hellog〜英語史ブログ     ChangeLog 最新    

ethnography_of_speaking - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2019-07-23 04:52

2015-12-05 Sat

#2413. ethnomethodology [sociolinguistics][ethnography_of_speaking][anthropology][conversation_analysis][pragmatics][discourse_analysis][terminology][function_of_language][philology]

 標題の ethnomethodology (エスノメソドロジー)は,1967年にアメリカの社会学者 Harold Garfinkel の作り出した用語であり,言語コミュニケーションに関する社会学的なアプローチを指す.日常会話の基礎となる規範,しきたり,常識を探ることを目的とする.人類言語学 (anthropological linguistics),社会言語学 (sociolinguistics),会話分析 (conversation analysis),おしゃべりの民族誌学 (ethnography_of_speaking) などの領域と重なる部分があり,学際的な分野である.Trudgill の社会言語学用語辞典より,関連する4つの用語の解説を与えたい.

ethnomethodology A branch of sociology which has links with certain sorts of sociolinguistics such as conversation analysis because of its use of recorded conversational material as data. Most ethnomethodologists, however, are generally not interested in the language of conversation as such but rather in the content of what is said. They study not language or speech, but talk. In particular, they are interested in what is not said. They focus on the shared common-sense knowledge speakers have of their society which they can leave unstated in conversation because it is taken for granted by all participants.

ethnography of speaking A branch of sociolinguistics or anthropological linguistics particularly associated with the American scholar Dell Hymes. The ethnography of speaking studies the norms and rules for using language in social situations in different cultures and is thus clearly important for cross-cultural communication. The concept of communicative competence is a central one in the ethnography of speaking. Crucial topics include the study of who is allowed to speak to who --- and when; what types of language are to be used in different contexts; how to do things with language, such as make requests or tell jokes; how much indirectness it is normal to employ; how often it is usual to speak, and how much one should say; how long it is permitted to remain silent; and the use of formulaic language such as expressions used for greeting, leave-taking and thanking.

ethnography of communication A term identical in reference to ethnography of speaking, except that nonverbal communication is also included. For example, proxemics --- the study of factors such as how physically close to each other speakers may be, in different cultures, when communicating with one another --- could be discussed under this heading.

conversation analysis An area of sociolinguistics with links to ethnomethodology which analyses the structure and norms of conversation in face-to-face interaction. Conversation analysts look at aspects of conversation such as the relationship between questions and answers, or summonses and responses. They are also concerned with rules for conversational discourse, such as those involving turn-taking; with conversational devices such as discourse markers; and with norms for participating in conversation, such as the rules for interruption, for changing topic, for overlapping between one speaker and another, for remaining silent, for closing a conversation, and so on. In so far as norms for conversational interaction may vary from society to society, conversation analysis may also have links with cross-cultural communication and the ethnography of speaking. By some writers it is opposed to discourse analysis.


 ethnomethodology は,言語の機能 (function_of_language) という深遠な問題にも疑問を投げかける.というのは,ethnomethodology は,言語をコミュニケーションの道具としてだけではなく,世界を秩序づける道具としてもとらえるからだ.Wardhaugh (272) 曰く,"people use language not only to communicate in a variety of ways, but also to create a sense of order in everyday life."

 ・ Trudgill, Peter. A Glossary of Sociolinguistics. Oxford: Oxford University Press, 2003.
 ・ Wardhaugh, Ronald. An Introduction to Sociolinguistics. 6th ed. Malden: Blackwell, 2010.

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

2014-10-21 Tue

#2003. アボリジニーとウォロフのおしゃべりの慣習 [ethnography_of_speaking][sociolinguistics][phatic_communion]

 「#1633. おしゃべりと沈黙の民族誌学」 ([2013-10-16-1]),「#1644. おしゃべりと沈黙の民族誌学 (2)」 ([2013-10-27-1]),「#1646. 発話行為の比較文化」 ([2013-10-29-1]) で,世界のいくつかの文化におけるおしゃべりと発話行為を比較した.今回は,人類言語学の概説書を著わした Foley を参照し,オーストラリアのアボリジニー (Aborigine) からの例と,セネガルのウォロフ族 (Wolof) からの例を追加し,おしゃべりの民族誌学 (ethnography_of_speaking) のヴァリエーションを味わいたい.
 ヨーロッパ系の文化を受け継ぐオーストラリアの白人は,会話において日本人とも大きく異ならない一連の慣習に従っている.通常,発話は特定の聞き手に向けられ,目を合わせることが多い.発話はおよそ順繰りに一人ひとりに番が回ってきて,同時に複数の話者が発話することは避けられる傾向がある.会話の輪に入っていくときと抜けるときには,何らかの挨拶が交わされるのが普通である.そして,知識や情報は広く共有されるべきとの前提で会話が進行する.このようなおしゃべりの慣習は,それを日頃実践している者にとってはあまりに当然のように思われ,同じ慣習が世界のおよそすべての言語文化にもあてはまるだろうと信じている.
 しかし,オーストラリアのアボリジニーは異なるおしゃべりの作法を示す.発話は特定の聞き手に向けられるというよりは,誰にともなく "broadcast" され,互いに視線を合わせることも要求されない.聞き手も自分に向けられた発話ではないのだから,必ずしも応答する義務を負わない.気が向いたら応答するにすぎない.また,しゃべる順番にも特別な規範はない.会話の輪への出入りに際しても,互いに挨拶を交わすでもなく,静かに入り,静かに抜けていくのが通常だ.Foley (253) が別の研究者より引用したアボリジニーの典型的な会話風景を再現しよう.

