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domain_loss - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-04-19 09:34

2023-04-20 Thu

#5106. 言語の抑圧,放棄,縮小,乗り換え,そして死 [language_death][linguistic_imperialism][language_shift][sociolinguistics][linguistic_right][review][domain_loss][revitalisation_of_language][ecolinguistics]

 連日,山本冴里(編)『複数の言語で生きて死ぬ』(くろしお出版,2022年)を参照している ([2023-04-17-1], [2023-04-19-1]) .言語の抑圧や死といった重たい話題を扱っているのだが,エッセイ風に読みやすく書かれているため,お薦めしやすい.各章末に付された引用文献も有用である.


山本 冴里(編) 『複数の言語で生きて死ぬ』 くろしお出版,2022年.



 冒頭の第1章「夢を話せない --- 言語の数が減るということ」(山本冴里)のテーマは,標題に挙げたように,言語の抑圧,放棄,縮小,乗り換え,そして死である.支配言語が被支配言語に圧迫を加えるという状況は古今東西でみられるが,その過程はさほど単純ではない.山本 (12--14) を引用する.

 使用言語の転換は,抑圧の結果である場合もあれば,言語を放棄することについての自発的な決定を反映しているものもあるが,多くの場合には,この二つの状況が混ざり合ったものだ.植民者らは,一般には,現地言語を根絶やしにすべく仕掛けるわけではなく,現地言語の役割をより少ない領域と機能へとシステマティックに限定していき,また,支配的な(外の)言語に関する肯定的な言説を採用する.そのことによって,現地言語の存在が見えなくなっていくのだ (Migge & Léglise 2007, p. 302) .

 こうした話をすると,「過去のこと」だ,と言う人もいる.「今はもう,植民地主義なんて存在しない,言語を奪うとかやめさせるとか,そんな犯罪は行われない」と.しかし,中国の教育省が,過程では標準中国語が用いられることの少ない少数民族居住地域や農村においても,幼稚園では標準中語を用いさせる「童語同音」計画を発表したのは二〇二一年七月のことだ.標準中国語を使うことで,「生涯にわたる発展の基礎をつくること」や「個々人の成長」,「農村の振興」,「中華民族共同体意識の形成」がなされるのだという(中華人民共和国教育部2021).
 「現地言語の役割」が「より少ない領域と機能へとシステマティックに限定」されると同時に,「支配的な(外の)言語に関する肯定的な言説」が広く流布されるという事態は,右の例ほど露骨ではなくとも,今も大規模に,かつ世界中で発生している.言い換えれば,自らの生まれた環境で習得した言語の価値が低下し,ほかの言語(仮にX語とする)の威信をより強く感じるという事態である.たとえばマスコミで,教育で,市役所など公の場で,より頻繁にX語が使われるようになってきたら.職場では現地の言語ではなくX語を使うようにと,取締役が決めたら.X語のできる人だけが,魅力的な仕事に就けるようになったなら.


 言語が「より少ない領域と機能へとシステマティックに限定」していく過程は domain_loss と呼ばれる(cf. 「#4537. 英語からの圧力による北欧諸語の "domain loss"」 ([2021-09-28-1])).毒を盛られ,死に向かってジワジワと弱っていくイメージである.
 「言語の死」 (language_death) というテーマは,他の関連する話題と切り離せない.例えば言語交替 (language_shift),言語帝国主義 (linguistic_imperialism),言語権 (linguistic_right),言語活性化 (revitalisation_of_language),エコ言語学 (ecolinguistics) などとも密接に関わる.改めて社会言語学の大きな論題である.

 ・ 山本 冴里(編) 『複数の言語で生きて死ぬ』 くろしお出版,2022年.

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2021-09-28 Tue

#4537. 英語からの圧力による北欧諸語の "domain loss" [linguistic_imperialism][language_shift][sociolinguistics][linguistic_right][domain_loss]

 過剰な英語教育により母語である日本語の教育(国語教育)ががないがしろにされているのは,ゆゆしきことである.このような議論を耳にしたことがあるだろう.実際,英語のせいで日本語がダメになってしまうという議論は今に始まったわけではない.比較的最近の議論を挙げれば,例えば「#3010. 「言語の植民地化に日本ほど無自覚な国はない」」 ([2017-07-24-1]) や「#3011. 自国語ですべてを賄える国は稀である」 ([2017-07-25-1]) などを参照されたい.
 しかし,一般的にいえば日本ではこのような懸念はさほど強くない.幸か不幸か英語が浸透しておらず,切実な問題とならないからだ.むしろ,英語使用が社会の中に広がっており,英語が得意とされる国・地域でこそ,この問題は切実である,自言語が英語に侵されてしまう可能性が現実味を帯びるからだ.例えば,北欧諸国は伝統的には EFL 地域と分類されるが,社会での英語使用の実際に照らせば ESL 地域に近い位置づけにあり,もろに英語の圧力を受けている (「#56. 英語の位置づけが変わりつつある国」 ([2009-06-23-1]) を参照).このような地域ではビジネス,娯楽,学術の分野で英語が深く浸透しており,自言語の用いられる領域がだんだん狭くなってきているという.つまり,"domain loss" が生じているようなのだ.Phillipson and Skutnabb-Kangas (325) より引用する.

One might think that European countries with strong national languages are unaffected by greater use of English, that its use and learning represent merely the addition of a foreign language. However, the international prestige and instrumental value of English can lead to linguistic territory being occupied at the expense of local languages and the broad democratic role that national languages play. An increasing use of English in the business, entertainment and academic worlds in Scandinavia has led to a perception of threat that tends to be articulates as a risk of "domain loss." This term tends to be used loosely, and minor empirical studies suggest that there has been an expansion rather than a contraction of linguistic resources hitherto.


 実際,北欧諸国は "domain loss" の脅威を受けて,2006年に「北欧語政策宣言」を承認している.その文書は北欧諸国のすべての住民の言語権 (linguistic_right) を謳いあげている,その背景には特定の言語に一辺倒になることを避けようとする複言語主義 (plurilingualism) の思想がある.
 北欧諸国ですら/だからこそ,上記のような状況がある.日本の状況を論じるに当たっても他国との比較が重要だろう.

 ・ Phillipson, Robert and Tove Skutnabb-Kangas. "English, Language Dominance, and Ecolinguistic Diversity Maintenance." Chapter 16 of The Oxford Handbook of World Englishes. Ed. by Markku Filppula, Juhani Klemola, and Devyani Sharma. New York: OUP, 2017. 313--32.

Referrer (Inside): [2023-04-20-1] [2023-02-14-1]

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