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speech_act - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2019-01-18 19:48

2019-01-08 Tue

#3543. 『現代英文法辞典』より optative (mood) の解説 [terminology][mood][optative][subjunctive][speech_act][auxiliary_verb]

 目下 may 祈願文と関連して optative (mood) 一般について調査中だが,備忘のために荒木・安井(編)『現代英文法辞典』 (963--64) より,同用語の解説記事を引用しておきたい

 optative (mood) (願望法,祈願法) インドヨーロッパ語において認められる法 (MOOD) の1つ.ギリシャ語には独自の屈折語尾を持つ願望法があるが,ラテン語やゲルマン語はでは願望法は仮定法 (SUBJUNCTIVE MOOD) と合流して1つとなった.ゲルマン語派に属する英語においては,OE以来形態的に独立した願望法はない.
 願望法が表す祈願・願望の意味は英語では通例いわゆる仮定法または法助動詞 (MODAL AUXILIARY) による迂言形によって表される: God bless you! (あたなに神のみ恵みがありますように)/ May she rest in peace! (彼女の冥福を祈る)/ O were he only here. (彼がここにいてくれさえしたらよいのに).多分このため,Trnka (1930, pp. 64, 67--74) は 'subjunctive' という用語の代わりに 'optative' を用いる.Kruisinga (Handbook, II. §1531) は動詞の語幹 (STEM) の用法の1つに願望用法があることを認め,この用法の語幹を願望語幹 (optative stem) と呼ぶ: Suffice it to say .... (...と言えば十分であろう).さらに,Quirk et al. (1985, §11.39) は仮定法の一種として願望仮定法 (optative subjunctive) を認め,願望仮定法は願望を表わす少数のかなり固定した表現に使われると述べている: Far be it from me to spoil the fun. (楽しみを台無しにしようなどという気は私にはまったくない)/ God save the Queen! (女王陛下万歳!)


 言語化された願望・祈願を適切に位置づけようとすると,必ず形式と機能の複雑な関係が問題となる上に,通時態と共時態の観点の違いも相俟って,非常に難しい課題となる.今ひとつの観点は,語用論的な立場から願望・祈願を発話行為 (speech_act) とみなして,この言語現象に対して何らかの位置づけを行なうことだろう.だが,語用論的な観点から行為としての願望あるいは祈願とは何なのかと問い始めると,容易に人類学的,社会学的,哲学的,宗教学的な問題へと発展してしまう.手強いテーマだ.
 関連して「#3538. 英語の subjunctive 形態は印欧祖語の optative 形態から」 ([2019-01-03-1]),「#3541. 英語の法の種類 --- Jespersen による形式的な区分」 ([2019-01-06-1]),「#3540. 願望文と勧奨文の微妙な関係」 ([2019-01-05-1]) も参照.

 ・ 荒木 一雄,安井 稔 編 『現代英文法辞典』 三省堂,1992年.

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2018-12-10 Mon

#3514. 言語における「祈願」の諸相 [optative][mood][swearing][taboo][speech_act][hortative]

 言語学で「祈願」といえば,英語では optative という用語があてがわれており,様々に論じられる.祈願とはまずもって1つの発話行為である.また,the optative mood と言われるように,法 (mood) の1つでもある.さらに,ギリシア語などの言語では祈願法を表わす特別な動詞の屈折形式があり,その形式を指して optative と言われることもある.日常用語に近い広い解釈をとれば,I hope/wish/would like . . . . など希望・願望を表わす表現はすべて祈願であるともいえる.言語における「祈願」を論じる場合には,機能のことなのか形式のことなのか,語のことなのか構文のようなより大きな単位のことなのかなど,整理しておく必要があるように思われる.
 意味的にいえば,祈願とは未来志向のポジティヴなものが典型だが,ネガティヴな祈願もある.いわゆる「呪い」に相当するものである.ここから,誓言 (swearing) やタブー (taboo) の話題にもつながっていく.Let's . . . に代表される勧奨法 (hortative mood) の表わす機能とも近く,しばしば境目は不明瞭である.
 誰に対して祈願の発話が向けられるかという点では,目の前にいる聞き手に対してということもあるが,独り言として発せられることもあるだろうし,さらには音声化されることなく頭のなかで唱えられる場合も多いのではないか.日記や短冊に祈りを書き記すというケースも少なくないだろう.人は常に何かを希望・願望しながら生きているという意味では,音声や文字で外在化されるかどうかは別として,祈願というものは実はかなり頻度の高い機能であり形式なのではないか.否定的な祈願である呪いも,程度の激しさの違いはあるにせよ,実際にはやはり高頻度なのではないか.

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2018-09-03 Mon

#3416. 祈願の may と勧告の let の意味論的類似性 [pragmatics][semantics][syntax][word_order][speech_act][auxiliary_verb][optative][may]

 「#2478. 祈願の may と勧告の let の発達の類似性」 ([2016-02-08-1]) で,両構文の意外とも思える類似性について歴史的な観点から紹介した.現代英語の共時的観点からも,Huddleston and Pullum (944) が両者の意味論的な類似性に言及している.

[Optative may C]onstruction . . . , which belongs to somewhat formal style, has may in pre-subject position, meaning approximately "I hope/pray". There is some semantic resemblance between this specialised use of may and that of let in open let-imperatives, but syntactically the NP following may is clearly subject . . . . The construction has the same internal form as a closed interrogative, but has no uninverted counterpart.


 maylet が「意味論」的に似ているという点は首肯できる(ここでいう「意味論」は語用論も含んだ「意味論」だろう).発話行為としての「祈願」を行なえば,次に「勧告」したくなるのが人情だろうし,「勧告」の前段階として「祈願」は付きもののはずだ.
 一方,「統語」的には,続く名詞句が主格に置かれるか目的格に置かれるかという点で明らかに区別されると指摘されている.確かに,両者はおおいに異なる.しかし,maylet を,対応する発話行為を表わす語用標識ととらえ,その後に来る名詞句の格の区別は無視すれことにすれば,いずれも「語用標識+名詞句(+動詞の原形)」となっていることは事実であり,統語的にも似ていると議論することはできる.少なくとも表面的な統語論においては,そうみなせる.
 maylet も,文頭の動詞原形で命令を標示したり,文頭の Oh で感嘆を標示したりするのと同様の語用論的な機能を色濃くもっていると考えることができるかもしれない.「#2923. 左と右の周辺部」 ([2017-04-28-1]) という観点からも迫れそうな,語用論と統語論の接点をなす問題のように思われる.

 ・ Huddleston, Rodney and Geoffrey K. Pullum. The Cambridge Grammar of the English Language. Cambridge: CUP, 2002.

