German (ドイツ人)の複数形は Germans であり *Germen にはならない.語源的に -man 複合語ではないからだ.同様に human (人間), Ottoman (オスマン・トルコ人), talisman (護符)なども,-man はあくまで語幹の一部であり,語源的に -man 複合語ではないために,複数形は規則的に - s をつけて humans, Ottomans, talismans とする.*humen, *Ottomen, *talismen とはならない.
これと若干事情が異なるのが「#707. dragoman」 ([2011-04-04-1]) で紹介した名詞の複数形である.dragoman (通訳)は語源的には -man 複合語ではないものの,複数形としては dragomans のみならず dragomen も用いられる.後者は一種の勘違い,あるいは異分析 (metanalysis) に基づく語形だが,歴史的には許容されてきた.
さらに異なるタイプが,今回取り上げる Norman の複数形だ.この名詞は,語源的には north + -man であり,明らかに -man 複合語である(cf. 「#1568. Norman, Normandy, Norse」 ([2013-08-12-1])).したがって,複数形は *Normen となることが予想されるが,実際には全体として1つの名詞語幹として解釈されるようになったのだろう,Normans という語形が通用されてきた.
ところが Norman の語史をひもとくと,かつては複数形として Normen も用いられていたことがわかる.OED より古英語からの最初期の例文を挙げてみよう.
OE Þær wæs Harold cyning of Norwegan & Tostig eorl ofslagen, & gerim folces mid heom, ægðer ge Normana ge Englisca, & þa Normen [flugon þa Englis[c]a].
Anglo-Saxon Chronicle (Tiberius MS. B.i) anno 1066
OE Harold for to Norwegum, Magnus fædera, syððan Magnus dead wæs, & Normen hine underfengon.
Anglo-Saxon Chronicle (Tiberius MS. B.iv) anno 1049
一方,古くから Normans のほうが普通の複数形だったようではある.
c1275 (?a1200) Seoððen comen Normans [c1300 Otho MS. Normains]..and nemneden heo Lundres.
Laȝamon, Brut (Caligula MS.) (1963) 7115
c1325 (c1300) þus was in normannes hond þat lond ibroȝt.
Chronicle of Robert of Gloucester (Caligula MS.) 7498
-man 語の民間語源的な複数形をめぐる事例は,ほかにもあるかもしれない.
一昨日8月18日(日)の YouTube 「いのほた言語学チャンネル」の最新回は,「#259. tip(レストランなどでのチップ)の語源は To Insure Promptness(「すぐのご提供の保証」)の頭文字だなどの怪しげな民間語源があるが...」です.サムネイルには大きく「後付けの語源を軽んじてはいけない理由」の文句が現われています(←井上氏の要約センスによるものです).
数回前の配信回で,井上氏が語源ネタは「教室から酒場まで」人気があるとの名言を繰り出しました.おおよそ教室の語源が「学者語源」,酒場の語源が「民間語源」に相当するでしょうか.
民間語源 (folk_etymology) はしばしば「俗説」とも呼ばれ,真面目な語源学や言語学では低く見られる傾向がありました.しかし,実は人間の言語の創造力と想像力を示してくれる貴重な事例なのです.その点では言い間違いなどと同じくらいの言語学的価値があります.
私は,この2種類の対立する語源に与えられてきた従来の呼称「民間語源」と「学者語源」に,どうも馴染めません.威信の上下関係がつきまとうからです.いずれも捉え方こそ異なりますが,各々が尊ばれるべき語源であると考えています.
そこで,この対立についてポジティヴな解釈を促すようなネーミングを考え続けてきました.もっとよい呼称があるかもしれませんが,とりあえず民間語源を「解釈語源」と,学者語源を「探究語源」と呼ぶことにしています.
この問題意識や関連する話題は,hellog (や heldio/helwa)でも初めてではありません.以下をご参照いただき,さらに深く考えていただければと思います.
・ hellog 「#2174. 民間語源と意味変化」 ([2015-04-10-1])
・ helwa 「【英語史の輪 #9】語源って何?」(2023/06/30)
・ hellog 「#5180. 「学者語源」と「民間語源」あらため「探究語源」と「解釈語源」 --- プレミアムリスナー限定配信チャンネル「英語史の輪」 (helwa) の最新回より」 ([2023-07-03-1])
・ 「#5378. 歴史的に正しい民間語源?」 ([2024-01-17-1])
・ 「#3539. tip (心付け)の語源」 ([2019-01-04-1])
・ 「#4942. sirloin の民間語源 --- おいしすぎて sir の称号を与えられた牛肉」 ([2022-11-07-1])
井上氏の上記の名言にインスピレーションを受け,「教室語源」と「酒場語源」も普段使いには悪くないなと思い始めています.
言語変化 (language_change) の基本的な原動力の1つである類推作用 (analogy) に関する本格的な研究書,Fertig の Analogy and Morphological Change についてはこちらの記事群で取り上げてきた.
今回は Fertig を参照し,contamination (混成)と呼ばれるタイプの類推作用について考えてみたい.「混成」とその周辺の現象が明確に分けられるかどうかについては議論があり,「#5419. blending と contamination」 ([2024-02-27-1]) でも関連する話題を取り上げたが,ひとまず contamination を区別できるものと理解し,そのなかに2つのタイプがあるという議論を導入したい.syntagmatic contamination と paradigmatic contamination である.具体例とともに Fertig からの関連箇所を引用する (64) .
Paul's initial conception of contamination (1886) involved influence attributable exclusively to paradigmatic (semantic) relations between forms, but he later (1920) recognized that lexical contamination often involves items that are not only semantically related but also frequently occur in close proximity in utterances. The importance of these syntagmatic relationships is emphasized in almost all modern accounts of contamination (Campbell 2004: 118--20 being the only exception that I am aware of). The most frequently cited examples involve adjacent numerals, which often influence each other's phonetic make-up: English eleven < Proto-Gmc. *ainlif under the influence of ten; Latin novem 'nine' instead of expected *noven under the influence of decem 'ten'; Greek dialectal hoktō 'eight' under the influence of hepta 'seven' (Osthoff 1878b; Trask 1996: 111--12; Hock and Joseph 2009: 163). Similar effects are attested in a number of languages among days of the week and months of the year, e.g. post-classical Latin Octember < Octōber under the influence of November and December.
