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phonetics - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-03-19 07:57

2024-03-14 Thu

#5435. 仮名の濁点と英語摩擦音3対の関係 [syllable][phonology][grammatology][hiragana][japanese][writing][diacritical_mark][phonetics][consonant][fricative][th][mond][helwa]

 現代日本語の慣習によれば,平仮名の「か」に対して「が」,「さ」にたいして「ざ」,「た」に対して「だ」のように濁音には濁点が付される.阻害音について,清音に対して濁音ヴァージョンを明示するための発音区別符(号) (diacritical_mark) だ.ハ行子音を例外として,原則として無声音に対して有声音を明示するための記号といえる.濁点のこの使用方針はほぼ一貫しており,体系的である.
 一方,英語の摩擦音3対 [f]/[v], [s]/[z], [θ]/[ð] については,正書法上どのような書き分けがなされているだろうか.この問題については,1ヶ月ほど前に Mond に寄せられた目の覚めるような質問を受け,それへの回答のなかで部分的に議論した.

 ・ boss ってなんで s がふたつなの?と8歳娘に質問されました.なんでですか?


Mond answer 20240217 re boss



 [f] と [v] については,それぞれ <f> と <v> で綴られるのが大原則であり,ほぼ一貫している.of [əv] のような語はあるが,きわめて例外的だ.
 [s] と [z] の書き分けに関しては,上記の回答でも,かなり厄介な問題であることを指摘した.<s>, <ss>, <se>, <ce>; <z>, <zz>, <ze> などの綴字が複雑に絡み合ってくるのだ.なるべく書き分けたいという風味はあるが,そこに一貫性があるとは言いがたい.
 [θ] と [ð] に至っては,いずれも <th> という1種類の綴字で書き表わされ,書き分ける術はない.歴史的にいえば,書き分けようという意図も努力も感じられなかったとすらいえる.
 以上より序列をつければ,

 ・ 仮名の濁点を利用した書き分けは「トップ合格」
 ・ [f]/[v] の書き分けは「合格」
 ・ [s]/[z] の書き分けは「ギリギリ及第」
 ・ [θ]/[ð] の書き分けは「落第」

となる.この序列づけのインスピレーションを与えてくれたのは Daniels (64) の次の1文である,

Phonemic split sometimes brings new letters or spellings (e.g. Middle English <v> alongside <f> when French loans caused voicing to become significant; cf. also <vision> vs <mission>), sometimes not---English used <ð> and <þ> indifferently, even in a single manuscript, for both the voiced and voiceless interdentals, a situation persisting with Modern English <th> due to low functional load. Japanese, on the other hand, uses diacritics on certain kana for the same purpose.


 なお,今回の話題については,先行して Voicy のプレミアムリスナー限定配信チャンネル「英語史の輪」 (helwa) の配信回「【英語史の輪 #95】boss ってなんで s が2つなの?」(2月17日配信)で取り上げている.

 ・ Daniels, Peter T. "The History of Writing as a History of Linguistics." Chapter 2 of The Oxford Handbook of the History of Linguistics. Ed. Keith Allan. Oxford: OUP, 2013. 53--69.

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2023-11-07 Tue

#5307. Birmingham の3つの発音 [pronunciation][name_project][onomastics][toponymy][spelling_pronunciation][palatalisation][phonetics][dative][h]

 イギリスの都市 Birmingham の発音は /ˈbəːmɪŋəm/ である.イギリス地名によくあることだが,長い歴史のなかで発音が短化・弱化してきた結果である.この地名の場合 -ham の頭子音が脱落してしまっている.
 一方,同名のアメリカの都市では,この h が保存されており /ˈbɚːmɪŋhæm/ と発音される./h/ が保存されているというよりは,むしろ綴字発音 (spelling_pronunciation) として復活されたというほうが適切かもしれない.
 そして,イギリスの都市については,もう1つ伝統的で大衆的な発音があるという.それは /ˈbrʌməʤm̩/ というものである.この話題とその周辺の話題について,Clark (476) が次のように述べている.

Further complications arise from a sporadic palatalisation and assibilation of -ing(-) > [ɪnʤ] that affects suffix and infix alike: e.g. Lockinge, Wantage < OE Waneting (also originally a stream-name --- PN Berks.: 17--18, 481--2), and also the traditional, now vulgar, /brʌməʤm̩/ for Birmingham (PN Warks.: 34--6). Explanations have ranged from variant development of gen. pl. -inga- . . . to fossilised survival of a PrOE locative in *ingi, assumed to have dominated development of the names in question in the way that dative forms not uncommonly do . . . .


 この説が正しいとすると,くだんの -ing の起源となる屈折語尾母音の小さな違いによって,公式な発音 /ˈbəːmɪŋəm/ と大衆的な発音 /ˈbrʌməʤm̩/ が分かれてしまったことになる.そして,この異形態の揺れが,場合によっては1500年ほどの歴史を有するかもしれない,ということになる.

 ・ Clark, Cecily. "Onomastics." The Cambridge History of the English Language. Vol. 1. Ed. Richard M. Hogg. Cambridge: CUP, 1992. 452--89.

Referrer (Inside): [2023-11-08-1]

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2023-10-07 Sat

#5276. 世界英語における子音と母音の変容 --- 大石晴美(編)『World Englishes 入門』(昭和堂,2023年)の序章より [world_englishes][vowel][diphthong][consonant][contact][substratum_theory][phonetics][phonology][variety][th][we_nyumon]

 「#5268. 大石晴美(編)『World Englishes 入門』(昭和堂,2023年)」 ([2023-09-29-1]) で紹介したこちらの本の序章において,標準英語で用いられる子音や母音の音素が,世界英語の諸変種では母語からの影響を受けて異なる発音で代用される例が挙げられている.
 まず「子音が母語からの影響を受ける例」を挙げてみよう (12) .

子音の変容英語変種
[θ] [ð] を [t] [d] で代用(歯摩擦音が歯茎閉鎖音になる)インド英語 [th],ガーナ英語,フィリピン英語,シンガポール英語,マレーシア英語,日本の英語,モンゴルの英語,ミャンマーの英語
[θ] [ð] を [s] [z] で代用(歯摩擦音が歯茎摩擦音になる)ドイツの英語,スロベニアの英語,韓国の英語 [s],日本の英語,モンゴルの英語
[f] を [p] で代用(唇歯摩擦音が両唇閉鎖音になる)フィリピン英語,韓国の英語 [ph],モンゴルの英語,ミャンマーの英語
[v] と [w] の区別をしないドイツの英語,フィンランドの英語,インド英語,中国語母語話者の英語,モンゴルの英語


 /θ, ð/ の異なる実現については「#4666. 世界英語で扱いにくい th-sound」 ([2022-02-04-1]) も参照.
 次に「母音が母語からの影響を受ける例」を挙げる (12) .

