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norman_conquest - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-04-27 09:58

2024-04-25 Thu

#5477. なぜ仏英語には似ている単語があるの? --- 月刊『ふらんす』の連載記事第2弾 [hakusuisha][french][loan_word][notice][rensai][furansu_rensai][norman_conquest][borrowing][voicy][heldio]


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  *

 今年度,白水社の月刊誌『ふらんす』に「英語史で眺めるフランス語」というシリーズタイトルで連載記事を寄稿しています.一昨日『ふらんす』5月号が刊行されました.シリーズ第2回の記事は「なぜ仏英語には似ている単語があるの?」です.今回の記事は以下の小見出しで構成しています.

 ・ 単語が似ているのにはワケがある
 ・ 借用の方向に基づく3つのパターン
 ・ 言語学的な観点に基づく3つのパターン
 ・ 似ている単語を見つけたときには要注意

 仏英語には似ている単語が多く見られます.背景には1066年のノルマン征服とその後の歴史があります.しかし,理由はこれに尽きません.歴史的および言語学的に検討すると,両言語に類似単語が存在する背景には6つのパターンがあるのでス.今回の記事では,具体例を交えつつ,この点を解説しています.
 新年度に新しい外国語としてフランス語を学び始めている方も多いかと思います.そのなかには,すでに英語について知識のある方も少なくないはずです.英語とフランス語の学習は,連動させるのが吉です.その上で英語史の知見も連動させると,学び全体に何倍もの相乗効果が生み出されることを強調したいと思います.この観点から,以下の Voicy 配信回もお聴きいただければ.

 ・ 「#26. 英語語彙の1/3はフランス語!」
 ・ 「#329. フランス語を学び始めるならば,ぜひ英語史概説も合わせて!」
 ・ 「#327. 新年度にフランス語を学び始めている皆さんへ,英語史を合わせて学ぶと絶対に学びがおもしろくなると約束します!」

 シリーズの初回記事については,hellog 記事「#5449. 月刊『ふらんす』で英語史連載が始まりました」 ([2024-03-28-1]) で取り上げていますので,そちらもご覧ください.

 ・ 堀田 隆一 「英語史で眺めるフランス語 第2回 なぜ仏英語には似ている単語があるの?」『ふらんす』2024年4月号,白水社,2024年4月23日.62--63頁.

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2024-04-20 Sat

#5472. 中英語期に英語人名へ姓が導入された背景 (3) [onomastics][personal_name][name_project][norman_conquest][sociolinguistics][by-name][german]

 「#5346. 中英語期に英語人名へ姓が導入された背景」 ([2023-12-16-1]) と「#5451. 中英語期に英語人名へ姓が導入された背景 (2)」 ([2024-03-30-1]) に続き,この話題についての第3弾.昨日の記事「#5471. 中英語の職業 by-name 研究の価値」 ([2024-04-19-1]) で引用・参照した Fransson が,"The Rise of Surnames" と題する節でこの問題を取り上げている.古英語から初期中英語にかけて surname (あるいは by-name)の使用が一般化してきた経緯と背景を読んででみよう (20--21) .

   In Old English times people generally had only one name, the Christian name, and there were a great many such names. But already during this period the need of a second name began to be felt, and a number of such names have been delivered to us . . . . How common these by-names were, is impossible to decide, as we have not sufficient material for this. What we especially want are rolls or books containing the names of the lower people. It is possible, therefore, that by-names were in fairly common use at the end of the Old English period. In the Charters, however, people usually appear without any second names throughout the period.
   In Domesday Book there are many instances of second names, but most persons still appear with a Christian name only. In the beginning of the Middle English period the development advances rapidly, and in the documents from this time second names become more and more common; in the 13th century one rarely finds a person mentioned only by his Christian name.
   The reason why the need of second names became stronger after the conquest is that Christian names were completely changed. Most of those that existed in Old English died out, and instead the Christian names of the Normans came into common use, but there were not so numerous. Thus there were only about 25 male names that were common: it is true that others existed, but they rarely occurred. Within the same village, therefore, one very often meets with persons who have the same Christian name. Owing to this an extra name was required to distinguish such persons; the next stage was to give other persons, too, a second name.
   The Normans had second names when they came to England, and these were added to those that already existed, thus accelerating the development.


 先の記事で触れたのとおおよそ同じ点が指摘されている.ノルマン征服後,洗礼名が英語系からノルマン系に置き換わったが,後者の種類が貧弱だったことが大きく影響している.ある村をランダムに取り上げた調査によると,Willelmus (7回),Robertus (5回),Johannes (3回),Ricardus (3回),Radulphus (3回),Adam (3回),Petrus (3回)等の状況である (Fransson 21fn) .
 また,古英語期より姓を付す習慣は思いのほか定着していた可能性が高く,そこへ同じ習慣をもつノルマン文化が入ってきて,その習慣をより強固なものとした,という事情もあったろう.
 ちなみに,姓を付す慣習の発達は,イングランドでは上記の通り初期中英語期のことだったが,ドイツではもっとずっと遅く,地域によっては14世紀まで稀だったというから驚きだ (Fransson 20fn) .改めてノルマン征服の大きな効果を感じさせる.

 ・ Fransson, G. Middle English Surnames of Occupation 1100--1350, with an Excursus on Toponymical Surnames. Lund Studies in English 3. Lund: Gleerup, 1935.

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2024-03-30 Sat

#5451. 中英語期に英語人名へ姓が導入された背景 (2) [onomastics][personal_name][name_project][norman_conquest][prestige][sociolinguistics][by-name]

 標題に関する以前の記事「#5346. 中英語期に英語人名へ姓が導入された背景」 ([2023-12-16-1]) と重なる部分も多いが,Clark (566--67) に初期近代英語期に "by-name" 「姓」が導入されることになった理由がいくつか述べられている

The most salient contrast between the English personal-name patterns of ca 1100 and those of ca 1300 involves the universalisation of by-naming; for, whereas in tenth- and eleventh-century records by-names scarcely appeared except when needed for distinguishing between individuals of like idionym, late-thirteenth-century documentary practices seldom allowed any baptismal name to stand unqualified. As observed, several convergent causes were at work here: need to compensate for over-reliance on just a few of the baptismal names available, and that at a time when communities were expanding; growth of bureaucracy, and a consequent drive towards onomastic precision; and imitation of the new aristocracy's customs. The precise aetiology of the process is probably undiscoverable, in so far as virtually the only twelfth- and thirteenth-century usages accessible are administrative ones, from which the underlying colloquial ones have to be inferred . . . .


 列挙すると次のようになるだろう.

 ・ 洗礼名の選択肢が少数に限られており,それを by-name で補う必要があったこと
 ・ 共同体が拡大している時期(すなわち多数の人々を名前で区別する必要が高まった時期)だったこと
 ・ お役所的手続きが増し,名前の正確さが求められるようになったこと
 ・ 新しい貴族の習慣が模倣の対象となったこと

 言語的(主に語彙的)要因および社会的要因が複合的に作用して,by-name の慣習が確立していったということである.

