先日,知識共有サービス Mond に上記の素朴な疑問が寄せられました.質問の全文は以下の通りです.
英語では単数形,複数形の区別がありますが,なぜ「1とそれ以外」なのでしょうか.別の尋ね方をすると,「なぜ1だけがそのほかの数とは違う特別な扱いになるのでしょうか」.先生のブログなどでは双数形のお話がありましたし,もしかしたらもともとは単数,双数,そのほかの数(3や,「ちょっとたくさん」,「ものすごくたくさん」など?)によって区別されていたものが,言語の歴史の中で単純化されてきたということは考えられますが,それでも1の区別だけは純然と残っているのだとすると,とても不思議に感じます.
この本質的な質問に対して,私はこちらのようにに回答しました.私の X アカウント @chariderryu 上でも,この話題について少なからぬ反響がありましたので,本ブログでも改めてお知らせし,回答の要約と論点を箇条書きでまとめておきたいと思います.
1. 古今東西の言語における数のカテゴリー
・ 現代英語では単数形「1」と複数形「2以上」の2区分
・ 古英語では双数形も存在したが,中英語までに廃れた
・ 世界の言語では,最大5区分(単数形,双数形,3数形,少数形,複数形)まで確認されている
・ 日本語や中国語のように,明確な数の区分を持たない言語も存在する
・ 言語によってカテゴリー・メンバーの数は異なり,歴史的に変化する場合もある
2. なぜ「1」と「2以上」が特別なのか?
・ 「1」は他の数と比較して特殊で際立っている
・ 最も基本的,日常的,高頻度,かつ重要な数である
・ 英語コーパス (BNCweb) によれば,one の使用頻度が他の数詞より圧倒的に高い
・ 「1」を含意する表現が豊富 (ex. a(n), single, unique, only, alone)
・ 2つのカテゴリーのみを持つ言語では,通常「1」と「2以上」の区分になる
3. もっと特別なのは「0」と「1以上」かもしれない
・ 「0」と「1以上」の区別が,より根本的な可能性がある
・ 形容詞では no vs. one,副詞では not の有無(否定 vs. 肯定)に対応
・ 数詞の問題を超えて,命題の否定・肯定という意味論的・統語論的な根本問題に関わる
・ 人類言語に備わる「否定・肯定」の概念は,AI にとって難しいとされる
・ 「0」を含めた数のカテゴリーの考察が,言語の本質的な理解につながる可能性があるのではないか
数のカテゴリーの話題として始まりましたが,いつの間にか否定・肯定の議論にすり替わってしまいました.引き続き考察していきたいと思います.今回の Mond の質問,良問でした.
一昨日の記事「#4652. any が「どんな?でも」を表わせるように either は「いずれの?でも」を表わせる」 ([2022-01-21-1]) でもすでに取り上げましたが,標記は目下私のゼミを中心とする khelf (= Keio History of the English Language Forum) メンバーの間で熱い議論の対象となっている問題です.
either は,2者のうちのいずれかを選ぶ「片方」の意味を表わすというイメージが強いと思いますが,実は「両方」の意味を表わすケースもあるという問題です.一種の contronym の例といえます.
『コンパスローズ英和辞典』の either より,それぞれに対応する語義1と語義2を引用しましょう.
--- (形)[単数形の名詞につけて]
(1) (2つ[2人]のうち)どちらか(一方)の;どちらの…でも,どちらでも任意の
Take either apple.|どちらかのりんごを取りなさい
You may invite either boy.|どちらの少年を招待しても結構です.
. . . .
(3) どちらの…も,両方の
There was a chair at either end of the long table.|長いテーブルの両端にそれぞれいすが置かれていた.
(語法)3の意味では特に side, end, hand など対を表わす名詞と用いるが, 次の例のように both(+複数名詞)や each(+単数名詞)を用いることも多い.both は「両方」を同時にまとめて,either, each は「片方」 ずつそれぞれを個別に捉える感じとなる
There were chairs at both ends of the long table.
There was a chair at each end of the long table.
either A or B という高頻度の相関表現がありますし,一般には (1) こそが either の原義だと捉えられていると思いますが,歴史的にみれば驚くことに (3) のほうが古いのです.OED によれば,(3) は古英語から普通に見られる語義ですが,(1) は中英語後期になってようやく現われる新参語義です.
どうしてこんなことになってしまったのでしょうか.よく似た形態の outher という語とややこしい関係に陥ってしまったという事情があるようです.関連して「#945. either の2つの発音」 ([2011-11-28-1]) もご参照ください.
Any child can do that. という文は「どんな子供でもそれができる」の意を表わします.力点の置き方は異なりますが,基本的な意味としては All children can do that. とおよそ同等です.
平行的な例を挙げます.Either way will do. という文は「いずれのやり方でもうまく行きます」の意を表わします.力点の置き方は異なりますが,基本的な意味としては Both ways will do . とおよそ同等です.
特に2つめの either と both を用いた例文ペアが同義で用いられ得るというのは,なかなかの驚きではないでしょうか.というのは,私たちは either (A or B) と both (A and B) は対義表現であると信じ込まされてきたからです.しかし,この2つは文脈によってはむしろ類義表現というべきものになり得るのです.
either は,一般には2つあるものの「いずれか」「片一方」を意味すると理解されていますが,実は「いずれの○○でも(よい)」という関連する語義からは「○○の両方であっても(よい)」の解釈が生じ得ます.論理学の喩えでいえば,or には「排他的選言」 (exclusive disjunction) と「非排他的選言」 (inclusive disjunction) の両義があることに相当するでしょうか.
ということで,多少のニュアンスの違いはありながらも,either は both でパラフレーズできてしまうケースがあるのです.例えば,次の例を参照.
・ Unfortunately I was sitting at the table with smokers on either side of me.
・ Unfortunately I was sitting at the table with smokers on both sides of me.
この either vs both の意味論的緊張関係は,any vs all の緊張関係とパラレルです.前者は2つのものについて,後者は3つ以上のものについて,という違いがあるだけです (cf. Quirk et al. §6.61).言い換えれば,前者は意味論的に両数あるいは双数 (dual) の性質をもっているということです.
印欧語の数カテゴリーの重要なメンバーだった両数は,英語にも化石的な形ではありますが,所々に痕跡を残しています.both, either, neither, other, whether など -er をもつものが多いですね (cf. 「#3005. or の語源」 ([2017-07-19-1])) .
・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985.
現代英語の学習者にとって馴染みのない文法カテゴリー (category) の成員を紹介したい.数のカテゴリーにおける双数 (両数とも;dual number) と態のカテゴリーにおける中動相 (中動態とも;middle_voice) だ.
いずれも古い印欧諸語に見られるもので,実際,古英語にも人称代名詞には双数がみられたし (cf. 「#180. 古英語の人称代名詞の非対称性」 ([2009-10-24-1])),すでに形骸化してはいたが中動相を受け継ぐ hātan "be called" なる動詞もあった.現代英語ではその伝統は形式的には完全に失われてしまっているが,機能的にいえば対応するものはある.双数には you two, a pair of . . ., a couple などの表現が対応するし,中動相には受動態構文や再帰動詞構文などが対応する.
英語からは形式的に失われてしまった,この双数と中動相の両方をフル活用している言語が,古代ギリシア語である.哲学者の神崎繁が,各々について,また互いの接点についてとても分かりやすく啓発的なエッセイ「対話の作法」を書いている (46--47) .
日本語は,名詞の「単数」と「複数」の区別が明確でないので,英語を学ぶ時,不定冠詞の a をつけるのかつけないのか,語尾に s をつけるのかつけないのか,迷うことになるが,ギリシャ語には,「単数」と「複数」のあいだに,さらに「双数」というのがある.要するに,二つでひと組のものをまとめた表現で,それに合わせて動詞の変化も別にある.目も手も足もそれぞれ二つなので,それらを一組だと考えれば,同じ扱いとなる.
同じく,動詞の能動態・受動態はわかりやすいが(日本語のギリシャ語教育では,どういうわけかそれを相と呼ぶ),「中動相」というのは,純粋に能動とも受動とも言えないもので,たとえば自分の体を洗うとき,はたして自分は洗っているのか,洗われているのか――そういう場合に,「中動相」が使われる.
実はこの「双数」と「中動相」が重なっているものがある.それは「対話」である.対話は,二人の人間が行うものであり,複数の人間のあいだで行われるにしても,その都度,結局二人ずつで行われる.そして,「対話する」という動詞は,「彼ら二人は対話している(ディアレゲストン)」のように,まさに「双数・中動相」で用いられる.つまり,単に「話す」のではなく,同時に「話される」という双方向的な活動なのである.
最近「党首討論」なるものがあるが,あれはお互い一方的に「話す」だけで,「話される」方はすっかり抜け落ちていたような気がする.さて,みなさんは,対話してますか?
うーん,耳が痛い.大学の授業もオンラインでコミュニケーションが一方通行となる傾向が増しており,ディアレゲストンできていない気がする.
以上,双数と中動相がいっぺんに理解できる好例でした.
・ 神崎 繁 「対話の作法」『人生のレシピ 哲学の扉の向こう』 岩波書店,2020年.46--47頁.
現代英語の学習者にとって馴染みのない文法カテゴリー (category) の成員を紹介したい.数のカテゴリーにおける双数 (両数とも;dual number) と態のカテゴリーにおける中動相 (中動態とも;middle_voice) だ.
いずれも古い印欧諸語に見られるもので,実際,古英語にも人称代名詞には双数がみられたし (cf. 「#180. 古英語の人称代名詞の非対称性」 ([2009-10-24-1])),すでに形骸化してはいたが中動相を受け継ぐ hātan "be called" なる動詞もあった.現代英語ではその伝統は形式的には完全に失われてしまっているが,機能的にいえば対応するものはある.双数には you two, a pair of . . ., a couple などの表現が対応するし,中動相には受動態構文や再帰動詞構文などが対応する.
英語からは形式的に失われてしまった,この双数と中動相の両方をフル活用している言語が,古代ギリシア語である.哲学者の神崎繁が,各々について,また互いの接点についてとても分かりやすく啓発的なエッセイ「対話の作法」を書いている (46--47) .
日本語は,名詞の「単数」と「複数」の区別が明確でないので,英語を学ぶ時,不定冠詞の a をつけるのかつけないのか,語尾に s をつけるのかつけないのか,迷うことになるが,ギリシャ語には,「単数」と「複数」のあいだに,さらに「双数」というのがある.要するに,二つでひと組のものをまとめた表現で,それに合わせて動詞の変化も別にある.目も手も足もそれぞれ二つなので,それらを一組だと考えれば,同じ扱いとなる.
同じく,動詞の能動態・受動態はわかりやすいが(日本語のギリシャ語教育では,どういうわけかそれを相と呼ぶ),「中動相」というのは,純粋に能動とも受動とも言えないもので,たとえば自分の体を洗うとき,はたして自分は洗っているのか,洗われているのか――そういう場合に,「中動相」が使われる.
実はこの「双数」と「中動相」が重なっているものがある.それは「対話」である.対話は,二人の人間が行うものであり,複数の人間のあいだで行われるにしても,その都度,結局二人ずつで行われる.そして,「対話する」という動詞は,「彼ら二人は対話している(ディアレゲストン)」のように,まさに「双数・中動相」で用いられる.つまり,単に「話す」のではなく,同時に「話される」という双方向的な活動なのである.
最近「党首討論」なるものがあるが,あれはお互い一方的に「話す」だけで,「話される」方はすっかり抜け落ちていたような気がする.さて,みなさんは,対話してますか?
うーん,耳が痛い.大学の授業もオンラインでコミュニケーションが一方通行となる傾向が増しており,ディアレゲストンできていない気がする.
以上,双数と中動相がいっぺんに理解できる好例でした.
・ 神崎 繁 「対話の作法」『人生のレシピ 哲学の扉の向こう』 岩波書店,2020年.46--47頁.
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