母音の変容・添加英語変種
二重母音が長母音になるジャマイカ英語,インド英語
二重母音が短い単母音になるガーナ英語,フィリピン英語,シンガポール英語,マレーシア英語
子音の後に母音が入る韓国の英語,日本の英語,モンゴルの〔英〕語
長母音と短母音の区別をしないフィリピン英語,シンガポール英語,マレーシア英語,韓国の英語,スロベニアの英語


 日本語母語話者による英語発音の癖もいくつか含まれているが,いずれも日本語母語話者に限られているわけではないことがわかり興味深い.サンプルとはいえ,このような一覧を掲げてくれるのはたいへんありがたいですね.


大石 晴美(編) 『World Englishes 入門』 昭和堂,2023年.



 ・ 大石 晴美(編) 『World Englishes 入門』 昭和堂,2023年.

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2023-09-28 Thu

#5267. 言語におけるアイコン性について考えてみませんか? [iconicity][sound_symbolism][onomatopoeia][phonaesthesia][reduplication][phonetics][prosody]

 昨日の Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」にて「#849. 言語における恣意性とアイコン性と題する放送回を配信した.



 アイコン性 (iconicity) は,連日本ブログで取り上げている,今井むつみ・秋田喜美(著)『言語の本質』(中公新書,2023年)でも大きく取り上げられており,とりわけ第2章「アイコン性 --- 形式と意味の類似性」で詳しく論じられている.「ドキドキ」「そろりそろり」「グングン」「ブーブー」のような日本語オノマトペ (onomatopoeia) に典型的にみられる語形の重複 (reduplication) に始まり,とりわけ清音/濁音,母音や子音の音質,プロソディなど音象徴 (sound_symbolism) に代表される音のアイコン性が注目されている.
 アイコン性とは,現実世界のモノやコトを言語に写し取る際に自然と付随してくる類似性のことである.ヒトは,現実のモノやコトを100%そのままに言語にコピーすることはできない.完全なレプリカはどうしても作り得ないのである.ヒトの能力には限界があるし,そもそも言語という媒体(ここでは話し言葉に限定して考える)にも制限がある.せいぜいできるのは,現実を影のように近似的に写し取ることぐらいである.
 しかし,それぐらい緩い写し取りであるから,むしろ上記の制限のなかではなかなかに自由であり,大きな方向付けはなされるものの,その範囲内ではヴァリエーションも豊富である.完全同一ではなく緩い類似性にすぎないからこそ,適度な自然さと適度な遊びがあって利用しやすいということだろう.
 言語におけるアイコン性は,語形や発音について言われることが多いが,統語やより大きな単位についても言えることがありそうだ.また,話し言葉に限定せず書き言葉に考察範囲を拡げれば,視覚的な媒体であるからアイコン性の活躍の場は激増するだろう.言語は恣意的であると同時に,多分にアイコン的である.
 皆さんも,言語におけるアイコン性について事例を挙げつつ考えてみませんか.上記の heldio 配信回のコメント欄などにお寄せいただければ.


今井 むつみ・秋田 喜美 『言語の本質 --- ことばはどう生まれ,進化したか』 中公新書,2023年.



 ・ 今井 むつみ・秋田 喜美 『言語の本質 --- ことばはどう生まれ,進化したか』 中公新書,2023年.

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2023-09-18 Mon

#5257. 最近の Mond での回答,5件 [mond][sobokunagimon][politeness][simplification][contact][heldio][youtube][hel_education][phonetics][prestige][speed_of_change][language_myth][link]

 ここ数日間で,知識共有サービス Mond に寄せられてきた言語系の質問に5件ほど回答しました.こちらでもリンクを共有します.

 (1) 敬語の表現が少ない英語の話者には,日本人よりも敬意を示す機会が少ないのでしょうか?
 (2) 歴史的に見て「言語の変化=簡略化」なのでしょうか?
 (3) ブログ,ラジオ,YouTubeなど,様々なメディアを通じて英語の歴史や語源に関する情報を発信していらっしゃいますが,これらのメディアごとにアプローチやコンセプトを変えて情報を提供していますか?
 (4) なぜ人々は(もちろん個人差はあれど)イギリスやフランスなどのアクセントを“魅力的”とし,アジアやインドのアクセントを“魅力がない”とするのでしょうか?
 (5) 言語の変化は,どの程度の速度で起こりますか? 例えば,新しい言葉や表現は,どのくらいの頻度で生まれるものなのでしょうか?

 Mond に寄せられる言語系の質問は多様ですが,日本語と諸外国語との比較というジャンルの質問が目立ちます.今回も (1) や (4) がそのジャンルに属するかと思います.母語は万人にとって特別な存在であり,あまりに思い入れが強いために,他の言語と比べてきわめて特異な性質をもっているものと錯覚してしまうことがしばしば起こります.とりわけ語学を通じて理解の深まった他言語と比較するときに,母語の際立った言語特徴が目に付くことが多く,母語の特別視に拍車がかかります.
 長年言語学に触れてきた経験から感じることは,母語の特別視は往々にして行き過ぎる傾向があるということです.確かに各々の言語には固有の特徴があるもので,その点では日本語も例外ではないのですが,日本語のみに観察される言語特徴というのは,さほど多くあるわけではなく,広く古今東西の諸言語を見渡せば類例はおおよそ見つかるものです.言語の素朴な疑問に関する直感は,当たることもありますが,割と外れることも多いのです.
 今回の5件の質問のうちの3つ,(1), (2), (4) は,振り返ってみれば,言語にまつわる神話 (language_myth) に関わる質問だったように思います.言語学的な考察を通じて,言語の化けの皮を一枚一枚剥いでいくのが,何ともエキサイティングですね.

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2023-08-31 Thu

#5239. t の弾音化はいつから? --- Mond の質問 [mond][sobokunagimon][phonetics][r][ame]

 先日,知識共有サービス Mond でいただいた質問に回答しました.


[t] の弾音化はいつから? --- Mond の質問



 結論としては,t の弾音化 (flapping or tapping) は遅くとも中英語以降に生じていた,ということになります.イングランドで異音として行なわれていたものが,17世紀以降にアメリカを含む世界各地に移植・継承されたものと思われます.t の弾音化はアメリカ英語に典型的な特徴であるという印象が強いですが,その他の多くのアメリカ英語の特徴とともに,実際の起源は中世イングランドに求められそうです.
 回答記事では今回の調査に際して当たった典拠を記していませんでしたが,主に Dobson (Vol. 2, p. 956) と Minkova (147--48) に拠りました.Dobson の記述をメモとして残しておきます.

          (4) Intervocalic [t] becomes [r]
385. From early in the sixteenth century there appear the forms porridge, porringer, &c. for earlier pottage, potager (see OED, s.vv.), though the older forms also survived (thus Salesbury has potanger and Bullokar potage). Coles gives porridg and porringer as 'phonetic' spellings of pottage and pottinger, from which it appears that written forms with t may sometimes conceal spoken forms with [r].


 関連して「#61. porridge は愛情をこめて煮込むべし」 ([2009-06-28-1]),および rrhotic の記事群も参照.

 ・ Dobson, E. J. English Pronunciation 1500--1700. 2nd ed. 2 vols. Oxford: OUP, 1968.
 ・ Minkova, Donka. A Historical Phonology of English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2014.

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2023-08-20 Sun

#5228. 古英語の人名の愛称には2重子音が目立つ [oe][anglo-saxon][onomastics][name_project][personal_name][consonant][phonetics][shortening][hypocorism][germanic][sound_symbolism]

 古英語の人名の愛称 (hypocorism) の特徴は何か,という好奇心をくするぐる問いに対して,Clark (459--60) が先行研究を参考にしつつ,おもしろいヒントを与えてくれている.主に音形に関する指摘だが,重子音 (geminate) が目立つのだという.

Clearly documented hypocoristics often show modified consonant-patterns . . . . Thus, the familiar form Saba (variant: Sæba) by which the sons of the early-seventh-century King Sǣbeorht (Saberctus) of Essex called their father showed the first element of the full name extended by the initial consonant of the second, in a way perhaps implying that medial consonants following a stressed syllable may have been ambisyllabic . . . . In the Germanic languages generally, a consonant-cluster formed at the element-junction of a compound name was often simplified in the hypocoristic form to a geminate, Old English examples including the masc. Totta < Torhthelm, the fem. Cille < Cēolswīð, and also the masc. Beoffa apparently derived from Beornfrið . . . .


 重子音化や子音群の単純化といえば,日本語の「さっちゃん」「よっちゃん」「もっくん」「まっさん」等々を想起させる.日本語の音韻論では重子音(促音)そのものの生起が比較的限定されているといってよいが,名前やその愛称などにはとりわけ多く用いられているような印象がある.音象徴 (sound_symbolism) の観点から,何らかの普遍的な説明は可能なのだろうか.

 ・ Clark, Cecily. "Onomastics." The Cambridge History of the English Language. Vol. 1. Ed. Richard M. Hogg. Cambridge: CUP, 1992. 452--89.

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2023-06-06 Tue

#5153. knowledge, Greenwich, spinach の語末有声子音 [verners_law][consonant][stress][phonetics][spelling]

 標題の3語の発音は各々次のようになる.語末子音に注目されたい.

 ・ knowledge [ˈnɑlɪʤ]
 ・ Greenwich [ˈgrɪnɪʤ, ˈgrɛnɪʤ, ˈgrɛnɪʧ]
 ・ spinach [ˈspɪnɪʧ, ˈspɪnɪʤ]

 通常の綴字と発音の関係でいえば <dge> ≡ [ʤ],<ch> ≡ [ʧ] が普通である.knowledge は予想通りだが,Greenwich, spinach については <ch> ≡ [ʤ] の発音もあり得るという点でやや異質である.
 これらの語における語末の有声破擦音 [ʤ] は,本来の無声破擦音が近代英語期に有声化したものである.英語史内での Verner's Law として知られる音変化だ (cf. 「#858. Verner's Law と子音の有声化」 ([2011-09-02-1])).「アクセントが子音の直前にないとき,その子音は有声化する」という規則を示す音変化で,例としてよく挙げられるのは ˈabsolute -- abˈsolve, ˈanxious -- anxˈiety, ˈexecute -- exˈecutive, exhiˈbition -- exˈhibit, ˈluxury -- luxˈurious, ˈoff -- of など摩擦音 [s, z, ks, gz, ʃ, ʒ, f, v] が関わるペアだが,標題の語のように破擦音 [[ʧ, ʤ]] が関わるものもある.
 Prins (225) より,後者の例とその説明を引こう.

5. ʧ > ʤ
MEknowleche>MoEknowledge
 partriche> partridge
 spinach> spinach ['spinidʒ]

and in the suffix -wich in place-names: Norwich [noridʒ], Greenwich [grinidʒ], Woolwich [wulidʒ], Harwich [hæridʒ], Bromwich [brʌmidʒ]
Instead of the obsolete old pronunciation Ipswich [ipsidʒ] we find now [ipswitʃ].
The voicing is also found in MoE ajar < Scots and Nth dialect achar < on char-e (OE čerr, 'turn').


 引用の最後にある通り,ajar が古英語 on cierre に遡るというのが興味深い.

 ・ Prins, A. A. A History of English Phonemes. 2nd ed. Leiden: Leiden UP, 1974.

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2023-05-21 Sun

#5137. heldio 「#716. 英語史を学ぶなら音声学もしっかり学ぼう」の収録の様子を動画撮影しました --- 英語史情報発信の活性化のために [voicy][heldio][heltube][phonetics][phonology][hel_education][youtube]

 毎朝6時に配信している Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」の5月17日分の放送回として「#716. 英語史を学ぶなら音声学もしっかり学ぼう」をお届けしました.このブログや heldio などを通して英語史に関心を抱き,もう一歩深く入り込んでみたいという方は,ぜひ音声学 (phonetics) と音韻論 (phonology) を学んでいただければと思います.



 上記放送回で,英語史を学ぶに当たって音声学も一緒に学びたい理由として4点を挙げました.以下,箇条書きしておきますので復習してください.

 (1) 話し言葉こそが universal だから
 (2) 現在と過去を行き来するために
 (3) 音の変化が文法の変化をもたらしたから
 (4) 話し言葉と書き言葉との関係を押さえるために

 hellog と heldio の関連記事・放送回を3点ほど掲げておきます.

 ・ hellog 「#4231. 英語史のための音声学・音韻論の入門書」 ([2020-11-26-1])
 ・ heldio 「#712. ハヒフヘホ --- khelf メンバーと学ぶコトバの「音」入門」
 ・ heldio 「#703. 母音「あいうえお」入門 --- ゆる言語学ラジオ(著)『言語沼』にインスピレーションを受けて」

 さて,今日のこの記事の主眼は「英語史を学ぶなら音声学も一緒に」を改めて叫ぶことではありません.上記 heldio 放送回 #716 の収録の様子を動画として撮影したので,それをご覧くださいという宣伝です.これは Voicy 収録の様子をただお見せしたいというわけではなく,学術・教育の情報発信の手段として Voicy のような音声メディアが優れていることを,潜在的発信者の方々に伝えたかったからです.YouTube などの動画メディアは制作に相当な手間暇がかかりますが,音声メディアであれば,ずっと優れたタイパやコスパで情報を発信できます.
 上記 heldio 放送回 #716 は,3チャプター合計で14分51秒ほど私が実際に話して収録しています.この収録の様子の一部始終を動画撮影してみたのですが,heldio 収録には含まれない前口上,チャプター間の一服,締めの言葉をすべて含め,動画撮影の総時間は21分20秒でした.この後,放送回やチャプターのタイトル付け,ハッシュタグ付け,リンク貼り,配信予約などの作業が続きますが,それでもプラス5分程度です.つまり,15分弱の1回の放送回の制作にかかる実質的な時間は,20分ほどだということです.もし YouTube で同じコンテンツを制作しようとすると,かりに最小限の編集で済ませるにせよ,20分という時間では無理でしょう.少なくとも2,3倍の時間はかかります.
 以下がその動画「heldio 2023年5月17日放送回の収録の様子」です(YouTube 版はこちらからどうぞ).



 音声メディアなどを通じて英語史の情報を発信する方が増えてくれるとよいなと思っています.ぜひ参考になれば.(なお,以前にも一度「#4815. Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」の収録の様子です」 ([2022-07-03-1]) として heldio 収録の様子をお届けしています.)

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2023-05-01 Mon

#5117. 語中音添加についてのコンテンツを紹介 [voicy][heldio][start_up_hel_2023][hel_contents_50_2023][phonetics][phonology][sound_change][consonant][epenthesis][khelf][panopto][youtube][heltube][fujiwarakun]

 この GW 中は毎日のように Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」にて khelf(慶應英語史フォーラム)メンバーとの対談回をお届けしています.一方,khelf では「英語史コンテンツ50」も開催中です.そこで両者を掛け合わせた形でコンテンツの紹介をするのもおもしろそうだ思い,先日「#5115. アルファベットの起源と発達についての2つのコンテンツ」 ([2023-04-29-1]) を紹介しました.
 今回も英語史コンテンツと heldio を引っかけた話題です.4月20日に大学院生により公開されたコンテンツ「#7. consumption の p はどこから?」に注目します.


「#7. consumption の p はどこから?」



 今回,このコンテンツの heldio 版を作りました.作成者の藤原郁弥さんとの対談回です.「#700. consumption の p はどこから? --- 藤原郁弥さんの再登場」として配信していますので,ぜひお聴きください.発音に関する話題なのでラジオとの相性は抜群です.



 コンテンツや対談で触れられている語中音添加 (epenthesis) は,古今東西でよく生じる音変化の1種です.今回の consumption, assumption, resumption の /p/ のほかに epenthesis が関わる英単語を挙げてみます.

 ・ September, November, December, number の /b/
 ・ Hampshire, Thompson, empty の /p/
 ・ passenger, messenger, nightingale の /n/

 そのほか she の語形の起源をめぐる仮説の1つでは,epenthesis の関与が議論されています(cf. 「#4769. she の語源説 --- Laing and Lass による "Yod Epenthesis" 説の紹介」 ([2022-05-18-1])).
 epenthesis と関連するその他の音変化については「#739. glide, prosthesis, epenthesis, paragoge」 ([2011-05-06-1]) もご参照ください.
 対談中に私が披露した「両唇をくっつけずに /m/ を発音する裏技」は,ラジオでは通じにくかったので,こちらの動画を作成しましたのでご覧ください(YouTube 版はこちら).音声学的に味わっていただければ.

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2022-10-29 Sat

#4933. wh の発音 [pronunciation][spelling][phonetics][phonology][phoneme][ame_bre][digraph][consonant]

 <wh> という2重字 (digraph) は疑問詞のような高頻度語に現われるので馴染み深い.しかし,この2重字に対応する発音についてよく理解している英語学習者は多くない.
 what, which を「ホワット」「フィッチ」とカタカナ書きしたり発音したりする人は多いかもしれないが,イギリス標準英語においては「ワット」「ウィッチ」である.つまり,Watt, witch とまったく同じ発音となる.音声学的にいえば無声の [ʍ] ではなく,あくまで有声の [w] ということだ.
 上記はイギリス標準英語の話しであり,アメリカ英語はその限りではなく what, which は各々 [ʍɑt], [ʍɪtʃ] が規範的といわれることもある.しかし,実際上は有声の [w] での発音が広まってきているようだ.
 <wh> の表わす子音の現状について Cruttenden を参照してみよう.

In CGB (= Conspicuous General British) and in GB speech in a more formal style (e.g. in verse-speaking), words such as when are pronounced with the voiceless labial-velar fricative [ʍ]. In such speech, which contains oppositions of the kind wine, whine, . . . /ʍ/ has phonemic status. Among GB speakers the use of /ʍ/ as a phoneme has declined rapidly. Even if /ʍ/ does occur distinctively in any idiolect, it may nevertheless be interpreted phonemically as /h/ + /w/ . . . . (Cruttenden 233)


 ちなみに上記引用文中の "CGB (= Conspicuous General British)" は Cruttenden (81) によると,"that type of GB which is commonly considered to be 'posh', to be associated with upper-class families, with public schools and with professions which have traditionally recruited from such families, e.g. officers in the navy and in some army regiments" とされる.いわゆる "RP" (= Received Pronunciation) に近いものと捉えてよいが,様々な理由から RP と呼ぶべきでないという立場があり,このような用語遣いをしているのである.
 他変種については,次の引用が参考になるだろう.

The only regional variation concerns the more regular use of [ʍ] in words with <wh> in the spelling. This happens in Standard Scottish English, in most varieties of Irish English and is often presented as the norm in the U.S., although the change from [ʍ] to /w/ seems to be more common than is thought by some. (Cruttenden 234)


 手元にあった Longman Pronunciation Dictionary (3rd ed.) の "wh Spelling-to-sound" も覗いてみた.

Where the spelling is the digraph wh, the pronunciation in most cases is w, as in white waɪt. An alternative pronunciation, depending on regional, social and stylistic factors, is hw, thus hwaɪt. This h pronunciation is usual in Scottish and Irish English, and decreasingly so in AmE, but not otherwise. (Among those who pronounce simple w, the pronunciation with hw tends to be considered 'better', and so is used by some people in formal styles only.) Learners of EFL are recommended to use plain w.


 引用の最後にある通り,私たち英語学習者は一般に <wh> ≡ /w/ と理解しておいてさしつかえないだろう.
 <wh> と関連して「#3870. 中英語の北部方言における wh- ならぬ q- の綴字」 ([2019-12-01-1]),「#3871. スコットランド英語において wh- ではなく quh- の綴字を擁護した Alexander Hume」 ([2019-12-02-1]) の記事も参照.

 ・ Cruttenden, Alan. Gimson's Pronunciation of English. 8th ed. Abingdon: Routledge, 2014.
 ・ Wells, J C. ed. Longman Pronunciation Dictionary. 3rd ed. Harlow: Pearson Education, 2008.

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2022-08-23 Tue

#4866. 英語の音と形と2重分節 --- 通信スクーリング「英語学」 Day 2 [english_linguistics][phonetics][phonology][voicy][reference][double_articulation][2022_summer_schooling_english_linguistics]

 「英語学」スクーリングの Day 2 です.いよいよ本格的に中身に入っていきますが,今日のキーワードは2重分節 (double_articulation),音素 (phoneme),形態素 (morphology) です.「語とは何か?」という抜き差しならない議論でも盛り上げたいと思います.開口一番の早口言葉はネタです(笑).



1. 英語の早口言葉: 「#3093. 早口言葉と tongue twisters」 ([2017-10-15-1])
2. 音声学,音韻論,形態論
  2.1 2重分節: 「#767. 言語の二重分節」 ([2011-06-03-1])
  2.2 形態素と音素 (morpheme vs phoneme)
  2.3 音素と音 (phoneme vs phone): 音韻論と音声学の違い
3. 音素
  3.1 母音: 「#19. 母音四辺形」 ([2009-05-17-1])
  3.2 子音: 「#1813. IPA の肺気流による子音の分類」 ([2014-04-14-1])
  3.3 英語と日本語の音素: 「#1021. 英語と日本語の音素の種類と数」 ([2012-02-12-1])
  3.4 韻律 (prosody): 様々な韻律的特徴
4. 形態素
  3.1 語の定義を巡って: 語とは何か?
  3.2 屈折形態論と派生形態論: 「#2653. 形態論を構成する部門」 ([2016-08-01-1])
  3.3 複合語を巡って: 様々な複合語
5. 本日の復習は heldio 「#449. 言語の2重分節とは何か?」,およびこちらの記事セットより




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2022-08-10 Wed

#4853. 音節とモーラ [syllable][mora][phonology][phonetics][prosody][typology][japanese]

 音韻論上,音節 (syllable) とモーラ (mora) は異なる単位である.モーラのほうが小さい単位であり,たいてい長母音や2重母音は音節としては1音節とカウントされるが,モーラとしては2モーラとカウントされる.日本語からの例から,両者の関係を整理しておこう(窪薗,p. 15).

単語 音節 モーラ
---------------------- ----------------------------- -----------
オバマ 3 (o.ba.ma) 3 (o-ba-ma)
ブッシュ 2 (bus.syu) 3 (bu-s-syu)
クリントン 3 (ku.rin.ton) 5 (ku-ri-n-to-n)
トヨタ 3 (to.yo.ta) 3 (to-yo-ta)
ホンダ 2 (hon.da) 3 (ho-n-da)
ニッサン 2 (nis.san) 4 (ni-s-sa-n)

 ロシアの言語学者 Trubetkoy によれば,世界の言語は「モーラ言語」と「音節言語」に分類できるという.これに従うと,日本語はモーラ言語,英語は音節言語ということになる.しかし,窪薗 (16--17) は,最小性制約 (minimality constraint) の事例に触れながら,次のように指摘している.

 人間の言語を音節言語とモーラ言語に分ける考え方は,言語間の違いをある程度捉えている一方で,音節とモーラを共存できない単位として捉えるという問題点をはらんでいる.実際には,英語のような「音節言語」にもモーラは必要であり,一方,日本語(標準語)のように「モーラ言語」とされる言語にも音節が不可欠となる.
 例えば英語では,1音節の語は多いが1モーラの語は許容されない.[pin] pin や [pi:] pea という2モーラの1音節語は存在するが,[pi] という1モーラの長さの1音節語は存在しない.偶然に存在しないのではなく,構造的に許容されないのである.……〔中略〕……最小性制約は英語のアルファベット発音にも表れており,アルファベットを1つずつ語として発音する場合には A は [æ] ではなく [ei],B も [b] や [bi] ではなく [bi:] と2モーラ(以上)の長さで発音される.
 一方,モーラ言語とされる日本語(標準語)の記述にも音節という単位が不可欠となる.例えば外来語の短縮形には〔中略〕「2モーラ以上」という条件だけでなく,「2音節以上」という条件も課される.チョコ(<チョコレート)やスト(<ストライキ)という2音節2モーラの短縮はあっても,*パン(<パンフレット)や*シン(<シンポジウム),*パー(<パーマエント(ウェーヴ))という短縮形が許容されないのはこのためである.2モーラの音節で始まる語は3モーラ目までを残して,2音節の短縮形(パンフ,シンポ,パーマ)が作り出される.


 ここから,音節とモーラは二律背反的な単位ではなく,1つの言語のなかで同居し,補完的な関係にある単位ととらえる必要があることが分かる.日本語の音節やモーラについては,以下の記事も参照.

 ・ 「#1023. 日本語の拍の種類と数」 ([2012-02-14-1])
 ・ 「#3719. 日本語は開音節言語,英語は閉音節言語」 ([2019-07-03-1])
 ・ 「#3720. なぜ英語の make は日本語に借用されると語末に母音 /u/ のついた meiku /meiku/ となるのですか?」 ([2019-07-04-1])
 ・ 「#4621. モーラ --- 日本語からの一般音韻論への貢献」 ([2021-12-21-1])
 ・ 「#4624. 日本語のモーラ感覚」 ([2021-12-24-1])

 ・ 窪薗 晴夫 「第1章 音韻論」『日英対照 英語学の基礎』(三原 健一・高見 健一(編著),窪薗 晴夫・竝木 崇康・小野 尚久・杉本 孝司・吉村 あき子(著)) くろしお出版,2013年.

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2022-08-05 Fri

#4848. 母音と子音の有標性 [markedness][phonetics][vowel][consonant][typology]

 日本語の五十音図における母音の並びの基本は,言うまでもなく [a, i, u, e, o] である(cf. 「#2104. 五十音図」 ([2015-01-30-1])).動詞の5段活用でも「行かない」「行きます」「行く」「行くとき」「行けば」「行け」「行こう」と唱えるように,[a, i, u, e, o] の並びとなっている.なぜこの並びなのだろうか.
 答えは,この並びが音声学的に無標 (unmarked) から有標 (marked) への順序に沿っているからである.
 窪薗 (6) によれば,世界の言語を見渡すと,3母音体系の言語には [a, i, u] が最も多く,4母音体系では [a, i, u, e] が,5母音体系では [a, i, u, e, o] が最も多いという.つまり,類型論的にいって,母音の有標性 (markedness) は,低い方から高い方へ [a, i, u] → [e] → [o] という順序のようなのである.
 子音にも同様の有標性の序列がある.窪薗 (9) は,類型論のみならず言語習得の早さも念頭におきつつ,無標な子音と有標な子音の序列を次のように与えている.以下で A > B は,A が B よりも相対的に無標であることを示す.

a. 調音点:両唇,歯茎 > 軟口蓋
b. 調音法:閉鎖音 > 摩擦音
c. 閉鎖音・摩擦音・破擦音: 無声 > 有声
d. 閉鎖音・摩擦音・破擦音以外:有声 > 無声


 この子音の有標性を念頭において五十音図の「あかさたなはまやらわ」の並びを眺めると,必ずしも恣意的な順序ではない事実が浮かび上がってくる(「は」の子音は古くは [p] だったことに注意).
 ただし,有標性とは言語学においてもなかなか難しい概念である.「#550. markedness」 ([2010-10-29-1]),「#551. 有標・無標と不規則・規則」 ([2010-10-30-1]),「#3723. 音韻の有標性」 ([2019-07-07-1]),「#4745. markedness について再考」 ([2022-04-24-1]) などの議論を参照されたい.

 ・ 窪薗 晴夫 「第1章 音韻論」『日英対照 英語学の基礎』(三原 健一・高見 健一(編著),窪薗 晴夫・竝木 崇康・小野 尚久・杉本 孝司・吉村 あき子(著)) くろしお出版,2013年.

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2022-05-19 Thu

#4770. she の語源説 --- Laing and Lass による "Yod Epenthesis" 説の評価 [personal_pronoun][sound_change][phonetics][etymology][laeme][cone][orthography][epenthesis]

 昨日の記事「#4769. she の語源説 --- Laing and Lass による "Yod Epenthesis" 説の紹介」 ([2022-05-18-1]) で,英語史における積年の問題に対する新説を簡単に紹介した.Laing and Lass 論文の結論箇所を引用すると,次のようになる (231) .

(a) For the history of she, we posit an approximant epenthesis of a type already found in OE, spreading to further items in ME, and occurring in all periods of Scots as well as PDE. This turns the word-onset into a consonant cluster with its own history, independent of that of the nuclear vowel (though it seems primarily to occur before certain nuclear types).
   (b) The nuclear vowel derives in the normal way from OE [eo], with no need for 'resyllabification' or the creation of 'rising diphthongs'.
   (c) This account allows an etymology with no interim generation of trimoric nuclei, or the problem of maintaining vowel length when the first element of the nucleus is the first vowel of the diphthong that constitutes it. It therefore allows for the unproblematic derivation of both [ʃe:] (required for PDE [ʃi:]) and [ʃo:] (required for some regional types such as [ʃu:]).
   (d) We claim that the so-called 'she problem' has been a problem mainly because of a misconception of the kind of etymology it is. The literature (and this is true even of Britton's account, which is clearly the best) founders (sic) on the failure to separate the development of the word-onset and the development of the nuclear vowel.
   The mistake has been the attempt to combine a vocalic story and a consonantal story and at the same time make phonological sense. We suggest that in this case it cannot be done, and that by separating the two stories we arrive at a clean and linguistically justifiable narrative.


 ここで議論の詳細に立ち入ることはしないが,この新説に対する私自身の評価を述べるならば,これまで提案されてきた他の説よりも説得力があるとみている.

 まず,LAEME という最新のツールを利用しつつ,圧倒的な質・量の資料に依拠している点が重要である.大きな視点からこの問題に取り組んでいるとよく分かるところからくる信頼感といえばよいだろうか.視野の広さと深さに驚嘆する.
 上記と関連するが,LAEME と連携している CoNE (= A Corpus of Narrative Etymologies from Proto-Old English to Early Middle English) および CC (= the Corpus of Changes) の編纂という遠大な研究プロジェクトの一環として,she の問題を取り上げている点も指摘しておきたい.CoNE は,初期中英語に文証される単語のあらゆる異形態について,音変化や綴字変化の観点から説明尽くすそうという野心的な企画である(「初期中英語期を舞台とした比較言語学」と呼びたいほどだ).she についていえば,その各格形を含めたすべての異形態に説明を与えようとしており,[ʃ] を含む諸形態の扱いもあくまでその一部にすぎないのである.scha, þoe, þie, yo のような例外的な異形態についても,興味深い説明が与えられている.
 そして,"Yod Epenthesis" 説の提案それ自体がコペルニクス的転回だった.she の語源を巡る論争史では [j] をいかに自然に導出させるかが重要課題の1つとなっていた.しかし,新説は [j] を自然に導出させることをある意味で潔く諦め,「ただそこに [j] が入ってしまった」と主張するのである.ただし,新説による [j] の挿入が必ずしも「不自然」というわけでもない.散発的ではあれ,類例があることは論文内で明確に示されているからだ.

 理論的前提が多く,一つひとつの議論については著者らに問いただしてみたい点もあるのだが,全体として説得力があり,かつ刺激的な好論と評価したい.

 ・ Laing, Margaret and Roger Lass. "On Middle English she, sho: A Refurbished Narrative," Folia Linguistica Historica 35 (2014): 201-40.
 ・ Lass, Roger, Margaret Laing, Rhona Alcorn, and Keith Williamson. A Corpus of Narrative Etymologies from Proto-Old English to Early Middle English and accompanying Corpus of Changes, Version 1.1. Edinburgh: U of Edinburgh, 2013--. Available online at http://www.lel.ed.ac.uk/ihd/CoNE/CoNE.html.

Referrer (Inside): [2022-05-20-1]

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2022-05-18 Wed

#4769. she の語源説 --- Laing and Lass による "Yod Epenthesis" 説の紹介 [personal_pronoun][sound_change][phonetics][etymology][laeme][epenthesis]

 3人称単数女性代名詞 she の語源を巡って100年以上の論争が続いてきた.この問題については,hellog でも次の記事で取り上げてきた.

 ・ 「#792. she --- 最も頻度の高い語源不詳の語」 ([2011-06-28-1])
 ・ 「#793. she --- 現代イングランド方言における異形の分布」 ([2011-06-29-1])
 ・ 「#827. she の語源説」 ([2011-08-02-1])
 ・ 「#829. she の語源説の書誌」 ([2011-08-04-1])

  この古い問題に LAEME という最新のツールを用いて挑んだのが,2014年の Laing and Lass の論文である(LAEME については,「#4086. 中英語研究における LAEME の役割」 ([2020-07-04-1]),「#4396. 初期中英語の方言地図とタグ付きコーパスを提供してくれる LAEME」 ([2021-05-10-1]) をはじめ laeme の各記事を参照).
  she を巡る問題は,端的にいえば,初期中英語期より確認される異形態(現代の標準形 she に連なる形態も含む)に現われる (1) 子音 [ʃ],(2) [eː] および [oː],をどのように説明するのかという2点に集約される.とりわけ,問題解決の鍵となると目されている異形態 [hjoː] などに含まれる [j] が,どのように導出されるかが重要な問題となる.
 従来の説では,問題の [j] は既存の音連続のなかから内在的に導出されることを前提としていた.一方,Laing and Lass の新しさは,[j] は内在的に導出されたのではなく,外在的に挿入されたにすぎないとしたことだ.簡単にいえば,ただそこに [j] が入ってしまったのだ,という説だ.これを前提とすれば上記の (1), (2) のも無理なく解決できるし,LAEME が示す異形態の方言分布の観点からも矛盾は生じないという.
 「ただそこに [j] が入ってしまった」説は,同論文内では "Yod Epenthesis" (= YE) と名付けられている.古英語 [heo] が YE を経由して [hjeo] となり,その後 "eo-Monophthongisation/Merger" (= EOM) を通じて [hjeː] あるいは [hjoː] が導出されるという経路だ(実際には,この最後の過程の背景に中間的な [hjøː] が想定されているらしい).さらに,語頭の [hj] が "Fusional Assimilation" (= FA) を経て [ç] となり,最後に "Palatal Fronting" (= PF) の結果,[ʃ] が出力される,という道筋だ.
 古英語からの流れを図示すれば次のようになる (Laing and Lass 217) .

*heo ((YE)) > *hjeo ((EOM)) >
1 *hjo: ((FA)) > [ço:] ((PF)) > [ʃo:]
2 *hje: ((FA)) > [çe:] ((PF)) > [ʃe:]


 ・ Laing, Margaret and Roger Lass. "On Middle English she, sho: A Refurbished Narrative," Folia Linguistica Historica 35 (2014): 201-40.

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2022-02-26 Sat

#4688. Voicy と Mond などの近況報告 [hellog_entry_set][ukrainian][russian][slavic][mond][phonetics][acoustics][stress][intonation][prosody][sobokunagimon][notice]

 緊張状態だったウクライナ情勢が一線を越えていまい,たいへん憂えています.今朝アップした Voicy の「英語の語源が身につくラジオ」 では,平和を祈りつつ,そして今回の情勢の歴史的背景の理解に資するべく,謹んで「ウクライナ(語)について」という話題をお届けしています.どうぞお聴きください.関連する hellog 記事セットも合わせてどうぞ.



 話は変わりますが,「#4672. 知識共有サービス「Mond」で英語に関する素朴な疑問に回答しています」 ([2022-02-10-1]) で触れた通り,この3週間ほど「Mond」に寄せられてくる英語史,英語学,言語学の質問に回答しています.手に負えないほどの難問が多くすでにアップアップなのですが,これまで以下の10点に回答してきました.「回答」とはおこがましい限りで,質問をトリガーとして私が考えたことを書いてみた,という点で本ブログの活動の延長線なのですが,おもしろがってもらえればと思います.新着順に列挙します.

 ・ 各言語の発声法と声の高さには関係があるのでしょうか
 ・ 英語は他言語との言語接触により屈折や曲用などが無くなっていったとのことですが,こと音声についてはそのような傾向が見られないのはどうしてでしょうか?
 ・ 言語によって音素の数が大きく異なるのはなぜでしょうか?
 ・ 今現在たくさんのことわざや故事成語がありますが,今はまだ生まれていないことわざや故事成語が今後数百年で生まれる可能性はありますか?
 ・ 同じ発音なのにまったく意味の違う言葉が存在するのはなぜでしょうか?
 ・ 「日本語ならSOV型,英語ならSVO型,アラビア語ならVSO型,など言語によって語順が異なりますが,これはどのような原因から生じる違いなのでしょうか?」
 ・ 「アメリカ英語とイギリス英語,オーストラリア英語の関係は,日本で言う方言とは異なるものなのでしょうか?」
 ・ 「音韻論と音声学の違いがよく分からないのですが,具体例を用いて教えてください.」
 ・ 「ドイツ語やフランス語は「女性名詞」と「男性名詞」という分類がありますが,どのような理屈で性が決まっているのでしょうか?」
 ・ 「言語が文化を作るのでしょうか?それとも文化が言語を作るのでしょうか?」

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2022-02-24 Thu

#4686. 比較言語学では音の類似性ではなく対応こそが大事 [comparative_linguistics][reconstruction][methodology][phonetics][sound_change][etymology]

 比較言語学 (comparative_linguistics) では,系統関係にあるかもしれないと疑われる2つの言語をピックアップし,対応するとおぼしき語どうしの音形を比較する.その際に,両語の音形が何らかの点で「似ている」ことに注目するのが自然で直感的ではあるが,比較言語学の「比較」の要諦は類似性 (similarity) ではなく対応 (correspondence) である.これは意外と盲点かもしれない.音形としてまったく似ても似つかないけれども同一語源に遡る例もあれば,逆に見栄えはそっくりだけれども系統的に無関係な例もあるからだ.
 それぞれの例として「#778. P-Celtic と Q-Celtic」 ([2011-06-14-1]),「#1151. 多くの謎を解き明かす軟口蓋唇音」 ([2012-06-21-1]),「#1136. 異なる言語の間で類似した語がある場合」 ([2012-06-06-1]),「#4683. 異なる言語の間で「偶然」類似した語がある場合」 ([2022-02-21-1]),「#4072. 英語 have とラテン語 habere, フランス語 avoir は別語源」 ([2020-06-20-1]) などを参照されたい.
 この比較言語学の要諦について,Campbell (266--67) は次のように雄弁に指摘している.

. . . it is important to keep in mind that it is correspondences which are crucial, not mere similarities, and that such correspondences do not necessarily involve very similar sounds. It is surprising how the matched sounds in proposals of remote relationship are typically so similar, often identical, while among the daughter languages of well-established, non-controversial, older language families such identities are not as frequent. While some sounds may stay relatively unchanged, many undergo changes which leave phonetically non-identical correspondences. One wonders why correspondences that are not so similar are not more common in such proposals. The sound changes that lead to such non-identical correspondences often change cognate words so much that their cognancy is not apparent. These true but non-obvious cognates are missed by methods such as multilateral comparison which seek inspectional resemblances.


 音声は時とともに予想よりもずっと激しく変わり得る.これが比較言語学の教訓である.関連して「#411. 再建の罠---同根語か借用語か」 ([2010-06-12-1]) も参照.

 ・ Campbell, Lyle. "How to Show Languages are Related: Methods for Distant Genetic Relationship." Handbook of Historical Linguistics. Ed. Brian D. Joseph and Richard D. Janda. Oxford: Blackwell, 262--82.

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2022-02-22 Tue

#4684. 脱口音化 [glottal_stop][grimms_law][phonetics][consonant][debuccalisation][cockney]

 あまり聞き慣れないが,脱口音化 (debuccalisation) という音変化がある.調音点が口腔内から腔外に移ることだ.より具体的には,調音点が喉の奥に移った場合にいわれることが多い.Crystal (130) の言語学用語辞典より debuccalized の項を引用する.

debuccalized (adj.) A term used in some models of non-linear phonology to refer to consonants which lack an oral place feature, such as glottal stop or [h]. The process through which such consonants are formed is called debuccalization) (also deoralization): examples include [t] > [ʡ] and [s] > [h].


 これは通言語的に一般的な音変化のようで,英語史や日本語史を参照するだけでも,例がいくつか挙がってくる.まずグリムの法則 (grimms_law) の軟口蓋系列の無声子音の変化を一覧してみると [kh] > [k] > [x] > [h] のような経路が想定される.最終到達点は "debuccalised" な声門摩擦音 [h] である.
 上記引用にもあるが,コックニー (cockney) などの特徴とされる,[t] が声門閉鎖音 [ʡ] で代用される現象も脱口音化の例となるだろう.
 日本語史において知られる「唇音退化」 ([p] > [ɸ] > [h]) も脱口音化の典型的な1例となる(cf. 「#1271. 日本語の唇音退化とその原因」 ([2012-10-19-1])).
 その他,Bybee (27) によれば,スペイン語の /s, f/ > /h/ の例が挙げられている.また,ウガンダで話されるバンツー系の Lumasaaba 語において,音環境に応じて [p] > [h] が確認される事例も紹介されている.
 以上の例では主に [p] のような唇音の脱口音化が話題とされてきたが,歯茎音の [t] や軟口蓋音の [k] など,他の調音点の子音についても,事情は同じである.ある意味ではどんな口音も,弱化して脱口音化してしまえば,最終到達点は [h],さらには無音となるというわけだ.その点では,脱口音化というのは,"lenition" というより大きな過程の一部としてとらえるのがよいのかもしれない.Bybee の "Path of lenition for voiceless stops" の表を掲げておこう (29) .

Voiceless stop>Affricate>Fricative>Voiclessness>Zero
p>pf>f>h>ø
t>ts/tθ>s/θ>h>ø
k>kx>x>h>ø


 ・ Crystal, David, ed. A Dictionary of Linguistics and Phonetics. 6th ed. Malden, MA: Blackwell, 2008. 295--96.
 ・ Bybee, Joan. Language Change. Cambridge: CUP, 2015.

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2022-02-20 Sun

#4682. kiln, Milne などの /ln/ [consonant][spelling_pronunciation][degemination][phonetics][assimilation][nasal]

 「炉,かま」を意味する kiln や,イギリスの詩人・劇作家・童話作家の Milne (1882--1956) に含まれる ln という子音字連鎖は,主流な発音ではそのまま /ln/ と発音される.しかし,n が響かない /l/ のみの発音もあるにはある.
 歴史的には,/ln/ の子音連鎖は,中英語期に主に南部方言で /n/ が削除され,/l/ へと簡略化した(中尾,p. 419).例えば,古英語 eln, cyln, myln は,それぞれ現代英語の ell, kiln, mill に対応する(中尾,p. 319).現代の kiln, Milne の主要発音は /ln/ の子音連鎖を含むが,これは「#2518. 子音字の黙字」 ([2016-03-19-1]) で触れたように綴字発音 (spelling_pronunciation) によるものである.
 さて,中英語期に生じたとされる /ln/ > /l/ の音変化は,中尾の指摘する通り /n/ の削除と捉えておくのが簡便ではあるが,音声変化の実態としては順行同化 (progressive assimilation or "carry over") とそれに続く奪重子音化 (degemination) の結果だったという可能性もある.というのも,Bybee (24) が mill を,(少なくとも順行同化の部分に関して)そのような例の1つとして挙げているからである.通言語的な観点から,よく観察される音変化として取り上げている.

One type of carry over that occurs in Indo-European languages involves cases where an /n/ assimilates to a preceding liquid, as in the case of Proto-Germanic (PGmc) *wulna > *wullō > OE wull 'wool', PGmc *fulnaz > *fullaz > OE full 'full', and PGmc *hulnis > OE hyll 'hill' . . . . Similar examples are Proto-Indo-European (PIE) *kolnis > Latin collis, 'hill' and OE myln > PDE mill. L. Cambell 1999 also supplies a similar example from alternations in Finnish: kuul-nut > kuullut 'heard', pur-nut > purrut 'bitten', and nous-nut > noussut 'risen'. A similar assimilation is found in Kanakuru, a Chadic language of Nigeria . . . and in Kanuri, a Nilo-Saharan language . . . . In these examples, both consonants are coronal, and a notable feature is that nasality is lost. From a gestural perspective, a nasal assimilating to a non-nasal must be viewed as the loss of the gesture that opens the velum. Thus two things are going on in these examples: the two coronal gestures blend, with the [l], [r], and [s], none of which involve complete closure, affecting the closure of the nasal and the loss of velum opening, perhaps in response to the loss of closure.


 ・ 中尾 俊夫 『音韻史』 英語学大系第11巻,大修館書店,1985年.
 ・ Bybee, Joan. Language Change. Cambridge: CUP, 2015.

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