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過去3日間の記事 ([2016-03-28-1], [2016-03-29-1], [2016-03-30-1]) で,言語変化を扱う分野において "evolution" という用語がいかにとらえられてきたかを考えた.とりわけ,近年の言語学における "evolution" は,一度その用語に手垢がつき,半ば地下に潜ったあとに再び浮上してきた概念であることを確認した.この沈潜は1世紀以上続いていたといってよく,ここから1つの疑問が生じる.言語学者がダーウィンの革命的な思想の影響を受けたのは19世紀後半だが,なぜそのときに言語学は生物学の大変革に見合う規模の変革を経なかったのだろうか.なぜその100年以上も後の20世紀後半になってようやく "linguistic evolution" が提起され,評価されるようになったのだろうか.この間に言語学(者)には何が起こっていたのだろうか.
この問題について,Nerlich の論文をみつけて読んでみた.Nerlich はこの空白の時間の理由を,(1) 19世紀後半に Schleicher が進化論を誤解したこと,(2) 20世紀前半に Saussure の分析的,経験主義的な方針に立った共時的言語学が言語学の主流となったこと,(3) 20世紀半ばにかけて Bloomfield や Chomsky を始めとするアメリカ言語学が意味,多様性,話者を軽視してきたこと,の3点に帰している.
(1) について Nerlich (104) は, Schleicher はダーウィンの進化論を,持論である「言語の進歩と堕落」の理論的サポートとして利用としたために,本来の進化論の主要概念である "variation, selection and adaptation" を言語に適用せずに終えてしまったことが問題だったとしている.ダーウィン主義を標榜しながら,その実,ダーウィン以前の考え方から離れられていなかったのである.例えば,ダーウィンにとって生物の種の分類はあくまで2次的なものであり,主たる関心は変形の過程だったが,Schleicher は言語の分類にこだわっていたのだ.ダーウィン以前の個体発生の考え方とダーウィンの種の進化論とが混同されていたといってよいだろう.Schleicher は,ダーウィンを真に理解していなかったといえる.
(2) の段階は Saussure に代表される共時的言語学者が活躍するが,その時代に至るまでにも,Schleicher の言語有機体説は青年文法学派 (neogrammarian) 等により,おおいに批判されていた.しかし,その批判は,言語変化の研究への関心のために建設的に利用されることはなく,皮肉なことに,言語変化を扱う通時態という観点自体を脇に置いておき,共時態に関心を集中させる結果となった.また,langue への関心がもてはやされるようになると,parole に属する言語使用や話者の話題は取り上げられることがなくなった.言語は一様であるとの過程のもとで,言語変化とその前提となる多様性や変異の問題も等閑視された.
このような共時態重視の勢いは,(3) に至って絶頂を迎えた.分布主義の言語学や生成文法は意味という不安定な部門の研究を脇に置き,言語の一様性を前提とすることで成果を上げていった.
この (3) の時代を抜け出して,ようやく言語学者たちは使用,話者,意味,多様性,変異,そして変化という世界が,従来の枠の外側に広がっていることに気づいた.この「気づき」について,Nerlich (106--07) は次の一節でやや熱く紹介している.
Thus meaning, language change and language use became problems and were mainly discarded from the science of language for reasons of theoretical tidiness: meaning and change are rather messy phenomena. Hence autonomy, synchrony and homogeneity finally enclosed language in a kind of magic triangle that defended it against any sort of indeterminacy, fluctuation or change. But outside the static triangle, that ideal domain of structural and generative linguistics, lies the terra incognita of linguistic dynamics, where one can discover the main sources of linguistic change, contextuality, history and heterogeneity, fields of study that are slowly being rediscovered by post-Chomskyan and post-Saussurean linguists. This terra incognita is populated by a curious species, also recently discovered: the language user! S/he acts linguistically and non-linguistically in a heterogenous and ever-changing world, constantly trying to adapt the available linguistic means to her/his ever changing ends and communicative needs. In acting and interacting the speakers are the real vectors of linguistic evolution, and their choices must be studied if we are to understand the nature of language. It is not enough to stop at a static analysis of language as a product, organism or system. The study of evolutionary processes and procedures should help to overcome the sterility of the old dichotomies, such as those between langue/parole, competence/performance and even synchrony/diachrony.
このようにして20世紀後半から通時態への関心が戻り,変化といえばダーウィンの進化論だ,というわけで,進化論の言語への応用が再開したのである.いや,最初の Schleicher の試みが失敗だったとすれば,今初めて応用が始まったところといえるかもしれない.
・ Nerlich, Brigitte. "The Evolution of the Concept of 'Linguistic Evolution' in the 19th and 20th Century." Lingua 77 (1989): 101--12.
2日間にわたる標題の記事 ([2016-03-28-1], [2016-03-29-1]) についての第3弾.今回は,evolution の第3の語義,現在の生物学で受け入れられている語義が,いかに言語変化論に応用されうるかについて考える.McMahon (334) より,改めて第3の語義を確認しておこう.
the development of a race, species or other group ...: the process by which through a series of changes or steps any living organism or group of organisms has acquired the morphological and physiological characters which distinguish it: the theory that the various types of animals and plants have their origin in other preexisting types, the distinguishable differences being due to modifications in successive generations.
現在盛んになってきている言語における evolution の議論の最先端は,まさにこの語義での evolution を前提としている.これまでの2回の記事で見てきたように,19世紀から20世紀の後半にかけて,言語学における evolution という用語には手垢がついてしまった.言語学において,この用語はダーウィン以来の科学的な装いを示しながらも,特殊な価値観を帯びていることから否定的なレッテルを貼られてきた.しかし,それは生物(学)と言語(学)を安易に比較してきたがゆえであり,丁寧に両者の平行性と非平行性を整理すれば,有用な比喩であり続ける可能性は残る.その比較の際に拠って立つべき evolution とは,上記の語義の evolution である.定義には含まれていないが,生物進化の分野で広く受け入れられている mutation, variation, natural selection, adaptation などの用語・概念を,いかに言語変化に応用できるかが鍵である.
McMahon (334--40) は,生物(学)と言語(学)の(非)平行性についての考察を要領よくまとめている.互いの異同をよく理解した上であれば,(歴史)言語学が(歴史)生物学から学ぶべきことは非常に多く,むしろ今後期待のもてる領域であると主張している.McMahon (340) の締めくくりは次の通りだ.
[T]he Darwinian theory of biological evolution, with its interplay of mutation, variation and natural selection, has clear parallels in historical linguistics, and may be used to provide enlightening accounts of linguistic change. Having borrowed the core elements of evolutionary theory, we may then also explore novel concepts from biology, such as exaptation, and assess their relevance for linguistic change. Indeed, the establishment of parallels with historical biology may provide one of the most profitable future directions for historical linguistics.
生物(学)と言語(学)の(非)平行性の問題については「#807. 言語系統図と生物系統図の類似点と相違点」 ([2011-07-13-1]) も参照されたい.
昨日の記事 ([2016-03-28-1]) に引き続き,言語変化論における evolution の解釈について.今回は evolution の目的論 (teleology) 的な含意をもつ第2の語義,"A series of related changes in a certain direction" に注目したい.昨日扱った語義 (1) と今回の語義 (2) は言語変化の方向性を前提とする点において共通しているが,(1) が人類史レベルの壮大にして長期的な価値観を伴った方向性に関係するのに対して,(2) は価値観は廃するものの,言語変化には中期的には運命づけられた方向づけがあると主張する.
端的にいえば,目的論とは "effects precede (in time) their final causes" という発想である (qtd. in McMahon 325 from p. 312 of Lass, Roger. "Linguistic Orthogenesis? Scots Vowel Length and the English Length Conspiracy." Historical Linguistics. Volume 1: Syntax, Morphology, Internal and Comparative Reconstruction. Ed. John M. Anderson and Charles Jones. Amsterdam: North Holland, 1974. 311--43.) .通常,時間的に先立つ X が生じたから続いて Y が生じた,という因果関係で物事の説明をするが,目的論においては,後に Y が生じることができるよう先に X が生じる,と論じる.この2種類の説明は向きこそ正反対だが,いずれも1つの言語変化に対する説明として使えてしまうという点が重要である.例えば,ある言語のある段階で [mb], [md], [mg], [nb], [nd], [ng], [ŋb], [ŋd], [ŋg] の子音連続が許容されていたものが,後の段階では [mb], [nd], [ŋg] の3種しか許容されなくなったとする.通常の音声学的説明によれば「同器官性同化 (homorganic assimilation) が生じた」となるが,目的論的な説明を採用すると,「調音しやすくするために同器官性の子音連続となった」となる.
言語学史においては,様々な論者が目的論をとってきたし,それに反駁する論者も同じくらい現われてきた.例えば Jakobson は目的論者だったし,生成音韻論の言語観も目的論の色が濃い.一方,Bloomfield や Lass は,目的論の立場に公然と反対している.McMahon (330--31) も,目的論を「目的の目的論」 (teleology of purpose) と「機能の目的論」 (teleology of function) に分け,いずれにも問題点があることを論じ,目的論的な説明が施されてきた各々のケースについて非目的論的な説明も同時に可能であると反論した.McMahon の結論を引用して,この第2の意味の evolution の妥当性を再考する材料としたい.
There is a useful verdict of Not Proven in the Scottish courts, and this seems the best judgement on teleology. We cannot prove teleological explanations wrong (although this in itself may be an indictment, in a discipline where many regard potentially falsifiable hypotheses as the only valid ones), but nor can we prove them right; they rest on faith in predestination and the omniscient guiding hand. More pragmatically, alleged cases of teleology tend to have equally plausible alternative explanations, and there are valid arguments against the teleological position. Even the weaker teleology of function is flawed because of the numerous cases where it simply does not seem to be applicable. However, this rejection does not make the concept of conspiracy, synchronic or diachronic, any less intriguing, or the perception of directionality . . . any less real.
・ McMahon, April M. S. Understanding Language Change. Cambridge: CUP, 1994.
生物学における用語 evolution の理解と同時に,言語学で使われてきた evolution という術語の意味がいかにして「進化」してきたかを把握することが肝心である.McMahon の第12章 "Linguistic evolution?" が,この問題を要領よく紹介している(この章については,「#2260. 言語進化論の課題」 ([2015-07-05-1]) でも触れているので参照).
McMahon は evolution には3つの語義が認められると述べている.以下はいずれも Web3 から取ってきた語義だが,1つ目は19世紀的なダーウィン以前の (pre-Darwinian) 語義,2つ目は目的論的な (teleological) 含意をもった語義,3つ目は現在の生物学上の語義を表す.
(1) Evolution 1 (McMahon 315)
a process of continuous change from a lower, simpler, or worse condition to a higher, more complex, or better state: progressive development.
(2) Evolution 2 (McMahon 325)
A series of related changes in a certain direction.
