hellog〜英語史ブログ     ChangeLog 最新     カテゴリ最新     1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 次ページ / page 1 (15)

terminology - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2022-07-02 11:50

2022-07-02 Sat

#4805. vernacular をキーワードとして英語史を眺めなおすとおもしろそう! [vernacular][terminology][standardisation][prestige]

 先日,立命館大学の岡本広毅先生と Voicy で雑談をしました.6月21日に「#386. 岡本広毅先生との雑談:サイモン・ホロビンの英語史本について語る」と題して公開しましたが,会話のなかで浮上してきた vernacular というキーワードに焦点が当たり,実質的には vernacular を巡るトークとなりました.



 それ以後,vernacular という用語のもつニュアンスをもっと深く探ってみたいと思い,調べ始めています.ここ数日の hellog でも「#4804. vernacular とは何か?」 ([2022-06-22-1]),「#4809. OEDvernacular の語義を確かめる」 ([2022-06-27-1]),「#4812. vernacular が初出した1601年前後の時代背景」 ([2022-06-30-1]) の記事を書いてきましたが,vernacular は,英語史の観点からも,中世の諸方言,初期近代のラテン語との相克,現代の世界英語 (world_englishes) の議論へとつながり得る,射程の広い概念だなあと思うようになりました.
 vernacular について英語史上の関心から有用な文献は,岡本氏ご自身による論文です.「中世の英語文学とヴァナキュラーとしての歩み:チョーサー,地方語,周縁性」を教えていただき,拝読しました(岡本さん,ありがとうございます!).世界英語の話題から説き起こし,英語史と中世英文学史を概観した後で,チョーサーの英語観へと議論が進んでいきます.
 66--67頁より以下の1節を読み,「ヴァナキュラー」の観点から英語(史)を捉えてみると新たな発見がありそうだと思いました.

 「ヴァナキュラー」を巡る意味の拡張・転用は,時代や価値観の変遷をみる上で興味深い。ウェルズ恵子はヴァナキュラー文化について,「たとえ過去の文化を扱っていても,その分析は必ず現在の文化を知るための鍵になる。ヴァナキュラー文化は権威の箱に収まることなく連続し,変化しながら生き続けているもの」(vi)と述べる。ヴァナキュラー文化の理解には歴史的考察と変化に対する柔軟な姿勢が望まれよう。また,小長谷英代はヴァナキュラー研究の有用性について,「〈ヴァナキュラー〉の語感にともなう意味の多義性,特に土地との連想や周辺的なもの,雑多なもの,劣位のものといった否定的なニュアンスの奥行きが,近代思想・学問の主流や正統に軽視・無視されてきた文化,社会,歴史の文脈に光をあてる手がかりとなっている」(2018, 221)と指摘する。
 英語は「権威の箱」に収まることなく変化し生き続け,「否定的なニュアンスの奥行き」を追求してきた言語である。約1500 年に及ぶ英語の歩みは〈周縁〉から〈中心〉,〈地方〉から〈世界〉へと至る一ヴァナキュラー言語の躍進の軌跡といえよう。英語の現状からすれば意外に映るが,それは元々ヨーロッパ北西で話されていた一地方語に過ぎなかった。


 現代の世界諸英語の大半は確かに「権威の箱」に収まっていませんが,一方,標準英語 (Standard English) はその箱に収まっています.言語と権威 (prestige) や言語の標準化 (standardisation) を論じるあたっても,vernacular という視点は役に立ちそうです.
 関連して,本日公開した Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」「#397. 言葉のスタンダードとは何か? --- 『言語の標準化を考える』へのコメントをお寄せください!」もお聴きください.

 ・ 岡本 広毅 「中世の英語文学とヴァナキュラーとしての歩み:チョーサー,地方語,周縁性」『立命館言語文化研究』33.3,2022年.65--83頁.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2022-06-27 Mon

#4809. OEDvernacular の語義を確かめる [oed][vernacular][terminology]

 「#4804. vernacular とは何か?」 ([2022-06-22-1]) で vernacular の意味について考えた.初期近代英語期に初めてラテン語から導入されたこの単語は,21世紀の世界英語 (world_englishes) 現象を考える上でキーワードとなりうる.権力をもった言語(英語史の観点からは典型的にラテン語)に対する土着の言語(イングランドで日常的に用いられた英語)としての英語を指す言葉だが,今や英語こそがかつてのラテン語のような社会的に威信をもつ言語となってしまっているので,見方によっては英語を vernacular と呼ぶことは皮肉な響きを伴う.
 この観点からすると,英単語として英語を指す vernacular は手垢のついた用語といえなくもない.だが,その点でいえば類義語である folkindigenous も似たようなものだろう.「手垢」に対処するには,この単語の歴史的な用法をひもといてみる必要がある.OED の vernacular, adj. and n. の項をじっくり読んでみた.  *
 この語の語源であるラテン語 vernāculus は,英語には1601年に「英語で書く(作家)」ほどを意味する形容詞として次の例文にて文証される.

1601 Bp. W. Barlow Def. Protestants Relig. 2 A vernaculer pen-man..hauing translated them into English.


 私たちにとって最も重要な語義は,言語を形容する用法で OED の定義2aとして次のように初出する.

2.
a. Of a language or dialect: That is naturally spoken by the people of a particular country or district; native, indigenous.
 Usually applied to the native speech of a populace, in contrast to another or others acquired for commercial, social, or educative purposes; now frequently employed with reference to that of the working classes or the peasantry.
   1647 J. Howell New Vol. of Lett. 149 This [sc. Welsh] is one of the fourteen vernacular and independent tongues of Europe.


 その後,遅れて17世紀後半,そして18世紀以降になって,文学や芸術などにも適用されていく.しかし,もとのラテン語 vernāculus が言語の形容に限らず一般的に土着性を表わすのに用いられたのに対して,英語では借用の初期にはとりわけ言語(周辺)の話題に限定して用いられていたというのが特徴的である.現在でも,辞書の記載としては言語以外の対象を形容するのに用いられ得るものの,基本的には言語との関連が深い形容詞といってよい.
 ちなみに「土着の言語」を意味する名詞用法としては,18世紀初めの次の例が初出である.

a1706 J. Evelyn Hist. Relig. (1850) I. vii. 427 It is written in the Chaldæo-Syriac, which was..the vernacular of our Lord.


 このように英単語としての vernacular の用法は,言語への執着が強い.それは,やはり威信あるラテン語に対する威信なき英語という構図が前提にあったからだろう.それが,いまや威信ある(標準)英語と威信なき(非標準)○○語の構図を想起させる文脈で用いられることが増えてきたというのは,意味深長である.

Referrer (Inside): [2022-07-02-1] [2022-06-30-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2022-06-22 Wed

#4804. vernacular とは何か? [terminology][sociolinguistics][vernacular][world_englishes][diglossia]

 昨日の Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」で,立命館大学の岡本広毅先生と対談ならぬ雑談をしました.「#386. 岡本広毅先生との雑談:サイモン・ホロビンの英語史本について語る」です.