Referrer (Inside): [2018-09-04-1]

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2018-02-07 Wed

#3208. ポライトネスが稀薄だった古英語 [speech_act][politeness][solidarity][anglo-saxon][oe][face][pragmatics][historical_pragmatics]

 英語歴史語用論の研究者で,古英語の発話行為 (speech_act) を専門としている Thomas Kohnen によれば,アングロサクソン文化においては現代的な意味での negative politeness はほとんど存在しなかったという.特に命令や指令の発話行為において,古英語では現代的なポライトネス戦略は用いられず,直接的な Ic bidde eow þæt . . . (I ask you to . . . ) や þu scealt . . . (thou shalt . . .) が専ら用いられたという.アングロサクソン文化では,negative politeness は事実上確認されないようだ.
 一方,solidarity に訴えかける positive politeness の戦略は,uton (let us) などの表現がキリスト教的な文脈などである程度認められるが,それとて目立って使用されるわけではなかった.どうやらアングロサクソン文化や古英語では,いずれの様式のポライトネスであれ現代に比べて影が薄かったということだ.通言語的にある程度は普遍的だろうと想定されていたポライトネスが,英語の古い段階において事実上不在だったということは,ある意味でショッキングな発見である.Lenker (328) がこれについて,次のように述べている.

Politeness as face work may thus not have played a major role in Anglo-Saxon society. This highlights the intrinsically culture-specific nature of phenomena like politeness and suggests in accordance with other cross-cultural studies that the universal validity or significance of politeness theory --- as devised by Brown and Levinson . . . --- is a gross mistake. Negative politeness in particular is fundamentally culture-specific, reflecting the typical patterns of today's Western, or even more particular, Anglo-American, politeness culture . . . . The study of Anglo-Saxon pragmatics thus does not only affect our understanding of the historicity of verbal interaction but also challenges issues of universality.


 ・ Lenker, Ursula. "Old English: Pragmatics and Discourse" Chapter 21 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 325--340.

Referrer (Inside): [2018-02-18-1]

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2018-02-01 Thu

#3202. 英語歴史語用論における有望な分野 [pragmatics][historical_pragmatics][speech_act][discourse_analysis][corpus]

 英語歴史語用論の第1人者である Jucker が,ハンドブックの1節で,この分野において前途が明るいと考える話題を3つ挙げている.発話行為 (speech_act) の歴史的変化,対話 (dialogue) の形式の発展,談話の領域の発展である.研究課題を選ぶ際の参考となるよう,関連する箇所を引用しておきたい.

At present, three areas of research appear to be particularly promising. First, the research on the history of speech act has only just started to attract more than just occasional research efforts. . . .
   Second, the research of the evolution of forms of dialogue is still in its infancy. . . . Culpeper and Kytö (2010: 2) [= Culpeper, Jonathan and Merja Kytö:. Early Modern English Dialogues: Spoken Interaction as Writing. Cambridge: CUP, 2010.] ask: "what was the spoken face-to-face interaction of past periods like?" in a systematic way and approach this question from various angles. In particular they look at the structure of conversations, at what they call "pragmatic noise", i.e. pragmatic interjections or discourse markers, and social roles and gender in interaction.
   And third, the evolution of domains of discourse appears to be a very promising field of research. The existing work on courtroom discourse, the discourse of science and news discourse needs to be continued, and other domains should be tackled.


 特に今世紀に入ってから,英語歴史語用論の研究を念頭においた,あるいはその目的で利用できるコーパスの編纂も多く行なわれるようになってきた.例えば,Corpora of Early English Correspondence (CEEC), Corpus of Early English Medical Writing (CEEM), Corpus of English Dialogues 1560-1760 (CED), Corpus of English Religious Prose (COERP), Old Bailey Corpus (OBC), The Corpus of Early English Recipes (CoER) などを挙げておこう.ほかにも Corpus Resource Database (CoRD) を探索されたい.

 ・ Jucker, Andreas H. "Linguistic Levels: Pragmatics and Discourse." Chapter 13 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 197--212.

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2017-01-26 Thu

#2831. performative hypothesis [pragmatics][speech_act][syntax][verb][performative_hypothesis]

 「#2674. 明示的遂行文の3つの特徴」 ([2016-08-22-1]) で述べたように,文には,ある主張を言明する陳述文 (constative) と,その上に行為も伴う遂行文 (performative) の2種類がある.しかし,考えようによっては,陳述文も「陳述」という発話行為 (speech_act) を行なうものであるのだから,1種の遂行文であるとも言えそうだ.遂行文には,その「遂行」を動詞で直に表わす明示的遂行文 (ex. I command you to surrender immediately.) と,そうでない暗示的遂行文 (ex. Surrender immediately.) があることを考えれば,例えば You're a stupid cow. のような通常の陳述文は,文頭に I hereby insult you that . . . などを補って理解すべき,「陳述」という遂行を表わす暗示的遂行文なのだと議論できるかもしれない.このように,あらゆる陳述文は実は遂行文であり,文頭に「I hereby + 遂行動詞 (performative verb) 」などが隠れているのだと解釈する仮説を,performative hypothesis と呼んでいる.
 しかし,この仮説は広くは受け入れられていない.上に例として挙げた I hereby insult you that you're a stupid cow. という文を考えてみよう.この文は統語論的,意味論的には問題ないが,通常の発話としてはかなり不自然である.語用論的には非文の疑いすらある.さらに,統語的に隠されているとされる主節部分の遂行動詞が「嘘をつく」 (lie) や「脅す」 (threaten) などの文を想像してみるとどうだろうか.ますます文全体の不自然さが際立ってくる.さらに,隠されている遂行動詞が何かを聞き手が正確に特定する方法はあるのだろうか,という問題もある.
 この仮説は1970年代に提起されたが,1980年代以降,統語論,意味論,語用論それぞれの立場から数々の問題が指摘され,批判されてきた.すでに過去の仮説と言ってもよいと思われるが,冒頭に挙げた「命令」の例など,一部の遂行動詞に関しては,簡潔な統語的説明として使えるのかもしれない.以上,Huang (97--98) を参照して執筆した.

 ・ Huang, Yan. Pragmatics. Oxford: OUP, 2007.

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2016-08-22 Mon

#2674. 明示的遂行文の3つの特徴 [pragmatics][speech_act][performative]

 Austin の発話行為 (speech_act) の理論によれば,文には,ある主張を言明する陳述文 (constative) と,その上に行為も伴う遂行文 (performative) とが区別される.例えば,My daughter is called Elizabeth. は陳述文だが,I name this ship the Princess Elizabeth. は遂行文と理解される.
 遂行文には,その行為を表わす動詞を明示的に含む明示的遂行文 (explicit performative) と,含まない暗示的遂行文 (implicit performative) がある.例えば,I command you to surrender immediately. は明示的遂行文だが,Surrender immediately. は暗示的遂行文である.明示的遂行文におおける行為を表わす動詞(先の例文の場合には command)を遂行動詞 (performative verb) という.
 Austin は,英語における明示的遂行文の統語意味的な特徴として,次の3点を挙げている.(1) 遂行動詞を含んでいる(これは特徴というよりは定義というべきか),(2) 副詞 hereby を付け加えることで遂行文たることを強調することができる,(3) 1人称単数の主語が立ち,能動態で直説法の単純現在形の動詞が用いられる.3つの特徴を合わせもつ典型的な遂行文をいくつか挙げておこう.

 ・ I hereby christen this ship the Princess Elizabeth
 ・ I now pronounce you husband and wife.
 ・ I sentence you to ten years in prison.
 ・ I promise to come to your talk tomorrow afternoon.
 ・ I apologize for being late.

 しかし,Austin 自身も認めているように,(3) の特徴を有しない明示的遂行文もある.Huang (97) から取った以下の例文にみられるように,1人称複数の主語が立つ場合もあるし,それ以外の人称の主語が立つことも可能である.遂行動詞が非人称であることもありうるし,現在進行形や受動態の遂行文もありうる.

 ・ We suggest that you go to the embassy
 ・ You are hereby warned that legal action will be taken.
 ・ Passengers are hereby requested to wear a seat belt.
 ・ Notice is hereby given that the Annual General Meeting of O2 plc will be held at The Hexagon, Queens Walk, Reading, Berkshire RG1 7UA on Wednesday, 27 July 2005 at 11.00 am for the following purposes: . . . .
 ・ The management hereby warns customers that mistakes in charge cannot be rectified once the customer has left the counter.
 ・ It is herewith disclosed that the value of the estate left by Marcus T. Bloomingdale was 4,785,758 dollars.
 ・ Are you denying that the government has interfered? --- I am denying that.
 ・ You are being discharged on the grounds of severe temperamental unsuitability for service in the Royal Navy.

 だが,さすがに過去時制の遂行文はないようだ.もし I christened this ship the Princess Elizabeth last Sunday. と言ったとしても,これは陳述文であり,遂行文とはなりえない.

 ・ Huang, Yan. Pragmatics. Oxford: OUP, 2007.

Referrer (Inside): [2017-01-26-1]

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2016-08-13 Sat

#2665. 発話行為の適切性条件 [pragmatics][speech_act]

 Austin や Searle の語用論では,発話行為 (speech_act) が適切に遂行されるためにいくつかの条件,適切性条件 (felicity conditions) があると論じられる.発話行為はそのような条件が事前に満たされた上ではじめて実現されるものであり,さらに Searle によれば,そのような条件は発話行為を作り出す規則 (constitutive rules) そのものでもある,とも言われる (Huang 104;塩田, pp. 101--02) .
 具体的には,ある発話行為の適切性条件は,(i) 命題 (propositional content), (ii) 事前条件 (preparatory condition), (iii) 誠実性条件 (sincerity condition), (iv) 本質条件 (essential condition) の4種類からなる.話し手を S,聞き手を H,行為を A,言語表現を e とするとき,例えば「約束」 (promising) という発話行為に対する適切性条件は,以下のようになる (Huang 105) .

Searle's felicity conditions for promising
   (i) Propositional content: future act A of S
   (ii) Preparatory:
      (a) H would prefer S's doing A to his not doing A, and S so believes
      (b) It is not obvious to both S and H that S will do A in the normal course of events
   (iii) Sincerity: S intends to do A
   (iv) Essential: the utterance of e counts as an undertaking to do A


 (i) の命題は,発話の中核をなす命題内容のことであり,発話行為に関する部分を取り除いたあとに残る発言の本体を指す.約束の場合には「SA を行なうこと」になる.(ii) の事前条件は,現実的な必須条件のことであり,HA の遂行を望んでいるということや,放っておいても A が起こらないということを SH も知っていることなどに相当する.(iii) の誠実性条件は,SA を遂行する意志があることである.(iv) の本質条件は,eS の遂行の意志が伝わるものとして発言されているか否かという条件に相当する.これらの条件のすべてが満たされなければ,適切な約束の行為とはならない.
 同様に,依頼 (requesting) という発話行為の適切性条件も挙げてみよう (Huang 105) .

Searle's felicity conditions for requesting
   (i) Propositional content: future act A of S
   (ii) Preparatory:
      (a) S believes H can do A
      (b) It is not obvious that H would do A without being asked
   (iii) Sincerity: S wants H to do A
   (iv) Essential: the utterance of e counts as an attempt to get H to do A


 例えば Can you drive me home? という依頼の発話行為が適切に成立するためには,「あなたが私を車で家まで送る」という命題について,「私」が「あなた」が運転できる状態にあり,頼まなければ送ってくれないだろうということを知っており,本当に送ってもらいたいとも思っており,かつその発話によりその意図が相手に伝わるはずだと信じている,などの諸条件が満たされなければならない.

 ・ Huang, Yan. Pragmatics. Oxford: OUP, 2007.
 ・ 塩田 英子 「発話行為」 『語用論』(中島信夫(編)) 朝倉書店,2012年,93--107頁.

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2016-07-23 Sat

#2644. I pray you/thee から please [politeness][pragmatics][historical_pragmatics][speech_act][sociolinguistics][felicity_condition]

 「#2289. 命令文に主語が現われない件」 ([2015-08-03-1]) の最後に簡単に触れたように,初期近代英語での依頼のポライトネス・ストラテジーとしては,Shakespeare に頻出するように,I pray you/thee, prithee, I beseech you, I require that, I would that などがよく用いられた.しかし,後期近代英語になると,これらは特に口語体において衰退し,代わりに17世紀より散発的に現れ始めていた please (< if you please < if (it) please you) が優勢となってきた.依頼に用いられる表現がこのように変化してきた背景には,何があったのだろうか.
 この疑問については,please の成立に関する語順や文法化の問題として言語内的に考察しようという立場がある一方で,社会(言語)学や歴史語用論の観点から説明を施そうという立場もある.後者の立場からは,例えば,19世紀に pray が語感として強い宗教的な含意をもつようになったために,通常の依頼の表現としてはふさわしくないと感じられるようになった,という提案がある.
 Busse も歴史語用論の立場からこの変化の問題に接近し,この時期に焦点を話し手から聞き手へと移すというポライトネス・ストラテジーの転換が起こったのではないかと推測している.古い I pray you のタイプの適切性条件 (felicity condition) は「話し手が聞き手に○○をしてもらいたいと思っている」ことであるのに対して,新興の (if you) please のタイプでは,「話し手が聞き手に○○をしようという意図があるかどうかを訊ねる」ことであるという違いがある.後者の適切性条件は,Can/could you pass the salt? のような疑問の形式を用いた依頼にも見られるものであり,確かに I pray you などよりも現代的な響きが感じられる.
 Busse (31--32) はこの推測を次のようにまとめている.

Pragmatically, the redressed command and the question have in common that they ask for the willingness of the listener to do X (willingness on the part of the hearer being a felicity condition for imperatives to be successful). Yet, indirect requests with pray/prithee put the focus on the speaker and assert his/her sincerity: Speaker sincerely wants X to be done.

The diachronic comparison of requests with pray to those with please on the basis of the OED and the Shakespeare Corpus has led me to the assumption that the disappearance of pray in polite requests and the subsequent rise of please as a concomitant can be explained pragmatically. This is to say that at least in colloquial speech a shift in polite requests has taken place from requests that assert the sincerity of the speaker (I pray you, beseech you, etc.) to those that question the willingness of the listener to perform the request (please). . . .However, in more formal types of dialogue, verbs that express the speaker's sincere wish that something be done, such as I beseech, entreat, implore, importune, solicit, urge, etc. you still persist.


 もしこの変化が初期近代英語から後期にかけてのポライトネス・ストラテジーの大きな推移――話し手から聞き手への焦点の移行――を示唆しているとすれば,それは英語歴史社会語用論の一級の話題となるだろう.

 ・ Busse, Ulrich. "Changing Politeness Strategies in English Requests --- A Diachronic Investigation." Studies in English Historical Linguistics and Philology: A Festschrift for Akio Oizumi. Ed. Jacek Fisiak. Frankfurt am Main: Peter Lang, 2002. 17--35.

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2016-02-14 Sun

#2484. 「may 祈願文ができるまで」 [word_order][syntax][auxiliary_verb][subjunctive][pragmatics][speech_act][optative][may]

 祈願の may について,「#1867. May the Queen live long! の語順」 ([2014-06-07-1]),「#2256. 祈願を表わす may の初例」 ([2015-07-01-1]),「#2478. 祈願の may と勧告の let の発達の類似性」 ([2016-02-08-1]) で扱ってきたが,この問題について,最近,松瀬の論文が公刊された.初期近代英語の may 祈願文の確立は,古英語以来の種々の歴史言語学的な要因が積み重なった結果であり,一朝一夕に成ったものではないという趣旨だ.総合的な視点から同問題に迫った好論である.
 議論の詳細には触れないが,松瀬 (82) が「may 祈願文ができるまで」と題する節で図式的に要約した部分を引用する.

a. STAGE 1: OE 〜
   I wish that NP-Nom[inative]. + V-S[u]BJ[unctive]. 〔従属節〕
   ... (so) that NP-Nom. + V-SBJ. 〔従属節〕
b. STAGE 2: OE 〜
   NP-Nom. + V-SBJ. 〔主節〕                ex) God bless you!
   X + V-SBJ. + NP-Nom. 〔主節〕              ex) Long live the Queen!
c. STAGE 3: Late OE 〜
   I wish that NP-Nom. + MAY + Inf[initive]. 〔従属節〕
   ... (so) that NP-Nom. + MAY + Inf. 〔従属節〕
d. STAGE 4: ME 〜 *EModE/ME 〜
   NP-Nom. + MAY/MIGHT + Inf. 〔主節〕           ex) Thy voyce may sounde in mine eres.
   *X + NP-Nom. + MAY/MIGHT + Inf. 〔主節〕         ex) from dyssese he may us saue.
   X + MAY/MIGHT + NP-Nom. + Inf. 〔主節〕         ex) ai mighte he liven.
   Cf. (X) + MOTE + NP-Nom. + Inf. 〔主節〕         ex) mote þu wel færen
   Cf. LET + NP-Nom. + Inf. 〔主節〕            ex) late we hine welden his folc ...
e. STAGE 5: EModE 〜
   MAY + NP-Nom. + Inf. 〔主節〕              ex) May the force be with you!


 一連の流れに関わっている要因は,祈願動詞の従属節の法と語順,祈願の接続法を用いた主節の用法,接続法の代用としての助動詞 may の発達,類義の助動詞 motan の祈願用法の影響,let 構文との類推,"pragmatic particle" としての may とその語順の発達,など多数にわたる.これらが複雑に絡み合い,ある1つの特徴ある用法が生まれたというシナリオに,英語史や歴史英語学の醍醐味を感じる.

 ・ 松瀬 憲司 「"May the Force Be with You!"――英語の may 祈願文について――」『熊本大学教育学部紀要』64巻,2015年.77--84頁.

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2016-02-10 Wed

#2480. 命令にはなぜ動詞の原形が用いられるのか (2) [imperative][exclamation][inflection][speech_act][verb][interjection]

 [2016-02-05-1]の記事に引き続き,命令に動詞の原形が用いられる件について.先の記事の引用中にあったが,Mustanoja (473--74) が命令形と間投詞 (interjection) の近似に言及している.その箇所を引用しよう.

There is a striking functional resemblance between the imperative and the interjections. Both are functionally self-contained exclamatory expressions, both are little articulate (the singular imperative has no ending or has only -e, and the subject-pronoun is seldom expressed), and both are greatly dependent on intonation. In fact many interjections, primary and secondary, are used to express exhortations and commands (a-ha, hay, hi, harrow, out, etc. . . .), and many imperatives are used as interjections (abide, come, go bet, help, look . . . cf. present-day interjections like come on, go away, hear hear, say, say there, etc.)


 さらに,Mustanoja (630--31) では,動詞の命令形が事実上の間投詞となっている例が多く挙げられている.

Brief commands, exhortations, and entreaties are comparable to interjections. Thus in certain circumstances the imperative mood of verbs may serve as a kind of interjection: --- abyd, Robyn, my leeve brother (Ch. CT A Mil. 3129); --- come, þou art mysbilevyd (Cursor App. ii 823); --- go bet, peny, go bet, go! (Sec. Lyr. lvii refrain); --- quad Moyses, 'loc, her nu [is] bread' (Gen. & Ex. 3331); --- help, hooly croys of Bromeholm! (Ch. CT A Rv. 4286; in this and many other cases help might equally well be interpreted as a noun). Somewhat similar stereotyped uses of the imperative are herken and listen, which occur as conventional opening exclamations in numerous ME poems (herkneþ, boþe yonge and olde; --- lystenyþ, lordynges . . . .


 動詞による命令をある種の感情の発露としてとらえれば,動詞という品詞に属するという特殊事情があるだけで,それは確かに間投詞と機能的に似ている.そこで不変化詞であるかのように動詞の原形が用いられるというのは,不思議ではない.

 ・ Mustanoja, T. F. A Middle English Syntax. Helsinki: Société Néophilologique, 1960.

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2016-02-08 Mon

#2478. 祈願の may と勧告の let の発達の類似性 [pragmatics][syntax][word_order][speech_act][emode][subjunctive][auxiliary_verb][optative][hortative][may]

 「#1867. May the Queen live long! の語順」 ([2014-06-07-1]) の最後で触れたように,may 祈願文と let 勧告文には類似点がある.いずれも統語的には節の最初に現われるという破格的な性質を示し,直後に3人称主語を取ることができ,語用論的には祈願・勧告というある意味で似通った発話行為を担うことができる.最後の似通っている点に関していえば,いずれの発話行為も,古英語から中英語にかけて典型的に動詞の接続法によって表わし得たという共通点がある.通時的には,may にせよ let にせよ,接続法動詞の代用を務める迂言法を成立させる統語的部品として,キャリアを始めたわけだが,そのうちに使用が固定化し,いわば各々祈願と勧告という発話行為を標示するマーカー,すなわち "pragmatic particle" として機能するに至った.maylet を語用的小辞として同類に扱うという発想は,前の記事で言及した Quirk et al. のみならず,英語歴史統語論を研究している Rissanen (229) によっても示されている(松瀬,p. 82 も参照).

   The optative subjunctive is often replaced by a periphrasis with may and the hortative subjunctive with let:
   
   (229) 'A god rewarde you,' quoth this roge; 'and in heauen may you finde it.' ([HC] Harman 39)
   (230) Let him love his wife even as himself: That's his Duty. ([HC] Jeremy Taylor 24)

Note the variation between the subjunctive rewarde and the periphrastic may . . . finde in (229).
   Of these two periphrases, the one replacing hortative subjunctive seems to develop more rapidly: in Marlow, at the end of the sixteenth century, the hortative periphrasis clearly outnumbers the subjunctive, particularly in the 1 st pers. pl. . ., while the optative periphrasis is less common than the subjunctive.


 ここで Rissanen は,maylet を用いた迂言的祈願・勧告の用法の発達を同列に扱っているが,両者が互いに影響し合ったかどうかには踏み込んでいない.しかし,発達時期の差について言及していることから,前者の発達が後者の発達により促進されたとみている可能性はあるし,少なくとも Rissanen を参照している松瀬 (82) はそのように解釈しているようだ.この因果関係や時間関係についてはより詳細な調査が必要だが,一見するとまるで異なる語にみえる maylet を,語用(小辞)化の結晶として見る視点は洞察に富む.
 関連して祈願の may については「#2256. 祈願を表わす may の初例」 ([2015-07-01-1]) を,勧告の let's の間主観化については「#1981. 間主観化」 ([2014-09-29-1]) も参照.

 ・ Rissanen, Matti. Syntax. In The Cambridge History of the English Language. Vol. 3. Cambridge: CUP, 1999. 187--331.
 ・ 松瀬 憲司 「"May the Force Be with You!"――英語の may 祈願文について――」『熊本大学教育学部紀要』64巻,2015年.77--84頁.

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2016-02-06 Sat

#2476. 英語史において動詞の命令法と接続法が形態的・機能的に融合した件 [imperative][subjunctive][verb][inflection][speech_act]

 昨日の記事「#2475. 命令にはなぜ動詞の原形が用いられるのか」 ([2016-02-05-1]) の内容と密接に関わるものとして,標記の問題がある.英語史では,動詞の単数系列の命令形と接続法現在形が,形態的に融合してきた経緯がある.それと並行して,両者の機能,すなわち命令ととりわけ勧告の発話行為 (speech_act) もが融合してきたという経緯があり,現代英語においては,もはや形態においても機能においても,かつてあった区別が不明瞭となるに至っている.両者の融合への道筋は,1つには間接的な観点から記述することができる.命令形は,昨日の記事で述べたように,語根形(無屈折形)へ向かいやすかったし,一方,接続法現在は形態・機能的に衰退し,結果として直説法現在へ呑み込まれた.
 しかし,命令形と接続法現在形の融合は,より直接的に両者の機能的な類似によって促進されたとも論じられるかもしれない.とりわけ勧告・忠告・奨励を表わすのに用いられる接続法については,それが機能上命令という発話行為に近似していることは容易に理解できるだろう.
 昨日の記事で引用した Fischer (249) は,上記の点について次のように述べている.

In Middle English the forms of the imperative singular and the subjunctive present singular coalesced . . . . In function, the hortatory subjunctive and the imperative were practically similar already in Old English, where one finds them used side by side . . . . In the plural there was still a morphological distinction . . . when the subject pronoun did not immediately follow the verb. This situation was not to last, as the hortatory subjunctive was on its way out. . . . By the middle of the fifteenth century the plural imperative ending disappears.


 この Fischer の発言は,2人称の単複両系列において命令法と接続法の融合が形態ベースであるとともに機能ベースでもあったことを示唆しているように読める.
 複数系列の命令形についても,単数系列と同様に,15世紀半ばまでには無語尾となっていたとあるが,確かにその前段階の Chaucer 辺りでは,歴史的な単複の形態的区別がすでに事実上の自由変異と化している.例えば,Chaucer (CT III.186--7 [2:186--7]) では "Telle forth youre tale, spareth for no man,/ And teche us yonge men of youre praktike." などと語尾の有無が目まぐるしく切り替わっている.
 さらに時代を遡って古英語の様子をみてみると,Traugott (185) は,命令法と接続法の機能的区別は,9世紀末までにはおよそ失われつつあったとしている.

Because the imperative and subjunctive contrast morphologically, we assume that there was a difference in meaning, at least in early OE times, between more and less directive, more and less wishful utterances. By the time of Alfredian OE this difference was losing ground in many registers; charms, medical prescriptions and similar generalised instructions are normally in the subjunctive.


 これらの見解を総合すると,問題の融合は,やはり形態ベースであると同様に機能ベースでもあったと考えるのが妥当かもしれない.

 ・ Fischer, O. Syntax. In The Cambridge History of the English Language. Vol. 2. Ed. N. Blake. Cambridge, CUP, 1992. 207--398.
 ・ Traugott, Elizabeth Closs. Syntax. In The Cambridge History of the English Language. Vol. 1. Ed. Richard M. Hogg. Cambridge: CUP, 1992. 168--289.

Referrer (Inside): [2017-03-17-1]

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2016-02-05 Fri

#2475. 命令にはなぜ動詞の原形が用いられるのか [imperative][exclamation][inflection][speech_act][verb][interjection]

 標題は,英語の命令文に関して,「#2289. 命令文に主語が現われない件」 ([2015-08-03-1]) と並んで,長らく疑問に感じていることである.
 歴史的には,命令形と不定形は別個のものである.例えば,古英語の「行く」を表わす動詞について,2人称単数への命令は ,2人称複数への命令は gāþ,不定形は gān であり,それぞれ形態は異なっていた.中英語以降,これらの屈折語尾が水平化し,形態的に軒並み go へと収斂した.
 このような歴史的背景はあるにせよ,現代英語を共時的な観点から眺めれば,典型的な命令に用いられる動詞の形態は,いわゆる原形(不定形)の形態と完全に一致している.したがって,通時的な観点を抜きに記述するのであれば(そしてそれは母語話者の文法を反映していると思われるが),命令形と原形という用語を区別する必要はなく「命令には動詞の原形を用いる」と言って差し支えない.もしこれが真に母語話者の共時的感覚だとすれば,原形の表わす不定性と命令の機能が同一の形態のなかに共存していることに関して,認知上どのようにとらえられているのだろうか.
 この問題について,松瀬 (83) で参照されていた Fischer (249) のコメントに当たってみた.

The imperative has a tendency to become invariant in form (this happened also in other Germanic languages), because it functions like a self-contained, exclamatory expression. Mustanoja (1960: 473) compares its function to that of (invariable) interjections. In an example like,

   (109) Help! Water! Water! Help, for Goddes herte! (CT I.3815 [1:3807])

help is as much an interjection as an imperative.


 命令と感嘆はある種の感情の発露として機能的に似通っており,それゆえに裸の語根そのもの(英語の場合には,すなわち原形)が用いられると解釈できるだろうか.細江 (157) が感嘆文との関連で述べている言葉を借りれば,このような語根形は「言語が文法的形式にとらわれず,その情の急なままに原始的自然の言い方に還元された」ものととらえることができる.

 ・ 松瀬 憲司 「"May the Force Be with You!"――英語の may 祈願文について――」『熊本大学教育学部紀要』64巻,2015年.77--84頁.
 ・ Fischer, O. Syntax. In The Cambridge History of the English Language. Vol. 2. Ed. N. Blake. Cambridge, CUP, 1992. 207--398.
 ・ 細江 逸記 『英文法汎論』3版 泰文堂,1926年.

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2015-08-03 Mon

#2289. 命令文に主語が現われない件 [imperative][syntax][pragmatics][sociolinguistics][politeness][historical_pragmatics][emode][speech_act]

 標題は,長らく気になっている疑問である.現代英語の命令文では通常,主語代名詞 you が省略される.指示対象を明確にしたり,強調のために you が補われることはあるにせよ,典型的には省略するのがルールである.これは古英語でも中英語でも同じだ.
 共時的には様々な考え方があるだろう.命令文で主語代名詞を補うと,平叙文との統語的な区別が失われるということがあるかもしれない.これは,命令形と2人称単数直説法現在形が同じ形態をもつこととも関連する(ただし古英語では2人称単数に対しては,命令形と直説法現在形は異なるのが普通であり,形態的に区別されていた).統語理論ではどのように扱われているのだろうか.残念ながら,私は寡聞にして知らない.
 語用論的な議論もあるだろう.例えば,命令する対象は2人称であることは自明であるから,命令文において主語を顕在化する必要がないという説明も可能かもしれない.社会語用論の観点からは,東 (125) は「英語は主語をふつう省略しない言語だが,命令文の時だけは省略する.この主語(そして命令された人も)を省略する文法は,ポライトネス・ストラテジーのあらわれだといえよう」と述べている.関連して,東は,命令文以外でも you ではなく一般人称代名詞 one を用いる方がはるかに丁寧であるとも述べており,命令文での主語省略を negative politeness の観点から説明するのに理論的な一貫性があることは確かである.
 しかし,ポライトネスによる説明は,現代英語の共時的な説明にとどまっているとみなすべきかもしれない.というのは,初期近代英語では,主語代名詞を添える命令文のほうがより丁寧だったという指摘があるからだ.Fennell (165) 曰く,". . . in Early Modern English constructions such as Go you, Take thou were possible and appear to have been more polite than imperatives without pronouns."
 初期近代英語の命令や依頼という言語行為に関連するポライトネス・ストラテジーとしては,I pray you, Prithee, I do require that, I do beseech you, so please your lordship, I entreat you, If you will give me leave など様々なものが存在し,現代に連なる please も17世紀に誕生した.ポライトネスの意識が様々に反映されたこの時代に,むしろ主語付き命令文がそのストラテジーの1つとして機能した可能性があるということは興味深い.上記の東による説明は,よくても現代英語の主語省略を共時的に説明するにとどまり,通時的な有効性はもたないだろう.
 この問題については,今後も考えていきたい.

 ・ Fennell, Barbara A. A History of English: A Sociolinguistic Approach. Malden, MA: Blackwell, 2001.
 ・ 東 照二 『社会言語学入門 改訂版』,研究社,2009年.

Referrer (Inside): [2016-07-23-1] [2016-02-05-1]

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2015-02-21 Sat

#2126. FTA と FTA を避ける戦略 [pragmatics][politeness][face][speech_act]

 ポライトネス理論の重要な道具立てとして,「#1564. face」 ([2013-08-08-1]) という概念が重視されてきた.face work の議論では,面子を脅かす行為,face-threatening act (FTA) が注目され,様々に研究されるようになってきた.
 FTA には,(1) positive face を脅かすもの,(2) negative face を脅かすもの,(3) 両方を脅かすものがある.(1) には不賛成,非難,批判,不一致,侮蔑など,(2) には助言,命令,要求,提案,警告など,(3) には不満,中断,脅威などがある.これらは主として聞き手の面子を脅かす行為だが,話し手自らの面子を脅かすものもある.例えば,お世辞を受け入れたり,謝意を表明したり,告白するという行為は,話し手の面子に関わる行為である.
 人々は FTA を避ける,あるいはその効果を和らげるために,様々な言語的・非言語的戦略を用いて日常生活を営んでいる.Huang (117) に掲載されている "Brown and Levinson's (1987: 60) set of FTA-avoiding strategies" の図は,それらの戦略を分類したものである.少々改変した図を示そう.

FTA Avoiding Strategies
 面子を脅かす可能性が高い行為であればあるほど,それを和らげるためにより精巧で困難な戦略が要求される.上の図でいえば,下に行けば行くほど面子を脅かす度合いが高く,それを和らげるための戦略も高度になる.換言すれば,下の方にある5の戦略が最も気遣いのある手堅い戦略となり,上の方にある1の戦略が最もぶっきらぼうで戦略的効果は小さい.
 ある学生が友人に講義ノートを貸してもらいたいという状況を想定しよう.上の図の戦略1〜5に対応するのは,例えば次のような文である(Huang 118) .

1. On record, without redress, baldly:
   Lend me your lecture notes.
2. On record, with positive politeness redress:
   How about letting me have a look at your lecture notes?
3. On record, with negative politeness redress:
   Could you please lend me your lecture notes?
4. Off record:
   I didn't take any notes for the last lecture.
5. Don't perform the FTA:
   [John silently looks at Mary's lecture notes.]


 1から5に向かって,相手の面子を保つ効果の高い,心遣いのある丁寧な表現・行為となっているのがわかるだろう.一般的に,間接的な表現や行為ほどFTA を和らげる効果がある.ただし,注意したいのは,戦略1が必ずしも戦略2以降と比べてポライトではないとは言い切れないことだ.仲の良い相手に頼む場合には,むしろ戦略3のような表現はよそよそしいだろうし,戦略2や,ときには戦略1ですら,ふさわしい表現となる.そのような状況では,むしりあからさまに要求するという戦略は望ましいものとなる.
 考えてみると,人と人が交流しているときには,いつでも互いにFTAを行っている,つまり面子を脅かしているといっても過言ではない.ということは,交流を円滑にするためにFTAを避ける,あるいは和らげる戦略も,常に展開しているということになる.そのような戦略はときに失敗することもあるが,多くの場合それなりに成功するものであり,それとともに交流も円滑に流れてゆく.このような人間どうしの複雑な行動が日々半ば無意識に行われているということは,驚くべきことである.「FTAを避ける戦略」という言い方はなんともネガティヴだが,「互いの face を守る努力」 (face-saving act or FSA?) ととらえれば,日々の人々の営みがポジティヴに感じられる.

 ・ Huang, Yan. Pragmatics. Oxford: OUP, 2007.

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2014-10-14 Tue

#1996. おしゃべりに関わる8要素 SPEAKING [ethnography_of_speaking][speech_act][communication]

 おしゃべり (speech) には様々な種類がある.噂話もあればヤジもあるし,謝辞もあればお世辞もある.演説,告白,討論,説教,エレベーターピッチまで様々だ.では,これらの種々のおしゃべりを分類するのに,どのような基準が考えられるだろうか.別の言い方をすれば,これらコミュニケーション上の出来事がどのようにその目標を達成しているのか理解する上で関与的な要素は何だろうか.社会言語学者 Hymes は,頭字語 SPEAKING のもとに8つの要素を認めている.Hymes を要約した Wardhaugh (259--61) の記述にしたがって,簡単に説明しよう.

 (1) Setting and Scene. 前者はおしゃべりが行われている時間と場所を指し,後者は抽象的で心理的な環境を指す.例えば,女王のクリスマスのメッセージや米大統領の年頭教書は,特有の Setting と Scene をもっている.日本でいえば,天皇陛下の新年のお言葉も特有な Setting と Scene をもっている.

 (2) Participants. 話し手と聞き手.会話では両者が順番に発話するのが通常だが,演説や講義では主におしゃべりは一方通行で,かつ聞き手は複数である.留守番電話では,話し手と聞き手というよりは,メッセージの送り手と受け手というのが適当だろう.祈りにおいては,聞き手は神である.

 (3) Ends. そのおしゃべりを通じて慣習的に期待されている目的,あるいは話し手が個人的に目指している目的.例えば法廷における発言は,判事,陪審員,被告,原告,証人のいずれによってなされるかによって大きく異なる目的をもつ.結婚式における誓いの発話は,社会的な目的を有していると同時に,新郎新婦の個人的な目的を有している.

 (4) Act sequence. 具体的に使われた表現について,それがどのように使われたのか,現行の話題とどのような関係があるのかという観点をさす.そのおしゃべりでは,どのような表現が発話されており,実際に何が行われているのかという視点である.語用論でいう発話行為 (speech_act) の考え方に通じる.「#1646. 発話行為の比較文化」 ([2013-10-29-1]) を参照.

 (5) Key. メッセージを伝える際のトーンや様式や気分など.おしゃべりが気軽か深刻か,あるいは精確か,衒学的か,儀式的か,軽蔑的か,皮肉的か等々.種々の非言語的な行動,身振り,姿勢などを伴うこともある.

 (6) Instrumentalities. コミュニケーションの回路の選択肢.話しことばか書き言葉か,電話か電信かなどの媒介の選択肢にとどまらず,用いる言語,方言,コード,使用域の選択肢をもさす.code-switching は,複数の instrumentalities を使い分けるおしゃべりの仕方ということになる.

 (7) Norms of interaction and interpretation. おしゃべりに付随する特定の行動や特性,及びそれらに関する規範をさす.声の大きさ,沈黙,視線合わせ,話し相手との立ち位置に関する物理的距離などにちての規範などが含まれる.「#1633. おしゃべりと沈黙の民族誌学」 ([2013-10-16-1]),「#1644. おしゃべりと沈黙の民族誌学 (2)」 ([2013-10-27-1]) を参照.

 (8) Genre. 発話のジャンル.詩,ことわざ,なぞなぞ,説教,祈祷,講義,社説などの明確に区別される発話の種類をさす.

 人々はこれら SPEAKING の各要素に常に注意を払いながらおしゃべりしていると考えられる.Wardhaugh (261) の言うように,おしゃべりは極めて複雑な営為である.

What Hymes offers us in his SPEAKING formula is a very necessary reminder that talk is a complex activity, and that any particular bit of talk is actually a piece of 'skilled work.' It is skilled in the sense that, if it is to be successful, the speaker must reveal a sensitivity to and awareness of each of the eight factors outlined above. Speakers and listeners must also work to see that nothing goes wrong. When speaking does go wrong, as it sometimes does, that going-wrong is often clearly describable in terms of some neglect of one or more of the factors. Since we acknowledge that there are 'better' speakers and 'poorer' speakers, we may also assume that individuals vary in their ability to manage and exploit the total array of factors.


 文法や語彙を学習しただけでは言語をマスターしたとはいえない.上手におしゃべりするためには,SPEAKING に敏感であることが必要である.関連して「#1632. communicative competence」 ([2013-10-15-1]) と「#1652. 第2言語習得でいう "communicative competence"」 ([2013-11-04-1]) を参照.

 ・ Wardhaugh, Ronald. An Introduction to Sociolinguistics. 6th ed. Malden: Blackwell, 2010.

Referrer (Inside): [2016-12-19-1]

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2014-09-11 Thu

#1963. 構文文法 [bnc][construction_grammar][syntax][cognitive_linguistics][prototype][web_service][speech_act][generative_grammar]

 構文文法 (construction grammar) は,この四半世紀の間で発展してきた認知言語学に基づく文法理論である.Lakoff, Fillmore, Goldberg, Kay などによって洗練されてきた.
 構文という捉え方そのものは,統語論において長い伝統がある.構造言語学では当然視されていたし,その流れを汲んだ「文型」の考え方も,語学教育を通じて広く知られている.しかし,生成文法の登場により,従来の構文や文型は相対化され,二次的な付帯現象として扱われるようになった.
 しかし,1970年代後半の認知言語学の誕生により,構文は単に形式的な観点からだけではなく,機能的・意味的な観点からアプローチされるようになった.特定の構文は,深層構造から生成されるのではなく,それ自身の資格において特定の意味に直接貢献する単位であるという考え方だ.例えば,Me write a novel?! という一見すると破格的な構文は,それ自体が独自の韻律(主部と述部が上昇調のイントネーションを帯びる)を伴い,「あざけり」を含意する.また,There's the bell! のような構文は,人差し指を上げる動作とともに用いられることが多く,「知覚の直示性」を表わす,といった具合だ.構文文法では,構文そのものが意味,語用,韻律などを規定していると捉える.
 ただし,構文が意味などを規定しているといっても,その規定の強さは変異する.例えば,Is A B? の構文は典型的に質問の発話行為を表わすが,Is that a fact? は,通常,質問ではなく話者の驚きを表わす(いわゆる間接的発話行為 (indirect speech_act)) .このように,構文文法は,構文とその意味の関係もプロトタイプ的に考える必要があると主張する.また,定型構文となると,そのなかの語句を他のものに交換できなくなるなど,意味的,統語的に融通のきかなくなるケースもある.例えば,Thanks a lot, Thanks a million からの発展で Thanks a billion は可能だが,*Thanks a hundred は不可能となる.day in day out, month in month out は可だが,minute in minute outcentury in century out は不可である,等々 (Taylor 225--28) .
 構文文法は上記のように生成文法へのリアクションとして生じてきたが,近年では生成文法の側でも構文文法と親和性のある反語彙論や分散形態論などの理論が発展してきている.構文復権の徴候が顕著になってきたといえるだろう.
 構文文法の枠組みで BNC の例文に構文情報を付したデータベースが,http://framenet.icsi.berkeley.edu/ で公開されており,こちらのインターフェースよりアクセスできる.数十の注目すべき英語構文が登録されている.

 ・ Taylor, John R. Linguistic Categorization. 3rd ed. Oxford: OUP, 2003.

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2013-10-29 Tue

#1646. 発話行為の比較文化 [ethnography_of_speaking][speech_act][pragmatics][face][performative][adjacency_pair]

 「#1632. communicative competence」 ([2013-10-15-1]),「#1633. おしゃべりと沈黙の民族誌学」 ([2013-10-16-1]),「#1644. おしゃべりと沈黙の民族誌学 (2)」 ([2013-10-27-1]) の記事で,ethnography of speaking の分野がカバーする領域を垣間見た.今回は,発話の比較文化という観点から,もう1つの話題を取り上げる.発話行為 (speech act) の異文化比較である.
 発話行為の類型は,Austin の古典的なものやそこから発展させた Searle のものが知られている(Huang, pp. 106--08 を参照).そのような類型への関心は,種々の発話行為があらゆる言語とその話者に共有されていることを示唆しているようにも聞こえるが,実際には多くの発話行為は文化に依存する.結婚などの儀礼的,慣習的な場面での発話行為が文化によって異なることは容易に理解されるだろうが,それほど慣習化されていない場面における発話行為にも文化間の相違は見られる.以下,Huang (119--25) に従って,4種類を取り上げよう.

 (1) ある文化に存在する発話行為が,別の文化に存在しない場合.例えば,約束という発話行為は,日本語にも英語にもあるし,他の多く言語にも存在する.しかし,フィリピンのイロンゴト族 (Ilongot) にはそれがない.イロンゴト族の社会では誠実さや真実よりも社会的な関係のほうが重視され,結果として約束という発話行為がそもそも存在しないのだと考えられている.もう1つ例を挙げれば,オーストラリアのアボリジニー,ヨロンゴ族 (Yolngu) では,感謝という発話行為がないといわれる.
 また,他にみられない特殊な発話行為をもつ文化もある.オーストラリアのアボリジニー,Walmajarri において,「親戚関係に基づく権利あるいは義務として要求する」という特異な発話行為があり,遂行動詞 (performative verb) japirlyung によって表わされる.この遂行動詞は,"I ask/request you to do X for me, and I expect you to do it simply because of how you are related to me" ほどの意味を表わす.これらの例は,主として西洋文化の視点から組み立てられた発話行為の類型論の有効性に異を唱えるものとなる.

 (2) 同じ状況に対して,文化によって異なる発話行為がなされる場合.例えば,人の足を踏んでしまったとき,西洋でも東アジアでも,通常は謝罪という発話行為がおこなわれる.ところが,西アフリカのアカン族 (Akan) では,謝罪ではなく同情の発話行為がなされる.また,食事会に招待されて,最後においとまするとき,英語では食事への感謝と賛辞を述べるのが通常だが,日本語では「お邪魔いたしました」と侵入行為を認める発言をする.同様に,日本語では,贈り物をもらったときなどには,感謝よりも「すみません」の謝罪のほうを好む.

 (3) 同じ発話行為に対して,文化によって異なる反応が示される場合.褒め言葉を述べられると,英語では感謝しながら受け入れるのが普通だが,中国語,日本語,ポーランド語などでは受け入れを拒否する(例:「まあ,すてきなお庭をおもちですね」「いえいえ,まったく手入れをしていないもので」).ちなみに,依頼に対してノーといえない日本語話者が,自分に向けられた褒め言葉にはノーということを好むというのがおもしろい.
 また,申し出に対して1度は儀礼的な拒否がなされることが多いのも中国語や日本語の伝統的にして典型的な反応である.「申し出→儀礼的な拒否→申し出→儀礼的な拒否→受諾」という流れ (adjacency pair) そのものが,文化的に埋め込まれていると考えられる(cf. 三顧の礼).

 (4) 同じ発話行為であっても,直接的になされるか間接的になされるか,その度合いが文化によって異なる場合.依頼,謝罪,不平などの face-threatening act (FTA) について異なる言語間の比較研究が,1980年代以降,とりわけ Cross-Cultural Speech Act Realization Project (CCSARP) の名の下で推し進められてきた.依頼についていえば,8つの言語変種 (German, Hebrew, Danish, Canadian French, Argentinian Spanish, British English, American English, Australian English) を比較したところ,Argentinian Spanish が最も直接的で,Australian English が最も間接的だった.
 日本語の「善処します」は,文字通りには「じょうずに処理する」という意味を表わすが,政治家が用いれば間接的な拒否の発話行為となる.これは,相手の依頼に対して直接ノーと言いにくい日本語にとって,間接的,語用論的な方略なのである.実際に,これが日米の外交問題に発展した事例がある.1974年,ニクソン大統領が佐藤首相に対して日本の繊維市場の自由化を求めた.佐藤首相は否定的な意味合いで「善処します」と答え,それは I do my best. と通訳された.その後,何も動かない日本に対してアメリカがいらだちを募らせ,抗議をするに至った.当時までに,発話行為の ethnography of speaking がよく研究され,その成果が日米異文化理解に役立つ知恵として両首脳の耳に達していれば,このような誤解は生じなかったろう.

 ・ Huang, Yan. Pragmatics. Oxford: OUP, 2007.

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