01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31
2024 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
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昨日の記事[2011-10-30-1]では,bouncebackability は,臨時語 (nonce word) や流行語として一時的に出現しうるものの,英語の語形成規則 (word formation rule) に抵触するがゆえに,記憶語彙 (mental lexicon) に定着する可能性はないだろうとする,Hohenhaus の "non-lexicalizability" 仮説を見た.今回は,仮説の妥当性に関わる議論をしたい.
第1に,bouncebackability が流行語の域を出ず,早くも衰退しているらしいことは,Hohenhaus の挙げた証拠により裏付けらるが,それは語形成規則に抵触するがゆえであると説明するには証拠が乏しい.流行語の衰退は日常茶飯事であり,その有用性や斬新さが時間とともに減少するといった理由によることが多い.多くの流行語と同様に,bouncebackability も同様に説明され得るのではないか.語形成規則に抵触するからという理由が関わっている可能性は否定できないものの,その説を積極的に支持する根拠はないのではないか.
第2に,仮に "non-lexicalizability" 仮説を想定するとしても,それは規則ではなく傾向を表わすものとして捉えるべきだろう.「接頭辞 -able は他動詞に付加される」という規則は確かに厳格だが,bouncebackability のような稀な例外が起爆剤となって規則の緩和,あるいは規則の一般化 (rule generalisation) を引き起こすということはあり得る.-able が句動詞に付加された get-at-able, come-at-able (そして,もちろん bouncebackabilityも) ,名詞に付加された clubbable, saleable は,(他)動詞に付加されるという当初の規則が一般化してきた軌跡を示すものである.-able 接尾辞の発達のある段階で,自動詞に付加されるようになったとしても不思議はない.そして,bouncebackability はそれを体現している最初の試みの1つと考えられるかもしれない.
第3に,昨日の記事を書いた時点では確認し忘れていたが,OED Online で確認したところ,当該語が登録されていた.Hohenhaus (22) も自ら述べているように,OED に見出し語として掲げられる可能性自体は予想できたことである.OED に登録されることと記憶語彙に登録されることは同義ではないので,前者により Hohenhaus の議論の前提が崩れたわけではない.ただ,OED により,議論の妥当性に関与するかもしれない事実が2つ出てきた.1つ目は,当該語の初例が2004年ではなく,大きく遡って1972年だったということだ.そこでは,bounce-back-ability と表記され,派生語としてではなく複合語としての読みが示唆される.その後,1991年,2005年の例が続く.2つ目には,語源記述に "to bounce back at BOUNCE v. Additions + -ABILITY suffix" とあり,ここでも Hohenhaus の前提とする [[[bounce back] -able] -ity] という派生語としての分析よりは,[[bounce back][ability]] という複合語としての分析により近づいている.
このように,Hohenhaus の"non-lexicalizability" 仮説の妥当性は,bouncebackability という1語の盛衰の観察だけで判断することはできない.しかし,言語使用者は,語形成規則に準じていない語の使用に違和感を感じ,記憶語彙に定着させることを渋るという仮説そのものは,直感に合うように思われ,興味深い.絶対的な規則としてではなく,あくまで傾向を示す仮説と捉えるのであれば,追究するに値する仮説かもしれない.
・ Hohenhaus, Peter. "Bouncebackability: A Web-as-Corpus-Based Case Study of a New Formation, Its Interpretation, Generalization/Spread and Subsequent Decline." SKASE Journal of Theoretical Linguistics 3 (2006): 17--27.
bouncebackability /ˌbaʊnsbækəˈbɪləti/ なる新語がある.OALD では7版には含まれていなかったが8版になって登録された語である.bounce back (すぐに立ち直る,回復する)という句動詞が元となっている表現で,次のように定義と用例が記されている.
(BrE) [uncountable] (informal)
(especially in sport) the ability to be successful again after playing or performing badly for a time
・ The team have shown great bouncebackability.
・ This will be a test of their famous bouncebackability.
この語について論じた Hohenhaus (18--19) によると,初出は以下の通りである.
. . . the word was first used in November 2004 by Iain Dowie, then manager of the English football club Crystal Palace, who said in an interview after a match in which his team had managed to equalize against Arsenal that "Crystal Palace have shown great bouncebackability against their opponents to really be back in this game."
Hohenhaus がこの語について論じているのは,その語形成に問題があるからだ.通常,接尾辞 -able が付加される基体は他動詞である (ex. breakable, enjoyable, washable) .bounce back という句動詞は自動詞であるから,bouncebackability は形態統語的な下位規則を犯していることになる.ここで,この語は [[[bounce back] -able] -ity] と分析される派生語ではなく [[bounce back][ability]] と分析されるべき複合語なのではないかという考え方もあるが,/ˌbaʊnsbækəˈbɪləti/ の強勢の位置で判断する限り,派生語と解釈するのが適切である.
しかし,Hohenhaus が議論しているのは,bouncebackability が語形成規則 (word formation rule) の観点からはあり得ない語であるにもかかわらず存在している,という矛盾についてではない.そうではなく,当該の語形成はあり得るし実際に存在しているとしながらも,規則に準じていないという事実が,bouncebackability の語彙化(記憶語彙 [mental lexicon] に登録される過程)を妨げているのではないかという仮説,"non-lexicalizability" の仮説に関心を寄せているのである.
. . . some new formations may systematically be excluded from becoming permanent lexical entries (while they may still be perfectly normal as possible NFs [=nonce formations]! . . . . only well-formed formations should be lexicalizable. (Hohenhaus 18)
規則に準じていない語形成は,一時的な使用の域を出ず,記憶語彙に定着することなく,いずれは廃れてゆく運命であるという仮説である.Hohenhaus はこれを支持すべく,bouncebackability が出現当初は流行語としてもてはやされ,メディアなどにより定着化を図る "artificial institutionalization" (21) の試みがなされ,実際に意味の一般化すら経たが,その後急速に使用頻度が落ち込んできたという事実を,主に Web-as-corpus を用いて示した.結論として,次のように締めくくっている.
. . . in the end, the morphological "oddness" of the formation bouncebackability appears to have hampered its success too much for it to become truly lexicalized, i.e. part of the permanent lexicon of English. Semantically, and from a point of view of meaning predictability, it was a fairly straightforward case seemingly corroborating predictions about spread and broadening meaning. But not even concerted "artificial" efforts through campaigns and petitions were sufficient to overcome the stumbling block of an odd morphological shape. (Hohenhaus 23)
明日はこの仮説について,意見を述べたい.
・ Hohenhaus, Peter. "Bouncebackability: A Web-as-Corpus-Based Case Study of a New Formation, Its Interpretation, Generalization/Spread and Subsequent Decline." SKASE Journal of Theoretical Linguistics 3 (2006): 17--27.
[2011-10-27-1]の記事「#913. BNC による語彙の男女差の調査」に関連して,Hirschman による標題の問題を扱った会話分析の古典的研究を紹介したい.
この研究の元となった会話の調査と分析は,1973年の Linguistic Society of America の年次大会で特別セッションにて口頭発表された.その後,発表原稿は半ば行方不明となっていたが,Hirschman の研究は同種の研究の先駆けとして評価されるようになり,いわば口づてにより研究者の間で有名になっていった.皆が Hirschman の研究に言及するようになったものの,その原稿に目を通した者はほとんどいないという幻の研究となっていたのである(Hirschman 自身はその後コンピュータ言語学の分野へと進み,社会言語学の分野から離れたために,自らの研究が同分野で古典的な研究となっていることに気づかずにいたという).ところが,性と言語の分野の研究者 Deborah Tannen が,ある偶然から Hirschman と連絡を取るに至った.そして,最初の発表から20年以上の歳月を経て,古典的研究が正式に論文として Language in Society 誌上に印刷されたのである.
さて,Hirschman の研究は男女各2人,計4人の学生による対話に基づくものである.異なる組み合わせの1対1の対話をそれぞれ10分ずつ録音し,それを転記したものに量的な分析を施した(当時からコンピュータ言語学者であった Hirschman も,当時の環境ではすべて手作業で分析せざるを得なかったという点が時代を感じさせる).4人のみを対象とした各10分ほどの対話の記録であるから,得られるコーパスの量は不十分であり,そこから引き出された分析結果も仮説的なものとならざるを得ない.しかし,Hirschman のすぐれた調査の手法は後の同種の調査のお手本となり,提起された仮説も広く注目を浴びることになった.
Hirschman の主な分析結果をまとめれば次のようになる.
・ 女性どうしの対話では,対話に与えられた時間の95%が実際に対話に費やされたが,男性どうしの対話では76%しか費やされなかった.また,女性の参加する対話では,女性の参加しない(男性どうしの)対話より多くの時間が対話に費やされた.
・ um, uh, ah, like, well, you know, I mean などの "filler" は,男性よりも女性のほうがずっと多く使用した.しかし,女性でも,男女の対話に比べて女性どうしの対話では filler の頻度は低かった.
・ 女性は男性よりも we, you, I を多く用い,she/he, they, someone, person/people を少なく用いた.これは,女性は個人的な経験や感情を語り,男性は物事を抽象的に語るという主観的な印象と合致する.
・ yeah, ok, right, all right などの肯定的応答は同性どうしの対話に,より多かった.肯定的応答の値は,最もよく話す女性が最高値を示し,最もよく話す男性が最低値を示した.すなわち,ここには男女差が反映されている可能性がある.
・ mm hmm の相槌はほぼ女性に限定して用いられた.
・ 対話の遮断は女性どうしの対話において遥かに多く見られた.
・ 女性は相手の議論に同調して対話を進展させる傾向,あるいは相手に質問をして対話を進展させる傾向が見られたが,男性は議論をする傾向が見られた.
以上は,全体として "the role of the female as facilitator of the conversation" (438) を示唆するように思えるが,Hirschman はあくまで冷静に事実を示し,突っ込んだ読み込みはしていない.この辺りの控えめさが,名論とされる所以なのかもしれない.
・ Hirschman, Lynette. "Female-Male Differences in Conversational Interaction." Language in Society 23 (1994): 427--42.
昨日の記事「#913. BNC による語彙の男女差の調査」 ([2011-10-27-1]) で取りあげた Rayson et al. では,話者の性別だけでなく年齢による語彙の変異も調査されている.年齢差といっても,35歳未満か以上かで上下の世代に分けた大雑把な分類だが,結果はいくつかの興味深い示唆を与えてくれる.以下は,χ2 の上位19位までの一覧である (142--43) .