(3) Evolution 3 (McMahon 334)
the development of a race, species or other group ...: the process by which through a series of changes or steps any living organism or group of organisms has acquired the morphological and physiological characters which distinguish it: the theory that the various types of animals and plants have their origin in other preexisting types, the distinguishable differences being due to modifications in successive generations.
今回は,最も古い語義 (1) について考えてみたい.この意味での "evolution" は,ダーウィン以前の発想を含む前科学的な概念を表す.生物のそれぞれの種は,神による創造 (creation) ではなく,形質転換 (transformation) を経て発現してきたという近代的な考え方こそ採用しているが,その形質転換の向かう方向については,「進歩」や「堕落」といった人間社会の価値観を反映させたものを前提としている.これは19世紀の言語学界では普通だった考え方だが,ダーウィン自身は生物進化論においてそのような価値観を含めていない.つまり,当時の言語学者たち(のすべてではないが)はダーウィンの進化論を標榜しながらも,その言語への応用に際しては,進歩史観や堕落史観を色濃く反映させたのであり,その点ではダーウィン以前の言語変化観といってよい.
この意味での evolution を奉じた言語学者の代表選手といえば,August Schleicher (1821--68) である.Schleicher は Hegel (1770--1831) の影響を受け,人類は以下の順に発達してきたと考えた (McMahon 320) .
a. The physical evolution of man.
b. The evolution of language.
c. History.
人類は a → b → c と「進歩」してきたが,c の歴史時代に入ってしまうと,どん詰まりの段階であるから,新しいものは生み出されない.したがって,あとは「堕落」しかない,という考え方である.言語も含めて,現在はすべてが堕落の一途をたどっているというのが,Schleicher の思想だった.
価値の方向こそ180度異なるが,同じように価値観をこめて言語変化をみたのは Otto Jespersen (1860--1943) である.Jespersen は印欧語にべったり貼りついた立場から,屈折の単純化を人類言語の「進歩」と見た (see 「#1728. Jespersen の言語進歩観」 ([2014-01-19-1]), 「#432. 言語変化に対する三つの考え方」 ([2010-07-03-1])) .
「#2525. 「言語は変化する,ただそれだけ」」 ([2016-03-26-1]) で McMahon から引用した文章でも指摘されているとおり,現在,多くの歴史言語学者は,この第1の意味での evolution を前提としていない.この意味は,すでに言語学史的なものとなっている.
・ McMahon, April M. S. Understanding Language Change. Cambridge: CUP, 1994.
中世英文学の主要作品と年表について「#1433. 10世紀以前の古英語テキストの分布」 ([2013-03-30-1]),「#1044. 中英語作品,Chaucer,Shakespeare,聖書の略記一覧」 ([2012-03-06-1]),「#2323 中英語の方言ごとの主要作品」 ([2015-09-06-1]),「#2503. 中英語文学」 ([2016-03-04-1]) で見てきたが,もう少し一覧性の高いものが欲しいと思い,Treharne の中世英文学作品集の pp. xvi--xvii に掲げられている年表を再現することにした.政治史と連動した文学史の年表となっている.
Historical events | Literary landmarks |
---|---|
From c. 449: Anglo-Saxon settlements | |
597: St Augustine arrives to convert Anglo-Saxons | |
664: Synod of Whitby | |
c. 670? Cædmon's Hymn | |
731: Bede finishes Ecclesiastical History | |
735: Death of Bede | |
793: Vikings raid Lindisfarne | |
869: Vikings kill King Edmund of East Anglia | |
879--99: Alfred reigns as king of Wessex | from c. 890: Anglo-Saxon Chronicle |
Alfredian translations of Bede's Ecclesiastical History; Gregory's Pastoral Care; Orosius; Boethius's Consolation of Philosophy; Augustine's Soliloquies | |
937: Battle of Brunanburh | |
from c. 950: Benedictine reform | |
c. 970: Exeter Book copied | |
959--75: King Edgar reigns | c. 975: Vercelli Book copied |
978--1016: Æthelred 'the Unready' reigns | 990s: Ælfric's Catholic Homilies and Lives of Saints |
c. 1010: death of Ælfric | c. 1010?: Junius manuscript copied |
c. 1014: Wulfstan's sermo Lupi ad Anglos | |
1016--35: Cnut, king of England | |
1023: death of Wulfstan | |
1042--66: Edward the confessor reigns | Apollonius of Tyre |
1066: Battle of Hastings | |
1066--87: William the Conqueror reigns | |
1135: Stephen becomes king | Geoffrey of Monmouth's Historia Regum Britanniae |
1135--54: civil war between King Stephen and Empress Matilda | Peterborough Chronicle continuations |
1154--89: Henry II reigns | 1155: Wace's Roman de Brut |
1170--90: Chrétien de Troyes's Romances | |
c. 1170s: The Orrmulum | |
Poema Morale | |
1180s: Marie de France's Lais | |
1189--99: Richard I reigns | c. 1190--1200? Trinity Homilies |
1199--1216: John reigns | c. 1200? Hali Meiðhad |
1204: loss of Normandy | |
1215: Magna Carta | |
1215: fourth Lateran Council | |
1216--72: Henry III reigns | c. 1220 Laȝamon's Brut |
1224: Franciscan friars arrive in England | c. 1225: Ancrene Wisse |
c. 1225: King Horn | |
1272--1307: Edward I reigns | Manuscript Digby 86 copied |
Manuscript Jesus 29 copied | |
Manuscript Cotton Caligula A. ix copied | |
Manuscript Arundel 292 copied | |
Manuscript Trinity 323 copied | |
South English Legendary composed | |
c. 1300: Cursor Mundi | |
1303: Robert Mannyng of Brunne begins Handlyng Synne | |
1307--27: Edward II reigns | |
1327--77: Edward III reigns | Auchinleck Manuscript copied |
Manuscript Harley 2253 copied | |
1337(--1454): Hundred Years' War with France | |
1338: Robert Mannyng of Brunne's Chronicle | |
1340: Ayenbite of Inwit | |
c. 1343: Geoffrey Chaucer born | |
Ywain and Gawain translated | |
1349: Black Death comes to England | |
1349: Richard Rolle dies | |
1355--80: Athelston | |
Wynnere and Wastoure written | |
1360s--1390s: Piers Plowman | |
1362: English displaces French as language of lawcourts and Parliament | |
1370s--1400: Canterbury Tales | |
1377: Richard II accedes to throne | 1370s: Julian of Norwich's Vision |
1381: Peasants' Revolt breaks out | |
1399: Richard II deposed | |
1399: Henry IV accedes to the throne | |
c. 1400: Sir Gawain and the Green Knight | |
c. 1400: Chaucer dies | |
c. 1410--30: Book of Margery Kempe |
言語学者でない一般の多くの人々には,言語変化を進歩ととらえたり,逆に堕落とみなす傾向がみられる.言語進化を価値観をもって解釈する慣行だ.この見方については「#432. 言語変化に対する三つの考え方」 ([2010-07-03-1]) や「#1728. Jespersen の言語進歩観」 ([2014-01-19-1]) で話題にした.
しかし,現代の言語学者,特に歴史言語学者は,言語はそのような価値観とは無関係に,ただただ変化するものとして理解しており,それ以上でも以下でもないと主張する.この立場については「#448. Vendryes 曰く「言語変化は進歩ではない」」 ([2010-07-19-1]) や「#1382. 「言語変化はただ変化である」」 ([2013-02-07-1]) で紹介した.この現代的な立場をずばり要約している1節を McMahon (324) に見つけたので,引用しておきたい.
The modern view, at least of historical linguists if not the general public, is simply that languages change; we may try to describe and explain the processes of change, and we may set up a complementary typology which will include a classification of languages as isolating, agglutinating or inflecting; but this morphological typology has no special status and certainly does not represent an evolutionary scale. In general, we have no right to attack change as decay or to exalt it as progress. It is true . . . that individual changes may aid or impair communication to a limited extent, but there is no justification for seeing change as cumulative progress or decline: modern languages, attested extinct ones, and even reconstructed ones are all at much the same level of structural complexity or communicative efficiency. We cannot argue that some languages, or stages of languages, are better than others . . . .
ここでは,言語変化は全体として特に進歩や堕落というような価値観を伴った一定の方向を目指しているわけではないが,個々の変化については,限られた程度においてコミュニケーションの助けになったり妨げになったりすることもあると述べられている点が注目に値する.これは,「#2513. Samuels の "linguistic evolution"」 ([2016-03-14-1]) で引用した Samuels (1) の "every language is of approximately equal value for the purposes for which it has evolved" の「およそ等価」という表現と呼応しているように思われる.
言語(変化)論と言語変化観とは切っても切り離せない.言語変化(論)には,時代の思潮の移り変わりを意識した言語学史的な観点をもって接近していかなければならないだろう.
・ McMahon, April M. S. Understanding Language Change. Cambridge: CUP, 1994.
・ Samuels, M. L. Linguistic Evolution with Special Reference to English. London: CUP, 1972.
標題は「#2513. Samuels の "linguistic evolution"」 ([2016-03-14-1]) で一度取り上げた話題だが,再考してみたい.なぜ Samuels は本の題名に "linguistic change" ではなく "linguistic evolution" を用いたのか.Samuels にとって,両者の違いは何なのか.20世紀後半から,一度は地下に潜っていた言語の進化という見方が復権してきた感があるが,Samuels の用語使いを理解することは,現在の言語変化理論を考える上で役に立つだろう.先日,勉強会でこの問題について議論する機会を得て,少し理解が進んだように思うので,以下で Samuels が抱いていると思われる "linguistic evolution" のイメージをスケッチしたい.
前の記事では,私は Samuels にとっての "linguistic evolution" を「継承形態と現在の表現上の要求という相反するものの均衡を保とうとする融通性の高い装置」であり,「言語変化に関する普遍的な方向性を示すというよりは,言語変化に働く潜在的な力学を指していう用語」とみなした.基本的なとらえ方は変わっていないが,理解しやすくするために以下のような図を描いてみた.
language-internal and external factors │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ conservatism or 'inertia' the pressures that work │ towards clearer communication │ │ │ │ ↓ ↓ ┌──────────────────┐ ┌──────────────────┐ │ the inherited forms │ │the expressive needs of the present │ │ (= the old) │== equilibrium == │ (= the new) │ └────────┬─────────┘ └────────┬─────────┘ │ │ │ │ │ a considerable margin of tolerance │ └──────────────▲─────────────┘ │ │ □
「#775. 大母音推移は,発音と綴字の乖離の最大の元凶か」 ([2011-06-11-1]),「#2438. 大母音推移は,発音と綴字の乖離の最大の元凶か (2)」 ([2015-12-30-1]),「#2439. 大母音推移の英語音韻史上の意義」 ([2015-12-31-1]) で,大母音推移 (gvs) の評価について論じた.大母音推移は発音と綴字の乖離を生み出した諸要因のなかでも特に重大で広範な影響を及ぼした要因と信じられているが,果たしてその評価はどこまで妥当なのか.