Such contamination attributable to syntagmatic proximity of the affecting and affected items is often characterized as distant assimilation. Some scholars characterize contamination as a kind of assimilation even when it is purely paradigmatically motivated. Anttila calls it 'assimilation . . . toward another word in the semantic field' (1989: 76). Andersen (1980: 16--17) explicitly distinguishes such 'paradigmatic assimilation' from the more familiar 'syntagmatic assimilation'. As an unambiguous example of the latter, he mentions the influence of one word on another within a formulaic expression, such as French au fur et à mesure 'as, in due course' < Old French au feur et mesure (Wackernagel 1926: 49--50). Contamination involving antonyms, such as Late Latin sinexter < sinister 'left' under the influence of dexter 'right' or Vulgar Latin grevis < gravis 'heavy' under the influence of levis 'light', could be both paradigmatically and syntagmatically motivated since antonyms frequently co-occur in close proximity within an utterance, especially in questions: Is that thing heavy or light? Should I turn right or left? Wundt's view of paradigm leveling as a type of assimilation should also be mentioned in this context (Paul 1920: 116n 1).
syntagmatic contamination と paradigmatic contamination の2種類を区別しておくことは,理論的には重要だろう.しかし,実際的には両者は互いに乗り入れており,分別は難しいのではないかと思われる.paradigmatic な関係にある2者は syntagmatic には and などの等位接続詞で結ばれることも多いし,逆に syntagmatic に共起しやすい2者は paradigmatic にも意味論的に強固に結びつけられているのが普通だろう.
個々の事例が,いずれかのタイプの contamination であると明言することができるのかどうか,あるいはできるとしても,そう判断してよい条件は何か,という問題が残っているように思われる.
・ Fertig, David. Analogy and Morphological Change. Edinburgh: Edinburgh UP, 2013.
一般に「民間語源」 (folk_etymology) は勘違いの語源解釈とみなされている.歴史的に真実の語源(しばしば「学者語源」といわれる)とは異なる誤った語源説として言及されることが多い.
しかし,古今東西,言語には民間語源の事例は多く,むしろ言語変化の重要な原動力の1つであると積極的に評価することもできる.このポジティヴな見方については「#2174. 民間語源と意味変化」 ([2015-04-10-1]) や「#5180. 「学者語源」と「民間語源」あらため「探究語源」と「解釈語源」 --- プレミアムリスナー限定配信チャンネル「英語史の輪」 (helwa) の最新回より」 ([2023-07-03-1]) などで取り上げてきた.
Fertig による類推 (analogy) に関する本を読んでいて,民間語源が関与した結果,歴史的に正しい形に戻る事案,つまり「歴史的に正しい民間語源」の例があることを知った.関連する箇所を引用する.
The fact that we say churchyard rather than *churchard, which would show the normal phonetic reduction of the second, more weakly stressed element of the compound (as in orchard), and the widespread pronunciation of forehead as /fɔrhɛd/ rather than reduced /fɔrɪd/ can be ascribed to speakers analyzing these compounds just as they do in cases of folk etymology, the only difference being that here their analysis is historically accurate.
いったんこの民間語源の捉え方を知ってしまうと,コトバの見え方がガラッと変わる.forehead に代表される綴字発音 (spelling_pronunciation) には「歴史的に正しい民間語源」の例が多そうだが,すると昨今 often を [ˈɔ:fn] ではなく [ˈɔ:ftən] と発音したり,assume を[əˈʃu:m] ではなく [əˈsju:m] と発音するようになってきているのも,正しい民間語源の例だったのか,と気づくに至る.
さらに考えを進めていくと,もともとラテン語由来の単語だ(ろう)からという知識に基づき,doute に <b> を挿入して doubt などと綴りだした語源的綴字 (etymological_respelling) の現象も,結果的には歴史的に正しい語源形に近づいていったという点で「歴史的に正しい民間語源」の仲間とも言えそうだ.ただし,ここには意図性の有無という基準も関わってきそうであり,どのような点で仲間といえるのかは問題となるかもしれない.
Fertig は "hypercorrective folk etymology" 「修正しすぎの民間語源」 (60--61) と表現しているが,この現象,いなこの見方は新鮮で興味深い.
・ Fertig, David. Analogy and Morphological Change. Edinburgh: Edinburgh UP, 2013.
「#5356. 岡本広毅先生の NewsPicks のトピックス「RPGで知る西洋の歴史」」 ([2023-12-26-1]) で紹介した岡本広毅先生(立命館大学)による「RPGで知る西洋の歴史」では,次々と新しい記事が公開されてきています.昨晩公開された最新回は「RPGは「ロマンティック」?---知られざるロマンス史を紐解く①」です.roman, romance, romantic などの語源が解説されています.
1回前の記事「『ファイナル・ファンタジー』と北欧神話---RPGを彩る伝承の物語」もおもしろいです.
この記事では J. R. R. Tolkien の作品に登場する妖精たちの世界 Middle-earth (中つ国)について,関連する「ミッドガル」とともに言及がなされています.
「ミッドガル」は『FFVII』に登場する科学文明の栄えた都市で,世界のエネルギー市場を支配する「神羅カンパニー」という大企業の本拠地でした.薄暗いネオン街や高層ビル,魔晄炉と呼ばれる発電施設など,近未来風の佇まいからは太古の神話世界とのつながりを想像することは容易ではありません.ただ,「ミッドガル」とは明らかに古い北欧語「ミズガルズ」("Miðgarðr") から取られたもので,これは北欧神話における人間の住まう領域を指します(巨人ユミルのまつ毛で作られた「囲い」).ミッドガルに渦巻く欲望や策略は「人間」の本性の一面と関わりますし,都市の荒廃や破壊,再生といったストーリー展開なども神話と重なり合います.なお,J.R.R.トールキン『ホビット』や『指輪物語』の舞台「ミドル・アース」("Middle-earth"「中つ国」)はミズガルズの現代英語版です.北欧とイングランドの人々の民族的ルーツは共通の祖先(ゲルマン人)へと遡るため,北欧神話は英語話者の故郷の物語でもあるのです.
Middle-earth の由来をさらに詳しく調べてみると,どうやら古ノルド語 miðgarðr とは妙なねじれの関係にあるようです.後者は,古英語期より2回ほど民間語源 (folk_etymology) による変形を受けて,今の形にたどりついているのです.
古英語には「世界」を意味する middangeard という語がありました.現代風に示すと "mid(dle)" + "yard" という語形成で,原義は「中庭」ほどです.これは古ノルド語 miðgarðr の語形成とも一致します.
ところが,すでに古英語期より middangeard の第2要素が geard 「庭」ではなく,音形の似た eard 「故郷,祖国」と取り違えられ,形態上の混乱が起こりました(第1の民間語源).さらに中英語期になると,今度はこの eard がやはりよく似た音形の erthe (> earth) 「地,世界」と取り違えられました(第2の民間語源).ちなみに歴史的に第2要素として用いられてきた上記の3つの語は,互いに語源的には無関係です.
Middle-earth の民間語源による2回のひねりに関しては,Fertig (60) が触れています.
