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race - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2019-11-20 09:36

2019-10-02 Wed

#3810. 社会的な構築物としての「人種」 [race][terminology][anthropology]

 本ブログでは,言語との関係において人種 (race) をどうとらえるかについて,「#1871. 言語と人種」 ([2014-06-11-1]),「#3599. 言語と人種 (2)」 ([2019-03-05-1]),「#3706. 民族と人種」 ([2019-06-20-1]) の記事で考えてきた.宮本・松田(編)『新書アフリカ史 改訂版』を読みながら,改めて人種とは何か,その生物学的な根拠はあるのか,その社会学的な意味づけは何かなどを学ぶ機会があった.関連する1節 (33--34) を引こう.

 黒人といえば,肌が黒くて髪の毛が縮れ,幅広の鼻と厚い唇をもつ人間をイメージするだろう.しかし同じ「ネグロイド人種」に属するとはいえ,その内部の多様性は相当なものだ.鼻幅,鼻高などは全人種間の変異幅の大半を「ネグロイド人種」内だけでカバーしているし,背が高くて痩せ形のヌエル人やマサイ人も,世界一身長の低い「ピグミー」も同じ「ネグロイド」なのである.また皮膚の色も,黒だけでなく茶,赤,黄に近いものまで,大きな変異差を示している.なぜこのような多様性が生じたのだろうか.その答えの一つは絶えざる混血にある.そもそも人種は,私たちが想像しているほど厳密で明確な境界をもった人間集団ではない.かつては人間を身体的特徴をもとに分類することが科学の名のもとで正当化されていた時代があった.その場合,白,黒,黄,赤,茶などの皮膚の色を基準としてきた.しかし人間の身体的形式を決定する夥しい数の遺伝子のなかから肌の色だけを特別に取り出す根拠は,自然科学的なそれとは全く異質な社会的かつ人為的な選択であり,決定的であることから,肌の色を基準に人間を区分しようとした生物学的概念としての人種は,現代の科学のなかでは有効性を否定され,社会・文化的あるいは政治・経済的概念として認識されている.いっけん生物学的な「実体」のように見える人種は,じつのところ,遺伝的特性の出現頻度によって相互に区別される,遺伝子のプールとしてのヒトのグループにすぎない.そしてこのグループは,絶えず周囲のグループと交流し,相互に変化を続けている.アフリカの場合,この接触と交流は長い時間をかけてきわめて活発に行われた.その結果,現在の「ネグロイド」の著しい多様性がつくりだされてきたのである.


 「人種」は,生物学的な裏付けがあるかのような響きをもっているが,実のところ社会的な構築物であるということだ.難しく厄介な概念・用語である.アフリカにおける人種の多様性と平行的に考えられる,アフリカの言語の多様性については,「#3807. アフリカにおける言語の多様性 (1)」 ([2019-09-29-1]),「#3808. アフリカにおける言語の多様性 (2)」 ([2019-09-30-1]) を参照.

 ・ 宮本 正興・松田 素二(編) 『新書アフリカ史 改訂版』 講談社〈講談社現代新書〉,2018年.

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2019-06-20 Thu

#3706. 民族と人種 [ethnic_group][race][sociolinguistics][category]

 筆者は学生時代に言語学に関心をもち,そこから歴史言語学,そして社会言語学へと関心を広げてきたが,まさか「民族」と「人種」といった抜き差しならない社会的な問題を扱うことになろうとは夢にも思わなかった.初心に戻って「民族」 (ethnic_group) と「人種」 (race) について整理してみたい.伝統的には前者は文化的なもの,後者は形質的なものととらえてきたが,昨今では必ずしもそのようにとらえられているわけではない.まずは「民族性」 (ethnicity) について見ておこう.A Dictionary of Sociolinguisticsethnicity の項 (100--01) より.

ethnicity An aspect of an individual's social IDENTITY which is closely associated with language. Ethnicity is usually assigned on the basis of descent. In addition, the subjective experience of belonging to a culturally and historically distinct social group is often included in definitions of ethnicity. Thus, DEAF people usually consider themselves to be part of the Deaf community, which is defined by specific cultural and linguistic practices, although they may not have been born into the community (they may have become Deaf only later in life, or they may have grown up among hearing people). Questions of identity and ethnicity are also problematical in the context of migration. Second-generation migrants may not wish to identify with their traditional ethnic group but with the new society (e.g. second-generation German migrants in the USA may see themselves not as German but as American; such shifts in identity are often accompanied by symbolic actions such as name changes --- Karl Müller to Chuck Miller). To assign individuals unambiguously to distinct ethnic groups can be difficult in such contexts. Sometimes RELIGION is also considered to form part of ethnicity.
   Language forms a central aspect and symbol of ethnic identity (see e.g. Smolicz (1981) on language as a 'core value' of an ethnic group). Sociolinguists who study multicultural societies have often included ethnicity as a SOCIAL VARIABLE. Horvath (1985), for example, included speakers from different ethnic groups (Australians of English, Italian and Greek background) in her study of English in Sydney.


