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月刊誌『英語教育』(大修館書店)にて,同僚の井上逸兵氏(慶應義塾大学)とともに「いのほた言語学チャンネル PRESENTS 英語を深める社会言語学・英語史の視点」を連載しています.8月12日に発売された9月号に,第6回記事「英語は本当に「直接的」なのか ―― 「察し」を再考する」が掲載されました.
今回のメイン執筆者は井上逸兵さんです.世間でよく耳にする「日本語は察しの文化,英語ははっきりと意思表示する言語」というステレオタイプを,社会言語学や語用論の視点から鮮やかに切り崩していく,痛快で知的な論考となっています.
記事ではまず,ビジネスシーンなどでも安易に持ち出されがちな「高コンテクスト/低コンテクスト」という文化の2分法に対して疑問符が投げかけられます.親しい英語母語話者同士の会話がきわめて高コンテクストであるように,どのような言語共同体であっても間接的な伝達や「察し」は存在します.
本稿の中心となるのは,英語の慣用表現にみられる高度な間接性の分析です.たとえば,相手への押しつけを弱める依頼表現 I don't suppose you could help me with this, could you? や,異議を婉曲に伝える We might want to reconsider that. など,字面通りの意味とは異なる意図を聞き手に推論させる「型」が英語には豊富に備わっています.また,イギリス英語でとりわけ好まれる皮肉や控えめな表現を取り上げ,散々な結果の後に発せられる Well, that went well. のように,表面の意味をひっくり返して理解させる複雑な言語行為の仕組みを解き明かしています.これらは単なる当てこすりではなく,前提を共有する者同士の仲間意識を確かめ合う機能を持つという指摘にも納得させられます.
さらに興味深いのは,映画翻訳の対照分析です.挙げられている例については記事本体を参照いただければと思いますが,相手への直接的な働きかけを避け,状況を示して判断を相手に委ねる英語のあり方は,まさに「独立」の尊重と「つながり」の維持という2つの対人関係的配慮から生まれているのです.
記事の末尾には,恒例の「相方からの一言」も付しています.現在,サバティカル研究でイギリスやアイルランドに滞在している私自身の実感としても,人間関係に影響する場面で用いられる回りくどい言い回しや,高度な皮肉には日々遭遇しており,まさに英語における「察し」の奥深さと難しさを肌で感じているところです.
形式上の直接性と実際のコミュニケーションにおける直接性の違いに目を向けることで,英語と日本語の新たな側面が見えてくる好編となっています.ぜひ全国の書店やオンライン書店にて,『英語教育』9月号を手にとっていただければ.
・ 井上 逸兵・堀田 隆一 「いのほた言語学チャンネル PRESENTS 英語を深める社会言語学・英語史の視点 第6回 「英語は本当に「直接的」なのか ―― 「察し」を再考する」『英語教育』2026年9月号,大修館書店,2026年8月12日.44--45頁.
現在アイルランドの Dublin に滞在しており,毎日 Liffey 川沿いをジョギングしている.その限られた視界のなかでも,実に多様で興味深い言語景観 (linguistic_landscape) が目に飛び込んでくる.今回は街で見かけたアイルランド語と英語の表記について,2枚の写真とともに雑感を記してみたい.
Dublin の街中を観察していると,公共性の高い標識にはアイルランド語 (irish) と英語の2言語表記が徹底されていることがよく分かる.次の写真のように駐車禁止などの道路標識をはじめ,バス停の運行情報に至るまで,この基本方針は一貫しているといってよい.

とりわけ興味深いのは,表記の順序である.「必ず第1にアイルランド語,第2に英語」という並び順になっているのだ.海外からの観光客も含め,街中で最も広く通用する言語が英語であることは自明である.市民の大多数にとっても母語は英語であり,日常的にアイルランド語を流暢に操る話者は決して多数派ではない.にもかかわらず,理解度が圧倒的に高いはずの英語を差しおいて,アイルランド共和国のアイデンティティとjjシンボルを体現するアイルランド語が表示の最上位に優先して置かれるのである.
そのため,看板から素早く情報を読み取ろうとするとき(それが標識を見る大抵の動機なのだが),無意識のうちに2段目や下部に配置された英語表記の始まりを探す癖がついてしまう.実用的な情報処理の動線と,国家的な象徴性の標示との間に,ギャップが感じられるのだ.
もっとも,すべての公共物に2言語表記が徹底されているわけではない.たとえば,街角に設置されたゴミ箱の注意書きなどを見ると,英語のみのモノリンガル表記になっているケースが散見される.これはスペースの制約という物理的な事情もあるかもしれないが,地元民のみならず観光客に対しても,ゴミのポイ捨て禁止を周知したいという強い実用的な動機づけが優先された結果かもしれない.

公共性と対照的な軸として考慮すべきなのが商業性である.店舗の看板や広告といった商業的な表記においては,通行人に商品やサービスを認知させ,購買行動につなげることが最重要となるため,圧倒的な通用度を誇る英語が前面に出るのは自然だろう.
さらに,標識が設置された年代やタイミングも無視できない要因なのではないかと睨んでいる.言語政策の推進の度合いや予算,社会的な意識の変遷によって,古い看板と新設された案内板とでは表記の傾向に微妙なズレが生じることもあるはずだ.街の標識や看板には,新旧のものが混じっているのが普通だろう.
このように Dublin の言語景観を眺めていると,第1にアイルランド語,第2に英語という「公式の理想」を掲げつつも,(1) 公共性の度合い,(2) 商業性の度合,(3) 物理的な表記スペースの制約,(4) 設置年代やその他の様々な要因が複雑に絡み合い,せめぎ合っているように思われる.
首都 Dublin を離れ,他の地方都市や農村部,さらにはアイルランド語が日常的に話されているゲールタハト (Gaeltacht) へと足を延ばせば,またまったく異なる言語景観のバランスが観察できるのだろうと思われる.言語政策と言語の実態がどのように街の景色に刻まれているのか,引き続き足を動かしながら観察を続けていきたい.

先日,イギリスを旅する機会があり,イングランドからスコットランドへと北上するルートをたどりながら「旅hel」 (tabihel) を実践してきました.その道中,イングランドとスコットランドの国境を越えてすぐの場所にあるスコットランド側の村,Gretna Green に立ち寄りました.スコットランドの玄関口に位置する村です.
この村にある観光スポット Gretna Green Famous Blacksmiths Shop を訪れた際,立ち寄ったトイレの男女別表示に目が留まりました.通常の Men と Women などではなく,Groom (花婿)と Bride (花嫁)という文字で案内されていたのです.周囲にピクトグラムはなかったように思うのですが,いずれにせよこの単語の綴字が目に飛び込んできたため,「おや,どっちがどっちだったっけ」と一瞬考えつつ,正しく Groom のほうへ入りました.なぜこのような表示がなされているのでしょうか.
