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political_correctness - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2019-11-20 09:36

2018-04-01 Sun

#3261. ドイツ国歌の「父なる祖国」を巡るジェンダー問題 [gender][sociolinguistics][political_correctness][grimms_law][verners_law]

 ドイツ国歌の歌詞にある Vaterland (父なる祖国)が男性バイアスの用語なので,Heimatland (故郷の国)に変更しようという political_correctness の提案がドイツ国内でなされている.ドイツ政府による男女共同参画の推進を担当する女性の政治活動家が提案したもので,目下,物議を醸している.ジェンダーについて中立な言葉遣いが時勢に合っているからという理由での提案だが,保守系の政治家は「やりすぎだ」「これを変えるなら『母語』という言葉も使えない」などと反発している.メルケル首相も変更は不要という立場のようだ.
 ドイツ国歌は,オーストリアの作曲家ハイドンの曲に対して1841年に歌詞づけしたもので,国歌としては旧西ドイツから東西統一後のドイツへの引き継がれた.国歌の歌詞におけるジェンダーの問題は最近オーストリアやカナダでも起こっており,そこでは中立的な表現に置き換えられたという経緯がある.これらの先例を受けての,ドイツでの論争という次第である.
 英語でも「祖国,故国」を表わす語として fatherland という言い方がある.motherland という言い方もあるが,PC の観点からはジェンダーについて中立な homeland, native country, home が用いられることが多くなっているという.しかし,借用語の patriot (愛国者),patriotism (愛国心)などでは語幹にラテン語で「父」を意味する pater が含まれており,発想としては fatherland と酷似するのだが,これについては特にジェンダー論争が起こっているという話しは聞かない.借用語では,語幹の「父」の意味が直接には感じ取られにくいからだろうか.
 ラテン語 pater と英語 father は語源的には同根だが,その関係を詳しく理解しようと思えば「グリムの法則」 (grimms_law) や「ヴェルネルの法則」 (verners_law) の知識が必要となる.それには,「#2277. 「行く」の意味の repair」 ([2015-07-22-1]),「#102. hundredグリムの法則」 ([2009-08-07-1]),「#480. fatherヴェルネルの法則」 ([2010-08-20-1]),「#2297. 英語 flow とラテン語 fluere」 ([2015-08-11-1]) 辺りの記事をどうぞ.

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2017-06-16 Fri

#2972. イギリスにおける職名性差別の違法化 [gender][political_correctness][bre]

 英語圏では,前世紀後半より言語上の性差別を廃する傾向が強まってきている.日常的言語使用の慣習ともなってきているが,それを支える法的な基盤もある.イギリスでの性差別を違法とする法律は1975年に制定されている(Sex Discrimination Act 1975 を参照).この法律は,その後廃止され,2010年の Equality Act 2010 に受け継がれている.
 Crystal (314--15) によれば,

Legal changes, such as the Sex discrimination Act in Britain (1975), have caused job titles and much of the associated language to be altered. The written language has been most affected, but there have been signs of change in speech behaviour too. Plainly, the last quarter of the 20th century saw a general raising of consciousness about the issue of linguistic sexism, and this is likely to have a permanent effect upon the language.


 このような言語上の性差別廃止の傾向は,上のような法律が駆動しているというよりは,すでにある社会的なトレンドを同法律が後押ししているとみなすほうが適切だろう.というのは,法律が明言しやすいのは書き言葉における非性差別表現使用の徹底だと思われるが,法律がいかに話し言葉にまで影響を及ぼし得るかは自明ではないにもかかわらず,実際には日常の話し言葉においても非性差別の方向での「慣行の変化の兆し」が確認されるからだ.これは,程度の差はあれ,昨今の日本語の環境においても見られる潮流だろう.
 関連して,言語使用における性差別の解消について,以下の記事も参照.

 ・ 「#2655. PC言語改革の失敗と成功」 ([2016-08-03-1])
 ・ 「#1709. 主要英訳聖書年表」 ([2013-12-31-1]):特に The New Revised Standard Version (1990) の性差別表現の忌避は徹底的
 ・ 「#1048. フランス語の公文書で mademoiselle が不使用へ」 ([2012-03-10-1])

 ・ Crystal, David. How Language Works. London: Penguin, 2005.

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2017-01-29 Sun

#2834. wimminherstory [political_correctness][pronunciation_spelling][spelling][pronunciation][spelling_pronunciation_gap]

 標題の最初の語は woman の複数形 women を表わす PC 的な綴字である.従来の標準的な綴字では,woman/womenman/men からの派生であり,したがって副次的であるという含意を伴うために,それを改善すべくフェミニストが表音的な綴字を作り出したという経緯があった.現在でも主要な英和辞典には見出し語として挙がっているが,ほとんどの英英辞典では見出しが立てられていない.落ちぶれた一時限りの流行語,という扱いなのだろう.今では,歴史的な価値しか残っていない.
 同様に,history に対する herstory も,PC 史ではことのほかよく知られている.「フェミニストの観点からの歴史,女性の歴史」を指すが,やはり現在の英英辞典では扱われていない.
 Hughes (183) が,これらの語の歴史に関して解説を加えている.両語とも,すっかりこけにされてしまったものである.

Wimmin . . . attracted a lot of publicity in 1982--3 before going through the phases of satire and obsolescence prior to fading away. A similar feminist coinage was herstory, briefly institutionalized in the acronym "WITCH --- Women Inspired to Commit Herstory," in Robin Morgan's Sisterhood is Powerful (1970, p. 551). Jane Mills made this telling observation in her compendium Womanwords: "The rewriting or respeaking of history as herstory --- coined by some feminists in the 1970s --- is guaranteed to annoy most men, many women and almost all linguists" (1989, p. 118). Although the currency of herstory has declined, Elaine Showalter showed further creativity in her study Hystories: Hysterical Epidemics and the Modern Media (1997).


 wimmin について,PC 史の観点からは,上の引用に述べられているほかに言うべきことはないが,綴字の問題と関連して,もう少し議論を続けてみたい.この綴字改革(あるいは綴字操作?)の背景にある考え方は,冒頭に述べたように,<women> という綴字は否応なしに <men> を連想させてしまう.視覚的に韻を踏んでいる (eye rhyme) からである.両語の形態・意味的なつながりは,無視し得ないほどに明白である.
 ところが,発音は別の話だ.発音としては,むしろ /mɛn/ と /ˈwɪmɪn/ で韻を踏まない.つまり,発音を忠実に標記するような綴字に変えれば,両語の関係を見えにくくすることができる,ということになる.発音と綴字の乖離 (spelling_pronunciation_gap) は英語における悪名高い特徴だが,<wimmin> はまさにその特徴を逆手に取った pronunciation_spelling の技法の成果なのである.
 現代英語の綴字体系の基本方針が,表音性 (phonography) というよりも表形態素性 (morphography) にあることは,「#1332. 中英語と近代英語の綴字体系の本質的な差」 ([2012-12-19-1]),「#1386. 近代英語以降に確立してきた標準綴字体系の特徴」 ([2013-02-11-1]),「#2043. 英語綴字の表「形態素」性」 ([2014-11-30-1]) などで見てきた通りである.端的にいえば,綴字は音より意味を表わすほうに重点を置くという方針だ.<wimmin> への綴字改革は,その裏をかいて,men との意味の連想を断つのに,その対立項としての表音重視をもってする,という戦略をとったことになる.綴字の担いうる表音機能と表形態素機能という文字論上の対立を,PC という社会言語学的な目的のために利用した例といえるだろう.綴字の政治利用の1形態と言ってもよい.PC がいかなる言語的な素材を戦略的に用いてきたか,その類型論を考える際に,<wimmin> はおもしろい例を提供してくれている.
 women の発音と綴字を巡る話題については,「#223. woman の発音と綴字」 ([2009-12-06-1]),「#224. women の発音と綴字 (2)」 ([2009-12-07-1]),「#246. 男性着は「メンズ」だが,女性着は?」 ([2009-12-29-1]),「#247. 「ウィメンズ」と female」 ([2009-12-30-1]) も参照.

 ・ Hughes, Geoffrey. Political Correctness: A History of Semantics and Culture. Malden, ML: Wiley Blackwell, 2010.

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2017-01-28 Sat

#2833. PC の変質と拡大 [political_correctness][sociolinguistics][taboo][euphemism][context]

 「#2827. PC の歴史」 ([2017-01-22-1]),「#2832. PC の特異な点」 ([2017-01-27-1]) に関連して,political_correctness という社会言語学上の運動について.今回は,誕生から半世紀ほどを経た PC が時間のなかでどのように変質・拡大してきたか,Hughes に従って考えてみたい.
 3点ほど指摘できるように思われる.1つは,PC がいくつかの段階を経て社会に受容されてきたという点である.PC は当初はあるイデオロギーをもった内集団で用いられ始めた.それが,内集団の外へも広がっていき,社会的に認知されるようになった.例えば,"political correctness" などのキーワードそれ自体が広く知れ渡ることになった.次に,批判的な反応が,とりわけ皮肉やパロディなどの形で目立つようになってきた.さらに,反抗的な反応として,あえて "politically incorrect language" を用いる "shock jocks" や "rappers" のような存在も現われてきた.このように,PC は受容の拡大と否定的な反応という段階を経ながら成長してきた.しかし,おもしろいのは否定的な反応が目立つようになったとはいえ,PC それ自体は決して失われていないことだ.Hughes (283) は,"Although discredited and mocked, it refuses to go away but appears in new guises." と述べ,これを "the paradox of political correctness" と呼んでいる.
 2つ目に,PC が流行に乗るにつれ,カバーする領域が拡散し,明確に定義できなくなってきたということがある.性や職業名などの問題に始まったが,新しいところでは外見,動物の権利,環境に関する問題まで,広く PC の問題として内包されるようになった.Hughes (284) が挙げている PC の対象となる分野のリストによれば,"fatness, appearance, stupidity, diet, crime, prostitution, race, homosexuality, disability, animal rights, the environment, and still others" が含まれている.別の言い方をすれば,言語や態度や行動のタブー (taboo) の領域が以前と比べて拡大してきた,ということだろう.PC とは,1つの見方によれば,タブー領域の拡大だったのである!
 3つ目に,PC の焦点が,PC 用語のもつ意味的・形態的な側面よりも,誰が誰に対して,いつ,どのような状況でそれを用いるかというコンテクストに当てられるようになってきた.Hughes (286) 曰く,"political correctness has increasingly become less absolute and more contextual, that is to say the emphasis is increasingly less on what is said, but more on who said it and when." 例えば,白人が黒人を指すのに侮蔑的な用語を使うのと,黒人が自らを指すのに同じ用語を使うのとでは,その効果はまったく異なる.用語そのものの問題ではなく,語用的な問題が意識されるようになってきたということだろう.
 このように,PC とは社会とともに成長してきた概念である.

 ・ Hughes, Geoffrey. Political Correctness: A History of Semantics and Culture. Malden, ML: Wiley Blackwell, 2010.

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2017-01-27 Fri

#2832. PC の特異な点 [political_correctness][sociolinguistics]

 「#2827. PC の歴史」 ([2017-01-22-1]) の記事で,近年の社会言語学上の一大運動としての political_correctness の動向に触れた.一般的な意味で言語の正統性 (orthodoxy) を目指す運動や主張は,英語の歴史でも繰り返し生じてきたが,現代の PC には過去の類似した現象には見られなかった特異な点が3つあるという.Hughes (7) より,指摘箇所を引用しよう.

There are three characteristics which make political correctness a unique sociolinguistic phenomenon. Unlike previous forms of orthodoxy, both religious and political, it is not imposed by some recognized authority like the Papacy, the Politburo, or the Crown, but is a form of semantic engineering and censorship not derivable from one recognized or definable source, but a variety. There is no specific ideology, although it focuses on certain inequalities and disadvantaged people in society and on correcting prejudicial attitudes, more especially on the demeaning words which express them. Politically correct language is the product and formation of a militant minority which remains mysteriously unlocatable. It is not the spontaneous creation of the speech community, least of all any particular deprived sector of it. Disadvantaged groups, such as the deaf, the blind, or the crippled (to use the traditional vocabulary), do not speak for themselves, but are championed by other influential public voices.


 要約すれば,(1) PC は特定の権威によって押しつけられるものではなく,様々な源に発する意味工作・検閲の1形態であること,(2) 偏見を正すという大風呂敷の大義はあるにせよ,特定のイデオロギーと関係づけられるものではないこと,(3) 明確に「居所」のつかめない少数派の闘士によるものであること,となろうか.さらにまとめてしまえば,PC は,社会的権威は握っていないが,世の中の偏見を正したいという正義感をもつ少数派の所産ということになる.
 現在進行中である PC 自体の効果,成果,功罪などを適切に評価することは難しいが,このようにある意味で特異な集団がこの運動を牽引し,この運動の存在感を高めてきたという事実は銘記しておきたい.

 ・ Hughes, Geoffrey. Political Correctness: A History of Semantics and Culture. Malden, ML: Wiley Blackwell, 2010.

Referrer (Inside): [2017-01-28-1]

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2017-01-22 Sun

#2827. PC の歴史 [political_correctness][sociolinguistics][politeness][history]

 歴史的な視点を交えた Hughes による Political Correctness の研究書を読んだ.一口に political_correctness といっても,はてしなく広い領域を覆う社会言語学上の問題であることが理解できた.現代的な意味での PC の歴史はまだ数十年しかないが,その淵源はおそらくずっと古い時代にまで遡ることができそうだ.というのは,PC は別の社会言語学的な問題である taboo, euphemism, politeness とも関係が深く,これらはいつの時代でも,どこの文化にもあったと考えられるからだ.
 しかし,20世紀半ばから始まった現代的な PC も,それほど長くない歴史のなかで,その在り方を少なからず変えてきた.Hughes (3--4) は,著書のイントロで,PC を巡る過去数十年間の変遷と PC の効果について,次のように要約している.

Linguistically it started as a basically idealistic, decent-minded, but slightly Puritanical intervention to sanitize the language by suppressing some of its uglier prejudicial features, thereby undoing some past injustices or "leveling of the playing fields" with the hope of improving social relations. It is now increasingly evident in two opposing ways. The first is the expanding currency of various key words . . . , some of a programmatic nature, such as diversity, organic, and multiculturalism. Contrariwise, it has also manifested itself in speech codes which suppress prejudicial language, disguising or avoiding certain old and new taboo topics. Most recently it has appeared in behavioral prohibitions concerning the environment and violations of animal rights. As a result of these transitions it has become a misnomer, being concerned with neither politics nor correctness as those terms are generally understood. / Political correctness inculcates a sense of obligation or conformity in areas which should be (or are) matters of choice. Nevertheless, it has had a major influence on what is regarded as "acceptable" or "appropriate" in language, ideas, behavioral norms, and values. But "doing the right thing" is, of course, an oversimplification. There is an antithesis at the core of political correctness, since it is liberal in its aims but often illiberal in its practices: hence it generates contradictions like positive discrimination and liberal orthodoxy.


 PC はもともとは純粋な差別撤廃の理想主義から出発した運動だった.Hughes は,その結果として,(1) diversity その他の価値を著わすキーワードが世の中に広まったこと,(2) タブーとそれに代わる婉曲表現が様々な領域に拡大していったこと,を挙げている.後者に関しては,あまりに領域が拡大しすぎて,もはや当初の意味での「政治」にも「公正さ」にも直接関係しないものまでもが,PC という包括的な用語のもとに含められるようになってしまったほどである.
 引用の後半の指摘も意味深長である.本来の出発点だった純粋な差別撤廃の思想が,PC 変遷の過程で歪められて,"positive discrimination" (or "affirmative action") や "liberal orthodoxy" に到達してしまったという矛盾のことだ.理想としての自由が,現実としての束縛に至ってしまったことになる.
 これは確かに皮肉であり,PC がしばしば皮肉られる理由もここにあるのだろうと思うが,そのように冷笑的な評価を加えるだけでは不十分だろう.おそらく PC という運動そのものが,自由と束縛の両側面を最初から内包しているのである.数十年間の PC を巡る議論や行動を通じて,この事実が顕著に浮き彫りになってきた,と解釈したい.
 いずれにせよ,PC は20世紀後半から21世紀初頭に至るまで展開してきた,社会言語学上の一大ムーブメントである.

 ・ Hughes, Geoffrey. Political Correctness: A History of Semantics and Culture. Malden, ML: Wiley Blackwell, 2010.

Referrer (Inside): [2017-01-28-1] [2017-01-27-1]

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2016-08-03 Wed

#2655. PC言語改革の失敗と成功 [political_correctness][language_change][prescriptivism][gender_difference][semantic_change][language_planning][speed_of_change]

 政治的に公正な言語改革 ("politically correct" language reform) は,1970年代以降,英語の世界で様々な議論を呼び,実際に人々の言葉遣いを変えてきた.その過程で "political_correctness" という表現に手垢がついてきて,21世紀に入ってからは,かぎ括弧つきで表わさないと誤解されるほどまでになってきている."PC" という用語は意味の悪化 (semantic pejoration) を経たということであり,当初の言語改革への努力を指示するものとしてではなく,あまりに神経質で無用な言葉遣いを指すものとしてとらえられるようになってしまった.代わりの用語としては,性の問題に関する限り,"nonsexist language reform" という表現を用いておくのが妥当かもしれない.
 "PC" が嘲りの対象にまで矮小化されたのは,多くの人々がその改革の「公正さ」に胡散臭さを感じたためであり,その検閲官風の態度に自由を脅かされる危機感を感じたためだろう.Curzan (114) は,現在PC言語改革が低く評価されていることに関して,その背景を次のように指摘している.

Politically correct language and the efforts to promote it are regularly ridiculed in the public arena. Fabricated language reforms such as personhole cover for manhole cover and vertically challenged for short are held up as symptomatic of the movement's excesses. I call these fabricated because I have never actually heard any advocate of nonsexist language reform seriously propose personhole cover or anyone proposing any kind of language reform make a serious case for vertically challenged. Yet they can show up side by side with more common, even at this point mainstream reforms such as Native American for Indian, African American for Black. If Urban Dictionary provides a snapshot of attitudes about the term political correctness, the term's negative connotations have gone beyond silly and unnecessary and now include manipulative, harmful, and silencing. The first definition in Urban Dictionary in Fall 2012 (which means it had the best ratio of thumbs up to thumbs down) read: "Organized Orwellian intolerance and stupidity, disguised as compassionate liberalism." It goes on to note: "Political correctness is most well known as an institutional excuse for the harassment and exclusion of people with differing political views." Subsequent definitions link politically correct language to censorship and "the death of comedy."


 PC言語改革の高まりによって言葉遣いに関して何が変わったかといえば,新たな語句が生まれたということ以上に,個人がそのような言葉遣いを選ぶという行為そのものに政治的色彩がにじまざるを得なくなったということが挙げられる.一々の言語使用において,PC term と non-PC term の選択肢のいずれを採用するかという圧力を感じざるを得ない状況になってしまった.個人は中立を示す方法を失ってしまったといってもよい.Curzan (115) 曰く,"Politically correct language efforts force speakers to confront the fact that words are not neutral conveyors of intended meaning; words in and of themselves carry information about speaker attitudes and much more. Politically correct language asks speakers to use care in avoiding bias in their language choices and to respect the preferences of underrepresented groups in terms of the language used to refer to them."
 以上の経緯でPC言語改革の社会的な評価が下がってきたのは事実だが,言語変化,あるいは言語使用の変化という観点からいえば,きわめて人為的な変化にもかかわらず,この数十年のあいだに著しい成功を収めてきた稀な事例といえる.一般に,正書法の改革や語彙の改革など言語に関する意図的な介入が成功する例は,きわめて稀である.数少ない成功例では,およそ人々の間に改革を支持する雰囲気が醸成されている.それを権力側が何らかの形でバックアップしたり追随することで,改革が進んでいくのである.非性差別的言語改革は,少なくとも公的な書き言葉というレジスターにおいて部分的ではあるといえ奏功し,非常に短い期間で人々の言葉遣いを変えてきた.このこと自体は,目を見張る結果と評価してもよいのかもしれない.Curzan (116) もこの速度について,"The speed with which some politically responsive language efforts have changed Modern English usage is remarkable." と評価している.

 ・ Curzan, Anne. Fixing English: Prescriptivism and Language History. Cambridge: CUP, 2014.

Referrer (Inside): [2017-06-16-1]

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2014-07-31 Thu

#1921. singular they を取り締まる規範文法 (2) [singular_they][prescriptive_grammar][gender][number][personal_pronoun][political_correctness][t/v_distinction]

 昨日の記事「#1920. singular they を取り締まる規範文法 (1)」 ([2014-07-30-1]) に引き続いての話題.singular they を巡る議論は様々あるが,実際にはこれは文法的な問題である以上に性に関する社会的な問題であると考える理由がある.このことを理解するためには,英語で不定一般人称を既存の人称代名詞で表現しようとする際に,性と数に関わる問題が生じざるを得ないことを了解しておく必要がある.
 「#275. 現代英語の三人称単数共性代名詞」 ([2010-01-27-1]) や「#1054. singular they」 ([2012-03-16-1]) でもいくつか例文を示したが,"If anyone is interested in this blog, (   ) can always contact me." のような文において,if 節の主語 anyone を照応する人称代名詞を括弧の箇所に補おうとすると,英語では既存の人称代名詞として he, she, he or she, they のいずれかが候補となる.しかし,いずれも性あるいは数の一致に関する問題が生じ,完璧な解決策はない.単数人称代名詞 he あるいは she にすると,単数 anyone との照応にはふさわしいが,不定であるはずの性に,男性あるいは女性のいずれかを割り当ててしまうことになり,性の問題が残る.he or she (あるいは s/he などの類似表現)は性と数の両方の問題を解決できるが,不自然でぎこちない表現とならざるをえない.一方,they は男性か女性かを明示しない点で有利だが,一方で数の不一致という問題が残る.つまり,heshe は性の問題を残し,he or she は表現としてのぎこちなさの問題を残し,they は数の問題を残す.
 だが,性か数のいずれかを尊重すれば他方が犠牲にならざるを得ない状況下で,どちらの選択肢を採用するかという問題が生じる.はたして,どちらの解決策も同じ程度に妥当と考えられるだろうか.一見すると両解決策の質は同じように見えるが,実は重要な差異がある.数は社会性を帯びていないが,性は社会性を帯びているということだ (cf. social gender) .単数と複数の区別は原則として指示対象のモノ関する属性であり,自然で論理的な区別である.単数を複数で置き換えようが,複数を単数で置き換えようが,特に社会的な影響はない(数の犠牲ということでいえば,元来の thou の領域に ye/you が侵入してきた T/V distinction の事例も参照されたい).ところが,性は原則として指示対象のヒトの属性であり,男性を女性で代表させたり,女性を男性で代表させたりすることには,社会的な不均衡や不平等が含意される.Bodine (133) のいうように,"the two [number and sex] . . . are not socially analogous, since number lacks social significance" である.
 不定一般人称を he で代表させるということは,(1) 社会性を含意しない数よりも社会性を含意する性を標示することをあえて選び,(2) その際に女性形でなく男性形をあえて選ぶ,という2つの意図的な選択の結果としてしかありえない.18世紀以来の規範文法家は,この2つの「あえて」を冒し,he の使用を公然と推挙してきたのである.逆に,口語において歴史上普通に行われていた不定一般人称を they で代表させるやり方は,(1) 社会性を含意しない数の厳密な区別を犠牲にし,(1) 社会性を含意する性を標示しないことを選んだ結果である.どちらの解決法が社会的により無難であるかは明らかだろう.
 he or she がぎこちないという問題については,確かにぎこちないかもしれないが,対応する数の範疇についても同じくらいぎこちない表現として one or moreperson or persons などがあり,これらは普通に使用されている.したがって,he or she だけを取りあげて「ぎこちない」と評するのは妥当ではない.
 英語話者は,民衆の知恵として,より無難な解決法 (= singular they) を選択してきた.一方,規範文法家は,あまりに人工的,意図的,不自然なやり方 (he) に訴えてきたのである.

 ・ Bodine, Ann. "Androcentrism in Prescriptive Grammar: Singular 'they', Sex-Indefinite 'he,' and 'he or she'." Language in Society 4 (1975): 129--46.

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2014-06-23 Mon

#1883. 言語における性,その問題点の概観 [gender][gender_difference][category][agreement][personal_pronoun][title][address_term][political_correctness][sociolinguistics][language_planning]

 言語と性 (gender) を巡る諸問題について,本ブログでは gendergender_difference の記事で考察してきた.そのなかには,文法性 (grammatical gender) という範疇 (category) ,統語上の一致 (agreement) ,人称代名詞 (personal_pronoun) の指示対象など,形式的・言語学的な問題もあれば,性差に関する political_correctnessMiss/Mrs./Ms. などの称号 (title) ,談話の男女差,女性の言語変化への関与など,文化的・社会言語学的な問題もある.言語における性の問題はこのように広い領域を覆っている.
 このように広すぎて見通しが利かない分野だという印象をもっていたのだが,Hellinger and Bussmann 編 Gender across Languages の序章を読んで,頭がクリアになった.章節立て (1) を眺めるだけでも,この領域の覆う範囲がおよそ理解できるような,すぐれた構成となっている.

1. Aims and scope of "Gender across languages"
2. Gender classes as a special case of noun classes
   2.1 Classifier languages
   2.2 Noun class languages
3. Categories of gender
   3.1 Grammatical gender
   3.2 Lexical gender
   3.3 Referential gender
   3.4 "False generics": Generic masculines and male generics
   3.5 Social gender
4. Gender-related structures
   4.1 Word-formation
   4.2 Agreement
   4.3 Pronominalization
   4.4 Coordination
5. Gender-related messages
   5.1 Address terms
   5.2 Idiomatic expressions and proverbs
   5.3 Female and male discourse
6. Language change and language reform
7. Conclusion


 この著書は "Gender across languages" と題する研究プロジェクトの一環として出版されたものだが,そのプロジェクトの主たる関心を5点にまとめると以下のようになる (Hellinger and Bussmann 2) .

 (1) 注目する言語は文法性をもっているか.もっているならば,一致,等位,代名詞化,語形成などにおける体系的な特徴は何か.
 (2) 文法性がない言語ならば,女性限定,男性限定,あるいは性不定の人物を指示するのにどのような方法があるか.
 (3) 中立的な文脈で人を指すときに男性がデフォルトであるような表現を用いるなどの非対称性が見られるか.
 (4) 性差に関わる社会文化的な階層やステレオタイプを表わす慣用句,比喩,ことわざなどがあるか.
 (5) 性差と言語の変異・変化はどのように関わっているか.言語改革についてはどうか.

 編者たちは,言語における性は,形式言語学上の問題にとどまらず,社会言語学的な含意のある問題であることを強く主張している.大きな視点を与えてくれる良書と読んだ.

 ・ Hellinger, Marlis and Hadumod Bussmann, eds. Gender across Languages: The Linguistic Representation of Women and Men. Vol. 1. Amsterdam: John Benjamins, 2001.

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2012-03-16 Fri

#1054. singular they [personal_pronoun][gender][political_correctness][number][agreement][prescriptive_grammar][singular_they]

 現代英語の問題としてしばしば取り上げられる singular they について.「#275. 現代英語の三人称単数共性代名詞」の記事 ([2010-01-27-1]) でも取り上げたが,現代英語には any, each, every, no などで修飾された形態的に単数である人を表わす名詞を,後で受けるための適切な代名詞がない.he で代表させようとすると男尊女卑と言われかねず,かといって she で代表させるのもしっくりこない.it だとモノ扱いのようで具合が悪い.性を問わない they を用いれば,伝統主義の規範文法家の大好きな数の一致 (agreement) という規則に抵触し,槍玉にあげられかねない.現実の語法としては,最後に挙げた singular they が勢力を得ているが,そのような問題の生じないように文を改めよという助言もよく聞かれる.
 このような現代的とされる語法上の問題は,実は現代英語で生じたものではなく,古い歴史をもっているものが多い.OED の "they, pers. pron." B. 2. によると,"Often used in reference to a singular noun made universal by every, any, no, etc., or applicable to one of either sex (= 'he or she'). See Jespersen Progress in Lang. §24." とあり,その初例は1526年である.細江 (254--56) には,近代英語からの例がいろいろと挙げられている.いくつかを抜き出そう.

 ・ Let each esteem others better than themselves.---Philippians, ii. 3.
 ・ Each was swayed by the emotion within them, much as the candle-flame was swayed by the tempest without.---Hardy.
 ・ Nobody knows what it is to lose a friend till they have lost him.---Fielding.
 ・ Everyone must judge of their feelings.---Byron.
 ・ No one in their senses could doubt.---Dickens.
 ・ Nobody will come in, will they?---Priestley.


 each などが先行しない単数名詞が they で受けられている例もある.

 ・ The feelings of the parent upon committing the cherished object of their cares and affections to the stormy sea of life.---S. Ferrier.
 ・ A person can't help their birth.---Thackeray


 they の数の不一致の問題は,英語の代名詞体系が否応なく内包する問題である.フランス語では,このような場合に便利な soi, son などの語が用意されており,問題とはならない.英語にとっての解決法は,問題の語法をまったく使わないという回避策を採らないとするのであれば,代名詞体系を改変するか,既存の体系内の運用で対処するかである.前者については,[2010-01-27-1]の記事で示したように,様々な語が提案されたが,文書で時折見られる s/he でさえ好まれているとは言い難い.後者の有力候補である singular they は,歴史的にも連綿と行なわれてきたし,その苦肉の策たることは誰しもが理解しているのであり,共感を誘う.その苦肉は,以下の例のなかにも見て取ることができる.

 ・ If an ox gore a man or a woman, that they die; then the ox shall be surely stoned.---Exodus, xxi. 28.


 Burchfield も認めている通り,すでに大勢は決せられているといってよい.
 関連して,愚痴を一つ.英語で論文執筆の際に,引用している著者の性別の見当がつかず,代名詞を用いるのをためらわざるをえない状況に困ることがある.日本語であれば「著者は」を繰り返してもそれほどおかしくないが,英語では the author を何度も繰り返すわけにもいかない・・・.

 ・ 細江 逸記 『英文法汎論』3版 泰文堂,1926年.
 ・ Burchfield, Robert, ed. Fowler's Modern English Usage. Rev. 3rd ed. Oxford: OUP, 1998.

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2012-03-10 Sat

#1048. フランス語の公文書で mademoiselle が不使用へ [french][title][address_term][political_correctness][honorific]

 2月21日付の Le Monde の記事 によると,Fillion 首相は,同日付で,公文書において未婚女性の敬称 mademoiselle (略記 Mlle )をできるかぎり使用しないよう,省庁や自治体へ通達した.この敬称の不使用については,昨年9月に活動団体の Osez le féminisme ! や les Chiennes de garde が政府に申し入れており,今回,それが実現した形になる.今後は,従来,典型的に既婚女性に付けられてきた敬称である madame が,女性のための汎用の敬称とされることになる.この点では,Mrs.Miss の統合に際して Ms. なる新敬称が用いられるようになった英語とは事情が異なる.
 英語の Ms. については,[2011-10-09-1]の記事「#895. Miss は何の省略か?」の冒頭に少し触れた通り,近年では公文書では当たり前のように見られるようになった.この新敬称の発生と受容の略史を記せば以下のようになる.Ms. は,1960--70年代のアメリカでの女性解放運動の際に熱心に推奨されたが,英語に初めて現われたのは,実のところ,運動に先立つ1950年代の初期である.ビジネス文書などで,宛先人の女性の既婚未婚が不明だったり不問に付すべき場合のために,人工的に造語され,用いられたものらしい.これが,後に運動家によって担ぎ上げられた.提示された当初は社会的に嘲笑と敵意をもって見られたが,政府機関や出版社が男女平等の方針を打ち出してゆくに従って,次第に受け入れられていった.
 アメリカから発信された Ms. の使用は,国連では早く1973年に正式採用されたが,イギリスでは出遅れた.Romaine (53--54) によると,1998年の時点で,The New York Times は Mrs や Miss の使用をやめていたが,The London Times では特に事情がなければいまだ使用を続けていた.また,The Linguistic Society of America はガイドラインを改訂し,Committee on the Status of Women in Linguistics を設立するなどしたが,The Linguistic Association of Great Britain は男女平等語法への改定案を拒否した.性に関わるPC表現に関するかぎり,全体的に,北米は革新的であり,イギリスやその他の英語圏は一歩遅れており,保守的といえるだろう.また,一般的に,編集方針の変更はあくまで書きことばの上に影響を及ぼすにすぎず,Ms. 等のPC表現の話しことばへの浸透は遅い.
 英語 (Miss) やドイツ語 (Fräulein) で未婚女性の敬称が不使用となる傾向があり,国連その他の公的機関もその方針を支持しているという国際的な情勢からすれば,フランス語の mademoiselle 不使用の方向はごく自然だろう.1960--70年代にアメリカで Ms. が反発を受けたときとは,時代も違う.
 しかし,Ms. について The American Heritage DictionaryUsage Note で述べられているように,"Some women prefer Miss or Mrs., however, and courtesy requires that their wishes be respected." という少数意見にも耳を傾ける必要はあると考える.待遇表現の歴史をみれば,西ヨーロッパ諸語でも日本語でも,絶対敬語から相対敬語の方向へ,あるいは power 重視から solidarity 重視の方向へと流れている.この女性は未婚か既婚か,というステータスそのものに着眼した敬称に固執する必要はないだろうが,その女性がどう呼ばれたいか,呼ぶ側がどう呼びたいかという両者の negotiation の末に決まってくる敬称ならば,Ms. でも Mrs. でも Miss でもかまわないと思う.また,上にも述べたが,書きことばと話し言葉という媒体の違いや formality の違いによっても,使用・不使用の態度の異なるのが現実のようだ.
 関連して,[2009-10-16-1]の記事「#172. 呼びかけ語としての Mr, *Mrs, Miss」を参照.

 ・ Romaine, Suzan. "Introduction." The Cambridge History of the English Language. Vol. 4. Cambridge: CUP, 1998.

Referrer (Inside): [2017-06-16-1]

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2011-10-04 Tue

#890. 人工頭脳系 acronym は女性名が多い? [acronym][personification][political_correctness][gender]

 昨日の記事[2011-10-03-1]で紹介した,20世紀 acronym 発展史を概説した Baum が,翌年に興味をそそる論文を書いている.SARAH (= search and rescue and homing; 「捜索救難帰投装置」), CORA (= conditioned reflex analogue; 一種の人口頭脳), ERMA (= electric recording machine, accounting; 自動記帳機) など,当時のコンピュータ技術の粋を搭載した機器の名称とされた acronym には,女性名が多いというのである.
 これは,偶然ではないだろう.開発に関わっている技術者はほとんどが男性だったと想定され,男性が乗り物や国家を女性として擬人化してきた傾向とも一致するからである(船や国名を受ける代名詞 については,##852,853,854 の記事を参照).では,これらの装置を女性と見立てる背景にある女性のイメージはというと,Baum (224--25) によれば次の通りである.

In general, the technological acronym seems to be growing more and more feminine, perhaps from much the same motivation as has encouraged meteorologists to appropriate girls' names for the yearly hurricanes. There is a sly and meaningful humor apparent in using a woman's name---Sarah, Cora, Erma---for what is really an intricate nervous system constructed of electronic tubes and thousands of feet of electric wire.


 なるほど.いや,あくまで Baum の意見です.引用者も怒られるかもしれませんが・・・.
 引用にあるように,人工頭脳よりもずっと公共性の高い話題であるハリケーンについては,米国は1953年に導入していた女性名付与の規則を1978年に廃し,男女名を交互に付与する命名法へと改めた(National Hurricane Center の記述によれば,女性名による命名の慣習は19世紀の終わりからあるという).女性名だけでは男女同権に反するというのが,改革当時の理由だったようだ.神経症と暴威 --- もちろん男性でもあり得るわけではあるが・・・.
 Baum の洞察はあくまで1956年のことなので,人工頭脳の命名について,その後の事情が気になるところである.日本では,ソニーの AIBO の名前の由来の1つに「相棒」が関わっているとのこと.

 ・ Baum, S. V. "Feminine Characteristics of the Acronym." American Speech 31 (1956): 224--25.

Referrer (Inside): [2014-06-28-1] [2013-06-22-1]

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2011-08-29 Mon

#854. 船や国名を受ける代名詞 she (3) [personal_pronoun][she][gender][personification][political_correctness][corpus][statistics][lexical_diffusion]

 標題について[2011-08-27-1], [2011-08-28-1]の記事で話題にしてきたが,現代英語でこの用法の she が《古風》となってきている,あるいは少なくともその register が狭まってきているのはなぜだろうか.
 これには,1960年代以降,とりわけアメリカ英語で高まってきた言語の gender 論,男女平等という観点からの political correctness (PC) への関心がかかわっている.この観点から,人間の総称としての man(kind),女性接尾辞 -ess,職業人を表わす複合語要素 -man,一般人称代名詞としての he の使用などが疑問視され,数々の代替表現が提案されてきた.(関連する話題は,[2009-08-20-1]「男の人魚はいないのか?」, [2010-01-27-1]「現代英語の三人称単数共性代名詞」, [2011-04-17-1]「レトリック的トポスとしての語源」などの記事を参照.)
 この観点から she の特殊用法を見ると,船や国名を取り立てて女性代名詞で受ける理由はないではないかという議論が生じる.船乗りや国の為政者が主として男性だったという英語国の歴史を反映していることは確かだろうが,現在も旧来の慣習を受け継ぐべき合理性はないという考え方である.
 特に国名を受ける she の用法は,形式張った書き言葉という register に限ると,1960年代以降,激減してきていることが実証される.The Times corpus を用いてこれを検証した Bauer (148--49) によると,1930年までは国を指示する she の用法は標準的だった.実際,1900年から1930年の間で,国を指示する it の用例は3例のみだったという.ところが,1935年以降,it の例が断続的に現われだし,1970年にはshe を圧迫して一気に標準となった.she の用例が減少してきた過程は逆S字曲線を描いているかのようであり,語彙拡散 (lexical diffusion) を思わせる.以下のグラフは Bauer (149) のグラフに基づいて概数から再作成したものである.

Feminine References to Country Names in The Times Corpus


 ・ Bauer, Laurie. Watching English Change: An Introduction to the Study of Linguistic Change in Standard Englishes in the Twentieth Century. Harlow: Longman, 1994.

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2011-04-17 Sun

#720. レトリック的トポスとしての語源 [etymology][rhetoric][political_correctness]

 昨日の記事[2011-04-16-1]で,plagiarism の罪の重さを,語源を引き合いに出して説いた.新年度の最初にいくつかの授業で「剽窃」について語る(というか指導する)必要があったので,plagiarism の語の周辺をにわか調べした次第である.ある語の語源や語史を示し,過去と現在の意外な意味のつながりにより説得力を生み出すレトリック的話法を「語源論法」という.今回はこの語源論法で,剽窃が悪いことを説こうとしたわけだ.『レトリック』を著わしたルブール (57) によれば,「語源論法は古代以来、教養の精華として教授されてきており、現在でもなおレトリック的トポスであり続けている。」
 しかし,この語源論法というトポスの受け手になる場合には,注意しなければならない.なぜならば,「この語源論法は歴史的実態をあまり気にせず、とんでもない派生関係をでっち上げることがしばしばある」からである (56) .語源的事実を歪曲あるいは無視して,でっち上げの語源を作って議論に利用するケースがある.例えば,性差別に関する political correctness (PC) の議論でよく知られいるものとして「humanhistory は,manhis を含んでいることから男性優位社会を象徴する語であり,男女平等の観点から好ましくない」というものがある.*huperson や *herstory という語があってもよいのではないかという議論になり得るが,語源的には humanman, historyhis はまったく関係がない.他のレトリック的トポスも同じだが,語源論法も使い方次第で効果が変わる.
 実のところ,私自身が持ちだした plagiarism の語源論法と極端なPC論者の human の語源論法との間には,証明力がない点で本質的な差はない.もちろん,現代の言語学的語源学が明らかにしている意味や形態の史的発達の記述に従えば,human の議論は誤った語源情報に基づいた議論であり,一方で plagiarism の議論は(完全に正確であるとは言い切れなくとも)より正確な語源情報に依拠している.しかし,plagiarism が語源的に「誘拐犯」を意味するからといって,剽窃が悪であることを証明することはできない.ある程度の説得力はあるかもしれないが(それを期待して語源論法を用いたのだが),証明力はない.語源論法はレトリックである以上,証明力でなく説得力を狙っているにすぎない.ルブールはレトリックにおける語源論法を次のように的確に評している.

確かに、ある言語体系において、ある語は何かを「意味する」。しかし、「語源的に」何かを意味するなどということはない。語源論法を援用することで当事者には学の後光が射す。言葉の「ほんとうの」意味を掴んでいるのは彼だけであるから、ほかの人間どもは何をいっていいかわからなくなり、黙るしかない、というわけなのだ。/他の語の文彩と同じように、語源論法も詩的、示唆的、刺激的なものでありうる。しかし、証明力となると地口以上のものを持っているわけではない。語源論法はいくつもあるレトリックの一手段に過ぎず、それ以外の何物でもない〔中略〕。」 (58)


 では,ルブールは語源論法をレトリックのトポスとして低く評価しているということなのだろうか.啓蒙書シリーズで『レトリック』を著わしている本人が,レトリックの一手段である語源論法を攻撃しているとは考えにくい.著者が本書の最後 (170) で述べているとおり,「レトリックは真理の道具か。必ずしもそうではない。しかし、平和の、洞察の、文化の道具ではある。もしくはそうなりうる可能性を持っている。」
 現代の言語学において,語源学の立場が不安定で依存的であることは,[2010-08-06-1]の記事「語源学は技芸か科学か」で話題にしたとおりである.語源にレトリックとしての価値のあることは認めるとしても,それ自身が自立した体系的な学問領域になり得るかどうかは悩ましい問題である.語源学が技芸であったとしても,語源がレトリックのトポスであったとしても,語源(学)の地位を単発の雑学知識以上の何ものかに高めたい,それが私の個人的な思いである.
 関連記事として,「虹」の比較語源学 ([2009-05-10-1]) と「たそがれ」の比較語源学 ([2009-06-05-1]) を参照.

 ・ オリヴィエ・ルブール 著,佐野 泰雄 訳 『レトリック』 白水社〈文庫クセジュ〉,2000年.

Referrer (Inside): [2011-08-29-1] [2011-04-24-1]

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2010-01-27 Wed

#275. 現代英語の三人称単数共性代名詞 [personal_pronoun][gender][grammatical_change][political_correctness][singular_they]

 現代英語に起こっている文法変化としてよく取り上げられる話題の一つに,人を表す三人称単数代名詞がある.標準英語には人を表す三人称単数代名詞として he (男性)と she (女性)の二つがあるが,性を含意せずに使うことのできる代名詞は存在しない.一方,複数では性にかかわらず使うことのできる they が存在する.(人称代名詞体系の非対称性については,[2009-11-09-1], [2009-10-24-1]を参照.)

If anyone is interested in this blog, he can always contact me.


のような文を発する場合,伝統的な英語ではここにあるように he が使われてきた.だが,anyone は女性の可能性も半分あるわけで,それを受ける人称代名詞は he では不適切であるという議論が成り立つ.そこで,言語における男女平等を達成しようと,heshe の代わりとなる共生代名詞が様々な形で提案されてきた.Crystal (46) などから列挙すると:

 ・ co (used in some American communes)
 ・ E
 ・ et
 ・ he or she
 ・ heesh
 ・ hesh
 ・ hir
 ・ ho
 ・ jhe
 ・ mon
 ・ na (used by some novelists)
 ・ ne
 ・ per (used by some novelists)
 ・ person
 ・ po
 ・ s/he
 ・ tey
 ・ they (as a singular pronoun)
 ・ thon
 ・ xe

 どう発音するのか不明な例も含めて代案は乱立しているが,どれもしっくりこないということで広く支持されているものはない.当面の現実的な提案として,heshe を使わないですむように書き換えるべし,といわれることも多い.上の文であれば,If you are interested in this blog, you can always contact me.Those who are interested in this blog can always contact me. などがあるだろうか.
 どのように決着をみるかはわからない.いずれかの代案が採用されるのか,書き換え strategy で問題を回避するのか.前者であれば,(1) 複数の選択肢が提案され (variation),(2) いずれかが選ばれ (potential for change),(3) 文法体系のなかに定着し (implementation),(4) 人々のあいだに広まる (diffusion),という言語変化の一般的なステップ (Smith 7) を踏むことになるのだろう.

 ・Crystal, David. The Cambridge Encyclopedia of Language. 2nd ed. Cambridge: CUP, 1997.
 ・Smith, Jeremy J. An Historical Study of English: Function, Form and Change. London: Routledge, 1996.

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2009-08-20 Thu

#115. 男の人魚はいないのか? [etymology][compound][political_correctness]

 デンマークのコペンハーゲン大学に留学している学生がいて,同市のシンボルである「人魚姫の像」のデジカメ写真を送ってくれた(ありがとう!).

The Little Mermaid

『人魚姫』 ( The Little Mermaid ) を書いたアンデルセン ( Hans Christian Andersen ) は,デンマークはオーデンセ出身の童話作家である.世界に名高いこの悲しい物語を題材にして,1913年に人魚姫の像がコペンハーゲンの海岸に据えられたが,ここ数十年のあいだに何度も破壊行為にあっている.頭部や腕が奪い去られたり,赤いペンキで塗ったくられたり,さんざんである.この話を聞くと,童話の憧憬にひたりつつはるばる日本からこの像を拝みに行く者は,なんとも悲しくなってしまう(かつて私もその一人だった).人魚姫はいつまでたっても浮かばれないということか.
 さて,mermaid は本来語からなる複合語である.古英語 mere "sea" + maide "maid" なので,まさしく「人魚姫」という訳がふさわしい.このように meremaide という部品は相当古くからあったわけだが,これが組み合わさって複合語として使われるようになったのは14世紀からである.古英語では,merewīf ( "sea" + "wife" ) や meremin ( "sea" + "female slave" ) という今はなき複合語が用いられていた.ただ,mermaid は後発だとはいえ,本来語要素で成り立つ極めて伝統的な英語の複合語といえよう.
 「海」を意味する古英語の mere は現代英語では詩語・古語で「湖」の意味を表す.古英語後期の maide も多少古めかしいものの,maid として現役である.maide という古英語後期の形態は mægden "maiden" の語尾がつづまったものであり,いずれも「(未婚の)少女」を意味したが,現代英語では maiden はやや文学的な響きを帯びており,maid は複合語の部品として用いられることが多いといったふうに,使い分けがなされている.
 mermaid はそうした maid の複合語の例の一つだが,他には barmaid, chambermaid, dairymaid, housemaid, milkmaid, nursemaid などがある.だが,いずれの複合語も現代ではすでに古めかしい響きがある.political correctness により,これらの複合語が消えてゆく日は近いかもしれない.一方,日本語で「メード」というと本来は「女中,ホテルの女の客室係」を指すが,最近は「メイド喫茶」との連想が強くなってきており,イメージが定まらない.(←私だけか?)
 maid の複合語の存続が危ぶまれると上で述べたが,mermaid だけは質が違う.そもそも,人魚という種は女性が優勢な種である.『人魚姫』には人魚の姉妹こそたくさん出てくるが,男の影は見えない.ギリシャ神話のサイレン ( Siren ) と結びつけられることが多いことからも,人魚といえば女性のイメージなのだろう.
 だが,もちろん男性の人魚もいる.例えば,ギリシャ神話のポセイドン ( Poseidon ) や息子のトリトン ( Triton ) は人魚と見立てられれることが多い.彼らの類を現代英語では merman 「人魚の男性」と呼ぶのである.だが,この複合語が英語に初めて現れるのは17世紀のことであり,女性の人魚を表す語が古英語から存在したのと比べて,随分おくれているし,とってつけたような語である.やはり,男性の人魚の存在感は限りなく薄い.
 確かにアンデルセンが悲話『人魚坊主』 ( The Little Merman ) を書いていたとしたら,さぞかし売れなかったろうな,と思う.

Referrer (Inside): [2014-02-11-1] [2011-08-29-1]

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