 ・ Clark, Cecily. "Onomastics." The Cambridge History of the English Language. Vol. 2. Ed. Olga Fischer. Cambridge: CUP, 1992. 542--606.

Referrer (Inside): [2024-04-20-1] [2024-03-31-1]

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2023-12-16 Sat

#5346. 中英語期に英語人名へ姓が導入された背景 [onomastics][personal_name][name_project][norman_conquest][prestige][sociolinguistics][by-name]

 標記の話題については,いくつかの hellog 記事で取り上げてきた.

 ・ 「#590. last name はいつから義務的になったか」 ([2010-12-08-1])
 ・ 「#2365. ノルマン征服後の英語人名の姓の採用」 ([2015-10-18-1])
 ・ 「#5231. 古英語の人名には家系を表わす姓 (family name) はなかったけれど」 ([2023-08-23-1])
 ・ 「#5338. 中英語期に人名にもたらされた2つの新機軸とその時期」 ([2023-12-08-1])

 ノルマン征服後,英語人名に姓に相当する要素 (last name, family name, surname, by-name) が導入された背景として,一般的には2点が指摘されている.1つは first name の種類が限定された結果,それだけでは個人を特定できなくなったこと.もう1つは,課税や法的書類記載に関わる政治的・官僚的な要因である.
 もう1つ付け加えるならば,ノルマン征服以前も大陸では(そして部分的にはイングランドでも)すでに姓を用いる習慣があるにはあったという事実を指摘しておくことは重要である.上記を含めこの辺りの事情について,Clark (553) が簡潔に説明してくれている.

Patently, such baptismal-name patterns were scarcely adequate for social identification, far less for administrative and legal purposes. By-naming --- that is, supplementation of baptismal names by phrases specifying their bearers in genealogical, residential, occupational or characteristic terms --- became, in England as elsewhere, a general necessity. Such specifying phrases had been in occasional use among English people since well before the Conquest . . . , and all signs are that shrinkage of the name-stock would in any case have soon compelled their general adoption. The Norman Conquest may well, however, have acted as a catalyst to the process, in so far as it brought in a new aristocracy among whom, as is clear not only from Domesday Book but also from the early records surviving from the settlers' homelands in Normandy, France and Flanders, use of by-names, and of territorial ones especially, was already widespread, with even more tentative movements towards family naming . . . . The prestige thus accruing to use of a by-name would hardly have hindered wider adoption of them among the general native population.


 引用の最後にある通り,貴族が採用したことにより姓に威信 (prestige) が付与され,それが庶民の姓の採用を促すことになった,という社会言語学的要因も,もう1つの背景として押さえておきたいところである.

 ・ Clark, Cecily. "Onomastics." The Cambridge History of the English Language. Vol. 2. Ed. Olga Fischer. Cambridge: CUP, 1992. 542--606.

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2023-09-24 Sun

#5263. 10月7日(土),朝カルのシリーズ講座「文字と綴字の英語史」の第3回「中英語の綴字 --- 標準なき繁栄」 [asacul][notice][writing][spelling][orthography][me][standardisation][me_dialect][norman_conquest][link][voicy][heldio]

 約2週間後の10月7日(土)の 15:30--18:45 に,朝日カルチャーセンター新宿教室にてシリーズ講座「文字と綴字の英語史」の第3回となる「中英語の綴字 --- 標準なき繁栄」が開講されます.


10月7日(土),朝カルのシリーズ講座「文字と綴字の英語史」の第3回「中英語の綴字 --- 標準なき繁栄」



 今回の講座は,全4回のシリーズの第3回となります.シリーズのラインナップは以下の通りです.

 ・ 第1回 文字の起源と発達 --- アルファベットの拡がり(春・4月29日)
 ・ 第2回 古英語の綴字 --- ローマ字の手なずけ(夏・7月29日)
 ・ 第3回 中英語の綴字 --- 標準なき繁栄(秋・10月7日)
 ・ 第4回 近代英語の綴字 --- 標準化を目指して(冬・未定)

 これまでの2回の講座では,まず英語史以前の文字・アルファベットの起源と発達を確認し,次に古英語期(449--1100年)におけるローマ字使用の実際を観察してきました.第3回で注目する時期は中英語期(1100--1500年)です.この時代までに英語話者はローマ字にはすっかり馴染んでいましたが,1066年のノルマン征服の結果,「標準英語」が消失し,単語の正しい綴り方が失われるという,英語史上でもまれな事態が展開していました.やや大げさに言えば,個々の英語の書き手が,思い思いに好きなように単語を綴った時代です.これは秩序崩壊とみればネガティヴとなりますが,自由奔放とみればポジティヴです.はたしてこの状況は,後の英語や英語のスペリングにいかなる影響を与えたのでしょうか.英語スペリング史において,もっともメチャクチャな時代ですが,だからこそおもしろい話題に満ちています.講座のなかでは中英語原文も読みながら,この時代のスペリング事情を眺めてみたいと思います.
 講座の参加にご関心のある方は,ぜひこちらのページよりお申し込みください.対面のほかオンラインでの参加も可能です.また,参加登録された方には,後日見逃し配信としてアーカイヴ動画へのリンクも送られる予定です.ご都合のよい方法でご参加ください.全4回のシリーズものではありますが,各回の内容は独立していますので,単発でのご参加も歓迎です.
 本シリーズと関連して,以下の hellog 記事,および Voicy heldio 配信回もご参照ください.

[ 第1回 文字の起源と発達 --- アルファベットの拡がり ]

 ・ heldio 「#668. 朝カル講座の新シリーズ「文字と綴字の英語史」が4月29日より始まります」(2023年3月30日)
 ・ hellog 「#5088. 朝カル講座の新シリーズ「文字と綴字の英語史」が4月29日より始まります」 ([2023-04-02-1])
 ・ hellog 「#5119. 朝カル講座の新シリーズ「文字と綴字の英語史」の第1回を終えました」 ([2023-05-03-1])

[ 第2回 古英語の綴字 --- ローマ字の手なずけ ]

 ・ hellog 「#5194. 7月29日(土),朝カルのシリーズ講座「文字と綴字の英語史」の第2回「古英語の綴字 --- ローマ字の手なずけ」」 ([2023-07-17-1])
 ・ heldio 「#778. 古英語の文字 --- 7月29日(土)の朝カルのシリーズ講座第2回に向けて」(2023年7月18日)
 ・ hellog 「#5207. 朝カルのシリーズ講座「文字と綴字の英語史」の第2回「古英語の綴字 --- ローマ字の手なずけ」を終えました」 ([2023-07-30-1])

[ 第3回 中英語の綴字 --- 標準なき繁栄 ](以下,2023/09/26(Tue)の後記)

 ・ heldio 「#848. 中英語の標準なき綴字 --- 10月7日(土)の朝カルのシリーズ講座第3回に向けて」(2023年9月26日)

Referrer (Inside): [2024-02-03-1]

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2023-08-24 Thu

#5232. 人名・地名の原資料としての Domesday Book [domesday_book][oe][norman_conquest][manuscript][onomastics][name_project][personal_name][toponymy]

 「#5227. 古英語の名前研究のための原資料」 ([2023-08-19-1]) で触れたとおり,Domesday Book は古英語の名前研究の一級の資料である.
 Domesday Book とは何か.一言でいえば,William I が1086年に作らせた,イングランドのほぼ全域を調査した土地台帳(元資料あるいは要約資料)である.慈悲も申し立ての余地もない徹底的な調査ぶりから「最後の審判の日」になぞらえて "Domesday Book" と名付けられた.この名前は12世紀中頃までには一般的な呼称となっていたようである.
 人々の反感を買ったものの,この調査は仕事の細かさと速さの点で,中世においておそらく最も偉大な行政的な業績だった.調査は7--8人の委員によって実施され,各々が異なる地域を担当して,王と直接受封者の所領に関する詳細な報告書を編纂した.これらの報告書から王の書記官たちが要約を作成したもの,それが Domesday Book である.
 単数形で Domesday Book と呼ばれていますが、実際には異なる2つの巻から成り立っている.第1巻 (Great Domesday) は,Essex, Norfolk, Suffolk を除くすべての州の要約記録を含んでいる.これらの3つの州に関しては,要約ではない完全な報告が第2巻 (Little Domesday) に保存されている.
 Domesday Book の名前資料としての価値と「使用上の注意」について,Clark (453--54) が解説していることを引用しよう.

For late OE name-forms of both kinds Domesday Book (DB) is the prime source; for many place-names, those from the North especially, it furnishes the earliest record extant . . . . DB proper consists of two volumes (recently rebound as five), always part of the state archives and now housed in the Public Record Office, wherefore they are together known as the 'Exchequer Domesday'. The two sections are, it must be emphasised, of different standing: 'Little DB', which deals with Norfolk, Suffolk and Essex, represents a redaction earlier and fuller --- therefore more useful to onomasticians --- than that of 'Great DB', which deals with the rest of the Conqueror's English realm. There are also various related records, usually known as 'satellites', some (like Exon DB) official, others private . . .; on matters ranging from administrative procedure to orthography, these supplement the information given by the Exchequer volumes. Although DB as it stands results from a survey undertaken in 1086, roughly half the material there dates back to pre-Conquest times. Based as they were upon enquiries made by several panels of commissioners who collected documentary as well as oral evidence and interrogated alike French-speaking post-Conquest settlers and survivors of the pre-Conquest land-holding classes, the extant DB texts, in which the commissioners' returns have to varying degrees been recast, need careful handling. At the orthographical level, basic to onomastic study, they are notoriously unreliable. For one thing, not all the scribes used the traditional OE orthography . . . . For another, working conditions were unpropitious: name-material, unlike common vocabulary, cannot be predicted from context, and so the DB clerks, interpreting utterances of witnesses from varied linguistic backgrounds, sometimes perhaps toothless ancients, and editing drafts that bristled with unfamiliarities, were liable to mishear, misread, misunderstand, miscopy or otherwise mangle the forms. Only lately has appreciation of the types and degrees of scribal error in DB made progress enough for former broad assumptions --- for instance, about 'Anglo-Norman influences' --- to be gradually replaced by recognition of specific auditory and visual confusions.


 ・ Clark, Cecily. "Onomastics." The Cambridge History of the English Language. Vol. 1. Ed. Richard M. Hogg. Cambridge: CUP, 1992. 452--89.

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2023-04-17 Mon

#5103. 支配者は必ずしも自らの言語を被支配者に押しつけるわけではない [linguistic_imperialism][linguistic_ideology][norman_conquest][norman_french][link][review]


山本 冴里(編) 『複数の言語で生きて死ぬ』 くろしお出版,2022年.



 英語史において,1066年のノルマン征服はきわめて大きなインパクトをもつ.その意義について,本ブログでも norman_conquest の多くの記事で取り上げてきた.1066年の後,確かに英語はフランス語の支配下に置かれ,その社会的地位は失墜したものの,英語話者のほぼすべてが英語話者にとどまり,フランス語化したわけではなかった.征服者であるノルマン人自身はイングランド支配に際して自らの言語であるノルマン・フランス語を使い続けたが,それを被征服者であるイングランド人に(少なくともイングランド人一般に)押しつけようとした形跡はない.
 支配者が自らの言語を被支配者に押しつけてきた例は,確かに古今東西みられる.実際,大日本帝国は植民地に日本語を押しつけてきた.しかし,支配者は必ずしも自らの言語を被支配者に押しつけるわけではない.
 山本冴里(編)『複数の言語で生きて死ぬ』(くろしお出版,2022年)の第1章「夢を話せない --- 言語の数が減るということ」(山本冴里)に,次のようにある (pp. 9--10) .

しかし,植民地に暮らす人すべてに対して自らの言語を強制することは,支配者側にとっても利益ばかりにつながるわけではなく,多大なコストと相当のリスクを伴う行為でもあって,ゆえにそう頻繁には採用されない.コストとは教育や管理にかかる時間と費用だ.リスクは,言語を押しつけられた側からの反発や,支配者側の言語を身につけた被支配者側の者が,その言語を武器として,支配者に対して批判のできるような,より広い舞台に立つ可能性である.だからこそ,過去に列強と呼ばれる国々が行なった植民地政策においては,被支配者グループのすべてではなく,ただ上流階級,管理層のみを対象に支配者側の言語教育を行う場合もあったし(したがって,管理層に入りたければ支配者側の言語を習得することが必須となった),より広く言語教育を供給するにしても,庶民に対しては「読み書き」を軽視または実質的に禁じ,「話し聞く」ことばかりを推奨する土地もあった (Migge & Léglise 2007) .


 本ブログでは言語帝国主義 (linguistic_imperialism) に関わる議論を多く取り上げてきたが,とりわけ今回の話題に関係するものを挙げておきたい.

 ・ 「#1461. William's writ」 ([2013-04-27-1])
 ・ 「#5041. 英語帝国主義の議論のために」 ([2023-02-14-1])
 ・ 「#1784. 沖縄の方言札」 ([2014-03-16-1])
 ・ 「#3315. 「ラモハン・ロイ症候群」」 ([2018-05-25-1])

 ・ 山本 冴里(編) 『複数の言語で生きて死ぬ』 くろしお出版,2022年.

Referrer (Inside): [2023-04-20-1] [2023-04-19-1]

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2023-02-07 Tue

#5034. ヘボン式ローマ字表記は本当に英語に毒されている? [youtube][notice][romaji][digraph][h][spelling][orthography][french][norman_conquest][link][alphabet]

 一昨日公開された YouTube 「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」の最新回では,英語史の観点から日本語を表記するためのローマ字について,とりわけヘボン式ローマ字について語っています.「最近よく見かける shi,chi,ji などのローマ字表記は,実は英語的ではない!」です.17分弱の動画となっております.どうぞご視聴ください.



 今回依拠したローマ字使用に関するデータは,昨年9月30日に文化庁より公開された,2021年度の「国語に関する世論調査」の結果です.詳細は「令和3年度「国語に関する世論調査」の結果について」 (PDF) よりご確認いただけます.
 日本語を表記するためのローマ字の使用については,これまでも様々な議論があり,本ブログでも romaji の記事群で多く取り上げてきました.今回の YouTube 動画ととりわけ関連の深い記事へのリンクを張っておきますので,合わせてご参照ください.

 ・ 「#3427. 訓令式・日本式・ヘボン式のローマ字つづり対照表」 ([2018-09-14-1])
 ・ 「#1892. 「ローマ字のつづり方」」 ([2014-07-02-1])
 ・ 「#1879. 日本語におけるローマ字の歴史」 ([2014-06-19-1])
 ・ 「#2550. 宣教師シドッチの墓が発見された?」 ([2016-04-20-1])
 ・ 「#4905. 「愛知」は Aichi か Aiti か?」 ([2022-10-01-1])
 ・ 「#4925. ローマ字表記の揺れと英語スペリング慣れ」 ([2022-10-21-1])
 ・ 「#1893. ヘボン式ローマ字の <sh>, <ch>, <j> はどのくらい英語風か」 ([2014-07-03-1])
 ・ 「#3251. <chi> は「チ」か「シ」か「キ」か「ヒ」か?」 ([2018-03-22-1])

 日本語社会がいかにしてローマ字というアルファベット文字体系を受容し,改変し,手なずけようとしてきたかを振り返ることは,これから英語を始めとする世界中の言語や文字とどう付き合っていくかを考える上でも大事なことだと考えます.今回の動画を通じて,日本語を表記するためのローマ字使用について改めて考えてみてはいかがでしょうか.

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2021-10-03 Sun

#4542. 中英語の人名のトレンド [onomastics][personal_name][me][norman_conquest]

 「#4539. アングロサクソン人名の構成要素」 ([2021-09-30-1]) で古英語の人名の傾向をみたので,続いて中英語の人名のトレンドも覗いてみたい (Coates 320--21) .すでに以下の記事などで述べてきたとおりだが,基本的にはノルマン征服を境に,古英語の人名の大多数が受け継がれずに消え,新たにフランス語かぶれの人名が流入し人気を博したといってよい.

 ・ 「#813. 英語の人名の歴史」 ([2011-07-19-1])
 ・ 「#590. last name はいつから義務的になったか」 ([2010-12-08-1])
 ・ 「#2364. ノルマン征服後の英語人名のフランス語かぶれ」 ([2015-10-17-1])
 ・ 「#2365. ノルマン征服後の英語人名の姓の採用」 ([2015-10-18-1])
 ・ 「#3902. 純アングロサクソン名の Edward, Edgar, Edmond, Edwin」 ([2020-01-02-1])

 フランス語かぶれの人名という言い方をしたが,厳密にいえばフランス語を経由して入ってきた人名ということであり,起源を探ればフランス語ではなく別の言語に起源をもつ名前がほとんどである.おおまかに2種類に分けられる.
 1つは,もともとは英語自身が属している西ゲルマン語に由来する人名で,それがフランス語を経由して再び英語に戻ってきたとでもいうべき人名である.William, Robert, Richard, Gilbert, Alice, Eleanor, Rose/Rohais, Maud などが挙げられる.いずれもフランス語ぽい香りがするが,実はもとはゲルマン系の人名である.
 もう1つは聖書に現われる人物や,人気のある聖人にちなむ名前で,Adam, Matthew, Bartholomew, James, Thomas, Andrew, Stephen, Nicholas, Peter/Piers, John; Joan, Anne, Margaret/Margery などが挙げられる.12世紀後半からは Mary が,14世紀からは Christopher なども入ってきている.
 その他,アーサー王伝説の有名な登場人物の名前として Arthur, Guenevere, Launcelot や,ブルトン語からの Alan などもあったが,さほど目立たない.
 現代でも世代によって人気のある名付けというのは異なるものだが,中英語期も同じで,はやりすたりがあったようである.

 ・ Coates, Richard. "Names." Chapter 6 of A History of the English Language. Ed. Richard Hogg and David Denison. Cambridge: CUP, 2006. 312--51.

Referrer (Inside): [2023-12-09-1]

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2021-07-07 Wed

#4454. 英語とイングランドはヴァイキングに2度襲われた [old_norse][norman_conquest][terminology]

 英語史概説の講義などの経験から,英語史上,混同や誤解が生じやすい事項というものがいくつかある.ヴァイキングとノルマン人の関係も,そのうちの1つである.今回は,この分かりにくさを解消したい.まず,英語史上重要な2つの事件について基本事項を整理する.

 (1) 英語史では,8世紀後半から11世紀にかけて北欧出身のヴァイキング (Vikings) あるいはノルド人 (the Norse) がイングランド(とりわけ北部)に侵攻・定住したという出来事について,必須の話題として取り上げられる.このときヴァイキングの母語である古ノルド語 (Old Norse) が英語に多大な影響を及ぼしたからだ.

 (2) 一方,その直後の時期に当たる1066年に,有名なノルマン征服 (Norman Conquest) が起こった.イギリス海峡の南側,フランス北部のノルマンディ (Normandy) に居住していたノルマン人 (Normans) が,アングロサクソン王朝を征服し滅亡させたという大事件である.そのノルマン人のリーダーがノルマンディ公ギヨーム (Guillaume) であり,英語風にいうとウィリアム (William) である.この人物が同年クリスマスにイングランド王として戴冠して,後にウィリアム1世 (William I) と呼ばれるようになった.英語史上重要なのは,ウィリアムを含めたノルマン人がフランス語(正確にはノルマン方言のフランス語)を母語としており,その後の3世紀にわたってイングランドをフランス語支配の下に置いた点にある.この期間に,英語はフランス語からの影響を大きく被ることになった.

 この英語史上重要な2つの事件は,一般には別々の事件としてとらえられているが,それは誤解である.時期的に隣り合わせであることからも示唆される通り,実際にはおおいに関係しているのであり,関連づけて理解しておくことが重要である.各々の事件で「ノルド」と「ノルマン」という似た名前が出てくるが,これも混同されやすい.それも当然で,語源はいずれも "north" に関係するのだ (cf. 「#1568. Norman, Normandy, Norse」 ([2013-08-12-1])).やはり2つの事件を関連づけて理解しておかないと混乱が増す.
 まず重要なポイントは,2つの事件の両方において,イングランドを侵攻・征服したのは北欧出身のヴァイキングだったということだ.つまり,イングランドは歴史上ヴァイキングに2度襲われたと理解しておいてよい.ただし,1度目と2度目のヴァイキングのタイプは,かなり異なっている.1度目のヴァイキングは,北欧から直接やってきたヴァイキング,つまり正真正銘のヴァイキングである.彼らの母語は,英語と同じゲルマン語派に属する古ノルド語だ.英語は西ゲルマン語群,古ノルド語は北ゲルマン語群に属し,少し派閥が異なるが,緩くいえば兄弟のような関係である.
 ところが,2度目のヴァイキングは様子が異なっていた.彼らは,ヴァイキングの末裔ではあったが,長らくフランス北部に住み着き,1066年の征服の頃までにはすっかり古ノルド語を忘れてしまっていたのだ.彼らの母語はすでにフランス語となっており,生活習慣もフランス化していた(フランス語はイタリック語派の言語なので,英語とは大きく異なる).この歴史的背景を略述すると以下の通りである.
 数世代遡った彼らの祖先は確かに正真正銘のヴァイキングだった.この祖先たちは正真正銘のヴァイキングとして,イングランドを襲ったのと同じタイミングでフランス北部も襲っていたのである.フランス北部を攻略したヴァイキングは,その地を獲得し,その代わりにフランス王に臣従を誓った.新しい土地の名は北欧由来であることを示す「ノル」マンディ (Normandy) となり,そこに住み着くことになった人々も北欧由来なので「ノル」マン人 (Normans) と呼ばれるようになった.しかし,その後数世代でノルマン人はすっかり言語も習慣もフランス化してしまった.ウィリアムは血統としてはヴァイキングであるが,事実上フランス人と化していたのである.
 以上をまとめると次のようになる.

事件ファイル事件名時期侵攻者侵攻者の居住地侵攻者の母語
事件 (1)「ヴァイキングの侵攻・定住」8世紀後半から11世紀にかけて正真正銘のヴァイキング北欧(主にデンマーク)古ノルド語
事件 (2)「ノルマン征服」1066年ノルマン人というフランス化したヴァイキングの末裔(リーダーはウィリアム)フランス北部(ノルマンディ)フランス語(ノルマン方言)

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2020-10-06 Tue

#4180. 講座「英語の歴史と語源」の第7回「ノルマン征服とノルマン王朝」を終えました [asacul][notice][norman_conquest][monarch][french][history][link][slide]

 「#4170. 講座「英語の歴史と語源」の第7回「ノルマン征服とノルマン王朝」のご案内」 ([2020-09-26-1]) でお知らせしたように,10月3日(土)の15:30?18:45に,朝日カルチャーセンター新宿教室にて「英語の歴史と語源・7 ノルマン征服とノルマン王朝」と題する講演を行ないました.久し振りのシリーズ再開でしたが,ご出席の皆さんとは質疑応答の時間ももつことができました.ありがとうございます.
 ノルマン征服 (norman_conquest) については,これまでもその英語史上の意義について「#2047. ノルマン征服の英語史上の意義」 ([2014-12-04-1]),「#3107. 「ノルマン征服と英語」のまとめスライド」 ([2017-10-29-1]) 等で論じてきましたが,今回の講座では,ノルマン征服という大事件のみならず,ノルマン王朝イングランド (1066--1154) という88年間の時間幅をもった時代とその王室エピソードに焦点を当て,そこから英語史を考え直すということを試してみました.いかがだったでしょうか.講座で用いたスライドをこちらに公開しておきます.以下にスライドの各ページへのリンクも張っておきます.

   1. 英語の歴史と語源・7 「ノルマン征服とノルマン王朝」
   2. 第7回 ノルマン征服とノルマン王朝
   3. 目次
   4. 1. ノルマン征服,ten sixty-six
   5. ノルマン人とノルマンディの起源
   6. エマ=「ノルマンの宝石」
   7. 1066年
   9. ノルマン王家の仲違いとその後への影響
   10. ウィリアム2世「赤顔王」(在位1087--1100)
   11. ヘンリー1世「碩学王」(在位1100--1135)
   12. 皇妃マティルダ(生没年1102--1167)
   13. スティーヴン(在位1135--1154)
   14. ヘンリー2世(在位1154--1181)
   15. 3. 英語への社会的影響
   16. ノルマン人の流入とイングランドの言語状況
   17. 4. 英語への言語的影響
   18. 語彙への影響
   19. 綴字への影響
   20. ノルマン・フランス語と中央フランス語
   21. ノルマン征服がなかったら,英語は・・・?
   22. まとめ
   23. 補遺: 「ウィリアムの文書」 (William’s writ)
   24. 参考文献

 次回は12月26日(土)の15:30?18:45を予定しています.話題は,今回のノルマン王朝に続くプランタジネット王朝の前期に注目した「ジョン失地王とマグナカルタ」についてです.いかにして英語がフランス語の「くびき」から解放されていくことになるかを考えます.詳細はこちらからどうぞ.

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2020-10-01 Thu

#4175. 「なぜ英語とフランス語は似ているの?」の記事紹介 [french][history_of_french][norman_conquest][norman_french][sobokunagimon][hel_education][notice]

 三省堂のことばのコラムのシリーズとして,「歴史で謎解き!フランス語文法(フランス語教育 歴史文法派)」が展開しています.今回は,英語史との関連でその第18回「なぜ英語とフランス語は似ているの?」の記事をご紹介します.英語史の学徒として実に読みやすく,英仏海峡の向こうから英語史を記述してもらったようで,こそばゆいような,瑞々しいような気持ちになりました.英語とフランス語に関心のあるすべての方に一読をお薦めします.
 英語史の専門家がフランス語史を学ぶことは重要ですし,フランス語史に通じている方より英語史に関心を示してもらえるのは,お互いにメリットのあることだと思っています.学界的にも,この辺りの相互交流が欠如しているのは残念なことだと思っています.中世ヨーロッパにおいては現代のような厳密な国境意識はなく,言語的にいえば multilingual な世界が常態だったわけですから.今回の記事で扱われている時期の「イギリス」でも,「国語」が英語だったのか,フランス語だったのか,はたまたラテン語だったのか,はっきりしません.西欧近代諸国の「標準語」とて,背後にあるイギリス,フランス,ドイツ等の主権国家の「主たる言語」が前面に出てきたにすぎないわけです.
 21世紀の現在,英語が世界的な言語となったのは歴史の偶然にすぎません.英語という言語の本質的な力によるものではなく,主に18世紀から20世紀まで続いたイギリス,アメリカという二大国家の覇権のなせるわざです.
 そのような覇権的な動きが始まる近代より前の時代に焦点を移せば,ヨーロッパには「主権国家」もなければ「国語」も,厳密な意味においてはありませんでした.英語もヨーロッパのありふれた言語の1つにすぎませんでした.英語が大陸のゲルマン語にルーツを持ちつつも,同じく大陸のラテン系のロマンス諸語と長らく接触してきた歴史を,この機会にあらためて顧みてはいかがでしょうか.

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2020-09-26 Sat

#4170. 講座「英語の歴史と語源」の第7回「ノルマン征服とノルマン王朝」のご案内 [asacul][notice][norman_conquest][french][history][link]

 10月3日(土)の15:30?18:45に,朝日カルチャーセンター新宿教室にて「英語の歴史と語源・7 ノルマン征服とノルマン王朝」と題する講演を行ないます.趣旨は以下の通りです.

1066年のノルマン征服はイギリス史上最大の事件といわれますが,英語史の観点からも,その後の英語がたどってゆく進路を大きく方向づけた点できわめて重大な出来事でした.以後,英語はノルマン王朝の公用語であるフランス語との接触を強め,主に語彙,語法,綴字の領域で大きな言語的影響を被ることになりました.また,当時英語が一時的にフランス語のくびきの下で社会的権威を奪われ,標準形をも失ったという事実は,近代以降の英語の世界的な発展を思うとき,実に意味深長です.本講座で,ノルマン征服の英語史上の意義を改めて考えてみましょう.


 ノルマン征服とは? ノルマン人とは何者? 彼らは何語を話していたのか? イングランドや英語とはどのような関係があるのか? 現代の英語にいかなる影響を及ぼしたのか? 英国史のみならず英語史においても計り知れないインパクトをもつ1066年の事件とその余波に迫ります.
 本シリーズもしばらく中断を余儀なくされていましたが,久し振りの再開となります.関心のある方は是非お申し込みください.よろしくどうぞ.

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2020-07-21 Tue

#4103. 頭韻のあり方の分水嶺はやはり1066年? [alliteration][prosody][meter][norman_conquest]

 ゲルマン語の韻律上の伝統としての頭韻 (alliteration) は,英語史においても古英語から現代英語まで連綿と続いている.しかし,韻文の技巧という観点からみると,韻律論的にも文学的にも,古英語と中英語の間に明確な断絶があるとされている.この過渡期には,表面的には同じ頭韻が行なわれ続けているようにみえても,頭韻を司る抽象的な韻律上の規則に注目すれば,伝統は忠実には保持されておらず,せいぜい「崩れた」形で継承されているにすぎない.継承か断絶かという議論は古くからあるが,少なくとも「そのままの継承」でないことは明白だ.
 では,かりに断絶とみたとき,その分水嶺はいつ頃なのか.まさか,お約束のように,かの1066年ではないだろうと思っていたところ,「いや実に1066年なのだ」という Minkova (339) の記述に出会い面食らった.

The 1065 poem The Death of Edward is the last composition that can be described reasonably as belonging to the Classical metrical tradition of Anglo-Saxon versification. Very revealing in this respect are the statistics and the comments presented in Cable (1991: 54--5). He notes one single metrically dubious verse (soþfæste sawle 'soothfast soul' (28a)) in the sixty-eight verses of The Death of Edward, while on the other side of the 1066 chronological divide the next extant poem with prominent alliteration, Durham, composed c. 1100, shows a very high level of unmetricality. In Durham 38.1 per cent of the forty-two verses fail to conform to the classical rules. Thus, while the cataclysmic effect of the Norman Conquest with respect to changes affecting phonology and morphosyntax can be questioned, the demarcation line in terms of versification modes is clearer, at least within the inevitable limitations imposed by the surviving texts.


 さすがにピンポイントに1066年ということを強調しているわけではないが,象徴的にはやはりこの年代のようだ.引用でも述べられている通り,英語も自然言語である以上,音韻論や形態統語論がある年代にガクンと変わるということは考えにくい.その点では韻律論も同じだろう.しかし,韻律論と関係は深いが韻律論そのものではない韻文の技巧として頭韻規則を眺める場合,ある年代を境に1つの規則から別の規則にガクンと変化するということはあり得るかもしれない.この場合の規則とは社会制度に近いもので,社会制度とはある日を境にして人々が一方から他方に意識的に乗り換えることができる代物だからだ.
 古英語末期の The Battle of Maldon などでも伝統的なリズムからは逸脱していると言われており,分水嶺としての1066年を額面通りに受け入れることはできないにせよ,象徴的な意義は認めてよいだろう.

 ・ Minkova, Donka. A Historical Phonology of English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2014.
 ・ Cable, Thomas. The English Alliterative Tradition. Philadelphia: U of Pennsylvania P, 1991.

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2020-04-05 Sun

#3996. ノルマン征服の英語史上の意義は強調されすぎ? [norman_conquest][history]

 「#2047. ノルマン征服の英語史上の意義」 ([2014-12-04-1]) やその他の記事 (norman_conquest) で,この1066年の著名な事件のもつ英語史へのインパクトを様々に紹介してきたが,Mengden (29--30) は事件の意義をややトーンダウンした形で伝えようとしている.意義は確かに大きいが,少し強調されすぎなのではないかというスタンスだ.耳を傾けてみよう.

The events of the year 1066 seem to have been the consequence of a series of steps by the Norman nobility to gain political influence in England --- a development always accompanied by support from an influential pro-Norman party in the Anglo-Saxon aristocracy. It is therefore feasible to assume that the intensity of French influence, although traceable, is not considerably greater in the years immediately following the Norman Conquest than it is before. From this perspective, the Norman Conquest stabilizes, but by no means ignites or reinforces, the growing intensity of Anglo-Norman relations. As such, William's victory at Hastings may be seen as one of several important events that pave the way for the enormous influence that French exerts on English in the 13th and 14th centuries. The beginnings of this development are clearly part of the history of Old English rather than of Middle English.


 ポイントは,ノルマン・フランス(語)の英語への影響は事件以前からあり,事件によってすぐに拡大したわけではないという点だ.その後,事件の効果がジワジワと効いてきたというのは確かだろうが,結果的には数世紀間続くことになるフランス語による影響の全体像のなかに位置づけるならば,1066年は前半の1コマにすぎない.全体像の開始こそが重要とみるのであれば,1066年ではなく,それより前の古英語末期を指摘しなければならない.このような議論だ.
 やや冷めた目ではあるが,いくつかの事実を指摘しており,おもしろい見方だと思う.関連して「#2685. イングランドとノルマンディの関係はノルマン征服以前から」 ([2016-09-02-1]),「#302. 古英語のフランス借用語」 ([2010-02-23-1]) を参照.

 ・ Mengden, Ferdinand von. "Periods: Old English." Chapter 2 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 19--32.

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2020-01-02 Thu

#3902. 純アングロサクソン名の Edward, Edgar, Edmond, Edwin [anglo-saxon][oe][onomastics][personal_name][etymology][norman_conquest]

 「#2364. ノルマン征服後の英語人名のフランス語かぶれ」 ([2015-10-17-1]) でみたように,古英語期,すなわち1066年のノルマン征服より前の時代には当たり前のようにイングランドで用いられていたアングロサクソン人名の多くが,征服後に一気に衰退した.標題の名前は,生き残った純正アングロサクソン男性名の代表例である(「#2547. 歴代イングランド君主と統治年代の一覧」 ([2016-04-17-1]) よりアングロサクソン諸王の名前を確認されたい).
 いずれも複合語であり,第1要素に Ed- がみえる.これは古英語の名詞 ēad (riches, prosperity, good, fortune, happiness) を反映したものである(すでに廃語).「裕福」という縁起のよい意味だから人名には多用された.Edwardēad + weard (guardian) ということで「富を守る者」が原義である.Edgarēad + gār (spear) ということで「富裕な槍持ち」といったところか.Edmond/Edmundēad + mund (protection) ということで「富貴の守り手」ほどの意となる(この第2要素は Raymond, Richmond にもみられる).Edwineēad + wine (friend) ということで「富の友」である(この第2要素は Baldwin にもみられる).
 なお Edith は女性名となるが,第1要素はやはり ēad である.これに gūþ (war) が複合(および少し変形)した,勇ましい名前ということになる.
 現代に生き残るこのような純アングロサクソン名(残念ながら多くはない)を利用して,古英語の単語や語源について学ぶのもおもしろい.

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2019-11-02 Sat

#3841. Whitby の宗教会議(664年)の英語史上の意義 [history][christianity][norman_conquest]

 英語史関連の年表を眺めていると,たいてい標記の Whitby の宗教会議 (Synod of Whitby) が項目として挙げられている(以下の記事の年表を参照).

 ・ 「#1419. 橋本版,英語史略年表」 ([2013-03-16-1])
 ・ 「#2526. 古英語と中英語の文学史年表」 ([2016-03-27-1])
 ・ 「#2562. Mugglestone (編)の英語史年表」 ([2016-05-02-1])
 ・ 「#2871. 古英語期のスライド年表」 ([2017-03-07-1])
 ・ 「#3193. 古英語期の主要な出来事の年表」 ([2018-01-23-1])
 ・ 「#3624. 安藤貞雄『英語史入門』の英語史年表」 ([2019-03-30-1])

 この宗教会議は,どのような会議だったのか.『英米史辞典』 によると次の通りである.

Whitby, Synod of 〔英〕 ホイットビー教会会議 663/664年,ノーサンブリア (Northumbria) 王オズウィ (Oswy) により,領内のホイットビー(現在はノース・ヨークシャーの沿岸都市)で,宗教問題解決のために開かれた会議.ノーサンブリアではケルト教会 (Celtic Church) 系のキリスト教会が先に広まり,遅れてローマ教会系のキリスト教が伝わったが,それとともに,両者の軋轢が強まった.特に,復活祭 (Easter) の日取りそのほかをめぐって対立が目立つようになり,ノーサンブリア教会としてはどちらの教会のしきたりを採用するべきかを決定する必要に迫られた.その結果,この会議が招集され,ケルト教会側はリンディスファーン (Lindisfarne) 司教コールマン (Coleman),ローマ教会側はウィルフリッド (Wilfrid) が代表となって論戦を展開したが,結局,オズウィの支持により,ローマ教会方式の採用が決定した.これを機に,ケルト教会が有力であったアングロ・サクソン諸国もノーサンブリアの例にならい,8世紀中にはウェールズ・スコットランド・アイルランドの教会もローマ教会を受け入れた.この会議は,ブリテン島やアイルランドのキリスト教がローマ教会により統一され,ヨーロッパ大陸の教会と一体化する契機を作った.


 Whitby の宗教会議の歴史的な意義は,引用の最後にも述べられているとおり,ブリテン諸島を大陸側へグイッと引きつけた点にある.これを契機に,北方の海・島の文化圏が南方の大陸の文化圏へ接近することになった.664年とは,ブリテン諸島がある意味で北から南へと旋回した象徴的な年なのである.それからほぼ400年後,1066年のノルマン征服により,その北から南への旋回はスピードを増すことになった.
 英語史の観点から考えてみよう.ノルマン征服の英語史上の意義は,つとに知られている (cf. 「#2047. ノルマン征服の英語史上の意義」 ([2014-12-04-1]),「#3107. 「ノルマン征服と英語」のまとめスライド」 ([2017-10-29-1])) .端的にいえば,フランス語(およびラテン語)からの影響が強まったということだ.これは言語学的な意味での「北から南への旋回」である.しかし,その旋回の下準備として4世紀前の Whitby の宗教会議があったと解釈すると,俄然この会議の存在が重くみえてくる.あくまで間接的な意義というべきものだが,英語史的にも象徴的な会議だったといえそうだ.

 ・ 松村 赳・富田 虎男 『英米史辞典』 研究社,2000年.

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2018-10-29 Mon

#3472. 慶友会講演 (1) --- 「歴史上の大事件と英語」 [keiyukai][hel_education][slide][christianity][runic][latin][loan_word][bible][norman_conquest][french][ame_bre][spelling][webster][history]

 一昨日,昨日と「#3464. 大阪慶友会で講演します --- 「歴史上の大事件と英語」と「英語のスペリングの不思議」」 ([2018-10-21-1]) で案内した大阪慶友会での講演が終了しました.参加者のみなさん,そして何よりも運営関係者の方々に御礼申し上げます.懇親会も含めて,とても楽しい会でした.
 1つめの講演「歴史上の大事件と英語」では「キリスト教伝来と英語」「ノルマン征服と英語」「アメリカ独立戦争と英語」の3点に注目し「英語は,それを話す人々とその社会によって形作られてきた歴史的な産物である」ことを主張しました.休憩を挟んで180分にわたる長丁場でしたが,熱心に聞いていただきました.通時的な視点からみることで,英語が立体的に立ち上がり,今までとは異なった見え方になったのではないかと思います.
 この講演で用いたスライドを,以下にページごとに挙げておきます.

   1. 「歴史上の大事件と英語」
   2. はじめに
   3. 英語史の魅力
   4. 取り上げる話題
   5. I. キリスト教伝来と英語
   6. 「キリスト教伝来と英語」の要点
   7. ブリテン諸島へのキリスト教伝来
   8. 1. ローマン・アルファベットの導入
   9. ルーン文字とは?
   10. ルーン文字の起源
   11. 知られざる真実 現存する最古の英文はルーン文字で書かれていた!
   12. 古英語アルファベットは27文字
   13. 2. ラテン語の英語語彙への影響
   14. ラテン語からの借用語の種類と謎
   15. 外来宗教が英語と日本語に与えた言語的影響の比較
   16. 3. 聖書翻訳の伝統の開始
   17. 各時代の英語での「主の祈り」の冒頭
   18. 聖書に由来する表現
   19. 「キリスト教伝来と英語」のまとめ
   20. II. ノルマン征服と英語
   21. 「ノルマン征服と英語」の要点
   22. 1. ノルマン征服とは?
   23. ノルマン人の起源
   24. ノルマン人の流入とイングランドの言語状況
   25. 2. 英語への言語的影響は?
   26. 語彙への影響
   27. 英語語彙におけるフランス借用語の位置づけ
   28. 語形成への影響
   29. 綴字への影響
   30. 3. 英語への社会的影響は?
   31. 堀田,『英語史』 p. 74 より
   32. 「ノルマン征服と英語」のまとめ
   33. III. アメリカ独立戦争と英語
   34. 「アメリカ独立戦争と英語」の要点
   35. 1. アメリカ英語の特徴
   36. 綴字発音 (spelling pronunciation)
   37. アメリカ綴字
   38. アメリカ英語の社会言語学的特徴
   39. 2. アメリカ独立戦争(あるいは「アメリカ革命」 "American Revolution")
   40. アメリカ英語の時代区分
   41. 独立戦争とアメリカ英語
   42. 3. ノア・ウェブスターの綴字改革
   43. ウェブスター語録 (1)
   44. ウェブスター語録 (2)
   45. ウェブスターの綴字改革の本当の動機
   46. 「アメリカ独立戦争と英語」のまとめ
   47. おわりに
   48. 参考文献

Referrer (Inside): [2018-10-31-1] [2018-10-30-1]

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2018-10-10 Wed

#3453. ノルマン征服がイングランドの地名に与えた影響 [toponymy][onomastics][norman_conquest][me_dialect]

 デイヴィスとレヴィット (168--69) は,ノルマン征服 (norman_conquest) が地名(史)に及ぼしたインパクトについて次のように述べている.

英語圏内にみられる様々な方言への分岐が加速されたことであった.このため,英語は統治のための手段ではなくなり,全国どこでも通じる意志〔ママ〕伝達の均一の手段ではなくなってしまった.また,以前とは違って,教育や文学のための言語でもなくなった.その結果,どんな言語にでも常に息づいている,方言として周囲に拡散する傾向が自由を得て,これまで英語に存在していた保守的な勢力が消滅していった.従って,英語は豊かな方言形式を発達させ,方言は地名に大きな影響を与えた.地名の成立にではなく,時代を経ての地名継承のあり方に大きな影響を及ぼした.


 この点はなるほどと思った.標準語が存在する言語においては,一般語彙に関して,広く通用する「標準形」と各地で行なわれる種々の「方言形」がありうる.しかし,地名語彙には,通常「標準形」と「方言形」という区別はない.地名は広く参照される語なので,機能的には標準的でなければならないが,形式的には標準的とされるものが採用される必要はない.それは,地名が何かを意味している必要はなく,その場所を参照していればよいという記号論的に特殊な性質を持ち合わせていることと関係しているだろう(この点については,「#2212. 固有名詞はシニフィエなきシニフィアンである」 ([2015-05-18-1]),「#2397. 固有名詞の性質と人名・地名」 ([2015-11-19-1]) を参照).
 中英語期の方言分化と地名の関係がよく見える形で表われている例の1つが,hillmill の母音の変異である.「#1812. 6単語の変異で見る中英語方言」 ([2014-04-13-1]) でみたように,この母音は南東部では e として,西部では u として,それ以外では i として実現される.それぞれの分布について,デイヴィッドとレヴィット (216--17) に次のように記述がある.

 e を用いていた地域(主にケント)からはヘルステッド (Helsted),ワームズヒル(Wormshill, 1232年の記録では Wodnesell, 意味はおそらく Woden's Hill 「ウォドンの丘」),ミルトン (Milton, カンタベリーの近く.tun by a mill 「粉引き場の近くの町」の意味で,1242年の記録では Meleton).
 u を用いていた地域からはスタッフォードシャーのペンクハル (Penkhull, ブリトン語の人名 Pencet に英語の hill が付け加えられている),グロスターシャーのラッジ(Rudge, ridge 「山の尾根」),ランカシャーのハルトン (Hulton, tun on a hill 「丘の上にある町」),スタッフォードシャーのミルトン (Milton) は以前 (1227年)は Mulneton だった.
 i を用いていた地域からの例は多数あり,最初期の頃にしばしば u が用いられ,その起源はイースト・ミッドランド及び北部の方言形 i が別個に発展する以前に遡る.


 地名学,方言学,音変化の研究は,ともに手を携えて進むべき仲間である.

 ・ デイヴィス,C. S.・J. レヴィット(著),三輪 伸春(監訳),福元 広二・松元 浩一(訳) 『英語史でわかるイギリスの地名』 英光社,2005年.

Referrer (Inside): [2020-12-14-1] [2018-10-11-1]

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2018-09-24 Mon

#3437. ノルマン征服に従軍したフランドル人 [history][flemish][norman_conquest][me_text]

 昨日の記事「#3436. 英語と低地諸語との接触の歴史」 ([2018-09-23-1]) の (2) で,ノルマン征服に付き従った外国軍のなかにフランドル人がおり,征服後もブリテン島に残ったらしいと述べた.これに関して,1338年頃に詩人 Robert Mannyng of Brunne が訳した Chronicle のなかに,次のような言及がある.Baugh and Cable (108) に引かれているものを現代語訳とともに再掲する.

To Frankis & Normanz, for þar grete laboure,
To Flemmynges & Pikardes, þat were with him in stoure,
He gaf londes bityme, of whilk þer successoure
Hold ȝit þe seysyne, with fulle grete honoure.

To French and Normans, for their great labor,
To Flemings and Picards, that were with him in battle,
He gave lands betimes, of which their successors
Hold yet the seizin, with full great honor.


 Chamson (285) は,この記述を受けて次のように述べている.

The last two lines, referring to lands held by the successors of the foreign troops, indicate that the Flemings remained in Britain. Other non-Norman foreigners, e.g. the Bretons, are known to have left Britain after their service to William. During the conquest and its aftermath, large numbers of traders and mercenaries from the Low Countries came to Britain.


 フランドル人は,ノルマン征服の最中とその後に,その立ち位置から,ノルマン人とイングランド人を結びつける役割を演じたと考えることができるかもしれない.軍事・経済的にそうだったとすれば,言語的にもそうだったのではないかと,確かに考えてみたくなる.

 ・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
 ・ Chamson, Emil. "Revisiting a Millennium of Migrations: Contextualizing Dutch/Low-German Influence on English Dialect Lexis." Contact, Variation, and Change in the History of English. Ed. Simone E. Pfenninger, Olga Timofeeva, Anne-Christine Gardner, Alpo Honkapohja, Marianne Hundt and Daniel Schreier. Amsterdam/Philadelphia: Benjamins, 2014. 281--303.

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