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hellog〜英語史ブログ / 2012-03

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2012-03-31 Sat

#1069. フォスラー学派,新言語学派,柳田 --- 話者個人の心理を重んじる言語観 [dialect][geography][wave_theory][history_of_linguistics][substratum_theory][neolinguistics]

 [2012-03-07-1]の記事「#1045. 柳田国男の方言周圏論」を始め,wave_theory の各記事で波状説 (the wave theory; Wellentheorie) の話題を取り上げてきた.柳田の『蝸牛考』を読みながら,その言語思想が,20世紀に入って西欧で興った美的観念論の言語学と類似していることに気づいた.一言でいえば,それは話者個人の心理を重んじる言語観である.(以下,言語学史にかかわる記述にはイヴィッチ (62--68) を参照する.)
 19世紀にも先駆者はいた.Hugo Schuchardt (1842--1928) は,言語変化の発端における個人の役割を重視し,個人の革新が隣人に模倣されることによって言語変化が社会のものとなるということを初めて指摘した.20世紀に入り,Bergson の直観論や Benedetto Croce の美学が提唱されると,Schuchardt の影響と相俟って,個人の心理を重んじる言語学が現われた.彼らは,言語は本質的に個人心理の発現であるから,文体的現象としてとらえなければならないという立場を取った.その具体的な主導者は Karl Vossler (1872--1947) を始めとするフォスラー学派の面々で,人間は言語に関して能動的であり,選択者であると考えた.この点で,[2012-03-18-1]の記事「#1056. 言語変化は人間による積極的な採用である」で引用した柳田の思想と異なるところがない.
 一方,イタリアでは,フォスラー学派の美的観念論の流れを継承し,かつ方言地理学にも影響を受けた新言語学 (Neolinguistics) が生じた.Matteo Giulio Bartoli (1873--1946) を筆頭とする新言語学派の面々は,言語に関して実在するのは「話す個人」だけであり,言語の改新は「話す個人」が口火を切ると考えた.また,言語は美的感覚の表現として,芸術,文学,衣服などの他の文化的な事象と同様に,うつろいやすく流行の変化にさらされるとした.[2012-03-18-1]の記事の引用では,柳田は「流行」説に反発しているが,「流行」という用語の定義が定まらないがゆえの反発であり,言語変化が「話す個人」の採用であり選択であるという点では,新言語学派の立場と一致している.新言語学派は方言における歴史・社会・地理の要因を重視し,後に言語周圏論,地域言語学 (areal linguistics) ,基層理論 (substratum theory) と呼ばれることになる重要な概念を導入したという功績もある.柳田がフォスラー学派や新言語学派から直接に影響を受けたかどうかは未調査だが,これらの学派と柳田の間に多くの際立った類似点が見られることは確かである.
 個人の心理の重視は,個々の方言語の生長の重視にもつながる.というのは,繊細な個人の心理は,個々の語の選択にもその繊細さを発揮するはずだからである.柳田が方言における語の変異を論じた次の一節 (37--38) は,事実上,言語変化における個人の美的感覚の重要性を指摘していると解釈してよい.

単語の符号化ということは、在来の使用者のみには何でもないことのようであるが、それを一の土地から他の土地に移そうとする場合には、かなり大きな障碍となって現われる。新語の動機のまだ明らかに知られているものには、根を引いて植えかえるような味得があるに反して、此方はただ枝を折って手に持つだけの模倣しかないからであろうと思う。個々の事物によって方言量に多少があり、個々の方言に領域の広狭があるということは、恐らくはこの符号化の遅速、もしくはこれを防止すべき外部の力の、有無強弱によるものであって、言語を一種の社会資料として利用せんとする者には、殊にこの関係を明確にして置く必要があるのである。/私の仮定がもし当っているならば、現在一つの方言の活躍を支持し、殊にその流伝を容易ならしめている力は、同時にまたその語の新生を促した力であった。だから一方の原因が不明になる頃には、他の一方の効果も弱って、後にはただかつて是を育てた人の群れに、符合と化して残る以外には、至って僅少なる模倣者を得るに止まり、何かの機会あるごとに、新しいものに代らるる運命をもつのである。是を単語の生老病死と名づくることは、必ずしも不倫とは言うことが出来ぬ。もとよりその間には寿命の長短があって、古語にも往々にして今も活き、成長しまた征服しつつあるものもあることは事実だが、大体からいうと古いものは失せやすく、後に生まれたものの迎えられるのは常の法則である故に、我々は若干の例外のあるべきことを心に置いて、ほぼ現在の方言の分野から、それぞれの語の年齢長幼を推知することを許されるのである。


 上に触れた一群の言語学者たちの共通項をくくり出せば,個人心理の重視,観念的,繊細,方言資料の尊重というところだろう.

 ・ 柳田 国男 『蝸牛考』 岩波書店,1980年.
 ・ ミルカ・イヴィッチ 著,早田 輝洋・井上 史雄 訳 『言語学の流れ』 みすず書房,1974年.

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2012-03-30 Fri

#1068. choose between war or peace [conjunction][corpus][bnc][preposition]

 ある英文を読んでいて,the choice is between rhyme or prose という句に出くわした.between には等位接続詞 and が期待されるところだが,choice の語感に引きずられて or が使用されているものらしい.ジーニアス大辞典では,この用法について以下のように触れられている.

1(3) between 1980 to 1990 や choose between war or peace のように and の代りに to や or を用いるのは((まれ)).to は from A to Bの類推.or はchoose, decide などの動詞と連語するときに多く用いられる.これは choice [decision] A or B の類推と考えられる(→2).

2[区別・選択・分配] …の間に[で];…のどちらかを‖choose 〜 peace and war 平和か戦争かのいずれかを選ぶ《◆and の代りに or を用いることがある; →1 [語法](3)》


 OED では,"between" 18 が区別・選択・分配の用法を説明しているが,or を使用する例文は挙げられていない.同じく,MED では bitwene 7 がこの用法に対応するが,やはり or の例文はない."between A or B" の例がいつ現われたのかという問いに答えるには,より詳しく辞書や歴史コーパスを調べる必要がありそうだ.
 現代英語について,BNCWeb で動詞句 "{choose/V} between_PRP + or_CJC" として検索し,該当する例文を選り分けたところ,ほんの8例ではあるが用例が得られた.いずれも Written books and periodicals からの例である.比較的わかりやすい4例を挙げよう.

 ・ . . . in 1627 Emperor Ferdinand ordered all his Bohemian subjects to choose between Catholicism or exile.
 ・ The main characters are all glorified psychopaths, with little to choose between hero or villain in terms of basic humanity.
 ・ . . . Mapleton, already out of breath, had to choose between talking or using his energy to keep up.
 ・ It is for you to choose between clinical or disciplinary action.


 同様に,名詞句 "{choice/N} between_PRP + or_CJC" の検索結果も参照されたい.
 "between A or B" はあまりに稀な構造だからか,特に規範文法で攻撃されている風でもなさそうだ.先行する語が区別,選択,決定,判定を意味する場合には or の語感は非常によく理解できるし,or の使用によって多義である between の語義が限定されるのだから,このような語法はむしろ推奨されるべきと考える.

Referrer (Inside): [2013-02-15-1]

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2012-03-29 Thu

#1067. 初期近代英語と現代日本語の語彙借用 [lexicology][loan_word][borrowing][emode][renaissance][latin][japanese][linguistic_imperialism][lexical_stratification]

 英語と日本語の語彙史は,特に借用語の種類,規模,受容された時代という点でしばしば比較される.語彙借用の歴史に似ている点が多く,その顕著な現われとして両言語に共通する三層構造があることは [2010-03-27-1], [2010-03-28-1] の両記事で触れた.
 英語語彙の最上層にあたるラテン語,ギリシア語がおびただしく英語に流入したのは,語初期近代英語の時代,英国ルネッサンス (Renaissance) 期のことである(「#114. 初期近代英語の借用語の起源と割合」 ([2009-08-19-1]) , 「#478. 初期近代英語期に湯水のように借りられては捨てられたラテン語」 ([2010-08-18-1]) を参照).思想や科学など文化の多くの側面において新しい知識が爆発的に増えるとともに,それを表現する新しい語彙が必要とされたことが,大量借用の直接の理由である.そこへ,ラテン語,ギリシア語の旺盛な造語力という言語的な特徴と,踏み固められた古典語への憧れという心理的な要素とが相俟って,かつての中英語期のフランス語借用を規模の点でしのぐほどの借用熱が生じた.
 ひるがえって日本語における洋語の借用史を振り返ってみると,大きな波が3つあった.1つ目は16--17世紀のポルトガル語,スペイン語,オランダ語からの借用,2つ目は幕末から明治期の英独仏伊露の各言語からの借用,3つ目は戦後の主として英語からの借用である.いずれの借用も,当時の日本にとって刺激的だった文化接触の直接の結果である.
 英国のルネッサンスと日本の文明開化とは,文化の革新と新知識の増大という点でよく似ており,文化史という観点からは,初期近代英語のラテン語,ギリシア語借用と明治日本の英語借用とを結びつけて考えることができそうだ.しかし,語彙借用の実際を比べてみると,初期近代英語の状況は,明治日本とではなく,むしろ戦後日本の状況に近い.明治期の英語語彙借用は,英語の語形を日本語風にして取り入れる通常の意味での借用もありはしたが,多くは漢熟語による翻訳語という形で受容したのが特徴的である.「#901. 借用の分類」 ([2011-10-15-1]) で示した借用のタイプでいえば,importation ではなく substitution が主であったといえるだろう(関連して,##902,903 も参照).また,翻訳語も含めた英語借用の規模はそれほど大きくもなかった.一方,戦後日本の英語借用の方法は,そのままカタカナ語として受容する importation が主であった.また,借用の規模も前時代に比べて著大である.したがって,借用の方法と規模という観点からは,英国ルネッサンスの状況は戦後日本の状況に近いといえる.
 中村 (60--61) は,「文芸復興期に英語が社会的に優勢なロマンス語諸語と接触して,一時的にヌエ的な人間を生み出しながら,結局は,ロマンス語を英語の中に取り込んで英語の一部にし得た」と,初期近代英語の借用事情を価値観を込めて解釈しているが,これを戦後日本の借用事情へ読み替えると「戦後に日本語が社会的に優勢な英語と接触して,一時的にヌエ的な人間を生み出しながら,結局は,英語を日本語の中に取り込んで日本語の一部にし得た」ということになる.仮に文頭の「戦後」を「明治期」に書き換えると主張が弱まるように感じるが,そのように感じられるのは,両時代の借用の方法と規模が異なるからではないだろうか.あるいは,「ヌエ的」という価値のこもった表現に引きずられて,私がそのように感じているだけかもしれないが.
 価値観ということでいえば,中村氏の著は,英語帝国主義に抗する立場から書かれた,価値観の強くこもった英語史である.主として近代の外面史を扱っており,言語記述重視の英語史とは一線を画している.反英語帝国主義の強い口調で語られており,上述の「ヌエ的」という表現も著者のお気に入りらしく,おもしろい.展開されている主張には賛否あるだろうが,非英語母語話者が英語史を綴ることの意味について深く考えさせられる一冊である.

 ・ 中村 敬 『英語はどんな言語か 英語の社会的特性』 三省堂,1989年.

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2012-03-28 Wed

#1066. 語源は「無法なる臆断」か? [etymology]

 「#466. 語源学は技芸か科学か」 ([2010-08-06-1]) や「#727. 語源学の自律性」 ([2011-04-24-1]) の記事で,語源学という分野の特異な性格,ともすれば学問として疑問符を付されるような微妙な性格を話題にした.語源学の使命は語の起源と歴史を明らかにすることだが,前者を表わす「語源」と,後者を表わす「語史」とは分けて考える必要がある.いうなれば,語源は点であり,語史は線である.ただし,後者は線とは言っても,明らかにされるのは,最初から最後まで切れ目のない実線ではなく,部分部分をつないだ点線にすぎない.それでも,形態・意味の流れのようなものが認められれば,語史として受け入れやすい.
 ところが,語源は語が生まれた最初の一点である.それ以前の状態は一応のところ仮定しないという段階にまで遡った濫觴である.理論上,先行するものがなく,それに支えられようがないので,語の起源の論拠は常に弱い.また,先行するものがないという仮説は,手続き上,採用せざるを得ないが,先行する何かがあったかもしれないという可能性は常につきまとう.
 柳田 (91--92) は,次の引用にみられるように,語の「生まれ」としての語源をむやみに追究することをいさめているが,その裏返しとして,語の「育ち」としての語史の追究こそが重要であると主張しているようにも読み取れる.

国語の事実はこの上もなく複雑なもので,我々はまだその片端をすらも知り得たとは言われない.これに対して文書の採録は,単なる偶然でありまた部分的である.従うて現存最古の書物に筆記せられている言葉が正しく,また最も古く且つ固有のものだときめかかることは,無法なる臆断と言わなければならぬのである./この立場から考えてみると,世の多くの語原論なるものは,誠に心もとない砂上の楼閣であるのみならず,仮にたまたまその本意を言い当てたりとしても,第一にその発見に大変な価値を付することは出来ない.思慮熟慮の結果に成る言葉というものも想像し難い上に,その伝承と採択に際しては,なお往々にしていい加減な妥協もあったからである.それを一々に何とか解釈しなければならぬもののごとく,自ら約束した学者こそは笑止である.


 「無法なる臆断」「砂上の楼閣」はなかなか手厳しいが,自らの限界を知りつつ限界にまで肉薄するのが,語源学の使命と理解したい.

 ・ 柳田 国男 『蝸牛考』 岩波書店,1980年.