 昨秋にも「#173. 立命館大学,岡本広毅先生との対談:国際英語とは何か?」と題して対談していますので,よろしければそちらもお聴きください.
 さて,今回の雑談は,Simon Horobin 著 The English Language: A Very Short Introduction を巡ってお話ししようというつもりで始めたのですが,雑談ですので流れに流れて vernacular の話しにたどり着きました.とはいえ,実は一度きちんと議論してみたかった話題ですので,おしゃべりが止まらなくなってしまいました.
 ただ,偶然にこの話題にたどり着いたわけでもありません.岡本先生は立命館大学国際言語文化研究所のプロジェクト「ヴァナキュラー文化研究会」に所属されているのです! Twitter による発信もしているということで,こちらからどうぞ.
 vernacular は英語史や中世英語英文学を論じる際には重要なキーワードです.さらに21世紀の世界英語を論じるに当たっても有効な概念・用語となるかもしれません.hellog でも真正面から取り上げたことはなかったので,今回の岡本先生との雑談を機に,これから少しずつ考えていきたいと思います.
 英語史の文脈で出てくる vernacular は,中世から初期近代にかけて公式で威信の高い国際語としてのラテン語に対して,イングランドの人々が母語として日常的に用いていた言語としての英語を指すのに用いられます.要するに vernacular とは「英語」のことを指すわけですが,常にラテン語との対比が意識されているものとしての「英語」を指すというのがポイントです.diglossia の用語でいえば,H(igh variety) のラテン語に対する L(ow variety) の英語という構図を念頭に置いた L のことを vernacular と呼んでいるわけです.
 いくつか辞書を引いて定義を見てみましょう.

noun
1 (usually the vernacular) [singular] the language spoken in a particular area or by a particular group, especially one that is not the official or written language
2 [uncountable] (technical) a style of architecture concerned with ordinary houses rather than large public buildings (OALD8)


noun [C usually singular]
1. the form of a language that a regional or other group of speakers use naturally, especially in informal situations
   - The French I learned at school is very different from the local vernacular of the village where I'm now living.
   - Many Roman Catholics regret the replacing of the Latin mass by the vernacular.
2. specialized in architecture, a local style in which ordinary houses are built
3. specialized dance, music, art, etc. that is in a style liked or performed by ordinary people (CALD3)


noun [countable] [usually singular]
the language spoken by a particular group or in a particular area, when it is different from the formal written language (MED2)


n 土地ことば,現地語,《外国語に対して》自国語;日常語;《ある職業・集団に特有の》専門[職業]語,仲間ことば;《動物・植物に対する》土地の呼び名,(通)俗名(=~ name);土地[時代,集団]に特有な建築様式;《建築・工芸などの》民衆趣味,民芸風.(『リーダーズ英和辞典第3版』)


 その他『新英和大辞典第6版』で vernacular の見出しのもとに挙げられている例文が,英語史の文脈での典型的な使い方となります."Latin gave place to the vernacular." や "In Europe, the rise of the vernaculars meant the decline of Latin." のように.また,『新編英和活用大辞典』からは "English has given place to the vernacular in that part of Asia." という意味深長な例文が見つかりました.
 上記「ヴァナキュラー文化研究会」の Twitter の見出しからも引用しておきましょう.

《ヴァナキュラー》とは権威に保護されていないもの、日常生活と共に動く俗なもの。非主流・周縁・土着。本研究は、変容し生き続ける文化の活力に迫る。


 vernacular とは何か,今後も考え続けていきたいと思います.

 ・ Horobin, Simon. The English Language: A Very Short Introduction. Oxford: OUP, 2018.
 ・ Horobin, Simon. How English Became English: A Short History of a Global Language. Oxford: OUP, 2016.

Referrer (Inside): [2022-07-02-1] [2022-06-27-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2022-06-21 Tue

#4803. 「英語」「英語複合体」「諸英語」 [terminology][world_englishes][elf][variety][model_of_englishes]

 世界英語の問題と関連して,Rubdi and Saraceni が Tom McArthur にインタビューした記事を読んだ.2006年の議論なので,今となっては古いといえば古いと思われるかもしれないが,McArthur の問題意識は予言的な鋭さをもっており,現代の英語論においても十分に参考になる.
 ポイントは,英語という言語の対象を (1) 「英語」 (the English language),(2) 「英語複合体」 ('the English language complex'),(3) 「諸英語」 ('the Englishes', 'the English languages') の3つの層で考えるのがよいのではないかという提案だ.Rubdy and Saraceni (29) から,インタビューの問答を聞いてみよう.

Q9 In some countries of Asia and Africa, English has become 'nativized' and begun to be considered an Asian or African language, and not one that is owned exclusively by any one speech community. For this reason some sociolinguists are of the view that it may be more realistic to recognize a plurality of standards. Given this view, if 'the English language' needs to be pluralized into 'the English languages', what does ELT stand for?

A9 I'm glad you raised this one. It fits my own observations over many years, as summed up in The English Languages (Cambridge, 1998). English is such an immense language that for me it has been essential to have at least three models. First there is English as a 'conventional' language ('the English language'), useful on a day-to-day basis but for me only the starting point for the second model ('the English language complex'), which has many varyingly distinct subentities, and finally to the third model of English as a continuum of recognizably distinct languages ('the Englishes', 'the English languages'), dominated by the educated standards of various countries that provide basis (particularly through the norms of the US and UK) of a 'World Standard English'. Most learners have no interest in all of this. If, as I hope, they are lucky, they will learn an English appropriate to their needs and situation, and expand (perhaps creatively) as and when they feel the need.


 私たちが英語という言語について論じるときに,この3層のいずれの層の英語を問題にしているのかが重要である.議論の参加者の間で前提としている層がズレていると,英語を巡る議論も不毛になるからだ.それくらい英語論は精妙になってきているとも言えるのである.
 私は,大学の通常の英語の授業で教えるときには (1) を念頭に置いている.しかし,英語史・英語学の授業ではもう少し英語変種の細分化の意識が高くなり,その全体を (2) としてとらえていることが多いと思う.一方,意識的に「世界英語」を論じる専門的な文脈では,当然ながら (3) の捉え方を前提とすることになる.
 これらは分析の粒度こそ互いに大きく異なるにもかかわらず,いずれもラフに「英語」や English として言及されがちなのもまた常なのである.だから英語を論じるのは難しいのだ.
 McArthur の英語観については,hellog でも「#427. 英語話者の泡ぶくモデル」 ([2010-06-28-1]),「#4501. 世界の英語変種の整理法 --- McArthur の "Hub-and-Spokes" モデル」 ([2021-08-23-1]) で取り上げてきた.そちらも要参照.

 ・ Rubdi, Rani, and Mario Saraceni. "An Interview with Tom McArthur." English in the World: Global Rules, Global Roles. Ed. Rani Rubdy and Mario Saraceni. London: Continuum, 2006. 21--31.
 ・ McArthur, Tom. "The English Languages?" English Today 11 (1987): 9--11.
 ・ McArthur, Tom. "English in Tiers." English Today 23 (1990): 15--20.
 ・ McArthur, Tom. "Models of English." English Today 32 (1991): 12--21.
 ・ McArthur, Tom, ed. The Oxford Companion to the English Language. Oxford: OUP, 1992.
 ・ McArthur, Tom. The English Languages. Cambridge: CUP, 1998. 94.

Referrer (Inside): [2022-07-01-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2022-05-10 Tue

#4761. -er, -or, -ee などは「行為者接尾辞」というよりは「主語(者)接尾辞」? [semantic_role][terminology][suffix][noun][word_formation]

 本ブログや Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」では,-er, -or, -ee などの「?する人(もの)」を意味する名詞を作る「行為者接尾辞」 (agentive_suffix) について,いろいろと取り上げてきた.

 ・ 「#214. -er か -or か迷ったときのヒント」 (heldio)
 ・ 「#215. 女性行為者接尾辞 -ster」 (heldio)
 ・ 「#1748. -er or -or」 ([2014-02-08-1])
 ・ 「#1880. 接尾辞 -ee の起源と発展 (1)」 ([2014-06-20-1])
 ・ 「#1881. 接尾辞 -ee の起源と発展 (2)」 ([2014-06-21-1])
 ・ 「#3791. 行為者接尾辞 -er, -ster はラテン語に由来する?」 ([2019-09-13-1])
 ・ 「#4056. deme, demere, demande」 ([2020-06-04-1])
 ・ 「#4222. 行為者接尾辞 -eer」 ([2020-11-17-1])
 ・ 「#4302. 行為者接尾辞 -ar」 ([2021-02-05-1])

 これまで,これらの接尾辞 (suffix) について深く考えずに「行為者接尾辞」 (agentive_suffix) と呼び,記事のためのタグも設定してきた.しかし,Bauer (285--86) の議論を読み,むしろ「主語(者)接尾辞」 (subject suffix) くらいの用語が妥当だと気づいた.前者は意味論的な名付けで,後者は統語論的な名付けである.

