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vernacular - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-04-20 10:59

2024-01-11 Thu

#5372. 「標準語」は近代ヨーロッパの発明品である [standardisation][sociolinguistics][prestige][history_of_linguistics][vernacular][renaissance][romanticism][gengo_no_hyojunka]

 昨日の記事「#5371. 言語学史のハンドブックの目次」 ([2024-01-10-1]) で紹介した The Oxford Handbook of the History of Linguistics の第15章 "Vernaculars and the Idea of a Standard Language" を開いてみた.私の研究テーマの1つに(主に近代における)英語の標準化 (standardisation) があり,本ブログでも様々に論じてきたが,言語の標準化や標準語について,こちらのハンドブックではどのような扱いがなされているかを確かめたかった.
 冒頭の1段落だけですでにおもしろい.「標準語」という概念は近代ヨーロッパの発明品であり,現代ヨーロッパでは常に注目され続けてきた論題であるという.

   The greatest and most important phenomenon of the evolution of language in historic times has been the springing up of the great national common languages---Greek, French, English, German, etc.---the 'standard' languages.

So wrote Otto Jespersen . . . , and the idea of a standard language has undoubtedly been one of the most seductive in the history of European linguistic thought. It has resulted in some of the most heated of debates on language matters, drawing in both academic and non-academic actors, and ranging from the learned Questione della Lingua in Italy around the turn of the sixteenth century . . . to nineteenth-century debates on how best to standardise a newly independent Norwegian . . . , to the ongoing and often passionate discussions in homes and in bars throughout the modern world about 'right' and 'wrong' usage. The notion of a standard language has underpinned language teaching and learning since the Middle Ages, based as language teaching is on the acceptance that there is a right form of a language and a wrong form. The belief in a standard has motivated much of the grammar and dictionary writing, and has also been a central ideology in the emergence and reinforcement of the modern European nations. In the period following the Renaissance, national pride was expressed through the notion that the European vernaculars were as rich and as ordered as the Classical languages. Under the influence of Romanticism this idea of the richness of the 'national common languages' was increasingly linked to a sense of there being some sort of natural relationship between a people and their language, and indeed the perceived link between language and nation, for better or for worse, remains a strong one . . . . (359--60)


 英語史における近代の標準化については「#4093. 標準英語の始まりはルネサンス期」 ([2020-07-11-1]) を参照.諸言語の標準化については,私も編著者として関与した『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』(大修館,2022年)を手に取っていただければ (本書についての関連記事は gengo_no_hyojunka より) .

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 ・ Linn, Andrew. "Vernaculars and the Idea of a Standard Language." Chapter 15 of The Oxford Handbook of the History of Linguistics. Ed. Keith Allan. Oxford: OUP, 2013. 359--74.
 ・ 高田 博行・田中 牧郎・堀田 隆一(編著)『言語の標準化を考える 日中英独仏「対照言語史」の試み』 大修館,2022年.

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2023-11-26 Sun

#5326. 用語辞典でみる diglossia (4) [terminology][diglossia][bilingualism][sociolinguistics][hel_education][vernacular][prestige]

 「#5306. 用語辞典でみる diglossia (1)」 ([2023-11-06-1]),「#5311. 用語辞典でみる diglossia (2)」 ([2023-11-11-1]),「#5315. 用語辞典でみる diglossia (3)」 ([2023-11-15-1]) に続き,diglossia (二言語変種使い分け)の様々な解説を読み比べるシリーズ.今回は歴史言語学の用語辞典より当該項目を引用する (45--46) .

diglossia The situation in which a speech community has two or more varieties of the same language used by speakers under different conditions, characterized by certain traits (attributes) usually with one variety considered 'higher' and another variety 'lower'. Well-known examples are the high and low variants in Arabic, Modern Greek, Swiss German and Haitian Creole. Arabic diglossia is very old, stemming from the difference in the classical literary of the language of the Qur'an, on one side, and the modern colloquial varieties, on the other side. These languages just names have a superposed, high variety and a vernacular, lower variety, and each languages (sic) has names for their high and low varieties, which are specialized in their functions and most occur in mutually exclusive situations. To learn the languages properly, one must know when it is appropriate to use the high and when the low variety forms. Typically, the attitude is that the high variety is the proper, true form of the language, and the low variety is wrong or does not even exist. Often the feeling that the high variety is superior derives from its use within a religion, since often the high language is represented in a body of sacred texts or esteemed literature. Diglossia is associated with the American linguist Charles A. Ferguson. Sometimes, following Joshua Fishman, diglossia is extended to situations not of high and low variants of the same language, but to multilingual situations in which different languages are used in different domains, for example, English is regarded as 'high' in areas of India and of Africa and local languages as 'low' or vernacular. This usage for diglossia in multilingual situations is resisted by some scholars.


 上記より2点指摘したい.H と L の2言語変種がある場合に,当該の言語共同体内部では,H こそが真の言語であり,L はブロークンで不完全な変種とみなされやすいというのは,ダイグロシア問題の肝である.共同体の成員にとって,H には権威の感覚が強く付随しているのだ.
 もう1つは,最後に言及されているように,典型的に英米の旧植民地の言語社会において,英語が高位変種として,現地語 (vernacular) が下位変種として用いられている場合,これを diglossia を呼べそうではあるが,この用語の使い方に異論を唱える研究者がいるという事実である.diglossia 問題は,いったい何の問題なのだろうか?

 ・ Campbell, Lyle and Mauricio J. Mixco, eds. A Glossary of Historical Linguistics. Salt Lake City: U of Utah P, 2007.

Referrer (Inside): [2023-11-28-1]

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2023-06-10 Sat

#5157. なぜ dialect という語が16世紀になって現われたのか [terminology][dialect][standardisation][stigma][prestige][vernacular][voicy][heldio]

 dialect という用語について,今朝の Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」で取り上げた.「#740. dialect 「方言」の語源」をお聴きください.



 この用語をめぐっては hellog でも「#2752. dialect という用語について」 ([2016-11-08-1]) や「#2753. dialect に対する language という用語について」 ([2016-11-09-1]) で考えてきた.
 英語史の観点からおもしろいのは,1つの言語の様々な現われである諸「方言」の概念そのものは中世から当たり前のように知られていたものの,それに対応する dialect という用語は,初期近代の16世紀半ばになってようやく現われ,しかもそれが(究極的にはギリシア語に遡るが)フランス語・ラテン語からの借用語であるという点だ.既存のものと思われる中世的な概念に対して,近代的かつ外来の皮を被った専門用語ぽい dialect が当てられたというのが興味深い.
 16世紀半ばといえば,英国ルネサンス期のまっただなかである.言葉についても,ラテン語やギリシア語などの古典語を規範として仰ぎ見ていた時代である.一方,同世紀後半にかけて,国語意識が高まり,ヴァナキュラーである英語を古典語の高みへ少しでも近づけたいという思いが昂じてきた.英語の標準化 (standardisation) の模索である.
 威信 (prestige) のある英語の標準語を生み出そうとする過程においては,対比的に数々の威信のない非標準的な英語に対して傷痕 (stigma) のレッテルが付されることになる.こうしてやがて「偉い標準語」と「卑しい諸方言」という対立的な構図が生じてくる.
 実はこの構図自体は,中世より馴染み深かった.「偉いラテン語・ギリシア語」対「卑しいヴァナキュラーたち」である.ところが,英語やフランス語などの各ヴァナキュラーが国語として持ち上げられ,その標準語が整備されていくに及び,対立構図は「偉い標準語」対「卑しい諸方言」へとスライドしたのである.ここで,対立構図の原理はそのままであることに注意したい.そして,新しい対立の後者「卑しい諸方言」に当てられた用語が dialect(s) だった,ということではないか.新しい対立に新しい用語をあてがいたかったのかもしれない.
 諸「方言」は中世からあった.しかし,それに dialect という新しい名前を与えようという動機づけが生じたのは,あくまでヴァナキュラーの国語意識の高まった初期近代になってから,ということではないかと考えている.
 関連して「#2580. 初期近代英語の国語意識の段階」 ([2016-05-20-1]) および vernacular の各記事を参照.

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2022-09-11 Sun

#4885. 「英語ヴァナキュラー談義(岡本広毅&堀田隆一)」のお知らせ(9月20日(火)14:50--15:50 に Voicy 生放送) [voicy][heldio][notice][vernacular][sggk][khelf][khelf-conference-2022]

 標記の通り,9月20日(火)14:50--15:50 に,岡本広毅先生(立命館大学)と堀田隆一による Voicy 生放送「英語ヴァナキュラー談義」が予定されています.ご都合が合いましたら,奮って生聴取のほどよろしくお願いいたします.

 ・ 生放送へのリンクはこちらです
 ・ 事前に対談へのご質問や取り上げて欲しいトピックなどがありましたらこちらのフォームから自由にお寄せください
 ・ 生放送時の投げ込み質問にもなるべく対応できればと思っています
 ・ 生放送の収録は後日アーカイヴとして一般公開もする予定です

 本ブログの音声版・姉妹版である Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」 では,これまでも様々な対談を行なってきました.今回は khelf(慶應英語史フォーラム)主催の khelf-conference-2022 という小集会(←有り体にいえば夏の「ゼミ合宿」です)の一環として,立命館大学の岡本広毅先生をお招きしてのライヴ対談となります.
 岡本先生とはすでに heldio で2度ほど対談しています.今度の「英語ヴァナキュラー談義」は,過去2回の対談(とりわけ2回目の対談)の延長線上にある議論ですので,ぜひ過去回を改めてお聴きいただければと思います.

 ・ 「#173. 立命館大学、岡本広毅先生との対談:国際英語とは何か?」 (2021/11/20)
 ・ 「#386. 岡本広毅先生との雑談:サイモン・ホロビンの英語史本について語る」 (2022/06/21)

 そもそも「ヴァナキュラー」とは何かというところから始め,それが英語史上どのような意義をもつのか,なぜ今それを考える必要があるのか,など縦横無尽に雑談を繰り広げたいと思っています.関連して,以下の hellog 記事もご参照ください.

 ・ 「#4804. vernacular とは何か?」 ([2022-06-22-1])
 ・ 「#4809. OEDvernacular の語義を確かめる」 ([2022-06-27-1])
 ・ 「#4812. vernacular が初出した1601年前後の時代背景」 ([2022-06-30-1])
 ・ 「#4814. vernacular をキーワードとして英語史を眺めなおすとおもしろそう!」 ([2022-07-02-1])

 岡本広毅先生は,11月25日より公開される映画『グリーン・ナイト』の字幕監修も担当されています.『ガウェイン卿と緑の騎士』 (Sir Gawain and the Green Knight) の翻案作品ですが,この作品のヴァナキュラー性や字幕監修裏話なども含めてぜひお話しを伺いたいと思います.私も対談を楽しみにしています.本作品の映像制作・配給会社 Transformer および,特設ツイッターもご訪問ください.
 khelf-conference-2022 では,上記対談の翌日9月21日(水)にも別の Voicy 生放送企画が予定されています.両日の生放送企画について詳しくはこちらの特設ページをご覧ください.また,両企画は以下でもご案内していますので是非お聴きください.



 khelf-conference-2022 に関係する各種セッションについては,khelf 公式ツイッターアカウント @khelf_keio でも広報していますので,そちらもご覧ください.

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2022-07-02 Sat

#4814. vernacular をキーワードとして英語史を眺めなおすとおもしろそう! [vernacular][terminology][standardisation][prestige]

 先日,立命館大学の岡本広毅先生と Voicy で雑談をしました.6月21日に「#386. 岡本広毅先生との雑談:サイモン・ホロビンの英語史本について語る」と題して公開しましたが,会話のなかで浮上してきた vernacular というキーワードに焦点が当たり,実質的には vernacular を巡るトークとなりました.



 それ以後,vernacular という用語のもつニュアンスをもっと深く探ってみたいと思い,調べ始めています.ここ数日の hellog でも「#4804. vernacular とは何か?」 ([2022-06-22-1]),「#4809. OEDvernacular の語義を確かめる」 ([2022-06-27-1]),「#4812. vernacular が初出した1601年前後の時代背景」 ([2022-06-30-1]) の記事を書いてきましたが,vernacular は,英語史の観点からも,中世の諸方言,初期近代のラテン語との相克,現代の世界英語 (world_englishes) の議論へとつながり得る,射程の広い概念だなあと思うようになりました.
 vernacular について英語史上の関心から有用な文献は,岡本氏ご自身による論文です.「中世の英語文学とヴァナキュラーとしての歩み:チョーサー,地方語,周縁性」を教えていただき,拝読しました(岡本さん,ありがとうございます!).世界英語の話題から説き起こし,英語史と中世英文学史を概観した後で,チョーサーの英語観へと議論が進んでいきます.
 66--67頁より以下の1節を読み,「ヴァナキュラー」の観点から英語(史)を捉えてみると新たな発見がありそうだと思いました.

 「ヴァナキュラー」を巡る意味の拡張・転用は,時代や価値観の変遷をみる上で興味深い。ウェルズ恵子はヴァナキュラー文化について,「たとえ過去の文化を扱っていても,その分析は必ず現在の文化を知るための鍵になる。ヴァナキュラー文化は権威の箱に収まることなく連続し,変化しながら生き続けているもの」(vi)と述べる。ヴァナキュラー文化の理解には歴史的考察と変化に対する柔軟な姿勢が望まれよう。また,小長谷英代はヴァナキュラー研究の有用性について,「〈ヴァナキュラー〉の語感にともなう意味の多義性,特に土地との連想や周辺的なもの,雑多なもの,劣位のものといった否定的なニュアンスの奥行きが,近代思想・学問の主流や正統に軽視・無視されてきた文化,社会,歴史の文脈に光をあてる手がかりとなっている」(2018, 221)と指摘する。
 英語は「権威の箱」に収まることなく変化し生き続け,「否定的なニュアンスの奥行き」を追求してきた言語である。約1500 年に及ぶ英語の歩みは〈周縁〉から〈中心〉,〈地方〉から〈世界〉へと至る一ヴァナキュラー言語の躍進の軌跡といえよう。英語の現状からすれば意外に映るが,それは元々ヨーロッパ北西で話されていた一地方語に過ぎなかった。


 現代の世界諸英語の大半は確かに「権威の箱」に収まっていませんが,一方,標準英語 (Standard English) はその箱に収まっています.言語と権威 (prestige) や言語の標準化 (standardisation) を論じるあたっても,vernacular という視点は役に立ちそうです.
 関連して,本日公開した Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」「#397. 言葉のスタンダードとは何か? --- 『言語の標準化を考える』へのコメントをお寄せください!」もお聴きください.

 ・ 岡本 広毅 「中世の英語文学とヴァナキュラーとしての歩み:チョーサー,地方語,周縁性」『立命館言語文化研究』33.3,2022年.65--83頁.

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2022-06-30 Thu

#4812. vernacular が初出した1601年前後の時代背景 [oed][vernacular][emod][renaissance][contrastive_language_history][genbunicchi]

 先日,「#4809. OEDvernacular の語義を確かめる」 ([2022-06-27-1]) の記事で,英単語としての vernacular の初出が OED によれば1601年だったことを述べた.「(ラテン語ではなく)英語で書く(人)」ほどを意味する形容詞として使われている.
 その後については,OED の用例の収集方法に関わる事情があるのかもしれないが,17世紀中からの用例は意外と少ない.しかし,18世紀以降,とりわけ19世紀以降には,様々な語義や名詞としての用法が現われ,例文も増えてくる.詳しい分布については,近代英語期のコーパスなどで調べる必要がありそうだ.
 なお,OED によると,1607年には vernaculous という類義の形容詞も初出しており,17世紀中には廃語となってしまったようだが,言語を形容する語義でも用例が確認される.
 さて,vernacular が初出したのが17世紀の最初の年だったという事実は非常に興味深い.世紀の変わり目に当たるこの時代は,イングランドに土着の英語が,ヨーロッパの威信の言語であるラテン語に追いつこうともがきながら,着実に自信を獲得しつつあった時代だったからだ.英語が,イングランドの公的な書き言葉の世界において,ラテン語に代わる言語として存在感を増し,市民権を主張し始めた時期である.より詳しくは,以下の記事を参照.

 ・ 「#1407. 初期近代英語期の3つの問題」 ([2013-03-04-1])
 ・ 「#2580. 初期近代英語の国語意識の段階」 ([2016-05-20-1])
 ・ 「#2611. 17世紀中に書き言葉で英語が躍進し,ラテン語が衰退していった理由」 ([2016-06-20-1])

 英語が書き言葉において市民権を獲得しようともがいていた,この時期の潮流を指して,私は「英語史における『言文一致運動』」と呼んでいる(cf. 「#3314. 英語史における「言文一致運動」」 ([2018-05-24-1])).かの明治期日本の「言文一致運動」に範を得た呼び名ではあるが,イングランドのみならずヨーロッパの他国でも近代初期に同じような潮流がみられたということも考え合わせると,まさに「対照言語史」 (contrastive_language_history) としてふさわしい話題となるだろう.この視点については,近刊書『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』のために私が執筆した「第6章 英語史における『標準化サイクル』」のなかでも触れている.これについては,「#4776. 初の対照言語史の本が出版されました 『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』」 ([2022-05-25-1]),「#4784. 『言語の標準化を考える』は執筆者間の多方向ツッコミが見所です」 ([2022-06-02-1]) を参照されたい.
 このように17世紀前半は,英語がラテン語に対抗して自信を獲得していく時期として位置づけられ,一種の反骨精神をもって vernacular という単語を用い始めたのではないかと推測してみることができる.ただし,この単語自体がラテン語からの借用語であるという点も見逃してはならない.英語は,あくまでラテン語の威光にすがりながらゆっくりと自信をつけていたのである.「#2611. 17世紀中に書き言葉で英語が躍進し,ラテン語が衰退していった理由」 ([2016-06-20-1]) の記事の最後で述べたとおり

威信ある世界語としてのラテン語の衰退は一朝一夕にはいかず,それなりの時間を要した.同じように,土着語たる英語の威信獲得にも,ある程度の期間が必要だったのである.

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2022-06-27 Mon

#4809. OEDvernacular の語義を確かめる [oed][vernacular][terminology]

 「#4804. vernacular とは何か?」 ([2022-06-22-1]) で vernacular の意味について考えた.初期近代英語期に初めてラテン語から導入されたこの単語は,21世紀の世界英語 (world_englishes) 現象を考える上でキーワードとなりうる.権力をもった言語(英語史の観点からは典型的にラテン語)に対する土着の言語(イングランドで日常的に用いられた英語)としての英語を指す言葉だが,今や英語こそがかつてのラテン語のような社会的に威信をもつ言語となってしまっているので,見方によっては英語を vernacular と呼ぶことは皮肉な響きを伴う.
 この観点からすると,英単語として英語を指す vernacular は手垢のついた用語といえなくもない.だが,その点でいえば類義語である folkindigenous も似たようなものだろう.「手垢」に対処するには,この単語の歴史的な用法をひもといてみる必要がある.OED の vernacular, adj. and n. の項をじっくり読んでみた.  *
 この語の語源であるラテン語 vernāculus は,英語には1601年に「英語で書く(作家)」ほどを意味する形容詞として次の例文にて文証される.

1601 Bp. W. Barlow Def. Protestants Relig. 2 A vernaculer pen-man..hauing translated them into English.


 私たちにとって最も重要な語義は,言語を形容する用法で OED の定義2aとして次のように初出する.

2.
a. Of a language or dialect: That is naturally spoken by the people of a particular country or district; native, indigenous.
 Usually applied to the native speech of a populace, in contrast to another or others acquired for commercial, social, or educative purposes; now frequently employed with reference to that of the working classes or the peasantry.
   1647 J. Howell New Vol. of Lett. 149 This [sc. Welsh] is one of the fourteen vernacular and independent tongues of Europe.


 その後,遅れて17世紀後半,そして18世紀以降になって,文学や芸術などにも適用されていく.しかし,もとのラテン語 vernāculus が言語の形容に限らず一般的に土着性を表わすのに用いられたのに対して,英語では借用の初期にはとりわけ言語(周辺)の話題に限定して用いられていたというのが特徴的である.現在でも,辞書の記載としては言語以外の対象を形容するのに用いられ得るものの,基本的には言語との関連が深い形容詞といってよい.
 ちなみに「土着の言語」を意味する名詞用法としては,18世紀初めの次の例が初出である.

a1706 J. Evelyn Hist. Relig. (1850) I. vii. 427 It is written in the Chaldæo-Syriac, which was..the vernacular of our Lord.


 このように英単語としての vernacular の用法は,言語への執着が強い.それは,やはり威信あるラテン語に対する威信なき英語という構図が前提にあったからだろう.それが,いまや威信ある(標準)英語と威信なき(非標準)○○語の構図を想起させる文脈で用いられることが増えてきたというのは,意味深長である.

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2022-06-22 Wed

#4804. vernacular とは何か? [terminology][sociolinguistics][vernacular][world_englishes][diglossia]

 昨日の Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」で,立命館大学の岡本広毅先生と対談ならぬ雑談をしました.「#386. 岡本広毅先生との雑談:サイモン・ホロビンの英語史本について語る」です.



 昨秋にも「#173. 立命館大学,岡本広毅先生との対談:国際英語とは何か?」と題して対談していますので,よろしければそちらもお聴きください.
 さて,今回の雑談は,Simon Horobin 著 The English Language: A Very Short Introduction を巡ってお話ししようというつもりで始めたのですが,雑談ですので流れに流れて vernacular の話しにたどり着きました.とはいえ,実は一度きちんと議論してみたかった話題ですので,おしゃべりが止まらなくなってしまいました.
 ただ,偶然にこの話題にたどり着いたわけでもありません.岡本先生は立命館大学国際言語文化研究所のプロジェクト「ヴァナキュラー文化研究会」に所属されているのです! Twitter による発信もしているということで,こちらからどうぞ.
 vernacular は英語史や中世英語英文学を論じる際には重要なキーワードです.さらに21世紀の世界英語を論じるに当たっても有効な概念・用語となるかもしれません.hellog でも真正面から取り上げたことはなかったので,今回の岡本先生との雑談を機に,これから少しずつ考えていきたいと思います.
 英語史の文脈で出てくる vernacular は,中世から初期近代にかけて公式で威信の高い国際語としてのラテン語に対して,イングランドの人々が母語として日常的に用いていた言語としての英語を指すのに用いられます.要するに vernacular とは「英語」のことを指すわけですが,常にラテン語との対比が意識されているものとしての「英語」を指すというのがポイントです.diglossia の用語でいえば,H(igh variety) のラテン語に対する L(ow variety) の英語という構図を念頭に置いた L のことを vernacular と呼んでいるわけです.
 いくつか辞書を引いて定義を見てみましょう.

noun
1 (usually the vernacular) [singular] the language spoken in a particular area or by a particular group, especially one that is not the official or written language
2 [uncountable] (technical) a style of architecture concerned with ordinary houses rather than large public buildings (OALD8)


noun [C usually singular]
1. the form of a language that a regional or other group of speakers use naturally, especially in informal situations
   - The French I learned at school is very different from the local vernacular of the village where I'm now living.
   - Many Roman Catholics regret the replacing of the Latin mass by the vernacular.
2. specialized in architecture, a local style in which ordinary houses are built
3. specialized dance, music, art, etc. that is in a style liked or performed by ordinary people (CALD3)


noun [countable] [usually singular]
the language spoken by a particular group or in a particular area, when it is different from the formal written language (MED2)


n 土地ことば,現地語,《外国語に対して》自国語;日常語;《ある職業・集団に特有の》専門[職業]語,仲間ことば;《動物・植物に対する》土地の呼び名,(通)俗名(=~ name);土地[時代,集団]に特有な建築様式;《建築・工芸などの》民衆趣味,民芸風.(『リーダーズ英和辞典第3版』)


 その他『新英和大辞典第6版』で vernacular の見出しのもとに挙げられている例文が,英語史の文脈での典型的な使い方となります."Latin gave place to the vernacular." や "In Europe, the rise of the vernaculars meant the decline of Latin." のように.また,『新編英和活用大辞典』からは "English has given place to the vernacular in that part of Asia." という意味深長な例文が見つかりました.
 上記「ヴァナキュラー文化研究会」の Twitter の見出しからも引用しておきましょう.

《ヴァナキュラー》とは権威に保護されていないもの、日常生活と共に動く俗なもの。非主流・周縁・土着。本研究は、変容し生き続ける文化の活力に迫る。


 vernacular とは何か,今後も考え続けていきたいと思います.

 ・ Horobin, Simon. The English Language: A Very Short Introduction. Oxford: OUP, 2018.
 ・ Horobin, Simon. How English Became English: A Short History of a Global Language. Oxford: OUP, 2016.

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