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kanji - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2020-09-22 16:43

2020-02-08 Sat

#3939. 日本でも弥生時代に漢字が知られていた (2) [kanji][history][archaeology]

 4年ほど前に「#2505. 日本でも弥生時代に漢字が知られていた」 ([2016-03-06-1]) という記事を書いたが,つい先日,ネットニュースと新聞から関連する新情報が入ってきた.2月3日の朝日新聞朝刊3面の「弥生時代の石製品に最古の文字?」という記事の冒頭を紹介しよう.

松江市の田和山遺跡でみつかった弥生時代中期後半(紀元前後)ごろの石製品に,文字(漢字)が墨で書かれていた可能性があると,福岡市の研究者が明らかにした.国内で書かれた文字とすれば国内最古の例となる.一方,赤外線撮影では墨書を確認できなかったことなどから慎重な意見もあり,議論を呼んでいる.


 先のブログ記事に書いた4年前の状況は,あくまで硯という書記用の道具が発見されたにとどまり,日本における主体的な文字使用の強い証拠とまでは認められなかった.一方,今回の発見は,硯らしき道具に文字が書かれていた可能性を示唆する点で,日本の主体的な文字使用の開始年代に関する議論に一石を投じるものとなった.証明されれば,弥生時代の中期後半(紀元前後)に日本における漢字使用があったということになる.
 問題の硯らしきものに書かれている文字は「子」とも「戊」とも「戌」とも読み得るもののようだが,公開されている画像からは明確なことはほとんど確認できない.識者のあいだで慎重論も強いようである.
 日本語話者の誇りとして,少しでも早い時期に日本に文字使用の実践があったことが証明されれば,それは嬉しい.しかし,何よりも事実そのものを解明することが重要である.もし今回の発見が文字使用の年代を早めることになっても,ならなくても,事実が明らかになればよいと思う.
 関連して「#3486. 固有の文字を発明しなかったとしても……」 ([2018-11-12-1]) を参照.加えて「#3138. 漢字の伝来と使用の年代」 ([2017-11-29-1]) や「#3545. 文化の受容の3条件と文字の受容」 ([2019-01-10-1]) も一読を.

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2019-12-15 Sun

#3884. 文字解読の「2経路」の対比 [spelling][grammatology][alphabet][reading][writing][psycholinguistics][kanji][frequency]

 「#3881. 文字読解の「2経路モデル」」 ([2019-12-12-1]) の記事でみたように,文字解読には「音韻ルート」 (phonological route) と「語ルート」 (lexical route) の2経路があると想定されている.典型的には各々アルファベットと漢字(訓読み)に結びつけるのが分かりやすいが,アルファベットで綴られた単語が語ルートで読解されることもあれば,形声文字の漢字が音韻ルートで読解されることもあり得るので,そう単純ではない.Cook (25) は,2つのルートを以下のように対比している.

 Phonological routeLexical route
Converts written unitsTo phonemesTo meanings
Also known asAssembled phonologyAddressed phonology
NeedsMental rulesMental lexicon of items
Works byCorrespondence rulesMatching
Can handleAny novel combinationOnly familiar symbols
Used withAny wordsHigh frequency words


 最後の2行の指摘が興味深い.語ルートは,すでに知っている語,とりわけ頻度の高い語と相性がよいという点だ.逆にいえば,未知の語や低頻度の語とは相性が悪いということだ.確かに漢字は先に学んでいない限り読むことはできないし,低頻度の漢字はなかなか定着しないので読み書きも忘れがちである.一方,アルファベットで書かれた語は,たとえ未知で意味不明であっても,およそ読むことはできる.また,アルファベットで書かれているとはいえ,thevery などの高頻度語は,おそらく語ルートで読解されているだろう.
 算術に喩えれば,音韻ルートは筆算して答えを得ることに,語ルートは暗記しているかけ算九九で直接解答にアクセスすることに相当するといったらよいだろうか.

 ・ Cook, Vivian. The English Writing System. London: Hodder Education, 2004.

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2019-12-12 Thu

#3881. 文字読解の「2経路モデル」 [orthography][spelling][grammatology][alphabet][reading][writing][psycholinguistics][kanji]

 日本語(特に漢字)を読んでいるのと英語を読んでいるのとでは,何かモードが異なるような感覚をずっともっていた.異なる言語だから異なるモードで読んでいるのだといえばそうなのだろうが,それとは別の何かがあるような気がする.さらされているのが表語文字か表音文字かという違いが関与しているに違いない.この違和感を理論的に説明してくれると思われるのが,文字読解の「2経路モデル」 ('dual-route' model) である.これ自体が心理学上の仮説(ときに「標準モデル」とも)とはいえ,しっくりくるところがある.
 表音文字であるローマン・アルファベットで表記される英語を読んでいるとき,目に飛び込んでくる文字上の1音1音に意識が向くことは確かに多いが,必ずしもそうではないことも多い.どうやら音を意識する「音韻ルート」 (phonological route) と語を意識する「語ルート」 (lexical route) が別々に存在しており,読者は場合によっていずれかのルートのみ,場合によって両方のルートを用いて読解を行なっているということらしい.以下に「2経路モデル」の図を示そう(Cook 17 より).

                                                     ┌────────────┐
                                                     │   Phonological route   │
                                                     │                        │
                                             ┌──→│Converting 'letters' to │───┐
                     ┌───────┐      │      │Phonemes with a small   │      │
    Reading          │   Working    │───┘      │      set of rules      │      └───→
    written ───→ │out 'letters' │              └────────────┘                  Saying words aloud
     words           │ and 'words'  │───┐      ┌────────────┐      ┌───→
                     └───────┘      │      │     Lexical route      │      │
                                             └──→│                        │───┘
                                                     │Looking up 'words' in a │
                                                     │ large mental lexicon   │
                                                     └────────────┘

 tip という単語を読むときに経由する「音韻ルート」を考えてみよう.読者は <t>, <i>, <p> の文字を認識すると,各々を /t/, /ɪ/, /p/ という音素に変換し,その順番で並んだ /tɪp/ という音韻出力を得る.この場合の対応規則はきわめて単純だが,<th> であれば /θ/ に,<dge> であれば /ʤ/ に変換する必要があるなど,しばしば込み入った対応規則の適用も要求される.
 一方,% という記号を読むときに経由する「語ルート」を考えてみよう.% に直接に音を表わす要素は含まれていないので,読者はこの記号が percent /pəsent/ という語に対応していることをあらかじめ知っていなければならない.熟練した読者は脳内に膨大な記憶辞書 (mental lexicon) をもっており,そこには語彙の情報(発音,意味,形態変化,共起語など)がぎっしり詰まっているとされる.このような読者は % の記号を目にすると,それを記憶辞書に格納されている percent というエントリーに直接結びつけ,読解していると想定される.% などの記号や漢字のような文字は,原則として「音韻ルート」は経由せず「語ルート」経由のみで理解されているものと思われる.
 先の tip の場合はどうだろうか.確かに「音韻ルート」を経由していると思われるが,「先端」という意味やその他の発音以外の情報を取り出すには,やはりどこかの段階で記憶辞書へアクセスしていなければならない.つまり「語ルート」も経由しているに違いないのである.
 ここから,漢字を読むときには主として「語ルート」のみを通り,英語を読むときには「音韻ルート」と「語ルート」の両方を通っていることが想定される.各々を読むときにモードが異なるように感じるのは,経由するルートの種類と数の違いに起因する可能性が高いということだ.

