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philippine_english - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-04-20 10:59

2013-09-06 Fri

#1593. フィリピンの英語事情 (2) [philippine_english][esl][new_englishes][linguistic_imperialism][code-switching]

 [2013-09-02-1]の記事に引き続き,Philippine English の歴史と現状について.鈴木 (162--63) によると,支配的な言語がスペイン語から英語へとシフトしたのは,1910--20年代のことだという.

米国は、一八九八年のフィリピン占領以来、すべての教育を英語で行なってきた。それが二〇年ほどの間に、徐々に効いていたのである。/あらゆる公共の場での演説は、これまでスペイン語で行なわれてきた。しかし、ついに一九一九年一二月五日、英語による最初の演説が下院で行なわれた。フィリピン大学法学部出身の二人の議員が、演説を英語でやってのけたのだ。二二年になると、マニラ市議会も「すべての議員が英語を読み書きする」という理由で、議会用語に英語を採用した。裁判でも英語が使われるようになり、すべての官公庁が二五年までには英語の採用試験に切り替えたという。


 スペイン支配とアメリカ支配を単純化して特徴づけるとすれば,前者はキリスト教の普及,後者は教育の普及といってよいだろう.そして,アメリカの文化帝国主義は見事に功を奏したのである.現在でも,フィリピンの教育では「英語第一主義」が根強く守られている.アキノ前大統領(1986--92在職)は,現地の言語がないがしろにされているという国語問題に大きな関心を払っていたが,解決に向けて大きな進展があったわけではない.鈴木によると,フィリピンの国民の帰属意識や社会矛盾の根源は「英語第一主義」にある.

現在フィリピンでは、フィリピン語と英語の「二言語教育」が小学校から行なわれている。フィリピン語を教育用言語として、国語、社会、図工、体育などが教えられている。英語で教えられているのは、英語、算数、理科などである。このため公立小学校では英語による教育についていけない生徒が続出し、教育現場は控え目に表現しても大混乱している。「英語が嫌いだ」とか「英語で教えるから算数が分からない」といった理由で、登校拒否が目立っているとおいう。子供たちの生活環境は「二言語」化されていはいない。したがって、英語はタガログ語地域では二重の負担になり、他の地方語地域では三重の負担になっているのが実状だ。/ところがフィリピンは、「英語国」の立場を守っている。議会では英語で討論が行なわれ、大統領の演説も英語である。官公庁文書もすべて英語でだされ、選挙のときにだけ、タガログ語をはじめとする地方語で書かれた印刷物が配られるのである。官公庁では当然英語が使われ、会社紹介や業績発表もすべて英語である。国語の普及に責任を負っているはずの教育・文化・スポーツ省ですら、とうてい「フィリピン語使用」に本気で取り組んでいるとはいえない。〔中略〕フィリピンの政治的、社会的混乱の原因は、フィリピン人が国際理解を重視し、国際的に高い地位を占めたいと思うあまり、英語使用の公式路線を捨てきれないこととかかわりがある。とくに、二言語政策による小学校教育の混乱は、本来なら溌剌としているべき国家の活力を奪っている。フィリピン人がよく使う "tao" (庶民、小さな人々)こそ、国家の生産力と富の源泉であることを忘れるべきではない。(286--88)


 さらに,鈴木 (294) は,「歴史的に見ると、英語教育はフィリピン人に劣等意識を植えつけ、アメリカ文化に憧れさせる「えさ」として提供されてきた。フィリピン政府が、「世界言語としての英語の知識は、フィリピン国民の誇りである」と言えばいうほど、国民意識をあいまいにさせている」と手厳しい.
 アメリカが英語の力をもって20世紀のフィリピンを牽引してきたことは間違いない.アメリカの教育政策により,1930年代には識字率が倍増しているし,その結果として現在でもアジアの中でも教育がよく進んでいる.一方,英語を公用語とする国々のなかで4番目に多くの人口を擁していることから,世界の英語人口に大きく貢献してもいる.しかし,華やかに見える英語第一主義の正の側面の裏側には,負の側面のあることを忘れてはならない.
 この7月下旬に,12年振りにフィリピンに出かける機会があった.そこでフィリピン人と,言語の問題を語る機会があった.英語一辺倒の教育は小学校レベルで見直され始めていること,とはいえ英語の社会的な権威はまったく衰えておらず,国民語たるタガログ語を差しおいて,まず英語を子供に教えようとする親が普通であることなどを聞いた.滞在中,タガログ語と英語が互いに自由に乗り入れる "Taglish" の code-mixing も,ごく普通に耳にした.
 だが,フィリピンは ESL 国の1つの例にすぎない.英語が世界化する過程には他にも様々なパターンがありうるだろう.未来の英語史は,これらのパターンの1つ1つを記述してゆく必要があるのだろう.