Sato は,3巻からなる初級英語教科書 New Crown English Series より日常英単語924語を抜き出し,そこに含まれる母音について,綴字と発音の関係が大母音推移によってどの程度影響を受けているかを調べた.具体的には,発音と綴字の関係がより緊密だった古英語や中英語における発音と比較しながら,現代の両者の関係が,大母音推移によって説明され得る単語が何種類あるのかを数えた.
Sato は,中英語から大母音変化を経て近現代英語にまで続いた母音変化のタイプによって,以下のように9種類の語群を区別している.(i) /iː/ > /ai/; (ii) /uː/ > /au/; (iii) /eː/ > /iː/; (iv) /oː/ > /uː/; (v) /ɛː/ > /eː/ > /iː/; (vi) /ɔː/ > /ou/; (vii) /ɑː/ > /ei/; (viii) new /ɔː/; (ix) new /ɑː/ .(i) から (vii) までは,一般にいわれる大母音推移の入力と出力を表しているが,(viii) と (ix) については大母音推移が完了した後に別のソースから発現した新たな長母音であり,大母音推移との関係はあくまで間接的な意味においてであることに注意したい.では,Sato (20) の数値を示そう.
Members | (Exceptions) | Total | |
---|---|---|---|
Group (i) | 70 | (11) | 81 |
(ii) | 26 | (19) | 45 |
(iii) | 40 | (1) | 41 |
(iv) | 16 | (34) | 50 |
(v) | 28 | (25) | 53 |
(vi) | 40 | (30) | 70 |
(vii) | 39 | (6) | 45 |
(viii) | 71 | -- | 71 |
(ix) | 47 | -- | 47 |
Total | 377 | 126 | 503 |
「#585. 「背広」の語源」 ([2010-12-03-1]) の記事で,日本語の「背広」の語源説の1つとして,ロンドンにある高級紳士服の仕立屋の多い街路 Savile Row に由来するとの見方を紹介した.種々の語源説に関して,服飾評論家の出石が新書で「なぜ「背広」の語源は分かっていないのか」および「「セビロ」は外来語なのか日本語なのか」と題して2章分を割いて論じている.その議論を紹介しよう.
出石は,一般の語源辞典のほか服飾分野の参考図書にも目を通した上で,まず幕末から明治初期に「せびろ」が日本語に入り,定着してから,おそらく大正時代に「背広服」という呼称が現われたらしい点を指摘している (99) .後者は漢字表記としての「背広」を前提としており,英語の civil, Savile Row, Cheviot などが究極の起源となっている可能性は残るにせよ,早い段階で「背広」として日本語に同化していたようだ.出石 (99) 曰く,
「背広服」の言い方が好きであろうとあるいまいと,「背広服」が「背が広い」説の語源をもとに生まれていることだ.仮に「セビロ」の語源を“セイヴィル・ロウ”であると信じていたなら,「セビロ服」の表現は思いつかなかったのではないか.
出石 (101) は結論として次の説を採用している.
要するに幕末から明治のはじめにかけて,たとえば横浜居留地あたりで中国人の洋服職人と日本人職人とが接触をもったことは,おそらく事実であろう.そして中国人が「背広服」と言い始めて,その影響から「背広」が日本語になった,と考えているのに違いない.中国人であったか日本人であったかは別にして広く「背が広い」から説のひとつであることも間違いない.
中国人の仕立てのうまいことは定評だったようだ.この説によれば,「背広」は,英語の何らかの表現から音をとって,それを日本語として当てたのではないことになる.服の構造的特徴に着目し,最初から中国語なり日本語なりの漢字表記を意識して用意された訳語ということになる.
なお,civil clothes の civil を取ってきたという説について,これまで出所が不明確であったが,出石 (102--04) は文献をたどって,荒川惣兵衛がその説を楳垣稔に帰し,後者はさらに師の市河三喜に帰していることが判明した.つまり,これは最終的には市川説と呼んでよさそうだという.英語起源説は,この英語学の大家によって人口に膾炙することになったもののようだ.国語学者の新村出までも,後にこの説を受け入れるに至った (106--07) .さらにいえば,出石 (108) はあくまで推測としているが,Savile Row 説の発案者は福原麟太郎ではないかという.この辺りの「言い出しっぺ捜し」はすこぶるおもしろい.語源学とは,歴史や学者の伝記にも目配りをする必要があるのだろう (cf. 「#466. 語源学は技芸か科学か」 ([2010-08-06-1]),「#727. 語源学の自律性」 ([2011-04-24-1]),「#1791. 語源学は技芸が科学か (2)」 ([2014-03-23-1]) .
・ 出石 尚三 『福沢諭吉 背広のすすめ』 文藝春秋〈文春新書〉,2008年.
昨日の記事「#2520. 後期中英語の134種類の "such" の異綴字」 ([2016-03-21-1]) に続き,今回は初期中英語コーパス LAEME で "such" の異綴字を取り出してみたい (see 「#1262. The LAEME Corpus の代表性 (1)」 ([2012-10-10-1])) .この語は,初期中英語では形容詞,副詞,接続詞として用いられ,形容詞の場合には屈折もするので,全体として様々な形態が現われる.アルファベット順に一覧しよう(かっこ内の数値は文証される頻度).
hsƿucche (1), schilke (1), schuc (3), scli (1), scuche (1), sec (1), secc (1), secche (1), sech (2), seche (1), selk (1), selke (1), shuc (1), shuch (1), siche (1), silc (1), silk (3), sli (1), slic (5), sliik (1), slik (3), slike (1), slk (1), sly (1), soch (5), soche (1), solchere (1), suc (2), sucche (2), such (51), suche (1), suecche (1), suech (1), sueche (1), sueh (1), sug (1), suic (1), suicchne (1), suich (12), suiche (3), suilc (14), suilce (1), suilch (1), suilk (1), suilke (2), sulch (1), sulche (1), sulk (1), sulke (1), suuche (1), suweche (1), suwilk (1), suyc (1), suych (4), suyche (1), svich (2), sƿche (1), sƿic (3), sƿicche (1), sƿich (1), sƿiche (14), sƿichne (1), sƿilc (30), sƿilch (22), sƿilche (1), sƿilcne (1), sƿilk (14), sƿillc (10), sƿillke (2), sƿi~lch (1), sƿlche (1), sƿuc (4), sƿucch (1), sƿucche (4), sƿucches (1), sƿuch (1), sƿuche (1), sƿuchne (1), sƿuilc (1), sƿulc (8), sƿulce (1), sƿulche (9), swch (1), swecche (1), swech (1), sweche (2), swich (5), swiche (1), swics (1), swil (1), swilc (5), swilce (1), swilk (2), swilke (2), swilkee (2), swlc (1), swlch (1), swlche (1), swlchere (1), swlcne (1), swuche (2), swuh (1), swulcere (1), swulch (3), swulchen (1), swulchere (1), swulke (1), swulne (1), zuich (10), zuiche (14), zuichen (3), zuych (10), zuyche (2)
大文字と小文字の区別はつけずに,合計113種類の綴字が文証される.そのなかで頻度にしてトップ5の綴字を抜き出すと,such, sƿilc, sƿilch, sƿilk, sƿiche となり,この5種類だけで全用例369個のうち131個 (35.5%) を占める.
昨日の後期中英語からの134種類と合わせ,重複綴字を減算すると,中英語全体として247種類の異綴字があることになる.使用した方言地図やコーパスも必ずしも網羅的ではないので,これは控えめな数値と思われる.例えば,MED の swich (adj.) に掲げられている異綴字を加えれば,種類はもう少し増えるだろう.
「#53. 後期中英語期の through の綴りは515通り」 ([2009-06-20-1]),「#219. eyes を表す172通りの綴字」 ([2009-12-02-1]) に引き続き,英語史における著しい綴字の変異について.今回は,異綴字の種類の多さに定評のある(?) "such" を取り上げる.
「#1622. eLALME」 ([2013-10-05-1]) で紹介した,後期中英語の方言地図 LALME の改訂・電子版 eLALME において,Item List 10 が "such" を扱っている.この一覧から異綴字を抜き出すと,不確かな例を除いて少な目に数えても,以下の134種類が挙がる(かっこ内の数値は文証される頻度).
asoche (1), aswyche (1), schch (1), schech (1), scheche (3), schiche (1), schoche (1), scht (1), schuc (1), schuch (3), schuche (4), schut (1), schute (1), sclik (2), sclike (1), sclyk (2), sclyke (2), scoche (1), scwche (1), sech (8), seche (39), sewyche (2), shich (1), shiche (1), shoch (1), shoche (1), shuch (5), shuche (3), shych (1), sic (6), sic- (1), sich (53), siche (101), sick (1), sɩͨh (1), sik (1), sik- (1), sike (2), silk (3), sli (1), slieke (1), slik (10), slike (26), slilk (2), slkyke (1), slyk (13), slyke (26), soch (12), soche (60), souche (3), sowche (2), soyche (1), squike (1), squilk (2), squylk (1), sqwych (1), sqwyche (1), sswiche (1), suc (1), succh (1), sucche (5), such (242), suche (375), suchee (1), sucheȝ (1), suchet (1), sucht (1), suchte (1), suech (4), sueche (6), suhc (1), suhe (1), suich (9), suiche (7), suilk (6), suilk- (1), suilke (3), suilkin (1), sulc (1), sulk (4), sulke (2), sutche (1), suth (1), suuch (1), suuche (1), suuech (1), suueche (1), suych (13), suyche (15), suylk (7), suylke (6), svche (1), sviche (1), swc (1), swch (7), swche (4), swech (19), sweche (48), swelk (4), swhiche (2), swhilke (2), swhych (2), swhyche (1), swic (2), swich (77), swiche (84), swichee (1), swilc (3), swilk (76), swilke (45), swilkes (1), swisɩͨhe (1), swlk (1), swlke (1), swuch (3), swuche (2), swych (56), swyche (65), swyeche (1), swyk (1), swyke (1), swyl (1), swylk (62), swylke (35), swylle (1), syc- (1), sych (23), syche (67), syge (1), syk (4), syk- (1), syke (5), sylk (3), sylke (2)
方言の別を度外視して頻度の統計を取ると,トップ10が suche, such, siche, swiche, swich, swilk, syche, swyche, swylk, soche である.トップの2種類 suche と such は現代英語を見慣れている者にとって,十分常識的にみえるだろう.実際,この2種類だけで617例が文証され,総1867例のほぼ3分の1を占める.また,トップの10種類だけで,ほぼ3分の2を占める.したがって,異綴字がこれだけ多くあるからといって,そのまま完全なる混沌に等しい,ということにはならない.このような事情は,中英語期に多種類の綴字が認められる多くの語について認められ,混沌のなかにもある程度の秩序らしきものがが宿っているといえる.そうだとしても,当時の書き手と読み手にとってはやはり不便な状況だったに違いない.この点については,「#1311. 綴字の標準化はなぜ必要か」 ([2012-11-28-1]),「#1450. 中英語の綴字の多様性はやはり不便である」 ([2013-04-16-1]) で論じた通りである.