 ・ Cook, Vivian. The English Writing System. London: Hodder Education, 2004.

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2019-12-09 Mon

#3878. 正書法の深さ --- 英語と日本語の比較 [japanese][kanji][writing][grammatology][orthography][spelling_pronunciation_gap]

 昨日の記事「#3877. 日本語の漢字は中国語の漢字よりも表意的」 ([2019-12-08-1]) に引き続き,日本語の漢字の話題.正書法の深さという観点から,英語の正書法と比較してみたい.
 アルファベットや仮名のような表音文字体系においては,文字と音素の対応がいかに単純か複雑かという視点から,相対的に「浅い」正書法と「深い」正書法が区別される (cf. 「#1760. 時間とともに深まってきた英語の正書法」 ([2014-02-20-1])) .たとえばフィンランド語の正書法はほぼ音素表記というに等しく,きわめて「浅い」と呼ぶことができるが,英語の正書法は周知のように様々な不一致がみられるため,相対的に「深い」といわれる.さらにアラビア語やヘブライ語などの子音文字体系による正書法は,原則として母音を表記しないという点において,発音そのものとの隔たりが一層大きいために,英語正書法よりも「かなり深い」ことになる.畢竟,程度の問題である.
 一方,漢字などの表語文字体系は,定義上,表音機能が弱いわけであり,表音性を前提とした「浅い」「深い」の区別は一見無意味のように思われる.しかし,昨日の記事で見たように,実は漢字にすら表音的な性質が備わっているという見方に立てば,そこにも「深さ」の尺度を持ち込むことができるように思われる.その場合,中国語の漢字はアラビア語やヘブライ語の文字体系よりもさらに深いと考えられるので「超深い」ということになり,昨日の議論を受けるならば,日本語の漢字にいたっては「超超深い」正書法とみることもできる.
 これと関連して,Cook (11) が次のような図を与えているので再現しよう.

                         'shallow'       Finnish, Serbo-Croatian
                                    ↑
                                    │
                                    │
          (alphabetic sound-based)  │
                                    │   English
                                    │
                                    │
                                    │
                         'deep'     ↓   Arabic, Hebrew
                                    ↑
                                    :   Chinese
                                    :
          (meaning-based)           :
                                    :
                                    :   Japanese
                                    ↓

 最下部の矢印の左横に 'super-deep' のラベルを加えたいところである.
 こうしてみると,英語の正書法はひどい(深い)としばしば非難されるが,「超」がつく深さの日本語(漢字)の正書法と比べてみれば,浅浅もいいところだという評価になろうか.関連して「#503. 現代英語の綴字は規則的か不規則的か」 ([2010-09-12-1]) の記事も参照.

 ・ Cook, Vivian. The English Writing System. London: Hodder Education, 2004.

Referrer (Inside): [2019-12-10-1]

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2019-12-08 Sun

#3877. 日本語の漢字は中国語の漢字よりも表意的 [kanji][chinese][japanese][writing][grammatology][orthography]

 すべての文字体系は表語を指向してきたし,少なくともその方向で発展してきた,と私は考えている.それは,多少なりとも表音を犠牲にしても,という意味である.一方,すべての文字体系は,音との対応をその本質としているという見方もある.後者を主張する DeFrancis は "the universal phonological principle" を掲げているが (Cook 10) ,日本語における漢字を考えると,この「原則」はほとんど当てはまらないように思われる.日本語の漢字は表音的であるというよりもむしろ表意的であり,その表意性は実のところ中国語の漢字よりも高いと考えられるのだ.
 中国語の漢字は,圧倒的多数の形声文字に代表されるように,その97%が何らかの音符を含んでいるといわれる (Cook 10) .漢字は表語文字の代表選手といわれるが,意外と表音的な性質も高いのだ.ところが,日本語の漢字は,中国語の場合と異なる.確かに日本語においても形声文字は圧倒的多数を占めるが,異なる時代に異なる発音で日本に入ってきた複雑な歴史をもつために,その読み(いわゆる音読み)は一つに尽きないことが多い.さらに訓読みにいたっては,漢字のなかに発音の直接的なヒントはない.つまり,日本語の漢字は,中国語の漢字よりもより表意性の極に近いことになる.そこへ "the universal phonological principle" を掲げられてしまうと,日本語の漢字は "universal" から逸脱した変態ということになってしまい,日本語漢字ユーザーとしては非常に落ち着かない.Cook (10) の次の指摘が重要である.

If this universal phonological principle were true, Chinese too would have a sound-based core. The links between Japanese kanji and pronunciation may be more tenuous because of the differing periods at which kanji were borrowed from Chinese, whether they brought the Chinese word with them into Japanese or linked the character to a native Japanese word and so on. Japanese kanji may be a purer example of a meaning-based writing system than Chinese characters . . . because they are further separated from contemporary spoken words.


 ・ Cook, Vivian. The English Writing System. London: Hodder Education, 2004.
 ・ DeFrancis, J. The Chainese Language: Fact and Fantasy. Honolulu: U of Hawaii P, 1984.

Referrer (Inside): [2019-12-09-1]

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2019-11-17 Sun

#3856. 漢字は表意文字か表語文字か [kanji][grammatology][sign][chinese][terminology]

 標題については「#2341. 表意文字と表語文字」 ([2015-09-24-1]) で取り上げたほか,「#422. 文字の種類」 ([2010-06-23-1]) や「#2344. 表意文字,表語文字,表音文字」 ([2015-09-27-1]) でも関連する話題に触れてきた.答えを先にいえば「表語文字」ということになるが,今回は『漢辞海』の付録 (1626) の説明を引こう.たいへん分かりやすい説明である.

漢字はいかなる文字か
 漢字は,中国語を表記するために工夫された文字であるが,文字としてはいかなる特質を持った文字であろうか.
 文字は,一般的に絵画文字 (pictogram),表意文字 (ideogram),表音文字 (phonegram 〔ママ〕) などに大きく分類され,漢字は「表意文字」の代表的な文字とされる.しかしこれは実は曖昧な認定と言わざるを得ない.「表音文字」にしても,音素文字 (alphabet) と日本語の仮名のような音節文字 (syllabogram) に区分する必要がある.そこでより厳密に漢字について考えてみると,文字としての漢字一字一字が意味を表してはいるが,実は漢字の表示する意味は,無構造言語(孤立語)単音節語という言語的特質を持つ中国語の単語としての意味を表わしているということなのである.要するに,漢字は意味を表示するのみではなく,中国の言葉を構成する単位としての単語の語形・発音・意味の全体を表記する文字なのである.すなわち漢字は単語そのものを表示する表語文字 (logogram) として具体化されたものなのである.


 文字論において表意文字,表音文字,表語文字などの用語を使う際の注意点として,(1) 文字表記という行為の究極の狙い,(2) 特定の文字体系の原理やポリシー,(3) 特定の文字の機能や用法という3つのうち,いずれのレベルで議論しているかを明確にすべきということがある.
 (1) に関していえば,おそらく古今東西のほぼすべての文字体系の究極の狙いは表語といってよいだろう.(2) については,絵文字であれば表意文字体系,仮名であれば表音文字体系,漢字であれば上述のように表語文字体系という答えになろう.(3) のレベルでは,漢字が全体としては表語文字体系であるとはいえ,特定の漢字が表音的に用いられることはあるし,表音文字体系の仮名についても「を」という特定の仮名文字を取り上げれば,それは表語文字的な機能を担っているといえる.

