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anthropology - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-10-13 05:15

2024-02-11 Sun

#5403. 感情的叫びから理性的単調へ --- ルソーの言語起源・発達論 [roussseau][anthropology][homo_sapiens][origin_of_language][evolution][language_myth][history_of_linguistics]

 フランスの思想家ルソー (Jean Jacques Rousseau [1712--78]) は,人類言語の起源は感情的叫びにあると考えた.その後,言語は人類の精神,社会,環境の変化とともに,より理性的なものへと発展してきたという.これは言語の起源と発達に関する古典的かつ代表的な仮説の1つといってよいだろう.
 ルソーは言語起源・発達について,上記の基本的な考え方に基づき,より具体的な一風変わった諸点にも言及している.Mufwene (19--20) によるルソー解説を引用したい.

. . . Rousseau interpreted evolution as progress towards a more explicit architecture meant to express reason more than emotion. According to him,

Anyone who studies the history and progress of tongues will see that the more words become monotonous, the more consonants multiply; that, as accents fall into disuse and quantities are neutralized, they are replaced by grammatical combinations and new articulations. [...] To the degree that needs multiply [...] language changes its character. It becomes more regular and less passionate. It substitutes ideas for feelings. It no longer speaks to the heart but to reason. (Moran and Gode 1966: 16)


Thus, Rousseau interpreted the evolution of language as gradual, reflecting changes in the Homo genus's mental, social, and environmental structures. He also suggests that consonants emerged after vowels (at least some of them), out of necessity to keep 'words' less 'monotonous.' Consonants would putatively have made it easier to identify transitions from one syllable to another. He speaks of 'break[ing] down the speaking voice into a given number of elementary parts, either vocal or articulate [i.e. consonantal?], with which one can form all the words and syllables imaginable' . . . .


 言語が,人間の理性の発達とともに "monotonous" となってきて,"consonants" が増えてきたという発想が興味深い.この発想の背景には,声調を利用する「感情的な」諸言語が非西洋地域で話されていることをルソーが知っていたという事実がある.ルソーも時代の偏見から自由ではなかったことがわかる.

 ・ Mufwene, Salikoko S. "The Origins and the Evolution of Language." Chapter 1 of The Oxford Handbook of the History of Linguistics. Ed. Keith Allan. Oxford: OUP, 2013. 13--52.

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2023-02-18 Sat

#5045. deafening silence 「耳をつんざくような沈黙」 [oxymoron][voicy][heldio][collocation][rhetoric][pragmatics][ethnography_of_speaking][prosody][syntagma_marking][sociolinguistics][anthropology][link][collocation]

 今週の Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」にて,「#624. 「沈黙」の言語学」「#627. 「沈黙」の民族誌学」の2回にわたって沈黙 (silence) について言語学的に考えてみました.



 hellog としては,次の記事が関係します.まとめて読みたい方はこちらよりどうぞ.

 ・ 「#1911. 黙説」 ([2014-07-21-1])
 ・ 「#1910. 休止」 ([2014-07-20-1])
 ・ 「#1633. おしゃべりと沈黙の民族誌学」 ([2013-10-16-1])
 ・ 「#1644. おしゃべりと沈黙の民族誌学 (2)」 ([2013-10-27-1])
 ・ 「#1646. 発話行為の比較文化」 ([2013-10-29-1])

 heldio のコメント欄に,リスナーさんより有益なコメントが多く届きました(ありがとうございます!).私からのコメントバックのなかで deafening silence 「耳をつんざくような沈黙」という,どこかで聞き覚えたのあった英語表現に触れました.撞着語法 (oxymoron) の1つですが,英語ではよく知られているものの1つのようです.
 私も詳しく知らなかったので調べてみました.OED によると,deafening, adj. の語義1bに次のように挙げられています.1968年に初出の新しい共起表現 (collocation) のようです.

b. deafening silence n. a silence heavy with significance; spec. a conspicuous failure to respond to or comment on a matter.
   1968 Sci. News 93 328/3 (heading) Deafening silence; deadly words.
   1976 Survey Spring 195 The so-called mass media made public only these voices of support. There was a deafening silence about protests and about critical voices.
   1985 Times 28 Aug. 5/1 Conservative and Labour MPs have complained of a 'deafening silence' over the affair.


 例文から推し量ると,deafening silence は政治・ジャーナリズム用語として始まったといってよさそうです.
 関連して想起される silent majority は初出は1786年と早めですが,やはり政治的文脈で用いられています.

1786 J. Andrews Hist. War with Amer. III. xxxii. 39 Neither the speech nor the motion produced any reply..and the motion [was] rejected by a silent majority of two hundred and fifty-nine.


 最近の中国でのサイレントな白紙抗議デモも記憶に新しいところです.silence (沈黙)が政治の言語と強く結びついているというのは非常に示唆的ですね.そして,その観点から改めて deafening silence という表現を評価すると,政治的な匂いがプンプンします.
 oxymoron については.heldio より「#392. "familiar stranger" は撞着語法 (oxymoron)」もぜひお聴きください.

Referrer (Inside): [2023-02-19-1]

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2023-02-17 Fri

#5044. キーナンの「協調の原理」批判 [cooperative_principle][anthropology][ethnography_of_speaking][pragmatics]

 語用論 (pragmatics) の基本ともなっているグライス (Paul Grice) の「協調の原理」 (cooperative_principle) については,hellog でも「#1122. 協調の原理」 ([2012-05-23-1]),「#1133. 協調の原理の合理性」 ([2012-06-03-1]),「#1134. 協調の原理が破られるとき」 ([2012-06-04-1]) などで紹介してきた.
 グライスにより会話の普遍的な原理として掲げられた理論だが,現在では古今東西の言語社会の会話すべてについて当てはまるわけではないと考えられている.有り体にいえば,インドヨーロッパ語族中心の観点から唱えられた語用論的な原理が,世界中の言語に当てはまると考えるのは,傲慢ではないかという批判が出ているのである.
 マダガスカルで話されているオーストロネシア語族のマラガシ語 (Malagasy) を研究したキーナン (Elinor (Ochs) Keenan) は,マラガシ語話者には,重要な情報を十分なだけ積極的に伝えようとする慣習がそれほどないことを明らかにした.協調の原理における量の格率 (maxim of quantity) が守られていないということになる.Senft (55) を通じて,キーナンのグライス批判を聞いてみよう.

キーナンは,彼女の論文の終わりで「グライスはエティック (etic) の格子 (grid) で会話を研究する可能性〔を期待させること〕でエスノグラフィー研究者をじらす.…彼の会話の格率は作業仮説としてではなく社会的事実として提示されている」と指摘する (Keenan 1976: 79) .人類言語学者および言語人類学者は,すべてのエティック (etic) の格子,つまり民族言語学の (ethnolinguistic) 問題に対する西洋的な文化規範および考えに基づくアプローチ〔中略〕は,すべて遅かれ早かれ,研究対象とする(非西洋の)言語と文化における本質的な事実を捉えそこねる運命にあるという意見で一致している.それゆえ,グライスの会話の格率で示されるようなエティック (etic) の格子は言語人類学者に対しては二次的な重要性しかもちえない.


 ここで「エティックの格子」とは,ある言語社会の話者集団が内部で前提・常識としている物事の区切り方,ほどの意味だろうか.キーナンはこのようにグライスを批判した上で,それでもこの分野の研究の第一歩として評価する姿勢も示している.上記に続く箇所で,次のように述べている (Senft 55) .

そうではあるがキーナンは,グライスの枠組みが人類言語学の研究に対して使用可能である方法の概略を示した.彼女は次のように述べる.

われわれは,どれか1つの格率を取り上げ,それがいつ成り立ち,いつ成り立たないのかを観察して述べることができる.その使用もしくは濫用 (abuse) への動機は,ある社会と他の社会を分けたり,単一社会の中の社会グループを分けるさまざまな価値と指向性を明らかにするかもしれない.

