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anglo-norman - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2019-09-16 11:05

2019-03-13 Wed

#3607. 中英語における <u> の <o> による代用 (3) [spelling][orthography][minim][vowel][spelling_pronunciation_gap][eme][scribe][anglo-norman]

 標題に関連する話題は「#2450. 中英語における <u> の <o> による代用」 ([2016-01-11-1]),「#2453. 中英語における <u> の <o> による代用 (2)」 ([2016-01-14-1]),「#3513. comesome の綴字の問題」 ([2018-12-09-1]),「#3574. <o> で表わされる母音の問題 --- donkey vs monkey」 ([2019-02-08-1]) で取り上げてきた.今回は,「<u> の <o> による代用」という綴字慣習が初期中英語に生じ,後に分布を拡大させていった経緯に焦点を当てた Wełna の論文に依拠しつつ,先行研究の知見を紹介したい.
 現代英語の monk, son, tongue などにみられる <o> の綴字は,歴史的には <u> だったものが,初期中英語期以降に <o> と綴りなおされたものである.この綴りなおしの理由は,上にリンクを張った記事でも触れてきたように,一般に "minim avoidance" とされる.[2016-01-11-1]の記事で述べたように,「母音を表す <u> はゴシック書体では縦棒 (minim) 2本を並べて <<ıı>> のように書かれたが,その前後に同じ縦棒から構成される <m>, <n>, <u>, <v>, <w> などの文字が並ぶ場合には,文字どうしの区別が難しくなる.この煩わしさを避けるために,中英語期の写字生は母音を表す <u> を <o> で置換した」ということだ.
 しかし,英語史研究においては,"minim avoidance" 以外の仮説も提案されてきた.合わせて4つほどの仮説を Wełna (306--07) より,簡単に紹介しよう.

 (1) 当時のフランス語やアングロ・ノルマン語でみられた <u> と <o> の綴字交替 (ex. baronbarun) が,英語にももたらされた
 (2) いわゆる "minim avoidance"
 (3) ノルマン方言のフランス語で [o] が [u] へと上げを経た音変化が綴字にも反映された
 (4) フランス語の綴字慣習にならって /y(ː)/ ≡ <u> と対応させた結果,/u/ に対応する綴字が新たに必要となったため

 このように諸説あるなかで (2) が有力な説となってきたわけだが,実際には当時の綴字を詳しく調べても (2) の仮説だけですべての事例がきれいに説明されるわけではなく,状況はかなり混沌としているようだ.そのなかでも初期中英語期の状況に関する比較的信頼できる事実を Morsbach に基づいてまとめれば,次のようになる (Wełna 306) .

a. the 12th century English manuscripts employ the spelling <u>;
b. the first o-spellings emerge in the latter half of the 12th century;
c. <o> for <u> is still rare in the early 13th century and is absent in Ormulum, Katherine, Vices and Virtues, Proclamation, and several other texts;
d. from the latter half of the 13th century onwards the frequency of <o> grows, which results in both old <u> and new <o> spellings randomly used in texts composed even by the same scribe.


 当時の「ランダム」な分布が,現代英語にまで延々と続いてきたことになる.手ごわい問題である.

 ・ Wełna, Jerzy. "<U> or <O>: A Dilemma of the Middle English Scribal Practice." Contact, Variation, and Change in the History of English. Ed. Simone E. Pfenninger, Olga Timofeeva, Anne-Christine Gardner, Alpo Honkapohja, Marianne Hundt and Daniel Schreier. Amsterdam/Philadelphia: Benjamins, 2014. 305--23.
 ・ Morsbach, Lorenz. Mittelenglische Grammatik. Halle: Max Niemayer, 1896.

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2017-05-30 Tue

#2955. Godd hit wite [swearing][preterite-present_verb][subjunctive][ancrene_wisse][anglo-norman]

 中英語では「神にかけて」「キリストにかけて」に相当する各種表現が誓言として常用される.その1変種として,God (hit) wot という表現がある.現代英語でいえば (as) God knows (it) ほどに相当する形式だ.wot という形態は,歴史的には過去現在動詞である中英語の witen (to know) が,直説法現在3人称単数に屈折した形態である(「#66. 過去現在動詞」 ([2009-07-03-1]) を参照).
 これと似て非なるものが,Godd hit wite という表現である.ここで用いられている wite という形態は,上と同じ witen の「接続法」現在3人称単数形である.つまり,機能としては祈願となり,let God know it ほどの意味になる.最近 Bennett and Smithers 版で Ancrene Wisse の一部を読んでいたときに,この表現に出会った.A. ll. 151--52 に,次のようにある.

Godd hit wite and he hit wat, me were leouere þet ȝe weren alle o þe spitel-uuel þen ȝe weren ontfule . . . .
(God be my witness to it---and he knows it---I had rather you were all lepers than that you should be envious)


 ここでは Godd hit witehe hit wat の両表現が並んでいるので,その区別に気づきやすい.接続法の用法の機微を感じられる例である.
 Onions が,接続法を用いた方の表現について,おもしろい論考を寄せている (334--35) .

Their equation with certain Continental Germanic formulæ has been overlooked, and in general their force has been misapprehended. Their meaning is: "Let God (or Christ) know (it)," "God be my witness (to it)," "I call God to witness." They are strong asseverations, and are virtually equivalent to "I declare to God." They are therefore more forcible than God wot, Goddot . . . .


 ゲルマン諸語でも中オランダ語,中低地ドイツ語,中高地ドイツ語に接続法を用いた対応表現が見られる.中英語からの用例はそれほど多く文証されているわけでないのだが,Onions (335) が引用しているように,12世紀の Anglo-Norman の Mestre Thomas による Horn という作品に,次のような箇所がある.

Seignurs bachelers, bien semlez gent bevant,
Ki as noeces alez demener bobant;
Ben iurez wite God, kant auerez beu tant. (Horn, l. 4011, ed. Brede and Stengel.)

(Young gentlemen, you have all the appearance of drinking fellows, who go to weddings to behave uproariously; you swear "wite God" when you are in liquor.)


 この表現が,実際には誓言として常用されていたことを間接的に示す証拠となるのではないか.

 ・ Bennett, J. A. W. and G. V. Smithers, eds. Early Middle English Verse and Prose. 2nd ed. Oxford: OUP, 1968.
 ・ Onions, C. T. "Middle English (i) WITE GOD, WITE CRIST, (ii) GOD IT WITE." The Review of English Studies 4.15 (1928: 334--37).

