hellog〜英語史ブログ     ChangeLog 最新     カテゴリ最新     1 2 3 4 5 6 7 8 9 次ページ / page 1 (9)

variety - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2026-08-28 00:27

2026-08-23 Sun

#6327. カナダへ16往復した不屈の船 --- ダブリンの Jeanie Johnston Famine Ship 前より [ireland][dublin][great_famine][tabihel][canadian_english][l][th][be][perfect][auxiliary_verb][newfoundland_english][variety]


jeanie_johnston_famine_ship_in_dublin.jpg



 昨日の記事「#6326. アイルランド大飢饉の英語史上の意義 --- ダブリンの記念像前より」 ([2026-08-22-1]) に引き続き,アイルランドのジャガイモ大飢饉(the Great Famine)にまつわる話題.
 ダブリンのリフィー川沿いを朝ジョギングしていると,あの痛切な飢饉追悼記念像(Famine Memorial)から目と鼻の先に,堂々たる3本マストの帆船が係留されているのが目に入る.これは,19世紀半ばにアイルランドの西岸 Tralee からカナダへと移民を運び続けた帆船 Jeanie Johnston Famine Ship である.本物は沈没してしまっているため,これはレプリカなのだが,ダブリン観光の呼び物の1つとなっている.
 当時,飢餓と病から逃れるべく大西洋を渡った移民船の多くは,昨日の記事でも触れたように,劣悪な衛生環境と過密積載のため「棺桶船」 (coffin-ships) と呼ばれた.乗船者の3分の1近くがチフスやコレラ等で命を落とすことも珍しくなかった.しかし,この Jeanie Johnston 号の経歴は奇跡ともいうべきものだった.船長の James Attridge による徹底した衛生管理と定員制限,船医 Richard Blennerhassett の乗船によって,1848年の初航海から1855年までの間に,アイルランド西部の Kerry 県の首都 Tralee からカナダへ16往復し,2,500人もの移民を輸送しながら,船上での死者をただの1人も出さなかったという栄光の記録を残しているのだ.後に木材輸送船となり1858年に浸水・沈没した際にも,乗組員全員が生還を果たしたというから,乗船した者にとっては幸運の船としか言いようがない.
 ところで,こうした飢饉移民の船が向かった先であるカナダ(アメリカ合衆国ではなく)の英語には,アイルランド英語の痕跡は残っているのだろうか.私自身はカナダ英語とアイルランド英語の接点について不勉強なのだが,少し調べてみたところ,カナダのなかでもとりわけ Newfoundland の英語 (newfoundland_english) に注目すると,明確な影響の痕が見られるようだ.Kirwin (449--50) の "Anglo-Irish Influence" と題された節によると,Newfoundland の英語変種には,例えば以下のようなアイルランド英語由来の顕著な特徴があると報告されている.

 ・ 明るい /l/ (clear /l/)
 ・ 歯摩擦音 /θ/, /ð/ の破裂音 [t], [d] での代替
 ・ 習慣的現在 (consuetudinal present) を表わす be
 ・ 直前完了を表わす be after -ing 構文
 ・ 助動詞 shall を用いず,もっぱら will で一貫させる特長

 Tralee の港から命がけで海を渡っていった人々の記憶と,彼らの運んだ言葉の痕跡は,海を越えたカナダの地に,少なくとも Newfoundland に,今も息づいているということだ.帆船を見上げながら,過酷な歴史の荒波と,海を渡った英語変種に思いを馳せている.

 ・ Kirwin, William J. "Newfoundland English." The Cambridge History of the English Language. Vol. 6. Ed. Richard M. Hogg. Cambridge: CUP, 2008. 441--55.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2026-08-09 Sun

#6313. どのように「3単現」語尾が -eth から -(e)s へ変化したのか --- 『なぜさんたんげん』カウントダウン企画の振り返り (5) [3ps][nazesantangen][twitter][nazesantangen_countdown_3sp][variety][variation][ame][shakespeare][bible][comparative_linguistics][colonial_lag][ame_bre][indo-european][speed_of_change]

 振り返りシリーズの最終回となる今回は,古い語尾 -eth から新しい語尾 -(e)s への移行期(初期近代英語期)における実際の文献上の様相,そのアメリカ英語への波及,また goes などの綴字 -es の謎,そして比較言語学の地平から見える3単現の屈折語尾の究極の起源にまで迫ります.
 16世紀後半,エリザベス1世が残した散文や手紙の記述を分析すると,興味深い事実が浮かび上がってきます.彼女の文章の中では,古くからの語尾 -eth と,当時拡大しつつあった新しい語尾 -s が,おおよそ 1:2 という割合で混用されていました.最高権力者・知識人であった女王自身が新旧の形態をちゃんぽんに使っていたという事実は,この時代がこの屈折語尾の移行期の真っ只中にあったことを物語っています.
 シェイクスピアの戯曲テキストは,この語尾交代の社会言語学的な様相をさらに鮮やかに示してくれます.彼は,散文の台詞においては圧倒的な頻度で新しい -s 語尾を使用していました.1600年前後には,すでにロンドンの口語表現として -s が十分に一般化していたことがうかがえます.一方で,韻文においては,韻律の音節数を調整するためにか,あるいは古風で荘厳な響きを演出するためにか,古い -eth をあえて効果的に併用しました.劇作家として,2つの形態がもつ機能的・韻律的な違いを熟知し,巧みに使い分けていたのです.
 一方,1611年に刊行された『欽定訳聖書』 (The King James Version [KJV]) の動詞屈折の様相は,当時の口語の趨勢とは対照的でした.聖書のテキストにおいては,古い -eth が100%用いられ,新しい -s 語尾の採用は皆無でした.これは,聖書という文体に求められる荘厳さ,権威,そして神聖さを保持するため,当時すでに日常の口語として定着していた革新的な -s の侵入を意図的に排除した古風主義に基づく分布といえます.
 こうした移行期には,書き言葉の綴字と話し言葉の発音の間に生じたミスマッチも観察されます.当時の人々は紙の上に -eth と書き記しながらも,それを実際に音読する際には口頭で -s と発音するケースが頻発していたようなのです.綴字は保守的にとどまりつつも,音声的な変化が先行して拡大していくという,言語変化における時間差の典型例といえます.
 17世紀初頭より北米大陸へと渡っていった植民者たちによって移植された英語変種においては,新しい -s 語尾の拡大と定着のスピードが,本国イギリスよりも若干早い傾向を示したという調査結果もあります.一般に,移住した言語は本国の古い形態を保持しやすいとされますが,3単現の -s に関しては,多様な出身地から集まった人々による言語接触と単純化の力学が働き,革新的な定着が急速に進むこととなったということかもしれません.
 そして,もう1つ,別種の問題についてです.現代英語の綴字規則において,godo の 3単現形は単に -s をつけるのではなく,goes, does のように -es を付加します.文字素配列上の都合として,単語の末尾を -os という並びで終わらせる表記が歴史的に好まれなかったことが背景にありそうです.語幹と屈折語尾の独立性を視覚的に明確に示し,標準的なパターンに整える表記上の工夫として定着してきたと考えられます.
 最後に,印欧比較言語学の視点から,そもそもなぜ 3人称の屈折語尾に -s や -th のような子音が出現したのかという究極の起源を探ってみましょう.有力な説によれば,印欧祖語の段階において,指示代名詞(「これ」「それ」を指す表現,現代英語の this, that などの祖先)であった *so や *to といった要素が,動詞の末尾に付着し,融合していった結果であると考えられています.本来は動詞のあとに「それ」「彼」という指示詞を添えて発話していた文法構造が,幾世代もの時間をかけて動詞の屈折語尾へと化石化していったという構図です.
 さて,全5回にわたる連載を通じて,「3単現の s」という学校文法でお馴染みの小さなルールが,実は文法範疇の体系性,変種間における屈折パターンの多様性,方言接触,そして数千年に及ぶ印欧語の歴史などと深く結びついていることを見てきました.身近な英文法の「なぜ?」の背後には,常にダイナミックな英語史のドラマが広がっているのです.
 本ブログのシリーズとしては,やや急ぎ足で,かつ濃密すぎる内容だったかもしれません.しかし,実際には30日をかけて少しずつ「3単現の s」の理解を深める,カウントダウン企画としてお届けした企画でした.応援いただいた皆さんに,改めて感謝します.