The compound middle earth (re-popularized but by no means invented by Tolkien) can be traced back to early Middle English middelærde and OE middangeard and midanærd. Comparison with related words in other older Germanic languages, such as Old Saxon middilgard, Old High German mittilagart and Old Norse miðgarðr suggests that the second element originally corresponded to the Modern English word yard. We then see two successive folk-etymological identifications of this element, first with the Old English word eard '(native) land, home', then later with earth.
なお,「民間語源」という用語とその呼称をめぐっては「#5180. 「学者語源」と「民間語源」あらため「探究語源」と「解釈語源」 --- プレミアムリスナー限定配信チャンネル「英語史の輪」 (helwa) の最新回より」 ([2023-07-03-1]) を参照していただければ.
・ Fertig, David. Analogy and Morphological Change. Edinburgh: Edinburgh UP, 2013.
一昨日の heldio で「#955. 妙な英文で味わうアナロジー(および関連する過程)」を配信した.本ブログでも同じ話題をカバーしておきたい.
「#4229. Fertig による analogy の定義」 ([2020-11-24-1]) や「#5336. Fertig による analogy の本格的研究書の目次」 ([2023-12-06-1]) で紹介した Fertig の analogy に関する研究書の冒頭は,次のような英文の例示で飾られる.
A book about analogy and morphological change? That is so not what I was expecting. I never imaginated there'd ever be such a book. I guess I had another thing coming. Who'd of thunk it?
この英文には類推 (analogy) およびそれと関連する言語革新の過程を示す事例が4つ(あるいは5つ)含まれている.すべてが類推の事例,あるいは類推に似ている事例である.それぞれを解説する1節も引用しておきたい.
The short paragraph above contains at least four recognizable examples of some of the different kinds of innovations that we will be exploring in this book. That is so not . . . is an example of analogical change in syntax. Until recently, the intensifier so could only be used directly before an adjective or adverb. Now some speakers regularly use it in other syntactic contexts, such as before the negative particle not. This change can be attributed to the analogy of other intensifiers such as really . . . . The next sentence contains the verb imaginate, which sounds very odd to many English speakers today but has been around since 1541. It means the same thing as the much more common and older verb imagine and may have been created by backformation from the noun imagination, on the analogical model of pairs like speculation--speculate, dedication--dedicate, etc. The fourth sentence contains an altered version of the familiar expression to have another think coming, meaning 'to be seriously mistaken about something'. For at least a century, English speakers/learners have sometimes mistaken the word think in this expression for thing. This kind of change is called folk etymology. It occurs when speakers identify one element in an expression with a different, often historically unrelated element. The word of (for 've) in the final sentence of the paragraph could also be considered folk etymology. Finally, thunk is obviously an innovative past-participle form corresponding to standard thought. It is based on analogical models such as sink--sank--sunk or stick--stuck.
ここから太字表記のものも含めいくつかキーワードと拾うと,innovations, analogical change, backformation, analogical model, folk_etymology などが挙がってくる.Fertig の本では,これらの用語や概念が丁寧に議論されていく.言語における類推(作用)の研究の必読書である.
・ Fertig, David. Analogy and Morphological Change. Edinburgh: Edinburgh UP, 2013.
「#5203. 地名と民間語源」 ([2023-07-26-1]) でみたように,地名には民間語源 (folk_etymology) が関わりやすい.おそらくこれは,地名を含む固有名には,指示対象こそあれ「意味はない」からだろう(ただし,この論点についてはこちらの記事群を参照).地名の語源的研究にとっては頭の痛い問題となり得る.
Clark (28--29) に,York という地名に関する民間語源説が紹介されている.
. . . 'folk-etymology' --- that is, replacement of alien elements by similar-sounding and more or less apt familiar ones --- can be a trap. The RB [= Romano-British] name for the city now called York was Ebŏrācum/Ebŭrācum, probably, but not certainly, meaning 'yew-grove' . . . . To an early English ear, the spoken Celtic equivalent apparently suggested two terms: OE eofor 'boar' --- apt enough either as symbolic patron for a settlement or as nickname for its founder or overlord --- and the loan-element -wīc [= "harbour"] . . ., hence OE Eoforwīc . . . . (The later shift from Eoforwīc > York involved further cross-cultural influence . . . .) Had no record survived of the RB form, OE Eoforwīc could have been taken as the settlers' own coinage; doubt therefore sometimes hangs over OE place-names for which no corresponding RB forms are known. The widespread, seemingly transparent form Churchill, for instance, applies to some sites never settled and thus unlikely ever to have boasted a church; because some show a tumulus, others an unusual 'tumulus-like' outline, Church- might here, it is suggested, have replaced British *crǖg 'mound' . . . .
もし York の地名についてローマン・ブリテン時代の文献上の証拠がなかったとしたら,それが民間語源である可能性を見抜くこともできなかっただろう.とすると,地名語源研究は文献資料の有無という偶然に揺さぶられるほかない,ということになる.
ちなみに古英語 Eoforwīc から後の York への語形変化については,Clark (483) に追加的な解説があるので,それも引用しておこう.
OE Eoforwīc was reshaped, with a Scand. rising diphthong replacing the OE falling one, assibilation of the final consonant inhibited, and medial [v] elided before the rounded vowel: thus, Iorvik > York . . . .
・ Clark, Cecily. "Onomastics." The Cambridge History of the English Language. Vol. 1. Ed. Richard M. Hogg. Cambridge: CUP, 1992. 452--89.
最近,「名前の言語学」である固有名詞学 (onomastics) に関心を寄せており,そのハンドブックを最初から読み進めている.「名前」現象について,考えたこともなかった角度から考察が加えられており,新鮮で刺激的な機会となっている.
地名研究の方法論に関する第5章を読んでいたところ,地名の語源を探っている研究者にとっては地名の再形成・再解釈はよくある話だと知った.要するに地名は民間語源 (folk_etymology) の宝庫だということだ(「民間語源」という呼称を巡っては「#5180. 「学者語源」と「民間語源」あらため「探究語源」と「解釈語源」 --- プレミアムリスナー限定配信チャンネル「英語史の輪」 (helwa) の最新回より」 ([2023-07-03-1]) を参照).
同章を執筆した Taylorは,スコットランドの地名の研究者であり,スコットランドの Aberdeenshire は Buchan の Deer という名の教会の事例を紹介している.この Deer という名前は The Gaelic Notes in the Book of Deer というスコットランド・ゲール語で書かれたテキストのなかに記録されている.このテキストの中身は,10世紀の福音書抜粋のなかに12世紀になって書き込まれた Deer 教会の資産記録である.
Deer という名前の由来は,おそらくピクト語で「オークの木」を意味する *derw- と想定されている.しかし,すでに The Gaelic Notes in the Book of Deer の時代には,この名前はスコットランド・ゲール語で「涙」を意味する déar と解釈されるようになっていたらしい.というのは,その教会に祀られている聖ドロスタンが,聖コルンバと別れる際に涙を流したことが,その名前の由来であると,すでに考えられていた節があるからだ.