There is a class of nominalizations which is sometimes given the name 'agentive nominalization' in the literature . . . . This class is made up mainly of forms such as baker, examiner, killer, where the suffix -er is added to a verbal base. 'Agentive nominalization' is actually a misnomer because such forms do not always denote agents, in any normal sense of the term 'agent'. In words like curler, opener, synthesizer the derivative in -er denotes an instrument; in words like lover the derivative denotes an experiencer or patient. These various semantic effects, however, can be given a unitary explanation if it is said that the derivative is a lexeme which is a typical subject of the verb used in the base: a curler curls, an opener opens, a lover loves, and so on. A better name for this group of nominalizations, therefore, is subject nominalization, although this label will cover more than just -er suffixation.


 明快な議論である.だが,行為者接尾辞 (agentive suffix) という用語もそれなりに定着しており,すぐには捨てがたい.使い続けるにしても,Bauer の指摘を意識しつつ使うことにしよう.

 ・Bauer, Laurie. English Word-Formation. Cambridge: CUP, 1983.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2022-03-31 Thu

#4721. 構造主義言語学とは? [structuralism][history_of_linguistics][terminology][saussure][heldio]

 1ヶ月ほど前に始めた「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」も,週2回のペースを守りつつ,昨日第10回を迎えることができました.視聴者の皆さん,ありがとうございます.
 その昨日の第10回は,これまでに比べてかなり硬派といえば硬派な話題です.「ゲンゴガクシ」についてです.言語学史 (history_of_linguistics) は,言葉に関心のあるすべての人にとって実はかなりおもしろい分野なのですが,それを分かりやすく説明するのは簡単ではありません.
 収録を通じて,言語学そのもの以上に言語学史に深い関心を抱くと互いに知った2人が,20世紀前半の学界の潮流を決定づけた構造主義言語学 (structural linguistics) について話しをしてみました.構造主義は歴史言語学を敵に回したか!?ー言語学理論のおもしろさ【井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル # 10 】をご視聴ください.



 構造主義言語学とは何か? 私にはとうてい端的に説明できる自信がないので,イヴィッチの言語学史の概説 (81--82) に頼りたいと思います.

 構造主義言語学の時代は,ヨーロッパとアメリカで共に1930年の少し前に始まった.
  他の学問分野においてもそうであるが,言語学における構造主義はまず第一に既知の事実に対する新しい見方を意味している.即ち,既知の事実が体系の中で機能している点に注目して検討を加える見方である.同時にこの構造主義的な見方は,言語の社会的な(つまりコミュニケーションの)機能の強調,歴史的現象と或一時点における一言語体系の諸特徴との明確な区別をも伴うものである.
 この時代の先駆者はそれ以前に,ある者は早くも19世紀に,そこかしこに現れていた.しかしこれらの孤立した試みはその時代の人々の注意をひくことはなかった.真に人々の耳をそばだたせ,今日なお鳴り響いている最初の声を発したのはフェルディナン・ドゥ・ソシュール Ferdinand de Saussure であった.ドゥ・ソシュールが初めて言語学における新しい思想によってその時代の人々に強い影響を与えたことと,その直接の影響下になかった人々さえも彼の思想の根底にあるのと同一の理論的基盤から出発したことによって,ドゥ・ソシュールは今では構造主義言語学の創始者と見なされている.
 構造主義言語学のイロハともいえるドゥ・ソシュールの基本的言語学説は,以下のようなものである.
 言語は体系であり,体系として研究すべきである:個々の事実を単独に取り上げるのではなく,常に全体として見るべきである.且つ細かい事柄の一つ一つは体系の中での位置によって規定されるということを考慮に入れるべきである.
 言語はまず第一に相互理解の目的を果たす社会的現象であり,そのようなものとして研究すべきである:音と意味との相互関係は,コミュニケーション過程において決定的な重要性を持つので,常にこれを念頭に置くべきである.
 言語の発展と言語の実現されている[一時点の]状態とは,根本的に異る別の現象である.従って,方法論の点から見て,言語の現在の状態を解釈する時に歴史的な規準を持ち込むことは許されない.
 他の学問分野と同様に,言語学においても構造主義は不変のもの invariants の探究,余情な redundant 現象と関与的な relevant 現象を分離しようとする努力,を含んでいる.
 構造主義言語学の信奉者たちはすべて,客観的な分析基準(メンタリスティックな規準の入る余地をなくすようなもの)を見出そうと希求している.


 イヴィッチの説明はさらに延々と続くのですが,この辺りで止めておきましょう.
 YouTube 動画内でも述べた通り,私にとって構造主義言語学とは「マトリックス思考」です.今朝の Voicy 「英語の語源が身につくラジオ」 (heldio) でも「構造主義言語学とはマトリックス思考である」と題してしゃべっていますので,よろしければどうぞ.



 ・ ミルカ・イヴィッチ 著,早田 輝洋・井上 史雄 訳 『言語学の流れ』 みすず書房,1974年.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2022-03-24 Thu

#4714. 発話行為とは何か? [youtube][terminology][speech_act][pragmatics][sociolinguistics][philosophy_of_language]

 井上逸兵さんとの YouTube の第8弾が公開されました.英語の大人な謝り方---でも、日本人から見るとなんだかなー【井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル #8 】です.前回からの続きものとなります.
 謝罪「ごめんなさい」→誓い・意志「二度としません」→意志を問う Will you . . . ? について→Will you . . . ? は本当に丁寧か,のようにアチコチに話しが飛んでいきました.まさに雑談という感じですので.肩の力を抜いて気軽にご視聴ください.



 過去数回の動画で,発話行為 (speech_act) が話題の中心となっています.発話行為とは何なのでしょうか.
 専門的な語用論 (pragmatics) の立場からいえば「話し手と聞き手のコミュニケーション上の振る舞いとの関連からみた発話の役割」ほどです.しかし,これではよく分かりませんね.
 一般には,発話行為には3種類あるとされています.1つは,話し手による発話そのもの (locutionary act;狭い意味での「発話行為」) .2つめは,話し手の意図,あるいは話し手が発話によって行なっていること (illocutionary act;「発話内行為」) .3つめは,話し手が発話を通じて聞き手に及ぼす効果 (perlocutionary act;「発話媒介行為」) です.
 いくつかの用語辞典で "speech act (theory)" を調べてみました.比較的わかりやすくて短めだった2点を引用しましょう.

speech act theory A theory associated with the work of the British philosopher J. L. Austen, in his 1962 book How to do things with words, which distinguishes between three facets of a speech act: the locutionary act, which has to do with the simple act of a speaker saying something; the illocutionary act, which has to do with the intention behind a speaker's saying something; and the perlocutionary act, which has to do with the actual effect produced by a speaker saying something. The illocutionary force of a speech act is the effect which a speech act is intended to have by the speaker. (Trudgill 125)


speech act A term derived from the work of the philosopher J. L. Austin (1911--60), and now used widely in linguistics, to refer to a theory which analyses the role of utterances in relation to the behaviour of speaker and hearer in interpersonal communication. It is not an 'act of speech' (in the sense of parole), but a communicative activity (a locutionary act), defined with reference to the intentions of speakers while speaking (the illocutionary force of their utterances) and the effects they achieve on listeners (the perlocutionary effect of their utterances). Several categories of speech act have been proposed, viz. directives (speakers try to get their listeners to do something, e.g. begging, commanding, requesting), commissives (speakers commit themselves to a future course of action, e.g. promising, guaranteeing), expressives (speakers express their feelings, e.g. apologizing, welcoming, sympathizing), declarations (the speaker's utterance brings about a new external situation, e.g. christening, marrying, resigning) and representatives (speakers convey their belief about the truth of a proposition, e.g. asserting, hypothesizing). The verbs which are used to indicate the speech act intended by the speaker are sometimes known as performative verbs. The criteria which have to be satisfied in order for a speech act to be a successful are known as felicity conditions. (Crystal 446)


 関連して本ブログより以下の記事もご参照ください.