 ・ 堀田 隆一 『英語史で解く 英文法の謎 --- なぜ「3単現の s」をつけるのか』 NHK出版〈NHK出版新書〉,2026年.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2026-08-07 Fri

#6311. 変種で「3単現」を考え直す --- 『なぜさんたんげん』カウントダウン企画の振り返り (3) [3ps][nazesantangen][twitter][nazesantangen_countdown_3sp][variety][dialect][world_englishes][ewave][world_englishes][variety][inflection][conjugation][typology][nptr][methinks]

 一昨日と昨日の記事では,標準英語の体系を中心に,3単現の基本原理や形態・音韻変化のメカニズムを整理してきました.本日は,視点を標準英語の外側へと広げ,世界英語 (World Englishes) や地域方言といった多様な変種 (variety) の観点から「3単現の -s」のあり方を相対化してみようという試みとなります.
 私たちが学校で習う標準英語では,主語が 3人称・単数・現在であれば動詞に -s をつけることが「絶対のルール」とされています.しかし,標準英語の枠から一歩外に出ると,3単現であっても -s をつけない英語変種が数多く存在します.
 例えば,ロンドンにほど近いイングランド東部,イーストアングリア (East Anglia) 地方の地域方言では,伝統的に 3単現の -s をつけません(e.g., He walk., She know.).さらに視点を世界へ広げれば,アフリカ系アメリカ人英語 (AAVE) や,ピジン英語,クレオール英語,そして世界各地で話される英語変種において,3単現の -s を欠く「3単現のゼロ」は決して珍しい現象ではありません.
 逆に,人称や数に関係なく,あらゆる文脈で動詞に -s を付与する英語変種も存在します.イングランド北部方言や,ウェールズ南部・南西部の諸方言などでは,次のような文をごく自然に耳にします.

 ・ I likes it.
 ・ We goes home.
 ・ You throws it.

 歴史的に見れば,英語の動詞の人称屈折は,地域や方言によって驚くほど多様でした.「3人称単数だけに -s をつける」という標準英語のパターンは,そうした無数の変異のなかの1つの選択肢にすぎなかったのです.
 Shakespeare などの初期近代英語の文献を読んでいると,一見すると文法的に破綻しているように思える次のような文に出会うことがあります.

 ・ they laugh that wins (勝つ者たちが笑う)

 前半の主語 they に対する動詞は laugh (-s なし)であるのに対し,後半の主語(that = they)に対する動詞は wins (-s あり)となっています.なぜ同じ複数主語に対して,-s の有無が分かれているのでしょうか.
 実は,ここには明確な文法原理が働いています.中英語期のイングランド北部方言に由来する特異な規則です.この規則のもとでは,主語が複数代名詞であっても,動詞と隣り合っている場合には -s がつかず(they laugh),主語と動詞が離れている場合や主語が名詞である場合には -s がつくという複雑な規則が存在していました.
 さらに驚くべきことに,過去形にまで -s がついた歴史的形跡が存在します.現代英語の methinks 「~のように思われる」は,非人称動詞に由来する古風な表現ですが,この過去形として,通常期待される methought に加えて,なんと過去形でありながら -s 付加が生じた methoughts という形,「3単過の s」が文献上に実在しました.

 > Me thoughts that I had broken from the Tower. (Shakespeare, Richard III)

 屈折語尾 -s の文法的な機能の揺らぎと多様性を示す,きわめて興味深い歴史的証拠です.
 現代の World Englishes 研究において,広範な変種データを集積したデータベース eWAVE (ewave) の調査結果は,私たちが教わる「普通」を捉え直す上で大きな示唆を与えてくれます(「#6239. 世界英語諸変種にみる「3単現の s」と「3単現のゼロ」 --- eWAVE 3.0 のデータより」 ([2026-05-27-1]) を参照).
 世界の英語変種を見渡すと,3単現において -s をつけない「3単現のゼロ」は,調査対象となった変種の69%で確認され,その平均普及率は72%に達します.一方で,「人称にかかわらずとにかく -s をつける」という変種も35%(普及率45%)存在しています.
 この言語類型論的なデータが意味するのは,標準英語が採用している「3人称・単数・現在というピンポイントの条件でのみ -s を要求する」という規則こそが,世界中の英語のなかではむしろアンバランスで珍しいものであるという事実です.
 標準英語の「3単現の s」は,決して言語として普遍的で合理的なルールというわけではなく,多様な方言的変異のなかから歴史の偶然によって標準化された規則にすぎません.標準英語の外からの視点をもつことで,英文法をより相対的・客観的に眺めることができるようになりますね.
 明日の第4回は,歴史的に3単現の語尾であった -eth が,なぜ現代の -(e)s へと変化を遂げたのか,その諸説に迫ります.

 ・ 堀田 隆一 『英語史で解く 英文法の謎 --- なぜ「3単現の s」をつけるのか』 NHK出版〈NHK出版新書〉,2026年.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2026-08-07 Fri

#6311. 変種で「3単現」を考え直す --- 『なぜさんたんげん』カウントダウン企画の振り返り (3) [3ps][nazesantangen][twitter][nazesantangen_countdown_3sp][variety][dialect][world_englishes][ewave][world_englishes][variety][inflection][conjugation][typology][nptr][methinks]

 一昨日と昨日の記事では,標準英語の体系を中心に,3単現の基本原理や形態・音韻変化のメカニズムを整理してきました.本日は,視点を標準英語の外側へと広げ,世界英語 (World Englishes) や地域方言といった多様な変種 (variety) の観点から「3単現の -s」のあり方を相対化してみようという試みとなります.
 私たちが学校で習う標準英語では,主語が 3人称・単数・現在であれば動詞に -s をつけることが「絶対のルール」とされています.しかし,標準英語の枠から一歩外に出ると,3単現であっても -s をつけない英語変種が数多く存在します.
 例えば,ロンドンにほど近いイングランド東部,イーストアングリア (East Anglia) 地方の地域方言では,伝統的に 3単現の -s をつけません(e.g., He walk., She know.).さらに視点を世界へ広げれば,アフリカ系アメリカ人英語 (AAVE) や,ピジン英語,クレオール英語,そして世界各地で話される英語変種において,3単現の -s を欠く「3単現のゼロ」は決して珍しい現象ではありません.
 逆に,人称や数に関係なく,あらゆる文脈で動詞に -s を付与する英語変種も存在します.イングランド北部方言や,ウェールズ南部・南西部の諸方言などでは,次のような文をごく自然に耳にします.

 ・ I likes it.
 ・ We goes home.
 ・ You throws it.

 歴史的に見れば,英語の動詞の人称屈折は,地域や方言によって驚くほど多様でした.「3人称単数だけに -s をつける」という標準英語のパターンは,そうした無数の変異のなかの1つの選択肢にすぎなかったのです.
 Shakespeare などの初期近代英語の文献を読んでいると,一見すると文法的に破綻しているように思える次のような文に出会うことがあります.

 ・ they laugh that wins (勝つ者たちが笑う)

 前半の主語 they に対する動詞は laugh (-s なし)であるのに対し,後半の主語(that = they)に対する動詞は wins (-s あり)となっています.なぜ同じ複数主語に対して,-s の有無が分かれているのでしょうか.
 実は,ここには明確な文法原理が働いています.中英語期のイングランド北部方言に由来する特異な規則です.この規則のもとでは,主語が複数代名詞であっても,動詞と隣り合っている場合には -s がつかず(they laugh),主語と動詞が離れている場合や主語が名詞である場合には -s がつくという複雑な規則が存在していました.
 さらに驚くべきことに,過去形にまで -s がついた歴史的形跡が存在します.現代英語の methinks 「~のように思われる」は,非人称動詞に由来する古風な表現ですが,この過去形として,通常期待される methought に加えて,なんと過去形でありながら -s 付加が生じた methoughts という形,「3単過の s」が文献上に実在しました.

 > Me thoughts that I had broken from the Tower. (Shakespeare, Richard III)

 屈折語尾 -s の文法的な機能の揺らぎと多様性を示す,きわめて興味深い歴史的証拠です.
 現代の World Englishes 研究において,広範な変種データを集積したデータベース eWAVE (ewave) の調査結果は,私たちが教わる「普通」を捉え直す上で大きな示唆を与えてくれます(「#6239. 世界英語諸変種にみる「3単現の s」と「3単現のゼロ」 --- eWAVE 3.0 のデータより」 ([2026-05-27-1]) を参照).
 世界の英語変種を見渡すと,3単現において -s をつけない「3単現のゼロ」は,調査対象となった変種の69%で確認され,その平均普及率は72%に達します.一方で,「人称にかかわらずとにかく -s をつける」という変種も35%(普及率45%)存在しています.
 この言語類型論的なデータが意味するのは,標準英語が採用している「3人称・単数・現在というピンポイントの条件でのみ -s を要求する」という規則こそが,世界中の英語のなかではむしろアンバランスで珍しいものであるという事実です.
 標準英語の「3単現の s」は,決して言語として普遍的で合理的なルールというわけではなく,多様な方言的変異のなかから歴史の偶然によって標準化された規則にすぎません.標準英語の外からの視点をもつことで,英文法をより相対的・客観的に眺めることができるようになりますね.
 明日の第4回は,歴史的に3単現の語尾であった -eth が,なぜ現代の -(e)s へと変化を遂げたのか,その諸説に迫ります.

 ・ 堀田 隆一 『英語史で解く 英文法の謎 --- なぜ「3単現の s」をつけるのか』 NHK出版〈NHK出版新書〉,2026年.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2026-05-27 Wed

#6239. 世界英語諸変種にみる「3単現の s」と「3単現のゼロ」 --- eWAVE 3.0 のデータより [ewave][world_englishes][variety][3sp][typology][inflection][conjugation][agreement][syntax]

 一昨日と昨日,X 上で近刊『なぜさんたんげん』のカウントダウン企画の一環として2つの投稿をポストしました(こちらこちら).お付き合いいただいている皆さん,ありがとうございます.今回の記事では,そのカウントダウン投稿の内容を hellog の場でも振り返りつつ,英語史・類型論的な視点から少し解説を加えてみたいと思います.
 取り上げたテーマは,泣く子も黙る(?)「3単現の s」そのものです.学校文法では絶対のルールとして叩き込まれるこの s ですが,標準英語から一歩外に出て世界の英語変種(World Englishes)に目を移すと,全く異なる風景が広がっています.
 「#4902. eWAVE 3.0 の紹介 --- 世界英語の言語的特徴を格納したデータベース」 ([2022-09-28-1]) でみた,世界英語の言語的特徴を格納した巨大データベース eWAVE 3.0 (= The Electronic World Atlas of Varieties of English) に基づいて,主語の人称と直説法現在の動詞の形態に関する統語的一致(agreement)に関する具体的な数値を覗いてみましょう.eWAVE のデータベースより,Area フィールドで agreement を指定すると,統語的一致の様々な現象についての情報が得られます.そのなかで,世界英語の3単現語尾に関する興味深い事実も見えてきます.
 まず,主語が3人称単数であっても動詞に s をつけない,いわゆる「3単現のゼロ」についてです.項目 No. 170 "Invariant present tense forms due to zero marking for the third person singular" を見ると,以下のような驚くべき数値が示されています.

 ・ Attestation (文証率): 69%
 ・ Pervasiveness (普及率): 72%

 eWAVE 3.0 で調査対象とされている世界の77変種の69%で「3単現のゼロ」が1例以上「確認」 (Attestation) され,頻度による重み付けを考慮した上での,その平均的な「普及率」 (Pervasiveness) は72%に達するというのです.標準英語(Standard English)の社会的な「重み」はもちろん絶大ですが,それを世界に無数にある英語変種のなかの1つの変種として平等にカウントするならば,s をつけない「3単現のゼロ」のほうが多数派になることを,この結果は示唆します(ただし,eWAVE 3.0 における Attestation と Pervasiveness の定義,および数値の扱いについては十分に理解していく必要があるので,ぜひ Introduction をご確認ください).
 では,逆のパターンはどうでしょうか.直説法現在であれば「人称にかかわらず,とにかく何にでも s をつける」という変種(No. 171 "Invariant present tense forms due to generalization of 3rd person ?s to all persons")のデータも見てみましょう.

 ・ Attestation: 35%
 ・ Pervasiveness: 45%

 主語が I であろうが they であろうが s を一般化してしまう変種も,世界の変種の35%で確認されており,その普及率は45%に及びます.この結果に,思ったより普通にあるんだな,という印象をもった方も多いのではないでしょうか.
 歴史言語学や言語類型論の観点から考えると,全部ゼロ(I love, he love)に統一するのも,全部 sI loves, he loves)に統一するのも,いずれも人称パラダイムを通じて一貫性が保たれるため,スッキリした屈折体系であるとはいえます.
 それに引き換え,私たちが日常的に使っている標準英語の「3単現だけに s をつける」という中途半端なパラダイムは,改めて客観的に眺めると,きわめてバランスが悪くいびつなシステムです.標準英語は,類型論的には,普通でない,奇妙な変種であるといわざるを得ません.なぜ標準英語がいびつな形をわざわざ選んで保持しているのか,その謎を解き明かすことこそが英語史の醍醐味だと思います.これについてはまた日を改めて議論していければと思います.
 『なぜさんたんげん』カウントダウン投稿は今後も続きます.SNS 等でもハッシュタグ #なぜさんたんげん を付して,ぜひ一緒に盛り上げていただければ幸いです.

 ・ 堀田 隆一 『英語史で解く 英文法の謎 --- なぜ「3単現の s」をつけるのか』 NHK出版〈NHK出版新書〉,2026年.

Referrer (Inside): [2026-08-07-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2026-05-04 Mon

#6216. ScotsEnglish とは別の言語なのか,あるいは1方言か [language_or_dialect][scots][scots_engish][sociolinguistics][variety]

 ある言語変種が言語なのか方言なのかという問題は,(社会)言語学の古くて新しい問題である.本ブログでも language_or_dialect の各記事で議論してきた.昨日取り上げた「#6215. ScotsScottish English の区別について」 ([2026-05-03-1]) についていえば,1つめの Scots が,とりわけこの問題と関わってくる.ScotsEnglish とは異なる1つの言語とみなすべきなのか,あるいは English の1方言なのか.
 ここには言語学的な考慮以上に,社会的な要素,とりわけ政治的な要素が関わる.昨日引用した McClure (23--24) は,続く段落でこの問題に触れつつ,同時に柔らかく回避している.以下,じっくり読んでいただきたい.

Uniquely among Old English-derived speech forms other than standard literary English, Scots has a claim to be regarded as a distinct language rather than a dialect, or latterly a group of dialects, of English. This claim has been, and continues to be, the subject of serious, reasoned and at times heated debate, at both popular and scholarly level . . . : a debate which embraces historical, political, social and literary as well as linguistic issues and has important implications in the field of education. However, it is beyond the scope of the present chapter, for the purposes of which it is sufficient to note that Scots, being descended from Old English and sharing in the general history of West Germanic speech in the British Isles, is appropriately considered as part of 'English' in the purely linguistic sense of the term. That Scottish English, as opposed to Scots, is a form of English is of course non-controversial. The distinction between Scots and Scottish English, which though not always clear in practice is soundly based on historical facts, should be borne in mind throughout the chapter.


 Scots が "purely linguistic" な観点からは English の仲間だというのは適切だ,と述べられている.しかし,裏を返せば,"historical, political, social and literary" な観点からは重要な論点であり続けている,ということだろう.

 ・ McClure, J. Derrick. "English in Scotland." The Cambridge History of the English Language. Vol. 5. Ed. Burchfield R. Cambridge: CUP, 1994. 23--93.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2026-05-03 Sun

#6215. ScotsScottish English の区別について [scots][scots_engish][sociolinguistics][terminology][variety][world_englishes]

 「#6207. 英語における Scots 「スコッツ語」の初例」 ([2026-04-25-1]) でも少し話題にしたが,標題の ScotsScottish English の用語・概念上の区別は,ややこしい.この区別を理解するには,まずこれらの変種の歴史を学ばなければならないからだ.
 言語学的な特徴に照らして2つの変種が異なるものである,と議論することはある程度可能だが,互いに類似している点や影響を与え合ってきた経緯もあり,必ずしもきれいに区別できるわけではない.むしろ,各変種が置かれてきた社会言語学的文脈を参照して,つまり時代性,標準の有無,話し言葉と書き言葉のメディアの違い,話者のアイデンティティなどの要因を参照して,2つの変種が区別されているものとして捉えるほうが,適切だろう.
 MaClure (23) は,スコットランドにおける英語を概説する文章の冒頭で,この2つの区分を次のように導入している.