初期中英語や近現代の諸方言形を調べれば,もっと異綴字の種類は増すだろう.出典は失念したが,数え方にもよるものの,500種類ほどという数字を見かけたことがある・・・.
「#1634. 「エキシビジョン」と equation」 ([2013-10-17-1]) で取り上げたように,<-tion> 語尾に対応する通常の発音は /-ʃən/ だが,例外的に equation の通用発音は /ɪˈkweɪʒən/ となり,語尾の摩擦音は有声化している./-ʃən/ と /-ʒən/ の揺れは <-sion> や <-sian> ではよく見られるので,それが類推的に <-tion> にも拡大したものと考えられるが,例はきわめて少ない.
equation のほかに,もう1つの例として transition がある(磯部,p. 64).LPD によると,この単語にはイギリス英語では3種類の発音が行なわれている./trænˈzɪʃən/, /trænˈsɪʃən/, /trænˈsɪʒən/ である.Preference poll によると,それぞれの使用比率は75%, 16%, 9%で,問題の /-ʒən/ をもつ発音は最も少ないが,例としては聞かれる.ただし,これはアメリカ英語では行なわれていないようだ.
・ 磯部 薫 「現代英語の単語の spelling と sound のdiscrepancy について―特に英語史の観点から見た orthography と phonology の関係について―」『福岡大学人文論叢』第8巻第1号, 1976年.49--75頁.
・ Wells, J C. ed. Longman Pronunciation Dictionary. 3rd ed. Harlow: Pearson Education, 2008.
磯部 (118) の調べによると,現代英語の正書法において子音字が黙字 (silent_letter) を含む語形は,派生語や屈折形を含めて420語あるという.子音字別に内訳を示すと以下の通り.<b> (24 words), <c> (11), <ch> (4), <d> (17), <f> (2), <g> (41), <gh> (41), <h> (57), <k> (11), <l> (67), <m> (1), <n> (14), <s> (22), <p> (31), <ph> (2), <r> (1), <t> (37), <th> (2), <w> (33), <x> (2) .磯部論文では,これらの具体例がひたすら挙げられており,壮観である.以下,読んでいておもしろかった点,意外だった例などを独断と偏見で抜き出し,紹介したい.
(1) 語末の <mb> で <b> が黙字となる例は「#34. thumb の綴りと発音」 ([2009-06-01-1]), 「#724. thumb の綴りと発音 (2)」 ([2011-04-21-1]), 「#1290. 黙字と黙字をもたらした音韻消失等の一覧」 ([2012-11-07-1]),「#1917. numb」 ([2014-07-27-1]) などで挙げてきたが,もう少し例を追加できる.古英語や中英語で <b> (= /b/) はなかったが,後に <b> が挿入されたものとして limb, crumb, numb, thumb がある.一方,かつては実現されていた <b> = /b/ が後に無音化した例として,climb, bomb, lamb, comb, dumb, plumb, succumb がある.<mb> の組み合わせでも,rhomb (菱形), zimb (アブの一種), iamb (弱強格)などの専門用語では <b> が発音されることもある.
(2) 「#2362. haplology」 ([2015-10-15-1]) の他の例として,mineralogy < mineralology, pacifism < pacificism, stipend < stipi-pendium, tragicomedy < tragic comedy がある.
(3) perhaps はくだけた発音では /præps/ となり,<h> は黙字となる.
(4) iron において,アメリカ英語では <r> は発音されるが,イギリス英語では <r> が無音の /ˈaɪən/ となる.
(5) kiln
は綴字発音 (spelling_pronunciation) の /kɪln/ が普通だが,中英語期に <n> が無音となった歴史的な発音 /kɪl/ もある.同様に Milne も /mɪln/ が普通だが,Jones の発音辞典 (1967) では /mɪl/ のみが認められていたというから,綴字発音はつい最近のことのようだ.
(6) Christmas は注意深い発音では /ˈkrɪstməs/ となり <t> は黙字とならない.このような子音に挟まれた環境では,歴史的に <t> は無音となるのが通常だった (see 「#379. often の spelling pronunciation」 ([2010-05-11-1])) .
(7) 航海用語としての southeast, northeast では <th> は無音となる./saʊ ˈiːst/, /nɔːr ˈiːst/ .
この論文を熟読すると,君も黙字のプロになれる!
・ 磯部 薫 「Silent Consonant Letter の分析―特に英語史の観点から見た場合を中心として―」『福岡大学人文論叢』第5巻第1号, 1973年.117--45頁.
英語史をはじめ歴史言語学や言語史を学んでいると,しばしば古典語 (classical language) という用語に出くわす.古典語の典型的な例は,西洋(史)の古典文化や古典時代と結びつけられる言語としてのラテン語 (Latin) や古典ギリシア語 (Ancient Greek) である.古典語は現代語 (modern language) と対立するものであり,そこから「古典語=死んだ言語 (dead language)」という等式が連想されそうだが,それほど単純なものではない (cf. 「#645. 死語と廃語」 ([2011-02-01-1])) .古典語の属性としては,活力 (vitality) のほか,自律性 (autonomy) と標準性 (standardisation) も肝要である (see 「#1522. autonomy と heteronomy」 ([2013-06-27-1])) .Trudgill (22) の用語集より説明を引こう.
classical language A language which has the characteristics of autonomy and standardisation but which does not have the characteristic of vitality, that is, although it used to have native speakers, it no longer does so. Classical European languages include Latin and Ancient Greek. The ancient Indian language Sanskrit, an ancestor of modern North Indian languages such as Hindi and Bengali, is another example of a classical language, as is Classical Arabic. Classical languages generally survive because they are written languages which are known non-natively as a result of being used for purposes of religion or scholarship. Latin has been associated with Catholicism, Sanskrit with Hinduism, and Classical Arabic with Islam.
日本においては,古い中国語,いわゆる漢文が古典語として扱われてきた.漢文は,現在では日常的使用者がいないという意味で vitality を欠いているが,そこには autonomy と standardisation が認められ,学問・思想と強く結びつけられてきた書き言葉の変種である.
なお,古典語のもう1つの属性として,上の引用中にも示唆されているものの,歴史的な権威 (historical authority) を明示的に加えてもよいのではないかと思われる.
・ Trudgill, Peter. A Glossary of Sociolinguistics. Oxford: Oxford University Press, 2003.
昨日の記事「#2515. 母音音素と母音文字素の対応表」 ([2016-03-16-1]) に引き続き,磯部 (19--21) を参照して,子音(字)の対応表を掲げる.
consonantal phoneme | consonantal grapheme の例 | 種類 | |
---|---|---|---|
1 | /p/ | p, gh, pp, ph, pe | 5 |
2 | /b/ | b, bh, bb, pb, be | 5 |
3 | /t/ | t, th, pt, ct, ed, tt, bt | 7 |
4 | /d/ | d, bd, dh, dd, ed, ddh | 6 |
5 | /k/ | k, c, kh, ch, que, qu, cque, cqu, q, cch, cc, ck, che, ke, x, gh, cu | 17 |
6 | /q/ | g, gu, gh, gg, gue | 5 |
7 | /ʧ/ | ch, tch, t, c, cz, te, ti | 7 |
8 | /ʤ/ | j, g, dg, gi, ge, dj, g, di, d, dge, gg, ch | 12 |
9 | /f/ | f, ph, gh, ff, v, pph, u, fe | 8 |
10 | /v/ | v, f, ph, vv, v | 5 |
11 | /θ/ | th | 1 |
12 | /ð/ | th | 1 |
13 | /s/ | s, sci, c, sch, ce, ps, ss, sw, se | 9 |
14 | /z/ | z, se, x, ss, cz, zz, sc | 7 |
15 | /ʃ/ | sh, shi, sch, s, si, ss, ssi, ti, ch, ci, ce, sci, chsi, se, c, psh, t | 17 |
16 | /ʒ/ | s, z, si, zi, ti, ge | 6 |
17 | /h/ | h, wh, x | 3 |
18 | /m/ | m, mb, mn, mm, mpd, gm, me | 7 |
19 | /n/ | n, mn, ne, pn, kn, gn, nn, mpt, ln, dn | 10 |
20 | /ŋ/ | ng, n, ngue, nd, ngh | 5 |
21 | /l/ | l, ll, le | 3 |
22 | /r/ | r, rh, rrh, rr, wr | 5 |
23 | /j/ | y, j, i, ll | 4 |
24 | /w/ | w, o, ou, u | 4 |
合計 | 159 |
現代英語の音素と文字素の対応について詳細に記述した磯部の論文を入手した.淡々と列挙される事例を眺めていると,いかに漏れのないよう細心の注意を払いつつ例を集め,網羅的に整理しようとしたかという,磯部の姿勢が伝わってくる.今回は,磯部 (18--19) に掲げられている母音に関する音素と文字素の対応表を再現したい.各々の対応を含む実際の語例については,直接論文に当たっていただきたい
vocalic phoneme | vocalic grapheme の例 | 種類 | |
---|---|---|---|
1 | /i/ | ee, ea, e, e...e, ei, ie. eo, i, ae, oe, ay, ey, eau, e, ui | 15 |
2 | /ɪ/ | i, ie, e, y, o, ui, ee, u, ay, ea, ei, ia, ai, a, ey, eight | 16 |
3 | /e/ | e, ea, ai, ay, eo, ie, ei, u, eh, ey, ae, egm, a, oe | 15 |
4 | /æ/ | a, ai | 2 |
5 | /ʌ/ | u, o, ou, oo, oe, ow | 6 |
6 | /ɑ/ | are, ah, al, ar, a, er, au, aa, ear, aar, ir | 11 |
7 | /ɐ/ | o, a, ow, ou, au, ach | 6 |
8 | /ɔ/ | aw, a, al, au, ough, oa, or, our, oo, ore, oar, as, o, augh | 15 |
9 | /ʊ/ | oo, o, ou, oul, oe, or | 7 |
10 | /uː/ | oo, o, o...e, u, wo, oe, ou, uh, ough, ow, ui, eux, ioux, eu, ew, ieu, ue, oeu | 18 |
11 | /ɜ/ | ur, urr, ear, ir, err, er, or, olo, our, eur, yr, yrrh | 12 |
12 | /ə/ | a, u, ar, o, e, ia, i, ough, gh, ou, er, o(u)r, or, ei, ure, eon, oi, or, oar | 19 |
13 | /eɪ/ | a...e, a, ea, ai, ei, ay, ao, eh, ey, eigh, ag, aig, e, alf, aa, au, ae, oi, e, et | 20 |
14 | /ɑɪ/ | i, i...e, eye, ay, ie, y, igh, uy, y...e, ign, ye, eigh, is, ui, oi, ey, ei, ais | 19 |
15 | /ɔɪ/ | oi, oy, eu, uoy | 4 |
16 | /əʊ/ | o...e, ol, ow, oh, owe, o, ou, oa, oe, eo, ew, ough, eau, au, ogn | 16 |
17 | /aʊ/ | ow, aou, ou, eo, au, ough, iaour | 7 |
18 | /ɪə/ | ear, eer, ia, ere, eir, ier, a, ea, eu, iu, e, eou, eor, iou, io, ir | 16 |
19 | /eə/ | are, air, ear, eir, ere, aire, ar, ayor | 8 |
20 | /ʊə/ | uo, oer, oor, ure, our, ua, ue, we, uou | 9 |
合計 | 241 |
中世英文学の規範テキストといえば,言わずとしれた Geoffrey Chaucer (1340--1400) の諸作品,なかんずく The Canterbury Tales である.英文学史の本流をなすこのテキストの評価は,今なお高い.一方,中世英文学の珠玉の名作と言われる Sir Gawain and the Green Knight をものした無名の詩人の諸テキストも文学的な評価は高いが,英文学史上の位置づけは Chaucer と比して周辺的である.これは,SGGK に類似したテキストが後に現われなかったことや,詩人の用いた言語が,英語の本流から外れた非標準的な匂いのするイングランド北西方言のものだったことが関わっているだろう.このように,英語や英文学に何らかの規範性を無意識のうちに認めている現代の校訂者や読者のもつ Chaucer と Gawain 詩人に対する見解には,多分に先入観が含まれている可能性がある.
Horobin (106) は,この先入観を,現代の校訂者が各々のテキストにおける綴字をどのように校訂したかという観点から明らかにしようとした.Horobin は,The Canterbury Tales の "The General Prologue" の有名な冒頭部分について,現代の標準的な校訂版である Riverside Chaucer のものと,最も権威ある写本の1つ Hengwrt 写本のものとを対比して,いかに校訂者が写本にあった綴字を現代風に改変しているかを示した.例えば,写本に現われる <þ> は校訂本では <th> に置き換えられており,種々の省略記号も暗黙のうちに展開されており,句読点も現代の読者に自然に見えるように付加されている.
一方,SGGK では,校訂者は写本テキストにそれほど改変を加えていない.<þ> や <ȝ> はそのまま保たれており,校訂本でも写本の見栄えを,完璧とはいわずともなるべく損なわないようにとの配慮が感じられるという.
Horobin (106) は,両作品の綴字の校訂方法の違いは現代校訂者の両作品に対する文学史上の評価を反映したものであると考えている.
The tendency for editors to remove the letter thorn in modern editions of Chaucer is quite different from the way other Middle English texts are treated. The poem Sir Gawain and the Green Knight, for instance, written by a contemporary of Chaucer's, is edited with its letters thorn and yogh left intact. This difference in editorial policy is perhaps a reflection of different attitudes to the two authors. Because Chaucer is seen as central to the English literary canon, there is a tendency to present his works as more 'modern', thereby accentuating the myth of an unbroken, linear tradition. The anonymous poet who wrote Sir Gawain and the Green Knight, using a western dialect and the old-fashioned alliterative metrical form, is further cut off from the literary canon by presenting his text in authentic Middle English spelling.
このような現代校訂者には,特に悪意はないかもしれないが,少なくとも何らかの英文学史上の評価に関わる作為はあるということだろうか.
・ Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013.
言語進化論は,近年盛んに唱えられるようになってきた言語(変化)観であり,歴史言語学において1つの潮流となっている.本ブログでは「#432. 言語変化に対する三つの考え方」 ([2010-07-03-1]),「#519. 言語の起源と進化を探る研究分野」 ([2010-09-28-1]),「#520. 歴史言語学は言語の起源と進化の研究とどのような関係にあるか」 ([2010-09-29-1]),「#2260. 言語進化論の課題」 ([2015-07-05-1]) ほか evolution の各記事で関連する話題を取り上げてきた.
Samuels (1) は早くから "linguistic evolution" を論じて言語変化を研究した論者の1人だが,その古典的著作の冒頭で "linguistic change" ではなくあえて "linguistic evolution" という用語をタイトルに用いた理由について述べている.
The title of this book ('Linguistic Evolution') was chosen in preference to 'Linguistic Change' although it is about linguistic change. This is because its purpose is to attempt an examination of the large complex of different factors involved, and the title 'Linguistic Change' might have entailed an oversimplification.
言語変化には複数の要因が複雑に関与しており (multiple causation of language change),その複雑さをあまりに単純化してただ "change" として扱うことに抵抗があるということのようだ.上の引用に続けて,Samuels (1) は "linguistic evolution" という用語が誤解を招きやすいことをも認めており,注意を促している."evolution" が「進歩,前進」という道徳的な含意をもつことがあるからだろう.
Nevertheless 'evolution' is itself open to the misunderstanding that some sort of progress is implied, that a clearer or more effective means of communication has been achieved as a result of it. That meaning of 'evolution' is not intended here. We are not concerned here with the prehistoric origins of human language, and, as has often been pointed out, there is today no such thing as a 'primitive' language, every language is of approximately equal value for the purposes for which it has evolved, whether it belongs to an advanced or a primitive culture.
では,Samuels のいう "linguistic evolution" とはいかなるものか.それは,継承形態と現在の表現上の要求という相反するものの均衡を保とうとする融通性の高い装置ということのようだ.
. . . it would appear, on the one hand, that both externally and internally in language development an equilibrium must be maintained between the old and the new, between the inherited forms and the expressive needs of the present; but at the same time, that the margin of tolerance and choice in the maintenance of that equilibrium is probably fairly wide, except, that is, for certain especial points of pressure that vary in each era. It is in that sense that 'evolution' is intended here.
Samuels にとって(そして,現在の多くの言語進化論者にとって),"linguistic evolution" とは,言語変化に関する普遍的な方向性を示すというよりは,言語変化に働く潜在的な力学を指していう用語である.
・ Samuels, M. L. Linguistic Evolution with Special Reference to English. London: CUP, 1972.
昨日の記事 ([2016-03-12-1]) に引き続き,標題について.try, like, start, forget などの動詞は目的語として不定詞も動名詞も取ることができるが,いずれを取るかによって若干の意味の違いが現われることがあると言われる.Quirk et al. (§16.40) によると,不定詞は動詞のあらわす動作の "potentiality" を,動名詞はその実際の "performance" を含意するのが原則である.
As a rule, the infinitive gives a sense of mere 'potentiality' for action, as in She hoped to learn French, while the participle gives a sense of the actual 'performance' of the action itself, as in She enjoyed learning French. In the case of try, the double meaning is particularly clear:
Sheila tried ----+---- ''to bribe'' the jailor. [1] | +---- ''bribing'' the jailor. [2]
[1] implies that Sheila attempted an act of bribery, but did not manage it; [2] implies that she actually did bribe the jailor, but without (necessarily) achieving what she wanted. With other verbs, the difference is more subtle, and may be overruled or neutralized by the meaning of the verb of the main clause. For example, the negative meaning of avoid and escape cancels out the sense of 'performance' in He escaped/avoided being branded as a traitor.
この一般原則による差違の説明は,概ね当てはまるようだが,文脈によっては差違が中和されることもあるので,不定詞か動名詞かの使い分けに関する絶対的な基準とはなりにくいことが示唆される.
Quirk et al. はこの後,感情動詞 (dread, hate, like, loathe, love, prefer),相動詞 (start, continue, cease),回顧動詞 (forget, remember, regret) の各々について,どのような意味的な差違が生じ得るのか,あるいはどのような場合にその差違が中和されるのかを考察している.特に興味深いのは,相動詞 start について,複数の動作が関わる場合には動名詞が選択されやすいということだ.そこから,He began opening all the cupboards では不定詞 to open を用いることも可能ではあるが,動名詞のほうがふさわしいという.ここには目的語の表わす動作の相という問題が関わってくるようだ.回顧動詞に関しても,相や時制が深く関与することが知られている.
・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985.
現代英語では,他動詞の目的語として取りうる準動詞の選択肢として,不定詞と動名詞がある.しかし,他動詞によっては,どちらかしか受け付けないものもあれば,両方受け付けるもの,また両方受け付けるが意味が相互に異なるものなど,まちまちである.この問題について3月3日付けで掲示板に質問が寄せられた.現代英語学では動詞の補文の型の問題や文型の問題として様々に研究されているようだが,歴史的にはどうなのだろうか.あまり関連する論文などを読んだことがないので,正直なところ状況があまり分からない.当面,以下のような回答しかできなかった.
動詞の目的語として不定詞をとるか動名詞をとるかという問題ですね.現代英語では,不定詞は未来志向で動名詞は過去志向と言われることがありますが,必ずしもきれいには説明できないようです.歴史的にも説明はたやすくなく,研究すべき重要な問題だと思います.中英語でもすでに,個々の動詞によっていずれを目的語にとるかの傾向があり,全体としては不定詞のほうが多かったようですが,詳しくは未調査です.歴史的には,目的語のタイプについて相互乗り入れしたり,一方から他方へ乗り換えたりという過程を経た動詞もあったのではないかと思われますし,現在もそのような変化の最中というケースがあるかもしれません.統語的な観点から動詞を分類し,その分類の上に立って歴史的変遷を追っていく必要がありそうです.ご質問に明確な答えを出すことができませんが,おいおい調べたいと思います.
この問題について調べてゆく手始めとして,現代英語の状況をまとめておきたい.まずは,Quirk et al. (§16.38--40) を参照して,目的語として不定詞を取ることのできる動詞を,意味範疇ごとに区分しながら一覧する.頭に * 記号の付されている動詞は,動名詞を取ることもできるものである.また,各行でセミコロンの後にある動詞は,名詞目的語を取る場合に前置詞を要するものである.
[ 不定詞を取る動詞 ]
(i) *dread, *hate, *like, *loathe, *love, *prefer; long [for], ache [for], aim [for], aspire [to], burn [for], burst [for], (not) care [for], clamour [for], itch [for], yearn [for]
(ii) *begin, *cease, *commence, *continue, *start;
(iii) *forget, *remember, *regret; *bother [about], condescend [to], *delight [in], *hesitate [about]
(iv) *choose, hope, *intend, *mean, *need, *plan, *propose, *want, wish;
(v) deign, *disdain, *help, *scorn, *venture
(vi) ask, beg, decline, demand, offer, promise, refuse, swear, undertake, vow; agree [to/on/about], consent [to]
(vii) affect, claim, *profess; pretend [to]
(viii) *afford, *attempt, contrive, endeavour, fail, learn, manage, neglect, omit, *try; strive [for], seek [for]
(ix) *arrange [for], *decide [on], *resolve [on], *prepare [for], *serve [for]
次に,動名詞を取る動詞を一覧する.頭に * 記号の付されている動詞は,不定詞を取ることもできるものである.(vi) は前置詞を伴う動詞,(v) は句動詞,(vi) は前置詞を伴う句動詞である.
