01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30
2024 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2023 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2022 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2021 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2020 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2019 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2018 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2017 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2016 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2015 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2014 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2013 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2012 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2011 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2010 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2009 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
[2009-08-26-1]の記事で,octopus の複数形としては規則的な octopuses が普通であり,octopi や octopodes などの「古典語に基づく不規則複数形は,現在では衒学的・専門的な響きが強すぎて普通には用いられないと考えてよい.このことは,多くの学習者英英辞典で octopuses のみが挙げられていることからもわかる.」と述べた.この説明は octopodes については正しいが,octopi については修正を要するようだ.
ウェブ上で「タコの飼い方」に関する記事を見つけた.その記事の題名は Owning Octopi である.複数形 octopi に惹かれて読んでみたら,内容もおもしろかったのだが,それ以上に341語ほどの記事のなかにもう1度 octopi が現われているので嬉しくなった.一方,規則形の octopuses はさすがに多く,5回ほど使われていた.octopi は確かにマイナー形態ではあるが,題名に採用されているというところが意義深い.COD11 ( The Concise Oxford English Dictionary 11th ed. ) によると octopi は誤用とされているのだが,誤用という感覚,マイナー形態であること,読者を惹きつける題名に求められる新規さとは互いに何らかの関係があるのかもしれない.記事内に1度だけ octopi が現われている箇所について,なぜそこだけが octopi なのかはよくわからないが,同段落内で前後に octopuses が使用されていることから,単調さを嫌っての文体的な動機づけがあるのかもしれない.
Sealing the tank is crucial because octopuses are deft at escaping from even the smallest opening. Because octopi have no skeletal structure, they can fit through practically any gap and can even lift many lids. Sealing a tank is crucial to keeping your octopus safe. Octopuses escape in order to feed their desire to hunt. These aggressive hunters are best served by being fed live crustaceans to quell their hunger and desire to hunt.
また,多くの学習者英々辞書に octopuses しか挙げられていないという件についても修正が必要だ.Oxford, Collins COBUILD, Macmillan の辞書には確かに octopi は記載されていないが,Longman, Cambridge, Merriam-Webster の辞書には octopi は代替複数形として記載されている.大英和辞書系でも octopi は記載されている.
次にコーパスで調べてみた.BNC でのヒット数については[2009-08-26-1]で紹介した通りだが,Corpus of Contemporary American English (BYU-COCA) では octopuses が128回,octopi が36回現われた.OANC (Open American National Corpus) では octopuses が4回,octopi が2回である.ただし OANC の各形態の1例ずつは octopi の誤用の指摘という文脈で現われている.特に COCA でみる限り,最近はそれなりに使われているようだ.
関連する拙著論文で,20世紀前半からの文法書や辞書を比較してラテン語由来の不規則複数が通時的に規則化してゆく傾向を調べたことがあるが,20世紀前半には octopi は皆無ではないがあまり目立たない存在だった.文法書でいえば Jespersen に言及があったくらいである.もしかすると20世紀後半なりの最近の時期に octopi の使用が少しずつ増えてきたということも考えられる.-s への規則化が進む一方で,不規則複数が minor trend として復活する流れが生じているのかもしれない.
・ Hotta, Ryuichi. "Thesauri or Thesauruses? A Diachronic Distribution of Plural Forms for Latin-Derived Nouns Ending in -us." Journal of the Faculty of Letters: Language, Literature and Culture 106 (2010): 117--36.
・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part 2. Vol. 1. 2nd ed. Heidelberg: C. Winter's Universitätsbuchhandlung, 1922.
昨日の記事[2010-09-28-1]で,近年さかんになってきている言語の起源と進化の研究の特徴を話題にした.時間軸に沿ったヒトの言語の流れに注目する点で,歴史言語学や言語史と,言語の起源と進化の研究は共通している.しかし,現生人類が前段階からの進化によって言語を獲得した過程に何が起こったかということと,例えば古英語で様々な形態のありえた名詞の複数形が中英語後期にかけて -s へ一元化してゆく過程にどのような関連があるかと考えると,答えは自明ではない.2つの問題は確かに言語の変化を扱っているにはちがいないが,問題の質あるいは問題の存する層が異なっているようにも思える.前者は普遍言語の問題,後者は個別言語の問題といえばよいだろうか.
言語と起源と進化の分野でも,(biological) evolution of language と cultural evolution of language を区別しているようである(池内, p. 176).生物学的進化の観点からは,ヒトの言語は発生以来何かが変わってきたわけではないとされる.言語について変わってきたのは,あくまで不変化の生物学的進化の枠内で,文化的な側面が変化してきたというにすぎない.そうすると,歴史言語学や英語史などの個別言語史で扱っているような具体的な言語変化の事例は,すべて「(今のところ)不変化の生物学的進化の枠内での文化的進化」ということになろう.それでも,その生物的進化の枠内で,文化的進化として言語の何がどう変わってきているのかを探ることは,言語の機能の本質,言語の生物学的進化に対する文化的進化の特徴,言語の生物学的進化の兆しの可能性などに光を当てるものと考えられる.
このようなことを考えていたときに,Weinreich et al. の論文で関連することが触れられていたことを思い出した.この論文は,言語起源論もまだ復活していない1968年という早い時期に書かれているが,変異 ( variation ) の考え方を先取りした現代的な発想で書かれている.新文法学派,構造主義言語学,生成文法などにおける言語変化観を批判し,社会的な観点,特に現在 variationist と呼ばれているアプローチで新しい言語変化理論を構築するための予備論文といった内容である.ここでは,言語変化理論 ( theory of language change ) はさらに大きな言語進化理論 ( theory of linguistic evolution ) の一部となるべきだとの主張がなされている.おおまかにいって,前者が cultural evolution,後者が biological evolution に対応するものと考えられる.
We think of a theory of language change as part of a larger theoretical inquiry into linguistic evolution as a whole. A theory of linguistic evolution would have to show how forms of communication characteristic of other biological genera evolved (with whatever mutations) into a proto-language distinctively human, and then into languages with the structures and complexity of the speech forms we observe today. It would have to indicate how present-day languages evolved from the earliest attested (or inferred) forms for which we have evidence; and finally it would determine if the present course of linguistic evolution is following the same direction, and is governed by the same factors, as those which have operated in the past. (103)
言語進化理論は「サルからヒトの最初のコミュニケーション形態への発展から現在の言語構造にいたるまでの言語進化を扱い,その進化の方向が過去から現在にかけて一貫したものであるかどうかを問う」ものになろう.Weinreich et al. の視点の広さ,関心の射程,発想の現代性に驚く.
また,次のように具体例を挙げて,言語変化理論と言語進化理論の接点を示している.
Investigations of the long-range effects of language planning, of mass literacy and mass media, have therefore a special relevance to the over-all study of linguistic evolution, though these factors, whose effect is recent at best, may be set aside for certain limited studies of language change. (103 fn.)
言語の生物学的進化と文化的進化は峻別すべきであるということが1点,しかしながら両者の観点を合わせて言語の変化を探るべきであるということが1点.私の考えは,まだよくまとまっていない.
・ 池内 正幸 『ひとのことばの起源と進化』 〈開拓社 言語・文化選書19〉,2010年.
・ Weinreich, Uriel, William Labov, and Marvin I. Herzog. "Empirical Foundations for a Theory of Language Change." Directions for Historical Linguistics. Ed. W. P. Lehmann and Yakov Malkiel. U of Texas P, 1968. 95--188.
ここ20年くらいの間に言語の起源と進化を探る研究が活発化してきた背景については,[2010-09-24-1], [2010-01-04-1], [2010-07-02-1]などで述べてきた.私自身はこの分野に詳しいわけではないが,ことばの起源,進化,変化という,時間軸を前提としたキーワードを考えれば,英語史や歴史言語学と関連しないはずはなく,関心はもっていた.そこへ,今年の6月に近年の言語の起源・進化に関する研究がまとめられた本が出た.池内正幸氏による『ひとのことばの起源と進化』である.興味を抱いたので読んでみたら,いや,おもしろい.非常に平易に書かれていながら,この分野の最先端の知見と動向が盛り込まれており,読み終わったときにはこんなにエキサイティングな分野なのかと目が開かれた感じである.なるほど言語をこれくらい広い視野で眺めようとすれば,言語学の細分化された分野で研究する際にも大きな見方が可能になるのかもしれないなと思わせた.
この研究分野を何と称するかはまだ決まっていないようで,著者も「ことばの起源と進化の研究」と言っている.今後注目してゆくにあたって,この分野の「困った特徴」が2点挙げられていたのでまとめておきたい (pp. 85--87) .
(1) 言語の起源と進化のプロセスは,地球や人間の長い歴史のある時点で1回だけ起こったことであり,現在において観察することができない.この点で古生物学の研究と類似する問題を抱えているが,古生物学の場合には化石という形で物的証拠が残る.ところが言語の場合には物的証拠というものがない(言語の起源と進化の痕跡がヒトの DNA のなかに物質として埋め込まれていることが判明すれば別だが).客観的な物質に基づいていないのだから,何らかの仮説や理論が提出されても,それはどこまでいってもも推測の域を出ない.せめてなし得ることは,様々な領域の研究結果を総合して「どの程度総合的に妥当な説明が与えられるか」という妥当性 ( plausibility ) を少しずつ上げてゆくことである.科学として強気に出られないところが弱点ということだろう.
(2) この分野は単に学際的なのではなく「超」学際的である.「超」がつくために領域間の共通理解が進みにくいという問題がある.学際的であるということはエキサイティングであるということだが,あまりに広い領域を包み込んでいるので「共通語」が育ちにくいという事情があるようだ.言語の起源と進化の研究に関連しうる既存する学問分野を挙げればきりがない.例えば「言語学,進化学,生物学,心理学,言語獲得,生態学,動物行動学,考古学,遺伝学,脳神経科学,コンピューター・モデリング等々」.ここには英語史や歴史言語学の分野も鋭く切り込んでゆける(はずである).
上の2点において,言語の起源と進化の研究はしばしば比較される古生物学とは様相が異なっているということだ.
・ 池内 正幸 『ひとのことばの起源と進化』 〈開拓社 言語・文化選書19〉,2010年.
昨日の記事[2010-09-26-1]で ICE ( International Corpus of English ) からいくつかの英語地域変種コーパスが手に入る旨を紹介したが,そのなかから Singapore English のコーパス ( ICE-SIN ) を少しいじってみた.