Insular West Germanic speech was first established in what is now Scotland in the sixth century. Two phases are clearly identifiable in its history: the first includes the emergence of a distinctively Scottish form, developing independently of the Northern dialect of England though like it derived from Northumbrian Old English, and its attainment to the rank of official language in an autonomous nation-state; and the second, the gradual adoption in Scotland of a written, and subsequently also a spoken, form approximating to those of the English metropolis, with consequent loss of status of the previously existing Scottish tongue. In the course of the linguistic history of Scotland, that is, first one and then two speech forms, both descended from Old English, have been used within the national boundaries. For convenience we will choose to designate the first Scots and the second Scottish English. This situation has no exact parallel in the English-speaking world.


 最後に指摘されている通り,古英語に由来する2つの変種が,現代まで並び立って使い続けられている歴史をもつ地域は,世界を探してもほかにない.世界諸英語 (world_englishes) を視野に入れた歴史を考えるとき,スコットランドは特殊な事例を提供してくれるのである.

 ・ McClure, J. Derrick. "English in Scotland." The Cambridge History of the English Language. Vol. 5. Ed. Burchfield R. Cambridge: CUP, 1994. 23--93.

Referrer (Inside): [2026-05-04-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2026-04-29 Wed

#6211. 寺澤盾先生が PIVOT TALK に出演して【世界の英語と日本人】をお話しされています [pivot][youtube][world_englishes][notice][model_of_englishes][variety][standardisation][lingua_franca][ai][sociolinguistics][notice]



 4月25日(土),PIVOT TALK にて「【世界の英語と日本人】英語の始まりは5世紀半ば/20億人超まで広がった理由/英語は語彙が多い/英語が分裂していくシナリオ/標準化の挫折/AI時代にも英語学習は必要か?/10年後の英語と日本人」と題する YouTube 動画が配信されました.英語史研究者の寺澤盾先生(青山学院大学教授,東京大学名誉教授)がゲストとしてお話しされている,50分ほどの貴重な対談です.
 お話しの内容は,1ヶ月ほど前に寺澤先生が中公新書として上梓された『世界の英語 --- 5大陸に広がる多様な Englishes』を紹介しつつ,日本の英語学習者の皆が尋ねたくなる質問群に,英語史や世界英語 (world_englishes) の観点から答えられています.
 動画の内容は多岐にわたりますが,とりわけ重要なトピックをいくつかご紹介しましょう.

 まず,英語がなぜこれほどまでに拡大したのかという問いに対し,寺澤先生は「言語的な特徴によるものではなく,あくまで社会的・歴史的な要因である」と明快に答えられています.5世紀半ばには数十万人規模のマイナー言語に過ぎなかった英語が,1600年頃(シェイクスピアの時代)には600万人,そして現代では20億人を超える話者を抱えるに至った背景には,大英帝国の覇権と,それに続く米国の台頭というパワーの基盤があったという指摘です.
 また,現代の英語の状況を Kachru の「同心円モデル」を用いて解説し,非母語話者が母語話者を圧倒的に上回る(約8割が非母語話者!)という現状を浮き彫りにしています.これにより英語はもはや母語話者の独占物ではなくなっている,というパラダイム・シフトに言及されています.
 英語をめぐる今後の展望についても刺激的なお話しがありました.英語が各地で独自に進化し分裂していく「遠心力」と,共通語 (lingua_franca) として標準化・簡略化を目指す「求心力」のせめぎ合いについて触れ,さらにはAI同時通訳の発展が英語の地位をどう変えるかという点にも踏み込んでいます.
 最後に,日本人が英語とどう向き合うべきかという議論では,話し言葉に関しては特定のネイティブ英語に固執するのではなく,多様な複数形の Englishes を許容する姿勢の大切さを説いています.一方で書き言葉においては依然として標準的な文法や綴字の知識が信頼の指標となるという,現実的でバランスの取れた視点を提供してくれています.

 今回の寺澤先生のご出演は,世界英語という現代的な話題も視野に収めた英語史という学問が単なる過去の記録ではなく,現代社会を読み解き,私たちの未来の指針を示すための生きた知恵であることを改めて実感させてくれるものです.50分という動画の時間は一見長く感じられるかもしれませんが,寺澤先生の落ち着いた,かつ情熱的な語り口に引き込まれ,あっという間に過ぎてしまうはずです.
 そして,この動画で興味を持たれた方は,ぜひ中公新書より刊行されたばかりの『世界の英語』を手に取ってみてください.寺澤先生による『英語の歴史』,『英単語の歴史』に続く3部作の3番目となる本書は,世界各地で変容し続ける英語のダイナミズムを網羅的に描き出した決定版です.動画と合わせて読むことで,英語という言語がもつ4次元的な広がりが,より鮮明に見えてくることでしょう.hellog 読者の皆さんにも強くお薦めしたい1冊です.

 ・ 寺澤 盾 『世界の英語 --- 5大陸に広がる多様な Englishes』 中央公論新社〈中公新書〉,2026年.

Referrer (Inside): [2026-05-15-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2026-04-26 Sun

#6208. Doric が英語の文脈で Scottish 訛りにになるのはおもしろい [hellenic][greek][koine][scottish_english][scots][dialect][variety][oed]

 英語には Doric という,ギリシア語の Doris (ドーリス地方)に基づく形容詞がある.「ドーリス地方の,ドーリス語の;ドーリス方言」などを原義とする.しかし,Doric には,派生義として「方言の,田舎訛りの;(とりわけ)スコットランド訛りの」もある.スコットランド訛りの英語が Doric と形容されることがあるのだ.さらに細かくいえば,特にスコットランド北東部の方言,Aberdeen の方言などが,典型的に Doric だとされる.この背景には,どんな事情があるのだろうか.
 「#1454. ギリシャ語派(印欧語族)」 ([2013-04-20-1]) で触れたように,古代ギリシアの言語の歴史を振り返ると,様々なギリシア語の方言が各地で,そして各ジャンルで用いられていたが,アテネを中心に行なわれ,学術・文学の担い手の言葉となった Attic 方言こそが,後にギリシアのみならずヘレニズム世界へ koiné として広がっていった経緯がある.ここから Doric を含むその他の方言は,社会言語学的に,下位にみなされるようになった.
 こうして Doric に宿ることになった「田舎訛り」の語義が,ギリシア語方言に限らず,より一般的に用いられるようになった.そこから今度は英語方言の文脈に特化して,とりわけ「スコットランド訛り」の語義を帯びるようになったのは興味深い.
 OEDDoric (ADJECTIVE & NOUN) によると,ギリシア語のドーリス方言を指す名詞用法の派生義として,今では廃義となっているが,近代に使われていものがある.

1.b. † Speech or writing likened to the Doric dialect of ancient Greek for its apparent simplistic, unrefined, antiquated, or rustic character. Obsolete. 1657-1888


 このように,ある方言を軽蔑的にみなす名詞・形容詞としての用法が17世紀前半から見られるが,これが英語方言の文脈で「スコットランド訛り」を指すようになったのは,19世紀に入ってからである.まず,「スコットランド訛りの」を意味する形容詞としての用法を覗いてみよう.

1.c. Of or relating to Scots, a variety of English used in (esp. lowland) Scotland (see Scots n. B.1), esp. when regarded as rural or working-class; (now usually) spec. of or relating to the variety of Scots spoken in the north-east of Scotland, esp. Aberdeenshire. 1809-

   1809 Were she to stay much in the country, she would acquire some knowledge of our Doric dialect which (I mean in books) is too much neglected by a fastidious generation. (J. Ramsay, Letter 28 September (1966) 263)
   1840 The Scottish dialect of low life as first employed in novels by Sir Walter Scott:..it furnished the benefit of a Doric dialect. (T. De Quincey, Style: No. II in Blackwood's Edinburgh Magazine September 398/1)
   1933 She has no difficulty in carrying on a conversation, frequently utilising Doric words and phrases. (Scotsman 14 September 10/6)
   1993 The North East Scotland Heritage Trust, formed last year to promote the Doric language and culture, is facing an uncertain financial future. (Scotsman 6 April 5)
   2023 Flora Garry, one of the most important Doric writers of the 20th Century. (Press & Journal (Aberdeen) (Nexis) 13 September 7)


 次に「スコットランド訛り」を意味する名詞としての用法についても,解説と例文を挙げよう.