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2017-03-28 Tue

#2892. orange の語源,綴字,発音 [metanalysis][anglo-norman]

 昨日の記事「#2891. フランス語 bleu に対して英語 blue なのはなぜか」 ([2017-03-27-1]) と関連して,同じ掲示板の質問として挙げられた orange の綴字について考えてみたい.
 まずは,この語の語源を追ってみよう.オレンジの原産地は東南アジアであり,その語もその地域に起源をもつのだろう.そこから東進してドラヴィダ諸語(タミール語 nāram)を始めとしてサンスクリット語,ペルシア語,アラビア語を経て,ヨーロッパへは中世のイタリア語に naranza, naranz, narans などの形で入ってきた.ドラヴィダ諸語からイタリア語に至るまで,一貫して語頭に n を示すことに注意されたい.しかし,ヨーロッパに入って間もなく,イタリア語,ポルトガル語,フランス語などでは語頭の n が脱落した形も現われた.例えば,Anglo-Norman では,早くも1200年頃に pume orenge と現われている.1400年頃にフランス語諸変種から英語に借用されたときの語形も,orenge などであった.
 語頭の n が消失した理由については,通常,イタリア語やフランス語において,前置された不定冠詞との間での異分析 (metanalysis) が生じたからとされる (cf. Sp naranja) .英語風にいえば,本来は a norange だったものが an orange と分析されてしまったということだ(「#4. 最近は日本でも英語風の単語や発音が普及している?」 ([2009-05-03-1]) を参照).しかし,先立つアラビア語の段階でも,ときに n の脱落している語形があったようである.
 さて,やっかいなのは母音(字)である.歴史的には変異と変化が著しい.語頭母音(字)については,英語やフランス語ではおよそ o で固定していたが,イタリア語の段階までは a が主流である.OED によれば,o への変化は,地名としての Orange との類推,あるいは「黄金」を意味するフランス語 or との結び付き(すなわち「黄金の果物」)が指摘されているが,実際のところはどうなのか分からない.
 第2音節の母音(字)については,さらに混沌としている.OED によれば,中英語から初期近代英語にかけて,以下の種々の綴字が確認される.

horonge, oronge, orynge, orenge, orange, oreche, orenche, orrange, orrendge, orryge, orrynge, urring, orendge, oringe, orrenge, orringe, aurange, oreng, aurange, oireange, orang, oranȝe, oranje, oreinȝe, oreng, orenge, orenȝe, orenȝie, orenze, oreynȝe, oreynze, organege, oriange, orienge, orinche, oring, oringe, orinye, orrange, orrenge, orriange, orange


 a, e, i, o, y, ea, ey, ia, ie, など何でもありという状況である.語末子音の綴り方も含めて,とにかく多様な綴字があったことが分かるだろう.近代の綴字標準化の結果,最終的に orange が選ばれたわけだが,他の多くの単語の標準綴字と同様に,なぜとりわけこの綴字が選択されることになったのかを合理的に説明することは難しい.
 発音については,Longman Pronunciation Dictionary によると,現代イギリス英語では /ˈɒrɪnʤ/ が普通だが,現代アメリカ英語では /ˈɔːrɪnʤ/ が8割,/ˈɑːrɪnʤ/ が2割を占めるという.綴字にせよ発音にせよ,歴史的にどうも語形が定まりにくい単語のようだ.
 最後に,この語の第2音説の母音字としては a が採用されたわけだが,結果として <a> = /ɪ/ という比較的まれなマッチングが生じることになったことにも触れておく(damage, vintage, Israel などの類例はある).

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2015-12-18 Fri

#2426. York Memorandum Book にみられる英仏羅語の多種多様な混合 [code-switching][borrowing][loan_word][french][anglo-norman][latin][bilingualism][hybrid][lexicology]

 後期中英語の code-switching や macaronic な文書について,「#1470. macaronic lyric」 ([2013-05-06-1]),「#1625. 中英語期の書き言葉における code-switching」 ([2013-10-08-1]),「#1941. macaronic code-switching としての語源的綴字?」 ([2014-08-20-1]),「#2271. 後期中英語の macaronic な会計文書」 ([2015-07-16-1]),「#2348. 英語史における code-switching 研究」 ([2015-10-01-1]) などで取り上げてきた.関連して,英仏羅語の混在する15世紀の経営・商業の記録文書を調査した Rothwell の論文を読んだので,その内容を紹介する.
 調査対象となった文書は York Memorandum Book と呼ばれるもので,これは次のような文書である (Rothwell 213) .

The two substantial volumes of the York Memorandum Book provide some five hundred pages of records detailing the administrative and commercial life of the second city in England over the years between 1376 and 1493, setting down in full charters, ordinances of the various trade associations, legal cases involving citizens and so on.


 York Memorandum Book には,英仏羅語の混在が見られるが,混在の種類も様々である.Rothwell の分類によれば,11種類の混在のさせ方がある.Rothwell (215--16) の文章より抜き出して,箇条書きで整理すると

 (i) "English words inserted without modification into a Latin text"
 (ii) "English words similarly introduced into a French text"
 (iii) "French words used without modification into a Latin text"
 (iv) "French words similarly used in an English text"
 (v) "English words dressed up as Latin in a Latin text"
 (vi) "English words dressed up as French in a French text"
 (vii) "French words dressed up as Latin in a Latin text"
 (viii) "French words are used in a specifically Anglo-French sense in a French text"
 (ix) "French words may be found in a Latin text dressed up as Latin, but with an English meaning"
 (x) "On occasion, a single word may be made up of parts taken from different languages . . . or a new word may be created by attaching a suffix to an existing word, either from the same language or from one language or another""
 (xi) "Outside the area of word-formation there is also the question of grammatical endings to be considered"

 3つもの言語が関わり,その上で "dressed up" の有無や意味の往来なども考慮すると,このようにきめ細かな分類が得られるということも頷ける.(x) はいわゆる混種語 (hybrid) に関わる問題である (see 「#96. 英語とフランス語の素材を活かした 混種語 ( hybrid )」 ([2009-08-01-1])) .このように見ると,語彙借用,その影響による新たな語形成の発達,意味の交換,code-switching などの諸過程がいかに互いに密接に関連しているか,切り分けがいかに困難かが察せられる.
 Rothwell は結論として,当時のこの種の英仏羅語の混在は,無知な写字生による偶然の産物というよりは "recognised policy" (230) だったとみなすべきだと主張している.また,14--15世紀には,業種や交易の拡大により経営・商業の記録文書で扱う内容が多様化し,それに伴って専門的な語彙も拡大していた状況において,書き手は互いの言語の単語を貸し借りする必要に迫られたに違いないとも述べている.Rothwell (230) 曰く,

Before condemning the scribes of late medieval England for their ignorance, account must be taken of the situation in which they found themselves. On the one hand the recording of administrative documents steadily increasing in number and diversity called for an ever wider lexis, whilst on the other hand the conventions of the time demanded that such documents be couched in Latin or French. No one has ever remotely approached complete mastery of the lexis of his own language, let alone that of any other language, either in medieval or modern times.


 Rothwell という研究者については「#1212. 中世イングランドにおける英語による教育の始まり (2)」 ([2012-08-21-1]),「#2348. 英語史における code-switching 研究」 ([2015-10-01-1]),「#2349. 英語の復権期にフランス借用語が爆発したのはなぜか (2)」 ([2015-10-02-1]),「#2350. Prioress の Anglo-French の地位はそれほど低くなかった」 ([2015-10-03-1]),「#2374. Anglo-French という補助線 (1)」 ([2015-10-27-1]),「#2375. Anglo-French という補助線 (2)」 ([2015-10-28-1]) でも触れてきたので,そちらも参照.

 ・ Rothwell, William. "Aspects of Lexical and Morphosyntactical Mixing in the Languages of Medieval England." Multilingualism in Later Medieval Britain. Ed. D. A. Trotter. D. S. Brewer, 2000. 213--32.

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2015-10-28 Wed

#2375. Anglo-French という補助線 (2) [semantics][semantic_change][semantic_borrowing][anglo-norman][french][lexicology][false_friend][methodology][borrowing][law_french]

 昨日の記事 ([2015-10-27-1]) に引き続き,英語史研究上の Anglo-French の再評価についての話題.Rothwell は,英語語彙や中世英語文化の研究において,Anglo-French の役割をもっと重視しなければならないと力説する.研究道具としての MED の限界にも言い及ぶなど,中世英語の文献学者に意識改革を迫る主張が何度も繰り返される.フランス語彙の「借用」 (borrowing) という概念にも変革を迫っており,傾聴に値する.いくつか文章を引用したい.

The MED reveals on virtually every page the massive and conventional sense and that in literally thousands of cases forms and meanings were adopted (not 'borrowed') into English from Insular, as opposed to Continental, French. The relationship of Anglo-French with Middle English was one of merger, not of borrowing, as a direct result of the bilingualism of the literate classes in mediaeval England. (174)

The linguistic situation in mediaeval England . . . produced . . . a transfer based on the fact that generations of educated Englishmen passed daily from English into French and back again in the course of their work. Very many of the French terms they used had been developing semantically on English soil since 1066, were absorbed quite naturally with all their semantic values into the native English of those who used them and then continued to evolve in their new environment of Middle English. This is a very long way from the traditional idea of 'linguistic borrowing'. (179--80)

[I]n England . . . the social status of French meant that it was used extensively in preference to English for written records of all kinds from the twelfth to the fifteenth century. As a result, given that English was the native language of the majority of those who wrote this form of French, many hundreds of words would have been in daily use in spoken English for generations without necessarily being committed to parchment or paper, the people who used them being bilingual in varying degrees, but using only one of their two vernaculars --- French --- to set down in writing their decisions, judgements, transactions, etc., for posterity. (185)


 昨日の記事では bachelor の「独身男性」の語義と apparel の「衣服」の語義の例を挙げた,もう1つ Anglo-French の補助線で解決できる事例として,Rothwell (184) の挙げている rape という語を取り上げよう.MED によると,「強姦」の意味での rāpe (n.(2)) は,英語では1425年の例が初出である.大陸のフランス語ではこの語は見いだされないのだが,Anglo-French では rap としてこの語義において13世紀末から文証される.

[A]s early as c. 1289 rape is defined in the French of the English lawyers as the forcible abduction of a woman; in c. 1292 the law defines it, again in French, as male violence against a woman's body. Therefore, for well over a century before the first attestation of 'rape' in Middle English, the law of England, expressed in French but executed by English justices, had been using these definitions throughout English society. rape is an Anglo-French term not found on the Continent. Admittedly, the Latin rapum is found even earlier than the French, but it was the widespread use of French in the actual pleading and detailed written accounts --- as distinct from the brief formal Latin record --- of cases in the English course of law from the second half of the thirteenth century onwards that has resulted in so very many English legal terms like rape having a French look about them. . . . As far as rape is concerned, there never was, in fact, a 'semantic vacuum' . . . .


 Rothwell (184) は,ほかにも larceny を始め多くの法律用語に似たような状況が当てはまるだろうと述べている.中英語の語彙の研究について,まだまだやるべきことが多く残されているようだ.

 ・ Rothwell, W. "The Missing Link in English Etymology: Anglo-French." Medium Aevum 60 (1991): 173--96.

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2015-10-27 Tue

#2374. Anglo-French という補助線 (1) [semantics][semantic_change][semantic_borrowing][anglo-norman][french][lexicology][false_friend][methodology]

 現代英語で「独身男性」を語義の1つとしてもつ bachelor に関して,意味論上の観点から「#1908. 女性を表わす語の意味の悪化 (1)」 ([2014-07-18-1]),「#1968. 語の意味の成分分析」 ([2014-09-16-1]),「#1969. 語の意味の成分分析の問題点」 ([2014-09-17-1]) で取り上げてきた.13世紀末にフランス語から借用された当初の語義は「若い騎士;若者」だったが,そこから意味が転じて「独身男性」へ発展したとされる.
 OED の bachelor, n. の語義4aによると,新しい語義での初出は Chaucer の Merchant's Tale (c1386) であり,l. 34 に "Bacheleris haue often peyne and wo." と見える.しかし,MEDbachelēr (n.) の語義1(b)によると,以下の通り,14世紀初期にまで遡る."c1325(c1300) Glo.Chron.A (Clg A.11) 701: Mi leue doȝter .. Ich þe wole marie wel .. To þe nobloste bachiler þat þin herte wile to stonde.
 上記の意味変化は,対応するフランス語の単語 bachelier には生じなかったとされ,現在では英仏語の間で "false friends" (Fr. "faux amis") の関係となっている.このように,この意味変化は伝統的に英語独自の発達と考えられてきた.ところが,Rothwell (175) は,英語独自発達説に,Anglo-French というつなぎ役のキャラクターを登場させて,鋭く切り込んだ.

Chaucer's use of this common Old French term in the Modern English sense of 'unmarried man' has no parallel in literature on the Continent, but is found in Anglo-French by the first quarter of the thirteenth century in The Song of Dermot and the Earl and again in the Liber Custumarum in the early fourteenth century. It is a pointer to the fact that the development of modern English, at least as far as the lexis and syntax are concerned, cannot be adequately researched without taking into account the whole corpus of Anglo-French.


 The Anglo-Norman Dictionary を調べてみると,bacheler の語義2として "unmarried man" があり,上記の出典とともに確かに例が挙げられている.英語独自の発達ではなく,ましてや大陸のフランス語の発達でもなく,実は Anglo-French における発達であり,それが英語にも移植されたにすぎないという,なんとも単純ではあるが目から鱗の落ちるような結論である.「衣服」の語義をもつ英語の apparel と,それをもたないフランス語の appareil の false friends も同様に Anglo-French 経由として説明されるという.
 Rothwell の論文では,Anglo-French という「補助線」を引くことにより,英語語彙に関わる多くの事実が明らかになり,問題が解決することが力説される.英語史研究でも,フランス語といえばまずパリの標準的なフランス語変種を思い浮かべ,それを基準としてフランス借用語の問題などを論じるのが当たり前だった.しかし,Anglo-French という変種の役割を改めて正当に評価することによって,未解決とされてきた英語史上の多くの問題が解かれる可能性があると,Rothwell は説く.Rothwell のこのスタンスは,「#2349. 英語の復権期にフランス借用語が爆発したのはなぜか (2)」 ([2015-10-02-1]),「#2350. Prioress の Anglo-French の地位はそれほど低くなかった」 ([2015-10-03-1]) で参照した論文でも貫かれており,啓発的である.

 ・ Rothwell, W. "The Missing Link in English Etymology: Anglo-French." Medium Aevum 60 (1991): 173--96.

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2015-10-20 Tue

#2367. 古英語の <c> から中英語の <k> へ [grapheme][graphemics][spelling][palatalisation][i-mutation][phonemicisation][anglo-norman][vowel][consonant][causation][language_change]

 古英語で典型的に <cyning> あるいは <cyng> と綴られていた語が,中英語では典型的に <king> と綴られるようになっている.音素 /k/ を表わす文字が <c> から <k> へと置き換えられたということだが,ここにはいかなる動機づけがあったのだろうか.
 /k/ に対応する文字が <c> から <k> へ置換された経緯について,Scragg (45) は機能主義的な立場から次のように述べている.

. . . Old English orthography continued to represent the two sounds [= [k] and [ʧ]] by <c> (i.e. both of these words in late Old English were spelt cinn or cynn). Although <c> could still unambiguously represent /k/ before back vowels and consonants (as it still does in cat, cot, cut, climb, crumb), there was no agreed way of distinguishing the sounds graphically before front vowels. The use of <k> for the plosive appeared sporadically from the ninth century but it was not until the thirteenth that it was fully established in words like king and keen, by which time <ch> had been adopted for the affricate.


 <c> から <k> への変化は,/y/ の非円唇化という母音の変化が関与していることがわかる.古英語では口蓋化 (palatalisation) の効果により,前母音に先行する /k/ は [ʧ] として実現されるようになっていた.しかし,後母音に先行する /k/ は [k] として実現され続けており,互いに相補分布をなしたため,両音はあくまで同一音素の異なる実現であるにすぎなかった.したがって,それを表わす文字も <c> 1つで事足りた.
 ところが,後母音 /u/ が i-mutation により前母音 /y/ となり,さらに非円唇化して /i/ へと変化すると,cinn [ʧin]と cynn [kin] の対立が生まれ,相補分布が崩れる.こうして /ʧ/ が /k/ とは異なる音素として区別されるようになった.音素化 (phonemicisation) の過程である.
 この段階において,異なる音素は異なる文字で表現するのがふさわしいという機能主義的な発想が生じることになる.考えられる解決法はいくつかあり得たが,数世紀の実験と実用の期間を経て落ち着いたのは,/k/ に対して <k> を,/ʧ/ に対して <ch> をあてがう方法だった.従来の <c> そのものが残っていないことに注意されたい.
 初期中英語にかけて <k> と <ch> が採用された背景には,これらの綴字を用いるアングロ・ノルマン写字生の習慣も関与していただろう.Scragg の見解が音素と文字素の対応に関する機能主義的な説明に終始しているのに対し,OED の K, n. の記述は,アングロ・ノルマンの綴字習慣にも言い及んでおり,よりバランスの取れた説明といえる.

Yet, in the Old English use of the Roman alphabet, both the guttural and the palatal sound were represented by C, although in the practice of individual scribes K was by no means infrequent for the guttural, especially in positions where C would have been liable to be taken as palatal, or would at least have been ambiguous, as in such words as Kent, kéne, kennan, akenned, kynn, kyning, kyðed, folkes, céak, þicke. But, even in these cases, C was much more usual down to the 11th century; and K can be regarded only as a supplemental symbol occasionally used instead of C for the guttural sound. After the Conquest, however, the Norman usage gradually prevailed, in accordance with which C was retained for the original guttural only before a, o, u, l, r, and K was substituted for the same sound before e, i, y, and (later) n; while the palatalized Old English c, now advanced to /ʧ/, was written Ch. Hence, in native words, initial K now appears only before e, i, y (y being moreover usually merged in i), and before n ( < Old English cn-), where it is no longer pronounced in Standard English, though retained in some dialects.


 ただし,古英語でもすでに <k> が用いられていたことには注意すべきである.文字素や綴字の変化も含め,言語変化には,常に複数の条件や要因が関与しているということ (multiple causation of language change) を忘れてはならない.
 関連して,/k/ に対応する文字の歴史的問題について「#1824. <C> と <G> の分化」 ([2014-04-25-1]) を参照.

 ・ Scragg, D. G. A History of English Spelling. Manchester: Manchester UP, 1974.

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2015-10-03 Sat

#2350. Prioress の Anglo-French の地位はそれほど低くなかった [anglo-norman][popular_passage][chaucer][sociolinguistics][contact]

 昨日の記事「#2349. 英語の復権期にフランス借用語が爆発したのはなぜか (2)」 ([2015-10-02-1]) で引用した Rothwell の論文では,標記の話題が扱われている.よく知られているように,The Canterbury TalesThe General Prologue (ll. 124--26) では,Prioress がイングランド訛りのフランス語 (Anglo-French, or Anglo-Norman) を話す人物として紹介される.

And Frensch she spak ful faire and fetisly,
After the scole of Stratford atte Bowe,
For Frensch of Parys was to hire unknowe.


 伝統的に,このくだりは,正統なパリのフランス語を習得せず,洗練されていないイングランド訛りのフランス語のみを話す「田舎者」の気味を描写したもの解釈されることが多い.とすると,ful faire and fetisly には,正統なフランス語の使い手である Chaucer の視点からみて,ある種の皮肉が混じっていることになる.
 しかし,Rothwell は,この Prioress にしても,彼女の話すイングランドのフランス語変種にしても,言われるほど地位が低かったわけではないと擁護する.議論は2点ある.

 (1) 当時,パリの中央方言の威信が高まり,相対的に他のフランス語変種が低く見られるようになってきたのは事実である.しかし,この方言蔑視は Anglo-French に限らず,フランス国内の諸変種についても同様にあったのであり,Anglo-French がとりわけ軽視されたわけではない.Rothwell 曰く,

As far as continental French is concerned, it is important to recognize at the outset that disparagement and unfavourable comparison with the dialect of the Paris region --- francien --- were not confined to Anglo-Norman but were also the lot of outlying dialects of the continental mainland. Within the bounds of what is now northern France and Belgium dialectal variations were frowned upon as soon as a strong literary tradition began to develop in the Ile-de-France. (40--41)


Chaucer's quip at the expense of his Prioress is to be regarded then as a small reflection of the general movement towards the standardization of the French language that originated in Paris before the end of the twelfth century, a movement whose aim of making the language of the capital the norm for eventually the whole of France was to involve not only the subordination of the vigorous northern dialects, but also the eclipse of the brilliant literary civilization of Provence, built around the langue d'oc. (41--42)


 (2) むしろ,フランスの諸変種に比べて Anglo-French はイングランドという独立国によって書き言葉としてある程度制度化されていたのであり,イングランド内では社会的地位を保っていた.語彙や文法の面でも十分に「立派な」変種だったのであり,中央フランス語母語話者にとっても理解不能なフランス語の「崩れ」などではなかった.

It must be emphasized . . . that the general level of competence in most of the Anglo-Norman works that have come down to us is remarkably high, if judged not only by the accurate use of vocabulary, but in the far more searching test represented by the handling of syntax. (42)


There is no suggestion that the living French of England was unable to express with complete adequacy any of the ideas, objects, and shades of meaning required by the civilization it served. In fact, if we are to judge simply from material provided by the standard dictionaries of medieval French, it would appear that in certain technical areas such as the law, Anglo-Norman may well have been more highly developed at an earlier stage than the corresponding language on the continent. (43)


 結論として,Rothwell は,Anglo-French がしばしば言われるよりも,パリのフランス語から独立 (autonomous) していたことを主張し,中世英語英文学の研究においてもそのようなものとして再評価されるべきだと論じる.

Insular French, then, was for some considerable time after the Conquest no more than a normal and accepted part of French culture, but had gradually and imperceptibly moved into a position of increasing eccentricity by the time we reach the age of Chaucer. Yet it may perhaps be a mistake to view this apparently aberrant offshoot of French as no more than a failed and vanished imitation of francien. . . . [T]he standing of Anglo-French may well improve once it is viewed not as a peripheral dialect, the inferior linguistic medium of a transplanted culture, destined to disappear after a few centuries, but as an efficient vehicle of a highly-developed civilization, a language that did not really disappear but was absorbed into English, transforming the latter in the process. (45)


 ・ Rothwell, W. "Stratford atte Bowe and Paris." Modern Language Review 80 (1985): 39--54.

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2015-09-13 Sun

#2330. 13--14世紀イングランドの法律まわりの使用言語 [law_french][register][anglo-norman][french][bilingualism][latin][norman_conquest][reestablishment_of_english]

 ノルマン征服 (norman_conquest) 後のイングランドでは,法律関連で用いられる言語は複数あった.だが,法律の言語と一口にいっても,書き言葉か話し言葉という談話の媒体 (mode of discourse) というパラメータもあったし,法文,裁判記録,論文,口頭審問などという談話の場 (field of discourse) というパラメータもあった.使用言語は,ロンドンと地方とでは異なっていたかもしれないし,裁判の級によっても変異していた可能性がある.そして,時代とともに,ラテン語よりもフランス語へ,そしてフランス語よりも英語へという潮流もあった.中英語期における法律分野での羅・仏・英語の使い分けの実態は,残された資料に基づいて,ある程度明らかにすることは可能だが,多くの推理も必要となる.
 「#1443. 法律英語における同義語の並列」 ([2013-04-09-1]) の冒頭に記したように,概略としては「13世紀にはラテン語に代わってフランス語が法律関係の表現において優勢となってゆく.フランス語は法文書においてもラテン語と競り合い,14世紀には優勢となる.15世紀には,Law French は Law English に徐々に取って代わられてゆくが,近代に至るまでフランス語の遺産は受け継がれた」と考えてよい.Brand は,法律まわりの談話の使用域を細分化した上で,13--14世紀イングランドの法律まわりの使用言語を調査している.
 ノルマン征服後,法律関係の文書においてラテン語が最も普通の言語であったことは間違いないが,裁判で用いられる言語についてはどうだったのだろうか.Brand (66) は,Henry II (1133--89) が王立裁判所を設立した当初から,そこでの使用言語は英語ではなくフランス語だったとみている.

It seems much more likely that French had been the language of the royal courts from the very beginning of the system of central royal courts established by Henry II and that French was their language because in that period it was the first language of the men appointed as royal justices and of many of the litigants. French seems then to have remained the language of the courts in part because of cultural conservatism, the absence of any really compelling reason for changing accepted practice; in part because there were advantages to the professional elite who came to dominate legal practice in using a language which needed to be learned and mastered by outsiders and which enhance their mystique; in part also because the courts had developed a technical French vocabulary that was not easily translatable into English.


 ここでは,「#661. 12世紀後期イングランド人の話し言葉と書き言葉」 ([2011-02-17-1]) でもみたように,すでに12世紀後半にはノルマン系貴族を含むイングランド国民の多くが英語を母語としていたと考えられるが,法律や裁判という限定的な使用域においては,フランス語使用が惰性的に持続していたことが想定されている.
 この惰性は13世紀から14世紀にかけても続き,むしろ発展すらした.フランス語は法文書においてラテン語と競合し,1275年に初めてフランス語による公的に制定された法文書が現われると,1300年以降,フランス語は "the language of the future in 1300 for English legal instruction" (Brand 72) となった.
 しかし,フランス語の栄光は長く続かなかった.14世紀半ばには,「#324. 議会と法廷で英語使用が公認された年」 ([2010-03-17-1]) や「#131. 英語の復権」 ([2009-09-05-1]) でみたように,英語が徐々に法律の分野へも侵入してきたからである.
 Brand (75--76) は,13世紀から14世紀前半にかけて,フランス語が法律の分野で著しく用いられた状況について,次のように要約している.

The languages of English law in the thirteenth and fourteenth century were primarily Latin and French. Latin was and remained the language of formal record at all levels of the court hierarchy. It was also the language of some of the thirteenth-century instructional literature of English law and even perhaps of some of the actual instruction. Its status as the language of formal legislation appears to have gone unchallenged prior to the last quarter of the thirteenth century but thereafter was increasingly challenged by the Anglo-Norman French of the common lawyers. Anglo-Norman French was the language actually used in pleading not just in the royal courts but also in county and city courts and came to be the invariable language of the law reports which recorded such pleading and which were also used to teach the following generation of law students. Anglo-Norman was also the language of oral legal instruction and of the legal literature which grew out of such instruction and of some other instructional literature as well. Anglo-Norman may always have been the language for the drafting and discussion of legislation but was also from 1275 onwards one of the two languages used for the formal enactment of legislation as well. The third language used in thirteenth- and early-fourteenth-century England, English, is little in evidence here. It may have been used in the local proclamation of legislation, but it was not for the most part one of the written languages used in legal contexts.


 関連して,Law French については,「#336. Law French」 ([2010-03-29-1]) 及び law_french の各記事を参照されたい.

 ・ Brand, Paul. "The languages of the Law in Later Medieval England." Multilingualism in Later Medieval Britain. Ed. D. A. Trotter. Cambridge: D. S. Brewer, 2000. 63--76.

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2014-12-14 Sun

#2057. 中世フランス語と英語における語源的綴字の関係 (2) [etymological_respelling][spelling][french][latin][scribe][anglo-norman][renaissance]

 昨日の記事に引き続き,英仏両言語における語源的綴字 (etymological_respelling) の関係について.Scragg (52--53) は,次のように述べている.

Throughout the Middle Ages, French scribes were very much aware of the derivation of their language from Latin, and there were successive movements in France for the remodelling of spelling on etymological lines. A simple example is pauvre, which was written for earlier povre in imitation of Latin pauper. Such spellings were particularly favoured in legal language, because lawyers' clerks were paid for writing by the inch and superfluous letters provided a useful source of income. Since in France, as in England, conventional spelling grew out of the orthography of the chancery, at the heart of the legal system, many etymological spellings became permanently established. Latin was known and used in England throughout the Middle Ages, and there was a considerable amount of word-borrowing from it into English, particularly in certain registers such as that of theology, but since the greater part of English vocabulary was Germanic, and not Latin-derived, it is not surprising that English scribes were less affected by the etymologising movements than their French counterparts. Anglo-Norman, the dialect from which English derived much of its French vocabulary, was divorced from the mainstream of continental French orthographic developments, and any alteration in the spelling of Romance elements in the vocabulary which occurred in English in the fourteenth century was more likely to spring from attempts to associate Anglo-Norman borrowings with Parisian French words than from a concern with their Latin etymology. Etymologising by reference to Latin affected English only marginally until the Renaissance thrust the classical language much more positively into the centre of the linguistic arena.


 重要なポイントをまとめると,

 (1) 中世フランス語におけるラテン語源を参照しての文字の挿入は,写字生の小金稼ぎのためだった.
 (2) フランス語に比べれば英語にはロマンス系の語彙が少なく(相対的にいえば確かにその通り!),ラテン語源形へ近づけるべき矯正対象となる語もそれだけ少なかったため,語源的綴字の過程を経にくかった,あるいは経るのが遅れた (cf. 「#653. 中英語におけるフランス借用語とラテン借用語の区別」 ([2011-02-09-1])) .
 (3) 14世紀の英語の語源的綴字は,直接ラテン語を参照した結果ではなく,Anglo-Norman から離れて Parisian French を志向した結果である.
 (4) ラテン語の直接の影響は,本格的にはルネサンスを待たなければならなかった.

 では,なぜルネサンス期,より具体的には16世紀に,ラテン語源形を直接参照した語源的綴字が英語で増えたかという問いに対して,Scragg (53--54) はラテン語彙の借用がその時期に著しかったからである,と端的に答えている.

As a result both of the increase of Latinate vocabulary in English (and of Greek vocabulary transcribed in Latin orthography) and of the familiarity of all literate men with Latin, English spelling became as affected by the etymologising process as French had earlier been.


 確かにラテン語彙の大量の流入は,ラテン語源を意識させる契機となったろうし,語源的綴字への影響もあっただろうとは想像される.しかし,語源的綴字の潮流は前時代より歴然と存在していたのであり,単に16世紀のラテン語借用の規模の増大(とラテン語への親しみ)のみに言及して,説明を片付けてしまうのは安易ではないか.英語における語源的綴字の問題は,より大きな歴史的文脈に置いて理解することが肝心なように思われる.

 ・ Scragg, D. G. A History of English Spelling. Manchester: Manchester UP, 1974.

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2014-06-20 Fri

#1880. 接尾辞 -ee の起源と発展 (1) [suffix][loan_word][french][register][anglo-norman][law_french][etymology][-ate]

 emplóyer (雇い主)に対して employée (雇われている人)というペアはよく知られている.appóinter/appointée, exáminer/examinée, páyer/payée, tráiner/trainée などのペアも同様で,それぞれの組で -er をもつ前者が能動的に動作主を,-ee をもつ後者が受動的に被動作主を表わす.
 しかし,absentee (欠席者), escapee (脱走者), patentee (特許権所有者), refugee (避難民), standee (立見客)など,意味的に受け身とは解釈できない例も存在する.実際,standeestander は同義ではないとしても,少なくとも類義ではある.-ee という接頭辞の働きはどのようなものだろうか.
 -er は本来的な接尾辞(古英語 -ere)だが,-ee はフランス語から借用した接尾辞である.フランス語 -é(e) は動詞の過去分詞接尾辞であり,他動詞に接続すれば受け身の意味となった.これ自体はラテン語の第1活用の動詞の過去分詞接辞 -ātus に遡るので,communicatee, dedicatee, educatee, legatee, relocatee などでは同根の2つの接尾辞が付加されていることになる(-ate 接尾辞については,「#1242. -ate 動詞の強勢移行」 ([2012-09-20-1]) や「#1748. -er or -or」 ([2014-02-08-1]) を参照).
 接尾辞 -ee の基本的な機能は,動詞語幹から人や有生物を表わす被動作主名詞を作ることである.他の特徴としては,接尾辞 -ee /ˈiː/ に強勢が落ちること,意志性の欠如という意味上の制約があること,法律用語として用いられる傾向が強いこと,などが挙げられる.法律という使用域 (register) についていえば,Anglo-Norman の法律用語 apelour/apelé から英語に入った appellor/appellee (上訴人/被上訴人)などのペアが嚆矢となり,後期中英語以降,基体の語源にかかわらず -or (or -er) と -ee による法律用語ペアが続々と生まれた.
 被動作主とひとくくりにいっても,統語的には基体の動詞の直接目的語,間接目的語,前置詞目的語に相当するもの,さらに主語に相当するものや,動詞とは直接に関連しないものを含めて,様々な種類がある (Isozaki 5--6).examinee は "someone who one examines" で直接目的語に相当,payee は "someone to whom one pays something" で間接目的語に相当,laughee は "someone who one laughs at" で前置詞目的語に相当, standeeattendee は "someone who stands" と "someone who attends something" で主語に相当する.その他,変則的な種類として,amputee は "someone whose limb was amputated" と複雑な統語関係を示し,patentee, redundantee, biographee は名詞や形容詞を基体としてもつ.
 この接尾辞について後期近代英語から現代英語へかけての通時的推移をみると,ロマンス系語幹ではなく本来語幹に接続する傾向が生じてきていること,standee のような動作主(主語)タイプが増えてきていることが指摘される.この潮流については,明日の記事で.

 ・ Isozaki, Satoko. "520 -ee Words in English." Lexicon 36 (2006): 3--23.

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2013-11-29 Fri

#1677. 語頭の <h> の歴史についての諸説 [h][spelling][pronunciation][spelling_pronunciation][french][anglo-norman][scribe]

 英語史における語頭の <h> を巡る問題は,それ自体が歴史をもっている.英語史において語頭の <h> は実際に発音されてきたのか,それとも発音されてこなかったのか.発音されなかったとすると,どの時代に,どの変種で発音されなかったのか.そして,いつどのようにして標準変種では <h> が発音 [h] として「復活」したのか.その音韻論的位置づけはどうなっているのか.フランス借用語などによる影響はあったのか,なかったのか.解決していない問題が山積みである.
 語頭の <h> の研究史上,最も古い説は,今では「アングロ・ノルマン写字生の神話」と呼ばれている仮説である(「#1238. アングロ・ノルマン写字生の神話」 ([2012-09-16-1]) を参照).この説によれば,語頭の <h> は常に発音 [h] として実現されてきた.基本的には <h> = [h] の関係は,中英語を含む英語史の全時代にわたって維持されてきた.中英語によく見られる <h> に関する綴字の誤りは,英語を理解しないアングロ・ノルマン写字生により導入されたものにすぎず,英語史において [h] が消失したことを示す証拠とはなりえない,とする.この説に関して,Crisma (Were 51) が明快に要約しているので,引用する.

[T]he traditional view . . . is that [h]- was preserved before vowels throughout ME, though it could be dropped in words bearing weak stress, such as pronouns and forms of auxiliary have. Spelling errors involving <h>- are noted, but they are not considered sufficient evidence for [h]- loss, being dismissed by attributing them to '(Anglo-)Norman' scribes. The general validity of this treatment of errors, however, has been very convincingly questioned by Clark . . ., who labels it as a 'myth'.


 現在では「アングロ・ノルマン写字生の神話」説は受け入れられていない.そこで,新しい仮説が現れた.中英語期に語頭の <h> は綴字としては旧来通りに残っていたが,発音としては消失したというものである.語頭の <h> の綴字を巡る誤りが頻繁であること,Pearl-poet などで <h> で始まる語と母音で始まる語が頭韻を踏む例があること,Chaucer などで語末の <e> の脱落に関して,後続する語頭の <h> と母音が同じ振る舞いを示すことなどから,語頭の [h] は発音としては失われていたと解釈すべきだという議論である.現在ではすでに伝統的となっている仮説だが,「#1675. 中英語から近代英語にかけての h の位置づけ (2)」 ([2013-11-27-1]) でも問題として取り上げたとおり,もし中英語期での消失を仮定すると,近代英語期でのほぼ完全なる「復活」をどのように説明するかという難問が生じる.Crisma (Were 52) もこの難点を指摘している.

