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renaissance - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-10-09 10:38

2024-04-28 Sun

#5480. 2022年の日本歴史言語学会のシンポジウム「日中英独仏・対照言語史ー語彙の近代化をめぐってー」の概要が公開されました [notice][jshl][symposium][historical_linguistics][lexicology][standardisation][emode][japanese][contrastive_language_history][german][french][chinese][latin][greek][renaissance]

 1年半ほど前のことになりますが,2022年12月10日に日本歴史言語学会にてシンポジウム「日中英独仏・対照言語史ー語彙の近代化をめぐって」が開かれました(こちらのプログラムを参照).学習院大学でのハイブリッド開催でした.同年に出版された,高田 博行・田中 牧郎・堀田 隆一(編著)『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』(大修館,2022年)が J-STAGE 上で公開されました.PDF形式で自由にダウンロードできますので,ぜひお読みいただければと思います.セクションごとに分かれていますので,以下にタイトルとともに抄録へのリンクを張っておきます.

 ・ 趣旨説明 「日中英独仏・対照言語史 --- 語彙の近代化をめぐって」(高田博行,学習院大学)
 ・ 講演1 「日本語語彙の近代化における外来要素の受容と調整」(田中牧郎,明治大学)
 ・ 講演2 「中国語の語彙近代化の生態言語学的考察 --- 新語の群生と「適者生存」のメカニズム」(彭国躍,神奈川大学)
 ・ 講演3 「初期近代英語における語彙借用 --- 日英対照言語史的視点から」(堀田隆一,慶應義塾大学)
 ・ 講演4 「ドイツ語の語彙拡充の歴史 --- 造語言語としてのアイデンティティー ---」(高田博行,学習院大学)
 ・ 講演5 「アカデミーフランセーズの辞書によるフランス語の標準化と語彙の近代化 ---フランス語の標準化への歩み」(西山教行,京都大学)
 ・ ディスカッション 「まとめと議論」

 講演3を担当した私の抄録は次の通りです.
 

初期近代英語期(1500--1700年)は英国ルネサンスの時代を含み,同時代特有の 古典語への傾倒に伴い,ラテン語やギリシア語からの借用語が大量に英語に流れ込んだ.一方,同時代の近隣ヴァナキュラー言語であるフランス語,イタリア語,スペイン語,ポルトガル語などからの語彙の借用も盛んだった.これらの借用語は,元言語から直接英語に入ってきたものもあれば,他言語,典型的にはフランス語を窓口として,間接的に英語に入ってきたものも多い.さらには,借用要素を自前で組み合わせて造語することもしばしば行なわれた.つまり,初期近代英語における語彙の近代化・拡充は,様々な経路・方法を通じて複合的に実現されてきたのである.このような初期近代英語期の語彙事情は,実のところ,いくつかの点において明治期の日本語の語彙事情と類似している.本論では,英語と日本語について対照言語史的な視点を取りつつ,語彙の近代化の方法と帰結について議論する.


 先に触れた編著書『言語の標準化を考える』で初めて対照言語史 (contrastive_language_history) というアプローチを導入しましたが,今回の論考はそのアプローチによる新たな挑戦として理解していただければと思います.

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 ・ 高田 博行・田中 牧郎・彭 国躍・堀田 隆一・西山 教行 「日中英独仏・対照言語史ー語彙の近代化をめぐってー」『歴史言語学』第12号(日本歴史言語学会編),2024年.89--182頁.
 ・ 高田 博行・田中 牧郎・堀田 隆一(編著)『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』 大修館,2022年.

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2024-01-11 Thu

#5372. 「標準語」は近代ヨーロッパの発明品である [standardisation][sociolinguistics][prestige][history_of_linguistics][vernacular][renaissance][romanticism][gengo_no_hyojunka]

 昨日の記事「#5371. 言語学史のハンドブックの目次」 ([2024-01-10-1]) で紹介した The Oxford Handbook of the History of Linguistics の第15章 "Vernaculars and the Idea of a Standard Language" を開いてみた.私の研究テーマの1つに(主に近代における)英語の標準化 (standardisation) があり,本ブログでも様々に論じてきたが,言語の標準化や標準語について,こちらのハンドブックではどのような扱いがなされているかを確かめたかった.
 冒頭の1段落だけですでにおもしろい.「標準語」という概念は近代ヨーロッパの発明品であり,現代ヨーロッパでは常に注目され続けてきた論題であるという.

   The greatest and most important phenomenon of the evolution of language in historic times has been the springing up of the great national common languages---Greek, French, English, German, etc.---the 'standard' languages.

So wrote Otto Jespersen . . . , and the idea of a standard language has undoubtedly been one of the most seductive in the history of European linguistic thought. It has resulted in some of the most heated of debates on language matters, drawing in both academic and non-academic actors, and ranging from the learned Questione della Lingua in Italy around the turn of the sixteenth century . . . to nineteenth-century debates on how best to standardise a newly independent Norwegian . . . , to the ongoing and often passionate discussions in homes and in bars throughout the modern world about 'right' and 'wrong' usage. The notion of a standard language has underpinned language teaching and learning since the Middle Ages, based as language teaching is on the acceptance that there is a right form of a language and a wrong form. The belief in a standard has motivated much of the grammar and dictionary writing, and has also been a central ideology in the emergence and reinforcement of the modern European nations. In the period following the Renaissance, national pride was expressed through the notion that the European vernaculars were as rich and as ordered as the Classical languages. Under the influence of Romanticism this idea of the richness of the 'national common languages' was increasingly linked to a sense of there being some sort of natural relationship between a people and their language, and indeed the perceived link between language and nation, for better or for worse, remains a strong one . . . . (359--60)


 英語史における近代の標準化については「#4093. 標準英語の始まりはルネサンス期」 ([2020-07-11-1]) を参照.諸言語の標準化については,私も編著者として関与した『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』(大修館,2022年)を手に取っていただければ (本書についての関連記事は gengo_no_hyojunka より) .

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 ・ Linn, Andrew. "Vernaculars and the Idea of a Standard Language." Chapter 15 of The Oxford Handbook of the History of Linguistics. Ed. Keith Allan. Oxford: OUP, 2013. 359--74.
 ・ 高田 博行・田中 牧郎・堀田 隆一(編著)『言語の標準化を考える 日中英独仏「対照言語史」の試み』 大修館,2022年.

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2023-11-23 Thu

#5323. Shakespeare 時代の主な劇団 --- 井出新(著)『シェイクスピア それが問題だ!』(大修館,2023年)より [shakespeare][drama][emode][renaissance]

 「#5316. Shakespeare の作品一覧(執筆年代順) --- 井出新(著)『シェイクスピア それが問題だ!』(大修館,2023年)より」 ([2023-11-16-1]) の表中に [A] Pembroke's Men [B] Strange's Men [C] Derby's Men [D] Chamberlain's Men [E] King's Men などのラベルがみえる.これは当該の作品と結びつけられている劇団の名前である.井出 (66--67) の「シェイクスピア時代の主な劇団(( )内は活動時期)と題するコラムがあるので,備忘録としてこちらにも記載しておきたい.こうしてみると劇団にも盛衰があるのだなあ.



■レスター伯一座 (Earl of Leicester's Men, 1559--88)
 パトロンはロバート・ダドリー.伯爵に叙せられる1564年以前は「ダドリー一座として活動.地方巡業を多く行った.1570年代前半にジェイムズ・バーベッジ(リチャードの父)が所属.

■ウスター伯一座 (Earl of Worcester's Men, 1562--1603)
 パトロンはウィリアム・サマーセットと息子エドワード.海外巡業を得意としたロバート・ブラウンや宮内大臣一座を脱退したウィリアム・ケンプが所属した.地方巡業を多く行なったが,1602年にボアズ・ヘッド館を拠点化し,宮内大臣一座や海軍大臣一座に次ぐ劇団となった.ジェイムズ一世即位後はアン王妃の庇護を受け,「アン王女一座」として1619年まで活動した.

■ストレインジ卿一座 (Lord Strange's Men, 1564--94)
 パトロンはヘンリー・スタンリーと息子ファーディナンド.ジョン・ヘミングズやケンプが宮内大臣一座に加入する前に所属.1590年代はシアター座,ローズ座などを使用.1594年ファーディナンドの死去により団員はいくつかの劇団に離散,残留組は彼の弟ウィリアムの庇護下でダービー伯一座として活動した.

■王室礼拝堂少年劇団 (Children of the Chapel Royal, 1575--90, 1600--03)
 1576年にリチャード・ファラント座長のもと,御前公演のリハーサルという建前で一般向け上演を開始.1600年以降はブラックフライアーズ座を拠点にベン・ジョンソンらの諷刺喜劇を上演して成人劇団を凌ぐ人気を得た.ジェイムズ即位後は(王妃)祝典少年劇団 (1603--13) として活動したが,1609年に拠点をホワイトフライアーズ座へと移してからは勢いが衰えた.

■聖ポール少年劇団 (Children of St Paul's, 1575--82, 1586--90, 1599--1606)
 聖ポール大聖堂の聖歌隊を母体にして商業演劇に乗り出し,境内に建設された屋内劇場を拠点に活動.1600年代はジョン・マーストンやトマス・ミドルトンらによる諷刺喜劇で人気を博した.

■海軍大臣一座 (Lord Admiral's Men, 1576--1603)
 パトロンはチャールズ・ハワード.海軍大臣に任じられる1585年までは「ハワーズ一座」として活動.1580年代後半に加入した名優エドワード・アレンの活躍によりロンドン二大劇団の一つとなった.興行師フィリップ・ヘンズロウの経営するローズ座とフォーチュン座を本拠地に活動した.→ヘンリー王子一座

■女王一座 (Queen's Men, 1583--94)
 パトロンはエリザベス一世.枢密院の肝いりでリチャード・タールトンなど有名俳優をいろいろな劇団から引き抜いて結成された.1588年にタールトンが死去してからは次第に人気が凋落.地方巡業が多く,ロンドンではシアター座やカーテン座などを使用.

■ペンブルック伯一座 (Earl of Pembroke's Men, 1591--1601)
 パトロンはヘンリー・ハーバート.宮内大臣一座に加入する以前シェイクスピアが一座に所属していたと推測する学者も多い.興行主フランシス・ラングリーの経営するスワン座が本拠地.

■宮内大臣一座 (Lord Chamberlain's Men, 1594--1603)
 パトロンはヘンリー・ケアリと息子のジョージ.1594年にシェイクスピアやリチャード・バーベッジらを加えて新結成.幹部が共同経営するシアター座,グローブ座が本拠地.→国王一座

■国王一座 (King's Men, 1603--42)
 パトロンはジェイムズ一世とチャールズ一世.ジェイムズは即位後の5月19日,宮内大臣一座の劇団員を庇護下に置き,彼らに特権的地位を与えた.本拠地はグローブ座,1609年以降は少年劇団が使用していたブラックフライアーズ座も拠点化した.

■ヘンリー王子一座 (1603--12)
 前身は海軍大臣一座.ジェイムズ一世の即位後,ヘンリー王子の庇護を得た.王子が1612年にチフスで死去した後は王女エリザベスの夫フリードリヒ五世をパトロンとして1624年まで活動するが,本拠地フォーチュン座消失(1621年)後は勢いが衰えた.





井出 新 『シェイクスピア それが問題だ!』 大修館,2023年.



 ・ 井出 新 『シェイクスピア それが問題だ!』 大修館,2023年.

Referrer (Inside): [2023-12-27-1]

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2023-02-20 Mon

#5047. 「大航海時代略年表」 --- 『図説大航海時代』より [timeline][history][age_of_discovery][me][emode][renaissance][link]

 世界史上,ひときわきらびやかに映る大航海時代 (age_of_discovery) .広い視野でみると,当然ながら英語史とも密接に関わってくる(cf. 「#4423. 講座「英語の歴史と語源」の第10回「大航海時代と活版印刷術」を終えました」 ([2021-06-06-1])).
 以下,『図説大航海時代』の巻末 (pp. 109--10) の略年表を掲載する.大航海時代の範囲についてはいくつかの考え方があるが,1415年のポルトガル軍によるセウタ占領に始まり,1648年のウェストファリア条約の締結に終わるというのが1つの見方である.しかし,下の略年表にみえるように,その前史は長い.

紀元前5世紀スキュラクス,インダス河口からスエズ湾まで航海
4世紀後半ネアルコス,インダス地方からティグリス河口まで探検
111漢の武帝,南越を併合
1世紀カンボジヤ南部に扶南国興る
60--70頃『エリュトラ海案内記』
1世紀前半「ヒッパロスの風」によるアラビア海航海がさかんになる
2世紀扶南とローマ,インドと中国の交易がおこなわれる
166大秦王安敦(マルクス・アウレリウス)の支社日南郡に至る
207南越国建国
4--5世紀東南アジアのインド化進む
399--412東晋の法顕のインド,セイロン旅行.『仏国記』を書く
7世紀前半扶南,真臘に併合される
618唐建国
639アラブ人のエジプト侵入
7世紀後半シュリーヴィジャヤ王国マラッカ海峡の交易を支配
671--95唐の仏僧義浄インド滞在.『南海寄帰内法伝』
750バグダートにアッバース朝おこる.インド洋貿易に進出
875チャンパ(占城)興る
907唐滅亡.五代十国時代に入る
960宋建国.海外貿易の隆盛
969ファーティマ朝カイロに移る.紅海を通じてのアジア貿易.以後エジプトは紅海経由のインド洋貿易を主導する
1096第1次十字軍 (--99) .イタリア港市の台頭
1127南宋興る
1147第2次十字軍 (--48)
1169エジプトにアイユーブ朝成立
1245--47プラノ・カルピーニ,教皇の命によりカラコルムに至る旅行記を著わす
1254リュブリュキ,教皇の命によりカラコルムまで旅行.旅行記を書く
1258モンゴル軍バグダート占領.アッバース朝滅亡.ただしモンゴル軍はシリア,エジプトに侵入できず
1271--95マルコ・ポロのアジア旅行と中国滞在.旅行記を口述
1291ジェノヴァのヴィヴァルディ兄弟西アフリカ航海
1293ジャヴァにマジャパヒト王国成立.モンゴル軍ジャヴァに侵攻
1312ジェノヴァのランチェローテ・マロチェーロ,カナリア諸島に航海
1349(ママ)イブン・バトゥータ,24年にわたるアフリカ,アジア旅行からタンジールに帰る
1336南インドにヴィジャヤナガル王国興る
1345マジャパヒト,全ジャヴァに勢力拡大
1351--54イブン・バトゥータ西アフリカ旅行.『三大陸周遊記』を書く
1360マンデヴィルの『東方旅行記』この頃成立
1368明建国
1372明,海禁政策をとる
1403スペインのクラビーホ,中央アジアに旅行しティムールに謁す.ラ・サルとベタンクール,カナリア諸島に航海
1405鄭和の大航海.1433年まで7回にわたる
1415ポルトガル軍セウタ占領.間もなく西アフリカ航路の探検が始まる
1434ジル・エアネス,ボジャドール岬回航
1453オスマン軍によるコンスタンティノープル攻略
1455ヴェネツィア人カダモストの西アフリカ航海
1475ヴィチェンツァでプトレマイオスの『地理学』刊行
1479スペイン,ポルトガル間にアルカソヴァス条約
1482ポルトガルの西アフリカの拠点エルミナ建設.ポルトガル人コンゴ王国と接触
1488ディアスによる喜望峰発見.大航海時代
1492コロンブス第1回航海 (--93)
1493コロンブス第2回航海
1494スペイン,ポルトガル間にトルデシリャス条約
1498ガマのインド航海.コロンブス第3回航海.南米本土に達する
1500カブラル,インドへの途次ブラジルに漂着
1501アメリゴ・ヴェスプッチ南アメリカの南緯52°まで航海
1502コロンブス第4回航海.中米沿岸航海
1505トロ会議.西回りで香料諸島探検を議決
1508ブルゴス会議で同様な趣旨の議決
1509アルメイダ,ディウ沖で,エジプト,グジャラート連合艦隊撃破
1510ポルトガル,ゴア完全占領
1511ポルトガル,マラッカ攻略
1512ポルトガル人香料諸島に到着
1513バルボア,パナマ地峡を横断して太平洋岸に達する
1519--21コルテスのメキシコ(アステカ王国)征服
1520マゼラン,地峡を発見し,太平洋を横断してフィリピンに至る
1522エルカノ以下18人,最初の世界回航をとげてセビリャ着
1527モンテホのユカタン探検
1528--33ピサロのインカ帝国征服
1529サラゴッサ条約により香料諸島のポルトガル帰属決定
1534カルティエのカナダ探検
1535アルマグロのチリ探検
1537ケサーダのムイスカ(チブチャ)征服
1538皇帝・教皇・ジェノヴァ連合艦隊プレヴェザでトルコ人に敗北
1541ゴンサーロ・ピサロのアマゾン探検.部下のオレリャーナ,河口まで航海 (1542)
1543三人のポルトガル人,種子島着
1545ボリビアのポトシ銀山発見,翌年メキシコでも大銀山発見
1553ウィロビーの北東航路探検
1565ウルダネータ,大圏航路によりフィリピンからメキシコまで航海
1567メンダーニャの太平洋航海.翌年ソロモン諸島発見
1568ジョン・ホーキンズ,サン・ファン・デ・ウルアでスペインの奇襲をうけて脱出
1570ドレイクのカリブ海スペイン基地の掠奪
1571レガスピ,マニラ市建設.キリスト教徒の海軍レパントでオスマン艦隊に勝利
1575フロビッシャー,北西航路探検の勅許を得る
1577--80ドレイク,掠奪の世界周航をおこなう
1578アルカサルーキヴィルでポルトガル軍モロッコ軍に大敗
1584--85ウォルター・ローリのヴァージニア植民計画
1586--88キャベンディシュの世界周航
1595ローリの第1次ギアナ探検.メンダーニャの太平洋探検,マルケサス諸島発見
1598ファン・ノールト,オランダ人として最初の世界周航
1599オランダ人ファン・ネック東インド航海
1600イギリス東インド会社設立.この頃ブラジルに砂糖産業が興り,アフリカ人奴隷の輸送始まる
1605キロスの航海.ニュー・ヘブリデスまで
1606キロク帰国後,あとに残されたトレス,ニュー・ギニア,オーストラリア間の海峡を発見し,マニラに向かう
1610ハドソン,アニアン海峡を求めて行方不明になる
1614メンデス・ピントの東洋旅行記『遍歴記』刊行
1615オランダ人スホーテンとル・メールの航海.ホーン岬発見
1617ローリ第2回ギアナ探検
1620メイフラワー号ニュー・イングランドに到着
1622インド副王の艦隊,モサンビケ沖でオランダ船隊の攻撃を受け壊滅
1623アンボイナ事件.オランダ人によるイギリス人,日本人の殺害.これ以後イギリス人は東インドの香料貿易から撤退し,インドに集中
1637オランダ人西アフリカのエルミナ奪取
1639マカオの対日貿易,鎖国のため不可能になる.タスマンの太平洋航海
1641オランダ人マラッカ奪取
1642--43タスマン,オーストラリアの輪郭を明らかにする
1645オランダ人セント・ヘレナ島占領
1647オランダ,アンボイナ島完全占領.カサナーテのカリフォルニア探検
1648セミョン・デジニョフ,アジア最北東端の岬(デジニョフ岬)に到達.ただしベーリング海峡の存在には気がつかなかった.ウェストファリア条約の締結による三十年戦争の終わり.オランダの独立承認される


 hellog ではこれまでも関連する年表を多く掲載してきた.大航海時代との関連で,以下のリンクを挙げておこう.

 ・ 「#2371. ポルトガル史年表」 ([2015-10-24-1])
 ・ 「#3197. 初期近代英語期の主要な出来事の年表」 ([2018-01-27-1])
 ・ 「#3478. 『図説イギリスの歴史』の年表」 ([2018-11-04-1])
 ・ 「#3479. 『図説 イギリスの王室』の年表」 ([2018-11-05-1])
 ・ 「#3487. 『物語 イギリスの歴史(上下巻)』の年表」 ([2018-11-13-1])
 ・ 「#3497. 『イギリス史10講』の年表」 ([2018-11-23-1]) を参照.

 ・ 増田 義郎 『図説大航海時代』 河出書房新社,2008年.

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2022-12-04 Sun

#4969. splendid の同根類義語のタイムライン [cognate][synonym][lexicology][inkhorn_term][emode][borrowing][loan_word][renaissance][oed][timeline]

 すでに「#3157. 華麗なる splendid の同根類義語」 ([2017-12-18-1]) で取り上げた話題ですが,一ひねり加えてみました.splendid (豪華な,華麗な;立派な;光り輝く)というラテン語の動詞 splendēre "to be bright or shining" に由来する形容詞ですが,英語史上,数々の同根類義語が生み出されてきました.先の記事で触れなかったものも含めて OED で調べた単語を列挙すると,廃語も入れて13語あります.

resplendant, resplendent, resplending, splendacious, †splendant, splendent, splendescent, splendid, †splendidious, †splendidous, splendiferous, †splendious, splendorous


 OED に記載のある初出年(および廃語の場合は最終例の年)に基づき,各語の一生をタイムラインにプロットしてみたのが以下の図です.とりわけ16--17世紀に新類義語の登場が集中しています.

splendid and its synonyms

 ほかに1796年に初出の resplendidly という副詞や1859年に初出の many-splendoured という形容詞など,合わせて考えたい語もあります.いずれにせよ英語による「節操のない」借用(あるいは造語)には驚かされますね.

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2022-06-30 Thu

#4812. vernacular が初出した1601年前後の時代背景 [oed][vernacular][emod][renaissance][contrastive_language_history][genbunicchi]

 先日,「#4809. OEDvernacular の語義を確かめる」 ([2022-06-27-1]) の記事で,英単語としての vernacular の初出が OED によれば1601年だったことを述べた.「(ラテン語ではなく)英語で書く(人)」ほどを意味する形容詞として使われている.
 その後については,OED の用例の収集方法に関わる事情があるのかもしれないが,17世紀中からの用例は意外と少ない.しかし,18世紀以降,とりわけ19世紀以降には,様々な語義や名詞としての用法が現われ,例文も増えてくる.詳しい分布については,近代英語期のコーパスなどで調べる必要がありそうだ.
 なお,OED によると,1607年には vernaculous という類義の形容詞も初出しており,17世紀中には廃語となってしまったようだが,言語を形容する語義でも用例が確認される.
 さて,vernacular が初出したのが17世紀の最初の年だったという事実は非常に興味深い.世紀の変わり目に当たるこの時代は,イングランドに土着の英語が,ヨーロッパの威信の言語であるラテン語に追いつこうともがきながら,着実に自信を獲得しつつあった時代だったからだ.英語が,イングランドの公的な書き言葉の世界において,ラテン語に代わる言語として存在感を増し,市民権を主張し始めた時期である.より詳しくは,以下の記事を参照.

 ・ 「#1407. 初期近代英語期の3つの問題」 ([2013-03-04-1])
 ・ 「#2580. 初期近代英語の国語意識の段階」 ([2016-05-20-1])
 ・ 「#2611. 17世紀中に書き言葉で英語が躍進し,ラテン語が衰退していった理由」 ([2016-06-20-1])

 英語が書き言葉において市民権を獲得しようともがいていた,この時期の潮流を指して,私は「英語史における『言文一致運動』」と呼んでいる(cf. 「#3314. 英語史における「言文一致運動」」 ([2018-05-24-1])).かの明治期日本の「言文一致運動」に範を得た呼び名ではあるが,イングランドのみならずヨーロッパの他国でも近代初期に同じような潮流がみられたということも考え合わせると,まさに「対照言語史」 (contrastive_language_history) としてふさわしい話題となるだろう.この視点については,近刊書『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』のために私が執筆した「第6章 英語史における『標準化サイクル』」のなかでも触れている.これについては,「#4776. 初の対照言語史の本が出版されました 『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』」 ([2022-05-25-1]),「#4784. 『言語の標準化を考える』は執筆者間の多方向ツッコミが見所です」 ([2022-06-02-1]) を参照されたい.
 このように17世紀前半は,英語がラテン語に対抗して自信を獲得していく時期として位置づけられ,一種の反骨精神をもって vernacular という単語を用い始めたのではないかと推測してみることができる.ただし,この単語自体がラテン語からの借用語であるという点も見逃してはならない.英語は,あくまでラテン語の威光にすがりながらゆっくりと自信をつけていたのである.「#2611. 17世紀中に書き言葉で英語が躍進し,ラテン語が衰退していった理由」 ([2016-06-20-1]) の記事の最後で述べたとおり

威信ある世界語としてのラテン語の衰退は一朝一夕にはいかず,それなりの時間を要した.同じように,土着語たる英語の威信獲得にも,ある程度の期間が必要だったのである.

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2022-02-12 Sat

#4674. 「初期近代英語期における語彙拡充の試み」 [slide][contrastive_linguistics][lexicology][borrowing][loan_word][emode][renaissance][inkhorn_term][latin][japanese_history][contrastive_language_history]

 3週間前のことですが,1月22日(土)に,ひと・ことばフォーラムのシンポジウム「言語史と言語的コンプレックス ー 「対照言語史」の視点から」の一環として「初期近代英語期における語彙拡充の試み」をお話しする機会をいただきました.Zoom によるオンライン発表でしたが,その後のディスカッションを含め,たいへん勉強になる時間でした.主催者の方々をはじめ,シンポジウムの他の登壇者や出席者参加者の皆様に感謝申し上げます.ありがとうございました.
 私の発表は,すでに様々な機会に公表してきたことの組み替えにすぎませんでしたが,今回はシンポジウムの題に含まれる「対照言語史」 (contrastive_linguistics) を意識して,とりわけ日本語史における語彙拡充の歴史との比較対照を意識しながら情報を整理しました.
 当日利用したスライドを公開します.スライドからは本ブログ記事へのリンクも多く張られていますので,合わせてご参照ください.

   1. ひと・ことばフォーラム言語史と言語的コンプレックス ー 「対照言語史」の視点から初期近代英語期における語彙拡充の試み
   2. 初期近代英語期における語彙拡充の試み
   3. 目次
   4. 1. はじめに --- 16世紀イングランド社会の変化
   5. 2. 統合失調症の英語 --- ラテン語への依存とラテン語からの独立
   6. 英語が抱えていた3つの悩み
   7. 3. 独立を目指して
   8. 4. 依存症の深まり (1) --- 語源的綴字
   9. 5. 依存症の深まり (2) --- 語彙拡充
   10. オープン借用,むっつり借用,○製△語
   11. 6.「インク壺語」の大量借用
   12. 7. 大量借用への反応
   13. 8. インク壺語,チンプン漢語,カタカナ語の対照言語史
   14. 9. まとめ
   15. 語彙拡充を巡る独・日・英の対照言語史
   16. 参考文献

Referrer (Inside): [2022-05-25-1]

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2021-08-07 Sat

#4485. 講座「英語の歴史と語源」の第11回「ルネサンスと宗教改革」を終えました [asacul][notice][history][link][slide][renaissance][reformation]

 先週7月31日(土)15:30?18:45に,朝日カルチャーセンター新宿教室にて「英語の歴史と語源・11 「ルネサンスと宗教改革」」と題してお話しをしました.今回も多くの方々に参加いただきました.質問やコメントも多くいただき活発な議論を交わすことができました.ありがとうございます.
 今回は,16世紀の英語が抱えていた3つの「悩み」に注目しました.現在,英語は世界のリンガ・フランカとなっており,威信を誇っていますが,400年ほど前の英語は2流とはいわずともいまだ1.5流ほどの言語にすぎませんでした.千年以上の間,ヨーロッパ世界に君臨してきたラテン語などと比べれば,赤ちゃんのような言語にすぎませんでした.しかし,そのラテン語を懸命に追いかけるなかで,後の飛躍のヒントをつかんだように思われます.16世紀は,英語にとって,まさに産みの苦しみの時期だったのです.
 今回の講座で用いたスライドをこちらに公開します.以下にスライドの各ページへのリンクも張っておきますので,復習などにご利用ください.

   1. 英語の歴史と語源・11「ルネサンスと宗教改革」
   2. 第11回 ルネサンスと宗教改革
   3. 目次
   4. 1. 序論
   5. 16世紀イングランドの5つの社会的変化
   6. 2. 宗教改革とは?
   7. イングランドの宗教改革とその特異性
   8. 印刷術と宗教改革の二人三脚
   9. 3. ルネサンスとは?
   10. イングランドにおける宗教改革とルネサンスの共存
   11. 4. ルネサンスと宗教改革の英語文化へのインパクト
   12. 16世紀の英語が抱えていた3つの悩み
   13. 5. 英語の悩み (1) - ラテン語からの自立を目指して
   14. 古英語への関心の高まり
   15. 6. 英語の悩み (2) - 綴字標準化のもがき
   16. 語源的綴字 (etymological spelling)
   17. debt の場合 (#116)
   18. 他の語源的綴字の例
   19. 語源的綴字の礼賛者 Holofernes
   20. 7. 英語の悩み (3) - 語彙増強のための論争
   21. R. コードリーの A Table Alphabeticall (#1609)
   22. 一連の聖書翻訳
   23. まとめ
   24. 参考文献
   25. 補遺1:Love’s Labour’s Lost
   26. 補遺2:「創世記」11:1-9 (「バベルの塔」)の Authorised Version と新共同訳

 次回の第12回はシリーズ最終回となります.「市民革命と新世界」と題して2021年10月23日(土)15:30?18:45に開講する予定です.

Referrer (Inside): [2022-03-12-1]

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2021-07-18 Sun

#4465. 講座「英語の歴史と語源」の第11回「ルネサンスと宗教改革」のご案内 [asacul][notice][history][link][renaissance][reformation]

 全12回ということで2年前に開始した「英語の歴史と語源」シリーズですが,ゆっくりと進めているうちに,気づいてみれば,残すところ2回となりました.本日は第11回のお知らせです.
 2週間後の7月31日(土)15:30?18:45に,朝日カルチャーセンター新宿教室にて「英語の歴史と語源・11 「ルネサンスと宗教改革」」と題してお話しします.英語が世界的な地位を築いた現在からは予想すらできない,当時の英語が抱えていた様々な「悩み」に注目します.関心をお持ちの方は是非こちらよりお申し込みください.趣旨は以下の通りです.

16世紀イングランドでは,ルネサンスと宗教改革は奇妙な形で共存していました.ルネサンスに伴う知識の爆発はラテン語やギリシア語への憧れを生み出し,英語はそこから大量の単語を借用することで語彙を格段に豊かにしました.一方,宗教改革に伴う自国語意識の高まりから,英語そのものの評価も高まりました.このような相矛盾する言語文化の中で英訳聖書が誕生することになりました.英語がいよいよ輝きを増してきた時代に焦点を当てます.


 今から4--5世紀も前の話しであり,ずいぶんと昔のことに聞こえるかもしれませんが,英語全盛の現代に直接つながる時代の話題です.歴史的に弱小言語だった英語が,いかにして現代にかけて威信と覇権を獲得することになったのか.これを真に理解するには,今回注目する16世紀,英語にとっての苦しみの時期を振り返っておくことが必要になります.現代における英語の覇権の起源について,皆さんと一緒に考えていきたいと思います.

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2021-04-20 Tue

#4376. 現代日本で英語と向き合っている生徒・学生と17世紀イングランドでラテン語と向き合っていた庶民 [renaissance][emode][loan_word][borrowing][latin][japanaese][contrastive_linguistics][inkhorn_term][khelf_hel_intro_2021]

 4月5日にスタートした「英語史導入企画2021」も,3週目に突入しました.学部・院のゼミ生を総動員しての,5月末まで続く少々息の長い企画なのですが,本ブログ読者の皆さんにも懲りずにお付き合いのほどよろしくお願い申し上げます.毎日,コンテンツを提供する学生のガッツを感じながら,私自身がおおいにインスピレーションをゲットしています.年度初めとして,なかなかフレッシュでナイスなオープニングです.
 さて,上の段落では,いやらしいほどにカタカナ語を使い倒してみました.英語が嫌いな人,横文字が嫌いな人には,ケッと吐いて捨てたくなるような文章だろうと思います(うーむ,我ながら軽薄な文章).昨日,本企画ために院生よりアップされたコンテンツは「英語嫌いな人のための英語史」と題する,このカタカナ語嫌いに寄り添った考察です.その冒頭の2つの段落の出だしが,何とも歯切れよく心地よいですね.

「一生英語を使わなくてもいい環境で暮らしてやる」……このような恨みつらみのこもった台詞は,英語嫌いの人間ならば一度は発したことがあるだろう.そして,何を隠そう,十年ほど前,中学生・高校生だったころの筆者自身が毎日のようにこぼしていた言葉でもあった.


英語嫌いの人間が辟易するのは,まずもって,世の中に氾濫している横文字の多さであるだろう.レガシー,コミット,アカウンタビリティ……なぜそこで英語を(あるいは英語由来の和製英語を)使わなければならないのかと,ニュースなどを見ながら突っ込みたくなる日々である.


 これは読みたくなるコンテンツではないでしょうか.内容としては,現代日本で英語と向き合っている生徒・学生と,17世紀イングランドでラテン語と向き合っていた庶民とを,空間・時間を超えて比較した英語史の好コンテンツとなっています.
 現代日本語におけるカタカナ語とルネサンス期イングランドのラテン借用語を巡る比較対照は,対照言語史 (contrastive_language_history) の観点から興味の尽きないテーマです.一般に2つのものを比較しようとする際には,共通点だけでなく相違点に留意することも重要です.上記コンテンツでは,意図的に両者の共通点を拾い出して近づけて見せているわけですが,あえて相違点に注目することで,先の共通点の意義を浮かび上がらせることができます.以下に2点指摘しておきましょう.
 1点目.現代日本で英語と向き合っている生徒・学生,とりわけ「英語なんて嫌い」と吐き捨てるタイプと,17世紀イングランドでラテン語と向き合っていた庶民とでは,各言語に対する思いがかなり異なります.「英語なんて嫌い」の背景には,逆説的に英語に対する「憧れ」があるのではないかというコンテンツでの指摘は当たっていると私も思います.しかし,17世紀イングランドの庶民はラテン語を「嫌い」と吐き捨ててはいなかったでしょう.ラテン語は,もっと純粋な「憧れ」,手に届かないところにいる「スター」に近いものではなかったでしょうか.
 両者の違いは,端的にいえば,むりやり学ばされているか否かにあります.現代日本では,たとえ英語が「憧れ」だったとしても,義務教育で強制的に学ばされるという意味では,現実の学習上の「苦労」がセットになっています.学校で学ぶべき「科目」となっていては,好きなものも好きではなくなるはずです.17世紀イングランドでは,庶民にとってラテン語学習はおろか教育の機会そのものがまだ高嶺の花であり,現実の学習上の「苦労」とは無縁なために,「憧れ」は純然たる憧れとして生き延び得たのです.
 2点目は,17世紀イングランドではラテン借用語が inkhorn_term として批判されたというのは事実ですが,批判の主は,若い生徒・学生でもなければ庶民でもなく,バリバリの知識人でした.Sir John Cheke (1514--57) のようなケンブリッジ大学の古典語教授が,借用語を批判していたほどなのです.この状況は,どう控えめにみても,日本の英語嫌いの生徒・学生がカタカナ語に悪態をついているのとは比較できないように思われます.
 もちろん,2つのものを比較対照するときに,共通点を重視して「比較」の議論にもっていくか,相違点を重視して「対照」の議論にもっていくかは,論者の方針次第でもあり,言ってしまえばレトリックの問題でもあります.いずれにしても比較する場合には相違点に,対照する場合には共通点に注意しておくと考察が深まる,ということを述べておきましょう.
 関連する話題は,本ブログとしては「#1999. Chuo Online の記事「カタカナ語の氾濫問題を立体的に視る」」 ([2014-10-17-1]),「#2977. 連載第6回「なぜ英語語彙に3層構造があるのか? --- ルネサンス期のラテン語かぶれとインク壺語論争」」 ([2017-06-21-1]) その他の記事で扱ってきました.いろいろとリンクを張っているので,是非そちらをどうぞ.

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2021-01-24 Sun

#4290. なぜ island の綴字には s が入っているのですか? --- hellog ラジオ版 [hellog-radio][sobokunagimon][hellog_entry_set][etymological_respelling][etymology][spelling_pronunciation_gap][reanalysis][silent_letter][renaissance]

 英語には,文字としては書かれるのに発音されない黙字 (silent_letter) の例が多数みられます.doubt の <b> や receipt の <p> など,枚挙にいとまがありません.そのなかには初級英語で現われる非常に重要な単語も入っています.例えば island です.<s> の文字が見えますが,発音としては実現されませんね.これは多くの英語学習者にとって不思議中の不思議なのではないでしょうか.
 しかし,これも英語史の観点からみると,きれいに解決します.驚くべき事情があったのです.音声解説をどうぞ.



 「島」を意味する古英語の単語は,もともと複合語 īegland でした.「水の(上の)陸地」ほどの意味です.中英語では,この複合語の第1要素の母音が少々変化して iland などとなりました.
 一方,同じ中英語期に古フランス語で「島」を意味する ile が借用されてきました(cf. 現代フランス語 île).これは,ラテン語の insula を語源とする語です.古フランス語の ile と中英語 iland は形は似ていますが,まったくの別語源であることに注意してください.
 しかし,確かに似ているので混同が生じました.中英語 iland が,古フランス語 ileland を継ぎ足したものとして解釈されてしまったのです.
 さて,16世紀の英国ルネサンス期になると,知識人の間にラテン語綴字への憧れが生じます.フランス語 ile を生み出したラテン語形は insulas を含んでいましたので,英語の iland にもラテン語風味を加味するために s を挿入しようという動きが起こったのです.
 現代の英語学習者にとっては迷惑なことに,当時の s を挿入しようという動きが勢力を得て,結局 island という綴字として定着してしまったのです.ルネサンス期の知識人も余計なことをしてくれました.しかし,それまで数百年の間,英語では s なしで実現されてきた発音の習慣自体は,変わるまでに至りませんでした.ということで,発音は古英語以来のオリジナルである s なしの発音で,今の今まで継続しているのですね.
 このようなルネサンス期の知識人による余計な文字の挿入は,非常に多くの英単語に確認されます.語源的綴字 (etymological_respelling) と呼ばれる現象ですが,これについては##580,579,116,192,1187の記事セットもお読みください.

Referrer (Inside): [2023-01-01-1]

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2020-09-17 Thu

#4161. アメリカ式 color はラテン語的,イギリス式 colour はフランス語的 [etymological_respelling][webster][spelling_reform][spelling][renaissance][french][ame_bre][johnson]

 color (AmE) vs colour (BrE) に代表される,アメリカ式 -or に対してイギリス式 -our の綴字上の対立は広く知られている.本ブログでも「#240. 綴字の英米差は大きいか小さいか?」 ([2009-12-23-1]),「#244. 綴字の英米差のリスト」 ([2009-12-27-1]),「#3182. ARCHER で colourcolor の通時的英米差を調査」 ([2018-01-12-1]),「#3247. 講座「スペリングでたどる英語の歴史」の第5回「color か colour か? --- アメリカのスペリング」」 ([2018-03-18-1]),「#4152. アメリカ英語の -our から -or へのシフト --- Webster の影響は限定的?」 ([2020-09-08-1]) などで取り上げてきた.
 Anson もよく知られたこの問題に迫っているのだが,アメリカの綴字改革者 Noah Webster (1758--1843) が現われる以前の時代にも注意を払い,広い英語史の視点から問題を眺めている点が素晴らしい.主としてラテン語に由来し,フランス語を経由してきた語群が初出する中英語期から話しを説き起こしているのだ.このズームアウトした視点から得られる洞察は,非常に深い (Anson 36--38) .
 ラテン語に由来する語の場合,同言語の綴字としては,厳格な正書法に則って -or- が原則だった.colorem, ardorem, dolorem, favorem, flavorem, honorem, (h)umorem, laborem, rumorem, vigorem のごとくである.古フランス語では,これらのラテン語の -or- が受け継がれるとともに,異綴字として -our- も現われ,両者併用状況が生じた.そして,この併用状況が中英語期にもそのまま持ち込まれることになった.実際,中英語では両綴字が確認される.
 とはいえ,中英語では,これらフランス借用語についてはフランス語にならって問題の語尾を担う部分にアクセントが落ちるのが普通であり,アクセントをもつ長母音であることを示すのに,-or よりも視覚的に大きさの感じられる -our のほうが好まれる傾向があった.以降(イギリス)英語では,フランス語的な -our が主たる綴字として優勢となっていく.
 しかし,ラテン語的な -or も存続はしていた.16世紀になると,ルネサンスの古典語への回帰の風潮,いわゆる語源的綴字 (etymological_respelling) の慣習が知識人の間にみられるようになり,-or が勢力を盛り返した.こうして -or と -our の競合が再び生じたが,いずれかを規範的な綴字として採用しようとする標準化の動きは鈍く,時間が過ぎ去った.
 17世紀後半の王政復古期には,2音節語においては -our が,それよりも長い語においては -or が好まれる傾向が生じた.そして,理性の世紀である18世紀には,合理的な綴字として再び -or に焦点が当てられるようになった.一方,1755年に辞書を世に出した Johnson は,直前の語源の綴字を重視する姿勢から,フランス語的な -our を支持することになり,後のイギリス式綴字の方向性を決定づけた.その後のアメリカ英語での -or の再度の復活については,「#4152. アメリカ英語の -our から -or へのシフト --- Webster の影響は限定的?」 ([2020-09-08-1]) で述べた通りである.
 つまり,中英語期にこれらの語が借用されてきた当初より,-or vs -our の競合はシーソーのように上下を繰り返してきたのだ.アメリカ式 -or を支持する原理としては,ルネサンス期のラテン語回帰もあったし,18世紀の合理性重視の思想もあったし,Webster の愛国心もあった.イギリス式 -our を支持する原理としては,中英語期のフランス語式への恭順もあったし,18世紀半ばの Johnson の語源観もあった.
 ルネサンスと Webster を結びつけるなど考えたこともなかったが,Anson の優れたズームアウトによって,それが可能となった.

 ・ Anson, Chris M. "Errours and Endeavors: A Case Study in American Orthography." International Journal of Lexicography 3 (1990): 35--63.

Referrer (Inside): [2020-11-13-1] [2020-11-12-1]

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2020-08-31 Mon

#4144. 20世紀の語彙爆発 [oed][pde][lexicology][statistics][renaissance]

 「#4133. OED による英語史概説」 ([2020-08-20-1]) で紹介した OED が運営しているブログに,Twentieth century English --- an overview と題する記事がある.20世紀の英語のすぐれた評論となっており,ぜひ読んでいただきたい.
 そのなかの1節 "Lexis: dreadnought and PEP talk" で,20世紀の英語の語彙爆発の様子が具体的な数字とともに記述されている.

The Oxford English Dictionary records about 185,000 new words, and new meanings of old words, that came into the English language between 1900 and 1999. That leaves out of account the so-called lexical 'dark matter', words not common enough to catch the lexicographers' attention or, if they did, to compel inclusion, words perhaps that were never even committed to paper (or any other recording medium). Even so, those 185,000 on their own represent a 25 per cent growth in English vocabulary over the century --- making it the period of most vigorous expansion since that of the late-sixteenth and seventeenth centuries.


 20世紀中(厳密には1900--1999年)に,OED に採用されたものだけに限っても18万5千もの新語(義)が加わったというのは,想像を絶する爆発ぶりである.引用の後半で触れられている通り,それ以前の時代でいえば,最大級の語彙爆発は1600年前後の英国ルネサンス期にみられた.「#114. 初期近代英語の借用語の起源と割合」 ([2009-08-19-1]),「#1226. 近代英語期における語彙増加の年代別分布」 ([2012-09-04-1]) で見たとおり,Görlach (136) は "The EModE period (especially 1530--1660) exhibits the fastest growth of the vocabulary in the history of the English language, in absolute figures as well as in proportion to the total." と述べている.
 20世紀と17世紀では社会の状況も変化速度も大きく異なるので,単純に数字だけでは比較できないが,20世紀は(そしてまだ駆け出しといってよい21世紀もおそらく)英語の語彙爆発の記録を塗り替えた,あるいは塗り替えつつある時代といってよいだろう.

 ・ Görlach, Manfred. Introduction to Early Modern English. Cambridge: CUP, 1991.

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2020-07-11 Sat

#4093. 標準英語の始まりはルネサンス期 [standardisation][renaissance][emode][sociolinguistics][chaucer][chancery_standard][spenser][ethnic_group]

 英語史において,現代の標準英語 (Standard English) の直接の起源はどこにあるか.「どこにあるか」というよりも,むしろ論者が「どこに置くのか」という問題であるから,いろいろな見解があり得る.書き言葉の標準化の兆しが Chaucer の14世紀末に芽生え,"Chancery Standard" が15世紀前半に発達したこと等に言及して,その辺りの時期を近代の標準化の嚆矢とする見解が,伝統的にはある.しかし,現代の標準英語に直接連なるのは「どこ」で「いつ」なのかという問題は,標準化 (standardisation) とは何なのかという本質的な問題と結びつき,なかなか厄介だ.
 Crowley (303--04) は,標準英語の形成に関する論考の序説として "Renaissance Origins" と題する一節を書いている.標準化のタイミングに関する1つの見方として,洞察に富む議論を提供しているので,まるまる引用したい.Thomas Wilson, George Puttenham, Edmund Spenser という16世紀の著名人の言葉を借りて,説得力のある標準英語起源論を展開している.

The emergence of the English vernacular as a culturally valorized and legitimate form took place in the Renaissance period. It is possible to trace in the comments of three major writers of the time the origins of a persistent set of problems which later became attached to the term "standard English." Following the introduction of Thomas Wilson's phrase "the king's English" in 1553, the principal statement of the idea of a centralized form of the language in the Renaissance was George Puttenham's determination in 1589 of the "natural, pure and most usual" type of English to be used by poets: "that usual speech of the court, and that of London and the shires lying about London, within lx miles and not much above" (Puttenham 1936: 144--5). In the following decade the poet and colonial servant Edmund Spenser composed A View of the State of Ireland (1596) during the height of the decisive Nine Years War between the English colonists in Ireland and the natives. In the course of his wide-ranging analysis of the difficulties facing English rule, Spenser offers a diagnosis of one of the most serious causes of English "degeneration" (a term often used in Tudor debates on Ireland to refer to the Gaelicization of the colonists): "first, I have to finde fault with the abuse of language, that is, for the speaking of Irish among the English, which, as it is unnaturall that any people should love anothers language more than their owne, so it is very inconvenient, and the cause of many other evils" (Spenser 1633: 47). Given Spenser's belief that language and identity were linked ("the speech being Irish, the heart must needes bee Irish), his answer was the Anglicization of Ireland. He therefore recommended the adoption of Roman imperial practice, since "it hath ever been the use of the Conquerour, to despise the language of the conquered, and to force him by all means to use his" (Spencer 1633: 47).
   There are several notable features to be drawn from these Renaissance observations on English, a language which, it should be recalled, was being studied seriously and codified in its own right for the first time in this period. The first point is the social and geographic basis of Wilson and Puttenham's accounts. Wilson's phrase "the king's English" was formed by analogy with "the king's peace" and "the king's highway," both of which had an original sense of being restricted to the legal and geographic areas which were guaranteed by the crown; only with the successful centralization of power in the figure of the monarch did such phrases come to have general rather than specific reference. Puttenham's version of the "best English" is likewise demarcated in terms of space and class: his account reduces it to the speech of the court and the area in and around London up to a boundary of 60 miles. A second point to note is that Puttenham's definition conflates speech and writing: its model of the written language, to be used by poets, is the speech of courtiers. And the final detail is the implicit link between the English language and English ethnicity which is evoked by Spenser's comments on the degeneration of the colonist in Ireland. These characteristics of Renaissance thinking on English (its delimitation with regard to class and region, the failure to distinguish between speech and writing, and the connection between language and ethnicity) were characteristics which would be closely associated with the language throughout its modern history.


 英国ルネサンスの16世紀に,(1) 階級的,地理的に限定された威信ある変種として,(2) 「話し言葉=書き言葉」の前提と,(3) 「言語=民族」の前提のもとで生み出された英語.これが現代まで連なる "Standard English" の直接の起源であることを,迷いのない文章で描き出している.授業で精読教材として使いたいほど,読み応えのある文章だ.同時代のコメントを駆使したプレゼンテーションと議論運びが上手で,内容もすっと受け入れてしまうような一節.このような文章を書けるようになりたいものだ.
 上記の Puttenham の有名な一節については,「#2030. イギリスの方言差別と方言コンプレックスの歴史」 ([2014-11-17-1]) で原文を挙げているので,そちらも参照.

 ・ Crowley, Tony. "Class, Ethnicity, and the Formation of 'Standard English'." Chapter 30 of A Companion to the History of the English Language. Ed. Haruko Momma and Michael Matto. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2008. 303--12.

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2020-02-05 Wed

#3936. h-dropping 批判とギリシア借用語 [greek][loan_word][renaissance][inkhorn_term][emode][lexicology][h][etymological_respelling][spelling][orthography][standardisation][prescriptivism][sociolinguistics][cockney][stigma]

 Cockney 発音として知られる h-dropping を巡る問題には,深い歴史的背景がある.音変化,発音と綴字の関係,語彙借用,社会的評価など様々な観点から考察する必要があり,英語史研究において最も込み入った問題の1つといってよい.本ブログでも h の各記事で扱ってきたが,とりわけ「#1292. 中英語から近代英語にかけての h の位置づけ」 ([2012-11-09-1]),「#1675. 中英語から近代英語にかけての h の位置づけ (2)」 ([2013-11-27-1]),「#1899. 中英語から近代英語にかけての h の位置づけ (3)」 ([2014-07-09-1]),「#1677. 語頭の <h> の歴史についての諸説」 ([2013-11-29-1]) を参照されたい.
 h-dropping への非難 (stigmatisation) が高まったのは17世紀以降,特に規範主義時代である18世紀のことである.綴字の標準化によって語源的な <h> が固定化し,発音においても対応する /h/ が実現されるべきであるという規範が広められた.h は,標準的な綴字や語源の知識(=教養)の有無を測る,社会言語学的なリトマス試験紙としての機能を獲得したのである.
 Minkova によれば,この時代に先立つルネサンス期に,明確に発音される h を含むギリシア語からの借用語が大量に流入してきたことも,h-dropping と無教養の連結を強めることに貢献しただろうという.「#114. 初期近代英語の借用語の起源と割合」 ([2009-08-19-1]),「#516. 直接のギリシア語借用は15世紀から」 ([2010-09-25-1]) でみたように,確かに15--17世紀にはギリシア語の学術用語が多く英語に流入した.これらの語彙は高い教養と強く結びついており,その綴字や発音に h が含まれているかどうかを知っていることは,その人の教養を示すバロメーターともなり得ただろう.ギリシア借用語の存在は,17世紀以降の h-dropping 批判のお膳立てをしたというわけだ.広い英語史的視野に裏付けられた,洞察に富む指摘だと思う.Minkova (107) を引用する.

Orthographic standardisation, especially through printing after the end of the 1470s, was an important factor shaping the later fate of ME /h-/. Until the beginning of the sixteenth century there was no evidence of association between h-dropping and social and educational status, but the attitudes began to shift in the seventeenth century, and by the eighteenth century [h-]-lessness was stigmatised in both native and borrowed words. . . . In spelling, most of the borrowed words kept initial <h->; the expanding community of literate speakers must have considered spelling authoritative enough for the reinstatement of an initial [h-] in words with an etymological and orthographic <h->. New Greek loanwords in <h->, unassimilated when passing through Renaissance Latin, flooded the language; learned words in hept(a)-, hemato-, hemi-, hex(a)-, hagio-, hypo-, hydro-, hyper-, hetero-, hysto- and words like helix, harmony, halo kept the initial aspirate in pronunciation, increasing the pool of lexical items for which h-dropping would be associated with lack of education. The combined and mutually reinforcing pressure from orthography and negative social attitudes towards h-dropping worked against the codification of h-less forms. By the end of the eighteenth century, only a set of frequently used Romance loans in which the <h-> spelling was preserved were considered legitimate without initial [h-].


 ・ Minkova, Donka. A Historical Phonology of English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2014.

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2020-01-13 Mon

#3913. (偽の)語源的綴字を肯定的に評価する (2) [etymological_respelling][renaissance]

 昨日の記事 ([2020-01-12-1]) に引き続き,(偽の)語源的綴字を肯定的に評価する視点について.一昨日の記事「#3911. 言語体系は,本来非同期的な複数の時のかたちが一瞬出会った断面である」 ([2020-01-11-1]) で引用している中谷は,そもそもの論考では,明治初期に流行して20年程度で衰退した西洋様式風の建築,一般に「擬洋風」と称される建築(「築地ホテル」がその嚆矢)について,クブラーを援用しながら評価していたのだった.その視点を,英語史上の(偽の)語源的綴字の問題に対して応用してみたらおもしろそうだと思い,昨日の記事で試してみた次第である.
 そこで改めて中谷 (91) に戻ると,「擬洋風」を日本建築史のなかに肯定的に位置づけようと力説している箇所があり,はっとさせられた.そのまま(偽の)語源的綴字の評価にもつながるではないか.

 むしろ擬洋風という言葉には,何か魅惑的な野蛮さがある.様式は忠実に典型を模倣するのみならず,さまざまな意匠様式を主体的に選択しこれまでになかったような雰囲気を作り出すことが可能である.少なくとも優れた折衷主義建築を輩出した一九世紀ヨーロッパにおいては,そのような信念が存在していた.むしろ擬洋風の「擬」とは,じつはこの様式の模倣に潜在する可能性をこそ的確に表現していた,とさえいえる.
 当時の擬洋風建築をかたちづくった大工棟梁達に要請されていたのは,何か,時代が「開いた」ことを建築として示そうとする感覚である.開化のかたちは,まだいずこに行くとも知れない流動する当時の世界のなかで,利用できそうなさまざまな様式的断片をつなぎあわせ,手探りで組みたてられはじめた.以上のような意味で擬洋風建築は様式的な可能性・自由の領域,クブラーのいう開かれたシークエンスに接続しているのである.


 (偽の)語源的綴字が表わしているものは,ラテン語かぶれの俗物根性などではなく,可能性の追求であり自由の謳歌なのだ.この発想は,それこそルネサンスらしく前向きで,底抜けに明るい.

 ・ 中谷 礼仁 「一九世紀擬洋風建築とG・クブラーの系統年代について」『文化系統学への招待』中尾 央・三中 信宏(編),勁草書房,2012年.85--117頁.

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2020-01-12 Sun

#3912. (偽の)語源的綴字を肯定的に評価する (1) [etymological_respelling][silent_letter][hypercorrection][renaissance]

 doubt の <b> のような語源的綴字 (etymological_respelling) は,一般的には現代英語の抱えている「発音と綴字の乖離」問題の元凶として否定的にみられることが多い.古典を重視する16世紀の英国ルネサンスの潮流のなかで,ラテン語の語源形に存在した <b> の子音字を,崩れた英語の綴字のなかに戻してやることによって,英(単)語にラテン語風味と威信を付加したいという俗物的な時代精神の産物として説明されることが多い.そのような俗物根性ゆえに,後代の英語学習者は理不尽な黙字 (silent_letter) に付き合わされることになったしまったのだと.
 さらに,island における <s> の挿入のように,ラテン語の語源形が正しく参照されず,俗物根性だけが発揮されてしまった,偽の語源的綴字 (pseudo-etymological spelling) ,あるいは「非語源的綴字」 (unetymological spelling) の例も少なくない (cf. 「#580. island --- なぜこの綴字と発音か」 ([2010-11-28-1])).これなど,ミーハー精神丸出しの恥ずかしい過剰修正 (hypercorrection) の事例とみる向きが多い.
 しかし,昨日の記事「#3911. 言語体系は,本来非同期的な複数の時のかたちが一瞬出会った断面である」 ([2020-01-11-1]) で取り上げたクブラーの思想にしたがえば,(偽の)語源的綴字という現象は,初期近代当時の「文化形成の重要なモーメント」として肯定的に評価することもできる.結果として発音と綴字の乖離が生じたことは否定できないが,それ以上にこの現象は当時の生き生きとした言語活動の証として,「開かれたクラスすなわちシークエンス」を推し進める営みとしてみることができる.当時の英語が抱えていた威信の欠如という「問題」に対して,ラテン語にあやかるという「解答」が出されることによって,新たなシークエンスが生み出されたのだと.
 そのシークエンスを始めたプライム・オブジェクトの1つが,たとえば doubt の <b> のような著名な例だった可能性がある.この辺りから開始された一連の流れは,やがて偽の語源的綴字を生み出すまでに至ったが,これも現象の劣化とみる必要はなく,自律的な突然変異として,自然なシークエンスの一部として解釈することができる.改めて中谷 (89) より引用すれば,「プライム・オブジェクトからはじまる模倣は,完全なコピーではなく,むしろ時がたつにつれて,完全を期そうとも,伝言ゲームのように不可避的に変形し,時の流れ自体が自律的に突然変異 (mutant) をも生み出すのだ」.
 island の <s> などを指して「偽の語源的綴字」というときのネガティブな修飾語「偽の」は,クブラーの見方によれば,むしろ模倣に潜在する開かれた可能性や,自由で主体的な創造性としてポジティブに評価され得るものなのだ.発想の転換を促すすぐれた視点だと思う.

 ・ 中谷 礼仁 「一九世紀擬洋風建築とG・クブラーの系統年代について」『文化系統学への招待』中尾 央・三中 信宏(編),勁草書房,2012年.85--117頁.

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2019-02-23 Sat

#3589. 「インク壺語」に対する Ben Jonson の風刺 [inkhorn_term][lexicology][hapax_legomenon][renaissance][emode][borrowing][latin][loan_word]

 ルネサンス期のラテン・ギリシア語熱に浮かされたかのような「インク壺語」 (inkhorn_term) について,本ブログでも様々に取り上げてきた(とりわけ「#478. 初期近代英語期に湯水のように借りられては捨てられたラテン語」 ([2010-08-18-1]),「#1408. インク壺語論争」 ([2013-03-05-1]),「#1409. 生き残ったインク壺語,消えたインク壺語」 ([2013-03-06-1]),「#1410. インク壺語批判と本来語回帰」 ([2013-03-07-1]),「#2479. 初期近代英語の語彙借用に対する反動としての言語純粋主義はどこまで本気だったか?」 ([2016-02-09-1]),「#3438. なぜ初期近代英語のラテン借用語は増殖したのか?」 ([2018-09-25-1]) を参照).
 インク壺語は同時代からしばしば批判や風刺の対象とされてきたが,劇作家 Ben Jonson も,1601年に初上演された The Poetaster のなかでチクリと突いている.Crispinus という登場人物が催吐剤を与えられ,小難しい単語を「吐く」というくだりである.吐かれた順にリストしていくと,次のようになる (Johnson 192; †は現代英語で廃語) .

retrograde, reciprocall, incubus, †glibbery, †lubricall, defunct, †magnificate, spurious, †snotteries, chilblaind, clumsie, barmy, froth, puffy, inflate, †turgidous, ventosity, oblatrant, †obcaecate, furibund, fatuate, strenuous, conscious, prorumped, clutch, tropological, anagogical, loquacious, pinnosity, †obstupefact


 OED では,pinnosity を除くすべての単語が見出し語として立てられている.しかし,このなかには Jonson の劇でしか使われていない1回きりの単語も含まれている.現代でも普通に通用するものもあるにはあるが,確かに立て続けに吐かれてはかなわない単語ばかりである.典型的なインク壺語のリストとして使えそうだ.

 ・ Johnson, Keith. The History of Early English: An Activity-Based Approach. Abingdon: Routledge, 2016.

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2018-09-25 Tue

#3438. なぜ初期近代英語のラテン借用語は増殖したのか? [emode][renaissance][loan_word][borrowing][latin][inkhorn_term][lexicography]

 16世紀後半にピークに達するルネサンス期のラテン借用語の流入について,本ブログで様々に取り上げてきた.英語史上もっとも密度の濃い語彙借用の時代だったといわれるが,なぜこれほどまでに借用語が増殖したのだろうか.貧弱だった英語の語彙を補うためという必要不可欠論も部分的には当たっているが,ラテン語の威を借りるという虚飾的な理由が特に大きかったと思われる.なにしろ,「#478. 初期近代英語期に湯水のように借りられては捨てられたラテン語」 ([2010-08-18-1]) で見たように,むやみやたらに取り込んだのだ.
 Görlach (162--62) が,この辺りの事情をうまく説明している.この時代より前にはラテン語そのものをマスターすることがステータスだった.しかし,俗語たる英語の地位が徐々に上昇し,ある程度のラテン借用語が蓄積してきた16世紀後半からは,ラテン語そのものというよりも,英語に取り込まれたラテン借用語を使いこなすことが社会的に重要なスキルとなった.とはいえ,ラテン語を学習しているわけではない多くの人々にとって,ラテン借用語を「正しい」形式と意味で使いこなすことは簡単ではない.形式上の勘違いは頻繁に起こったし,意味についても,緩く対応する既存語とのニュアンスの差を正確に習得することはたやすくなかった.そのような状況下でも,人々はある意味では勘違いを恐れず,積極的にラテン借用語を使おうとした.なぜならば,その試み自体が,話者のステータスを高めると信じていたからである.
 例えば,Hart は以下のような形式上の間違いを挙げながら,この風潮を非難している(カッコの中の形式が当時としては「正しい」もの).temporall (temperate), sullender (surrender), statute (stature), obiect (abiect), heier (heare), certisfied (certified or satisfied), dispence (suspence), defende (offende), surgiant (surgian). 内容に関しては,ancientantiqueold と同義に,つまり old の単なる見栄えのよい言い換えとして用いている例があるという.
 17世紀初めから続出する難語辞書は,このような誤用を正し,適切なラテン借用語を教育するために出版されたともいえるが,実のところ,むしろ虚飾的な借用語の使用を促す役割を果たしたのかもしれない.結果として,ラテン借用語は,当時の人々の言葉遣いの風潮にいわば培養される形で,自己増殖していったと考えられるだろう.この経緯を,Görlach (162) がうまく表現している.

To judge by the success of Cockeram and his imitators . . ., there was a large market in the seventeenth century for dictionaries translating common expressions into elevated diction. This indicates how difficult it must have been to limit loanwords to a moderate number. The issue was obviously not the objective need to fill lexical gaps for the sake of unambiguous reference, but the pairing of common words with their Latinate equivalents, the implication being that use of the elevated term was more prestigious --- even if it was unintelligible and therefore useless for communication.


 ・ Görlach, Manfred. Introduction to Early Modern English. Cambridge: CUP, 1991.

Referrer (Inside): [2019-09-09-1] [2019-02-23-1]

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2018-07-20 Fri

#3371. 初期近代英語の社会変化は英語の語彙と文法にどのような影響を及ぼしたか? [emode][renaissance][printing][speed_of_change][lexicology][grammar][reading][historiography]

 近代英語期の始まる16世紀には,その後の英語の歴史に影響を与える数々の社会変化が生じた.「#1407. 初期近代英語期の3つの問題」 ([2013-03-04-1]) で紹介したとおり,Baugh and Cable (§156)は以下の5点を挙げている.

 1. the printing press
 2. the rapid spread of popular education
 3. the increased communication and means of communication
 4. the growth of specialized knowledge
 5. the emergence of various forms of self-consciousness about language

 これらの要因は,しばしば相重なって,英語の文法と語彙に間接的ながらも遠大な影響を及ぼすことになった.Baugh and Cable (§157, pp. 200--01) によれば,この影響力は急進的でもあり,同時に保守的でもあったという.どういうことかといえば,語彙については急進的であり,文法については保守的であったということだ.

A radical force is defined as anything that promotes change in language; conservative forces tend to preserve the existing status. Now it is obvious that the printing press, the reading habit, the advances of learning and science, and all forms of communication are favorable to the spread of ideas and stimulating to the growth of the vocabulary, while these same agencies, together with social consciousness . . . work actively toward the promotion and maintenance of a standard, especially in grammar and usage. . . . We shall accordingly be prepared to find that in modern times, changes in grammar have been relatively slight and changes in vocabulary extensive. This is just the reverse of what was true in the Middle English period. Then the changes in grammar were revolutionary, but, apart from the special effects of the Norman Conquest, those in vocabulary were not so great.


 なるほど,近代的な社会条件は,開かれた部門である語彙に対しては,むしろ増加を促すものだろうし,閉じた部門である文法に対しては規範的な圧力を加える方向に作用するだろう(「近代的な」を「現代的な」と読み替えてもそのまま当てはまりそうなので,私たちには分かりやすい).
 この引用でおもしろいのは,最後に近代英語期を中英語期と対比しているところだ.中英語では,上記のような諸条件がなかったために,むしろ語彙に関して保守的であり,文法に関して急進的だったと述べられている.「ノルマン征服によるフランス語の特別な影響を除いては」というところが鋭い.中英語の語彙事情としては,すぐにフランス語からの大量の借用語が思い浮かび,決して「保守的」とはいえないはずだが,それはあまりに特殊な事情であるとして脇に置いておけば,確かに上記の観察はおよそ当たっているように思われる.Baugh and Cable は,具体的・個別的な歴史記述・分析に定評があるが,ところどろこに今回のように説明の一般化を試みるケースもあり,何度読んでも発見がある.

 ・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.

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