キーナンはグライスの提案を,「観察を統合し,会話の一般的な原則に関連するより強い仮説を提案したいと考えるエスノグラフィー研究者に対する出発点」を提供するとして評価する (Keenan 1976: 79) .


 キーナンの洞察は,同一言語の異なる時代の変種を比較する際にもいえるだろう.例えば,現代英語で当然視されている会話の原理が,おそらくそのまま古英語に当てはまるわけではない,ということだ.関連して「#1646. 発話行為の比較文化」 ([2013-10-29-1]),「#3208. ポライトネスが稀薄だった古英語」 ([2018-02-07-1]),「#4711. アングロサクソン人は謝らなかった!?」 ([2022-03-21-1]) などを参照.

 ・ Senft, Gunter (著),石崎 雅人・野呂 幾久子(訳) 『語用論の基礎を理解する 改訂版』 開拓社,2022年.
 ・ Keenan (Ochs), Elinor. "The Universality of Conversational Postulates." Language in Society 5 (1976): 67--80.

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2023-02-11 Sat

#5038. 語用論の学際性 [pragmatics][linguistics][sociolinguistics][philosophy_of_language][psycholinguistics][ethnography_of_speaking][anthropology][politics][history_of_linguistics][methodology][toc]

 「#5036. 語用論の3つの柱 --- 『語用論の基礎を理解する 改訂版』より」 ([2023-02-09-1]) で紹介した Gunter Senft (著),石崎 雅人・野呂 幾久子(訳)『語用論の基礎を理解する 改訂版』(開拓社,2022年)の序章では,語用論 (pragmatics) が学際的な分野であることが強調されている (4--5) .

 このことは,語用論が「社会言語学や何々言語学」だけでなく,言語学のその他の伝統的な下位分野にとって,ヤン=オラ・オーストマン (Jan-Ola Östman) (1988: 28) が言うところの,「包括的な」機能を果たしていることを暗に意味する.Mey (1994: 3268) が述べているように,「語用論の研究課題はもっぱら意味論,統語論,音韻論の分野に限定されるというわけではない.語用論は…厳密に境界が区切られている研究領域というよりは,互いに関係する問題の集まりを定義する」.語用論は,彼らの状況,行動,文化,社会,政治の文脈に埋め込まれた言語使用者の視点から,特定の研究課題や関心に応じて様々な種類の方法論や学際的なアプローチを使い,言語とその有意味な使用について研究する学問である.
 学際性の問題により我々は,1970年代が言語学において「語用論的転回」がなされた10年間であったという主張に戻ることになる.〔中略〕この学問分野の核となる諸領域を考えてみると,言語語用論は哲学,心理学,動物行動学,エスノグラフィー,社会学,政治学などの他の学問分野と関連を持つとともにそれらの学問分野にその先駆的形態があることに気づく.
 本書では,語用論が言語学の中における本質的に学際的な分野であるだけでなく,社会的行動への基本的な関心を共有する人文科学の中にあるかなり広範囲の様々な分野を結びつけ,それらと相互に影響し合う「分野横断的な学問」であることが示されるであろう.この関心が「語用論の根幹は社会的行動としての言語の記述である」 (Clift et al. 2009: 509) という確信を基礎とした本書のライトモチーフの1つを構成する.


 6つの隣接分野の名前が繰り返し挙げられているが,実際のところ各分野が本書の章立てに反映されている.

 ・ 第1章 語用論と哲学 --- われわれは言語を使用するとき,何を行い,実際に何を意味するのか(言語行為論と会話の含みの理論) ---
 ・ 第2章 語用論と心理学 --- 直示指示とジェスチャー ---
 ・ 第3章 語用論と人間行動学 --- コミュニケーション行動の生物学的基盤 ---
 ・ 第4章 語用論とエスノグラフィー --- 言語,文化,認知のインターフェース ---
 ・ 第5章 語用論と社会学 --- 日常における社会的相互行為 ---
 ・ 第6章 語用論と政治 --- 言語,社会階級,人種と教育,言語イデオロギー ---

 言語学的語用論をもっと狭く捉える学派もあるが,著者 Senft が目指すその射程は目が回ってしまうほどに広い.

 ・ Senft, Gunter (著),石崎 雅人・野呂 幾久子(訳) 『語用論の基礎を理解する 改訂版』 開拓社,2022年.

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2022-08-07 Sun

#4850. アフリカの語族と遺伝子 [africa][language_family][anthropology][origin_of_language][genetics][evolution][speed_of_change][world_languages][map]

 アフリカの4つの語族について「#3811. アフリカの語族と諸言語の概要」 ([2019-10-03-1]) で紹介した.先日「#4846. 遺伝と言語の関係」 ([2022-08-03-1]) で参照した篠田に,言語と遺伝子の関係に触れつつアフリカの語族について論じられている節があった.そちらから引用する (87--88) .

 突然変異は世代を経るごとに蓄積しますから,同じ地域に長く暮らすほど個体間の遺伝的な違いは大きくなります.ホモ・サピエンスは他のどの地域よりも長くアフリカ大陸で生活していますから,アフリカ人同士は,他の大陸の人びとよりも大きな遺伝的変異を持っています.実際,人類の持つ遺伝的な多様性のうち,実に八五パーセントまではアフリカ人が持っていると推定されています.一方,言語もDNA同様,時間とともに変化していきます.そのスピードはDNAの変化よりもはるかに早く,一万年もさかのぼると言語間の系統関係を追えないほど変化するといわれていますが,同じような変化をすることから,言語の分布と集団の歴史のあいだには密接な関係があることが予想されます.
 アフリカには,世界中に存在する言語の三分の一に当たる,およそ二〇〇〇の言語が存在します.それは,アフリカ大陸に長期にわたって人びとが暮らしていることの証拠でもあります.アフリカで話されている言語は大きく四つのグループに分かれており,北から,アフロ・アジア言語,ナイル・サハラ言語,ニジェール・コンゴ言語,コイ・サン言語が分布します.ただし,コイ・サン言語はさらに五つのグループに分かれており,互いの共通性はほとんどないといわれています.遠い昔に分岐した一群の言語族の総称と捉えるべきものです.ともあれ,言語グループの分布の様子と集団の遺伝的な構成には密接な関係があることがわかっています〔後略〕.


 また,アフリカの人々の語族,遺伝子,地理的分布が互いに関係することに加え,彼らの生業も相関関係に組み込まれていくるという.アフロ・アジア語族は牧畜民や牧畜農耕民と関連づけられ,ナイル・サハラ語族は牧畜民と,ニジェール・コンゴ語族は農耕民と,コイ・サン語族は狩猟採集民とそれぞれ関連づけられる.  *
 篠田 (89) は「言語や生業,地理的分布の違いは,過去における集団の移動や融合の結果と考えられるので,化石やDNA,さらには考古学的な証拠や言語の系統を調べることで,現代のアフリカ集団の成立のシナリオを多角的に描くことができます」と同節を締めくくっている.
 関連して「#3807. アフリカにおける言語の多様性 (1)」 ([2019-09-29-1]),「#3808. アフリカにおける言語の多様性 (2)」 ([2019-09-30-1]),「#3814. アフリカの様々な超民族語」 ([2019-10-06-1]) ほか africa の各記事を参照.

 ・ 篠田 謙一 『人類の起源 古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」』 中公新書,2022年.

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2022-08-03 Wed

#4846. 遺伝と言語の関係 [anthropology][evolution][demography][genetics][language_family]

 篠田謙一氏による近刊書『人類の起源』(中公新書)を読んでいる.人類学 (anthropology) は言語学の隣接分野の1つでもあり関心を寄せているが,アフリカなどで化石人骨が発見されるたびに人類史が書き換わる様を目の当たりにして,なんとスピード感のある分野なのだろうと思っている.
 篠田 (174) では,アジア人の起源を探る章で,「言語とゲノム」の関係について議論が展開されている.その一部を引用する.