 ・ 鈴木 静夫 『物語フィリピンの歴史』 中央公論新社〈中公新書〉,1997年.

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2013-09-02 Mon

#1589. フィリピンの英語事情 [philippine_english][esl][new_englishes][map][austronesian]

 フィリピン (The Philippines) は,言語多様性の高い国である.日本の4/5ほどの面積に約8,800万人が住んでおり,EthnologuePhilippines の項によれば,181の言語が行なわれているという(フィリピンの現況を報告する一般の概説書によれば80程度ともされ,数え方により大きく異なる).「#401. 言語多様性の最も高い地域」 ([2010-06-02-1]) で取り上げた多様性指数 (diversity index) のランキングでいえば,0.855の値を示し,世界25位である.土着語のほとんどがオーストロネシア語族に属する言語であり,VSOの語順を示すなど,言語的には比較的類似している.母語話者人口の最も多いのは Cebuano (約1,200万人)だが,公用語としてはルソン島南部を中心に母語人口1,000万人を誇る Tagalog をもとにした Filipino が国語とされているほか,英語がもう1つの公用語として広く学ばれ,行われている(政府は1972年より Filipino と英語の2言語教育の方針を打ち出している).Crystal (64) の統計によれば,国民の半数近くが英語を話すとされ,東南アジアにおいて最も英語話者の多い国といえるだろう.(フィリピンの言語地図はこちらを参照). *
 フィリピンは,16世紀後半から続いた300年のスペインによる支配の後,1898年の米西戦争 (the Spanish-American War) を経て,アメリカの支配下に入った(「#255. 米西戦争と英語史」[2010-01-07-1]を参照).1942--45年の日本による占領時代を経て1946年に独立したが,独立後もアメリカとの関係は密であり,アメリカ英語の影響が色濃い.全般的にイギリス英語の色彩が圧倒的である東南アジアにあって,異色である(「#376. 世界における英語の広がりを地図でみる」[2010-05-08-1]を参照).
 上記のような経緯で Philippine English ("Taglish" とも呼ばれる)は,Singapore English と並んで東南アジアの数ある英語変種のなかでも目立った存在となっている.Jenkins (47) によると,東南アジア英語変種のなかでもとりわけ研究が進んでおり,例えば Tay, M. ("Southeast Asia and Hongkong." English around the World. Ed. J. Cheshire. Cambridge: CUP, 1991.) や World Englishes の2004年の Bautista et al. によるフィリピン英語特集などが挙げられている.フィリピン英語は1960年代後半から記録されており,独特な発音や文法が発達してきていることが知られている.また,新旧の世代差や formality による差など,フィリピン英語内での変種も多様化してきているようだ.
 英語が非母語として用いられている他の地域の英語事情については,「#273. 香港の英語事情」 ([2010-01-25-1]),「#404. Suriname の歴史と言語事情」 ([2010-06-05-1]),「#412. カメルーンの英語事情」 ([2010-06-13-1]),「#514. Nigeria における英語の位置づけ」 ([2010-09-23-1]),「#1536. 国語でありながら学校での使用が禁止されている Bislama」 ([2013-07-11-1]) などの記事を参照.

 ・ バーナード・コムリー,スティーヴン・マシューズ,マリア・ポリンスキー 編,片田 房 訳 『新訂世界言語文化図鑑』 東洋書林,2005年.
 ・ Crystal, David. English As a Global Language. 2nd ed. Cambridge: CUP, 2003.
 ・ Jenkins, Jennifer. World Englishes: A Resource Book for Students. 2nd ed. London: Routledge, 2009.

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