明治末期は,それ以前の英語漬けによる英語教育の潮流が去り,エリートの間でも英語力が低下していた.この状況を受けて,当時を代表する英語人といってよい夏目漱石と岡倉由三郎が,それぞれおもしろい英語教育論を公表している.
斎藤(著)『日本人と英語 --- もうひとつの英語百年史』 (45) より,まず漱石による「語学養成法」(明治44年1月?2月号の『学生』より)の文章を読んでみよう.当時の英語力低下の原因を探った論考である.
……吾々の学問をした時代は、総ての普通学は皆英語で遣らせられ、地理、歴史、数学、動植物、その他如何なる学科も皆外国語の教科書で学んだが、吾々より少し以前の人に成ると、答案まで英語で書いたものが多い。(中略)処が「日本」と云ふ頭を持つて、独立した国家という点から考えると、かゝる教育は一種の屈辱で、恰度、英国の属国印度と云つたやうな感じが起る。日本の nationality は誰が見ても大切である。英語の知識位と交換の出来る筈のものではない。従つて国家生存の基礎が堅固になるに伴れて、以上の様な教育は自然勢を失ふべきが至当で、又事実として漸漸其の地歩を奪はれたのである。実際あらゆる学問を英語の教科書でやるのは、日本では学問をした人がないから已むを得ないと云ふ事に帰着する。学問は普遍的なものだから、日本に学者さへあれば、必ずしも外国製の書物を用ゐないでも、日本人の頭と日本の言語で教へられぬと云ふ筈はない。又学問普及といふ点から考えると、(或る局部は英語で教授しても可いが)矢張り生まれてから使ひ慣れてゐる日本語を用ゐるに越した事はない。たとひ翻訳でも西洋語その儘よりは可いに極つてゐる。
至極もっともな言い分に聞こえる.
続いて,同年の『英語教育』に掲載されている岡倉由三郎の英語教育論の一節を,斎藤 (50) より引こう.英語力の低下の原因についてこう述べている.
今日の学生に、語学の力の不足なりと認められる点は、語彙の知識の貧弱なことも其一である。かのあらゆる学科に原書を用ゐなければならなかった時代には、英語の力の上から見て、其活用方面は兎まれ、単語に於ては、充分豊富なる知識を有するを得たことは事実である。然るに今日の如く、英語は英語の教授時間以外に、之を学び得る機会が殆ど無くなった時代には、此点に対して遜色あるは止むを得ぬことである。
その後で,処方箋としてこんなことを提案している(斎藤 (51) より).
そこで、之を補ふ為には、自宅自修を多く遣らせる外、名案の無いことゝ為る。究極の所、今日は自修を多く命ずると云ふ事が、最緊切な点で、英語教授を効果あらしめるには、自修に俟つを最良とするより外に道が無い。然るに今日の教授法では自修に十分重きを置いて居るか、頗る疑はしい。此点は深く教師諸君の注意を乞はねばならぬ。
斎藤も「悲しいまでに当たり前の真理」 (51) と述べている通り,身も蓋もない処方箋ではあるが,現代でもこれは変わらないだろう.
・ 斎藤 兆史 『日本人と英語 --- もうひとつの英語百年史』 研究社,中央公論新社,2007年.
「#4578. 朝ドラ『カムカムエヴリバディ』が始まっています」 ([2021-11-08-1]) で述べたように,日本における英語受容の歴史は,広い意味での英語史の1側面とみることができる.英語の進出と受容とでは視座が異なるものの,英語の拡大の一部であることは間違いない.
もちろん日本の英語教育や英語学習の歴史にも直結する問題であり,英語関係者の間でもっと関心が広まってしかるべき話題だと思っている.斎藤 (198--99) が以下のように述べているとおりである.
英語をめぐる最近の議論を聞いていると,(とくに「コミュニケーション」能力を中心とした)英語力を高めるための学習法だけが問題視されているような気がしてならない.たしかに,効果的な英語学習法が研究・開発されれば,それはそれで喜ぶべきことであろう.だが,日本の英語学習法をめぐる議論は,つねに日本人にとって英語とは何なのかとの問いを踏まえていなければならない.そしてその問いは,日本人にとって英語とは何だったのかとの問いの延長線上にあるものなのである.
以下,斎藤 (195--97) より「日本英語受容史略年表」を掲げよう.英語受容史を体現する3名の偉人,福沢・新渡戸・漱石(紙幣の肖像画でもある)の動きと連動させているのがユニークである.関連して「#3695. 日本における英語関係史の略年表」 ([2019-06-09-1]) も参照.
年号 | 年 | 日本英語受容史上の重要事項 | 福沢・新渡戸・漱石の動き | 世界の動き |
---|---|---|---|---|
江戸 | 1600(慶長5) | ウィリアム・アダムズ豊後に漂着.(関ヶ原の戦いが起こる) | イギリスの東インド会社ができる. | |
1776 | アメリカが独立宣言をする. | |||
1808(文化5) | フェートン号事件 | |||
1811(文化8) | 日本初の英語手引き書『諳厄利亜興学小筌』成る. | |||
1834(天保5) | 福沢,大阪に生まれる. | |||
1840 | アヘン戦争が起こる. | |||
1841(天保12) | ジョン万次郎,アメリカ船に救出されてアメリカに渡る. | |||
1848(嘉永元) | ラナルド・マクドナルド利尻島に上陸. | |||
1853(嘉永6) | 黒船が浦賀に来航. | |||
1854(安政元) | 日米和親条約締結. | |||
1856(安政3) | 蕃書調所が開設される. | |||
1859(安政6) | 横浜開港 | 福沢,横浜を見学し,英学に転向. | ||
1860(万延元) | 福沢,咸臨丸でアメリカへ. | |||
1861 | アメリカで南北戦争が起こる. | |||
1862(文久2) | 日本初の印刷の英和辞書『英和対訳袖珍辞書』が出版される. | 新渡戸,盛岡に生まれる. | ||
1867(慶応3) | 漱石,江戸に生まれる. | |||
明治 | 1868 | 福沢,私塾を慶應義塾と改称. | ||
1874 | 7つの官立の外国語学校が英語学校と改称. | |||
1876 | 札幌農学校開校. | |||
1877 | 東京と大阪の英語学校を除き官立の英語学校が廃校となる. | 新渡戸,札幌農学校入学. | ||
1884 | 新渡戸,渡米. | |||
1894 | (日清戦争が起こる.) | |||
1896 | 斎藤秀三郎,正則英語学校を創設. | |||
1900 | 津田梅子,女子英学塾創立. | 漱石,渡英. | ||
1901 | (日英同盟締結.) | 福沢,死去. | ||
1903 | 漱石,第一高等学校校長となる. | |||
大正 | 1914 | (第一次世界大戦に参戦.) | 第一次世界大戦が始まる. | |
1916 | 漱石,死去. | |||
1922 | ハロルド・パーマー来日 | |||
1923 | (関東大震災が起こる.) | |||
1924 | 英語存廃論が盛んとなる. | アメリカで排日移民法が成立. | ||
昭和 | 1933 | 新渡戸,死去. | ||
1939 | 第二次世界大戦が始まる. | |||
1941 | (太平洋戦争が始まる.) | |||
1945 | (終戦.) | |||
1946 | 「カムカム英語会話」放送開始. | |||
1951 | (サンフランシスコ講和条約調印.) | |||
1954 | 高校生のAFS留学始まる. | |||
1963 | 日本英語検定協会発足. | |||
1972 | 中学校学習指導要領改訂,「週3時間」全面実施. | |||
平成 | 1990 | 湾岸戦争が起こる. | ||
1994 | 「オーラル・コミュニケーション」A・B・Cが科目に加わる. | |||
1999 | 学習指導要領改訂. | |||
2000 | 小渕内閣の諮問機関「21世紀日本の構想」懇談会が「英語第二公用語化」を提言. | |||
2002 | 文科省「『英語が使える日本人』の育成のための戦略構想」. | |||
2002 | 文科省「『英語が使える日本人』の育成のための行動計画」. | |||
2009 | 高校学習指導要領告示(2013施行).「授業は英語で行うことを基本とする」と規定. | |||
2013 | 文科省「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」. |
先週より,NHK連続テレビ小説(朝ドラ)の新シリーズが始まっています.『カムカムエヴリバディ』です.「カムカム英語」として名をはせたラジオ英会話の昭和史とともに,3世代にわたるヒロインの人生を描く朝ドラです.斜めからではありますが日本における英語受容史を描いているという点で,本ブログの読者の皆さんにも一推ししておきたいと思います.第2週目ですので,まだ見ていない方も十分に追いつけます.なお,今後登場してくるはずのラジオ英会話の平川唯一は,英語受容史上に名を残す重要な存在です (cf. 「#3695. 日本における英語関係史の略年表」 ([2019-06-09-1])) .
日本における英語受容史ということですので,大きくいえば日本の言語文化史の話題となりましょうか.もう少し言語学に寄せていえば,日本における諸言語使用の歴史というところかと思います.
しかし,見方によっては英語史の話題ともなり得ます.近現代において英語が世界的拡大を進めるなかで,○○国にはどのような過程で英語が食い込んでいったのか,という観点からみると,周辺的ではありますが一応英語史のテーマとなり得ます.昨今の英語史では近現代の世界英語 (world_englishes) への関心が著しく高まっていますが,この機会に,日本を舞台とする英語拡大史の一環を「カムカム英語」を通じて振り返ってみるのもおもしろいと思います.
ということで,私としては向こう半年ほど,日本の英語受容史の観点と英語史の観点を織り交ぜて意識しながら,この朝ドラを追いかけていきたいと思っています.脚本家も役者も素晴らしいですしね.皆さんも,ぜひどうぞ.
ちなみに,朝ドラと連動する形で,NHKラジオではこの11月1日より新講座として「ラジオで!カムカムエヴリバディ」も開講されているようです.テキストでは「日本人と英語講座の100年の歩み」と題する連載も始まっており,実に楽しみです.朝ドラ,英会話学習,英語受容史の記事で,3倍(以上)楽しめるのではないでしょうか.それはそうと,私自身がNHKラジオの別の講座『中高生の基礎英語 in English』のテキストに毎月寄稿している連載「歴史で謎解き 英語のソボクな疑問」もよろしくお願いしますね(笑).
それにしても,朝ドラの第1週目は展開が甘酸っぱすぎて,オジサンの私には刺激が強すぎました,しかも朝から(泣).第2週も引き続きキツそうですので,昭和らしく正座してテレビに向かおうと思います.
小学館の『英語便利辞典』に,日本における英語受容史の主要な事項を年代順に列挙した略年表がある (460--61) .1600年から第2次世界大戦直後までの3世紀半に渡る日本と英語との接触の足跡を辿ろう.
年号 | 事項 | 解説 |
---|---|---|
1600(慶長5)年 | ウィリアム・アダムズ(William Adams;三浦按針)豊後海岸に漂着. | ウィリアム・アダムズは日本に最初に来た英国人とされる.家康に重用された. |
1808(文化5)年 | フェートン号事件 (Phaeton Incident) . | イギリスの軍艦フェートン号が長崎港に乱入.この事件をきっかけに,蘭学から英学へ移行. |
1814(文化11)年 | 『暗厄利亜語林大成(あんげりあごりんたいせい)』出版. | 蘭英字書をもとに編まれた日本最初の英和辞書. |
1841(天保12)年 | 中浜万次郎(通称:ジョン万),米捕鯨船に保護される. | 中浜万次郎は出漁中に太平洋上の孤島で遭難.その後米捕鯨船に救助され,アメリカで教育を受け,1851年帰国. |
1855(安政2)年 | 洋学所設立,翌年蕃書調所となる. | 洋学所は幕府の設置する洋学研究所. |
1858(安政5)年 | 日米修好通商条約締結. | 日本が外国と結んだ最初の条約. |
1859(安政6)年 | ヘボン博士来日. | ヘボン (James Curtis Hepburn) 博士はヘボン式ローマ字で有名.辞書編纂,聖書の日本語訳その他日本文化に多大の寄与をした. |
1860(万延1)年 | 咸臨丸アメリカに向け出航. | 日本の軍艦咸臨丸は,日米修好通商条約批准のための遣米使節団を乗せたポウハタン号に随行したが,同船には福沢諭吉,勝海舟なども乗船していた. |
1862(文久2)年 | 『英和對譯袖珍(しゅうちん)辞書』出版. | 堀達乃助他編.日本最初の本格的英和辞書. |
1866(慶応2)年 | 『西洋事情』ベストセラーとなる. | 福沢諭吉が著し,明治開化期の文明に大きな影響を与えた. |
1867(慶応3)年 | 『和英語林集成』出版. | ヘボンによる最初の和英辞典.その後改訂増補された. |
1871(明治4)年 | 津田梅子渡米. | 津田梅子は日本初の女子留学生.1900年女子英学塾(現在の津田塾大の前身)を創設. |
1876(明治9)年 | クラーク博士,札幌農学校に赴任. | クラーク (William Smith Clark) 博士は札幌農学校(現北海道大学)初代教頭を務める.諸説あるが,Boys, be ambitious! で有名.同校は新渡戸稲造(にとべいなぞう),内村鑑三など優秀な人材を輩出する. |
1890(明治23)年 | ラフカディオ・ハーン来日. | ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn;日本名:小泉八雲)は作家,英文学者.松江中学,東京帝国大学などで教鞭をとる.主著『怪談』『心』など. |
1914(大正4)年 | 『熟語本意英和中辞典』出版. | 斎藤秀三郎著.独創的な内容は,その後の英和辞書に大きな影響を与える. |
1918(大正7)年 | 『武信和英大辞典』出版. | 日本初の本格的和英辞典で,現行の研究社『新和英大辞典』の前身.武信(たけのぶ)由太郎編. |
1922(大正11)年 | パーマー (Harold E. Palmer) 来日. | オーラル・メソッド(Oral Method;口頭教授法)を唱え,以後の英語教育に大きな影響を与えた. |
1927(昭和2)年 | 研究社『新英和大辞典』出版. | 日本初の本格的英和大辞典.現在は第6版が出されているが,初版の著者は岡倉由三郎. |
1945(昭和20)年 | 『日米会話手帳』ベストセラーとなる. | 戦後2か月を経ない出版で,360万部の爆発的売れ行きを示した. |
1946(昭和21)年 | 平川唯一,英語会話放送開始. | 平川唯一はNHK放送のいわゆる「カムカム英語」の担当者.第二次世界大戦後の英語ブームの元祖となる. |
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