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taboo - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-04-27 09:58

2023-09-15 Fri

#5254. 神の名前をめぐって [onomastics][name_project][religion][taboo][euphemism][oxymoron]

 名前プロジェクト (name_project) の一環として,固有名と異名について考えている.見方によれば,一神教における神は固有名中の固有名といってよい.このような神を何と呼ぶかという問いは,言語学を超えて神学や宗教学の領域に踏み込むことになる.あまりに大きな話題なので,今回は『宗教学事典』の「名前」の項 (350--51) に依拠して述べる.
 キリスト教では神の名をみだりに唱えることは禁止されている.神聖なるもの,あるいは「畏るべき」「魅する」ものを直接名指しすることはタブー (taboo) としてはばかられるためである(cf. 「#5251. 「名前」 --- 『宗教学事典』より」 ([2023-09-12-1])).
 ヒンドゥー教でも同様に神の名はタブーであるため,婉曲表現 (euphemism) による「異名」が数多くある.例えば,シヴァの名前は「縁起のいい」を意味する一般の形容詞にすぎない.
 イスラムでは,神アッラーの諸側面を表わす99の神の「美称」が神学的に整理されている.アッラーという名前そのものについても語源が諸説ある.ちなみに,ヤハウェについても同様に紛々としている.
 あらためてキリスト教の神に戻ると,その無限性や超越性を示すために,様々な異名が案出されてきた.そのなかには撞着語法 (oxymoron) によるものも多い.例えば「輝く闇」「不眠の眠」「不動の動」「超本質」「超卓越」「反対の一致」などである.このような矛盾を含んだ名づけの背景にある思弁は「否定神学」といわれる.
 否定神学にみられる神の名づけとその名前は,私たちが日常的に理解するものとはかけ離れたものである.この乖離こそが,前者が世界に意味づけを与えることを可能にしている.同項 (351) によれば,

固有名は,それについての確定記述と同一ではない,と S. A. クリプキは論じる.固有名は,あたかも人間の「顔」(E. レヴィナス)のように一気に把握されるのである.したがって,固有名を執拗に忌避する否定神学は,いわば「顔なき顔」の神と向き合っているのである.ところで,人間の顔は,コンテキストを瞬時に伝達する「ハイ・コンテキスト性」(斉藤環)を備えている.ユダヤの神は,その名を「私は「私である」である」 (I am that I am =エフイェ アシェル エフイェ)」(出エジプト記3:14)と答えた.これは,いかなる確定記述をも拒否する極限的固有名たる「顔なき顔」としての神が,それでも顔であるがゆえに,世界にコンテキストを,すなわち意味を与えている,という究極の自己啓示である.

 タブーと婉曲表現,ここに極まれり.

 ・ 星野 英紀・池上 良正・氣田 雅子・島薗 進・鶴岡 賀雄(編) 『宗教学事典』 丸善株式会社,2010年.

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2022-06-26 Sun

#4808. なぜ女性に関する/対するタブーが多いのか? [gender][taboo][race][anthropology]

 タブー (taboo) という語を一般に広めた功績は,18世紀イングランドの大航海者 James Cook (1728--79),通称 Captain Cook に帰せられる(cf. 「#4162. taboo --- 南太平洋発、人類史上最強のパスワード」 ([2020-09-18-1]),「#4802. 絶対的タブーは存在しない」 ([2022-06-20-1])).例えば Cook は1768--71年のタヒチへの航海日誌にて,タヒチの女性は男性と一緒に食事をしないという風習に触れ,これを "Tabu" として言及している.
 この例をはじめとして,女性に「対して」課される種類のタブーは古今東西で非常に広くみられるようだ.同じように,女性に「関する」タブーやその周辺の話題にも事欠かない.例えば「#1908. 女性を表わす語の意味の悪化 (1)」 ([2014-07-18-1]) や「#1909. 女性を表わす語の意味の悪化 (2)」 ([2014-07-19-1]),「#908. bra, panties, nightie」 ([2011-10-22-1]),「#1483. taboo が言語学的な話題となる理由」 ([2013-05-19-1]),「#1507. taboo が言語学的な話題となる理由 (4)」 ([2013-06-12-1]) などからも,その匂いを感じ取ることができるだろう.
 一般に性 (gender) に関するタブーは普遍的であり,そのなかでもとりわけ女性に焦点が当てられることが多いということかと思われるが,なぜ男性ではなく女性なのだろうか.1つの見方によれば,多くの社会において女性へのタブーがみられることは,女性が男性よりも劣っているという一種の性的カースト制度・思想の反映と解釈できるのではないかという.Allan and Burridge (4) は,上記のタヒチのタブーの事例を念頭に,次のように述べている.

. . . we can look at this taboo in another way, as the function of a kind of caste system, in which women are a lower caste than men; this system is not dissimilar to the caste difference based on race that operated in the south of the United States of America until the later 1960s, where it was acceptable for an African American to prepare food for whites, but not to share it at table with them. This is the same caste system which permitted men to take blacks for mistresses but not marry them; a system found in colonial Africa and under the British Raj in India.


 上記のタヒチからの例は習慣・風習にまつわるタブーだが,世界の言語における言葉上のタブーについても「性的カースト」の観点から分析してみる価値がありそうだ.

 ・ Allan, Keith and Kate Burridge. Forbidden Words: Taboo and the Censoring of Language. Cambridge: CUP, 2006.

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2022-06-20 Mon

#4802. 絶対的タブーは存在しない [taboo][sociolinguistics][anthropology]

 昨日の記事「#4801. タブーの源泉」 ([2022-06-19-1]) で引用した Allan and Burridge は,序章で「絶対的タブーは存在しない」と言い切っている (9--11) .

     There is no such thing as an absolute taboo
Nothing is taboo for all people, under all circumstances, for all time. There is an endless list of behaviours 'tabooed' yet nonetheless practised at some time in (pre)history by people for whom they are presumably not taboo. This raises a philosophical question: if Ed recognizes the existence of a taboo against patricide and then deliberately flouts it by murdering his father, is patricide not a taboo for Ed? Any answer to this is controversial; our position is that at the time the so-called taboo is flouted it does not function as a taboo for the perpetrator. This does not affect the status of patricide as a taboo in the community of which Ed is a member, nor the status of patricide as a taboo for Ed at other times in his life. Our view is that, although a taboo can be accidentally breached without the violator putting aside the taboo, when the violation is deliberate, the taboo is not merely ineffectual but inoperative.
   Sometimes one community recognized a taboo (e.g. late eighteenth-century Tahitian women not eating with men) which another (Captain Cook's men) does not. In seventeenth-century Europe, women from all social classes, among them King Charles I's wife Henrietta Maria, commonly exposed one or both breasts in public as a display of youth and beauty. No European queen would do that today. Australian news services speak and write about the recently deceased and also show picture, a practice which is taboo in many Australian Aboriginal communities . . . .
. . . .
We are forced to conclude that every taboo must be specified for a particular community of people, for a specified context, at a given place and time. There is no such thing as an absolute taboo (one that holds for all worlds, times and contexts).


 絶対的タブー,すなわちすべての人々,時間,状況において有効なタブーというものは存在しない.しごく当たり前のことではあるが,特定の文化の特定の時代に身を置いている私たちにとって,そこで有効なタブーが他のどこでも,いつでも通用するものだろうと信じ込んでしまう恐れは常にある.古今東西のタブーを知っておくことは,自らの属する社会のタブーを相対化するのに役立つだろう.

 ・ Allan, Keith and Kate Burridge. Forbidden Words: Taboo and the Censoring of Language. Cambridge: CUP, 2006.

Referrer (Inside): [2022-06-26-1]

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2022-06-19 Sun

#4801. タブーの源泉 [taboo][sociolinguistics][anthropology]

 言語的タブーの現象には多大な関心を寄せている.hellog でも taboo とタグ付けした多くの記事で取り上げてきた(とりわけ「#4041. 「言語におけるタブー」の記事セット」 ([2020-05-20-1]) を参照).タブーとは何か,なぜ人間社会にはタブーが生じるのか,謎が多く興味が尽きない.Allan and Burridge (1) が,言語的タブーに関する著書の冒頭で,タブーの範疇や源泉について次のように概説している.

Taboo is a proscription of behaviour that affects everyday life. Taboos that we consider in the course of the book include

・ bodies and their effluvia (sweat, snot, faeces, menstrual fluid, etc.);
・ the organs and acts of sex, micturition, and defecation;
・ diseases, death and killing (including hunting and fishing);
・ naming, addressing, touching and viewing persons and sacred beings, objects and places;
・ food gathering, preparation and consumption

   Taboos arise out of social constraints on the individual's behaviour where it can cause discomfort, harm or injury. People are at metaphysical risk when dealing with sacred persons, objects and places; they are at physical risk from powerful earthly persons, dangerous creatures and disease. A person's soul or bodily effluvia may put him/her at metaphysical, moral or physical risk, and may contaminate others; a social act may breach constraints on polite behaviour. Infractions of taboos can lead to illness or death, as well as to the lesser penalties of corporal punishment, incarceration, social ostracism or mere disapproval. Even an unintended contravention of taboo risks condemnation and censure; generally, people can and do avoid tabooed behaviour unless they intend to violate a taboo.


 これによると,タブーの源泉は,不快感,危害,損害を引き起こし得るような個人の行動に社会的制限を課そうとするところに存するのだという.社会秩序を平穏に維持すべく,越えてはいけない一線を社会のなかで共有するための知恵,あるいは仕掛け,と言い換えてもよいかもしれない.その目標を達成するために,人々が日常的に用いざるをえない言語というものを利用するというのは,何とも巧妙なやり方ではないか.

 ・ Allan, Keith and Kate Burridge. Forbidden Words: Taboo and the Censoring of Language. Cambridge: CUP, 2006.

Referrer (Inside): [2022-06-20-1]

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2021-09-16 Thu

#4525. 「性交」を表わす語を上から下まで [taboo][euphemism][swearing][slang][thesaurus]

 古今東西の言語で,性に関する語句はタブー (taboo) となりやすく,様々な婉曲表現 (euphemism) が発達するのが通例である.英語でも「性交」を意味する語句は枚挙にいとまがない.公的に用いても問題ない「上」の語句から,俗語 (slang) として日陰でしか使われない「下」の語句まで,実に幅広い.Hughes (242) がその氷山の一角として,次のように挙げている.

   reproduction
   generation
   copulation
   coition
   intercourse
   congress
   intimacy
   carnal knowledge
   coupling
   pairing
   mating
at roughly which point the line is drawn, below which are found:
   shagging
   banging
   bonking
   fucking


 上下を2分するおよその線が下から5行目に引かれているが,本当は下のクラスに属する語句の方が圧倒的に多い.書き切れないし書くのも憚られるものが多いので,あえて省略しているということだろう.憚られるものをいくつか小声で紹介すれば beast with two backs, bum dancing, bottom wetting, a squirt and a squeeze など.この目的で俗語辞典をめくってみれば,数百件はくだらない(大多数が下のクラス).
 上下を分ける線の位置については,そもそも絶対的に定めることはできない.判断は個人によっても異なるし,時代によっても変化してきた.おそらく世代間でも線引きの仕方や認識はいくらか異なるだろう.調べてみれば,興味深い通時的研究になりそうだ.

 ・ Hughes, Geoffrey. Swearing: A Social History of Foul Language, Oaths and Profanity in English. London: Penguin, 1998.

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2021-07-22 Thu

#4469. God に対する数々の歴史的婉曲表現 [taboo][euphemism][swearing][slang][metonymy][htoed]

 英語の歴史において,God (神)はタブー性 (taboo) の強い語であり概念である.「#4457. 英語の罵り言葉の潮流」 ([2021-07-10-1]) でみたように,現代のタブー性の中心は宗教的というよりもむしろ性的あるいは人種的なものとなっているが,「神」周りのタブーは常に存在してきた.これほど根深く強烈なタブーであるから,その分だけ対応する婉曲表現 (euphemism) も豊富に開発されてきた.Hughes (13) が時系列に多数の婉曲表現を並べているので,再現してみよう.

TermDateEuphemism
God1350sgog
 1386cokk
 1569cod
 1570Jove
 1598'sblood
 1598'slid (God's eyelid)
 1598'slight
 1599'snails (God's nails)
 1600zounds (God's wounds)
 1601'sbody
 1602sfoot (God's foot)
 1602gods bodykins
 1611gad
 1621odsbobs
 1650sgadzooks (God's hooks)
 1672godsookers
 1673egad
 1695od
 1695odso
 1706ounds
 1709odsbodikins (God's little body)
 1728agad
 1733ecod
 1734goles
 1743gosh
 1743golly
 1749odrabbit it
 1760sgracious
 1820sye gods!
 1842by George
 1842s'elpe me Bob
 1844Drat! (God rot!)
 1851Doggone (God-damn)
 1884Great Scott
 1900Good grief
 1909by Godfrey!


 「#469. euphemism の作り方」 ([2010-08-09-1]) でみたように,様々な方法で God の婉曲表現が作られてきたことが分かる.中世から初期近代に至るまでは,「神」それ自身ではなく,体の部位を指して間接的に指示するメトニミー (metonymy) によるものが目立つ.一方,近現代には音韻的変形に訴えかけるものが多い. rhyming slang による1884年の Great Scott もある(cf. 「#1459. Cockney rhyming slang」 ([2013-04-25-1])).HTOED などを探れば,まだまだ例が挙がってくるものと思われる.
 「#1338. タブーの逆説」 ([2012-12-25-1]) でも述べたように「タブーは,毒々しければ毒々しいほど,むしろ長く生き続けるのである」.最近の関連記事としては「#4399. 間投詞 My word!」 ([2021-05-13-1]) もどうぞ.

 ・ Hughes, Geoffrey. Swearing: A Social History of Foul Language, Oaths and Profanity in English. London: Penguin, 1998.