その背景には,Gretna Green のユニークな歴史があります.1754年,Lord Hardwicke's Marriage Act (ハードウィック卿の結婚条例) が施行されました.これにより,イングランドおよびウェールズでは21歳未満の若者が親の承諾なしに結婚することが法的に厳しく制限されることになりました.ところが,国境を越えた北側のスコットランドでは婚姻に関する法律が緩やかで,若者同士の結婚が可能だったのです.
そこで,イングランド側で若いカップルたちが国境を目指して北上し,最初に到達する村である Gretna Green へと駆け落ちして結婚の誓いを立てるようになりました.こうして,この村は「駆け落ち婚の名所」,ひいては「愛の聖地」として定着していったのです.村の鍛冶屋が金床を打って結婚式を取り仕切ったということです.
現在でも多くの観光客やカップルが訪れる名所となっているようです.私が訪れたときにも,結婚式を終えたとおぼしき1組のカップルが芝生で写真を撮っていました.「愛の聖地」として,日本でも見られるようなラックに南京錠がぎっしりとかけられていました.

トイレの男女別表示における言語表現という点では,8月13日に heldio/helwa のコアリスナーである Grace さんが note 記事「どちらに入るか、それが問題だ。」で,日本料理のお店のトイレの表記「花子/太郎」を取り上げ,その記号論的な効果を考察されていました.固有名詞論 (onomastics) の観点からいえば,固有名詞それ自体には指示対象があるのみで記述的な意味論的意味はないと説明されるのが一般的ですが,一般名詞化して男性や女性を代表する記号として用いられると,文化的な連想や雰囲気を喚起する connotation を帯びるようになる,という点を指摘した,洞察に富む論考でした.
今回の Groom と Bride の場合,単語そのものはもとより一般名詞ですが,通常の Men / Women の代わりに用いられることで,Gretna Green という土地の歴史的文脈を鮮やかに浮き彫りにする記号として機能しています.名詞の選択ひとつに,その土地の歴史が巧みに織り込まれている好例といえます.
なお,本件については Voicy heldio にて「#1904. 駆け落ち婚の名所 Gretna Green のトイレの話し」と「#1905. wedlock 「結婚」の lock は「錠前」か?」で,関連する話題をお話ししていますので,ぜひそちらもお聴きください.
人気 YouTube チャンネル「ゆる言語学ラジオ」の最新回で,井上逸兵さん(慶應義塾大学教授)が,先々週と先週に引き続き3度目(最終回)の出演です.堀元さんが熱血教師,井上さんと水野さんが生徒に扮する,驚きの教室コントのシチュエーションで,堀元先生が「いのほた言語学チャンネル」の編集にアドバイスを加えつつ,YouTuber 論を語るという異色の回です.抱腹絶倒の36分ですが,極上の YouTube 制作技術論かつメディア論となっています.動画公開からの初速も著しく,とんでもなく注目されています!
今回の動画を視聴して感じたのは,コントの枠を超えて堀元さんの「YouTube 哲学・技術論」の結晶となっていたということです.その裏で,とりわけ印象深かったのは,井上さんが語った知の流れ方の大変化,ひいては学術とメディアの関係の革命という視点です.井上さんによれば,大学という権威の象徴が民を啓蒙するという20世紀型の中央集権的なスタイルは終わりを告げ,21世紀はアルゴリズム型の分散型社会へと移行しています.学術についても,もはや本や雑誌という媒体だけでは立ちゆかない時代が到来していると,私も考えています.
動画のなかで堀元さんが放った「YouTube は学校じゃねえんだよ」という言葉は,本質を突いています.YouTube には視聴維持率の戦いがあるけれども,授業にはそれがありません,最初の数秒で引きつけ,1文字でも無駄な情報を削り,スマホの画面で省略されない短いタイトルに引きのある情報を詰め込む --- この「手前に引きのある情報をもってくる」という徹底的な技術論は,大学教員が必ずしも得意とするわけではないウケる発信の難しさを浮き彫りにしています.
今回のゆる言語学ラジオ回で,大学教授が「もっとおもしろくしたい」「YouTuber として数字を出したい」とプロのアドバイスを真摯に仰ぐ姿勢は,きわめて珍しいことです.研究者からの YouTube 等の新メディアでの発信が当たり前になってくる時代は,まだ数年先のことかもしれませんが,間違いなく到来するだろうと思っています.
井上・堀田は職業 YouTuber ではありません.動画内で堀元さんが「YouTuber は怒りと憎しみを食って大きくなる生き物だ」「視聴者を騙せ」と述べているような方向性を追い求める生き方は不可能です.私たちが目指しているのは,学問の魅力で世の中の人々の知的好奇心を刺激することです.プロ YouTuber のアドバイスはありがたくちょうだいしつつ,基本は学問のおもしろさを元気に長く伝えていく継続性こそが大事なのだろうと,改めて認識した次第です.
「ゆる言語学ラジオ」のお二方には,言語学という分野をここまで盛り上げ,さらに私たちを収録にお呼びいただいた旨,改めて深く感謝します.抱腹絶倒のコントの裏にある YouTuber 論を,ぜひ皆さんも視聴して味わってみてください.
人気 YouTube チャンネル「ゆる言語学ラジオ」の最新回で,先週に引き続き井上逸兵さん(慶應義塾大学教授)が出演しています.7月7日(火)に配信された「「日本語は遠回りに言う」。それ誤解です。」です.ポライトネスの日英差をテーマとして,お3方で盛り上がっています.水野さんと堀元さんとの掛け合いとともに37分間,画面に釘付けで視聴しました.勉強になるし,おもしろい!
一般に「日本語は遠回りで直接言わない,英語ははっきり直接言う」というステレオタイプが広く信じられていますが,社会言語学を専門とする井上さんによれば,この認識は「3割ぐらいしか合っていない」(むしろ逆)とのこと.今回の動画は,そんな言語ごとの対人関係調整のメカニズム,すなわち ポライトネス (politeness) をめぐる,目から鱗が落ちる議論が展開されています.
動画の前半で特に興味深いのは,英語の丁寧さは形式(統語や形態)ではなく音声に依存することが多いという指摘です.英語には日本語のような文法化された「敬語」 (honorific) のシステムが乏しい分,比較的ゆっくり,かつ明瞭に発音することで経緯や丁寧さを表現する特徴があるといいます.文字情報に頼りがちな学校の英語教育ではなかなか教えにくい領域ですが,音声的なアプローチが対人関係に直結している点は刺激的な視点です.
さらに議論は,英語における他者の領域への配慮へと展開します.日本語は自分の意見を緩めるヘッジ (hedge) を多用して関節的になりますが,英語はむしろ,相手の領域に土足で踏み込まないための固有の装置をもっています.I want to do this. という直接表現を避け,I am just wondering if I could ... のように「くねくね」と迂回する表現や,最上級表現を薄めて one of the best . . . などとする言い方が,その例とのことです.英語話者がいかに相手の独立を重んじているかが,映画の字幕翻訳の事例なども交えて解説されています.