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2012-03-27 Tue

#1065. 第三者的な客体としての音声言語の特徴 [linguistics][taboo][kotodama][function_of_language][semantics]

 [2012-03-25-1], [2012-03-26-1]の記事で,人間の言語はなぜ音声に依存しているのかという問題について考えた.音声であるがゆえの長所や欠点を挙げてきたが,今回は,長所とも欠点ともいえない,音声であるがゆえの言語のもつ重要な特徴を1つ示したい.以下の記述には,鈴木 (26--28) の考察に拠るところが多いことを断わっておく.
 昨日の記事で,人間にとって,音声信号は他の物理信号に比べて発信するのが著しく楽であるという点に触れた.発音は,呼吸や摂食という生理機能のために発達してきた器官を2次的に利用して生み出すものであり,「廃物利用」のたまものである.呼吸のような自然さで生み出されるというこの特殊事情により,音声言語は「第三者的な客体」という独特な性質を帯びる.独特というのは,通常であれば信号の発信者と受信者のあいだには,必要とされるエネルギーの点で不均衡が見られるものだからだ.例えば,匂い通信であれば,発信者は大きなエネルギーを消費して体から匂い成分を分泌しなければならないが,受信者はそれを嗅げばよいだけであり,ほとんどエネルギーを必要としない.ところが,音声言語による通信では,発信に要するエネルギーが限りなく少なくすむので,発信者と受信者の立場の差がほとんどないのである.すると,「オレが音声を出したはずだ,しかし出したという意識はない」という具合になる.音声は,自分が出した自分の分身であるにもかかわらず,一旦出てしまえばよそ者のように客観視できる存在へと変化する.はたして,話し手と聞き手のあいだには「第三者的な客体」たる音声言語が漂うことになる.
 鈴木によれば,人はことばを第三者的な客体ととらえているからこそ,言霊思想なるものをも抱くに至るのではないかと示唆している (27) .ことばに魂が宿っていると信じるためには,始めにことばが憑り代(よりしろ)として客体化されていなければならないからだ.ここで思い出すのは,文化的タブーだ.タブーとなる事物は,しばしば2つの異なる世界の境界線上に漂っており,どちらともつかない世界に属する畏怖すべき存在である.人間に似ているが人間ではない神,鬼,妖精,妖怪,魔女.自分(の分身)でありながら自分ではない排泄物.どの世でも,人々はこのような中間的な存在に言いしれぬ畏怖を抱き,それをタブーとしてきた.ことばそのものが畏怖すべき存在であり,そこには言いしれぬ力が宿っているのだとする信念が言霊思想だとすれば,ここに「第三者的な客体」説の関与が疑われる.
 鈴木はまた,ことばとその指示対象との関係は直接的なものではなく間接的なものであるという意味論上の説も,この「第三者的な客体」説と関係があるだろうと述べている (27) .
 「第三者的な客体」説が含意するもう1つのことは,言語の主要な機能のうちのメタ言語的機能に関するものである([2010-10-02-1]の記事「#523. 言語の機能と言語の変化」を参照).同説によれば言語は客体なのだから,それ自身を話題の対象とするための言語使用が発達することは至極当然ということになる.
 最後に,ことばが第三者的な客体であるということは,ことばが独立した有機体であるという考えにもつながるだろう.19世紀の比較言語学で信じられた言語有機体説や,20世紀でも Sapir の drift (偏流)に潜んでいる言語観の根本には,この説が関与しているのかもしれない.

 ・ 鈴木 孝夫 『教養としての言語学』 岩波書店,1996年.

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2012-03-26 Mon

#1064. 人間の言語はなぜ音声に依存しているのか (2) [linguistics][linearity][speech_organ][sign_language]

 昨日の話題 ([2012-03-25-1]) の続きで,言語はなぜ音声に依存しているのか,という問題を考えたい.まず,音声依存の長所は何か.1つには,発信者にとって発信が楽だということが挙げられる.人間には発音のための器官が適切に備わっているということは昨日の記事でも触れた(他に ##160,544 の記事も参照).だが,そのこと以上に,あまり余計なエネルギーを使わず,それでいて意のままに発音できるということが重要である.人間にとって,匂いや味を意のままに生み出すことは難しいが,音を生み出すことは容易である.容易さという点では,確かに,触覚に訴える「さすり」や「たたき」,視覚に訴える身振りや表情を作り出すのも同じくらい造作ないように思われるかもしれないが,いずれも発音に比べればエネルギー消費は大きい.一方,発音は,鈴木 (25) のいうように「廃物利用」の上に成り立っているという特徴を有する.発音に用いる呼気は,生存に必要な本能としての呼吸活動の一環として実現できるし,調音に用いる唇,舌,歯などの運動も,やはり生存に必要な本能としての摂食活動の一環として実現できる.「ついで」の利用なので,無駄がないし,減りもしない.通常,物理信号を発するには相当のエネルギーが必要とされるものだが,最小限の追加的なエネルギーのみで発することができる音声というものを信号として選んだのは,人間の賢い選択,いや必然的な選択だったのかもしれない.
 音声依存の長所の2つ目は,嗅覚や味覚の場合に起こりうる「混じり合い」の心配が少ないことだ.匂いや味は,放っておけばその場に停滞するために,2種類,3種類と混じり合ってしまい,それぞれを区別することが難しくなる.したがって,複数の匂いメッセージ,味メッセージが混じり合わないようにするには,逐一,場所を替えて発信しなければならない.これでは面倒だし,意思疎通の即時性が損なわれる.では,それだからといって,匂いや味の停滞しにくい風通しの良い場所を選ぶと,今度は匂いや味が受信者に届く前に風に吹き払われてしまうという不便が生じる.
 ところが,音声は空気中に停滞するものでもないし,多少の風であれば吹き飛ばされることもないという両方の利点がある.ラテン語で uerba uolant, scripta manent 「話し言葉は飛び去り,書き言葉は残る」という通り,音声言語は放たれたそばから消えて行くため,その場に停滞もしなければ混じり合いもしないと同時に,風に吹き飛ばされるほど頼りない存在でもない.場所を替えずに機関銃のように話し続けることができるのは,言語が音声を用いているからだ.
 音声依存の言語は,上記のように大きな長所をもつが,欠点もある.2つ目の長所の裏返しなのだが,メッセージを持続させたい場合には,音の即座に消えゆく性質は仇となる.繰り返し同じことを言い続けるというような解決策が考えられるが,5分間ならともかく,5年間は続けていられない.しかし,文明は文字という視覚に訴える重要な補助手段を生みだし,音声言語の欠点を見事に補ってきたことは注目に値するだろう.
 また,音声依存の言語は,音声の発信が不可能だったり,音声信号がかき乱されたりするような物理的な状況においては,機能しないという欠点もある.例えばスキューバダイビング中には音声メッセージを発しにくいし,発したとしても相手に届きにくいので,有効な伝達手段とはならない.身振りや筆談のほうが適切である.同じく,騒音のやかましい地下鉄内や,雑踏のパーティにおいては,音声言語はしばしば非力である ([2009-07-17-1]の記事「#80. 地下鉄内のコミュニケーションには手話が最適かも」を参照).このような状況で頑張って声を張り上げる様子は,嗅覚に訴えかける言語の発信者が,頑張って作り出した匂いが風に吹き払われそうになる危機に際して,もっと頑張って強いにおいを発しようと力む姿に比較される.
 音声依存のもう1つの欠点としては,人間の発音器官の構造上,発音の音源が1つに限られるという事実がある.もっとも音源が複数あればあったで,複雑な音声の組み合わせが実現できるかもしれないが,受信側にとってみれば,さすがの人間の聴覚でも複数音源の聞き取りに対応するのは負担が大きいだろう.したがって,発音の音源が1つであること自体が欠点というわけではない.音源が1つであることによって必然的に生じる音の特性,宿命としての線状性 (linearity) のもたらす欠点が,ここでの問題である(「#766. 言語の線状性」については[2011-06-02-1]の記事を参照).言語の線上性とは言語記号が時間軸に沿って線上に並ばざるを得ないという言語に働く重力のようなもので,これにより,発信者も受信者も,継起する記号と記号のあいだの関係を常に記憶していなければならないという記憶上の負担を強いられる.時間軸に沿って発せられた複数の記号は,決して一望することはできず,1つ1つ順番に記憶して,脳内で処理するほかない.複雑な入れ子型の統語構造が理解されにくいということはよく知られているが,それは主として音声言語による聴解の話しで,文字で表わされれば,あるいは統語ツリーで関係が視覚的に示されれば,一目瞭然ということも多い.
 音声依存の言語の長所と欠点はそれぞれコインの表裏であるという側面はあるが,天秤にかければ長所のほうが断然に大きいと考えられる.細かく分化された音声信号を楽に産出することができ,それを高い精度で聴解することができ,かつメッセージの連続的な即時伝達という要求を満たすことができる.原理的には接触や身振りでも同様の機能を果たすことができるかもしれないが,効率の点からは,音声に圧倒的に分がある.音声を土台として文字や手話が派生し,音声言語を補助するものとして接触や身振りが用いられることからも示唆される通り,音声は人間にとって唯一絶対の伝達手段ではないものの,多くの点で他の手段の上に立つ有効な意思疎通の方式なのである.

 ・ 鈴木 孝夫 『教養としての言語学』 岩波書店,1996年.

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2012-03-25 Sun

#1063. 人間の言語はなぜ音声に依存しているのか (1) [linguistics][sign_language][writing][medium][origin_of_language][speech_organ][anthropology][semiotics][evolution]

 言語は音声に基づいている.文明においては文字が重視されるが,言語の基本が音声であることは間違いない.このことは[2011-05-15-1]の記事「#748. 話し言葉書き言葉」で論じているので,繰り返さない.今回は,言語という記号体系がなぜ音声に基づいているのか,なぜ音声に基づいていなければならないのかという問題について考える.
 まず,意思疎通のためには,テレパシーのような超自然の手段に訴えるのでないかぎり,何らかの物理的手段に訴えざるをえない.ところが,人間の生物としての能力には限界があるため,人間が発信かつ受信することのできる物理的な信号の種類は,おのずから限られている.具体的には,受信者の立場からすれば,視・聴・嗅・味・触の五感のいずれか,あるいはその組み合わせに訴えかけてくる物理信号でなければならない.発信者の立場からすれば,五感に刺激を与える物理信号を産出しなければならない.当然,後者のほうが負担は重い.
 さて,嗅覚に訴える言語というものを想像してみよう.発信者は意思疎通のたびに匂いを作り出す必要があるが,人間は意志によって匂いを作り出すことは得意ではないし,作り出せたとしても時間がかかるだろう.あまり時間がかかるようだと即時的な意思疎通は不可能であり,「会話」のキャッチボールは望めない.また,匂いを作り出せたとしても,その種類は限られているだろう.手にニンニク,魚,納豆を常にたずさえているという方法はあるが,それならばニンニク,魚,納豆の現物をそのまま記号として用いるほうが早い.仮に頑張って3種類の匂いを作り出すことができたと仮定しても,それはちょうどワー,オー,キャーの3語しか備わっていない言語と同じことであり,複雑な意志疎通は不可能である.3種類を組み合わせれば複雑な意思疎通が可能になるかもしれないが,匂いは互いに混じり合ってしまうという大きな欠点がある.受信者の側にそれを嗅ぎ分ける能力があればよいが,受信者は残念ながら犬ではなく人間であり,嗅ぎ分けは難しいと言わざるを得ない.風が吹かずに空気が停滞している場所で,古い匂いメッセージと区別して新しい匂いメッセージを送りたいとき,発信者・受信者ともに匂いの混じらない安全な場所に移動しなければならないという不便もある(だが,逆にメッセージを残存させたいときには,匂いの残存しやすい性質はメリットとなる).風が吹いていれば,それはそれで問題で,受信者が感じ取るより先ににおいが流されてしまう恐れがある.発信者が体調不良で匂いを発することができない場合や,受信者が風邪で鼻がつまっている場合には,匂いによる「会話」は不可能である(もっとも,類似した事情は音声言語にもあり,声帯が炎症を起こしている場合や,耳が何らかの事情で聞こえない場合には機能しない).人間にとって,嗅覚に訴えかける言語というものは発達しそうにない.
 次に味覚である.こちらも産出が難しいという点では,嗅覚に匹敵する.発信者が意志によって体から辛み成分や苦み成分を分泌し,受信者に「ほれ,なめろ」とかいうことは考えにくい.激しい運動により体に汗をかかせて塩気を帯びさせるなどという方法は可能かもしれないが,即時性の点で不満が残るし,不当に体力を消耗するだろう.受信者の側でも,味覚により何種類の記号を識別できるかという問題が残る.味覚は個人差が大きいし,体調に影響されやすいことも,経験から知られている.さらに,匂いの場合と同様に,味は混じりやすいという欠点がある.味覚依存の言語も,効率という点では採用できないだろう.
 触覚.これは嗅覚や味覚に比べれば期待がもてる.触るという行為は,発信も受信も容易だ.発信者は,触り方(さする,突く,掻く,たたく,つねる等々),触る強度,触る持続時間,触る体の部位などを選ぶことができ,それぞれのパラメータの組み合わせによって複雑な記号表現を作り出すことができそうだ.たたくリズムやテンポを体系化すれば,音楽に匹敵する表現力を得ることもできるかもしれない.複数部位の同時タッチも可能である.ただし,受信者側にとっては触覚の感度が問題になる.人間の識別できるタッチの種類には限界があるし,掻く,たたく,つねるなどの結果,痛くなったり痒くなったりしては困る.痛みや痒みは持続するので,匂いの残存と同じような不都合も生じかねない.触覚に依存する言語というものは十分に考えられるが,より効率の良い手段が手に入るのであれば,積極的に採用されることはないのではないか.さする,なでる,握手する,抱き合うなどのスキンシップは実際に人間のコミュニケーションの一種ではあるが,複雑な記号体系を構成しているわけではなく,主役の音声言語に対して補助的に機能することが多い.
 人間において触覚よりもよく発達しており,意思伝達におおいに利用できそうな感覚は,視覚である.実際に有効に機能している視覚記号として,身振りや絵画がある.特に身振りは発信が容易であり,即時性もある.文字や手話も視覚に訴える有効な手段だが,これらは身振りと異なり,原則として音声言語を視覚へ写し取ったものである.あくまで派生的な手段であり,補助や代役とみなすべきものだ.しかし,補助や代役とはいえ,いくつかの点で,音声言語の限界を超える働きすら示すことも確かである(##748,849,1001).このように音声言語の補助や代役として視覚が選ばれているのは,人間の視覚がことに鋭敏であるからであり,偶然ではない.視覚依存の欠点として,目の利かない暗闇や濃霧のなかでは利用できないことなどが挙げられるが,他の感覚に比べて欠点は少なく,長所は多い.[2009-07-16-1]の記事「#79. 手話言語学からの inspiration 」も参照.
 最後に残ったのが,人間の実際の言語が依存している聴覚である.聴覚に訴えるということは,受信者は音声を聴解する必要があり,発信者は音声を産出する必要があるということである.まず受信者の立場を考えてみよう.人間の聴覚は視覚と同様に非常に鋭敏であり,他の感覚よりも優れている.したがって,この感覚を複雑な意思疎通の手段のために利用するというのは,能力的には理にかなっている.音の質や量の微妙な違いを聞き分けられるのであるから,それを記号間の差に対応させることで膨大な情報を区別できるこはずだからだ.
 次に発信者の立場を考えてみよう.発信者は多様な音声を産出する必要があるが,人間にはそのために必要な器官が進化の過程で適切に備わってきた([2009-10-04-1]の記事「#160. Ardi はまだ言語を話さないけれど」,[2010-10-23-1]の記事「#544. ヒトの発音器官の進化と前適応理論」を参照).人間の唇,歯,舌,声帯,肺などの発音に関わる器官がこのような状態で備わっているのは,言語の発達にとって理想であったし,奇跡とすらいえる.これにより,微妙な音の差を識別できる聴覚のきめ細かさに対応する,きめ細かな発音が可能になったのである.音声に依存する言語が発達する条件は,進化の過程で整えられてきた.
 では,他の感覚ではなく聴覚に訴える手段が,音声に依存する言語が,特に発達してきたのはなぜだろうか.それは,上で各感覚について述べてきたように,聴覚依存,音声依存の伝達の長所と欠点を天秤にかけたとき,長所が欠点を補って余りあるからである.その各点については,明日の記事で.