[2010-03-10-1]の記事で WordSmith の KeyWords 抽出機能を拙著の英文で試したが,今回は ICE-SIN で同様に試してみるとどうなるだろうかと思った.そこで今回も,1990年代初頭のイギリス英語を対象に編纂された比較可能な FLOB corpus ( see [2010-06-29-1] ) を参照コーパスとし,British English に照らして Singapore English に特徴的な語(=キーワード)を抽出してみた.キーワード性の高い上位20語について,WordSmith に出力された表を掲げよう(上位100語までのリストはこのページのHTMLソースを参照).
n | word | ice-sin.freq. | ice-sin.lst % | flob.freq. | flob.lst % | keyness |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | uh | 8,230 | 0.74 | 8 | 19,246.0 | |
2 | you | 18,175 | 1.64 | 7,258 | 0.29 | 17,768.5 |
3 | uhm | 3,838 | 0.35 | 0 | 9,021.1 | |
4 | ya | 3,580 | 0.32 | 10 | 8,283.9 | |
5 | i | 15,166 | 1.37 | 12,230 | 0.49 | 7,051.3 |
6 | singapore | 3,041 | 0.27 | 64 | 6,570.0 | |
7 | word | 3,490 | 0.32 | 482 | 0.02 | 5,621.8 |
8 | know | 4,768 | 0.43 | 1,534 | 0.06 | 5,345.5 |
9 | okay | 2,296 | 0.21 | 28 | 5,112.0 | |
10 | so | 6,759 | 0.61 | 4,452 | 0.18 | 4,113.8 |
11 | lah | 1,747 | 0.16 | 2 | 4,074.4 | |
12 | it's | 3,585 | 0.32 | 1,186 | 0.05 | 3,949.9 |
13 | your | 3,485 | 0.31 | 1,642 | 0.07 | 2,972.2 |
14 | oh | 1,952 | 0.18 | 344 | 0.01 | 2,900.2 |
15 | think | 2,761 | 0.25 | 1,208 | 0.05 | 2,501.5 |
16 | ah | 1,288 | 0.12 | 142 | 2,204.9 | |
17 | we | 5,884 | 0.53 | 5,406 | 0.22 | 2,190.7 |
18 | is | 15,022 | 1.36 | 20,588 | 0.83 | 2,027.9 |
19 | don't | 2,372 | 0.21 | 1,196 | 0.05 | 1,904.9 |
20 | what | 4,635 | 0.42 | 4,072 | 0.16 | 1,865.8 |
adverb INFORMAL
used by people in Malaysia and Singapore for making something they are saying sound more friendly and informal
例文を挙げるには,ICE-SIN から直接拾ってくると早い.会話文ではもちろんのこと,次のような親しい手紙文でも使われている.
Anyway, life is getting colder here. Hottest degree - 16 degrees celcius, coldest so far is 8oc. Brr..rr!! I'm wearing 3 to 4 layers now, like I did in England. So heavy one lah! Get back ache, you know!
ほかには,Singapore が6位に入っていたり,dollar(s), Chinese, Singaporeans, Malay などが上位100語以内に入っている.
(2) lah の頻度の高さとも関係するが,口語性の高い語,会話で頻出すると考えられる語が目立つ.直示性を表わす人称代名詞や副詞,また語調を和らげる語 ( hedge ) が特に多い.広く語用論的な機能をもつ語群としてまとめてよいかもしれない.もっとも話し言葉と結びつけられるキーワードが多いことは予想されたことではある.書き言葉は標準に準拠しやすく,地域変種間の差が少ないのが普通だからである.とりわけ話し言葉に地域変種の差が出やすいということが,今回のキーワード抽出で確かめられたということだろう.
今回のようなキーワード抽出は,もちろん他の地域変種にも応用できる.参照コーパスをイギリス英語以外に動かして相対的に各変種の特徴をみるというのもおもしろそうだ.
International Corpus of English @ ICE-corpora.net からは,7種類の英語地域変種コーパスがダウンロードできる.ダウンロードした圧縮ファイルにパスワードがかかっており,別途パスワードを申請(郵送かFAXにより無料)しなければならない.
・ Canada (ICE-CAN): http://ice-corpora.net/ice/icecan.htm
・ East Africa (Kenya & Tanzania) (ICE-EA): http://ice-corpora.net/ice/iceea.htm
・ Hong Kong (ICE-HK): http://ice-corpora.net/ice/icehk.htm
・ India (ICE-IND): http://ice-corpora.net/ice/iceind.htm
・ Jamaica (ICE-JA): http://ice-corpora.net/ice/icejam.htm
・ Philippines (ICE-PHI): http://ice-corpora.net/ice/icephi.htm
・ Singapore (ICE-SIN): http://ice-corpora.net/ice/icesin.htm
ICEでは,他にも相互比較可能な地域変種コーパスが編纂されている最中であり,中にはすでに有料で手に入るものもある.いずれも1990年以降の書き言葉と話し言葉が納められた100万語規模のコーパスである.編纂方式や構成は[2010-06-29-1]の記事で紹介した The Brown family of corpora に準じており,500テキスト×2000語となっている.corpus design や annotation scheme の詳細については,ICEトップページの上部メニューから参照できる.いくつかの地域変種には話し言葉のサンプル音源もあり有用.
この手の英語地域変種コーパスでかつ相互比較可能なものは今のところ他に出ていないだろうから,その目的の研究には重宝するだろう.
ゼミ研究で地域変種を扱っている学生は特に見ておいてください.
英語にギリシア語からの借用が多いことは,「現代英語の借用語の起源と割合」 ([2009-11-14-1]) やその他のギリシア語に関連する記事 (greek) で触れてきた.ギリシア借用語の多くはラテン語やフランス語を経由して入ってきており,中世以前はこの経路がほぼ唯一の経路だった.
しかし,15世紀になるとギリシア文化が直接西ヨーロッパ諸国に影響を及ぼすようになった.というのは,この時期に大量のギリシア語写本がイタリア人によって Constantinople から西側へもたらされたからである.さらに1453年にオスマントルコにより Constantinople が陥落すると,ギリシア文化の知識も西へ逃れてくることになった.
The possibility of direct Greek influence on English did not arise, however, until Western Europeans began to learn about Greek culture for themselves in the fifteenth century. (This revival of interest was stimulated partly by a westward migration of Greek scholars from Constantinople, later called Istanbul, after it was captured by the Ottoman Turks in 1453.) (Carstairs-McCarthy 101)
続く16世紀にはギリシア語で書かれた新訳聖書の原典への関心から,イギリスでもギリシア語が盛んに研究されるようになった.16世紀前半には Cambridge でギリシャ語を講義した Erasmus (1469--1536) が原典を正確に読むという目的でギリシア語の発音を詳細に研究したが,聖書の言語にあまりに忠実であったその研究態度が,口頭の伝統に支えられてきた保守派の学者の反発を招き,ギリシア語正音論争を巻き起こした.ギリシア語への関心が宗教や政治の世界にまで影響を及ぼしたことになる (Knowles 67--68) .
[2009-08-19-1]で示したように初期近代英語期にギリシア語の借用語が着実に増加していった背景には,上記のような歴史的な事情があったのである.
・ Carstairs-McCarthy, Andrew. An Introduction to English Morphology. Edinburgh: Edinburgh UP, 2002. 134.
・ Knowles, Gerry. A Cultural History of the English Language. London: Arnold, 1997.
[2010-07-02-1], [2010-01-04-1]の記事で触れたように,近年,ここ20年くらいの間に言語起源論や言語進化論が盛んに研究されるようになってきた.今では国内外で,言語学,進化学,生態学,神経学,脳科学などが接触する学際分野として盛り上がっている.1世紀半前にパリやロンドンの言語学会で言語起源論が公式に禁じられたことを思うと嘘のようである.
1866年にパリの言語学会 ( la Société de Linguistique ) が,続いて1872年にロンドンの ( The Philological Society ) が言語起源論を禁じた.前者は特に有名だが,問題の禁止条文を見たことがなかったので調べてみた.以下は Google Books で見つけた画像.
1866年3月8日に承認された学会規程の第1条で,本学会は言語研究を目的とし,それ以外の研究対象は認めないと明言している.そして,第2条で問題の言語起源論の禁止を宣言している.
ART. 2 --- La société n'admets aucune communication concernant, soit l'origine du langage, soit la création d'une langue universelle.
第2条 --- 本学会は言語の起源や普遍言語の創造に関する一切の報告を受け入れない.
言語学会が言語起源論だけでなく普遍言語の創造も禁止していたのだと初めて知った.当時の言語を巡る言説や思想の迷走振りがうかがえる条文である.今考えると,言語学会が言語起源の研究自体を禁止してしまうというのは珍事どころか自殺行為とも思えるが,実際にはこの条文は効果覿面だった.その後,言語起源論は近年に至るまで科学の表舞台からほぼ姿を消したのである.
もっとも,進化論の生みの親 Charles Darwin (1809--82) やデンマークの英語学者 Otto Jespersen (1860--1943) など,言語の起源と進化の研究に貢献をなした研究者も皆無ではなかったとする見方が最近現われてきているようである(池内, p. 72--73).
・ 池内 正幸 『ひとのことばの起源と進化』 〈開拓社 言語・文化選書19〉,2010年.
世界の ESL ( English as a Second Language ) 地域は,[2009-10-21-1]の記事で列挙したように多数あり,[2009-06-23-1]で示唆したように今後も増えてゆくことが見込まれ,世界英語へ及ぼす影響は大きいと考えられる.ESL 地域は主に英米植民地化の歴史を背負っており,それゆえにというべきだが日本にとってあまり馴染みのない地域が多い.現代日本にとって比較的関心の強いところでは Hong Kong, India, Malaysia, the Philippines, Singapore などの南・東南アジア諸国が挙げられる.特に India は ESL を論じる場合には欠かすことのできない主要国だが,それ以外の世界の ESL 地域における言語事情については,日本では一般にあまり知られていない.ESL 地域のもつ潜在的な影響力を考えれば,各 ESL 地域について無知でいることは許されない.私自身も言語事情をよく知らない地域が多いし,ESL に言及するときに India の話題だけでは心許ないので,これから少しずつ調べていきたいと思っている.そこで,今回は典型的な ESL 国の1つ Nigeria ( Federal Republic of Nigeria ) に焦点を当ててみたい.