二〇〇九年には,東南アジアから北東アジアにかけての現代人集団のゲノムデータが解析され,アジアの集団の遺伝的な分化は基本的に言語集団に対応していることが示されています.〔中略〕同じ言語集団に属する人びとは似たような遺伝的な構成をしているということを表しています.婚姻は基本的には同じ言語グループの中で行われますから,当然の結果でしょう.分化のもっとも重要な要素は言語であり,それが集団の遺伝的な構成を規定しているのです.


 この引用にあるように,遺伝と言語に基づく集団の分布が一致しているという指摘は,おそらく多くの読者にとって直観と常識に見合うために,すんなりと受け入れられるものだろう.しかし,私にとって,このストレートな指摘は,なかなかショッキングだった.遺伝,人種,言語の関係について,単純に結びつけることに懐疑的であり抵抗があるからだ.
 社会言語学では,言語とその他の種々のパラメーターは,相関関係にあることは多いものの,絶対的な結びつきはないということが説かれ,しばしば強調される.社会言語学は,ある意味では,言語と他のパラメーターの関係は直観・常識とは完全にイコールではないので,盲目的にイコールで結びつける言説とは距離を置け,と主張する分野でもあると私は考えている.このような立場からすると,上記の結論はあまりにストレートで,オッと身構えてしまうわけだ.
 ただし,あいにく「遺伝」について門外漢である私が何か言えることがあるかと問われれば,残念ながらない.ここでは,関連する以下の記事を指摘するにとどめたい.

 ・ 「#2838. 新人の登場と出アフリカ」 ([2017-02-02-1])
 ・ 「#2841. 人類の起源と言語の起源の関係」 ([2017-02-05-1])
 ・ 「#2844. 人類の起源と言語の起源の関係 (2)」 ([2017-02-08-1])
 ・ 「#2872. 舌打ち音とホモ・サピエンス」 ([2017-03-08-1])
 ・ 「#3146. 言語における「遺伝的関係」とは何か? (1)」 ([2017-12-07-1])
 ・ 「#3593. アングロサクソンは本当にケルトを一掃したのか?」 ([2019-02-27-1])
 ・ 「#1871. 言語と人種」 ([2014-06-11-1])
 ・ 「#3599. 言語と人種 (2)」 ([2019-03-05-1])
 ・ 「#3810. 社会的な構築物としての「人種」」 ([2019-10-02-1])

 現時点での私のまとまらない考えを言語化すると次のようになる.遺伝と言語の相関関係は,直観・常識のみならず科学的にも濃密のようである,しかし絶対的なイコール関係ではない.

 ・ 篠田 謙一 『人類の起源 古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」』 中公新書,2022年.

Referrer (Inside): [2024-02-07-1] [2022-08-07-1]

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2022-06-26 Sun

#4808. なぜ女性に関する/対するタブーが多いのか? [gender][taboo][race][anthropology]

 タブー (taboo) という語を一般に広めた功績は,18世紀イングランドの大航海者 James Cook (1728--79),通称 Captain Cook に帰せられる(cf. 「#4162. taboo --- 南太平洋発,人類史上最強のパスワード」 ([2020-09-18-1]),「#4802. 絶対的タブーは存在しない」 ([2022-06-20-1])).例えば Cook は1768--71年のタヒチへの航海日誌にて,タヒチの女性は男性と一緒に食事をしないという風習に触れ,これを "Tabu" として言及している.
 この例をはじめとして,女性に「対して」課される種類のタブーは古今東西で非常に広くみられるようだ.同じように,女性に「関する」タブーやその周辺の話題にも事欠かない.例えば「#1908. 女性を表わす語の意味の悪化 (1)」 ([2014-07-18-1]) や「#1909. 女性を表わす語の意味の悪化 (2)」 ([2014-07-19-1]),「#908. bra, panties, nightie」 ([2011-10-22-1]),「#1483. taboo が言語学的な話題となる理由」 ([2013-05-19-1]),「#1507. taboo が言語学的な話題となる理由 (4)」 ([2013-06-12-1]) などからも,その匂いを感じ取ることができるだろう.
 一般に性 (gender) に関するタブーは普遍的であり,そのなかでもとりわけ女性に焦点が当てられることが多いということかと思われるが,なぜ男性ではなく女性なのだろうか.1つの見方によれば,多くの社会において女性へのタブーがみられることは,女性が男性よりも劣っているという一種の性的カースト制度・思想の反映と解釈できるのではないかという.Allan and Burridge (4) は,上記のタヒチのタブーの事例を念頭に,次のように述べている.

. . . we can look at this taboo in another way, as the function of a kind of caste system, in which women are a lower caste than men; this system is not dissimilar to the caste difference based on race that operated in the south of the United States of America until the later 1960s, where it was acceptable for an African American to prepare food for whites, but not to share it at table with them. This is the same caste system which permitted men to take blacks for mistresses but not marry them; a system found in colonial Africa and under the British Raj in India.


 上記のタヒチからの例は習慣・風習にまつわるタブーだが,世界の言語における言葉上のタブーについても「性的カースト」の観点から分析してみる価値がありそうだ.

 ・ Allan, Keith and Kate Burridge. Forbidden Words: Taboo and the Censoring of Language. Cambridge: CUP, 2006.

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2022-06-20 Mon

#4802. 絶対的タブーは存在しない [taboo][sociolinguistics][anthropology]

 昨日の記事「#4801. タブーの源泉」 ([2022-06-19-1]) で引用した Allan and Burridge は,序章で「絶対的タブーは存在しない」と言い切っている (9--11) .

     There is no such thing as an absolute taboo
Nothing is taboo for all people, under all circumstances, for all time. There is an endless list of behaviours 'tabooed' yet nonetheless practised at some time in (pre)history by people for whom they are presumably not taboo. This raises a philosophical question: if Ed recognizes the existence of a taboo against patricide and then deliberately flouts it by murdering his father, is patricide not a taboo for Ed? Any answer to this is controversial; our position is that at the time the so-called taboo is flouted it does not function as a taboo for the perpetrator. This does not affect the status of patricide as a taboo in the community of which Ed is a member, nor the status of patricide as a taboo for Ed at other times in his life. Our view is that, although a taboo can be accidentally breached without the violator putting aside the taboo, when the violation is deliberate, the taboo is not merely ineffectual but inoperative.
   Sometimes one community recognized a taboo (e.g. late eighteenth-century Tahitian women not eating with men) which another (Captain Cook's men) does not. In seventeenth-century Europe, women from all social classes, among them King Charles I's wife Henrietta Maria, commonly exposed one or both breasts in public as a display of youth and beauty. No European queen would do that today. Australian news services speak and write about the recently deceased and also show picture, a practice which is taboo in many Australian Aboriginal communities . . . .
. . . .
We are forced to conclude that every taboo must be specified for a particular community of people, for a specified context, at a given place and time. There is no such thing as an absolute taboo (one that holds for all worlds, times and contexts).


 絶対的タブー,すなわちすべての人々,時間,状況において有効なタブーというものは存在しない.しごく当たり前のことではあるが,特定の文化の特定の時代に身を置いている私たちにとって,そこで有効なタブーが他のどこでも,いつでも通用するものだろうと信じ込んでしまう恐れは常にある.古今東西のタブーを知っておくことは,自らの属する社会のタブーを相対化するのに役立つだろう.

 ・ Allan, Keith and Kate Burridge. Forbidden Words: Taboo and the Censoring of Language. Cambridge: CUP, 2006.

