昨日の Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」で,立命館大学の岡本広毅先生と対談ならぬ雑談をしました.「#386. 岡本広毅先生との雑談:サイモン・ホロビンの英語史本について語る」です.
昨秋にも「#173. 立命館大学,岡本広毅先生との対談:国際英語とは何か?」と題して対談していますので,よろしければそちらもお聴きください.
さて,今回の雑談は,Simon Horobin 著 The English Language: A Very Short Introduction を巡ってお話ししようというつもりで始めたのですが,雑談ですので流れに流れて vernacular の話しにたどり着きました.とはいえ,実は一度きちんと議論してみたかった話題ですので,おしゃべりが止まらなくなってしまいました.
ただ,偶然にこの話題にたどり着いたわけでもありません.岡本先生は立命館大学国際言語文化研究所のプロジェクト「ヴァナキュラー文化研究会」に所属されているのです! Twitter による発信もしているということで,こちらからどうぞ.
vernacular は英語史や中世英語英文学を論じる際には重要なキーワードです.さらに21世紀の世界英語を論じるに当たっても有効な概念・用語となるかもしれません.hellog でも真正面から取り上げたことはなかったので,今回の岡本先生との雑談を機に,これから少しずつ考えていきたいと思います.
英語史の文脈で出てくる vernacular は,中世から初期近代にかけて公式で威信の高い国際語としてのラテン語に対して,イングランドの人々が母語として日常的に用いていた言語としての英語を指すのに用いられます.要するに vernacular とは「英語」のことを指すわけですが,常にラテン語との対比が意識されているものとしての「英語」を指すというのがポイントです.diglossia の用語でいえば,H(igh variety) のラテン語に対する L(ow variety) の英語という構図を念頭に置いた L のことを vernacular と呼んでいるわけです.
いくつか辞書を引いて定義を見てみましょう.
noun
1 (usually the vernacular) [singular] the language spoken in a particular area or by a particular group, especially one that is not the official or written language
2 [uncountable] (technical) a style of architecture concerned with ordinary houses rather than large public buildings (OALD8)
noun [C usually singular]
1. the form of a language that a regional or other group of speakers use naturally, especially in informal situations
- The French I learned at school is very different from the local vernacular of the village where I'm now living.
- Many Roman Catholics regret the replacing of the Latin mass by the vernacular.
2. specialized in architecture, a local style in which ordinary houses are built
3. specialized dance, music, art, etc. that is in a style liked or performed by ordinary people (CALD3)
noun [countable] [usually singular]
the language spoken by a particular group or in a particular area, when it is different from the formal written language (MED2)
n 土地ことば,現地語,《外国語に対して》自国語;日常語;《ある職業・集団に特有の》専門[職業]語,仲間ことば;《動物・植物に対する》土地の呼び名,(通)俗名(=~ name);土地[時代,集団]に特有な建築様式;《建築・工芸などの》民衆趣味,民芸風.(『リーダーズ英和辞典第3版』)
その他『新英和大辞典第6版』で vernacular の見出しのもとに挙げられている例文が,英語史の文脈での典型的な使い方となります."Latin gave place to the vernacular." や "In Europe, the rise of the vernaculars meant the decline of Latin." のように.また,『新編英和活用大辞典』からは "English has given place to the vernacular in that part of Asia." という意味深長な例文が見つかりました.
上記「ヴァナキュラー文化研究会」の Twitter の見出しからも引用しておきましょう.
《ヴァナキュラー》とは権威に保護されていないもの、日常生活と共に動く俗なもの。非主流・周縁・土着。本研究は、変容し生き続ける文化の活力に迫る。
vernacular とは何か,今後も考え続けていきたいと思います.
・ Horobin, Simon. The English Language: A Very Short Introduction. Oxford: OUP, 2018.
・ Horobin, Simon. How English Became English: A Short History of a Global Language. Oxford: OUP, 2016.
昨日の記事「#4504. ラテン語の来し方と英語の行く末」 ([2021-08-26-1]) に引き続き,「世界語」としての両者がたどってきた歴史を比べることにより英語の未来を占うことができるだろうか,という問題について.
ラテン語と英語をめぐる歴史社会言語学的な状況について,共通点と相違点を思いつくままにブレストしてみた.
[ 共通点 ]
・ 話し言葉としては様々な(しばしば互いに通じない)言語変種へ分裂したが,書き言葉としては1つの標準的変種におよそ収束している
・ 潜在的に非標準変種も norm-producing の役割を果たし得る(近代国家においてロマンス諸語は各々規範をもつに至ったし,同じく各国家の「○○英語」が規範的となりつつある状況がある)
・ ラテン語は多言語のひしめくヨーロッパにあってリンガ・フランカとして機能した.英語も他言語のひしめく世界にあってリンガ・フランカとして機能している.
[ 相違点 ]
・ ラテン語は死語であり変化し得ないが,英語は現役の言語であり変化し続ける
・ ラテン語の規範は不変的・固定的だが,英語の規範は可変的・流動的
・ ラテン語は書き言葉と話し言葉の隔たりが大きく,前者を日常的に用いる人はいない(ダイグロシア的).しかし,英語については,標準英語話者に関する限りではあるが,書き言葉と話し言葉の隔たりは比較的小さく,前者に近い変種を日常的に用いる人もいる(非ダイグロシア的)
・ ラテン語は地理的にヨーロッパのみに閉じていたが,英語は世界を覆っている
・ ラテン語には中世以降母語話者がいなかったが,英語には母語話者がいる
・ ラテン語は学術・宗教を中心とした限られた(文化的程度の高い)分野において主として書き言葉として用いられたが,英語は分野においても媒体においても広く用いられる
・ ラテン語の規範を定めたのは使用者人口の一部である社会的に高い階層の人々.英語の規範を定めたのも,18世紀を参照する限り,使用者人口の一部である社会的に高い階層の人々であり,その点では似ているといえるが,21世紀の英語の規範を作っている主体はおそらくかつてと異なるのではないか.一般の英語使用者が集団的に規範制定に関与しているのでは?
時代も状況も異なるので,当然のことながら相違点はもっと挙げることができる.例えば,関わってくる話者人口などを比較すれば,2桁も3桁も異なるだろう.一方,共通項をくくり出すには高度に抽象的な思考が必要で,そう簡単にはアイディアが浮かばない.皆さん,いかがでしょうか.
英語の未来を考える上で,英語史はさほど役に立たないと思っています.しかし,人間の言語の未来を考える上で,英語史は役に立つだろうと思って日々英語史の研究を続けています.
The Guardian にて,英語語彙の3層構造に関する標題の記事が挙げられていた(記事はこちら). *
英語語彙の3層構造については本ブログでも「#2977. 連載第6回「なぜ英語語彙に3層構造があるのか? --- ルネサンス期のラテン語かぶれとインク壺語論争」」 ([2017-06-21-1]) やそこから張ったリンク先の記事でいろいろと解説し議論してきたので,ここで詳しく繰り返すことはしない.概要のみ述べておくと,英語語彙は3段のピラミッドを構成しており,一般には最下層に英語本来語が,中間層にフランス借用語が,最上層にラテン借用語が収まっている.これは歴史的な言語接触の遺産であるとともに,中世から初期近代のイングランド社会において英語話者,フランス語話者,ラテン語話者の各々がいかなる社会階層に属していたかを映し出す鏡でもある.非常に単純化していえば,下層から上層に向かって,"those who work" or "workers", "those who fight" or "clerks", "those who pray" or "the powerful"という集団が所属していたということになる.
標題の記事の内容は,この伝統的な階層区分について,EU離脱などを巡って分断している現代イギリス社会にも対応物があるという趣旨であり,それによると最下層が "workers" というのは変わらないが,中間層は "the middle class" に,最上層は "the clerkly class" に対応するという."the clerkly class" に含まれるのは,"academics, thinktankers, lawyers, writers, many artists, scientists, journalists and students, some comedians and politicians, even some entrepreneurs, as well as actual clerics --- anyone whose sense of self depends on an abstract frame of reference" ということらしい.
記事の書き手は,中世の社会階層,現代の社会階層,英語の語彙階層の平行性(および,ときに非平行性)を指摘しながら現代イギリス社会を批評しており,議論の内容は言語学的というよりは,明らかに政治的である.しかし,語彙の3層構造について1つ重要なことを述べている."[French and Latin] seeped into what we call English and made themselves at home, giving the language its fantastical redundancy, creating something half-Germanic, half-Romance. Trilinguality was internalised." というくだりだ.もともとは社会的な現象である diglossia における上下関係が,いかにして意味論・語用論的な register の上下関係へと「言語内化」するのか,というのが私の長らくの問題意識なのだが,ここでさらっと "internalised" と述べられている現象の具体的なプロセスこそが知りたいのである.
未解決の問題ではあるが,関連する話題を以下のような記事で扱ってきたので,ご参照を.
・ 「#1583. swine vs pork の社会言語学的意義」 ([2013-08-27-1])
・ 「#1491. diglossia と borrowing の関係」 ([2013-05-27-1])
・ 「#1489. Ferguson の diglossia 論文と中世イングランドの triglossia」 ([2013-05-25-1])
・ 「#1380. micro-sociolinguistics と macro-sociolinguistics」 ([2013-02-05-1])
昨日の記事「#3752. フランス語のケルト借用語」 ([2019-08-05-1]) で,フランス語におけるケルト借用語を概観した.今回はそれと英語のケルト借用語とを比較・対照しよう.
英語のケルト借用語の数がほんの一握りであることは,「#3740. ケルト諸語からの借用語」 ([2019-07-24-1]),「#3750. ケルト諸語からの借用語 (2)」 ([2019-08-03-1]) で見てきた.一方,フランス語では昨日の記事で見たように,少なくとも100を越えるケルト単語が借用されてきた.量的には英仏語の間に差があるともいえそうだが,絶対的にみれば,さほど大きな数ではない.文字通り,五十歩百歩といってよいだろう.いずれの社会においても,ケルト語は社会的に威信の低い言語だったということである.
しかし,ケルト借用語の質的な差異には注目すべきものがある.英語に入ってきた単語には日常語というべきものはほとんどないといってよいが,フランス語のケルト借用語には,Durkin (85) の指摘する通り,以下のように高頻度語も一定数含まれている(さらに,そのいくつかを英語はフランス語から借用している).
. . . changer is quite a high-frequency word, as are pièce and chemin (and its derivatives). If admitted to the list, petit belongs to a very basic level of the vocabulary. The meanings 'beaver', 'beer', 'boundary', 'change', 'fear' (albeit as noun), 'to flow', 'he-goat', 'oak', 'piece', 'plough' (albeit as verb), 'road', 'rock', 'sheep', 'small', and 'sow' all figure in the list of 1,460 basic meanings . . . . Ultimately, through borrowing from French, the impact is also visible in a number of high-frequency words in the vocabulary of modern English . . . beak, carpentry, change, cream, drape, piece, quay, vassal, and (ultimately reflecting the same borrowing as French char 'chariot') carry and car.
この質的な差異は何によるものなのだろうか.伝統的な見解にしたがえば,ブリテン島のブリトン人はアングロサクソン人の侵入により比較的短い期間で駆逐され,英語への言語交代 (language_shift) も急速に進行したと考えられている.一方,ガリアのゴール人は,ラテン語・ロマンス祖語の話者たちに圧力をかけられたとはいえ,長期間にわたり共存する歴史を歩んできた.都市ではラテン語化が進んだとしても,地方ではゴール語が話し続けられ,diglossia の状況が長く続いた.言語交代はあくまでゆっくりと進行していたのである.その後,フランス語史にはゲルマン語も参入してくるが,そこでも劇的な言語交代はなかったとされる.どうやら,英仏語におけるケルト借用語の質の差異は言語接触 (contact) と言語交代の社会的条件の違いに帰せられるようだ.この点について,Durkin (86) が次のように述べている.
. . . whereas in Gaul the Germanic conquerors arrived with relatively little disruption to the existing linguistic situation, in Britain we find a complete disruption, with English becoming the language in general use in (it seems) all contexts. Thus Gaul shows a very gradual switch from Gaulish to Latin/Romance, with some subsequent Germanic input, while Britain seems to show a much more rapid switch to English from Celtic and (maybe) Latin (that is, if Latin retained any vitality in Britain at the time of the Anglo-Saxon settlement).
この英仏語における差異からは,言語接触の類型論でいうところの,借用 (borrowing) と接触による干渉 (shift-induced interference) の区別が想起される (see 「#1985. 借用と接触による干渉の狭間」 ([2014-10-03-1]), 「#1780. 言語接触と借用の尺度」 ([2014-03-12-1])) .ブリテン島では borrowing の過程が,ガリアでは shift-induced interference の過程が,各々関与していたとみることはできないだろうか.
フランス語史の光を当てると,英語史のケルト借用語の特徴も鮮やかに浮かび上がってくる.これこそ対照言語史の魅力である.
・ Durkin, Philip. Borrowed Words: A History of Loanwords in English. Oxford: OUP, 2014.
本ブログでは,言語交替 (language_shift) の話題を何度か取り上げてきたが,今回は原点に戻って定義を考えてみよう.Trudgill と Crystal の用語集によれば,それぞれ次のようにある.
language shift The opposite of language maintenance. The process whereby a community (often a linguistic minority) gradually abandons its original language and, via a (sometimes lengthy) stage of bilingualism, shifts to another language. For example, between the seventeenth and twentieth centuries, Ireland shifted from being almost entirely Irish-speaking to being almost entirely English-speaking. Shift most often takes place gradually, and domain by domain, with the original language being retained longest in informal family-type contexts. The ultimate end-point of language shift is language death. The process of language shift may be accompanied by certain interesting linguistic developments such as reduction and simplification. (Trudgill)
language shift A term used in sociolinguistics to refer to the gradual or sudden move from the use of one language to another, either by an individual or by a group. It is particularly found among second- and third-generation immigrants, who often lose their attachment to their ancestral language, faced with the pressure to communicate in the language of the host country. Language shift may also be actively encouraged by the government policy of the host country. (Crystal)
言語交替は個人や集団に突然起こることもあるが,近代アイルランドの例で示されているとおり,数世代をかけて,ある程度ゆっくりと進むことが多い.関連して,言語交替はしばしば bilingualism の段階を経由するともあるが,ときにそれが制度化して diglossia の状態を生み出す場合もあることに触れておこう.
また,言語交替は移民の間で生じやすいことも触れられているが,敷衍して言えば,人々が移動するところに言語交替は起こりやすいということだろう(「#3065. 都市化,疫病,言語交替」 ([2017-09-17-1])).
アイルランドで歴史的に起こった(あるいは今も続いている)言語交替については,「#2798. 嶋田 珠巳 『英語という選択 アイルランドの今』 岩波書店,2016年.」 ([2016-12-24-1]),「#1715. Ireland における英語の歴史」 ([2014-01-06-1]),「#2803. アイルランド語の話者人口と使用地域」 ([2016-12-29-1]),「#2804. アイルランドにみえる母語と母国語のねじれ現象」 ([2016-12-30-1]) を参照.
・ Trudgill, Peter. A Glossary of Sociolinguistics. Oxford: Oxford University Press, 2003.
・ Crystal, David, ed. A Dictionary of Linguistics and Phonetics. 6th ed. Malden, MA: Blackwell, 2008. 295--96.
社会言語学の話題として取り上げられる diglossia は,しばしば英語史にも適用されてきた.これについては,本ブログでも以下の記事などで取り上げてきた.
・ 「#661. 12世紀後期イングランド人の話し言葉と書き言葉」 ([2011-02-17-1])
・ 「#1203. 中世イングランドにおける英仏語の使い分けの社会化」 ([2012-08-12-1])
・ 「#1486. diglossia を破った Chaucer」 ([2013-05-22-1])
・ 「#1488. -glossia のダイナミズム」 ([2013-05-24-1])
・ 「#1489. Ferguson の diglossia 論文と中世イングランドの triglossia」 ([2013-05-25-1])
・ 「#2148. 中英語期の diglossia 描写と bilingualism 擁護」 ([2015-03-15-1])
・ 「#2328. 中英語の多言語使用」 ([2015-09-11-1])
単純化して述べれば,古英語は diglossia の時代,中英語は triglossia の時代である.アングロサクソン時代の初期には,ラテン語の役割はいまだ大きくなかったが,キリスト教が根付いてゆくにつれ,その社会的な重要性は増し,アングロサクソン社会は diglossia となった.Nevalainen and Tieken-Boon van Ostade (272) によれば,
. . . Anglo-Saxon England became a diglossic society, in that one language came to be used in one set of circumstances, i.e. Latin as the language of religion, scholarship and education, while another language, English, was used in an entirely different set of circumstances, namely in all those contexts in which Latin was not used. In other words, Latin became the High language and English, in its many different dialects, the Low language.
しかし,重要なのは,英語は当時のヨーロッパでは例外的に,法律や文学という典型的に High variety の使用がふさわしいとされる分野においても用いられたことである.古英語の diglossia は,この点でやや変則的である.
中英語期に入ると,イングランド社会における言語使用は複雑化する.再び Nevalainen and Tieken-Boon van Ostade (272--73) から引用する.
This diglossic situation was complicated by the coming of the Normans in 1066, when the High functions of the English language which had evolved were suddenly taken over by French. Because the situation as regards Latin did not change --- Latin continued to be primarily the language of religion, scholarship and education --- we now have what might be referred to as a triglossic situation, with English once more reduced to a Low language, and the High functions of the language shared by Latin and French. At the same time, a social distinction was introduced within the spoken medium, in that the Low language was used by the common people while one of the High languages, French, became the language of the aristocracy. The use of the other High language, Latin, at first remained strictly defined as the medium of the church, though eventually it would be adopted for administrative purposes as well. . . . [T]he functional division of the three languages in use in England after the Norman Conquest neatly corresponds to the traditional medieval division of society into the three estates: those who normally fought used French, those who worked, English, and those who prayed, Latin.
このあと後期中英語にかけてフランス語の使用が減り,近代英語期中にはラテン語の使用分野もずっと限られるようになり,結果としてイングランドは monoglossia 社会へ移行した.以降,英語はむしろ世界各地の diglossia や triglossia に, High variety として関与していくのである.
・ Nevalainen, Terttu and Ingrid Tieken-Boon van Ostade. "Standardisation." Chapter 5 of A History of the English Language. Ed. Richard Hogg and David Denison. Cambridge: CUP, 2006. 271--311.
中英語における,英語,フランス語,ラテン語の3言語使用を巡る社会的・言語的状況については,これまでの記事でも多く取り上げてきた.例えば,以下を参照.
・ 「#334. 英語語彙の三層構造」 ([2010-03-27-1])
・ 「#661. 12世紀後期イングランド人の話し言葉と書き言葉」 ([2011-02-17-1])
・ 「#1488. -glossia のダイナミズム」 ([2013-05-24-1])
・ 「#1960. 英語語彙のピラミッド構造」 ([2014-09-08-1])
・ 「#2025. イングランドは常に多言語国だった」 ([2014-11-12-1])
Crespo (24) は,中英語期における各言語の社会的な位置づけ,具体的には使用域,使用媒体,地位を,すごぶる図式ではあるが,以下のようにまとめている.
LANGUAGE | Register | Medium | Status |
Latin | Formal-Official | Written | High |
French | Formal-Official | Written/Spoken | High |
English | Informal-Colloquial | Spoken | Low |
ENGLAND | Languages | Linguistic situation |
Early Middle Ages | Latin--French--English | TRILINGUAL |
14th--15th centuries | French--English | BILINGUAL |
15th--16th c. onwards | English | MONOLINGUAL |
昨日の記事 ([2015-06-03-1]) に引き続き,マルタの英語事情について.マルタは ESL国であるといっても,インドやナイジェリアのような典型的な ESL国とは異なり,いくつかの特異性をもっている.ヨーロッパに位置する珍しいESL国であること,ヨーロッパで唯一の土着変種の英語をもつことは昨日の記事で触れた通りだが,Mazzon (593) はそれらに加えて3点,マルタの言語事情の特異性を指摘している.とりわけイタリア語との diglossia の長い前史とマルタ語の成立史の解説が重要である.
There are various reasons for the peculiarity of the Maltese linguistic situation: 1) the size of the country, a small archipelago in the centre of the Mediterranean; 2) the composition of the population, which is ethnically and linguistically quite homogeneous; 3) its history previous to the British domination; throughout the centuries, Malta had undergone various invasions, its political history being intimately connected with that of Southern Italy. This link, together with the geographical vicinity to Italy, encouraged the adoption of Italian as a language of culture and, more generally, as an H variety in a well-established situation of diglossia. Italian has been for centuries a very prestigious language throughout Europe, since Italy has one of the best known literary traditions and some of the oldest European universities. Maltese is a language of uncertain origin; it was deeply "restructured" or "refounded" on Semitic lines during the Arab domination, between 870 and 1090 A.D. It has since then followed the same path as other spoken varieties of Arabic, losing almost all its inflections and moving towards analytical types; the close contact with Italian helped in this process, also contributing large numbers of vocabulary items.
現在のマルタ語と英語の2言語使用状況の背景には,シックな言語としての英語への親近感がある.世界の多くのESL地域において,英語に対する見方は必ずしも好意的とは限らないが,マルタでは状況が異なっている.ここには,国民の "integrative motivation" が関与しているという.
The role of this integrative motivation must always be kept in mind in the case of Malta, since the relative cultural vicinity and the process through which Malta became part of the Empire made this case somehow anomalous; many Maltese today simply deny they ever were just a "colony"; young people seem to partake in this feeling and often stress the point that the British never "invaded" Malta: they were invited. There is a widespread feeling that the British never really colonialized the country, they just "came to help"; the connection of the Maltese people with Britain is still quite strong, not only through the British tourists: in many shops and some private houses, alongside the symbols of Catholicism, portraits of the British Royal Family are proudly displayed on the walls. (Mazzon 597)
確かに,マルタはESL地域のなかでは特異な存在のようである.マルタの言語(英語)事情は,社会歴史言語学的に興味深い事例である.
・ Mazzon, Gabriella. "A Chapter in the Worldwide Spread of English: Malta." History of Englishes: New Methods and Interpretations in Historical Linguistics. Ed. Matti Rissanen, Ossi Ihalainen, Terttu Nevalainen, and Irma Taavitsainen. Berlin: Mouton de Gruyter, 1992. 592--601.
マルタ共和国 (Republic of Malta) は,「#177. ENL, ESL, EFL の地域のリスト」 ([2009-10-21-1]),「#215. ENS, ESL 地域の英語化した年代」 ([2009-11-28-1]) で触れたように,ヨーロッパ内では珍しい ESL (English as a Second Language) の国である.同じく,ヨーロッパでは珍しく英連邦に所属している国でもあり (cf. 「#1676. The Commonwealth of Nations」 ([2013-11-28-1])),さらにヨーロッパで唯一といってよいが,土着変種の英語が話されている国でもある.マルタと英語との緊密な関わりには,1814年に大英帝国に併合されたという歴史的背景がある (cf. 「#777. 英語史略年表」 ([2011-06-13-1])).地理的にも歴史的にも,世界の他の ESL 地域とは異なる性質をもっている国として注目に値するが,マルタの英語事情についての詳しい報告はあまり見当たらない.関連する論文を1つ読む機会があったので,それに基づいてマルタの英語事情を略述したい.
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[S]ince the year 1950, the most important steps in language policy have been in the direction of the promotion of Maltese and of the extension of its use to a number of domains, while English has been more and more widely learnt and used for its importance and prestige as an international language, but also as a "fashionable, chic" language used in social gatherings and as a status symbol . . . .
・ Mazzon, Gabriella. "A Chapter in the Worldwide Spread of English: Malta." History of Englishes: New Methods and Interpretations in Historical Linguistics. Ed. Matti Rissanen, Ossi Ihalainen, Terttu Nevalainen, and Irma Taavitsainen. Berlin: Mouton de Gruyter, 1992. 592--601.
中英語社会が英語とフランス語による diglossia を実践していたことは,「#661. 12世紀後期イングランド人の話し言葉と書き言葉」 ([2011-02-17-1]) や「#1203. 中世イングランドにおける英仏語の使い分けの社会化」 ([2012-08-12-1]) などの記事で見てきたとおりである.しかし,その2言語使用状態に直接言及するような記述を探すのは必ずしもたやすくない.ましてや,その2言語状況について評価を下すようなコメントは見つけにくい.だが,そのなかでもこれらの事情に言及した有名な一節がある.Robert of Gloucester (fl. 1260--1300) の Chronicle からの一節で,以下,Corpus of Middle English Prose and Verse 所収の The metrical chronicle of Robert of Gloucester より該当箇所を引用しよう.
& þe normans ne couþe speke þo / bote hor owe speche (l. 7538)
& speke french as hii dude atom / & hor children dude also teche
So þat heiemen of þis lond / þat of hor blod come (l. 7540)
Holdeþ alle þulke speche / þat hii of hom nome
Vor bote a man conne frenss / me telþ of him lute
Ac lowe men holdeþ to engliss / & to hor owe speche ȝute
Ich wene þer ne beþ in al þe world / contreyes none
Þat ne holdeþ to hor owe speche / bote engelond one (l. 7545)
Ac wel me wot uor to conne / boþe wel it is
Vor þe more þat a mon can / þe more wurþe he is
ノルマン人はイングランドにやってきたときにはフランス語のみを用いており,その子孫たる "heiemen" もフランス語を保持していたこと,その一方で "lowe men" は英語のみを用いていたことが述べられている.これはまさに diglossia における H (= High variety) と L (= Low variety) の区別への直接の言及である.また,フランス語を知らないと社会的に低く見られるというコメントも挿入されている.さらに,引用の終わりのほうでは,両言語を知っているほうがよい,そのほうが社会的に価値が高いとみなされると,英仏語の bilingualism を擁護するコメントも付されている.
実際のところ,Chronicle が書かれた13世紀末には,貴族の師弟でもあえて学習しなければフランス語をろくに使いこなせないという状態になっていた.貴族の師弟のフランス語力の衰えは,「#661. 12世紀後期イングランド人の話し言葉と書き言葉」 ([2011-02-17-1]) でみたように,13世紀までにはすでに顕著になっていたようだ.しかし,フランス語の社会言語学的地位は依然として高かったため,余計にフランス語学習が奨励されたということにもなった.このような状況において Robert of Gloucester は,両言語を操れることの大切さを説いたのである.
昨日の記事「#1679. The West Indies の英語圏」 ([2013-12-01-1]) で示唆したように,西インド諸島の言語事情は,歴史的な事情で複雑である.近代における列強の領土分割により,島ごとに支配的な言語が異なるという状況が生じ,島嶼間の地域的な連携も希薄となっている.独立国家と英米仏蘭の自治領とが混在していることも,地域の一体性が保たれにくい要因となっている.全体として,各地域では旧宗主国の言語が支配的だが,そのほかに主として英語やフランス語をベースとしたクレオール諸語(「#1531. pidgin と creole の地理分布」 ([2013-07-06-1])),移民の言語も行われており,言語事情は込み入っている.以下,Encylopædia Britannica 1997 の記事を参照してまとめる.
クレオール語についていえば,Jamaica における英語ベースのクレオール語がよく知られている.Jamaica では,ラジオ放送,小説,詩,劇などでクレオール語が広く使用されており,しばしば標準英語は不在である.場の雰囲気により,クレオール語と標準英語とのはざまで切り替えが生じることも通常である(Jamaican creole の具体例については,Jamaican Creole Texts を参照されたい).Jamaica に限らず,脱植民地化を経た the Commonwealth Caribbean でも,一般に英語ベースのクレオール語が重要性を増している.
フランス語ベースのクレオール語使用については,Haiti が典型例として挙げられる.Jamaica の場合と同様に,Haiti でもクレオール語が広範に使用されており,実際に大多数の国民が標準フランス語を理解しない.「#1486. diglossia を破った Chaucer」 ([2013-05-22-1]) で Haiti における diglossia について触れたように,クレオール語は,上位変種の標準フランス語に対して下位変種として位置づけられるものの,実用性の度合いでいえばむしろ優勢である.一方,Guadeloupe や Martinique の仏領アンティル諸島では,フランス本国の政治体制に組み込まれているために,標準フランス語の使用が一般的である.
スペイン語ベースのクレオール語は,Cuba, Puerto Rico, the Dominican Republic などの主要なスペイン地域においては発達しなかった.ただし,Aruba, Curaçao, Bonaire など蘭領アンティル諸島では Papiamento と呼ばれる西・蘭・葡・英語の混成クレオール語が広く話されている.Puerto Rico では,帰国移民により,アメリカ英語の影響を受けたスペイン語が話されている.
移民の言語としては Hindi, Urdu, Chinese が行われている.奴隷制廃止後に,契約移民としてインドや中国からこの地域にやってきた人々の言語である.話者の多くは,それぞれの地域における支配的な言語へと徐々に同化していっている.例えば,Trinidad and Tobago では国民の4割がインド系移民だが,彼らの間で Hindi や Urdu の使用は少なくなってきているという.言語交替が進行中ということだろう.
Luxembourg は,「#1374. ヨーロッパ各国は多言語使用国である」 ([2013-01-30-1]) の例にもれず多言語使用国である.しかし,同国の言語状況は他の多くの国よりも複雑である.Luxemburgish, German, French の3言語による,diglossia ならぬ triglossia 社会として言及できるだろう.
Luxembourg は人口50万人ほどの国で,国民の大多数が同国のアイデンティティを担うルクセンブルク語を母語として話す.この言語は言語的にはドイツ語の1変種ということも可能なほどの距離だが,話者たちは独立した1言語であると主張する.また,政府もそのような公式見解を示している(1984年以来,3言語を公用語としている).裏を返せば,標準ドイツ語などの権威ある言語変種に隣接した類似言語 (Ausbau language) は,常に独立性を脅かされるため,それを維持し主張するためには国家の後ろ盾が必要だということだろう(関連して「#1522. autonomy と heteronomy ([2013-06-27-1]) および「#1523. Abstand language と Ausbau language」 ([2013-06-28-1]) の記事を参照).
このようにルクセンブルク語はルクセンブルクの主要な母語として機能しているが,あくまで下位言語として機能しているという点に注意したい,対する上位言語は標準ドイツ語である.児童向け図書,方言文学,新聞記事を除けばルクセンブルク語が書かれることはなく,厳密な正書法の統一もない.一般的に読み書きされるのは標準ドイツ語であり,そのために子供たちは標準ドイツ語を学校で習得する必要がある.学校では,標準ドイツ語は教育の媒介言語としても導入されるが,高等教育に進むと今度はフランス語が媒介言語となる.この国ではフランス語は最上位の言語として機能しており,高等教育のほか,議会や多くの公共案内標識でもフランス語が用いられる.つまり,典型的なルクセンブルク人は,日常会話にはルクセンブルク語を,通常の読み書きには標準ドイツ語を,高等教育や議会ではフランス語を使用する(少なくとも)3言語使用者であるということになる (Trudgill 100--01) .Wardhaugh (90) が引用している2002年以前の数値によれば,国内にルクセンブルク語話者は80%,ドイツ語話者は81%,フランス語話者は96%いるという.
上記のように,ルクセンブルク語はルクセンブルクにおいて主要な母語かつ下位言語として機能しているわけだが,同言語のもつもう1つの重要な社会言語学的機能である "solidarity marker" の機能も忘れてはならないだろう.
ルクセンブルクの言語については,Ethnologue の Luxembourg を参照.
・ Trudgill, Peter. Sociolinguistics: An Introduction to Language and Society. 4th ed. London: Penguin, 2000.
・ Wardhaugh, Ronald. An Introduction to Sociolinguistics. 6th ed. Malden: Blackwell, 2010.
昨日の記事「#1627. code-switching と code-mixing」 ([2013-10-10-1]) で,code-switching の背景には様々な要因が作用していると述べた.今回は,code-switching はなぜ生じるのか,どのようなときに生じるのかという問題について,主として東 (27--36) に拠りながら,社会言語学的な観点から迫りたい.
まず,意思疎通を確実にするための code-switching というものがある.例えば,ある言語で対象を指示する語句が思い浮かばない場合に,別の言語の語句を使うということがある.これは典型的な語句借用の動機の1つだが,code-switching の場合にもそのまま当てはまる.referential function と呼ばれる機能だ.
もう1つ意思疎通に関わる動機としては,単純に聞き手全体が理解する言語へ切り替えるという code-switching を想像することができる.国際的な食事会で,右隣に座っている日本人には日本語で話すが,左隣の英語話者を含めて3人で話しをする場合には英語に切り替えるといった場面を思い浮かべればよい.また,その左隣の人に聞かれたくないような話題を右隣の日本人にのみ持ちかけるときに,再び日本語に切り替えるということもありうる.このような code-switching の機能は,directive function と呼ばれる.
しかし,上記の2つのように,意思疎通そのものが問題になる code-switching と異なる種類の code-switching も多く存在する.いずれの言語で話しても互いに通じるにもかかわらず,code-switching が起こることがある.そこには,4つの動機づけが提案されている.
(1) 状況に応じての code-switching (situational code-switching)
場面,状況,話題,話し相手など(複合的に domain と呼ばれる)に応じて使用言語を切り替えてゆくケースである.例えば,diglossia のある社会において,上位変種 (high variety) と下位変種 (low variety) とは domain によって使い分けられるが,話題が日常的なものから学問的なものへ移行するに応じて,使用する言語や方言も切り替わるといった例が挙げられる.具体的には,Paraguay の Spanish と Guaraní の diglossia において,酒場で飲んでいる男性どうしは最初は下位変種であり親しみのある Guaraní で会話をしていたが,アルコールが回ってくると上位変種で権威や権力と結びつけられる Spanish へ切り替えるといったことが起こりうる (Wardhaugh 96).
日本語でも,友人2人で非敬語で話していたところに目上の人が加わることで,もとの友人2人の間でも敬語による会話が交わされ始めるといった例がある.これも,code-switching につらなる例と考えられる.
(2) メンバーシップを確立するための code-switching
多言語・多民族社会において,地域の共通語と自らの母語とを織り交ぜることによって,dual identity を示そうとする例がある.例えば,日系アメリカ人は,英語を話すことでアメリカ社会の一員であるということを示すと同時に,日本語を話すことで日系人であるという民族的所属を示そうとする.両方のアイデンティティを維持するために,会話の中に両言語の要素を紛れ込ませていると考えられる.act of identity の1例といだろう.
同じような code-switching を実践する話者の間では,同じ dual identity で結ばれた団結感が生じるだろう.自分と同種の code-switching 能力を有する者は,自分と同種の言語環境で育ってきたにちがいないからである.彼らの code-switching は,互いの仲間意識を育て,保つ積極的な役割がある.とはいえ,多くの場合,この code-switching は無意識に行われているということにも注意する必要がある.
短い語尾や,特に日本語の場合には終助詞を加えることにより,dual identity を表明するタイプの code-switching がある."You don't have to do that よ." とか,"He's so nice ねぇ." など.これは,emblematic switching (象徴的切替)と呼ばれる.
(3) 利害関係の交渉の手段としての code-switching
いずれかの言語の役割を積極的に利用して,話者が自らにとって望ましい状況を作り出そうとするケースがある.以下は,ケニアの田舎町のバーで,農夫が知り合いの会社員にお金を無心する場面である.地元の言語であるルイカード語,および媒介言語であるスワヒリ語と英語が切り替わる.
農夫:
Inzala ya mapesa, kambuli (ルイカード語)
(お金がなくて困っているんだ)
会社員:
You have got land. (英語)
Una shamba. (スワヒリ語)
Uli nu mulimi. (ルイカード語)
(畑を持っているだろう。)
農夫:
Mwana mweru . . . (ルイカード語)
(親しい仲じゃないか)
会社員:
Mbula tsiendi. (ルイカード語)
(お金なんか、ないよ。)
Can't you see how I am heavily loaded? (英語)
(手が一杯なんだよ、わかるだろう?)
会社員は農夫の無心をかわすのに英語を用い始めている.これは,仲間うちの言語であるルイカード語を使うと,目線が農夫と同じになり,団結を含意するので,無心に屈しやすくなってしまうからである.高い教養や権威を象徴する上位言語である英語を用いることによって,農夫との間に心理的な距離を作り出し,無心を拒否する姿勢が鮮明になる.
類例として,ナイロビの職探しをしている若者と雇用者の言語選択に関わる神経戦を見てみよう (Graddol 13) .
Young man: Mr Muchuki has sent me to you about the job you put in the paper.
Manager: Ulituma barua ya application? [DID YOU SEND A LETTER OF APPLICATION?]
Young man: Yes, I did. But he asked me to come to see you today.
Manager: Ikiwa ulituma barua, nenda ungojee majibu. Tukakuita ufika kwa interview siku itakapafika. Leo sina la suma kuliko hayo. [IF YOU'VE WRITTEN A LETTER, THEN GO AND WAIT FOR A RESPONSE, WE WILL CALL YOU FOR AN INTERVIEW WHEN THE LETTER ARRIVES. TODAY I HAVEN'T ANYTHING ELSE TO SAY.]
Young man: Asante. Nitangoja majibu. [THANK YOU. I WILL WAIT FOR THE RESPONSE.]
ここでは,若者は教養と能力を象徴する英語で面談に臨むが,雇用者はそれに応じず下位言語であるスワヒリ語での会話を求めている.交渉に応じないことを言語選択により示していることになる.最後に,失意の若者は雇用者の圧力に屈して,スワヒリ語へ切り替えている.それぞれが自分の有利な状況を作り出すために,言語選択という戦略を利用しているのである.
日本語でも,それまで仲良くくだけた口調で会話していた母娘が,娘の無心の場面になって,母が「お金は一切あげません」と改まった表現で返事をする状況を想像することができる.改まった表現を用いることによって,相手との間に距離感を作り出し,拒否の姿勢を示していると考えられる.相手との心理的距離を小さくする変種を "we-code",大きくする変種を "they-code" と呼ぶことがあるが (cf. Wardhaugh 102) ,この母は娘に対して we-code から they-code へ切り替えたことになる.
(4) どちらの言語にするかを探るための code-switching
自分も相手も多言語使用者である場合,どの言語を用いて会話を進めればよいかを確定するために,いくつかの言語を試して探りを入れるという状況がある.互いに最もしっくりくる言語を選ぶべく,相手の反応を見ながら交渉するのだ.日本語でも,相手に対して敬語で対するべきか否か迷っているときに,敬語と非敬語を適当な比率で織り交ぜて話す場合がある.それによって,相手の出方を探り,今後どのような話し方で会話を進めてゆけばよいかを見極めようとしている.
上記のいずれの動機づけについても,社会言語学的な意味があることがわかる.code-switching は,人間関係の構築・維持という,高度に社会言語学的な役割を担っている.
・ 東 照二 『社会言語学入門 改訂版』,研究社,2009年.
・ Wardhaugh, Ronald. An Introduction to Sociolinguistics. 6th ed. Malden: Blackwell, 2010.
「#331. 動物とその肉を表す英単語」 ([2010-03-24-1]) の記事で,英語史で有名な calf vs veal, deer vs venison, fowl vs poultry, sheep vs mutton, swine (pig) vs pork, bacon, ox vs beef の語種の対比を見た.あまりにきれいな「英語本来語 vs フランス語借用語」の対比となっており,疑いたくなるほどだ.その疑念にある種の根拠があることは「#332. 「動物とその肉を表す英単語」の神話」 ([2010-03-25-1]) でみたとおりだが,野卑な本来語語彙と洗練されたフランス語語彙という一般的な語意階層の構図を示す例としての価値は変わらない(英語語彙の三層構造の記事を参照).
[2010-03-24-1]の記事でも触れたとおり,動物と肉の語種の対比を一躍有名にしたのは Sir Walter Scott (1771--1832) である.Scott は,1819年の歴史小説 Ivanhoe のなかで登場人物に次のように語らせている.
"The swine turned Normans to my comfort!" quoth Gurth; "expound that to me, Wamba, for my brain is too dull, and my mind too vexed, to read riddles."
"Why, how call you those grunting brutes running about on their four legs?" demanded Wamba.
"Swine, fool, swine," said the herd, "every fool knows that."
"And swine is good Saxon," said the Jester; "but how call you the sow when she is flayed, and drawn, and quartered, and hung up by the heels, like a traitor?"
"Pork," answered the swine-herd.
"I am very glad every fool knows that too," said Wamba, "and pork, I think, is good Norman-French; and so when the brute lives, and is in the charge of a Saxon slave, she goes by her Saxon name; but becomes a Norman, and is called pork, when she is carried to the Castle-hall to feast among the nobles what dost thou think of this, friend Gurth, ha?"
"It is but too true doctrine, friend Wamba, however it got into thy fool's pate."
"Nay, I can tell you more," said Wamba, in the same tone; "there is old Alderman Ox continues to hold his Saxon epithet, while he is under the charge of serfs and bondsmen such as thou, but becomes Beef, a fiery French gallant, when he arrives before the worshipful jaws that are destined to consume him. Mynheer Calf, too, becomes Monsieur de Veau in the like manner; he is Saxon when he requires tendance, and takes a Norman name when he becomes matter of enjoyment."
英仏語彙階層の問題は,英語(史)に関心のある多くの人々にアピールするが,私がこの問題に関心を寄せているのは,とりわけ社会的な diglossia と語用論的な register の関わり合いの議論においてである.「#1489. Ferguson の diglossia 論文と中世イングランドの triglossia」 ([2013-05-25-1]) 及び「#1491. diglossia と borrowing の関係」 ([2013-05-27-1]) で論じたように,中英語期の diglossia に基づく社会的な上下関係の痕跡が,語用論的な register の上下関係として話者の語彙 (lexicon) のなかに反映されている点が興味深い.社会的な,すなわち言語外的な対立が,どのようにして体系的な,すなわち言語内的な対立へ転化するのか.これは,「#1380. micro-sociolinguistics と macro-sociolinguistics」 ([2013-02-05-1]) で取り上げた,マクロ社会言語学 (macro-sociolinguistics or sociology of language) とミクロ社会言語学 (micro-sociolinguistics) の接点という問題にも通じる.社会構造と言語体系はどのように連続しているのか,あるいはどのように断絶しているのか.
Scott の指摘した swine vs pork の対立それ自体は,語用論的な差異というよりは意味論的な(指示対象の)差異の問題だが,より一般的な上記の問題に間接的に関わっている.
「#1489. Ferguson の diglossia 論文と中世イングランドの triglossia」 ([2013-05-25-1]) で借用(語)について話題にしたときに,英語における illumination ? light や purchase ? buy にみられる語彙階層は,diglossia における社会言語学的な上下関係が,借用 (borrowing) という手段を通じて,語彙体系における register の上下関係へ内化したものであると指摘した.
diglossia と borrowing の関係を探ることは社会言語学と理論言語学の接点を探るということにつながり,大きな研究テーマとなりうるが,この点について Hudson (56--57) が示唆的な見解を示している.Hudson は,英語本来語である get (正確には[2009-10-13-1]の記事「#169. get と give はなぜ /g/ 音をもっているのか」で示したように古ノルド語起源というべき)とラテン語に由来する obtain を取り上げ,中世イングランドの英羅語 diglossia 時代の社会的な上下関係が,借用という過程を通じて,英語語彙内の register の上下関係へ投影された例としてこれを捉えた.後に diglossia が解消されるにおよび,obtain がラテン語由来であるとの話者の記憶が薄まり,かつての diglossia に存在した上下関係の痕跡が,歴史的な脈絡を失いながら,register の上下関係として語彙体系のなかへ定着した.これを,Hudson (57) の図を参考にしながら,次のようにまとめてみた.
第1段階では,obtain と get の使い分けは,diglossia として明確に区別される2言語間における使い分けにほかならない.第2段階では,ラテン語から英語へ obtain が借用され,obtain と get の使い分けは英語内部での register による使い分けとなる.この段階では,obtain のラテン語との結びつきもいまだ感じられている.第3段階では,diglossia が解消され,obtain のラテン語との結びつきも忘れ去られている.obtain と get の使い分けは,純粋な register の差として英語語彙の内部に定着したのである.
・ Hudson, R. A. Sociolinguistics. 2nd ed. Cambridge: CUP, 1996.
過去4日間にわたって取り上げてきた diglossia は,最大限に拡大解釈すれば,標準変種というものをもつ多くの言語共同体にあてはまることになる.標準変種が上位におかれ,そうでない各種方言が下位におかれ,両変種が社会的な状況に応じて,多かれ少なかれ明確に使い分けられるからだ.
しかし,ここまで拡大解釈してしまうと,言語共同体のタイポロジーを構築しようとして diglossia を提示した Ferguson の意図がまるで汲み取られないことになる.Ferguson (329) は,ある言語共同体における2変種が,以下に挙げるような domain ごとに明確に使い分けられているとき,典型的に diglossia が存在しているとみなしたのである.
H | L | |
Sermon in church or mosque | x | |
Instructions to servants, waiters, workmen, clerks | x | |
Personal letter | x | |
Speech in parliament, political speech | x | |
University lecture | x | |
Conversation with family, friends, colleagues | x | |
News broadcast | x | |
Radio "soap opera" | x | |
Newspaper editorial, news story, caption on picture | x | |
Caption on political cartoon | x | |
Poetry | x | |
Folk literature | x |
. . . diglossia differs from the more widespread standard-with-dialects in that no segment of the speech community in diglossia regularly uses H as a medium of ordinary conversation, and any attempt to do so is felt to be either pedantic and artificial (Arabic, Greek) or else in some sense disloyal to the community (Swiss German, Creole). In the more usual standard-with-dialects situation the standard is often similar to the variety of a certain region or social group (e.g. Tehran Persian, Calcutta Bengali) which is used in ordinary conversation more or less naturally by members of the group and as a superposed variety by others. (336--37)
Ferguson の diglossia では,日常会話に上位変種を用いることはないし,用いる人はいない.現在のイギリスや日本では,日常会話に標準変種を用いることはあるし,用いる人はいる.この違いである.
・ Ferguson, C. A. "Diglossia." Word 15 (1959): 325--40.
過去3日間の記事 ([2013-05-22-1], [2013-05-23-1], [2013-05-24-1]) で,Ferguson の提唱した diglossia を取り上げてきた.diglossia という社会言語学的状況の定義と評価について多くの論争が繰り広げられてきたが,その議論は全体として,中世イングランドのダイナミックな言語状況を考える上で,数々の重要な観点を与えてくれたのではないか.
前の記事で触れた通り,Ferguson 自身はその画期的な論文で diglossia を同一言語の2変種の併用状況と狭く定義した.異なる2言語については扱わないと,以下のように明記している.
. . . no attempt is made in this paper to examine the analogous situation where two distinct (related or unrelated) languages are used side by side throughout a speech community, each with a clearly defined role. (325, fn. 2)
しかし,2言語(あるいはそれ以上の言語)の間にも "the analogous situation" は確かに見られ,Ferguson の論点の多くは当てはまる.ここで念頭に置いているのは,もちろん,中世イングランドにおける英語,フランス語,ラテン語の triglossia である.以下では,Ferguson の diglossia 論文に依拠して中世イングランドの triglossia を理解しようとする際に考慮すべき2つの点を指摘したい.1つは「#1486. diglossia に対する批判」 ([2013-05-23-1]) でも触れた diglossia の静と動を巡る問題,もう1つは,高位変種 (H) から低位変種 (L) へ流れ込む借用語の問題である.
Ferguson は,原則として diglossia を静的な,安定した状況ととらえた.
It might be supposed that diglossia is highly unstable, tending to change into a more stable language situation. This is not so. Diglossia typically persists at least several centuries, and evidence in some cases seems to show that it can last well over a thousand years. (332)
この静的な認識が後に批判のもととなったのだが,Ferguson が diglossia がどのように生じ,どのように解体されうるかという動的な側面を完全に無視していたわけではないことは指摘しておく必要がある.
Diglossia is likely to come into being when the following three conditions hold in a given speech community: (1) There is a sizable body of literature in a language closely related to (or even identical with) the natural language of the community, and this literature embodies, whether as source (e.g. divine revelation) or reinforcement, some of the fundamental values of the community. (2) Literacy in the community is limited to a small elite. (3) A suitable period of time, on the order of several centuries, passes from the establishment of (1) and (2). (338)
Diglossia seems to be accepted and not regarded as a "problem" by the community in which it is in force, until certain trends appear in the community. These include trends toward (a) more widespread literacy (whether for economic, ideological or other reasons), (b) broader communication among different regional and social segments of the community (e.g. for economic, administrative, military, or ideological reasons), (c) desire for a full-fledged standard "national" language as an attribute of autonomy or of sovereignty. (338)
. . . we must remind ourselves that the situation may remain stable for long periods of time. But if the trends mentioned above do appear and become strong, change may take place. (339)
上の第1の引用の3点は,中世イングランドにおいて,いかにラテン語やフランス語が英語より上位の変種として定着したかという triglossia の生成過程についての説明と解することができる.一方,第2の引用の3点は,中英語後期にかけて,(ラテン語は別として)英語とフランス語の diglossia が徐々に解体してゆく過程と条件に言及していると読める.
次に,中英語における借用語の問題との関連では,Ferguson 論文から示唆的な引用を2つ挙げよう.
. . . a striking feature of diglossia is the existence of many paired items, one H one L, referring to fairly common concepts frequently used in both H and L, where the range of meaning of the two items is roughly the same, and the use of one or the other immediately stamps the utterance or written sequence as H or L. (334)
. . . the formal-informal dimension in languages like English is a continuum in which the boundary between the two items in different pairs may not come at the same point, e.g. illumination, purchase, and children are not fully parallel in their formal-informal range of use. (334)
2つの引用を合わせて読むと,借用(語)に関する興味深い問題が生じる.diglossia の理論によれば,上位変種(フランス語)と下位変種(英語)は,社会的には潮の目のように明確に区別される.これは,原則として,潮の目を連続した一本の線として引くことができるということである.ところが,diglossia という社会言語学的状況が語彙借用という手段を経由して英語語彙のなかに内化されると,illumination ? light や purchase ? buy などの register における上下関係は確かに持ち越されこそするが,その潮の目の高低は個々の対立ペアによって異なる.英仏対立ペアをなす語彙の全体を横に並べたとき,register の上下関係を表わす潮の目の線は,社会的 diglossia の潮の目ほど明確に一本の線をなすわけではないだろう.このことは,diglossia が monoglossia へと解体してゆくとき,diglossia に存在した社会的な上下関係が,monoglossia の語彙の中にもっぱら比喩的に内化・残存するということを意味するのではないか.
・ Ferguson, C. A. "Diglossia." Word 15 (1959): 325--40.
過去2日間の記事「#1486. diglossia を破った Chaucer」 ([2013-05-22-1]) と「#1487. diglossia に対する批判」 ([2013-05-23-1]) で,diglossia を巡る問題に言及した.特に昨日の記事では通時的な視点からの批判を紹介したが,通時的な視点は,中英語期のイングランドにおける diglossia とその後の diglossia の解消,さらには近代英語期以降の新たな社会言語学的状況の発展というダイナミズムを理解する上では不可欠である.ひいては,現代社会におけるリンガ・フランカとしての英語 (ELF) の役割を評価する際にも,diglossia のダイナミックな理解は多いに参考になる.
Crystal (128) の次の1節は,社会言語学で静的なものとして提案された diglossia を,英語史の動的な枠組みのなかに持ち込んだ見事な応用例と評価する.
The linguistic situation of Anglo-Norman England is, from a sociolinguistic point of view, very familiar. It is a situation of triglossia --- in which three languages have carved out for themselves different social functions, with one being a 'low-level' language, and the others being used for different 'high-level' purposes. A modern example is Tunisia, where French, Classical Arabic, and Colloquial Arabic evolved different social roles --- French as the language of (former) colonial administration, Classical Arabic primarily for religious expression, and Colloquial Arabic for everyday purposes. Eventually England would become a diglossic community, as French died out, leaving a 'two-language' situation, with Latin maintained as the medium of education and the Church . . . and English as the everyday language. And later still, the country would become monoglossic --- or monolingual, as it is usually expressed. But monolingualism is an unusual state, and in the twenty-first century there are clear signs of the reappearance of diglossia in English as it spreads around the world . . . .
ノルマン・コンクェスト以降,21世紀に至る英語の歴史を,-glossia という観点から略述すれば,(1) 英語が下位変種である triglossia,(2) 英語が下位変種である diglossia,(3) monoglossia,(4) 英語が上位変種である diglossia へと変遷してきたことになる.
「安定」「持続」には程度問題があるとはいうものの,diglossia の定義にそのような表現を含めることには,確かに違和感が残る.
・ Crystal, David. The Stories of English. London: Penguin, 2005.
昨日の記事「#1486. diglossia を破った Chaucer」 ([2013-05-22-1]) で,diglossia について解説した.diglossia は古今東西に広く観察され,稀な現象ではないこともあり,その概念と用語は学界で大成功を収めるに至った.
しかし,Ferguson の提案した diglossia は,次第に拡大解釈を招くようになった.昨日も述べた通り,本来の diglossia は1言語の2変種の間にみられる上下関係を指すものだったが,Fishman (Sociolinguistics 75) は異なる2言語の間にみられる上限関係をも diglossia とみなした.これにより,例えばパラグアイにおける Spanish と Guaraní のように系統的には無関係の言語どうしの関係も,diglossia の範疇に含められた.また,中世イングランドにおける Norman French と English の関係も diglossia として言及できるようになった.diglossia の概念の拡大は,この辺りまでであれば,いまだ有用性を保っているように思われる.
ところが,diglossia は,2変種あるいは3変種の併用状況を指すにとどまらず,10言語併用や20言語併用といったほとんど無意味な細分化の餌食となっていった.すべての言語共同体には各種の方言 (dialects) や使用域 (registers) があり,これらをも変種 (varieties) とみなすのであれば,どの共同体も多かれ少なかれ diglossic ということになってしまう.Ferguson は言語共同体の類型論のために diglossia という概念を提案したのだが,その意図が汲み取られずに,概念が無意味なまでに拡大されてしまった.イギリスやアメリカのように複数の社会方言の併用状況が問題となっているのであれば,diglossia というのは大げさであり,"social-dialectia" ほどでよいのではないか (Hudson 51) .
diglossia に関するもう1つの問題は,Ferguson にせよ Fishman にせよ,diglossia を静的な言語状況としてしかとらえていない点にある.なぜそのような言語状況が生じたのかという,動的,通時的な次元の考察が抜け落ちている.昨日示した Ferguson の定義には "a relatively stable language situation" とあるし,Fishman ("Prefatory Note" 3) では,"an enduring societal arrangement, extending at least beyond a three generation period" とあり,持続的,安定的な社会言語学的状況が前提とされている.しかし,昨日も中世イングランドについてみたように diglossia は破られうるものである.どのように diglossia の状況が起こり,どのように持続し,どのように解消されるのかという通時的な視点がない限り,しばしば旧植民地において上位変種を占めているヨーロッパ宗主国の言語と,現地の下位変種の言語との上下関係が固定的なものであり,解消されないものであるというイデオロギーが助長されかねない.つまり,diglossia を「安定的」と表現することは,すでにある種のイデオロギーが前提とされているのではないかということになる.少なくとも,diglossia を解消しようと運動している社会改革者にとって,diglossia の定義の中に「安定」や「持続」という表現が盛り込まれるのは我慢ならないことだろう.カルヴェ (68) は次のように述べている.
このように、ダイグロシアという概念が成功を収めたことは、それが世に問われた歴史上の時代によって説明されるような印象を受ける。アフリカ諸国の独立期に、数多くの国が複雑な言語状況に直面していた。一方では多言語状況、そして他方では旧宗主国の言語の公的側面における優位支配である。こうした状況に理論的枠組みを与えるうえで、ダイグロシアは、正常で安定したものとして紹介される傾向にあり、それがみずから呈する言語紛争をもみ消して、状況が何も変わらないということをある意味で正当化する傾向にあった(実際、植民地支配を脱した国のほとんどにおいて起こったことであった)。このような学問とイデオロギーとの関係は、稀なることではない。
・ Fishman, J. Sociolinguistics: A Brief Introduction. Rowley: Newbury House, 1971.
・ Fishman, J. "Prefatory Note." Languages in Contact and Conflict, XI. Ed. P. H. Nelde. Wiesbaden: Steiner, 1980.
・ Hudson, R. A. Sociolinguistics. 2nd ed. Cambridge: CUP, 1996.
・ ルイ=ジャン・カルヴェ(著),萩尾 生(訳) 『社会言語学』 白水社,2002年.
「#661. 12世紀後期イングランド人の話し言葉と書き言葉」 ([2011-02-17-1]) で,初期中英語のイングランドにおける言語状況を diglossia として言及した.上層の書き言葉にラテン語やフランス語が,下層の話し言葉に英語が用いられるという,言語の使い分けが明確な言語状況である.3言語が関わっているので triglossia と呼ぶのが正確かもしれない.
diglossia という概念と用語を最初に導入したのは,社会言語学者 Ferguson である.Ferguson (336) による定義を引用しよう.
DIGLOSSIA is a relatively stable language situation in which, in addition to the primary dialects of the language (which may include a standard or regional standards), there is a very divergent, highly codified (often grammatically more complex) superposed variety, the vehicle of a large and respected body of written literature, either of an earlier period or in another speech community, which is learned largely by formal education and is used for most written and formal spoken purposes but is not used by any sector of the community for ordinary conversation.
定義にあるとおり,Ferguson は diglossia を1言語の2変種からなる上下関係と位置づけていた.例として,古典アラビア語と方言アラビア語,標準ドイツ語とスイス・ドイツ語,純粋ギリシア語と民衆ギリシア語 ([2013-04-20-1]の記事「#1454. ギリシャ語派(印欧語族)」を参照),フランス語とハイチ・クレオール語の4例を挙げた.
diglossia の概念は成功を収めた.後に,1言語の2変種からなる上下関係にとどまらず,異なる2言語からなる上下関係をも含む diglossia の拡大モデルが Fishman によって示されると,あわせて広く受け入れられるようになった.初期中英語のイングランドにおける diglossia は,この拡大版 diglossia の例ということになる.
さて,典型的な diglossia 状況においては,説教,講義,演説,メディア,文学において上位変種 (high variety) が用いられ,労働者や召使いへの指示出し,家庭での会話,民衆的なラジオ番組,風刺漫画,民俗文学において下位変種 (low variety) が用いられるとされる.もし話者がこの使い分けを守らず,ふさわしくない状況でふさわしくない変種を用いると,そこには違和感のみならず,場合によっては危険すら生じうる.中世イングランドにおいてこの危険をあえて冒した急先鋒が,Chaucer だった.下位変種である英語で,従来は上位変種の領分だった文学を書いたのである.Wardhaugh (86) は,Chaucer の diglossia 破りについて次のように述べている.
You do not use an H variety in circumstances calling for an L variety, e.g., for addressing a servant; nor do you usually use an L variety when an H is called for, e.g., for writing a 'serious' work of literature. You may indeed do the latter, but it may be a risky endeavor; it is the kind of thing that Chaucer did for the English of his day, and it requires a certain willingness, on the part of both the writer and others, to break away from a diglossic situation by extending the L variety into functions normally associated only with the H. For about three centuries after the Norman Conquest of 1066, English and Norman French coexisted in England in a diglossic situation with Norman French the H variety and English the L. However, gradually the L variety assumed more and more functions associated with the H so that by Chaucer's time it had become possible to use the L variety for a major literary work.
正確には Chaucer が独力で diglossia を破ったというよりは,Chaucer の時代までに,diglossia が破られうるまでに英語が市民権を回復しつつあったと理解するのが妥当だろう.
なお,diglossia に関しては,1960--90年にかけて3000件もの論文や著書が著わされたというから学界としては画期的な概念だったといえるだろう(カルヴェ,p. 31).
・ Wardhaugh, Ronald. An Introduction to Sociolinguistics. 6th ed. Malden: Blackwell, 2010.
・ Ferguson, C. A. "Diglossia." Word 15 (1959): 325--40.
・ ルイ=ジャン・カルヴェ(著),西山 教行(訳) 『言語政策とは何か』 白水社,2000年.
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