[ 動名詞を取る動詞 」
(i) (can't) bear, begrudge, detest, dislike, *dread, *enjoy, (not) fancy, *hate, *like, *loathe, *love, (not) mind, miss, *regret, relish, resent, (can't) stand
(ii) *cease, *commence, *continue, quit, resume, *start, stop
(iii) admit, avoid, confess, consider, deny, deserve, discourage, envisage, escape, *forget, (can't) help, imagine, involve, justify, *need, permit, *propose, recall, recommend, *remember, repent, require, risk, save, *try, *want
(iv) bank on, count on, decide on, delight in, play at, resort to, see about, shrink from
(v) break off, give up, leave off, put off, take up
(vi) do away with, get around to, go in for, look forward to
今回は列挙のみに終わったが,明日は不定詞と動名詞のいずれも取り得る動詞について,その意味的な差違について触れたい.
・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985.
Samuel Johnson (1709--84) の A Dictionary of the English Language (1755) は,英語史上の語彙や綴字の問題に関する話題の宝庫といってよい.その辞書とこの大物辞書編纂者については,「#1420. Johnson's Dictionary の特徴と概要」 ([2013-03-17-1]),「#1421. Johnson の言語観」 ([2013-03-18-1]) ほか,johnson の記事ほかで話題を提供してきた.今回は,現代英語の書き手にとって厄介な practice (名詞)と practise (動詞)のような2種類の単語・綴字の区別について,Johnson が関与していることに触れたい.
Horobin (148) によれば,中英語では practice も practise も互いに交換可能なものとして用いられていたが,Johnson の辞書の出版により現代の区別が確立したとしている.Johnson は見出し語として名詞には practice を,動詞には practise を立てており,意識的に区別をつけている.ところが,Johnson 自身が辞書の別の部分では品詞にかかわらず practice の綴字を好んだ形跡がある.例えば,To Cipher の定義のなかに "To practice arithmetick" とあるし,Coinage の定義として "The act or practice of coining money" がみられる.
Johnson が導入した区別のもう1つの例として,council と counsel が挙げられる.この2語は究極的には語源的なつながりはなく,各々はラテン語 concilium (集会)と consilium (助言)に由来する.しかし,中英語では意味的にも綴字上も混同されており,交換可能といってよかった.ところが,語源主義の Johnson は,ラテン語まで遡って両者を区別することをよしとしたのである (Horobin 149) .
さらにもう1つ関連する例を挙げれば,現代英語では非常に紛らわしい2つの形容詞 discreet (思慮のある)と discrete (分離した)の区別がある.両語は語源的には同一であり,2重語 (doublet) を形成するが,中英語にはいずれの語義においても,フランス語形 discret を反映した discrete の綴字のほうがより普通だった.ところが,16世紀までに discreet の綴字が追い抜いて優勢となり,とりわけ「思慮深い」の語義においてはその傾向が顕著となった.この2つの形容詞については,Johnson が直に区別を導入したというわけではなかったが,辞書を通じてこの区別を広め確立することに貢献はしただろう (Horobin 149) .
このように Johnson は語源主義的なポリシーを遺憾なく発揮し,現代にまで続く厄介な語のペアをいくつか導入あるいは定着させたが,妙なことに,現代ではつけられている区別が Johnson では明確には区別されていないという逆の例もみられるのだ.「#2440. flower と flour (2)」 ([2016-01-01-1]) で取り上げた語のペアがその1例だが,ほかにも現代の licence (名詞)と license (動詞)の区別に関するものがある.Johnson はこの2語をまったく分けておらず,いずれの品詞にも license の綴字で見出しを立てている.Johnson 自身が指摘しているように名詞はフランス語 licence に,動詞はフランス語 licencier に由来するということであれば,語源主義的には,いずれの品詞でも <c> をもつ綴字のほうがふさわしいはずだと思われるが,Johnson が採ったのは,なぜか逆のほうの <s> である (Horobin 148) .Johnson は,時々このような妙なことをする.なお,defence という名詞の場合にも,Johnson は起源がラテン語 defensio であることを正しく認めていたにもかかわらず,<c> の綴字を採用しているから,同じように妙である (Horobin 149) .Johnson といえども,人の子ということだろう.
・ Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013.
「#1600. Samuels の言語変化モデル」 ([2013-09-13-1]) で少し触れたが,Samuels は言語変化とそれを引き起こす諸要因を考える上での基本的な対立として,Intralinguistic と Extralinguistic を考えており,前者はさらに Intrasystemic と Extrasystemic に分けられる.Samuels (7) による関係図を少々改変して示すと,以下の通りである.
Intralinguistic ─────┬───── Intrasystemic │ └───── Extrasystemic 1 (linguistic sense only) Extralinguistic ─────────── Extrasystemic 2 (non-linguistic sense, here not used)
「#2339. 書き言葉の自立性に関する Vachek の議論 (1)」 ([2015-09-22-1]) とそこに張ったリンク先の記事や「#2340. 書き言葉の自立性に関する Vachek の議論 (2)」 ([2015-09-23-1]),「#2431. 書き言葉の自立性に関する Bolinger の議論」 ([2015-12-23-1]) で扱ってきた話題である.Samuels も書き言葉の自立性という考え方を重要視しており,言語変化に関する古典的な著書で次のように述べている.
The substance of language, from a descriptive point of view, exists in two equally valid and autonomous shapes --- spoken and written. As a code, each exists in its own right, and there has been justifiable insistence, in recent decades, that graphetics and graphemics must in the first instance be studied separately before their relationship with phonetics and phonemics can be considered. This according of equal status to the written language is not to deny that it is ultimately derived from, and dependent on, the spoken language; but it is necessary, if only to disprove the naive speaker's notion that the written language is a mirror-image of what he speaks (or vice versa), or that it is based on contemporary spoken language, and not the spoken language of various periods in the past. (Samuels 4)
Samuels (5) は書き言葉と話し言葉の相互関係について,次のようにも述べている.
Though there are many differences of convention, the two media both expound what is essentially 'the same language'; and although, for the purpose of describing them at a given point of time they must be kept separate, it may be that for studying their development over a period of time, the interactions between the two media are just as important as their developments as entities.
書き言葉の自立性という問題については,私も最近の論文のなかで一部論じているので,堀田 (188--92) を参照されたい.
・ Samuels, M. L. Linguistic Evolution with Special Reference to English. London: CUP, 1972.
・ 堀田 隆一 「英語書記体系の非表音性――理論および歴史的発達――」『文法記述の諸相?』中央大学人文科学研究所(編),2016年.183--216頁.
齋藤 (2--5) が『英文学史概説』で,英文学(史)の特質を,自由と法則の並存あるいは交替として一掴みに要約している.非常に簡潔な見取り図である.長いが以下に引用する.
イギリス人は個人の思想と行動との自由を切望すると同時に,秩序を守り法則を尊ぶ.それは,放縦と乱脈とにおちいることなく,徐徐として自由獲得を完成するためである.かように彼らは良識に富み,実行性がゆたかである.しかし彼らは驚嘆すべき想像力と独創力とを特徴としている.そしてイギリス文学は,この国民性の現われである.
イギリス人は,概括的に言えば,系統化を好まない.そして明解な説明よりも余韻の多い暗示に重きをおく.また気のきいた wit よりも humour を愛する.ヒューマーとは,悲喜愛憎,いかなるばあいにも,心のゆとりとうるおいとを失わずに,聞く人,見る人をにこりとさせる表現である.機智は人をからからと笑わせることに終りがちであるが,ヒューマーは難局を救い,そのあとまでも考えさせる.そしてこの暗示とヒューマーとは,イギリス文学における表現上の特色である.
イギリス人の祖先は荒寥たる北国に住んでいたので,孤独な生活に馴れ,そして人よりも絶対者にたより,また教会を中心として社会生活をいとなんで来た.従って今日にいたるまで,イギリス文学は宗教的道徳的精神に富んでいる.そしてそこには Puritan spirit の長短特質両面が現われている.
また自然感のゆたかなことも,イギリス文学の特色である.山川,草木などをも生物と見なすことは,鳥や犬などを愛することと相通ずるこころの現われであろう.そして都会生活には移り変わりが多いけれども,自然のすがたにはそれが稀であるから,自然をうたった文学には流行おくれとして見捨てられるものがすくない.
西欧諸国と同じく,イギリスの文学も,民族固有の特質が専らイスラエル思潮とギリシア思潮との流れを汲むことによって発達した文化の表現である.聖書にえがかれているイスラエル民族の長所は,唯一絶対の神を信じ,厳粛な道徳を目標として生活したことにある.またギリシア民族の特質は,多様な教養を完成するために,善と美とを兼ね備えた心境に必要なものとして理性を尊んだ点にある.なおギリシア人が形体美にあこがれたことと,イスラエル人が偶像をしりぞけたこととは,大きな対照をなす.そしてイギリス文学は,この二大思潮を融合させようとしたものとも見られようけれども,どちらかと言えば,アングロ・サクソン民族には,聖書の真剣さがギリシア・ローマの古典の知性尊重よりも性に合うものらしい.
注意すべき点がもう一つある.イギリス文学において自由を尊ぶことと法則を重んじることが入りまじり,そして両者がよく調節されてはいるが,主として表現について言えば,法則を守ることと自由を主張することとが,時代の推移とともに,互に交代した.中世には人々がカトリック教を殆んど無条件に信奉したように,中世前期の詩人はゲルマン民族の韻律法をきびしく守り,また中世後期には封建制度の法則とともにフランス語の韻律法を取り入れて,その法則に従った.けれども近世になってからは,Renaissance の影響を受けて,あらゆる方面に人間の能力を延ばそうとする自由の精神が特色となり,文学には放胆な表現が盛んに用いられた.次の時代に,Puritans は聖書に記してある神の命令には絶対に服従することを主張したが,王権をおさえて民権と自由とのために戦った.それと同様に,表現上は古典を模範とする者と新機軸を求める者とが並び存した.王政回復以降は,社交場の礼儀作法とラテン文学の法則とを固く守るようになり,自由の精神は甚だしく衰えた.その反動として奮起した Romantics は,ひたすら革命思想と自由な表現とにあこがれて,新しい生命を吹きこんだ.しかしそののち Victorians は生活においても表現においてもややもすれば因習的な法則に傾き,前世紀末にはその反動が見える.そして自然法をもって人間を説明しようとする Naturalism がイギリスでもとなえられたのは,そのころのことである.今世紀になってからは,二度の大戦争のため,あらゆる方面に種種雑多の傾向があらわれて混乱し,思想上,道徳上,政治上,徹底的な崩壊が考えられ,文学も極端に放胆な自由が認められ,晦渋が意味の深さと同一視されたが,しだいに秩序が回復されるようになって来た.
英語史と英文学史,さらに英国史の関係は,もちろん互いに密接ではあるが,例えば上記の英文学史における自由と法則の交替が,英語史における何に対応するのかは定かではない.どの辺りがリンクし,どの辺りが無関係なのかを整理することで,英文学史の観点からの英語史とか,英語史の観点からの英文学史が,もっとおもしろいものになるのではないか.
・ 齋藤 勇 『英文学史概説』 研究社,1963年.
2項イディオムとも呼ばれる英語の word pair あるいは binomial について,本ブログでも「#820. 英仏同義語の並列」 ([2011-07-26-1]),「#1443. 法律英語における同義語の並列」 ([2013-04-09-1]),「#2157. word pair の種類と効果」 ([2015-03-24-1]) をはじめ,いくつかの記事で話題にしてきた.
この語法は,特に中英語以降,フランス語やラテン語からの借用語が増えてきたときに,本来語にそれを並置する習慣から生じた.日本語も英語と同じように,諸言語,特に漢語からの借用を広く受け入れてきた経緯があるので,歴史的に似たような状況があったに違いない.この点について,齋藤 (10 fn.) に関連する言及があった.
Cf. "The inaudible and noiseless foot of Time" (Shakespeare: All's Well That Ends Well, V. iii. 41)
"The dark backward and abysm of Time" (Shakespeare: The Tempest, I. ii. 50)
これは昔,わが国の学者が「詩経」の冒頭にある
関関雎鳩,...窈窕淑女,
を,「クヮンクヮンとやはらぎなけるショキウのみさごは,...エゥテゥとゆほびかなるシュクヂョのよきむすめ」と,いわゆる「文選(もんぜん)読み」をしたのに似ている.
文選読みとは,同一の漢語を音と訓で2度読むことで,「豺狼 (サイラウ) のおほかみ」,「蟋蟀 (シッシュツ) のきりぎりす」,「芬芳(フンポウ)トカウバシ」などがこれに当たる.漢文訓読に由来する読み方で,平安時代に流行した,中国の周から梁に至る千年間の詩文集『文選』を読むときにとりわけ用いられたので,この名前がある.英語における本来語と借用語のペアには,後者の意味を理解させるための前者の並置という動機づけがしばしばあったが,文選読みでも同様に,一般には難しく馴染みの薄い漢語を理解しやすくするために和語の訓読を添えるという習慣が発達したものと思われる.これまで話題にしてきた英仏や英羅の単語ペアは,日本語の発想でいうと「音訓複読」というべきものだったわけだ.日英両言語にこのような類似点のあることは,あまり気づかれていないが,ともに豊富な語彙借用の歴史を歩んできたことを考えれば,ある程度は必然的といってもよいのかもしれない(『日本語学研究事典』 p. 117 も参照).
日本語での "binomial" については,「#1616. カタカナ語を統合する試み,2種」 ([2013-09-29-1]) で触れた「アーカイブ〔保存記録〕」「インフォームドコンセント〔納得診療〕」「ワーキンググループ〔作業部会〕」などの表記も,その一例となるだろう.
・ 齋藤 勇 『英文学史概説』 研究社,1963年.
・ 『日本語学研究事典』 飛田 良文ほか 編,明治書院,2007年.
3月2日付の読売新聞朝刊に「国内最古級の硯 九州で出土」という記事が掲載されていた.「魏志倭人伝」で言及される伊都に当たるとされる福岡県糸島市より,紀元前1世紀から紀元後2世紀のものとみられる国内最古級の硯が出土したという.
中国の史書「魏志倭人伝」が記す伊都国の王都とされる福岡県糸島市の三雲・井原遺跡で,国内最古級の硯の破片(弥生時代中期後半?後期=紀元前1世紀?紀元後2世紀)が出土した.朝鮮半島にあった中国の出先機関・楽浪郡から日本に渡来した使節が,筆で文字を書くために使用したものとみられ,わが国の文字文化受け入れの起源を考えるうえで重要な手がかりとなる.
倭人伝は伊都国について,「往来する郡使が常に駐在する所」と記し,「(伊都国の)港で贈答する文書や品物の検査を行う」と,文字の使用を示唆する記述もある.市教委は,今回の硯は倭人伝の記述を裏付けるものと評価している.
この地には朝鮮半島の楽浪郡から渡来した使節が常駐していたらしく,この硯も彼らが用いていたものと推測される.贈答する文書や品物の検査の記録を記すための筆記用具だったようだ.これは倭人が直接文字を書いていた証拠とはならないが,少なくとも当時の日本人の一部は,この筆記用具を通じて,その用途である書記という活動には気づいていただろう.文字を使うことはできずとも,文字の存在と価値について,おぼろげながら何かを意識していたのではないかと想像することは妥当である.弥生時代後期には,表面的な意味ではあるかもしれないが,すでに日本に漢字が持ち込まれていたことは確かである.「#2386. 日本語の文字史(古代編)」 ([2015-11-08-1]) でも述べたように,日本人が文字を本来の文字らしい用途で自ら使いこなすようになったのは,しばらく後の時代,おそらく4世紀後半だろうと考えられる.今回の出土は,日本の文字文化の黎明を反映する手がかりとなりそうだ.
2月23日付けで,オックスフォード大学の英語史学者 Simon Horobin による A history of English . . . in five words と題する記事がウェブ上にアップされた.英語に現われた年代順に English, beef, dictionary, tea, emoji という5単語を取り上げ,英語史的な観点からエッセー風にコメントしている.ハイパーリンクされた語句や引用のいずれも,英語にまつわる歴史や文化の知識を増やしてくれる良質の教材である.こういう記事を書きたいものだ.
以下,5単語の各々について,本ブログ内の関連する記事にもリンクを張っておきたい.
1. English or Anglo-Saxon
・ 「#33. ジュート人の名誉のために」 ([2009-05-31-1])
・ 「#389. Angles, Saxons, and Jutes の故地と移住先」 ([2010-05-21-1])
・ 「#1013. アングロサクソン人はどこからブリテン島へ渡ったか」 ([2012-02-04-1])
・ 「#1145. English と England の名称」 ([2012-06-15-1])
・ 「#1436. English と England の名称 (2)」 ([2013-04-02-1])
・ 「#2353. なぜアングロサクソン人はイングランドをかくも素早く征服し得たのか」 ([2015-10-06-1])
・ 「#2493. アングル人は押し入って,サクソン人は引き寄せられた?」 ([2016-02-23-1])
2. beef
・ 「#331. 動物とその肉を表す英単語」 ([2010-03-24-1])
・ 「#332. 「動物とその肉を表す英単語」の神話」 ([2010-03-25-1])
・ 「#1583. swine vs pork の社会言語学的意義」 ([2013-08-27-1])
・ 「#1603. 「動物とその肉を表す英単語」を最初に指摘した人」 ([2013-09-16-1])
・ 「#1604. 「動物とその肉を表す英単語」を次に指摘した人たち」 ([2013-09-17-1])
・ 「#1966. 段々おいしくなってきた英語の飲食物メニュー」 ([2014-09-14-1])
・ 「#1967. 料理に関するフランス借用語」 ([2014-09-15-1])
・ 「#2352. 「動物とその肉を表す英単語」の神話 (2)」 ([2015-10-05-1])
3. dictionary
・ 「#603. 最初の英英辞書 A Table Alphabeticall (1)」 ([2010-12-21-1])
・ 「#604. 最初の英英辞書 A Table Alphabeticall (2)」 ([2010-12-22-1])
・ 「#609. 難語辞書の17世紀」 ([2010-12-27-1])
・ 「#610. 脱難語辞書の18世紀」 ([2010-12-28-1])
・ 「#726. 現代でも使えるかもしれない教育的な Cawdrey の辞書」 ([2011-04-23-1])
・ 「#1420. Johnson's Dictionary の特徴と概要」 ([2013-03-17-1])
・ 「#1421. Johnson の言語観」 ([2013-03-18-1])
・ 「#1609. Cawdrey の辞書をデータベース化」 ([2013-09-22-1])
4. tea
・ 「#756. 世界からの借用語」 ([2011-05-23-1])
・ 「#1966. 段々おいしくなってきた英語の飲食物メニュー」 ([2014-09-14-1])
5. emoji
・ 「#808. smileys or emoticons」 ([2011-07-14-1])
・ 「#1664. CMC (computer-mediated communication)」 ([2013-11-16-1])
英語語彙全般については,「#756. 世界からの借用語」 ([2011-05-23-1]), 「#1526. 英語と日本語の語彙史対照表」 ([2013-07-01-1]) をはじめとして,lexicology や loan_word などの記事を参照.
中英語期の英語で書かれた文学について,主として Baugh and Cable の110節 "Middle English Literature" (149--51) に依拠し,英語史に関連する範囲内で大雑把に概括したい.
中英語が社会言語的にたどった運命と,中英語文学は密接にリンクしている.ノルマン征服により,フランス語を話す上流階級の文学的嗜好は,当然ながらフランス語で書かれた書物へ向かっており,英語で書かれたものにパトロンが付く可能性は皆無だった.しかし,英語で物する者がいたことは確かであり,彼らは別の目的で書くという行為を行なっていたのである.それは,英語しか解さない一般庶民にキリスト教を布教しようという情熱に駆られた宗教者たちだった.したがって,1150--1250年に相当する初期中英語期に英語で書かれたものは,ほぼすべてが宗教的・説諭的な文学である.Ancrene Riwle や Ormulum (c. 1200) のような聖書の福音書の解釈本や,古英語に由来する聖者伝や説教集の焼き直しが,この時代の英語文学だった.例外的に Layamon's Brut (c. 1200) や The Owl and the Nightingale (c. 1195) のような非宗教的な文学も出たが,例外と言ってよい.この時代は,原則として "Period of Religious Record" と呼べるだろう.
次の100年間は,フランス語に対して英語が徐々に復権の兆しを示し初め,英語がより広く文学として表わされるようになってきた.フランス語で書かれた文学が翻訳されるなどして,14世紀にかけて英語の文学は勢いを増してきた.具体的には,非宗教的なロマンス (romance) というジャンルが英語という媒体に乗せられるようになった.1250--1350年の英語文学の時代は,"Period of Religious and Secular Literature" と呼ぶことができるだろう.
14世紀の後半までには,イングランドにおいて英語はほぼ完全な復活 (reestablishment_of_english) を果たし,この時期は中世英語文学史における華を体現することになる.Canterbury Tales や Troilus and Criseyde といった大著を残した Geoffrey Chaucer (1340--1400) を初めとして,社会的寓話 Piers Plowman (1362--87) を著わした William Langland,聖書翻訳で物議をかもした John Wycliffe (d. 1384),Sir Gawain and the Green Knight ほか3つの寓意的・宗教的な珠玉の詩を残した詩人が現われ,まさに "Period of Great Individual Writers" と言ってよいだろう.