Nigeria は西アフリカのギニア湾に面するアフリカで最も人口の多い国である.人口が多いだけでなく,アフリカの多くの国々と同様に民族の多様性も高い.[2010-06-02-1]の記事で言語の多様性指数 ( diversity index ) を取りあげたが,Nigeria の多様性指数は 0.869 で世界第23位である.1国内に使用されている言語の数でいえば実に521言語を数え,Papua New Guinea, Indonesia に次いで世界第3位を誇る.言語的同質性の高い日本からみると想像を絶する言語事情である.Nigeria で使用されている諸言語の詳細については Ethnologue report for Nigeria を参照.
主要な言語としては,北部の Hausa, Fula,南西部の Yoruba,南東部の Igbo が挙げられる.このうち Hausa は Afro-Aisatic 語族,それ以外は Niger-Congo 語族に属する.政治的に特に重要な言語は Hausa で,国内の lingua franca の1つとなっているが,母語話者と第2言語話者を合わせても総人口(1億4000万を超える)の1/4に届かない.English, Nigerian Pidgin English もそれぞれ1000万人,3000万人ほどの話者を有し,lingua franca として国内でよく通用する.いずれにせよ単独で人口の1/4ほどのシェアを占める言語は存在しないが,政治や教育の場で公式に用いられる言語は英語である.話者数では1000万人ほどにもかかわらず,国のなかで英語が高い地位を確保されているのはなぜだろうか.
1つは歴史的な遺産である.西アフリカ,ギニア湾沿岸へのヨーロッパ人の訪問の歴史は,[2010-06-13-1]で紹介したカメルーンの英語事情に記した通りである.15世紀にポルトガル商船の交易基地が Nigeria 地域にも築かれ,16世紀にはイギリス人との接触により同地域に様々な英語変種が話されるようになった.ただし,イギリス人による植民地が Lagos (旧首都)に正式に設立されたのは1861年のことである.他の多くの植民地と同様に,このイギリス統治時代に標準イギリス英語が政治・教育などの公式な言語となり,1960年の独立後も現在にいたるまでその状況が遺産として受け継がれている.
2つ目に,英語が民族的,政治的に最も中立な言語とみなされているということがある.India の場合と同様に,多民族・多言語国家 Nigeria では公用語をある1つの言語に特定することは民族対立の原因となる.Nigeria には圧倒的な多数派がいないことも,公用語の制定を難しくしている.もし Hausa を採用すれば非 Hausa 系が団結して対抗するだろうし,政治問題そして流血の惨事へと発展する可能性が高い.実際に,Hausa と Igbo が血を流した1967年からの数年にわたる内戦(ビアフラ戦争)では150万の犠牲者が出た.このような国では,ある言語話者にとって「不平等に有利」になる社会状況を作り出すよりは,すべての言語にとって「平等に不利」であるほうが平和的である.そこで,言語的有利を犠牲にして万人にとって(第2言語という意味で)不利な言語である外来の言語たる英語を選ぶということが現実的な解決策になる.
3つ目に,上記のような国内政治的な理由で英語を用いざるを得ない状況のポジティヴな側面を見れば,英語を用いることによって世界とつながる機会が増えることにもなる.英語を公用語に掲げる国家としても外交上有利だし,英語を習得する個人としてもキャリア上有利だろう.
多くの ESL 地域の言語事情は複雑である.このような地域の言語事情を調べると,世界の人々が英語を話したり学んだりする理由も千差万別だということが改めてわかる.[2010-01-19-1]の記事も改めて参照されたい.
先週16日,英国史に歴史的な出来事が起こった.ローマ法王ベネディクト16世 ( Pope Benedict XVI ) が英国を公式訪問し,英国国教会の頂点に立つエリザベス女王と公式会談したのである.ローマ法王と英国(女)王の公式の修好は,ヘンリー8世 ( Henry VIII ) が1534年にカトリックと決別して以来,実に476年ぶりのことである.歴史的といってよい.
16日付けの BBC News によると,その日,法王の Glasgow の野外ミサに7万もの人々が押しかけたという.ものすごい歓待ぶりである.法王と女王の会談でも両教会の和解が強調された.
さて,記事の英文には法王を表わす名詞として (the) Pope が17回用いられているが,別に pontiff という名詞も3回用いられている.Pope はラテン語 pāpa に由来し,古英語期から用いられている.papa と同根で,キリスト教の教父の意味である.一方,法王に対する pontiff という呼称は17世紀後半からのことで,比較的新しい.この語はフランス語 pontife,さらにはラテン語 pontifex に遡り,pōns "bridge" + -fic-, -fex "maker" の複合語である.pontifex は "high priest" 「高位神官」を指し,その長 Pontifex Maximus が「法王・教皇」だったわけである.
「橋を架ける人」がなぜ「高位神官」となるのかについては,神官は地上と天井に橋を架ける人であるという解釈がありうるが,ここには民間語源 ( folk etymology ) 的な解釈が含まれているようである.OED によれば,ponti- は pōns 「橋」ではなく,ラテン語と同じイタリック語派の Oscan-Umbrian ( see [2009-06-17-1], [2010-07-26-1] ) における puntis "propitiatory offering" 「(神を)なだめるために差し出す捧げ物」ではないかという.これが後に pōns 「橋」と形態的に混同された.
今回の法王の訪英は女王の公式の招待によるもので,橋を架けてきたのは pontiff ではなく Queen だったが,pontiff も Queen の架橋に快く応じた.女王が演説で次のように両教会の融和を説くと,
Your Holiness, your presence here today reminds us of our common Christian heritage. . . . I'm pleased that your visit will deepen the relationship between the Roman Catholic Church and the established Church of England and Church of Scotland.
法王は,英国のキリスト教に基づく歴史を大いに評価して,その融和に次のように応じたのだった.
The monarchs of England and Scotland have been Christians from very early times, and include outstanding saints like Edward the Confessor and Margaret of Scotland. . . . As a result, the Christian message has been an integral part of the language, thought and culture of the peoples of these islands for more than a thousand years.[ 固定リンク | 印刷用ページ ]
昨日の記事[2010-09-20-1]でオオアリクイの学名 ( scientific name ) を話題にしたが,この学名 ( scientific name ) というのは一体どのようなものか.
学名は動植物の分類群において,万国命名規約に基づいてつけられる国際的な名称である.スウェーデン,ウプサラ大学の植物学教授リンネ ( Carl von Linné [1707-78] ) が1758年に考案した二名法 ( binomial nomenclature ) が用いられ,「属名+種名」で表わされる(通常イタリック体).語幹にはラテン語またはラテン語化したギリシア語その他の言語が使用される.より正確には「属名+種名+命名者」とするが,命名者の部分は省略されることが多い.例えばヒトは正確には Homo sapience Linne と表わされる.種 ( species ),属 ( genus ) に続く上位区分には,科 ( family ),目 ( order ),綱 ( class ),門 ( phylum ),界 ( kingdom ) がある.種の下位区分として亜種や変種があり,それを含めて表現する場合には3語目が付け加えられる.例えばローランドゴリラはゴリラの亜種とされ,Gorilla gorilla gorilla と表現される(以上,各種の事典・辞典より).
学名はラテン語に基づいているとはいえ,地名や人名と同様に universal な識別 ID である.したがって,英語辞書に掲載される筋合いのものではないという考え方もある.その意味では,日本語辞書にもその他のどんな個別言語辞書にも掲載される筋合いのものではないということにもなる.学名は百科辞典か専門辞典の領分だという立場だ.
一方で,学名が個別辞書に載っていれば使用者にとって便利であることも確かである.特定の何語にも属さないのならば,逆にいえばすべての言語に属するのだから英語辞書や日本語辞書にあってもよいだろうという理屈だ.英文を読んでいて Myrmecophaga と出てきたときに,英和辞書を引いて「アリクイ属」と出てくれば確かにほっとする.
学名が豊富に掲載されている英語辞書といって思い出すのが Web3 ( Webster's Third New International Unabridged Dictionary ) である.かつて辞書編纂の照合作業で Web3 と取っ組み合ったことがあるが,倦むほどの学名に出くわした.まともに勉強していれば今頃ラテン・ギリシア語の連結形 ( combining form; see [2010-09-20-1] ) に強くなっていたかもしれないが,数に圧倒されてそれどころではなかった.それ以来,個人的には学名を英語の一部とはみなしたくなく,生物学の専門知識として関心の外に葬り去ろうとしてきた・・・.
とはいえ,学術の高みにある学名が一般の語彙にまで「降り」てくるケースはある.Homo sapiens などは人口に膾炙しており,必ずしも高尚な術語という響きはない.次の例文は COBUILD の辞書より.
What distinguishes homo sapiens from every other living creature is the mind.
また,国際保護鳥のトキ(朱鷺)(英語通俗名 Japanese crested ibis )の学名は Nipponia nippon といい,国内で野生種は絶滅してしまったものの日本を象徴するメッセージ性のある学名としてひときわ目立っている.
動物園,水族館,植物園の案内にはたいてい学名が記されている.Web3 へのリベンジとして,これからは動物園の案内の学名に注目してゆこう.と,記事を書きながらちょっとだけ決意した.
我が家の近所の江戸川区自然動物園は,入園無料にもかかわらず驚くような動物を飼育している.ペンギン,オタリア,レッサーパンダ,そして今年6月にはオオアリクイのアニモ君が沖縄の動物園から引っ越してきた(ようこそ アニモ!!).オオアリクイは日本では全国の動物園をあわせても15頭といない稀少動物で,世界的にも絶滅のおそれがあるという.
上の説明にあるとおりオオアリクイは英語では giant anteater,学名は Myrmecophaga tridactyla である.学名 ( scientific name ) は動植物につけられた世界共通の名前で,ラテン語の形態規則にならって名付けられることになっている.一方,「オオアリクイ」や giant eater は言語ごとの通俗名 ( common name ) であり,日本の場合には和名とも呼ばれる.学名に用いられる語幹は当然ラテン語のものが多いが,ラテン語はギリシア語から大量に語彙を借用しているので,結果として学名にはギリシア語の語幹が含まれていることが多い.Myrmecophaga tridactyla もすべてギリシア語の語幹からなる学名である.
[2010-05-19-1]の記事で英語語彙の三層構造を話題にした.英語語彙はおおまかにいって (1) 英語本来語,(2) フランス語・ラテン語,(3) ギリシャ語の3階層 ( trisociation ) をなしている.類似した意味であっても由来によって複数の語が英語に存在するのはこのためである.(1) から (3) に向かってレベルが高くなり,堅苦しい響きになってくる.[2010-05-19-1]で3層語 ( triset ) の例として「蟻」を挙げた.英語本来語は ant,ラテン借用語は formic-,ギリシア借用語は myrmec- である.
属名 Myrmecophaga 「オオアリクイ属」は myrmec(o) 「蟻」と phag(a) 「食べる」の連結により成り,いずれもギリシア語起源である.同様に,種名 tridactyla もギリシア語起源で「3本指」の意である( tri- 「3」 + dactyl(a) 「指」).通俗名 anteater に比べて学名 Myrmecophaga tridactyla の堅苦しさが伝わってくるだろう.
myrmec, phag(a), tri, dactyl など,単独では語をなさないが語の1部として生産的に用いられる形態素(主として借用形態素)は連結形 ( combining form ) と呼ばれ,英語の形態論では扱いの難しい要素である.
Brigham Young University の Mark Davies により Corpus of Historical American English (COHA) が,最近,公開された.1810--2009年の範囲を覆うアメリカ英語コーパスで,総語数にして4億語を超える大型コーパスだ.公開されてからチョコチョコいじっているが,ワンクリックで10年区切りの頻度が出てグラフまで出してくれるので,この2世紀間のアメリカ英語の通時変化を鳥瞰するのにこれほど便利なツールはない.
特におもしろいのは,現在のイギリス英語とアメリカ英語とで形態や語法が異なっている1対の表現をそれぞれこのコーパスで検索してみることである.かつてはアメリカ英語でももっぱらイギリス的な表現が使われていたのが,時代が下るとともにイギリス色が抜けてゆく(あるいはアメリカ色が強まってゆく)様子がよく分かることだ.このこと自体は容易に予想されることだが,それがあまりに視覚的に明快に示されるので驚いてしまうのだ.例えば,私のゼミ学生で卒業論文のために英米差を調査している学生がいる.特に BrE in the street と AmE on the street の前置詞の差異に注目しているが,COHA でそれぞれをフレーズ検索すると後者が時代とともに増えてきていることが一目瞭然だという.
[2010-09-17-1], [2010-09-18-1]とで接続詞の while と whilst を話題にしたので,今回は COHA を用いて関連する調査をおこなってみたい.現代アメリカ英語では whilst はほとんど使われないが,イギリス英語では文語として現役である.では,かつてのアメリカ英語ではどうだったろうか.かつてはイギリス英語と同様にそれなりに使われていたが,ある時代から徐々に使われなくなり廃語となったという筋書きが予想される.それを COHA で確かめてみた.検索欄に "whilst.[cs]" (従属接続詞としての whilst )と入れて検索すると,たちどころに以下のような年代別頻度数が棒グラフとともに出力される.文字通りワンクリックなので「調査」と呼ぶのも大げさだ.結果としては,whilst は1810年代から2000年代までほぼ漸減を続けている.最も古い1810年代ですら whilst は while に比べれば minor variant にすぎないが,当時は100万語当たり81.27回現れていた.それが1930年代には5.04にまで落ちており,2000年代ではわずか1.59回である.
[2010-09-18-1]で出見たように Dracula (1897年) で while が14回しか現れないのに対して whilst が95回というのは,時代や文体によるところが大きいとしても,激しくイギリス的であることは間違いないようだ.
昨日の記事[2010-09-17-1]の続編.Dracula に現れる同時性・対立を表す接続詞の3異形態 while, whilst, whiles の頻度を,20世紀後半以降の英米変種における頻度と比べることによって,この60?110年くらいの間に起こった言語変化の一端を垣間見たい.用いたコーパスは以下の通り.
(1) Dracula ( Gutenberg 版テキスト ): 1897年,イギリス英語.
(2) LOB Corpus ( see also [2010-06-29-1] ): 1961年,イギリス英語.
(3) BNC ( The British National Corpus ): late twentieth century,イギリス英語.
(4) Brown Corpus ( see also [2010-06-29-1] ): 1961年,アメリカ英語.
(5) OANC (Open American National Corpus): 1990年以降,アメリカ英語.
(6) Corpus of Contemporary American English (BYU-COCA): 1990--2010年,アメリカ英語.
各コーパスにおける接続詞としての while, whilst, whiles の度数と3者間の相対比率は以下の通り.
while | whilst | whiles | |
(1) Dracula | 14 (12.61%) | 95 (85.59%) | 2 (1.80%) |
(2) LOB | 517 (88.68%) | 66 (11.32%) | 0 (0.00%) |
(3) BNC | 48,761 (89.41%) | 5,773 (10.59%) | 0 (0.00%) |
(4) Brown | 592 (100.00%) | 0 (0.00%) | 0 (0.00%) |
(5) OANC | 7,893 (100.00%) | 0 (0.00%) | 0 (0.00%) |
(6) COCA | 246,207 (99.82%) | 447 (0.18%) | 0 (0.00%) |
先日,ハンガリー旅行中に時間をもてあますことがあり,持参した本もすべて読み潰していたので困ったことがあった.飛び込んだ書店には英語の本があまりなかったのだが(ハンガリー語は読めないので),かろうじて Penguin Popular Classics の一部が置いてあった.物色した結果,アイルランド作家 Bram Stoker (1847-1912) による怪奇小説の名作 Dracula 『吸血鬼ドラキュラ』 (1897) を手に取った.主人公のドラキュラ伯爵はルーマニアの Transylvania 地方(ハンガリー東部から広がる地域)の城主という設定であり,この旅にそこそこふさわしいと思われたからだ.450ページ近くあるので時間潰しの目的にもかなう.帰りの飛行機で本格的に読み始め,帰国後も寝る前に少しずつ読み続けているが,いまだに読み終わらない.
物語はおもしろいので引き込まれるが,趣味の読書とはいえ,気になる英語表現には目が留まる.気になることの1つに,接続詞 whilst が高頻度で現れることがある.接続詞 whilst は現在ではイギリス英語の文語に特徴的な形式張った語で,while に比べれば頻度の低い語である( Longman の辞書によれば while は最頻1000語レベル以内,whilst は最頻2000語レベル以内).もちろん作品には while も出るが whilst の頻度のほうが圧倒的に高く,この点で現在のイギリス文語の状況とは異なる.さらに whiles なる代替表現も稀ではあるが現れ,これは調べなければと思い立った.ほぼ1世紀の間に,接続詞としての while, whiles, whilst のそれぞれの頻度はどのように変化してきたのだろうか.
頻度の問題を考察し始める前に,同時性や対立を表す従属接続詞として機能する3種類の形態の起源を見ておこう.現在もっとも一般的に用いられる while は,[2010-06-18-1]で話題にしたように古英語では「時間」を意味する名詞にすぎなかった.それが文法化 ( grammaticalisation ) を経て副詞や接続詞としての機能を発展させてきた.機能的発展という点では whiles や whilst も while と同様であり,名詞 while が起源と考えてよい.ただし前者2語は形態的には説明が必要である.
whiles の語尾の -s は[2009-07-18-1]で話題にした副詞的属格 ( adverbial genitive ) である.whiles は13世紀に初めて現れ,単独であるいは複合的に「?のときに」を表す副詞や接続詞として普通に見られるようになった.現在ではスコットランド方言で「時々」の意味を表し,また古語としては while と同義に用いられるが,一般的には廃語となったと考えてよい.関連語としては,いずれもやはり古語としてだが otherwhile(s) や somewhile(s) がある.
whilst [waɪlst] は上記の whiles に -t 語尾がついたもので,副詞としては14世紀から,接続詞としては16世紀からおこなわれている.-t 語尾の付加については一種の音便とも考えられるが,意味や機能の点で関連づけられ得る against, amidst, amongst, betwixt などの語類の語尾が互いに影響しあった結果の挿入ではないかといわれる.これらの語類はいずれも副詞的属格の -s を取り,かつ最上級の -st との連想が働いたために,-st をもつようになったと考えられている(日本語でも「?の最中に」などという).上述したように,whilst は現在ではイギリス英語の文語に限られ,形式張った語である.while と比較すると頻度は高くないが,文章でお目にかかる機会は結構ある.
接続詞 while の variants として whiles と whilst の形態の歴史をみたところで,次回は Dracula の英語と数世代下った英米変種での各形態の頻度を見てみることにしよう.
先日,千葉県松戸市へ梨もぎに出かけた.この夏の猛暑により収穫時期が例年よりも1週間遅れているとのことで,「幸水」が終わり「豊水」が盛りだった.私はリンゴよりナシ派なので,もぎたての豊水をたらふく食べてきた.
梨は古くは「なす」といったようで,周囲部より内部のほうが酸味があることから中酸(なかす)が中略されたものと言われる.別名の「ありのみ」は,梨が「無し」に通じるのを嫌い,縁起言葉として逆に「有りの実」といったことによる(以上はPDFでダウンロードできる野菜・果物辞典 「やさいとくだもの2010年版」 より).「梨のつぶて」は「無し」に引っかけた語呂遊びで,投げたつぶて(小石)は返ってこないことから手紙などで返事がない状況を指す.このように梨は「無し」に通じることから,日本の文化史上,ネガティブに捉えられることが多かった.
バラ科ナシ属の植物 ( Pyrus ) で世界に約20種が分布しているが,果樹として栽培されるもので特によく知られているのはナシ(ニホンナシ)とセイヨウナシである.英語の pear はあくまでセイヨウナシであり,ニホンナシは Japanese [Asian] pear などという.最近はラ・フランスなど洋菓子の材料としてヨウナシもよく知られるようになったが,英語の pear と日本の「梨」はあくまで別種である.以下の図で左がヨウナシ.
ここで英語の pear の綴字と発音の話題に移ろう.この綴字を初見で音読しようとすると,peer と同音の *[pɪə] となりそうに思えるが,実際には pair と同音の [pɛə] であり,予想を裏切られる.<ear> の綴字が通常 [ɪə] に対応することは,以下の多くの語によって例証される.
appear, arrears, beard, blear, clear, dear, dreary, ear, fear, gear, hear, near, rear, sear, shear (verb), smear, tear (noun), weary, year
現在 <ear> で綴られる発音の多くは中英語では [ɛːr] であり,大母音推移 ( Great Vowel Shift ) により長母音が2段上昇して [iːr] となった(2段上昇については[2009-11-18-1]を,その例外については[2009-11-19-1], [2009-11-20-1], [2010-07-25-1]を参照).後に後者が割れ ( breaking ) を起こし,結果として [ɪə] となった.上記の語群の発音は歴史的にみて規則的といってよい.
ところが,<ear> をもつ一部の語は大母音推移の上げを経ず,[ɛːr] から直接に割れを起こして [ɛə] となり現在に至っている.例としては pear を含めて以下のような語がある.
bear ( OE beran ) , pear ( OE peru ) , swear ( OE swerian ) , tear (verb; OE teran), wear ( werian )
これらの例外的な語群では,問題の [ɛːr] は大母音推移が始まる直前の15世紀始めくらいに [eːr] から下げの過程を経た出力らしい.この特殊な経緯が,素直に大母音推移の入力とならない環境を用意した.古英語の語形を参照すれば,後の中英語の開音節長化 ( Middle English Open Syllable Lengthening ) の入力となりうる音連鎖が含まれていることが共通しているが,spear ( OE spere ) のような例外もある.音変化は一筋縄ではいかない.
ちなみに pear はラテン語 pirum からの借用で,Pyrus 「バラ科ナシ属」では古い [i] の母音が保存されている.
・ 中尾 俊夫 『音韻史』 英語学大系第11巻,大修館書店,1985年.194--95, 209--10頁.
Helsinki 大学の VARIENG ( Research Unit for Variation, Contacts and Change in English ) プロジェクトに関わる電子サービスの一環として,英語歴史コーパス(と英語変種コーパス)の情報をとりまとめる CoRD ( Corpus Resource Database ) なるサービスがある.すでに51件のコーパス情報が登録されており,今後も増え続けるだろう.種々のコーパスが様々な形態で公開され,そろそろ本格的な整理の必要が感じられるようになってきたので,CoRD のようなハブが出てくると重宝する.今後の登録コーパスの増加に期待したい.
・ List of Corpora: まずはこちらの一覧を.
・ Corpus Finder: 登録されている全コーパスの情報が表形式のデータベースになっている."Corpus", "Start", "End", "Periods", "Word Count", "Text Samples", "Spoken/Written", "Annotation", "Format", "Availability" の各列でソートやフィルターが可能.(こういうデータベースがあると便利だろうなと思っていた!)
各コーパスのリンク先には,概要説明から入手情報までの情報がよくまとまっている.特に "Basic structure of the corpus" は図表付きのものが多く有用."Reference lines and copyright" なども,ちょっとしたことなのだが論文を書くときなどにコピーできて便利.覚えておいて損はない HP だろう.
CoRD の他にも,英語コーパス言語学に関連する重要な HP をいくつか掲載しておきたい.個々のコーパスの関連ページはしばしばリンク切れになっているので,複数のハブを押さえておく必要がある.
・ コーパス言語学関係のリンク集: 家入葉子先生のサイトより.
・ 英語史関係のコーパス・電子テキスト: 同上.
・ 英語史関係のコーパス: 三浦あゆみさんの A Gateway to Studying HEL より.
・ JAECS 英語コーパス学会のリンク集: 『英語コーパス言語学:第二版』(東京:研究社, 2005)に掲載されているものをまとめたリンク集.
・ コーパス関連サイト: 『実践コーパス言語学』の著者の一人,須賀廣氏のリンク集.
・ ICAME Corpus Manuals: ICAME コーパスのマニュアルがまとまっている.
[2010-08-13-1]で意味変化の典型的なパターンを見たが,そのなかの1つ,意味の悪化・下落 ( pejoration ) の例としてよく挙げられる語に silly がある.silly は現在でこそ「馬鹿な,おろかな」を表す一般的な語だが,古英語での意味は「幸せな,祝福された」だった.どのような過程を経て,これほどまでに意味が変化したのだろうか.以下の図は silly の各語義の使用年代を表したものである( OED に基づいて作成).
古英語での形態は (ġe)sǣliġ であり,意味は "fortuitous; happy, prosperous" だった.宗教的な色彩を帯びた幸福を表す "blessed" 「祝福された,神の恵みを受けた」からは,中英語期に "pious" 「信心深い,敬虔な」の語義が発展した.信仰の篤い人はたいてい "innocent" 「素朴,純朴,無邪気」であり,無邪気な人は多く "pitiable" 「かわいそう」なほどに "foolish" 「愚か」であり "unlearned" 「無学」である.「無学」であることは "weak" 「無力」で "humble" 「卑しく」"frail" 「弱い」ことにもなる."insignificant" 「取るに足りない」人物と見られるのも自然である.こうして,千年の時間をかけて,隣接する意味領域へと意味を広げ,変化していったのである.
プラスの意味からマイナスの意味への橋渡しをしたのは,"innocent" 辺りと考えられる.無邪気はよく言えば「純朴」,悪く言えば「世間知らず」であるからだ.日本語でも「おめでたい」は,文字通りの肯定的な意味の他に皮肉を込めた否定的な意味をもっている.フランス語 crétin 「馬鹿な」の原義が「キリスト教徒」 ( chrétien ) であること,同じくフランス語 benêt 「間抜けの」がラテン語の benedictus 「祝福された」に遡ることも,意味変化の経路という点で,酷似している.どうも「(宗教的な)無邪気さ」というのは紙一重のようである.
以上の意味変化の経緯を踏まえると,silly sheep, silly old man, you silly thing などの常套句にこめられたニュアンスは,非難的な「馬鹿な」ではなく,皮肉と同時に憐憫と同情のこもった「馬鹿な」であることがわかるだろう.
「無邪気」をプラスの意味からマイナスの意味への橋渡しと考える向きが多いが,『シップリー英語語源辞典』では別の解釈が提示されている.ノルマン・コンクェストにより,勝者ノルマン人は狩猟や娯楽に耽る何不自由しない「恵まれた」生活を送ることができるようになった.額に汗して働く庶民にとっては「恵まれた」と「怠惰」とは同義に思われたろう.さらに民主主義の発達によって労働に尊厳が認められるようになると「怠惰」は「愚か」であるとして,明確に否定的な価値を帯びるようになった.ここで意味の正負の逆転が生じたのではないかという.興味深い解釈である.
さて,silly は意味的には180度の変化を経たが,形態的にも多少の変化を経てきている.中英語では古英語の (ġe)sǣliġ の長母音を保った sēli などの形態が行われたが,15世紀に /e:/ から変化した /i:/ の母音が /i/ へ短音化するに及んで,silly も起こるようになった.以来 silly がこの語の主要な形態となったが,古い発音に基づく seely も16世紀までは存続した.seely は現在方言で残っており,silly とは二重語 ( doublet ) の関係をなしている.
・ Room, Adrian, ed. NTC's Dictionary of Changes in Meanings. Lincolnwood: NTC, 1991.
・ ジョーゼフ T. シップリー 著,梅田 修・眞方 忠道・穴吹 章子 訳 『シップリー英語語源辞典』 大修館,2009年.
[2010-07-27-1]の記事で,形容詞の比較級・最上級を示す -er / -est を形容詞の屈折と見なすべきかどうかについての議論があることを話題にした.これを除けば現代英語における形容詞の屈折は皆無といってよさそうだ.古英語では,形容詞は統語的に関連する名詞の性・数・格に応じて激しく屈折したし,さらにゲルマン諸語に特徴的な強変化屈折と弱変化屈折の使い分けも存在していたことを思うと,現代英語の状況は「屈折の消失」が英語史の流れを構成する大きな要素であることを改めて思い起こさせる.
ところが,Bryson (26) によると,現代英語に屈折する形容詞が1つあるという.
In English adjectives have just one invariable form with but, I believe, one exception: blond/blonde.
blond(e) 「金髪の,ブロンドの」はフランス借用語であり,借用元言語の文法にならって男性(名詞)を修飾するときには blond を,女性(名詞)を修飾するときには blonde を用いるというのが伝統的な使い分けである(発音は区別がない).しかし,この伝統は必ずしも守られなくなってきている.アメリカでは男女にかかわりなく一般に blond が用いられることが多くなってきており,イギリスでは逆に blonde が一般形として選ばれている.いずれにせよ,変化の流れとしては区別がなくなる方向に動いていると考えてよさそうだ.
消えつつあるのかもしれないが一応いまだ存在する blond/blonde の区別を,現代英語に「残る」唯一の屈折する形容詞と表現しなかったのは,古英語以来の屈折とはタイプが異なるからである.数や格による屈折ではないし,性 ( gender ) による屈折とはいっても古英語的な文法性 ( grammatical gender ) ではなく現代英語的な自然性 ( natural gender ) による屈折にすぎない.しかも,この屈折は借用元のフランス語の文法を参照した「格好つけのまねごと」のように見える.古英語の形容詞屈折とは一線を画しており,屈折としての歴史的な連続性が感じられない.したがって,「残る」というのは必ずしも適切でないと判断した.
OED でのこの語の初例は15世紀の Caxton だが,その後は17世紀後半まで現れず,そこでもイタリック体で綴られていることから,いまだに借用語との意識が濃厚だったにちがいない.現代英語でも,発音こそ区別しないが綴字で区別するということは意識的に保たれている区別であることを示しており,やはりフランス単語であることによって生じる「格好つけのまねごと」という色合いが強い.
しかし,共時的にみれば性に基づく屈折であるには違いない.現代英語に存在する唯一の屈折する形容詞であるという事実は嘘ではない.この区別が今後失われていく可能性が強いことを考えると,伝統からの脱却,性差の廃止,例外的事項の規則化を示しうる言語変化の事例として注目すべきだろう.
なお名詞としては男性に blond,女性に blonde を用いるのが一般的であり,形容詞用法とは異なり,区別はよく保たれている.
・ Bryson, Bill. Mother Tongue: The Story of the English Language. London: Penguin, 1990.
現代英語の綴字と発音の関係は,母語話者にとっても非母語話者にとってもしばしば非難の対象になるが,[2010-02-05-1]の記事で少し触れたとおり,世間で酷評されるほどひどくないという主張がある.Crystal (72) によれば綴字が完全に不規則な日常英単語はわずか400語程度にすぎないという.また,以下のように綴字の規則性は75%?84%にも達するという推計もある.