Assuming an early and widespread loss of word-initial [h]- poses the problem of how to account for its eventual restoration. It seems dubious that this might have happened 'mainly via spelling and the influence of the schools' (Lass, 1992: 62), first because [h], if it was really generally lost at some point, was re-established without errors in all native words, which would be a spectacular success indeed.


 語頭の [h] は消失したのか,しなかったのか.次いで,この問題を巡って折衷的な仮説が現れた.Milroy, J. ("On the Sociolinguistic History of /h/-Dropping in English." Current Topics in English Historical Linguistics. Ed. M. Devenport, E. Hansen, and H. -F. Nielsen. Odense: Odense UP, 1983. 37--53) は,語頭の [h] が消失した変種と消失しなかった変種があり,両変種が文体的な変異として話者個人のなかに共存していたと考えた.これによれば,近代英語期の語頭の [h] の復活も大きな問題とはならない.
 現在,この折衷路線は,異なった形ではあるが,Paola Crisma や Julia Schlüter などの研究者が推進している.

 ・ Crisma, Paola. "Were They 'Dropping their Aitches'? A Quantitative Study of h-Loss in Middle English." English Language and Linguistics 11 (1997): 51--80.
 ・ Crisma, Paola. "Word-Initial h- in Middle and Early Modern English." Phonological Weakness in English: From Old to Present-Day English. Ed. Donka Minkova. Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2009. 130--67.
 ・ Schlüter, Julia. "Consonant or 'Vowel'? A Diachronic Study of Initial <h> from Early Middle English to Nineteenth-Century English." Phonological Weakness in English: From Old to Present-Day English. Ed. Donka Minkova. Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2009. 168--96.

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2012-09-16 Sun

#1238. アングロ・ノルマン写字生の神話 [language_myth][scribe][anglo-norman][variation]

 昨日の記事「#1237. 標準英語のイデオロギーと英語の標準化」 ([2012-09-15-1]) で参照した Milroy の論文で,Skeat の発言に端を発する "the myth of the Anglo-Norman scribe" が,近現代的な標準英語のイデオロギーを持ち込んで歴史英語を解釈した例として槍玉に挙げられている.
 Skeat は,The Proverb of Alfred についての論文 ("The Proverbs of Alfred." Transactions of the Philological Society. 1897.) のなかで,写本に現われる奇妙な綴字は,古英語で書かれた exemplar を読み解けなかった写字生に帰せられるべきと論じた.そこまではよいのだが,Skeat はさらに,その写字生は英語を第1言語としないアングロ・ノルマン人だったのだろうと結論づけた.しかし,Milroy (21) の批判するように,"Unfamiliarity with an older writing system does not necessarily mean that the scribe could not speak English" である.
 しかし,Skeat の校訂による Havelok the Dane を改訂した Sisam (Sisam, K. and Skeat, W. W. The Lay of Havelok the Dane. Oxford: Clarendon, 1915.) で,この神話は強化される.

The manuscript spelling appears . . . to be of a very lawless character, but is easily understood in the light of Professor Skeat's discovery (in 1897) that many of our early MSS . . . abound with spellings which can only be understood rightly when we observe that the scribe was of Norman birth and more accustomed to the spelling of Anglo-French than to that of the native language of the country, which he had acquired with some difficulty and could not always correctly pronounce. (cited in Milroy, p. 26 from Sisam and Skeat, xxxvii--xxxviii)


 アングロ・ノルマン写字生によるとされる「奇妙な綴字」には,(1) 語頭の <h> の省略や,逆に非歴史的な <h> の挿入,(2) <wh> の代用としての <w> (ex. wat) ,(3) <sh> の代用としての <s> (ex. sal) ,(4) <ht> の代用としての <th>, <cht>, <cth>, <ct>, <t> (ex. rith, ricth) ,(5) <t> の代用としての <th> (ex. with) ,(6) <th> の代用としての <t> (ex. herknet) ,(7) <u>, <wu> の代用としての <w> (ex. wl, hw) ,(8) 語末の <t>, <d> などの不注意による脱落 (ex. lan for land) などがある.
 標準英語のイデオロギーに浸かっている目には,中英語の綴字にも uniformity があってしかるべきであり,そこから逸脱しているものは正統でない,したがって正統でない写字生の手によるものに違いないと映るだろう.しかし,現在では,中英語の綴字の研究が進展し,上記のような綴字の変異には体系性のあることがわかっている.
 現在,中英語の綴字の研究は,LALMELAEME を生み出した Edinburgh 学派を中心に,盛んになされている.言語にとって variation が常態であり不可欠であるということは,案外と,近代以前の言語状況を眺めることによってこそ,容易に理解できるのではないだろうか.関連して,[2012-08-08-1]の記事「#1199. なぜ英語史を学ぶか (2)」も参照.

 ・ Milroy, Jim. "Historical Description and the Ideology of the Standard Language." The Development of Standard English, 1300--1800. Ed. Laura Wright. Cambridge: CUP, 2000. 11--28.

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2012-08-31 Fri

#1222. フランス語が英語の音素に与えた小さな影響 [phoneme][phonology][phonetics][french][anglo-norman][systemic_regulation][phonemicisation][causation][stress][language_change][degemination]

 フランス語が英語に与えた言語的影響といえば,語彙が最たるものである.その他,慣用表現や綴字にも少なからず影響を及ぼしたが,音韻や統語にかかわる議論は多くない.だが,音韻に関しては,しばしばフランス語からの借用として言及される音素がある.Görlach (337--38) によると,これには5種類が認められる.

 (1) /v/ の音素化 (phonemicisation) .古英語では [v] は音素 /f/ の異音にすぎず,いまだ独立した音素ではなかった.ところが,(a) very のような [v] をもつフランス借用語の流入,(b) vixen のような [v] をもつ方言形の借用,(c) over : offer に見られる単子音と重子音の対立の消失,(d) of に見られる無強勢における摩擦音の有声化,といった革新的な要因により,/v/ が音素として独立した.同じことが [z] についても言える.(a) の要因に関していえばフランス語の影響を論じることができるが,/v/ も /z/ も異音としては古英語より存在していたし,閉鎖音系列に機能していた有声と無声の対立が摩擦音系列へも拡大したととらえれば,体系的調整 (systemic regulation) の例と考えることもできる.ここでは,Görlach は,英語体系内の要因をより重要視している([2010-07-14-1]の記事「#443. 言語内的な要因と言語外的な要因はどちらが重要か?」を参照).
 (2) /ʒ/ の音素化.この音も古英語では独立した音素ではなく,Anglo-Norman 借用語 joygentle の語頭音も /ʤ/ として実現されたので,中英語ですら稀な音だった./ʒ/ の音素化は,measure などの語での [-zj-] の融合に負うところが大きい.この音素化により,音韻体系に /ʤ : ʒ 〜 ʧ : ʃ/ の対照関係が生じた.やはり,ここでもフランス語の影響は副次的でしかない.
 (3) フランス借用語に含まれる母音の影響で,新しい二重母音 /ɔɪ, ʊɪ/ が英語で音素化した.この2つが加わることで,英語の二重母音体系はより均整の取れたものとなった.

--ɛɪɔɪʊɪ
ɪʊɛʊɔʊ--


 (4) フランス語の /y(ː), œ(ː)/ は,円唇母音としては南西方言以外には受け入れられなかった.また,/ɲ/ や l mouilli も受け入れられることはなかった.Norman 人がすでにこれらの音を失っていたからではないか.
 (5) 多音節のロマンス借用語が英語の強勢体系に与えた影響がしばしば語られるが,baconbattle のような2音節語は英語本来の強勢に順応した.ロマンス的な強勢体系が適用されたのは,3音節以上の借用語のみである.

 全体として,Görlach は,フランス語の音韻上の影響はあったとしても僅少であると考えている.影響があったところでも,その影響は,英語の体系側に受け入れ態勢ができていたからこそ僅かな外圧のもとで可能となったのだ,と議論している.

. . . it is significant that phonemes said to be derived from French survive only where they fill obvious gaps in the English system --- and some of these were stabilized by loans from English dialect . . . . (337)


 受け入れ側の態勢が重要なのか,外圧の強さが重要なのか.[2010-07-14-1]の記事「#443. 言語内的な要因と言語外的な要因はどちらが重要か?」の議論を思い起こさせる.

・ Görlach, Manfred. "Middle English --- a Creole?" Linguistics across Historical and Geographical Boundaries. Ed. D. Kastovsky and A. Szwedek. Berlin: Gruyter, 1986. 329--44.

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2011-02-17 Thu

#661. 12世紀後期イングランド人の話し言葉と書き言葉 [anglo-norman][writing][bilingualism][reestablishment_of_english][diglossia]

 ノルマン征服によりイングランドの公用語が Old English から Norman French に切り替わった.イングランド内で後者は Anglo-French として発達し,Latin とともにイングランドの主要な書き言葉となった.ノルマン征服後の2世紀ほど,英語は書き言葉として皆無というわけではなかったが,ほとんどが古英語の伝統を引きずった文献の写しであり,当時の生きた中英語が文字として表わされていたわけではない.中英語の話し言葉を映し出す書き言葉としての中英語が本格的に現われてくるには,12世紀後半を待たなければならなかった.それまでは,イングランドの第1の書き言葉といえば英語ではなく,Anglo-French や Latin だったのである.
 一方,ノルマン征服後のイングランドの話し言葉といえば,変わらず英語だった.フランス人である王侯貴族やその関係者は征服後しばらくはフランス語を母語として保持していたと考えられるし,イングランド人でも上流階級と接する機会のある人々は少なからずフランス語を第2言語として習得していただろう.しかし,イングランドの第1の話し言葉といえば英語に違いなかった ( see [2010-11-25-1] ) .
 このように,ノルマン征服後しばらくの間は,イングランドにおける主要な話し言葉と書き言葉とは食い違っていた.12世紀後期において,イングランド人の書き手は普段は英語を話していながら,書くときには Anglo-French を用いるという切り替え術を身につけていたことになる.逆に言えば,12世紀後期までには,Anglo-French の書き手であっても主要な話し言葉は英語だった公算が大きい.Lass and Laing (3) を引用する.

By the early Middle English period, four generations after the Conquest, the high prestige languages in the written/spoken diglossia (though distantly cognate) were 'foreign': normally second and third languages, formally taught and learned. By the late 12th century it is virtually certain --- except in the case of scribes from continuingly bilingual families (and we do not have the information that would allow us to identify them) --- that none of the English scribes writing French were native speakers of French (though some may of course have been coordinate bilinguals). It is certain that none were native speakers of Latin, since after the genesis of the Romance vernaculars in the early centuries of this era it is most unlikely that there were any.


 当時のイングランドの状況を日本の架空の状況に喩えてみれば,普段は日本語で話していながら,書くときには漢文を用いる(ただし中国語での会話は必ずしも得意ではないかもしれない)というような状況だろう.
 12世紀後期イングランドにおける話し言葉と書き言葉の diglossia 「2言語変種使い分け」あるいは bilingualism については,Lass and Laing (p.3, fn. 3) に多くの参考文献が挙げられている.

 ・ Lass, Roger and Margaret Laing. "Interpreting Middle English." Chapter 2 of "A Linguistic Atlas of Early Middle English: Introduction.'' Available online at http://www.lel.ed.ac.uk/ihd/laeme1/pdf/Introchap2.pdf .

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2010-07-07 Wed

#436. <ea> の綴りの起源 [spelling][orthography][anglo-norman]

 昨日の記事[2010-07-06-1]で <oa> の正書法上の起源を取りあげたが,ついでの話題として <ea> のことにも軽く触れた.簡単に調べてみたが,少なくとも <ea> については,この綴字習慣が Flemish からもたらされたという佐藤 (29) の説の根拠は見つからなかった.むしろ,<ea> は古英語由来の綴字習慣が Anglo-French 経由で15世紀の英語にも取り込まれ,後に標準化したものだと Scragg (48) はいう.
 Scragg によると,<ea> の綴字は古英語の標準とされる West-Saxon のものだったが,それが12世紀に Anglo-Norman に取り込まれた.Anglo-Norman の書き言葉は大陸フランス語の正書法が確立する前からイングランドで使われ出しており,特に初期の頃は West-Saxon の綴字習慣を強く受けて発達していた.Anglo-Norman に受け継がれた <ea> の綴字習慣は,15世紀に公文書の言語が Anglo-Norman から英語へとシフトする際に,再び英語に戻された.イングランドを代表する公の書き言葉が OE West-Saxon → ME Anglo-Norman → LME Chancery English と変化するなかで,<ea> という綴字が偶然にも生きながらえたという事実が興味深い.
 <ea> が Chancery English に取り入れられた頃には大母音推移は未完了だったので,いまだ /e:/ と区別されていた /ɛ:/ を表す綴字として <ea> の役割もだてではなかった.しかし,その後いずれも /i:/ に収斂してしまうと <ea> の役割は同音異綴 ( homophone ) を区別するという役割を果たすのみとなってしまった.それでも,正書法の中に確たる地位を築き上げてきた <ea> はあっぱれである.古英語から現代英語にいたるまで,いつ失われてもおかしくないくらいに地味な存在だったにもかかわらず時代の荒波をたくましく生き延びてきたという点で,<ea> の生命力を讃えたい.
 英語の ease, reason に対して現代フランス語の aise, raison という差異は,前者が OE 発 Anglo-Norman 経由というルートを取ったことによる.ease, reason という英単語の綴字をみるとき,古英語の一方言から連綿と続く書き言葉の伝統がフランス借用語の中にすら見いだすことができることに興味を覚える.以上の経緯を知って, <ea> に対する見方が変わった(古英語を読むときにも現代英語を読むときにも).
 people, jeopardy などに見られる <eo> の綴字も,古英語由来,Anglo-Saxon 経由で生き延びてきた同胞のようだが,正書法上,<ea> ほどは確たる地位を築いてはいないようである (Scragg 49).

 ・ 佐藤 正平 「英語史考」『学苑』第227号,1959年,15--41頁.
 ・ Scragg, D. G. A History of English Spelling. Manchester: Manchester UP, 1974.

Referrer (Inside): [2015-05-11-1] [2015-02-03-1]

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