15世紀は,Chaucer などの偉大な先人の影響下で,英語文学史上,影が薄い時期となっており,"Imitative Period",あるいは初期近代の Shakespeare までのつなぎの時期という意味で "Transition Period" などと呼ばれている.文学史的には相対的に過小評価されてきたきらいがあるが,Lydgate, Hoccleve, Skelton, Hawes などの傑物が現われている.スコットランドでも,Henryson, Dunbar, Gawin Douglas, Lindsay などが著しい活躍をなした.世紀末には Malory や Caxton が現われるが,この15世紀の語学や文学はもっと真剣に扱われてしかるべきである.この最後の時代の語学・文学的事情については,「#292. aureate diction」 ([2010-02-13-1]) および「#1719. Scotland における英語の歴史」 ([2014-01-10-1]) も要参照.
・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
2月19日付けで掲示板に,標題に関する疑問が寄せられた.掲示板上で返答したが,その内容をベースにして記事としてもまとめておきたい.以下,不定詞の略史を記す.
現代英語には to 不定詞 (to-infinitive) と原形不定詞 (bare infinitive) の2種類があるが,歴史的にはおよそ別物である.起源の古いのは原形不定詞のほうであり,こちらは英語のみならず印欧諸語では広く見られる.いわば本来の不定詞といってよい.古英語では典型的に動詞の語幹に -(i)an を付けた形態が「不定詞」と呼ばれており,それが,現代英語と同様に,主として使役動詞や知覚動詞の目的語の後位置,および助動詞の後位置に用いられていた.この古英語の不定詞の基本的な働きは,本来の動詞を名詞化すること,つまり「名詞的用法」だった.その後,中英語期にかけて生じた屈折語尾の水平化により -(i)an が失われ,語幹そのものの裸の形態へ収斂してしまったので,現在では「原形不定詞」と呼び直されるようになった.しかし,使役動詞,知覚動詞,助動詞の後位置に置かれる不定詞としての機能は,そのまま現在まで引き継がれた.
一方,「to 不定詞」のほうは,古英語の前置詞 to に,上述の本来の不定詞を与格に屈折させた -anne という語尾をもつ形態(不定詞は一種の名詞といってもよいものなので,名詞さながらに屈折した)を後続させたもので,例えば to ganne とあれば「行くことに向けて」つまり「行くために」ほどが原義だった.つまり,古英語では,今でいう「副詞的用法」は専ら to 不定詞で表わされていたのである.しかし,形態的には,やはり与格語尾を含めた語尾全体が後に水平化・消失し,結局「to + 動詞の原形」という形に落ち着くことになった.機能についていえば,to 不定詞は中英語期から近代英語期にかけておおいに拡張し,古英語以来の「副詞的用法」のみならず,原形不定詞の守備範囲であった「名詞的用法」へも侵入し,さらに他の諸々の機能をも発達させていった.
後発の to 不定詞が,先発の原形不定詞に追いつき,追い越してゆくという歴史を概観したが,実際には中英語期以降の両者の守備範囲の争いの詳細は複雑であり,どちらでも使用可能な「揺れ」の状況がしばしば見られた.それぞれの守備範囲がある程度決定するまでに,長い混乱の時代があったのである.例えば,使役動詞 make の用法でいえば,能動態においては原形不定詞をとるが受動態では to 不定詞をとるというのも共時的には妙な現象にみえるが,2種類の不定詞の守備範囲争いの結果,偶然このようなちぐはぐな分布になってしまったということである.実際,古い英語では make の能動態でも原形不定詞と並んで to 不定詞も用いられていた.この辺りの事情については,「#970. Money makes the mare to go」 ([2011-12-23-1]),「#978. Money makes the mare to go (2)」 ([2011-12-31-1]),「#971. 「help + 原形不定詞」の起源」 ([2011-12-24-1]) などを参照されたい.
・ 中尾 俊夫・児馬 修(編著) 『歴史的にさぐる現代の英文法』 大修館,1990年.
[2016-02-29-1], [2016-03-01-1]に引き続き,Schmandt-Besserat による,証票として粘土のコマこそが文字の前段階だったのではないかという仮説について考える.紀元前4千年紀の終わりに,粘土のコマと,それを入れる粘土の容器 (bulla) を組み合わせた会計処理システムが発達したと考えられている.その bulla の表面には,中に入っている3次元の粘土のコマの種類と数をそのまま2次元的に反映した記号が刻まれている.これは一体何を意味するのだろうか.
当時の中東の織物取り引きの現場を想像してみよう.田舎の織物職人が,運搬業者を通じて,町の客へ織物を売ろうとしている.職人は,売りに出す織物とともに,その種類と数を記述する複数の粘土コマを封印した bulla を,運搬業者に持たせる.その際,職人は bulla の表面に本人証明の個人印も押しておく.町で待っている客は,運搬業者から商品の織物一式と bulla を受け取り,それが確かに当該の職人の手によって売られたものであることを印により確認するとともに,bulla を割って中のコマを数えることで,発送された織物の種類と数が合っているか,運搬途中で盗まれるなどしていないかを確認することができる.しかし,それほど疑わしくない場合には,わざわざ bulla を割って確かめる必要はなかったし,本人印を無傷で保存するためにはなるべく割らないほうがよい.そこで,後に,中に入っているコマの種類と数を2次元的に再現する方法,bulla の表面にコマを表わす記号を刻む方法が編み出された.そして,これこそが,物や数を表わす「文字」の発生だったのではないか,という.
やがて,中空の粘土容器 bulla そのものは必要でなくなった.表面に文字を刻めさえすればよかったので,より単純な粘土板という形態に落ち着いた.だが,粘土板とはいっても,実際には完全に平たいわけではなく,凸型のものが普通である.これは,かつての卵形の容器を思わせるものであり,形態的な連続性があるのかもしれない.
もしこの仮説を採用するならば,文字は意図的に発明されたのではなく,むしろ偶然に発明されたということになろう.3次元のコマを用いた行為をあくまで便宜のために2次元の印に置き換えただけであり,その行為が結果として書記という行為でもあったということである.
・ Schmandt-Besserat, Denise. "The Earliest Precursor of Writing." Scientific American 238 (1978): 50--59.
昨日の記事 ([2016-02-29-1]) で紹介した標記の説は Schmandt-Besserat が初めて唱えたものである.彼女の1978年の論文の要旨を記したい.
従来,文字の起源と発展については,絵文字 (pictogram) から始まり,より抽象度の高い文字記号へと進んだということが前提とされていた.それ自体は誤りではないかもしれないが,ドイツ考古学チームが1929年に Uruk で発掘した大量の粘土板の文書には,史上最古級の文字とされながらも,すでに抽象度の高い記号文字が用いられていた.このことは,さらに遡った時代に文字が存在していたことを強く示唆し,文字の発生についての新たな洞察を促すことになった.Schmandt-Besserat (50) 曰く,
The fact that the Uruk texts contradict the hypothesis that the earliest form of writing would be pictographic has inclined many epigraphers to the view that the tablets, even though they bear the earliest-known writing, must represent a stage in the evolution of the art that is already advanced. The pictographic hypothesis has been revived anew. The fact that no writing of this kind has yet appeared at sites of the fourth millennium B.C. and even earlier is explained away by postulating that the writing of earlier millenniums was recorded exclusively on perishable mediums that vanished long ago, such as parchment, papyrus or wood.
さて,Schmandt-Besserat は,中東各地の遺跡の発掘を通じて,粘土のコマや粘土でできた卵形の中空の容器 (bulla) の存在に関心を抱いていた.これについては,すでに1958年に A. Leo Oppenheim という学者により,2重の記録体系のための道具ではないかという説が唱えられていた.Oppenheim の見つけたある bulla には,表面に48個の動物を表わす記号が刻まれており,容器のなかでカラカラと音がしたので割ってみると,それぞれの動物をかたどったコマがぴったり48個入っていたのである.これらはおそらく交易上の記録に用いられたのではないかと推測され,数字や文字の記号の前段階に相当するものと解釈された.これらの道具の年代は紀元前1500年ほどとされたが,後の発掘で類似のコマがもっとずっと古い層から発掘されたことから,人類の文字史(及びその前段階を含めた歴史)は数千年という規模で押し上げられることとなった.
Schmandt-Besserat の調査では,このような粘土のコマが,紀元前9千年紀から紀元前2千年紀に及ぶ長い期間にわたって連続的に,広く中東全域から出土することを確かめ(ただし,bulla は紀元前4千年紀より前には現われない),この記録法がきわめて安定した体系として受け入れられ,実践されていたことを証明した.Schmandt-Besserat (56--57) はまた,なぜ紀元前9千年ほどの時期にこの体系が生み出されたのかというタイミングの問題について,農業経済の出現という人間社会の大変化に起因するのではないかと考えている.
It cannot be a coincidence that the first tokens appear early in the Neolithic period, a time of profound change in human society. It was then that an earlier subsistence pattern, based on hunting and gathering, was transformed by the impact of plant and animal domestication and the development of a farming way of life. The new agricultural economy, although it undoubtedly increased the production of food, would have been accompanied by new problems. / Perhaps the most crucial would have been food storage. Some portion of each annual yield had to be allocated for the farm family's own subsistence and some portion had to be set aside as seed for the next year's crop. Still another portion could have been reserved for barter with those who were ready to provide exotic products and raw materials in exchange for foodstuffs. It seems possible that the need to keep track of such allocations and transactions was enough to stimulate development of a recording system. / . . . The Neolithic period and the succeeding Chalcolithic period, or Copper Age, in western Asia lasted about 5,000 years. Over this substantial span one finds surprisingly few changes in the tokens, a fact that may indicate how well suited to the needs of an early agricultural economy this recording system was.
農業経済の出現により複雑な会計処理が必要となり,その解決法の1つとして粘土のコマの使用が考案され,後の文字の発生にも貢献したというシナリオだ.Schmandt-Besserat (59) の結論部を引用する.
To summarize, the earliest examples of writing in Mesopotamia may not, as many have assumed, be the result of pure invention. Instead they appear to be a novel application late in the fourth millennium B.C. of a recording system that was indigenous to western Asia from early Neolithic times onward. In this view the appearance of writing in Mesopotamia represents a logical step in the evolution of a system of record keeping that originated some 11,000 years ago.
On this hypothesis the fact that the system was used without significant modification until late in the fourth millennium B.C. seems attributable to the comparatively simple record-keeping requirements of the preceding 5,000 years. With the rise of cities and the development of large-scale trade the system was pushed onto a new track. Images of the tokens soon supplanted the tokens themselves, and the evolution of symbolic objects into ideographs led to the rapid adoption of writing all across western Asia.
ところで,残る問題は,粘土のコマと,それを入れ,その記号を表面に刻みつける容器としての bulla を組み合わせたものが,なぜ会計の道具となるのか,である.粘土証票のシステムについては,明日の記事で考える.
・ Schmandt-Besserat, Denise. "The Earliest Precursor of Writing." Scientific American 238 (1978): 50--59.
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