Rank | Under 35 | Over 35 | ||
Word | χ2 | Word | χ2 | |
1 | mum | 1409.3 | yes | 2365.0 |
2 | fucking | 1184.6 | well | 1059.8 |
3 | my | 762.4 | mm | 895.2 |
4 | mummy | 755.2 | er | 773.8 |
5 | like | 745.2 | they | 682.2 |
6 | na as in wanna and gonna | 712.8 | said | 538.3 |
7 | goes | 606.6 | says | 443.1 |
8 | shit | 410.1 | were | 385.8 |
9 | dad | 403.7 | the | 352.2 |
10 | daddy | 380.1 | of | 314.6 |
11 | me | 371.9 | and | 224.7 |
12 | what | 357.3 | to | 211.2 |
13 | fuck | 330.1 | mean | 155.0 |
14 | wan as in wanna | 320.6 | he | 144.0 |
15 | really | 277.0 | but | 139.0 |
16 | okay | 257.0 | perhaps | 136.0 |
17 | cos | 254.4 | that | 131.3 |
18 | just | 251.8 | see | 122.1 |
19 | why | 240.0 | had | 118.3 |
標題の話題を扱った Rayson et al. の論文を読んだ.BNC の中で,人口統計的な基準で分類された,話し言葉を収録したサブコーパス(総語数4,552,555語)を対象として,語彙の男女差,年齢差,社会的地位による差を明らかにしようとした研究である.これらの要因のなかで,語彙的変異が統計的に最も強く現われたのは性による差だったということなので,本記事ではその結果を紹介したい.
まず,以下に挙げる数値の解釈には前提知識が必要なので,それに触れておく.BNC に収録された話し言葉は志願者に2日間の自然な会話を Walkman に吹き込んでもらった上で,それを書き起こしたものであり,その志願者の内訳は男性73名,女性75名である.会話に登場する志願者以外の話者についても,女性のほうが多い.したがって,当該サブコーパスへの参加率でいえば,全体として女性が男性よりも高くなることは不思議ではない.
しかし,その前提を踏まえた上でも,全体として女性のほうがよく話すということを示唆する数値が出た.使用された word token 数でいえば,男性を1.00とすると女性が1.51,会話の占有率では,男性を1.00とすると女性は1.33だった.男女混合の会話では男性のほうが高い会話占有率を示すとする先行研究があるが,BNC のサブコーパスでは女性同士の会話が多かったということが,上記の結果の背景にあるのかもしれない.いずれにせよ,興味深い数値であることは間違いない.
次に,より細かく語彙における男女差を見てみよう.男女差の度合いの高いキーワードを抜き出す手法は,原理としては[2010-03-10-1], [2010-09-27-1], [2011-09-24-1]の記事で紹介したのと同じ手法である.男性コーパスと女性コーパスを区別し,それぞれから作られた語彙頻度表を突き合わせて統計的に処理し,カイ二乗値 (χ2) の高い順に並び替えればよい.以下は,上位25位までの一覧である (136--37) .
Rank | Characteristically male | Characteristically female | ||
Word | χ2 | Word | χ2 | |
1 | fucking | 1233.1 | she | 3109.7 |
2 | er | 945.4 | her | 965.4 |
3 | the | 698.0 | said | 872.0 |
4 | year | 310.3 | n't | 443.9 |
5 | aye | 291.8 | I | 357.9 |
6 | right | 276.0 | and | 245.3 |
7 | hundred | 251.1 | to | 198.6 |
8 | fuck | 239.0 | cos | 194.6 |
9 | is | 233.3 | oh | 170.2 |
10 | of | 203.6 | Christmas | 163.9 |
11 | two | 170.3 | thought | 159.7 |
12 | three | 168.2 | lovely | 140.3 |
13 | a | 151.6 | nice | 134.4 |
14 | four | 145.5 | mm | 133.8 |
15 | ah | 143.6 | had | 125.9 |
16 | no | 140.8 | did | 109.6 |
17 | number | 133.9 | going | 109.0 |
18 | quid | 124.2 | because | 105.0 |
19 | one | 123.6 | him | 99.2 |
20 | mate | 120.8 | really | 97.6 |
21 | which | 120.5 | school | 96.3 |
22 | okay | 119.9 | he | 90.4 |
23 | that | 114.2 | think | 88.8 |
24 | guy | 108.6 | home | 84.0 |
25 | da | 105.3 | me | 83.5 |
[2011-10-24-1], [2011-10-25-1]に引き続き,語の定義の難しさを垣間見る記事の第3弾.語を定義する最も単純な方法,語の範囲を限定する最も直感的な方法は,辞書を参照することだろうと思われるかもしれない.辞書の見出し語はすべて「語」のはずであり,大型辞書を参照すれば当該言語の語の目録 (lexicon) を作成することができる,と.しかし,語の範囲を限定する際に,辞書に頼ってはならないいくつかの理由がある.Lieber (13--15) に拠って,列挙しよう.
(1) 辞書は,編集者によってある方針に基づいて編まれている.編集者の想定する語の定義によっては収録語彙の範囲に差が生じる可能性があり,実際に,語に対する考え方は辞書間で異なっていることが普通である.差別用語や専門用語を掲載するかどうか,俗語や古語はどうか,新語はどの程度社会に浸透していれば収録可とみなせるか,接辞は語に含まれるか,派生語や複合語はどこまで納めるか,等々の決定において,各辞書編集者は独自の方針をもっている.世界最大の英語辞書 OED であっても,事情は変わらない.また,参照者においてもどの辞書を選ぶかという決定は恣意的である.辞書に語の定義を委ねることは,問題を一段階さかのぼらせたにすぎず,問題の解決になっていない.
(2) 辞書には,一度しか文証されない語(臨時語,nonce word, hapax legomenon)が収録されている場合がある.例えば,OED では umbershoot という語が見出し語として挙げられており,James Joyce の Ulysses からの唯一の例が引かれているが,定義欄に "a word of obscure meaning" とある.果たして,これを実際的な意味において語とみなしてよいのだろうか.文豪 Joyce だから許されるのか,一般の話者の発する臨時語はどうなのか.
(3) 誤植,勘違い,民間語源などにより,間違えて辞書に忍び込んでしまった幽霊語 (ghost word) なる語がある.OED には,ambassady なる hapax legomenon が収録されているが,これは ambassade の単純な綴り間違い,あるいは誤植ではないかと考えられている.辞書を盲信すると,実在しないかもしれない語を語としてみなす誤りが生じうる.特殊で意図的な幽霊語として,"mountweazel" 語と呼ばれるものがある.これは,辞書編纂者が他の辞書編纂者による辞書の著作権侵害を見破るために,意図的に密かに挿入した幽霊語であり,実在の語ではない.このような mountweazel 語の存在は,辞書を絶対的な語彙目録として用いることの危険を物語っている.
辞書やその他の権威は,"Is xyz a word?" という問いに必ずしも正しい答えを与えてくれるとは限らないことが分かるだろう.
・ Lieber, Rochelle. Introducing Morphology. Cambridge: CUP, 2010.
昨日の記事[2011-10-24-1]に引き続き,語の定義の難しさを垣間見る記事の第2弾.英語の正書法には,語と語の間に空白を入れる習慣があるので,語の定義は自明のように思われるかもしれない.しかし,英語に限らず言語一般について語を定義づけようとするのであれば,各言語の正書法の習慣に依存した定義は不適切である(正書法ですら,flower pot ~ flower-pot ~ flowerpot などの揺れが示すとおり,語の区切りは不明確である).そもそも書き言葉をもたない言語も多いのだから,話し言葉を基準にした語の定義がなされなければならない(言語学における話し言葉の優位性については,[2011-05-15-1]の記事「#748. 話し言葉と書き言葉」を参照).
Crystal (240--41) は,話し言葉で語を見分ける基準として,これまでに提案されてきたものを紹介している.以下に,解説を加えながら要約しよう.
(1) 話し言葉で考えると,英語の正書法の空白に相当するものは発話上の休止 (pause) だが,自然の発話では語と語の間は流れるように連続することが多く,語を見分けるための基準として休止に頼る方法は見た目ほどうまくゆかない.ある文を,意識的に休止を入れながらゆっくりと読み上げるようにと話者に指示するテストにおいては,おおむね語の区切りで休止が入るが,必ずしもそうではない場合がある.例えば,The three little pigs went to the market. において,mar/ket と語中に休止の入る可能性がある.
(2) 語を適当に追加・削除・置換せよというテストにおいては,例えば The big pig once went straight to the market. などが得られ,追加・削除・置換の生じる位置に語と語の区切りがあると想定できるかもしれない.これは,語の主たる特徴としてしばしば言及される中断不可能性 (uninterruptibility) に関するテストだが,abso-blooming-lutely のような例外のあることはよく知られている.
(3) アメリカ構造言語学による「語とは "minimal free form" である」とする定義があるが,the や of は実際には独立して現れることはほとんどない.他の語とともに現れるという点では,拘束形態素 (bound morpheme) に近い.
(4) 語の内部でのみ作用する音韻規則があり,その規則が適用される範囲の内外を分ける境界線が,語と語の区切りと一致するではないか.諸言語の強勢の位置に関する規則や母音調和の規則は語の内部にのみ適用されることが多いので,これを利用するという方法だが,実際には例外も多い.
(5) 意味単位の区切りが語と語の区切りに一致するのではないか.しかし,昨日の記事[2011-10-24-1]で触れたとおり,idiom は複数の語から成って初めて1つの意味単位に対応する.意味の単位と語の単位が必ずしも連動していない証拠である.
誰もが直感的に知っているものに漏れのない科学的な定義を与えるということは,難しい.
・ Crystal, David. How Language Works. London: Penguin, 2007.
語 (word) をいかに定義するかという問題は,言語学の最大の難問の1つといってよい.語は,いまだに明確な定義を与えられていない.形態素 (morpheme) についても事情は同じである.関連する議論は,以下の記事でも触れてきたので参照されたい.
・ #886. 形態素にまつわる通時的な問題: [2011-09-30-1]
・ #700. 語,形態素,接辞,語根,語幹,複合語,基体: [2011-03-28-1]
・ #554. cranberry morpheme: [2010-11-02-1]
さて,一般的な感覚で語を話題にする場合には,次の2つの条件を与えておけば語の定義として十分だろうと思われる (Carstairs-McCarthy 5) .
(a) 予測不可能な (unpredictable) 意味を有し,辞書に列挙される必要があること
(b) 句や文を形成するための構成要素 (building-block) であること
しかし,この2つの条件を満たしていれば語と呼んでよいかというと,厳密には漏れがある.
dioecious を例にとろう.日常的な感覚ではこれはれっきとした語である.まず,The plant is dioecious. あるいは a dioecious plant などと使え,句や文を構成する要素であるから,(b) の条件は満たしている.また,ほとんどの読者がこの語の意味(生物学の専門用語で「雌雄異体の」の意味)を知らなかったと思われるが,そのことは意味が予測不可能であるという (a) の条件を満たしていることを表わしている.しかし,いったんこの語を知ってしまえば,dioeciously や dioeciousness という派生形の意味は予測可能だろう.ここで (a) の条件が満たされなくなるわけだが,dioeciously や dioeciousness も diocious と同じ資格で語としてみなすのが通常の感覚だろう.たとえ辞書には列挙されないとしても,である.
別の例として,keep tabs on は「?に気をつける」という idiom を取りあげよう.この表現は,通常の感覚では3つの語から構成されていると捉えられ,論理的には語そのものではなく語より大きい単位とみなされている.つまり,(b) の条件を満たしていないことが前提となっているが,idiom の常として意味は予測不可能であり,(a) の条件は満たしている.idiom よりも大きな文に相当する単位でありながら,その意味が予測不可能なことわざ (proverb) も同様である.
上の2つの例は,問題の表現が (a), (b) の条件 をともに満たしていて初めて語とみなせるのか,どちらかを満たしていればよいのか,あるいは条件の設定そのものに難があるのか,という疑問を抱かせる.Carstairs-McCarthy は,(a) を満たしている単位を lexical item,(b) を満たしている単位を専門的な意味での word として用い,区別の必要を主張している (12--13) .
以上,語の定義の難しさを垣間見る記事の第1弾.
・ Carstairs-McCarthy, Andrew. An Introduction to English Morphology. Edinburgh: Edinburgh UP, 2002.
[2010-12-11-1]の記事「#593. 現代によみがえった古い接尾辞 -wise」の続編.
Foster (100) は,-wise の生産性の復活は,アメリカ英語で始まり,その背景には American-German 語法の影響があったのではないかと述べている.
It cannot be denied that such expressions as 'engineeringwise' are very readily coined in modern English and that this habit comes from America where in turn the astonishingly free use of the ending '-wise' owes something to the equally free application in German of the parallel -weise (as in beispeilsweise 'for example', gastweise 'as a guest', and others). . . . It may well be that the old usage had lingered on in the United States to a greater extent than in the English of Britain, but it can scarcely be doubted that its blossoming forth in the twentieth century was due to a more or less unconscious transference of a German habit, whether on the part of scholars or --- more likely --- of immigrants.
Foster は,-wise の例に限らず,アメリカ英語における多くの革新的表現がドイツ語からの影響によるものであると提起している.それは,彼の著わした The Changing English Language の全体を貫く主張とも言えるほどで,文字通りに受け取ると,アメリカ英語の革新(そして,そのイギリス英語への伝播)は,語句,意味,文法に至るまでドイツ語法の写しではないかと思えてくるほどである.
もちろん,文字通りに受け取ることはできない.借用や影響の同定は必ずしも容易でないからだ.同定のためには,借用や影響が生じたとされる当時の両言語の共時的記述がなされていなければならず,その他に社会状況その他も詳細に分かっていなければならないことが多い.Foster もすべての例について十分な証拠を与えて議論しているわけではないので,評価には慎重にならなければならないだろう.
とはいえ,翻訳借用 (loan translation) や意味借用 (semantic loan) を含めた substitution ([2011-10-15-1]) を積極的に評価しようとするタイプの議論は,個人的には好きである.客観的な証拠を挙げての議論ではない以上,信念の問題といったほうがよいのかもしれないが,言語間の影響には importation のような表面的に見られる以上の効果がもっとあるはずだと考える.外国語からの影響について,過大評価は注意すべきだが,過小評価にも気をつけなければならないように思う.
アメリカ英語において外国語の影響が過小評価されてきた経緯については,Foster (86--87) に要領よくまとめられている.そこから,要点となる部分を抜き出そう.
Writers on the subject of Americanisms have usually made little of the fact that, in the past, millions of Americans have had a foreign language as their mother-tongue, though in fact it is incredible that the language of the country should not have been affected thereby. . . . In other words there has been a natural tendency to see foreign influences as consisting solely in straightforward loan-words from German, Yiddish, Spanish, Italian or whatever the language of the immigrants may have been. / Fortunately there have been some signs in recent years that scholars are becoming rather more aware that foreign borrowing into American speech has been taking place on a larger scale than had been thought.
借用の同定には決着がつかないことが多いのだが,大胆に問題提起し,慎重に議論するというプロセスを経ることは重要だろう.
・ Foster, Brian. The Changing English Language. London: Macmillan, 1968. Harmondsworth: Penguin, 1970.
残念ながら出典は失念したのだが,それを知って以来ずっと気になっていた現象がある.ファッション業界の性癖なのか陰謀なのか,衣服を表わす語には形態的な shortening を経ていたり,指小辞 (diminutive) を付加しているものが多いというものである.標題に挙げた bra (< brassiere), panties (< underpants), nightie (< nightdress) はその一部に過ぎないが,特に女性ものに多いように思われる.衣服を表わす語彙が全体的に女性ものに偏っているということはありそうであり,そのために衣服語の短縮傾向も女性ものに偏っているということなのかもしれない.Web3 の -ie 1b にも次のような記述がある.
--- in names of articles of feminine apparel <nightie> <pantie>
ファッション業界は金の動く産業である.業界による商売戦略だろうかと勘ぐったが,それが成功するのであれば,他の業界も同じ技を利用するはずである.この謎に対して,最近読んでいた Foster (143) がなかなか説得力のある説明を与えてくれており,感心した.
A curious linguistic --- or psychological --- feature is that so many names of women's garments exist in a diminutive form (philologically, that is) ending in -ie, or -ies in the plural. Thus 'nightie', 'cammie' (a spoken form current up to the nineteen-twenties for 'camisole', enshrined in the compound 'cami-knickers'), and the unlovely 'combies', in addition to those incidentally mentioned above. The underlying and unconscious motive is possibly to lend an air of childish artlessness to words which are felt to have some element of taboo attached to them. Smallness in itself is of course supposed to be highly desirable by women in anything concerning their figures . . . .
ここで提案されているのは,euphemism の作用と,物理的な小ささを望む欲求と言語的な小ささを望む欲求との iconicity の作用が働いているのではないかということである.前者については,[2010-08-09-1]の記事「#469. euphemism の作り方」の (7) を参照されたい.後者については,[2009-08-18-1]の記事「言語は世界を写し出す --- iconicity」を参照されたい.
いずれにしても,「かわいらしさ」を追求していることは確かだろう.指小辞として -y ではなく -ie の綴字が用いられていることも,ことさらに「かわいらしさ」を演出しているように思える.ここでは,フランス語ゆずりの -e のもつ女性らしさが効いているのではないか.
・ Foster, Brian. The Changing English Language. London: Macmillan, 1968. Harmondsworth: Penguin, 1970.
昨日の記事「#906. the の異なる発音」 ([2011-10-20-1]) の続きとして,特に母音の前の規範的な発音 [ði] について付け加えたい.昨日の記事を書いているときにたまたま読んでいた Foster の著書に,母語話者の直感に基づく参考になる言及があった.
When the ensuing word begins with a vowel, as 'the apple'. (This seems to be something which has deliberately to be instilled into schoolchildren, who left to themselves will happily pronounce 'th' apple' in Shakespearean fashion.) . . . An odd belief of many naïve speakers is that 'thee' is somehow more easily understood than 'the', so that it is especially favoured when carefully enunciating a name or address, thus producing 'Thee Pines' or 'Thee Mount', to the bewilderment of at least one listener [the author himself]. (259)
中英語期から近代英語期までに母音の前の the が自身の母音を落として後接辞 (proclitic) として用いられていたことについては昨日も話題にしたが,これは自然な音発達のように思える.ところが,具体的にいつ頃からかは定かではないが,およそ近代英語後期から,自然に反するような [ði] が認められるようになってくる.自然に反するような流れといえば,綴られている通りに発音するという spelling pronunciation の潮流が真っ先に思い浮かぶ.「みなさん,綴字通りに音節を省略せずに発音しましょう.いいですか,<the apple> の発音は [ðæpl] ではなく [ði ˈæpl] ですよ」という(アメリカの?)小学校の教室風景が想像されるのだが,いわれなき偏見だろうか.もしこの空想にいわれがあるとすれば,現在の母音の前の the の発音も,多くの文法項目と同様に,近代英語後期における規範的な英語観の所産ということになるのかもしれない.
・ Foster, Brian. The Changing English Language. London: Macmillan, 1968. Harmondsworth: Penguin, 1970.
現代英語の規範的な発音では,the には3種類の発音が区別される.子音の前に現われる弱形として [ðə],母音の前に現われる弱形として [ði],環境とは無関係に強形としては [ðiː] である.なぜこのような分布になっているのだろうか.基本的な疑問であるほど説明は難しいが,歴史的に調査する価値がある.今回は,解決には至っていないが,調べられた範囲で経緯を報告したい.
Dobson (457) によると,the には初期近代英語から種々の発音が見られたようである.この頃,[ðe] が一般的な弱形だったが,強形としての [ðiː] はそれほど一般的ではなかった.前者を長化して作られた強形 [ðeː] や,後者を短化して作られた弱形 [ði] も現われていたが,音声環境による各形の分布については Dobson は言及していない.弱形としての [ðe] の母音が中舌化して現在の [ðə] が生じたと考えられるが,これがいつ頃のことだったのかはよく分からない.種々の弱強形が並立・競合するなかで,最終的に現在の分布へ落ち着いたということなのだろうか.
母音の前の [ði] についても詳しい経緯は不明である.ただし,初期近代英語で母音の前で the の母音が脱落 (elision) する傾向があったことは報告されている.これは,中英語にも普通に見られた proclitic な現象である([2011-06-22-1]の記事「#786. 前接語と後接語」を参照).Jespersen (187--88) より,関連する部分を引用しよう.
6.13 A final e was soon lost before a word beginning with a vowel . . . . A special case of this is the loss . . . in the, e.g. th' array, th' angel, th' engyn (Ch.), þarrke (Orrm). The elision in the was very frequent in early ModE; it occurs constantly in Hart's phonetically written prose texts (see H.'s Pron. p. 112, 122), and is shown on any page of Elizabethan poetry, where it is more frequently indicated in the original editions than in most modern ones. D 1640 speaks of the elision as used especially by lawyers. It is curious that Milton elided the chiefly before stressed vowels, and Pope chiefly before unstressed ones (Abbott, Concordance to Pope XIV); the reason lies perhaps in the growing tendency to a full pronunciation of the before a vowel in natural prose, though E 1765 recognizes th' Omnipotent as less stiff than 'thyomnipotent' used by some (thy = [ðj]). Now the elided form is sometimes used archaically in poetry, but not in colloquial language, except perhaps vulgarly; the Cockney stories "Thenks awf'ly" have th'air, th'ether (other), th'id (head), etc.
th' Omnipotent と 'thyomnipotent' を比較しているということは,母音の前での [ði] がある程度普通に聞かれていたことの証左となるだろう.実際には,母音 [i] ではなく半母音 [j] で発音されたとすれば,elision と同じ効果,すなわち句全体で1音節少なくするという効果が得られることになる.この効果は,[i] の高母音性から生じるのであり,中母音の [ðə] からは生じ得ない.この辺りに,母音の前で [ði] が好まれた理由があるのではないだろうか.
各音形の出現と発達,その分布については,歴史的には分からないことが多い.いかに現在の分布に落ち着くに至ったかという問題設定をしたわけだが,「現在の分布」とは「規範的な現在の分布」にすぎない.記述主義でゆくのであれば,初期近代英語の並立状態あるいは乱立状態は,現代英語にも受け継がれていると言える.LPD3 の記述を参照されたい.
The English as a foreign language learner is advised to use ðə before a consonant sound (the boy, the house), ði before a vowel sound (the egg, the hour). Native speakers, however, sometimes ignore this distribution, in particular by using ðə before a vowel (which in turn is usually reinforced by a preceding ʔ), or by using ðiː in any environment, though especially before a hesitation pause. Furthermore, some speakers use stressed ðə as a strong form, rather than the usual ðiː.
・ Dobson, E. J. English Pronunciation 1500-1700. 2nd ed. Vol. 2. Oxford: OUP, 1968.
・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part 1. Sounds and Spellings. 1954. London: Routledge, 2007.
・ Wells, J C. ed. Longman Pronunciation Dictionary. 3rd ed. Harlow: Pearson Education, 2008.
昨日の記事「#904. 借用語を共時的に同定することはできるか」 ([2011-10-18-1]) の続編.ここ数日で取り上げてきた Haugen の論文中で,Fries and Pike による興味深い題名の論文が参照されていたので,入手して読んでみた.借用語の音韻論は本来語の音韻論と異なっていることがあり,その差が借用語の同定に貢献しうるか否かという議論が,標題の問題と関わってくるからだ.
メキシコ南部 Oaxaca 州のマサテコ族によって話される Mazateco 語では,原則としてすべての無声閉鎖音が鼻音の後で有声化する.例えば,音素 /t/ は鼻音の後では異音 [d] として現われる.ところが,少数の例外が存在する.スペイン借用語 siento (百)では,上記の原則が破られ鼻音の後に [t] が現われるという.この語は高頻度語で,本来語に代替語がないために,上記の原則の重要な反例となる.これにより,[nd] と [nt] がもはや相補分布をなさなくなるため,構造言語学の方法論に従えば,/d/ の音素としての地位を認めざるを得ない.phonemicisation (音素化)の例ということになろう.
しかし,話者の反応を調査すると,siento のような僅かな例外があるからといって,/d/ を /t/ と区別される音素として一般的に認めていることを示す証拠は強くないという.理論的な minimal pair テストが明らかにするところと,話者の意識とは異なるということだろうか.この矛盾を解消すべく,Fries and Pike は次のような結論に至る.
The Mazateco evidence points to the conclusion, then, that two or more phonemic systems may coexist within a single dialect, even though one or more of these systems may be highly fragmentary. (31)
siento などの少数の予期せぬ例は,既存の音韻体系内の周辺部に位置づけられるわけではなく,その外側に並び立つもう1つの音韻体系に位置づけられ,両音韻体系が話者の中で共存しているのではいかという結論である.個人における複数の音韻体系の共存は,何も借用語のもたらす異質な音韻を説明するためだけに持ち出した考え方ではなく,通常の発話の音韻体系とささやき声の音韻体系は異なるし,歌声の音韻体系とも異なるといったように,様々な次元で見られる現象だというのが,Fries and Pike の主張である.
では,逆に言うと,音韻分布を詳細に調べることによって,周辺的な音韻体系を主たる音韻体系から区別できるということであれば,前者を特徴づけていると考えられる借用語彙を共時的に同定できるということになるのだろうか.だが,そう間単に行かない.昨日の記事でも述べたように,上に仮定した両音韻体系を分ける線を引くという作業はあくまで確率の問題であり,音韻分布を詳しく調べたところで明確な線引きはできそうにないからだ.siento が借用語であるということが,先に別の証拠により分かっているがゆえに音韻上の問題として提起できるという事情があるのであり,逆の方向の問題提起,もっぱら共時的な観察をもとに,ある語が借用語であるに違いないと提案する議論はやはり難しいようだ.
Fries and Pike は,以下を議論の結論としてではなく前提として明言している.
In a purely descriptive analysis of the dialect of a monolingual speaker there are no loans discoverable or describable. An element can be proved to be a loan word only when two dialects are compared. The description of a word as a loan is a mixture of approaches: the mixing of purely descriptive analysis with dialect study, comparative work, or historical study. Dialect mixture cannot be studied or legitimately affirmed to exist unless two systems have previously been studied separately. It follows that in a purely descriptive analysis of one particular language as spoken by a bilingual, no loans are discoverable. (31)
一般に,借用語は受け入れ側の言語の音韻論に吸収されやすい.あるいは,当初は元の言語の音韻論を保持したとしても,時間とともに nativise されやすい.はたまた,元の言語の音韻論そのものが受け入れ側の言語に導入され,それに基づいて作られた本来語の新語が,借用語と区別できなくなるという場合もある.
昨日の議論と合わせて,一般論として,標題の問いに対する答えは No と言わざるを得ないだろう.
・ Fries, Charles C. and Kenneth L. Pike. "Coexistent Phonemic Systems." Language 25 (1949): 29--50.
[2011-10-14-1]の記事「#900. 借用の定義」で触れた通り,借用 (borrowing) は歴史的な過程であり,共時的な結果ではない.結果として共時的に蓄積されているのは,あくまで借用語彙である.通時的な借用と共時的な借用語彙の間に因果関係があることは言うまでもないが,特に共時的な観点からは両者を明確に区別すべきである.これは,次の問題に関わる."Can loanwords be identified by a student who knows nothing of the previous stages of a language?"
ある語が借用語か否かを区別する共時的な方法の1つとして,借用語の示す異質な音韻・形態が挙げられるかもしれない.借用語は,自言語の様式に完全に同化していない限り,ソース言語の様式をいくぶんか受け継いでおり,異質なものとして浮き立っている可能性があるからだ.しかし,この基準は絶対的ではない.同質と異質の間に明確な線引きを施すことは難しいからだ.
Now it would be impossible to deny that, as we have shown in a preceding section, many loanwords have introduced features of arrangement which are numerically less common than certain other features and which sometimes stand in other relationships to the rest of the language than the previously existent patterns. But to identify the results of a historical process like borrowing is simply not possible by a purely synchronic study. What we find when we study a structure without reference to its history is not borrowing or loans, but something that might rather be described as 'structural irregularity'. This is not an absolute thing: word counts have shown that patterns vary in frequency from the extremely common to the extremely rare, with no absolute boundary between the two. Patterns of high frequency are certain not to sound 'queer' to native speakers; just how infrequent must a pattern be before it begins to 'feel foreign'? (Haugen 229--30)
たとえ「異質な音韻・形態」を確率的に割り出すことができたとしても,それを示す語彙には借用語のみならず非借用語の一部も含まれることになるだろうし,借用語でありながらそこに含まれないものも出てくるだろう.異質な音韻・形態を示す語彙は,それこそ確率論的に定義されるに語彙にすぎず,"items of LIMITED LEXICAL DISTRIBUTION" (Haugen 230) や "systemic fragments" (Haugen 231) と呼ばれておしまいになるかもしれない.
通時的な過程である借用の結果としての借用語彙が,話者の共時的な言語知識(特に音韻論や形態論)の中にいかに反映されているか --- 理論的に挑戦をせまる大きな問題である.
・ Haugen, Einar. "The Analysis of Linguistic Borrowing." Language 26 (1950): 210--31.
昨日の記事「#902. 借用されやすい言語項目」 ([2011-10-16-1]) で取り上げた "scale of adoptability" は,ある言語項目の借用されやすさは,それが言語体系に構造的に組み込まれている程度と反比例するという趣旨だった.ここで,次の疑問が生じてくる.言語体系の構造は言語によって異なるのだから,比較的借用の多い言語と少ない言語というものがあることになるのだろうか.
例えば,英語や日本語はしばしば借用の多い言語と言われるが,それは借用が少ないとされる言語(アイスランド語,チェコ語など)との比較においてなされている言及にちがいない.中英語期から近代英語期にかけての語彙史は借用語の歴史と言い換えてもよいほどで,現代英語では勢いが減じているものの([2011-09-17-1]の記事「#873. 現代英語の新語における複合と派生のバランス」を参照),英語史全体を借用の歴史として描くことすら不可能ではないかもしれない.一方,[2010-07-01-1]の記事「#430. 言語変化を阻害する要因」で示したように,アイスランド語は「借用語使用を忌避する強い言語純粋主義」をもっているとされ,借用が著しく少ない言語の典型として取り上げられることが多い.このように見ると,諸言語間に "scale of receptivity" なる,借用の受けやすさの尺度を設けることは妥当のように思われる.Haugen (225) によれば,Otakar Vočadlo という研究者が,homogeneous, amalgamate, heterogeneous という3区分の scale of receptivity を設けており,この種の尺度の典型を示しているという.
しかし,諸言語間の借用の多寡はあるにせよ,それが言語構造に依存するものかどうかは別問題である.Kiparsky は,言語構造依存の考え方を完全に否定しており,借用の多寡は話者の政治的・社会的な立場に依存するものだと明言している (Haugen 225) .この問題について,Haugen (225) はお得意の importation vs. substitution の区別を持ち出して,Kiparsky に近い立場から次のように結論している.
Most of the differences brought out by Vočadlo are not differences in actual borrowing, but in the relationship between importation and substitution, as here defined. Some languages import the whole morpheme, others substitute their own morphemes; but all borrow if there is any social reason for doing so, such as the existence of a group of bilinguals with linguistic prestige.
この Haugen の見地では,例えば借用の多いと言われる英語と少ないと言われるアイスランド語の差は,実のところ,借用の多寡そのものの差ではなく,2つの借用の方法 (importation and substitution) の比率の差である可能性があるということになる.importation に対する substitution の特徴は,形態的・音韻的に借用らしく見えないことであるから,借用する際に substitution に依存する比率の高い言語は,その分,借用の少ない言語とみなされることになるだろう.両方法による借用を加え合わせたものをその言語の借用の量と考えるのであれば,一般に言われているほど諸言語間に著しい借用の多寡はないのかもしれない.借用の議論において比較的目立たない loan translation (翻訳借用) や semantic loan (意味借用)に代表される substitution の重要性を認識した次第である.
・ Haugen, Einar. "The Analysis of Linguistic Borrowing." Language 26 (1950): 210--31.
・ Vočadlo, Otakar. "Some Observations on Mixed Languages." Actes du IVe congrès internationale de linguistes. Copenhagen: 1937. 169--76.[sic]
昨日の記事「#901. 借用の分類」 ([2011-10-15-1]) で述べたとおり,借用を論じるに当たって,Haugen の強調する importation と substitution の区別は肝要である.この区別は,借用されやすい言語項目について考える際にも,重要な視点を提供してくれる.
直感的にも理解できると思われるが,他言語から最も借用されやすい言語項目といえば,語彙であり,特に名詞である.一方,文法項目の借用は不可能ではないとしても,最も例が少ないだろうということは,やはり直感されるところだ.言語項目の借用されやすさを尺度として表わすと,"scale of adoptability" なるものが得られる.William Dwight Whitney の1881年の scale によると,名詞が最も借用されやすく,次に他の品詞,接尾辞,屈折接辞,音と続き,文法項目が最も借用されにくいという (Haugen 224) (関連して,現代英語の新語ソースの76.7%が名詞である件については[2011-09-23-1]の記事を,英語語彙の品詞別割合については[2011-02-22-1], [2011-02-23-1]の記事を参照).文法項目の借用されにくさについては,Whitney は,言語項目が形式的あるいは構造的であればあるだけ,その分,外国語の侵入から自由であるという趣旨のことを述べている.
もちろん,文法項目でも借用されている例はあり,上述の scale は規則ではなく傾向である.しかし,この scale は多くの言語からの多くの借用例によって支持されている.この問題について,Haugen (224) は importation vs. substitution の視点から,次のように述べている.
All linguistic features can be borrowed, but they are distributed along a SCALE OF ADOPTABILITY which somehow is correlated to the structural organization. This is most easily understood in the light of the distinction made earlier between importation and substitution. Importation is a process affecting the individual item needed at a given moment; its effects are partly neutralized by the opposing force of entrenched habits, which substitute themselves for whatever can be replaced in the imported item. Structural features are correspondences which are frequently repeated. Furthermore, they are established in early childhood, whereas the items of vocabulary are gradually added to in later years. This is a matter of the fundamental patterning of language: the more habitual and subconscious a feature of language is, the harder it will be to change.
これを私的に解釈すると次のようになるだろうか.借用は,ある言語項目を必要に応じて(ただし,[2009-06-13-1]の記事「#46. 借用はなぜ起こるか」で挙げた理由ような広い意味での「必要」である)他言語から招き入れる過程であり,その方法にはソース言語の形態を導入する革新的な importation と,自言語の形態で済ませる保守的な substitution がある.言語体系にそれほど強く織り込まれていず,頻度もまちまちである一般名詞のような借用においてすら保守的な substitution に頼る可能性が常にあるのだから,言語体系に深く構造的に組み込まれており,高頻度で生起する文法的な項目は,借用を必要とする機会が稀であるばかりか,稀に借用される場合にも革新的な importation に頼る確率は低いだろう.このように考えると,借用における substitution は一見すると importation よりも目立たないが,(両者を足して借用100%とする場合)後者と異なりその比率が0%になることはなさそうだ,ということになろうか.従来の一般的な考え方に従って importation を借用の核とみなすのではなく,substitution を借用の核とみなすことにするならば,実際のところ,言語には見た目以上に借用が多いものなのかもしれない.
・ Haugen, Einar. "The Analysis of Linguistic Borrowing." Language 26 (1950): 210--31.
昨日の記事「#900. 借用の定義」 ([2011-10-14-1]) に引き続き,今回は借用の分類の話題を.Haugen の提案している借用の分類では,importation と substitution の区別がとりわけ重要である.分類を概観する前に,用語を導入しておこう.
・ model: 借用元の形式
・ loan: 借用により自言語に定着した形式
・ importation: model と十分に類似した形式を自言語へ取り込むこと
・ substitution: model に対応する自言語の形式を代用すること
Haugen (214--15) は借用語を大きく3種類に分類している.
(1) LOANWORDS show morphemic importation without substitution. Any morphemic importation can be further classified according to the degree of its phonemic substitution: none, partial, or complete.
(2) LOANBLENDS show morphemic substitution as well as importation. All substitution involves a certain degree of analysis by the speaker of the model that he is imitating; only such 'hybrids' as involve a discoverable foreign model are included here.
(3) LOANSHIFTS show morphemic substitution without importation. These include what are usually called 'loan translations' and 'semantic loans'; the term 'shift' is suggested because they appear in the borrowing language only as functional shifts of native morphemes.
具体例で補足すると,(1) の(狭い意味での) loanword の典型例として,英語の America が日本語へそのまま借用された「アメリカ」がある.この際に生じたのは,形態的な importation であり,かつ音韻的にもほぼそのまま model が受け継がれている (imported) .一方,形態的に importation ではあるが,音韻的に完全に日本語化した (substituted) と考えられる「ラブ」 (love) がある.「ラヴ」として借用されたのであれば,音韻上,部分的に日本語化したと表現できるだろう.
(2) の loanblend の例としては,複合語の借用の場合などで,形態的な importation と substitution が同時に見られる「赤ワイン」 (red wine) のような例が挙げられる.しばしば,hybrid として言及されるが,過程としての hybrid と結果としての hybrid は,本来区別すべきものである(昨日の記事[2011-10-14-1]の最終段落を参照).混合がその中で生じている形態の単位によって,blended stem, blended derivative, blended compound が区別される.
(3) の loanshift には,loan_translation (翻訳借用; calque とも)呼ばれているもの,そして semantic loan (意味借用)と呼ばれているものが含まれる.前者では自言語の語彙目録に新たな morph が登録されることになるが,後者に至っては同形態がすでに存在するので,他言語からの影響を示すものは意味のみであるという点が特異である.ただし,既存の morph と意味の関連が希薄な場合には,語彙目録に異なる morph として立項されるかもしれない.意味の近似により既存の morph に従属する場合には loan synonym,意味の隔たりにより別の morph として立項される場合には loan homonym と呼ばれる.loan translation が複合語を超えてイディオムなどの連語という単位へ及ぶと,syntactic substitution と呼べることになるだろう (ex. make believe < F fair croire ) .
借用の方法が importation か substitution か,借用の単位が morphology か phonology かによって (1), (2), (3) の区分と,さらなる下位区分が得られることになる.ここで注意したいのは,どの種の借用でも semantics のレベルでは必ず importation が生じていることである.「意味借用」などの術語に惑わされてはならないのは,いずれにせよ,意味は必ず借用されるということである.
Haugen は,さらに細かい下位区分と多くの術語を導入しながら,借用を論題通りに "analysis" してゆく.借用という問題の奥深さが感じられる好論である.
・ Haugen, Einar. "The Analysis of Linguistic Borrowing." Language 26 (1950): 210--31.
言語項目の借用 (borrowing) については,語の借用を中心に様々な話題を扱ってきた.英語史においても,語の借用史は広く関心をもたれるテーマであり,それ自体が大きな主題だ.借用語に関する話題は,時代ごとあるいはソース言語ごとに語を列挙して,形態的・意味的な特徴を具体的に指摘したりすることが多いが,借用という現象について理論的に扱っている研究はあまりない.そこで,借用の理論化を試みている Haugen の論文を紹介したい.
Haugen (210--11) は,borrowing を "Sprachmischung" (= language mixture) あるいは "hybrid" と呼ばれる過程とは区別すべきだと説く.Sprachmischung はカクテルシェーカーで2言語の混合物を作るような過程を想像させるが,実際には2言語使用者であっても同時に2つの言語から自由に言語要素を引き出すということはしない.両者の間でめまぐるしく交替することはあっても,一時に話しているのはどちらか一方である.したがって,Sprachmischung は borrowing と同一視することはできないと同時に,それ自体が普通には観察されない言語現象である.また,"hybrid language" とは,あたかも "pure language" が存在するかのような前提を含意するが,"pure language" なるものは存在しない.
このように,Sprachmischung や hybrid との区別を明確にした上で,Haugen (212) は borrowing を次のように記述し,定義づけた.
(1) We shall assume it as axiomatic that EVERY SPEAKER ATTEMPTS TO REPRODUCE PREVIOUSLY LEARNED LINGUISTIC PATTERNS in an effort to cope with new linguistic situations. (2) AMONG THE NEW PATTERNS WHICH HE MAY LEARN ARE THOSE OF A LANGUAGE DIFFERENT FROM HIS OWN, and these too he may attempt to reproduce. (3) If he reproduces the new linguistic patterns, NOT IN THE CONTEXT OF THE LANGUAGE IN WHICH HE LEARNED THEM, but in the context of another, he may be said to have 'borrowed' them from one language into another. The heart of our definition of borrowing is then THE ATTEMPTED REPRODUCTION IN ONE LANGUAGE OF PATTERNS PREVIOUSLY FOUND IN ANOTHER. . . The term reproduction does not imply that a mechanical imitation has taken place; on the contrary, the nature of the reproduction may differ very widely from the original . . . .
借用の議論においてもう1つ重要な点は,借用は過程であり結果ではないということである.例えば,借用語は借用という歴史的過程の結果として共時的に観察される言語項目である.ある語が借用され,その借用語に基づいて新たな語形成が行なわれ,2次的に新語が作られた場合,この新語は共時的にはあたかも借用語のように見えるが,借用の過程を経たわけではないことに注意したい.借用が過程であるという点については,Haugen (213) も特に注意を喚起している.
Borrowing as here defined is strictly a process and not a state, yet most of the terms used in discussing it are ordinarily descriptive of its results rather than of the process itself. . . . We are here concerned with the fact that the classifications of borrowed patterns implied in such terms as 'loanword', 'hybrid', 'loan translation', or 'semantic loan' are not organically related to the borrowing process itself. They are merely tags which various writers have applied to the observed results of borrowing.
・ Haugen, Einar. "The Analysis of Linguistic Borrowing." Language 26 (1950): 210--31.
この2日間の記事 ([2011-10-11-1], [2011-10-12-1]) で,米国最大の英語辞書 Web3 の特徴を見てきた.出版当時の評価を一言で表わせば,現代の英語辞書史上,最も descriptive で,最も permissive な辞書だったということになるだろう.
こと発音記述に関しては,昨日の記事で記した通り「変種を詳しく示し,非標準音も併記(30種を超える場合もある);優先発音を必ずしも明示せず」であり,何でもありという印象を受ける.実際に,最近,問題のある語のアクセント位置を複数の辞書によって調べるという作業を行なっていたのだが,Web3 の variation の豊富さは群を抜いていた.Web3 が規範的な発音を知るという目的に向いていないことを痛切に感じた.
具体的に述べると,本ブログでも何度か扱ってきた強勢の「名前動後」化が疑われる語について (see diatone) ,この1世紀の間の強勢の変化を辞書によって追おうとした.英米両変種を扱ったが,アメリカ英語からは以下の4つの辞書で強勢の記述を比較した.
・ Web1913 = Webster's Revised Unabridged Dictionary. Ed. Noah Porter. Online version published on 9 January 1997 at http://machaut.uchicago.edu/websters . Merriam, 1913.
・ PDAE = Kenyon, John Samuel and Thomas Albert Knott, eds. A Pronouncing Dictionary of American English. Springfield, Mass.: Merriam, 1951.
・ Web3 = Gove, Philip Babcock, ed. Webster's Third New International Dictionary of the English Language, Unabridged. Springfield, MA: G. & C. Merriam, 1961. (In this survey I used the CD-ROM version [2000] based on the 1961 unabridged edition.)
・ AHD4 = The American Heritage Dictionary of the English Language. 4th ed. \ Boston: Houghton Mifflin, 2006.
以下は,名前動後化の傾向を示唆する14語について,辞書ごとに強勢の記述をまとめたものである."o" は "oxytone"(後の音節に強勢あり),"p" は "paroxytone" (前の音節に強勢あり)を示す.Web3 では,"p, o" や "o, p" が多く,どちらに強勢をおいても可と言わんばかりである.調査の姿勢としては,とりわけ規範的な発音を重視するという方針があったわけではないのだが,正直なところ,ここまで permissive な記述を示されると解釈に差し支えると,困った次第である.結局,論文 (forthcoming) では辞書の規範主義と記述主義について一言述べずにはいられなかった・・・.
WORD | POS | Web1913 | PDAE | Web3 | AHD4 |
---|---|---|---|---|---|
decline | noun | o | o | o, p | o |
decline | verb | o | o | o | o |
dismount | noun | -- | o | o | p |
dismount | verb | o | o | o | o |
dispute | noun | o | o | o, p | o |
dispute | verb | o | o | o | o |
employ | noun | o | o | o, p | o |
employ | verb | o | o | o | o |
entail | noun | o | o | o, p | o |
entail | verb | o | o | o | o |
rebuff | noun | o | o | o, p | o |
rebuff | verb | o | o | o | o |
replay | noun | -- | o | p, o | p |
replay | verb | -- | o | o | o |
report | noun | o | o | o, p | o |
report | verb | o | o | o | o |
retort | noun | o | o | o | o, p |
retort | verb | o | o | o | o |
retouch | noun | o | o | p, o | o, p |
retouch | verb | o | o | o | o |
revise | noun | o | o | o | p, o |
revise | verb | o | o | o | o |
romance | noun | o | o, p | o, p | o, p |
romance | verb | o | o | o, p | o |
surmise | noun | o | o, p | o, p | o |
surmise | verb | o | o | o | o |
traject | noun | o | p | p | -- |
traject | verb | o | o | o | o |
昨日の記事「#897. Web3 の出版から50年」 ([2011-10-11-1]) で,アメリカの英語辞書の最高峰である Web3 の評判について言及したが,イギリスにおける最大の英語辞書 OED2 と比較するとどのような特徴があるだろうか.特徴の異同を手近においておくと便利だと思ったので,寺澤 (44--45) に掲載されている対照表を以下に掲載する.このように一覧すると,違いがよく見えてくる.
OED2 | Web3 | |
---|---|---|
出版年(巻数) | 19281(12+1巻),(New Suppl. 1986, 4巻),19892(20巻) | 19091, 19342, 19613 |
総頁数 | 約22,000頁 | 2,662頁(2002年版では2,806頁) |
版型 | 30×22.5cm | 32.5×24.0cm |
収録語数 | 約46万4千語(うち主見出し語約35万) | 約46万語(2002年版では約47万6千)(Web2: 55万?66万) |
用例 | 用例約240万 | 約20万 |
編集方針 | 歴史的原理;規範性 (prescriptive) [史的言語学の影響];年代順の語義配列;初出年を語義ごとに明示 | 非歴史的;客観的記述主義[構造言語学の影響];(一応)年代順の語義配列;初出年を明示せず |
見出し語 | 1150年以後の語すべて収録と称する | 1755年以後の語を収録(ただし古語・廃語約2万語を含む)(Web2: 1500年以降,ただし Chaucer を含む);科学技術用語重視(ISVラベル);句動詞を立項 |
篤志文献閲読(協力)者 | 英800名,米400?500名,約100万枚(1928年版);約100名(1986年版) | なし |
引用(用例) | 文学作品重視(約240万例);Shakes. 33,303;Bible 5,725;Milton 12,485 | 意味を明らかにするのに役立つ文例 |
用法レベル (register) | 詳細指示 | 位相づけに消極的(colloq, informal, illit., erron. などは用いず);また《英》《豪》《カナダ》などに対してとくに《米》を用いない |
語源 | 編集時期の制約はあるが詳細な情報を与える | 簡潔記述 |
発音 | 標準英音(国際音標文字による表記) | 変種を詳しく示し,非標準音も併記(30種を超える場合もある);優先発音を必ずしも明示せず |
語形変化 | 各世紀の異綴り形を示す(方言,廃用の語形明示) | 非標準形も併記 |
語義 | 詳細な意味区分(set (v.) 20頁,154区分) | 百科事典的説明を随時加える (cf. hotel) (set (v.) 1頁未満) |
図解 | なし | 約3千点(Web2 では約12万),色刷り図解を含む |
地名・人名 | なし | gazetteer 約3万6千;biographical 約1万3千 |
Web3 として知られる,良くも悪くも画期的なアメリカの誇る最大の辞書は,今年で出版50周年を迎えた.50周年の区切りに,20世紀の英語辞書界に大論争を巻き起こしたこの歴史的な辞書について,新たなレビュー記事が New York Times に寄稿された.Geoffrey Numberg 氏によるその記事は, When a Dictionary Could Outrage でオンラインにて閲読できる.
Web3 をめぐる大論争は,規範主義的 (prescriptive) な辞書として非常に評価の高かった先行版と比べ,記述主義的 (descriptive) な辞書へと様変わりした,その方針転換を巡っての言語文化論争だった.伝統的にアメリカでは辞書に規範を求める風潮が強かったが,Web3 の編集者 Gove は,当時の記述的構造言語学の潮流に乗ることを選んだ.確かに,Web3 の記述には構造言語学の隙のない精密な手法が反映されており,言語学者からの評価は現在に至るまで高い.アメリカ辞書史において初めての「ことばの辞書」だという評も聞かれる.しかし,アメリカ英語を象徴する権威と規範のある辞書の新版を望んでいた当時の一般の消費者にとっては,Gove の寝返りは裏切り行為と映った.アメリカ英語話者の多くが求めていた辞書は,引けば間違いなく正しい語法をすぐに得られる,正用集としての辞書だったが,Web3 は正用も誤用も混ぜ合わせたかのような,非標準的な語法にあまりに寛容な,あまりに記述的な辞書として現われたのである.
両立場のあいだで激しい議論が繰り広げられた.出版に先立つ前評判が高かったことが大論争の火種に油を注ぐことになったが,出版の翌年1962年には62編の論評が発表されたというから,反響の大きさが知れる.しばしば失敗作とのレッテルを貼られ,Web3 にとっては苦難の時代の始まりとなったが,辞書と規範という悩み深い問題を大々的に提起したこと自体が,アメリカにおける Webster 辞書の威信を物語っているように思われる.
Web3 論争の歴史的意義について,Numberg 氏は次の2点をもって総括している.
It introduced the words "prescriptivist" and "descriptivist" into the cultural conversation, and fixed the battle lines for the ritualized squabble over standards that persists across media old and new.
[T]he furor over Webster's Third also marked the end of an era. It's a safe bet that no new dictionary will ever incite a similar uproar, whatever it contains. . . . [N]ow all is legitimated under the rubric of pop culture.
Web3 によって,記述主義がアメリカの英語辞書界のみならず広くアメリカの論壇にも知れ渡ることになった.しかし,英語辞書に限定しても,規範主義が駆逐されたわけではなく,依然として辞書の規範的権威は大きいという事実は変わっていない.記述と規範 --- 極めて扱いの難しいこの言語文化上の問題を提起して50年,目下 Web4 の編纂が始まっているところである.
オンラインで,2009年の Ain't That the Truth: Webster's Third: The Most Controversial Dictionary in the English Language なるレビュー記事も見つけたので,参照されたい.
・ Gove, Philip Babcock, ed. Webster's Third New International Dictionary of the English Language, Unabridged. Springfield, MA: G. & C. Merriam, 1961.
・ 寺澤 芳雄(編) 『辞書・世界英語・方言』 研究社英語学文献解題 第8巻.研究社.2006年.43--45頁.
[2011-10-02-1]の記事「#888. 語根創成について一考」で触れた Kodak について.アメリカの写真機メーカー,コダック社の製品(主にカメラやフィルム)につけられた商標で,コダック社の創業者 George Eastman (1854--1932) の造語とされる.語根創成の典型例として挙げられることが多い.
商標としての初出は OED によると1888年で,一般名詞として「コダック(で撮影された)写真」の語義では1895年が初出.それ以前に,1891年には早くも品詞転換 (conversion) を経て,動詞としての「コダックで撮影する」も出現している.派生語 Kodaker, Kodakist, Kodakry も立て続けに現われ,当時のコダックの人気振りが偲ばれる.素人でも簡単に撮影できるのが売りで,そのことは当時の宣伝文句 "You press the button, we do the rest" からもよく表わされている.アメリカ英語では「シャッターチャンス」の意味で Kodak moment なる言い方も存在する.
Kodak という語の発明については詳しい経緯が書き残されている.ひ孫引きとなるが,Mencken に拠っている Strang (24) から引用する.
To the history of kodak may be added the following extract from a letter from its inventor, George Eastman (1854--1932) to John M. Manly Dec. 15, 1906: 'It was a purely arbitrary combination of letters, not derived in whole or in part from any existing word, arrived at after considerable search for a word that would answer all requirements for a trade-mark name. The principal of these were that it must be short, incapable of being mis-spelled so as to destroy its identity, must have a vigorous and distinctive personality, and must meet the requirements of the various foreign trade-mark laws, the English being the one most difficult to satisfy owing to the very narrow interpretation that was being given to their law at that time.' I take this from George Eastman, by Carl W. Ackerman; New York, 1930, p. 76n. Ackerman himself says: 'Eastman was determined that this product should have a name that could not be mis-spelled or mispronounced, or infringed or copied by anyone. He wanted a strong word that could be registered as a trade-mark, something that every one would remember and associate only with the product which he proposed to manufacture. K attracted him. It was the first letter of his mother's family name. It was "firm and unyielding." It was unlike any other letter and easily pronounced, Two k's appealed to him more than one, and by a process of association and elimination he originated kodak and gave a new name to a new commercial product. The trade-mark was registered in the United States Sept. 4, 1888.'
Eastman 自身の説明として,コダック社のHPにも次のような記述を見つけることができた.
I devised the name myself. The letter 'K' had been a favorite with me -- it seems a strong, incisive sort of letter. It became a question of trying out a great number of combinations of letters that made words starting and ending with 'K.' The word 'Kodak' is the result.
音素配列 (phonotactics) と音の与える印象を徹底的に考え抜いた上での稀な語根創成といえるだろう.
Strang (24--25) によると,初期の例からは「写真」や「フィルム」という普通名詞としての Kodak の使用が示唆されるが,商標から完全に普通名詞化したと考えられる hoover (掃除機)などとは異なり,普通名詞化の度合いは低いのではないかという.商標として始まった後,間もなく普通名詞化しかけたが,再び商標としてのみ使われることになった,という曲折を想定することができる.意味や用法の変化が必ずしも一方向ではないことを示唆する例と考えられるかもしれない.
・ Strang, Barbara M. H. A History of English. London: Methuen, 1970.
独身女性の姓・姓名の前に用いる Miss という敬称がある.近年では代わりに Ms. あるいは Ms を用いるようになってきており(国連では1973年に正式採用),かつてよりも出番は低くなっている.(敬称については,[2009-10-16-1]の記事「#172. 呼びかけ語としての Mr, *Mrs, Miss」を参照.)
Mrs や Mr には主に米式で Mrs. や Mr. とピリオドがつけられるが,Miss については英米ともにピリオドは不可である.その理由は,Miss が省略形ではないからとされているが,とんでもない,れっきとした省略形である.その etymon は mistress であり,興味深いことにこの語は Mrs の etymon でもある.mistress という同じ語が,既婚か未婚かで形態と綴字を分かち,Mrs と Miss を生み出したのである.
17世紀後半,mistress が書記上の短化を経て <Mrs> と綴られるようになったが,この語は名前の前位置でしか使われなくなったために弱強勢が置かれるようになり,発音としては19世紀初頭までに /ˈmɪsɪs/ あるいは /ˈmɪsɪz/ へと短縮された.こうして,現在の綴字と発音の対応が確定した.
それとは別の経路で,17世紀までに,発音上の切り株で /mɪs/ が生み出されたようだ.その時期の綴字 <Mis> あるいは <Mis.> がその発音を示唆しているように思われるが,実際にはその初期の綴字の例は書記上の短化にすぎなかった可能性もある.つまり,むしろ書記上の短化 <Mis> や <Miss> が先に生じ,それに合わせるかのように /mɪs/ の発音が生まれたと考えられなくもない.この場合,spelling pronunciation が生じたことになる.
Heller and Macris (206) は後者の可能性を指摘している.昨日の記事で取り上げた AWOL の最初の2段階が,ここにも当てはまると考えているようだ.mistress → <Miss> → /mɪs/ と変化したことになる.書記上の短化が音韻上の短化を誘引した,という説だ.
いずれの説を採るにせよ,<Miss> で <s> が繰り返されている点が問題となる./mɪs/ の発音に適合するように重子音字化したのか,あるいは Heller and Macris (206) が述べている通り,<Mis(tres)s> もしくは <Mi(stre)ss> の "acrouronym" ([2011-10-07-1]) の例なのか,あるいはその両者の相互作用の結果なのか.
もう1つ残された問題は,先に取り上げた Miss にピリオドがつかないのはなぜか,という問題だ.Miss は,上記のようにいくつかの考え方はあるものの,Mr. や Mrs. とは異なり,発音と綴字が結果的に一致した.このことによって,Miss が本来は略語であるという認識が薄れたのではないか.れっきとした1単語であるという認識が,ピリオドをつけないという書記上の特徴に反映されていると考えることができる.音韻と書記の循環的作用は,侮ることのできない言語変化の一要因なのかもしれない.
・ Heller, L. G. and James Macris. "A Typology of Shortening Devices." American Speech 43 (1968): 201--08.
昨日の記事「#893. shortening の分類 (1)」 ([2011-10-07-1]) に引き続いての話題.Heller and Macris は,音韻上の短化と書記上の短化の相互関係について論じている.例えば,absent without official leave が AWOL /ˈeɪwɑl/ へと短化する過程には,音韻・書記の観点から次の4段階が認められる.
1. 書記上の短化( A.W.O.L; 発音は absent without official leave のまま)
2. 音韻上の短化(アルファベット読みで /ˈeɪ ˈdʌbljuː ˈoʊ ˈɛl/ )
3. 書記上の短化(ピリオドが落ち,AWOL へ)
4. 音韻上の短化(語として /ˈeɪwɑl/ )
音韻と書記はこのように循環的に作用し,短化が進んで行くものと考えられる.ただし,この4段階の過程は必ずしも順調に推移するとは限らない.互いの短化が反映されなかったり,過程が途中で止まるということもあり得る.Heller and Macris は,shortening の音韻と書記に関するこの問題を考慮に入れながら,昨日紹介した類型に加えて,もう1つ別次元の類型を提示している (208) .音韻上の短化が,書記上にどのように反映されているか,いないかという基準である.
A. No mark: he is (for /hiz/)
B. Abbreviation points (for orthographical shortenings only): C.O.D. (when still read cash on delivery)
C. Apostrophes (usually the orthographical marks reflecting the earlier phonological shortenings): o'clock
昨日と今日の記事で概説してきたような詳細で精密な shortening の分類は,ともすれば分類のための分類と取り違えられる恐れがあるが,共時的な形態分析のみならず通時的な英語の研究にとっても重要である.次の点を指摘しておきたい.
(1) 論理的な分類は,分析に明確な基準を与え,観察を研ぎ澄ませてくれると同時に見落としを防いでくれる役割をもつ.
(2) 論理的な基準に則れば,共時的変異と通時的変化のタイプが言語によって異なっているのか,共通の傾向があるのかを確かめることができる.
(3) 英語などの個別言語に限定しても,統一基準によって,shortening の質と量が通時的にどう変化してきたのかを明らかにすることができる.その変化は音韻変化や書記変化とどのように連動しているのか,あるいは連動していないのか,という問題にも迫ることができる.
・ Heller, L. G. and James Macris. "A Typology of Shortening Devices." American Speech 43 (1968): 201--08.
[2011-10-01-1]の記事「#887. acronym の分類」に引き続き,上位概念である shortening の分類を紹介したい.Heller and Macris は,厳格な術語群を導入して,shortening の類型の構築を試みた.下の表は,Haller and Macris (207) をほぼ忠実に再現したものである.
1. Type of shortening
A. Acronym (initial): ad
B. Mesonym (medial): Liza
C. Ouronym (tail): Beth
D. Acromesonym (initial + medial): T.V.
E. Acrouronym (initial + tail = blend): brunch
F. Mesouronym (medial + tail): Lizabeth
2. Medium shortened
A. Phonology: ad, Liza, Beth
B. Orthography: Dr.
3. Hierarchy affected
A. Monolectic (one word): ad
B. Polylectic (more than one word, i.e., a phrase): brunch
Haller and Macris は,Baum の acronym の分類に現われる 1st order, 2nd order などの区分は論理的でないとして,上の表の "1. Type of shortening" と "3. Hierarchy affected" の2つの観点を用いて様々な shortening の方法を整理した.1 の基準は,短化する前の元の形態 (etymon) からどの部分を残しているかという基準である.前,中,後とその組み合わせによる6つの論理的なクラスが設けられている.3 では,etymon が1語か,複数語からなる句かを区別する.この2つの基準によって,例えば brunch は "a polylectic acrouronym" であると分類される.
しかし,とりわけ重要なのは,"2. Medium shortened" によって,従来は体系的に扱われてこなかった音韻上の短化と書記上の短化の区別が明示されたことである.両種類の短化は,etymon からの「引き算である」 (subtractive) という点で共通しているが,書記上の短化には特有の「置き換える」 (replacive) タイプがあることを指摘した点は注目に値する (203--04) .例えば,£ は pound の書記上の短化とみなすことができそうだが,前者は後者の書記上のどの部分も反映していないので,置換というほうが適切である.この考え方でゆけば,Xmas (= Christmas) のような例は,"acroreplacive" とでも呼べることになる (204) .
この3つの基準によって,既存の shortening の大多数を記述することができる.この基準では記述できない複雑な例もあるだろうが,基本を押さえていれば応用は難しくない.
・ Heller, L. G. and James Macris. "A Typology of Shortening Devices." American Speech 43 (1968): 201--08.
[2011-09-27-1]の記事「#883. Algeo の新語ソースの分類 (1)」で,西洋における体系文法の父と称されるギリシアの文法学者 Dionysius Thrax (c100BC) に言及した.彼の著わした Techne Grammatike は,小冊子ながらも,千年以上もの間標準テキストとして用いられた,極め付きのロングセラーである.今回は,Davidson による英訳により,Thrax が語形成について述べている箇所を読んでみた.ギリシア語の知識および当時の世界観を持ち合わせていないので,Thrax の語形成の分類は随分と独特に見えるが,英語の語形成を考える上で何か参考になるかもしれないので,概要を記したい.
Thrax は,Section 14 で名詞には2つの Species があると論じている.1つは primitive で,もう1つは derivative である.現代の形態論の用語でいえば,前者は語根あるいは simplex,後者は派生語あるいは complex に相当するだろう.派生語は7種類が区別されているが,その基準は意味だったり機能だったりで仕分けに統一がない.その7つとは,Patronymics, Possessives, Comparatives, Diminutives, Nominals, Superlatives, Verbals である.これらにより派生名詞が作り出されることになる.
一方,Thrax は名詞には3つの Forms があると論じている.1つ目は simple で,2つ目は compound で,3つめは super-compound である.それぞれの例として,Memnon, Agamemnon, Agamemnonides を挙げている.compound には4種類が区別されており,語形成論としては興味深い.(1) 2つの完全語からなるもの (ex. Cheirisophos), (2) 2つの不完全語からなるもの (ex. Sophokles, (3) 1つの不完全語と1つの完全語からなるもの (ex. Philodemos), (4) 1つの完全語と1つの不完全語からなるもの (ex. Periklês) .
Thrax の語形成論は独特であり,直接これを英語に応用できるわけではないが,自由形態素と拘束形態素の区別を意識している点は注目に値する.primitive や simple という用語も,英語形態論に導入すると便利そうである.
派生と複合を明確に区別する Thrax の伝統は,現代英語形態論にも概ね受け継がれているようだ.
・ Davidson, Thomas, trans. "The Grammar of Dionysios Thrax." Journal of Speculative Philosophy 8 (1874): 326--39.
##887,889,890の記事で acronym について話題にしてきた.特に「#889. acronym の20世紀」 ([2011-10-03-1]) では,現代英語の流れは acronym にあり,と強調した.単語として発音する acronym と平行して,アルファベットを1文字ずつ発音する initialism も同時に栄えていることは,CPU, EU, FBI, USB など枚挙にいとまがないことからも実感されるだろう.
しかし,不思議なことに,現代英語には一度折りたたんだ initialism を再び展開するという,流れに逆行するような傾向も散見されるのである.ただし,展開するといっても,元の長い句をそのまま復元するわけではなく,アルファベット読みを文字で展開するということである.
例を見るのが早い.Baum によると,そのプロトタイプは O.K. を okay と展開する (expand) 例であるという.他には,M.C. を emcee, D.J. を deejay, TV を teevee とする例が見られる.female emcee を縮めた femcee という語まである.acronym と同様,initialism の最大の効果が情報の高密度化 (densification) にあるものだとすれば([2011-01-12-1]の記事「#625. 現代英語の文法変化に見られる傾向」を参照),initialism の展開は不可解である.無論,これは綴字上の展開であって,発音上は何ら展開していない.また,ある種の書き言葉レジスターにしか見られないとも指摘されている ("limited for the most part to areas of colloquial writing where one might least expect formality of expression" [Baum 74]) .したがって,あくまで限られた領域に行なわれている視覚的な贅沢にすぎないとも言えるが,一種の間延び,情報の希釈化という印象は免れない.
大きな流れのなかに見られるこの小さな抵抗の原動力は,一体何だろうか.Baum (73) は,initialism の与える荒涼とした陰気くささを和らげるためではないかと指摘している.
Alongside this tendency toward condensation there is a slowly growing counterimpulse toward reestablishing the full dignity of the initial word by expansion. Perhaps this countermovement is stimulated by the notion that the initial word is too stark in appearance.
Baum (75) はまた,この小さな抵抗に同情と理解を示してもいる.
This counterimpulse to abbreviation, as indicated in these few examples, is obviously a weak one, still relegated to the periphery of the language. But a sizable proportion of these expanded initial words---okay, Seabee, emcee---has by now gained lexicographical acceptance, certainly an indication that the neologism is finding approval.
言語変化において,大きな潮流のなかの小さな抵抗という話題は常に妙趣がある.次の話題も参考までに.
・ [2010-06-04-1]: #403. 流れに逆らっている比較級形成の歴史
・ [2010-08-31-1]: #491. Stuart 朝に衰退した肯定平叙文における迂言的 do
・ [2011-06-12-1]: #776. 過去分詞形容詞 -ed の非音節化
・ Baum, S. V. "Formal Dress for Initial Words." American Speech 32 (1957): 73--75.
昨日の記事[2011-10-03-1]で紹介した,20世紀 acronym 発展史を概説した Baum が,翌年に興味をそそる論文を書いている.SARAH (= search and rescue and homing; 「捜索救難帰投装置」), CORA (= conditioned reflex analogue; 一種の人口頭脳), ERMA (= electric recording machine, accounting; 自動記帳機) など,当時のコンピュータ技術の粋を搭載した機器の名称とされた acronym には,女性名が多いというのである.
これは,偶然ではないだろう.開発に関わっている技術者はほとんどが男性だったと想定され,男性が乗り物や国家を女性として擬人化してきた傾向とも一致するからである(船や国名を受ける代名詞 については,##852,853,854 の記事を参照).では,これらの装置を女性と見立てる背景にある女性のイメージはというと,Baum (224--25) によれば次の通りである.
In general, the technological acronym seems to be growing more and more feminine, perhaps from much the same motivation as has encouraged meteorologists to appropriate girls' names for the yearly hurricanes. There is a sly and meaningful humor apparent in using a woman's name---Sarah, Cora, Erma---for what is really an intricate nervous system constructed of electronic tubes and thousands of feet of electric wire.
なるほど.いや,あくまで Baum の意見です.引用者も怒られるかもしれませんが・・・.
引用にあるように,人工頭脳よりもずっと公共性の高い話題であるハリケーンについては,米国は1953年に導入していた女性名付与の規則を1978年に廃し,男女名を交互に付与する命名法へと改めた(National Hurricane Center の記述によれば,女性名による命名の慣習は19世紀の終わりからあるという).女性名だけでは男女同権に反するというのが,改革当時の理由だったようだ.神経症と暴威 --- もちろん男性でもあり得るわけではあるが・・・.
Baum の洞察はあくまで1956年のことなので,人工頭脳の命名について,その後の事情が気になるところである.日本では,ソニーの AIBO の名前の由来の1つに「相棒」が関わっているとのこと.
・ Baum, S. V. "Feminine Characteristics of the Acronym." American Speech 31 (1956): 224--25.
[2011-10-01-1]の記事「#887. acronym の分類」で acronym (頭字語)の種類について見た.現代英語の言語変化の潮流の1つとして,情報の高密度化 (densification) が指摘されているが([2011-01-12-1]の記事「#625. 現代英語の文法変化に見られる傾向」を参照),それを手軽に達成する手段の1つが acronym である.acronym という語自体が American Dialect Society によって20世紀の "Word of the Century" にノミネートされたほどであり ([2009-12-28-1]) ,現代英語を代表する語形成といってよい.英語における20世紀の acronym 発展史を主にアメリカ社会史と絡めて概説した,Baum による興味深い論文を見つけたので,以下に要旨をメモしておく.
・ アルファベット文字として別々に発音する initialism から,語として発音する acronym への流行の変化の兆しは,最も早くには,第1次世界大戦の時期に観察される.AWOL (= absent without official leave; 初出1920年代), DORA (= Defense of the Realm Act; 初出1917年), ANZACS (= Australian and New Zealand Army Corps; 初出1915年) など.しかし,いまだ散発的だった.
・ 1930年代,President F. D. Roosevelt による the New Deal (ニューディール政策)を遂行するために無数の部局が生まれた.その名称として NIRA (= National Industrial Recovery Act; 1933年) や T.V.A. (= Tennessee Valley Authority; 1933年) などの acronym や initialism が多用され,特に報道英語で好まれたために,アメリカ英語ではこれらの造語法が定着することとなった.
・ 第2次世界大戦の時期に軍事部局が無数に作られ,略語が生まれた.この時期には,initialism よりも acronym を好む傾向が明らかに見られるようになる.EIDEBOWABEW (= Economic Intelligence Division of the Enemy Branch of the Office of Economic Warfare Analysis of the Board of Economic Warfare), MEW (= Ministry of Economic Warfare), WAVE(S) (= Women's Appointed Volunteer Emergency Service) など.最後の例は,海軍においては「波」の意味と響き合って,適合感があることに注意.
・ 意味との適合感を意図的に求める acronym は,戦前から戦後にかけても出現している.Basic English (= British American Scientific International Commercial English; 1932年), CARE (= Cooperative for American Remittance to Europe; 1945年) など.
・ acronym は政治分野の専売特許のように見えるが,もう1つ acronym の活躍している分野に人工頭脳研究(あるいはコンピュータ・サイエンス)がある.ENIAC (= electronic numerical integrator and computer; 1945年) や Audrey (= automatic digital recognition) など.
その他,現代では無数の研究プロジェクト名にも acronym が用いられている.このブログ関連でも,辞書の省略名やコーパスの省略名として acronym が多い (see List of Corpora) .
・ Baum, S. V. "From 'Awol' to 'Veep': The Growth and Structure of the Acronym." American Speech 30 (1955): 103--10.
語形成の究極的な方法に語根創成 (root creation) がある.Algeo の新語ソースの分類基準によれば「etymon をもたない語形成」と定義づけられる.
典型的な例として挙げられるものに,googol がある.「10を100乗した数;天文学的数字」を表わし,1940年に米国の数学者 Edward Kasner (1878--1955) が9歳の甥に造語してもらったものとされている.OED に造語の経緯を示す例文が掲載されている.
1940 Kasner & Newman Math. & Imagination i. 23 The name 'googol' was invented by a child (Dr. Kasner's nine-year-old nephew) who was asked to think up a name for a very big number, namely, 1 with a hundred zeros after it. . . At the same time that he suggested 'googol' he gave a name for a still larger number: 'Googolplex'. Ibid. 25 A googol is 10100; a googolplex is 10 to the googol power.
別の有名な例は,商標 Kodak だ.Eastman Kodak Co. の創業者 George Eastman (1854--1932) の造語で,Strang (24--25) に詳細が記されている.
語根創成は,数ある新語形成法のなかでは一般的でないどころか,例外といってよい.しかし,とりわけ個性的な名称を必要とする商標には語根創成が見られることは首肯できる.
さて,語根創成は,いわば無からの創造と考えられるが,本当に「無」かどうかは不明である.語根創成は定義上 etymon をもたないが,参照点をまったくもたないということではない.Algeo の分類では,語根創成は音韻的な動機づけの有無により "onomatopoeia" (ex. miaow) と "arbitrary coinage" (ex. googol) に区別されているが,前者では自然界の音という参照点が一応存在する.音による参照ということでいえば phonaesthesia もそれと近い概念であり,"arbitrary coinage" とされている googol も,少年の頭の中では phonaesthetic な表象があった,淡い音韻的動機づけがあったという可能性は否定できないだろう.Kodak も音の印象を考えに考えての造語だったということなので,語根創成がどの程度「無からの創造」であるかは,不鮮明である.また,その不鮮明さは,単に語源的な情報や知識が不足しているがゆえかもしれない.語源学者の知見の及ばないところに,実は etymon があったという可能性は常にある (Algeo 124) .
語根創成は,当然のことながら,言語の起源とも密接に関わる問題だ([2010-07-02-1]の記事「#431. 諸説紛々の言語の起源」を参照).言語が生まれた当初の新語形成は,ある意味ではすべて語根創成だったと言えるかもしれない.人類言語の発展は,新語形成における語根創成の比率が,当初の100%から限りなく0%へと近づいてゆく過程と捉えることができるかもしれない.
・ Strang, Barbara M. H. A History of English. London: Methuen, 1970.
・ Algeo, John. "The Taxonomy of Word Making." Word 29 (1978): 122--31.
[2011-09-29-1]の記事「#885. Algeo の新語ソースの分類 (3)」の分類表を眺めていると,いろいろと気づくことが多い.その1つに,ITEM_NO で 21--25, 27, 28 の語に共通して付与されている acronym (頭字語)という語形成の呼称に関する問題がある.
通常,acronym は radar (= radio detection and ranging) のようにそれ自身が1語として発音されるものを指し,アルファベットとして1文字ずつ読まれる FBI の類の initialism (頭文字語)とは区別される.Web3 と CALD3 の定義を見てみよう.
Web3: a word formed from the initial letter or letters of each of the successive parts or major parts of a compound term (as anzac, radar, snafu)
CALD3: an abbreviation consisting of the first letters of each word in the name of something, pronounced as a word
acronym は,上記のように initialism と区別された上で,さらに下位区分される.Algeo の分類表にある "1st order" や "2nd order" というものがそれである.この分類は Baum (49) に拠っているようなので,そちらを参照してみると次のように説明されていた.
・ acronym of the 1st order (or a pure acronym): "formed only from the first letter of each major unit in a phrase" (ex. asdic for Anti-Submarine Detection Investigation Committee)
・ acronym of the 2nd order: "two initial letters of the first unit" (ex. radar for radio detection and ranging, loran for long range navigation)
・ acronym of the 3rd order: "Lewis Carroll's portmanteau word" (ex. motel from motor and hotel)
・ acronym of the 4th order: "a blend formed from the initial syllables of two or more words" (ex. minicam for miniature camera, amtrac for amphibious tractor)
・ acronym of the 5th order: "other coinages [that approach] agglutinative extremes, introducing medial as well as initial and final letters" or "a code designation very much like the truncated blends used in cablegrams" (ex. TRANSPHIBLANT for Transports, Amphibious Force, Atlantic Fleet)
5th order ともなると,acronym と呼んでしかるべきかどうか,おぼつかなくなってくる.the 3rd order の blend ですら,acronym の一種ととらえるのは妥当かどうかおぼつかないが,etyma となる最初の語の頭字を取っている点で,少なくとも半分は acronym 的だったのだなと新たな視点を得られる.
最初,このような acronym の下位区分は分類のための分類ではないかと疑っていたが,acronym, blend, clipping, initialism などの関係を明らかにするのに有益だということがわかった.また,Baum が半世紀も前に早々と指摘していた通り,"Perhaps now that the acronym has been institutionalized, some kind of order will be re-established in discussions of this subject" (50) .
acronym という用語は1943年に初出しており,その年代は acronym による造語力が爆発的に増大し始めた時期(出現した時期ではない)とおよそ一致するに違いない.整理の必要があるほどに acronym が増えてきたということだろう.
・ Baum, S. V. "The Acronym, Pure and Impure." American Speech 37 (1962): 48--50.
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最終更新時間: 2024-09-24 08:28
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