Referrer (Inside): [2022-06-26-1]

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2022-06-19 Sun

#4801. タブーの源泉 [taboo][sociolinguistics][anthropology]

 言語的タブーの現象には多大な関心を寄せている.hellog でも taboo とタグ付けした多くの記事で取り上げてきた(とりわけ「#4041. 「言語におけるタブー」の記事セット」 ([2020-05-20-1]) を参照).タブーとは何か,なぜ人間社会にはタブーが生じるのか,謎が多く興味が尽きない.Allan and Burridge (1) が,言語的タブーに関する著書の冒頭で,タブーの範疇や源泉について次のように概説している.

Taboo is a proscription of behaviour that affects everyday life. Taboos that we consider in the course of the book include

・ bodies and their effluvia (sweat, snot, faeces, menstrual fluid, etc.);
・ the organs and acts of sex, micturition, and defecation;
・ diseases, death and killing (including hunting and fishing);
・ naming, addressing, touching and viewing persons and sacred beings, objects and places;
・ food gathering, preparation and consumption

   Taboos arise out of social constraints on the individual's behaviour where it can cause discomfort, harm or injury. People are at metaphysical risk when dealing with sacred persons, objects and places; they are at physical risk from powerful earthly persons, dangerous creatures and disease. A person's soul or bodily effluvia may put him/her at metaphysical, moral or physical risk, and may contaminate others; a social act may breach constraints on polite behaviour. Infractions of taboos can lead to illness or death, as well as to the lesser penalties of corporal punishment, incarceration, social ostracism or mere disapproval. Even an unintended contravention of taboo risks condemnation and censure; generally, people can and do avoid tabooed behaviour unless they intend to violate a taboo.


 これによると,タブーの源泉は,不快感,危害,損害を引き起こし得るような個人の行動に社会的制限を課そうとするところに存するのだという.社会秩序を平穏に維持すべく,越えてはいけない一線を社会のなかで共有するための知恵,あるいは仕掛け,と言い換えてもよいかもしれない.その目標を達成するために,人々が日常的に用いざるをえない言語というものを利用するというのは,何とも巧妙なやり方ではないか.

 ・ Allan, Keith and Kate Burridge. Forbidden Words: Taboo and the Censoring of Language. Cambridge: CUP, 2006.

Referrer (Inside): [2022-06-20-1]

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2022-01-16 Sun

#4647. 言語とジェンダーを巡る研究の動向 [gender][gender_difference][sociolinguistics][history_of_linguistics][hellog_entry_set][variation][anthropology]

 本ブログでは主に社会言語学の観点から言語とジェンダーの問題を様々に取り上げてきた.gendergender_difference の各記事,とりわけ私が厳選した「言語と性」に関する記事セットを参照されたい.
 言語とジェンダーを巡る研究は,言語使用の男女差という問題にとどまらない.むしろ,男女差の問題は昨今は流行らなくなってきている.言語におけるジェンダーは,初期の研究で前提とされてきたように固定的な属性ではなく,むしろ動的な属性であるととらえられるようになってきたことが背景にある.Swann et al. からの引用 (165--66) により,現代の研究の動向をつかんでおきたい.

language and gender The relationship between language and gender has long been of interest within SOCIOLINGUISTICS and related disciplines. Early twentieth-century studies in LINGUISTIC ANTHROPOLOGY looked at differences between women's and men's speech across a range of languages, in many cases identifying distinct female and male language forms (although at this point language and gender did not exist as a distinct research area). GENDER has also been a SOCIAL VARIABLE in studies of LANGUAGE VARIATION carried out since the 1960s, a frequent finding in this case being that, among speakers from similar social class backgrounds, women tend to use more standard or prestige language features and men more vernacular language features. There has been an interest, within INTERACTIONAL SOCIOLINGUISTICS, in female and male interactional styles. Some studies have suggested that women tend to use more supportive or co-operative styles and men more competitive styles, leading to male DOMINANCE of mixed-gender talk. Feminist researchers, in particular, have also been interested in SEXISM, or sexist bias, in language.
   Studies that focus simply on gender differences have been criticised by feminist researchers for emphasising difference (rather than similarity); seeing male speech as the norm and female speech as deviant; providing inadequate and often stereotypical interpretations of WOMEN'S LANGUAGE; and ignoring difference in POWER between female and male speakers.
   More recently (and particularly in studies carried out since the late 1980s and 1990s) gender has been reconceptualised to a significant extent. It is seen as a less 'fixed' and unitary phenomenon than hitherto, with studies emphasising, or at least acknowledging, considerable diversity among female and male speakers, as well as the importance of CONTEXT in determining how people use language. Within this approach, gender is also seen less as an attribute that affects language use and more as something that is performed (or negotiated and perhaps contested) in interactions . . . .


 前世紀末以降,ジェンダーによる言語使用の差異というよりも,言語によるジェンダーの生成過程のほうに研究の関心が移ってきた,と要約できるだろう.構造主義からポスト構造主義への流れ,とも表現できる.

 ・ Swann, Joan, Ana Deumert, Theresa Lillis, and Rajend Mesthrie, eds. A Dictionary of Sociolinguistics. Tuscaloosa: U of Alabama P, 2004.

Referrer (Inside): [2022-01-17-1]

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2021-12-14 Tue

#4614. 言語の起源と発達を巡る諸説の昔と今 [evolution][origin_of_language][history_of_linguistics][anthropology][biology][philosophy_of_language]

 「#4612. 言語の起源と発達を巡る諸問題」 ([2021-12-12-1]) で引用した Mufwene (51) は,言語の起源と発達を巡る諸説について,最近何か新しい提案が出てきているという事実はないと述べている.「諸説」は18世紀の哲学者の手により,すでに出そろっているという認識だ.

For instance, the claim that language is what distinguishes mankind the most clearly from the animal kingdom is already evident in Condillac. It is also hard to sharply distinguish eighteenth-century arguments for the emergence of human language out of instinctive cries and gestures from Bickerton's position that the predecessor of his 'protolanguage' consisted of holistic vocalizations and gestures. The idea of gradualism in the evolution of language is not new either; and Rousseau had already articulated the significance of social interactions as a prerequisite to the emergence of language. And one can keep on identifying a number of current hypotheses which are hardly different from earlier speculations on the subject.


 では,だからといってこの領域における研究が進んでいないかといえば,そういうわけでもない,と Mufwene (51--52) は議論を続ける.18世紀の哲学者や19世紀の言語学者と,現代の我々との間には重要な違いがいくつかあるという.
 1つ目は,我々が10--20万年前の化石人類と我々とが解剖学的にも生態学的にも異なった存在であることを認識していることだ.言語の起源と発達を論じる上で,この認識は重要である.
 2つ目は,我々が言語の起源と発達を巡る諸説が "speculative" な議論であるということを認識していることだ.別の言い方をすれば,我々のほうがこの話題を取り上げるに当たって科学的知識の限界に自覚的なのである.
 3つ目は,我々は言語の発達について概ねダーウィニズムを受け入れているということだ.言語が神によって付与された能力であるという立場を取る論者も,少数派であるとはいえ今も存在する.しかし,主流の見方では,言語能力は変異によって生じてきたものだとされている.
 4つ目は,我々は言語の構造がモジュール化されたものである (modular) と考えている.かつてのように言語の構成要素がすべてあるとき同時に発現したと考える必要はないということだ.現在は,言語が徐々に発達してきたことを前提としてよい空気がある.
 このように,現代になって何か新しい説が現われてきたわけではないものの,18--19世紀には前提とされていなかったことが今では前提とされているようになったということは,それこそが進歩なのだろう.

 ・ Mufwene, Salikoko S. "The Origins and the Evolution of Language." Chapter 1 of The Oxford Handbook of the History of Linguistics. Ed. Keith Allan. Oxford: OUP, 2013. 13--52.