 ・ 「#2665. 発話行為の適切性条件」 ([2016-08-13-1])
 ・ 「#2674. 明示的遂行文の3つの特徴」 ([2016-08-22-1])
 ・ 「#2831. performative hypothesis」 ([2017-01-26-1])
 ・ 「#1646. 発話行為の比較文化」 ([2013-10-29-1])

 ・ Trudgill, Peter. A Glossary of Sociolinguistics. Oxford: Oxford University Press, 2003.
 ・ Crystal, David, ed. A Dictionary of Linguistics and Phonetics. 6th ed. Malden, MA: Blackwell, 2008. 295--96.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2022-03-04 Fri

#4694. 井上逸兵流「2つの英語学」説 [terminology]

 先日の「#4689. YouTube で「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」を開設しました」 ([2022-02-27-1]),「#4690. 深く考えたことのなかった「英語学とは何か?」」 ([2022-02-28-1]) でも話題となった英語学・言語学とは何かという問いについて,改めて考えてみたい.
 先日の議論を振り返り対立的な図式に落とし込めば「英語学とは英米流の言語学である」(堀田説)と「英語という言語を対象とする言語学である」(井上説)の2種類の解釈があった.ただし,これはどちらが正しいかという問題というよりも,2つの見方があり得るということの確認なのだろうと思う.実際,井上自身も英語学概論書のなかで,2つの英語学があることについて議論している (1--2) .

 大きく分けて,「英語学」は2つの分野を指している.この2つは重なっている部分もあるが,大きく離れて別の分野と言ってよい部分もある.
 1つは「英語という言語の研究」という意味である.つまり,英語で言えば,the study of English language ということで,最近の世界の英語状況を考えると,the study of English languages と複数形にしてもよいかもしれない(本書のスタンスはそれだ).もともとはアングロ・サクソンの民族的文化的背景を持った一民族語としての英語の研究という意味合いが強い研究もある.〔中略〕英語という言語そのものを深く探究する学問である.その成り立ちを考えたとき,当然ながら,英語という言語の背景である歴史に目を向けることは理にかなったことである.その実,この分野の英語学は「英語史」という色彩を強く持つことになり,過去の英語の文献をひもとき,つぶさに分析することが重要な作業となる.この分野の英語学が,英語では philology と呼ばれるゆえんである.
 もう1つの「英語学」の意味するところは,「英米系の言語学」という意味である.「英米系」というのは,つまり「英米で議論されてきた伝統をくんでいる」という意味である.かつての「国語学」,現在では「日本語学」にも伝統があり,「仏語学」「独語学」も同様に,それぞれに議論の伝統があり,扱われる事象にも違いがある.流派のようなものと考えてもそう間違ってはいない.それぞれの流派の言語学はそれぞれの特定の言語を対象に議論するので,「○○語をデータとして用いる言語学」と言ってもよいが,それだけではない.扱い方や議論の仕方にも違いがある.ここでは,それらを比較して論じることはしないが,まずは「英米で論じられてきた伝統にある言語学」と理解しておくとよいであろう.1つ目の英語学に対して,こちらの英語学は英語では linguistics と読んでいる.この意味においては,英語学は言語学とほぼ同義と考えてよい.


 実際,「英語学」という分野名が意味するところは,使われる文脈が異なれば,それに応じて異なっているように思われる.ただし,両方の解釈を合わせて広く「英語学」と指示することは(少なくとも私にとっては)よくあることでもある.

 ・ 井上 逸兵 『グローバルコミュニケーションのための英語学概論』 慶應義塾大学出版会,2015年.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2022-02-28 Mon

#4690. 深く考えたことのなかった「英語学とは何か?」 [sobokunagimon][youtube][terminology][linguistics][philology]

 昨日の記事「#4689. YouTube で「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」を開設しました」 ([2022-02-27-1]) で,井上逸兵先生と共同で YouTube チャンネルを開設した旨をアナウンスしました.初回の「英語学」ってなに?--むずかしい「英語」を「学」ぶわけではありません!!では,対談という形で「英語学」そのものに迫ってみました.



 ところが,この質問は私にとってはそこそこ不意打ちの質問でして,ちょっと考えてしまいました.私の専門は「英語史」ですが広い意味で「英語学」の1分野ですし,これまでも「英語学」の講義を担当してきた経緯があります.その割には「英語学とは何か」を考えてきていなかったということに気づきました.もやもやとは答えをもっていましたが,自明すぎて本気で問うことをしてこなかったようです.
 私の答えを端的にいえば「英語という言語を対象とする言語学である」ということでした.ここには私の専門の英語史や英語文献学も含まれます.英語のスキルを磨くための「規範」に基づく語学学習とは一線を画し,英語のありのままを「記述」するのが英語学であると.つまり,とりわけ英語という個別言語をターゲットに絞って研究する言語学が英語学であるという認識です.
 一方,井上氏の認識は,端的にいって「英語学とは英米流の言語学である」ということでした.ターゲットというよりもアプローチを指す用語だというわけです.例えば,日本語を対象としていても英語学は成り立つという立場です.確かに,英語学のアプローチを用いながら実際のところは日本語を研究しているという事例は,日本の関連学会でも英文科の大学院でもしばしば見受けられることです.その観からいえば,井上流の「英語学」の解釈もうなずけます.
 どうやら「英語学」の理解にもいろいろとありそうだということに,今更ながら気づきました.では,英語学辞典などでは「英語学」はどのように定義されているのだろうと何冊か引いてみると,なんと載っていないのです! 自明すぎて載せないという建前なのでしょうが,実は自明ではないというのが今回の私の発見です.
 では英語学の教科書ではどうだろうかと,まず手元にあった『日英対照 英語学の基礎』を開いてみました.「まえがき」の p. ii に次のようにありました.

みなさんは,「英語学」と聞くと,これまで勉強している「英語」と何が違うのだろうと思うことでしょう.「英語学」というのは,英語という言葉がどのような仕組みになっているかを考える言語学の一領域です.つまり,英語の音や単語,文や会話などがどのような仕組みになっており,そこにどのような規則が潜んでいるかを明らかにしようとする研究分野です.


 これは,だいたいのところ私が理解している「英語学」に近いと思います.ただ,英語史贔屓の私にとっては,これだけではちょっと物足りないという感じがしています.
 英語学って何なのでしょうかね.捉え方は十人十色なのだろうと思います.この事実は意外とびっくりでした.皆さんの考えははいかがでしょうか?
 なお,「英語史」も負けず劣らず難しいです.とりあえず「#225. 「英語史研究」とは?」 ([2009-12-08-1]) 辺りをご覧ください.

 ・ 三原 健一・高見 健一(編著),窪薗 晴夫・竝木 崇康・小野 尚久・杉本孝司・吉村あき子(著) 『日英対照 英語学の基礎』 くろしお出版,2013年.

Referrer (Inside): [2022-03-04-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2022-02-17 Thu

#4679. 言語における塊現象とゆらぎ [complex_system][computational_linguistics][statistics][frequency][1/f][terminology][keyword]

 昨日の記事「#4678. 言語における塊現象と長相関」 ([2022-02-16-1]) で,言語における塊現象を「長相関」の観点からみたが,今回はもう1つの観点である「ゆらぎ」に注目しよう.ゆらぎ解析について,田中 (112) は次のように説明している.

このような塊現象を捉える自然な方法の一つとして,ある一定の範囲内に出現する単語の頻度の分散を調べることが挙げられる.ある単語の出現にゆらぎがあるのであれば,ある一定の範囲内にその単語が出現しない場合があり,また一方でその単語が数多く出現する場合もあり,その頻度の分散は大きくなるはずである.


 解析原理としては分かりやすい.ある文章中に表われる語彙を念頭におく場合,ゆらぎ方は語によって異なるが,おもしろいことに,いわゆるキーワードはしばしばゆらぎが大きいという(田中,p. 118).これは,機械的なキーワードの同定などに貢献しそうな興味深い傾向である.
 また,人間言語による文章とランダム文字列の文章とでゆらぎを比べると,明らかに前者の方がゆらぎが大きく,このことは人間言語の特徴の一端を示唆する.さらに,文章のジャンルによってもゆらぎは異なるために(田中,p. 120),ゆらぎの度合いは文体論的な指標ともなり得る.
 様々な可能性を秘めた言語における「ゆらぎ」にアンテナを張っておきたい.関連して「1/f ゆらぎ」 (1/f) も要注目.

 ・ 田中 久美子 『言語とフラクタル --- 使用の集積の中にある偶然と必然』 東京大学出版会,2021年.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2022-02-16 Wed

#4678. 言語における塊現象と長相関 [complex_system][computational_linguistics][statistics][frequency][information_structure][article][terminology]

 言語には,他の多くの自然・社会現象にもみられる「塊現象」というものが観察される.田中 (98) の説明を引用する.

その傾向は一言で言えば「塊現象」,つまり単語が固まって現れること,ある単語が一旦現れるとしばらくの間は頻繁に出現する一方で,それを過ぎるとほとんど出現しなくなる傾向があることとして直感的に捉えることができる.塊現象が見られる系列では,短い間隔が続いた後には短い間隔が現れ,また逆に長い間隔が続いた後には長い間隔が現れる可能性が高い.このような言語の塊現象の要因の一つは,当然のことながら文脈の変化にある.
 塊現象は,自然,金融など,さまざまな複雑系においてはよく知られる〔中略〕.たとえば,大雨や地震が固まって現れることは経験を通して誰しも知っているだろう.社会的な対象においても,たとえば,株取引には,ある取引が引き金となって,関連する取引が行われるため,やはり塊現象が生じることが知られる.同様に,単語もある単語が引き金となり,その単語ならびに関連する単語の塊が出現する.


 説明されてみれば,もっともという現象ではある.この塊現象の一般的な研究には歴史があるが,言語に応用した研究は少ないようだ.解析法としては,大きく分けて「長相関」と「ゆらぎ」に着目する2種類があるという.ここでは前者を見ていこう.
 「長相関」による解析は,「ある系列中の,二つの部分列の相関が,その部分列の距離 s に依存してどのように変化するかを調べる解析」である(田中,p. 99).互いに離れた2つの部分列の内部構造が類似していれば長相関があるということになる(cf. 「#4675. 言語と複雑系」 ([2022-02-13-1]) で言及した「長期記憶」).
 英語における最頻語である定冠詞 the について,長い文章で長相関解析を試みると,どうやら弱い長相関があるようだ(田中,p. 105).しかし,あくまで弱い長相関があるにとどまり,細かくみれば the にすらある程度の塊現象がみられることが判明する.驚くことに,the も現われるときは固まって現われ,現われないときにはしばらく現われない,ということがある程度観察されるのである.田中 (109)は,先行研究に従い,この事実を次のように解釈している.

k 個の短い間隔があると,続く k + 1番目の間隔も短く,k 個の長い間隔があると,それに続く k + 1番目の間隔も長い傾向にある.短い間隔が続くことは,対象となる単語が固まって現れることを示している.〔中略〕このような塊現象の背景には文脈の変化がある.the については,まず不定冠詞を中心として一般的な概念を導入し,その後,導入された概念について議論が行われ,その際は the が多用される.


 これは,談話における情報構造 (information_structure) に着目した,the についての塊現象の読み解きといってよいだろう.

 ・ 田中 久美子 『言語とフラクタル --- 使用の集積の中にある偶然と必然』 東京大学出版会,2021年.

Referrer (Inside): [2022-02-17-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2022-02-13 Sun

#4675. 言語と複雑系 [complex_system][chaos_theory][1/f][terminology]

 標題については「#3130. 複雑系言語学」 ([2017-11-21-1]) をはじめとして complex_system の記事で垣間見てきた.一昨日の記事「#4673. 言語の統計的必然性と偶然性」 ([2022-02-11-1]) で参照した田中が,『言語とフラクタル』の導入部で「複雑系」と題する1節を書いている.p. 34--35 より要点を引用したい.

本書における複雑系は,以下の二つの大域的な性質が満たされるものとして定義される.

 ・ 要素の分布にスケールフリー性が成り立つこと
 ・ 列に長期記憶があること

〔中略〕

素の分布にスケールフリー性があることは,系の要素が無限に増えていく無限系であり,また,系は開放性を持つことを示唆する.一方,第二の基準の長期記憶に関しては,言語の列に内在する特性を表し,〔中略〕本書でいう長期記憶 (long memory) とは,コーパスのある部分が,そこから遠く離れた別の部分に影響を及ぼすことをいう.影響を及ぼす要因は,意味的,構文的,実用論的等さまざまで,その種別を問わず,長距離での関係をおしなべて長期記憶と総称する.日本語として認知科学以外の分野では耳慣れないかもしれないが,大元の英語 long memory は,複雑系科学では頻出する.


 「スケールフリー性」にせよ「長期記憶」にせよ言語学で一般に用いられる用語ではない.しかし,このような概念を用いて説明されてきた自然界や人間界の多数の現象から,言語現象がそれほど隔たっているわけではない,という洞察が複雑系言語学の要点である.ただし,他の現象とまったく同じというわけではない.その差異を的確にとらえることができれば,言語を言語たらしめている本質が見えてくるのではないか.そのような期待がある.

 ・ 田中 久美子 『言語とフラクタル --- 使用の集積の中にある偶然と必然』 東京大学出版会,2021年.

Referrer (Inside): [2022-02-16-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2022-02-01 Tue

#4663. 「翻訳の不確定性」と「根源的翻訳」 [terminology][philosophy_of_language][translation][semantics]

 「#4657. 翻訳の不確定性」 ([2022-01-26-1]) の補足として,関連の深い根源的翻訳について導入したいと思います.皆さんも一度は考えたことのある思考実験ではないでしょうか.無人島で,まったく異なる言語を母語とする人と2人きりでコミュニケーションを取ることになったら,どんなコミュニケーションになるのか,というあの問題です.言語哲学の分野では,2人の間で交わされる言語行為は根源的翻訳と呼ばれています.
 服部は「翻訳の不確定性」説の基盤にある「根源的翻訳」の思考実験について,次のように論じています (95--97) .