 ・ 戸川 芳郎(監修),佐藤 進・濱口 富士雄(編) 『全訳 漢辞海』 三省堂,2000年.

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2019-08-21 Wed

#3768. 「漢字は多様な音をみえなくさせる,『抑制』の手段」 [standardisation][japanese][writing][alphabet][grammatology][kanji][romaji][me_dialect]

 昨日の記事「#3767. 日本の帝国主義,アイヌ,拓殖博覧会」 ([2019-08-20-1]) に引き続き,金田一京助の言語観について.金田一は,日本語表記のローマ字化の運動には与していなかった.ヘボン式か日本式かという論争にも首を突っ込まなかったようだ.同郷の歌人で『ローマ字日記』を書いた石川啄木が関心を寄せた社会主義にはぞっとしなかったと回想しているが(安田,p. 176--77),ローマ字化と社会主義化を関連づけて考えていた節がある.アイヌ語をローマ字やカタカナで書き取っていた金田一にとって,日本語をそれと同一にしたくないという思いがあったのかもしれない.
 安田 (177) は,金田一のローマ字観や仮名観,およびその裏返しとしての漢字観について,次のように引用し,説明している.

「方言は保存すべきか」(一九四八)で,「今後世の中が表音式仮名遣となつて行き,またローマ字書きとなつて行つて,方言がそのまゝ書き出されたら,日本の言語がどういふことになるであらうか」とも述べている.発音をそのままに書くようにすると,そこにもたらされるのは混乱と分裂でしかない,という認識をとりだすことができる.社会主義のイメージとも連動しているのではないだろうか.漢字は金田一にとっては「圧制」というよりも多様な音をみえなくさせる,「抑制」の手段だったのかもしれない」


 古今東西の言語の歴史において,いかなる権力をもってしても,人々の話し言葉の多様性を完全に抑え込むことができたためしはない.しかし,書き言葉において,そのような話し言葉の多様性を形式上みえなくさせることはできる.実際,文字をもつ近代社会の多くでは,書き言葉の標準化の名のもとに,まさにそのことを行なってきたのである.その際に,表語文字を用いたほうが,発音上の多様性をみえなくさせやすいことはいうまでもない.表音文字は,その定義通り発音をストレートに表わしてしまうために,発音上の多様性を覆い隠すことが難しい.一般的にいえば,表語文字と表音文字とでは,前者のほうが標準化に向いているということかもしれない.多様性を抑制する手段としての表語文字,というとらえ方は的を射ていると思う.
 上に述べられている「発音をそのままに書くようにすると,そこにもたらされるのは混乱と分裂でしかない,という認識」は,私たちにも共感しやすいのではないだろうか.しかし,英語史をみれば,中英語期がまさにそのような混乱と分裂の時代だったのである.ただ,その後期にかけては標準的な綴字が発達していくことになる.「#929. 中英語後期,イングランド中部方言が標準語の基盤となった理由」 ([2011-11-12-1]),「#1311. 綴字の標準化はなぜ必要か」 ([2012-11-28-1]),「#1450. 中英語の綴字の多様性はやはり不便である」 ([2013-04-16-1]) をはじめ me_dialect の各記事を参照.

 ・ 安田 敏朗 『金田一京助と日本語の近代』 平凡社〈平凡社新書〉,2008年.

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2019-03-16 Sat

#3610. 片仮名で表記する「ツボ」 --- 表意性の消去 [katakana][kanji][japanese][grammatology][semantic_change][doublet][homophony]

 昨日の記事「#3609. 『英語教育』の連載「英語指導の引き出しを増やす 英語史のツボ」が始まりました」 ([2019-03-15-1]) で新連載について紹介した.連載タイトルに英語史の「ツボ」と入れたが,この「急所,要点,要領」の語義では片仮名で「ツボ」と表記するのが普通であり,あまり「壺」とはしない.これはなぜだろうか.
 沖森ほか (83) に,現代日本語における片仮名の用途が9点挙げられている.それぞれ簡単に要約すると以下の通り.

 (1) 漢語を除く外来語:ライオン,マーガリン,スーツ,テレビなど(ただし近代漢語は外来語とみなされるので,ラーメン,ウーロン茶などもある)
 (2) 擬音語・擬態語:ワンワン,コケコッコー,ニャーなど
 (3) 自然科学の用語:ヨウ素,アザラシ,バラ科など
 (4) 漢文訓読の送り仮名
 (5) 画数の多い語:会ギ(議),ヒンシュク(顰蹙),ビタ(鐚)一文,ヒビ(罅)が入る,ブランコ(鞦韆),ボロ(襤褸)が出るなど
 (6) 流行語,俗語:ヤバイ(ネット上などで,ヤバい,ヤばい,やバイもある)
 (7) 表意性の消去:コツ(骨)をつかむ,ババ(婆)を引く,ヤケ(自棄)になる
 (8) 対話的な宣伝:「ココロとカラダの悩み」「アナタの疑問に答えます」など新鮮な宣伝効果を狙ったもの
 (9) 外国人の話す日本語,ロボットや宇宙人などのことば:「ワタシ,日本人トトモダチニナリタイデス」「地球人ヨ,ヨク聞ケ.ワレワレハ,バルタン星人ダ」など,情緒のない機械性を表わす

 「ツボ」は,「コツ」「ババ」「ヤケ」などが挙げられている (7) の表意性の消去の例に当たるだろうか.これについて,沖森ほか (83) からもう少し詳しい説明を引用すると,次のようになる.

国語辞典を引くと,それぞれ漢字表記があがっているが,実際に目にする表記は片仮名が一般的なものである.これは,「コツをつかむ」の意で「骨」を当てると《人骨》の意味が表に出すぎて差し支えが生じるためであろう.派生義で用いる場合に,その漢字本来の表意性が面に出るとそぐわない場合に片仮名が選ばれたものと思われる.広島を「ヒロシマ」と書くのも,地名の意を消去して,被爆地としての新たな意味を込める用法かと見られる.


 「ツボ」の場合,「壺」と表記することによって容器の意味が表に出すぎて差し支えが生じるとは特に思われないが,少なくとも容器の意味と急所の意味が離れすぎているために違和感が漂うということなのだろう.語義の発展・派生としては,「くぼみ」(滝壺など)から始まり,形状の類似から「(容器としての)壺」や「鍼を打ったり灸をすえる場所」(足ツボなど)が派生し,後者から「狙い所,要点」が発展したと思われる.このように原義と派生義の距離が開いてしまっている語はごまんとあるが,そのなかには表記上の区別をするものがあるということだろう.共時的感覚としては「ツボ」と「壺」は異なる語彙素といってよい.「表意性の消去」とは,この感覚の反映をある観点から表現したものだろう.
 英語からの類例としては「#183. flowerflour」 ([2009-10-27-1]),「#2440. flower と flour (2)」 ([2016-01-01-1]) がある.両語は同一語源に遡るが,語義がかなり離れてしまったために,別々の語彙素ととらえられ,異なる表記が用いられるようになった.この問題は,2重語 (doublet) や同音異義 (homophony) の問題とも関わってくるだろう.

 ・ 沖森 卓也・笹原 宏之・常盤 智子・山本 真吾 『図解 日本語の文字』 三省堂,2011年.