動画の後半では,ガソリンスタンドや玄関先での「お見送り文化」の日米差や,都市部で見られる「儀礼的無関心」,さらには幼少期の子育てにおける言語化の訓練の差異にまで話が及びます.言葉にしないものを察する日本のコミュニケーション文化と,すべてを言語化する欧米の文化モデルの対比は,堀元さんが取り上げた現代の生成AI時代における言語化のストレスの話題ともリンクし,終始笑いが絶えないながらも深い思索へと誘われます.最後は,井上さんが仕掛けたといってよい学術的な「状況による」ボケの連発に,水野さんと堀元さんが応酬する展開も必見です.
日英差に関するステレオタイプを突き崩し,言葉の裏にある文化や心理を深く覗き込める,井上さん出演回らしい内容ですので,ぜひ上記の動画を視聴していただければとと思います.来週は井上さん出演の第3回,いよいよ爆発的なファイナル回が予定されています.すでに待ち遠しいです.
あわせて,井上&堀田のペアで緩く(ときに熱く)言語学を語る「いのほた言語学チャンネル」のほうも,ぜひチャンネル登録をお願いします!

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6月12日,大修館書店より月刊誌『英語教育』の7月号が刊行されました.今年度,同雑誌において,同僚の井上逸兵さん(慶應義塾大学教授)とともに連載企画「いのほた言語学チャンネル PRESENTS 英語を深める社会言語学・英語史の視点」を展開しています.今回の第4回の記事は井上さんによる言語行為の日英差に迫っています.「「あぶない!」はなぜ Watch out! になるのか ―― 日常に転がるスピーチアクトの日英比較」です.
今回の井上さんの論考は,日常の何気ない表現に潜む語用論の話題をおもしろく掘り下げています.たとえば,誰かが転びそうになった際,日本語ではとっさに「あぶない!」という言葉が出ます.これは形式としては危険な状況の描写にすぎません.ところが,英語では同様の場面で Watch out! と表現するのが一般的です.日本語が状況を言うことで相手を動かそうとするのに対し,英語は相手にしてほしい具体的な行為を指示することで相手を動かそうとする傾向が見られます.この対比は「うるさい!」に対する Shut up! や Be quiet!,「じゃまだ!」に対する Move! などの日常表現,さらには山手線のホームの「降車位置」という表示に対する英語の Keep out という指示のあり方にまで通底しています.
なぜこのような言語行為 (speech_act) の違いが生まれるのかについて,井上さんは2つの切り口から整理されています.この最も重要なポイントについては,ぜひ雑誌を手に取って連載記事にてお読みください.
社会言語学 (sociolinguistics) 的に重要なのは,こうした違いを「日本人は察しの文化で,英語圏は直接的だ」といった国民性や民族性の違いに雑に単純化しないという点です.酒場でよく耳にする「日本は島国だからね」という言説への鋭いツッコミを披露されていますが,これには思わずニヤリとしてしまいました.
最後に,私も少しコメントを寄せています.近年,英語史の分野では歴史語用論の研究が非常に盛んです.今回のトピックはその角度から見ても示唆に富んでいます.英語は歴史を通じて直接的な行為の要求ばかりを好んできたわけではありません.たとえば,Will you be quiet? のように相手の意志の確認を通じて間接的に依頼や軽い命令を表わす言語行為の型も,後期中英語期以降のことではありますが,発達してきています.つまり,英語もまた直接命令するのではない「新たな間接性の型」を自ら開拓してきた歴史をもっているのです.共時的な社会言語学の知見と通時的な英語史の視点が交差する speech act は,エキサイティングな話題ですね.
・ 井上 逸兵・堀田 隆一 「いのほた言語学チャンネル PRESENTS 英語を深める社会言語学・英語史の視点 第4回 「「あぶない!」はなぜ Watch out! になるのか ―― 日常に転がるスピーチアクトの日英比較」『英語教育』2026年7月号,大修館書店,2026年6月12日.44--45頁.

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5月14日,大修館書店より月刊誌『英語教育』の6月号が発売されました.今年度,同僚の井上逸兵さん(慶應義塾大学教授)とともに配信している YouTube 「いのほた言語学チャンネル」をベースとして,連載企画「いのほた言語学チャンネル PRESENTS 英語を深める社会言語学・英語史の視点」を始めています.
連載第3回となる今回は,私がメイン執筆者として「英語史の3つの扉:ことばの考察に通時的な次元を復活させる」を書いています.前号の井上さんによる「社会言語学の3つの扉:人はことば「で」何をしているのか」への返答のような形になります.井上さんからの温かいコメントも最後に付いた文章です.
今回の記事タイトルは,前号の井上さんの記事タイトルへのオマージュ(いや,パロディというべきでしょうか)として生まれたものです.井上さんがそう来るなら,私としては「英語史の3つの扉」しかない,と直感し,先にタイトルが決まりました.では,その3つとは何か.それは後から考え出すという,いかにも「いのほた」らしいライブ感のある記事執筆です.
記事では,英語史への3つの入口として,「比較言語学」 (),「文献学」 (philology),「歴史言語学」 (historical_linguistics) を取り上げています.第1の扉「比較言語学」では,文献に残らない祖語の姿を「再建」 )という手法によって浮かび上がらせる営みを論じました.第2の扉「文献学」では,1文字・1語に宿る言語的・社会的文脈を丁寧に読み解くことの醍醐味を述べています.そして第3の扉「歴史言語学」では,言語変化 (language_change) のメカニズムを体系的に追う視点を紹介しました.3者はそれぞれ異なる分野でありながらも「社会と言語の接点」という点で通底しています.この締めくくりによって,社会言語学を専門とされる井上さんとのコラボ的なエッセイとして仕上げることができたかな,と感じています.
なお,本連載は月々メイン執筆者を交代するスタイルをとっており,サブの側がコメントを数行添える形式をとっています.今回,井上さんからは「英語史ってロマンですねー」という言葉をいただきました.「いのほた言語学チャンネル」のゆるいライブ感を,誌面でも少しずつ体現できているとすれば,望外の喜びです.
本連載記事と関連して,heldio でも先日「#1812. 英語史の3つの扉 --- 『英語教育』の「いのほた連載」第3弾より」としてお話ししました.あわせてお聴きください.
・ 井上 逸兵・堀田 隆一 「いのほた言語学チャンネル PRESENTS 英語を深める社会言語学・英語史の視点 第3回 英語史の3つの扉:ことばの考察に通時的な次元を復活させる」『英語教育』2026年6月号,大修館書店,2026年5月14日.44--45頁.
ある言語変種が言語なのか方言なのかという問題は,(社会)言語学の古くて新しい問題である.本ブログでも language_or_dialect の各記事で議論してきた.昨日取り上げた「#6215. Scots と Scottish English の区別について」 ([2026-05-03-1]) についていえば,1つめの Scots が,とりわけこの問題と関わってくる.Scots は English とは異なる1つの言語とみなすべきなのか,あるいは English の1方言なのか.
