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religion - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-07-13 08:07

2024-01-07 Sun

#5368. ethnonym (民族名) [demonym][onomastics][toponymy][personal_name][name_project][ethnonym][terminology][toc][ethnic_group][race][religion][geography]

 民族名,国名,言語名はお互いに関連が深い,これらの(固有)名詞は名前学 (onomastics) では demonymethnonym と呼ばれているが,目下少しずつ読み続けている名前学のハンドブックでは後者の呼称が用いられている.
 ハンドブックの第17章,Koopman による "Ethnonyms" の冒頭では,この用語の定義の難しさが吐露される.何をもって "ethnic group" (民族)とするかは文化人類学上の大問題であり,それが当然ながら ethnonym という用語にも飛び火するからだ.その難しさは認識しつつグイグイ読み進めていくと,どんどん解説と議論がおもしろくなっていく.節以下のレベルの見出しを挙げていけば次のようになる.

 17.1 Introduction
 17.2 Ethnonyms and Race
 17.3 Ethnonyms, Nationality, and Geographical Area
 17.4 Ethnonyms and Language
 17.5 Ethnonyms and Religion
 17.6 Ethnonyms, Clans, and Surnames
 17.7 Variations of Ethnonyms
   17.7.1 Morphological Variations
   17.7.2 Endonymic and Exonymic Forms of Ethnonyms
 17.8 Alternative Ethnonyms
 17.9 Derogatory Ethnonyms
 17.10 'Non-Ethnonyms' and 'Ethnonymic Gaps'
 17.11 Summary and Conclusion

 最後の "Summary and Conclusion" を引用し,この分野の魅力を垣間見ておこう.

In this chapter I have tried to show that while 'ethnonym' is a commonly used term among onomastic scholars, not all regard ethnonyms as proper names. This anomalous status is linked to uncertainties about defining the entity which is named with an ethnonym, with (for example) terms like 'race' and 'ethnic group' being at times synonymous, and at other times part of each other's set of defining elements. Together with 'race' and 'ethnicity', other defining elements have included language, nationality, religion, geographical area, and culture. The links between ethnonyms and some of these elements, such as religion, are both complex and debatable; while other links, such as between ethnonyms and language, and ethnonyms and nationality, produce intriguing onomastic dynamics. Ethnonyms display the same kind of variations and alternatives as can be found for personal names and place-names: morpho-syntactic variations, endonymic and exonymic forms, and alternative names for the same ethnic entity, generally regarded as falling into the general spectrum of nicknames. Examples have been given of the interface between ethnonyms, personal names, toponyms, and glossonyms.
   In conclusion, although ethnonyms have an anomalous status among onomastic scholars, they display the same kinds of linguistic, social, and cultural characteristics as proper names generally.


 「民族」周辺の用語と定義の難しさについては以下の記事も参照.

 ・ 「#1871. 言語と人種」 ([2014-06-11-1])
 ・ 「#3599. 言語と人種 (2)」 ([2019-03-05-1])
 ・ 「#3706. 民族と人種」 ([2019-06-20-1])
 ・ 「#3810. 社会的な構築物としての「人種」」 ([2019-10-02-1])

 また,ethnonym のおもしろさについては,関連記事「#5118. Japan-ese の語尾を深掘りする by khelf 新会長」 ([2023-05-02-1]) も参照されたい.

 ・ Koopman, Adrian. "Ethnonyms." Chapter 17 of The Oxford Handbook of Names and Naming. Ed. Carole Hough. Oxford: OUP, 2016. 251--62.

Referrer (Inside): [2024-02-07-1]

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2023-10-27 Fri

#5296. theolinguistics --- 神言語学? [linguistics][religion][philology][theolinguistics]

 Crystal の言語学用語辞典をパラパラとめくっていて,theolinguistics という項目に目が留まった.こんな分野があるのかと驚いた.theo- はギリシア語由来の連結形で「神」を表わす.文字通りにいえば「神言語学」となる.もう少し拡げた「宗教言語学」辺りの訳がよいのだろうか.OED にも立項されていない.以下,Crystal (484) からの説明を読んでみよう.

theolinguistics (n.) A term which has been used for the study of the relationship between LANGUAGE and religious thought and practice, as illustrated by ritual, sacred texts, preaching, doctrinal statements and private affirmations of belief. The distinctiveness of religious language usually takes the forms of a special set of VARIETIES within a language, but special scripts and languages (as with Ge'ez in the Ethiopian Church) may also be found, and considerable attention needs to be paid to PHILOLOGICAL enquiry, given the way much religious language takes its origin from old texts and practices.