1.c. Scots (see Scots n. B.1), esp. when regarded as rural or working-class; (now usually) spec. the variety of Scots spoken in the north-east of Scotland, esp. Aberdeenshire. 1832-

   1832 He returned thanks in the Doric of his native hills. (Gentleman's Magazine February 159/1)
   1870 'My Lord,' commenced John, in his purest Doric..'I wad hae thocht naething o't.' (E. B. Ramsay, Reminiscences of Scottish Life v. 127)
   1872 The good doctor dropped into the broadest Doric. (C. Gibbon, For the King vol. I. iii. 22)
   1933 He fell readily into the Doric,..using it pithily and with humour. (N. Shepherd, Pass in Grampians iii. 15 in Grampian Quartet (2001))
   1966 As one, who has for years fought for the proper recognition of our North-east dialect, the Doric, I welcomed the gesture of the latest report on the problem. (Aberdeen Evening Express 7 September)
   2023 A book written and published in Doric by pupils from an Aberdeenshire school has been nominated for this year's Scots Language Awards. (Aberdeen Evening Express (Nexis) 5 September 3)


 目下 Aberdeen に滞在しているが,Doric という語を目にしたり耳にしたりする機会がたまにある.
 関連して「#5505. 古代ギリシアの方言観」 ([2024-05-23-1]),「#2752. dialect という用語について」 ([2016-11-08-1]) の記事も参照.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2026-04-25 Sat

#6207. 英語における Scots 「スコッツ語」の初例 [scots][variety][oed]

 Socts は「スコットランド英語」や「スコットランド語」と訳されることもあるが,ともすれば前者は "Scottish (standard) English" の訳語となり得るし,後者は "Scottish Gaelic" の訳語となり得る.誤解のないように独自の名前を与えたいのだが,そうするとそのまま音を借りて「スコッツ語」が無難ということになる.複雑な歴史が関わってくるために,そもそもこれらの言語(変種)が互いに異なることは,必ずしも広く知られているとはいえない(cf. 「#1719. Scotland における英語の歴史」 ([2014-01-10-1])).
 Scots という英単語が,スコットランドの主に低地地方において千年以上にわたって独自の発展を遂げてきた英語変種を指すものとして用いられるようになったのは,OED の説明によると15世紀末のことである.Scots (ADJECTIVE & NOUN) における名詞としての語義解説といくつかの最初例を挙げよう.

1. A variety of English used in (esp. lowland) Scotland; the variety of this used in parts of the north of Ireland. Frequently also viewed as a distinct language. 1494-

Scots developed from the early northern Middle English that supplanted a Brittonic language in the south of Scotland, and had by the Stuart era spread throughout the nation and taken the place of Latin as the language of record. During the Plantation of Ulster of the 17th cent. it was introduced by Scottish settlers to the north of Ireland, where it survives as Ulster Scots (Ulster Scots n.). From the mid 16th cent. onwards, Scots has become progressively more anglicized.

   1494 The figuris of armes [etc.]..translatit owt of Fraynche in Scottis. (Loutfut Manuscript f. 78, in Dictionary of Older Scottish Tongue at Scottis)
   a1522 So me behufyt quhilum..Sum bastard Latyn, French or Inglys oyss Quhar scant was Scottis. (G. Douglas in translation of Virgil, Æneid (1957) i. Prologue 118)
   1542 It salbe lefull to all or souirane ladyis lieges to haif þe haly write bait þe new testament and þe auld in þe vulgar toung In Inglis or scottis of ane gude and trew translatioune. (Scottish Acts Mary (1814) vol. II. 415/1)


 形容詞としての用法も16世紀から始まっている.

3. Designating a variety of English used in Scotland (see sense B.1), or literary compositions, speeches, etc., written or spoken in it; (of words, idioms, grammar, etc.) characteristic of or belonging to Scots. 1533-

   1533 Al quhilk onderstandis the scotis tung. (J. Gau in translation of C. Pedersen, Richt Vay To Reader sig. Aiv)
   1573 That Scotland neuer bure, In Scottis leid ane man mair Eloquent. (J. Davidson, Ane Breif Commendatioun of Vprichtnes in Respect of the Surenes of the Same, [etc.] sig. A.ivv
   1600 The ministers hes peruertit this text be thair Scottis translation. (J. Hamilton, Facile Traictise in T. G. Law, Catholic Tractates (1901) 227)


 これ以前,Scots はケルト系の "Scottish Gaelic" を指示する単語として用いられていたというややこしい背景があることにも注意されたい.1500年を境に,徐々に Socts の指示対象となる言語変種が変わってきたことになる.

Referrer (Inside): [2026-05-03-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2026-04-23 Thu

#6205. Scots の歴史に注目すべき理由 [scottish_english][scots][standard_english][sociolinguistics][variety][dialect][language_shift][contact][gvs][oe][literature][aureate_diction][old_norse][french][latin][celtic]

 私たちが日頃英語と呼んでいるものは,たいていイングランド南部の方言に基づいて発展してきた標準英語 (Standard English) にほかなりません.しかし,一歩視点を北へ転じ,スコットランドで話されてきた/いる英語変種 (Scots or Scottish English) に目を向けると,そこには標準英語のパラレルワールドというべき世界と歴史が広がっています.
 本記事では,スコットランドに暮らした/暮らしている経験のある私の贔屓目が効いていることを認めつつ,なぜ Scots とその歴史について知っておくとよいのか,ポイントを整理してみたいと思います.
 Scots とその歴史に注目すべき第1の理由は,Scots が標準英語を相対化するための鏡になり得るという点です.Scots は,イングランドの英語変種を除けば,古英語に直接由来する唯一の英語変種です.ある角度から評すれば,Scots は比較言語学的に English と最も近い言語といえるのです.私たちが学習の目標としている英語が現在の姿になったのは,歴史の必然ではなく,偶然の結果にすぎません.例えば,Scots では大母音推移 (gvs) が部分的にしか起こっておらず,house を古英語以来の音に近い [huːs] と発音したり,長音を表すのに <i> の母音字を添える独自の綴字習慣を持っていたりします.また,現在形の動詞には,主語の人称に限らず軒並み -is が現われるなど,Scots は文法面でも独自の変化を遂げてきています.歴史が異なっていれば,標準英語もあるいはこうなっていたかもしれない,という仮の姿を Scots に見ることで,私たちは標準英語を絶対視せず,斜めから眺める視点を手に入れることができるのです.
 第2に,Scots の歴史は English の歴史に負けず劣らず,言語接触の効果を評価する格好の材料である,という点です.Scots の語彙や表現には,8世紀後半から11世紀のヴァイキング侵攻と関連する古ノルド語の影響,13--14世紀のスコットランド独立運動と関係の深いフランスとの「古来の同盟」(Auld Alliance)がもたらした独自のフランス借用語,そして15世紀に花咲いたラテン語を駆使した華麗な文体 (aureate diction) が刻み込まれています.さらに古くは,ケルト語の基盤もあるわけで,Scots はこの土地における英語史の複雑さを体現する存在となっているのです.
 第3に,Scots には豊かな文学的伝統があります.Robert the Bruce や William Wallace といった中世の英雄に関する物語から,近代の夜明けである15--16世紀の Robert Henryson や William Dunbar などのスコットランドにおけるチョーサーを信奉する詩人たち,そして後期近代の国民的詩人 Burns や作家 Scott に至るまで,Older/Modern Scots で書かれた珠玉の作品が残っています.Scots を学ぶことで,このような言葉の宝ものを直接味わうことができる喜びは格別です.Scots 特有の音楽的な響きは,単なる情報伝達の道具を超えた言語の魅力を,私たちに教えてくれます.
 さらにいえば,Scots の歴史はスコットランドという枠を超えて世界史ともつながっています.Scots-Irish がアメリカ移民史に果たした役割は,いうまでもなく重要です.また,近代日本に計り知れない政治的・経済的影響を与えた,Thomas Blake Glover をはじめとするスコットランドの起業家たちの足跡を考えるとき,彼らの背景にあった言語的アイデンティティを無視することはできません.Scots という英語変種には,国家アイデンティティと言語の関係,あるいは書き言葉と話し言葉が異なるメディアとしていかに機能するかという社会言語学的諸問題が凝縮されてといってよいでしょう.
 Scots とその歴史を学ぶことは,単に1つの非標準英語変種に詳しくなることではありません.それは,英語という言語が示し得た別の可能性,パラレルワールドに思いを馳せ,言語接触,言語交替,規範化の過程を批判的に捉え直す機会でもあるのです.
 以上,スコットランド贔屓の目線から書きました.お目こぼしを.関連して「#1719. Scotland における英語の歴史」 ([2014-01-10-1]) も参照.

Referrer (Inside): [2026-04-24-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2026-04-16 Thu

#6198. あまり知られていない母語英語変種 [toc][variety][world_englishes][enl][lesser-know_varieties][caribbean][inohota][youtube]



 先日公開された「いのほた言語学チャンネル」の動画では,「#411. 日本でピジン英語が話されていたのはあの島」と題して,小笠原群島の英語に焦点を当てた.関連する話題は,hellog としても「#2559. 小笠原群島の英語」 ([2016-04-29-1]),「#2596. 「小笠原ことば」の変遷」 ([2016-06-05-1]),「#3353. 小笠原諸島返還50年」 ([2018-07-02-1]) で取り上げてきたので,そちらも参照されたい.
 動画で紹介した本では,小笠原群島の英語についての言及は軽くなされているのみだが,それに類する世界であまり知られていない英語母語変種 (lesser-know_varieties) が多く紹介されている.目次がそのままそれらの変種の一覧となっているので,それを挙げておきたい.



1. Introduction
   Part I: The British Isles
2. Orkney and Shetland
3. Channel Island English
   Part II: The Americas and the Caribbean
4. Canadian Maritime English
5. Newfoundland and Labrador English
6. Honduras/Bay Islands English
7. Euro-Caribbean English varieties
8. Bahamian English
9. Dominican Kokoy
10. Anglo-Argentine English
   Part III: The South Atlantic Ocean
11. Falkland Islands English
12. St Helenian English
13. Tristan da Cunha English
   Part IV: Africa
14. L1 Rhodesian English
15. White Kenyan English
   Part V: Australasia and the Pacific
16. Eurasian Singapore English
17. Peranakan English in Singapore
18. Norfolk Island and Pitcairn varieties




 英語は大言語であるとはいえ,母語変種に限っても広く知られていないものが多々あることがわかるだろう.


Schreier-Lesser_front_cover.png



 ・ Schreier, Daniel, Peter Trudgill, Edgar W. Schneider, and Jeffrey P. Williams, eds. The Lesser-Known Varieties of English: An Introduction. Cambridge: CUP, 2010.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2026-04-09 Thu

#6191. 明るい l と暗い l [rp][l][phonetics][phonology][pronunciation][minimal_pair][variety][consonant]

 RP (= Received Pronunciation) では,側音 /l/ に「明るい [l]」 (clear [l]) と「暗い [ɫ]」 (dark [ɫ]) が区別される.明るい [l] は,前舌面を硬口蓋の方向に持ち上げた調音で,前舌母音の音色となる.一方,暗い [ɫ] は後舌面を軟口蓋の方向に持ち上げた調音で,後舌母音の音色となる.
 それぞれが生起する分布は明確である.母音あるいは /j/ の前位置では明るい [l] が実現され,それ以外のすべての位置では暗い [ɫ]が実現される.以下,いくつかの異音を単語例とともに挙げてみる.

 ・ 明るい [l]: leave, let, lock; blow, glad, splice; silly, yellow, alloy; medley, ugly, nobly; feel it, fall out, all over (最後の例のように語境界がある場合にも明るい [l] が生起する)
 ・ 強勢音節で無声破裂音の後位置では無声化した明るい [l] が生起する: play, please, plant, apply, aplomb, clean, close, climb
 ・ 無強勢音節で無声破裂音の後位置あるいは無声摩擦音の後位置では部分的に無声化した明るい [l] が生起する: placebo, aptly, butler, antler, ghastly; sloppy, slow, slink, fling, flow, earthly
 ・ 暗い [ɫ]: feel, fill, fell, help, bulb, salt; alpine, elbow, halter
 ・ 音節主音的 [ɫ̩]: table, middle, cudgel, camel, final
 ・ 無声子音の後位置では部分的に無声化した音節主音的 [ɫ̩] が生起する: apple, little, satchel, awful

 語の切れ目の /l/ については,両語の緊密性が問題になってくるが,明るい [l] と暗い [ɫ] の最小対を示す話者がいるという.そのような話者においては,形態素の区切りに応じて coupling [ˈkʌplɪŋ] (connecting device) と coupling [ˈkʌpɫɪŋ] (joining) が区別されるという.
 明るい [l] と暗い [ɫ] は RP でこそ区別されるが,それ以外の変種では区別されないことも多い.例えば,一般アメリカ英語,標準スコットランド英語,オーストラリア英語,ニュージーランド英語,イングランド北部英語,北ウェールズ英語では,すべての位置で暗い [ɫ] が現われる.一方,南部アイルランド英語,西インド諸島英語,南ウェールズ英語,Tyneside 方言では,すべての位置で明るい [l] が現われる.
 以上,Cruttenden (200--05) に依拠して執筆した.関連して「#1817. 英語の /l/ と /r/ (2)」 ([2014-04-18-1]) も参照されたい.

 ・ Cruttenden, Alan. Gimson's Pronunciation of English. 6th ed. New York: OUP, 2001.

Referrer (Inside): [2026-04-10-1]

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2026-02-13 Fri

#6136. 2022年秋の特別展示「Homo loquens 『しゃべるヒト』ことばの不思議を科学する」のウェブ版が公開 [notice][linguistics][historical_linguistics][world_englishes][variety]

homo_loquens_website.png



 2022年の秋に大阪で開催された「コトバの祭典」というべき大規模な展示を覚えていますでしょうか? 私自身もちらっとだけ展示協力の形で関わらせていただいた国立民族学博物館(民博)の特別展「Homō loquēns 『しゃべるヒト』 --- ことばの不思議を科学する」です.本ブログでも,「#4876. 国立民族学博物館で言葉の特別展が始まっています!」 ([2022-09-02-1]) および 「#4955. 国立民族学博物館の特別展「しゃべるヒト」の開催は11月23日(水)までです」 ([2022-11-20-1]) で取り上げたことがありました.
 当時,民博に訪問できなかった方,あるいは展示の興奮をもう一度味わいたいという方に朗報です.この度,同特別展示のウェブ版が公開されました.以下よりアクセスしてみてください.

 ・ 「Homō loquēns 『しゃべるヒト』 --- ことばの不思議を科学する」ウェブサイト

 ウェブ版では,実際の展示室で紹介されていたコンテンツが,デジタルアーカイブの形で再構成されています.「コトバで伝わるしくみ」「コトバを操る身体のしくみ」「コトバを身につけるしくみ」「コトバの多様性」「コトバとヒトの関係の多様性」「コトバの研究の多様性」といった多岐にわたるテーマが網羅されており,いながらにして言語学の最前線に触れることができます.
 さて,私自身がこのプロジェクトにおいて展示協力として関わらせていただいたのは,「言語の分岐」に関するセクションでした.「英語の300年間」と題する図で,近代における英語の世界的な拡大と,それに伴う多様化(分岐)が示されています.

 ・ 「言語の分岐 英語の300年間」

 ここではイギリス諸島で話されていた英語の諸変種がベースとなって,そこからアメリカ,アジア,アフリカ,オセアニアへ拡散していき,新たな変種が派生していく様子が模式的に描かれています.言語が地理的に離れ,時間の経過とともに独自の進化を遂げていく様子は,言語のダイナミズムを感じさせます.英語史という時間軸の視点と,英語方言学という空間軸の視点が交差する様を味わうことができると思います.
 こちらのウェブサイトは,未完成の部分もありますが,今後順次公開されていくことになるとのことです.特別展での展示パネルのテキストや図表がこのように公開されることで,一過性のイベントで終わることなく,言語学や英語史の学習リソースとして永続的に活用できるようになったことは,とても有意義なことです.
 民博の展示室で圧倒されたあの日から数年が経ちましたが,こうしてウェブ版として再会してみると,改めてコトバという存在の奥深さに気づかされます.ぜひ皆さんも,このデジタル特別展に訪れてみてください.
 なお,当時,特別展を楽しんだ私の感想は,heldio 配信回としても記録されています.ご関心のある方は,「#536. 民博特別展「しゃべるヒト」に訪問中」をお聴きいただければ.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2025-11-18 Tue

#6049. タスマン海をまたいでアチコチ移動する等語線 [dialectology][dialect][isogloss][new_zealand_english][australian_english][variety][geography][dialect_continuum]

 ニュージーランド英語とオーストラリア英語の関係については,通時的に共時的にも様々な議論があり,考察すべき問題が多い.特にニュージーランド英語のほうは,オーストラリア英語にどれほど依存しているのか,あるいはむしろ独立しているのかという論点において,アイデンティティ問題と関わってくるので,議論が熱くなりやすいのだろう.両国の間に横たわるタスマン海 (the Tasman Sea) は,両サイドの英語変種を結びつけている橋のか,あるいは隔てている壁なのか.
 この議論と関連して,興味深い事実がある.通常,海や川や山などの自然の障壁は人々の往来を阻みやすいため,そこが言語境界や方言境界となることが多い.とりわけ単語・語法の分布で考えるならば,等語線 (isogloss) が自然の障壁を越えていくことはあまりない,と言ってよい.タスマン海のような地理的に明らかに大きな断絶は,オーストラリア英語とニュージーランド英語を隔てる自然の障壁となるはずだ.
 ところが,おもしろいことに,個々の単語・語法によって様相は異なるものの,両変種においては等語線が自然の障壁を越えている例がある.ニュージーランド側から見れば,等語線が国内にはなくタスマン海を西に渡ったオーストラリア側にある,という奇妙な現象が起こっている.
 Bauer の挙げている例を見てみよう (413) .

