18世紀のフランス語における英語の影響については,「#1026. 18世紀,英語からフランス語へ入った借用語」 ([2012-02-17-1]) でみた.そこでも参照したホームズ・シュッツ (167--68)が,19世紀の英語の言語的影響について1節を割いている.
94. 英語の影響
19世紀を通じて英語はフランスで,大きな影響を商業,政治,ジャーナリズムと特にスポーツに与えた.新しく加えられた語の中のいくつかは実際は昔,フランス語であった語の逆輸入で,外国で使われているうちに新しい性格を身につけたフランス語であった.中世フランス語の bougette [小さな革袋]はイギリスに渡って budget [予算]となり,故国に戻って来た.中世フランス語の desport, disport も同様で,英語で sport となって戻ってきた.entrevue > interview, étiquette > ticket.だが多くの語は,事実は大部分だが,採用されるまではフランスの土を踏んだことのない語である.フランスのある人びとは新しい英語マニアを毛嫌いした.ミュッセ Alfred de Musset (1810--1857) は自作の戯曲 Il ne faut jurer de rien の中の Van Buck という登場人物の口を借りて珍な発音の単語について痛烈な皮肉を十分に言っている.すぐれた批評家で作家でもあったレミ・ド・グールモン Rémy de Gourmont (1958--1915) は自分の母国語の精髄に対して脅威となると信じたこの英語の侵入について自著 Esthétique de la langue française の多くのページをさいている.彼によれば,単語を借用すべきというのは正しく,ガストン・パリス Gaston Paris (1839--1903) を先頭にする言語学研究の歴史をみてもそれは解るという.彼はガストン・パリスを師とすることに誇りを感じている.しかし,英語はフランス語が単語を借りる自然の泉ではないという.英語はしばしば耳に不快である.話す時に多くの外国語的言い廻しを使うのは当世の écoliet limousin 〔「パンタグリュエル」中の人物〔中略〕〕である.時には英語からの借用語は滑稽である.たとえば Harry Cower という名のバラは,まるで haricot vert [さや隠元]と書いてあるような発音になるではないか〔原註:この例は R. de Gourmont のような趣味豊かな人でも反感を持つとこのような極端なことを言うに至るというよい例である〕.この批評家も英語の侵入をとめることは出来なかった.
引用の最後のほうの原注部分が興味深い.言葉遣いに関する流行やそのアンチというものは常に存在し,その世代の内部にあっては,完全に客観的な批評家になることが難しいことを示している.
逆にいえば,時代を代表する批評家ですら当時の英語の影響力に待ったをかけることができなかった,ということかもしれない.
・ U. T. ホームズ,A. H. シュッツ 著,松原 秀一 訳 『フランス語の歴史』 大修館,1974年.
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12月23日,白水社の月刊誌『ふらんす』2025年1月号が刊行されました.今年度,同誌で連載記事「英語史で眺めるフランス語」を寄稿していますが,今回は第10回「英語綴字におけるフランス語の影響」です.
なんと今号は『ふらんす』の100周年号という記念すべき号でした."Revue France, 100 ans!" と表紙にあり,特集企画「ふらんす100年!」も掲載されています.そのような記念号の一画に,フランス語史ならぬ英語史の連載記事を載せていただくのは恐縮でもあり,喜びでもあります.稀な瞬間に立ち会わせていただき,白水社さんにも感謝いたします.
1. 英語の綴字は意外とフランス語風
ノルマン征服の影響で,その後の英語の綴字にはフランス語の綴字習慣が多分に反映されています.英単語の綴字が実はフランス語的であることはあまり知られていません.
2. 「氷」が īs から ice へ
英語の綴字は,フランス語の影響のもと中英語期にかけて大きく変容しました.「過剰修正」の結果,例えば現代英語の ice にみられるような -ce の綴字が広く採用されました.
3. チャ行子音の綴字が c から ch へ
フランス語の影響により,古英語では c で表記されたチャ行子音が中英語期に ch へと置換されました.これにより英単語 child や church などの綴字が確立しました.
4. 消えた古英語の文字
古英語で常用された文字 (æ, ƿ, þ, ð)は,フランス語に存在しなかったこともあり,中英語以降に衰退していき,最終的には消滅しました.
5. なぜ英語綴字はフランス語かぶれしたのか?
英語綴字は,簡素化や合理化の方向を目指すのではなく,むしろ威信あるフランス語の綴字習慣を受け入れることにより,若干複雑化しました.フランス語は権力と教養と洗練の言語だったのです.
英語の綴字におけるフランス語の影響は,中英語期の綴字変化や古英語文字の廃用に顕著に見られます.これにより古英語的な綴字は影を潜め,代わって現代的な見栄えの綴字が拡がることになりました.
さらに詳しくは,直接『ふらんす』1月号を手に取ってお読みいただければ.過去9回の連載記事は hellog 記事群 furansu_rensai で紹介してきましたので,そちらもご参照ください.
今号と関連して,heldio でも「#1305. 英語綴字におけるフランス語の影響 --- 月刊『ふらんす』の連載記事第10弾」と題してお話ししていますので,こちらもお聴きください.
・ 堀田 隆一 「英語史で眺めるフランス語 第10回 英語綴字におけるフランス語の影響」『ふらんす』2025年1月号,白水社,2024年12月23日.52--53頁.
Durkin (216--19) にかけて,英語に入ったギリシア語由来の要素が列挙されている.接尾辞 (suffix),接頭辞 (prefix),連結形 (combining_form) に分けて,主たるものを列挙しよう.ラテン語やフランス語からの借用語のなかに混じっている要素もあり,究極的にはギリシア語由来であることが気づかれていないものも含まれているのではないか.
[ 接尾辞 ]
-on (plural -a), -ter, -terion, -ma/-mat- (adj. -matic), the family of -ize/-ise (-ist/-ast, -ism, -asm), -ite, -ess, -oid, -isk, -(t)ic, -istic(al), -astic(al)
[ 接頭辞 ]
a(n)-, amph(i)-, an(a)-, anti-, ap(o)-, cat(a)-/kat(a)-, di(a)-, dys-, a(n)-, end(o)-, exo-, ep(i)-, hyper-, hyp(o)-, met(a)-, par(a)-, peri-, pro-, pros-, syn-/sys-
[ 連結形 ]
acro- "high; of the extremities", agath(o)- "good", all(o)- "other, alternate, distinct", arch- "chief; original", argyr(o)- "silver", aut(o)- "self(-induced); spontaneous", bary-/bar(o)- "heavy; low; internal", brachy- "short", brady- "slow", cac(o)- "bad", chlor(o)- "green; chlorine", chrys(o)- "gold; golden-yellow", cry(o)- "freezing; low-temperature", crypt(o)- "secret; concealed", cyan(o)- "blue", dipl(o)- "twofold, double", dolich(o)- "long", erythr(o)- "red", eu- "good, well", glauc(o)- "bluish-green, grey", gluc(o)- "glucose"/glyc(o)- "sugar; glycerol"/glycy- "sweet", gymn(o)- "naked, bare", heter(o)- "other, different", hol(o)- "whole, entire", homeo- "similar; equal", hom(o)- "same", leuc/k(o)- "white", macro- "(abnormally) large", mega- "huge; very large", megal(o)- "large; grandiose" and -megaly "abnormal enlargement", melan(o)- "black; dark-colored; pigmented", mes(o)- "middle", micr(o)- "(very) small", nano- "one thousand-millionth; extremely small", necr(o)- "dead; death", ne(o)- "new; modified; follower", olig(o)- "few; diminished; retardation", orth(o)- "upright; straight; correct", oxy- "sharp, pointed; keen", pachy- "thick", pan(to)- "all", picr(o)- "bitter", platy- "broad, flat", poikil(o)- "variegated; variable", poly- "much, many", proto- "first", pseud(o)- "false", scler(o)- "hard", soph(o)- and -sophy "skilled; wise", tachy- "swift", tel(e)- "(operating) at a distance", tele(o)- "complete; completely developed", therm(o)- "warm, hot", trachy- "rough"
英語ボキャビルのおともにどうぞ.
・ Durkin, Philip. Borrowed Words: A History of Loanwords in English. Oxford: OUP, 2014.
英語にとって,フランス語は歴史的に「腐れ縁」の仲である.古英語末期より現代に至るまで,言語的な付き合いが途切れたことはない.時代によって浮き沈みはあるものの,フランス語の単語は常に英語に流入し続けてきたし,フランス語は英語にとって心理的距離が最も近い言語といってよいだろう.
中英語期や近代英語期ほどではないが,現代でもフランス単語は着実に英語に流入してきている.OED で検索すると,20世紀以降のフランス借用語は,ざっと1000語ほどある.そのなかでも比較的頻度の高いものを50個ほど挙げてみよう.
micelle (1901), garage (1902), reductase (1902), limousine (1902), austenite (1902), bloc (1903), metro (1904), fuselage (1909), camp (1909), sabotage (1910), ciel (1910), Cubism (1911), Chardonnay (1911), mas (1912), matière (1915), surrealist (1918), collage (1919), adage (1920), bacteriophage (1921), saboteur (1921), hydrolase (1922), bistro (1922), nematic (1923), lipid (1925), exclusivity (1926), infrastructure (1927), surrealism (1927), moderne (1928), montage (1930), anomie (1933), evacuee (1934), Gaullist (1941), microfiche (1950), Annales (1952), chlorpromazine (1952), nouveau (1955), neuroleptic (1958), virion (1959), operon (1960), eukaryote (1961), auteur (1962), non (1963), prokaryote (1963), Art Deco (1966), retro (1972), intertextuality (1973), fractal (1975), endorphin (1976), Prolog (1977), acquis (1979)
この一覧には,日本語に入っている語も多い.ガレージ,リムジン,ブロック,メトロ,サボタージュ,キュービズム,シャルドネ,ビストロ,シュールレアリスム,モンタージュ,マイクロフィッシュ,アールデコ,レトロ,フラクタル,エンドルフィンなど,20世紀中に,英語語彙のみならず日本語語彙にも貢献してきたフランス単語を評価したい.
ちなみに21世紀になってから(2002年に)英語に借用された parkour (パルクール)というフランス単語にも注目しておこう.環境内の障害物を越えていく軍事訓練から発達した競技で、現在世界中で人気急上昇のスポーツである.
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一昨日の11月25日,白水社の月刊誌『ふらんす』12月号が刊行されました.今年度,同誌で連載記事「英語史で眺めるフランス語」を寄稿していますが,今回は第9回「英文法におけるフランス語の影響」です.
フランス語の英語への影響としては主に語彙部門が注目されますが,文法部門での議論もないではありません.確かに目立つ項目は少ないのですが,一度立ち止まって考察してみる価値はあります.今回の記事は,4つの小見出しのもと,次の趣旨で執筆しています.
1. フランス語の英文法への影響はあったか?
英語に対するフランス語の影響は,中英語期(1100--1500年)に顕著でした.特に語彙や音韻,借用表現において大きな影響が見られましたが,文法構造への影響は限定的だったことが確認されています.
2. フランス語の影響が取り沙汰されている文法事項
受動態の動作主を表わす前置詞の選択や the which という定冠詞つき関係代名詞の使用などがフランス語の影響として議論されることがありますが,必ずしもそうとは言えない可能性が指摘されています.
3. 文法への影響を評価するのは難しい
2言語が類似した文法項目を共有しているからといって,一方が他方に影響を与えたと結論づけることは困難です.文法項目については偶然の一致の可能性が十分にあり,慎重に評価する必要があります.
4. 英文法へのフランス語の最大の貢献は?
フランス語の最大の貢献は,個別の文法項目への影響というよりも,社会言語学的な側面にあります.1066年のノルマン征服後,英語は規範的な圧力から解放され,自由闊達に文法変化を遂げることが可能となりました.フランス語は英語の自然な変化を促す社会言語学的な環境を提供したと言ってよいでしょう.
文法項目に関する限り,フランス語の影響は「直接的・言語学的」な影響というよりも「間接的・社会言語学的」な影響というべきものでした.これは英語史におけるフランス語のインパクトを考察する上で,とても重要な点となります.
ぜひ『ふらんす』12月号を手に取ってお読みいただければと思います.過去8回の連載記事は hellog 記事群 furansu_rensai でも紹介してきましたので,そちらも合わせてご参照ください.
(以下,後記:2024/11/29(Fri))
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・ 堀田 隆一 「英語史で眺めるフランス語 第9回 英文法におけるフランス語の影響」『ふらんす』2024年12月号,白水社,2024年11月25日.52--53頁.
1週間ほど前の10月26日に,今年度の朝日カルチャーセンター新宿教室でのシリーズ講座の第7回が開講されました.今回は「英語,フランス語に侵される」と題して,主に中英語期の英仏語の言語接触に注目しました.90分の講義では足りないほど,話題が盛りだくさんでした.対面およびオンラインで,多くの方々にご参加いただき,ありがとうございました.
その盛りだくさんの内容を,markmap というウェブツールによりマインドマップ化して整理してみました(画像としてはこちらからどうぞ).受講された方は復習用に,そうでない方は講座内容を垣間見る機会としてご活用ください.