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2012-03-24 Sat

#1062. 言語の二重分節は本当にあるか [double_articulation][linguistics][sign]

 [2011-06-03-1]の記事「#767. 言語の二重分節」で解説した Martinet の二重分節 (double articulation) は,記号としての言語のもっている最も際立った特性の1つとして,どの言語学の教科書にも取り上げられている.二重分節は,機能主義の立場から言語に内在している経済性を強く押し出した Martinet の言語観を支える理論的な支柱であり,20世紀構造言語学の成果を象徴する最重要事項の1つである.
 しかし,町田 (166--68) によると ,よくよく考えてみると,二重分節というものが,Martinet の主張するような言語の経済性を本当に体現しているのかどうかは疑わしいという.第1に,monème (記号素)へ切り分ける第1分節と,phonème (音素)へ切り分ける第2分節とは,性質が大きく異なっており,分節という同じ用語でまとめてよいものなのかという疑問がある.monème は記号 (signe) であり,signifiant と signifié が分かちがたく結びついた1単位である.言語の経済性を論じる際には,この基本単位である monème そのものの種類を多くするのが情報伝達にとって経済的なのか,あるいはその種類は抑えながら,その組み合わせ(統語)を工夫することで対処するのが経済的なのか,という議論になるだろう.
 ところが,phonème については,そのような議論ができない.phonème は signifiant に属する単位であり,それ自体は記号ではない.signifié,つまり意味を担っていないのだから,情報伝達の経済という議論には関わりようがない,というわけである.
 二重分節に向けられたこの疑惑を,経済性の程度を割り出すための方法という観点からとらえ直すと,次のようになる.monème の経済性は,上で触れたように,その種類を増やすことで確保するのか,その組み合わせを工夫することで確保するのかという問題であり,伝達したい意味内容の頻度の問題などと関連させて数値化し,比較することが一応のところ可能である.極端な場合には,100個しか monème がなく,その統語的組み合わせを工夫して何とか言語機能を果たすような仮想言語を思い浮かべることができるし,反対に,「主部+述部」という単純な統語論しかもたないが,monème の種類は数百万個あるという仮想言語を思い浮かべることができる.この2つの言語の効率を云々することはできるだろう.
 ところが,phonème の経済性は,上の monème と同じようには議論できない.確かに,100個の区別される phonème が「子音+母音+子音」という1種類の並びで配置されて1つの monème を構成するという仮想言語と,区別される phonème は10個しかないが monème を構成するための子音と母音の組み合わせは幾通りもあるという仮想言語とを比べてみることはできるかもしれない.しかし,ここで比べているのは,意味を伴わない phonème の種類や配列であり,これは情報伝達の経済性に何ら関わりがない.情報伝達の経済性の問題というよりは,調音能力と聴解能力のバランスの問題というほうが近い.
 Martinet の主張する言語の経済性の原理は,汎用的で強力な説明原理ではある.しかし,その原理を象徴する二重分節という考え方にも疑問点があるということ,また,いまだに言語において何をもって経済的とみなすかという基本的な事項での共通認識が得られているとは言い難いことから,踏み固められている定説にも,より突っ込んだ批評が必要だろう.

 ・ 町田 健 『ソシュールと言語学』 講談社〈講談社現代新書〉,2004年.

Referrer (Inside): [2012-04-29-1]

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2012-03-23 Fri

#1061. Coseriu の言語学史の振子 [linguistics][diachrony][history_of_linguistics][renaissance]

 通常,近代言語学史は,Sir William Jones (1746--1794) の1786年の講演と,それに続く比較言語学の発展において始まったとされる([2010-02-03-1]の記事「#282. Sir William Jones,三点の鋭い指摘」を参照).しかし,この18世紀末の契機は,舞台を西洋に限るとしても,より広い歴史的な視野から評価する必要がある.確かに,18世紀末は,初めて継続的に科学的な態度で言語に注目し始めたという点で,言語学史に一線を画する時代だったことは認めてよい.しかし,それ以前にも常に人々は言語に関心を注いできたのである.1786年を境に以前と以後にわける言語学史のとらえ方を「断絶」と呼ぶのであれば,ルーマニア生まれでドイツの言語学者 Coseriu (1921--2002) の言語学史のとらえ方は「振子」,共時的関心と通時的関心のあいだに揺れる振子として表現できるだろう.加賀野井 (65) に紹介されている Coseriu の図式は以下の通り.

Coseriu's History of Linguistics


 この図式によれば,ルネッサンスと19世紀が歴史主義の時代,その前後と狭間の時代が理論・記述主義の時代ということになる.ルネッサンス以前は,ギリシア語やラテン語を規範とする見方や言語哲学が盛んであり,視点は共時的だった.ルネッサンス期は言語どうしの比較や同一言語の異なる時代の比較へ関心が移り,通時的な傾向を示した.18世紀には,近代語の記述文法の研究が進み,ライプニッツの普遍文法などが出たことから,共時的な関心の時代だったといえる.19世紀には比較言語学によって通時的な側面に光が当てられた.そして,20世紀,特にソシュール以降は共時的な言語学が優勢となった.
 この図から当然の如く湧き出てくるのは,21世紀は,通時的な関心へと振子が揺り戻すのではないかという予想だ.各時代の関心の交替は,何も言語学の分野だけに限ったことではなく,他の学問領域にも広く共通した思想上の傾向だった.そして,現代のように時代の転換期にあるといわれる時代には,歴史を顧みる傾向が強まるとも言われる.20世紀を駆け抜けた共時言語学の拡散と限界から,そろそろ一休みを入れたい気分にならないとも限らない.振子は,人間の退屈しやすい性質,気分転換を欲する性質を反映していると考えれば,そろそろ揺り戻しがあるかもしれないということも十分に考えられる.
 もちろん,Coseriu の振子は,後代から観察した過去の記録にすぎず,未来を決定する力はない.歴史を作るのはそれぞれの時代の人間であり,ここでいえば言語観察者や言語学者である.しかし,20世紀の言語学の達成と発展性を考えると,振子が揺り戻すかもしれないと考えさせる根拠はある.1つは,20世紀の構造言語学や生成文法があまり手をつけずにおいた言語の変異と変化の重要性が,20世紀後半になって認識されてきたこと.2つは,20世紀の共時言語学が上げてきた種々の成果を,かつてソシュールが優先度低しとして棚上げしておいた通時態にも応用してみたくなるのが人情ではないかということ.
 また,これは20世紀言語学の成果とは独立した要因ながら,筆者の日頃考えているところだが,英語などの有力言語の世界的な広がり,国際交流に伴う語学熱,情報化社会に裏打ちされた言語の重要性の喧伝などという現代の社会現象が,人々に言語疲れを引き起こす可能性があるのではないかということだ.言語は役に立つ,言語の力は偉大だなどとあまりに喧伝されると疲れてしまう.むしろ,なぜそうなのか,なぜそうなってきたのかという本質的な問題へ向かう傾向が生じるのではないか.
 とここまで書きながら,上の議論は,英語史や歴史言語学に肩入れしている筆者の願いにすぎないのかもしれないな,と思ったりもする.21世紀の潮流を見極めたい.

 ・ 加賀野井 秀一 『20世紀言語学入門』 講談社〈講談社現代新書〉,1995年.

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2012-03-22 Thu

#1060. 世界の言語の数を数えるということ [sociolinguistics][world_languages][contact][saussure]

 Ethnologue の冒頭では,現在の世界の言語の数について,次のように謳われている."An encyclopedic reference work cataloging all of the world’s 6,909 known living languages." ただし,論者によってはその半分の数を挙げるものもあり,他にも様々な数が提案されており,確定することは難しい.世界の言語の数を数えることの困難な理由は,[2010-01-22-1]の記事「#270. 世界の言語の数はなぜ正確に把握できないか」で取り上げた.また,関連する話題を「#274. 言語数と話者数」 ([2010-01-26-1]) で考察した.今回は,議論をもう一歩推し進めたい.
 現在,世界にいくつの言語があるのか.この問いは言語についての最も素朴な疑問のようにも思われるが,実のところ,この素朴さのなかには非常に厄介な問題が含まれている.言語を数えるということは,当然ながら言語が複数あることが前提となっている.また,言語が複数あるということは,ある言語と他の言語との境界が明確であり,それぞれが個別化,個体化,個数化していることが前提となっている.しかし,自然状態におかれている言語は,通常,境がぼんやりとしているものではないか.特に隣接する言語であれば,互いに混交して,中間的な特徴を備えた言語が間に入っているものではないか.
 しかし,このように本来は音の連続である茫洋とした言語の平面に,強引に線引きをする主がいる.そして,私たちは,その主の存在を疑わずに,むしろ前提としているからこそ,標記の問題がいかにも素朴な疑問に聞こえるのである.その線引きの主とは,近代国家である.田中 (150) の適格な表現を引用しよう.

近代はまた、ことばとことばとの間に境界を設けて、その数を数えられるものにした。言語の数が数えられるものになったのは、主として国家の成立による。/言語の数はしかし、本来は――自然の状態では――数えられないものであった。数えようにも、まず名前がついていなかった。ヨーロッパでは、こうしたいわゆる「俗語」、すなわち、ラテン語以外の言語が文字で書かれるようになり、その文法が書かれることによって、「○○語」が確立されたのである。


 つまり,言語を数えるということは,「国家=言語」という等式を無意識のうちに前提としている発想であり,言語の自然状態を観察していては決して生まれてこない発想だということになる.では,上記の素朴な疑問は,素人的な疑問として片付けてしまってよいのだろうか.否である.実のところ,近代科学としての言語学こそが,「国家=言語」を前提として成立してきたのである.もっと言えば,「国家≧言語(学)」ですらあった.田中 (154--55) を引こう.

近代言語学に成立の動機を与えたのは,国家であった.国家が,言語に境界を与え,○○語という,区切りのある単位を与えたからである.そして,言語学は,このような,国家によって提供された,いわゆる個別言語 (Einzelsprache) の研究に従事してきた.少し誇張して言うと,国家が個別言語を創り出し――その統合,均質化の過程によって――それを言語学が当然のようにおしいただいて研究したのであるから,この点から言うと,言語学は国家に従属したのである.


 このように,近代言語学は国家観を強烈に含みながら創始された.自然状態の言語を,国家という概念を介入させず,ありのままに観察するという態度は,20世紀のソシュール言語学を待たねばならなかったのである.20世紀言語学は,いよいよ国家をはぎ取った状態で言語そのものを観察し始めたのだが,世紀の後半になって国家なり社会なりの服を,改めて今度は意識的に,裸の言語に着させるという試みを開始した.
 21世紀に入った言語学は,いまだ標題の素朴な疑問に明確な解答を与えうる段階にない.しかし,言語学は,何もしてこなかったわけではない.むしろ,素朴な外見を装った標題の疑問の本質は,素朴どころか,政治のどろどろした問題をはらんでいるという事実を,言語学はありありと示してきたのである.

 ・ 田中 克彦 『言語学とは何か』 岩波書店〈岩波新書〉,1993年.

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2012-03-21 Wed

#1059. 権力重視から仲間意識重視へ推移してきた T/V distinction [pragmatics][personal_pronoun][honorific][t/v_distinction][solidarity]

 英語や諸言語の T/V distinction について,「#167. 世界の言語の T/V distinction」 ([2009-10-11-1]) , 「#185. 英語史とドイツ語史における T/V distinction」 ([2009-10-29-1]) , 「#1033. 日本語の敬語とヨーロッパ諸語の T/V distinction」 ([2012-02-24-1]) などで扱ってきたが,社会歴史言語学的な立場から,T/V distinction の傾向を見事に整理した研究を紹介したい.Brown and Gilman の研究だが,トラッドギル (118--21) で要約されているものを参照する.以下は,トラッドギル (120) より抜き出した,T/V distinction の通時的変化の図式である.

第1段階第2段階第3段階第4段階
SNSSNSSNSSNS
+P → +PTTVVTVTV
-P → -PTTTTTVTV
+P → -PTTTTTTTV
-P → +PTTVVVVTV


 ここで P は power (権力)を,S は solidarity (仲間意識)を,NS は no solidarity (仲間意識なし)を,それぞれ表わす.第1段階では,T/Vのあいだに語用論的な使い分けはなく,相手が単数ならT,複数ならVという単純な構図であった.そこに権力の要因が介入したのが第2段階である.この段階では,権力が絶対的に上か下かでT/Vの使い分けが決定される.自分の権力の有無はどうであれ,相手に権力があればV,なければTという基準である.権力に差のある2人のあいだでは,一方がTを,他方がVを用いるという非相互換用的 (nonreciprocal) な構図となる.
 第3段階では,権力の要因に加えて仲間意識の要因が介入する.2人のあいだに仲間意識があるかないかという基準でT/Vが選ばれるということは,どんな場合でも両者が同じ代名詞で呼び合う相互換用的 (reciprocal) の構図となるはずだが,第2段階の権力という要因も完全には廃れていないので,斜体赤字で示した2カ所において power と solidarity の2つの要因がバッティングすることになる.ここでは古い権力の要因が根強く残る.最後の第4段階では,権力の要因が清算され,ひとえに仲間意識の要因が重視される構図となる.
 具体例で考えると,将校と兵士はかつては権力の差を反映してそれぞれ相手をTとVで呼び合った (nonreciprocal) が,今や仲間意識の観点から(異なる位だから仲間意識なしとして)それぞれ相手をVで呼び合う (reciprocal) ようになっている.子と親もかつては社会的な上下関係を反映してそれぞれ相手をVとTで呼び合った (nonreciprocal) が,今や家族としての仲間意識からそれぞれ相手をTで呼び合う (reciprocal) .敬意の軸が,絶対的な社会的権力という垂直軸ではなく,相対的な社会的仲間意識という水平軸へとシフトしてきたのである.
 トラッドギル (120) は,「ほとんどのヨーロッパの言語では今や権力よりも仲間意識の要因の方が優先されるようにな」っており,「今日,仲間意識がこのような人間関係を決定する際の有力な要因となったのは,おそらく民主的平等主義というイデオロギーが次第に成長して来たためであろう」としている.
 南 (111--14, 207--08) は,この power から solidarity への重点シフトは,日本語の敬語の通時的変化にも見られる傾向であると指摘している.

 ・ Brown, R. W. and A. Gilman. "The Pronouns of Power and Solidarity." Style in Language. Ed. Thomas A. Sebeok. Cambridge, Mass.: MIT P, 1960. 253--76.
 ・ P. トラッドギル 著,土田 滋 訳 『言語と社会』 岩波書店,1975年.
 ・ 南 不二男 『敬語』 岩波書店,1987年.

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2012-03-20 Tue

#1058. 中英語における choose の多義 [sggk][semantic_change][etymology][polysemy]

 現代英語の基本動詞の1つ choose は,語源辞典などを引くと非常に複雑な形態の歴史をもっていると知られるが,中英語での語義の展開のおもしろさについて言及されることは,あまりない.Sir Gawain and the Green Knight をグロッサリーを引き引き読んでいたら,choose が立て続けに予想外の語義で使われている箇所に出くわした(Andrew and Waldron 版より).

778: And he ful chauncely hatz chosen to þe chef gate,
. . . .
798: Chalk-whyt chymnées þer ches he innoȝe,


 MED "chesen (v)" の語義でいうと 8 と 9 に相当する意味である.

 8. To choose or take one's way; ~ wei (gate); proceed or go (to or from a place); refl. betake oneself; ~ fast, to hurry.
 9. (a) To perceive (sth., sb.); also, recognize; (b) to distinguish (one thing from another).


 前者は「(自らの道を)選ぶ,行く」,後者は「選別(判別,識別,弁別)する」ということになろうか.前者については,古高地ドイツ語やフランス語の対応語にも類似した語義があるという.後者については,現代英語に There is nothing to chose between A and B. (AとBの間に優劣はまったくない)という言い回しがあり,この表現での choose が 9. (b) の "distinguish (between A and B)" に近く,9. (a) の "perceive; recognize" にも通じることがわかる.ついでに,日本語を考えてみると,「子供のすることと選ぶ所がない」のように先の英語表現と近い表現がある.なお,OED では,B. 8, B. 7 の語義が上の2つの語義にそれぞれ対応しているが,いずれも近代までには廃用となっている.
 さて,choose をゲルマン祖語や印欧祖語へと遡ると,どうやら "test by tasting" (味わう,味見する)の原義にたどりつく.「味」を表わす gusto, gust などとも語源的に遠く関連している.「味の違いがわかる」=「選ぶ」と考えると,選ぶということは,生存のために必須の能力であるとともに,文化の香りすらする高尚な行為であると解釈できる.付け加えれば,elegant (上品な,優雅な)も,英語 elect (選ぶ)の源であるラテン語 ēligere (選ぶ)の現在分詞に由来し,「選択眼のある」が原義である.もっとも,選択や好みがうるさすぎると choosy となり,語感は一気に落ちる.
 現在では choose の上の2つの語義は廃れてしまったとはいえ,基本動詞の意味展開には興味深いものがある.

 ・ Andrew, Malcolm and Ronald Waldron, eds. The Poems of the Pearl Manuscript. 3rd ed. Exeter: U of Exeter P, 2002.

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2012-03-19 Mon

#1057. LAEME Index of Sources の検索ツール Ver. 2 [laeme][web_service][cgi][dialect]

 [2011-11-25-1]の記事「#942. LAEME Index of Sources の検索ツール」で SQL による検索用 CGI を公開した.最近,研究で LAEME を本格的に使う機会があり,検索用のデータベースに少しく情報を追加した.そこで,上位互換となる Ver. 2 を作ったので,公開する.
 追加した情報は,PERIOD, COUNTY, DIALECT の3フィールド.PERIOD は,もともとの IOS で与えられていたテキストの DATE をもとに,半世紀区切りで大雑把に区分しなおしたもの.C13b2--C14a1 など区分のまたがる場合には,早いほうをとって C13b と読み替えた."ca. 1300" なども同様に,早いほうへ倒して C13b とした.DATE において C13, C14 など半世紀で区切れない年代が与えられている場合には,C13, C14 のようにそのまま残した.
 COUNTY は,LOC に与えられていた情報をもとに,3文字の略字表記で示した.DIALECT は,所属する州 (county) をもとに大雑把に N (Northern), NWM (North-West Midland), NEM (North-East Midland), SEM (South-East Midland), SWM (South-West Midland), SW (Southwestern), SE (Southeastern) の7方言に区分したものである.方言線は州境と一致しているわけではないし,方言線そのものの選定も,「#130. 中英語の方言区分」 ([2009-09-04-1]) や「#1030. England の現代英語方言区分 (2)」 ([2012-02-21-1]) で見たように,難しい.したがって,今回の DIALECT の付与も,[2009-09-04-1]の中英語方言地図に大雑把に照らしての仮のものである.参考までに,COUNTY と DIALECT の対応表はこちら

    


 使用法は[2011-11-25-1]の旧版と同じで,テーブル名は "ios" (for "Index of Sources") で固定.フィールドは,全部で23フィールド (ID, MS, TEXT_ID, FILE, DATE, PERIOD, TEXT, GRID, LOC, COUNTY, DIALECT, COMMENT, SAMPLING, TAGGED_WORDS, PLACE_NAMES, PERSONAL_NAMES, WORDS, SCRIPT, OTHER, STATUS, BIBLIO, CROSS_REF, URL) .select 文のみ有効.以下,典型的な検索式を挙げておく.

# 各 PERIOD に振り分けられたテキストの数
select distinct PERIOD, count(*) from ios group by PERIOD;

# 各 COUNTY に振り分けられたテキストの数
select distinct COUNTY, count(*) from ios group by COUNTY;

# 各 DIALECT に振り分けられたテキストの数
select distinct DIALECT, count(*) from ios group by DIALECT;

# DIALECT/PERIOD ごとに,所属するテキストの多い順にリストアップ
select distinct DIALECT, PERIOD, count(*) from ios group by DIALECT, PERIOD order by count(*) desc;

# Worcestershire のテキストを取り出し,PERIOD 順に諸情報を羅列
select TEXT_ID, FILE, MS, COUNTY, PERIOD, TAGGED_WORDS from ios where COUNTY = 'WOR' order by PERIOD;

  *  

Referrer (Inside): [2012-12-17-1] [2012-10-10-1]

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2012-03-18 Sun

#1056. 言語変化は人間による積極的な採用である [language_change][linguistics][grimms_law][history_of_linguistics]

 20世紀後半までの近代言語学の歴史は,抽象化の歴史といってもよい.言語という雑多で切り込みにくい対象を科学するためには,数多くの上皮をはぎ取り,裸にしてかかる必要があった.言語それ自体を取り出すために,文字をはぎ取り,民族や国家を捨象し,最後には話者を追放した.そのようにしてまな板に載せられた裸の言語を相手に,理論化を進めていったのである.それにより理論言語学は大いに発展したのであり,言語学の進歩にとって必要だったことは間違いない.それを踏まえて,20世紀後半からは,言語学は理論から実践へと関心を戻してきたようにみえる.社会言語学や語用論などの興隆は,社会や話者を言語学へ甦らせようとする欲求の結果だろう.
 この視点は重要である.音声変化の代表例としてグリムの法則 (Grimm's Law) を例に取ろう ([2009-08-08-1]の記事「グリムの法則とは何か」を参照).そこでは印欧祖語の *p がゲルマン語では *f へ変化したとされるが,「法則」と呼ばれることの意味は何であるかを考えてみたい.この音声変化は原則として例外なくすべての語において生じたとされ,その意味で法則と呼ぶにふさわしい性格があることは確かだ.しかし,これは自然科学的な意味での法則ではあり得ない.なぜならば,話者という人間が介在しなければこの変化は起こりようがなかったし,歴史的に一回限りの出来事であるために再現可能性がないからである.特定の時期の特定の話者(集団)に依存していた変化であるから,熱力学の第2法則のようなものとは本質的に異なる.音声変化の主である話者は,受動的に変化を受けていたわけではなく,能動的に変化を起こしていたと考えなければならない.そこには話者による採用という積極的な行動があったと仮定せざるを得ない.田中 (153--54) のことばで,この主張を聞いてみよう.

人間という動物は、無意識に、なにか人間を超えた法則にしたがって、自分でも気づかずに p を f と発音するほどに法則に従順でなければならないのだろうか。そんなことがあるはずはないし、またあってはならない。人間は法則のために存在するものではないからである。およそ人間に関するできごとのなかに、無意識の法則的変化はあり得ない。p から f への変化は、一団の言語の話し手のなかで各個人の上に一斉に起きたのではなく、ある個人の上に生じた変化が拡散し、社会的に採用されたのだということを、じつによくわかるように説明したのはエウジェニオ・コセリウだった。かれは、あらゆる変化は採用であり、採用は人間の意志の行為であること、ちょうどタイプライターの p の文字を一たび f でとりかえたならば、あとは何度たたいても f が出てくるのは少しもふしぎでないのと同様、それは自然の法則とは無縁なものだと説明してみせた。こうして、音韻法則は、超人間法則の神秘の世界から、やっと人間世界にひきもどされたのである。(引用者注:太字で示した採用は,原文では傍点)


 コセリウのように,言語を人間世界にひきもどそうとした日本の学者がある.方言周圏論を提唱した柳田国男である([2012-03-07-1]の記事「#1045. 柳田国男の方言周圏論」を参照).柳田は,蝸牛を表わす種々の語の地理的な伝播を念頭におきながら,新語の拡大は,人々の新語の「採択」に他ならないと論じている.その採択とは,文芸の評価と異なるところのない,好みの反映された積極的な承認であると断じている.やや長い引用だが,「話者集団による積極的な承認」という強い主張を味わうために,1段落をすべて記そう (39--40) .

あるいはこの新陳代謝の状態をもって、簡単に流行と言ってしまえばよいと思う人もあるか知らぬが、それには二つの理由があって、自分たちは従うことが出来ない。「流行」は社会学上の用語として今なおあまりに不精確な内容しか有たぬこと是が一つ、二つには新語の採択には単にそれが新しいからという以上に、遥かに具体的なる理由が、幾つでも想像し得られるからである。たとえば語音が当節の若き人々に、特に愛好せられるものであり、もしくは鮮明なる聯想があって、記憶通意に便であることなども一つの場合であるが、更に命名の動機に意匠があり、聴く者をして容易に観察の奇抜と、表現の技巧を承認せしめるものに至っては、その効果はちょうど他の複雑なる諸種の文芸の、世に行なわるると異なるところがない。一方にはまたその第一次の使用者らが、しばしば試みてただ稀にしか成功しなかった点も、頗る近世の詩歌・俳諧・秀句・謎々などとよく似ていて、今でもその作品から溯って、それが人を動かし得た理由を察し得るのであるが、しかもただ一つの相異はその作者の個人でなく、最初から一つの群であったことである。かつて民間文芸の成長した経路を考えてみた人ならば、この点は決して諒解に難くないであろう。独り方言の発明のみと言わず、歌でも唱え言でもはた諺でも、仮令始めて口にする者は或る一人であろうとも、それ以前に既にそう言わなければならぬ気運は、群の中に醸されていたので、ただその中の最も鋭敏なる者が、衆意を代表して出口の役を勤めたまでであった。それ故にいつも確かなる起りは不明であり、また出来るや否やとにかく直ぐに一部の用語となるのであった。隠語や綽名は常にかくのごとくして現われた。各地の新方言の取捨選択も、恐らくはまた是と同様なる支持者を持っていたことであろう。この群衆の承認は積極的のものである。単に癖とか惰性とかいうような、見のがし聞きのがしとは一つではない。それを自分が差別して、此方を新語の成長力などと名づけんとしているのである。


 音声と語彙とでは,変化に際する意識の関与の度合いに差があるだろうが,それは質の差ではなく程度の差ということになろうか.

 ・ 田中 克彦 『ことばと国家』 岩波書店,1981年.
 ・ 柳田 国男 『蝸牛考』 岩波書店,1980年.

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2012-03-17 Sat

#1055. uvular r の言語境界を越える拡大 [map][phonetics][wave_theory][french][linguistic_area]

 言語変化がある地点から周囲の方言に広がってゆく様子について,波状説 (the wave theory; Wellentheorie) や方言周圏論の名のもとに,いくつかの事例を見てきた(「#1000. 古語は辺境に残る」 ([2012-01-22-1]) ,「#1045. 柳田国男の方言周圏論」 ([2012-03-07-1])).しかし,ある言語変化が方言の境界ではなく言語の境界を越えて同様に広がってゆく事例も確認されている.よく知られているのは,フランス発祥の uvular r (口蓋垂の r; IPA [ʀ])の拡大である.
 トラッドギル (189--99) によれば,16世紀まではヨーロッパの言語では r の発音は,イタリア語,ロシア語,スコットランド方言の英語で典型的に行なわれているような舌尖のふるえ音か弾き音だった.ところが,17世紀になってパリの上流階級のフランス語において uvular r がはやりだした.ヨーロッパの一部,しかもその限られた社会階級から発した流行は,それから300年の間に北西ヨーロッパの広い領域へ広がった.現在では,フランス語とドイツ語では教養あるほとんどの人々によって,またオランダの一部,デンマークのほぼ全域,スウェーデンとノルウェーの南部の一画で,uvular r が行なわれている.一方,ドイツ語圏南部から南や東の方向へは広がっていない.トラッドギル (189) の地図を掲載しよう.

Map of Uvular r in Western Europe

 広がり方が波状だったかどうかは判然としないが,北海やバルト海方面へ地を這うように進み,いったん海に出れば海路でスカンディナヴィア半島の南端に伝播したのだろうということは容易に推測できる.
 なお,標準的な英語の r は,IPA では [ɹ] と表記される後部歯茎接近音 (post-alveolar approximant) あるいは無摩擦持続音 (post-alveolar frictionless continuant) だが,Northumberland や Durham などのイングランド北東部の方言では uvular r も聞かれる.

 ・ P. トラッドギル 著,土田 滋 訳 『言語と社会』 岩波書店,1975年.

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2012-03-16 Fri

#1054. singular they [personal_pronoun][gender][political_correctness][number][agreement][prescriptive_grammar][singular_they]

 現代英語の問題としてしばしば取り上げられる singular they について.「#275. 現代英語の三人称単数共性代名詞」の記事 ([2010-01-27-1]) でも取り上げたが,現代英語には any, each, every, no などで修飾された形態的に単数である人を表わす名詞を,後で受けるための適切な代名詞がない.he で代表させようとすると男尊女卑と言われかねず,かといって she で代表させるのもしっくりこない.it だとモノ扱いのようで具合が悪い.性を問わない they を用いれば,伝統主義の規範文法家の大好きな数の一致 (agreement) という規則に抵触し,槍玉にあげられかねない.現実の語法としては,最後に挙げた singular they が勢力を得ているが,そのような問題の生じないように文を改めよという助言もよく聞かれる.
 このような現代的とされる語法上の問題は,実は現代英語で生じたものではなく,古い歴史をもっているものが多い.OED の "they, pers. pron." B. 2. によると,"Often used in reference to a singular noun made universal by every, any, no, etc., or applicable to one of either sex (= 'he or she'). See Jespersen Progress in Lang. §24." とあり,その初例は1526年である.細江 (254--56) には,近代英語からの例がいろいろと挙げられている.いくつかを抜き出そう.

 ・ Let each esteem others better than themselves.---Philippians, ii. 3.
 ・ Each was swayed by the emotion within them, much as the candle-flame was swayed by the tempest without.---Hardy.
 ・ Nobody knows what it is to lose a friend till they have lost him.---Fielding.
 ・ Everyone must judge of their feelings.---Byron.
 ・ No one in their senses could doubt.---Dickens.
 ・ Nobody will come in, will they?---Priestley.


 each などが先行しない単数名詞が they で受けられている例もある.

 ・ The feelings of the parent upon committing the cherished object of their cares and affections to the stormy sea of life.---S. Ferrier.
 ・ A person can't help their birth.---Thackeray


 they の数の不一致の問題は,英語の代名詞体系が否応なく内包する問題である.フランス語では,このような場合に便利な soi, son などの語が用意されており,問題とはならない.英語にとっての解決法は,問題の語法をまったく使わないという回避策を採らないとするのであれば,代名詞体系を改変するか,既存の体系内の運用で対処するかである.前者については,[2010-01-27-1]の記事で示したように,様々な語が提案されたが,文書で時折見られる s/he でさえ好まれているとは言い難い.後者の有力候補である singular they は,歴史的にも連綿と行なわれてきたし,その苦肉の策たることは誰しもが理解しているのであり,共感を誘う.その苦肉は,以下の例のなかにも見て取ることができる.

 ・ If an ox gore a man or a woman, that they die; then the ox shall be surely stoned.---Exodus, xxi. 28.


 Burchfield も認めている通り,すでに大勢は決せられているといってよい.
 関連して,愚痴を一つ.英語で論文執筆の際に,引用している著者の性別の見当がつかず,代名詞を用いるのをためらわざるをえない状況に困ることがある.日本語であれば「著者は」を繰り返してもそれほどおかしくないが,英語では the author を何度も繰り返すわけにもいかない・・・.

 ・ 細江 逸記 『英文法汎論』3版 泰文堂,1926年.
 ・ Burchfield, Robert, ed. Fowler's Modern English Usage. Rev. 3rd ed. Oxford: OUP, 1998.

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2012-03-15 Thu

#1053. 波状説の波及効果 [wave_theory][geography][dialect][sociolinguistics][rhotic][lexical_diffusion][geolinguistics]

 言語変化は波状に周囲に伝わって行くという波状説 (the wave theory; Wellentheorie) や方言周圏論について,「#999. 言語変化の波状説」 ([2012-01-21-1]) ,「#1000. 古語は辺境に残る」 ([2012-01-22-1]) ,「#1045. 柳田国男の方言周圏論」 ([2012-03-07-1]) の記事で取り上げてきた.波状説は,比較言語学の前提としていた the family tree model に対する反論として提唱されたものだったが,言語の変化にも他の文化の伝播と同様に地理的な側面があるという,今考えてみればもっともな主張に学問上の立場を与えたという点が評価される.
 波状説は,言語変化の伝播についての様々な側面に光を当ててきた.以下に,波状説が言語変化の研究に与える波及効果や含蓄について,私の考えるところを挙げよう.

 (1) 「古語は辺境に残る」 (archaism in marginal areas) の原則を打ち立て,方言研究に弾みを与えた.
 (2) 言語変化の伝播の地理的側面についての諸説を生み出す母体となった.例えば,波状説に対する the gravity model や,その the gravity model に対抗する the counterhierarchical model,政治的境界が及ぼす border effect など.広く言語地理学 (linguistic geography) の発展に貢献した.
 (3) 波状説の原理は,地理方言レベルの伝播だけでなく社会方言レベルの伝播にも応用できる可能性がある.例えば,[2010-06-07-1]の記事「#406. Labov の New York City /r/」で紹介した調査で,社会経済的な階層の下から上に向かって(最上は別として) /r/ の比率が高かった事実は,rhotic 発音が階層を縫って波状に広がっているのではないかという仮説を支持する.
 (4) 語彙拡散 (lexical diffusion) は,本来,地理的側面は関係なく,語彙体系のなかを縫うように進む音韻変化を説明する理論として提唱されたが,地理的な波状説とも類似性があるように思われる.波紋の半径が2倍,3倍と拡がればそれぞれ面積は4倍,9倍と大幅に拡大するように,語彙拡散でもある段階で勢いがつき "take-off" すると,拡大の速度が急激に上がり,語彙の大半を一気に呑み込む.

 波状説が言語変化の地理的拡大の唯一の型ではないことは知られているが,(2) で述べたように,言語変化の研究に地理的空間という次元を取り戻した功績は大きい.Britain は,その論文の冒頭で,現在でも社会言語学において地理的空間の次元への関心は乏しいと指摘している.

The geographical dimension of space has been an almost wholly unexplored dimension in sociolinguistics. This is a somewhat surprising state of affairs since modern sociolinguistics can rightfully claim roots in a number of (seemingly) spatially-aware antecedents: the cartographic tradition of early dialectology, early linguistic anthropology, the cultural geography of Vidal de la Blache . . . and so on. Almost without exception, and rather than having been critically explored as a potential social variable, space has been treated as a blank canvas onto which sociolinguistic processes are painted. It has been unexamined, untheorised and its role in shaping and being shaped by language untested.


 地理的空間を言語変化拡大のカンバスとしてではなく絵の具としてとらえる観点を育てていく必要がある.

 ・ Britain, Dave. "Geolinguistics and Linguistic Diffusion." Sociolinguistics: International Handbook of the Science of Language and Society. Ed. U. Ammon et al. Berlin: Mouton de Gruyter, 2004.

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2012-03-14 Wed

#1052. 英語史研究の対象となる資料 (2) [methodology][manuscript][textual_transmission][runic][japanese]

 昨日の記事[2012-03-13-1]では,日本語史資料の種類を拠り所にして,英語史資料の種類を考えた.昨日参照した佐藤では,日本語史資料を,記録・伝承上の形式という観点からも分類している (17) .概ね英語史の資料にもあてはまる分類と思われるので,引用しよう.

 (1) 文字言語資料(文献資料)
  (ア)金石文       ─┬─ 口語的要素を投影する程度は文献
  (イ)書籍(文書・典籍) ─┘  の性格によってさまざまである.
 (2) 音声言語資料
  (ウ)方言
  (エ)謡物類(謡物・語り物など)
  (オ)録音資料


 (ア)は,英語史ではルーン文字等で刻まれた碑文などが相当するだろうか.The Ruthwell Cross (8世紀初頭;The Dream of the Rood の断片を記す)や The Franks Casket (ca. 650--700) などが有名である.量としては必ずしも多くないが,成立時のものが現存する一等資料が多く,貴重である.関連して,「#572. 現存する最古の英文」 ([2010-11-20-1]) を参照.
 (イ)は,従来の英語史資料の大部分を占めるが,中世の写本では筆記者自身による原本 (autograph) が伝存しているものは稀であり,言語研究の資料として用いるには,文献学,書誌学,本文批判の手続きを経るなど,細心の注意が必要である.関連して,「#681. 刊本でなく写本を参照すべき6つの理由」 ([2011-03-09-1]) ,「#682. ファクシミリでなく写本を参照すべき5つの理由」 ([2011-03-10-1]) ,「#730. 写本文化の textual transmission」 ([2011-04-27-1]) の記事を参照.
 現代の方言により過去の言語の姿を推定する(ウ)や,謡物に残る古語を拾い出す(エ)は,それぞれの保守性と伝承性を利用する方法だが,どの時代の言語を反映しているのかが必ずしも明らかでない場合があり,(イ)の補足として利用されるべき資料だろう.
 (オ)の録音資料は,録音機器が発明されて以降の時代に限られるが,発音資料としてのほか談話資料としても価値がある.

 ・ 佐藤 武義 編著 『概説 日本語の歴史』 朝倉書店,1995年.

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2012-03-13 Tue

#1051. 英語史研究の対象となる資料 (1) [methodology]

 英語史研究のための資料といえば,中世では写本,近代以降では印刷本というのが一般的なイメージだが,資料の種類には様々なものがありうる.しかし,英語史研究の対象となる資料の種類や分類について多くを語る概説書や研究書は,寡聞にして知らない.
 日本語史の概説書を開いてみると,佐藤 (16) に,橋本進吉の示した日本語研究の対象となる資料の種類というものが挙げられていた.そこには6点が挙げられているが,日本語を英語と読み替え,表現を微調整すると,以下のようになる.日本語史の文脈で「日本」となっていたところは,「英語社会」と読み替えた.

 (1) 英語を写した,英語社会内外の過去の文献
 (2) 英語社会内外の,英語を観察・内省した過去の記録
 (3) 他言語を英語の表記で書き写した過去の文献
 (4) 現在行なわれている,口頭語あるいは文章語など,あらゆる種類の英語
 (5) 他言語の中に入った英語
 (6) 英語と同系の言語


 (1) は,英語そのものを主としてローマン・アルファベットで書き写したもので,分量も多く中心的な資料となる.ここには,ルーン文字で記された英語や,同じローマン・アルファベットであっても異なる綴字習慣で表わされた英語なども含まれる.理論上は,近代以降の,日本語の片仮名などで表わされた英語もここに含まれることになる.
 (2) は,英語を観察して書き記したものである.(1) では書かれた英語そのものが研究対象となるのに対して,(2) では書かれた内容が意味をもつ点が異なる.中世,近代の文法家,正音学者,辞書編集者のほか,広い意味での言語観察者の発言が,ここに含まれる.また,英語話者が外国語を観察して書き記したものでも,背景に英語の特徴が反映されているようなものであれば,ここに含まれる.
 (3) 英語の綴字習慣にのっとって他言語を書き記したものは,その他言語についての事実が先に知られている場合には,それとの照応により,英語の対応する事実を推定するのに役立つ.
 (4) 現代の英語のあらゆる変種は,過去の英語の姿を反映しているものであり,生きた英語史の資料となりうる.特に方言は口頭語の古い姿をとどめていることが多く,有用である.
 (5) 他言語に借用された英語表現は,古い時代の英語を知る手がかりになることがある.近代以降,英語は世界中の言語に影響を与えてきており,「○○語へ入った英単語」の総合的な調査が英語史研究でも必要である旨,[2012-02-17-1]の記事「#1026. 18世紀,英語からフランス語へ入った借用語」で説いた.
 (6) 比較言語学的に同系と証明された諸言語の事実や,再建された祖語の意味や形態を援用して,かつての英語の状態やその変化の過程を推定する.

 日本語史と英語史とでは,両言語の言語的,歴史的特徴が異なるために,上記の箇条書きの単純な置き換えでは済まされない.例えば,(1) や (3) で英語の綴字習慣ということに言及したが,時代によってはその同定自体が難しいのが問題となる.特に,中英語以降はフランス語を中心として諸言語の影響を受けているために,英語の綴字習慣と他言語の綴字習慣をどこまで明確に区別できるかという問題がある.日本語史の場合,少なくとも仮名は日本語固有の文字体系であり,他言語との区別が明らかなので,英語史にあるような問題は生じない.また,(3) と (5) については,何らかの例はあるに違いないが,すぐには思いつかない.
 英語史が日本語史に比して明らかに恵まれているのは,(6) である.英語には,比較言語学により2世紀にわたって蓄積されてきた豊富な知識があり,英語史研究にもおおいに貢献している.
 関連して,英語史の研究対象を音声に限定する場合の拠り所としては「#437. いかにして古音を推定するか」 ([2010-07-08-1]) と「#758. いかにして古音を推定するか (2)」 ([2011-05-25-1]) を参照.

 ・ 佐藤 武義 編著 『概説 日本語の歴史』 朝倉書店,1995年.