Interestingly enough, some of the isoglosses distinguishing New Zealand English regional dialects cross the Tasman into Australia. Turner . . . comments that the construction boy of O'Brien is also found in Newcastle, New South Wales. Crib is also found meaning 'lunch' in Australia. Small red-skinned sausages are called cheerios in New Zealand, as they are in Queensland, but not elsewhere in Australia . . . . Polony, mentioned above as an Auckland word, is also found in Western Australia . . . . Slater, which is a widespread New Zealand English word, though originally from the South Island, is also found in New South Wales . . . . Blood nose 'nose bleed' is normal in New Zealand, but restricted to Victoria and South Australia in Australia . . . . New Zealand can thus be seen as part of a larger Australasian dialect area in more ways than just sharing vocabulary with Australia.


 ちなみに引用内にある polony は「香辛料をたっぷりきかせた豚肉の燻製ソーセージ」,slater は「フナムシ,ワラジムシ」を意味する.食物や動物などの日常語は一般に方言差が出やすく,その点で上記の例も方言学の一般的な傾向を示しているといえるだけに,等語線が海を飛び越えている様が興味深い.

 ・ Bauer L. "English in New Zealand." The Cambridge History of the English Language. Vol. 5. Ed. Burchfield R. Cambridge: CUP, 1994. 382--429.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2025-11-13 Thu

#6044. 地域変種の差異がレジスターの差異に転嫁されるケース --- NZE の語彙より [new_zealand_english][vocabulary][register][lexical_stratification][ame_bre][synonym][variety]

 New Zealand English を概説している Bauer が,北米英語の NZE への影響について考察している箇所で,同一指示対象に対して英米系語彙を使い分けている興味深い慣行に触れている (419) .

One interesting use of American vocabulary in New Zealand English is to provide high-style advertising terms. Given a pair such as torch and flashlight, the British version is the one most likely to be used in everyday speech, and the American one is likely to be used commercially, to make the product sound more appealing. Thus one would normally pull the curtains, but the shop might sell you drapes. Other pairs with a similar relationship are lift/elevator, nappy/diaper and possibly (although there may be a semantic distinction here) biscuit/cookie. Bayard (1989) comments on such pairs in some detail, pointing out that for younger speakers, the American member of such pairs, even if it is not widely used, is considered to be 'better' English (a term Bayard deliberately does not define more closely).


 本来は英語の英米差という地域変種間の差異に基づくペア語彙が,NZE ではレジスター差を表わすために利用されている事例だ.より正確にいえば,日常用と商用というフィールドの差に利用されているといえるだろうか.
 また,その際にどちらのオリジナル変種が日常用に対応しており,どちらが商用に対応しているのかもおもしろい問題だ.事実としては,イギリス系が日常用で,アメリカ系が商用となっているようだが,これはまた納得感がある.NZE の基本はイギリス系だが,商業が絡むとアメリカ系が入ってくる,というわけだ.
 もしかすると,これは NZE に限らない現象かもしれない.variety の register 化,あるいは user variety の use variety 化などと呼べる興味深い現象だ.

 ・ Bauer L. "English in New Zealand." The Cambridge History of the English Language. Vol. 5. Ed. Burchfield R. Cambridge: CUP, 1994. 382--429.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2025-09-23 Tue

#5993. 英語の未来と生成AIが拓く新たな局面 --- 言語における求心力と遠心力のダイナミズム [variety][sociolinguistics][function_of_language][future_of_english][world_englishes][model_of_englishes][notice][youtube][inohota][inoueippei][inohotanaze][ai]



 一昨日 YouTube 「いのほた言語学チャンネル」の最新動画が配信されました.題して「#373. これからの英語はどうなる?AIと世界の英語・英語の未来を読む:多様化・AI・世界化」です.今回は,まさに今,私たちが目の当たりにしている言語とテクノロジーの劇的な交錯について,井上さんと議論を深めました.
 この話題を選んだきっかけは,私が以前出演させていただいた「文藝春秋PLUS 公式チャンネル」で,関連する英語史トークを展開したことにあります.そのトークの最後のほうで,英語の多様性やその未来について触れたのですが,同じテーマを「いのほた言語学チャンネル」でもさらに掘り下げてみようと考えた次第です.今や生成AIによるリアルタイム通訳も実用的になりつつあり,英語の未来を考える上で,これは避けて通れない話題となっています.
 いのほた動画では,英語(ひいては言語一般)のもつ「2つの相反する力」について議論しました.1つは,英語が世界の共通語,つまりコミュニケーションの道具としての役割を果たす「求心力」 (centripetal force) です.世界には約7000もの言語があると言われますが,その中で英語は最も広く通用する言語として,私たちの学習目標となってきました.異なる言語を話す人々を結びつける強力なツールとしての英語,という側面です.
 しかし,同時に英語(ひいては言語一般)にはもう1つの側面があります.それは「遠心力」 (centrifugal force) です.20世紀後半以降,世界英語 (world_englishes) という現象が顕著になり,世界各地で標準英語から逸脱した多様な英語が生まれ,話されています.これは,各々の地域の話者が,独自の英語変種を通じて自身のアイデンティティを表現しようとする動きにほかなりません.言語が単なるコミュニケーションの道具にとどまらず,所属する集団や個人のアイデンティティを示す手段となるわけです.結果として,同じ英語を話していても,お互いにとって理解しにくい方向に枝分かれしていくという,一見矛盾した状況が生じています.
 私は,この求心力と遠心力こそが,言語のダイナミズムを支える両輪であると考えています.結びつけようとする力と,分かち隔てようとする力.これらは常に拮抗し,揺れ動くことで言語変化の原動力となっているのです.社会がグローバル化すれば求心力が強まり,個々が多様性を志向すれば遠心力が強まる.まるで振り子のように揺れ動きながら,言語は機能し続けていると言えます.この2つの相反する力については,「#1360. 21世紀,多様性の許容は英語をバラバラにするか?」 ([2013-01-16-1]) や「#2073. 現代の言語変種に作用する求心力と遠心力」 ([2014-12-30-1]) もご参照ください.
 そして,人類史上長らく続いてきたこの言語のダイナミズムに,今,生成AIという前代未聞の技術が投入されてきています.これまでのコンピューター技術は標準的な英語のみを扱ってきたと言ってよいですが,AIは多様な英語をも処理できるようになりつつあります.これは,英語がインフラとしての基盤的役割を今後も担い続けるのかどうかという根本的な問いを突きつけているとも言えます.言語の求心力と遠心力のバランスは,AIの発展によってどのように変容していくのか,今後注視していくべき現象です.
 2020年代は,人類言語史における大きな転換点として記憶されることになるかもしれません.私たちは今,その歴史の瞬間に立ち会っていると言えます.英語の未来,そして言語そのものの未来がどうなっていくのか,引き続き注目していきたいと考えています.ぜひ,今回の「いのほた言語学チャンネル」の配信をご覧いただき,皆さんも一緒に考えてみていただければ.
 「いのほた言語学チャンネル」と言えば,10月15日に「いのほた本」が出ます! 詳細は,ぜひ「#5973. 「いのほた本」が出ます! --- 井上 逸兵・堀田 隆一 『言語学でスッキリ解決!英語の「なぜ?」』(ナツメ社)」 ([2025-09-03-1]) の記事をどうぞ.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2025-09-08 Mon

#5978. ONZE --- Origins of New Zealand English Project [link][new_zealand_english][variety][language_change][bibliography]

 ニュージーランド英語 (new_zealand_english) の起源を探る調査が1980年代後半から活発化してきている.その中心的な役割を果たしてきたのが ONZE (Origins of New Zealand English Project) というプロジェクトだ.ニュージーランドのカンタベリ大学が拠点となっている.
 Williams (1998--99) による簡単な紹介を読んでみよう.