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2019-01-10 Thu

#3545. 文化の受容の3条件と文字の受容 [writing][japanese][kanji][alphabet][runic][buddhism][christianity]

 安藤達朗(著)『いっきに学び直す日本史 古代・中世・近世 【教養編】』を読んでいる.様々な点で示唆に富む日本史だ.pp. 30--31 に「文化の受容」と題するコラムがあり,その鋭い洞察に目がとまった.

異質の文化が受容されるには,一般に3つの条件がある.第一に,それが先進的なものであるならば,それを受容しうる能力がなければならない.例えば,江戸幕末に欧米近代文明を受容できたのは,日本人の中にすでに合理的思考法の素地もあり,技術に対する理解もかなり進んでいたからである.第二に,それを受容することが必要とされなければならない.例えば,元寇の際に日本軍は元軍の「てつはう」に悩まされながらも,それを取り入れる関心を示さず,戦国時代には鉄砲が伝わると数年後に国産されるようになったのは,鎌倉時代には集団戦が一般化していなかったからである.第三に,受容するに際して,受容する側の主体的条件によって選択がなされ,変更が加えられる.例えば仏教が受容されるとき,その教義よりは呪術的な側面に関心が向けられ,一方では鎮護国家の仏教となり,一方では土俗信仰と密着していったことはそれを示す.


 文化の受容には,(1) 受容能力,(2) 受容の必要性,(3) 選択と変更,の3点が要求されるということだ.
 言語史に関連する文化の受容の最たるものは,文字の受容だろう.英語や日本語の文字の歴史を振り返ると,いずれも進んだ文字文化をもっていた大陸からの影響で文字を使い出した.アングロサクソン人も日本人も,ローマ字や漢字との接触こそ紀元前後からあったが,必ずしもその段階でそれを「受容」はしなかった.そこまで文化が開けておらず受容の「能力」も「必要性」も足りなかったからだろう.要は当時はまだ準備ができていなかったのである.アングロサクソンでも日本でも,先進的な文字は5--6世紀になってようやく,国家成立の機運や大陸の宗教の流入という契機と結びつく形で,本格的に受容されるに至った.文字受容の能力と必要性を磨くのに,最初の接触以来,数世紀の時間を要したのである.
 また,「選択と変更」という観点から,両社会の文字の受容を再考してみるのもおもしろい.アングロサクソン人はローマ字を受容する以前にすでにルーン文字をもっていたのであり,その意味では2つの選択肢のなかから外来の文字セットをあえて「選択」したともいえる.あるいは,後に常用するようになったローマ字セットのなかにルーン文字に由来する <þ> や <ƿ> を導入したのも,一種の「選択」とも「変更」ともいえる.日本の漢字の受容についても,数世紀の時間は要したが,漢字セットの部分集合を利用し,大幅な形態や機能の「変更」を経て仮名を作り出したのだった.
 日英の文字の受容史については,これまでもいろいろと書いてきたが,とりわけ以下の記事を参考として挙げておきたい.

 ・ 「#296. 外来宗教が英語と日本語に与えた言語的影響」 ([2010-02-17-1])
 ・ 「#850. 書き言葉の発生と論理的思考の関係」 ([2011-08-25-1])
 ・ 「#2386. 日本語の文字史(古代編)」 ([2015-11-08-1])
 ・ 「#2485. 文字と宗教」 ([2016-02-15-1])
 ・ 「#2505. 日本でも弥生時代に漢字が知られていた」 ([2016-03-06-1])
 ・ 「#2757. Ferguson による社会言語学的な「発展」の度合い」 ([2016-11-13-1])
 ・ 「#3138. 漢字の伝来と使用の年代」 ([2017-11-29-1])
 ・ 「#3486. 固有の文字を発明しなかったとしても……」 ([2018-11-12-1])

 ・ 安藤 達朗 『いっきに学び直す日本史 古代・中世・近世 【教養編】』 東洋経済新報社,2016年.

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2018-11-12 Mon

#3486. 固有の文字を発明しなかったとしても…… [japanese][writing][grammatology][kanji][alphabet]

 昨日の記事「#3485. 「神代文字」を否定する根拠」 ([2018-11-11-1]) で,日本語固有の文字と主張されてきた「神代文字」を否定した直後に,沖森 (33--34) は次のようなフォローの文章を続けている.

自らが使用する言語に固有の文字があることを願う気持ちは,自然な心情としてそれなりに理解できます.しかし,ギリシア文字がフェニキア文字に由来すること,そのギリシア文字からラテン文字が作り出されたことなどからわかるように,ほかの言語の文字に工夫を加えて,自らの言語に適した文字を作り上げていくというのも自然の流れですし,むしろ世界の言語における文字成立の由来としてはその方が圧倒的に多いのです.ですから,固有の文字体系がないという劣等感を持つ必要はまったくありませんし,それよりも,工夫を凝らして自らの言語をしっかりと書き記せる文字を成立させたことを誇りに思ってよいのです.


 この議論は,世界的な言語である英語の歴史で考えてみても通用する.英語には固有の文字はない.初期のアングロサクソンのルーン文字にせよ,6世紀末以降に借用されたローマン・アルファベットにせよ,前段階の文字からの派生物にすぎない.上の引用文中にあるように,いずれもギリシア文字へ,さらにフェニキア文字へ,究極には北西セム文字へと遡るのである.しかし,英語はローマン・アルファベットを発明こそしなかったけれども,英語独自の音を表記するために,その文字やスペリングに様々な工夫や改良を加え,長い時間をかけて実用的なものへと徐々に仕立て上げてきたのである.文字に関しては,古代日本語の母語話者も古代英語の母語話者もほぼ同じことをしてきたのである.
 アルファベットや漢字を発明した初代の創業者は確かに偉い.しかし,のれんを継ぎ,工夫しながら世の中で繁栄し続けた二代目以降も,別の意味でまた偉い.「誇り」ということでいうならば,互いを認めつつ各々の立場で誇りをもつことが大事である.

 ・ 沖森 卓也 『はじめて読む日本語の歴史』 ベレ出版,2010年.

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2018-09-30 Sun

#3443. 表音文字と表意文字 [grammatology][writing][spelling][alphabet][kanji][hiragana][katakana]

 本ブログでは,文字の分類について「#422. 文字の種類」 ([2010-06-23-1]),「#2341. 表意文字と表語文字」 ([2015-09-24-1]),「#2344. 表意文字,表語文字,表音文字」 ([2015-09-27-1]) などで,様々な角度から考えてきた.一般的には alphabet は表音文字で,漢字は表意文字(あるいは表語文字とも表形態素文字とも考えられる)と言われるが,アルファベットを1個以上つなぎ合わせてまとまりをなす綴字 (spelling) という単位で考えるならば,それは漢字1文字に相当すると考えられるし,逆に漢字の多くが部首を含めた小さい要素へ分解できるのだから,それらの要素をアルファベットの1文字に相当するものとして見ることも可能である.この点についても,直接・間接に「#284. 英語の綴字と漢字の共通点」 ([2010-02-05-1]),「#285. 英語の綴字と漢字の共通点 (2)」 ([2010-02-06-1]),「#2913. 漢字は Chinese character ではなく Chinese spelling と呼ぶべき?」 ([2017-04-18-1]),「#2043. 英語綴字の表「形態素」性」 ([2014-11-30-1]) などの記事で扱ってきた.
 上記は,要するに,表音文字や表意文字というような文字の分類がどこまで妥当なのかという議論である.この問題について,清水 (3) が次のように明快に述べている.