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2012-03-12 Mon

#1050. postvocalic r のイングランド方言地図について補足 [wave_theory][dialect][rhotic]

 [2012-03-07-1]の記事「#1045. 柳田国男の方言周圏論」で,イングランド英語における方言周圏説の1事例として postvocalic r に言及した.Trudgill (27) の arm 等の発音に関する方言地図は,[2010-07-23-1]の記事「#452. イングランド英語の諸方言における r」で示したが,この地図を見れば,波状の中心がどこかは正確にはわからないがロンドンに近いイングランド南部辺りにあったのではないかという推測は立てられそうだ.この postvocalic r に関する方言周圏説の妥当性について異議を唱えるつもりはないが,今回は,この方言地図を解釈する上での但し書きを加えておきたい.とはいっても,いずれもトラッドギル (186--87) 自身が注意を喚起している点である.
 1つ目は,この地図は armcart 等のいくつかの語に関する方言地図であり,これをもって postvocalic r 全体の方言地図の代表とするわけにはいかないという点である.語彙拡散 (lexical diffusion) などの言語変化理論が説くところによれば,ある言語変化に postvocalic r の消失というようなラベルが貼られたとしても,その変化は,関与する語群に対して必ずしも同時に一律に働くわけではないからだ.地図上のかっこ付きの "(r)" の地域は,語によって r の有無が揺れている地域である.この方言地図はおよその傾向をつかめていることは確かだが,少数の語の方言分布をもって一般的な方言区分を論じることはできないという点は押さえておく必要がある.
 2つ目は,方言地図は,ある言語項目の地理的な変異の分布を示すことを目的としており,社会的な変異は捨象しているという点である.例えば,この地図は,南西イングランドの住民の全員(あるいは少なくとも大多数)が arm において r を発音するかのように描かれているが,r の有無は地理的要因以外にも各種の社会的要因にも左右されうる.例えば,この地域の東縁部では,地図が示すとおりに実際に r を発音するのは「社会的に最下層の老人の話し手だけ」なのである(トラッドギル,p. 186).もちろんこれは方言地図の不備ではなく,方言地図の読み方の注意ということである.
 3つ目は,この方言地図は "Traditional Dialect" ([2012-02-20-1]の記事「#1029. England の現代英語方言区分 (1)」を参照)を表わしたものであり,主として農村部の変種を表現することを目指した地図であるという点だ.Liverpool を含む多くの都市部では r をまったく発音しないが,その事実はこの方言地図には反映されていない.
 [2010-07-23-1]の記事では,「イギリス英語=イングランド英語=non-rhotic」という等式がいかに粗くて不正確かということを強調したが,それを論じるために手段として利用した方言地図それ自身も,言語変化理論や社会言語学的な視点を(方法論上の必要のためにではあるが)捨象しているという点で,やはり粗くて不正確であるということを,ここに記しておきたい.繰り返すが,方言地図の問題というよりも方言地図の読み方の問題である.

 ・ Trudgill, Peter. The Dialects of England. 2nd ed. Oxford: Blackwell, 2000.
 ・ P. トラッドギル 著,土田 滋 訳 『言語と社会』 岩波書店,1975年.

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2012-03-11 Sun

#1049. 英語の多重語と漢字の異なる字音 [kanji][grammatology][doublet][buddhism]

 英語の語源について特に関心をもたれる話題として,2重語 (doublet) や3重語 (triplet) などの多重語がある.英語は,互いに親族関係にある複数の言語(例えばラテン語とフランス語)や方言(例えば中央フランス語とノルマン方言のフランス語)のそれぞれから,多少なりとも異なる時代に,同根語 (cognate) を借用していることが少なくない.多重語は,英語の言語接触の豊富さという観点からみても興味深いし,多重語それぞれの間の形態的,意味的な差をみるのもおもしろい.最近では[2012-02-18-1]の記事「#1027. コップとカップ」で例を取り上げたが,過去の doublet の諸記事でも多くの具体例を挙げてきた.
 日本語における多重語の例としては,[2012-02-18-1]の記事でコップとカップ,ゴムとガム,カルタとカードとカルテなどを挙げた.いずれも洋語からの例だが,実はもっと身近なところに多重語は無数に転がっている.通常,多重語という術語で呼ばれないので見落としているが,冒頭で示した「互いに親族関係にある複数の言語や方言のそれぞれから,多少なりとも異なる時代に,同根語を借用し」た各語を多重語と定義づけるのであれば,漢字の異なる字音はまさに多重語である.
 日本語に於ける漢字の字音(音読み)は,中国語自体の音韻変化と日本語に入った時期により4種類が区別される.以下,佐藤 (63--64) により概説する.まず,古音(上古音・推古音)は推古朝 (592--628) の遺文などで,万葉仮名「意・奇・宜・移・止・里」をそれぞれ「オ・ガ・ガ・ヤ・ト・ロ」と読むもので,現代では用いられない.ついで,呉音は,中国の六朝時代 (229--589) の江南地方音に基づき,日本では古くは6世紀頃から用いられた.主として仏教社会で根付いたもので,現代にも仏教語に多く反映されている.次に,漢音は唐 (618--907) の洛陽あるいは長安の標準音に基づき,日本では7世紀末から平安時代にかけて漢籍の音読などに広く用いられ,朝廷でも正式として奨励された.現在まで最もよく残っている字音である.次に,平安時代末期から,禅宗の伝来や交易によりもたらされたのが唐音(宋音)である.宋 (960--1279) や元 (1271--1368) の南方音に由来するものと,明 (1368--1644) や清 (1616--1912) の南方音に由来するものがある.禅宗文化に関わる語に宋音が残っているが,数は多くない.それぞれの例を示そう.

 呉音漢音唐音
脚気(かっけ)脚本(きゃくほん)行脚(あんぎゃ)
行事(ぎょうじ)行軍(こうぐん)行灯(あんどん)
勧請(かんじょう)招請(しょうせい)普請(ふしん)
下界(げかい)下層(かそう)下火(あこ)
外典(げてん)外国(がいこく)外郎(ういろう)
頭脳(ずのう)頭部(とうぶ)塔頭(たっちゅう)
経文(きょうもん)経済(けいざい)看経(かんきん)


 呉音,漢音,唐音で表わされる音形に対応する語は起源を同じくし,その異なる発音は中国語内での方言的,歴史的な異形にすぎない.したがって,各行の同一漢字で表わされる3語は,読みこそ異なれ,同根語であり3重語である.
 ただし,異なる字音で表わされるこのような多重語が,英語の典型的な多重語,例えば rationreason ([2011-11-27-1]) のような2重語と決定的に異なる点がある.それは,日本語では「脚」なり「行」なりの漢字の字形,視覚に訴える表語文字が,字音の差異を目立たなくしているのに対して,英語では表音文字であるアルファベットを用いているがゆえに,語源に詳しくないかぎり,rationreason のあいだに明らかな関係を見いだすことができないということだ.音を犠牲にし,語を表わす機能を優先させるのが表語文字としての漢字であり,逆に語を犠牲にし,音を表わす機能を優先させるのが表音文字としてのアルファベットであることを考えれば,音声変化によって影響を受けにくいのは漢字のほうであることは明らかだろう.rationreason の発音(聴覚映像)の差異が,漢字では「理」なる一字(視覚映像)のもとへ統合されていると想像すればよいだろうか.
 日本語の漢字使用者は,「脚気」「脚本」「行脚」をそれぞれ正しく読むとき,それと気付かずに多重語の同根確認をしているのである.だが,あまりに慣れすぎているので多重語といわれてもあまり感心しない.それに引きかえ,英語の rationreason は,普段その関係に気付く可能性が低いので,同根だと学ぶとナルホド感が生じるのだろう.

 ・ 佐藤 武義 編著 『展望 現代の日本語』 白帝社,1996年.

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2012-03-10 Sat

#1048. フランス語の公文書で mademoiselle が不使用へ [french][title][address_term][political_correctness][honorific]

 2月21日付の Le Monde の記事 によると,Fillion 首相は,同日付で,公文書において未婚女性の敬称 mademoiselle (略記 Mlle )をできるかぎり使用しないよう,省庁や自治体へ通達した.この敬称の不使用については,昨年9月に活動団体の Osez le féminisme ! や les Chiennes de garde が政府に申し入れており,今回,それが実現した形になる.今後は,従来,典型的に既婚女性に付けられてきた敬称である madame が,女性のための汎用の敬称とされることになる.この点では,Mrs.Miss の統合に際して Ms. なる新敬称が用いられるようになった英語とは事情が異なる.
 英語の Ms. については,[2011-10-09-1]の記事「#895. Miss は何の省略か?」の冒頭に少し触れた通り,近年では公文書では当たり前のように見られるようになった.この新敬称の発生と受容の略史を記せば以下のようになる.Ms. は,1960--70年代のアメリカでの女性解放運動の際に熱心に推奨されたが,英語に初めて現われたのは,実のところ,運動に先立つ1950年代の初期である.ビジネス文書などで,宛先人の女性の既婚未婚が不明だったり不問に付すべき場合のために,人工的に造語され,用いられたものらしい.これが,後に運動家によって担ぎ上げられた.提示された当初は社会的に嘲笑と敵意をもって見られたが,政府機関や出版社が男女平等の方針を打ち出してゆくに従って,次第に受け入れられていった.
 アメリカから発信された Ms. の使用は,国連では早く1973年に正式採用されたが,イギリスでは出遅れた.Romaine (53--54) によると,1998年の時点で,The New York Times は Mrs や Miss の使用をやめていたが,The London Times では特に事情がなければいまだ使用を続けていた.また,The Linguistic Society of America はガイドラインを改訂し,Committee on the Status of Women in Linguistics を設立するなどしたが,The Linguistic Association of Great Britain は男女平等語法への改定案を拒否した.性に関わるPC表現に関するかぎり,全体的に,北米は革新的であり,イギリスやその他の英語圏は一歩遅れており,保守的といえるだろう.また,一般的に,編集方針の変更はあくまで書きことばの上に影響を及ぼすにすぎず,Ms. 等のPC表現の話しことばへの浸透は遅い.
 英語 (Miss) やドイツ語 (Fräulein) で未婚女性の敬称が不使用となる傾向があり,国連その他の公的機関もその方針を支持しているという国際的な情勢からすれば,フランス語の mademoiselle 不使用の方向はごく自然だろう.1960--70年代にアメリカで Ms. が反発を受けたときとは,時代も違う.
 しかし,Ms. について The American Heritage DictionaryUsage Note で述べられているように,"Some women prefer Miss or Mrs., however, and courtesy requires that their wishes be respected." という少数意見にも耳を傾ける必要はあると考える.待遇表現の歴史をみれば,西ヨーロッパ諸語でも日本語でも,絶対敬語から相対敬語の方向へ,あるいは power 重視から solidarity 重視の方向へと流れている.この女性は未婚か既婚か,というステータスそのものに着眼した敬称に固執する必要はないだろうが,その女性がどう呼ばれたいか,呼ぶ側がどう呼びたいかという両者の negotiation の末に決まってくる敬称ならば,Ms. でも Mrs. でも Miss でもかまわないと思う.また,上にも述べたが,書きことばと話し言葉という媒体の違いや formality の違いによっても,使用・不使用の態度の異なるのが現実のようだ.
 関連して,[2009-10-16-1]の記事「#172. 呼びかけ語としての Mr, *Mrs, Miss」を参照.

 ・ Romaine, Suzan. "Introduction." The Cambridge History of the English Language. Vol. 4. Cambridge: CUP, 1998.

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2012-03-09 Fri

#1047. nice の意味変化 [semantic_change][etymology][loan_word]

 英単語の意味変化としてよく知られているものが,いくつかある.[2010-08-13-1]の記事「#473. 意味変化の典型的なパターン」では,古典的な意味変化の類型にしたがって例をいくつか挙げたが,意味の良化 (amelioration) の代表例の1つとして nice を挙げた.評価を伴う形容詞は,「#505. silly の意味変化」 ([2010-09-14-1]) や「#742. amusing, awful, and artificial」 ([2011-05-09-1]) で挙げた語のように,意味を著しく,時には正反対へと変化させることがあるが,この nice も有名な例である.
 現代英語の nice は「よい,すてきな;親切な」の意味で頻用されるが,元をたどると古フランス語 nice "simple, stupid, dull" の1300年頃の借用であり,当初の意味は古フランス語そのままに「愚かな」だった.この古フランス単語は,ラテン語 nescius "ignorant" に遡り,後者は否定接頭辞 ne- と「知っている」を意味する動詞 sciō に基づく形容詞だった.つまり,nice は,英語では「ものを知らない」愚か者を形容する語として出発したのである.
 中英語での「愚かな」の語義での使用例を,Sir Gawain and the Green Knight から見てみよう.以下は,アーサー王が緑の騎士の挑発に怒って述べたことばである(Andrew and Waldron 版より,ll. 322--23).

And sayde: 'Haþel, by heuen þyn askyng is nys,
And as þou foly hatz frayst, fynde þe behoues.


 申し出が「馬鹿げた」ものであるとの解釈は,次行の foly (愚行)からも支持される.中英語では nice は第1義的的に「愚かな」だったことは,MED "nice (adj.)" の語義記述からもわかる.
 14--15世紀には「愚かな」の意味が優勢だったが,15世紀から女性の振る舞いを評価して「臆病な,内気な」の語義を発展させた.同時に「みだらな」も現われており,何をもって愚かな振る舞いとみるか違いが出ているように思われる.16世紀には「気むずかしい,やかましい」が現われ,「細かい」を経由して「繊細な,精密な」とプラス評価への兆しを示した.この最後の語義は,nice distinction (微細な区別)や a nice point of law (法律の微妙な点)などの表現に残っている.18世紀には,プラス評価が確立し,現在の「よい,すてきな」が現われ出した.新旧の語義の入り交じった16--17世紀辺りでは,文脈を精査してもどの語義で用いられているのかが判明しない場合があり,その多義性はきわまりなかった.いくつかの語義は現在までに失われたが,いくつかは現在にまで残っている.
 silly にせよ nice にせよ,評価を伴う形容詞は,捉える人間の価値観一つで,プラス方向にもマイナス方向にもなる.現在でも,silly はプラスの評価(愛情・憐憫)を含めた「馬鹿な」となりうるし,nice はマイナスの評価(皮肉)を込めた「すてきな」となりうる.適切な文脈やイントネーションがなければ,You're a nice fellow. の真意を理解するのは難しい.
 なお,名詞 nicety の意味変化も形容詞と平行して進んだ.当初は「愚かさ」で,現在は「繊細さ;優雅さ」である.英語に nice を供給したフランス語では,形容詞,名詞ともに廃用となっている.