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2021-12-12 Sun

#4612. 言語の起源と発達を巡る諸問題 [evolution][origin_of_language][history_of_linguistics][anthropology][sign_language][biology][philosophy_of_language]

 言語の起源と発達について,本ブログでは origin_of_languageevolution の記事で取り上げてきた.古代から現代に至るまで問い続けられてきた古くて新しい問題だが,とりわけ昨今は学際的なアプローチが不可欠である.あまりに深く広く領域であり,研究の歴史と成果を一望するのも難しいほどだが,Mufwene (14--15) が "The Origins and the Evolution of Language" と題する論考で,関連する諸問題の一端をリストで示しているので,そちらを引用する.

1. Was language given to humans by God or did it emerge by Darwinian evolution?
2. From a phylogenetic perspective, did language emerge abruptly or gradually? If the emergence of language was protracted, what plausible intermediate stages can be posited and what would count as evidence for positing them? Assuming that the structure of modern languages is modular, would gradual evolution apply to any of the modules, only to some of them, or only to the overall architecture? What is the probable time of the emergence of the first real ancestor of modern language?
3. Does possessing Language, the non-individuated construct associated exclusively with humans, presuppose monogenesis or does it allow for polygenesis? How consistent is either position with paleontological evidence about the evolution of the Homo genus? How did linguistic diversity start? Assuming Darwinian (variational rather than transformational) evolution, can monogenesis account for typological variation as plausibly as polygenesis?
4. What is the chronological relationship between communication and language? What light does this distinction shed on the relation between sign(ed) and spoken language? Did some of our hominin ancestors communicated by means of ape-like vocalizations and gestures? If so, how can we account for the transition from them to phonetic and signed languages? And how can we account for the fact that modern humans have favoured speaking over signing? Assuming that language is a communication technology, to what extent are some of the structural properties of language consequences of the linearity imposed by the phonic and signing devices used in their architecture.
5. Is the evolution of language more biological than cultural? Or is it the other way around, or equally both? Are languages as cultural artifacts deliberate inventions or emergent phenomena? Who are the agents in the emergence of language: individuals or populations, or both?
6. What is the relationship between language and thought? Did these entities co-evolve or did one cause the other?
7. Is there such a thing as 'language organ' or 'biological endowment for language'? How can it be characterized relative to modern humans' anatomical and/or mental makeups? What are the anatomical, mental, and social factors that facilitated the emergence of language?
8. Can we learn something about the evolution of language from historical language change, especially from the emergence of creoles and pidgins? Can we learn something from child language and/or from home sign language? And what can be learned from 'linguistic apes'? Does it make sense to characterize these particular communicative 'systems' as fossils of the human protolanguage . . . ? In the same vein, what can modelling contribute to understanding the evolution of language. This is definitely the kind of thing that scholars could not do before the twentieth century; it is important to assess its heuristic significance.


 一覧を眺めるだけで膨大な問いだということがよく分かる.私の研究している英語史や言語変化 (language_change) は,この茫洋たる分野からみれば本当に微々たる存在にすぎず,しかもこの分野に直接的に資するかも分からない細事である.

 ・ Mufwene, Salikoko S. "The Origins and the Evolution of Language." Chapter 1 of The Oxford Handbook of the History of Linguistics. Ed. Keith Allan. Oxford: OUP, 2013. 13--52.

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2021-03-23 Tue

#4348. 人を呼ぶということ [address_term][politeness][pragmatics][historical_pragmatics][anthropology][personal_pronoun][personal_name][onomastics][t/v_distinction][taboo][title][honorific][face]

 言語学では「人を呼ぶ」という言語行為は,人類言語学,社会言語学,語用論,人名学など様々な観点から注目されてきた.本ブログの関心領域である英語史の分野でも,人名 (anthroponym),呼称 (address_term),2人称代名詞の t/v_distinction の話題など,「人を呼ぶ」ことに関する考察は多くなされてきた.身近で日常的な行為であるから,誰もが興味を抱くタイプの話題といってよい.
 しかし,そもそも「人を呼ぶ」とはどういうことなのか.滝浦 (78--79) より,示唆に富む解説を引用する.

 すこし回り道になるが,“人を呼ぶ”ことの根本的な意味を確認しておきたい.文化人類学的に見れば,人を呼ぶことは声で相手に“触れる”ことであり,基本的なタブーに抵触する側面を持つ.そのため,多くの言語文化において,呼ぶことの禁止,あるいはそれに起因する敬避的呼称が発達した.日本語もこのタブーの影響が強く,敬避的呼称の例は,たとえば「僕(=しもべ)」「あなた(=彼方)」「御前(=人物の“前”の場所)」「○○殿(=建物名)」「陛下(=階段の下)」等々,いくらでも挙げることができる.相手を上げ自分を下げ,また,相手の“人”を呼ぶ代わりに方向や場所を呼ぶこうした方式は,呼ぶことで自分と相手が触れてしまうのを避けるために,“なるべく呼ばないようにして呼ぶ”ことが動機づけになっている遠隔化的呼称である.
 一方,相手ととくに親しい関係にある場合には,こうしたタブー的な動機づけは反転し,むしろ相手の“人”をじかに呼び,相手の内面に踏み込んでゆくような呼称となる.これは,相手の領域に踏み込んでも人間関係は損なわれない――そのくらい2人の間には隔てがない――という含みの,共感的呼称である.固有名(とくに姓の呼び捨てや下の名で呼ぶこと)による呼称,限られた人しか知らない愛称による呼称が典型だが,代名詞による呼称もその傾きを持つ.


 人を呼ぶのは一種のタブー (taboo) であるということ,しかしそれはしばしば破られるべきタブーであり,そのための呼称が多かれ少なかれオープンにされているということが重要である.人を呼んではいけない,しかし呼ばざるをえない,という矛盾のなかで,私たちはその矛盾による問題を最小限に抑えようとしながら,日々言語行為を行なっているのである.

 ・ 滝浦 真人 『ポライトネス入門』 研究社,2008年.

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2020-01-18 Sat

#3918. Chibanian (チバニアン,千葉時代)の接尾辞 -ian (1) [suffix][word_formation][toponymy][adjective][anthropology][homo_sapiens][productivity]

 昨日,ついに Chibanian (チバニアン,千葉時代)が初の日本の地名に基づく地質時代の名前として,国際地質科学連合により決定された.本ブログでこの話題を「#2979. Chibanian はラテン語?」 ([2017-06-23-1]) で取り上げてから2年半が経過しているが,ようやくの決定である.当の千葉県では新聞の号外が配られたというから,ずいぶん盛り上がっているようだ.
 Chibanian は,約77万4千年?12万9千年前の地質時代を指す名称である.この時代は,ホモ・サピエンス (homo_sapiens) が登場した頃であり,さらには初期の言語能力が芽生えていた可能性もある点で興味が尽きない.先の記事では,Chibanian なる新語は,よく考えてみるとラテン語でも英語でも日本語でもない不思議な語だと述べた.今回は名称決定を記念して,この新語に引っかけて語源的な話題をもう少し提供してみたい.接尾辞 (suffix) の -ian についてである.
 この接尾辞は「?の,?に属する」を意味する形容詞を作るラテン語の接尾辞 -iānus にさかのぼる.さらに分解すれば,-i- は連結母音であり,実質的な機能をもっているのは -ānus の部分である.ラテン語で語幹に i をもつ固有名詞から,その形容詞を作るのに -ānus が付されたものだが,後に -iānus が全体として接尾辞と感じられるようになったものだろう (ex. Italia -- Italiānus, Fabius -- Fabiānus, Vergilius -- Vergiliānus) .
 英語はこのラテン語の語形成にならい,-ian 接尾辞により固有名詞の形容詞(およびその形容詞に対応する名詞)を次々と作り出してきた.例を挙げれば,Addisonian, Arminian, Arnoldian, Bodleian, Cameronian, Gladstonian, Hoadleian, Hugonian, Johnsonian, Morrisonian, Ruskinian, Salisburyian, Shavian, Sheldonian, Taylorian, Tennysonian, Wardian, Wellsian, Wordsworthian; Aberdonian, Bathonian, Bostonian, Bristolian, Cantabrigian, Cornubian, Devonian, Galwegian, Glasgowegian, Johnian, Oxonian, Parisian, Salopian, Sierra Leonian などである.固有名詞ベースのものばかりでなく,小文字書きする antediluvian, barbarian, historian, equestrian, patrician, phonetician, statistician など,例は多い.
 実は,ラテン語の接尾辞 -ānus にさかのぼる点では -ian も -an も -ean も同根である.したがって,African, American, European, Mediterranean なども,語形成的には兄弟関係にあるといえる (cf. 「#366. Caribbean の綴字と発音」 ([2010-04-28-1])) .ただし,現代の新語形成においては,固有名詞につく場合,-ian の付くのが一般的のようである.今回の Chibanian も,この接尾辞の近年の生産性 (productivity) を示す証拠といえようか.

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2019-10-28 Mon

#3836. フランス語史の年表 [timeline][hfl][french][anthropology][indo-european][hfl]

 フランス語史は専門ではないものの,英語史を掘り下げて理解するためには是非ともフランス語史の知識がほしい.ということで,少なからぬ関心を寄せている.今回は Perret (179--81) よりフランス語史の年表 "Chronologie" を掲げよう.イタリックの行は,仮説的な年代・記述という意味である.

[ Préhistoire des langues du monde ]

   Il y a 4 ou 5 millions d'années: apparition de l'australopithèque en Afrique.
   Il y a 1,6 million d'années: homo erectus colonise l'Eurpope et l'Asie.
   Il y a 850 000 ans: premiers hominidés en Europe.
   Avant - 100 000: Homo sapiens en Europe (Neandertal) et en Asie (Solo).
   - 100 000: un petit groupd d'Homo sapiens vivant en Afrique (ou au Moyen-Orient) se met en marche et recolonise la planète. Les autres Homo sapiens se seraient éteints. (Hypothèse de certains généticiens, les équipes de Cavalli-Sforza et de Langaney, dite thèse du «goulot d'étranglement»).
   - 40 000: première apparition du langage?

[ Préhistoire des Indo-Européens ]

   - 10000: civilisation magdalénienne en Dordogne. Premier homme en Amérique.
   - 7000: les premières langues indo-européennes naissent en Anatolie (hypothèse Renfrew).
   Entre - 65000 et - 5500: les Indo-Européens commencent leur migration par vagues (hypothèse Renfrew).
   - 4500: les Indo-Européens occupent l'ouest de l'Europe (hypothèse Renfrew).
   - 4000 ou - 3000: les Indo-Européens commencent à se disperser (hypothèse dominante).
   - 3500: civilisation dite des Kourganes (tumuluss funéraires), débuts de son expansion.
   - 3000: écriture cunéiforme en Perse, écriture en Inde. Première domestication du cheval en Russie? (- 2000, premières représentations de cavaliers).

[ Préhistoire du français ]

   - 4000 ou - 3000: la civilisation des constructeurs de mégalithes apparaît en Bretagne.
   - 3000: la présence des Celtes est attestée en Bohème et Bavière.
   - 2500: début de l'emploi du bronze.
   - 600: premiers témoignages sur les Ligure et les Ibères.
   - 600: des marins phocéens s'installent sur la cõte méditerranéenne.
   - 500: une invasion celte (précédée d'infiltrations?): les Gaulois.

[ Histoire du français ]

   - 1500: conquête de la Provence par les Romains et infiltrations dans la région narbonnaise.
   - 59 à - 51: conquête de la Gaule par les Romains.
   212: édit de Caracalla accordant la citoyenneté à tous les hommes libres de l'Empire.
   257: incursions d'Alamans et de Francs jusqu'en Italie et Espagne.
   275: invasion générale de la Gaule par les Germains.
   312: Constantin fait du christianisme la religion officielle de l'Empire.
   Vers 400: traduction en latin de la Bible (la Vulgate) par saint Jérôme.
   450--650: émigration celte en Bretagne (à partir de Grande-Bretagne): réimplantation du celte en Bretagne.
   476: prise de Rome et destitution de l'empereur d'Occident.
   486--534: les Francs occupent la totalité du territoire de la Galue (496, Clovis adopted le christianisme).
   750--780: le latin cesse d'être compris par les auditoires populaires dans le nord du pays.
   800: sacre de Charlemagne.
   813: concile de Tours: les sermons doivent être faits dans les langues vernaculaires.
   814: mort de Charlemagne.
   842: les Serments de Strasbourg, premier document officiel en proto-français.
   800 à 900: incursions des Vikings.
   800--850: on cesse de comprendre le latin en pays de langues d'oc.
   880: Cantilène de sainte Eulalie, première elaboration littéraire en proto-français.
   911: les Vikings sédentarisés en Normandie.
   957: Hugues Capet, premier roi de France à ignorer le germanique.
   1063: conquête de l'Italie du Sud et de la Sicile par des Normands.
   1066: bataille de Hastings: une dynastie normande s'installe en Angleterre où on parlera français jusqu'à la guerre de Cent Ans.
   1086: la Chanson de Roland.
   1099: prise de Jérusalem par les croisés: début d'une présence du français et du provençal en Moyen-Orient.
   1252: fondation de la Sorbonne (enseignement en latin).
   1254: dernière croisade.
   1260: Brunetto Latini, florentin, compose son Trésor en français.
   1265: Charles d'Anjou se fait couronner roi des deux Siciles, on parlera français à la cour de Naples jusqu'au XIVe siècle.
   1271: réunion du Comté de Toulouse, de langue d'oc, au royaume de France.
   1476--1482: Louis XI rattache la Bourgogne, la Picardie, l'Artois, le Maine, l'Anjou et la Provence au royaume de France.
   1477: l'imprimerie. Accélération de la standardisation et de l'oficialisation du français, premières «inventions» orthographiques.
   1515: le Consistori del Gai Saber devient Collège de rhétorique: fin de la littérature officielle de langue d'oc.
   1523--1541: instauration du français dans le culte protestant.
   1529: fondation du Collège de France (rares enseignements en fançais).
   1530: Esclarcissment de la langue française, de Palsgrave, la plus connue des grammaires du français qui parassient à l'époque en Angleterre.
   1534: Jacques Cartier prent possession du Canada au nom du roi de France.
   1539: ordonnace de Villers-Cotterêts, le français devient langue officielle.
   1552: la Bretagne est rattachée au royaume de France.
   1559: la Lorraine est rattachée au royaume de France.
   1600: la Cour quitte les bords de Loire pour Parsi.
   1635: Richelieu officialise l'Académie française.
   1637: Descartes écrit en français Le Discours de la méthode.
   1647: Remarques sur la langue française de Vaugelas: la norme de la Cour prise comme modèle du bon usage.
   1660: Grammaire raisonnée de Port-Royal.
   1680: première traduction catholique de la Bible en français.
   1685: révocation de l'édit de Nantes: un million de protestants quittent la France pour les pays protestants d'Europe, mais aussi pour l'Afrique et l'Amérique.
   1694: première parution du Dictionnaire de l'Académie.
   1700: début d'un véritable enseignement élémentaire sans latin, avec les frères des écoles chrétiennes de Jean-Baptiste de la Salle.
   1714: traité de Rastadt, le français se substitue au latin comme languge de la diplomatie en Europe.
   1730: traité d'Utrecht: la France perd l'Acadie.
   1739: mise en place d'un enseignment entièrement en français dans le collège de Sorèze (Tarn).
   1757: apparition des premiers textes en créole.
   1762: explusion des jésuites, fervents partisans dans leur collèges de l'enseignement entièrement en latin; une réorganisation des collèges fait plus de place au français.
   1763: traité de Paris, la France perd son empire colonial: le Canada, les Indes, cinq îles des Antilles, le Sénégal et la Lousinane.
   1783: la France recouvre le Sénégal, la Lousiane et trois Antilles.
   1787: W. Jones reconnaît l'existence d'une famille de langues regroupant latin, grec, persan, langues germaniques, langues celte et sanscrit.
   1794: rapport Barrère sur les idiomes suspect (8 pluviôse an II); rapport Grégoire sur l'utilité de détruire les patois (16 prairial an II).
   1794--1795: la Républic s'aliène les sympathies par des lois interdisant l'usage de toute autre langue que le français dans les pays occupée.
   1797: tentative d'introduire le français dans le culte (abbé Grégoire).
   1803: Bonaparte vend la Louisiane aux Anglais.
   1817: la France administre le Sénégal.
   1827: Préface de Cromwell, V. Hugo, revendication de tous les registres lexicaux pour la langue littéraire.
   1830: début de la conquête de l'Algérie.
   1835: la sixième édition du Dictionnaire de l'Académie accepte enfin la graphie -ais, -ait pour les imparfiat.
   1879: invention du phonographe.
   1881: Camille Sée crée un enseignment public à l'usage des jeunes fille.
   1882: lois Jules Ferry: enseignement primaire obligatoire, laïquie et gratuie (en français).
   1885: l'administration du Congo (dit ensuite de Belge) est confiée au roi des Belges.
   1901: arrêté proposant une certaine tolérance dans les règles orthographiques du français.
   1902: l'enseignement secondaire moderne sans latin ni grec est reconnu comme égal à la filière classique.
   1902--1907: publication de l'Atlas linguistique de la France par régions de Gilliéron et Edmont.
   1950: autorisation de soutenir des thèses en français.
   1919: traité de Versalles, le français perd son statue de langue unique de la diplomatic en Europe.
   1921: début de la diffusion de la radio.
   1935: invention de la télévision.
   1951: loi Deixiome permet l'enseignement de certaines langues régionales dans le second cycle.
   1954--1962: les anciennes colonies de la France deviennent des états indépendents.
   1962--1965: concile de Vatican II: la célébration do la messe, principal office du culte catholique, ne se fait plus en latin.
   1987: un créole devient langue officielle en Haïti.
   1990: un «rapport sur les rectifications de l'orthographe» propose la régularisation des pluriels de mots composés et la suppression de l'accent circonflexe.
   1994: première création d'un organism de soutien à la francophonie.

 ・ Perret, Michèle. Introduction à l'histoire de la langue française. 3rd ed. Paris: Colin, 2008.

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2019-10-02 Wed

#3810. 社会的な構築物としての「人種」 [race][terminology][anthropology]

 本ブログでは,言語との関係において人種 (race) をどうとらえるかについて,「#1871. 言語と人種」 ([2014-06-11-1]),「#3599. 言語と人種 (2)」 ([2019-03-05-1]),「#3706. 民族と人種」 ([2019-06-20-1]) の記事で考えてきた.宮本・松田(編)『新書アフリカ史 改訂版』を読みながら,改めて人種とは何か,その生物学的な根拠はあるのか,その社会学的な意味づけは何かなどを学ぶ機会があった.関連する1節 (33--34) を引こう.

 黒人といえば,肌が黒くて髪の毛が縮れ,幅広の鼻と厚い唇をもつ人間をイメージするだろう.しかし同じ「ネグロイド人種」に属するとはいえ,その内部の多様性は相当なものだ.鼻幅,鼻高などは全人種間の変異幅の大半を「ネグロイド人種」内だけでカバーしているし,背が高くて痩せ形のヌエル人やマサイ人も,世界一身長の低い「ピグミー」も同じ「ネグロイド」なのである.また皮膚の色も,黒だけでなく茶,赤,黄に近いものまで,大きな変異差を示している.なぜこのような多様性が生じたのだろうか.その答えの一つは絶えざる混血にある.そもそも人種は,私たちが想像しているほど厳密で明確な境界をもった人間集団ではない.かつては人間を身体的特徴をもとに分類することが科学の名のもとで正当化されていた時代があった.その場合,白,黒,黄,赤,茶などの皮膚の色を基準としてきた.しかし人間の身体的形式を決定する夥しい数の遺伝子のなかから肌の色だけを特別に取り出す根拠は,自然科学的なそれとは全く異質な社会的かつ人為的な選択であり,決定的であることから,肌の色を基準に人間を区分しようとした生物学的概念としての人種は,現代の科学のなかでは有効性を否定され,社会・文化的あるいは政治・経済的概念として認識されている.いっけん生物学的な「実体」のように見える人種は,じつのところ,遺伝的特性の出現頻度によって相互に区別される,遺伝子のプールとしてのヒトのグループにすぎない.そしてこのグループは,絶えず周囲のグループと交流し,相互に変化を続けている.アフリカの場合,この接触と交流は長い時間をかけてきわめて活発に行われた.その結果,現在の「ネグロイド」の著しい多様性がつくりだされてきたのである.


 「人種」は,生物学的な裏付けがあるかのような響きをもっているが,実のところ社会的な構築物であるということだ.難しく厄介な概念・用語である.アフリカにおける人種の多様性と平行的に考えられる,アフリカの言語の多様性については,「#3807. アフリカにおける言語の多様性 (1)」 ([2019-09-29-1]),「#3808. アフリカにおける言語の多様性 (2)」 ([2019-09-30-1]) を参照.

 ・ 宮本 正興・松田 素二(編) 『新書アフリカ史 改訂版』 講談社〈講談社現代新書〉,2018年.

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2019-02-25 Mon

#3591. ネアンデルタール人は言葉を話したか? [anthropology][homo_sapiens][origin_of_language][evolution]

 標題と関連する話題を「#2980. 30万年前の最古のホモサピエンス」 ([2017-06-24-1]),「#1544. 言語の起源と進化の年表」 ([2013-07-19-1]) で取り上げてきた.ホモ・サピエンスに最も近い兄弟であるネアンデルタール人は,はたして言語をもっていたのかどうか.
 言語を使いこなすためには,(1) 言語を処理できる脳内機構をもっていること,(2) 言語音を発するための運動機構をもっていること,の2つの条件が満たされなければならない.この2点に関して,人骨化石や考古学的な証拠をもとに様々な検討が加えられているが,なかなか推測の域を出ないようだ.[2013-07-19-1]では次のように述べたが,これとて1つの見解にすぎない.

ネアンデルタール人は喉頭がいまだ高い位置にとどまっており,舌の動きが制限されていたため,発することのできる音域が限られていたと考えられている.しかし,老人や虚弱者の世話,死者の埋葬などの複雑な社会行動を示す考古学的な証拠があることから,そのような社会を成立させる必須要素として初歩的な言語形式が存在したことが示唆される.


 更科 (204--05) も,上記とある点で類似した結論に達しているが,言語の進化についても新たな示唆を加えている.ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の両方の母体となったホモ・ハイデルベルゲンシス,及びその母体だった可能性のあるさらに古いホモ・エレクトゥスと比較しながら,ネアンデルタール人の言語能力についてコメントしている.

 ホモ・エレクトゥスでは脳の形から,ブローカ野が識別できるようになった.ホモ・ハイデルベルゲンシスでは舌骨が,声を出せる形になった.ネアンデルタール人では脊椎骨の穴が広がり,FOXP2 遺伝子も言語に適したタイプになった.言葉はいきなり現われたのではなく,段階的に少しずつ発展してきたのだろう.
 したがって,ネアンデルタール人がまったく話せなかったとは考えにくい.石器と枝を組み合わせて槍を作ったり,仲間と協力して狩りをしたりするためには,ある程度は言葉を話せることが必要だ.これはホモ・ハイデルベルゲンシスにも言えることだが,舌骨の形から,かなり自由に声は出せたと考えられる.
 しかし,どの程度の文法を使った言葉を話していたのかは,わからない.おそらく目の前で起きている現在のことについては話せただろうが,過去のことについてはどうだったのだろうか.仮定法を使って,現実には起きていないことまで話せたのだろうか.さらに,言語は象徴化行動の最たるものである.ヒトとネアンデルタール人のあいだで象徴化行動に大きな差があったとすれば,言葉についても同様に,大きな差があったと考えるのが自然である.抽象的なこと,たとえば「平和」を,言葉を使わずに考えることはかなり難しい.ネアンデルタール人の辞書には,「私」や「肉」はあっても,「平和」はなかったのではないだろうか.


 ・ 更科 功 『絶滅の人類史』 NHK出版〈NHK出版新書〉,2018年.

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2019-02-03 Sun

#3569. literacy は認知上の決定的な差異をもたらすか? (2) [literacy][anthropology]

 昨日の記事 ([2019-02-02-1]) に引き続き,literacy は人類にとって革新的な「知性の技術」 (= [the] technology of the intellect) であるのか否かという問題を考えよう.
 Foley (433) は,literacy は「知性の技術」であるにしても,定冠詞の付くような唯一絶対のものではなく,歴史によって形成される社会的・文化的な構築物の1つとしての技術にすぎないと考えている.とすると,古典ギリシア的な「知性の技術」は,必然的な終着点ではなく,あくまで古代ギリシアで歴史的に培われた1つの特殊な技術とみるべきだということになる.

Literacy is not a straightforward "technology of the intellect"; technologies, like intellects . . ., are social and cultural constructions, arrived at by particular histories of engaging with the world and each other through various institutions and events. There are as many literacies as there are ways of engaging the world and ourselves through the written word. Those whose lives are deeply embedded in and lived through the written word could expect some cognitive effects as a result of this, but that is simply the result of their particular lived histories, their trajectories of structural coupling and nothing more. And, of course, what those effects might be will be local, specific to the local literacy practices that they have engaged in and whose understanding they embody. There are no certain or universal effects.


 この箇所は,実に読み応えのある批評である.続く Foley (434) の結論部でも,同趣旨で次のようにある.

Cultural practices and beliefs about literacy are highly variable, demonstrating the impossibility of any simple oral/literate divide or monolithic literate technology. Rather, literate practices of each culture reflect the way they engage with the world through the written word, their lived history of structural coupling via a script technology.


 literacy というと,まず個人の認知や学習という側面を考えがちだが,それと同じくらい個々の社会・文化に特有の歴史的構築物だという視点にも注意を払っておきたい.

 ・ Foley, William A. Anthropological Linguistics: An Introduction. Malden, MA: Blackwell, 1997.

Referrer (Inside): [2019-06-14-1]

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2019-02-02 Sat

#3568. literacy は認知上の決定的な差異をもたらすか? (1) [literacy][anthropology]

 literacy のある個人とない個人,literacy のある共同体とない共同体とでは,何かが決定的に異なっているにちがいないと思われるのは自然である.では,読み書きができる,できないという定義上の差異を超えて,何がどう異なるのだろうか.Foley (417) は,当該分野の草分け的な論文を著わした人類学者 Goody の説を紹介しつつ,この点に触れている.

In a seminal study, Goody . . . building on earlier work . . . proposed that literacy is a major force for social and cultural change. He proposed to replace earlier contrasts in anthropological writings between prelogical versus logical mentalities or "primitive" versus civilized minds . . ., or the Neolithic "science of the concrete" versus our modern "science of the abstract" . . . with a contrast between oral versus literate cultures. In other words the invention of writing, roughly around five thousand years ago, was a watershed event in human history, so that societies possessing this "technology of the intellect" . . . are fundamentally different as a result of this invention. Goodly followed this work up with subsequent publications . . ., and this hypothesis has independently been proposed or enthusiastically taken up by a number of other researchers. . . . On the face of it, this suggestion might seem relatively uncontroversial. The members of a literate society are clearly different from those of an oral one --- they can read and write. But Goody and his fellow researchers mean much more than this; it is their contention that the possession of this skill, this "technology of the intellect," leads to major cognitive changes in the way literates think about themselves and their world. Literacy brings about a major cognitive revolution, a revolution best exemplified, in Goody's view, in the flowering of critical and speculative thought in classical Greece, but a potential outcome wherever literacy takes hold.


 Goody の説によると,literacy は「認知上の大革命」をもたらし,典型的に古典ギリシアと結びつけられる批評的・思索的精神の発生を促すのだという.Goody は literacy のこの力はおそらく普遍的で必然的と考えているが,そのように単純に議論することはできるのだろうか.すでに読み書きできる私たちにとって,literacy = "[the] technology of the intellect" という捉え方は,ある意味で非常に自然なのだが,この意見には反論も出されている.その議論については明日の記事で.
 関連する話題として,「#850. 書き言葉の発生と論理的思考の関係」 ([2011-08-25-1]),「#1014. 文明の発達と従属文の発達」 ([2012-02-05-1]),「#3118. (無)文字社会と歴史叙述」 ([2017-11-09-1]) を参照.

 ・ Foley, William A. Anthropological Linguistics: An Introduction. Malden, MA: Blackwell, 1997.

Referrer (Inside): [2019-06-14-1] [2019-02-03-1]

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2018-12-28 Fri

#3532. 認知言語学成立の系譜 [cognitive_linguistics][history_of_linguistics][generative_grammar][typology][anthropology]

 1980年代以降,勢いのある認知言語学.この新しい言語学が成立した背景には,様々な学問的発展と関与があった.大堀 (8) の分かりやすい図を再現しよう.

Birth of Cognitive Linguistics

 元祖ともいえるインプットは,Franz Boaz や Edward Sapir に代表される人類学の影響を受けた言語学である.文化と言語の関係に光を当てた言語相対論の思想は,認知言語学の言語観と調和するところが多い.
 その人類学の影響下で生まれたのがアメリカ構造主義言語学である.意味を捨象し,形式の分析を第1の課題として置いた.そこでは言語は自律的なものとしてとらえられ,人の知識や能力から独立したものとして把握された.
 1950年代末,アメリカ構造主義言語学を置き換えたのは,Noam Chomsky の生成文法だった.言語を人の知識としてとらえなおし,統語論を数理モデルにより体系化することに功績があった.しかし,意味を軽視し,言語知識を他の知識とは関与しない自律的なものとしてとらえているという点では,構造言語学と異なるところがなかった.
 言語知識の自律性に疑問を抱いた派閥が生成意味論を唱え「言語学戦争」が生じたが,この派閥こそが後の認知言語学の立ち上げメンバーとなる.1980年代後半,理論上の指導者として,George Lakoff と Ronald W. Langacker が重要な成果を出し,1990年には国際学会を形成した.
 認知言語学のもう1つの影響源は,1970年代後半からの言語類型論の興隆である.諸言語の比較・対照を通じて,言語の法則性の背後にある動機づけについての関心が高まり,認知言語学に刺激を与えた.
 現在,認知言語学は広い認知科学のなかに包摂される1領域という位置づけである.また,その領域内部にも様々な立場があり,1つの名前でくくってよいものかという見方もある.しかし,歴史言語学や言語変化論などにも少なからぬインパクトを与えるようになってきており,1つの潮流を形成していることは間違いない
 関連して「#2835. 構造主義,生成文法,認知言語学の3角形」 ([2017-01-30-1]) も参照.

 ・ 大堀 壽夫 『認知言語学』 東京大学出版会,2002年.

Referrer (Inside): [2022-08-24-1]

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