 クワインは,『ことばと対象』という本の中では,別の論拠によって翻訳の不確定性を主張している.それは,言語学者が自分の話す言語とはまったく異質の未知の言語を話す人々の住む社会に初めて遭遇したときに,彼/彼女がその言語をどのように翻訳するか---このような状況での翻訳は根源的翻訳と呼ばれる---という思考実験に基づいたものである.根源的翻訳は現実にはまず存在しない.というのも,現在ではもはやこの地球上のほとんどの地域が調査され,(たとえわずかであっても,また貧弱であっても)そこに住む人々の言語を通訳する人や辞書が存在したりするからである.しかしながら,現実には存在しなくとも,そのような仮想的な状況での翻訳作業がどのように行なわれるかということを考察することは,翻訳とはそもそもいかなるものなのか,ということを考える場合には有用である.
 以下,クワインの思考実験を辿ってみよう.ある日本人の言語学者が未知の言語を話す未知の社会に足を踏み入れたとする.そこで彼/彼女は現地の人と出くわす.折しも,その人の前を一羽のウサギが横切った.すると,それを見たその人は「ガヴァガイ!」と叫んだ.このとき,その言語の学者は,その人は「ウサギだ!」あるいは「ウサギが横切った!」と言ったのだろうと推測し,自分のノートに「カヴァガイ---ウサギ」というメモを残すだろう.これが私たちの通常の翻訳作業ではなかろうか.しかし,そうであるならば,「ウサギ」という表現は「ガヴァガイ」という表現の唯一正しい翻訳とは言えないかもしれない.なぜなら,ウサギを横切るのを見たとき,私たち日本人は「ウサギだ!」あるいは「ウサギが横切った!」と言いたくなるかもしれないが,現地の人もまたそうだとは断言できないからである.彼/彼女らは,たとえば,そのような場合,「ウサギ場面!」とか「ウサギの分離されていない部分!」と言っているのかもしれない.
 この事態は情報が不十分ということから起こっているわけではない.たとえば,どれが「ガヴァガイ!」の正しい翻訳であるかを決めるためにさらに観察を重ねたとしても,何ら事態は改善されないのである.というのは,新たにウサギを横切るのを見,そのとき現地の人が「ガヴァガイ!」と叫ぶのを見るとき,それは,一方の翻訳を支持する人---Aさん---にとっては「ウサギだ!」と訳すべきだということの証拠とされるが,他方の翻訳を支持する人---Bさん---にとっては「ウサギ場面だ!」と訳すべきだということの証拠とされるからである.
 「一羽の」の訳すべき現地語---それを「M」としよう---と「ガヴァガイ」が組み合わされて使用されるのを観察すれば,「ガヴァガイ」が(「ウサギ場面」ではなく)「ウサギ」と訳されるべきことであることがわかる,と言われるかもしれない.しかし,そのためめには「M」が「一羽の」と訳されるとういことが確定していなければならない.ところが,その M の翻訳においても,「ガヴァガイ」と同じように,複数の翻訳がありうる.つまり,「M ガヴァガイ」は A さんにとっては「一羽のウサギ」と訳されるべきかもしれないが,B さんにとっては「ウサギ場面」という表現を含むかなり複雑な表現に翻訳されるべきかもしれないのであり,このいずれが正しいのかを何らかの観察によって決めることはできないのである.
 以上の点は次のようにまとめることができる.すなわち,

「ある言語を別の言語に翻訳するための手引きには,種々の異なるものがありえ,しかも,いずれの手引きも言語性向全体とは両立するものの,それらの手引きどうしは互いに両立しえないということがありうる」.


 同床異夢と言いましょうか,よくおじいちゃんとおばあちゃんの会話などで,はたから聞いていると明らかにかみ合っていないのに,本人たちは互いにコミュニケーションが取れていると思い込んでいるように見えるケースがありますが,あれに近いのでしょうかね.
 「ガヴァガイ」問題については,心理言語学の観点から「#920. The Gavagai problem」 ([2011-11-03-1]) でも論じていますので,そちらも補足としてご覧ください.

 ・ 服部 裕幸 『言語哲学入門』 勁草書房,2003年.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2022-01-26 Wed

#4657. 翻訳の不確定性 [philosophy_of_language][translation][semantics][terminology]

 意味は存在するのか,という言語哲学 (philosophy_of_language) 上の問題がある.素人考えでは,もちろん存在していると思うわけだが,犬や石が存在するのと同じように存在しているのかと問われると自信がなくなってくる.(普通の感覚では)犬や石は確かに客観的に存在しているように思われる.しかし,意味も同じような客観性をもって存在しているといえるのだろうか.意味とは,存在するにしても,あくまで主観的にのみ存在しているものなのではないか.もしそうだとすると,つまり客観的な意味というものが存在しないとすると,驚くべき結論が導かれることになる.ここからは,服部 (94--95) を引用しよう.

もし客観的対象としての意味が存在しないとしてみよう.すると,「正しい翻訳が唯一定まる」ということが意味をなさなくなるのである.この点を以下で説明しよう.
 翻訳とは,異なる言語の間で意味が同じ表現同士を対応させることである.私たちは通常,客観的対象としての意味が存在すると考えていて,一方の言語に属する表現 A がある場合,それが表す意味 m があって,その m を表すもう一方の言語に属する表現 B (があればそれ)を A に対応させると,A は正しく(B に)翻訳された,と考えてはいないだろうか.もし m を表さない表現 C を A に対応させれば,その翻訳は誤りとされるのである〔後略〕.
 ところが,〔中略〕m や n に相当するものが存在しないとすれば,どのようにして B が A の正しい翻訳であり,C はそうでないと主張したらよいのだろうか.さまざまな会話状況において円滑なやりとりが可能となるかどうか,といったことを目安に「翻訳の正しさ」を決めるということはありうるが,そのような基準をとったときに正しい翻訳が唯一定まる保証はどこにもない.かくして,翻訳の不確定性が生じることになる.


 これは,アメリカの哲学者 Willard van Orman Quine (1908--2000) が Word and Object (1960) で主張した翻訳の不確定性 (indeterminacy of translation) と呼ばれる現象を,かみ砕いて説明したものである.翻訳の不確定性を巡っては,生成文法を唱えた Noam Chomsky (1928--) との間で後に論争が繰り広げられたこともよく知られている.
 関連して「#920. The Gavagai problem」 ([2011-11-03-1]) を参照.

 ・ 服部 裕幸 『言語哲学入門』 勁草書房,2003年.

Referrer (Inside): [2022-02-01-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2022-01-24 Mon

#4655. 動詞の「相」って何ですか? [aspect][tense][category][sobokunagimon][verb][terminology][perfect][progressive]

 多くの言語には,時間 (time) に関連する概念を標示する機能があります.まず,日本語にも英語にもあって分かりやすいのは時制 (tense) という範疇 (category) ですね.過去,現在,未来という時間軸上のポイントを示すアレです.
 もう1つ,よく聞くのが (aspect) です.aspect という英単語は「局面,側面,様態,視座,相」ほどを意味し,いずれで訳してもよさそうですが,最も分かりにくい「相」が定訳となっているので困ります.難しそうなほうが学術用語としてありがたがられるという目論見だったのでしょうかね.あまり感心できませんが,定着してしまったものを無視するわけにもいきませんので,今回は「相」で通します.
 さて,aspect や「相」について参考書を調べてみると,様々な定義や解説が挙げられていますが,互いに主旨は大きく異なりません.

動詞に関する文法範疇の一つで,動詞の表わす動作・状態の様相のとらえ方およびそれを示す文法形式をいう.(『新英語学辞典』, p. 96)


The grammatical category (expressed in verb forms) that refers to a way of looking at the time of a situation: for example, its duration, repetition, completion. Aspect contrasts with tense, the category that refers to the time of the situation with respect to some other time: for example, the moment of speaking or writing. There are two aspects in English: the progressive aspect ('We are eating lunch') and the perfect aspect ('We have eaten lunch'). (McArthur 86)


A grammatical category concerned with the relationship between the action, state or process denoted by a verb, and various temporal meanings, such as duration and level of completion. There are two aspects in English: the progressive and the perfect. (Pearce 18)


 半年ほど前のことですが,オンライン授業の最中に,学生よりズバリ「相」って何ですかという質問がチャットで寄せられました.そのときに次の即席の回答をしたことを思い出しましたので,こちらに再現します.授業中ということもあり,その場での分かりやすさを重視し,カジュアルで私的な解説にはなっていますが,かえって分かりやすいかもしれません.

相が時制とどう違うか,という内容の問題でしょうかね? そうするとけっこう難しいのですが,よく言われるのは「相」は動詞の表わす動作の内部時間の問題,「時制」は動詞の表わす動作の外部時間の問題とか言われます.
 例えば jump 「跳ぶ」の外部時間は分かりやすくて「跳んだ」「跳ぶ」「跳ぶだろう」ですね.内部時間というのは,「跳ぶ」と一言でいっても,脚の筋肉を緊張させて跳び始めようかなという段階(=相)もあれば,実際跳び始めてるよという段階(=相)もあるし,跳んでいて空中にいる最中の段階(=相)もあれば,跳び終わって着時寸前の段階(=相)もあれば,跳び終わっちゃった段階(=相)もあるというように,今の例では少なくとも5段階くらいあるわけです.スローモーションの画像のどこで止めようかという話しです.この細かい段階を表わすのが「相」です.時間が関わってくる点では共通していますが,「時制」とは別次元の時間の捉え方ですよね.


 言語における「相」の概念の一部のみをつかんだ取り急ぎの解説にすぎませんが,参考になれば.
 もう少し本格的には「#2747. Reichenbach の時制・相の理論」 ([2016-11-03-1]) も参照.

 ・ 大塚 高信,中島 文雄(監修) 『新英語学辞典』 研究社,1982年.
 ・ McArthur, Tom, ed. The Oxford Companion to the English Language. Oxford: OUP, 1992.
 ・ Pearce, Michael. The Routledge Dictionary of English Language Studies. Abingdon: Routledge, 2007.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2022-01-04 Tue

#4635. "Great Complement Shift" 「大補文推移」 [gcs][gvs][syntax][verb][complementation][terminology][gerund][infinitive]

 英語史の最重要キーワードの1つである "Great Vowel Shift" (「大母音推移」; gvs)については本ブログでも多く取り上げてきたが,それにちなんで名付けられた統語論上の "Great Complement Shift" (「大補文推移」; gcs)については「#860. 現代英語の変化と変異の一覧」 ([2011-09-04-1]) でその名前に言及した程度でほとんど取り上げてきていなかった.これは,英語史上,動詞補分構造 (complementation) が大きく変化してきた現象を指す.この分野の第一人者である Rohdenburg (143) が,重要な論文の冒頭で次のように述べている.

Over the past few centuries, English has experienced a massive restructuring of its system of sentential complementation, which may be referred to as the Great Complement Shift.


 一括りに補文構造の大変化といっても,実際には様々な種類の変化が含まれている.それらが互いにどのような関係をもつのかは明らかにされていないが,Rohdenburg はまとめて GCS と呼んでいる.Rohdenburg (143--45) は,次のような通時的変化(あるいはそれを示唆する共時的変異)の例を挙げている.

 (1) She delighted to do it. → She delighted in doing it.
 (2) She was used/accustomed to do it. → He was used/accustomed to doing it.
 (3) She avoided/dreaded to go there. → She avoided/dreaded going there.
 (4) He helped (to) establish this system.
 (5) They gave us some advice (on/as to) how it should be done.
 (6) a. He hesitated (about) whether he should do it.
   b. He hesitated (about) whether to do it.
 (7) a. She was at a loss (about) what she should do.
   b. She was at a loss (about) what to do.
 (8) a. She advised to do it in advance.
   b. She advised doing it in advance.
   c. She advised that it (should) be done in advance.
 (9) a. He promised his friends to return immediately.
   b. He promised his friends (that) he would return immediately.

 統語論上これらを1つのタイプに落とし込むことは難しいが,動詞の補文として動名詞,不定詞,that 節,前置詞句などのいずれを取るのかに関して通時的変化が生じてきたこと,そして現在でもしばしば共時的変異がみられるということが,GCS の趣旨である.

 ・ Rohdenburg, Günter. "The Role of Functional Constraints in the Evolution of the English Complement System." Syntax, Style and Grammatical Norms: English from 1500--2000. Ed. Christiane Dalton-Puffer, Dieter Kastovsky, Nikolaus Ritt, and Herbert Schendl. Bern: Peter Lang, 2006. 143--66.

Referrer (Inside): [2022-01-05-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2021-12-23 Thu

#4623. ジェスチャーとは何か? [gesture][paralinguistics][terminology][psycholinguistics][origin_of_language][sign_language][kinesics]

 ジェスチャー (gesture) は言語そのものではないが,言語と同期することも多く,心理言語学や社会言語学などの分野では重要な研究対象となっている.とりわけ近年では「マルティモーダル分析」 (multimodal analysis) と呼ばれる,パラ言語的要素 (paralinguistics) を統合的に観察する手法が編み出されてきている,ジェスチャーは,言語の起源 (origin_of_language),手話 (sign_language),普遍言語といった話題とも接点があり,言語学との結びつきは強い.実際,目下読み進めている言語学史のハンドブックで,ジェスチャー研究の歴史に1章が割かれている.Kendon (71) より,意外と緩い「ジェスチャー」の定義・解説を引いておきたい.

'Gesture' here refers to the wide variety of ways in which humans, through visible bodily action, give expression to their thoughts and feelings, draw attention to things, describe things, greet each other, or engage in ritualized actions as in religious ceremonies. 'Gesture' includes the movements of the body, especially of the hands and arms, often integrated with spoken expression; the use of manual actions, often conventionalized, to convey something without speech; or the manual and facial actions employed in sign languages. All this is part of 'gesture', broadly conceived. Expressions such as laughing and crying, blushing, clenching the teeth in anger, and the like, or bodily postures and attitudes sustained during occasions of interaction, are less likely to be so considered. 'Gesture' is not a well-defined category. Although there is a core of phenomena, such as those mentioned, to which the term is usually applied without dispute, it is not possible to establish clear boundaries to the domain of its application, and some writers are inclined to include a much wider range of phenomena than do others.


 本ブログでは「#2921. ジェスチャーの分類」 ([2017-04-26-1]) でジェスチャーの話題を取り上げたことがある程度で私も門外漢だ.そこでふと思ったのだが,歴史ジェスチャー学というものは存在するのだろうか.例えば演劇のパフォーマンス,写本図像,絵本などの資料などから,それらしい研究が成り立つのだろうか.

 ・ Kendon, Adam. "History of the Study of Gesture." Chapter 3 of The Oxford Handbook of the History of Linguistics. Ed. Keith Allan. Oxford: OUP, 2013. 71--89.

Referrer (Inside): [2021-12-25-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2021-12-21 Tue

#4621. モーラ --- 日本語からの一般音韻論への貢献 [syllable][phonology][terminology][grammatology][syllabary][hiragana][katakana][japanese][writing][terminology]

 文字論研究史を概説している Daniels (63) に,日本語の仮名(平仮名と片仮名)がモーラに基づく文字であることが言及されている.この事実そのものは日本語学では当然視されており目新しいことでも何でもないが,音節 (syllable) ではなくモーラ (mora) という音韻論的単位が言語学に持ち込まれた契機が,ほかならぬ日本語研究にあったということを初めて知った.日本語の仮名表記や音韻論を理解・説明するのにモーラという概念は是非とも必要だが,否,まさにそのために導入された概念だったのだ.