 ・ Andrew, Malcolm and Ronald Waldron, eds. The Poems of the Pearl Manuscript. 3rd ed. Exeter: U of Exeter P, 2002.
 ・ Room, Adrian, ed. NTC's Dictionary of Changes in Meanings. Lincolnwood: NTC, 1991.
 ・ ジョーゼフ T. シップリー 著,梅田 修・眞方 忠道・穴吹 章子 訳 『シップリー英語語源辞典』 大修館,2009年.

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2012-03-08 Thu

#1046. 子音字の重複による複数形の表語性と表意性 [iconicity][reduplication][plural][grapheme][grammatology]

 [2009-07-02-1]の記事「#65. 英語における reduplication」の最後で,pp. (= pages) のような子音字の重複 (reduplication) による特殊な複数形について触れた.書きことば限定の表現ということで,これを "graphemic reduplication" と呼んだが,他に探してみると,あまり知られていないものも含めて以下の9種が見つかった.

cc. = chapters
ff. = following pages, lines, etc.
ll. = lines
mm. = messieurs
pp. = pages
qq. = quartos or questions
ss. = sections
SS. = Saints
vv. = verbs, verses, violins, volumes


 例えば pp. 100--200 のもとにあるのは,"pages 100 to 200" あるいは "page 100 to page 200" であり,ページという概念を2度想起させるので,<p> の文字を2度重ねるという発想だろう.これは,書きことばに反映された iconicity図像性)の一種と考えられる([2009-08-18-1]の記事「#113. 言語は世界を写し出す --- iconicity」を参照).
 さて,上記の表記を読み下す場合には,chapters, lines, pages などと対応する単語の複数形で発音すればよいのだろうが,ff. などは "and (the) following (pages [lines])" などと発音するのだろうか.手元の辞書では,意味は示されているが,読みは示されていない.
 pp. などのようにもとの語句へ容易に展開できる場合には,その表記は略記 (abbreviation) であるとともに表語的 (logographic) であるとみなせる.しかし,ff. のようにもとの語句が必ずしも一意的に定まらない場合には,その表記は表語的というよりは表意的 (ideographic) と呼ぶほうが適切だろう.表意的な表記の特徴は,意味が最重要であり,音(読み)は付随的であるという点にあるから,対応する音(読み)は,言ってしまえばどうでもよい.文字を見て意味をとれれば,必ずしも音読する必要がないのである.[2012-03-04-1]の記事「#1042. 英語におけるの音読みと訓読み」で列挙した i.e. の類も,書きことば専用であり,読みはどうであれ意味がわかればそれでよいという点ではすぐれて表語的であった.
 アルファベットは表音文字の最たるものだが (see ##422,423) ,上記のように,省略という動機づけを得て,表語的に用いられる場合もあるし,さらに表意的に用いられる場合すらあることを見た.文字史では,表意文字→表語文字→表音文字と文字体系が発展してきたと説かれるが,典型的な表音文字にあっても,表語文字や表意文字のもつ機能や価値は部分的に保たれているのである.
 表語的あるいは表意的な文字体系である漢字に慣れている日本語母語話者にとって,英語の ff. のような用法は驚くに値しないだろう.「窪隆」なる漢熟語を見せられれば,「ワリュウ」とは読めなくとも,くぼんだ所ともりあがった所なのだろうなと意味は推測できるし,「堀室」を「コッシツ」と読めなくとも,地下に掘った部屋かなと想像がつく.

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2012-03-07 Wed

#1045. 柳田国男の方言周圏論 [wave_theory][dialect][geography][isogloss]

 「#999. 言語変化の波状説」 ([2012-01-21-1]) や「#1000. 古語は辺境に残る」 ([2012-01-22-1]) で波状説や言語地理学 (linguistic geography) について触れた.日本における同様の説としては,柳田国男 (1875--1962) が『蝸牛考』 (1930) にて提唱した方言周圏論が有名である.
 『蝸牛考』は我が国における言語地理学の最初の論考であり,そこで示された方言周圏論は,1872年に Johannes Schmidt (1843--1901) の発表した the wave theory (Wellentheorie) の日本版といってよい.柳田が Schmidt の説を知っていたかどうかは明らかでないが,フランスの言語地理学については学んでいたようであり,発想の点で間接的に影響を受けていたということは考えられる.
 柳田は,語によって方言ごとに異形の種類はまちまちであることを取り上げ,これを各語の方言量と呼んだ (21) .とりわけ方言量の多い語として,柳田が方言調査のために選んだのが「蝸牛」である.まず,京都を中心とする近畿地方で「デデムシ」の分布が確認される.そのすぐ東側と西側,中部や中国では「マイマイ」が分布しており,さらにその外側,関東や四国では「カタツムリ」の地域が広がっている.その外縁を形成する東北と九州では「ツブリ」が,そのまた外側に位置する東北北部と九州西部では「ナメクジ」の地域が見られる.蝸牛の呼称の等語線 (isogloss) は,細かくみれば,多くの言語項目の方言線と同様に錯綜しているが,図式化すれば以下のようになる(波線で表わした長方形は日本列島に相当).

kagyuukou

 ここから推定されるのは,蝸牛を表わす語が,時期を違えて次々と京都付近で生まれ,各々が同心円状に外側に広がっていったという過程である.逆からみると,最も外側に分布する語が最古層を形成し,内側にゆくにしたがって新しい層となり,京都にいたって最新層に出会う.地層を観察すればかつての地質活動を推定できるのと同様に,方言分布を観察すればかつての言語項目の拡散の仕方を推定できることを,柳田は蝸牛語によって実証的に示したのである.なお,「ナメクジ」のさらに古層として周縁部に貝類の総称としての「ミナ」が分布しているというのも興味深い(柳田,pp. 149--50).
 蝸牛語の実証はみごとだが,後に柳田自身も述べている通り,方言周圏論は方言分布の解釈の1つにすぎない.語彙についてはある程度うまく説明することができても,音韻やアクセントの分布では,むしろ中心こそ保守的な特徴を保つとされ,方言周圏論は適用できない.語彙についてさえ,各地で独立に新形態が生まれる多元発生説も唱えられている.また,新形態の拡大は,必ずしも地を這って進むとは限らないという考えもある.
 方言周圏論あるいは波状説について日本語と英語とで異なっている点は,日本語では,近世前期までは,主要な言語変化は京都を中心とすると考えておよそ間違いないが,英語では必ずしもロンドンを中心とする革新ばかりではなかったという点だ.ロンドンを中心とする南イングランドが言語革新の発信地となって,それが同心円状に各地へと伝播してゆく過程は,確かにある.[2010-07-23-1]の記事「#452. イングランド英語の諸方言における r」で紹介した,18世紀後半の postvocalic r の消失が代表例だ.一方で,[2011-11-24-1]の記事「#941. 中英語の言語変化はなぜ北から南へ伝播したのか」で取り上げたイングランド北部や東部を発信地とする言語変化も多く確認される.したがって,方言周圏論の立場から見ると,イングランドは南北両方から発信された同心円が錯綜し,複合的な方言状況を呈しているということになる.

 ・ 柳田 国男 『蝸牛考』 岩波書店,1980年.

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2012-03-06 Tue

#1044. 中英語作品,Chaucer,Shakespeare,聖書の略記一覧 [chaucer][shakespeare][bible][bibliography][literature]

 Chaucer など中英語の文学テキストをはじめとして,英語史で引用されることの多い主要な作品の略記を一覧にしておくと便利である.そこで,『英語語源辞典』 (xvii--xx) より,中英語作品,Chaucer,Shakespeare,聖書の書名の略記を抜き出した.関連して MEDHyperBibliography も参照.

ME期主要作品の成立年代と作品名(MED による略形)
?lateOELambeth Homilies
a1121--60Peterb. Chron. = Peterborough Chronicle
c1175Body & Soul
?c1175Poema Morale
?a1200Ancrene Riwle
?a1200Layamon Brut
?c1200St. Juliana
?c1200St. Katherine
?c1200St. Margaret
?c1200Hali Meidenhad
?c1200Sawles Warde
?c1200Ormulum
c1200Vices & Virtues
?c1225Horn
c1250Owl & Nightingale
c1250Floris
c1250Genesis & Exodus
c1275Kentish Sermons
?a1300Kyng Alisaunder
?a1300Richard Coer de Lyon
c1300Havelok
c1300Gloucester Chronicle
c1300South English Legendary
c1303Mannyng Handlyng Synne
a1325Cursor Mundi
c1330Orfeo
a1333Shoreham Poems
a1338Mannyng Chronicle
1340Ayenbite
c1340Rolle Psalter
c1350Prose Psalter
c1353Wynnere & Wastoure
a1375William of Palerne
1375Barbour The Bruce
a1376Piers Plowman A
a1378Piers Plowman B
?c1380Cleanness
?c1380Patience
?c1380Pearl
c1384Wycl. Bible (1) = Wycliffite Bible
c1386St. Erkenwald
?a1387Piers Plowman C
a1387Trevisa Polychronicon
?c1390Gawain = Sir Gawain and the Green Knight
a1393Gower Confessio Amantis
c1395Wycl. Bible (2) = Wycliffite Bible
?c1395Pierce the Ploughman's Creed
a1396Hilton Scale of Perfection
a1398Trevisa Bartholomew
?a1400Destruction of Troy
?a1400Morte Arthure
c1400Mandeville
?a1425Polychronicon (Harley)
?a1425Chauliac (1) = Guy de Chauliac's Grande Chirurgie
?c1425Chauliac (2) = Guy de Chauliac's Grande Chirurgie
?a1438MKempe = Book of Margery Kempe
1440Promp. Parv. = Promptorium Parvulorum
?a1450Gesta Romanorum
a1470Malory

Chaucer 作品名の略形(MED による略形)
ABCAn ABC
AdamChaucers Wordes Unto Adam, His Owne Scriveyn
Anel.Anelida and Arcite
Astr.A Treatise on the Astrolabe
Bal. Ch.A Balade of Complaint
BDThe Book of the Duchess
Bo.Boece
Buk.Lenvoy de Chaucer a Bukton
Comp. A.Complaynt D'Amours
Comp. L.Complaint to His Lady
CT.The Canterbury Tales
CT. Cl.The Clerk's Prologue and Tale
CT. Co.The Cook's Prologue and Tale
CT. CY.The Canon's Yeoman's Prologue and Tale
CT. Fkl.The Franklin's Prologue and Tale
CT. Fri.The Friar's Prologue and Tale
CT. Kn.The Knight's Tale
CT. Mch.The Merchant's Prologue, Tale, and Epilogue
CT. Mk.The Monk's Tale
CT. Mcp.The Manciple's Prologue and Tale
CT. Mel.The Tale of Melibee
CT. Mil.The Miller's Prologue and Tale
CT. ML.The Man of Law's Introduction, Prologue, Tale, and Epilogue
CT. Mk.The Monk's Prologue and Tale
CT. NP.The Nun's Priest's Prologue, Tale, and Epilogue
CT. Pard.The Pardoner's Introduction, Prologue, and Tale
CT. Pars.The Parson's Prologue and Tale
CT. Ph.The Physician's Tale
CT. Pri.The Prioress's Prologue and Tale
CT. Prol.General Prologue
CT. Rt.Chaucer's Retraction
CT. Rv.The Reeve's Prologue and Tale
CT. Sh.The Shipman's Tale
CT. SN.The Second Nun's Prologue and Tale
CT. Spurious Pard. Sh. LinkThe Spurious Pardoner-Shipman Link
CT. Sq.The Squire's Introduction and Tale
CT. Sum.The Summoner's Prologue and Tale
CT. Th.The Prologue and Tale of Sir Thopas
CT. WB.The Wife of Bath's Prologue and Tale
Form. A.The Former Age
Fort.Fortune
Gent.Gentilesse
HFThe House of Fame
LGWThe Legend of Good Women
LGW Prol.Prologue
L. St.Lak of Stedfastnesse
MarsThe Complaint of Mars
Merc. B.Merciles Beaute
PFThe Parliament of Fowls
PityThe Complaint unto Pity
Prov.Proverbs
PurseThe Complaint of Chaucer to His Purse
Rosem.To Rosemounde
RRoseThe Romaunt of the Rose
Scog.Lenvoy de Chaucer a Scogan
TCTroilus and Criseyde
TruthTruth
Ven.The Complaint of Venus
W. Unc.Against Women Unconstant

Shakespeare 作品名の略形(The Riverside Shakespeare (1974) による略形)
AWWAll's Well That Ends Well
AYLAs You Like It
AdoMuch Ado About Nothing
AntAntony and Cleopatra
CorCoriolanus
CymCymbeline
ErrThe Comedy of Errors
1H41 Henry IV
2H42 Henry IV
H5Henry V
1H61 Henry VI
2H62 Henry VI
3H63 Henry VI
H8Henry VIII
HamHamlet
JCJulius Caesar
JnKing John
LCLover's Complaint
LLLLove's Labour's Lost
LrKing Lear
LucThe Rape of Lucrece
MMMeasure for Measure
MNDA Midsummer-Night's Dream
MVThe Merchant of Venice
MWWThe Merry Wives of Windsor
MacMacbeth
OthOthello
PerPericles
PhoeThe Phoenix and Turtle
R2Richard II
R3Richard III
RJRomeo and Juliet
ShrThe Taming of the Shrew
SonSonnets
TCTroilus and Cressida
TGVThe Two Gentlemen of Verona
TNKThe Two Noble Kinsmen (with Fletcher)
TNTwelfth Night
TemTempest
TimTimon of Athens
TitTitus Andronicus
VAVenus and Adonis
WTThe Winter's Tale

英訳聖書 (AV) 書名の略形
ActsThe Acts of the Apostles
AmosAmos
1 Chron.The First Book of the Chronicles
2 Chron.The Second Book of the Chronicles
Col.The Epistle of Paul the Apostle to the Colossians
1 Cor.The First Epistle of Paul the Apostle to the Corinthians
2 Cor.The Second Epistle of Paul the Apostle to the Corinthians
Dan.The Book of Daniel
Deut.The Fifth Book of Moses, called Deuteronomy
Eccles.Ecclesiastes, or the Preacher
Ephes.The Epistle of Paul the Apostle to the Ephesians
Esth.The Book of Esther
Exod.The Second Book of Moses, called Exodus
Ezek.The Book of the Prophet Ezekiel
EzraEzra
Gal.The Epistle of Paul the Apostle to the Galatians
Gen.The First Book of Moses, called Genesis
Hab.Habakkuk
Hag.Haggai
Heb.The Epistle of Paul the Apostle to the Hebrews
Hos.Hosea
Isa.The Book of the Prophet Isaiah
JamesThe General Epistle of James
Jer.The Book of the Prophet Jeremiah
JobThe Book of Job
JoelJoel
JohnThe Gospel according to St. John
1 JohnThe First Epistle General of John
2 JohnThe Second Epistle of John
3 JohnThe Third Epistle of John
JonahJonah
Josh.The Book of Joshua
JudeThe General Epistle of Jude
JudgesThe Book of Judges
1 KingsThe First Book of the Kings
2 KingsThe Second Book of the Kings
Lam.The Lamentations of Jeremiah
Lev.The Third Book of Moses, called Leviticus
LukeThe Gospel according to St. Luke
Mal.Malachi
MarkThe Gospel according to St. Mark
Matt.The Gospel according to St. Matthew
Mic.Micah
Nah.Nahum
Neh.The Book of Nehemiah
Num.The Fourth Book of Moses, called Numbers
Obad.Obadiah
1 Pet.The First Epistle General of Peter
2 Pet.The Second Epistle General of Peter
Philem.The Epistle of Paul to Philemon
Philip.The Epistle of Paul the Apostle to the Philippians
Prov.The Proverbs
Ps.The Book of Psalms
Rev.The Revelation of St. John the Divine
Rom.The Epistle of Paul the Apostle to the Romans
RuthThe Book of Ruth
1 Sam.The First Book of Samuel
2 Sam.The Second Book of Samuel
Song of Sol.The Song of Solomon
1 Thess.The First Epistle of Paul the Apostle to the Thessalonians
2 Thess.The Second Epistle of Paul the Apostle to the Thessalonians
1 Tim.The First Epistle of Paul the Apostle to Timothy
2 Tim.The Second Epistle of Paul the Apostle to Timothy
TitusThe Epistle of Paul to Titus
Zech.Zechariah
Zeph.Zephaniah
外典 (Apocrypha)
BaruchBaruch
Bel and DragonThe History of the Destruction of Bel and the Dragon
Ecclus.The Wisdom of Jesus the Son of Sirach, or Ecclesiasticus
1 Esd.I. Esdras
2 Esd.II. Esdras
JudithJudith
1 Macc.The First Book of the Maccabees
2 Macc.The Second Book of the Maccabees
Pr. of ManThe Prayer of the Manasses
Rest of EstherThe Rest of the Chapters of the Book of Esther
Song of Three ChildrenThe Song of the Three Holy Children
SusannaThe History of Susanna
TobitTobit
Wisd. of Sol.The Wisdom of Solomon


 ・ 寺澤 芳雄 (編集主幹) 『英語語源辞典』 研究社,1997年.

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2012-03-05 Mon

#1043. mind の語根ネットワーク [etymology][indo-european][cognate][word_family]

 [2012-03-01-1]の記事「#1039. 「心」と -ment」でラテン語 mens (心)を取りあげた.この語は印欧祖語の *men- (考える)に遡り,予想される通り,この語幹から派生した語はおびただしい.そして,多くが直接あるいは間接に英語の語彙にも定着している.現代英語に確認される *men- 派生語の一部を,借用元言語別に図示してみよう.これらは,『英語語源辞典』の印欧語根表から取り出した語群である.

IE stem men- and Its Word Family

 これらの語それ自体が基体となって,さらに派生や複合により関連語が形成されているので,*men- に由来する単語の家族は相当な大きさになる.福島先生の『英語派生語語源辞典』により,できるかぎり挙げてみると,上の語群と重複もあるが,以下の通り.

commemorate, commemoration, memory, memoir, memorandum, memo, memorial, immemorial, immemorially, memorable, memorability, memorabilia, immemorable, memorialize, memorize, memorization, memento, mental, mentally, mentality, mention, mentionable, mentor, mnemonic, mnemonics, amentia, amnesia, amnesty, comment, commentary, commentation, dement, dementia, mind, mindful, mindfully, mindless, remember, remembrance, remind, reminder, reminisce, reminiscence, reminiscent; admonish, admonition, demonstrate, demonstrate, demonstrative, monition, monitor, monster, monstrous, monstrosity, remonstrate, remonstrance; vehement, vehemence


 ある印欧語根を選ぶと,このような語源的な word family の図がさっと表示されるようなツールがあるとよいのだが・・・.

 ・ 寺澤 芳雄 (編集主幹) 『英語語源辞典』 研究社,1997年.
 ・ 福島 治 編 『英語派生語語源辞典』 日本図書ライブ,1992年.
 ・ Watkins, Calvert, ed. The American Heritage Dictionary of Indo-European Roots. 2nd Rev. ed. Boston: Houghton Mifflin, 2000.

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2012-03-04 Sun

#1042. 英語における音読みと訓読み [japanese][kanji][grammatology][spelling_pronunciation_gap][french][acronym]

 日本語の漢字という文字体系がもつ,極めて特異な性質の1つに,音読みと訓読みの共存がある.多くの漢字が,音と訓というまったく異なる発音に対応しており,場合によっては音読みには呉音,漢音,唐宋音(例として,脚気,脚本,行脚)が区別され,訓読みにも熟字訓などを含め複数の読みが対応することがある.1つの文字に互いに関連しない複数の音形があてがわれているような文字体系は,世界広しといえども,現代では日本語の漢字くらいしかない.歴史を遡れば,シュメール語 (Sumerian) の楔形文字にも漢字の音と訓に相当する2種類の読みが認められたが,いずれにせよ非常に珍しい文字体系であることは間違いない.
 しかし,この漢字の特異性は,音と訓が体系的に備わっているという点にあるのであって,散発的にであれば英語にも似たような綴字と発音の関係がみられる.それは,ラテン語の語句をそのままの綴字あるいは省略された綴字で借用した場合で,(1) ラテン語として発音するか頭字語 (acronym) として発音する(概ね音読みに相当),あるいは (2) 英語へ読み下して(翻訳して)発音するか(訓読みに相当)で揺れが認められることがある.具体例を見るのが早い.以下,鈴木 (146--48) に補足して例を挙げる.

表記(綴字)ラテン語(音読み)英語読み下し(訓読み)
cf.confer, /siː ˈɛf/(compare)
e.g.exempli gratia, /iː ˈʤiː/for example
etc.et cetera, /ˌɛt ˈsɛtərə/and so on
i.e.id est, /ˌaɪ ˈiː/that is
viz.videlicet, /vɪz/namely
vs.versus, /ˈvɜːsəs/against

 同様に,フランス語にもいくつかの例がある.
表記(綴字)ラテン語(音読み)仏語読み下し(訓読み)
1oprimo /primo/premièrement
2osecundo /səgɔ̃do/deuxièmement
3otertio /tɛrsjo/troisièmement
id.idem /idɛm/la même
N.B.nota bene /nɔta bene/note bien
op. cit.opere citatoà l'ouvrage cité


 英語を解する日本語学習者に,日本語の漢字の特異な音訓2面性を理解してもらうためには,英語のこのような例を示せばよいことになる.英仏語の類似現象に対応させて漢字の音訓2面性の意義を改めて考えてみると,漢字を理解している日本語話者が,常日頃,非常に高度なことをしていることがわかる.漢字仮名交じり文を読んでいるとき,漢字の図像を通じて漢語(音)と和語(訓)を常にマッチングさせているのであり,一種の同時翻訳をしていることになる.これは,バイリンガルも同然だ.

 ・ 鈴木 孝夫 『日本語と外国語』 岩波書店,1990年.

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2012-03-03 Sat

#1041. COCA の "ANALYZE TEXT" [coca][corpus][web_service][academic_word_list][text_tool]

 COCA ( Corpus of Contemporary American English ) を運営する Mark Davies 氏が,[2012-01-08-1]の記事「#986. COCA の "WORD AND PHRASE . INFO"」で紹介した機能 (Frequency List) に加え,英文を投げ込むとCOCAベースで各語に関する諸情報を色づけして返してくれるサービス WORD AND PHRASE . INFO, ANALYZE TEXT を公開した.
 適当な英文を投げ込むと,各単語が頻度レベルによって色分けされた状態で返される.上位500語までの超高頻度語は青,3,000語までの高頻度語は緑,それ以下の頻度の語は黄色で示されるほか,academic word が赤字として返される.文章内でのそれぞれの割合も示され,その語彙リストを出すことも容易だ.各語はクリッカブルで,クリックすると用例のサンプルが KWIC で右下ペインに表示される.また,左下ペインには類義語が現われる.以下は,昨日の記事「#1040. 通時的変化と共時的変異」 ([2012-03-02-1]) に引用した英文を投げ込んでのスクリーンショット.

COCA Analyze Text

 英文を書くときには collocation や synonym を調べながら書くことが多いので,使い方次第では英作文学習に威力を発揮しそうだ.ある文章の academic 度を判定するのにも使える.Academic Word List に含まれる語彙の含有度ということでいえば,[2010-12-30-1]の記事「#612. Academic Word List」で挙げた The AWL Highlighter も類似ツールだ.

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2012-03-02 Fri

#1040. 通時的変化と共時的変異 [diachrony][variation][language_change]

 [2012-02-16-1]の記事「#1025. 共時態と通時態の関係」で触れたが,diachronic change (通時的変化)と synchronic variation (共時的変異)とは1つの現象の2つの側面である.changevariation もともに「変化」と訳されることがあるが,それぞれの概念はむしろ対置されるものである.上でそれぞれ形容詞をつけたように,change とは通時的な概念であり,時間軸に沿った変化(へんか)である.一方,variation とは共時的な概念であり,異なる形式が言語内外の諸要因により交替する変化(へんげ)である.
 前段落で述べたことを,動詞 changevary の定義により改めて示そう.OALD8 の定義に基づいて整理すると次のようになる.

 ・ to change: pass from one state or form into another
 ・ to vary: be different according to the situation


 さらに図で示せば次の通り.

Diachronic Change and Synchronic Variation

 通時と共時の両軸が交差する点が個々の言語項目ということになり,そこには change と variation のエネルギーがともに潜在している.
 言語変化を考える上で,両者の関係を理解しておくことは重要である.Vogt (367) から関係する箇所を引用しよう.

At any moment between the initiation and the conclusion of these changes we have a state characterized by the presence of more or less free variants, so that the speakers have the choice between alternative expressions. In each case the choice will be determined by an interplay of factors, some linguistic, some esthetic and social, an interplay so complex that most often the choice will appear as being due to pure chance. At any moment of this long period the French phonemic system would have to be described in such a way that the relations between these variants would be accounted for, because, in my opinion, these relations, however complex they may be, are themselves part of the system. What therefore in the history of a linguistic system appears as a change will in a synchronic description appear as a more or less free variation between different forms of expression, equally admissible within the system. Let it be added that this statement cannot be reversed: every free variation within the system will not, in the time dimension, correspond to a change. It is important to stress this aspect of systems, because without admitting a fair latitude of variation within a system, it is difficult to see how structures could change at all.


 ・ Vogt, Hans. "Contact of Languages." Word 10 (1954): 365--74.

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2012-03-01 Thu

#1039. 「心」と -ment [adverb][suffix][flat_adverb][hybrid]

 [2012-02-27-1]の記事「#1036. 「姿形」と -ly」に対応させて,標題を掲げた.今日は,英語とも間接的に関係する,フランス語の副詞接尾辞についてである.
 フランス語では,形容詞の女性形に接尾辞 -ment を付加すると副詞になる (ex. difficilement "difficultly", régulièrement "regularly", sûrement "surely" ) .これらの例は,いずれも基体が(若干変形して)英語へ借用されており,英語ではそれぞれ語尾が -ly に置きかえられている.機能や生産性の点で,フランス語の -ment と英語の -ly の対応は明らかである.フランス語との接触は,英語で -ly が副詞語尾として確立しつつあった時期だったために,副詞語尾としての -ment は,接尾辞単体としても派生語の部品としても,ついぞ英語へは借用されなかった.
 さて,このフランス語の副詞接尾辞 -ment は,ラテン語 mens (心)の奪格 mente に由来する (島岡,pp. 68--69) .「姿形」により副詞を作る日英語と「心」により副詞を作るフランス語の対比がおもしろい.mens は女性名詞であるため,これを修飾する形容詞が女性形で前置され,全体として副詞的に用いられた.これは,オヴィディウスによるラテン語の placida mente (静かな心で)のような表現に対応するが,文学的な表現だったようで,東ロマニアには伝わらなかったものの西ロマニアでは広く行なわれるようになった.
 上記のように,mens は本来名詞だったので,古仏語では『ローランの歌』にみられるように humle et dulcement (つつましく,穏やかに)のように,並列された最初の要素が形容詞のまま残されている例がある.現代フランス語ではこの用法は見られないが,現代スペイン語では amarga y cruelmente (苦々しく残忍な仕方で)と用いられる.また,背景は異なるが,表面的に似たような構造は英語にも見られる.以下は,岩本・田島 (39) より,Shakespeare から引いた例である.

And I, most jocund, apt and willingly, To do you rest, a thousand deaths would die (TN 5.1.132--3). / And here the smug and silver Trent shall run In a new channel, fair and evenly (1H4 3.1.102).


 現代フランス語では -ment は完全に接尾辞化したので,表現に重みを加えるために d'une manière . . .de façon . . . の迂言形が発達している.ラテン語の placida mente 構造の再来といっていいだろう.なお,英語にも in a . . . manner/way などとする平行的な表現がある.
 副詞を作る接尾辞 -ment と同形にて非なるものが,名詞を作る接尾辞 -ment である.こちらはラテン語 -mentum に由来し,名詞接辞 -men と過去分詞接辞 -tum の合わさったものである.フランス語で -ment をもつ名詞は,基体の語源をラテン語にもつものが少ないことから,俗ラテン語や古仏語の段階になって本格的に現われたと考えられる (島岡,p. 60) .この接尾辞は,それによる多くの派生語とともに英語にも入った (ex. appointment, government, harassment, payment, statement ) .英語に入ってからは,本来語の基体をもつ amazement, onement, wonderment のような混種語 ( hybrid ) も形成されている.

 ・ 島岡 茂 『フランス語の歴史』第4版,大学書林,1993年.
 ・ 岩本弓子,田島松二 「シェイクスピアにおける単純形副詞 (Flat Adverb) について」『言語科学』第29巻,1994年,29--41頁.

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最終更新時間: 2018-09-19 09:22

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