A group of men is sitting on a beach facing the sea. They are there for some hours and little is said. After a long period of silence someone says: "Tide's coming in." Some of the group murmur "Yes" but most remain silent. After another very long pause someone says "Tide's coming in". And there is some scattered response. This happens many times until someone says: "Must be tide's going out."


 さて,オーストラリアでは,ヨーロッパの慣習に則った法廷訴訟が行われている.しかし,そのような法廷訴訟は,著しく異なるおしゃべり文化をもつアボリジニーにとって明らかに不利な前提を含んでいる.アボリジニーが証人として立たされ,質問を受けている場面を想定しよう.証人は,質問が自分に対して向けられているとは意識せず,応答する必要を感じないかもしれない.それどころか,傍聴者の別のアボリジニーが応答してしまう可能性がある.別の場合には,証人が長々とした独話を誰に向けてともなく始めてしまうこともありうる.これらの行為は,アボリジニーのおしゃべりに関する慣習への理解が不足していれば,いずれも法廷への侮辱行為とみなされうる.さらに,アボリジニーの文化では,特定の知識や情報を開示する権利は,親族関係や仲間入りの儀式によって許可された者のみに与えられるため,その権利をもたない証人は,たとえ重要な証拠を知っていたとしても,法廷で開示することを拒むかもしれない.そして,そのような証人は,非協力的であるとみなされかねない.前提とすべきおしゃべり文化の違いにより,思ってもみない摩擦が生じることもありうるのである.
 私たちにとって異質に見えるおしゃべり文化を示す2つ目の例として,セネガルのウォロフ族を取り上げよう.とりわけ彼らの出会いの挨拶に関する社会言語学的戦略は,説明だけ聞いていると,息苦しいほどだ.Foley (256--58) によると,ウォロフ族の2人が出会うときには必ず挨拶をするのだが,どちらがどちらに先に声を掛けるかにより,2人の間の社会関係が一時的あるいは持続的に決定してしまうという.ウォロフの社会では,貴族と庶民の2階層が区別され,前者には受動的でおとなしい役割が,後者には能動的でおしゃべりの役割がそれぞれ社会的に付与されている.挨拶においても,たとえ擬似的にであれ2人の間の上下関係が確定しなければ先へ進むことができないため,おしゃべり役を買って下手に出る者から挨拶の言葉が発せられることになる.一方,挨拶された方は,寡黙で上手の役割を演じることを期待され,それに応じたやりとり(挨拶した側が質問し,挨拶された側が答えるという役割分担など)が続くことになる.ただし,上手役は,演技上のみならず実際的にも社会的に上位であることが含意されるので,例えば経済的な援助を施すことなどが期待されてしまう.挨拶の出方によってとりあえず確定した上下関係は,会話を通じて,別の戦略(挨拶の一からのやり直しや逆質問など)によって逆転させたり再定義したりもできるが,そこで複雑な交渉と心理戦が展開されることになるかもしれない.はたからみると,挨拶ひとつが実に厄介な出来事となりうるのである.
 挨拶が2人の間の関係を確認し合いコミュニケーションの回路を開くのを助けるという機能,すなわち phatic_communion の役割を担っていることは,ウォロフでも日本でも欧米でも同じである.しかし,ウォロフでは,挨拶はもっと積極的に2人の社会的な上下関係を確定するという役割を担っている点が特異である.
 ウォロフ語については,「#1623. セネガルの多言語市場 --- マクロとミクロの社会言語学」 ([2013-10-06-1]) も参照されたい.

 ・ Foley, William A. Anthropological Linguistics: An Introduction. Malden, MA: Blackwell, 1997.