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2021-07-10 Sat

#4457. 英語の罵り言葉の潮流 [swearing][slang][asseveration][lexicology][semantic_change][taboo][euphemism][pc][sociolinguistics][pragmatics]

 英語史における罵り言葉 (swearing) を取り上げた著名な研究に Hughes がある.英語の罵り言葉も,他の言葉遣いと異ならず,各時代の社会や思想を反映しつつ変化してきたこと,つまり流行の一種であることが鮮やかに描かれている.終章の冒頭に,Swift からの印象的な2つの引用が挙げられている (236) .

   For, now-a-days, Men change their Oaths,
   As often as they change their Cloaths.
                                                               Swift

Oaths are the Children of Fashion.
                                                               Swift


 英語の罵り言葉の歴史には,いくつかの大きな潮流が観察される.Hughes (237--40) に依拠して,何点か指摘しておきたい.およそ中世から近現代にかけての変化ととらえてよい.

 (1) 「神(の○○)にかけて」のような byto などの前置詞を用いた誓言 (asseveration) は減少してきた.
 (2) 罵り言葉のタイプについて,宗教的なものから性的・身体的なものへの交代がみられる.
 (3) C. S. Lewis が "the moralisation of status word" と指摘したように,階級を表わす語が道徳的な意味合いを帯びる過程が観察される.例えば churl, knave, cad, blackguard, guttersnipe, varlet などはもともと階級や身分の名前だったが,道徳的な「悪さ」を含意するようになり,罵り言葉化してきた.
 (4) 「労働倫理」と関連して,vagabond, beggar, tramp, bum, skiver などが罵り言葉化した.この傾向は,浮浪者問題を抱えていたエリザベス朝に特徴的にみられた.
 (5) 罵り言葉と密接な関係をもつタブー (taboo) について,近年,性的なタイプから人種的なタイプへの交代がみられる.

 英語の罵り言葉の潮流を追いかける研究は「英語歴史社会語彙論」の領域というべきだが,そこには実に様々な論題が含まれている.例えば,上記にある通り,タブーやそれと関連する婉曲語法 (euphemism) の発展との関連が知りたくなってくる.また,典型的な語義変化のタイプといわれる良化 (amelioration) や悪化 (pejoration) の問題にも密接に関係するだろう.さらに,近年の political correctness (= pc) 語法との関連も気になるところだ.slang の歴史とも重なり,社会言語学的および語用論的な考察の対象にもなる.改めて懐の深い領域だと思う.

 ・ Hughes, Geoffrey. Swearing: A Social History of Foul Language, Oaths and Profanity in English. London: Penguin, 1998.

Referrer (Inside): [2021-07-22-1]

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2021-05-30 Sun

#4416. トイレの英語文化史 --- 英語史語彙論研究入門 [taboo][euphemism][khelf_hel_intro_2021][thesaurus][dictionary][lexicology][htoed][semantics][synonym][slang][hel_education][bibliography][link]

 4月5日より始まっていた「英語史導入企画2021」のコンテンツ紹介記事は,今回で最終回となります.話題は「office, john, House of Lords --- トイレの呼び方」です.トリを飾るに相応しいテーマですね! トイレの英語文化史あるいは英語文化誌というべき内容で,Historical Thesaurus of the Oxford English Dictionary (= HTOED) を用いてこんなにおもしろい調査ができるのかと教えてくれるコンテンツです.コンテンツ内の図と点線を追っていくだけで,トイレの悠久の旅を楽しむことができます.
 タブー (taboo),婉曲表現 (euphemism),類義語 (synonym) といった語彙論 (lexicology) 上の問題は,英語史の卒業論文研究などでも人気のテーマです.英語史語彙論研究に関心をもったら,これらのタグの付いた hellog の記事群を読んでみてください.また,以下に今回のコンテンツと緩く関連した記事も紹介しておきます.

 ・ 「#470. toilet の豊富な婉曲表現」 ([2010-08-10-1])
 ・ 「#471. toilet の豊富な婉曲表現を WordNet と Visuwords でみる」 ([2010-08-11-1])
 ・ 「#992. 強意語と「限界効用逓減の法則」」 ([2012-01-14-1])
 ・ 「#1219. 強意語はなぜ種類が豊富か」 ([2012-08-28-1])
 ・ 「#3885. 『英語教育』の連載第10回「なぜ英語には類義語が多いのか」」 ([2019-12-16-1])
 ・ 「#3392. 同義語と類義語」 ([2018-08-10-1])
 ・ 「#469. euphemism の作り方」 ([2010-08-09-1])

 ・ 「#4395. 英語の類義語について調べたいと思ったら」 ([2021-05-09-1])
 ・ 「#3159. HTOED」 ([2017-12-20-1])
 ・ 「#847. Oxford Learner's Thesaurus」 ([2011-08-22-1])
 ・ 「#4334. 婉曲語法 (euphemism) についての書誌」 ([2021-03-09-1])
 ・ 「#1270. 類義語ネットワークの可視化ツールと類義語辞書」 ([2012-10-18-1])
 ・ 「#1432. もう1つの類義語ネットワーク「instaGrok」と連想語列挙ツール」 ([2013-03-29-1])

 ・ 「#4092. shit, ordure, excrement --- 語彙の3層構造の最強例」 ([2020-07-10-1])
 ・ 「#4041. 「言語におけるタブー」の記事セット」 ([2020-05-20-1])

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2021-05-13 Thu

#4399. 間投詞 My word! [asseveration][swearing][interjection][taboo][euphemism][labiovelar][phonetics][khelf_hel_intro_2021]

 昨日「英語史導入企画2021」に公表されたコンテンツは,大学院生による「Oh My Word!?なぜ Word なのか?自己流考察?」である.
 間投詞 Oh my God! はタブー (taboo) とされるほど強烈な響きをもち,一般的には使用が避けられる.それに代わる婉曲表現 (euphemism) として,(Oh my) Gosh!, (Oh my) goodness!, Oh my! などがよく知られているが,要するに音韻的に似た語による置換や省略などに訴えかけてオリジナル表現を匂わせるという方法を採っているのである.
 コンテンツ発表者は,標題の My word! という間投詞も Oh my God! の婉曲表現の1つではないかと「自己流考察」を試みている.その心は,God の [g] と word の [w] が実は音声学的に近いという事実である.確かに調音音声学的にいえば,両者は軟口蓋唇音 (labiovelar) において接点をもつ.関連する本ブログの記事として「#1151. 多くの謎を解き明かす軟口蓋唇音」 ([2012-06-21-1]),「#3870. 中英語の北部方言における wh- ならぬ q- の綴字」 ([2019-12-01-1]),「#3871. スコットランド英語において wh- ではなく quh- の綴字を擁護した Alexander Hume」 ([2019-12-02-1]),「#3409. 日本語における合拗音の消失」 ([2018-08-27-1]),「#3410. 英語における「合拗音」」 ([2018-08-28-1]) を挙げておきたい.
 共時的な観点から GodWord を結びつけてみる試みはおもしろい.
 一方,歴史的にはどうだろうか.OED の word, n. and int. を参照すると次のようにある.

P3. e. my word (esp. as an exclamation) = upon my word at Phrases 1g(b)(ii).

 1722 A. Philips Briton ii. iii. 14 He loves thee, Gwendolen:---My word, he does.
 1821 London Mag. June 658/2 When the New Town Christeners had exhausted their Georges and Charlottes and Fredericks and Hanovers, (and, my word, they did extend the royalty).
 1841 E. C. Gaskell Lett. (1966) 44 My word! authorship brings them in a pretty penny.
 1857 F. Locker London Lyrics 72 Half London was there, and, my word, there were few..But envied Lord Nigel's felicity.
 1874 A. Trollope Harry Heathcote ii. 49 'You dropped the match by accident?' 'My word, no. Did it o' purpose to see.'
 1932 P. Hamilton Siege of Pleasure ii. 62 in Twenty Thousand Streets under Sky (1935) 'My word!' said Violet. 'You didn't half give me a turn.'
 1960 C. Day Lewis Buried Day ii. 43 My word, how we did dress up in those days!
 2004 G. Woodward I'll go to Bed at Noon xiii. 237 'That's an old Vincent,' said Janus Brian, 'my word. Haven't seen one of those for years'.


 誓言 (asseveration) としての前置詞句 upon my word と同機能の間投詞として,18世紀前半に初出したようだ.一方,この誓言の前置詞句 upon my wordof my word などとともに1600年前後から用いられている.おそらくこの前置詞句が単独で間投詞として用いられるようになり,やがてこの前置詞が脱落した省略版も用いられるようになったということだろう.

Referrer (Inside): [2021-07-22-1]

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2021-03-26 Fri

#4351. 儀礼としての言語行為 [politeness][face][pragmatics][sociolinguistics][taboo]

 滝浦 (6) が,オーストラリアのアボリジニ社会の原初的な宗教における聖性について,フランスの社会学者 Durkheim の要点を以下のように示している.

【デュルケームの儀礼論】
(i) 「聖なるもの」への態度は,すべて「儀礼 (rites)」において表される.儀礼の形をとることで,人びとのふるまいの社会的意味を共同体全体で共有することができる.
(ii) 儀礼の第一の機能は,聖なるものの聖性が汚されることのないように,聖なるものを俗なるものから分離し隔離することである.この場合,儀礼は基本的に「?しない」という否定形で規定されるので,「消極的儀礼(仏 rites négatif 〔ママ〕)」と呼ぶことができる.
(iii) 聖なるものの聖性が汚されないという前提のもとで,ある特殊な条件が満たされるならば,聖なるものと通じ合うことが許される.この場合,儀礼は「?してよい」という肯定形で規定されるので,「積極的儀礼(仏 rites positif 〔ママ〕))」と呼ぶことができる.


 言語行為も,この意味での儀礼と見ることができる.言語において聖なるものとは個人のプライバシー (negative face) のことであると解釈すれば,言語行為=儀礼説は支持される.第1に,言語行為も儀礼と同様,個人の私的な行為にとどまるものではなく,共同体全体で共有されるべきものである.第2に,言語行為においては,個人(特に聞き手)のプライバシーが犯されないよう,言葉使いに十分な注意が払われるのが普通である (cf. negative politeness) .第3に,個人のプライバシーが十分に守られているという前提のもとで,個人と通じ合い,近づくための手段が用意されており使用することが許されている (cf. positive politeness) .
 言語行為を "face-work" ととらえた Goffman (cf. 「#1564. face」 ([2013-08-08-1])) も,この Durkheim の儀礼論に立脚していた.さらに,ポライトネス理論を提唱した Brown and Levinson (cf. 「#4346. フェイス・リスク見積もりの公式」 ([2021-03-21-1])) も,Durkheim と Goffmann の両者より影響を受けていた.
 言語行為=儀礼説によれば,宗教でいう神などに相当する聖なるものは,言語においては個人の "face" ということになる.すぐれて社会語用論的な言語観といえる.

 ・ 滝浦 真人 『ポライトネス入門』 研究社,2008年.
 ・ Durkheim, É. Les formes élémentaires de la vie religieuse: le système totémique en Australie. Félix Alcan.
 ・ Goffman, Erving. "On Face-Work: An Analysis of Ritual Elements in Social Interaction." Psychiatry 18 (1955): 213--31.

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2021-03-23 Tue

#4348. 人を呼ぶということ [address_term][politeness][pragmatics][historical_pragmatics][anthropology][personal_pronoun][personal_name][onomastics][t/v_distinction][taboo][title][honorific][face]

 言語学では「人を呼ぶ」という言語行為は,人類言語学,社会言語学,語用論,人名学など様々な観点から注目されてきた.本ブログの関心領域である英語史の分野でも,人名 (anthroponym),呼称 (address_term),2人称代名詞の t/v_distinction の話題など,「人を呼ぶ」ことに関する考察は多くなされてきた.身近で日常的な行為であるから,誰もが興味を抱くタイプの話題といってよい.
 しかし,そもそも「人を呼ぶ」とはどういうことなのか.滝浦 (78--79) より,示唆に富む解説を引用する.

 すこし回り道になるが,“人を呼ぶ”ことの根本的な意味を確認しておきたい.文化人類学的に見れば,人を呼ぶことは声で相手に“触れる”ことであり,基本的なタブーに抵触する側面を持つ.そのため,多くの言語文化において,呼ぶことの禁止,あるいはそれに起因する敬避的呼称が発達した.日本語もこのタブーの影響が強く,敬避的呼称の例は,たとえば「僕(=しもべ)」「あなた(=彼方)」「御前(=人物の“前”の場所)」「○○殿(=建物名)」「陛下(=階段の下)」等々,いくらでも挙げることができる.相手を上げ自分を下げ,また,相手の“人”を呼ぶ代わりに方向や場所を呼ぶこうした方式は,呼ぶことで自分と相手が触れてしまうのを避けるために,“なるべく呼ばないようにして呼ぶ”ことが動機づけになっている遠隔化的呼称である.
 一方,相手ととくに親しい関係にある場合には,こうしたタブー的な動機づけは反転し,むしろ相手の“人”をじかに呼び,相手の内面に踏み込んでゆくような呼称となる.これは,相手の領域に踏み込んでも人間関係は損なわれない――そのくらい2人の間には隔てがない――という含みの,共感的呼称である.固有名(とくに姓の呼び捨てや下の名で呼ぶこと)による呼称,限られた人しか知らない愛称による呼称が典型だが,代名詞による呼称もその傾きを持つ.


 人を呼ぶのは一種のタブー (taboo) であるということ,しかしそれはしばしば破られるべきタブーであり,そのための呼称が多かれ少なかれオープンにされているということが重要である.人を呼んではいけない,しかし呼ばざるをえない,という矛盾のなかで,私たちはその矛盾による問題を最小限に抑えようとしながら,日々言語行為を行なっているのである.

 ・ 滝浦 真人 『ポライトネス入門』 研究社,2008年.

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2021-03-09 Tue

#4334. 婉曲語法 (euphemism) についての書誌 [euphemism][bibliography][semantics][lexicology][taboo][slang][swearing][sociolinguistics][thesaurus][terminology][hel_education]

 英語の語彙や意味の問題として,婉曲語法 (euphemism) は学生にも常に人気のあるテーマである.隣接領域として taboo, swearing, slang のテーマとも関わり,社会言語学寄りの語彙の問題として広く興味を引くもののようだ.
 そもそも euphemism とは何か.まずは Cruse の用語辞典より解説を与えよう (57--58) .

euphemism An expression that refers to something that people hesitate to mention lest it cause offence, but which lessens the offensiveness by referring indirectly in some way. The most common topics for which we use euphemisms are sexual activity and sex organs, and bodily functions such as defecation and urination, but euphemisms can also be found in reference to death, aspects of religion and money. The main strategies of indirectness are metonymy, generalisation, metaphor and phonological deformation.

   Sex:
   intercourse   go to bed with (metonymy), do it (generalisation)
   penis   His member was clearly visible (generalisation)
   Bodily function:
   defecate   go to the toilet (metonymy), use the toilet (generalisation)
   Death:
   die   pass away (metaphor), He's no longer with us (generalisation)
   Religion:
   God   gosh, golly (phonological deformation)
   Jesus   gee whiz (phonological deformation)
   Hell   heck (phonological deformation)


 この種の問題に関心をもったら,まずは本ブログより「#469. euphemism の作り方」 ([2010-08-09-1]),「#470. toilet の豊富な婉曲表現」 ([2010-08-10-1]),「#992. 強意語と「限界効用逓減の法則」」 ([2012-01-14-1]) を始めとして (euphemism) の記事群,それから taboo の記事群にも広く目を通してもらいたい.
 その後,以下の概説書の該当部分に当たるとよい.

 ・ Williams, Joseph M. Origins of the English Language: A Social and Linguistic History. New York: Free P, 1975. pp. 198--203.
 ・ Hughes, G. A History of English Words. Oxford: Blackwell, 2000. pp. 43--49.
 ・ Brinton, Laurel J. and Leslie K. Arnovick. The English Language: A Linguistic History. Oxford: OUP, 2006. pp. 80--81.

 書籍レベルとしては,Bussmann (157) と McArthur (387) の参考文献リストより,以下を掲げる.

 ・ Allan, K. and K. Burridge. Euphemism and Dysphemism: Language Used as a Shield and Weapon. New York: OUP, 1991.
 ・ Ayto, J. Euphemisms: Over 3,000 Ways to Avoid Being Rude or Giving Offence. London: 1993.
 ・ Enright, D. J., ed. Fair of Speech: The Uses of Euphemism. Oxford: OUP, 1985.
 ・ Holder, R. W. A Dictionary of American and British Euphemisms: The Language of Evasion, Hypocrisy, Prudery and Deceit. Rev. ed. London: 1989. Bath: Bath UP, 1985.
 ・ Lawrence, J. Unmentionable and Other Euphemisms. London: 1973.
 ・ Rawson, Hugh. A Dictionary of Euphemisms & Other Doubletalk. New York: Crown, 1981.

 具体的な語の調査にあたっては,もちろん OED,各種の類義語辞典 (thesaurus),Room の語の意味変化の辞典などをおおいに活用してもらいたい.

 ・ Cruse, Alan. A Glossary of Semantics and Pragmatics. Edinburgh: Edinburgh UP, 2006.
 ・ Bussmann, Hadumod. Routledge Dictionary of Language and Linguistics. Trans. and ed. Gregory Trauth and Kerstin Kazzizi. London: Routledge, 1996.
 ・ McArthur, Tom, ed. The Oxford Companion to the English Language. Oxford: OUP, 1992.
 ・ Room, Adrian, ed. NTC's Dictionary of Changes in Meanings. Lincolnwood: NTC, 1991.

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2020-10-08 Thu

#4182. 「言語と性」のテーマの広さ [sociolinguistics][hellog_entry_set][political_correctness][personal_pronoun][gender][gender_difference][taboo][slang][personification]

 いよいよ始まった今学期の社会言語学の授業では「言語と性」という抜き差しならぬテーマを扱う.このテーマから連想される話題は多岐にわたる.あまりに広い範囲を覆っているために,一望するのが困難なほどである.実際に,授業の履修生に連想される話題を箇条書きで挙げてもらったところ,のべ1,000件を優に超える話題が集まった.重複するものも多く,整理すればぐんと減るとは思われるが,それにしても凄い数だ(←皆さん,協力ありがとう).その一部を覗いてみよう.

 ・ (英語を除く)主要な印欧諸語にみられる文法性 (grammatical gender)
 ・ 代名詞にみられる性差
 ・ 職業名や称号を巡るポリティカル・コレクトネス (political_correctness)
 ・ LGBTQ と言語
 ・ 擬人化された名詞の性
 ・ 人名における性
 ・ 「男言葉」と「女言葉」
 ・ 性に関するスラングやタブー語
 ・ 性別によるコミュニケーションの取り方の違い
 ・ イントネーションの性差

 そもそも,古今東西すべての言語で,「男」 (man) と「女」 (woman) という2つの単語が区別されて用いられている点からして,もう言語における性の話しは始まっているのである.最先端の関心事である LGBTQ やポリティカル・コレクトネスの問題に迫る以前に,すでに性は言語に深く刻まれている.
 最先端の話題ということでいえば,10月2日の読売新聞朝刊で,JAL が乗客に対する「レディース・アンド・ジェントルメン」の呼びかけをやめ「オール・パッセンジャーズ」へ切り替える決定をしたとの記事を読んだ.人間の関心事としては最重要なものの1つとして認識される性,それが人間に特有の言語という体系に埋め込まれていないわけがないのである.
 「言語と性」のテーマの広さを味わうところから議論を始めたいと思っている.こちらの hellog 記事セットをどうぞ.

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2020-09-18 Fri

#4162. taboo --- 南太平洋発、人類史上最強のパスワード [taboo][cryptography][oed][etymology]

 今回の話題は,先日終えたオンライン・ゼミ合宿 (「#4159. 2日間のオンライン・ゼミ合宿を決行しました」 ([2020-09-15-1])) の一環として私自身が参加したハードなイベントの成果物である."taboo" というお題を与えられ,それについて OED を用いて制限時間内に「何かおもしろいこと」を書かなければならないという即興デスマッチだった.後日,少々の手直しを加えたが,およそそのままの形で以下に掲載する.