確かに地名にはこのように印象的な物語を作り出すべく再解釈されやすい側面があるかもしれない.一般語よりも,ストーリーが注入されやすい,といえばよいだろうか.人々の想像と創造の産物である.
・ Taylor, Simon. "Methodologies in Place-name Research." Chapter 5 of The Oxford Handbook of Names and Naming. Ed. Carole Hough. Oxford: OUP, 2016. 69--86.
1ヶ月ほど前の6月2日に,毎朝6時に配信している Voicy チャンネル「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」の内部で,プレミアムリスナー限定配信チャンネル「英語史の輪」 (helwa) を新しく開設しました.原則として毎週火曜日と金曜日の夕方6時に配信しています.月額800円の有料放送となっています.この1ヶ月の間に,熱心なリスナーの方々にご参加いただいており,コメントのやりとりなども活発に行なわれています.毎月の収益はさらなる英語史活動(hel活)の原資に充てていく予定です.
新チャンネル開設の趣旨については,本ブログでも「#5145. 6月2日(金),Voicy プレミアムリスナー限定配信の新チャンネル「英語史の輪」を開始します」 ([2023-05-29-1]) で詳述しました.また,heldio の通常配信として「#727. 6月2日(金),Voicy プレミアムリスナー限定配信の新チャンネル「英語史の輪」を開始します」でも話していますので,ぜひお聴きください.
さて,先日6月30日(金)に配信した「英語史の輪」の最新回は「【英語史の輪 #9】語源って何?」でした.かなり本格的な話題です.
この回は全5チャプターからなる36分ほどの配信でしたが,そこから第4チャプターの一部を文字起こしし,多少の編集を加えたものを以下に公開します.プレミアムリスナー限定配信チャンネル「英語史の輪」の雰囲気をお伝えしたいと思ったからです.では,どうぞ.
heldio 通常回の742回で「#742. tip 「心付け」の語源」というお話をしたんですね.ここにたくさんコメントをいただきました.ぜひ改めて聞いていただければと思うんですけれども,「心付け」を意味する tip ですね.ホテルやレストランでのあのチップのことなんですけれども,この回の放送で,私はですね,俗説を紹介して,それを切り捨てたっていうことなんですね.俗説というのは,tip というのは,もともと,To Insure Promptness 「迅速さをお約束するために」の頭文字を取って TIP,これを tip と読ませたんだというのが,わりと広く知られているんですね.OED をはじめとして,専門的な語源辞典などでは,この説は根拠が乏しいととして,おそらくでっち上げの説だろうというような見解が多く見られます.
もう1つ似たような例を挙げますと,sirloin ですね.牛肉の良質な部の代表格です.sir + loin と書くことになっているんですが,本来的には16世紀に古いフランス語の *surloigne という単語を借用したものなんですね.sur というのが「~の上」という意味です.英語で言う on にあたります.前置詞,あるいは接頭辞ですね.そして,loigne の部分が腰肉ということなんで,腰肉の上部,要するにその肉が位置している体の部位ですよね.それに由来するといういうことなんですが,後にフランス語に明るくない英語話者が,sur という部分が何のことか分からなかったので,その肉が美味しすぎるあまり,王様が sir の称号を与えたという物語をでっち上げて,この単語を理解したわけです.その結果,綴字も引かれて sir になり,今 sirloin ということなんですが,これは完全なでっち上げであり,俗説ということになるんですね.tip の例もそうですし,この sirloin の例もそうなんですけれども,本当の真実の語源というものと,俗説と呼んできた,いわばでっち上げ,後付けの語源という2種類があるわけですね.「学者語源」と「民間語源」,後者は folk etymology と呼ばれることもあります.
正しい説と俗説,学者語源と民間語源というような対立した概念や用語を作るという発想には抵抗がある人もいます.「俗説」という言葉を学者や研究者が使用することに問題があるのではないかという議論も理解できます.私も正しい説や俗説という表現はあまり好きではありませんし,学者語源と民間語源という言い方も好ましいと思いません.
俗説や民間語源という表現は,いわばクリエイティブな要素を持っていますよね.tip を To Insure Promptness という後付けの語源というのは,うまくハマっていると言えますし,sirloin の話もおもしろいですね.王様が肉に sir の称号を与えたという話は受け入れられますし,クリエイティブな要素も含まれています.したがって,創造的語源や creative etymology といった表現も可能です.
ただし,これまで正しい語源や本来の語源,学者語源と呼ばれてきたものも,実際にはクリエイティブに始まった可能性もあります.俗説や民間語源の方を完全に creative etymology として呼び分けることは行き過ぎかもしれません.対立するものを non-creative etymology とすることになりますから.
では,適切な呼び方は何でしょうか.これはかなり難しい問題で,学者語源や真の語源などの方を,例えば true etymology とか real etymology のような表現で呼ぶことも考えられます.ただし,etymon は「元の」を意味する言葉であり,少々奇妙な用語ではありますが.ただ,学者でさえも,究極の語源は知り得ないということになると,true でも real でもないわけで,やはりこの用語もうまくないと思います.
私は民間語源や俗説といったものを決して馬鹿にするつもりはありません.むしろおもしろいと思いますし,クリエイティブだと考えています.ただし,tip や sirloin の場合,いずれのケースでも,より古い段階に遡った語源があるので,それを考慮する必要があります.
これらの2つの種類の語源は明確に分けて考える必要があると私は考えています.では,この2つの対立にどのような名前をつけるかという点で,「正しい」対「俗説」というのもあまり好ましくありませんし,「学者語源」対「民間語源」というのもあまり適切ではありません.
folk etymology という用語はかなり定着してしまっており,それに関する研究書なども存在していますが,ここで1つ提案したいことは,「探求語源」と「解釈語源」という表現はどうでしょうか.価値観がどちらかに偏っているわけではなく,比較的中立的な表現を選んだつもりです.別の言い方をすると,従来の正しいまたは学者的な語源の方は,語源探求の対象であるということです.語源探求ですね.したがって,探求語源という表現を使用すると.そして,もう1つの,いわゆる俗説や民間語源と呼ばれてきたものについては,解釈語源として捉える方法です.これは語源解釈学の対象となるものです.私はどちらも重要な語源学の下位部門だと考えています.
最善の呼び方かどうかはわかりません.今後,さらに良い表現が現われたり,思いついたりするかもしれませんが,私のこの問題に関する考え方をここでお伝えしました.tip や sirloin の場合でも,2つの語源があるという考え方です.探求語源と解釈語源の2つが存在するということです.どちらが優れているという話ではなく,見方が異なるということです.
探求語源に注目するのは,可能な限り古い形を再現したいという思いからです.一方,解釈語源に注目するのは,人間の言葉に対するクリエイティブな感覚やセンスにポイントがあると思います.言葉のセンスやユーモアセンスを楽しむという側面です.両方の側面が語源学が追求すべき対象だと私は考えています.
「英語史の輪」の一部にすぎませんが雰囲気はいかがでしょうか.関心をもたれた方は,ぜひ7月分のプレミアムリスナーになっていただければと思います(6月分もバックナンバーとしてアーカイヴされています).7月の「英語史の輪」の初回配信は,明日7月4日(火)の夕方6時を予定しています.
なお,今回取り上げた話題については,hellog より関連記事「#3539. tip (心付け)の語源」 ([2019-01-04-1]),「#4942. sirloin の民間語源 --- おいしすぎて sir の称号を与えられた牛肉」 ([2022-11-07-1]) もご参照ください.
GW も最終日ですが,この連休中は Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」にて様々な対談企画を展開してきました.この余韻は GW 後も向こう1週間ほど続く予定ですので,どうぞお付き合い下さい.
今朝の heldio では,khelf(慶應英語史フォーラム)のメンバー2人とともに軽いノリで英単語の語源 (etymology) をめぐる遊びを披露しています.「#706. 爆笑・語源バトル with まさにゃん&藤原くん」です.30分超の放送回となりますので,お時間のあるときにどうぞ.
お聴きになれば分かる通り,今回の「語源バトル」は,ゲームそのものを実施したというよりは,ゲームのルール作りに着手したというのが正確なところです.単語の語源とはいったい何か? 「単語の語源を言い当てる」とは,結局何を答えればよいのか? ゲームのルール作りを念頭に考えてみると,問題が具体的に挙がってくるのが良いところです.放送中にもいくつかの問題点が持ち上がりました.
・ 何段階もの借用を経てきた単語について,直近の借用元言語を答えるべきか,その前段階の借用元言語を答えるべきか,あるいは究極の祖語(しばしば印欧祖語)を答えるべきか.
・ 借用語について,ラテン語からか,フランス語からか,という問いはしばしば解決が困難である.「ラテン系」などととして逃げることは,どこまで妥当か.(cf. こちらの記事セット)
・ taking のような語形については,語幹 take と屈折語尾 -ing の語源をそれぞれ答える必要があるのか.
・ 複合語や派生語の場合,構成する各形態素について語源を明らかにする必要があるのか.
・ UK のような省略語の語源とは,展開した United Kingdom が答えとなるのか.あるいは,Unite, -ed, King, -dom の各々の語源を答える必要があるのか.
その他,思いつくままに問題点を挙げてみると,ルール作りがなかなか厄介な仕事であることが分かってきます.
・ 本来語という答えは多くなりそうだが,本来語とは何か.
・ 語源説が揺れている単語(実際にかなり多いと思われる)の回答は何になるのか.
・ 固有名詞の語源とは何か.
・ 語源と語形成は何がどう異なるのか.
・ 民間語源 (folk_etymology) と学者語源は区別する必要があるのか.
これらは結局のところ「単語の語源とは何か」というメタな問いを発していることにほかなりません.この問いを議論するに当たって,まず「#3847. etymon」 ([2019-11-08-1]) を参照していただければと思います.
以下,「語源バトル」に出演した2人の HP へのリンクを張っておきます.
・ 「まさにゃん」こと森田真登さん(武蔵野学院大学): https://note.com/masanyan_frisian/n/n01938cbedec6
・ 藤原郁弥さん(慶應義塾大学大学院生): https://sites.google.com/view/drevneanglijskij-jazyk/home
牛肉の良質な部位の代表格である sirloin (サーロイン).この単語は,16世紀に古フランス語 *surloigne を借用したものである.sur (上部) + loigne (腰肉)という構成だ.
ところがフランス語に明るくない英語話者は,loin はすでに知っていたとしても sur が何のことなのか分からなかった.そこで,その肉がおいしすぎるあまり,王様が sir の称号を与えたという物語をでっち上げ,この単語を理解しようとした.17世紀以降 sirloin の綴字が一般化していったが,その背景にはこのようなでっち上げがあったらしい.民間語源 (folk_etymology) の典型例である.
OED には,この物語のでっち上げ過程を伝える例文が3つ挙げられている.
1655 T. Fuller Church-hist. Brit. vi. 299 A Sir-loyne of beef was set before Him (so Knighted, saith tradition, by this King Henry [VIII]).
1738 J. Swift Compl. Coll. Genteel Conversat. 121 Miss. But, pray, why is it call'd a Sir-loyn? Ld. Sparkish. Why,..our King James the First,..being invited to Dinner by one of his Nobles, and seeing a large Loyn of Beef at his Table, he drew out his Sword, and..knighted it.
1822 Cook's Oracle 163 Sir-Loin of Beef. This joint is said to owe its name to King Charles the Second, who dining upon a Loin of Beef,..said for its merit it should be knighted, and henceforth called Sir-Loin.
牛肉にナイト爵位を与えた粋な王は,ヘンリー8世,ジェームズ1世,あるいはチャールズ2世ということになっているが,各例文の年代を参照すると,時代的に遠く離れすぎていないのがおもしろい.
今朝の Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」にて「#524. deal と part のイメージは「分け与えて共有する」」をお話ししました.主に語源の話題ですが,少しボキャビル風味も効かせた放送回です.どうぞお聴きください.
放送のなかでラテン語 pars "part" に由来する単語をいくつか挙げましたが,時間があれば partner についても触れようかと思っていたところでした.放送では触れられなかったので hellog にて補足します.
最近では日本語でも「パートナー」という語がよく用いられます.夫婦,恋人,共同生活者,ビジネス上の相方など,何かを共有している人,何らかの事業に共同で参画している人を広く指せる言葉です.英単語 partner も同じように広く用いられます.原義はやはり「何かを共有している人」です.
ただし OED の語源欄の記述によると,partner は直接 part と関係するというよりは,関連する別の単語 parcener の変形ではないかとのことです.
Etymology: Probably an alteration of PARCENER n. (although this is only attested slightly later), under the influence of PART n.1 Perhaps compare Old French partenier (1266), Dutch regional (West Flanders) partenier.
It is much less likely that the word arose from scribal error (with the letters c and t being confused).
現代英語の parcener は「共同相続人」を意味する法律用語です.この語は「何かを共有している人」を原義とするフランス単語を借用したもので,究極的にはラテン語 partītiō(n-) に遡り,ラテン語 pars の仲間とはいえます.この語が英語側で変形してできたのが,partner なのではないかという語源説です.経路はちょっとややこしそうですが,part の関連語であることは確かなようです.
標記の語はいずれも「協力者,仲間;配偶者」を意味する.通常は helpmate /ˈhɛlp ˌmeɪt/ の語形が用いられるが,まれに helpmeet /ˈhɛlp ˌmiːt/ も用いられる.しかし,歴史的にみれば,まれな後者のほうが由緒正しい形であり,前者はある種の勘違いによって生まれた形である.
この meet は動詞「会う」ではなく,「適当な,ふさわしい」を意味する古風な形容詞である.あまりお目にかからない語だが,たとえば新約聖書の『ルカによる福音書』(15:32) に "It was meet that we should make merry." (われらの楽しみ喜ぶは当然なり)とある.古英語のアングリア方言形 *ġemēte (WS ġemǣte) にさかのぼり,ドイツ語の gemäss に対応する.意味は古英語でもドイツ語でも「適当な,ふさわしい」である.
さて,旧約聖書の『創世記』 (2:18, 20) に an help meet for him という表現が出てくる.神がアダムのために伴侶として鳥獣,そしてイヴを与えようとするくだりである.「彼にとってふさわしい助っ人」ほどを意味した.ところが,名詞と形容詞からなる help meet なる表現が,helpmeet という1つの名詞として誤解されてしまった.句を誤って分析してしまったのである(このような過程を異分析 (metanalysis) と呼ぶ).この誤解の瞬間に「協力者,仲間」を意味する幽霊語 helpmeet が英語に出現した.
しかし,本来 meet なる名詞は存在せず,複合語の第2要素として落ち着きが悪かったのだろう.やがて「仲間」を意味する別語源の mate が,発音の類似から複合語の第2要素に忍び込み,helpmate が生まれたと考えられる.
以下の例文のように,helpmate の後ろに to や for の前置詞句を伴うことが多いのは,meet が形容詞「適当な,ふさわしい」を表わしていた頃の名残といえなくもない.
・ He was a faithful helpmate to his master.
・ She was a true helpmate to her husband.
・ You are a good helpmate for our work.
先日「#3656. kings' のような複数所有格のアポストロフィの後には何が省略されているのですか?」 ([2019-05-01-1]) と題する素朴な疑問を取り上げた.歴史的な観点からの回答として,端的に「何も省略されていない」と答えた.共時的に想像を膨らませれば,kings という複数形に,さらに所有格の 's を付したが,綴字上,末尾が s's とうるさくなりそうなので,簡略表記したのではないか,とみることもできそうだ (cf. haplology) .実際,そのような発想のもとで近代英語期に現行の句読法 (punctuation) が定まっていた可能性は高いのではないかと思われる.もしそうだったとしたら,歴史的な事実に基づくというよりは,共時的な想像に基づく正書法の確立だったということになる.これを非難するつもりもないし,先の記事で述べたように複数形 kings,単数所有格形 king's,複数所有格形 kings' の3つが,せめて表記上は区別されることになったわけだから,結果として便利になったと考えている.ただし,歴史的にはそういうわけではなかった,ということをここでは主張しておきたい.
この辺りの問題については,Jespersen (272) がまさに取り上げている.それを引用するのが手っ取り早いだろう.
16.86. These forms [genitive plurals with -es] (in which e was still pronounced) show that the origin of the ModE gen pl is the old gen pl in -a (which in ME became e) + the ending s from the gen sg, which was added analogically for the sake of greater distinctiveness. The s' in kings' thus is not to be considered a haplological pronunciation of -ses, though some of the early grammarians look upon it as an abbreviation: Bullokar Æsop 225 writes the gen pl ravenzz and crowzz with his two z-letters, which do not denote two different sounds, but are purely grammatical signs, one for the plural and the other for the genitive.---Wallis 1653 writes "the Lord's [sic] House, the House of Lords . . pro the Lords's House", with the remark "duo s in unum coincident." Lane, Key to the Art of Lettters 1700 p. 27: "Es Possessive is often omitted for easiness of pronunciation as . . . the Horses bridles, for the Horsesses bridles."
In dialects and in vg speech the ending -ses is found: Franklin 152 (vg) before gentle folkses doors | GE M 1.10 other folks's children; thus also 1.293, 1.325, 2.7 | id A 251 gentlefolks's servants; ib 403; all in dialect | London schoolboy, in Orig. English 25: I wish my head was same as other boyses. Cf Murray D 164 the bairns's cleose, the færmers's kye, the doags's lugs; Elworthy, Somers. 155 voaksez (not other words, cf GE)
このような解説を読んでいると,標準語の「正史」としては -s's がうるさいから -s' にしたという理屈は採用できないものの,非標準語の歴史という観点からみると,それもあながち間違っているとは言い切れないのかなと思い直したりする.
・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part VI. Copenhagen: Ejnar Munksgaard, 1942.
tip (心付け)の語源は不詳である.シップリー (628) は,次のように記述している.
tip [típ] 軽打,先端,チップ
この語には意味がいくつかあり,その語源も曖昧な点が多いが,「軽打」という意味では tap (軽くたたく),「先端」という意味では top (頂き)に関係があるものと思われる.
良いサービスに対して支払われるお金の「チップ」は,他の言語ではより特定的であり,例えばフランス語 pourboire (チップ)は飲物に対するものである.英語の tip は,ロンドンのコーヒーハウスでの18世紀初めの習慣からできたという説がある.その店には箱が置いてあって,急いでいる人はすぐさま注意を引くために,そこに少額硬貨を落とすようになっており,箱には to Insure Promptness (迅速さを確保するために)というラベルが貼られていた.そのイニシャルを取って T.I.P. となったという.
ユーカーズ (140) も,コーヒーハウスに引っかけた同趣旨の語源説を紹介している.
「チップ」という言葉とその習慣も,コーヒー・ハウスで始まったとされる.コーヒー・ハウスには,真鍮の箱が置かれ,ウェイターのためにコインを入れるようになっていた.その箱には「迅速さをお約束するために To Insure Promptness」と書かれていて,この頭文字をとり「TIP」という語ができたといわれる.
しかし,この語源説は怪しいようで,OED をはじめとした権威ある主要な語源記述では,この説は触れられてすらいない.語源の世界も,専門家向けと一般向けのレファレンスでは,そもそも交わっていないところがあり,語源学の難しさを感じさせる.
・ ジョーゼフ T. シップリー 著,梅田 修・眞方 忠道・穴吹 章子 訳 『シップリー英語語源辞典』 大修館,2009年.
・ ウィリアム H. ユーカーズ 著,山内 秀文 訳 『ALL ABOUT COFFEE コーヒーのすべて』 KADOKAWA,2017年.
連日の記事で,Joseph の論文 "Diachronic Explanation: Putting Speakers Back into the Picture" を参照・引用している (cf. 「#3324. 言語変化は霧のなかを這うようにして進んでいく」 ([2018-06-03-1]),「#3326. 通時的説明と共時的説明」 ([2018-06-05-1]),「#3327. 言語変化において話者は近視眼的である」 ([2018-06-06-1])) .言語変化(論)についての根本的な問題を改めて考え直させてくれる,優れた論考である.
今回は,Joseph より印象的かつ意味深長な箇所を,備忘のために何点か引き抜いておきたい.
[T]he contact is not really between the languages but is rather actually between speakers of the languages in question . . . . (129)
これは言われてみればきわめて当然の発想に思われるが,言語学全般,あるいは言語接触論においてすら,しばしば忘れられている点である.以下の記事も参照.「#1549. Why does language change? or Why do speakers change their language?」 ([2013-07-24-1]),「#1168. 言語接触とは話者接触である」 ([2012-07-08-1]),「#2005. 話者不在の言語(変化)論への警鐘」 ([2014-10-23-1]),「#2298. Language changes, speaker innovates.」 ([2015-08-12-1]) .
次に,バルカン言語圏 (Balkan linguistic_area) における言語接触を取り上げながら,ある忠告を与えている箇所.
. . . an overemphasis on comparisons of standard languages rather than regional dialects, even though the contact between individuals, in certain parts of the Balkans at least, more typically involved nonstandard dialects . . . (130)
2つの言語変種の接触を考える際に,両者の標準的な変種を念頭に置いて論じることが多いが,実際の言語接触においてはむしろ非標準変種どうしの接触(より正確には非標準変種の話者どうしの接触)のほうが普通ではないか.これももっともな見解である.
話題は変わって,民間語源 (folk_etymology) が言語学上,重要であることについて.
Folk etymology often represents a reasonable attempt on a speaker's part to make sense of, i.e. to render transparent, a sequence that is opaque for one reason or another, e.g. because it is a borrowing and thus has no synchronic parsing in the receiving language. As such, it shows speakers actively working to give an analysis to data that confronts them, even if such a confrontation leads to a change in the input data. Moreover, folk etymology demonstrates that speakers take what the surface forms are --- an observation which becomes important later on as well --- and work with that, so that while they are creative, they are not really looking beyond the immediate phonic shape --- and, in some instances also, the meaning --- that is presented to them. (132)
ここでは Joseph は言語変化における話者の民間語源的発想の意義を再評価するにとどまらず,持論である「話者の近視眼性」と民間語源とを結びつけている.「#2174. 民間語源と意味変化」 ([2015-04-10-1]),「#2932. salacious」 ([2017-05-07-1]) も参照.
次に,話者の近視眼性と関連して,再分析 (reanalysis) が言語の単純化と複雑化にどう関わるかを明快に示した1文を挙げよう.
[W]hen reanalyses occur, they are not always in the direction of simpler grammars overall but rather are often complicating, in a global sense, even if they are simplificatory in a local sense.
言語変化の「単純化」に関する理論的な話題として,「#928. 屈折の neutralization と simplification」 ([2011-11-11-1]),「#1839. 言語の単純化とは何か」 ([2014-05-10-1]),「#1693. 規則的な音韻変化と不規則的な形態変化」 ([2013-12-15-1]) を参照されたい.
最後に,言語変化の共時的説明についての引用を挙げておきたい.言語学者は共時的説明に経済性・合理性を前提として求めるが,それは必ずしも妥当ではないという内容だ.
[T]he grammars linguists construct . . . ought to be allowed to reflect uneconomical "solutions", at least in diachrony, but also, given the relation between synchrony and diachrony argued for here, in synchronic accounts as well.
・ Joseph, B. D. "Diachronic Explanation: Putting Speakers Back into the Picture." Explanation in Historical Linguistics. Ed. G. W. Davis and G. K. Iverson. Amsterdam: Benjamins, 1992. 123--44.
「塵も積もれば山となる」に対応する英語の諺について「#564. Many a little makes a mickle」 ([2010-11-12-1]) で取り上げた.強弱音節が繰り返される trochee の心地よいリズムの上に,語頭音として m が3度繰り返される頭韻 (alliteration) も関与しており,韻律的にも美しいフレーズである.
この諺には標記の「崩れた」ヴァージョンがあり,そちらもよく聞かれるようだ.muckle は語源的には mickle の異なる方言形にすぎず,同義語といってよい.
「#1557. mickle, much の語根ネットワーク」 ([2013-08-01-1]) で述べたように,古英語の myċel と同根だが,中英語では方言によって第1母音と第2子音が様々に変異し,多くの異形態が確認される.大雑把にいえば,mickle は北部方言寄り,muckle は中部方言寄りととらえておいてよい(MED の muchel (adj.) の異綴字を参照).
だが,mickle と muckle が同義語ということになると,標記のヴァージョンは「山も積もれば山となる」ということになり,諺として意味をなさない.これが有意義たり得るためには,mickle と little が同義語であると勘違いされていなければならない.そして,このヴァージョンは,実際にそのような誤解のもとに成り立っているに違いない.民間語源 (folk_etymology) の1例とみなせそうだ.
しかし,この誤解なり勘違いに基づく民間語源は,なかなかよくできた例である.まず,結果的に正しいヴァージョンよりも1つ多くの頭韻を踏んでいることになり,リズム的には完璧に近い.さらに,mickle が「小」で muckle が「大」という理解(あるいは誤解)は,「#242. phonaesthesia と 遠近大小」 ([2009-12-25-1]) で触れたように,英語の音感覚性 (phonaesthesia) に対応している.英語には,前舌母音の /ɪ/ が小さなものを, 後舌母音の /ʊ/ (現在の /ʌ/ はこの後舌母音からの発達)が大きなものを象徴する例が少なくない.かくして,「崩れた」ヴァージョンは,英語話者の音象徴 (sound_symbolism) の直感にも適っているのである.こちらのヴァージョンは初例が1793年となっており,正しいヴァージョンの1250年(より前)と比べればずっと新しいものだが,今後も人気を上げていく可能性があるかも!?
オーストラリアの有袋類 kangaroo の語源について,多くの人が耳にしたことがあるだろう.それによると,オーストラリアの原住民 (Aborigine) の言語に由来するが,もともとはその動物を指す語ではなかったという.Captain Cook が原住民に動物の名前を尋ねたところ,この語が返ってきたのだが,それは原住民の言語で I don't know. ほどを意味するものだったという.つまり,勘違いが原因で生まれた一種の民間語源 (folk_etymology) とも考えられる例だ.しかし,この語源説は後世の俗説と思われる.このまことしやかな説は広く流布することになり,現在でも再生産され続けている.
では,実際のところはどうだったのか.語源説に絶対的な正解はないといってよいが,I don't know 説よりはずっと信憑性があると考えられる説を紹介しよう.オーストラリア原住民の諸言語のなかに,かの動物のうちでも大型の黒い種類を指して gangaru, gangurru, ganurru などと呼ぶ言語がある(北西部の Guugu Yimidhirr).おそらくこれが kangaroo という形態で西洋の言語へ借用されたのだろう.その後,西洋の言語で確立したこの語が,オーストラリア原住民の他の言語へも広がった.つまり,実は多くの原住民の言語にとって,kangaroo は西洋からの借用語ということである.
Horobin (136--37) がこの過程を説明している.
Sadly, the story that the name of the kangaroo derives from the locals' bemused response, 'I do not know', when asked the name of the animal, appears to be entirely fictional; rather more prosaically, the word kangaroo comes from a native word ganurru. The word and the animal were introduced to the English in an account of Captain Cook's expedition of 1770. Shortly after this, during his tour of the Hebrides, Dr Johnson is reputed to have performed an imitation of the animal, gathering up the tails of his coat to resemble a pouch and bounding across the room. Later voyages to Botany Bay brought English settlers into contact with Aboriginals who knew the kangaroo by the alternative name patagaran, but who subsequently adopted the word kangaroo. Kangaroo, therefore, is an interesting example of a word borrowed into one Aboriginal language from another, via European settlers.
American Heritage Dictionary の Notes より,kangaroo も要参照.
・ Horobin, Simon. How English Became English: A Short History of a Global Language. Oxford: OUP, 2016.
(陸軍)大佐を意味する colonel は,この綴字で /ˈkəːnəl/ と発音される.別の単語 kernel (核心)と同じ発音である.l が黙字 (silent_letter) であるばかりか,その前後の母音字も,発音との対応があるのかないのかわからないほどに不規則である.これはなぜだろうか.
この単語の英語での初出は1548年のことであり,そのときの綴字は coronell だった.l ではなく r が現われていたのである.これは対応するフランス語からの借用語で,そちらで coronnel, coronel, couronnel などと綴られていたものが,およそそのまま英語に入ってきたことになる.このフランス単語自体はイタリア語からの借用で,イタリア語では colonnello, colonello のように綴られていた.つまり,イタリア語からフランス語へ渡ったときに,最初の流音が元来の l から r へすり替えられたのである.これはロマンス諸語ではよくある異化 (dissimilation) の作用の結果である (cf. Sp. coronel) .語中に l 音が2度現われることを嫌っての音変化だ(英語に関する類例は「#72. /r/ と /l/ は間違えて当然!?」 ([2009-07-09-1]),「#1597. star と stella」 ([2013-09-10-1]),「#1614. 英語 title に対してフランス語 titre であるのはなぜか?」 ([2013-09-27-1]) を参照).
さらに語源を遡ればラテン語 columnam (円柱)に行き着き,「兵士たちの柱(リーダー)」ほどの意味で用いられるようになった.フランス語で変化した coronnel の綴字についていえば,民間語源 (folk_etymology) により corona, couronne "crown" と関係づけられて保たれた.しかし,フランス語でも16世紀後半には l が綴字に戻され,colonnel として現在に至る.
英語では,当初の綴字に基づき l ではなく r をもつ発音がその後も用いられ続けたが,綴字に関しては早くも16世紀後半に元来の綴字を参照して l が戻されることになった.フランス語における l の復活も同時に参照したものと思われる.18世紀前半までは古い coronel も存続していたが,徐々に消えていき現在の colonel が唯一の綴字となった.発音は古いものに据えおかれ,綴字だけが変化したがゆえに,現在にまで続く綴字と発音のギャップが生じてしまったというわけだ.
しかし,実際の経緯は,上の段落で述べたほど単純ではなかったようだ.綴字に l が戻されたのに呼応して発音でも l が戻されたと確認される例はあり,/ˌkɔləˈnɛl/ などの発音が19世紀初めまで用いられていたという.発音される音節数についても通時的に変化がみられ,本来は3音節語だったが17世紀半ばより2音節語として発音される例が現われ,19世紀の入り口までにはそれが一般化しつつあった.
<colonel> = /ˈkəːnəl/ は,綴字と発音の関係が複雑な歴史を経て,結果的に不規則に固まってきた数々の事例の1つである.
salacious という語は「好色な;卑猥な;催淫性の」を意味する.語源を探ると,ラテン語 salāc, salāx (飛び跳ねるのが好きな)に遡り,さらに語根 salīre (飛び跳ねる)に行き着く.これは,salient, saltant, assail, assault 等をも生み出した語根動詞である.英語の salacious はラテン語から借用され,1647年に初出が確認されている.
語源的には以上の通りだが,古くはむしろ salt (ラテン語 sāl) と結びつけられて理解されていたようだ.『塩の世界史』の著者カーランスキー(上巻,pp. 13--14)は,心理学者アーネスト・ジョーンズの1912年の論考を紹介しながら,次のように述べている.
塩は,ジョーンズに言わせれば生殖に関連付けられることが多い.これは塩辛い海に生息する魚が,陸上の動物よりはるかに多くの子を持つことから来たのだろう.塩を運ぶ舟にはネズミがはびこりやすく,ネズミは交尾することなしに塩につかえるだけで出産できる,と何世紀にもわたって信じられていた.
ジョーンズは,ローマ人は恋する人間を「サラックス」すなわち「塩漬けの状態」と呼んだと指摘する.これは「好色な (salacious)」という単語の語源だ.ピレネー山脈ではインポテンツを避けるために,新郎新婦が左のポケットに塩を入れて教会に行く習慣があった.フランスでは地方により,新郎だけが塩を持っていくところと,新婦だけが持っていくところがあった.ドイツでは新婦の靴に塩をふりかける習慣があった.
同著の p. 14 には,『夫を塩漬けにする女たち』と題する1157年のパリの版画が掲載されている.数人の妻とおぼしき女性が男たちを塩樽に押し込んでいる絵で,ほとんどリンチである.版画には詩が添えてあり,「体の前と後ろに塩をすりこむことで,やっと男は強くなる」とある.塩サウナくらいなら喜んで,と言いたくなるが,この塩樽漬けは勘弁してもらいたい.
ジョーンズの salacious の語源解釈は,実際にあった風俗や習慣によって支えられた一種の民間語源 (folk_etymology) ということができる.比較言語学に基づくより厳密な語源論(「学者語源」)の立場からは一蹴されるものなのかもしれないが,民間語源とは共時態に属する生きた解釈であり,その後の意味変化などの出発点となり得る力を秘めていることに思いを馳せたい(関連して「#2174. 民間語源と意味変化」 ([2015-04-10-1]) を参照).
・ マーク・カーランスキー(著),山本 光伸(訳) 『塩の世界史』上下巻 中央公論新社,2014年.
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