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

2014-10-14 Tue

#1996. おしゃべりに関わる8要素 SPEAKING [ethnography_of_speaking][speech_act][communication]

 おしゃべり (speech) には様々な種類がある.噂話もあればヤジもあるし,謝辞もあればお世辞もある.演説,告白,討論,説教,エレベーターピッチまで様々だ.では,これらの種々のおしゃべりを分類するのに,どのような基準が考えられるだろうか.別の言い方をすれば,これらコミュニケーション上の出来事がどのようにその目標を達成しているのか理解する上で関与的な要素は何だろうか.社会言語学者 Hymes は,頭字語 SPEAKING のもとに8つの要素を認めている.Hymes を要約した Wardhaugh (259--61) の記述にしたがって,簡単に説明しよう.

 (1) Setting and Scene. 前者はおしゃべりが行われている時間と場所を指し,後者は抽象的で心理的な環境を指す.例えば,女王のクリスマスのメッセージや米大統領の年頭教書は,特有の Setting と Scene をもっている.日本でいえば,天皇陛下の新年のお言葉も特有な Setting と Scene をもっている.

 (2) Participants. 話し手と聞き手.会話では両者が順番に発話するのが通常だが,演説や講義では主におしゃべりは一方通行で,かつ聞き手は複数である.留守番電話では,話し手と聞き手というよりは,メッセージの送り手と受け手というのが適当だろう.祈りにおいては,聞き手は神である.

 (3) Ends. そのおしゃべりを通じて慣習的に期待されている目的,あるいは話し手が個人的に目指している目的.例えば法廷における発言は,判事,陪審員,被告,原告,証人のいずれによってなされるかによって大きく異なる目的をもつ.結婚式における誓いの発話は,社会的な目的を有していると同時に,新郎新婦の個人的な目的を有している.

 (4) Act sequence. 具体的に使われた表現について,それがどのように使われたのか,現行の話題とどのような関係があるのかという観点をさす.そのおしゃべりでは,どのような表現が発話されており,実際に何が行われているのかという視点である.語用論でいう発話行為 (speech_act) の考え方に通じる.「#1646. 発話行為の比較文化」 ([2013-10-29-1]) を参照.

 (5) Key. メッセージを伝える際のトーンや様式や気分など.おしゃべりが気軽か深刻か,あるいは精確か,衒学的か,儀式的か,軽蔑的か,皮肉的か等々.種々の非言語的な行動,身振り,姿勢などを伴うこともある.

 (6) Instrumentalities. コミュニケーションの回路の選択肢.話しことばか書き言葉か,電話か電信かなどの媒介の選択肢にとどまらず,用いる言語,方言,コード,使用域の選択肢をもさす.code-switching は,複数の instrumentalities を使い分けるおしゃべりの仕方ということになる.

 (7) Norms of interaction and interpretation. おしゃべりに付随する特定の行動や特性,及びそれらに関する規範をさす.声の大きさ,沈黙,視線合わせ,話し相手との立ち位置に関する物理的距離などにちての規範などが含まれる.「#1633. おしゃべりと沈黙の民族誌学」 ([2013-10-16-1]),「#1644. おしゃべりと沈黙の民族誌学 (2)」 ([2013-10-27-1]) を参照.

 (8) Genre. 発話のジャンル.詩,ことわざ,なぞなぞ,説教,祈祷,講義,社説などの明確に区別される発話の種類をさす.

 人々はこれら SPEAKING の各要素に常に注意を払いながらおしゃべりしていると考えられる.Wardhaugh (261) の言うように,おしゃべりは極めて複雑な営為である.

What Hymes offers us in his SPEAKING formula is a very necessary reminder that talk is a complex activity, and that any particular bit of talk is actually a piece of 'skilled work.' It is skilled in the sense that, if it is to be successful, the speaker must reveal a sensitivity to and awareness of each of the eight factors outlined above. Speakers and listeners must also work to see that nothing goes wrong. When speaking does go wrong, as it sometimes does, that going-wrong is often clearly describable in terms of some neglect of one or more of the factors. Since we acknowledge that there are 'better' speakers and 'poorer' speakers, we may also assume that individuals vary in their ability to manage and exploit the total array of factors.


 文法や語彙を学習しただけでは言語をマスターしたとはいえない.上手におしゃべりするためには,SPEAKING に敏感であることが必要である.関連して「#1632. communicative competence」 ([2013-10-15-1]) と「#1652. 第2言語習得でいう "communicative competence"」 ([2013-11-04-1]) を参照.

 ・ Wardhaugh, Ronald. An Introduction to Sociolinguistics. 6th ed. Malden: Blackwell, 2010.

Referrer (Inside): [2016-12-19-1]

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

2013-11-04 Mon

#1652. 第2言語習得でいう "communicative competence" [sla][acquisition][linguistics][ethnography_of_speaking]

 「#1632. communicative competence」 ([2013-10-15-1]) の記事で,communicative competence を linguistic competence と対比させたが,広い意味での communicative competence は,linguistic competence をはじめ,言語活動に必要な諸能力を含む.実際に第2言語習得 (Second Language Acquisition) の分野では,第2言語について習得すべき能力は,理想的には "communicative competence" を頂点とする以下のすべての能力とされている(下図は O'Grady et al., p 395 の "A model of communicative competence" を参考にして作成した).

A Model of Communicative Competence


 改めて考えてみると,言語学の諸分野はこれらの諸能力に対応する言語の諸体系を解明するために存在しているといえる.しかし,ここでは生きている話者の共時的なコミュニケーション能力を問題にしているのであり,通時的な次元の能力 (?) は当然ながら話題にされていない.したがって,歴史言語学や言語史のような分野は,この図に入り込む余地はない.しかし,だからといって言語学の枠から外されるべきだということにはならないだろう.言語学は言語に関するあらゆる側面を話題にするものであり,通時態も共時態と同じ資格で研究されるべき対象である.共時的な能力を示す上の図と並列的に,隠れた通時的な営みの図を想定したい.
 この図に関してもう1つ付け加えたいことは,「#1632. communicative competence」 ([2013-10-15-1]),「#1633. おしゃべりと沈黙の民族誌学」 ([2013-10-16-1]),「#1644. おしゃべりと沈黙の民族誌学 (2)」 ([2013-10-27-1]), 「#1646. 発話行為の比較文化」 ([2013-10-29-1]) で取り上げてきた,狭い意味での "communicative competence" はこの図のなかではどこに位置づけられるのだろうか,という疑問である."Sociolinguistic competence" の "Cultural references" に含まれるように思われるが,そうだとすれば,話すタイミング,沈黙すべきタイミング,挨拶の仕方,直接的に言ってよいかどうか,会話に割って入る際の規範等々が,枝葉としてその下へ追加されることになるのだろう.

 ・ O'Grady, William, John Archibald, Mark Aronoff, Janie Rees-Miller. Contemporary Linguistics: An Introduction. 6th ed. Boston: Bedford/St. Martin's, 2010. (Companion Site based on the 5th edition available here.)

Referrer (Inside): [2014-10-14-1]

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

2013-10-31 Thu

#1648. adjacency pair [pragmatics][ethnography_of_speaking][cooperative_principle][adjacency_pair]

 2人の話者の会話において,互いにペアをなす発話が交わされる場合がある.質問に対して回答,申し出に対して受諾あるいは拒否,挨拶に対して挨拶,依頼に対して応諾,呼びかけに対して返事といった習慣的なペアである.通常,両発話の間に無関係の内容の発話がはさまることはなく,隣り合うものなので,これを adjacency pair と呼ぶ.英語からの例を示そう.

adjacency pair (A and B)AB
question-answerWhat time is it?Seven o'clock.
offer-acceptanceWould you like a baked potato?Yes, please.
greeting-greetingGood morning.Morning Mattie.
request-complianceCan I have a jam sandwich then please dad?Yes sunshine.
summons-acknowledgementMum, mum, mum, mum, mum?Yes?


 これらの adjacency pair は,「#1122. 協調の原理」 ([2012-05-23-1]) (cooperative principle) の諸公理にかなった発話の例として説明される.会話の参加者は,暗黙の規則として,このペアワークを実践していると考えられる.
 しかし,adjacency pair のペアワークが成り立たない場合もある.adjacency pair で一般にAという発話に対してBという発話が対応するとき,何らかの理由でBの発話が欠けることがある.そのような場合に起こり得ることは,以下のいずれかだろう.(1) B が返されるまで A が繰り返し発せられる,(2) Bの欠如の理由が明示的に説明される (ex. I don't know.), (3) 別の adjacency pair が埋め込まれた上でBが補充され,問題解消に至る.(3) について,ペアの中にもう1つのペアが埋め込まれる例を示そう.

Q1 S: What color do you think you want?
Q2 C: Do they just come in one solid color?
A2 S: No. They're black, blue, red, orange, light blue, dark blue, gray, green, tan[pause], black.
A1 C: Well, gimme a dark blue one, I guess.


 Bの発話が欠ける場合がある理由については「#1134. 協調の原理が破られるとき」 ([2012-06-04-1]) で見たような理由が挙げられるかもしれないが,それ以前に,言語文化によっては当該の adjacency pair が原理や規則として存在しないこともあるのではないか.つまり,上記のような adjacency pair は一見するとどの言語文化にも普遍的に存在しているものと思われがちだが,実際には各言語文化に依存する社会的に慣習化された規範 (norm or "normative requirement") にすぎないのではないか.
 「#1644. おしゃべりと沈黙の民族誌学 (2)」 ([2013-10-27-1]) でも見たとおり,発話に関する慣習のなかには文化に依存するものがある.ある adjacency pair がその文化において有意味かどうかは個別に調べなければならないし,たとえ有意味であったとしても特にBの返答について文化ごとに好まれるパターンが異なるということがあり得るのではないか.例えば,前の記事で,日本語や中国語では申し出に対して一度はそれを断るという反応が好まれることがあるし,質問に対して答えをはぐらかす傾向を示す Madagascar の言語共同体の例もみた.adjacency pair のあり方が文化間で変異し得るという指摘は,「協調の原理」が示唆する語用論的普遍性に対する1つの挑戦となるだろう.記述的な ethnography of speaking の研究のもつ役割は,普遍性と傾向,言語的規則と社会的規範といった問題に対して具体的な事例を与えるということにあるのではないか.

 ・ Pearce, Michael. The Routledge Dictionary of English Language Studies. Abingdon: Routledge, 2007.
 ・ Bussmann, Hadumod. Routledge Dictionary of Language and Linguistics. Trans. and ed. Gregory Trauth and Kerstin Kazzizi. London: Routledge, 1996.

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

2013-10-29 Tue

#1646. 発話行為の比較文化 [ethnography_of_speaking][speech_act][pragmatics][face][performative][adjacency_pair]

 「#1632. communicative competence」 ([2013-10-15-1]),「#1633. おしゃべりと沈黙の民族誌学」 ([2013-10-16-1]),「#1644. おしゃべりと沈黙の民族誌学 (2)」 ([2013-10-27-1]) の記事で,ethnography of speaking の分野がカバーする領域を垣間見た.今回は,発話の比較文化という観点から,もう1つの話題を取り上げる.発話行為 (speech act) の異文化比較である.
 発話行為の類型は,Austin の古典的なものやそこから発展させた Searle のものが知られている(Huang, pp. 106--08 を参照).そのような類型への関心は,種々の発話行為があらゆる言語とその話者に共有されていることを示唆しているようにも聞こえるが,実際には多くの発話行為は文化に依存する.結婚などの儀礼的,慣習的な場面での発話行為が文化によって異なることは容易に理解されるだろうが,それほど慣習化されていない場面における発話行為にも文化間の相違は見られる.以下,Huang (119--25) に従って,4種類を取り上げよう.

 (1) ある文化に存在する発話行為が,別の文化に存在しない場合.例えば,約束という発話行為は,日本語にも英語にもあるし,他の多く言語にも存在する.しかし,フィリピンのイロンゴト族 (Ilongot) にはそれがない.イロンゴト族の社会では誠実さや真実よりも社会的な関係のほうが重視され,結果として約束という発話行為がそもそも存在しないのだと考えられている.もう1つ例を挙げれば,オーストラリアのアボリジニー,ヨロンゴ族 (Yolngu) では,感謝という発話行為がないといわれる.
 また,他にみられない特殊な発話行為をもつ文化もある.オーストラリアのアボリジニー,Walmajarri において,「親戚関係に基づく権利あるいは義務として要求する」という特異な発話行為があり,遂行動詞 (performative verb) japirlyung によって表わされる.この遂行動詞は,"I ask/request you to do X for me, and I expect you to do it simply because of how you are related to me" ほどの意味を表わす.これらの例は,主として西洋文化の視点から組み立てられた発話行為の類型論の有効性に異を唱えるものとなる.

 (2) 同じ状況に対して,文化によって異なる発話行為がなされる場合.例えば,人の足を踏んでしまったとき,西洋でも東アジアでも,通常は謝罪という発話行為がおこなわれる.ところが,西アフリカのアカン族 (Akan) では,謝罪ではなく同情の発話行為がなされる.また,食事会に招待されて,最後においとまするとき,英語では食事への感謝と賛辞を述べるのが通常だが,日本語では「お邪魔いたしました」と侵入行為を認める発言をする.同様に,日本語では,贈り物をもらったときなどには,感謝よりも「すみません」の謝罪のほうを好む.

 (3) 同じ発話行為に対して,文化によって異なる反応が示される場合.褒め言葉を述べられると,英語では感謝しながら受け入れるのが普通だが,中国語,日本語,ポーランド語などでは受け入れを拒否する(例:「まあ,すてきなお庭をおもちですね」「いえいえ,まったく手入れをしていないもので」).ちなみに,依頼に対してノーといえない日本語話者が,自分に向けられた褒め言葉にはノーということを好むというのがおもしろい.
 また,申し出に対して1度は儀礼的な拒否がなされることが多いのも中国語や日本語の伝統的にして典型的な反応である.「申し出→儀礼的な拒否→申し出→儀礼的な拒否→受諾」という流れ (adjacency pair) そのものが,文化的に埋め込まれていると考えられる(cf. 三顧の礼).