 見るなといわれれば見たくなる.触るなといわれれば触りたくなる.言うなといわれれば言いたくなる.古今東西,この誘惑に打ち勝った童話の主人公はいない.童話の主人公のみならず,人間は誰しも --- あなたも私も --- このマグネットの超強力な引力から逃れることはできない.タブーと称されるものは,人間社会のなかに負のパワーをまき散らしながらも,個々人にとって異常に魅力的な光彩を放っている.
 トンガ語を含むポリネシアやメラネシアの諸言語で用いられていた tabu あるいは tapu という語に由来する.18世紀イングランドを代表する大航海者 James Cook (1728--79),通称 Captain Cook が1777年にトンガにてこの語に出会い,その航海日誌のなかで何度も使用した結果,taboo あるいは tabu として英語に持ち込まれることになった.この語は現地語では当地の文化・習慣について「(ある特定の場合にのみ許容されるが)一般に禁じられている」を意味する叙述形容詞として用いられていたが,Cook は当初より形容詞としてのほか,現在もっとも普通の用法である「タブー,禁忌」を意味する名詞として用いている.
 taboo はもともと宗教や迷信に基づく各種の習慣に関する「禁忌」,典型的には「食べてはいけないもの」「触ってはいけないもの」などを指した.それが,20世紀前半に言葉(遣い)の領域に適用され,言語学の用語として「言ってはいけないもの」を指すように転じた.すると,私たちにもなじみ深い「タブー語,禁句,忌み詞」の語義は,比較的新しいものということになる.OED によると,「タブー語」としての初例は,taboo | tabu, adj. and n., 3b に挙げられている.名高いアメリカの言語学者 Bloomfield の教科書からである.

1933 L. Bloomfield Language xxii. 396 In America, knocked up is a tabu-form for 'rendered pregnant'; for this reason, the phrase is not used in the British sense 'tired, exhausted' . . . In such cases there is little real ambiguity, but some hearers react nevertheless to the powerful stimulus of the tabu-word.


 今回の記事では,Bloomfield が使うこの意味での taboo,すなわち言語に関するタブー --- 言ってはいけない言葉 --- に注目する.
 言語は,第1に互いの意図を伝え合うための道具である.私たち人間は,語彙を共有し,共通理解の下でそれを用いながらコミュニケーションを取り合っている.この「言語の第1の役割」を考えるとき,タブー語の存在は明らかに矛盾をはらんでいるように見える.「言ってはいけない言葉」はその社会のなかで不使用が前提とされており,コミュニケーションの目的に照らして,存在意義がないように思われるからだ.
 しかし,タブーに関して厳然たる1つの事実が存在する.それは,古今東西の人間の言語で,タブー語をもたないものは存在しないということだ.とすると,タブー語には存在しなければならない理由があると考えざるを得ない.なぜ誰も使用しないはずの「言ってはいけない言葉」などが存在するのだろうか.
 タブー語は,建前上,誰も使用しないはずなのだが,実際には皆が知っている.あの言葉を口にしてはいけないということを,社会の皆が知っている.建前上は耳にしたこともなく,学校でも習わないはずであり,知る機会がなさそうに思われる.しかし,不思議と皆が知っている.いや,もし誰も知らなかったら,そもそも語として存在しない(廃語になっている)だろうし,避けるべきものとして意識されることすらないはずだ.実は皆が知っているからこそ,意識的に避けることもできるという理屈なのだ.では,なぜ知る機会のないはずのものを,皆が知っているのだろうか.
 上記の逆説に対する答えは「タブー語は実際にはむしろよく使用されている」である.タブー語は,規範として使用が避けられるべき表現にすぎず,現実には頻繁に使用されている.むしろ,タブー化される語は,日常的で身近なもの,つまり人間が生きていくなかで毎日毎日必ず付き合っていかなければならないものに関する語が多い.性,排泄,死,超自然的存在に関するものが多い.日本語では「ち○こ」「う○こ」「(お葬式で)死ぬ」「(霊)アレ」.英語では cock, shit, die, (oh my) God 等も(少なくとも特定の文脈では)遣いにくい.いずれも日常的で身近で,小学生男子が大好きな言葉群である.
 性器を表わす英単語を例に取ろう.coney /ˈkʌni/ はもともと「アナウサギ」を表わしたが,後に俗語でタブー性の高い「女性器」に語義を転じた.すると,「アナウサギ」の意味で用いるのに抵抗を感じる話者が増え始め,「アナウサギ」には少しずらした /ˈkoʊni/ の発音を代わりに用いるようになったのである.かわいい「アナウサギ」は,タブー性の強い毒々しい「女性器」に,coney /ˈkʌni/ という発音を明け渡さざるを得なくなったのである.ちなみに,男性器版もある.もともと「雄鳥」を表わしていた cock が,米俗語において性的な語義を獲得するにおよんで,「雄鳥」の語義から追い出され,その語義は rooster という別の語によって担われるようになった.coney にせよ cock にせよ,後からやってきた毒々しいタブー性をもつ語義が,伝統的な形式をふてぶてしくも乗っ取ってしまうということが繰り返されている.
 このように,タブー語はたいてい日常的で身近だから,誰しも関心をもっているというのが実態である.その上で,タブー語は何のために存在するのかという核心的な疑問に舞い戻ろう.私見によれば,タブー語は,その言語を用いている社会のすべての構成員が,それは言ってはならない言葉だと知っていることを確認しあう機会を提供しているのではないかということだ.言ってはダメだということを知っていれば,その人は私たちと同じグループに属していることが確認でき,そうでなければ外部の者だと認識できる.「負の合い言葉」と表現してもよい.通常の「正の合い言葉」は,互いに対応する文句を発することによって,直接的にその文句を知っていることを確認し,身内だと認識する.しかし,タブー語という「負の合い言葉」の使用においては,「知っているけれどもあえて言わない」というきわめて高度な内部ルールが関与しているのだ.子供の頃よりその言語社会のなかで生活していない限り,外部の者には簡単に習得できない暗黙知 --- それが社会におけるタブー語の役割なのではないか.タブー語は,コミュニケーションの道具であるという言語の第1の役割を逆手にとりつつ,社会の内と外を分けるための最強のパスワードとして機能しているのである.
 21世紀の最先端の量子暗号ですら,「ち○こ」「う○こ」 coney, cock にはかなわない.どうだ,タブー語は凄いだろう!(←我ながらひどい終わり方,力尽きた)

 ・ Bloomfield, Leonard. Language. 1933. Chicago and London: U of Chicago P, 1984.
 ・ The Oxford English Dictionary Online. Oxford: OUP, 2020. Available online at http://www.oed.com/ . Accessed 8 September 2020.

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2020-07-23 Thu

#4105. 銅像破壊・撤去,新PC,博物館 [political_correctness][hel_education][oed][taboo]

 BLM 運動が,世界で雪崩をうったように拡がっている.英米などでは,黒人差別への抗議のジェスチャーとして,奴隷制に関わる歴史的(英雄的)人物の銅像を破壊・撤去する動きが繰り広げられている.平行的に,言葉の問題への波及も見逃せない.7月13日のウェブ上の記事「IT用語も『奴隷』廃止の動き 『slave』は『フォロワー』や『レプリカ』にを読んで,おっと思った.master, slave, whitelist, blacklist などの表現が不適切であるとして,IT業界において leader, follower, allowlist, denylist 等の別の表現に置換される動きが起こってきているという.
 銅像破壊・撤去と,この「新しいPC」 (political_correctness) というべき2つの現象は,とてもよく似ている.まず,社会の潮流により,既存の伝統的な表現形式が,部分的に自主的に取り下げられているという点が共通している.
 もう1つの共通点は,もとの表現形式が取り下げられたことにより,確かに一見すると問題はなくなったようにみえるが,決して問題が解決されたわけではないということだ.ネガティブにいえば,そのモノが見えなくなることでかえって何が問題だったのかが思い出せなくなるわけであり,時間をかけて意識的な問題解決が試みられなかっただけに,いつか容易に再燃する可能性もあるという点だ.
 一方,銅像破壊・撤去と「新しいPC」には簡単に比較できない点もある.銅像はいったん取り下げられば,確かに人々が目にする機会はなくなる.しかし,masterslave という表現は,IT用語としては控えられるようになるかもしれないが,別の(本来の)語義としては現役であり,今まで通り人々の口にものぼるし耳にも入ってくる.換言すれば,銅像は視界から消えればその意義(歴史的英雄性)も同様に見えなくなる(ように思われる)が,言葉はすぐに完全に消えることはなく,別の語義としてではあれ,相変わらず用いられ続けるということだ.むしろ,言葉自体は根強く生き残ることが多い(cf. 「#1338. タブーの逆説」 ([2012-12-25-1])).
 目下の銅像破壊・撤去に関して,その銅像を博物館に保管・展示することで教育・研究の素材として活かすべきだと論じている識者もいる.これは良案だと思う.
 では,言葉についてはどうだろうか.IT用語における masterslave の置換については,別の表現に置換して「ハイ終わり」では,やはり満足できない.銅像を博物館に保管・展示するのと同様に,言葉の博物館が欲しい.それは,英語の場合でいえば OED のような歴史的原則に基づいた辞書に「差別的」語義を記録しておくことだろう.私は OED は専門的には奇跡的なレベルの辞書だと思っているが,それでもやはり物理的存在感のある博物館とは異なり,一般的にいえば存在感が薄い.英語に限らずだが,もっと物理的な存在感のある「言葉の博物館」が本当にあるとよいなと常々思っている.

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2020-07-10 Fri

#4092. shit, ordure, excrement --- 語彙の3層構造の最強例 [lexicology][synonym][loan_word][borrowing][french][latin][lexical_stratification][swearing][taboo][slang][euphemism]

 いかがでしょう.汚いですが,英語の3層構造を有便雄弁に物語る最強例の1つではないかと思っています.日本語の語感としては「クソ」「糞尿」「排泄物」ほどでしょうか.
 英語語彙の3層構造については,本ブログでも「#3885. 『英語教育』の連載第10回「なぜ英語には類義語が多いのか」」 ([2019-12-16-1]) やそこに張ったリンク先の記事,また (lexical_stratification) などで,繰り返し論じてきました.具体的な例も「#334. 英語語彙の三層構造」 ([2010-03-27-1]),「#1296. 三層構造の例を追加」 ([2012-11-13-1]) で挙げてきました.
 もっと挙げてみよと言われてもなかなか難しく,典型的な ask, question, interrogatehelp, aid, assistance などを挙げて済ませてしまうのですが,決して満足はしておらず,日々あっと言わせる魅力的な例を探し求めいました.そこで,ついに標題に出くわしたのです.Walker の swearing に関する記述を読んでいたときでした (32) .

A few taboo words describing body parts started out as the 'normal' forms in Old English; one of the markers of the status difference between Anglo-Norman and Old English is the way the 'English' version became unacceptable, while the 'French' version became the polite or scientific term. The Old English 'scitte' gave way to the Anglo-Norman 'ordure' and later the Latin-via-French 'excrement'.


 これに出会ったときは,(鼻をつまんで)はっと息を呑み,目を輝かせてしまいました.
 shit は古英語 scitte にさかのぼる本来語ですが,古英語での意味は「(家畜の)下痢」でした. 動詞としては接頭辞つきで bescītan (汚す)のように長母音を示していましたが,後に名詞からの影響もあって短化し,中英語期に s(c)hite(n) (糞をする)が現われています.名詞の「糞」の語義としては意外と新しく,初期近代英語期の初出です.
 ordure は,古フランス語 ordure から中英語期に入ったもので,「汚物」「卑猥な言葉」「糞」を意味しました.語根は horrid (恐ろしい)とも共通します.
 excrement は初期近代英語期にラテン語 excrēmentum (あるいは対応するフランス語 excrément)から借用されました.
 現在では本来語の shit は俗語・タブー的な「匂い」をもち,その婉曲表現としては「匂い」が少し緩和されたフランス語 ordure が用いられます.ラテン語 excrement は,さらに形式張った学術的な響きをもちますが,ほとんど「匂い」ません.
 以上,失礼しました.

 ・ Walker, Julian. Evolving English Explored. London: The British Library, 2010.

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2020-05-20 Wed

#4041. 「言語におけるタブー」の記事セット [hellog_entry_set][taboo][euphemism][kotodama][language_myth][sociolinguistics]

 英語学(社会言語学)のオンライン授業に向けた準備の副産物として,今回は言語におけるタブー (taboo) に関する hellog 記事セットを紹介する.

 ・ 「言語におけるタブー」の記事セット

 本ブログではタブーについても様々な記事を書いてきた.今回の講義で主に注目したのは,以下の点である.
 
 (1) 言語におけるタブー表現は古今東西に例がみられ普遍的であること
 (2) タブー化しやすい指示対象や領域が偏っていること
 (3) すぐれて(社会)言語学的なトピックであること
 (4) タブー表現に代わる婉曲表現の生み出し方にパターンがあること
 (5) タブー表現には驚くべき負のパワーが宿っていること
 (6) その負のパワーは,話者個人の集合からなる言語共同体がタブー表現に宿らせているものであること

 タブー表現は,定義上使ってはいけない言葉ということだが,ではなぜ使われないにもかかわらず失われていかないのだろうか.そもそもなぜ存在するのだろうか.暗号 (cryptology) ,隠語 (slang),記号論 (semiotics),ポリティカル・コレクトネス (political_correctness) など言語学全域からのトピックと接点をもつ点に置いても,最も興味深い(社会)言語学のトピックの1つといって間違いない.

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2019-05-27 Mon

#3682. 自動詞 lie と他動詞 lay を混同したらダメ (1) [verb][prescriptive_grammar][conjugation][preterite][participle][taboo][complaint_tradition][lowth]

 自動詞 lie (横たわる)と他動詞 lay (横たえる)の区別をつけるべし,という規範文法上の注意は,日本の受験英語界でも有名である(「#124. 受験英語の文法問題の起源」 ([2009-08-29-1]) を参照).自動詞は lie -- lay -- lain と活用し,他動詞は lay -- laid -- laid と活用する.前者のの過去形と後者の原形が同じ形になるので,混乱を招くのは必至である.私もこれを暗記してきた英語学習者の1人だが,英語使用においてこの知識を活用する機会に恵まれたことは,あまりない.
 だが,英語圏でも両者の混同に対する風当たりは非常に強く,正しく使い分けられないと「無教養」とのレッテルを貼られるほどなので,抜き差しならない.たとえ間違えても文脈の支えによりほとんど誤解は生じないと思われるが,それをやってしまったらアウトというNGワードに選ばれてしまっているのである.他にもっと誤解を誘うペアも多々あるはずだが,見せしめのようにして,このペアが選ばれているように思われる.この区別が,英語共同体において教養の有無を分けるリトマス試験紙となっているのだ.lielay のペアは,後期近代以降,そのような見せしめのために選ばれてきた語法の代表選手といってよい.
 現在でもリトマス試験紙として作用するということは,今でも混同する者が跡を絶たないということである.歴史的にいえば17, 18世紀にも混用は日常茶飯であり,当時は特に破格とみなされていたわけではなかったが,現代にかけて規範主義の風潮が強まるにつれて,忌むべき誤用とされてきた,という経緯がある.
 Fowler (445) に,ずばり lay and lie という項目が立てられているので,そこから引用しておこう.

Verbs. In intransitive uses, coinciding with or resembling those of lie, except in certain nautical expressions, lay 'is only dialectal or an illiterate substitute for lie' (OED). Its identity of form with the past tense of lie no doubt largely accounts for the confusion. In the 17c. and 18c. the alternation of lay and lie seems not to have been regarded as a solecism. Nowadays confusion of the two is taken to be certain evidence of imperfect education or is accepted in regional speech as being a deep-rooted survival from an earlier period. . . .
   The paradigm is merciless, admitting no exceptions in standard English. Incorrect uses: She layed hands on people and everybody layed hands on each other and everybody spoke in tongues---T. Parks, 1985 (read laid); Laying back some distance from the road . . . it was built in 1770 in the Italian style---Fulham Times, 1987 (read lying); Where's the glory in . . . leaving people out with their medals all brushed up laying under the rubble, dying for the glory of the revolution?--New Musical Express, 1988 (read lying); We are going to lay under the stars by the sea---Sun, 1990 (read lie); They may have lost the last fight [sc. the final of a ruby tournament], but how narrow it was, and they can still be proud of all the battle honours that will lay for ever in their cathedral in Twickenham--(sport column in) Observer, 1991 (read lie).


 両動詞の混同がいかにタブー的であるかは,"The paradigm is merciless, admitting no exceptions in standard English." という1文によって鮮やかに示されている.現代に至るまで,その「誤用」は跡を絶たないようだ.
 このタブーの伝統を創始したのは,Robert Lowth (1710--87) を始めとする18世紀の規範主義文法家といわれる(cf. 「#2583. Robert Lowth, Short Introduction to English Grammar」 ([2016-05-23-1]),「#3036. Lowth の禁じた語法・用法」 ([2017-08-19-1])).しかし,彼らが創始したとしても,それが受け継がれていかなければ「伝統」とはならない.この伝統を受け継いできた人々,そして今も受け継いでいる人々の総体が,このタブーを維持してきたのである.昨日の記事「#3681. 言語の価値づけの主体は話者である」 ([2019-05-26-1]) や「#3672. オーストラリア50ドル札に responsibility のスペリングミス (2)」 ([2019-05-17-1]) の議論に従えば,私もその1人かもしれないし,あなたもその1人かもしれない.

 ・ Burchfield, Robert, ed. Fowler's Modern English Usage. Rev. 3rd ed. Oxford: OUP, 1998.

Referrer (Inside): [2021-02-04-1] [2019-05-28-1]

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2018-12-10 Mon

#3514. 言語における「祈願」の諸相 [optative][mood][swearing][taboo][speech_act][hortative]

 言語学で「祈願」といえば,英語では optative という用語があてがわれており,様々に論じられる.祈願とはまずもって1つの発話行為である.また,the optative mood と言われるように,法 (mood) の1つでもある.さらに,ギリシア語などの言語では祈願法を表わす特別な動詞の屈折形式があり,その形式を指して optative と言われることもある.日常用語に近い広い解釈をとれば,I hope/wish/would like . . . . など希望・願望を表わす表現はすべて祈願であるともいえる.言語における「祈願」を論じる場合には,機能のことなのか形式のことなのか,語のことなのか構文のようなより大きな単位のことなのかなど,整理しておく必要があるように思われる.
 意味的にいえば,祈願とは未来志向のポジティヴなものが典型だが,ネガティヴな祈願もある.いわゆる「呪い」に相当するものである.ここから,誓言 (swearing) やタブー (taboo) の話題にもつながっていく.Let's . . . に代表される勧奨法 (hortative mood) の表わす機能とも近く,しばしば境目は不明瞭である.
 誰に対して祈願の発話が向けられるかという点では,目の前にいる聞き手に対してということもあるが,独り言として発せられることもあるだろうし,さらには音声化されることなく頭のなかで唱えられる場合も多いのではないか.日記や短冊に祈りを書き記すというケースも少なくないだろう.人は常に何かを希望・願望しながら生きているという意味では,音声や文字で外在化されるかどうかは別として,祈願というものは実はかなり頻度の高い機能であり形式なのではないか.否定的な祈願である呪いも,程度の激しさの違いはあるにせよ,実際にはやはり高頻度なのではないか.

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2017-09-28 Thu

#3076. 隠語,タブー,暗号 [cryptology][taboo][semiotics][sociolinguistics][anthropology][kotodama]

 古代社会では,名前を置き換える隠語が広く使用されていた.例えば,古代エジプト人や古代インドのバラモンの子供は2つの名前をもっていた.1つは一般に開放されて常用される名前であり,もう1つは秘匿される真の名前である.真の名前を隠すのは悪霊から身を守るためである.このように代わりの名前を用いることが個人名にとどまらず一般の言葉にまで及ぶと,それは隠語の体系,あるいはタブー (taboo) の組織というべきものになってくる.隠語とは,それを用いる比較的狭い言語共同体のなかでしか理解されないという意味において,外部の人間にとって暗号以外の何物でもない.ここにおいて,隠語,タブー,暗号の3者が関連づけられることになる.
 この件について,長田 (106) は次のように述べている.

 このようにみてくると,コトバの置換えである隠語の使用が,いかにわれわれの祖先の生活に不可欠であったかがわかる.すなわち隠語は,人類がコトバをもったとき同時に生まれたもう一つのコトバだったのである.
 また忌み詞も隠語の一種といえよう.ある特定の言葉を口にすることを忌む習慣から,塩を「浪の花」といったり,西アフリカのバングウェ族のように便所に行くことを,「薪を取りに走って行かねばならない」とか,「わなを見回ってくる」といったりするのが,それである.


 隠語やタブーが,人間のコミュニケーション能力を爆発させることになる言語の創発と同時に生じたという仮説は,人類にとって言語とは何かという問題に新たな角度から光を当てるものになるだろう.
 関連して,「#1338. タブーの逆説」 ([2012-12-25-1]),「#2410. slang, cant, argot, jargon, antilanguage」 ([2015-12-02-1]) も要参照.

 ・ 長田 順行 『暗号大全 原理とその世界』 講談社,2017年.

Referrer (Inside): [2018-02-22-1]

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