動詞を作る接尾辞 -ize/-ise について,いずれのスペリングを用いるかという観点から,「#305. -ise か -ize か」 ([2010-02-26-1]),「#314. -ise か -ize か (2)」 ([2010-03-07-1]) で話題にしてきた.今回は OED の記述を要約しながら,この接尾辞の歴史を概説する.
-ize/-ise はギリシア語の動詞を作る接尾辞 -ίζειν に遡る.人や民族を表わす名詞について「~人(民族)として(のように)振る舞う」の意味の動詞を作ることが多かった.現代英語の対応語でいえば barbarianize, tyrannize, Atticize, Hellenize のような例だ.
この接尾辞は3,4世紀にはラテン語に -izāre として取り込まれ,そこで生産力が向上していった.キリスト教や哲学の用語として baptizāre, euangelizāre, catechiizāre, canōnizāre, daemonizāre などが生み出された.やがて,ギリシア語の動詞を借用したり,模倣して動詞を造語する際の一般的な型として定着した.
この接尾辞は,中世ラテン語やヴァナキュラーにおいて,やがて一般的にラテン語の形容詞や名詞から動詞を作る機能をも発達させた.この機能の一般化はおそらくフランス語において最初に生じ,そこでは -iser と綴られるようになった.civiliser, cicatriser, humaniser などである.
英語は中英語期よりフランス語から -iser 動詞を借用する際に,接尾辞をフランス語式に基づいて -ise と綴ることが多かった.この接尾辞は,後に英語でも独自に生産性を高めたが,その際にラテン語やフランス語の要素を基体として動詞を作る場合には -ise を,ギリシア語の要素に基づく場合にはギリシア語源形を尊重して -ize を用いるなどの傾向も現われた.しかし,この傾向はあくまで中途半端なものだったために,-ize か -ise かのややこしい問題が生じ,現代に至る.OED の方針としては,語源的であり,かつ /z/ 音を文字通りに表わすスペリングとして -ize に統一しているという.
なお,英語のこの接尾辞に2重母音が現われることについて,OED は次のように述べている.
In the Greek -ιζ-, the i was short, so originally in Latin, but the double consonant z (= dz, ts) made the syllable long; when the z became a simple consonant, /-idz/ became īz, whence English /-aɪz/.
英語の2重母音 (diphthong) と3重母音 (triphthong) は,歴史のなかで種類・数ともに変化し続けてきた.様々な変化を遂げてきた結果,現代英語(標準変種)では計13種が確認されている.音韻論的な観点から整理すると,以下のような体系的な図となる.この図は Crystal (251) の図を改変したものである(SVG版もあり).
2重母音は,第2モーラの母音が (1) 曖昧母音 /ə/ で終わるか,(2) 高母音 /ɪ/, /ʊ/ で終わるか,の計3種に限られるという特徴がある.
3重母音は,上記の高母音で終わる2重母音の後に,第3モーラとして曖昧母音 /ə/ が付される5種に限られる.
歴史的にみると,2重母音や3重母音のみならず単母音 (monophthong) もおおいに変化してきた.英語は全体として母音を激しくかき回してきたという経緯がある.どのように変化してきたのか,なぜそれほど変化してきたのかについては,以下の記事を参照.
・ 「#1402. 英語が千年間,母音を強化し子音を弱化してきた理由」 ([2013-02-27-1])
・ 「#2052. 英語史における母音の主要な質的・量的変化」 ([2014-12-09-1])
・ 「#2181. 古英語の母音体系」 ([2015-04-17-1])
・ 「#3387. なぜ英語音韻史には母音変化が多いのか?」 ([2018-08-05-1])
・ 「#4108. boy, join, loiter --- 外来の2重母音の周辺的性格」 ([2020-07-26-1])
・ 「#4521. 英語史上の主要な母音変化」 ([2021-09-12-1])
・ Crystal, D. The Cambridge Encyclopedia of the English Language. 3rd ed. CUP, 2018.
中英語期に生じた開音節長化 (meosl) は,後の大母音推移 (gvs) の入力となる音形を出力した音変化として英語史上重要な役割を担っている.この音変化については様々な論点があり,現在でも議論が続いているが,一般的にいって高母音についてはしばしば適用されないことが知られている.例えば,/i/ であれば開音節長化が生じる環境において /eː/ となることが予想されるが,実際にこのルートを経た単語は少ない.
少ない中でもこの音変化を経て現代標準英語に伝わったと考えられるものを Prins (108) よりいくつか挙げよう.
OE i | eME i | ME e: | MoE i: |
---|---|---|---|
wicu | wik gen. wikes > wēkes // wēk | week | |
ifel | ivel | ēvel | evil |
clipian | clipen | clēpen | |
bitel | bitel | bētel | beetle |
wifel | wivel | wēvel | weevil |
「#3386. 英語史上の主要な子音変化」 ([2018-08-04-1]) の母音版を書いていなかったので,今回は英語史における母音の音変化について,主要なものをまとめたい.
とはいっても,英語史上の音変化は「#1402. 英語が千年間,母音を強化し子音を弱化してきた理由」 ([2013-02-27-1]) からも示唆されるように,母音変化のほうがずっと種類や規模が著しい.したがって,少数の主な変化にまとめ上げるのも難しい.そこで,Cruttenden (72) に従って,古英語と現代英語の母音体系を比較対照したときに際立つポイントを6点挙げることで,この難題の当面の回答としたい.
(1) OE rounded front vowels [yː, ʏ] were lost by ME (following even earlier loss of [øː, œ]).
(2) Vowels in weakly accented final syllables (particularly in suffixes) were elided or obscured to [ə] or [ɪ] in ME or eModE.
(3) All OE long vowels closed or diphthongised in eModE or soon after.
(4) Short vowels have remained relatively stable. The principal exception is the splitting of ME [ʊ] into [ʌ] and [ʊ], the latter remaining only in some labial and velar contexts.
(5) ME [a] was lengthened and retracted before [f,θ,s] in the eighteenth century.
(6) The loss of post-vocalic [r] in the eighteenth century gave rise to the centring diphthongs /iə,eə,ɔə,ʊə/ (later /ɔə/ had merged with /ɔː/ by 1950 and /eə/ became /ɛː/ by 2000). The pure vowel /ɜː/ arose in the same way and the same disappearance of post-vocalic [r] introduced /ɑː,ɔː/ into new categories of words, e.g. cart, port
(3) がいわゆる「大母音推移」 (gvs) に関連する変化である,
英語史上の多数の母音変化のなかで何を重視して有意義とするかというのはなかなか難しい問題なのだが,こうして少数の項目に絞って提示されると妙に納得する.非常に参考になるリストであることは間違いない.
・ Cruttenden, Alan. Gimson's Pronunciation of English. 8th ed. Abingdon: Routledge, 2014.
古英語の母音は複雑な体系をなしていた.短母音,長母音,短2重母音,長2重母音の系列があり,古英語の前後半の時期によっても方言によっても母音の種類と数は異なっていたため,古英語の母音(音素)一覧を作ろうとすると厄介である.また,長2重母音の系列が本当にあったかどうかを巡って「#3955. 古英語の "digraph controversy"」 ([2020-02-24-1]),「#3964. 古英語の "digraph controversy" (2)」 ([2020-03-04-1]) でみたような激しい論争もあり,一筋縄ではいかない.
ここでは Prins (51--52) に依拠して,古英語の後期ウェストサクソン方言の母音体系を示すことにする.
Short Vowels | ||||||
i | ü | u | ||||
e | ö ( → e ) | o | ||||
æ, a | ||||||
Long Vowels | ||||||
i: | ü: | u: | ||||
e: | ö: ( → e: ) | o: | ||||
æ: | ||||||
ɑ: | ||||||
Short Diphthongs | ||||||
ie | ( → i ) | |||||
eo | ||||||
ea | ||||||
Long Diphthongs | ||||||
i:e | ( → ü ) | |||||
e:o | ||||||
e:a |
昨日の記事「#4355. friend の綴字と発音」 ([2021-03-30-1]) で,<friend> ≡ /frɛnd/ の不規則さについて歴史的な説明を施したが,説明に当たって参照した典拠を示しておこう.まずは Jespersen (§4.312) から.
The short [e] now found in friend OE frēond must be due to the analogy of friendship, friendly, in which /e/ is the usual shortening; in friend we have early /iˑ/ (< /eˑ/) in B 1633, while D 1640, J 1764, W 1775, 1791 etc.. have short /e/, and G 1621 and others a short /i/ due to a shortening subsequent on the transition of /eˑ/ > /iˑ/. Cf. fiend OE fēond, which kept its vowel because no derived words were found to influence it.
関連して,Jespersen (§3.241) は give, live などもかつては長母音をもっていたことに触れている.
次に Upward and Davidson (178) より.
In late Old English, short vowels were lengthened before consonant sequences such as /mb/, /nd/, /ld/ and /rd/. This lengthening was lost again in many cases by the end of the Middle English period. With the action of the GVS, one sees modern reflexes of the remaining long vowels in words such as climb, bind, mild, yield, old, etc. However, in some words there was a subsequent shortening of the vowel, leading to pairs of words similar or identical in spelling in Modern English but with different pronunciations: wind (verb, with /aɪ/) but wind (noun, with /ɪ/), fiend and friend, etc.
さらに,Dobson (Vol. 2, §9) も参照した.
Shortening of OE ē to ĕ occurs in a number of words beside forms that preserve the long vowel. The shortening is normal in bless and brethren, but for both of these Hart shows [i:] < ME ę̄. The comparative liefer (OE lēofra) has ĕ four times beside ę̄ once in Bullokar. In friend the shortening is probably due to derivatives (friendly, friendship) in which the vowel occurs before a group of three consonants in words which (in the case of friendly in oblique forms) were trisyllabic and had a secondary stress; but it might also tend to occur in oblique cases of the simplex in which the n and d were separated by the syllable-division. ME ĕ is recorded by Levins and eleven later sources (including Robinson, Hodges, and Cooper); but ę̄ is retained by Salesbury, Cheke, Laneham, Bullokar, Wharton (followed by J. Smith), and Price (followed by Lye and The Protestant Tutor). Fiend is not recorded with ME ĕ.
Dobson (Vol. 2, §11) からもう1つ.
Friend has ĭ in the Welsh Hymn, Mulcaster, Gil, Wallis, Lloyd, Poole, Coles, Lye (beside ę̄), WSC (beside ĕ), Price's 'homophone' list (though elsewhere he records [i:]), the rhymes of Poole and Coles, and perhaps in Ray . . . . Fiends has ĭ in the Welsh Hymn and the 'homophone' lists of Hodges ('near alike'), Price, Coles (Eng.-Lat. Dict.), and WSC (the pairing is with fins); it has [i:] in Wallis. Bullokar rhymes field on ĭ (cf., probably, Chaucer's hild 'held' and fil 'fell' < earlier hę̄ld, fę̄ll).
たかが friend の発音と綴字に関する素朴な疑問のようにみるかもしれないが,歴史的な変化と変異の機微は限りなく精緻である.
・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part 1. Sounds and Spellings. London: Allen and Unwin, 1909.
・ Upward, Christopher and George Davidson. The History of English Spelling. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2011.
・ Dobson, E. J. English Pronunciation 1500--1700. 1st ed. Oxford: Clarendon, 1957. 2 vols.
基本語ながらも,綴字と発音の対応という観点からすると,とてもつもなく不規則な例である.<friend> という綴字で /frɛnd/ の発音となるのは,普通では理解できない.ほかに <ie> ≡ /ɛ/ となるのは,イギリス英語における lieutenant ≡ /lɛfˈtɛnənt/ くらいだろうか (cf. 「#4176. なぜ lieutenant の発音に /f/ が出るのか?」 ([2020-10-02-1])).
歴史をさかのぼってみよう.古英語 frēond (味方,友)においては,問題の母音は綴字通り /eːo/ だった.対義語である fēond (敵;> PDE fiend /fiːnd/)も同様で,長2重母音 /eːo/ を示していた.この点では,両語は同一の韻をもち,その後の発達も共通となるはずだった.しかし,その後 frēond と fēond は異なる道筋をたどることになった.
frēond からみてみよう.長2重母音 /ēo/ は中英語にかけて滑化して長母音 /eː/ となった.この長母音は,派生語 frēondscipe (> PDE friendship) などにおいて3音節短化 (Trisyllabic Shortening = trish) を経て /e/ となったが,派生語の発音が類推 (analogy) の基盤となり,基体の friend そのものの母音も短化して /e/ となったらしい.これが現代の短母音をもつ /frɛnd/ の起源である.
一方,長母音 /eː/ による発音も後世まで残ったようで,これが大母音推移 (gvs) を経て /iː/ となった.また,この短化バージョンである /i/ も現われた.つまり friend の母音は,中英語期以降 /eː/, /e/, /iː/, /i/ の4つの変異を示してきたということである.
ここで,対義語 fēond (cf. PDE fiend /fiːnd/) に目を向けてみよう.こちらも friend とルーツはほぼ同じだが,比較的順当な音変化をたどった.長2重母音 /eːo/ の長2重母音が滑化して /eː/ となり,これが大母音推移で上げを経て /iː/ となり,現代英語の発音 /fiːnd/ に至る.
発音の経緯は以上の通りだが,friend, fiend の綴字 <ie> についても事情は簡単ではない.詳しくは「#4082. chief, piece, believe などにみられる <ie> ≡ /i:/」 ([2020-06-30-1]) を読んでいただきたい.上記の /iː/ の段階で綴字 <ie> と結びつけられたものが,現代まで残っていると考えればよいだろう.
・ Carney, Edward. A Survey of English Spelling. Abingdon: Routledge, 1994.
動詞 say /seɪ/ は超高頻度の語で,初学者もすぐに覚えることになる基本語です.この動詞の過去形 said もきわめて高頻度なわけですが,綴字として不規則であるばかりか,実は発音においても不規則です.予想される2重母音をもつ /seɪd/ とはならず,短母音の /sɛd/ となるのです.同じような不規則性は3単現の -s を付けた形についてもいえます.綴字こそ says と規則的に見えますが,発音はやはり2重母音をもつ /seɪz/ とはならず,短母音の /sɛz/ となってしまいます.なぜ said, says はこのような発音なのでしょうか.これには歴史的な経緯があります.音声解説をどうぞ.
実は,英語母語話者の発音を調査してみますと,先にダメ出しはしたものの,予想される通りの2重母音をもつ発音 /seɪd/, /seɪz/ も行なわれているのです.ただ,あくまで非標準的でマイナーな発音としてですので,私たちとしては不規則ながらもやはり短母音をもつ /sɛd/, /sɛz/ を確実に習得しておくのが無難でしょう.
歴史的な音変化の経緯を要約すれば次のようになります.もともと動詞 say は,近代英語期の入り口までは,綴字が示す通り /saɪ/ でした.それに従って,過去形は /saɪ(ə)d/,3単現形は /saɪ(ə)z/ と規則的な発音を示していました.ところが,17世紀までに2重母音 /aɪ/ は長母音 /ɛː/ へと変化したのです.ちょうど日本語の「ヤバイ」が,ぞんざいな素早い発音で「ヤベー」となるのに似た,どの言語にもよく見られる音変化です.別の変化が起こらず,およそこの段階にとどまったまま現代に至っていたのであれば,めでたく規則的に say /seɪ/, said /seɪd/, says /seɪz/ となっていたでしょう(実のところ,後者2つもマイナーな発音としてあり得ることは上述しました).
ところが,過去形と3単現形については,その後もう1つ別の音変化が生じました.長母音 /ɛː/ が短化して短母音 /ɛ/ となったのです.こうして say /seɪ/ に対して不規則にみえる /sɛd/, /sɛz/ が生じてしまったのです.同じ音変化に巻き込まれた別の単語として,again や against を挙げておきましょう.短母音をもつ /əˈgɛn(st)/ が優勢ですが,2重母音をもつ /əˈgeɪn(st)/ も並行して聞かれるという状況になっています.
なぜ過去形と3単現形でのみ母音が短化したのかというのは,必ずしも解明されていない謎です.said ˈhe, says ˈshe のような用いられ方が多く,主語代名詞に対して相対的に動詞が弱く発音されるので短化したという説明が提案されていますが,これも1つの仮説にすぎません.
関連する話題と議論について,##541,543,2130の記事セットもお読みください.
昨日の記事「#4108. boy, join, loiter --- 外来の2重母音の周辺的性格」 ([2020-07-26-1]) で触れたように,2重母音 /ɔɪ/ は歴史的に注目すべき背景を有している.この話題について,もう少し掘り下げてみたい.
現代英語の /ɔɪ/ に連なる中英語での実現形は, [oi] あるいは [ui] だった.これらが結果的に現代の /ɔɪ/ へ一本化していったわけだが,特に中英語 [ui] についてはスペリングとの関係でも興味深い歴史的背景がある.Minkova (269--70) を引用しよう.
The original [ui] has an unusual history in that, like the more recent history of /h-/ . . . , it is one of the rare well-documented instances of a sound change in progress inhibited and partially reversed by the influence of spelling. Many of the words with PDE <oi> --- loin, boil, coy, oil, join, point, choice, poison --- had variant pronunciations with [oi] and [ui], the latter commonly from Anglo-Norman. The 'normal' development of [ui], involving lowering and centralisation of the first element of the diphthong . . . , was towards [əi], which in the seventeenth and into the eighteenth century was also a possible realisation of historical [iː]. That the two etymologically distinct entities were treated as identical is shown by rhymes like loin: line, boil: bile, point: pint as late as the second half of the eighteenth century. In spelling the [ui] > [əi] words alternated between <ui> and <oi>. Eventually the centralised pronunciation [əi] for historical [ui] was abandoned in favour of [ɔi], no doubt supported by the spelling and pronunciation of the majority of the loanwords in that group.
中英語 [ui] は通常の音変化のルートに乗っていれば,近代では [əi] となっていたはずであり,実際にそうなっていたのだが,後期近代以降,綴字が <oi> として保たれていたこと,そして <oi> ≡ [ɔi] が多くの単語において確立していたことから,ある種の人為的な [əi] > [ɔi] という変化が生み出されたという.要するに,綴字発音 (spelling_pronunciation) の例である.
標記の単語に含まれる2重母音 /ɔɪ/ は,現代英語ではかなりマイナーな母音である.「#1022. 英語の各音素の生起頻度」 ([2012-02-13-1]) で確認するかぎり,母音音素としては /ʊə/ につぐ最低頻度の音素である.boy, choice, enjoy, join, poison などの日常語に現われるため,あまり実感はないかもしれないが,統計上はマイナーである.
このマイナー性の歴史的背景としては,この音素がそもそも外来のものである点を指摘できる.choice, employ, loin, moist, turmoil, soil, join, poison のようにフランス語に遡るものが圧倒的多数だが,ほかにオランダ語からの buoy, foist, loiter などもある.ギリシア語 hoi polloi,ベンガル語 poisha,中国語 hoisin,それから擬音語 ahoy, boink, oink もある.擬音語の起源にまつわる問題は別として,一般的な本来語にはルーツをたどることのできない音素なのである.
共時的にみても,この音素はマイナーな匂いを放っている.Minkova (270) は,Vachek や Lass に言及しつつ,その周辺性を次のように紹介している.
The incorporation of the new diphthong in boy, join, coin into the English phonological system is commonly described as incomplete. Vachek (1976: 162--7, 265--8) argued that lack of parallelism with the other diphthongs ([eɪ-oʊ], [aɪ-aʊ], but not *[ɛɪ-ɔɪ]) and lack of morphophonemic alternations involving [ɔɪ] in the PDE system, makes [ɔɪ] a 'peripheral' phoneme in SSBE. He hypothesised that the survival of [ɔɪ] is associated with its pragmatic function of differentiating synchronically foreign words from native words, especially polysyllabic words. Lass (1992a: 53) also emphasises the 'foreignness' of [ɔɪ] and its structural isolation, and concludes that it . . . 'has just sat there for its whole history as a kind of non-integrated "excrescence" on the English vowel system'.
一方,確かに周辺的な匂いはするものの,現代英語の体系に取り込まれていることは確かだという議論もある.(1) 他の2重母音と同様に音声実現上の変異を示す (ex. [ɔɪ], [oi], [ui]),(2) 接尾辞 -oid はこの2世紀の間,高い生産性を誇る,(3) 20世紀に入ってからの造語として oik (1917), oink (1935), boing (1952), boink (1963); droid (1952), roid (1978) などが現われてきている,などの事実だ.
いろいろな観点から興味をそそる2重母音音素といえるだろう.
・ Minkova, Donka. A Historical Phonology of English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2014.
・ Vachek, Joseph. Selected Writings in English and General Linguistics. Prague: Academia and the Hague: Mouton, 1976.
・ Lass, Roger. "Phonology and Morphology." The Cambridge History of the English Language. Vol. 2. Cambridge: CUP, 1992. 23--154.
歴史的に /a(u)NC/ の音連鎖をもっていた借用語は,標題に例示した通り,現代英語において4種類の発音(と揺れ)を示し得る.[ɔː ? ɑː], [ɑː ? æ(ː)], [æ(ː)], [eɪ] である.4種類間の区別は,音環境により,そしてある程度までは借用のソース方言により説明される.歴史的な /a(u)NC/ 語がたどってきた4つのルートをまとめた Minkova (241) による図表を,多少改変した形で以下に挙げよう.
Source | Output | Examples |
---|---|---|
/aNC/ (AN <-aunC>) | [ɔː ? ɑː] | gaunt, haunt, laundry, saunter |
/aNC/ (OFr <-anC>) | [ɑː ? æ(ː)] | aunt, grant, slander, sample, dance |
/aNC#/ | [æ(ː)] | lamp, champ, blank, flank, bland |
/aNC (palat. obstr.)/ | [eɪ] | danger, change, range, chamber |
英語史の授業で寄せられた素朴な疑問です.さらにいえば,目下世界的な広がりをみせている評語 "Black Lives Matter" (BLM) のような,名詞 life (命)の複数形としての lives も /laɪv/ のように2重母音となり,短母音を示す動詞の live /lɪv/ とは一線を画します.同語源に遡ることが自明と思われるこれらの語が異なる母音を示すのは,いったいなぜなのでしょうか.
動詞 live の生い立ちを見ていきましょう.古英語では,この動詞の不定詞(原形)は libban のように短母音を示していました.子音として v ではなく b を示すというのもおもしろいですね(cf. 「#74. /b/ と /v/ も間違えて当然!?」 ([2009-07-11-1])).もっとも,これは正確にいえば南部系のウェストサクソン方言における形態であり,北部系のアングリア方言では lifian のように f (発音としては /v/)を示していました.それでも問題の母音に注目する限り,動詞形は古英語から現代まで一貫して短母音を示しており,その点では歴史的に何か特別なことが起こってきたわけではありません.少々の音形の変化はありましたが,現代英語の動詞 live /lɪv/ は古英語よりおよそストレートに受け継がれてきたといってよいでしょう.
次に名詞 life /laɪf/ の生い立ちを覗いてみましょう.容易に想像されるとおり,名詞 life と動詞 live はゲルマン祖語のレベルで語根を共有していました.しかし,名詞形は古英語ではすでに長母音を伴って līf /liːf/ と発音されていました.どうやらゲルマン祖語の段階から,名詞と動詞の間に母音の長さの違いがあったようです.この名詞の長母音 /iː/ は,ずっと後の後期中英語から初期近代英語にかけて進行した英語史上著名な大母音推移 (gvs) を経て,規則的に現代英語の2重母音 /aɪ/ に帰結します.この名詞の複数形 lives /laɪvz/ についても,単数形と同じ経路で2重母音を示すに至りましたが,語幹末子音について /f/ から /v/ に有声化している点が注目に値します.この事情については,ここでは深く立ち入りませんが,本記事の次の議論にも関係しますので,ぜひ以下の記事群をお読みください.
・ 「#1365. 古英語における自鳴音にはさまれた無声摩擦音の有声化」 ([2013-01-21-1])
・ 「#1080. なぜ five の序数詞は fifth なのか?」 ([2012-04-11-1])
・ 「#3298. なぜ wolf の複数形が wolves なのか? (1)」 ([2018-05-08-1])
・ 「#3299. なぜ wolf の複数形が wolves なのか? (2)」 ([2018-05-09-1])
・ 「#3300. なぜ wolf の複数形が wolves なのか? (3)」 ([2018-05-10-1])
さて,最後に形容詞 live /laɪv/ の生い立ちです.動詞と名詞が古英語期から用いられていたのとは対照的に,この形容詞は初出が初期近代英語期という,意外と新しい語です.この語は,別の形容詞 alive の語頭から a が落ちてできた形態 (aphaeresis) であり,いわば既存の語のちょっとした省略形という位置づけなのですね.完全形の形容詞 alive と省略形の形容詞 live とでは,用法の棲み分けこそなされているものの,以上のような背景がありますので,現代英語でいずれも同じ音形 /(ə)ˈlaɪv/ を共有していることは不思議ではありません.
ですが,そもそも完全形の alive で2重母音を示すのはなぜでしょうか.これは,alive が語源を遡ると「前置詞 on + 名詞 life」という成り立ちだからです.She is alive. は,いってみれば She is on life. ということなのです.alive の後半部分はしたがって起源的に名詞ですから,先述のように古英語では長母音 /iː/ を示しました.その後,大母音推移を経て /aɪ/ へと帰結したのも,名詞の場合と平行的です.語幹末子音の /f/ から /v/ への有声化も,同じく平行的です.
解説が長くなりましたが,標題の質問に端的に答えるならば次のようになります.そもそも古英語期より,動詞は短母音,名詞は長母音を示しており,音量について差があったということです.音質の変化は多少ありましたが,基本的にはその音量の差が現代まで受け継がれているにすぎない,ということになります.
しかし,live, life, alive という関連語のたどってきた歴史を上のように眺めてきますと,形容詞 alive の語頭音が落ちて形容詞 live が生まれたり,各所で f が v に有声化するなど,注目すべき変化が意外と多く関わっていたことに気づきます.実際,この3語を話題にしてかなりディープな「歴史言語学」を論じることができますし,論じたことがあります.今回の話題に関心をもった方は,ぜひ拙著の「alive の歴史言語学」(あるいは「#2948. 連載第5回「alive の歴史言語学」」 ([2017-05-23-1]) 経由で)をお読みください.
後期中英語の「長母音+ /r/」あるいは「2重母音+ /r/」の音連鎖は,近代英語期にかけていくつかの互いに密接な音変化を経てきた.以下,Minkova (279) が挙げている一覧を再現しよう.ここで念頭にあるタイムスパンは,後期中英語から18?19世紀にかけてである.
Late ME to EModE | Schwa-insertion | Length adjustment | /-r/-loss | Examples |
---|---|---|---|---|
-əir ? -ʌir | -aiər | -aɪər | -aɪə | fire (OE fȳr) |
-eː̝r ? -iːr | -iːər | -ɪər | -ɪə | deer (OE dēor) |
-ɛːr ? -e̝ːr ? -iːr | -iːər | -ɪər | -ɪə | ear (OE ēare) |
-ɛːr ? -eːr | -eːər | -ɛər | -ɛə | pear (OE pere) |
-æːr ? -ɛːr | -ɛːər | -ɛər | -ɛə | hare (OE hara) |
-ɔːr | -ɔː(ə)r | -ɔ(ː)(ə)r | -ɔ(ː)(ə) | oar (OE ār) |
-oːr | -ɔː(ə)r | -ɔ(ː)(ə)r | -ɔ(ː)(ə) | floor (OE flōr) |
-oː̝r ? -uːr | -uːər | -ʊər | -ʊə | poor (AN pover, pour) |
-əur ? -ʌur | -auər | -aʊər | -aʊə | bower (OE būr) |
[2020-02-24-1] の記事で取り上げた論争について続編をお届けする.
古英語で <ea>, <eo>, <ie> と綴られる3種の2重字 (digraph) は,それぞれ歴史的には短い音素と長い音素のいずれをも表わしているとされる.つまり,古英語では同じ2重字で綴られていながらも,音韻的には「短い2重母音」と「長い2重母音」(現代の文献ではしばしば第1母音字に長音記号 (macron) を付して表記される)が区別されていたということだ.素直に解釈すれば,<ea> ≡ [ɛɑ], <ēa> ≡ [ɛːɑ], <eo> ≡ [eo], <ēo> ≡ [eːo], <ie> ≡ [ie], <īe> ≡ [iːe] のような対応関係と解してよさそうだが,これが論争の的になっているのだ.それもただの論争ではない.古英語文献学において最も複雑かつ辛辣な論争である.
実のところ,これら長短の2重母音のいずれも古英語の終わりには滑化し,2重母音ではなくなってしまう.その点では後の英語音韻史にほとんど影響を与えていないわけであり,一見するとなぜそれほど大きな論争になるのか分かりにくいだろう.しかし,これは古英語の音韻体系に関する問題にとどまらず,類型論的な意義をもつ問題であり,だからこそ論争がヒートアップしているのだ.以下,Minkova (178--79) に従って,2重母音に長短の区別があったとする説に反対する論拠を挙げてみよう.
まず,先の記事にも述べたように,類型論的にいって2重母音に長短の区別がある言語はまれである.そのようなまれな母音体系を,古英語のために再建してもよいのかという問題がある.そのような母音体系があり得ないとまではいえないものの,非常にまれだとすれば,そもそも仮説的な再建の候補として挙げてよいものだろうか.これは,なかなか反駁しにくい反対論の論拠である.
もう1つの議論は,上の3種の2重母音とは別の2重母音 [ej] は,特に長短の区別を示していないということに依拠する.語源的にはこの2重母音は長短の区別を示していたが,古英語では語源的には長いはずの hēȝ (hay) と短いはずの weȝ (way) が特に対立をなしていない.とすれば,問題の3種の2重母音についても長短の区別はなかったという可能性が高いのではないか.
3つめに,後の音韻史を参照してみると,「短い2重母音」はやがて短母音と融合していくことになる.つまり,「短い2重母音」は2重字で綴られているので勘違いされやすいが,実はもともと1モーラの母音だったのではないか.そこから対比的に考えると,「長い2重母音」は実は2モーラの普通の2重母音にすぎないのではないか.
最後に,そもそも2重母音の長短の区別を実証する最小対 (minimal_pair) が限られていることだ.限られている例を観察すると,音素として異なるとする解釈によらずとも,別の解釈により説明し得る.
今回は一方の側の論拠を紹介したにすぎないが,両陣営が各々の論拠を立てて激しい論争を繰り広げている.たかが2重母音,されど2重母音.恐るべし.
・ Minkova, Donka. A Historical Phonology of English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2014.
古英語研究の重要な論争に "digraph controversy" というものがある.2つの母音字を重ねた <ea>, <eo>, <ie> などの2重字 (digraph) がいかなる母音を表わすのかという問題である.母音の質と量を巡って様々な見解が提出されてきた.
古英語の写本では <ea>, <eo>, <ie> などと綴られているのみだが,現代の校訂版ではしばしば <ea>, <eo>, <ie> とは別に,第1母音字に長音記号 (macron) を付した <ēa>, <ēo>, <īe> という表記もみられる.これは <ea> と綴られる音には,歴史的には「短い」ものと「長い」ものがあったことが知られているからである.しかし,長音記号のないバージョンとあるバージョンとで,実際に古英語期において母音の質と量がどのように違っていたのかを突き止めることは難しい.そこで様々な推測がなされることになる.
最もストレートなのは,綴字そのままに「短い2重母音」と「長い2重母音」を想定する案である.<ea> ≡ [ɛɑ], <ēa> ≡ [ɛːɑ], <eo> ≡ [eo], <ēo> ≡ [eːo], <ie> ≡ [ie], <īe> ≡ [iːe] などと再建する(「#2497. 古英語から中英語にかけての母音変化」 ([2016-02-27-1]) の母音一覧表を参照).しかし,類型論的にみて,少なくともゲルマン語派には2重母音 (diphthong) で短いものと長いものが区別されるケースはないことから,疑問が呈されている.
それに対して,長音記号のないバージョンは単母音 (monophthong) であり,あるバージョンは2重母音 (diphthong) であるという解釈がある.この説については Minkova (178--79) がいくつかの論拠を挙げているが,ここでは詳細には踏み込まない.この説に従って再建された音価を以下に示そう (Minkova 156) .
Value | Example | ||
Digraph | Early | Late | |
<ēa> | æʊ | æə | strēam 'stream' |
<ea> | æə | æ | heall 'hall' |
<ēo> | eʊ | eə | sēon 'to see' |
<eo> | ɛə | ɛ | ġeolu 'yellow' |
<īe> | iʊ | iə, iː | (ġe)līefan 'to believe' |
<ie> | ɪə | ɪ | ġiefan 'to give' |
最近の Merriam-Webster の記事として How to Pronounce 'Ae' in English Words が目にとまった.2重字 (digraph) の <ae> あるいは合字 (ligature) の <æ> については,本ブログでは「#2419. ギリシア・ラテン借用語における <ae>」 ([2015-12-11-1])),「#2424. digraph の問題 (2)」 ([2015-12-16-1]),「#2515. 母音音素と母音文字素の対応表」 ([2016-03-16-1]) で扱ってきたが,上の記事はよい補足になる.
ギリシア・ラテン借用語に典型的にみられる <ae> の綴字は,原則としては /iː/ の長母音に対応する (ex. algae, Caesar, aqua vitae, arborvitae, antennae) .しかし,知らなかったのだが,この /iː/ に加えて,慣用的に2重母音 /aɪ/ で発音される <ae> も少なくないようだ.例として,alumnae, larvae, lacunae, Bacchae などが挙げられている.例外中の例外だが,原則として /aɪ/ で発音される <ae> をもつ唯一の英単語としては,maestro /ˈmaɪstrəʊ/ が挙げられる.後期近代の新しいイタリア借用語ということでの例外だろう.また,例外といえば,単母音で読まれる aesthetic /ɛsˈθɛtɪk/ もある.
前の母音を「長く」読ませる記号としての <e> という役割に鑑みれば,<ae> を /eɪ/ と発音させる慣習が発達するのも不自然ではない.aegis の本来の発音は /ˈiːʤəs/ だが,並行して /ˈeɪʤəs/ も行なわれているようだ.
このように <ae> に対する発音の揺れが激しいのは,そもそもこの綴字の生起頻度が低く,特定の発音と結びつけられるのに十分な機会に乏しいためだろう.人を寄せ付けない古典借用語に多いという事実も,この揺れに拍車をかけている.両文字が合わさった合字 <æ> は,古英語ではすこぶる高頻度の文字だったことを思えば,ずいぶんと衰退してしまったのだなあと感慨深いが,現代英語でも発音(記号)としての /æ/ は十分に高頻度だ(「#1022. 英語の各音素の生起頻度」 ([2012-02-13-1]) を参照).20個ほどある母音音素の頻度ランキングで第4位はなかなか立派.
母音の弁別的特徴として何が用いられてきたかという観点から英語史を振り返ると,次のような傾向が観察される.古英語では主として音量の差(長短)が利用され,中英語以降では主として音質の差(緊張・弛緩)が利用されるようになったという変化だ.服部 (67) は,これについて次のように述べている.
その原因は英語のリズム構造に帰せられるものと考えられる.つまり,韻脚拍リズムを基盤とする英語は,各韻脚をほぼ同程度の長さにする必要があるため,長さがリズムの調整役として重要な役割を果たす.そのため母音の弁別的特徴は音質(緊張・弛緩)に託し,長さの方はリズム調整のために弁別性から解放したと解釈することができる.
英語史において,音量の差と音質の差は,異なる目的で利用されるように変化してきたという見方である.これは壮大な音韻史観,韻律史観であり,歴史的な類型論 (typology) の立場から検証可能な仮説でもある.また逆からみれば,韻脚拍リズムではなく音節(あるいはモーラ)拍リズムを基盤とする日本語のような言語では,このような音量と音質の発展に関する傾向はさほど見出せないだろうということも予測させる.英語の音韻史記述に影響を及ぼす仮説であることはもちろん,現代英語の共時的な音韻論の記述や発音記号の表記などにも関連する点で,刺激的な議論だ.関連して「#3387. なぜ英語音韻史には母音変化が多いのか?」 ([2018-08-05-1]) も参照.
・ 服部 義弘 「第3章 音変化」服部 義弘・児馬 修(編)『歴史言語学』朝倉日英対照言語学シリーズ[発展編]3 朝倉書店,2018年.47--70頁.
昨日の記事「#3886. 英語史上の主要な子音変化」 ([2018-08-04-1]) で言及した別の記事「#1402. 英語が千年間,母音を強化し子音を弱化してきた理由」 ([2013-02-27-1]) と関連して,なぜ英語音韻史において母音変化は著しく,子音変化は目立たないのかという問題について考えてみたい.
Ritt (224) はこの傾向を "rhythmic isochrony" と "fixed lexical stress on major class lexical items" の2点に帰している.つまり,英語に内在するリズム構造,あるいは音律特性により,母音が強化し,子音が弱化するという方向付けがなされているという見解だ.
服部 (67) によれば,英語は各韻脚 (foot) がほぼ等しい時間で発音される韻脚拍リズム (foot-timed rhythm) の言語に属する(ちなみに日本語は音節泊 (syllable-timed rhythm) あるいはモーラ泊 (mora-timed rhythm) という相対するタイプの言語).一般に韻脚拍の言語は,母音推移,連鎖的推移,二重母音化,母音弱化など母音にまつわる推移が相対的にずっと多いことが知られている.各韻脚の等時性を保持するために,強勢音節はとりわけ強く,無強勢音節はとりわけ弱く発音されるという対照的な傾向が生じ,なかんずく母音が変化にさらされやすくなるという事情があるようだ.
より一般的な観点からいえば,言語のリズム構造は,その言語の音韻変化に思いのほか大きな影響を及ぼしており,ある程度まではその方向性を決定しているとすらいえるのかもしれない.服部 (48) は次のように論じている.
音変化の発端は実際の発話において生じる.もちろん,発話内で生じた音の変容がすべて音変化として確立するわけではないが,発端はあくまで実時間上の発話内で生じると考えられる.発話に際して,特定の形態・統語構造を持った語彙項目(の連鎖)が実際の発話において当該言語のリズム構造 (rhythmic structure) に写像される.リズム構造その他の音律 (prosody) 特性は幼児の言語獲得において分節音より早く獲得されることが知られており,部分的には胎児の段階から獲得が始まるとされている.この事実からも明らかなように,リズム(および,その他の音律)構造は,一般に考えられている以上に,分節音体系と深く結びついており,われわれが発話する際には,特定のリズム構造に合わせて分節音連鎖を配置していると想定される.その際,脚韻(foot,強勢音節から次の強勢音節の直前までを一まとめにした単位)や音節 (syllable) などのリズム上の単位の知覚しやすさや分節音連鎖の調音の容易さを高めるような形で各種音韻過程が働く.多くの規則的音変化の要因は言語音の調音と知覚の要請によって動機づけられているといってよい.
これは「堅牢なリズム構造と,それに従属する柔軟な分節音」という斬新な音韻観に基づく音韻論である.
・ Ritt, Nikolaus. "How to Weaken one's Consonants, Strengthen one's Vowels and Remain English at the Same Time." Analysing Older English. Ed. David Denison, Ricardo Bermúdez-Otero, Chris McCully, and Emma Moore. Cambridge: CUP, 2012. 213--31.
・ 服部 義弘 「第3章 音変化」服部 義弘・児馬 修(編)『歴史言語学』朝倉日英対照言語学シリーズ[発展編]3 朝倉書店,2018年.47--70頁.
昨日の記事 ([2018-07-28-1]) に引き続き,大母音推移 (gvs) の話題.Minkova and Stockwell は,GVS と称されている現象は1つの音韻過程ではなく,3つの部分からなる複合的なプロセスとみている.Minkova and Stockwell (34) による改訂版 GVS の図は以下の通り(服部,p. 60 の図を参照し,見やすくするために少々改変を加えた).
Minkova and Stockwell は,上二段 (Upper Half) の太い実線で示される過程のみが純粋な意味での連鎖推移 (Chain Shifts) であり,下二段の破線で示される部分は融合 (Mergers) の過程として区別している. また,内側の細い実線で示される過程 (Diaphones) は各変種における異音の変化を表わしており,GVS とは独立した Center Drift という別の変化としてとらえている.つまり,全体が Chain Shifts, Mergers, Center Drift という独立した3部分から構成されており,決して1つの音韻過程ではないと主張しているのである.
各々の過程が生じた年代もまちまちで,Chain Shifts が1550年頃までには終わっていたのに対して,Mergers は18世紀まで継起的に起こっており,Center Drift は現代でも各地域変種で続いているという.
英語音韻史上の最大の謎である大母音推移を巡っては,近年でもこのように新解釈が提案されている.比較的最近の他の提案としては,以下も参照.
・ 「#495. 一枚岩でない大母音推移」 ([2010-09-04-1])
・ 「#1404. Optimality Theory からみる大母音推移」 ([2013-03-01-1])
・ 「#1405. 北と南の大母音推移」 ([2013-03-02-1])
・ 「#1422. 大母音推移の入力は内わたり2重母音だった?」 ([2013-03-19-1])
・ 「#2081. 依存音韻論による大母音推移の分析」 ([2015-01-07-1])
・ Minkova, Donka and Robert Stockwell. "Phonology: Segmental Histories." A Companion to the History of the English Language. Ed. Haruko Momma and Michael Matto. Chichester: Wiley-Blackwell, 2008. 29--42.
・ 服部 義弘 「第3章 音変化」服部 義弘・児馬 修(編)『歴史言語学』朝倉日英対照言語学シリーズ[発展編]3 朝倉書店,2018年.47--70頁.
大母音推移 (gvs) が英語音韻史上,最大の謎と称されるのは,連鎖的な推移であるとは想定されているものの,母音四辺形のどこから始まったかについて意見が分かれているためである.上昇や2重母音化の過程がどこから始まり,次にどこで生じたのかが分からなければ,push chain も drag chain も論じにくい.近年では「大母音推移」は1つの連鎖的な推移とみなすことはできず,複数の変化の集合体にすぎないという立場を取る論者も少なくない.服部 (58--59) は,大母音推移の開始点と開始時期を巡る問題について,学説史を踏まえて次のようにまとめている.
GVS を構成する各変化は同時に起こったわけではなく,上二段の変化 (eː → iː, oː → uː, iː → əɪ, uː → əʊ) は下二段の変化に比べかなり早く,1400年頃に始まり1550年頃までには完了していたと考えられる.一方,下二段の変化については,それから数十年遅れて開始され,1700年代中頃まで変化の過程が継続していたとされる.上二段のうち,狭母音の二重母音化と狭中母音の上昇化のいずれかが先に起こったかについては,意見が分かれ,Jespersen (1909) は,まず狭母音が二重母音化を開始し,次いでその結果生じた空白を埋めるべく,一段下の狭中母音が引き上げられたと主張した.これを引き上げ連鎖説 (drag-chain theory) という.他方,オーストリアの Karl Luick (1865--1935) はその著書 (1914--1940) において,Jespersen とは逆に,狭中母音の上昇化が先に起こり,/iː/, /uː/ の位置まで高められたため,/iː/, /uː/ は新しい狭母音との融合を回避するため,いわばそれに押し上げられる形で二重母音化したとする説を提唱した.これを押し上げ連鎖説 (push-chain theory) と称する.押し上げ連鎖説に関して,母音空間の最下段,すなわち広母音からの連鎖的押し上げを主張する論者が少なからずいるが,GVS に関する限りは,上述の上二段と下二段の時期的ずれからみて,最下段から連鎖推移が始まったと考えるのは無理である.また,GVS の開始時期についても意見が分かれており,近年では13世紀にまで遡らせることができ,しかも上二段の変化はほぼ同時に始まったとする論者もいる (Stenbrenden 2010, 2016 など).
いわゆる GVS は,上二段と下二段に関する少なくとも2つの異なる音韻変化からなっていると考えた方がよさそうである.先に上二段の過程が,後に下二段の過程が開始され,振り返ってみれば全体として音韻がシフトしたように見えるというわけだ.上二段について引き上げなのか押し上げなのかという論争にも決着がついていない.
明日の記事で,影響力のある Minkova and Stockwell が近年提示した GVS の解釈を覗いてみたい.
・ 服部 義弘 「第3章 音変化」服部 義弘・児馬 修(編)『歴史言語学』朝倉日英対照言語学シリーズ[発展編]3 朝倉書店,2018年.47--70頁.
・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part 1. Copenhagen: Munksgaard, 1909.
・ Luick, Karl. Historische Grammatik der englischen Sprache. 2 vols. Oxford: Basil Blackwell, 1914--40.
・ Stenbrenden, Gjertrud Flermoen. The Chronology and Regional Spread of Long-Vowel Changes in English, c. 1150--1500. Diss. U of Oslo, Oslo, 2010.
・ Stenbrenden, Gjertrud Flermoen. Long-Vowel Shifts in English, c. 1150--1700: Evidence from Spelling. Cambridge: CUP, 2016.
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