 宗教と言語の関係については本ブログでも religion のタグを付けた記事群で様々な角度から取り上げてきたが,このような関心に対して分野名がつけられているとは知らなかった.例えば,上記の説明と関連の深い話題として「#5230. 「宗教の言葉」 --- 『宗教学事典』より」 ([2023-08-22-1]) や「#5233. 「言葉の宗教」 --- 『宗教学事典』より」 ([2023-08-25-1]) などを参照されたい.
 さらに上記の説明で驚いたのは,最後の部分でことさらに philology (文献学)との関係が注目されていることだ.宗教言語の保守性については私も関心を抱いており「#753. なぜ宗教の言語は古めかしいか」 ([2011-05-20-1]),「#2417. 文字の保守性と秘匿性」 ([2015-12-09-1]) などで触れてきたが,この関心の持ち方はそもそも theolinguistic なものだったことになる.
 "theolinguistics" --- 名前を与えられると,突然,対象がまとまりをもったものに見えてきた.この分野の書籍として例えば次のようなものが出版されているようだ.さらなる関心を寄せていきたい.

 ・ Chilton, Paul A. and Monika Weronika Kopytowska. Religion, Language, and the Human Mind. New York: OUP, 2018.
 ・ Hobbs, Valerie. An Introduction to Religious Language: Exploring Theolinguistics in Contemporary Contexts. Bloomsbury, 2021.

 ・ Crystal, David, ed. A Dictionary of Linguistics and Phonetics. 6th ed. Malden, MA: Blackwell, 2008.

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2023-09-15 Fri

#5254. 神の名前をめぐって [onomastics][name_project][religion][taboo][euphemism][oxymoron]

 名前プロジェクト (name_project) の一環として,固有名と異名について考えている.見方によれば,一神教における神は固有名中の固有名といってよい.このような神を何と呼ぶかという問いは,言語学を超えて神学や宗教学の領域に踏み込むことになる.あまりに大きな話題なので,今回は『宗教学事典』の「名前」の項 (350--51) に依拠して述べる.
 キリスト教では神の名をみだりに唱えることは禁止されている.神聖なるもの,あるいは「畏るべき」「魅する」ものを直接名指しすることはタブー (taboo) としてはばかられるためである(cf. 「#5251. 「名前」 --- 『宗教学事典』より」 ([2023-09-12-1])).
 ヒンドゥー教でも同様に神の名はタブーであるため,婉曲表現 (euphemism) による「異名」が数多くある.例えば,シヴァの名前は「縁起のいい」を意味する一般の形容詞にすぎない.
 イスラムでは,神アッラーの諸側面を表わす99の神の「美称」が神学的に整理されている.アッラーという名前そのものについても語源が諸説ある.ちなみに,ヤハウェについても同様に紛々としている.
 あらためてキリスト教の神に戻ると,その無限性や超越性を示すために,様々な異名が案出されてきた.そのなかには撞着語法 (oxymoron) によるものも多い.例えば「輝く闇」「不眠の眠」「不動の動」「超本質」「超卓越」「反対の一致」などである.このような矛盾を含んだ名づけの背景にある思弁は「否定神学」といわれる.
 否定神学にみられる神の名づけとその名前は,私たちが日常的に理解するものとはかけ離れたものである.この乖離こそが,前者が世界に意味づけを与えることを可能にしている.同項 (351) によれば,

固有名は,それについての確定記述と同一ではない,と S. A. クリプキは論じる.固有名は,あたかも人間の「顔」(E. レヴィナス)のように一気に把握されるのである.したがって,固有名を執拗に忌避する否定神学は,いわば「顔なき顔」の神と向き合っているのである.ところで,人間の顔は,コンテキストを瞬時に伝達する「ハイ・コンテキスト性」(斉藤環)を備えている.ユダヤの神は,その名を「私は「私である」である」 (I am that I am =エフイェ アシェル エフイェ)」(出エジプト記3:14)と答えた.これは,いかなる確定記述をも拒否する極限的固有名たる「顔なき顔」としての神が,それでも顔であるがゆえに,世界にコンテキストを,すなわち意味を与えている,という究極の自己啓示である.

 タブーと婉曲表現,ここに極まれり.

 ・ 星野 英紀・池上 良正・氣田 雅子・島薗 進・鶴岡 賀雄(編) 『宗教学事典』 丸善株式会社,2010年.

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2023-09-12 Tue

#5251. 「名前」 --- 『宗教学事典』より [religion][onomastics][name_project][kotodama][religion][bible]

 『宗教学事典』より言葉に関する項目をつまみ食いしていくシリーズ.「名前プロジェクト」 (namae_project) で注目している「名前」を宗教学の観点からみると,これほどまでにおもしろい.視点の切り替えはエキサイティングである.

 名前とは,広く捉えれば文法でいうところの名詞であり,あるもの/ことを示すために用いられる言語表現である.この意味での名前=名詞は,一般的なもの/ことを表すために用いられる「普通名詞」と,個別のもの/ことのみをさす「固有名」とに大別される.前者は,「うちの犬」や「柴犬」のように,それぞれの要素にも,それらを包括する全体(「犬」)にも運用されるが,後者は,かけがえのない個物にしか適用されない.後者が,狭い意味における名前であろう(人の名前,町の名前,山や川の名前など……).
 しかし,上記いずれの意味においても,名前は古来洋の東西を問わず,単なる言語による表示というレベルを超えた呪術的な力を備えたものとして扱われてきた.そういった経緯を,ラテン語の格言 "nomen est omen" 「名は予兆なり」がよく表し.名前は,何かそれ以上のものをもたらし,名前の付与は,その名づけられたものを支配することにも通じるのである(例えば,創世記2:19).わが国における忌詞や,南無阿弥陀仏という語句を呪語として用いる風も,名前というものが,「畏るべき」であると当時〔ママ〕に「魅する」という,「聖なるもの」 R. オットーの属性を備えていることを,おぼろげに示している.かくして,出生時における名前の付与(例えば,洗礼名)や,様々な機会における名前の変更(例えば,戒名)などは,諸宗教における重要な儀礼的契機である.また,長く待ち望まれたこの出生の際に,希望や感謝の念を込めた名前を付したり,転生や死後にわたる生の存続を願って祖父母の名前を子につけるといった慣習も,一文化や一民族に限られるものではない.福音書においてイエス・キリストに付与される「インマヌエル=神われらととおに」(マタイによる福音書1:23=イザヤ書7:14)といった名前なども,そういった事例の一つと捉えることができよう.


 名前には「畏るべき」「魅する」という「聖なるもの」としての属性があるという指摘は意味深長である.名前は,言語活動の道具としてみると,ただの名前にすぎないともいえるが,一方で聖なる性質を備えたものととらえるのであれば,畏怖と魅惑の対象にすらなるのである.
 宗教学における名前の議論として最も重要なものは,神(々)の名前だろう.もっともタブー性の強い対象である.
 宗教学のつまみ食いシリーズとして,以下の記事も参照.

 ・ 「#5221. 「祈り」とは何だろうか? (2)」 ([2023-08-13-1])
 ・ 「#5230. 「宗教の言葉」 --- 『宗教学事典』より」 ([2023-08-22-1])
 ・ 「#5233. 「言葉の宗教」 --- 『宗教学事典』より」 ([2023-08-25-1])

 ・ 星野 英紀・池上 良正・氣田 雅子・島薗 進・鶴岡 賀雄(編) 『宗教学事典』 丸善株式会社,2010年.

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2023-09-12 Tue

#5251. 「名前」 --- 『宗教学事典』より [religion][onomastics][name_project][kotodama][religion][bible]

 『宗教学事典』より言葉に関する項目をつまみ食いしていくシリーズ.「名前プロジェクト」 (namae_project) で注目している「名前」を宗教学の観点からみると,これほどまでにおもしろい.視点の切り替えはエキサイティングである.

 名前とは,広く捉えれば文法でいうところの名詞であり,あるもの/ことを示すために用いられる言語表現である.この意味での名前=名詞は,一般的なもの/ことを表すために用いられる「普通名詞」と,個別のもの/ことのみをさす「固有名」とに大別される.前者は,「うちの犬」や「柴犬」のように,それぞれの要素にも,それらを包括する全体(「犬」)にも運用されるが,後者は,かけがえのない個物にしか適用されない.後者が,狭い意味における名前であろう(人の名前,町の名前,山や川の名前など……).
 しかし,上記いずれの意味においても,名前は古来洋の東西を問わず,単なる言語による表示というレベルを超えた呪術的な力を備えたものとして扱われてきた.そういった経緯を,ラテン語の格言 "nomen est omen" 「名は予兆なり」がよく表し.名前は,何かそれ以上のものをもたらし,名前の付与は,その名づけられたものを支配することにも通じるのである(例えば,創世記2:19).わが国における忌詞や,南無阿弥陀仏という語句を呪語として用いる風も,名前というものが,「畏るべき」であると当時〔ママ〕に「魅する」という,「聖なるもの」 R. オットーの属性を備えていることを,おぼろげに示している.かくして,出生時における名前の付与(例えば,洗礼名)や,様々な機会における名前の変更(例えば,戒名)などは,諸宗教における重要な儀礼的契機である.また,長く待ち望まれたこの出生の際に,希望や感謝の念を込めた名前を付したり,転生や死後にわたる生の存続を願って祖父母の名前を子につけるといった慣習も,一文化や一民族に限られるものではない.福音書においてイエス・キリストに付与される「インマヌエル=神われらととおに」(マタイによる福音書1:23=イザヤ書7:14)といった名前なども,そういった事例の一つと捉えることができよう.


 名前には「畏るべき」「魅する」という「聖なるもの」としての属性があるという指摘は意味深長である.名前は,言語活動の道具としてみると,ただの名前にすぎないともいえるが,一方で聖なる性質を備えたものととらえるのであれば,畏怖と魅惑の対象にすらなるのである.
 宗教学における名前の議論として最も重要なものは,神(々)の名前だろう.もっともタブー性の強い対象である.
 宗教学のつまみ食いシリーズとして,以下の記事も参照.

 ・ 「#5221. 「祈り」とは何だろうか? (2)」 ([2023-08-13-1])
 ・ 「#5230. 「宗教の言葉」 --- 『宗教学事典』より」 ([2023-08-22-1])
 ・ 「#5233. 「言葉の宗教」 --- 『宗教学事典』より」 ([2023-08-25-1])

 ・ 星野 英紀・池上 良正・氣田 雅子・島薗 進・鶴岡 賀雄(編) 『宗教学事典』 丸善株式会社,2010年.

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2023-08-25 Fri

#5233. 「言葉の宗教」 --- 『宗教学事典』より [religion][semantics][semantic_change][polysemy][register][kotodama]

 「#5230. 「宗教の言葉」 --- 『宗教学事典』より」 ([2023-08-22-1]) で引用した『宗教学事典』の次の部分に,2項を逆転させた「言葉の宗教」という小見出しを掲げている文章がある (347--38) .

言葉の宗教 他方,神の啓示を絶対的真理として受容しそれに聴従する啓示宗教---宣言型の宗教にほぼ重なる---では,神が啓示した言葉が信仰者に受容され,やがて「聖典・経典」が編纂される.それは何よりも絶対的真理が記された書であり,一切の価値判断の基準が神の絶対性に求められる以上,そこに誤謬はありえない.これが啓典の民が抱く信仰の根本にある.ユダヤ教・キリスト教・イスラームなどの一神教において,こうした聖典無謬性の主張は比較的顕著に窺えるが,ヒンドゥー教などの多神教でも,聖典の聖句に対する神聖視は容易に観察できる.聖典に対する呪物崇拝や解釈上の聖典原理主義が生まれる土壌は,言葉の宗教に本質的に内蔵されているのである.
 また,超越的霊威の言葉(神の言,仏説など)が記された聖典・聖書が絶対的真理を含むのみならず,そこに書かれた聖句や聖音が絶対的価値を帯びているとみなされることもある.そのような聖音が母源となって,他の一切の音韻が派生・分岐したとみなされる場合,言葉それ自体が神格化されて,最終的には言葉が宇宙の万物を生み出す想像原理であると主張されることになる.すなわち,言葉を宇宙万物の構成要素と見る「言語宇宙論」である.一見すると,原始心性の中で培養された,理性が未発達ゆえの素朴で稚拙な言語観と受け取られる可能性が高いものである.


 最後に出てくる「言語宇宙論」という壮大な言語観について,少し間をおいて次のように文章が続く (348) .

「意思伝達」に焦点を絞る限り,日常言語の働きは,①表出・②訴え・③指示・④述定にある.それは,「①誰かが,②誰かに,③何ものかについて,④何ごとかを語る」という四肢構造の枠組みで考察することができるだろう.実は,こうした「意思伝達」を暗黙の前提にした言語観の認識枠組みには収まり切らない異質な言語理解の観点が,先述の言語宇宙論には含まれている.つまり,そこには言語の主要機能を「意思伝達」ではなく,「宇宙創造」と捉えるような言語観が示されていると理解できるのである.


 「言語宇宙論」は,現代言語学では取り扱われることのない言語観ではあるが,1つの言語観ではある.

 ・ 星野 英紀・池上 良正・氣田 雅子・島薗 進・鶴岡 賀雄(編) 『宗教学事典』 丸善株式会社,2010年.

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2023-08-22 Tue

#5230. 「宗教の言葉」 --- 『宗教学事典』より [religion][semantics][semantic_change][polysemy][register][kotodama]

 「#5221. 「祈り」とは何だろうか? (2)」 ([2023-08-13-1]) で触れた『宗教学事典』をパラパラと読み続けている.「言葉・言霊」の項目下に「宗教の言葉」 (346--47) という小見出しの興味深い解説があった.宗教言語と日常言語は何がどう異なっているのだろうか.

宗教の言葉 宗教の場において生起する言葉,あるいはそこで使用される言葉の総体は,一般に「宗教言語」と呼ばれている.例えば,「神の愛」や「仏国土」が語られる場合,その神の「愛」や仏「国土」は,日常会話で言われる意味合いとは次元を異にした,人間の概念的把握を超えた一種の絶対性を示すものである.語彙としては日常言語と同じでも,それが宗教の場に現れると,完全に異次元の意味を帯びうるのである.このように,日常言語で流通している意味を遮断し,それとは断絶した超越的次元を指し示す働きが,宗教言語にはある.
 宗教の場とは,具体的には,宗教経験が成立する場であり,また儀礼や祭祀が行われる場である.そこでは,「絶対が相対となる」逆説,反対方向から見れば,「相対が絶対となる」逆説が生じている.超越的霊異が言葉として現れるとき,神の言や仏説(仏が説いた教え,仏典)として受容されるが,その言葉は日常生活で使用される言葉と同じ言語体系に属するものである.さもなければ,神の言や仏説は,それとして理解されえない.つまり,宗教の場では,絶対が相対となる現象として,まさに日常の言葉(相対)が絶対性を獲得する事態が生じるのである.超越的次元が開示されたり,超越的次元を指示したりするほどに,言葉が変成を遂げるのである.こうした宗教の場では,何らかの仕方で,日常生活の流れが断ち切られて超越的次元との統一に向かう一方,その統一から再び日常生活に復帰するという不断の往復運動が見られる.この「日常からの超脱→(絶対との統一)→日常への復帰」という逆方向の二重の運動が,宗教経験や宗教儀礼の全振幅をなしている.
 ところで,変成した言葉,つまり宗教言語にはいくつかの次元や位相が折り込まれていると想定される.超越的霊異が現れた絶対的真理は,直観・象徴・概念の形で把握されるのが普通である.それゆえ,宗教言語が孕む次元や位相の相違は,それを受け取る側での認識様態の相違として理解することができる.神自身が物語る神話・神託・啓示,仏による法身説法・仏説そのもの(いわば第一次の宗教言語)は,まず直観的に感得され,覚醒や救済の自覚・再認が深められてゆく.次いで,信仰告白や信解の言葉(第二次の宗教言語)が信仰集団に共有され,象徴的な意匠を纏って儀礼の内に取り込まれる.そして,概念的な精錬を経ながら聖典・経典が編纂され,ついには神学・教学など学問的地平で体系的な論議の言葉(第三次の宗教言語)が産出される.
 宗教の場において宗教言語が発生するとともに,逆に宗教言語によって宗教の場それ自体が磁化され,根源的な生命力で再構成されるという側面がある.とりわけ,祈りの言葉や瞑想の言葉は,宗教言語の本質的特性が最も凝縮されたものといえる.祈りや冥想において生じるのは,自我意識の我執が否定的に解体されて無となり,そこに絶対の次元が開かれて透入するという事態である.イエスの祈り,ディクル(スーフィーの称名),念仏,題目,マントラ(真言),祝詞,神呪などの祈りや冥想の定型句は,よく知られている.その種の定型句を称えることは,そのつど「日常からの超脱(→絶対との統一)→日常への復帰」が端的に実現されることに他ならない.古来,聖句・聖音の口誦が伝統的に重視され,宗教的行法の一環として組み込まれてきた所以である.


 いろいろと疑問が湧いてきた.宗教の場においては「愛」や「国土」の意味が変わるということだが,これは果たして意味論 (semantics) の考察対象になるのだろうか.日常言語と宗教言語の間に,多義性 (polysemy) や意味変化 (semantic_change) が生じていると考えてよいのだろうか.辞書などでは,宗教的な語義に関して【宗教(学)】や【キリスト教】などのレーベルが付加されることもあるだろうから,レジスターの問題としてとらえられているのだろうか.
 一方,上の引用では「受け取る側での認識様態の相違」という表現が用いられている.受け取る側で意味を創造したり選択したりしているのだとすれば,意味変化・変異の主体をめぐる問題とも関わってくるだろう.これについては「#1936. 聞き手主体で生じる言語変化」 ([2014-08-15-1]) などを参照.
 祈りの言語については「#3908. 「祈り」とは何だろうか?」 ([2020-01-08-1]) と「#5221. 「祈り」とは何だろうか? (2)」 ([2023-08-13-1]) も参照.「#753. なぜ宗教の言語は古めかしいか」 ([2011-05-20-1]) も関係してくるだろう.

 ・ 星野 英紀・池上 良正・氣田 雅子・島薗 進・鶴岡 賀雄(編) 『宗教学事典』 丸善株式会社,2010年.

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2023-08-13 Sun

#5221. 「祈り」とは何だろうか? (2) [sobokunagimon][optative][religion][terminology][etymology]

 『宗教学事典』をめくりながら言語に関係する事項をつまみ読みしていたところ,「祈り」の項目に行き当たった.祈りについては「#3908. 「祈り」とは何だろうか?」 ([2020-01-08-1]) で一度考えたことがあった.今回はこの項目の記述を頼りに,祈りを理解するための手がかりを得たい (260--61) .

 近代における宗教学の黎明期には,宗教の起源をめぐる問いが大きな関心を集め,宗教と呪術の区別に関する問題が盛んに議論された.この問題意識が,祈りと呪文・呪言の区別をめぐる問いへと通じている.祈りに関する包括的な研究の古典である『祈り』 (Das Gebet, 1918) を著した F. ハイラーによれば,高次の人格的な超越的存在へと向けられる祈りは呪術的な諸形式から区別され,称名(神仏など超自然的存在の名を唱えること),祝福,呪い,誓願,あるいは単に人間の願望の実現を求める祈願などにおいては,祈りと呪術的形式の融合が生じているという.また,祈りを人格的な超越的存在との交わりと考える立場からは,瞑想が祈りと区別されることもある.しかし,祈りとその周辺に置かれる宗教的な諸形式との間の境界線は流動的である.例えば,称名には言葉の力に頼る呪術的な契機だけでなく祈願や感謝・賛美などの性格もみられるし,占いや予言が超越的存在からの知らせという形をとる場合にも祈りと類似する構造が現れる.自らの健康維持を祈るような場合は,祈りがむしろ誓願に近づいているとも考えられる.
 「祈り」を意味する言葉の語源からは,祈りという現象の文化k的なコンテキストを垣間見ることができる.英語の "prayer" やドイツ語の "Gebet" など「祈り」を意味する西欧の言語はいずれも「頼む,願う」などの言葉に起源を持つのに対して,日本語の「いのり」は,「い」すなわち神聖なもの,ないし斎,忌などを表す語と「のる」すなわち告げる,ないし宣べるといった意味の語との組み合わせからできており,古くは「神“に”祈る」ではなく「神“を”祈る」という用法もみられたという.すなわち,頼み願う対象としての人格的な存在を前提とする西欧的な考え方とは異なり,日本語の「いのり」では,祈りの言葉自体に生命力や神聖なものが宿ると考えられていたことがわかるのである.


 祈りと他の関連する宗教形式との厳密な区別は難しそうである.とすれば,祈りの言葉と,他の関連する宗教形式の言葉との厳密な区別も難しいということになるだろう.
 宗教(学)と言語(学)の掛け算は,いずれの立場にとってもエキサイティングであり,沃野といってよい.本ブログからは「#1546. 言語の分布と宗教の分布」 ([2013-07-21-1]),「#2485. 文字と宗教」 ([2016-02-15-1]) を含め religion の各記事を参照.

 ・ 星野 英紀・池上 良正・氣田 雅子・島薗 進・鶴岡 賀雄(編) 『宗教学事典』 丸善株式会社,2010年.

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