For the origins of the New Zealand accent, a unique set of data are available in the form of recordings made throughout rural New Zealand in the 1940s, among them some of the first New-Zealand-born speakers of English which allowed people on the Origins of New Zealand English Project (ONZE n.d.) to document the embryonic stages of the New Zealand accent.


 ONZE の調査とその成果については,Gordon (et al.) や Trudgill の一連の研究が詳しい.以下に主要な論著の書誌を挙げておく.

 ・ Gordon, Elizabeth. "That Colonial Twang: New Zealand Speech and New Zealand Identity." Culture and Identity in New Zealand. Ed. David Novitz and Bill Willmott. Wellington: GP Books, 1989. 77--90.
 ・ Gordon, Elizabeth. "The Origins of New Zealand Speech: The Limits of Recovering Historical Information from Written Records." English World-Wide 19(19): 61--85.
 ・ Gordon, Elizabeth and Andrea Sudbury. "The History of Southern Hemisphere Englishes." Alternative Histories of English. Ed. Richard Watts and Peter Trudgill. London: Routledge, 2002. 67--86.
 ・ Gordon, Elizabeth, Lyle Campbell, Jennifer Hay, Margaret MacLagan, Andrea Sudbury, and Peter Trudgill. New Zealand English: Its Origins and Evolution. Cambridge/New York: Cambridge UP, 2004.
 ・ Trudgill, Peter. Dialects in Contact. Oxford: Blackwell, 1986.
 ・ Trudgill, Peter. "A Window on the Past: 'Colonial Lag' and New Zealand Evidence for the Phonology of Nineteenth-Century English." American Speech 74(3): 227--39.
 ・ Trudgill, Peter. New Dialect Formation: The Inevitability of Colonial Englishes. Edinburgh: Edinburgh UP, 2004.
 ・ Trudgill, Peter, Elizabeth Gordon, Gillian Lewis, and Margaret Maclagan. "Determinism in New-Dialect Formation and the Genesis of New Zealand English." Journal of Linguistics 36: 299--318.

 ・ Williams, Colin H. "Varieties of English: Australian/New Zealand English." Chapter 127 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1995--2012.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2025-09-06 Sat

#5976. オーストラリア英語とニュージーランド英語は「つかず離れず」 [new_zealand_english][australian_english][variety][world_englishes][history_of_linguistics]

 イギリスからみて地球の裏側にあることから「対蹠地」 (the Antipodes) と称されるオーストラリアとニュージーランド.この2つの地域で行なわれている英語変種は,それぞれオーストラリア英語 (Australian English; AusE),ニュージーランド英語 (New Zealand English; NZE) といわれる.
 歴史的,地理的,文化的に近い変種なので,しばしば一緒に扱われる.一般的には国としての「大きさ」の違いが念頭にあるからか,AusE がメインで NZE がサブと扱われることが多い.もちろん,このような認識は NZE 話者にとっては快いものではないだろう.
 両変種の研究史をみても,AusE のほうが手厚く扱われてきたという事情はある.しかし,ここ30年ほどの間に事情が変わってきた.NZE は AusE と比べて,いな他の主要な英語変種と比べても,さかんに研究されるようになってきたのである.両変種を同じ章のなかで概説している Williams の冒頭の段落を引用する (1996) .

The concept of a joint chapter on Australian (AusE) and New Zealand English (NZE) is controversial, especially to New Zealanders who might justly object to being treated simply as an appendix to Australia. Initially, the description of NZE lagged behind that of the variety across the Tasman: in the early 1990s, there was a more substantial body of research on AusE; the situation has been rectified, however, and NZE is no longer "the dark horse of World English regional dialectology" (Crystal 1995: 354) but one of the most researched varieties worldwide . . . . In fact, as far as the evolution of the regional accent is concerned, much better evidence is available for NZE . . . . The history of the two varieties receives separate treatment in volume 5 of the Cambridge History of the English Language (Burchfield 1994). The histories of Australia and New Zealand are closely connected, however . . . , and the following account will not treat the development of the two varieties separately. Instead, the historical account of their accents, lexicon, grammar, and dialects will take a comparative approach in order to tease out the common ground and differences in the development of the two inner-circle varieties in the south Pacific.


 先日の記事「#5974. New Zealand English のメイキング」 ([2025-09-04-1]) で触れたように,AusE と NZE の関係は複雑である.深い関係にあることは確からしいが,何がどこまで互いの影響によるものなのか具体的につかめないことが多いからだ.今後の本ブログでも,両変種の「つかず離れず」を味わっていこうと思う.

 ・ Williams, Colin H. "Varieties of English: Australian/New Zealand English." Chapter 127 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1995--2012.
 ・ Crystal, David. The Cambridge Encyclopedia of the English Language. Cambridge: CUP, 1995.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2025-09-04 Thu

#5974. New Zealand English のメイキング [new_zealand_english][maori][history][cockney][sociolinguistics][variety][founder_principle][dialect_contact][dialect_mixture][dialect_levelling][australian_english][100_places]

 ニュージーランド英語については「#1799. New Zealand における英語の歴史」 ([2014-03-31-1]),「#402. Southern Hemisphere Shift」 ([2010-06-03-1]),「#278. ニュージーランドにおけるマオリ語の活性化」 ([2010-01-30-1]) を含む new_zealand_english の記事群で取り上げてきた.今回は最近お気に入りの A History of the English Language in 100 Places の第52節 "WAITANGI --- the English Language in New Zealand (1840)" より,New Zealand English のメイキングについての解説を読みたい (129--31) .

On 6 February 1840, at Waitangi, Aoteoroa, Maori chiefs signed a treaty with the representatives of the British government. The Maori were agreeing to permanent white settlement in their islands. The treaty of Waitangi signalled the moment when the British, not the French, asserted possession of what was renamed New Zealand; it was also the moment when English was destined to become the dominant European language of Aotearoa.
   After 1840, European migration to New Zealand came almost exclusively from the British Isles. A census in 1871 showed that of these various migrants, 51 per cent came from England, 27 per cent from Scotland, 22 per cent from Ireland. The majority spoke regional dialects unlike the upper-class English of the colony's administrators. That division shaped linguistic attitudes and accents until the 1960s at least. At the same time, the Maori language provided many terms for local animals, plants and landscape features.
   The proportions of the 1871 census suggest the founding elements of New Zealand English, but they do not take account of the fact that there was a continuous movement back and forth between New Zealand and Australia. Some 6 per cent of the 1871 white population was born in Australia, and very large numbers of those who came from the British Isles first landed in Australia before deciding to move to New Zealand. Australian English had then --- and continues to have --- a strong influence. . . .
   As in Australia, school inspectors, administrators and leaders of opinion complained from the beginning about the kind of English that they found widespread in New Zealand. A major complaint was that many New Zealanders said 'in', not 'ing', a the ends of words; they added and dropped 'h's improperly; and generally sounded Cockney.
   New Zealand linguists challenged the idea that there were large numbers of Londoners among the immigrants to New Zealand. Moreover, within England and the Empire, Cockney was the accent most disliked by upper-class English speakers, and there was a tendency to label any disliked accent as Cockney. Arguing for a levelling of the nineteenth-century English, Irish and Scottish immigrant dialects, New Zealand linguists claim that a distinctive voice appeared about 1900 and spread rapidly through the country. It was initially noted in derogatory terms as a colonial drawl or twang. However, modern-day New Zealanders have homogenized their speech, eroding the once unacceptable drawl as well as the once superior vowels.


 ニュージーランド英語は,英語母語話者が入植した当初のイギリス諸島由来の諸方言をベースとしつつも,対蹠地の兄弟としてのオーストラリア英語の影響を被り,さらに土着のマオリ語の語彙も多く借用しながら混交してきた.オーストラリア英語と同様に,一般に Cockney の影響の強い変種とみられることが多いが,それは「Cockney =非標準的な諸変種」という大雑把すぎる前提に基づいた誤解である可能性が高い.ニュージーランドでは,20世紀にかけて前世紀までに行なわれていた様々な変種が水平化し,現代につらなるニュージーランドらしい英語変種が生まれてきた,と考えられる.


Lucas-Mulvey-History_front_cover.png



 ・ Lucas, Bill and Christopher Mulvey. A History of the English Language in 100 Places. London: Robert Hale, 2013.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow