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manuscript - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2018-10-22 05:28

2018-07-21 Sat

#3372. 古英語と中英語の資料の制約について数点のメモ [oe][me][philology][manuscript][statistics][representativeness][methodology]

 「#1264. 歴史言語学の限界と,その克服への道」 ([2012-10-12-1]),「#2865. 生き残りやすい言語証拠,消えやすい言語証拠――化石生成学からのヒント」 ([2017-03-01-1]) で取り上げてきたが,歴史言語学には資料の限界という,いかんともしがたい問題がある.質量ともに望むほどのものが残っていてくれないのが現実である.児馬 (29) は,『歴史言語学』のなかの「古英語資料の留意点:量的・質的制約」という節において次のように述べている.

歴史言語学では現存する資料が最重要であることはいうまでもない.現代の言語を研究対象とするのであれば,文字資料・録音資料に加えて,話者の言語直観・内省などの言語心理学的資料も含めて実に豊富な資料を使えるのであるが,歴史言語学ではそうは簡単にならない.古い時代の資料を使うことが多い分野なので,この種の限界は当然のように思えるが,実際は,想像以上に厳しい制約があるのを認識しなければならない.特に扱う資料が古ければ古いほど厳しいものがあり,英語史では,特にOE資料の限界についてはよく認識したうえで,研究を進めていかなくてはならない.


 具体的にどれくらいの制約があるのかを垣間見るために,古英語と中英語の資料について児馬が触れている箇所を数点メモしておこう.

 ・ 古英語期の写本に含まれる語数は約300万語で,文献数は約2000である.部分的にはヴァイキングによる破壊が原因である.この量はノルマン征服以降の約200年間に書かれた中英語の資料よりも少ない.(29)
 ・ とくに850年以前の資料で残っているものは,4つのテキストと35ほどの法律文書・勅許上などの短い公的文書が大半である.(29)
 ・ 古英語資料の9割がウェストサクソン方言で書かれた資料である.(31)
 ・ 自筆資料 (authorial holograph) は非常に珍しく,中英語期でも Ayenbite of Inwit (1340年頃),詩人 Hoccleve (1370?--1450?) の書き物,15世紀ノーフォークの貴族の手による書簡集 Paston Letters やその他の同時期の書簡集ほどである.(34)

 英語史における資料の問題は非常に大きい.文献学 (philology) や本文批評 (textual criticism) からのアプローチがこの分野で重要視される所以である.
 関連して「#1264. 歴史言語学の限界と,その克服への道」 ([2012-10-12-1]),「#2865. 生き残りやすい言語証拠,消えやすい言語証拠――化石生成学からのヒント」 ([2017-03-01-1]),「#1051. 英語史研究の対象となる資料 (1)」 ([2012-03-13-1]),「#1052. 英語史研究の対象となる資料 (2)」 ([2012-03-14-1]) も参照.

 ・ 児馬 修 「第2章 英語史概観」服部 義弘・児馬 修(編)『歴史言語学』朝倉日英対照言語学シリーズ[発展編]3 朝倉書店,2018年.22--46頁.

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2018-02-17 Sat

#3218. 講座「スペリングでたどる英語の歴史」の第3回「515通りの through --- 中英語のスペリング」 [slide][spelling][spelling_pronunciation_gap][norman_conquest][chaucer][manuscript][reestablishment_of_english][timeline][me_dialect][minim][orthography][standardisation][digraph][hel_education][link][asacul]

 朝日カルチャーセンター新宿教室で開講している講座「スペリングでたどる英語の歴史」も,全5回中の3回を終えました.2月10日(土)に開かれた第3回「515通りの through --- 中英語のスペリング」で用いたスライド資料を,こちらにアップしておきました.
 今回は,中英語の乱立する方言スペリングの話題を中心に据え,なぜそのような乱立状態が生じ,どのようにそれが後の時代にかけて解消されていくことになったかを議論しました.ポイントとして以下の3点を指摘しました.

 ・ ノルマン征服による標準綴字の崩壊 → 方言スペリングの繁栄
 ・ 主として実用性に基づくスペリングの様々な改変
 ・ 中英語後期,スペリング再標準化の兆しが

 全体として,標準的スペリングや正書法という発想が,きわめて近現代的なものであることが確認できるのではないかと思います.以下,スライドのページごとにリンクを張っておきました.その先からのジャンプも含めて,リンク集としてどうぞ.

   1. 講座『スペリングでたどる英語の歴史』第3回 515通りの through--- 中英語のスペリング
   2. 要点
   3. (1) ノルマン征服と方言スペリング
   4. ノルマン征服から英語の復権までの略史
   5. 515通りの through (#53, #54), 134通りの such
   6. 6単語でみる中英語の方言スペリング
   7. busy, bury, merry
   8. Chaucer, The Canterbury Tales の冒頭より
   9. 第7行目の写本間比較 (#2788)
   10. (2) スペリングの様々な改変
   11. (3) スペリングの再標準化の兆し
   12. まとめ
   13. 参考文献

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2018-01-24 Wed

#3194. ノルマン征服後,英語が用いられなくなったことへの嘆き [norman_conquest][me_text][scribe][manuscript][alliteration][laeme][bible]

 Worcester Cathedral, Dean and Chapter Library F 174 という写本の Fol. 63r, lines 14--28 に,緩い頭韻を示す短いテキストが収められている.オリジナルは古英語で書かれていたようだが,このテキストの言語はすでに初期中英語的な特徴を示している.写本はおそらく13世紀の第2四半世紀 (C13a2) に成立した.このテキストの直前には Ælfic の GrammarGlossary が,直後には "Body and Soul" に関する頭韻詩が収められている.写本全体が "Worcester tremulous hand" として知られる写字生によって書かれている.
 テキストの内容は,標題に示唆したように,ノルマン征服後に教育などの公的な場面で英語が用いられなくなってしまったことへの嘆きである.征服前の古英語期には英語で教育が行なわれ,イングランドは文化的に反映していたのに,今や英語を話さないノルマン人が教師となってしまっている,嗚呼,嘆かわしいことよ,という趣旨だ.
 ポイントは,l. 15 と l. 18 の対比である.古英語期にはアングロサクソン人の教師が英語で人々を教育していたが (l. 15),ノルマン征服後の今では「他の人々」,すなわち大陸から渡ってきたノルマン人が(他の言語で)人々を教育していると,書き手は嘆いている.英語が公的な地位から振り落とされ,学問からも遠ざけられた様子がわかる.Dickins and Wilson 版 (2) のテキストを示そう.

[S]anctus Beda was iboren her on Breotene mid us, 
And he wisliche [bec] awende 
Þet þeo Englise leoden þurh weren ilerde. 
And he þeo c[not]ten unwreih, þe questiuns hoteþ, 
Þa derne diȝelnesse þe de[or]wurþe is.5
Ælfric abbod, þe we Alquin hoteþ, 
He was bocare, and þe [fif] bec wende, 
Genesis, Exodus, Vtronomius, Numerus, Leuiticus, 
Þu[rh] þeos weren ilærde ure leoden on Englisc. 
Þet weren þeos biscop[es þe] bodeden Cristendom,10
Wilfrid of Ripum, Iohan of Beoferlai, Cuþb[ert] of Dunholme, 
Oswald of Wireceastre, Egwin of Heoueshame, Æld[elm] of 
Malmesburi, Swiþþun, Æþelwold, Aidan, Biern of Wincæstre, 
[Pau]lin of Rofecæstre, S. Dunston, and S. Ælfeih of Cantoreburi. 
Þeos læ[rden] ure leodan on Englisc,15
Næs deorc heore liht, ac hit fæire glod. 
[Nu is] þeo leore forleten, and þet folc is forloren. 
Nu beoþ oþre leoden þeo læ[reþ] ure folc, 
And feole of þen lorþeines losiæþ and þet folc forþ mid. 
Nu sæiþ [ure] Drihten þus, Sicut aquila prouocat pullos suos ad volandum, et super eo[s uolitat.]20
This beoþ Godes word to worlde asende, 
Þet we sceolen fæier feþ [festen to Him.] 


 l. 20 のラテン語は,Deuteronomy 32:11 より.The King James Version から対応箇所を引用すると "As an eagle stirs up her nest, flutters over her young, spreads abroad her wings, takes them, bears them on her wings: / So the Lord alone did lead him, and there was no strange god with him." (ll. 11--12) とある.よそから来た「神」が疎ましい,という引っかけか.
 この写本については,LAEME よりこちらの情報も参照.

 ・ Dickins, Bruce and R. M. Wilson, eds. Early Middle English Texts. London: Bowes, 1951.

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2018-01-02 Tue

#3172. シュライヒャーの系統図的発想はダーウィンからではなく比較文献学から [history_of_linguistics][family_tree][comparative_linguistics][reconstruction][manuscript][textual_transmission]

 言語学における比較法 (the comparative method) の起源はドイツ人 Friedrich Schlegel (1772--1828) に遡るが,その定着に重要な貢献をなしたのはドイツ人 August Schleicher (1821--68) である.シュライヒャーはダーウィンの理論に傾倒して,1860年代前半に「#1118. Schleicher の系統樹説」 ([2012-05-19-1]) で示したような言語系統図を提示したが,その系統図的発想の源泉はおそらくダーウィンではなかった.むしろシュライヒャーが長らく属していた比較文献学の伝統,すなわち写本系統 (stemma, stemmatology) の考え方に起因するものだった可能性が高い.
 三中 (99-100) は,ホーニグズワルドを参照しながらシュライヒャーの学問的背景について次のように述べている.

彼はイエナ大学の同僚であり,ダーウィンの進化学をドイツに普及させた最大の功労者であるヘッケルに導かれて,一八六〇年代にダーウィン理論に基づく歴史言語学に傾倒する.しかし,シュライヒャーを言語系統学に導いたのはダーウィンやヘッケルではない.むしろ,それ以前に比較文献学の教育を長く受けてきたことが,彼に言語系統樹の重要性を認識させた根本原因であるとホーニグズワルドは指摘している.
 比較文献学では,現存する複数の古写本(異本)間の比較を通じてうしなわれた祖本の構築を目指す.その際,異本のもつ派生的ミス(字句の欠落・重複あるいは段落順の移動など)の共有性を手がかりにして,写本系図 (manuscript stemma) を構築する.シュライヒャーは,この方法論を言語にも適用し,言語間での派生的な特徴(とりわけ音韻論に着目して)の共有に基づく言語系統樹を一八五三年に――すなわち,ダーウィンの『種の起原』の出版(一八五九年)よりもかなり前に――早くも公表している.したがって,シュライヒャーの比較法は,ダーウィンやヘッケルではなく,それ以前の一八世紀に比較文献学においてすでに確立されていた写本系図の構築法の拡大適用とみなすべきであろう.


 シュライヒャーがダーウィンの進化論に傾倒していたという事実から,てっきり言語系統図のアイデアは生物進化の新説から得たものだろうと思い込んでいたが,そうではないようだ.むしろ,言語学の側から生物学へとアイデアが流れ込んだという可能性すらある.そして,シュライヒャーの系統図的なアイデアの源泉が,写本の transmission に関する研究の伝統にあっただろうということもたやすく首肯できる(cf. 「#730. 写本文化の textual transmission」 ([2011-04-27-1])).つまり,時間の前後関係と因果関係は,おそらく「写本系統図→言語系統図→生物系統図」だったことになる.
 言語学においては,構造主義の統語論で用いられるIC分析や生成文法の統語ツリーなども系統図を彷彿とさせるが,これもシュライヒャーからの伝統に基づくものかもしれない.あるいは,少なくともシュライヒャーから影響を受けた生物学からの2次的な影響によるものと考えることはできそうだ.関連して,「#2471. なぜ言語系統図は逆茂木型なのか」 ([2016-02-01-1]) も参照されたい.
 系統図的発想や比較法が異なる学問領域を横断して十分に通用するものであることについては,「#3162. 古因学」 ([2017-12-23-1]) の記事も参照.

 ・ 三中 信宏 『進化思考の世界 ヒトは森羅万象をどう体系化するか』 NHK出版,2010年.

Referrer (Inside): [2018-01-05-1]

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2017-08-27 Sun

#3044. 古英語の中点による分かち書き [punctuation][writing][manuscript][oe]

 英語の分かち書きについて,以下の記事で話題にしてきた.「#1112. 分かち書き (1)」 ([2012-05-13-1]),「#1113. 分かち書き (2)」 ([2012-05-14-1]),「#2695. 中世英語における分かち書きの空白の量」 ([2016-09-12-1]),「#2696. 分かち書き,黙読習慣,キリスト教のテキスト解釈へのこだわり」 ([2016-09-13-1]),「#2970. 分かち書きの発生と続け書きの復活」 ([2017-06-14-1]),「#2971. 分かち書きは句読法全体の発達を促したか?」 ([2017-06-15-1]) .
 現代的な語と語の分かち書きは,古英語ではまだ完全には発達していなかったが,語の分割する方法は確かに模索されていた.しかし,ある方法をとるにしても,その使い方はたいてい一貫しておらず,いかにも発展途上という段階にみえるのである.1例として,空白とともに中点 <・> を用いている Bede の Historia Ecclesiastica, III, Bodleian Library, Tanner MS 10, 54r. より冒頭の4行を再現しよう(Crystal 19).

Bede,

ÞA・ǷÆS・GE・WORDENYMB

syx hund ƿyntra・7feower7syxtig æft(er) drihtnes
menniscnesse・eclipsis solis・þæt is sunnan・aspru
ngennis・

then was happened about
six hundred winters・and sixty-four after the lord's
incarnation・(in Latin) eclipse of the sun・that is sun eclipse


 まず,空白と中点の2種類の分かち書きが,一見するところ機能の差を示すことなく併用されているという点が目を引く.また,現代の感覚としては,分割すべきところに分割がなく(7 [= "and"] の周辺),逆に分割すべきでないところに分割がある(題名の GE・WORDENYMB にみられる接頭辞と語幹の間)という点も興味深い.
 空白で分かち書きする場合,手書きの場合には語と語の間にどのくらいの空白を挿入するかという問題があり,狭すぎると分割機能が脅かされる可能性があるが,中点は(前後の文字のストロークと融合しない限り)狭い隙間でも打てるといえば打てるので,有用性はあるように思われる.
 中点は,英語に限らず古代の書記にしばしば見られたし,自然な句読法の1つといってよいだろう.現代日本語でも,中点は特殊な用法をもって活躍している.

 ・ Crystal, David. Making a Point: The Pernickety Story of English Punctuation. London: Profile Books, 2015.

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2017-08-10 Thu

#3027. 段落開始の合図 [punctuation][writing][capitalisation][manuscript][printing]

 日本語では段落の始めは1字下げして書き始めるのが規範とされている.近年この規範と実践が揺れ始めている件については,「#2848. 「若者は1字下げない」」 ([2017-02-12-1]) の記事で触れた.では,英語についてはどうだろう.
 英語の本を読んでいるとわかるとおり,通常,段落開始行は数文字程度の字下げが行なわれている.しかし,これには別の作法もある.例えば,字下げは行なわない代わりに,段落を始める語の頭文字を他の文字よりも大きくして(ときに複数行の高さで)目立たせるやり方,すなわち "drop capital" の使用がある.これは,中世の写本において,同じ目的で用いられた大きな装飾文字に起源をもつ.あるいは,その変種と考えられるが,雑誌や新聞の記事でよくお目にかかるように,最初の1語か数語をすべて大文字で書くという方法もある.
 もう1つ注意すべきは,字下げも行なわず,かつ特別な目立たせ方もしないで段落を開始することがあるということだ.それは,章や節の第1段落においてである.章や節の題名を示す行の直後では,そこが新段落の始めであることは自明であり,特別な合図をせずともよいということだ.日本語では第1段落といえども律儀に1字下げをするので,英語のこの流儀はいかにも合理性を重んじているかのように感じられる.
 私も長らくこの英語書記の合理性に感じ入っていたが,歴史的にはそれほど古い流儀ではないようだ.Crystal (131) によると,100年ほど前には,第1段落といえども他の段落と同じように数文字の字下げを行なうのが通常だったようだ.結局のところ,句読法 (punctuation) の慣習は,時代にも地域にもよるし,house style によるところも大きい.ある程度の合理性の指向は認められるにせよ,句読法もまた絶対的なものではないということだろう.

 ・ Crystal, David. Making a Point: The Pernickety Story of English Punctuation. London: Profile Books, 2015.

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2017-06-14 Wed

#2970. 分かち書きの発生と続け書きの復活 [punctuation][writing][scribe][manuscript][inscription]

 書記における分かち書き (distinctiones) については,「#1112. 分かち書き (1)」 ([2012-05-13-1]),「#1113. 分かち書き (2)」 ([2012-05-14-1]),「#2695. 中世英語における分かち書きの空白の量」 ([2016-09-12-1]),「#2696. 分かち書き,黙読習慣,キリスト教のテキスト解釈へのこだわり」 ([2016-09-13-1]) などで話題としてきた.今回も,分かち書きが歴史の過程で生み出されてきた発明品であり,初めから自然で自明の慣習であったわけではないことを,再度確認しておきたい.
 西洋の書記の歴史では,分かち書き以前に,長い続け書き (scriptura continua) の時代があった.Crystal (3) の説明を引こう.

Word-spaces are the norm today; but it wasn't always so. It's not difficult to see why. We don't actually need them to understand language. We don't use them when we speak, and fluent readers don't put pauses between words as they read aloud. Read this paragraph out loud, and you'll probably pause at the commas and full stops, but you won't pause between the words. They run together. So, if we think of writing purely as a way of putting speech down on paper, there's no reason to think of separating the words by spaces. And that seems to be how early writers thought, for unspaced text (often called, in Latin, scriptura continua) came to be a major feature of early Western writing, in both Greek and Latin. From the first century AD we find most texts throughout the Roman Empire without words being separated at all. It was thus only natural for missionaries to introduce unspaced writing when they arrived in England.


 しかし,英語の書記の歴史に関する限り,古英語期までには語と語を分割する何らかの視覚的な方法が模索されるようになっていた.Crystal (8--9) によれば,様々な方法が実験されたという(以下の引用中にある "Undley bracteate" については,「#572. 現存する最古の英文」 ([2010-11-20-1]) を参照).

People experimented with word division. Some inscriptions have the words separated by a circle (as with the Undley bracteate) or a raised dot. Some use small crosses. Gradually we see spaces coming in but often in a very irregular way, with some words spaced and others not --- what is sometimes called an 'aerated' script. Even in the eleventh century, less than half the inscriptions in England had all the words separated.


 考えてみれば,昨今のデジタル時代でも,分かち書きの手段は複数ある.URLやファイル名の文字列など,処理上の理由で空白が避けられる傾向がある場合には,例えば "this is an example of separation" と表記したいときに,次のようなヴァリエーションが考えられるだろう (Crystal 8--9 の議論も参照).

 ・ thisisanexampleofwordseparation
 ・ this.is.an.example.of.word.separation
 ・ this+is+an+example+of+word+separation
 ・ this_is_an_example_of_word_separation
 ・ this-is-an-example-of-word-separation
 ・ thiSiSaNexamplEoFworDseparatioN
 ・ ThisIsAnExampleOfWordSeparation


 現代は,ある意味で scriptura continua が蘇りつつある時代とも言えるのかもしれない.続け書きを当然視する日本語書記の出番か!?

 ・ Crystal, David. Making a Point: The Pernickety Story of English Punctuation. London: Profile Books, 2015.

Referrer (Inside): [2017-08-27-1] [2017-06-15-1]

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2017-03-01 Wed

#2865. 生き残りやすい言語証拠,消えやすい言語証拠――化石生成学からのヒント [philology][writing][manuscript][representativeness][textual_transmission]

 言語の歴史を研究するほぼ唯一の方法は,現存する資料に依拠することである.ところが,現存する資料は質的にも量的にも相当の偏りがあり,コーパス言語学の用語でいえば "representative" でも "balanced" でもない.
 まず物理的な条件がある.現在に伝わるためには,長い時間の風雨に耐え得る書写材料や書写道具で記されていることが必要である(「#2457. 書写材料と書写道具 (2)」 ([2016-01-18-1]) を参照).次に,メディアの観点から,話し言葉(的な言葉遣い)は,書き残されて,現在まで伝わる可能性が低いことは明らかだろう.書き手の観点からは,文献にはもっぱら読み書き能力のあるエリート層の言葉遣いや好みの話題が反映され,それ以外の層の言語活動が記録に残さることはほとんどないだろう.さらに,ジャンルや内容という観点から,例えば反体制的な書き物は,歴史の途中で抹殺される可能性が高いだろう.
 現存する文献資料は,様々な運命をすり抜けて生き残ってきたという意味で歴史の「偶然性」を体現しているのは確かだが,生き残りやすいものにはいくつかの条件があるという上記の議論を念頭に置くと,ある種の「必然性」をも体現しているとも言える.歴史言語学や文献学において,どのような「条件」や「必然性」があり得るのか,きちんと整理しておくことは重要だろう.
 そのための間接的なヒントとして,どのような化石や遺跡が現在まで生き残りやすいかを考察する化石生成学 (taphonomy) という分野の知見を参考にしたい.例えば,人類化石の残りやすさ,残りにくさは,何によって決まると考えられるだろうか.ウッドは「人類化石記録の空白と偏在」と題する節 (73--75) で,次のように述べている.

 何十年間も,人類学者は,700〜600万年前以降に生存した何千もの人類個体に由来する化石を集めてきた。この数は多いように思えるかもしれないが,大部分は現在に近い年代のものだ。この年代的な偏在のほかにも,人類化石にはさまざまな偏りがある。このような偏りが起こる機序を明らかにし,それを正そうとする学問は「化石生成学」とよばれる。歯や下顎骨あるいは四肢の大きな骨はよく残るが,椎骨,肋骨,骨盤,指の骨などは緻密性が薄く,容易に破損するので残りにくい。つまり,骨の残りやすさは大きさと頑丈さに比例する。椎骨のような軽い骨は雨による川の氾濫で流され,湖に運ばれ,サカナやワニの骨と一緒に化石になる。一方,思い頭骨や大腿骨は洪水で流され,川底の岩の間に引っかかって,ほかの陸生の大型動物の骨と一緒に化石になる。
 化石の残り方を左右するもう一つの要因は,捕食動物が死体のどの部分を好むかである。ヒョウはサルの手足を噛むのが好きなので,もし昔の絶滅した捕食動物も同じ習性があったのなら,人類化石の手足も発見されることが少ないはずである。実際,手足の化石はあまり産出しておらず,そのため歯の進化についてはよくわかっているが,手足の進化はよくわかっていない。身体の大きさも,化石が残るかどうかに影響する,身体の大きな種は化石として残りやすいし,同一種内でも身体の大きな個体は残りやすい。もちろん,このような偏りは人類化石にも該当する。
 ある環境では,ほかに比べ,骨が化石になりやすく,発見されやすい。したがって,ある年代やある地域に由来する化石が多いからといって,その年代あるいは地域に多くの個体が住んでいたとは限らない。その年代や地域の状況が,ほかに比べて化石化に適していた可能性があるのだ。同様に,ある年代や地域から人類化石が見つからなくても,そこに人類が住んでいなかったことにはならない。「証拠のないのは,存在しない証拠ではない」という格言もある。したがって,昔の種は,最古の化石が発見される年代より前に誕生し,最新の化石が発見される年代より後まで生存していたことになる。つまり,化石種の起源と絶滅の年代は実際に比べて常に控えめになる。
 同様の制限は化石発見遺跡の地理的分布にも当てはまる。人類は,化石が発見される遺跡より広範囲で生存していたはずだ。また,過去の環境は現在とは違っていたはずだ。現在では厳しい環境も過去には住みやすかったかもしれないし,逆もあり得る。さらに,骨や歯を化石として保存してくれる環境は決して多くはない。酸性の土壌では,骨も歯もめったに残らない。とくに森林環境では,湿度が高く土壌が酸性なので,化石は残らないと考えられてきた。しかし,最近では,必ずしもそうではないことが明らかになった。とはいえ,考古学者が石器と人骨を一緒に発見したいと願っても,たいてい人骨は溶けてしまい,石器しか発見できないのである。


 この問題は,ある語の初出した時期や廃語となった時期を巡る文献学上の問題とも関連するだろう.言語史研究における資料の問題については,「#1051. 英語史研究の対象となる資料 (1)」 ([2012-03-13-1]),「#1052. 英語史研究の対象となる資料 (2)」 ([2012-03-14-1]) を参照されたい.関連して,文字の発生についての考察も参考になる(「#1834. 文字史年表」 ([2014-05-05-1]),「#2389. 文字体系の起源と発達 (1)」([2015-11-11-1]),「#2457. 書写材料と書写道具 (2)」 ([2016-01-18-1]) を参照).

 ・ バーナード・ウッド(著),馬場 悠男(訳) 『人類の進化――拡散と絶滅の歴史を探る』 丸善出版,2014年.

Referrer (Inside): [2018-07-21-1] [2017-10-14-1]

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2016-12-15 Thu

#2789. 現代英語の Engl&,中英語の 7honge [writing][netspeak][grammatology][grapheme][abbreviation][owl_and_nightingale][word_game][manuscript][scribe]

 「#817. Netspeak における省略表現」 ([2011-07-23-1]) で見たように,ネット上では判じ絵 (rebus) の原理による文字遊びともいえる省略表現が広まっている.<Thx2U> (= Thanks to you) や <4U> (= For you) や <CUL8R> (= See you later) や <Engl&> (= England) のような遊び心を含んだ文字列である.これらの数字や記号 <&> の用例は,本来の表語文字(記号)を表音的に用いている例として興味深い.それぞれ意味は捨象し,[tuː], [fɔː], [eɪt], [ənd] という音列を表す純粋な表音文字として機能している.
 これは現代人の言葉遊びにすぎないと思われるかもしれないが,実は古くから普通に行なわれてきた.例えば,接続詞 and を書き表わすのに古くは <&> ではなく数字の <7> に似た <⁊ > という記号 (Tironian et) が用いられていた(「#1835. viz.」 ([2014-05-06-1]) を参照).そして,これが接続詞 and を表わすものとしてではなく,他の語の一部をなす音列 [and] を表わすものとして表音的に用いられる例があった.この接続詞は,現代と同様に弱い発音では語尾音がしばしば脱落したので,[and] だけでなく [an] あるいは [a] を表音する文字としても機能した.例えば,The Owl and the Nightingale から,l. 1195 に現われる動詞の過去分詞形 anhonge の接頭辞 an- が Tironian et で書かれており,<<⁊honge>> と写本に見える.同じように,l. 1200 の動詞の過去分詞形 astorue も <<⁊storue>> と書かれており,接頭辞 a- が Tironian et で表わされている.
 書き手の遊び心もあるだろうし,少しでも短く楽に書きたいという思いもあるだろう.書き手の思いと,その思いを満たす手段は,昔も今も何も変わらない.

 ・ Cartlidge, Neil, ed. The Owl and the Nightingale. Exeter: U of Exeter P, 2001.

Referrer (Inside): [2016-12-16-1]

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2016-12-14 Wed

#2788. General Prologue の第7行目の写本間比較 [ilame][chaucer][manuscript][inflection][hel_education]

 去る11月に,開拓社より論文集『コーパスからわかる言語変化・変異と言語理論』が出版された(目次はこちらのPDFよりどうぞ).東北大学を基盤とする言語変化・変異研究ユニットの刊行物として出版されており,私もユニットの1メンバーとして「中英語における形容詞屈折の衰退とその言語的余波」と題する小論を寄稿させていただいた.
 拙論では,15世紀の53の写本・刊本を比較できる Solopova 編 The General Prologue on CD-ROM を用いて,形容詞屈折の有無や種類を写本・刊本別に照合している.その補遺には The General Prologue の第7行を34の写本・刊本から引き抜いたリストを挙げているが,このミニ・パラレルテキストは,同作品の写本・刊本間の異同のサンプルとして一般的にも有用と思われるので,ここに示しておきたい.以下では,写本・刊本の年代により,15世紀を4半世紀ごとに区切って C15a1, C15a2, C15b1, C15b2 の区分を設け,さらに1450年前後の1写本については C15mid として別扱いにしている.形態素,綴字,句読法などの変異と変化を味わってもらいたい.

第1期 (C15a1) 
ElThe tendre croppes / and the yonge sonne
Ha4The tendre croppes and þe ȝonge sonne
HgThe tendre croppes / and the yonge sonne
LaThe tendre croppes 7 þe ȝonge sonne .
  
第2期 (C15a2) 
Bo2The tendre Croppes and the yong sonne
En1The tendre croppes and' the yonge son
IiThe tendre croppes and the yong sonne
LcThe tendir croppis 7 þe yonge sonne
PsThe tendre croppes and the yong sonne
PwThe tendre croppis 7 þe yonge sonne
Ry2The tendre croppes 7 the ȝonge sonne
  
第3期 (C15mid) 
MgThe tendre croppes / and the yonge sonne
  
第4期 (C15b1) 
ChThe tendre Croppes . and the yonge sonne
Ds1The tender croppis 7 the yong' sonne
FiThe tender croppes and þe yonge sonne
Ha2The tendre croppes . 7 the yong sonne .
Ha3The tendre croppys . And þe yownge sonne
HtThe tendre croppes and the yong' sonne
Ld1The tendre croppes and the yong sonne
Ph2The tendir croppis and the yong Sūne
PyThe tendre croppis . and the yong' sonne
SeThe tendre croppis / 7 the yonge sonne
Tc1The tendre croppis and th yong sonne
To1the tendre Croppis . and the yonge sonne
  
第5期 (C15b2) 
Ad1The tendre croppys / and the yong sonne
Bo1The tendir croppis and the yong Sūne .
Cx1The tendir croppis / and' the yong sonne
Cx2The tendyr croppis / and' the yong' sonne
En3The tendre croppis and the yonge sonne
Ld2The tendre croppys and the yong sōne .
Ma¶ The tenþir Croppis . and' þe yonge son
PnThe tendre croppes and the yong sonne
Tc2The tendre croppes / and the yonge sonne
WyThe tendre croppys and the yonge sonne


 関連して,General Prologue の冒頭部分については「#534. The General Prologue の冒頭の現在形と完了形」 ([2010-10-13-1]),「#2275. 後期中英語の音素体系と The General Prologue」 ([2015-07-20-1]),「#2667. Chaucer の用いた語彙の10--15%がフランス借用語」 ([2016-08-15-1]) を参照.

 ・ 堀田 隆一 「中英語における形容詞屈折の衰退とその言語学的余波」『コーパスからわかる言語変化・変異と言語理論』小川 芳樹,長野 明子,菊池 朗(編),開拓社,2016年.144--62頁.
 ・ Solopova, Elizabeth, ed. The General Prologue on CD-ROM. Cambridge: CUP, 2000.

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2016-09-29 Thu

#2712. 初期中英語の個性的な綴り手たち [eme][me_dialect][manuscript][orthography][spelling][standardisation][scribe][ormulum][ab_language][spelling_reform]

 英語の綴字標準化の歴史は,後期ウェストサクソン方言で標準的なものが現われるが,ノルマン征服後の初期中英語にはそれが無に帰し,後期中英語になって徐々に再標準化の兆しが芽生え,初期近代英語期中に標準化が進み,17--18世紀に標準綴字が確立した,と大雑把に要約できる.この概観によれば,初期中英語期は綴字の標準がまるでなかった時代ということになる.それはそれで間違ってはいないが,綴字標準とはいわずとも,ある程度一貫した綴字慣習ということであれば,この時代にも個人や小集団のレベルで実践されていた形跡が少数見つかる.よく知られているのは,(1) "AB language" の綴字, (2) Ormulum の作者 Orm の綴字,(3) ブリテン史 Brut をアングロ・フレンチ版から翻訳した Laȝamon の綴字である.
 (1) "AB language" の名前は,修道女のための指南書 Ancrene Wisse を含む Cambridge, Corpus Christi College 402 という写本 (= A) と,関連する聖女伝や宗教論を含む Oxford, Bodleian Library, Bodley 34 の写本 (=B) に由来する.この2写本(及び関連するいくつかの写本)には,かなり一貫した綴字体系が採用されており,しかも複数の写字生によってそれが用いられていることから,おそらく13世紀前半に,ある南西中部の修道院か写本室が中心となって,標準綴字を作り上げる試みがなされていたのだろうと推測されている.
 (2) Orm は,Lincolnshire のアウグスティノ修道士で,1200年頃に,聖書を分かりやすく言い換えた書物 Ormulum を著わした.現存する唯一のテキストは2万行を超す韻文の大作であり,それが驚くほど一貫した綴字で書かれている.Orm は,母音の量にしたがって後続する子音を重ねるなどの合理性を追究した独特な綴字体系を編みだし,それを自分の作品で実践したのである.この Orm の綴字は,他の写本にも類するものが発見されておらず,きわめて個人的な綴字標準化の事例だが,これは後の16世紀の個性的な綴字改革論者の先駆けといってよい.
 (3) Laȝamon は,Worcestershire の司祭で,13世紀初頭に韻文の年代記を韻文で英語へ翻訳した.当時すでに古めかしくなっていたとおぼしき頭韻 (alliteration) や,古風な語彙・綴字を復活させ,ノスタルジックな雰囲気をかもすことに成功した.Laȝamon は,実際に古英語にあった綴字かどうかは別として,いかにも古英語風な綴字を意識的に用いた点で特異であり,これをある種の個人的な綴字標準化の試みとみることも可能だろう.
 以上,Horobin (98--102) を参照して執筆した.

 ・ Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013.

Referrer (Inside): [2018-04-09-1] [2017-10-07-1]

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2016-09-12 Mon

#2695. 中世英語における分かち書きの空白の量 [punctuation][manuscript][writing][scribe][word][prosody][oe][inscription]

 現代の英語の書記では当然視されている分かち書き (distinctiones) が,古い時代には当然ではなく,むしろ続け書き (scriptio continua) が普通だったことについて,「#1903. 分かち書きの歴史」 ([2014-07-13-1]) で述べた.実際,古英語の碑文などでは語の区切りが明示されないものが多いし,古英語や中英語の写本においても現代風の一貫した分かち書きはいまだ達成されていない.
 だが,分かち書きという現象そのものがなかったわけではない.「#572. 現存する最古の英文」 ([2010-11-20-1]) でみた最初期のルーン文字碑文ですら,語と語の間に空白ではなくとも小丸が置かれており,一種の分かち書きが行なわれていたことがわかるし,7世紀くらいまでには写本に記された英語にしても,語間の空白挿入は広く行なわれていた.ポイントは,「広く行なわれていた」ことと「現代風に一貫して行なわれていた」こととは異なるということだ.分かち書きへの移行は,古い続け書きの伝統の上に新しい分かち書きの方法が徐々にかぶさってきた過程であり,両方の書き方が共存・混在した期間は長かったのである.英語の句読法 (punctuation) の歴史について一般に言えるように,語間空白の規範は中世期中に定められることはなく,あくまで書き手個人の意志で自由にコントロールしてよい代物だった.
 書き手には空白を置く置かないの自由が与えられていただけではなく,空白を置く場合に,どれだけの長さのスペースを取るかという自由も与えられていた.ちょうど現代英語の複合語において,2要素間を離さないで綴るか (flowerpot),ハイフンを挿入するか (flower-pot),離して綴るか (flower pot) が,書き手の判断に委ねられているのと似たような状況である.いや,現代の場合にはこの3つの選択肢しかないが,中世の場合には空白の微妙な量による調整というアナログ的な自由すら与えられていたのである.例えば,語より大きな統語的単位や意味的単位をまとめあげるために長めの空白が置かれたり,形態素レベルの小単位の境を表わすのに僅かな空白が置かれるなど,書き手の言語感覚が写本上に精妙に反映された.
 Crystal (11-12) はこの状況を,Ælfric の説教からの例を挙げて説明している.

Very often, some spaces are larger than others, probably reflecting a scribe's sense of the way words relate in meaning to each other. A major sense-break might have a larger space. Words that belong closely together might have a small one. It's difficult to show this in modern print, where word-spaces tend to be the same width, but scribes often seemed to think like this:

     we bought   a cup of tea   in the cafe

The 'little' words, such as prepositions, pronouns, and the definite article, are felt to 'belong' to the following content words. Indeed, so close is this sense of binding that many scribes echo earlier practice and show them with no separation at all. Here's a transcription of two lines from one of Ælfric's sermons, dated around 990.

     þærwæronðagesewene twegenenglas onhwitumgẏrelū;
     þær wæron ða gesewene twegen englas on hwitum gẏrelū;
     
     'there were then seen two angels in white garments'
     
     
     Eacswilc onhisacennednẏsse wæronenglasgesewene'.
     Eacswilc on his acennednẏsse wæron englas gesewene'.
     
     'similarly at his birth were angels seen'

The word-strings, separated by spaces, reflect the grammatical structure and units of sense within the sentence.


 話し言葉では,休止 (pause) や抑揚 (intonation) の調整などを含む各種の韻律的な手段でこれと似たような機能を果たすことが可能だが,書き言葉でその方法が与えられていたというのは,むしろ現代には見られない中世の特徴というべきである.関連して「#1910. 休止」 ([2014-07-20-1]) も参照.

 ・ Crystal, David. Making a Point: The Pernickety Story of English Punctuation. London: Profile Books, 2015.

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2016-08-14 Sun

#2666. 初期近代英語の不安定な句読法 [punctuation][emode][printing][manuscript][shakespeare][writing][orthography][standardisation]

 15世紀後半に印刷術 (printing) がもたらされた後,続く16世紀の間に標準的な正書法への模索が始まったが,その際の懸案事項は綴字にとどまらず句読法 (punctuation) にも及ぶことになった.
 先立つ中世の手書き写本の時代には,各種の句読記号が,統語意味的な目的というよりは音読のためのガイドとして様々に用いられていた.多くは印刷の時代以降に消えてしまったが,その数は30種類を超えた.現在使われているのと同形の句読記号もあったが,中世の写本ではその機能は必ずしも現代のものと同じではなかった.この中世の奔放な状況が,印刷時代の到来を経て徐々に整理へと向かい出したが,その過程は緩慢としており,初期近代英語期中にもいまだ安定を示さなかった.
 初期の印刷業者は基本的には写本にあった句読記号を再現しようとしたが,対応する活字がないものもあり,選択を迫られることも多かった.一般的には,</> (virgule) や <.> (point) は広く認められた(</> の機能は現在の <,> (comma) に相当し,1520年代から現在のような <,> に置き換えられるようになったが,印刷業者によっては両者ともに用いるものもあった).
 初期の印刷では,ほかに <:> (colon), <¶> (paragraph mark), <//> (double virgule) なども用いられ,新しい句読記号としては <( )> (parentheses), <;> (semicolon), <?> (question mark) なども導入されたが,定着には時間を要した.例えば,<;> などは,Coverdales による1538年の新約聖書の献題に現われこそするが,イングランドで用いられるようになるのは1570年代以降といってよい.
 17世紀に入っても,いまだ句読法の不安定は続いた.例えば,Shakespeare の First Folio (1623) でも,疑問符と感嘆符,コロンとセミコロンの使い分けは一貫していなかったし,アポストロフィ (apostrophe) やハイフン (hyphen) も予期しないところに現われた (ex. advan'st (= advanced), cast-him (= cast him)) .この不安定さは現代の Shakespeare の校訂にも反映しており,異なる版が異なる句読点を採用するという事態になっている.
 アポストロフィについて一言加えておこう.この句読記号は近代の新機軸であり,省略を示すために用いられ出したのは1559年からである.なお,現在のアポストロフィの用法として所有格を表わす <'s> での使用があるが,この発達はずっと遅れて18世紀のことである.
 このように,現代では正書法の一環として用法が定まっている種々の句読記号も,初期近代英語ではいまだ定着していなかった.このことは,印刷術導入の衝撃がいかに革命的だったか,印刷業者が新時代に適応するのにいかに試行錯誤したのかを示す1つの指標とみなすことができるのではないか.以上,Crystal (261) を参照して執筆した.
 関連して,「#574. punctuation の4つの機能」 ([2010-11-22-1]),「#575. 現代的な punctuation の歴史は500年ほど」 ([2010-11-23-1]),「#582. apostrophe」 ([2010-11-30-1]) も参照されたい.

 ・ Crystal, David. The Stories of English. London: Penguin, 2005.

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2016-05-13 Fri

#2573. Caxton による Recuyell of the Historyes of Troye の序文 [caxton][lme][literature][printing][popular_passage][manuscript][link][me_text]

 英語史上最初に英語で印刷された本は,William Caxton による印刷で,Recuyell of the Historyes of Troye (1475) である.印刷された場所はイングランドではなく,Caxton の修行していた Bruges だった.この本は,当時の北ヨーロッパの文化と流行の中心だったブルゴーニュの宮廷においてよく知られていたフランス語の本であり,ヨーク家のイングランド王 Edward IV の妹でブルゴーニュ公 Charles に嫁いでいた Margaret が気に入っていた本でもあったため,Caxton はこれを英訳して出版することを商機と見ていた.
 題名の Historyes は,当時は「歴史(物語)」に限定されず「伝説(物語)」をも意味した.Recuyell という英単語は「寄せ集める」を意味する(したがって「編纂文学」ほどを指す)フランス単語を借用したものであり,まさにこの本の題名における使用が初例である.
 以下に,英語史上燦然と輝くこの本の序文を,Crystal (32) の版により再現しよう.

hEre begynneth the volume intituled and named the recuyell of the historyes of Troye / composed and drawen out of dyuerce bookes of latyn in to frensshe by the ryght venerable persone and wor-shipfull man . Raoul le ffeure . preest and chapelayn vnto the ryght noble gloryous and myghty prince in his tyme Phelip duc of Bourgoyne of Braband etc In the yere of the Incarnacion of our lord god a thou-sand foure honderd sixty and foure / And translated and drawen out of frenshe in to englisshe by Willyam Caxton mercer of ye cyte of London / at the comaūdemēt of the right hye myghty and vertuouse Pryncesse hys redoubtyd lady. Margarete by the grace of god . Du-chesse of Bourgoyne of Lotryk of Braband etc / Whiche sayd translacion and werke was begonne in Brugis in the Countee of Flaundres the fyrst day of marche the yere of the Incarnacion of our said lord god a thousand foure honderd sixty and eyghte / And ended and fynysshid in the holy cyte of Colen the . xix . day of Septembre the yere of our sayd lord god a thousand foure honderd sixty and enleuen etc.

And on that other side of this leef foloweth the prologe.


 なお,Rylands Medieval Collection より The Recuyell of the Historyes of Troye の写本画像 を閲覧できる.

 ・ Crystal, David. Evolving English: One Language, Many Voices. London: The British Library, 2010.

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2016-04-16 Sat

#2546. テキストの校訂に伴うジレンマ [editing][owl_and_nightingale][manuscript][spelling][punctuation]

 現代の研究者が古英語や中英語の文書を読む場合,写本から直接読むこともあるが,アクセスの点で難があるので,通常は校訂されたエディションで読むことが多い.校訂されたテキストは,校訂者により多かれ少なかれ手が加えられており,少なからず独自の「解釈」も加えられているので,写本に記録されている本物のテキストそのものではない.したがって,読者は,校訂者の介入を計算に入れた上でテキストに対峙しなければならない.ということは,読者にしても,校訂者が校訂するにあたって抱く悩みや問題にも通じていなければならない.
 校訂者の悩みには様々な種類のものがある.The Owl and the Nightingale を校訂した Cartlidge (viii) が,校訂に際するジレンマを告白しているので,それを読んでみよう.

The presentation of medieval text to a modern audience---even leaving aside the question of emending obvious errors or obscurities in the extant manuscripts---inevitably faces the modern editor with a dilemma. The conventions of spelling, punctuation and word-division followed by the scribes have to be modernized to some extent in order to produce a reasonably accessible text for readers accustomed to the different conventions now current---but how much modernization is actually compatible with editorial fidelity to the text as it survives in the manuscripts? For example, neither surviving manuscript of The Owl and the Nightingale provides punctuation of a kind expected by a modern reader (except very occasionally) and units of sense are generally marked quite naturally by the metrical structure. It is only reasonable that modern punctuation should be inserted by the editor of a medieval literary text, but the effect of this is that the edited text often makes syntactic links much more explicit than they are in the medieval copies. Thus, even punctuation is not just a matter of presentation, but also, potentially, an act of interpretation. Recent editors of medieval texts have generally agreed that the editor should be prepared to punctuate, but once intervention has begun, even at this fairly minimal level, it is impossible to claim that the text has been handled wholly "conservatively". The problem is that editorial conservatism is not a matter of a choice between various absolute principles (and fidelity to them), but a scale that stretches from an absolute conservatism at the one end (which could only be achieved in a facsimile---if at all), through changes to word-spacing, capitalization, punctuation, spelling-reforms of various kinds, morphological regularization, alterations in syntax---and so to the point, at the other end, at which the "edition" is not an "edition" at all, but a translation into modern English. The challenge is to determine the point along the scale of editorial intervention that yields the greatest gain, in terms of making the text accessible to a modern readership, in exchange for the smallest loss, in terms of fidelity to the presentation of its medieval copies.


 ここで Cartlidge が吐露しているのは,(1) オリジナルの雰囲気や勢いを保持しつつも,(2) 現代の読者のためにテキストを読みやすく提示したい,という相反する要求の板挟みについてである.(1) のみを重視して,まったく手を入れないのであれば,写本をそのまま写真に撮ってファクシミリとして公開すればよく,校訂版を出す意味はない.また,(2) のみを重視するのであれば,極端な場合には意訳なり超訳なりに近づく.そこで,校訂版の存在意義を求めるのであれば,校訂者は (1) と (2) のあいだで妥当なバランスをとり,ある程度手を入れたテキストを提示する必要がある.だが,「ある程度」の程度によっては,たとえ句読法1つの挿入にすぎないとしても,それは校訂者の特定の解釈を読者に押しつけることになるかもしれないのである.校訂者によるほぼすべての介入が,文献学的な解釈の差異をもたらす可能性を含んでいる.
 editing という作業は,テキストの presentation にとどまらず,すでに interpretation の領域へ1歩も2歩も踏み込んでいるということを,校訂版を利用する読者としても知っておく必要がある.
 この問題と関連して,「#681. 刊本でなく写本を参照すべき6つの理由」 ([2011-03-09-1]) ,「#682. ファクシミリでなく写本を参照すべき5つの理由」 ([2011-03-10-1]) の記事を参照.

 ・ Cartlidge, Neil, ed. The Owl and the Nightingale. Exeter: U of Exeter P, 2001.