English is much more regular in spelling than the traditional criticisms would have us believe. A major American study, published in the early 1970s, carried out a computer analysis of 17,000 words and showed that no less than 84 per cent of the words were spelled according to a regular pattern, and that only 3 per cent were so unpredictable that they would have to be learned by heart. Several other projects have reported comparable results of 75 per cent regularity or more. (Crystal, pp. 72--73)
この数値をみると,確かに巷で騒がれるほど英語の綴字はめちゃくちゃではないのだなと感じるかもしれない.しかし,こうした推計値は,解釈に際して2つの点で注意すべきである.1つは,推計値は調査対象とする語彙の範囲(例えば明らかに不規則性が多く観察される地名や人名などの固有名詞を含むかどうか)や規則性の計測の仕方(例えば meat, meet, mete の綴字はいずれもある意味で規則的と判断できるが,/mi:t/ を綴る可能性が3種類もあると考えれば予測不可能性は増し,その分不規則的ともいえる)などに大きく依存するという点である.何をどのように数えるかということが肝心である.
それでも,複数の推計で法外に大きく異なる値が出たわけではないので,ひとまず上の値を受け入れると仮定しよう.その場合でも,次の点を考慮する必要がある.数値が客観的であるとしても,その数値をどのように解釈すればよいかという基準が主観的あるいは相対的になることがありうるという点である.具体的に言えば,綴字の規則性を示す84%という上述の値は,本当に高いと評してよいのだろうか.綴字と発音の関係が例外なしの完璧な場合を100%と考えているのだろうが,その正反対である0%というのはローマ字のような表音文字 ( see [2010-06-23-1] ) を話題にしている限り,定義上ありえない.表語文字である漢字ですら,形声文字では,音読みに関する限り,読み方の予測可能性はかなり高いのである.つまり,100%の対極として0%を想定することは現実的にはありえない.取り得る値の範囲は,0--100% ではなく,例えば 50--100% くらいに落ち着くはずである.その中で84%という数値を評価する必要がある.
また,英語と同じローマ字を用いる他のヨーロッパ語を考えてみると,フランス語やドイツ語などで同じような推計をとると限りなく100%に近くなるのではないかと想像される.それと比較すると,英語の84%という値は相当に低いとも考えられる.「表音文字で綴られる言語」を標榜している限り,完璧な100%までは求めずともせめて95%くらいは欲しい,譲っても90%だなどと考えれば,84%では心許ないともいえる.「表音文字」であるから100%を建前としているし,取り得る値のボトムが0%でありえないという上記の前提を考慮すると,英語の84%という値の解釈は難しい.
出てきた数値はそれなりに客観的だとしても,その解釈は相対的にならざるを得ないと考える所以である.
・ Crystal, David. The English Language. 2nd ed. London: Penguin, 2002.
Crystal (98) に,Geoffrey Leech のテレビ広告で最も頻繁に用いられる形容詞に関する研究が言及されている.それによると,上位20形容詞は以下の通りである(頻度順に).
new, good/better/best, free, fresh, delicious, full, sure, clean, wonderful, special, crisp, fine, big, great, real, easy, bright, extra, safe, rich
広告の言語であるから肯定的な語が多いのは自然といえる.また,広告では印象的で感情に訴えかける語で,なおかつ短い語を用いる傾向があると予想されるため,語源的には英語本来語が多いのではないかと推測できる.だが,上の20語を調べてみると,確実に本来語と言えるのは意外にも半分の10語にすぎなかった ( new, good/better/best, free, fresh, full, clean, wonderful, great, bright, rich ).それ以外は,ロマンス語由来のものが多い.一方で語の短さでみると,音節数の平均値は 1.35 である.多音節語は wonderful, delicious, special, extra の4語にすぎない.ロマンス語由来でも短い語が多いということは,それらが庶民化あるいは本来語化した形容詞だということになり,広告の言語の要求する条件と一致するように思われる.1世代前のテレビ広告と比べて頻出形容詞の質や量に違いがあるのかどうかなど,通時的な研究もおもしろそうである.
ところで,肯定的な形容詞がこれほどまでに頻度の上位を占める言語変種は,広告をおいて他にありえないのではないか.Leech の研究はコーパスに基づいた研究に違いないが,このような調査はマーケティング,営業,自分の売り込みなどに活用できるかもしれない.では逆に否定的な形容詞が頻出する言語変種とは何だろうか.考えてみたら次のような言語変種やジャンルが思い浮かんだ.
・ 悪口の会話,愚痴の会話
・ 皮肉な評論,酷評文
・ 風刺文学
・ 呪いの発話・文章
今のところこのようなネガティブな(ブラックな?)言語変種に着目したコーパスというのは出ていないように思えるが,ポジティブな結果が出る研究よりきっとおもしろいのではないだろうか.
・ Crystal, David. The English Language. 2nd ed. London: Penguin, 2002.
9月に入ってからもいまだ日本列島では猛暑が続いているが,空を見上げると秋を思わせるうろこ雲が浮かぶようになった.うろこ雲はいわし雲,さば雲,まだら雲とも呼ばれるがいずれも俗称で,正式名称は巻積雲(けんせきうん)という.英語で何というのかと思い調べてみると,cirrocumulus というと知った.世界気象機関 ( World Meteorological Organization ) によると,雲は10種類に分類されるという.以下は Visual Dictionary Online からの画像.cirrocumulus は2番目の "high clouds" (上層雲)の画像にある.
英語での俗称は mackerel sky と表現し,鯖の群れが広がる空と見立てているが,ここでいう sky はこの語の原義を考えると興味深い.sky は古ノルド語 ský 「雲」からの借用語で,英語には13世紀に英語に初めて現れるが,英語でも当初の意味はやはり「雲」だった.古英語 scua "shadow, darkness" や scield "shield",フランス語からの借用語 obscure なども同根と考えられ,印欧祖語 *(s)keu- の原義は "to cover" 「覆い隠す」と考えられる.sky は13世紀後半から早くも「空」の語義を発展させ,現代に至っており,原義「雲」は16世紀の例を最後に廃れてしまった.
古英語で「雲」は wolcen と言ったが,12世紀くらいからは sky と同様に「空」の語義を発展させ,文学・詩的な表現として現代の welkin につらなっている.2単語で「雲」が「空」へと意味変化を遂げたのに対して,「雲」を表す一般的な語として13世紀以降に台頭してきたのが cloud である.この語は古英語期から「岩山」の意味で用いられていたが,「雲」の意味での sky や welkin が衰退するにつれて,新しい「雲」の意味を担う語として発展したと考えられる.3単語の意味変化は13世紀辺りに集中していることから,互いに連動していると考えるのが妥当だろう.
関連して skyless 「曇った」という形容詞について一言.この語の初例は1848年と新しいが,発想は「(青)空が見えない」→「曇った」ということだろう.しかし,sky の原義が「雲」だったことを知ると,逆ではないかと突っ込んでしまいたくなる.語源を知ると見方が変わるものである ( see [2009-05-10-1] ) .
[2010-07-23-1]の記事で触れたとおり典型的なイギリス英語,とりわけ RP ( Received Pronunciation ) では通常 postvocalic r は発音されない.しかし,語末に non-rhotic r が現れ,直後の語が母音で始まる場合には r が「復活」するリエゾン ( liaison ) が観察される.例えば "My car is very old." や "Necessity is the mother of invention." などでは r が発音されるのが普通である.
「復活」するためには本来的に r がなければならないはずだ.car や mother が語として単独に発音される場合には r は実現されないが,上記の例をみると本来的に語末に r があると想定するのが妥当である.ところが,本来的に r が欠けているにもかかわらず,次の語が母音で始まる場合に r が挿入される場合がある.この場合には,「復活」とは呼べないので「挿入」や「割り込み」 ( intrusion ) と呼ぶことになる.intrusive r は話し言葉では非常に頻繁に生じる.
最もよく知られた例は,law(r) and order や the idea(r) of this だろう.これらの頻度の高い共起表現では,本来的にあるはずのない r が幽霊のように現れる.他には Shah(r) of Persia, Africa(r) and Asia, an area(r) of disagreement, drama(r) and music などがある.また,1語内でも音節の切れ目で r が挿入される awe(r)-inspiring, draw(r)ing などの例がある.類似現象として,India(n) and Pakistan など intrusive n なるものも見られる.
intrusive r は母音連続を避けようとする一種の音便 ( euphony ) と考えることができる.しかし,この解釈だけでは,なぜ挿入されるのが r でなければならないのか,なぜ *"I(r) am a student" など intrusive r が生じ得ない場合があるのかをうまく説明できない.発音のしやすさに基づく euphony だとしても,(1) 頻度の高い共起表現に起こりやすいこと,(2) 特定の母音が関わるときに起こりやすいことの2点を指摘する必要がある.
(2) について考えてみよう.r が「復活」するタイプの語の語末母音は,実は4種類しかない.four, car, fur, mother にそれぞれ含まれる /ɔː/, /ɑː/, /ɜː/, /ə/ である.一方,これらの母音で終わるが「復活」し得ないタイプ,つまり本来的に r が含まれないタイプの語は,数が非常に少ない.例えば law, Shah, sofa などがあるが,/ɜː/ に対応するものはない.したがって,この4種類の母音で終わる語は十中八九,本来的に r をもっている語であり,intrusive r を伴うのが通常である.そこで,本来的な r をもつこれら多数派からの圧力によって,例外に属する law や Shah も intrusive r を伴うようになったと考えられる.ここでは,音素配列 ( phonotactics ) のありやすさ ( likelihood ) が鍵になっているのである.
intrusive r は発音の規範を意識する人々によって非難されることがあるが,当の本人が "the idea(r) of an intrusive r is obnoxious" と r を挿入したりして,規範とは難しきものなるかな ( Crystal, p. 61 ) .
・ Crystal, David. The English Language. 2nd ed. London: Penguin, 2002. 60--61.
[2010-06-19-1], [2010-09-07-1]で扱った bracketing paradox について,Spencer を参照して英語からの例をもっと挙げてみたい.形態論上,語彙論上いろいろな種類の例があるようだが,ここでは分類せずにフラットに例を挙げる.
word | morphological analysis | semantic analysis |
---|---|---|
atomic scientist | [atomic [scient ist]] | [[atomic science] ist] |
cross-sectional | [cross [section al]] | [[cross section] al] |
Gödel numbering | [Gödel [number ing]] | [[Gödel number] ing] |
hydroelectricity | [hydro [electric ity]] | [[hydro electric] ity] |
macro-economic | [macro [econom ic]] | [[macro economy] ic] |
set theorist | [set [theory ist]] | [[set theory] ist] |
transformational grammarian | [transformational [grammar ian]] | [[transformational grammar] ian] |
ungrammaticality | [un [grammatical ity]] | [[un grammatical] ity] |
unhappier | [un [happi er]] | [[un happy] er] |
derivative | base |
---|---|
baroque flautist | baroque flute |
Broca's aphasic | Broca's aphasia |
civil servant | civil service |
electrical engineer | electrical engineering |
general practitioner | general practice |
medieval sinologue | medieval China |
modern hispanist | modern Spain/Spanish |
moral philosopher | moral philosophy |
nuclear physicist | nuclear physics |
serial composer | serial composition |
Southern Dane | Southern Denmark |
theoretical linguist | theoretical linguistics |
urban sociologist | urban sociology |
[2010-06-19-1]で bracketing paradox という現象を取り上げた.派生や複合など複雑な構造をもった形式において,意味と形態の構造が一致しない現象である.unhappiest は,意味的には間違いなく [[un-[happi-A]]A-est]A ( unhappi-est ) だが,形態的には [un-[[happi-A]-est]A]A ( un-happiest ) でなければおかしい.
この問題に関心をもち関連する Spencer の論文を読んでみたら,これまでに様々な理論的な説明が与えられてきたことがわかった.しかし,いまだに完全な解決には至っていないようである.
同じ論文で bracketing paradox について日本語からの例が挙げられていたので紹介したい (665 fn) .「小腰(こごし)をかがめる」という表現で,「小」は「腰をかがめる」という動詞句全体にかかって「ちょっと腰をかがめる」ほどの意味である.ここでは大腰に対して小腰なるものを話題にしているわけではなく,「小」と「腰をかがめる」の間に統語意味上の切れ目がある.ところが,「こごし」と連濁が生じていることから,形態的には「小」と「腰」は密接に関係していると考えざるをえない.ここに意味と形態の構造の不一致が見られる.
なるほどと思い,類似表現を考えてみたらいくつか思いついた.「小腹がすく」や「小気味悪い」は連濁を含んでおり,同様の例と考えてよいだろう.「小耳にはさむ」も,連濁を含んではいないが類例として当てはまりそうだ.他にも「小?」でいろいろ出てきそうだが,「大?」では思いつかなかった.
・ Spencer, Andrew. "Bracketing Paradoxes and the English Lexicon." Language 64 (1988): 663--82.
こんな英語学習サイトを見つけた.English Language: All about the English language.この手のサイトは多数あるが,トップに英語史と英語の統計情報が簡単にまとまっているので目を引いた.
・ English language History
・ English language Statistics
前者の英語史の解説文の "Middle English" の節で,中英語期の英語の復権 ( see reestablishment_of_english ) がノルマン・コンクェスト後の50年くらいで早々と始まっていたという記述があった.
Various contemporary sources suggest that within fifty years most of the Normans outside the royal court had switched to English, with French remaining the prestige language largely out of social inertia. For example, Orderic Vitalis, a historian born in 1075 and the son of a Norman knight, said that he only learned French as a second language.
英語の復権を話題にするときには話し言葉か書き言葉か,庶民レベルか貴族レベルか,言語使用の状況が私的か公的かなど,視点によって復権の時期や程度が変わってくるのだが,従来の英語史ではフランス語のくびきの時代が中世のあいだに比較的長く続いたと記述されることが多かったように思う.しかし,事実としては上の解説文にあるとおり,中世イングランドでは庶民の実用上,英語は圧倒的な言語だったのであり,この事実を強調しておくことは重要だと思う.
英語の統計については本ブログでも statistics の各記事で取り上げてきたが,以下のものは驚きこそしないが,私にとって初耳だった.
・ English is the language of navigation, aviation and of Christianity; it is the ecumenical language of the World Council of Churches
・ Five of the largest broadcasting companies in the world (CBS, NBC, ABC, BBC and CBC) transmit in English, reaching millions and millions of people all over the world
・ Of the 163 member nations of the U.N., more use English as their official language than any other. . . . After English, 26 nations in the U.N. cite French as their official tongue, 21 Spanish and 17 Arabic.
・ People who count English as their mother tongue make up less than 10% of the world's population, but possess over 30% of the world's economic power
ただし,全体的に典拠は示されていない.また,2010年現在の国連加盟国は192カ国であり,上記の3点目の163カ国に基づく統計は1990年くらいの時点での数値かもしれない( see United Nations member States - Growth in United Nations membership, 1945-present ) .
このサイトには他にも English Dictionaries や English Literature などのページがある.
8月末はハンガリーでハンガリー語 ( Hungarian ) に触れてきたので,ハンガリー語とそれが属するウラル語族 ( Uralic ) について関心をもった.簡単に整理してみたい.
ハンガリー語は,印欧語族 ( Indo-European ) に属する英語とは無関係と考えられるが,ユーラシア大語族の仮説によれば両語族は遥か遠い類縁関係にある.同仮説によるとユーラシア大語族は印欧語族,ウラル語族,アルタイ語族 ( Altaic ) からなる.日本語をアルタイ語族に含める論者もいるので,その場合には日本語,英語,ハンガリー語はいずれもかすかに繋がっているという理屈になる.これらの仮説はおいておくとして,ハンガリー語の属するウラル語族の簡易系統図を見てみよう(バーナード・コムリー他,p. 46 の図をもとに作成).
Britannica よりウラル語族の分布図も参照.また,ウラル語族の各言語の詳細については,Ethnologue report for Uralic を参照.
ウラル語族の名前はウラル山脈 ( the Urals ) に由来し,実際,同語族の分布は山脈を中心に東西に広がっている.ハンガリー語は9世紀にウラル地方から西に移住してきたマジャール人の言語で,現在は他の同族諸言語から大きく離れて分布している.フィンランドの公用語のフィンランド語,スカンジナビア北部やロシアのコーラ半島の遊牧民ラップ人に話されるサーミ語,エストニアの公用語のエストニア語は互いに近い関係にあるフィン系の言語だが,ハンガリー語の属するウゴル系とは約3000年前に分離したと考えられている.そのため現在では,ハンガリー語と例えばフィンランド語の関係は遠いが,比較言語学的な音声の対応は明らかである.
この語族の言語的な特徴は複雑な格体系と母音調和 ( vowel harmony ) にある.フィンランド語で15格,ハンガリー語で17格と目が回りそうだが,格語尾は非常に規則的で予測可能だという.母音調和は1つの単語内で同系列の母音のみが共存できる母音配列上の規則で,体系的な同化 ( assimilation ) と考えられる.
英語には体系的な母音調和はないが,英語を含むゲルマン語にかつて生じた i-mutation は一種の母音調和と考えられなくもない.i-mutation については,「foot の複数はなぜ feet か」の記事を参照.
比較のために印欧語族の系統図は[2010-07-26-1], [2009-06-17-1]を参照.
・ バーナード・コムリー,スティーヴン・マシューズ,マリア・ポリンスキー 編,片田 房 訳 『新訂世界言語文化図鑑』 東洋書林,2005年.46--47頁.
大母音推移 ( Great Vowel Shift ) については,これまでも[2009-11-18-1]を始め gvs の各記事で話題を提供してきた.GVS が英語史上の大きな問題であるのは,一見すると非常に体系的に起こっており綺麗なのだが,よく見るとそこいらに例外があるからだ.これらの例外を含めて GVS という現象を説明しようとすると,どうしても綺麗にはいかないので問題となるのである.
GVS が一枚岩でないことは多くの論者によって指摘されており,従来 push chain や drag chain などの用語で機能主義的に説明されてきた現象が,今では個別の音声変化の集合として認識されることも多くなってきた.一言でいえば,GVS は一枚岩ではなく "local" であると表現できるだろう."local" の意味については Nevalainen (120--21) の説明が簡単明瞭である.
The Great Vowel Shift was local in three respects. First, it never ran its course in all regional dialects: in the northern dialects it affected the front vowels but not all back vowels. Secondly, it did not proceed uniformly across the lexicon as one might expect a fully regular sound change to do, that is, it did not affect all the words that contained a sound that qualified for a given change. Finally, there are some developments in words containing long vowels with outcomes that could not have been predicted from their Middle English forms. Some of these 'irregularities' in the southern mainstream variety may be attributed to dialect contact.
(1) GVS の貫徹度が方言によって異なること,(2) ある方言に注目した場合でも予想される音声変化がすべての語彙に行き渡っていないこと,(3) 予想される音声変化の入力と出力の関係に例外が存在すること,とまとめられるだろう.そして,その例外は "dialect contact" によって説明されるとする.
近年,GVS が一枚岩ではないという考え方が盛り上がってきているのは,個別の音声変化の背景には方言間の接触,とりわけ方言話者どうしの間の距離の取り方といった社会言語学的な要因があることが注目されてきたからだろう.方言学の発達によって,イギリスの諸方言の歴史への関心が高まってきたことも関係している.
社会言語学や方言学の発達と GVS の再解釈はこのように連動していると考えられるが,"dialect contact" という発想自体は実は非常に古いものである.というのは,19世紀後半に活躍した新文法学派 ( neo-grammarians ) も同じようなことを考えていたからである.彼らは音声変化は原則として例外がなく一貫して作用すると考えたが,実際のところ例外に出くわすとそれを類推 ( analogy ) か借用 ( borrowing ) によるものとして処理してきた.後者の借用とは特に方言からの借用のことを指しており,上記の "dialect contact" とほぼ同義であるといってよい.
ただし,現在起こっている GVS の再考察は,もちろん新文法学派的な考え方への単なる回帰ではない.社会言語学や方言学の研究が進んてきているので,今後は GVS を構成する各音の変化について方言ごとに個別に考察されることになっていくのではないか.GVS はこれからも英語史の主要なテーマであり続けるだろう.
最近の本格的な論考は,Smith, Chapter 6 を参照.
・ Nevalainen, Terttu. An Introduction to Early Modern English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2006.
・ Smith, Jeremy J. Sound Change and the History of English. Oxford: OUP, 2007.
[2010-07-30-1]の記事で,英語の <h> の綴字が表わす子音 [h] にまつわる混乱の歴史的背景を見た.そこでは英語語彙における <h> と [h] の関係を3パターンに分けたが,改めて分かりやすく図示してみよう.< > が綴字,[ ] が発音を表わす.
[h] | no [h] | |
<h> | host | hour |
no <h> | ? | able |
正用(形)・標準発音に自信のない人が,正用(形)・標準発音を意識しすぎてかえって誤った形式を用いることで,overcorrection (直しすぎ)とも hyperurbanism (過度都会風)ともいい,この形式を過剰修正形 ( hypercorrect form ) という.
[2010-07-13-1]で触れたように,過剰修正は話者が正用と誤用の差をある程度意識しているからこそ生じる言語現象である.h の場合でいえば,(多く教養のない)話者が <h> と [h] の混乱についてある程度は意識しているからこそ,歴史的に母音のみでよいところを,わざわざ /h/ を先行させて発音してしまうということになる.
この過剰修正を示す英語史上の興味深い例としては,16世紀中葉に書かれた Henry Machyn の Diary からの例がある.これはロンドンの仕立屋の私生活を綴った日記で,私的なだけに必ずしも標準的な綴字を示しているわけではない.そこで現れるのが,本来あるべきでないところに現れる <h> の綴字である.Helsinki Corpus で調査した Nevalainen (127) によると,Machyn が playing とすべきところを playhyng と綴り,ordained とすべきところを hordenyd と綴っている例があるという.
この場合には <h> がしっかりと綴られており,おそらくは [h] が発音されていたものと考えられるので,厳密にいえば playhyng や hordenyd が上のマトリックスの左下マスを埋める例とはなり得ない.しかし,このような非歴史的な /h/ が過剰修正形として私的な言語使用の場で用いられていたということは,標準綴字に <h> がなかったとしても /h/ が発音された例は多くあっただろうことを強く示唆する.現在でも,非標準語法に限れば左下マスは多くの例で埋まるのではないだろうか.
ちなみに,Nevalainen (127) によれば hypercorrect /h/ の使用が公に非難されるようになるのは規範主義の伝統が確立する18世紀終わりからであり,Machyn の時代にはまだ忌むべき誤用とはなっていなかったとのことである.
・ 大塚 高信,中島 文雄 監修 『新英語学辞典』 研究社,1987年.
・ Nevalainen, Terttu. An Introduction to Early Modern English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2006.
『実践コーパス言語学』の冒頭に標題の慣用表現に関する論考がある ( pp. 1--8 ) .この表現は「雨が土砂降りに降る」を意味する慣用表現で,新奇な連想を誘うためか日本の英語教育でもしばしば取り上げられる.しかし,この有名な慣用表現が実は自然な英語表現とみなすことはできないのではないかという問題提起がなされている.
その根拠の1つは,1億語を誇る BNC ( The British National Corpus ) ですら例がわずかしか挙がらないという事実である.実際に検索してみると以下の3例しか挙がらず(いずれも書き言葉のサブコーパスから),しかも3つめの例は構文の説明という文脈で現れており,自然な例とは考えられない.
1. It was raining cats and dogs and the teachers were running in and out helping us get our stuff in and just couldn't do enough for us.
2. What must you be careful of when it's raining cats and dogs?
3. Fig 4.5 shows the structure of the compound tree for the compounds 'rain cats and dogs', 'tennis ball' and 'tennis court'.
Collins COBUILD Resource Pack から The Bank of English に基づく500万語のコーパス Wordbank で検索しても,3例しか見つからなかった.いずれもやはりイギリス英語の書き言葉からだ.
1. You mean she wasn't wearing a coat, even though it was raining cats and dogs?" said Cicero, gently puzzled.
2. It was the longest section in terms of distance, over 38 miles, and it rained cats and dogs all day long.
3. "Well if you just hold on for a wee while sir, it looks like it'll be raining cats and dogs soon and that'll put it out."
一方,Corpus of Contemporary American English (BYU-COCA) では23例が見つかった.今度は話し言葉でも使われている.
EFL 辞書で調べてみると,記載や例文のあることは多いが,辞書によって spoken, informal, old-fashioned など別々のレーベルが貼られており使用域が一定しない.こう見てくると,習ったことはあるにせよ自信をもって使うには躊躇せざるをえない表現という印象が強まってきた.
この慣用表現の起源には諸説ある.(1) 犬と猫が互いに仲が悪いことから激しくいがみ合うというイメージが醸成され,それが激しい降雨と結びつけられた.(2) 昔は排水が劣悪で土砂降りのあとに野良犬や野良猫が死体となって浮いていたことから.(3) ギリシア語の καταδουπεω ( catadūpeō ) "to fall with a heavy sound" と結びつけられた.(4) 北欧神話で魔女が猫の姿をして嵐に乗って現れ,嵐の神 Odin が犬を連れていたことから.
(1) の「激しさ」に引っかける説は,次のような表現があることから支持されるかもしれない.
1. fight like cat(s) and dog(s) 「猛烈にいがみ合う」
2. Cats and dogs have different natures. 「犬と猫は性質[本性]が違う.」
3. They agree like cats and dogs. 「(皮肉に)犬猿の仲だ.」
It's raining cats and dogs の variation としては,次のようなものがあるようなので参考までに.
1. It poured cats and dogs.
2. It's pelting cats and dogs.
3. rain pitchforks [buckets, chicken coops, darning needles, hammer handles,(英話)stair-rods,(英俗)trams and omnibuses] (『ランダムハウス英語辞典』より)
4. It's raining pigs and horses. (オーストラリア語法)
OED によると初例は1738年の Swift の文章である.ただし,a1652年として It shall raine . . Dogs and Polecats. なる関連表現がある.
・ 鷹家 秀史,須賀 廣 『実践コーパス言語学』 桐原ユニ,1998年.
近代英語期には,動詞の過去形や過去分詞形に数々の異形態があったことが知られている.特に母音の変化 ( ablaut, or vowel gradation ) によって過去形,過去分詞形を作った古英語の強変化動詞に由来する動詞は,-ed への規則化の傾向とも相俟って変異の種類が多かった.
現代英語でも過去形や過去分詞形に変異のある動詞はないわけではない.例えば bid -- bid / bade / bad -- bid / bidden, prove -- proved -- proved / proven, show -- showed -- shown / showed, sow -- sowed / sown -- sown / sowed などがある.しかし,近代英語期の異形態間の揺れは現代英語の比ではない.18世紀の著名な規範文法家 Robert Lowth (1710-87) ですら揺れを許容しているほどだから,それだけ収拾がつかなかったということだろう ( Nevalainen, pp. 93--94 ) .
今回はこの問題に関して,[2010-03-03-1]で紹介した PPCEME ( Penn-Helsinki Parsed Corpus of Early Modern English, second edition ) により,主要な動詞(とその派生・複合動詞)の過去形について異形態をざっと検索してみた.単に異綴りと考えられるものもあるが,明らかに語幹母音の音価の異なるものもあり,揺れの激しさが分かるだろう.カッコ内は頻度.
・ awake : awaked (1), awoke (3)
・ bear : bar (6), bare (133), barest (2), beare (1), bore (24)
・ begin : be-gane (12), be-gayne (1), began (281), began'st (1), begane (13), begann (1), beganne (27), begannyst (1), begayn (1), begayne (1), begon (1), begun (10)
・ break : brak (6), brake (60), brakest (2), break (2), broake (7), brok (4), broke (49), brokest (1)
・ come : bacame (1), becam (5), became (79), become (1), cam (475), came (2170), camest (11), camst (4), com (27), come (55), comst (1), ouercame (4), ouercome (2), over-cam (1), overcame (2), overcome (1)
・ drink : drancke (3), dranckt (1), drank (19), dranke (21), dronke (3), drunk (1), drunke (2)
・ eat : ate (15), eat (11), eate (12), ete (2)
・ fall : befel (1), befell (6), fel (15), fele (1), fell (306), felle (4), ffell (1)
・ find : fande (4), ffond (1), ffonde (1), ffound (1), find (1), fond (2), fonde (2), found (344), founde (63)
・ get : begat (67), begate (60), begot (3), begott (2), forgat (3), forgate (2), forgot (8), forgote (1), forgott (2), gat (10), gate (15), gatt (4), gatte (1), got (101), gote (23), gott (23)
・ give : forgaue (2), gaue (261), gauest (9), gave (364), gavest (12), gayff (4), gayffe (2), geve (1), misgaue (1)
・ help : help'd (2), help't (1), helped (5), helpt (1), holp (1), holpe (1)
・ know : knew (419), knewe (88), knewest (3), knewyst (1), know (1), knowe (1), knowethe (1), knue (1), knwe (1)
・ ring : rang'd (1), rong (1), rung (1), runge (1)
・ run : ran (77), rane (7), rann (3), ranne (38), run (12), rune (1), runn (1)
・ see : saw (627), saw (1), sawe (237), sawest (14), sawiste (1), see (5)
・ sing : sang (7), sange (5), song (11), songe (3), sung (13)
・ sink : sanke (1), sunke (1)
・ speak : bespake (2), spak (2), spake (318), spoak (1), spoake (8), spock (1), spoke (61), spokest (2)
・ spring : sprang (1), sprange (5), spronge (1), sprung (3), sprunge (1)
・ swear : sware (55), swoare (1), swore (56)
・ take : betoke (1), betook (4), betooke (4), mistook (1), mistooke (2), ouer-tooke (1), ouertoke (2), ouertooke (3), overtook (2), overtooke (2), take (1), taked (3), tok (2), toke (333), tokened (1), tokest (2), took (296), tooke (333), tooke (1), undertook (8), undertooke (2), vnd=er=tooke (1), vndertooke (2)
・ write : wrat (1), wrate (7), wret (32), wrett (49), writ (19), write (2), writt (8), writte (1), wrot (21), wrote (106), wrote (1), wrott (7), wrotte (3), wryt (1), wryte (1), wrytt (2)
近代英語期の強変化動詞の過去形,過去分詞形の揺れは様々に研究されているが,Nevalainen の References から以下の2件の研究を見つけたのでメモしておく.
・ Nevalainen, Terttu. An Introduction to Early Modern English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2006.
・ Gustafsson, Larisa O. Preterite and Past Participle Forms in English, 1680--1790. Studia Anglistica Upsaliensia 120. Uppsala: Uppsala U, 2002.
・ Lass, Roger. "Proliferation and Option-Cutting: The Strong Verb in the Fifteenth to Eighteenth Centuries." Towards a Standard English, 1600--1800. Ed. Dieter Stein and Ingrid Tieken-Boon van Ostade. Berlin and New York: Mouton de Gruyter, 1993. 81--113.
2024 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2023 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2022 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2021 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2020 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2019 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2018 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2017 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2016 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2015 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2014 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2013 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2012 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2011 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2010 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2009 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
最終更新時間: 2024-11-26 08:10
Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow