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function_of_language - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2019-11-19 17:34

2019-08-25 Sun

#3772. Wittgenstein の「言語ゲーム」 (2) [function_of_language][language-game][context][speech_act][pragmatics][semantics][terminology][philosophy_of_language]

 昨日の記事 ([2019-08-24-1]) で Wittgenstein の言語ゲーム (Sprachspiel, language-game) に触れた.Bussmann (262) の用語辞典の定義によると次の通り.

language game
L. Wittgenstein's term referring to complex units of communication that consist of linguistic and non-linguistic activities (e.g. the giving of and complying with commands in the course of collaborating on the building of a house). Signs, words, and sentences as 'tools of language' have in and of themselves no meaning; rather meaning is derived only from the use of these items in particular contexts of language behavior.


 論理実証主義 (logical positivism) から転向した後の Wittgenstein の,このような コンテクスト重視の言語観や意味観は,後の日常言語哲学 (ordinary language philosophy) に大きな影響を与え,発話行為 (speech_act) を含めた語用論 (pragmatics) の発展にも貢献した."the meaning of a word is its use in the language" という意味のとらえ方は,なお問題があるものの,1つの見解とみなされている.
 意味の意味に関連して「#1782. 意味の意味」 ([2014-03-14-1]),「#1990. 様々な種類の意味」 ([2014-10-08-1]),「#2199. Bloomfield にとっての意味の意味」 ([2015-05-05-1]),「#2794. 「意味=定義」説の問題点」 ([2016-12-20-1]),「#2795. 「意味=指示対象」説の問題点」 ([2016-12-21-1]) などの内容とも比較されたい.

 ・ Bussmann, Hadumod. Routledge Dictionary of Language and Linguistics. Trans. and ed. Gregory Trauth and Kerstin Kazzizi. London: Routledge, 1996.

Referrer (Inside): [2019-08-26-1]

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2019-08-24 Sat

#3771. Wittgenstein の「言語ゲーム」 (1) [function_of_language][language-game][speech_act][philosophy_of_language]

 「#1578. 言語は何に喩えられてきたか」 ([2013-08-22-1]) で簡単に触れた程度だが,オーストリア生まれの哲学者 Wittgenstein (1889--1951) は,1953年に出版された後期の著作において,言語を Sprachspiel "language-game" ととらえた.言語ゲームは様々な活動からなる遊びで,次のような活動が含まれる(安藤・澤田,p. 18 より).

 ・ 命令する,命令に従う
 ・ ある事物の外見を記述する,あるいはその測定をする
 ・ ある出来事を報告する
 ・ 出来事について推測する
 ・ 仮説を立て,検証する
 ・ 物語を作る,それを読む
 ・ 演劇
 ・ 輪唱歌曲を歌う
 ・ 謎を解く
 ・ 冗談を言う
 ・ 実際的な数学の問題を解く
 ・ 他の言語に翻訳する
 ・ 質問する,感謝する,ののしる,あいさつする,祈るなど

 これは,ある意味で言語の諸機能を並べたリストといえる.言語の機能については多くの議論があるが,「#1071. Jakobson による言語の6つの機能」 ([2012-04-02-1]) をはじめとして function_of_language の各記事を参照されたい.

 ・ 安藤 貞雄・澤田 治美 『英語学入門』 開拓社,2001年.

Referrer (Inside): [2019-08-26-1] [2019-08-25-1]

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2017-04-27 Thu

#2922. 他の社会的差別のすりかえとしての言語差別 [linguistic_ideology][language_myth][sociolinguistics][function_of_language][aave]

 言語は,コミュニケーションの道具であるとともに,アイデンティティの指標でもある.言語のこの2つの機能は,言及指示的機能 (referential function) と社会指標的機能 (socio-indexical function) とも呼ばれる. 特に後者の機能は社会言語学における最重要のテーゼとして強調されるが,一般には広く認識されているとは言いがたい.多くの人が,言語はひとえにコミュニケーションの道具として機能していると思い込んでいる.
 しかし,「言語=コミュニケーションの道具」のみの発想にとらわれていると,狭い視野に閉じ込められるばかりではなく,現実にある社会的な問題を助長する可能性すらある.言語は道具であるから政治的には中立である,と無邪気にみなしてしまうと,言語を政治的に悪用する社会の不正にも気づきにくくなるからだ.言語は,コミュニケーションの道具であるにとどまらず,恐るべき政治的なツールへと容易に化けることができるのである.小山 (137) によるアメリカの黒人英語や英語公用語化を巡る問題についての評説が,言語の政治的な側面をよくあぶり出しているので,引用したい.

公的な場では人種差別の表明がタブーと化しているアメリカのような社会に生きる人種差別主義者たちは,たとえば1996年から97年に起こったエボニクス論争にみられたように,黒人を批判するのではなく黒人英語を批判したり,あるいはイングリッシュ・オンリー(英語公用語化)運動にみられるように,ヒスパニックを批判するのではなくスペイン語を喋ることを批判したりしている.つまり現代アメリカでは人種の問題が言語(および文化)の問題に置き換えられて語られているのであり,これは,上でみたような,アメリカ標準語としてのジェネラル・アメリカンの勃興にまつわる排外主義的,人種論的背景を,「中西部」や「西部」の発音などと,地域的な範疇にすりかえて語るという修辞とも共鳴する.
 なお,合衆国の法制度では,人種,宗教,性,出生国などと違い言語は差別の根拠となる範疇 ("suspect category") とはみなされておらず,これが,より一般的な公的言説における人種のタブー化とともに,言語が人種について語るための「コード・ワード」となっていることと関係していることは明らかである.Sonntag (2003) は,このような法的言説における言語の位置づけは,アメリカのリベラル民主主義の伝統,つまりジョン・ロック的な伝統においては,言語がアイデンティティの指標ではなくコミュニケーションのための中性的な道具であると考えられていることに由来する面があることを正しく指摘している.


 社会言語学者の大家 Peter Trudgill も,人種や性など多くの範疇での差別が消えていくなかで,言語は最後の最後まで差別の拠り所として根強く残っていくだろうと述べている.残念ながら,私もこの意見に同感せざるを得ない.言語の社会指標的機能について力説していくほかない.

 ・ 小山 亘 「第7章 社会語用論」『社会言語学』井上 逸兵(編),朝倉書店,2017年.125--45頁.

Referrer (Inside): [2019-05-16-1]

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2017-01-13 Fri

#2818. うわさの機能 [phatic_communion][function_of_language][sociolinguistics][communication][accommodation_theory][solidarity]

 松田著『うわさとは何か』を読んだ.社会学のコミュニケーション論やメディア論の立場からの,うわさ (rumor) の分析だが,社会言語学的な観点からも関心をもって読めた.コミュニケーションを便宜的に,道具的 (instrumental) なものと自己目的的 (consummatory) なものに分けると,うわさは後者のほうに接近している.個人に関するうわさであるゴシップを考えると,内容に情報としての価値もあるにはあるが,多くの場合,ゴシップすること自体が目的である.人々はゴシップのためにわざわざ集まったり,ワイドショーを見たりするのである.
 松田 (109--10) で述べられているが,うわさには「ここだけの話だけれど」という枕詞がつくことが多い.これは参与者の間に親密な人間関係,すなわち solidarity を作り出す言語的手段であり,実際にうわさの内容の秘密性が高ければ,solidarity はさらに高まる.
 また,うわさの拡大は,参与者の「気持ちの共有」とも深く関係する(松田,p. 110).災害や戦時中にうわさやデマが広まりやすいのは,人々が同じように危機的な状況にいるからであり,その状況を解決するための情報を共有したいという事情もあるが,それ以上に,不安を解消するためにみんなと一緒にいたいという気持ちが生じる.うわさを生み出す状況と solidarity が高まる状況とは互いに助長し合う関係にある.
 松田 (113--14) は,ゴシップの3つの機能に言及している.まず,「情報機能」がある.ゴシップそのものがある人についての情報であるということだけではなく,そのゴシップから何らかの教訓を引き出した場合には,間接的な情報を得たことになる.次に,「集団規範の形成・確認機能」がある.人はあるゴシップを他人と共有することで新しい集団を作り出したり,結束を強めたりするのである(いわゆる accommodation_theory とも関連する.「#1482. なぜ go の過去形が went になるか (2)」 ([2013-05-18-1]) 話題を参照).最後に,「エンターテインメントの機能」である.人は会話の促進剤として,単に楽しいものとしてゴシップする.
 当然ながら,うわさやゴシップは言語を用いた談話 (discourse) の1つである.したがって,上記のゴシップの機能は,言語の機能の一部でもあるはずだ.言語の人間関係構築機能ということでいえば,関連して「#1771. 言語の本質的な機能の1つとしての phatic communion」 ([2014-03-03-1]),「#1071. Jakobson による言語の6つの機能」 ([2012-04-02-1]) の記事も要参照.

 ・ 松田 美佐 『うわさとは何か』 中央公論新社〈中公新書〉,2014年.

Referrer (Inside): [2017-01-14-1]

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2016-09-17 Sat

#2700. 暗号によるコミュニケーションの特性 [cryptology][communication][phatic_communion][function_of_language][semiotics]

 昨日の記事「#2699. 暗号学と言語学」 ([2016-09-16-1]) の最後に触れたように,言語はメッセージを伝えたいという欲求とともに発達してきたと考えられるにもかかわらず,一方で人類はメッセージを秘匿したいという欲求を抱き,暗号技術を発達させてきた.これは,言語によるコミュニケーションに関する一種の矛盾と考えられるかもしれない.しかし,よく考えてみると,暗号は言語コミュニケーションの本質と矛盾するというよりも,むしろそのある側面を究極に推し進めたものとみなせるのではないか.というのは,暗号コミュニケーションにおいては,ある特定の相手にだけ,という強い限定はあるものの,むしろメッセージを伝えたいという欲求はことさらに強いからである.
 実際「#1070. Jakobson による言語行動に不可欠な6つの構成要素」 ([2012-04-01-1]) の図において,中央の「ことば (message)」を「暗号」と読み替えても,この図はそのまま通用しそうである.しかし,異なるところもある.暗号コミュニケーションでは話し手と聞き手を直接つなぐ「接触 (contact)」の回路が意図的に強く限定されており,排他的であることだ.たしかに,通常の言語コミュニケーションにおいても,ある程度の排他性が想定される機会はある.例えば,ひそひそ話し,陰口,私信などでは,物理的な方法で接触が制限されている.ところが,暗号コミュニケーションでは,物理的な方法で接触を制限することも含みはするが,それ以上に重要な制限方法として「言語体系 (code) 」にひねりを加えるという手段を用いる.特定の話し手と聞き手にしか共有されない排他的なコードを用いることにより,記号論的に他者が接触できない状況を作り出しているのである.
 このように,通常の言語コミュニケーションと対比すると,暗号コミュニケーションの本質が浮き彫りになる.話し手と聞き手が,排他的なコードにより排他的な接触の関係を作り上げて排他的なコミュニケーション回路を作るというのが,暗号コミュニケーションの前提のようだ.「山」に対して「川」という合い言葉は,原始的な暗号の一種だが,これは暗号コミュニケーションにおける phatic_communion を体現するものである (see 「#1771. 言語の本質的な機能の1つとしての phatic communion」 ([2014-03-03-1]),「#1071. Jakobson による言語の6つの機能」 ([2012-04-02-1])) .暗号を記号論的に論じてみるのもおもしろそうだ.

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2015-12-05 Sat

#2413. ethnomethodology [sociolinguistics][ethnography_of_speaking][anthropology][conversation_analysis][pragmatics][discourse_analysis][terminology][function_of_language][philology]

 標題の ethnomethodology (エスノメソドロジー)は,1967年にアメリカの社会学者 Harold Garfinkel の作り出した用語であり,言語コミュニケーションに関する社会学的なアプローチを指す.日常会話の基礎となる規範,しきたり,常識を探ることを目的とする.人類言語学 (anthropological linguistics),社会言語学 (sociolinguistics),会話分析 (conversation analysis),おしゃべりの民族誌学 (ethnography_of_speaking) などの領域と重なる部分があり,学際的な分野である.Trudgill の社会言語学用語辞典より,関連する4つの用語の解説を与えたい.

ethnomethodology A branch of sociology which has links with certain sorts of sociolinguistics such as conversation analysis because of its use of recorded conversational material as data. Most ethnomethodologists, however, are generally not interested in the language of conversation as such but rather in the content of what is said. They study not language or speech, but talk. In particular, they are interested in what is not said. They focus on the shared common-sense knowledge speakers have of their society which they can leave unstated in conversation because it is taken for granted by all participants.

ethnography of speaking A branch of sociolinguistics or anthropological linguistics particularly associated with the American scholar Dell Hymes. The ethnography of speaking studies the norms and rules for using language in social situations in different cultures and is thus clearly important for cross-cultural communication. The concept of communicative competence is a central one in the ethnography of speaking. Crucial topics include the study of who is allowed to speak to who --- and when; what types of language are to be used in different contexts; how to do things with language, such as make requests or tell jokes; how much indirectness it is normal to employ; how often it is usual to speak, and how much one should say; how long it is permitted to remain silent; and the use of formulaic language such as expressions used for greeting, leave-taking and thanking.

ethnography of communication A term identical in reference to ethnography of speaking, except that nonverbal communication is also included. For example, proxemics --- the study of factors such as how physically close to each other speakers may be, in different cultures, when communicating with one another --- could be discussed under this heading.

conversation analysis An area of sociolinguistics with links to ethnomethodology which analyses the structure and norms of conversation in face-to-face interaction. Conversation analysts look at aspects of conversation such as the relationship between questions and answers, or summonses and responses. They are also concerned with rules for conversational discourse, such as those involving turn-taking; with conversational devices such as discourse markers; and with norms for participating in conversation, such as the rules for interruption, for changing topic, for overlapping between one speaker and another, for remaining silent, for closing a conversation, and so on. In so far as norms for conversational interaction may vary from society to society, conversation analysis may also have links with cross-cultural communication and the ethnography of speaking. By some writers it is opposed to discourse analysis.


 ethnomethodology は,言語の機能 (function_of_language) という深遠な問題にも疑問を投げかける.というのは,ethnomethodology は,言語をコミュニケーションの道具としてだけではなく,世界を秩序づける道具としてもとらえるからだ.Wardhaugh (272) 曰く,"people use language not only to communicate in a variety of ways, but also to create a sense of order in everyday life."

 ・ Trudgill, Peter. A Glossary of Sociolinguistics. Oxford: Oxford University Press, 2003.
 ・ Wardhaugh, Ronald. An Introduction to Sociolinguistics. 6th ed. Malden: Blackwell, 2010.

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2014-09-03 Wed

#1955. 意味変化の一般的傾向と日常性 [semantic_change][semantics][synaesthesia][rhetoric][grammaticalisation][prediction_of_language_change][speed_of_change][function_of_language][subjectification]

 語の意味変化が予測不可能であることは,他の言語変化と同様である.すでに起こった意味変化を研究することは重要だが,そこからわかることは意味変化の一般的な傾向であり,将来の意味変化を予測させるほどの決定力はない.「#1756. 意味変化の法則,らしきもの?」 ([2014-02-16-1]) で「法則」の名に値するかもしれない意味変化の例を見たが,もしそれが真実だとしても例外中の例外といえるだろう.ほとんどは,「#473. 意味変化の典型的なパターン」 ([2010-08-13-1]) や「#1109. 意味変化の原因の分類」 ([2012-05-10-1]),「#1873. Stern による意味変化の7分類」 ([2014-06-13-1]),「#1953. Stern による意味変化の7分類 (2)」 ([2014-09-01-1]) で示唆されるような意味変化の一般的な傾向である.
 Brinton and Arnovick (87) は,次のような傾向を指摘している.
 
 ・ 素早く起こる.そのために辞書への登録が追いつかないこともある.ex. desultory (slow, aimlessly, despondently), peruse (to skim or read casually)
 ・ 具体的な意味から抽象的な意味へ.ex. understand
 ・ 中立的な意味から非中立的な意味へ.ex. esteem (cf. 「#1099. 記述の形容詞と評価の形容詞」 ([2012-04-30-1]),「#1100. Farsi の形容詞区分の通時的な意味合い」 ([2012-05-01-1]),「#1400. relational adjective から qualitative adjective への意味変化の原動力」 ([2013-02-25-1]))
 ・ 強い感情的な意味が弱まる傾向.ex. awful
 ・ 侮辱的な語は動物や下級の人々を表わす表現から.ex. rat, villain
 ・ 比喩的な表現は日常的な経験に基づく.ex. mouth of a river
 ・ 文法化 (grammaticalisation) の一方向性
 ・ 不規則変化は,言語外的な要因にさらされやすい名詞にとりわけ顕著である

 もう1つ,意味変化の一般的な傾向というよりは,それ自体の特質と呼ぶべきだが,言語において意味変化が何らかの形でとかく頻繁に生じるということは明言してよい事実だろう.上で参照した Brinton and Arnovick も,"Of all the components of language, lexical meaning is most susceptible to change. Semantics is not rule-governed in the same way that grammar is because the connection between sound and meaning is arbitrary and conventional." (76) と述べている.また,意味変化の日常性について,前田 (106) は以下のように述べている.

とかく口語・俗語では意味の変化が活発である.これに比べると,文法の変化はかなりまれで,おそらく一生のうちでそれと気づくものはわずかだろう.音の変化は,日本語の「ら抜きことば」のように,もう少し気づかれやすいが,それでも意味変化の豊富さに比べれば目立たない.では,なぜ意味変化 (semantic change) はこれほど頻繁に起こるのだろうか.その答えは,おそらく意味変化がディスコース (discourse) における日常的営みから直接生ずるものだからである.


 最後の文を言い換えて,前田 (130) は「意味の伝達が日常の言語活動の舞台であるディスコースにおけるコミュニケーション活動の目的と直接結びついているからである」と結論している.

 ・ Brinton, Laurel J. and Leslie K. Arnovick. The English Language: A Linguistic History. Oxford: OUP, 2006.
 ・ 前田 満 「意味変化」『意味論』(中野弘三(編)) 朝倉書店,2012年,106--33頁.

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2014-08-25 Mon

#1946. 機能的な観点からみる短化 [shortening][clipping][word_formation][morphology][function_of_language][style][semantics][semantic_change][euphemism][language_change][slang]

 shortening (短化)という過程は,言語において重要かつ頻繁にみられる語形成法の1つである.英語史でみても,とりわけ現代英語で shortening が盛んになってきていることは,「#875. Bauer による現代英語の新語のソースのまとめ」 ([2011-09-19-1]) で確認した.関連して,「#893. shortening の分類 (1)」 ([2011-10-07-1]),「#894. shortening の分類 (2)」 ([2011-10-08-1]) では短化にも様々な種類があることを確認し,「#1091. 言語の余剰性,頻度,費用」 ([2012-04-22-1]),「#1101. Zipf's law」 ([2012-05-02-1]),「#1102. Zipf's law と語の新陳代謝」 ([2012-05-03-1]) では情報伝達の効率という観点から短化を考察した.
 上記のように,短化は主として形態論の話題として,あるいは情報理論との関連で語られるのが普通だが,Stern は機能的・意味的な観点から短化の過程に注目している.Stern は,「#1873. Stern による意味変化の7分類」 ([2014-06-13-1]) で示したように,短化を意味変化の分類のなかに含めている.すべての短化が意味の変化を伴うわけではないかもしれないが,例えば private soldier (兵卒)が private と短化したとき,既存の語(形容詞)である private は新たな(名詞の)語義を獲得したことになり,その観点からみれば意味変化が生じたことになる.
 しかし,private soldier のように,短化した結果の語形が既存の語と同一となるために意味変化が生じるというケースとは別に,rhinocerosrhino, advertisementad などの clipping (切株)の例のように,結果の語形が新語彙項目となるケースがある.ここでは先の意味での「意味変化」はなく意味論的に語るべきものはないようにも思われるが,rhinocerosrhino の意味の差,advertisementad の意味の差がもしあるとすれば,これらの短化は意味論的な含意をもつ話題ということになる.
 Stern (256) は,短化を形態的な過程であるとともに,機能的な観点から重要な過程であるとみている.実際,短化の原因のなかで最重要のものは,機能的な要因であるとまで述べている.Stern (256) の主張を引用する.

Starting with the communicative and symbolic functions, I have already pointed out above . . . that brevity may conduce to a better understanding, and too many words confuse the point at issue; the picking out of a few salient items may give a better idea of the topic than prolonged wallowing in details; the hearer may understand the shortened expression quicker and better.
   The expressive function is partly covered by signals, but a shortened expression by itself may, owing to its unusual and perhaps ungrammatical, form, reflect better the speaker's emotional state and make the hearer aware of it. Clippings are very often intended to make the words express sympathy or endearment towards the persons addressed; nursery speech abounds in nighties, tootsies, etc., and clippings of proper names, transforming them into pet names, are often due to a similar desire for emotive effects . . . . The numerous shortenings (clippings) in slang and cant often aim at a humourous effect.
   Conciseness and brevity increase vivacity, and thus also the effectiveness of speech; brevity is the soul of wit; the purposive function may consequently be better served by shortened phrases.


 形態論や情報理論のいわば機械的な観点から短化をみるにとどまらず,言語使用の目的,表現力,文体といった機能的な側面から短化をとらえる洞察は,Stern の面目躍如たるところである.形態を短化することでむしろ新機能が付加される逆説が興味深い.
 引用の文章で言及されている婉曲表現 nighties と関連して,「#908. bra, panties, nightie」 ([2011-10-22-1]) 及び「#469. euphemism の作り方」 ([2010-08-09-1]) も参照されたい.

 ・ Stern, Gustaf. Meaning and Change of Meaning. Bloomington: Indiana UP, 1931.

Referrer (Inside): [2018-06-08-1] [2014-08-26-1]

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2014-08-15 Fri

#1936. 聞き手主体で生じる言語変化 [phonetics][consonant][function_of_language][language_change][causation][h][sonority][reduplication][japanese][grimms_law][functionalism]

 過去4日間の記事で,言語行動において聞き手が話し手と同じくらい,あるいはそれ以上に影響力をもつことを見てきた(「#1932. 言語変化と monitoring (1)」 ([2014-08-11-1]),「#1933. 言語変化と monitoring (2)」 ([2014-08-12-1]),「#1934. audience design」 ([2014-08-13-1]),「#1935. accommodation theory」 ([2014-08-14-1])).「#1070. Jakobson による言語行動に不可欠な6つの構成要素」 ([2012-04-01-1]),「#1862. Stern による言語の4つの機能」 ([2014-06-02-1]),また言語の機能に関するその他の記事 (function_of_language) で見たように,聞き手は言語行動の不可欠な要素の1つであるから,考えてみれば当然のことである.しかし,小松 (139) のいうように,従来の言語変化の研究において「聞き手にそれがどのように聞こえるかという視点が完全に欠落していた」ことはおよそ認めなければならない.小松は続けて「話す目的は,理解されるため,理解させるためであるから,もっとも大切なのは,話し手の意図したとおりに聞き手に理解されることである.その第一歩は,聞き手が正確に聞き取れるように話すことである」と述べている.
 もちろん,聞き手主体の言語変化の存在が完全に無視されていたわけではない.言語変化のなかには,異分析 (metanalysis) によりうまく説明されるものもあれば,同音異義衝突 (homonymic_clash) が疑われる例もあることは指摘されてきた.「#1873. Stern による意味変化の7分類」 ([2014-06-13-1]) では,聞き手の関与する意味変化にも触れた.しかし,聞き手の関与はおよそ等閑視されてきたとはいえるだろう.
 小松 (118--38) は,現代日本語のハ行子音体系の不安定さを歴史的なハ行子音の聞こえの悪さに帰している.語中のハ行子音は,11世紀頃に [ɸ] から [w] へ変化した(「#1271. 日本語の唇音退化とその原因」 ([2012-10-19-1]) を参照).例えば,この音声変化に従って,母は [ɸawa],狒狒は [ɸiwi],頬は [ɸowo] となった.そのまま自然発達を遂げていたならば,語頭の [ɸ] は [h] となり,今頃,母は「ハァ」,狒狒は「ヒィ」,頬は「ホォ」(実際に「ホホ」と並んで「ホオ」もあり)となっていただろう.しかし,語中のハ行子音の弱さを補強すべく,また子音の順行同化により,さらに幼児語に典型的な同音(節)重複 (reduplication) も相まって2音節目のハ行子音が復活し,現在は「ハハ」「ヒヒ」「ホホ」となっている.ハ行子音の調音が一連の変化を遂げてきたことは,直接には話し手による過程に違いないが,間接的には歴史的ハ行子音の聞こえの悪さ,音声的な弱さに起因すると考えられる.蛇足だが,聞こえの悪さとは聞き手の立場に立った指標である.ヒの子音について [h] > [ç] とさらに変化したのも,[h] の聞こえの悪さの補強だとしている.
 日本語のハ行子音と関連して,英語の [h] とその周辺の音に関する歴史は非常に複雑だ.グリムの法則 (grimms_law),「#214. 不安定な子音 /h/」 ([2009-11-27-1]) および h の各記事,「#1195. <gh> = /f/ の対応」 ([2012-08-04-1]) などの話題が関係する.小松 (132) も日本語と英語における類似現象を指摘しており,<gh> について次のように述べている.

……英語の light, tight などの gh は読まない約束になっているが、これらの h は、聞こえが悪いために脱落し、スペリングにそれが残ったものであるし、rough, tough などの gh が [f] になっているのは、聞こえの悪い [h] が [f] に置き換えられた結果である。[ɸ] と [f] との違いはあるが、日本語のいわゆる唇音退化と逆方向を取っていることに注目したい。


 この説をとれば,roughtough の [f] は,「#1195. <gh> = /f/ の対応」 ([2012-08-04-1]) で示したような話し手主体の音声変化の結果 ([x] > [xw] > f) としてではなく,[x] あるいは [h] の聞こえの悪さによる(すなわち聞き手主体の) [f] での置換ということになる.むろん,いずれが真に起こったことかを実証することは難しい.

 ・ 小松 秀雄 『日本語の歴史 青信号はなぜアオなのか』 笠間書院,2001年.

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2014-06-02 Mon

#1862. Stern による言語の4つの機能 [function_of_language][semantic_change]

 Stern (21) は「#1776. Ogden and Richards による言語の5つの機能」 ([2014-03-08-1]) を部分的に批判しながらも,彼らの全体的な主張には同調しつつ,言語の最も重要な機能は,ある目的・効果を達成することであると考えている.Stern は,言語の諸機能間の相互関係については未詳としながらも,この "effective function" に特別な地位を与えている.

The effective function must, I think, be the most important of the primary functions, for if, for instance, the words I am writing here are to have the intended effect on the readers, they must (1) symbolize certain referents, i. e., the topic which I am discussing; (2) express my views of it, and (3) communicate this to the readers; only if these three functions are filled, can speech (4) perform its effective function, which is thus founded on the others. (Stern 20--21)


 [2014-03-08-1]の記事に示した Ogden and Richards の諸機能の分類でいえば,およそ (i) が Stern の (1) に相当し,(ii), (iii) が (2) に相当し,(iv) が (3), (4) に相当するということになろう.いずれにせよ,指示対象 (referent),話し手 (addresser),聞き手 (addressee) の言語行動に関わる3者それぞれに働きかける3機能とまとめてよいだろう.関連して,「#1070. Jakobson による言語行動に不可欠な6つの構成要素」 ([2012-04-01-1]) および「#1071. Jakobson による言語の6つの機能」 ([2012-04-02-1]) の記事を参照されたい.
 3者3機能ということでいえば,Stern (21) が脚注で参照している心理学者 Karl Bühler も,上記におよそ対応する言語の3機能を唱えている.Bühler によれば,その3つとは Kundgabe "expression", Auslösung (release), Darstellung (description) である.それぞれ,Stern の "expressive", "purposive", "symbolic" 機能に相当する.
 Stern にせよ Ogden and Richards にせよ Bühler にせよ,言語とは「指示対象に相当する語を複数並べ,そこに自らの思いを託しながら相手に伝え,相手を動かす」ための道具ということになる.どんな言語分析もある種の言語観に基づいているとするならば,言語の機能をどう考えるかという問題は,すべての言語分析者にとって最重要の課題といえるだろう.
 より一般的に知られている言語の諸機能については「#1071. Jakobson による言語の6つの機能」 ([2012-04-02-1]) や「#523. 言語の機能と言語の変化」 ([2010-10-02-1]) を参照されたい.また,Jakobson への批判および言語の諸機能の分類への一般的な反論としては,「#1259. 「Jakobson による言語の6つの機能」への批判」 ([2012-10-07-1]) をどうぞ.

 ・ Stern, Gustaf. Meaning and Change of Meaning. Bloomington: Indiana UP, 1931.

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2014-03-08 Sat

#1776. Ogden and Richards による言語の5つの機能 [function_of_language][linguistics]

 言語の機能については,「#523. 言語の機能と言語の変化」 ([2010-10-02-1]) や「#1071. Jakobson による言語の6つの機能」 ([2012-04-02-1]) ほか,function_of_language で話題にした.今回は,Ogden and Richards の挙げている言語の5機能を紹介する (226--27) .

 (i) Symbolization of reference;
 (ii) The expression of attitude to listener;
 (iii) The expression of attitude to referent;
 (iv) The promotion of effects intended;
 (v) Support of reference;


 「#1259. 「Jakobson による言語の6つの機能」への批判」 ([2012-10-07-1]) や「#1326. 伝え合いの7つの要素」 ([2012-12-13-1]) でも論じたとおり,様々に提示される「言語の諸機能」は,実際には,言語表現において個別に実現されるわけではなく,不可分に融合した状態で実現されると考えられる.その点では,Ogden and Richards の5機能も,抽象化の産物にすぎない.それにしても,この5機能は,少なくとも各々が極めて端的に表現されているという意味において,ことさらに抽象度が高いように見える.これは,Ogden and Richards が「#1769. Ogden and Richards の semiotic triangle」 ([2014-03-01-1]) で示した semiotic triangle の記号論を前提にしているからだろう.
 (i) の機能は換言すれば symbolic function,(ii) と (iii) の機能は emotive function と呼んでよいだろう.(iv) はその2つの本来的な機能の働きを強める機能,(v) は,Jakobson のいうメタ言語機能に相当するものと考えられる.Ogden and Richards は,この5機能で言語の諸機能をほぼ網羅していると述べている (227) .
 なお,Ogden and Richards は,著書の別の箇所 (46fn) で,A. Ingraham, Swain School Lectures (1903), pp. 121--182 のなかで "Nine Uses of Language" として言及されているものを挙げている.これは言語の諸機能のもう1つのバージョンといってよいが,ユーモラスである.

 (i) to dissipate superfluous and obstructive nerve-force.
 (ii) for the direction of motion in others, both men and animals.
 (iii) for the communication of ideas.
 (vi) as a means of expression.
 (v) for purposes of record.
 (vi) to set matter in motion (magic).
 (vii) as an instrument of thinking.
 (viii) to give delight merely as sound.
 (ix) to provide an occupation for philologists.


 ・ Ogden, C. K. and I. A. Richards. The Meaning of Meaning. 1923. San Diego, New York, and London: Harcourt Brace Jovanovich, 1989.

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2014-03-03 Mon

#1771. 言語の本質的な機能の1つとしての phatic communion [pragmatics][function_of_language][phatic_communion]

 この2日間の記事「#1769. Ogden and Richards の semiotic triangle」 ([2014-03-01-1]) と「#1770. semiotic triangle の底辺が直接につながっているとの誤解」 ([2014-03-02-1]) で,Ogden and Richards の The Meaning of Meaning から話題を取った.同著に影響を受けた言語論として,ポーランド生まれの米国の社会人類学者 Malinowski を挙げないわけはにいかない.Malinowski は,phatic communion という用語の生みの親である.
 言語の機能の1つとしての phatic communion については,「#523. 言語の機能と言語の変化」 ([2010-10-02-1]) や「#1071. Jakobson による言語の6つの機能」 ([2012-04-02-1]) で触れた程度だが,Malinowski によれば,この機能は言語の諸機能のなかでも最も原始的,本質的なものである.一般に言語は "an instrument of thought" とみなされがちだが,むしろそれ自体が社会的な行為であるところの "a mode of action" であると,Malinowski は主張する.phatic communion は後者の代表例であり,とりわけ原始社会における言語機能の大部分を占める.西洋近代に代表される文明社会では,phatic communion は,言語の "an instrument of thought" としての機能の陰で比較的目立たなくなっているように思われるが,実際には挨拶,相づち,無駄話しなどの形態で脈々と生き続けている.
 Malinowski (315) による,phatic communion のオリジナルの定義を示そう.

   There can be no doubt that we have here a new type of linguistic use---phatic communion I am tempted to call it, actuated by the demon of terminological invention---a type of speech in which ties of union are created by a mere exchange of words. Let us look at it from the special point of view with which we are here concerned; let us ask what light it throws on the function or nature of language. Are words in Phatic Communion used primarily to convey meaning, the meaning which is symbolically theirs? Certainly not! They fulfil a social function and that is their principal aim, but they are neither the result of intellectual reflection, nor do they necessarily arouse reflection in the listener. Once again we may say that language does not function here as a means of transmission of thought.
   But can we regard it as a mode of action? And in what relation does it stand to our crucial conception of context of situation? It is obvious that the outer situation does not enter directly into the technique of speaking. But what can be considered as situation when a number of people aimlessly gossip together? It consists in just this atmosphere of sociability and in the fact of the personal communion of these people. But this is in fact achieved by exchange of words, by the specific feelings which form convivial gregariousness, by the give and take of utterances which make up ordinary gossip. The whole situation consists in what happens linguistically. Each utterance is an act serving the direct aim of binding hearer to speaker by a tie of some social sentiment or other. Once more language appears to us in this function not as an instrument of reflection but as a mode of action.


 狭い意味での phatic communion は,話者と聴者の間に,言語による通信の回路が開かれているかどうかを確認・追認するための言語使用とも言いうる.例えば,マイクテストでの「本日は晴天なり,本日は晴天なり」や,電波状況の悪い通話での「おーい,聞こえるか」も phatic communion と言えるだろう.しかし,Malinowski の念頭にある phatic communion は,内容ではなく言語使用それ自体が社会的な意味をもつケースにおける言語機能を広く指している.挨拶,相づち,無駄話しなどは,言語によって実現されるという特殊事情があるだけで,人と人との交感に資するという点では,飲み会,デート,団らん,スキンシップなどの行為と同じ目的をもっているのである.

 ・ Malinowski, Bronislaw. "The Problem of Meaning in Primitive Languages." Supplement 1. The Meaning of Meaning. C. K. Ogden and I. A. Richards. San Diego, New York, and London: Harcourt Brace Jovanovich, 1989. 296--336.

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2013-10-27 Sun

#1644. おしゃべりと沈黙の民族誌学 (2) [sociolinguistics][function_of_language][ethnography_of_speaking]

 「#1632. communicative competence」 ([2013-10-15-1]) と「#1633. おしゃべりと沈黙の民族誌学」 ([2013-10-16-1]) で,ethnography of speaking という分野に触れた.言語学,社会学,文化人類学の接点にある学問領域で,研究者が様々な言語文化に入り込んでおこなうフィールドワークからの報告と記述が主たる成果となっている.先の記事で,異なる ethnography of speaking をもつ言語社会の例をいくつか紹介したが,今回はこの分野に携わるフィールドワーカーや研究者からの生の報告を聞いてみよう.先の記事で触れたものも多い.いずれも,Hudson より孫引きする.まずは,南インドの Puliya の寡黙について.

Peter Gardener (1966) did some fieldwork . . . in southern India, among a tribal people called the Puliya, describing their socialization patterns. There is no agriculture and no industry, and the society is neither particularly cooperative nor particularly competitive; so children are led neither to be particularly interdependent nor to be aggressively competitive with each other, but simply to busy themselves with their own concerns in reasonable spatial proximity. He observed that, by the time a man was forty, he practically stopped speaking altogether. He had no reason to speak. People there, in fact, just didn't talk much and seldom seemed to find anything much to talk about, and he saw this as a consequence of the particular kind of socialization pattern. (116)


 次に,インドネシア東部の Roti のおしゃべり好きな言語社会について.

For a Rotinese the pleasure of life is talk --- not simply an idle chatter that passes time, but the more formal taking of sides in endless dispute, argument and repartee or the rivalling of one another in eloquent and balanced phrases on ceremonial occasions . . . Lack of talk is an indication of distress. Rotinese repeatedly explain that if their 'hearts' are confused or dejected, they keep silent. Contrarily, to be involved with someone requires active verbal encounter. (117)


 饒舌なアメリカ人と寡黙なデンマーク人が出会ったときの,行き違いについて.

An . . . enthnographer (sic) describes staying with in-laws in Denmark and being joined by an American friend who, despite warnings, insisted on talking with American intensity until 'at 9 o'clock my in-laws retired to bed; they just couldn't stand it any more'. (117)


 一時にしゃべるのは1人が当然であるという常識をもっている者にとって,Antigua の言語行動は異様に映るだろう.

Antiguan conventions appear, on the surface, almost anarchic. Fundamentally, there is no regular requirement for two or more voices not to be going at the same time. The start of a new voice is not in itself a signal for the voice speaking either to stop or to institute a process which will decide who is to have the floor. When someone enters a casual group, for example, no opening is necessarily made for him; nor is there any pause or other formal signal that he is being included. No one appears to pay any attention. When he feels ready he will simply begin speaking. He may be heard, he may not. That is, the other voices may eventually stop and listen, or some of them may; eyes may or may not turn to him. If he is not heard the first time he will try again, and yet again (often with the same remark). Eventually he will be heard or give up. (117)


 同じく Antigua では,会話の中断の回数に関する慣習も他の多くの言語社会とは異なっている.

In a brief conversation with me, about three minutes, a girl called to someone on the street, made a remark to a small boy, sang a little, told a child to go to school, sang some more, told a child to go buy bread, etc., all the while continuing the thread of her conversation about her sister. (118)


 新情報をもっている者が優位に立つのは世の常だが,その情報を小出しにすることが普通となっている言語社会が,Tuvalu にある.

[G]ossips on Nukulaelae Atoll frequently withhold important pieces of information, such as the identity of a person, from their gossip narratives, thus manipulating their audiences into asking for the missing information, sometimes over the space of several turns, as information is revealed in small doses, requiring further questioning . . . .


 Madagascar では,話す内容を曖昧にして,情報を明確に伝えないという傾向がある.

[I]f A asks B 'Where is your mother?' and B responds 'She is either in the house or at the market', B's utterance is not usually taken to imply that B is unable to provide more specific information needed by the hearer. The implicature is not made, because the expectation that speakers will satisfy informational needs is not a basic norm.


 最後の2例では,言語の基本的な機能と一般に考えられている「情報を交換する媒体」としての役割が果たされてない.その機能よりも,社会的な慣習のほうが強いということだろう.
 上で見てきたように各言語社会には発話を司る独自の規則がある.この規則 (rule) は,破ったとしても特に罰を科されるわけではないが,慣習的に守るべき行動として広く認識されているという意味で,規範 (norm) と呼ぶのが適切だろう.この発話の諸規範を知っていることこそ,その言語(社会)の communicative competence を有していることにほかならない.上記の世界からの例は,言語社会によって様々な発話の規範があるということ,その規範が相対的なものであるということを教えてくれる.

 ・ Hudson, R. A. Sociolinguistics. 2nd ed. Cambridge: CUP, 1996.

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2013-10-15 Tue

#1632. communicative competence [sociolinguistics][function_of_language][ethnography_of_speaking]

 母語であれ第2言語であれ,話者が適切な言語活動をおこなうには,文法,音韻論,語彙を知っているだけでは不十分である.例えば,正確な文法知識をもっていたとしても,どのようなタイミングで話してよいのか,いつ沈黙すべきか,いつどのような挨拶をすべきか,どの程度形式張ったスタイルを用いるべきか,どの程度直接的に言ってよいのかなど,実践的な言語運用に関する知識をもっていないと,コミュニケーションを円滑に進めることはできない.この広い意味での言語運用にかかわる知識や能力は,アメリカの人類言語学者 Dell Hymes によって,"communicative competence" と名付けられている.これは,文法,音韻,語彙などの言語学的な知識や能力を指す Chomsky の用語 "linguistic competence" を意識した用語だろう.とりわけ第2言語を学ぶにあたっては linguistic competence に特別な注意を払いがちだが,communicative competence の重要性にも気づいておく必要がある.Gumperz、J. J. ("Sociolinguistics and Communication in Small Groups." Sociolinguistics: Selected Readings. J. B. Pride and J. Holmes. Harmondsworth, England: Penguin Books, 1972. p. 205.) は次のように言っている.

'Whereas linguistic competence covers the speaker's ability to produce grammatically correct sentences, communicative competence describes his ability to select, from the totality of grammatically correct expressions available to him, forms which appropriately reflect the social norms governing behavior in specific encounters.' (Wardhaugh 264)


 では,communicative competence は具体的にはどのような能力を含むのだろうか.Saville-Troike, M. ("The Ethnography of Communication." Sociolinguistics and language Teaching. Ed. S. L. McKay and N. H. Hornberger. Cambridge: CUP, 1996. p. 363) が何項目かを列挙している.

Communicative competence extends to both knowledge and expectation of who may or may not speak in certain settings, when to speak and when to remain silent, whom one may speak to, how one may talk to persons of different statuses and roles, what nonverbal behaviors are appropriate in various contexts, what the routines for turn-taking are in conversation, how to ask for and give information, how to request, how to offer or decline assistance or cooperation, how to give commands, how to enforce discipline, and the like --- in short, everything involving the use of language and other communicative dimensions in particular social settings. (Wardhaugh 264--65)


 結局のところ,communicative competence を構成する諸能力は何かという問題は,言語で何ができるのか,言語の機能は何かという問題とも関わってくる.言語の機能については,「#523. 言語の機能と言語の変化」 ([2010-10-02-1]) や「#1071. Jakobson による言語の6つの機能」 ([2012-04-02-1]) を参照.
 言語や文化により,話者に求められる communicative competence は大きく異なる.これらを民族誌学的に一つ一つ記述し比較すれば,世界の communicative competence の類型のようなものが得られるだろう.これを目指す分野が,社会言語学の1分野である ethnography of speaking である.

 ・ Wardhaugh, Ronald. An Introduction to Sociolinguistics. 6th ed. Malden: Blackwell, 2010.
 ・ Trudgill, Peter. A Glossary of Sociolinguistics. Oxford: Oxford University Press, 2003.

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2013-08-03 Sat

#1559. 出会いと別れの挨拶 [function_of_language][politeness][face][phatic_communion]

 言語の重要な機能の1つに,phatic communion (交感的言語使用)がある.情報交換というよりは,相手との関係を構築・維持するための発話で,「波長合わせ」と考えるとわかりやすい.挨拶がその典型であり,用いられる言語形式はたいてい儀式的だが,儀式的というよりは儀式そのものと考えるほうが適切かもしれない.では,なぜ挨拶という儀式は必要なのだろうか.例えば,出会いと別れの挨拶は日常において,任意というよりは必須である.なぜ人々は儀式を演じる必要があるのだろうか.
 多くの通常のコミュニケーションでは,まず出会いの挨拶が交わされ,コミュニケーションの本体が続き,別れの挨拶が交わされて終了する.普通,出会いと別れの挨拶はこの順序でセットとして理解されているが,発想を転換して,まず別れの挨拶が交わされ,コミュニケーションの不在が続き,出会いの挨拶が交わされる,と考えてみよう.妙な順序のように思われるが,ここでおもしろい洞察が得られる.コミュニケーションの不在が短いと予想されるとき,例えば明日にも再会するはずの相手との別れの場面では,「じゃあね」「バイバイ」と軽く済ませることが多いが,長い間会うことはないだろうと予想されるとき,例えば海外赴任で向こう3年間会えないかもしれないという場面では,軽く済ませずに,言葉を尽くして別れの挨拶が述べられる.言葉で述べるだけでなく,はなむけの品を用意したり,お別れ会を設定するなどの労を取ることすらある.永遠の別れ(死別)に至っては,残された者は,言語においても行為においても,葬儀という儀式の限りを尽くすのである.
 一般に,次に続く不在期間の長さに比例して,別れの挨拶や儀式の長さが増す.同様に,ある期間をおいて次に再会するとき,その不在期間の長さに比例して,出会いの挨拶や儀式の長さが増すということも,誰しも経験から知っている.face-work を理論化した Goffman は,次のように述べている.

Greetings provide a way of showing that a relationship is still what it was at the termination of the previous coparticipation, and, typically, that this relationship involves sufficient suppression of hostility for the participants temporarily to drop their guards and talk. Farewells sum up the effect of the encounter upon the relationship and show what the participants may expect of one another when they next meet. The enthusiasm of greetings compensates for the weakening of the relationship caused by the absence just terminated, while the enthusiasm of farewells compensates the relationship for the harm that is about to be done to it by separation. (229)


 長い不在期間中に,相手との間にそれまで構築してきた社会的関係の強さが逓減してゆくことは避けられない.その見込まれる減少分を先に埋め合わせておこうとするのが別れの儀式であり,実際の減少分を後から補おうとするのが再会の儀式なのではないか.言葉による挨拶は,別れと出会いに際する種々の儀式の一部をなす.このような現象は,言語のもつ情報交換以外の役割,すなわち社会的関係を構築・維持する役割を再確認させてくれる点で,広くいえば社会言語学に属する話題といってよいだろう.狭くいえば,言語の社会心理学という分野の話題である.

 ・ Goffman, Erving. "On Face-Work: An Analysis of Ritual Elements in Social Interaction." Psychiatry 18 (1955): 213--31.

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2013-06-26 Wed

#1521. 媒介言語と群生言語 [function_of_language][sociolinguistics][elf][lingua_franca]

 言語の機能について「#523. 言語の機能と言語の変化」 ([2010-10-02-1]) や「#1071. Jakobson による言語の6つの機能」 ([2012-04-02-1]) の記事を始め,function_of_language の各記事で議論してきた.言語の機能を箇条書きでいくつか挙げることはできるが,社会的機能という観点から2種類に大別すれば mutual intelligibility と identity marking (acts of identity) ということになるだろう.「#426. 英語変種のピラミッドモデル」 ([2010-06-27-1]) や「#1360. 21世紀,多様性の許容は英語をバラバラにするか?」 ([2013-01-16-1]) でも取り上げた一対の概念である.
 mutual intelligibility とは,ある集団内,あるいは異なる集団間でのコミュニケーションを可能にするという言語の機能である.これは,一般に,言語の最たる機能と考えられている.ところが,実際には identity marking の機能も思いのほか強力である.社会言語学では常識となっているが,言語は話者が自らの社会的所属を示すための手段である.話者は,言語活動を通じて,ある民族,文化,宗教,階級,職業,性別などに属していることを,ときに意識的に,普通は無意識的に標示する.mutual intelligibility と identity marking の働く力はしばしば反対向きであり,前者は自他を融和する力として,後者は自他を区別する力として作用している.言語には,相互に対立する2機能が,多かれ少なかれバランスをとりながら,内在しているのである.
 カルヴェの著書に付された解説「ルイ=ジャン・カルヴェは多言語主義者か?」のなかで,三浦信孝教授(中央大学文学部)は,上記の2つの機能について,以下のように紹介している.

カルヴェはあらゆる言語には二つの機能があると言う。一つは、コミュニケーションをできるだけ少数の成員間に限り共同体の結束を固めようとと〔ママ〕する言語の群生 (grégaire) 機能であり、もう一つは、逆にコミュニケーションを最大多数に広げようとする言語の媒介 (vehiculaire) 機能である。外に対して閉ざされた隠語や職業上のジャルゴンが群生言語の例であり、異言語間で最低限の意志疎通をはかるために生まれたピジンや、非ネイティヴ間で使われる単純な英語が媒介言語の代表である。媒介言語の一つにすぎない英語が「世界語」として人々の意識に実体化されるとき、英語はグローバル化のイデオロギーとして制度化される。しかし英語が世界語になれば、英語の母語話者たちの間に非ネイティヴ話者を排除して英語を群生言語化しようとする欲求が高まり、地域や階級による英語の差別化と多様化が進むだろう。いずれにせよ、言語のアイデンティティ機能とコミュニケーション機能と言い換えられる群生機能と媒介機能は、カルヴェが『言語戦争と言語政策』(一九八七)で分析の基礎に据えた一対の鍵概念である。 (157)


 言語には媒介機能と群生機能の両方があることを前提とすると,媒介言語とは媒介機能が群生機能よりも過重となった言語を,群生言語とは群生機能が媒介機能よりも過重となった言語をそれぞれ指すと理解してよいだろう.リンガフランカとしての英語 (ELF) が媒介機能を極度に発達させた反作用として,今度は英語ネイティヴ集団(そして英語非ネイティヴ集団も)が群生機能を強化しているという洞察は,現在と未来の英語の多様化を考察する上で重要な視点である.

 ・ ルイ=ジャン・カルヴェ(著),西山 教行(訳) 『言語政策とは何か』 白水社,2000年.

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2013-06-20 Thu

#1515. 言語は信号の信号である [linguistics][function_of_language][origin_of_language][evolution][neurolinguistics]

 ポール・ショシャールによる『言語と思考』を読んだ.題名から「#1484. Sapir-Whorf hypothesis」 ([2013-05-20-1]) を考察するヒントになる著書だろうと思って手に取ってみたのだが,むしろ動物のコミュニケーションと人間の言語とを比較し,その本質的な差異について論じた本だった.人間の脳の進化の過程や言語の起源という観点から,言語のもつ性質と特殊性をあぶり出すという内容だ.
 いくつかのポイントがあるが,(1) 人間の言語のみが高度な思考と反省を可能ならしめる内言語として機能しうること,(2) 人間の言語は文化によって継承されてゆくという新種の「遺伝」の形態であること,(3) 人間の言語に特有の生理学はなく,それは動物にも存在する大脳皮質の構造と機能の延長にすぎないこと,(4) 人間の言語は信号の信号,つまり第二信号体系をなし,本質的に抽象的・普遍的な思考方式を可能とすること,が指摘される.以下に,それぞれについて重要な箇所から引用しよう.

言語は外言語であると同時に内言語でもあるので、外言語としてはコミュニケイションの役をはたし、内言語としては思考と反省意識を確保する。 (11)


テイヤール・ド・シャルダンがいみじくも言う。「人間が現われてから、新しい型の遺伝が現われ、それが優勢となる。それはすでに、人間以前に、昆虫や脊椎動物の中の進歩した型にできていたものだ。それは、いわば手本と教育の遺伝である……それまではもっぱら染色体の遺伝であったものが、《精神圏》(ノースフェール)の遺伝となったのである。この《遊星化》された世界では進化が速く、全社会が融合し、階級が消滅し、同じ文化が全人類のものとなる運命をもっこの文化は、教育による知識に基礎をおいているので、生物が生まれながらもっている本能の反射とは異なって、もろくも消え去る。蜜蜂のような人間が何人かで蜂の巣を再建し、《気違いじみた人間》が生き残ったところで、人間文明を支えつづけてゆくことはできそうもない。」 (15--16)


人間の知識は、世の中のさまざまな物品を、口で話す信号で表わすことを発明した。この信号のコードは、元来随意運動の産物であり、脳の機能のひとつの相となったので、思考のためには大へん便利なことになった。この新しい革命は、人間が世界最大の脳を有する結果で、そのために、大脳皮質の構造と機能は少しも変化をおこさないのである。言語には、それに固有の生理学はない。言語の諸中枢は、すでに動物に存在した行為と認識の中枢の分化したものである。 (66)


パヴロフとその弟子たちは、言語を「第二信号体系」とし、その固有の性格と、それと第一信号体系との関係とを考察した。第一信号体系とは、言葉によらぬ信号の体系で、動物にのみ存在し、人間の心理学にきわめて興味ある示唆を与える。パヴロフは一九二四年からつぎのように書いた。「人間にとっては、言葉は明らかに条件づけられた刺激であって、動物に共通なすべてのそうした刺激と同じく真実である。しかしそのほかに、語には外延があり、多数の対象を包含する。この点では、語は、動物の条件づけられた刺激とは、量的にも質的にも、まったく比較ができない。」そして一九三二年にはこう言った。「外界に関するわれわれの知覚と表象とは、実在の第一信号、すなわち具象信号であるが、言葉と、とくに発音器官から皮質にゆく運動興奮(筋覚)は第二信号、すなわち信号の信号である。この第二信号は実在の抽象化であり、普遍化の傾向をもち、これこそまさに人間特有の高次の補助的思考方式をなすものである。」 (69)


第二体系は人間では第一体系より優勢な役を果たすが、後から作られたものであるから、こわれやすく、疲労や中毒や眠けのさす状態では、先に消える。すなわち睡眠による制止作用は大に体系のほうに強くはたらくので、第一体系が一時的に優勢となる。これが夢の特徴であり、ヒステリーでも同じ過程がおこる。 (72)


 なお,人間の言語の性質と特殊性については,本ブログでも次のような記事で触れてきたのでご参照を.「#160. Ardi はまだ言語を話さないけれど」 ([2009-10-04-1]),「#519. 言語の起源と進化を探る研究分野」 ([2010-09-28-1]) ,「#544. ヒトの発音器官の進化と前適応理論」 ([2010-10-23-1]),「#766. 言語の線状性」 ([2011-06-02-1]),「#767. 言語の二重分節」 ([2011-06-03-1]),「#1063. 人間の言語はなぜ音声に依存しているのか (1)」 ([2012-03-25-1]),「#1070. Jakobson による言語行動に不可欠な6つの構成要素」 ([2012-04-01-1]),「#1090. 言語の余剰性」 ([2012-04-21-1]),「#1281. 口笛言語」 ([2012-10-29-1]),「#1327. ヒトの言語に共通する7つの性質」 ([2012-12-14-1]).

 ・ ポール・ショシャール 著,吉倉 範光 訳 『言語と思考 改訂新版』 白水社〈文庫クセジュ〉,1972年.

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2013-05-18 Sat

#1482. なぜ go の過去形が went になるか (2) [preterite][verb][suppletion][accommodation_theory][functionalism][function_of_language][sobokunagimon]

 先日,「#43. なぜ go の過去形が went になるか」 ([2009-06-10-1]) に関して質問が寄せられた.そこで,改めてこの問題について考えてみる.gowent の関係にとどまらず,より広く,言語にはつきものの不規則形がなぜ存在するのかという大きな問題に関する考察である.
 なぜ go の過去形が went となったのかという問題と,なぜいまだに went のままであり *goed となる兆しがないのかという問題とは別の問題である.前者についてはおいておくとして,後者について考えてみよう.英語を母語として習得する子供は,習得段階に応じて went -> *goed -> went という経路を通過するという.形態規則に則った *goed の段階を一度は経るにもかかわらず,例外なく最終的には went に落ち着くというのが興味深い.なぜ,理解にも産出にもやさしいはずの *goed を犠牲にして,went を採用するに至るのか.言語の機能主義 (functionalism) という観点で迫るかぎり,この謎は解けない.
 went という不規則形(とりわけ不規則性の度合いの強い補充形)が根強く定着している要因として,しばしばこの語彙素の極端な頻度の高さが指摘される.頻度の高い語の屈折形は,形態規則を経ずに,直接その形態へアクセスするほうが合理的であるとされる.be 動詞の屈折形の異常な不規則性なども,これによって説明されるだろう.
 「高頻度語の妙な振る舞い」は,確かに1つの説明原理ではあろう.しかし,社会言語学の観点から,別の興味深い説明原理が提起されている.社会言語学の原理の1つに,話者は所属する共同体へ言語的な恭順 (conformity) を示すというものがある.社会言語学の概説書を著わした Hudson (12) は,この conformity について触れた後で,次のように述べている.

Perhaps the show-piece for the triumph of conformity over efficient communication is the area of irregular morphology, where the existence of irregular verbs or nouns in a language like English has no pay-off from the point of view of communication (it makes life easier for neither the speaker nor the hearer, nor even for the language learner). The only explanation for the continued existence of such irregularities must be the need for each of us to be seen to be conforming to the same rules, in detail, as those we take as models. As is well known, children tend to use regular forms (such as goed for went), but later abandon these forms simply in order to conform with older people.


 また,Hudson (233--34) は別の箇所でも,人には話し方を相手に合わせようとする意識が働いているとする言語の accommodation theory に言及しながら,次のように述べている.

The ideas behind accommodation theory are important for theory because they contradict a theoretical claim which is widely held among linguists, called 'functionalism'. This is the idea that the structure of language can be explained by the communicative functions that it has to perform --- the conveying of information in the most efficient way possible. Structural gaps like the lack of I aren't and irregular morphology such as went are completely dysfunctional, and should have been eliminated by functional pressures if functionalism was right.


 "conformity", "accommodation theory" と異なる術語を用いているが,2つの引用はともに,言語のコード最適化の機能よりも,その社会的な収束的機能に注目して,不規則な形態の存続を説明づけようとしている.この説明は,go の過去形が went である理由に直接に迫るわけではないが,言語の機能という観点から1つの洞察を与えるものではあろう.

 ・ Hudson, R. A. Sociolinguistics. 2nd ed. Cambridge: CUP, 1996.

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2013-01-16 Wed

#1360. 21世紀,多様性の許容は英語をバラバラにするか? [elf][variety][sociolinguistics][prescriptive_grammar][netspeak][writing][function_of_language]

 現在,世界の英語をとりまく環境には,ELF (English as a Lingua Franca) としての機能,すなわち mutual intelligibility を目指す求心力と,話者集団の独自性をアピールする機能,すなわち cultural (national, ethnic, etc.) identity を求めて諸変種が枝分かれしてゆく遠心力とが複雑に作用している.今後,相反する2つの力がどのように折り合いをつけてゆくのかという問題は,英語の未来を占う上で大きなテーマである.この問題は,拙著『英語史で解きほぐす英語の誤解 --- 納得して英語を学ぶために』第10章第4節「遠心力と求心力」 でも論じている.
 英語が諸変種へ分岐して散逸してゆくかもしれないというシナリオが提起される背景には,いくつかの考察や観察がある.例えば,かつての lingua franca たるラテン語がたどった諸変種への分岐という歴史的事実や,世界中に英語の諸変種が続々と誕生し,自らの市民権を主張し始めているという現状が挙げられるだろう.遠心力を加速させている可能性のあるもう1つの要因としては,言語的規範意識の弱まりがある.規範意識は求心力として作用するので,それが弱まっているとすれば,相対的に遠心力が増加するのは自然の理である.これは,多様性が許容される社会の風潮とも結びついているだろう.
 Schmitt and Marsden (208--11) は,遠心力を助長している要因として,3点を挙げている.

 (1) 言語の標準化を推進するための印刷文化,書き言葉文化の弱体化.電子技術の発展により,従来,求心力として作用してきた注意深く校正された文章よりも,速度と利便性を重視する電子メールなどにおける省略された文章が,存在感を増してきている([2011-07-14-1]の記事「#808. smileys or emoticons」を参照).この傾向は,電子媒体の英語から宣伝の英語などへも拡大しており,学生の提出するレポートの英語などへも入り込んできている.
 (2) 放送英語の "localizing" 傾向.かつて,BBC をはじめとする放送は標準英語を広める役割を担ってきたが,最近の放送は,むしろそれぞれの地域色を出す方向へと舵を切ってきている.例えば,CNN はスペイン語版の CNNenEnpañol を立ち上げている.
 (3) 英語教育がターゲットとする変種の多様化.従来は,世界の英語教育のターゲットは,英米変種を代表とする ENL 変種しかなかった.しかし,近年では,他の変種も英語教育のターゲットとなりうる動きが出てきている([2009-10-07-1]の記事「#163. インドの英語のっとり構想!?」を参照).

 (1) と (2) について,当初は英語の求心力を引き出す方向で作用すると期待されたメディアや技術革新が,むしろ多様性を助長する方向で作用するようになってきているというのが,皮肉である.[2009-10-08-1]の記事で取り上げた「#164. インターネットの非英語化」も,同じ潮流に属するだろう.
 21世紀の多様性を許容する風潮は,英語をバラバラにしてゆくのだろうか.

This diversification may be more acceptable to societies now than before, as there appears to be a general movement away from conformity and toward a greater tolerance of diversity. Whereas in former times there might have been an outcry against incorrect written English, nowadays people seem increasingly comfortable with the idea that different types of English might be suitable for different purposes and media. These trends may exert pressure toward more diversification of English rather than standardisation. (Schmitt and Marsden 210)


 ・ Schmitt, Norbert, and Richard Marsden. Why Is English Like That? Ann Arbor, Mich.: U of Michigan P, 2006.

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2012-12-13 Thu

#1326. 伝え合いの7つの要素 [communication][linguistics][function_of_language][paralinguistics]

 多才な言語学者・人類学者,西江雅之先生による「ことば」論を読んだ.西江先生の講義は学生時代に受けたことがあり,久しぶりに西江節を心地よく読むことができた.
 著者は,コミュニケーションのことを「伝え合い」と呼んでおり,そこにことばが占める割合は驚くほど小さいと述べる.続けて,生の伝え合いにおいては7つの要素があり,人はそれらの7つの要素を同時に使い分けているのだと主張する.その7つの要素とは,以下の通り (116) .

 (1) 「ことば」
 (2) 当人たちの身体や性格面での「人物特徴」
 (3) 顔の表情の変化や視線の動きを含む「体の動き」
 (4) 伝え合いをしている人物がいる周辺環境としての「場」
 (5) 直接的な接触によるものや顔色の変化などに見られる「生理的反応」
 (6) お互いの距離,当人たちが占めているスペース,そのときの時刻,伝え合いの内容を表現するためにかかる時間などの「空間と時間」
 (7) 当人たちの社会生活上の地位や立場といった「人物の社会的背景」

 7つの要素を挙げた後,著者は,これらは「互いに溶け合っている」のであり,「その要素の中の一つだけを独立させて伝え合いを行なうことはあり得ない」のだと強調する.そして,これがなかなかわかってもらえないのだと嘆きすらする.

重要なことは、この「七つの要素」は溶け合っているということ。その中の一要素だけを取り出して伝え合いをすることは、決してできないということです。この説は、この四〇年余りわたしが言い続けてきたことなのですが、みんなが一番わからないところらしい。ことばの専門家ではない人は比較的簡単に納得してくれるのですが、言語や哲学の専門家となると、まったくと言っていいほど関心を示してくれません。それほど、ある種の人びとの頭の中は、言語が圧倒的な位置を占めているんですね。 (118)


 この説について考えているときに,「#1259. 「Jakobson による言語の6つの機能」への批判」 ([2012-10-07-1]) で引用したムーナンの議論を思い出した.Jakobson の言語の6機能と西江の伝え合いの7要素とは互いに性格が異なるので直接比較できないが,いずれも説明上いくつかの因子へと分解してみせるものの,実際にはすべてが融和しており,分解は不可能なのではないか,ということだった.
 (1) が主流派の言語学で扱う対象だとすれば,(2) 以下の要素は,最近になって発展してきた語用論 (pragmatics) ,社会言語学 (sociolinguistics),パラ言語学 (paralinguistics) などの領域に属することになる.
 西江先生は,私が学生だった頃より,このような「傍流」の要素の重要性を主張してきたのかと,今さらながらに気づいた.だが,これらの分野は今や傍流ではなくなってきている.西江先生の炯眼に敬意を表したい.

 ・ 西江 雅之 『新「ことば」の課外授業』 白水社,2012年.
 ・ ジョルジュ・ムーナン著,佐藤 信夫訳 『二十世紀の言語学』 白水社,2001年.

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