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2015-10-26 Mon

#2373. 段落記号 [punctuation][printing][manuscript][scribe]

 英語の本などで見かける「¶」は段落記号である.英語では,"plicrow", "paragraph mark", "paragraph sign" などと呼ばれる.P(aragraph) を左向きにしたものだろうと思い込んでいたが,調べる機会があり,そうではないと知った.結論からいえば,C の右手に2重縦線を延ばしたものということだ.
 Parkes (302) によると,西洋の写本の初期の時代より,段落や節といった内容的にまとまった単位の文章であることを示すのに,様々な記号が使われてきた.テキストのなかで特定の話題を扱う部分,注目点,命題が始まるときに,これらを意味する capitulum (kapitulum) の頭文字を取って「.K.」と表記する例がしばしば見られた.また,C をもとにした「₵」や「¶」も発達した.後者に含まれる2重縦線は,写字生が,後に朱書きすべき箇所を示すのに「//」のような2本斜線を用いたことに由来する.ただし,この「//」自体が段落の開始を表わすのに十分な機能を備えていたため,そのまま段落記号としても用いられるようになった.一方,類似した機能として,段落の始めに「γ」「Γ」「§」などを付す paragraphus の慣習も発達していた (Parkes 305) .
 発達の詳細は調べていないが,どうやらこれらの諸記号が機能と形式の両面において合流し,paraph と呼ばれることになる句読記号が確立してきたものらしい.その代表として現代まで受け継がれてきたのが「¶」ということになる.
 現代英語の書き言葉では,段落を示すには,字下げ(インデント)を用いるのが一般的だろう.しかし,電子文書などでさらに一般化しつつあるのが,字下げを伴わない1行空けである.この慣習は,日本語の書き言葉においてもでも爆発的に拡がっていると思われる.
 目的を達成する手段・形式はどうであれ,段落という(あるいはそれに類する)内容的な単位を示したいという欲求は,古今東西,常に書き手のうちにあったということだろう.
 本ブログで扱ったもう1つの句読記号については,「#1274. hedera, or ivy-leaf」 ([2012-10-22-1]) を参照.

 ・ Parkes, M. B. Pause and Effect: An Introduction to the History of Punctuation in the West. Aldershot: Scholar P, 1992.

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2015-10-21 Wed

#2368. 古英語 sprecen からの r の消失 [phonetics][manuscript][scribe][pchron]

 現代英語の speak, speech は,それぞれ形態的には古英語の sprecan, sprǣc などに遡るが,歴史の過程で r が消失してきたことに気づく.現代ドイツ語の対応語 sprechen, Sprache にも r が含まれていることから分かるとおり,r を含むゲルマン祖語形が共通の起源である (PGmn *sprekan, *sprǣkjō) .
 OED や語源辞典で調べると,英語の語形における r の消失はすでに後期古英語から観察され,11世紀には一般的になった.一方で,古い r を有する形態は12世紀半ば以降に廃れていった.この r の消失は,OHG, MHG, MDu. の対応形においても稀に見いだされるようだが,英語内部での類例としては pang (< ME prange) が参照されているほどにすぎず,広く生じた音韻過程ではないことは明らかである.
 上の記述によると11--12世紀に新旧形の交代と共存がみられたことになるが,MED で旧形の sprēcen (v.) を引くと,挙げられている用例のほとんどが The Peterborough Chronicle からである.13世紀からの例も1つ挙げられているが,12世紀前半から半ばにかけて書かれた The Peterborough Chronicle が,r 形の常用を示す事実上最後のテキストとみなしてよいだろう.
 ちょうど最近 The Peterborough Chronicle の1123年を読んでいて,r を示す興味深い事例に出会った.Earle and Plummer 版からその箇所を引用する.

. . . se king rad in his der fald and se biscop Roger of Seres byrig on an half him. and se biscop Rotbert Bloet of Lincolne on oðer half him. 7 riden þær sp`r'ecende.


 Henry I が仲間たちと狩猟に出かけ,「おしゃべりをしながら」馬に乗ってるシーンである.引用の最後に現在分詞形として綴られている sp`r'ecende が問題の語形だが,写字生は最初 specende と綴り,その後に rp の前に挿入した形跡がある.r の挿入の位置についてはケアレスミスと考えてよいだろうが,興味深いのは,r をわざわざ挿入して,同テキスト内の他の sprecon などの形態と合わせていることである.
 この写字生の行動の動機を想像してみよう.おそらく写字生の話し言葉において,すでに r のない specen のような形態が普通だったのではないか.それで,思わず書き言葉上でも specende と綴ってしまった.しかし,文章語においては,当時までにすでに古めかしく,格式張った響きを帯びるようになった変異形 sprecen のほうがふさわしいと思い直し,r を挿入したのではないか.1121年以前のいわゆる "Copied Annals" 部を書写するなかで,この写字生は古英語の標準的な書き言葉で語を綴ることに慣れており,続く "First Continuation" の部分を書く際にも,規範性を引きずっていた形跡があちらこちらに見られる.写字生の r の挿入は,このような文脈のなかで捉える必要があるのではないか.
 もしこのシナリオが妥当だとすれば,sprecen から r が消失していった過程のみならず,12世紀前半の東中部方言において新旧各形の帯びていた register も垣間見られるということになる.

 ・ Earle, John and Charles Plummer, eds. Two of the Saxon Chronicles Parallel with Supplementary Extracts from the Others. London: OUP, 1892. 2 vols.

Referrer (Inside): [2016-10-20-1]

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2014-12-16 Tue

#2059. 語源的綴字,表語文字,黙読習慣 (2) [etymological_respelling][latin][grammatology][manuscript][silent_reading][standardisation][renaissance]

 昨日の記事「#2058. 語源的綴字,表語文字,黙読習慣 (1)」 ([2014-12-15-1]) に引き続いての話題.
 昨日引用した Perret がフランス語史において指摘したのと同趣旨で,Scragg (56) は,英語史における黙字習慣の発展と表語文字への転換とが密接に関わっていることを指摘している.

. . . an important change overtook the written language towards the end of the fourteenth century: suddenly literacy became more widespread with the advent of cheaper writing materials. In earlier centuries, while parchment was expensive and wax tablets were cumbersome, the church easily retained control of education and writing, but with the introduction of paper, mass literacy became both feasible and desirable. In the fifteenth century, private reading began to replace public recitation, and the resultant demand for books led, during that century, to the development of the printing press. As medieval man ceased pointing to the words with his bookmark as he pronounced them aloud, and turned to silent reading for personal edification and satisfaction, so his attention was concentrated more on the written word as a unit than on the speech sounds represented by its constituent letters. The connotations of the written as opposed to the spoken word grew, and given the emphasis on the classics early in the Renaissance, it was inevitable that writers should try to extend the associations of English words by giving them visual connection with related Latin ones. They may have been influences too by the fact that Classical Latin spelling was fixed, whereas that of English was still relatively unstable, and the Latinate spellings gave the vernacular an impression of durability. Though the etymologising movement lasted from the fifteenth century to the seventeenth, it was at its height in the first half of the sixteenth.


 黙字習慣が確立してくると,読者は一連の文字のつながりを,その発音を介在させずに,直接に語という単位へ結びつけることを覚えた.もちろん綴字を構成する個々の文字は相変わらず表音主義を標榜するアルファベットであり,表音主義から表語主義へ180度転身したということにはならない.だが,表語主義の極へとこれまでより一歩近づいたことは確かだろう.
 さらに重要と思われるのは,引用の後半で Scragg も指摘しているように,ラテン語綴字の採用が表語主義への流れに貢献し,さらに綴字の標準化の流れにも貢献したことだ.ルネサンス期のラテン語熱,綴字標準化の潮流,語源的綴字,表語文字化,黙読習慣といった諸要因は,すべて有機的に関わり合っているのである.

 ・ Scragg, D. G. A History of English Spelling. Manchester: Manchester UP, 1974.

Referrer (Inside): [2015-08-26-1] [2015-01-23-1]

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2014-12-15 Mon

#2058. 語源的綴字,表語文字,黙読習慣 (1) [french][etymological_respelling][latin][grammatology][manuscript][scribe][silent_reading][renaissance]

 一昨日の記事「#2056. 中世フランス語と英語における語源的綴字の関係 (1)」 ([2014-12-13-1]) で,フランス語の語源的綴字 (etymological_respelling) が同音異義語どうしを区別するのに役だったという点に触れた.フランス語において語源的綴字がそのような機能を得たということは,別の観点から言えば,フランス語の書記体系が表音 (phonographic) から表語 (logographic) へと一歩近づいたとも表現できる.このような表語文字体系への接近が,英語では中英語から近代英語にかけて生じていたのと同様に,フランス語では古仏語から中仏語にかけて生じていた.むしろフランス語での状況の方が,英語より一歩も二歩も先に進んでいただろう.(cf. 「#1332. 中英語と近代英語の綴字体系の本質的な差」 ([2012-12-19-1]),「#1386. 近代英語以降に確立してきた標準綴字体系の特徴」 ([2013-02-11-1]),「#1829. 書き言葉テクストの3つの機能」 ([2014-04-30-1]),「#1940. 16世紀の綴字論者の系譜」 ([2014-08-19-1]),「#2043. 英語綴字の表「形態素」性」 ([2014-11-30-1]).)
 フランス語の状況に関しては,当然ながら英語史ではなくフランス語史の領域なので,フランス語史概説書に当たってみた.以下,Perret (138) を引用しよう.まずは,古仏語の書記体系は表音的であるというくだりから.

L'ancien français : une écriture phonétique
. . . . dans la mesure où l'on disposait de graphèmes pour rendre les son que l'on entendait, l'écriture était simplement phonétique (feré pour fairé, souvent pour quí) . . . .


 Perret (138--39) は続けて,中仏語の書記体系の表語性について次のように概説している.

Le moyen français : une écriture idéographique
À partir du XIIIe siècle, la transmission des textes cesse d'être uniquement orale, la prose commence à prendre de l'importance : on écrit aussi des textes juridiques et administratifs en français. Avec la prose apparaît une ponctuation très différente de celle que nous connaissons : les textes sont scandés par des lettrines de couleur, alternativement rouges et bleues, qui marquent le plus souvent des débuts de paragraphes, mais pas toujours, et des points qui correspondent à des pauses, généralement en fin de syntagme, mais pas forcément en fin de phrase. Les manuscrits deviennent moins rares et font l'objet d'un commerce, ils ne sont plus recopiés par des moines, mais des scribes séculiers qui utilisent une écriture rapide avec de nombreuses abréviations. On change d'écriture : à l'écriture caroline succèdent les écritures gothique et bâtarde dans lesquelles certains graphèmes (les u, n et m en particulier) sont réduits à des jambages. C'est à partir de ce moment qu'apparaissent les premières transformations de l'orthographe, les ajouts de lettres plus ou moins étymologiques qui ont parfois une fonction discriminante. C'est entre le XIVe et le XVIe siècle que s'imposent les orthographes hiver, pied, febve (où le b empêche la lecture ‘feue’), mais (qui se dintingue ainsi de mes); c'est alors aussi que se développent le y, le x et le z à la finale des mots. Mais si certains choix étymologiques ont une fonction discrminante réelle, beaucoup semblent n'avoir été ajoutés, pour le plaisir des savants, qu'afin de rapprocher le mot français de son étymon latin réel ou supposé (savoir s'est alors écrit sçavoir, parce qu'on le croyait issu de scire, alors que ce mot vient de sapere). C'est à ce moment que l'orthographe française devient de type idéographique, c'est-à-dire que chaque mot commence à avoir une physionomie particulière qui permet de l'identifier par appréhension globale. La lecture à haute voix n'est plus nécessaire pour déchiffrer un texte, les mots peuvent être reconnus en silence par la méthode globale.


 引用の最後にあるように,表語文字体系の発達を黙読習慣の発達と関連づけているところが実に鋭い洞察である.声に出して読み上げる際には,発音に素直に結びつく表音文字体系のほうがふさわしいだろう.しかし,音読の機会が減り,黙読が通常の読み方になってくると,内容理解に直結しやすいと考えられる表語(表意)文字体系がふさわしいともいえる (cf. 「#1655. 耳で読むのか目で読むのか」 ([2013-11-07-1]),「#1829. 書き言葉テクストの3つの機能」 ([2014-04-30-1])) .音読から黙読への転換が,表音文字から表語文字への転換と時期的におよそ一致するということになれば,両者の関係を疑わざるを得ない.
 フランス語にせよ英語にせよ,語源的綴字はルネサンス期のラテン語熱との関連で論じられるのが常だが,文字論の観点からみれば,表音から表語への書記体系のタイポロジー上の転換という問題ともなるし,書物文化史の観点からみれば,音読から黙読への転換という問題ともなる.<doubt> の <b> の背後には,実に学際的な世界が広がっているのである.

 ・ Perret, Michèle. Introduction à l'histoire de la langue française. 3rd ed. Paris: Colin, 2008.

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2014-07-13 Sun

#1903. 分かち書きの歴史 [punctuation][manuscript][writing][grammatology][syntagma_marking][alphabet]

 単語と単語の間にスペースを挿入する書記慣習を分かち書きと呼んでいる.本ブログでは,「#1112. 分かち書き (1)」 ([2012-05-13-1]),「#1113. 分かち書き (2)」 ([2012-05-14-1]),「#1114. 草仮名の連綿と墨継ぎ」 ([2012-05-15-1]) の記事で取り上げてきた.分かち書きは,現代英語を含めローマ字を用いる書記体系では当然視されているが,古代ローマのラテン語表記において,分かち書きが習慣的に行われていたわけではない.英語史としてみれば,分かち書きは,古英語期にキリスト教ともにアイルランドの修道僧によってもたらされた慣習であり,その歴史は意外と新しい.Horobin (72) 曰く,

. . . we need to remember that word division and the use of blank spaces between words was a relatively new phenomenon when the Beowulf manuscript was written. In Antiquity manuscripts were written using scriptio continua, a continuous script without any breaks between words at all. The practice of dividing words in the way we do today was introduced by the Irish monks who brought Christianity to the Northumbrians.


 古代ローマの伝統的な続け書き (scriptio continua) に代わり,革新的な分かち書き (distinctiones) が最初にラテン語を解さないアイルランド人,そして後にアングロサクソン人によって採用されることになったことは,偶然ではない.日本語母語話者は,分かち書きも句読点もない,ひらがなだけの文章を非常に読みにくく感じるだろうが,日本語を知っている以上,なんとかなる.しかし,日本語を母語としない学習者にとっては,さらに読みにくく感じられるだろう.同様に,ラテン語を母語とするものは scriptio continua で書かれたラテン語の文章を読むのに耐えられたかもしれないが,非母語としてのラテン語の学習者であった古英語期のアイルランド人やイングランド人は苦労を強いられたろう.そこで彼らは,読みやすさと解釈のしやすさを求めて,句読法に一大革新をもたらすことになったのである.この辺りの事情について,Clemens and Graham より2箇所引用する.

In late antiquity, scribes wrote literary texts in scriptura continua (also sometimes called scriptio continua), that is, without any separation between the words. Moreover, often they did not enter any marks of punctuation on the page. In many cases, punctuation was added by the reader, in particular by the reader who had to recite the text aloud. Such punctuation was often only sporadic, inserted at those points where it was necessary to counteract possible ambiguity (for example, when it was not immediately clear where one word ended and another began). (83)

Irish and Anglo-Saxon scribes made notable contributions to the use and development of the distinctiones system. Following their conversion to Christianity in the fifth and sixth through seventh centuries, respectively, the Irish and the Anglo-Saxons copied Latin texts avidly. Because their native languages were not directly related to Latin, these scribes required more visual cues to understand Latin than did Italian, Spanish, or French scribes. It was Irish scribes who were primarily responsible for the introduction of the practice of word separation, a major contribution to what has been called the "grammar of legibility." Once word separation became common, later scribes sometimes "updated earlier manuscripts by placing a punctus between words in texts originally written in scriptura continua. (83--84)


 イギリス諸島の修道僧たちは,ラテン語の scriptio continua の読みにくさを疎んじ,自らが書くときには語と語の間にスペースを入れる慣習を確立した.すでに scriptio continua で書かれてしまっている文章については,語と語の間に句読点を挿入することで,読みやすさを確保しようとした.したがって,統語的な区切り ("grammar of legibility") を明確にするために,彼らは分かち書き以外にもいくつかの手段を編み出したのだが,その中でもとりわけ有効な慣習として確立したのが,分かち書きだった.
 現在私たちが英語の書き言葉において当然視している分かち書きという慣習は,外国語学習者がその言語の読み書きを容易にするために編み出した語学学習のテクニックに由来するのである.この点では,語句注釈や漢文の訓点とも通じるところがある.

 ・ Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013.
 ・ Clemens, Raymond and Timothy Graham. Introduction to Manuscript Studies. Ithaca & London: Cornel UP, 2007.

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