ここには言語学的な考慮以上に,社会的な要素,とりわけ政治的な要素が関わる.昨日引用した McClure (23--24) は,続く段落でこの問題に触れつつ,同時に柔らかく回避している.以下,じっくり読んでいただきたい.
Uniquely among Old English-derived speech forms other than standard literary English, Scots has a claim to be regarded as a distinct language rather than a dialect, or latterly a group of dialects, of English. This claim has been, and continues to be, the subject of serious, reasoned and at times heated debate, at both popular and scholarly level . . . : a debate which embraces historical, political, social and literary as well as linguistic issues and has important implications in the field of education. However, it is beyond the scope of the present chapter, for the purposes of which it is sufficient to note that Scots, being descended from Old English and sharing in the general history of West Germanic speech in the British Isles, is appropriately considered as part of 'English' in the purely linguistic sense of the term. That Scottish English, as opposed to Scots, is a form of English is of course non-controversial. The distinction between Scots and Scottish English, which though not always clear in practice is soundly based on historical facts, should be borne in mind throughout the chapter.
Scots が "purely linguistic" な観点からは English の仲間だというのは適切だ,と述べられている.しかし,裏を返せば,"historical, political, social and literary" な観点からは重要な論点であり続けている,ということだろう.
・ McClure, J. Derrick. "English in Scotland." The Cambridge History of the English Language. Vol. 5. Ed. Burchfield R. Cambridge: CUP, 1994. 23--93.
「#6207. 英語における Scots 「スコッツ語」の初例」 ([2026-04-25-1]) でも少し話題にしたが,標題の Scots と Scottish English の用語・概念上の区別は,ややこしい.この区別を理解するには,まずこれらの変種の歴史を学ばなければならないからだ.
言語学的な特徴に照らして2つの変種が異なるものである,と議論することはある程度可能だが,互いに類似している点や影響を与え合ってきた経緯もあり,必ずしもきれいに区別できるわけではない.むしろ,各変種が置かれてきた社会言語学的文脈を参照して,つまり時代性,標準の有無,話し言葉と書き言葉のメディアの違い,話者のアイデンティティなどの要因を参照して,2つの変種が区別されているものとして捉えるほうが,適切だろう.
MaClure (23) は,スコットランドにおける英語を概説する文章の冒頭で,この2つの区分を次のように導入している.
Insular West Germanic speech was first established in what is now Scotland in the sixth century. Two phases are clearly identifiable in its history: the first includes the emergence of a distinctively Scottish form, developing independently of the Northern dialect of England though like it derived from Northumbrian Old English, and its attainment to the rank of official language in an autonomous nation-state; and the second, the gradual adoption in Scotland of a written, and subsequently also a spoken, form approximating to those of the English metropolis, with consequent loss of status of the previously existing Scottish tongue. In the course of the linguistic history of Scotland, that is, first one and then two speech forms, both descended from Old English, have been used within the national boundaries. For convenience we will choose to designate the first Scots and the second Scottish English. This situation has no exact parallel in the English-speaking world.
最後に指摘されている通り,古英語に由来する2つの変種が,現代まで並び立って使い続けられている歴史をもつ地域は,世界を探してもほかにない.世界諸英語 (world_englishes) を視野に入れた歴史を考えるとき,スコットランドは特殊な事例を提供してくれるのである.
・ McClure, J. Derrick. "English in Scotland." The Cambridge History of the English Language. Vol. 5. Ed. Burchfield R. Cambridge: CUP, 1994. 23--93.
4月25日(土),PIVOT TALK にて「【世界の英語と日本人】英語の始まりは5世紀半ば/20億人超まで広がった理由/英語は語彙が多い/英語が分裂していくシナリオ/標準化の挫折/AI時代にも英語学習は必要か?/10年後の英語と日本人」と題する YouTube 動画が配信されました.英語史研究者の寺澤盾先生(青山学院大学教授,東京大学名誉教授)がゲストとしてお話しされている,50分ほどの貴重な対談です.
お話しの内容は,1ヶ月ほど前に寺澤先生が中公新書として上梓された『世界の英語 --- 5大陸に広がる多様な Englishes』を紹介しつつ,日本の英語学習者の皆が尋ねたくなる質問群に,英語史や世界英語 (world_englishes) の観点から答えられています.
動画の内容は多岐にわたりますが,とりわけ重要なトピックをいくつかご紹介しましょう.
まず,英語がなぜこれほどまでに拡大したのかという問いに対し,寺澤先生は「言語的な特徴によるものではなく,あくまで社会的・歴史的な要因である」と明快に答えられています.5世紀半ばには数十万人規模のマイナー言語に過ぎなかった英語が,1600年頃(シェイクスピアの時代)には600万人,そして現代では20億人を超える話者を抱えるに至った背景には,大英帝国の覇権と,それに続く米国の台頭というパワーの基盤があったという指摘です.
また,現代の英語の状況を Kachru の「同心円モデル」を用いて解説し,非母語話者が母語話者を圧倒的に上回る(約8割が非母語話者!)という現状を浮き彫りにしています.これにより英語はもはや母語話者の独占物ではなくなっている,というパラダイム・シフトに言及されています.
英語をめぐる今後の展望についても刺激的なお話しがありました.英語が各地で独自に進化し分裂していく「遠心力」と,共通語 (lingua_franca) として標準化・簡略化を目指す「求心力」のせめぎ合いについて触れ,さらにはAI同時通訳の発展が英語の地位をどう変えるかという点にも踏み込んでいます.
最後に,日本人が英語とどう向き合うべきかという議論では,話し言葉に関しては特定のネイティブ英語に固執するのではなく,多様な複数形の Englishes を許容する姿勢の大切さを説いています.一方で書き言葉においては依然として標準的な文法や綴字の知識が信頼の指標となるという,現実的でバランスの取れた視点を提供してくれています.
今回の寺澤先生のご出演は,世界英語という現代的な話題も視野に収めた英語史という学問が単なる過去の記録ではなく,現代社会を読み解き,私たちの未来の指針を示すための生きた知恵であることを改めて実感させてくれるものです.50分という動画の時間は一見長く感じられるかもしれませんが,寺澤先生の落ち着いた,かつ情熱的な語り口に引き込まれ,あっという間に過ぎてしまうはずです.
そして,この動画で興味を持たれた方は,ぜひ中公新書より刊行されたばかりの『世界の英語』を手に取ってみてください.寺澤先生による『英語の歴史』,『英単語の歴史』に続く3部作の3番目となる本書は,世界各地で変容し続ける英語のダイナミズムを網羅的に描き出した決定版です.動画と合わせて読むことで,英語という言語がもつ4次元的な広がりが,より鮮明に見えてくることでしょう.hellog 読者の皆さんにも強くお薦めしたい1冊です.
・ 寺澤 盾 『世界の英語 --- 5大陸に広がる多様な Englishes』 中央公論新社〈中公新書〉,2026年.