 民族性に言語が大きく関わるのは事実だが,言語のみで決定されるカテゴリーというわけでもない.そこには,言語以外の文化・歴史・社会的なカテゴリーもしばしば関与する.それは複合的な要因によって形成されるアイデンティティというべきものである.
 次に「人種」はどうだろうか.こちらも単純に生物学的な区分とみる伝統的な見解もあるが,それ自体がすでに社会化された構造物であるという見方もある.上と同じ用語辞典より引用する.

race Highly contested term. Whilst it has no basis in biological or scientific fact, 'race' is in widespread everyday usage to refer to particular groups or 'races' of people, usually on the basis of physical appearance or geographical location, who are presumed to share a set of definable characteristics. The term ETHNICITY is sometimes used to refer to the identity of different groups on the basis of their assumed or presumed genealogical descent. 'Race' in social studies of language is viewed as a social construct rather than a fact (hence the use of inverted commas around 'race'): that is, 'race' or 'racial groups' only exist because particular physical characteristics (such as skin colour, facial features) are attributed a special kind of significance in society. This attribution usually involves differentiation between 'races' in terms of status and power, resulting from a particular IDEOLOGY. It is acknowledged that 'race' has considerable force in continuing to inform policies, behaviour and attitudes, including those relating to language and behaviour (see discussions in Omi and Winant, 1994). For this reason, 'race', usually within the context of RACISM, has been a focus of study in sociolinguistic research (e.g. Reisgl and Wodak, 2000).


 民族,人種,言語はそれぞれ独立したカテゴリーでありながらも,非常に複雑な仕方で相互関係を保っている.それゆえに各カテゴリーの定義は,部分的に相互参照しながらなされなければならない運命なのだろう.
 関連して,「#1871. 言語と人種」 ([2014-06-11-1]),「#3599. 言語と人種 (2)」 ([2019-03-05-1]) も参照.

 ・ Swann, Joan, Ana Deumert, Theresa Lillis, and Rajend Mesthrie, eds. A Dictionary of Sociolinguistics. Tuscaloosa: U of Alabama P, 2004.

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2019-03-05 Tue

#3599. 言語と人種 (2) [comparative_linguistics][indo-european][family_tree][biology][race][language_myth]

 「#1871. 言語と人種」 ([2014-06-11-1]) の続編.先の記事では「言語=人種」という「俗説」に光を当てた.言語と人種を同一視することはできないと主張したわけだが,もっと正確にいえば,両者を「常に」同一視することはできない,というべきだろう.常に同一視する見方に警鐘を鳴らしたのであって,イコール関係が成り立つ場合もあるし,実際には決して少なくないと思われる.少なくないからこそ,一般化され俗説へと発展しやすいのだろう.
 近年の遺伝学や人類学の発展により,ホモ・サピエンスの数万年にわたるヨーロッパなどでの移動の様子がつかめるようになってきたが,それと関係づける形で印欧語の派生や展開を解釈しようという動きも出てきた.このような研究は,上記のような俗説に警鐘を鳴らす陣営からは批判の的となるが,言語と人種をペアで考えてもよい事例をたくさん挙げることにより,この批判をそらそうとしている.
 McMahon and McMahon (19--20) もそのような論客である.一般的にいって,遺伝子と言語の間に相関関係がないと考えるほうが不自然ではないかという議論だ.

. . . since we are talking here about the histories of populations, which consist of people who both carry genes and use languages, it might be more surprising if there were no correlations between genetic and linguistic configurations. The observation of this correlation, like so many others, goes back to Darwin . . . , who suggested that, 'If we possessed a perfect pedigree of mankind, a genealogical arrangement of the races of man would afford the best classification of the various languages now spoken throughout the world'. The norm today is to accept a slight tempering of this hypothesis, such that, 'The correlation between genes and languages cannot be perfect . . .', because both languages and genes can be replaced independently, but, 'Nevertheless . . . remains positive and statistically significant' . . . . This correlation is supported by a range of recent studies. For instance, Barbujani . . . reports that, 'In Europe, for example, . . . several inheritable diseases differ, in their incidence, between geographically close but linguistically distant populations', while Poloni et al. . . . show that a group of individuals fell into four non-overlapping classes on the basis of their genetic characteristics and whether they spoke an Indo-European, Khoisan, Niger-Congo or Afro-Asiatic language. In other words, there is a general and telling statistical correlation between genetic and linguistic features, which reflects interesting and investigable parallelism rather than determinism. Genetic and linguistic commonality now therefore suggests ancestral identity at an earlier stage: as Barbujani . . . observes, 'Population admixture and linguistic assimilation should have weakened the correspondence between patterns of genetic and linguistic diversity. The fact that such patterns are, on the contrary, well correlated at the allele-frequency level . . . suggests that parallel linguistic and allele-frequency change were not the exception, but the rule.


 McMahon and McMahon とて,言語と人種の相関係数が1であるとはまったく述べていない.0というわけはない,そこそこ高い値と考えるのが自然なのではないか,というほどのスタンスだろう.それはそれで間違っていないと思うが,「常に言語=人種」の俗説たることを押さえた上での上級者向けの議論ととらえる必要があるだろう.

 ・ McMahon, April and Robert McMahon. "Finding Families: Quantitative Methods in Language Classification." Transactions of the Philological Society 101 (2003): 7--55.

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2014-06-11 Wed

#1871. 言語と人種 [race][language_myth][indo-european][comparative_linguistics][evolution][origin_of_language][ethnic_group]

 言語に関する根強い俗説の1つに,「言語=人種」というものがある.この俗説を葬り去るには,一言で足りる.すなわち,言語は後天的であり,人種は先天的である,と言えば済む(なお,ここでの「言語」とは,ヒトの言語能力という意味での「言語」ではなく,母語として習得される個別の「言語」である).しかし,人々の意識のなかでは,しばしばこの2つは分かち難く結びつけられており,それほど簡単には葬り去ることはできない.
 過去には,言語と人種の同一視により,関連する多くの誤解が生まれてきた.例えば,19世紀にはインド・ヨーロッパ語 (the Indo-European) という言語学上の用語が,人種的な含意をもって用いられた.インド・ヨーロッパ語とは(比較)言語学上の構築物にすぎないにもかかわらず,数千年前にその祖語を話していた人間集団が,すなわちインド・ヨーロッパ人(種)であるという神話が生み出され,言語と人種とが結びつけられた.祖語の故地を探る試みが,すなわちその話者集団の起源を探る試みであると解釈され,彼らの最も正統な後継者がドイツ民族であるとか,何々人であるとかいう議論が起こった.20世紀ドイツのナチズムにおいても,ゲルマン語こそインド・ヨーロッパ語族の首長であり,ゲルマン民族こそインド・ヨーロッパ人種の代表者であるとして,言語と人種の強烈な同一視がみられた.
 しかし,この俗説の誤っていることは,様々な形で確認できる.インド・ヨーロッパ語族で考えれば,西ヨーロッパのドイツ人と東インドのベンガル人は,それぞれ親戚関係にあるドイツ語とベンガル語を話しているとはいえ,人種として近いはずだと信じる者はいないだろう.また,一般論で考えても,どんな人種であれヒトとして生まれたのであれば,生まれ落ちた環境にしたがって,どんな言語でも習得することができるということを疑う者はいないだろう.
 このように少し考えれば分かることなのだが,だからといって簡単には崩壊しないのが俗説というものである.例えば,ルーマニア人はルーマニア語というロマンス系の言語を話すので,ラテン系の人種に違いないというような考え方が根強く抱かれている.実際にDNAを調査したらどのような結果が出るかはわからないが,ルーマニア人は人種的には少なくともスペイン人やポルトガル人などと関係づけられるのと同程度,あるいはそれ以上に,近隣のスラヴ人などとも関係づけられるのではないだろうか.何世紀もの間,近隣の人々と混交してきたはずなので,このように予想したとしてもまったく驚くべきことではないのだが,根強い俗説が邪魔をする.
 言語学の専門的な領域ですら,この根強い信念は影を落とす.現在,言語の起源を巡る主流派の意見では,言語の起源は,約数十万年前のホモ・サピエンスの出現とホモ・サピエンスその後の発達・展開と関連づけられて論じられることが多い.人種がいまだそれほど拡散していないと時代という前提での議論であるとはしても,はたしてこれは件の俗説に陥っていないと言い切れるだろうか.
 関連して,Trudgill (43--44) の議論も参照されたい.

 ・ Trudgill, Peter. Sociolinguistics: An Introduction to Language and Society. 4th ed. London: Penguin, 2000.

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2012-12-29 Sat

#1342. 基層言語影響説への批判 [substratum_theory][causation][celtic][contact][race][ethnic_group][celtic_hypothesis]

 言語変化を説明する仮説の一つに,基層言語影響説 (substratum_theory) がある.被征服者が征服者の言語を受け入れる際に,もとの言語の特徴(特に発音上の特徴)を引き連れてゆくことで,征服した側の言語に言語変化が生じるという考え方である.英語史と間接的に関連するところでは,グリムの法則を含む First Germanic Consonant Shift や,Second Germanic Consonant Shift などを説明するのに,この仮説が持ち出されることが多い.「#416. Second Germanic Consonant Shift はなぜ起こったか」 ([2010-06-17-1]) ,「#650. アルメニア語とグリムの法則」 ([2011-02-06-1]) ,「#1121. Grimm's Law はなぜ生じたか?」 ([2012-05-22-1]) などで触れた通りである.
 この仮説の最大の弱みは,多くの場合,基層をなしている言語についての知識が不足していることにある.特に古代の言語変化を相手にする場合には,この弱みが顕著に現われる.例えば,グリムの法則を例に取れば,影響を与えているとされる基層言語が何なのかという点ですら完全な一致を見ているわけではないし,もし仮にそれがケルト語だったと了解されても,その言語変化に直接に責任のある当時のケルト語変種の言語体系を完全に復元することは難しい.要するに,ある言語変化を及ぼしうると考えられる「基層言語」を,議論に都合の良いように仕立て上げることがいつでも可能なのである.母語の言語特徴が第二言語へ転移するという現象自体は言語習得の分野でも広く知られているが,これを過去の具体的な言語変化に直接当てはめることは難しい.
 Jespersen と Bloomfield も,同仮説に懐疑的な立場を取っている.彼らの批判の基調は,問題とされている言語変化と,そこへの関与が想定されている民族の征服とが,時間的あるいは地理的に必ずしも符合していないのではないかという疑念である.民族の征服が起こり,結果として言語交替が進行しているまさにその時間と場所において,ある種の言語変化が起こったということであれば,基層言語影響説は少なくとも検証に値するだろう.しかし,言語変化が生じた時期が征服や言語交替の時期から隔たっていたり,言語変化を遂げた地理的分布が征服の地理的分布と一致しないのであれば,その分だけ基層言語影響説に訴えるメリットは少なくなる.むしろ,別の原因を探った方がよいのではないかということだ.
 だが,基層言語影響説の論者には,アナクロニズムの可能性をものともせず,基層言語(例えばケルト語)の影響は様々な時代に顔を出して来うると主張する者もいる.Jespersen はこのような考え方に反論する.

I must content myself with taking exception to the principle that the effect of the ethnic substratum may show itself several generations after the speech substitution took place. If Keltic ever had 'a finger in the pie,' it must have been immediately on the taking over of the new language. An influence exerted in such a time of transition may have far-reaching after-effects, like anything else in history, but this is not the same thing as asserting that a similar modification of the language may take place after the lapse of some centuries as an effect of the same cause. (200)


 Jespersen の主張は,基層言語影響説には隔世遺伝 (atavism) はあり得ないという主張だ (201) .同趣旨の批判が,Bloomfield でも繰り広げられている.

The substratum theory attributes sound-change to transference of language: a community which adopts a new language will speak it imperfectly and with the phonetics of its mother-tongue. . . . [I]t is important to see that the substratum theory can account for changes only during the time when the language is spoken by persons who have acquired it as a second language. There is no sense in the mystical version of the substratum theory, which attributes changes, say, in modern Germanic languages, to a "Celtic substratum" --- that is, to the fact that many centuries ago, some adult Celtic-speakers acquired Germanic speech. Moreover, the Celtic speech which preceded Germanic in southern Germany, the Netherlands, and England, was itself an invading language: the theory directs us back into time, from "race" to "race," to account for vague "tendencies" that manifest themselves in the actual historical occurrence of sound-change. (386)


 近年,英語史で盛り上がってきているケルト語の英文法への影響という議論も,基層言語影響説の一形態と捉えられるかもしれない.そうであるとすれば,少なくとも間接的には,上記の批判が当てはまるだろう.「#689. Northern Personal Pronoun Rule と英文法におけるケルト語の影響」 ([2011-03-17-1]) や「#1254. 中英語の話し言葉の言語変化は書き言葉の伝統に掻き消されているか?」 ([2012-10-02-1]) を参照.
 基層言語影響説が唱えられている言語変化の例としては,Jespersen (192--98) を参照.

 ・ Jespersen, Otto. Language: Its Nature, Development, and Origin. 1922. London: Routledge, 2007.
 ・ Bloomfield, Leonard. Language. 1933. Chicago and London: U of Chicago P, 1984.

Referrer (Inside): [2019-08-07-1]

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