 文字はその性質から表音文字 (phonogram) と表意文字 (ideogram) に分けるのが広く一般的に行われている分類法であるが,それは理に適った分類とはいえない.文字は音と意味の結びついた言語記号を表記するものであるから,その一方だけを表すものは定義上文字とはいえない.
 表音文字と呼ばれるローマ字や仮名もその文字体系を構成している字の連続によって語を表しているのであり,一方,表意文字の代表とされる漢字もやはりその表す語の音をまた表記していることに変わりはない.したがって,文字体系を分類するならば,その体系を構成する各々の文字が語をどのような単位にまで分析して表記しようとするのかという観点から分類がなされなければならない.たとえば,梵字は音素文字的性質を持つ音節文字であり,ハングルは音節文字的性質を有する音素文字であるというように.
 ローマ字のような音素文字の場合でも,その連結によって表そうとするのは音と意味の結合した記号であるから,その綴字と音との間にズレが生じてもその文字としての役割を依然として果たすことができる.すなわち,一音一字という関係が常に保たれるわけではない.


 伝統的な文字論における概念や用語は,今後整理していく必要があるだろう.

 ・ 清水 史 「第1章 日本語史概観」服部 義弘・児馬 修(編)『歴史言語学』朝倉日英対照言語学シリーズ[発展編]3 朝倉書店,2018年.1--21頁.

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2017-11-29 Wed

#3138. 漢字の伝来と使用の年代 [japanese][kanji]

 日本に漢字が伝来したのはいつか,そして本格的に使われ始めたのはいつか,という問題について,「#2386. 日本語の文字史(古代編)」 ([2015-11-08-1]),「#2124. 稲荷山古墳金錯銘鉄剣」 ([2015-02-19-1]),「#2505. 日本でも弥生時代に漢字が知られていた」 ([2016-03-06-1]) などで触れてきた.この点について,『日本語全史』を著わした沖森の見解に耳を傾けよう.
 沖森 (24) は,2世紀中頃の資料が,国内での漢字使用の最古の例と考えられ得ると指摘している.

日本国内の文字資料としては,弥生時代後期から古墳時代にかけての刻書土器・墨書土器がある.たとえば,土器に刻まれたものには,大城遺跡(三重県津市安濃町内多)出土土器(二世紀中ごろ)にへら状の道具に刻んだ「奉」のような模様が見え,墨書されたものには,柳町遺跡(熊本県玉名市河崎)の井戸の跡から発見された木製短甲留具に書かれた「田」のような模様がある.しかし,これらは単なる目印としての記号・符号なのか,漢字と意識して書かれた文字なのか判別しがたい.


 上記が記号・符号の域を出ないものである可能性も高いのに対して,4世紀までに外交上の必要から日本にやってきた渡来人が漢字漢文を書いていたことは確からしい.しかし,彼らは中国語としての漢字漢文を書いていたのであって,日本語を漢字で書いていたわけではなかったろう.
 日本国内で作られた現存する最古の漢文は千葉県市原市の『稲荷台一号墳鉄剣銘』である.表側には「王賜久□敬□」(王,久□を賜ふ.敬して(安)んぜよ)とあり,裏側には「此廷□□□□」(此の廷(刀)は□□□)と読めるという(沖森,p. 25).この鉄剣は5世紀前半の製作とされるが,同世紀後半には「#2124. 稲荷山古墳金錯銘鉄剣」 ([2015-02-19-1]) も製作されている.
 これらの状況から判断して,沖森 (25) は国内での実質的な漢字の伝来と使用の開始を,紀元400年前後においている.百済人の渡来という人口移動に伴う出来事だったという見解だ.

出土資料の状況を勘案すると,本格的な漢字の伝来は四世紀末から五世紀初頭にかけてあったとするのが妥当である.この時期に漢字使用が始まる背景には,朝鮮半島の事情が大きく関与している.三九九年に,高句麗の広開土王(好太王)は新羅救援のために五万の兵を派遣し,新羅の都を包囲していた倭を退却させ,任那・加羅まで進んだという(『広開土王碑文』四一四年建立).倭は新羅・高句麗に対立する百済や加羅(カヤとも)の要請を受けて援軍を派遣したのであるが,この倭の軍隊が朝鮮半島から退却する際に,半島に住んでいた人々の中には難を逃れて日本に渡る者もいた.そのような人々が大陸の先進的な技術などとおもに,漢字漢文を本格的に伝えたのである.


 ・ 沖森 卓也 『日本語全史』 筑摩書房〈ちくま新書〉,2017年.

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2017-08-06 Sun

#3023. ニホンかニッポンか [japanese][kanji]

 イギリスを指す英語表現には,The UK, Great Britain, Britain など複数ある.オランダについても,The NetherlandsHolland の2つがある.公式と非公式の違いなど,使用域や含蓄的意味の差はあるにせよ,ひとかどの国家が必ずしも単一の名称をもっているわけではないというのは,妙な気がしないでもない.その点,我が国は「日本」あるいは Japan という名称ただ1つであり,すっきりしている.
 と言いたいところだが,実は「日本」には「ニホン」なのか「ニッポン」なのかで揺れているという珍妙な状況がある.英語でも Japan のほかに NihonNippon という呼称が実はあるから,日本語における発音の揺れが英語にも反映されていることになる.
 「ニホン」か「ニッポン」かは長く論じられてきた問題である.語史的には,両発音は室町時代あたりから続いているものらしい.昭和初期に,国内外からニホンとニッポンの二本立ての状況を危惧する声があがり,1934年の文部省臨時国語調査会で「ニッポン」を正式な呼称とするという案が議決されたものの,法律として制定される機会はついぞなく,今日に至る.
 私の個人的な感覚でも,また多くの辞書でも,今日では「ニホン」が主であり「ニッポン」が副であるようだ.「ニッポン」のほうが正式(あるいは大仰)という感覚がある.実際,国家意識や公の気味が強い場合には「ニッポン」となることが多く,「ニッポン銀行」「ニッポン放送協会」「大ニッポン帝国憲法」の如くである(なお,現行憲法は「ニホン国憲法」).「やはり」と「やっぱり」にも見られるように,促音には強調的な響きがあり,そこからしばしば口語的な含みも醸されるが,「ニッポン」の場合には促音による強調がむしろ「偉大さ」を含意していると考えられるかもしれない.
 この問題に関する井上ひさし (23--24) の論評がおもしろい.

私たち日本人は,発音にはあまり厳格な態度で臨むことがない.どう呼ぼうが,また呼ばれようが,案外,無頓着なところがあります.しかし一方では,どう表記されるかに重大な関心を抱いている.すなわち,国号が漢字で「日本」と定めてあればもうそれで充分で,それがニッポンと呼ばれようがニホンと呼ばれようが,ちっとも気にしない.心の中で「日本」という漢字を思い浮かべることができれば安心なのです.とくに地名の場合に,それがいちじるしい.


 「日本」をどう読むかという問題は,より広く同字異音に関する話題だが,「#2919. 日本語の同音語の問題」 ([2017-04-24-1]) で触れたように,日本語が「ラジオ型言語」ではなく「テレビ型言語」であるがゆえの問題なのだろうと思う.

 ・ 井上 ひさし 『井上ひさしの日本語相談』 新潮社,2011年.

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2017-07-05 Wed

#2991. ルーン文字の名前に意味があったからこそ [runic][kotodama][alphabet][writing][kanji][grammatology]

 ルーン文字について,「#1006. ルーン文字の変種」 ([2012-01-28-1]) を始め runic の記事で話題としてきた.現代において,ルーン文字はしばしば秘術と結びつけられ,神秘的なイメージをもってとらえられることが多いが,アングロサクソン文化で使用されていた様子に鑑みると,そのイメージは必ずしも当たっていないかもしれない.5--6世紀のルーン文字で書かれたアングロサクソン碑文は武器,宝石,記念碑などの工芸品に刻まれている例が多い.墓碑銘ではたいてい "X raised this stone in memory of Y" のような短い定型句が書かれているにすぎず,文体のヴァリエーションが少ないというのもルーン文字使用の特徴である.ルーン文字が主として秘術に利用されたという積極的な証拠は,実は乏しい.
 しかし,「#1009. ルーン文字文化と関係の深い語源」 ([2012-01-31-1]) でみたように語源的にもオカルト的なオーラは感じられるし,「#1897. "futhorc" の acrostic」 ([2014-07-07-1]) で紹介した言葉遊びの背後には,ルーン文字に宿る言霊の思想のようなものが想定されているようにも思われる.
 文字における言霊といえば,表語文字である漢字が思い浮かぶ.漢字は原則として1文字で特定の語に対応しているので,特定の意味を直接的に想起させやすい.この点,アルファベットなどの表音文字とは性質が異なっている.
 アルファベットは,ローマン・アルファベットにせよギリシア・アルファベットにせよ,各文字は単音を表わすのみであり,具体的な意味を伴うわけではない.確かにローマン・アルファベットの各文字には「エイ」「ビー」などの名前がついているが,まるで無意味である(「#1831. アルファベットの子音文字の名称」 ([2014-05-02-1]) を参照).また,ギリシア・アルファベットでは各文字に alpha, beta などの有意味とおぼしき名前がつけられているが,その名前を表わしている単語は,あくまでセム語レベルで有意味だったのであり,ギリシア人にとって共時的には無意味だったろう(「#1832. ギリシア・アルファベットの文字の名称 (1)」 ([2014-05-03-1]),「#1833. ギリシア・アルファベットの文字の名称 (2)」 ([2014-05-04-1]) を参照).
 ところが,ルーン文字については,各文字に,母語たるゲルマン語において共時的に有意味な名前が付されていた.つまり,漢字と同様に,各文字が直接に語と意味を想起させるのである.それゆえ,後に置き換えられていくローマン・アルファベットと比べて,言霊的な力を担いやすかったという事情はあったのではないか.Crystal (180) より,各ルーン文字と対応する語の一覧を示そう(Wikipedia より Runes の一覧表も参照).

RuneAnglo-SaxonNameMeaning (where known)
ffeohcattle, wealth
uūrbison (aurochs)
þþornthorn
oōsgod/mouth
rrādjourney/riding
ccentorch
g [j]giefugift
wwynjoy
hhæglhail
nniednecessity/trouble
iisice
jgearyear
ȝēohyew
ppeor?
xeolh?sedge
ssigelsun
ttiw/tirTiw (a god)
bbeorcbirch
eeohhorse
mmanman
llaguwater/sea
ngingIng (a hero)
oeeþelland/estate
ddægday
aacoak
ææscash
yyrbow
eaear?earth
g [ɣ]garspear
kcalc?sandal/chalice/chalk
k~(name unknown) 


 ・ Crystal, David. The English Language. 2nd ed. London: Penguin, 2002.

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2017-06-03 Sat

#2959. 知的精神活動としての数学,漢字,言語 [kanji][mathematics][semiotics][category][linguistics]

 『物語 数学の歴史』を著わした加藤 (37) は,知的精神活動としての数学の特質として以下を挙げている.

 ・ 人間精神が抽象し切り出してきた知的対象を実体化して扱うこと.
 ・ 対象の認識に関する以下の2点について一般的なコンセンサスがあること.
  ――ミクロ的側面:対象を取り扱う際の局所的な流れの基調.
  ――マクロ的側面:体系全体の整合性や大局的価値を判断する基準.


 数学の場合,最初の点は,「数」という抽象物を具体物であるかのように扱うことに相当する.2つ目の点については,ミクロ的側面とは計算方法や論証方法などを指し,マクロ的側面とは数学について直観される審美性や存在感のようなものを指す.このようなマクロ的側面は,人類にとって唯一無二ものではなく,むしろ古今東西の文明の各々がもっている独自の「数学らしさ」に対応する.
 さて,この知的精神活動の諸特質が関心を引く点は,それが数学や自然科学以外にも適用され得ることである.加藤 (38--39) は,その1例として漢字の体系を挙げている.

我々は白川静氏の著作の数々から,漢字というものが古代中国人の呪術式精神世界から切り出された高度に抽象的な概念的象徴であること,そしてそれらは存在の自己表現の形式そのものとしての実体性を持つことを学ぶことができる.のみならず,会意や仮借といった,いわゆる六書による演繹で自己生成し,その体系が広がっていくこと,そしてそれが実在の概念化と客観化という対応規則を通して,現実の世界と不可分の関係にあることを実感することができる.

漢字はその歴史を通じて,単なる文字記号としてのみ機能するというものではなかった.それは文字記号であるとともに,また美の様式の実現の場であり,それを通じての美の思想の表現でさえあることができた.〔白川 静 『漢字百話』 中公新書 (1978) 159--160頁〕


これは漢字の体系が,古代中国における美の自然科学であったことを雄弁に物語っている.


 実際のところ,上の知的精神活動の特質は,数学や漢字のみならず,多くの学問や記号体系に見られるものではないか.言語(学)も然り.そこでは,言語という抽象的な存在が,具体的な要素の集合として実体化される.また,言語の様々なレベルで局所的に作用する「文法」と呼ばれる規則が想定されている.そして,言語は全体として1つの世界観を構成している.
 さらに,言語体系自体が知的精神活動の複合体であるとみなすこともできそうだ.例えば,文法性,数,格,法,態などの文法範疇 (category) の各々が,上記の特質を有する1つの知的精神活動であると考えることができる.
 「言語らしさ」を体現する要素は何か.この問いに対する可能な答えの数だけ,言語学(説)も存在するのかもしれない.

 ・ 加藤 文元 『物語 数学の歴史』 中央公論新社〈中公新書〉,2009年.

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2017-04-24 Mon

#2919. 日本語の同音語の問題 [homonymy][homophony][kanji][japanese][antonymy]

 日本語に漢字を用いた同音語があまたあることは,「#285. 英語の綴字と漢字の共通点 (2)」 ([2010-02-06-1]),「#539. 同音異義衝突」 ([2010-10-18-1]),「#717. 同音異義衝突に関するメモ」 ([2011-04-14-1]),「#2914. 「日本語は畸型的な言語である」」 ([2017-04-19-1]) で話題にしたが,とりわけ混乱のもととなるのは,同じ文脈で用いられ得る同音語である.私立と市立,偏在と遍在,好天と荒天などは,むしろ反意語ともいうべき同音語のペアであり,ヒントとなる文脈がない限り,頼りとなるのは漢字のみである.ここでは,音声メディアでの識別は諦めて,書記メディアに任せることが前提とされている.日本語が,「ラジオ型言語」ではなく「テレビ型言語」と称される所以だ(「#1655. 耳で読むのか目で読むのか」 ([2013-11-07-1]) を参照).
 しかし,実はもう1つの方法がある.例えば私立と市立のペアについては,訓読みを活用して「わたくしりつ」と「いちりつ」と音読し分けることができる.偏在と遍在,好天と荒天のペアではこのような読み分けの慣用は育っていないが,慣用があるものも少なくない.では,慣用があれば便利だから問題がないかといえば,高島 (154--55) はそうは考えていない.むしろ,そのような慣用の発達のもとにある,テレビ型の同音語の存在そのものが問題であると論じている.

 たとえば「ワタクシリツ(私立)の学校」と「イチリツ(市立)の学校」,「モジテン(字典)」と「コトバテン(辞典)」と「コトテン(事典)」,「エコーギョー(工業)」と「ヤマコーギョー(鉱業)」と「オコシコーギョー(興業),「イトノセーシ(製糸)」と「カミノセーシ(製紙)」,「ワタクシノシアン(私案)と「ココロミノシアン(試案)」等々.
 おもしろいのは,日本人がこういう言いかえや注釈つけをめんどうがらず,むしろたのしげにやっていることさえあることだ.まぎらわしいし,誤解のもとだからこういうことばは廃止しよう,と言う人はめったにいない.むしろ,わざわざまぎらわしい同音の語をあらたにつくる.「字典」「辞典」があるところへもう一つ「事典」をつくる.高等学校の略語「高校」がすでにあるのに,工業高等学校も「工高」と略称する.「排外思想」ということばがすでにあるのに,「拝外思想」ということばをまたつくる.すでに「企業」があるのに,さらにもうひとつ「起業」をつくる(もともと「企業」の意がいま言う「起業」とおなじことなのである.またもしあらたに事業をおこすという特に重点をおいて言いたいのならすでに「創業」という語がある).まぎらわしい同音の語がふえるのをたのしんでいるかのようである.
 音がおなじでも文字がちがえば別,というのが,日本人にとっては,わざわざ言うまでもない当然のことなのである.だから,いくら同音の語ができても平気なのだ.


 日本語母語話者は,日本語がテレビ型言語であることを受け入れ,その問題点にも気づかず,むしろそれを楽しむかのように利用している.多くの人は,指摘されるまで気にしたこともないだろう.確かに,これは驚くべき特異な言語習慣である.

 ・ 高島 俊男 『漢字と日本人』 文藝春秋社,2001年.

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2017-04-19 Wed

#2914. 「日本語は畸型的な言語である」 [grammatology][japanese][kanji][writing][medium][history_of_linguistics]

 昨日の記事「#2913. 漢字は Chinese character ではなく Chinese spelling と呼ぶべき?」 ([2017-04-18-1]) で取り上げた高島の漢字論,そして日本語論はぶっきらぼうな刺激に満ちている.おもしろい.日本語は,文字との付き合い方に注目すれば,すこぶる畸型の言語である,と高島 (243) は明言する.念頭にあるのは「高層」「構想」「抗争」「後送」「広壮」などの同音漢語のことである.

 日本の言語学者はよく,日本語はなんら特殊な言語ではない,ごくありふれた言語である,日本語に似た言語は地球上にいくらもある,と言う.しかしそれは,名詞の単数複数の別をしめさないとか,賓語のあとに動詞が位置するとかいった,語法上のことがらである.かれらは西洋で生まれた言語学の方法で日本語を分析するから,当然文字には着目しない.言語学が着目するのは,音韻と語法と意味である.
 しかし,音声が無力であるためにことばが文字のうらづけをまたなければ意味を持ち得ない,という点に着目すれば,日本語は,世界でおそらくただ一つの,きわめて特殊な言語である.
 音声が意味をにない得ない,というのは,もちろん,言語として健全な姿ではない.日本語は畸型的な言語である,と言わざるを得ない.


 では,日本語のこの問題を解決することができるのか.高島は「否」と答える.畸型のまま成長してしまったので,健全な姿には戻れない,と.「日本語は,畸型のまま生きてゆくよりほか生存の方法はない」 (p. 236) と考えている.
 この悲観論な日本語論について賛否両論,様々に議論することができそうだが,私がおもしろく感じたのは,西洋由来の音声ベースの言語学から見ると,日本語は何ら特別なところのない普通の言語だが,音声と文字との関係をかりそめにも考慮する言語学から見ると,日本語は畸型の言語である,という論法だ.高島は日本語の畸型性を力説しているわけだから,音声と文字との関係をかりそめにも考慮する言語学のほうに肩入れしていることになる.つまり,音声を最重要とみなす主流の近代言語学から逸脱しつつ,音声と比して劣らない文字の価値を信じている,とも読める.
 文字は音声と強く結びついてはいるが,本質的に独立したメディアである.言語学は,そろそろ音声も文字も同じように重視する方向へ舵を切る必要があるのではないか.書き言葉の自立性については,以下の記事を参照.

 ・ 「#1829. 書き言葉テクストの3つの機能」 ([2014-04-30-1])
 ・ 「#2339. 書き言葉の自立性に関する Vachek の議論 (1)」 ([2015-09-22-1])
 ・ 「#2340. 書き言葉の自立性に関する Vachek の議論 (2)」 ([2015-09-23-1])
 ・ 「#2431. 書き言葉の自立性に関する Bolinger の議論」 ([2015-12-23-1])
 ・ 「#2508. 書き言葉の自立性に関する Samuels の議論」 ([2016-03-09-1])
 ・ 「#2819. 話し言葉中心主義から脱しつつある言語学」 ([2017-01-14-1])

 ・ 高島 俊男 『漢字と日本人』 文藝春秋社,2001年.

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2017-04-18 Tue

#2913. 漢字は Chinese character ではなく Chinese spelling と呼ぶべき? [grammatology][kanji][alphabet][word][writing][spelling]

 高島 (43) による漢字論を読んでいて,漢字という表語文字の一つひとつは,英語などでいうところの綴字に相当するという点で,Chinese character ではなく Chinese spelling と呼ぶ方が適切である,という目の覚めるような指摘にうならされた.

漢字というのは,その一つ一つの字が,日本語の「い」とか「ろ」とか,あるいは英語の a とか b とかの字に相当するのではない.漢字の一つ一つの字は,英語の一つ一つの「つづり」(スペリング)に相当するのである.「日」は sun もしくは day に,「月」は moon もしくは month に相当する.英語の一つ一つの単語がそれぞれ独自のつづりを持つように,漢語の一つ一つの単語はそれぞれ独自の文字を持つのである.であるからして,漢字のことを英語で Chinese characters (シナ語の文字)と言うけれど,むしろ Chinese spellings (シナ語のつづり)と考えたほうがよい.
 ときどき,英語のアルファベットはたったの二十六字で,それで何でも書けるのに,漢字は何千もあるからむずかしい,と言う人があるが,こういうことを言う人はかならずバカである.漢字の「日」は sun や day にあたる.「月」は moon や month にあたる.この sun だの moon だののつづりは,やはり一つ一つおぼえるほかない.知れきったことである.漢語で通常もちいられる字は三千から五千くらいである.英語でも通常もちいられる単語の数は三千から五千くらいである.おなじくらいなのである.それで一つ一つの漢字があらわしているのは一つの意味を持つ一つの音節であり,「日」にせよ「月」にせよその音は一つだけなのだから,むしろ英語のスペリングよりやさしいかもしれない.


 確かに,この見解は多くの点で優れている.アルファベットの <a>, <b>, <c> 等の各文字は,漢字でいえば言偏や草冠やしんにょう等の部首(あるいはそれより小さな部品や一画)に相当し,それらが適切な方法で組み合わされることによって,初めてその言語の使用者にとって最も基本的で有意味な単位と感じられる「語」となる.「語」という単位にまでもっていくための部品統合の手続きを「綴り」と呼ぶとすれば,確かに <sun> も <sunshine> も <日> も <陽> もいずれも「綴り」である.アルファベットにしても漢字にしても,当面の目標は「語」という単位を表わすことである点で共通しているのだから,概念や用語も統一することが可能である.
 文字の最重要の機能の1つが表語機能 (logographic function) であることは,すでに本ブログの多くの箇所で述べてきたが(例えば,以下の記事を参照),英語の綴字と漢字が機能的な観点から同一視できるという高島の発想は,改めて文字表記の表語性の原則をサポートしてくれるもののように思われる.

 ・ 「#284. 英語の綴字と漢字の共通点」 ([2010-02-05-1])
 ・ 「#285. 英語の綴字と漢字の共通点 (2)」 ([2010-02-06-1])
 ・ 「#1332. 中英語と近代英語の綴字体系の本質的な差」 ([2012-12-19-1])
 ・ 「#1386. 近代英語以降に確立してきた標準綴字体系の特徴」 ([2013-02-11-1])
 ・ 「#2043. 英語綴字の表「形態素」性」 ([2014-11-30-1])
 ・ 「#2344. 表意文字,表語文字,表音文字」 ([2015-09-27-1])
 ・ 「#2389. 文字体系の起源と発達 (1)」 ([2015-11-11-1])
 ・ 「#2429. アルファベットの卓越性という言説」 ([2015-12-21-1])

 ・ 高島 俊男 『漢字と日本人』 文藝春秋社,2001年.

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2017-02-24 Fri

#2860. 文字の形の相称性の有無 [grammatology][alphabet][kanji][hiragana][katakana][writing][linguistic_relativism]

 文字論では,文字の機能といった抽象的な議論が多くなされるが,文字の形という具体的な議論,すなわち字形の議論は二の次となりがちだ.各文字の字形の発達にはそれ自体の歴史があり,それをたどるのは確かに興味深いが,単発的な話題になりやすい.しかし,このような卑近なところにこそ面白い話題がある.なぜローマン・アルファベットの字形はおよそ左右相称的であるのに対して,漢字や仮名の字形は非相称であるのか.アルファベットの字形には幾何学的な端正さがあるが,漢字やそこから派生した仮名の字形にはあえて幾何学的な端正さから逸脱するようなところがある.これは,なぜなのか.
 もちろん世界の文字種には様々なものがあり,アルファベットと日本語の文字のみを取り出して比較するだけでは視野の狭さは免れないだろう.また,字体の問題は,書写材料や書写道具の歴史とも深く関係すると思われ,その方面からの議論も必要だろう(「#2456. 書写材料と書写道具 (1)」 ([2016-01-17-1]),「#2457. 書写材料と書写道具 (2)」 ([2016-01-18-1]) を参照).しかし,あえて対象を絞ってアルファベットと日本語の文字の対比ということで考えることが許されるならば,以下に示す牧野の「言語と空間」と題する日米比較文化論も興味深く読める (p. 10) .

人工的な空間構成においてアメリカ人は日本人よりも整合性と均衡を考え,多くの場合,相称的空間構成を創る.庭園などはよくひかれる例である.言うまでもなく,日本の庭園は自然の表層の美の人工的再現である.深層の自然は整合的であろうが,表層の自然にはさまざまなデフォルメがあって,およそ均斉のない代物なのである.言語の表記法にも,この基本的な空間構成の原理が出ている.アルファベットはその約半数が,A,H,M,O,T,U,V,W,X,Y のように左右相称である.日本の仮名文字は漢字の模写が出発点で,元が原則として非相称であるから出て来た仮名も一つとして左右相称な文字はない.この点お隣の韓国語の表記法はかなり相称性が強く出ていて興味深い.


 ここに述べられているように,字形と空間の認識方法の間に,ひいては言語と空間との間に「ほとんど密謀的とも言える平行関係」(牧野,p. 11)があるとするならば,これは言語相対論を支持する1つの材料となるだろう.

 ・ 牧野 成一 「言語と空間」 『『言語』セレクション』第2巻,月刊『言語』編集部(編),大修館書店,2012年.2--11頁.(1980年9月号より再録.)

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2017-02-10 Fri

#2846. 言語変化における「世代」 [language_change][kanji][semantic_change][generative_grammar][diachrony][semantic_change][polysemy]

 2月6日の読売新聞朝刊のコーナー「翻訳語事情」に,generation の訳語としての「世代」について,解説があった.本来,「世代」という漢語は「年代」「時代」「代々」「世々代々」ほどの意味で使われていたが,明治後半の教科書などで生物学用語として遺伝的な意味での「世代」が広まっていったという.さらに,19--20世紀にドイツ人文学から「歴史的体験を共有する同年齢層の集団」を意味する用法が哲学,社会学,芸術,文学などにおいて広がった.とりわけカール・マンハイム (1893--1947) が社会学的見地から「世代」を考察したことで,その潮流を受けた日本においても,現代的な意味での「世代」が定着するようになった.
 生物学的な「世代」と社会学的な「世代」とでは,形としては同じ単語であっても,大きな意味の差がある.前者は順に交替していくという意味での段階性を表わすのに対して,後者は同年齢層集団としての継続性が含意される.例えば「団塊の世代」の価値観は,時とともに構成員の年齢は上がっていくものの,それ自体は変化しないという点で継続性があるといえる.
 しかし,解説者の斎藤希史氏によれば,両方の意味において共通しているのは,「世代という語には,世の中を輪切りにして,断絶を意識させる傾向がある」ということだ.だが,冒頭に述べた原義にたち帰れば,「世々代々」とは「世を重ねて未来へ続いていくイメージ」があった.つまり,「世代」と聞いて喚起するイメージは,「世代交替」よりは「世代間交流」のほうに近かった可能性がある.
 「世代」に対する2つのイメージの差は,言語変化を考察するに当たっても示唆的である,生成文法の立場からは,言語変化とは文法変化のことであり,そこでは「世代交代」の発想が原則である.しかし,社会言語学的な立場から見れば,言語変化のイメージは「世代間交流」のほうに近いだろう.年上話者層と年下話者層では,確かに言葉遣いの平均値は異なっているだろうが,個々の話者を見れば,年下の言葉遣いの影響を受ける年上の人もいれば,その逆のケースもある.両話者層は,生まれた年代は異なるものの,現在を含むある幅の期間,(言語)生活を共有しているのだから,その共有の程度に応じて,多少なりとも存在している言語上の格差は薄められるだろう.言語変化は,世代交替によりカクカクと進んでいく側面もあるかもしれないが,世代間交流によりあくまで緩やかに進んでいくという部分が大きいのではないか.
 Bloomfield の言語変化における「世代」の認識も,「#1352. コミュニケーション密度と通時態」 ([2013-01-08-1]) で見たように,「世代間交流」の発想に近かったように思われる.

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