私たちが日頃英語と呼んでいるものは,たいていイングランド南部の方言に基づいて発展してきた標準英語 (Standard English) にほかなりません.しかし,一歩視点を北へ転じ,スコットランドで話されてきた/いる英語変種 (Scots or Scottish English) に目を向けると,そこには標準英語のパラレルワールドというべき世界と歴史が広がっています.
本記事では,スコットランドに暮らした/暮らしている経験のある私の贔屓目が効いていることを認めつつ,なぜ Scots とその歴史について知っておくとよいのか,ポイントを整理してみたいと思います.
Scots とその歴史に注目すべき第1の理由は,Scots が標準英語を相対化するための鏡になり得るという点です.Scots は,イングランドの英語変種を除けば,古英語に直接由来する唯一の英語変種です.ある角度から評すれば,Scots は比較言語学的に English と最も近い言語といえるのです.私たちが学習の目標としている英語が現在の姿になったのは,歴史の必然ではなく,偶然の結果にすぎません.例えば,Scots では大母音推移 (gvs) が部分的にしか起こっておらず,house を古英語以来の音に近い [huːs] と発音したり,長音を表すのに <i> の母音字を添える独自の綴字習慣を持っていたりします.また,現在形の動詞には,主語の人称に限らず軒並み -is が現われるなど,Scots は文法面でも独自の変化を遂げてきています.歴史が異なっていれば,標準英語もあるいはこうなっていたかもしれない,という仮の姿を Scots に見ることで,私たちは標準英語を絶対視せず,斜めから眺める視点を手に入れることができるのです.
第2に,Scots の歴史は English の歴史に負けず劣らず,言語接触の効果を評価する格好の材料である,という点です.Scots の語彙や表現には,8世紀後半から11世紀のヴァイキング侵攻と関連する古ノルド語の影響,13--14世紀のスコットランド独立運動と関係の深いフランスとの「古来の同盟」(Auld Alliance)がもたらした独自のフランス借用語,そして15世紀に花咲いたラテン語を駆使した華麗な文体 (aureate diction) が刻み込まれています.さらに古くは,ケルト語の基盤もあるわけで,Scots はこの土地における英語史の複雑さを体現する存在となっているのです.
第3に,Scots には豊かな文学的伝統があります.Robert the Bruce や William Wallace といった中世の英雄に関する物語から,近代の夜明けである15--16世紀の Robert Henryson や William Dunbar などのスコットランドにおけるチョーサーを信奉する詩人たち,そして後期近代の国民的詩人 Burns や作家 Scott に至るまで,Older/Modern Scots で書かれた珠玉の作品が残っています.Scots を学ぶことで,このような言葉の宝ものを直接味わうことができる喜びは格別です.Scots 特有の音楽的な響きは,単なる情報伝達の道具を超えた言語の魅力を,私たちに教えてくれます.
さらにいえば,Scots の歴史はスコットランドという枠を超えて世界史ともつながっています.Scots-Irish がアメリカ移民史に果たした役割は,いうまでもなく重要です.また,近代日本に計り知れない政治的・経済的影響を与えた,Thomas Blake Glover をはじめとするスコットランドの起業家たちの足跡を考えるとき,彼らの背景にあった言語的アイデンティティを無視することはできません.Scots という英語変種には,国家アイデンティティと言語の関係,あるいは書き言葉と話し言葉が異なるメディアとしていかに機能するかという社会言語学的諸問題が凝縮されてといってよいでしょう.
Scots とその歴史を学ぶことは,単に1つの非標準英語変種に詳しくなることではありません.それは,英語という言語が示し得た別の可能性,パラレルワールドに思いを馳せ,言語接触,言語交替,規範化の過程を批判的に捉え直す機会でもあるのです.
以上,スコットランド贔屓の目線から書きました.お目こぼしを.関連して「#1719. Scotland における英語の歴史」 ([2014-01-10-1]) も参照.

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4月14日,大修館書店より月刊誌『英語教育』の5月号が発売されました.今年度,同雑誌において,同僚の井上逸兵さん(慶應義塾大学教授)とともに,新しい連載企画「いのほた言語学チャンネル PRESENTS 英語を深める社会言語学・英語史の視点」を始めています.今回は連載第2回となり,井上さんがメインとなり「社会言語学の3つの扉:人はことば「で」何をしているのか」と題して,社会学の入門となる文章を書かれています.最後に,私も少しコメントしています.
前回の4月号(第1回)は,イントロとして「いのほた」対談形式でお届けしましたが,今月号からは交互にメインライターを務める趣向です.今月は井上さんが「社会言語学」 (sociolinguistics) のエッセンスを鮮やかに切り出しており,来月は私が「英語史」の観点から主筆を担当し,お互いに数行のコメントを寄せ合うという,まさに YouTube チャンネルの空気感を紙面に再現するような構成になっています.
今回の井上さんの記事の白眉は,「3つの扉」という切り口です.社会言語学という広大な領域を,(私流の解釈によれば) (1) 変異,(2) 人間関係,(3) 空気という3点で整理されています.人はことば「を」どう使うかという受動的な記述にとどまらず,副題にある通り,人はことば「で」何をしているのかという能動的・積極的な側面を強調されているのが,実に井上さんらしい視点だなと感じます.
とりわけ第1の扉である「変異」 (variation) は,言語変化を扱う歴史言語学や英語史と極めて親和性が高い領域です.歴史的に見れば,ある時代の「変異」が積み重なり,やがて「変化」へと結びついていくからです.この点については語りだすと止まらなくなるのですが,ぜひ本誌をお手に取っていただければと思います.
実をいえば,この連載は YouTube の「いのほた言語学チャンネル」と同様,あえてガチガチに12回分の計画を固めすぎないようにしています.もちろん大まかな構想はありますが,読者の皆さんの反応や,相方の出方を伺いながら,その都度フレキシブルにテーマを選んでいくという,ライブ感を大切にするスタイルをとっています.井上さんがこう来たならば,次は私はこう返そう……というインタラクションこそが,この連載の醍醐味と言えると思います.次回の6月号では私が主役を務める番ですが,今回の井上さんの「3つの扉」に触発されて,その英語史版をパロディとして書いてみようと思っています.社会言語学と英語史がどのように交差し,響き合うのか.まずは発売中の5月号にて,井上さんによる社会言語学の切り方を堪能してください.
本連載に関連して,heldio でも「#1783. 『英語教育』の「いのほた連載」第2弾」としてお話ししています.あわせてお聴きいただければ.
・ 井上 逸兵・堀田 隆一 「いのほた言語学チャンネル PRESENTS 英語を深める社会言語学・英語史の視点 第2回 社会言語学の3つの扉:人はことば「で」何をしているのか」『英語教育』2026年5月号,大修館書店,2019年4月14日.44--45頁.

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昨日3月13日,大修館書店より月刊誌『英語教育』の4月号が発売されました.今月号より,同僚の井上逸兵さん(慶應義塾大学教授)とともに,新しい連載企画「いのほた言語学チャンネル PRESENTS 英語を深める社会言語学・英語史の視点」が始まっています.
本連載は,2人で配信している YouTube 「いのほた言語学チャンネル」から派生した連載企画です.早いもので YouTube での活動も4年を超えましたが,動画でお届けしてきた言葉のダイナミズムや楽しさを,今度は誌面を通じてもお届けしたいと考えています.
連載の趣旨としては,英語教員の方々はもちろん,英語を学ぶすべての読者の皆さんに,社会言語学と英語史という2つのレンズを通して,英語という言語の奥深い魅力を再発見していただくことにあります.見開き2ページというコンパクトな形式ですが,2人の対談回もあれば,片方がトピックを提供してもう片方がコメントを寄せる回もあるなど,バラエティに富んだコンテンツとなっていく予定です.
第1回は「言語学・英語学の世界にようこそ」と題し,2人の自己紹介とともに本シリーズの狙いについてお話ししています.社会言語学がどのように私たちのコミュニケーションに関わるのか,あるいは英語史がいかにして現代英語の「なぜ?」に光を当てるのか,そのエッセンスを詰め込みました.
また,「いのほた」コンビによる出版物としては,昨年10月に『言語学でスッキリ解決! 英語の「なぜ?」』(ナツメ社)も刊行されています.こちらも連載と合わせてお読みいただけますと幸いです.
英語という言語を,単なる暗記の対象としてではなく,人間が作り上げてきた生き生きとした文化装置として捉え直す.そんな知的な冒険を,毎月の連載を通じて読者の皆様と共有できればと願っています.
新年度にむけて,英語(史)の世界を深めていきたいという方は,ぜひ毎月13日前後の『英語教育』の連載をお見逃しなく!
・ 井上 逸兵・堀田 隆一 「いのほた言語学チャンネル PRESENTS 英語を深める社会言語学・英語史の視点 第1回 言語学・英語学の世界にようこそ」『英語教育』2026年4月号,大修館書店,2019年3月13日.42--43頁.
・ 井上 逸兵・堀田 隆一 『言語学でスッキリ解決!英語の「なぜ?」』 ナツメ社,2025年.
昨日の記事「#6146. いのほたで register を紹介しました」 ([2026-02-23-1]) に引き続き,register という用語について.言語学用語としての register の初例を調べるべく,OED に当たってみた.語義 II.9.c がそれに当たり,初出年は1956年とある.この語義の定義と例文をすべて OED から引用する.
II.9.c. Linguistics. In language: a variety or level of usage, esp. as determined by social context and characterized by the range of vocabulary, pronunciation, syntax, etc., used by a speaker or writer in particular circumstances.
1956 He will on different occasions speak (or write) differently according to what may roughly be described as different social situations: he will use a number of distinct 'registers'. (T. B. W. Reid in Archivum Linguisticum vol. 8 32)
1962 Interference may..vary according to the social role of the speaker in any given case. This is what the Edinburgh School has called register. (Canadian Journal of Linguistics vol. 7 69)
1966 Varieties of English distinguished by use in relation to social context are called registers. (G. N. Leech, English in Advertising vii. 68)
1971 A novel, then, can be seen as an amalgam of registers within a wider register of literary endeavour. (P. Young in J. Spencer, English Language in West Africa 173)
1972 Chaucer must therefore have used what was, for the London of his time, a more formal, possibly more archaic, register. (Notes & Queries December 446/2)
1977 They are aware..of the idea of 'varieties' of English, and they probably know the term 'register'---a variety related to a particular use of the language, a particular subject or occupation. (P. Strevens, New Orientations in Teaching of English x. 119)
1991 An unexpected bonus is a bilingual section on letter-writing in both formal and informal registers. (Times Educational Supplement 15 March 49/2)
2004 This marker is very often used by Catalan speakers in colloquial register when the speech formality is low. (M. González, Pragmatic Markers in Oral Narr. vi. 224)
初例の典拠となっている Reid の論文に当たってみると,次のようにあった (32) .
Even if we possessed a separate repertory of utterances for each of the groups of speakers into which the French speech community must be divided, we should still be unable to establish a single linguistic system for any one group. For the linguistic behaviour of a given individual is by no means uniform; placed in what appear to be linguistically identical conditions, he will on different occasions speak (or write) differently according to what may roughly be described as different social situations: he will use a number of distinct "registers"[note 2]
note 2: cf. the levels of diction, indicated in the Report of the Commission set up by the International Council for Philosophy and Humanistic Studies quoted by Professor J. R. Firth in Transactions of the Philological Society. 1951, p.81.
Reid (1901--81) はオックスフォード大学の教授で,ロマンス語学を専攻していた.引用注にもあるとおり,アイディア自体は Firth の "levels of diction" に遡るが,それを Reid が "register" と名付けなおしたということのようだ.その70年後に「いのほた」でも主題として取り上げられるほどに重要な用語に成長したことになる(cf. 「#404. エンレジスタメント(enregisterment・レジスター化)とレジスターーコンビニ敬語,ファミレス敬語を社会言語学から見ると?」).
・ Reid, T. B. W. "Linguistics, Structuralism and Philology." Archivum Linguisticum 8.1 (1956): 28--37.
昨日の記事「#6146. いのほたで register を紹介しました」 ([2026-02-23-1]) に引き続き,register という用語について.言語学用語としての register の初例を調べるべく,OED に当たってみた.語義 II.9.c がそれに当たり,初出年は1956年とある.この語義の定義と例文をすべて OED から引用する.
II.9.c. Linguistics. In language: a variety or level of usage, esp. as determined by social context and characterized by the range of vocabulary, pronunciation, syntax, etc., used by a speaker or writer in particular circumstances.
1956 He will on different occasions speak (or write) differently according to what may roughly be described as different social situations: he will use a number of distinct 'registers'. (T. B. W. Reid in Archivum Linguisticum vol. 8 32)
1962 Interference may..vary according to the social role of the speaker in any given case. This is what the Edinburgh School has called register. (Canadian Journal of Linguistics vol. 7 69)
1966 Varieties of English distinguished by use in relation to social context are called registers. (G. N. Leech, English in Advertising vii. 68)
1971 A novel, then, can be seen as an amalgam of registers within a wider register of literary endeavour. (P. Young in J. Spencer, English Language in West Africa 173)
1972 Chaucer must therefore have used what was, for the London of his time, a more formal, possibly more archaic, register. (Notes & Queries December 446/2)
1977 They are aware..of the idea of 'varieties' of English, and they probably know the term 'register'---a variety related to a particular use of the language, a particular subject or occupation. (P. Strevens, New Orientations in Teaching of English x. 119)
1991 An unexpected bonus is a bilingual section on letter-writing in both formal and informal registers. (Times Educational Supplement 15 March 49/2)
2004 This marker is very often used by Catalan speakers in colloquial register when the speech formality is low. (M. González, Pragmatic Markers in Oral Narr. vi. 224)
初例の典拠となっている Reid の論文に当たってみると,次のようにあった (32) .
Even if we possessed a separate repertory of utterances for each of the groups of speakers into which the French speech community must be divided, we should still be unable to establish a single linguistic system for any one group. For the linguistic behaviour of a given individual is by no means uniform; placed in what appear to be linguistically identical conditions, he will on different occasions speak (or write) differently according to what may roughly be described as different social situations: he will use a number of distinct "registers"[note 2]
note 2: cf. the levels of diction, indicated in the Report of the Commission set up by the International Council for Philosophy and Humanistic Studies quoted by Professor J. R. Firth in Transactions of the Philological Society. 1951, p.81.
Reid (1901--81) はオックスフォード大学の教授で,ロマンス語学を専攻していた.引用注にもあるとおり,アイディア自体は Firth の "levels of diction" に遡るが,それを Reid が "register" と名付けなおしたということのようだ.その70年後に「いのほた」でも主題として取り上げられるほどに重要な用語に成長したことになる(cf. 「#404. エンレジスタメント(enregisterment・レジスター化)とレジスターーコンビニ敬語,ファミレス敬語を社会言語学から見ると?」).
・ Reid, T. B. W. "Linguistics, Structuralism and Philology." Archivum Linguisticum 8.1 (1956): 28--37.
2月17日に配信された「いのほた言語学チャンネル」の回は,「#404. エンレジスタメント(enregisterment・レジスター化)とレジスターーコンビニ敬語,ファミレス敬語を社会言語学から見ると?」と題して,enregisterment という用語・概念を導入しました.
その基本にあるのが register なのですが,動画でも議論している通り,広く便利な用語・概念である一方,論者によってニュアンスが異なるという点も見逃せません.本ブログでは,Halliday 的な観点からの「#839. register」 ([2011-08-14-1]) を紹介したことがありますが,今回は McArthur の用語辞典からこの用語の定義・解説を改めて読んでみましょう (859) .
REGISTER [1950s in this sense; 14c in origin, through French from Medieval Latin registrum a list or catalogue]. In sociolinguistics and stylistics, a variety of language defined according to social use, such as scientific, formal, religious, and journalistic. The term has, however, been used variously in different theoretical approaches, some giving it a broad definition (moving in the direction of variety in its most general sense), others narrowing it to certain aspects of language in social use (such as occupational varieties only). The term was first given broad currency by the British linguist Michael Halliday, who drew a contrast between varieties of language defined according to the characteristics f the user (dialects) and those defined according to the characteristics of the situation (registers). Registers were then subclassified into three domains: field of discourse, referring to the subject matter of the variety, such as science or advertising; mode of discourse, referring to the choice between speech and writing, and the choice of format; and manner of discourse, referring to the social relations between the participants, as shown by variations in formality. . . .
基本的には Halliday の流れを汲んだ register の定義となっていますね.以前の記事では「1970年代以降に広まった用語と概念」と紹介しましたが,register のこの語義自体が1950年代からあったというのは初耳でした.
・ McArthur, Tom, ed. The Oxford Companion to the English Language. Oxford: OUP, 1992.

本日2月11日の朝日新聞紙上にて,来たる2月21日(土)に開催される朝日カルチャーセンター新宿教室での特別対談講座「AI 時代にこそ必要な「言語学的思考」とは」が紹介されました.先日の記事 「#6113. 朝カルで井上逸兵さんと「AI時代にこそ必要な「言語学的思考」とは」 --- 「いのほたなぜ」出版記念」 ([2026-01-21-1]) でも告知しましたが,新聞という媒体を通じて改めて多くの方にこの特別対談講座のお知らせが届くことを嬉しく思います.
新聞では,次のように紹介されています.
「AI時代」こそ言語学必要
生成AIで言葉の壁が薄れる今,なぜ言語学や語学を学び続ける必要があるのでしょうか?井上逸兵・堀田隆一著「言語学でスッキリ解決! 英語の『なぜ?』」(ナツメ社)=写真=の出版記念講座です.慶應義塾大教授・井上逸兵さん,堀田隆一さんが語り合う「AI時代にこそ必要な『言語学的思考』とは」は21日(土)後6時30分.会員は4235円.教室・オンライン自由講座.(新宿教室)
今回の講座は,昨年10月に刊行した井上逸兵さんとの共著 『言語学でスッキリ解決!英語の「なぜ?」』の出版記念という位置づけです.しかし,単なる本の解説にとどまるつもりはありません.むしろ,本書の根底にある著者2人の言葉への視点を,現代の喫緊の課題である生成AIとの関わりにおいてアップデートする試みとなります.
現在,私たちは生成AIの驚異的な進化を目の当たりにしています.翻訳の精度は上がり,もっともらしい文章が瞬時に生成されるようになりました.一見すると,言語の壁は技術によって克服されつつあるかのように思えます.しかし,ここで私たちは立ち止まって考える必要があります.AIがもっともらしい文字列を出力するとき,そこには人間が言葉を紡ぐときに不可欠な意味や文脈,あるいは相手への配慮といった社会的な営みが存在しているのでしょうか.
井上さんの専門である社会言語学は,言語が社会の中でどのように機能し,人間関係を構築するかを明らかにします.一方,私の専門である英語史や歴史言語学は,言語が時間の流れの中でどのように変容し,現代の姿に至ったのかという通時的な視点を提供します.この2つの視点を交差させながら,AI時代における人間の言葉とは何なのか,という本質的な問いへのヒントが見えてくるはずです.
今回の対談では,AI が生成するテキストが世界を埋め尽くすなかで,私たちの言語感覚がどのように変容し得るのか,そして言語学を学ぶことがいかにして人間らしさを再発見する手助けとなるのかについて,熱く,かつ楽しく議論を展開したいと思います.
言語学的思考は,単なる知識の蓄積ではありません.当たり前だと思っている言葉の裏側にある仕組みや歴史を意識し,批判的に,かつ深く理解するための眼差しのことです.この眼差しもつことで,AI に振り回されるのではなく,AI を使いこなしつつ,より豊かなコミュニケーションを営むことが可能になると考えています.
講座は2月21日(土)の18:30からです.井上さんは新宿の教室で,私はオンラインで登壇いたします.遠方の方も Zoom でご参加いただけますし,2週間の見逃し配信サービスもあります..詳細はこちらの申し込みページをご覧ください.
AI時代の言葉の未来について,皆さんと一緒に考えていきたいと思っています.

・ 井上 逸兵・堀田 隆一 『言語学でスッキリ解決!英語の「なぜ?」』 ナツメ社,2025年.
ニュージーランドはオーストラリアとともに歴史的にイギリスとの結びつきが強く,話されている英語変種についても,明らかにイギリス系変種からの派生であり,アメリカ変種と比べると差がある.しかし,世界における米国(の英語)の圧倒的な影響力のもと,ニュージーランド英語もご多分に漏れず,主に語彙などで americanisation の気味がみられる.
ニュージーランド人にとって,英語のアメリカ化は現実としては受け入れざるを得ないところがあるだろうが,心情としてはあまり好ましく思っていない向きもありそうだ.アメリカ英語への嫌悪感や,あるいは逆に憧れは,世代によっても異なるだろう.Bauer は,ニュージーランド人の対アメリカ英語感情について,次のように述べている.
. . . there exists in New Zealand (as in Britain) an anti-American linguistic chauvinism which is entirely surprising in the light of the general use in the community of a number of forms which are American in origin. It is not clear how widespread these attitudes are in the community, but the fact that they exist is shown by the following extracts from Letters to the Editor of New Zealand periodicals:
Most of our worst grammatical or pronunciatory [sic] errors stem from America. (The Listener, 10 November 1973)
Why don't we improve our English instead of adopting a worse speech from a culture which branched off from England several centuries ago? (The Listener, 25 November 1978)
We are not Americans, and I know I for one do not like the way this country is trying to carbon copy itself with American influence. (The Otago Daily Times, 12 September 1984)
Bauer がニュージーランド英語を概説的に記述したのは30年以上も前のことでもあり,現状がどうなっているのか詳しくは分からない.ただし,とりわけ年配の人々が若者のアメリカンな言葉遣いを嘆かわしく思っている,という事情は今でも変わらずあるようである.関連して,heldio 配信回「#1631. アメリカ英語は嫌われ者?」もどうぞ.
・ Bauer L. "English in New Zealand." The Cambridge History of the English Language. Vol. 5. Ed. Burchfield R. Cambridge: CUP, 1994. 382--429.
オタゴ大学の図書館に,新入生のための案内のパンフレットがあり,ふと手に取ってみた.そのなかに,UNIVERSITY JARGON と題するコラムがあった.大学での修学の仕方を手短かに教える内容だ.
UNIVERSITY JARGON
Starting to research your study options and already feeling lost in the jargon? Here are some common terms you're likely to come across.
A DEGREE is the qualification you complete at university. This is your overall PROGRAMME. Your degree will have an abbreviation such as BA, BSc or BCom. That's code for Bachelor of Arts, Bachelor of Science, or Bachelor of Commerce, and so on.
Some PROGRAMMES, such as Health Sciences First Year (HSFY), will lead on to many other degrees.
The SUBJECT you specialise in within your degree is called your Major. When you start your first year at university, choose three or four subjects you'd like to try. One will become your major.
In many degrees you can choose to have a MINOR as well. This is a subject you have stuided at each level, but not in as much depth as your major.
Each subject has LEVELS (100, 200, 300). The first courses youtake are called 100-level papers or beginner papers.
Each subject is divided into PAPERS. They are like topics within each subject --- the building blocks of your degree. They have codes like HIST 104, PSYC 201 and MART 304. The papers you choose each year are your course of study.
When you pass each paper, you get POINTS towards your degree. Papers are generally worth 18 points and a three-year degree needs 360 points. This usually consists of 20 papers, an average of 7 papers per year.
A DOUBLE DEGREE is when you study two degrees at the same time. There are also options to combine two majors from different degrees in a single four-year degree. These COMBINED DEGREES include Arts and Business, Arts and Science, and Business Science.
かなり複雑な履修システムをコンパクトに解説している文章だと思うが,新入生にとって初見で理解するのは容易ではないだろう.読み手の私は大学のシステムを理解しているので,これだけで分かるのだが,実際には凝縮しすぎているように思われる.たとえば major と specialise という jargons の意味は,相互に規定されるものであるから,同じ文に共起することによって,一方でともに理解しやすくなるという事情もあるかもしれないが,他方でいずれもチンプンカンプンとなってしまう恐れがある.
この文章は,個々の jargon を新入生のために解説している文章として読むのが普通だろうが,実は新入生に jargon とは何かを教える文章となっているのではないかとも解釈でき,おもしろい.つまり,ここで新入生を意味不明な jargon の羅列にさらすことによって,大学という特有の世界に誘い,仲間意識を醸成しようとしているのだ,と.
jargon の役割は,その意味が一見して自明ではないところに存する.jargons の羅列やその語彙体系は,独特で魅惑的な世界をちらつかせ,そこに引き寄せられる者のみに入会を許可する社会言語学的な機能をもっている.
関連して「#2410. slang, cant, argot, jargon, antilanguage」 ([2015-12-02-1]) を参照.
一昨日の heldio 配信「#1628. ニュージーランド最古のオタゴ大学の時計台の前より」は,NZの南島のダニーデンに位置するオタゴ大学(University of Otago)のキャンパスからお届けしました.大学のシンボルである時計台の前に広がる芝生より,この地の植民史と英語史に思いを馳せました.
Captain Cook (1728--79) が1769年にニュージーランドに訪れ,先住民のマオリ人と初めて接触した後,この地はヨーロッパ人たちにとって鯨やアザラシの漁場となりました.その後,1840年に正式にイギリスの植民地となり,主にイギリス人による植民が一気に進みました.その後間もない1869年には,ダニーデンにニュージーランド最古の大学としてオタゴ大学が創立されました.このスピーディな展開には驚くばかりです.背後には初期移民たちの宗教上の情熱,啓蒙思想,勤勉さがあったのですが,その程度がいかに凄まじかったかが想像されます.
オタゴ大学の創立,より広くはダニーデンという町の建設に関わった初期移民の顔ぶれを見ると,スコットランド一色であることがわかります.初代学長を務めたのは,熱心な聖職者であった Thomas Burns (1796--1871) です.彼は,スコットランドを代表する詩人 Robert Burns (1759--96) の甥にあたります.
また,私が愛着を感じてやまないのは,このオタゴ大学の時計台が,私の母校でもあるスコットランドのグラスゴー大学の建築様式にインスピレーションを受けているという事実です.ダニーデンの町並み全体が,スコットランドの首都エディンバラを思わせる一方で,この大学の時計台はグラスゴーの雰囲気を纏っているのです!
この大学の歴史を語る上でもう1つ見逃せないのが,女性の入学を許可したことです.1871年の新体制において,オタゴ大学は,イギリス帝国内で初めてすべての階層の女性に学びの扉を開いた大学となりました.
もう1点,同時代の大きな出来事として,この町の急速な経済発展を支えた1861年のゴールドラッシュがあります.これにより,オーストラリア人をはじめとして,遠く中国からも多くの人々が金に惹かれて流入しました.これは,スコットランド英語の影響が強かった,この土地の初期の英語に,オーストラリア英語や,さらに異言語との接触の機会を与えることになりました.ニュージーランド英語史上の重要な契機だったといってよいでしょう.
ダニーデンという都市とオタゴ大学は,英語史のメインストリームからは外れたニュージーランドという場所にありながらも,英語の拡散,変種の移植,方言・言語接触といった,英語史における社会言語学的な話題を凝縮して見せてくれています.
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