 (4) 同じ発話行為であっても,直接的になされるか間接的になされるか,その度合いが文化によって異なる場合.依頼,謝罪,不平などの face-threatening act (FTA) について異なる言語間の比較研究が,1980年代以降,とりわけ Cross-Cultural Speech Act Realization Project (CCSARP) の名の下で推し進められてきた.依頼についていえば,8つの言語変種 (German, Hebrew, Danish, Canadian French, Argentinian Spanish, British English, American English, Australian English) を比較したところ,Argentinian Spanish が最も直接的で,Australian English が最も間接的だった.
 日本語の「善処します」は,文字通りには「じょうずに処理する」という意味を表わすが,政治家が用いれば間接的な拒否の発話行為となる.これは,相手の依頼に対して直接ノーと言いにくい日本語にとって,間接的,語用論的な方略なのである.実際に,これが日米の外交問題に発展した事例がある.1974年,ニクソン大統領が佐藤首相に対して日本の繊維市場の自由化を求めた.佐藤首相は否定的な意味合いで「善処します」と答え,それは I do my best. と通訳された.その後,何も動かない日本に対してアメリカがいらだちを募らせ,抗議をするに至った.当時までに,発話行為の ethnography of speaking がよく研究され,その成果が日米異文化理解に役立つ知恵として両首脳の耳に達していれば,このような誤解は生じなかったろう.

 ・ Huang, Yan. Pragmatics. Oxford: OUP, 2007.

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

2013-10-27 Sun

#1644. おしゃべりと沈黙の民族誌学 (2) [sociolinguistics][function_of_language][ethnography_of_speaking]

 「#1632. communicative competence」 ([2013-10-15-1]) と「#1633. おしゃべりと沈黙の民族誌学」 ([2013-10-16-1]) で,ethnography of speaking という分野に触れた.言語学,社会学,文化人類学の接点にある学問領域で,研究者が様々な言語文化に入り込んでおこなうフィールドワークからの報告と記述が主たる成果となっている.先の記事で,異なる ethnography of speaking をもつ言語社会の例をいくつか紹介したが,今回はこの分野に携わるフィールドワーカーや研究者からの生の報告を聞いてみよう.先の記事で触れたものも多い.いずれも,Hudson より孫引きする.まずは,南インドの Puliya の寡黙について.

Peter Gardener (1966) did some fieldwork . . . in southern India, among a tribal people called the Puliya, describing their socialization patterns. There is no agriculture and no industry, and the society is neither particularly cooperative nor particularly competitive; so children are led neither to be particularly interdependent nor to be aggressively competitive with each other, but simply to busy themselves with their own concerns in reasonable spatial proximity. He observed that, by the time a man was forty, he practically stopped speaking altogether. He had no reason to speak. People there, in fact, just didn't talk much and seldom seemed to find anything much to talk about, and he saw this as a consequence of the particular kind of socialization pattern. (116)


 次に,インドネシア東部の Roti のおしゃべり好きな言語社会について.

For a Rotinese the pleasure of life is talk --- not simply an idle chatter that passes time, but the more formal taking of sides in endless dispute, argument and repartee or the rivalling of one another in eloquent and balanced phrases on ceremonial occasions . . . Lack of talk is an indication of distress. Rotinese repeatedly explain that if their 'hearts' are confused or dejected, they keep silent. Contrarily, to be involved with someone requires active verbal encounter. (117)


 饒舌なアメリカ人と寡黙なデンマーク人が出会ったときの,行き違いについて.

An . . . enthnographer (sic) describes staying with in-laws in Denmark and being joined by an American friend who, despite warnings, insisted on talking with American intensity until 'at 9 o'clock my in-laws retired to bed; they just couldn't stand it any more'. (117)


 一時にしゃべるのは1人が当然であるという常識をもっている者にとって,Antigua の言語行動は異様に映るだろう.

Antiguan conventions appear, on the surface, almost anarchic. Fundamentally, there is no regular requirement for two or more voices not to be going at the same time. The start of a new voice is not in itself a signal for the voice speaking either to stop or to institute a process which will decide who is to have the floor. When someone enters a casual group, for example, no opening is necessarily made for him; nor is there any pause or other formal signal that he is being included. No one appears to pay any attention. When he feels ready he will simply begin speaking. He may be heard, he may not. That is, the other voices may eventually stop and listen, or some of them may; eyes may or may not turn to him. If he is not heard the first time he will try again, and yet again (often with the same remark). Eventually he will be heard or give up. (117)


 同じく Antigua では,会話の中断の回数に関する慣習も他の多くの言語社会とは異なっている.

In a brief conversation with me, about three minutes, a girl called to someone on the street, made a remark to a small boy, sang a little, told a child to go to school, sang some more, told a child to go buy bread, etc., all the while continuing the thread of her conversation about her sister. (118)


 新情報をもっている者が優位に立つのは世の常だが,その情報を小出しにすることが普通となっている言語社会が,Tuvalu にある.

[G]ossips on Nukulaelae Atoll frequently withhold important pieces of information, such as the identity of a person, from their gossip narratives, thus manipulating their audiences into asking for the missing information, sometimes over the space of several turns, as information is revealed in small doses, requiring further questioning . . . .


 Madagascar では,話す内容を曖昧にして,情報を明確に伝えないという傾向がある.

[I]f A asks B 'Where is your mother?' and B responds 'She is either in the house or at the market', B's utterance is not usually taken to imply that B is unable to provide more specific information needed by the hearer. The implicature is not made, because the expectation that speakers will satisfy informational needs is not a basic norm.


 最後の2例では,言語の基本的な機能と一般に考えられている「情報を交換する媒体」としての役割が果たされてない.その機能よりも,社会的な慣習のほうが強いということだろう.
 上で見てきたように各言語社会には発話を司る独自の規則がある.この規則 (rule) は,破ったとしても特に罰を科されるわけではないが,慣習的に守るべき行動として広く認識されているという意味で,規範 (norm) と呼ぶのが適切だろう.この発話の諸規範を知っていることこそ,その言語(社会)の communicative competence を有していることにほかならない.上記の世界からの例は,言語社会によって様々な発話の規範があるということ,その規範が相対的なものであるということを教えてくれる.

 ・ Hudson, R. A. Sociolinguistics. 2nd ed. Cambridge: CUP, 1996.

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

2013-10-16 Wed

#1633. おしゃべりと沈黙の民族誌学 [ethnography_of_speaking][sociolinguistics]

 昨日の記事「#1632. communicative competence」 ([2013-10-15-1]) の最後に ethnography of speaking という社会言語学の1分野に触れた.communicative competence を構成する要素に,いつ話してよいのか,どのように話しを始めればよいのか,いつ沈黙すべきか,どのくらい話しをしてもよいのかなどの知識が含まれるが,これらの規範は言語文化によって大きく異なる.様々な言語文化におけるそのような規範を記述し比較するのが,ethnography of speaking の目的である.
 Wardhaugh (254--59) より世界からの実例を挙げよう.南西アフリカのブッシュに住まう !Kung (クン族)は,生活を営む上で,おしゃべりに非常に高い価値を与えている.物語を作り上げることには関心がないが,あらゆる事柄を話題にし,特に贈り物の贈与や食べ物の話し好む.彼らは,集団の社会関係を平和に保つために,そして場に漂う不安要素を取り除くために,おしゃべりを最大限に利用する.
 ティモールの南西端に住む Roti も,おしゃべりを人生の最大の喜びとする民族である.無駄話はもちろん,討論から,口論,おしゃべり上手の披瀝,言葉遊びまで,ひたすら話しをする.そこでは沈黙は否定的に見られる.カナダ西部 British Columbia の Bella Coola の人々もおしゃべりに価値を置き,チリの Araucanian の男性も雄弁を尊ぶ.西インド諸島の Antigua でもおしゃべりが生活の一部であり,そこでは仲間のおしゃべりに参加するのに独特な規範がある.すでにおしゃべりをしている仲間に入って行くのに特別な挨拶は必要ない.そもそも,参加したことに対して,周囲から注意を払われることがない.やおら話しを始めると,聞いてもらえるかもしれないし,聞いてもらえないかもしれない.聞いてもらえなければ,もう一度声を上げるかもしれないし,聞き役に回るかもしれない.話し始めるときには,すでに起こっている会話の話題と関係があろうがなかろうが問題ない.会話に割って入ることは失礼ではなく,当然の権利としてみなが共有している.
 上記の話し好きな人々と対照的な例としてあげられるのが,米国 Arizona 州中東部の Western Apache である.彼らは,場に不安が感じられる場合,むしろ沈黙を選択する.同族の人であれ,外部の人であれ,見知らぬ人に会うと沈黙するのが規範である.彼らは,容易に新しい社会関係を作ることをしない.子供が寄宿学校から帰省した場合でも,家族の挨拶は沈黙でなされ,子供の存在が場になじんでくるまでは会話がなされない.叱り飛ばされても,反応は沈黙でなされなければならない.たとえ不当な叱りつけであっても,ことばで応答することは,事態を悪化させるという考え方があるからだ.求愛も沈黙でなされ,とりわけ女性は沈黙でいつづけることが期待される.弔意も言葉を使わずに沈黙で表現する.
 沈黙についていえばさらに極端な例が,南インドの Puliyanese に見られる.彼らは個人を尊ぶ文化をもっており,40歳を超える頃にはほとんど話をしない状態になるという.一方,コロンビアの Aritama は,寡黙であるばかりでなく,口を開く時にはあえてとらえどころのない表現を用いるという.また,一般的に言葉による自己主張が強いと思われている欧米文化のなかでも,デンマーク人は沈黙を好み,長いあいだ話をせずに人と同席していることができるという.そこには,話す必要がなければ話さないという規範が存在する.
 実際,多くの文化において,沈黙は何かを物語るものとされている.沈黙はゼロの情報ではなく,言語文化によって具体的な内容は異なるが,敬意,安らぎ,支援,意見への反対,不安などを伝える有効な手段である.平均的な欧米人に比べれば沈黙を尊ぶといわれる日本人は,日々その価値を認め,実際に利用している.だが,Western Apache や Aritama のような超沈黙文化の例をきくと,世界広しと思わざるを得ない.

 ・ Wardhaugh, Ronald. An Introduction to Sociolinguistics. 6th ed. Malden: Blackwell, 2010.

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

2013-10-15 Tue

#1632. communicative competence [sociolinguistics][function_of_language][ethnography_of_speaking]

 母語であれ第2言語であれ,話者が適切な言語活動をおこなうには,文法,音韻論,語彙を知っているだけでは不十分である.例えば,正確な文法知識をもっていたとしても,どのようなタイミングで話してよいのか,いつ沈黙すべきか,いつどのような挨拶をすべきか,どの程度形式張ったスタイルを用いるべきか,どの程度直接的に言ってよいのかなど,実践的な言語運用に関する知識をもっていないと,コミュニケーションを円滑に進めることはできない.この広い意味での言語運用にかかわる知識や能力は,アメリカの人類言語学者 Dell Hymes によって,"communicative competence" と名付けられている.これは,文法,音韻,語彙などの言語学的な知識や能力を指す Chomsky の用語 "linguistic competence" を意識した用語だろう.とりわけ第2言語を学ぶにあたっては linguistic competence に特別な注意を払いがちだが,communicative competence の重要性にも気づいておく必要がある.Gumperz、J. J. ("Sociolinguistics and Communication in Small Groups." Sociolinguistics: Selected Readings. J. B. Pride and J. Holmes. Harmondsworth, England: Penguin Books, 1972. p. 205.) は次のように言っている.

'Whereas linguistic competence covers the speaker's ability to produce grammatically correct sentences, communicative competence describes his ability to select, from the totality of grammatically correct expressions available to him, forms which appropriately reflect the social norms governing behavior in specific encounters.' (Wardhaugh 264)


 では,communicative competence は具体的にはどのような能力を含むのだろうか.Saville-Troike, M. ("The Ethnography of Communication." Sociolinguistics and language Teaching. Ed. S. L. McKay and N. H. Hornberger. Cambridge: CUP, 1996. p. 363) が何項目かを列挙している.

Communicative competence extends to both knowledge and expectation of who may or may not speak in certain settings, when to speak and when to remain silent, whom one may speak to, how one may talk to persons of different statuses and roles, what nonverbal behaviors are appropriate in various contexts, what the routines for turn-taking are in conversation, how to ask for and give information, how to request, how to offer or decline assistance or cooperation, how to give commands, how to enforce discipline, and the like --- in short, everything involving the use of language and other communicative dimensions in particular social settings. (Wardhaugh 264--65)


 結局のところ,communicative competence を構成する諸能力は何かという問題は,言語で何ができるのか,言語の機能は何かという問題とも関わってくる.言語の機能については,「#523. 言語の機能と言語の変化」 ([2010-10-02-1]) や「#1071. Jakobson による言語の6つの機能」 ([2012-04-02-1]) を参照.
 言語や文化により,話者に求められる communicative competence は大きく異なる.これらを民族誌学的に一つ一つ記述し比較すれば,世界の communicative competence の類型のようなものが得られるだろう.これを目指す分野が,社会言語学の1分野である ethnography of speaking である.

 ・ Wardhaugh, Ronald. An Introduction to Sociolinguistics. 6th ed. Malden: Blackwell, 2010.
 ・ Trudgill, Peter. A Glossary of Sociolinguistics. Oxford: Oxford University Press, 2003.

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow