞれ見出しが立てられている.

synchronic (adj.) One of the two main temporal dimensions of LINGUISTIC investigation introduced by Ferdinand de Saussure, the other being DIACHRONIC. In synchronic linguistics, languages are studied at a theoretical point in time: one describes a 'state' of the language, disregarding whatever changes might be taking place. For example, one could carry out a synchronic description of the language of Chaucer, or of the sixteenth century, or of modern-day English. Most synchronic descriptions are of contemporary language states, but their importance as a preliminary to diachronic study has been stressed since Saussure. Linguistic investigations, unless specified to the contrary, are assumed to be synchronic; they display synchronicity.


diachronic (adj.) One of the two main temporal dimensions of LINGUISTIC investigation introduced by Ferdinand de Saussure, the other being SYNCHRONIC. In diachronic linguistics (sometimes called linguistic diachrony), LANGUAGES are studied from the point of view of their historical development --- for example, the changes which have taken place between Old and Modern English could be described in phonological, grammatical and semantic terms ('diachronic PHONOLOGY/SYNTAX/SEMANTICS'). An alternative term is HISTORICAL LINGUISTICS. The earlier study of language in historical terms, known as COMPARATIVE PHILOLOGY, does not differ from diachronic linguistics in subject-matter, but in aims and method. More attention is paid in the latter to the use of synchronic description as a preliminary to historical study, and to the implications of historical work for linguistic theory in general.


 ・ 丸山 圭三郎 『ソシュール小事典』 大修館,1985年.
 ・ Crystal, David, ed. A Dictionary of Linguistics and Phonetics. 6th ed. Malden, MA: Blackwell, 2008. 295--96.

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2016-03-31 Thu

#2530. evolution の evolution (4) [evolution][history_of_linguistics][language_change][language_myth][neogrammarian][saussure][chomsky][diachrony][generative_grammar][terminology]

 過去3日間の記事 ([2016-03-28-1], [2016-03-29-1], [2016-03-30-1]) で,言語変化を扱う分野において "evolution" という用語がいかにとらえられてきたかを考えた.とりわけ,近年の言語学における "evolution" は,一度その用語に手垢がつき,半ば地下に潜ったあとに再び浮上してきた概念であることを確認した.この沈潜は1世紀以上続いていたといってよく,ここから1つの疑問が生じる.言語学者がダーウィンの革命的な思想の影響を受けたのは19世紀後半だが,なぜそのときに言語学は生物学の大変革に見合う規模の変革を経なかったのだろうか.なぜその100年以上も後の20世紀後半になってようやく "linguistic evolution" が提起され,評価されるようになったのだろうか.この間に言語学(者)には何が起こっていたのだろうか.
 この問題について,Nerlich の論文をみつけて読んでみた.Nerlich はこの空白の時間の理由を,(1) 19世紀後半に Schleicher が進化論を誤解したこと,(2) 20世紀前半に Saussure の分析的,経験主義的な方針に立った共時的言語学が言語学の主流となったこと,(3) 20世紀半ばにかけて Bloomfield や Chomsky を始めとするアメリカ言語学が意味,多様性,話者を軽視してきたこと,の3点に帰している.
 (1) について Nerlich (104) は, Schleicher はダーウィンの進化論を,持論である「言語の進歩と堕落」の理論的サポートとして利用としたために,本来の進化論の主要概念である "variation, selection and adaptation" を言語に適用せずに終えてしまったことが問題だったとしている.ダーウィン主義を標榜しながら,その実,ダーウィン以前の考え方から離れられていなかったのである.例えば,ダーウィンにとって生物の種の分類はあくまで2次的なものであり,主たる関心は変形の過程だったが,Schleicher は言語の分類にこだわっていたのだ.ダーウィン以前の個体発生の考え方とダーウィンの種の進化論とが混同されていたといってよいだろう.Schleicher は,ダーウィンを真に理解していなかったといえる.
 (2) の段階は Saussure に代表される共時的言語学者が活躍するが,その時代に至るまでにも,Schleicher の言語有機体説は青年文法学派 (neogrammarian) 等により,おおいに批判されていた.しかし,その批判は,言語変化の研究への関心のために建設的に利用されることはなく,皮肉なことに,言語変化を扱う通時態という観点自体を脇に置いておき,共時態に関心を集中させる結果となった.また,langue への関心がもてはやされるようになると,parole に属する言語使用や話者の話題は取り上げられることがなくなった.言語は一様であるとの過程のもとで,言語変化とその前提となる多様性や変異の問題も等閑視された.
 このような共時態重視の勢いは,(3) に至って絶頂を迎えた.分布主義の言語学や生成文法は意味という不安定な部門の研究を脇に置き,言語の一様性を前提とすることで成果を上げていった.
 この (3) の時代を抜け出して,ようやく言語学者たちは使用,話者,意味,多様性,変異,そして変化という世界が,従来の枠の外側に広がっていることに気づいた.この「気づき」について,Nerlich (106--07) は次の一節でやや熱く紹介している.

Thus meaning, language change and language use became problems and were mainly discarded from the science of language for reasons of theoretical tidiness: meaning and change are rather messy phenomena. Hence autonomy, synchrony and homogeneity finally enclosed language in a kind of magic triangle that defended it against any sort of indeterminacy, fluctuation or change. But outside the static triangle, that ideal domain of structural and generative linguistics, lies the terra incognita of linguistic dynamics, where one can discover the main sources of linguistic change, contextuality, history and heterogeneity, fields of study that are slowly being rediscovered by post-Chomskyan and post-Saussurean linguists. This terra incognita is populated by a curious species, also recently discovered: the language user! S/he acts linguistically and non-linguistically in a heterogenous and ever-changing world, constantly trying to adapt the available linguistic means to her/his ever changing ends and communicative needs. In acting and interacting the speakers are the real vectors of linguistic evolution, and their choices must be studied if we are to understand the nature of language. It is not enough to stop at a static analysis of language as a product, organism or system. The study of evolutionary processes and procedures should help to overcome the sterility of the old dichotomies, such as those between langue/parole, competence/performance and even synchrony/diachrony.


 このようにして20世紀後半から通時態への関心が戻り,変化といえばダーウィンの進化論だ,というわけで,進化論の言語への応用が再開したのである.いや,最初の Schleicher の試みが失敗だったとすれば,今初めて応用が始まったところといえるかもしれない.

 ・ Nerlich, Brigitte. "The Evolution of the Concept of 'Linguistic Evolution' in the 19th and 20th Century." Lingua 77 (1989): 101--12.

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2015-05-30 Sat

#2224. ソシュールによる言語の恣意性と線状性 [saussure][popular_passage][arbitrariness][linearity][linguistics][terminology]

 言語のもつ諸々の性質について「#1327. ヒトの言語に共通する7つの性質」 ([2012-12-14-1]) などで取り上げてきたが,ソシュールがとりわけ重要な性質として,いな「二大原理」として挙げたのは,恣意性 (arbitrariness) と線状性 (linearity) である.今回は,この2つの性質について,直接ソシュールから原文を引用して味わいたい.
 言語の恣意性については,「#1108. 言語記号の恣意性,有縁性,無縁性」 ([2012-05-09-1]) ほかで簡単に触れた程度だったが,Saussure (100) では,次のように紹介されている.

PREMIER PRINCIPE : L'ARBITRAIRE DU SIGNE.
   Le lien unissant le signifiant au signifié est arbitraire, ou encore, puisque nous entendons par signe le total résultant de l'association d'un signifiant à un signifié, nous pouvons dire plus simplement: -le signe linguistique est arbitraire-.
   Ansi l'idée de «sœur» n'est liée par aucun rapport intérieur avec la suite de sons s-ö-r qui lui sert de signifiant ; il pourrait être aussi bien représenté par n'importe quelle autre : à preuve les différences entre les langues et l'existence même de langues différentes : le signifié «bœf» a pour signifiant b-ö-f d'un côté de la frontière, et o-k-s (Ochs) de l'autre.


 言語の線状性については,「#766. 言語の線状性」 ([2011-06-02-1]),「#2114. 言語の線状性の力」 ([2015-02-09-1]) ほか,linearity の各記事で考察したが,Saussure (103) 自身の言葉によれば,次の通りである.

SECOND PRINCIPE ; CARACTÈRE LINÉAIRE DU SIGNIFIANT.
   Le signifiant, étant de nature auditive, se déroule dans le temps seul et a les caractères qu'il emprunte au temps : a) il représente une étendue, et b) cette étendue est mesurable dans une seule dimension : c'est une ligne.


 ・ Saussure, Ferdinand de. Cours de linguistique générale. Ed. Tullio de Mauro. Paris: Payot & Rivages, 2005.

Referrer (Inside): [2019-08-23-1]

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2015-05-19 Tue

#2213. ソシュールの記号,シニフィエ,シニフィアン [sign][semiotics][linguistics][saussure][terminology]

 昨日の記事「#2212. 固有名詞はシニフィエなきシニフィアンである」 ([2015-05-18-1]) でも,その他の多くの記事でも,ソシュールの記号 (signe) のとらえ方を前提としてきた.ソシュールによる記号論的,言語学的な用語としての,「記号」 (signe) と,その構成要素である「シニフィエ」 (signifié) とシニフィアン (signifiant) について,簡単に解説しておきたい.
 日常用語において「記号」とは,名前あるいは音声のことであると理解されており,それがある「事物」を指示したり「概念」を意味したりするととらえられている.しかし,ソシュールの用語では,記号 (signe) とは概念 (concept) と聴覚映像 (image acoustique) の組み合わさったセットのことを指す.両者が不可分に結びついた全体が,記号なのである.

Saussure's

 ソシュールがその2つを「事物」と「名前」とは呼ばずに,「概念」と「聴覚映像」と呼ぶのは,いずれも心理的な単位であり,外界に存在する物理的な単位ではないからである.とりわけ「音声」と呼ばずに「聴覚映像」と呼ぶのは,発せられた音声のことではなく心理的にイメージされた音声,心の中でつぶやくときのような音声イメージのことを指しているからである.
 ソシュールは,この「概念」と「聴覚映像」に別名として「シニフィエ」 (signifié) と「シニフィアン」 (signifiant) を与えた.この用語法を採用することにより,signifier (意味する)という動詞を中心にして,その名詞語幹 signe, 過去分詞 signifié,現在分詞 signifiant の3者の関係が明示されることになり都合がよいからだ.ソシュール自身は,新用語の導入を次のように説明している (99--100) .

Nous proposons de conserver le mot signe pour désigner le total, et de remplacer concept et image acoustique respectivement par signifié et signifiant ; ces derniers termes ont l'avantage de marquer l'opposition qui les sépare soit entre eux, soit du total dont ils font partie. Quant à signe, si nous nous en contentons, c'est que nous ne savons par qui le remplacer, la langue usuelle n'en suggérant aucun autre.


 ・ Saussure, Ferdinand de. Cours de linguistique générale. Ed. Tullio de Mauro. Paris: Payot & Rivages, 2005.

Referrer (Inside): [2016-08-11-1]

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