現代英語には不定代名詞 (indefinite_pronoun) や不定決定詞 (indefinite determiner) という語類の体系がある.不定 (indefinite) の反対は定 (definite) である.例えば人称代名詞,再帰代名詞,所有代名詞,指示代名詞,そしてときに疑問代名詞にも定的な要素が確認されるが,不定代名詞にはそれがみられない.ただし,不定代名詞・決定詞は,むしろ論理的観点から,量的である (quantitative) ととらえてもよいかもしれない.全称的 (universal) か部分的 (partitive) かという観点である.
Quirk et al. (§6.45) に主要な不定代名詞・決定詞の一覧表がある.こちらを掲載しよう.体系的ではあるが,なかなか複雑な語類であることがわかるだろう.
・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985.
tautology (類語反復,トートロジー)は,まずもって修辞学 (rhetoric) の用語として発展してきた.ギリシア語の tautó (the same) + lógos (word) に起源をもち,ラテン語を経て,16世紀半ばに英語に借用された.以下『新英語学辞典』の tautology の項目に従って概説を与える.
修辞学では冗語法 (pleonasm) や重言と同義に用いられる (cf. 「#2191. レトリックのまとめ」 ([2015-04-27-1])).例えば a philatelist who collects stamps, Theses words come out successively one after another., Will you repeat that again? の類いの表現だ.「#3907. 英語の重言」 ([2020-01-07-1]) に類例がたくさん挙げられているが,それほど日常的で慣用的な語法ということでもある.
tautology の構文の典型は "A is A." という形式である.意味論にいえば,主語概念のなかにすでに述語概念が含まれてしまっているために,新情報が付されないことになり,その限りにおいて文は「無意味」となる.別の角度からいえば,この構文は意味論的に常に真となる."A is A." のほかに Philatelists collect stamps., The man who won won., Lynda loves the boy she loves. のような構文もある.これらは分析文 (analytic sentence) と呼ばれることがある.
tautology は意味論的にいえば上記の通り「無意味」だが,語用論的には必ずしも無意味ではなく,むしろ豊かな含意が生み出されるといわれる.Philatelists collect stamps. の場合,philatelist (切手収集家)は比較的難しい単語であり,その単語の意味を説明するために,この文が発せられている可能性がある.また,The man who won won. については,相手をはぐらかす意図で発せられているのかもしれない.
語用論では,tautology は Grice の協調の原理 (cooperative_principle) のもとで論じられることが多い.tautology の発話者が協調の原理をあえて違反しようとしているわけではないと判断されるのであれば,聞き手はその tautology に隠された意味や意図を見出そうとするだろう.こうして何らかの含意が生み出されるのである.
tautology は意味論的には無意味であっても語用論的にはしばしば有意味となる.この不思議さこそが,tautology が語用論や認知言語学で注目される所以だろう.
関連して「#1122. 協調の原理」 ([2012-05-23-1]),「#1133. 協調の原理の合理性」 ([2012-06-03-1]),「#1134. 協調の原理が破られるとき」 ([2012-06-04-1]) を参照.
・ 大塚 高信,中島 文雄(監修) 『新英語学辞典』 研究社,1982年.
一昨日の記事「#4652. any が「どんな?でも」を表わせるように either は「いずれの?でも」を表わせる」 ([2022-01-21-1]) でもすでに取り上げましたが,標記は目下私のゼミを中心とする khelf (= Keio History of the English Language Forum) メンバーの間で熱い議論の対象となっている問題です.
either は,2者のうちのいずれかを選ぶ「片方」の意味を表わすというイメージが強いと思いますが,実は「両方」の意味を表わすケースもあるという問題です.一種の contronym の例といえます.
『コンパスローズ英和辞典』の either より,それぞれに対応する語義1と語義2を引用しましょう.
--- (形)[単数形の名詞につけて]
(1) (2つ[2人]のうち)どちらか(一方)の;どちらの…でも,どちらでも任意の
Take either apple.|どちらかのりんごを取りなさい
You may invite either boy.|どちらの少年を招待しても結構です.
. . . .
(3) どちらの…も,両方の
There was a chair at either end of the long table.|長いテーブルの両端にそれぞれいすが置かれていた.
(語法)3の意味では特に side, end, hand など対を表わす名詞と用いるが, 次の例のように both(+複数名詞)や each(+単数名詞)を用いることも多い.both は「両方」を同時にまとめて,either, each は「片方」 ずつそれぞれを個別に捉える感じとなる
There were chairs at both ends of the long table.
There was a chair at each end of the long table.
either A or B という高頻度の相関表現がありますし,一般には (1) こそが either の原義だと捉えられていると思いますが,歴史的にみれば驚くことに (3) のほうが古いのです.OED によれば,(3) は古英語から普通に見られる語義ですが,(1) は中英語後期になってようやく現われる新参語義です.
どうしてこんなことになってしまったのでしょうか.よく似た形態の outher という語とややこしい関係に陥ってしまったという事情があるようです.関連して「#945. either の2つの発音」 ([2011-11-28-1]) もご参照ください.
Any child can do that. という文は「どんな子供でもそれができる」の意を表わします.力点の置き方は異なりますが,基本的な意味としては All children can do that. とおよそ同等です.
平行的な例を挙げます.Either way will do. という文は「いずれのやり方でもうまく行きます」の意を表わします.力点の置き方は異なりますが,基本的な意味としては Both ways will do . とおよそ同等です.
特に2つめの either と both を用いた例文ペアが同義で用いられ得るというのは,なかなかの驚きではないでしょうか.というのは,私たちは either (A or B) と both (A and B) は対義表現であると信じ込まされてきたからです.しかし,この2つは文脈によってはむしろ類義表現というべきものになり得るのです.
either は,一般には2つあるものの「いずれか」「片一方」を意味すると理解されていますが,実は「いずれの○○でも(よい)」という関連する語義からは「○○の両方であっても(よい)」の解釈が生じ得ます.論理学の喩えでいえば,or には「排他的選言」 (exclusive disjunction) と「非排他的選言」 (inclusive disjunction) の両義があることに相当するでしょうか.
ということで,多少のニュアンスの違いはありながらも,either は both でパラフレーズできてしまうケースがあるのです.例えば,次の例を参照.
・ Unfortunately I was sitting at the table with smokers on either side of me.
・ Unfortunately I was sitting at the table with smokers on both sides of me.
この either vs both の意味論的緊張関係は,any vs all の緊張関係とパラレルです.前者は2つのものについて,後者は3つ以上のものについて,という違いがあるだけです (cf. Quirk et al. §6.61).言い換えれば,前者は意味論的に両数あるいは双数 (dual) の性質をもっているということです.
印欧語の数カテゴリーの重要なメンバーだった両数は,英語にも化石的な形ではありますが,所々に痕跡を残しています.both, either, neither, other, whether など -er をもつものが多いですね (cf. 「#3005. or の語源」 ([2017-07-19-1])) .
・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985.
連日「#4426. hedge」 ([2021-06-09-1]) と「#4427. 様々な hedge および関連表現」 ([2021-06-10-1]) のように hedge の話題を取り上げている.今回も Lakoff の論文を参照して考察を続けたい.
論文を読んで hedge の理解が変わってきた.昨日の記事の最後でも述べたが,単なる「ぼかし言葉」ではなく「ある命題を真たらしめる条件を緩く指定・制限する方略」と理解すべきだろう.少なくとも Lakoff の考える hedge はそのようなものらしい.そうすると,議論は必然的に意味論から語用論の方面に広がっていくことになるだろうし,意味に関する検証主義という言語哲学の問題にもつながっていきそうだ.
hedge と prototype の深い関係も明らかになった.例えば,sort of という hedge は,プロトタイプから少々逸脱したものを許容する方向に作用する意味論・語用論上の「関数」とみることができる.実際,Lakoff はファジー集合を提唱した Lofti Zadeh の研究よりインスピレーションを受け,論理学・代数学的な関数を利用して tall, very tall, sort of tall, pretty tall, rather tall の意味分析を行なっている.Lakoff 論文 (482) より,以下の図を見てもらいたい.
この図の見方は次の通りだ.「ある人が tall, very tall, sort of tall, pretty tall, rather tall である」という命題がある場合,実際にどれくらいの背の高さであれば,その命題は真であると考えられるかについて多数の人にアンケートを取った結果のサマリーと読める.つまり,5'3" (5フィート3インチ≒160cm)で tall とみなす回答者はほぼ0%だろうが,6'3" (6フィート3インチ≒190cm)であればほぼ100%の回答者が tall を妥当な形容詞とみなすだろう.6'3" であれば,very tall ですら100%に近い高い値を示すだろう.しかし,rather tall は 6'3" に対しては,大方かえって不適切な表現と判断されるだろう,等々.
要するに,5種類の表現に対して描かれた各曲線の形状が,その表現の hedge としての効果である,と解釈できる.これらは曲線であるから,代数的には関数として表現できることになる.もちろん Lakoff とて何らかの定数を与えた厳密な意味での関数の立式を目指しているわけではないのだが,hedge と prototype の関係がよく分かる考え方ではある.
この点について Lakoff 自身の要約 (492--93) を引用しておこう.
6.5. Algebraic Functions Play a Role in the Semantics of Certain Hedges
Hedges like SORT OF, RATHER, PRETTY, and VERY change distribution curves in a regular way. Zadeh has proposed that such changes can be described by simple combinations of a small number of algebraic functions. Whether or not Zadeh's proposals are correct in all detail, it seems like something of the sort is necessary. . . .
6.6. Perceptual Finiteness Depends on an Underlying Continuum of Values
Since people can perceive, for each category, only a finite number of gradations in any given context, one might be tempted to suggest that fuzzy logic be limited to a relatively small finite number of values. But the study of hedges like SORT OF, VERY, PRETTY, and RATHER, whose effect seems to be characterizable at least in part by algebraic functions, indicates that the number and distribution of perceived values is a surface matter, determined by the shape of underlying continuous functions. For this reason, it seems best not to restrict fuzzy logic to any fixed finite number of values. Instead, it seems preferable to attempt to account for the perceptual phenomena by trying to figure out how, in a perceptual model, the shape of underlying continuous functions determines the number and distribution of perceived values.
いつの間にかファジー集合という抜き差しならない領域にまで到達してしまったが,そもそも hedge =「ぼかし(言葉)」という認識から始まったわけなので,遠く離れていないようにも思えてきた.
・ Lakoff, G. "Hedges: A Study in Meaning Criteria and the Logic of Fuzzy Concepts." Journal of Philosophical Logic 2 (1973): 458--508.
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