The term 'mora' was introduced into modern linguistics by McCawley (1968) to render a term (equivalent to 'letter') for the characters in the two Japanese 'syllabaries' ('kana'), hiragana and katakana, which denote not merely the (C)V syllables of the language but also a syllable-closing nasal or length.


 モーラと音節が異なる単位であることは,以下の例からも分かる.要するに,長音,促音,撥音のような特殊音素は,独立した音節にはならないが独立したモーラにはなる.

 ・ 「ながさき」 (Nagasaki) は4モーラで4音節
 ・ 「おおさか」 (Ōsaka) は4モーラで3音節
 ・ 「ロケット」 (roketto) は4モーラで3音節
 ・ 「しんぶん」 (shimbun) は4モーラで2音節

 音節とは異なるが,日本語母語話者にとっては明らかに独立した部品とみなされているもう1つの音韻論的単位,それが日本語のモーラである.仮名の各文字には,およそきれいに1つのモーラが対応している.

 ・ Daniels, Peter T. "The History of Writing as a History of Linguistics." Chapter 2 of The Oxford Handbook of the History of Linguistics. Ed. Keith Allan. Oxford: OUP, 2013. 53--69.
 ・ McCawley, James D. The Phonological Component of a Grammar of Japanese. The Hague: Mouton, 1968.

Referrer (Inside): [2021-12-24-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2021-12-21 Tue

#4621. モーラ --- 日本語からの一般音韻論への貢献 [syllable][phonology][terminology][grammatology][syllabary][hiragana][katakana][japanese][writing][terminology]

 文字論研究史を概説している Daniels (63) に,日本語の仮名(平仮名と片仮名)がモーラに基づく文字であることが言及されている.この事実そのものは日本語学では当然視されており目新しいことでも何でもないが,音節 (syllable) ではなくモーラ (mora) という音韻論的単位が言語学に持ち込まれた契機が,ほかならぬ日本語研究にあったということを初めて知った.日本語の仮名表記や音韻論を理解・説明するのにモーラという概念は是非とも必要だが,否,まさにそのために導入された概念だったのだ.

The term 'mora' was introduced into modern linguistics by McCawley (1968) to render a term (equivalent to 'letter') for the characters in the two Japanese 'syllabaries' ('kana'), hiragana and katakana, which denote not merely the (C)V syllables of the language but also a syllable-closing nasal or length.


 モーラと音節が異なる単位であることは,以下の例からも分かる.要するに,長音,促音,撥音のような特殊音素は,独立した音節にはならないが独立したモーラにはなる.

 ・ 「ながさき」 (Nagasaki) は4モーラで4音節
 ・ 「おおさか」 (Ōsaka) は4モーラで3音節
 ・ 「ロケット」 (roketto) は4モーラで3音節
 ・ 「しんぶん」 (shimbun) は4モーラで2音節

 音節とは異なるが,日本語母語話者にとっては明らかに独立した部品とみなされているもう1つの音韻論的単位,それが日本語のモーラである.仮名の各文字には,およそきれいに1つのモーラが対応している.

 ・ Daniels, Peter T. "The History of Writing as a History of Linguistics." Chapter 2 of The Oxford Handbook of the History of Linguistics. Ed. Keith Allan. Oxford: OUP, 2013. 53--69.
 ・ McCawley, James D. The Phonological Component of a Grammar of Japanese. The Hague: Mouton, 1968.

Referrer (Inside): [2021-12-24-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2021-12-17 Fri

#4617. 人文地理学における diffusion (伝播) [geography][geolinguistics][terminology][lexical_diffusion][wave_theory][geography][geolinguistics][sociolinguistics]

 言語変化の伝播や拡散 (diffusion) というテーマに関心を持ち続けている.この話題についてすぐに思い浮かぶのは語彙拡散 (lexical_diffusion) だろう.音変化や形態変化が語彙の間を縫うように進行していくという現象である.一方,ある言語変化が人から人へ,方言から方言へと物理的,地理的に広がっていくという意味での伝播や拡散の話題もある(cf. 「#1053. 波状説の波及効果」 ([2012-03-15-1])).また,昨今ではインターネットなどを経由して非物理的,非地理的に広がっていく言語変化というものも起こっているようである.言語変化の diffusion にも様々なアプローチがあるということが分かるだろう.
 diffusion とは,もともと人文地理学 (human geography) や疫学 (epidemiology) において注目されてきた概念であり,思想,事物,生物が分布を広げていく現象を指す.例えば,ある技術や病原菌がいかにして周囲に伝播し拡散していくかという観点から考察がなされてきた.人文地理学の分野では19世紀末に始まる研究史があり,とりわけ影響力の大きい研究者としては Torsten Hägerstrand (1916--2004) の名前が挙がる.オリジナルの著書はスウェーデン語で書かれたが,1967年に英語版の Innovation Diffusion as a Spatial Process が出版されると世に広く知られることになった.人文地理学事典で diffusion の項を執筆した Gregory (160) によると,その革新的な意義は次の通り.

Hágerstrand's work had two catalytic consequences: it set in motion the frozen worlds of SPATIAL SCIENCE, and it opened the door to sophisticated computer modelling of spatial processes.


 この Hägerstrand の傑作により diffusion 研究は一時的に勢いを得たものの,やがて社会学的な観点から多くの問題点が指摘されるようになり,diffusion 研究全体が沈滞するようになった.Gregory (161) より,その状況を確認しておこう.

Just ten years after the translation of Hágerstrand's magnum opus, Blaikie (1978) could speak of a 'crisis' in diffusion research, which he said arose from its preoccupation with spatial form and space-time sequence, while Gregory (1985) attributed the 'stasis' of diffusion theory to a pervasive unwillingness to engage with SOCIAL THEORY and social history to explore the conditions and the consequences of diffusion processes. Critics argued that the spatial circulation of information remained the strategic element in most applications of the Hägerstrand model and its derivatives, and while flows of information through different propagation structures and contact networks were exposed in more detail, the primacy accorded to the reconstruction of these spatial pathways obscured a crucial limitation of the Hägerstrand model: it operated within what Blaut (1977) called a 'granular region', 'a sort of Adam Smithian landscape, totally without macrostructure'. In particular:

(1) The Hägerstrand model begins with a pool of 'potential adopters' and does not explain the selective process through which they are constituted in the first place. This suggests the need for a model of biased innovation, where (for example) CLASS or GENDER circumscribes access to innovations. 'Non-diffusion' is then not a passive but an active state arising directly from the structures of a particular society (Yapa and Mayfield, 1978). Critiques of this sort required diffusion theory to be integrated with fields such as POLITICAL ECONOMY and FEMINIST GEOGRAPHY that pay attention to the social as well as the spatial.

(2) The Hägerstrand model assumes a 'uniform cognitive region' and does not explain the selective process through which information flows are interpreted. This matters because 'resistance' to innovation is not invariably a product of ignorance or insufficient information: it may signal a political struggle by people whose evaluation of the information is strikingly different to that of the 'potential adopters'. Critiques of this sort required diffusion theory to be reconnected to a more general cultural geography (Blaut, 1977).


 Gregory は,言語変化の diffusion については一言も触れていない.しかし,この人文地理学における diffusion 研究史を知っておくと,有益な洞察を得られる.言語変化の diffusion 研究も,今後,社会・政治的な "macrostructure" を念頭に置くアプローチがますます必要になってくるだろう.

 ・ Gregory, Derek. "Diffusion." The Dictionary of Human Geography. 4th ed. Ed. Derek Gregory, Ron Johnston, Geraldine Pratt, Michael Watts, and Sarah Whatmore. John Wiley & Sons, 2009. 160--162.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow