一昨日と昨日の記事では,標準英語の体系を中心に,3単現の基本原理や形態・音韻変化のメカニズムを整理してきました.本日は,視点を標準英語の外側へと広げ,世界英語 (World Englishes) や地域方言といった多様な変種 (variety) の観点から「3単現の -s」のあり方を相対化してみようという試みとなります.
私たちが学校で習う標準英語では,主語が 3人称・単数・現在であれば動詞に -s をつけることが「絶対のルール」とされています.しかし,標準英語の枠から一歩外に出ると,3単現であっても -s をつけない英語変種が数多く存在します.
例えば,ロンドンにほど近いイングランド東部,イーストアングリア (East Anglia) 地方の地域方言では,伝統的に 3単現の -s をつけません(e.g., He walk., She know.).さらに視点を世界へ広げれば,アフリカ系アメリカ人英語 (AAVE) や,ピジン英語,クレオール英語,そして世界各地で話される英語変種において,3単現の -s を欠く「3単現のゼロ」は決して珍しい現象ではありません.
逆に,人称や数に関係なく,あらゆる文脈で動詞に -s を付与する英語変種も存在します.イングランド北部方言や,ウェールズ南部・南西部の諸方言などでは,次のような文をごく自然に耳にします.
・ I likes it.
・ We goes home.
・ You throws it.
歴史的に見れば,英語の動詞の人称屈折は,地域や方言によって驚くほど多様でした.「3人称単数だけに -s をつける」という標準英語のパターンは,そうした無数の変異のなかの1つの選択肢にすぎなかったのです.
Shakespeare などの初期近代英語の文献を読んでいると,一見すると文法的に破綻しているように思える次のような文に出会うことがあります.
・ they laugh that wins (勝つ者たちが笑う)
前半の主語 they に対する動詞は laugh (-s なし)であるのに対し,後半の主語(that = they)に対する動詞は wins (-s あり)となっています.なぜ同じ複数主語に対して,-s の有無が分かれているのでしょうか.
実は,ここには明確な文法原理が働いています.中英語期のイングランド北部方言に由来する特異な規則です.この規則のもとでは,主語が複数代名詞であっても,動詞と隣り合っている場合には -s がつかず(they laugh),主語と動詞が離れている場合や主語が名詞である場合には -s がつくという複雑な規則が存在していました.
さらに驚くべきことに,過去形にまで -s がついた歴史的形跡が存在します.現代英語の methinks 「~のように思われる」は,非人称動詞に由来する古風な表現ですが,この過去形として,通常期待される methought に加えて,なんと過去形でありながら -s 付加が生じた methoughts という形,「3単過の s」が文献上に実在しました.
> Me thoughts that I had broken from the Tower. (Shakespeare, Richard III)
屈折語尾 -s の文法的な機能の揺らぎと多様性を示す,きわめて興味深い歴史的証拠です.
現代の World Englishes 研究において,広範な変種データを集積したデータベース eWAVE (ewave) の調査結果は,私たちが教わる「普通」を捉え直す上で大きな示唆を与えてくれます(「#6239. 世界英語諸変種にみる「3単現の s」と「3単現のゼロ」 --- eWAVE 3.0 のデータより」 ([2026-05-27-1]) を参照).
世界の英語変種を見渡すと,3単現において -s をつけない「3単現のゼロ」は,調査対象となった変種の69%で確認され,その平均普及率は72%に達します.一方で,「人称にかかわらずとにかく -s をつける」という変種も35%(普及率45%)存在しています.
この言語類型論的なデータが意味するのは,標準英語が採用している「3人称・単数・現在というピンポイントの条件でのみ -s を要求する」という規則こそが,世界中の英語のなかではむしろアンバランスで珍しいものであるという事実です.
標準英語の「3単現の s」は,決して言語として普遍的で合理的なルールというわけではなく,多様な方言的変異のなかから歴史の偶然によって標準化された規則にすぎません.標準英語の外からの視点をもつことで,英文法をより相対的・客観的に眺めることができるようになりますね.
明日の第4回は,歴史的に3単現の語尾であった -eth が,なぜ現代の -(e)s へと変化を遂げたのか,その諸説に迫ります.
・ 堀田 隆一 『英語史で解く 英文法の謎 --- なぜ「3単現の s」をつけるのか』 NHK出版〈NHK出版新書〉,2026年.
一昨日と昨日,X 上で近刊『なぜさんたんげん』のカウントダウン企画の一環として2つの投稿をポストしました(こちらとこちら).お付き合いいただいている皆さん,ありがとうございます.今回の記事では,そのカウントダウン投稿の内容を hellog の場でも振り返りつつ,英語史・類型論的な視点から少し解説を加えてみたいと思います.
取り上げたテーマは,泣く子も黙る(?)「3単現の s」そのものです.学校文法では絶対のルールとして叩き込まれるこの s ですが,標準英語から一歩外に出て世界の英語変種(World Englishes)に目を移すと,全く異なる風景が広がっています.
「#4902. eWAVE 3.0 の紹介 --- 世界英語の言語的特徴を格納したデータベース」 ([2022-09-28-1]) でみた,世界英語の言語的特徴を格納した巨大データベース eWAVE 3.0 (= The Electronic World Atlas of Varieties of English) に基づいて,主語の人称と直説法現在の動詞の形態に関する統語的一致(agreement)に関する具体的な数値を覗いてみましょう.eWAVE のデータベースより,Area フィールドで agreement を指定すると,統語的一致の様々な現象についての情報が得られます.そのなかで,世界英語の3単現語尾に関する興味深い事実も見えてきます.
まず,主語が3人称単数であっても動詞に s をつけない,いわゆる「3単現のゼロ」についてです.項目 No. 170 "Invariant present tense forms due to zero marking for the third person singular" を見ると,以下のような驚くべき数値が示されています.
・ Attestation (文証率): 69%
・ Pervasiveness (普及率): 72%
eWAVE 3.0 で調査対象とされている世界の77変種の69%で「3単現のゼロ」が1例以上「確認」 (Attestation) され,頻度による重み付けを考慮した上での,その平均的な「普及率」 (Pervasiveness) は72%に達するというのです.標準英語(Standard English)の社会的な「重み」はもちろん絶大ですが,それを世界に無数にある英語変種のなかの1つの変種として平等にカウントするならば,s をつけない「3単現のゼロ」のほうが多数派になることを,この結果は示唆します(ただし,eWAVE 3.0 における Attestation と Pervasiveness の定義,および数値の扱いについては十分に理解していく必要があるので,ぜひ Introduction をご確認ください).
では,逆のパターンはどうでしょうか.直説法現在であれば「人称にかかわらず,とにかく何にでも s をつける」という変種(No. 171 "Invariant present tense forms due to generalization of 3rd person ?s to all persons")のデータも見てみましょう.
・ Attestation: 35%
・ Pervasiveness: 45%
主語が I であろうが they であろうが s を一般化してしまう変種も,世界の変種の35%で確認されており,その普及率は45%に及びます.この結果に,思ったより普通にあるんだな,という印象をもった方も多いのではないでしょうか.
歴史言語学や言語類型論の観点から考えると,全部ゼロ(I love, he love)に統一するのも,全部 s(I loves, he loves)に統一するのも,いずれも人称パラダイムを通じて一貫性が保たれるため,スッキリした屈折体系であるとはいえます.
それに引き換え,私たちが日常的に使っている標準英語の「3単現だけに s をつける」という中途半端なパラダイムは,改めて客観的に眺めると,きわめてバランスが悪くいびつなシステムです.標準英語は,類型論的には,普通でない,奇妙な変種であるといわざるを得ません.なぜ標準英語がいびつな形をわざわざ選んで保持しているのか,その謎を解き明かすことこそが英語史の醍醐味だと思います.これについてはまた日を改めて議論していければと思います.
『なぜさんたんげん』カウントダウン投稿は今後も続きます.SNS 等でもハッシュタグ #なぜさんたんげん を付して,ぜひ一緒に盛り上げていただければ幸いです.
・ 堀田 隆一 『英語史で解く 英文法の謎 --- なぜ「3単現の s」をつけるのか』 NHK出版〈NHK出版新書〉,2026年.
「#4902. eWAVE 3.0 の紹介 --- 世界英語の言語的特徴を格納したデータベース」 ([2022-09-28-1]) で,世界77変種の英語の統語形態情報を集積したデータベース eWAVE 3.0 (= The Electronic World Atlas of Varieties of English) を紹介した.言語項目に関する分布を世界地図上にプロットしてくれる優れものだが,どこか既視感のようなものを感じていた.
そして思い当たった.これは初期・後期中英語のイングランド方言地図 LAEME と LALME の現代世界英語版ではないかと.逆にいえば,LAEME/LALME は eWAVE の中英語版とみることができる.このことに気づいた瞬間,eWAVE と LAEME/LALME の英語史上の位置づけと意義が理解できた.
eWAVE と LAEME/LALME は対象とする時代や地理的な規模こそ異なっているが,狙いとしては類似している点が多い.いずれも当該時代の英語の特定の言語項目について,地域変種ごとにプロファイルをまとめてくれ,さらに地図上に分布をプロットしてくれる.そして,出力された結果を正しく解釈するためには高度な英語学・英語史の知識が必要であるという点も似ている.「標準変種」の概念が不在,あるいは少なくとも強く意識されていない,というのも共通点だ.
ただし,そもそも連携が意識されたプロジェクトではないわけで,当然ながら異なる点も多々ある.
・ eWAVE のターゲットは現代の世界英語というグローバルな規模,LAEME/LALME のターゲットは初期・後期中英語イングランドというローカルな規模
・ eWAVE のインフォーマントは各変種に精通した現代に生きる言語の専門家,LAEME/LALME のインフォーマントはたまたま現存している写本資料(eWAVE には "fit-technique" のような理論的な手法は不要)
・ eWAVE は統語形態項目に特化したプロファイルを,LAEME/LALME は音韻形態・綴字項目に特化したプロファイルを提供している
・ eWAVE のエンジンはデータベース,LAEME(体系的ではないが LALME も)のエンジンはコーパス(GloWbE のような世界英語コーパスは存在するが,eWAVE とは独立しているため,LAEME のように方言地図とコーパスとのシームレスな連携は望めない)
おもしろいのは,時代的に eWAVE と LAEME/LALME の間に位置する近代英語期について,類似の方言地図が作られていないことだ.近代英語期から現存する言語資料の大半が標準変種で書かれており,各地域変種の様子が見えてこないために,データベースもコーパスも編纂できないからだろう.地域変種の現われ方という観点からすると,時代を隔てた中英語と現代英語のほうがむしろ似ているのである.
昨今,世界英語 (World Englishes) について考察したり議論したりする機会が多くなってきた.私は英語史の立場から,世界英語現象を伝統的英米諸方言の話題の延長線上にあるものとしてとらえている.平たくいえば,世界英語は英語方言という広いテーマの1つであり,その点では英語史上のイギリス方言やアメリカ方言の話題と異ならない,という立場だ.単に方言展開の舞台が数カ国という狭い空間から世界という広い空間に拡大しただけで質的な違いはない,とみている.
もちろんこれは見方の問題であるし,すべてが見方次第である.世界英語の多様性と,例えばイギリス英語の多様性を比べるとき,相違点を列挙していくことはたやすい.
1. 世界英語にあっては,諸方言が展開する舞台は世界全体であり,狭いブリテン諸島のみとはわけが違う.
2. 世界英語にあっては,諸方言がいかにして発達してきたか,その方法や経路が明らかに多様である.
3. 世界英語にあっては,言語接触の果たす役割が段違いに大きい.
4. 世界英語にあっては,母語方言のみならず非母語方言も考慮に入れる必要がある.
5. 世界英語は20世紀後半から21世紀にかけての現代的な話題である.
5点のみ挙げたが,他にもいろいろと指摘することができるだろう.上記5点はそれぞれ興味深い論点ではあるが,異議を唱える(あるいは少なくとも議論の再考を促す)ことも同じくらい容易である.
1'. イギリス英語にあっては,諸方言が展開する舞台はブリテン諸島全体であり,狭いイングランドのみとはわけが違う.
2'. イギリスにあっては,諸方言がいかにして発達してきたか,その方法や経路が明らかに多様である.(古英語から現代英語に至るまでイングランド諸方言の発達を巡って未解決の問題が山積している.方言発達の方法や経路は十分に複雑で多様である.)
3'. イギリス英語にあっては,言語接触の果たす役割が大きい.(世界英語における言語接触の果たす役割が本当に「段違いに」大きいかどうかは慎重な議論を要する.というのは,そもそも英語史は言語接触の歴史といってもよいほどだからだ.)
4'. イギリス英語にあっては,母語方言のみならず非母語方言も考慮に入れる必要がある.(ウェールズやアイルランドの英語方言は,非母語方言として始まり発展してきた.)
5'. イギリス英語は20世紀後半から21世紀にかけての現代的な話題で「も」ある.(もちろん,それ以前の話題でもあったが.)
議論する上で2つの問題を切り分ける必要がない,と主張しているわけではない.見方を変えれば切り分けずに議論することもできるということを,英語史の立場から述べておきたい次第.
先日の khelf-conference-2022 (=ゼミ合宿)で,専修大学の菊地翔太先生に eWAVE 講習会@khelf-conference-2022を開いていただきました.実践的にご紹介いただき,たいへん勉強になりました(菊地先生,ありがとうございます!).
eWAVE 3.0 (= The Electronic World Atlas of Varieties of English) は,世界中の英語変種の言語学的特徴が格納されているデータベースです.現在までに77の変種に関する言語学的(主に形態統語的)情報,および背景情報が整理されて提供されています.言語データの提供源は,各変種についての記述的研究,コーパス,そして84人の専門家のインフォーマントです.

変種間の比較対照のために設定されている言語項目は235件の形態統語的特徴で,Attestation, Pervasiveness, Area の3つのパラメータによりソートすることができ,結果を容易に世界地図上にプロットできる仕様となっています.
eWAVE のイントロによると,このデータベースを利用することで,次のような問いに答えを出すことができるとのことです.
・ Which features are most/least widespread across varieties of English worldwide?
・ How many varieties of English worldwide share feature X?
・ Is feature X restricted to or characteristic of a particular part of the English-speaking world?
・ Is feature X restricted to or characteristic of a particular group of varieties?
・ Does variety A have feature X?
・ In which area of grammar does variety A differ most from variety B?
世界英語 (world_englishes) を研究する上で,間違いなく重要なツールとなります.一方,使用するに当たって注意すべき点もあります.詳細や関連情報については,eWAVE 講習会@khelf-conference-2022の資料が有用です.ぜひじっくり学んでみてください.
eWAVE の編纂者の1人 Kortmann については,本ブログでも世界英語の話題と関連して,以下で触れていますので,合わせてどうぞ.
・ 「#4509. "angloversals" --- 世界英語にみられる「普遍的な」言語項目」 ([2021-08-31-1])
・ 「#4763. 多くの世界英語変種にみられる非標準的な言語項目トップ11」 ([2022-05-12-1])
・ Kortmann, Bernd, Kerstin Lunkenheimer, and Katharina Ehret, eds. The Electronic World Atlas of Varieties of English. Zenodo, 2020. Available online at http://ewave-atlas.org.
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